(5)

書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●思考回路

+++++++++++++++++++++

脳みそというのは、反復性のある行動、思考に
ついては、別回路をつくり、つぎに同じような
行動、思考をするようなとき、その回路にしたがって、
行動したり、思考したりする。
そのほうが、便利だからである。

+++++++++++++++++++++++

このことは、幼児に、同じ絵を何回も描かせてみる
とよくわかる。

たとえば帽子が三角、顔が丸、手と足が「十」に
なった(かかし)を描かせてみる。

「  △
   ○
   十  」

最初はたどたどしく、描き方に迷っていた子どもでも、
4〜10回も描くうちに、描き順が定まってくる。
思考回路が決まってきたことを意味する。

こうした思考回路は、無数にある。
たとえば目の前にあるお茶のコップにしても、それを手に
取るとき、指をどのように使うか、それをいちいち考えて
取る人はいない。
自然な形で、しかも何も考えないで、コップを取ることが
できる。

それが思考回路である。

この思考回路には、大きく、つぎのふたつに分けて考える
ことができる。

(1)手続きや運動に関する思考回路…運動、動作に関する思考回路。
(2)思考のパターンに関する思考回路…ものの考え方、論理の組み立て方。
「固定常識」(はやし浩司)も、それに含まれる。

ここでいう「固定常識」というのは、常識の中でも、傷口のかさぶたのように、
心の中で、固定してしまった常識をいう。

先日もワイフが私のためにと、赤いパンツを買ってきてくれた。
しかしどうも、はき心地が悪い。
子どものころから、「赤は女の色」と、そういう常識を叩き込まれたせいと
考えてよい(?)。
つまり心理学でいえば、私は、そのとき軽い(役割混乱)を起こしたことになる。

役割混乱…「男の子は男の子らしく」「女の子は女の子らしく」と、子どもは
成長の過程で、そうした(役割)を身につけていく。
だれに教えられるというわけではないが、常識(?)として、身につけていく。
しかしこの(役割)が混乱するときがある。
たとえば男の子に赤いスカートをはかせてみるとよい。
ふつう、子どもは、それに抵抗する。
が、それでもはかせてみると、精神状態そのものがたいへん不安定になる。
(実際には、はかないだろうが……。)

今回の赤いパンツがそうである。
つまり思考回路が、混線する。
たとえば自分でパンツを買いにいくときは、意識することもなく、(男らしい色)を、
私は選ぶ。
青とか、茶色とか、など。
それがここでいう「思考のパターンによる思考回路」という。

しかも、だ。
ワイフの買ってきたパンツには、穴がない!
これはどう理解したらよいのか。
男性用のパンツには、穴がある。
そう決めてかかっているのも、実は、「思考のパターンによる思考回路」ということに
なる。

……しかし、こうした思考回路は、そのつど、できるだけ破壊してみたほうがよい。
破壊したとたん、そこに別の世界が広がる。

話は飛躍するが、ときどき映画を見ながら、私は、それを経験する。
たとえば『シクス・センス』『マトリックス』『ミラーズ』など。
これらの映画は、私に強烈な印象を残した。
またそういう映画は、楽しい。
脳みそがひっくり返るような、衝撃を覚える。

言いかえると、思考回路が、そのときひっくり返ったことになる。
先にも書いたように、そこにはいつも、別の世界が広がる。
予想もしなかったような、別の世界である。

…しかし、パンツだけは、やはり男の色がよい。
もしこの垣根を取り払ってしまうと、自分がどうなってしまうか。
それがこわい。
そのうちリカちゃん人形のコスチュームを着て、街を歩くようになるかもしれない。
私なら、そうなりそう(?)。
だからこわい。
(でも、楽しいだろうな?)

(付記)

少し前、二男夫婦が私の家に泊まったときのこと。
二男が、嫁さんの足の爪を、爪切りで切ってやっているのを、見た。
そのときも、私の頭の中の思考回路が、バチバチと火花が飛ぶのを感じた。
この日本では考えられない光景である。
またそういうことをしてやっている夫を見たことがない。
(もちろん私もしてやったことがない。)

そういう点では、二男夫婦を見ていると、よい勉強になる。
彼らは、教えずして、私にいろいろなことを教えてくれる。
で、思考回路が変更され、それ以後、私も、似たような行動を、ワイフに
してやることができるようになった。

「男だから……」とか、「女だから……」とか、『ダカラ論』で、ものごとを
考えてはいけない。

『ダカラ論』そのものが、私がいう「固定常識」ということになる。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
固定常識 役割形成 役割混乱 常識論 赤いパンツ だから論 ダカラ論 はやし浩司
思考回路 思考パターン)

(追記)

今日も電車の中で、ワイフとこんな会話をした。
もし(あの世)があるとするなら、という前提での話だが、私は、この世こそが、
あの世ではないかと思っている。

つまり本当は、私たちが思っているあの世こそ、リアルな世界で、今、私たちが
生きている(?)、この世が、あの世ではないか、と。
つまり地獄、極楽というのは、(天国、地獄でもよいが)、この世のように、ある、と。

話がわかりにくくなってきたので、こうしよう。

今、私たちが生きている、この世界を、A世界とする。
そして私たちが死んだら行くとされる、あの世(天国)を、B世界とする。

B世界の住人たちは、こんな会話をしている。

X「この世は善人ばかりで、つまらないですなあ。ところで私は、今度、あの世
(A世界)へ、遊びに行ってくることにしましたよ」
Y「どちらの国を選びましたか?」
X「ハハハ、あまり苦労をするのもいやだから、国は、日本という国にしました」
Y「日本ねえ……。そんな国があったのですか」

X「小さな国ですよ。そこでね、私は、思う存分、自由に生きてみたいと思いますよ」
Y「それはいい。あの世(A世界)へ行けば、いろいろと生きる原点のようなものを
体験できるそうですよ」
X「憎しみや悲しみ、喜びや楽しみ……、この世(B世界)には、ないものばかりです」
Y「ところで隣のイエスさん。ご存知ですか? あの方は、向こうでこの世の話をして
きたそうです。今度また、あの世へ行ってみたいと、今、申請を出しているそうですよ」

X「そうですかア。あのイエスさんが、ねえ……。しかしあの世で、この世の話をする
のは、禁止事項ではなかったのですか」
Y「何でも、特別許可をもらったそうです」
X「特別許可ねエ……。私は、もらえそうにもありませんから、ふつうの住民として、
行ってきますよ。まあ、そんなわけで、しばらく、あなたとは連絡を取れませんが、
よろしく」

Y「わかりました。で、何時間ほど、あの世(A世界)へ行ってくるのですか?」
X「一応、申請では、3時間15分ということになっています。向こうの時間では、
76年ということになるそうです」
Y「76年ですかア? みんなあの世へ行ったときは、それを長く感ずるようですが、
帰ってくると、あっという間だったと言いますね。これもおもしろい現象です」
X「そりゃあ、そうですよ。3時間15分ですから……。エート、旅行社がくれた
プログラムによれば、息子が3人できるということになっています」

Y「それはまた、平凡なコースを選びましたねエ」
X「みんなに嫌われて、最期は、どこかの病院でさみしく死ぬという、まあ、そんな
ありきたりのコースですよ」
Y「ハハハ、それもよい経験になりますよ。またあの世(A世界)から帰ってきたら、
みやげ話でもしてください」
X「わかりました。楽しみにしておいてください。で、もうそろそろ行かなくてはいけ
ません。失礼します」
Y「お元気で!」と。

あなたも一度、この世とあの世を、ひっくり返して考えてみては、どうだろうか。
既存の思考回路が、バチバチを音をたてるはず。








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●隠れマザコン

++++++++++++++++++

私の知人に、これまた人も羨(うらや)むような、
親孝行の娘をもった人がいる。
その娘を、娘Aとする。
その娘Aは、結婚して嫁いでいるというのに、「お母さん、お母さん」と
言って、毎週のようにやってきては、菓子を届けたり、
旅行のみやげを届けたりしているという。
知人が、今年、85歳になる。
娘Aは、60歳になる。
だから近所の人は、みな、こう言う。

「あの娘さんは、すばらしい人だ。人間の鑑(かがみ)」と。

しかし、ちょっと、待ったア!

++++++++++++++++++

こういう娘Aのばあい、つぎの2つを疑ってみる。

(1)隠れマザコン
(2)代理ミュンヒハウゼン症候群

ふつうマザコンというと、男性ばかりが問題になる。
しかし女性にも、マザコン、つまりマザーコンプレックスをもった人はいる。
が、母と娘という女性どうしだから、目立たない。
成人した男性が、彼の母親といっしょに入浴すれば、だれしも、おかしいと思う。
しかし女性のばあいには、だれも、おかしいとは思わない。
だから女性のマザコンを、「隠れマザコン」(はやし浩司)と呼ぶ。

また代理ミュンヒハウゼン症候群というと、ふつう虐待が先に問題になる。
「新しいタイプの虐待」と位置づける人もいる。
たとえば子どもを一方で虐待しながら、他方で、よい母親(父親)を演ずるなど。
しかしあえて虐待をしなくても、もともと虚弱な子どもであれば、その子どもを
利用して、よい母親を演ずることもできる。
他人の同情を買いながら、よい母親を演ずる。
みなに、「よくできた、すばらしい母親」と思わせる。
当然、虐待をともなわない、代理ミュンヒハウゼン症候群というのも、ある。

また対象が子どものばあいだけを、代理ミュンヒハウゼン症候群というのではない。
舞台が病院であるとも、かぎらない。
広義には、対象が、兄弟、姉妹、さらには親であっても構わない。
舞台が、施設であっても、さらに家庭であっても構わない。

ことさら苦労している様子を誇張してみせ、他人の同情を買う。
他人からよい人と思われるようにするため、あれこれと工作する。
このタイプの人は、口もうまい。
ここでいう隠れマザコンと私が呼んでいる人も、同様の行動パターンをとる。

冒頭にあげた女性にしても、かなりの高齢で、このところ歩くのもままならない。
そういう母親を支えながら、その娘Aは、通りをいっしょに歩くこともあるという。
それで近所の人たちは、「人間の鑑」と。

しかしそれこそが、その娘Aの望むところ。
他人にそう思われるように、他人の心を誘導する。
操る。

では、本物の(?)、親孝行とは、どこがちがうか?

その第一。
本物の親孝行は、静か。
目立たない。
他人の目を意識しない。
私のような他人の耳に、そういった話は、届いてこない。

また「毎週のように、菓子やみやげを届けている」という話は、母親の言葉ではない。
その娘A自身が、あちこちでそのように自分で吹聴している。
私もその娘Aのことは、よく知っているが、一貫性がない。
それだけの人徳がある人なら、ほかの面でも光るはず。
体の芯からにじみ出てくるような、人間性があるはず。
が、そういった話は、伝わってこない。
むしろ父親の遺産相続問題で、ほかの姉妹と言い争ったとか、実の息子たちとは
絶縁状態にあるとか、など。
そういう話のほうが目立つ。

どこかチグハグ?
おかしい?
へん?
その(チグハグさ)を感じたら、こういう話は、まず疑ってかかったほうがよい。

が、だからといって、その娘Aを責めているのではない。
マザコンであるにせよ、ないにせよ、それで、母と娘が仲よく暮らしていれば、
それでよい。
他人がとやかく言う必要は、ない。

今どきマザコンにしても、隠れマザコンにしても、珍しくもなんともない。
まただからといって、周囲の人たちが、人間の鏡とするなら、それもよい。
ただ、だからといって、操られるまま操られるのは、よくない。
こういう話には、「待ったア!をかける。
それが知性ということになる。
理性ということになる。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
隠れマザコン 代理ミュンヒハウゼン 親孝行 孝行娘 親孝行の子ども)







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●他責型人間vs自責型人間

+++++++++++++++++++

何か失敗したようなとき、すかさず、
だれかに責任を求める人を、他責型人間という。
すかさず自分に責任を求める人を、自責型人間という。

子どもでも、年中児(4〜5歳児)でも、それがわかる。
子どもがお茶をこぼしたとする。
それを母親が、注意したとする。
そのとき、他責型人間(子ども)は、すかさず、
こう言う。
「ママが、こんなところにお茶を置いておくから悪い」と。
いつも責任を他人に転嫁する。

一方自責型人間(子ども)は、すかさず、「ごめん」と言う。
「いつも責任は、自分にある」と考える。

一般論として、(あくまでも一般論だが)、他責型人間は、
悶々とした欲求不満を、持続的にかかえていることが多い。
「自分は正しい」という過剰な思い込みが、他責の
原因になることもある。
しっかりした人という評価を受けやすい。

一方、自責型人間は、その分だけ、うつ病になりやすいと言われている。
自信喪失が根底にあり、人格の「核」形成も、遅れがちになる。
どこかヘラヘラした感じになりやすい。

表面的な様子からだけでは、判断できない。
快活で積極的だから、他責型人間ということにはならない。
静かで落ち着いているから、自責型人間ということにもならない。

それを知るためには、心理テストが必要。
こんな例で考えてみよう。

あなたは今、電車の中にいる。
そのとき緊急の、かつ重要な連絡が、携帯電話に入った。
ベルが鳴った。
あなたは携帯電話で話し始めた。
と、そのとき、横にいた人が、あなたに、「電車の中では
携帯電話はいけませんよ」と、軽く注意した。

そのときあなたなら、どうするだろうか。
ムッとして、その人をにらみ返すだろうか。
「今、すぐ終わりますから」とか、「緊急です」とか
言うだろうか。

それとも、すかさず、「ごめんなさい」とか、「すぐ終わります」とか、
謝罪するだろうか。

前者のようであれば、あなたは他責型人間ということになる。
後者のようであれば、あなたは自責型人間ということになる。

他責型人間か、それとも自責型人間か。
いろいろ調べてみると、(あくまでも私が調べた範囲だが)、
その中間型というのは、ない。
しかもこの「型」は、その人の人格の中核部分に居座るため、
たとえば状況に応じて、他責型になったり、自責型になったり
ということもない。
幼児期に他責型になった子どもは、ずっと、それこそ、
死ぬまで他責型人間のまま。
自責型になった子どもは、ずっと、それこそ死ぬまで
自責型人間のまま。
途中で変化するということも、ない。
(「ない」と断言するのも、危険なことだが……。)

さらに興味深いことに、他責型人間からは、自責型人間が理解できない。
自責型人間からは、他責型人間が理解できない。
ともに自分を基準にして、相手をみる。
相手も自分と同じ人間と、思い込む。
したがってたとえば、夫が他責型、妻が自責型というケースのばあい、
(その反対でもよいが)、どちらか一方が、それに気づくまで、夫婦喧嘩が
絶えないということになる。

夫「謝れ!」
妻「どうして謝らなきゃ、ならないのよ!」と。

(いつも夫婦喧嘩をしている人は、一度、ここに書いたようなことを
参考に、自分を見つめなおしてみるとよい。)

が、さらにもう一言。

自責が過剰になると、相手の失敗まで、自分の責任のように感じてしまう。
こんな例がある。

ある学校で、ある子どもが何かの事件を起こした。
それについて、ある教師は、こう言った。
「警察に出向き、謝罪してきました」と。
そこで私が、「そこまでは学校の責任ではないでしょう」と言うと、
その教師はこう言った。

「新聞などで、少年犯罪が報じられるたびに、胸が痛くなります」と。

自責型人間の中には、そこまで自分を責め人もいる。

……となぜ、今、他責型人間と自責型人間について書くか?

実は、今日の午後、たまたまこんなことがあった。
バスに乗っていて、うとうとと眠っていたときのこと。
私のすぐうしろに座っていた女性のところに電話がかかってきた。
かなり豪快な(?)、着信音が鳴った。
とたん、眠気が消えた。

その女性は、「今、バスの中! もうすぐそこへ着くから待ってエ……」
というようなことを言っていた。
そのときのこと。
ちょうどタイミングよく、つぎの停留所名を言ったあと、
「携帯電話は周りのお客様に迷惑になりますから、スイッチをOFFに
するか、マナーモードに……」というアナウンスが、流れた。
私は、すかさず、「その通り!」と声をあげた。
……あげてしまった。

よほど私の言葉が、その女性のカンに触ったらしい。
しばらくしてバスは、目的地に着いた。
「どんな女性だったか」と思って、立ったついでに、うしろの女性を見た。
私をものすごい目つきで、にらんでいた。
顔中が、鬼バンバというような感じだった。
年齢は、18、9歳ではなかったか。

私は、「ああ、この人は、他責型人間だな」と思った。
それでこの原稿を書いた。

……ところで、私は、完全な自責型人間。
いつも他人を責めてばかりいるが、根は、自責型人間。
自分でも、それがよくわかっている。
だから先に書いたことを繰り返す。

人間というのは、見た目で判断してはいけない。
さて、あなた自身は、どうか?

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
自責 他責 自責型人間 他責型人間 はやし浩司 自責vs他責 自分を責める
他人を責める)







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【極楽浄土論】

●私は極楽行き? 

ときどきこんなことを考える。
私は死んだら、極楽へ行くのだろうか。
それとも地獄へ行くのだろうか、と。

仏教の教えによれば、それを最終的に判断(ジャッジ)するのは、
あの閻魔(えんま)大王だそうだ。
中国でできたニセ経の上に、さらに日本でニセ経を塗り重ね、そういう話ができた。
今では、子どもですら、そんな話は信じない。
幼稚というか、稚拙(ちせつ)。
しかし私は、最近、閻魔大王というのは、ワイフであり、3人の息子たちではないかと
思うようになった。
それには、こんな話がある。

昨年(08年)、実兄と実母が、つづいて他界した。
そのときのこと。
私はこんなことを考えた。
「兄や母は、極楽へ行くのだろうか。それとも地獄へ行くのだろうか」と。
地獄と極楽しかないとなれば、二者択一、ということになる。
地獄と極楽の間には、中間の世界はない。
そこで兄や母のことを、あれこれと思い起こしてみる。

●善人vs悪人

1人の人間を、どう判断するか。
これはたいへん難しい問題である。
というのも、1人の人間には、いろいろな面がある。
相手によっても、印象がちがう。
年代によっても、変化する。

たとえばAさんは、若いころの母をよく知っていて、「勝気な人でした」という。
Bさんは、晩年の母をよく知っていて、「やさしくて、穏やかな人でした」という。
また他人から見た母と、私という子どもから見た母は、まったく違う。
それは善人vs悪人論とも似ている。

善人と悪人とは紙一重。
しかしまったくの善人がいないのと同じように、まったくの悪人もいない。
よく聞く話だが、死刑囚といわれる人の中には、仏様のようになる人もいるという。
さらに私という人間にしても、あるカルト教団の人たちからは、「魔王」と
呼ばれている。
その教団を攻撃する本を、何冊か書いたからである。
さらにあのK国が、日本を支配したら、この私はまっさきに処刑されるだろう。
いつもあの「将軍様」のことを、「金xx」と書いている。
拉致事件に抗議の念をこめて、そうしている。

どこをどのように見て、善人と判断し、悪人と判断するのか。
何しろ、中間がない。
「閻魔大王の仕事も、たいへんだなあ」と思う。

●私であって(私)でない部分

私は自分では、善人とは思っていない。
どちらかというと、悪人かもしれない。
少なくとも、3人の息子たちは、そう思っている。
「パパは仕事ばかりしていた」
「ママを奴隷のように使っていた」
「パパはワンマンで、ぼくたちの話を聞いてくれなかった」と。

ときどきそういう不満を、今になって私にぶつけることがある。
が、私はいつもそういうとき、こう思う。

「私は私で、懸命だったのだ」と。

息子たちに、私が生きた時代の説明をしても意味がない。
「日本は貧しかった」と言っても、その(貧しい時代)そのものを、知らない。
ボットン便所の話をしても、無駄。
息子たちにしてみれば、生まれながらにして、トイレは水洗トイレ。
それしか知らない。
ボットン便所から、水洗トイレになったときのうれしさを知らない。
だからこう言う。
「そんなのは、パパの時代の話で、ぼくたちには関係ない」と。

つまり私という人間にしても、(過去)の無数のしがらみを引きずっている。
私であって、(私)でない部分も多い。
たとえば道路にお金が落ちているのをみると、今でもさっと拾ってしまう……と思う。
(この20〜30年、そういう経験がないので、わからない。)
交番へ届けようなどいう気持ちは、まず起きないだろう。
起きないから、そのジレンマの中で、迷う。
「もらってしまうべきか、それとも交番へ届けるべきか」と。
が、これとてあの戦後の、ひもじい時代を生きたからこそ身についた錆(さび)の
ようなもの。

私が悪いと思う前に、私はあの時代に、責任を求める。
あの時代が悪い。
あの戦争が悪い。

さらに私には、私の生い立ちもからんでくる。
いろいろあった。
その(あった)部分の中で、心もゆがんだ。

重罪といわれる罪を犯した犯罪者にしても、そうだ。
そういう人を、本当に悪人と言い切ってよいのか。
あるいはそう言い切れる人は、どれだけいるのか。

●息子たちが判断する

そこで私のこと。
自分で自分のことを判断するのは、難しい。
ワイフにしても、利害関係が一致しているから、難しい。
そこで、どうしても息子たち、ということになる。
私を判断するのは、息子たち。

息子たちは、(私)を、内側から見ている。
私が外の世界で隠している部分すらも、見ている。
それに人格の完成度も、今となっては、私より高い。
私が見た世界とは、比較にならないほど、広くて大きな世界も見ている。
私を、1人の親というよりは、1人の人間として見ている。

私にしても、閻魔大王などよりも、息子たちに判断(ジャッジ)されるほうが、
よほどよい。
安心できる。
仮に「地獄へ行け」と判断されても、それにすなおに従うことができる。
息子たちがそう言うなら、しかたない。
が、そこでもまた問題が起きる。

私が兄や母に地獄へ行けと言えないように、息子たちもまた、私に地獄へ行けとは
言えないだろう。
たとえ悪人であっても、だ。
それにこんなケースもある。

ある女性の話だが、若いころは、たいへん優雅で気品のある人だったという。
その女性が今は、老人施設に入居して、毎日、毎晩、怒鳴り声をあげているという。
「バカヤロー」「コノヤロー」と。
年齢は、現在、80歳を少し過ぎたところという。

こういうケースでは、どう判断したらよいのか。
その女性は、善人なのか、それとも悪人なのか。
悪人ではないとしても、そんな状態で、極楽へ入ったら、ほかの善人たちが迷惑する
だろう。

●地獄も極楽もない

地獄も極楽もない。
あるはずもない。
だいたい釈迦自身、一言もそんなことを言っていない。
ウソと思うなら、自分で『法句経』を読んでみることだ。
「来世」「前世」にしても、そうだ。

だからそれをもとに、善人論、悪人論を、論じても意味はない。
ただ法体系が未完成だったころなら、地獄論で悪人を脅すこともできたかもしれない。
「悪いことをすると、地獄へ落ちるぞ」と。
それでたいていの人は、黙った。
私が子どものころでさえ、そういう会話を、よく耳にした。

兄は兄として、他界した。
母は母として、他界した。
無数のドラマを残して、他界した。
よいドラマもあれば、悪いドラマもある。
今さら、そんなドラマを問題にしても意味はない。

同じように、今を生きる私たちも、できることと言えば、ただ懸命に生きるだけ。
よいことをしていると思っていても、悪いことをしていることもある。
悪いことをしていると思っていても、よいことをしていることもある。
常に結果は、あとからついてくる。
放っておいても、あとからついてくる。
だからこう思う。

地獄でも極楽でも、どちらでもよい、と。
こんな無意味なことを考えるのは、今日で最後にしたい、と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
地獄 極楽 地獄論 極楽論 善人 悪人)


Hiroshi Hayashi++++++++JAN 09++++++++++はやし浩司

【浄土論】

神や仏も教育者だと思うとき 

●仏壇でサンタクロースに……? 

 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもち
ゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。そこで私は、仏
壇の前で手をあわせて祈った。仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、
私にはそれしか思いつかなかった。

 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣は欠か
したことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできごとがあった。あ
る英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中にあ
る、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。

私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。そのとき以来、
私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要としている人が
いる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの願い事をしようと思
っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。

●身勝手な祈り

 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間
に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たりますように」とか、「商売
が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸
す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。

一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占いコーナ
ーには、一日一〇〇万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。どうせその程度の人が、で
まかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても一日一〇〇万件とは! あの『ドラえ
もん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった二五年前には、「ありえな
い電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、よっぽどこちらのほうが奇
跡だ。

その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 人間の理性というのは、文明
が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、こんな子ども(小五男児)がい
た。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞くと、こう言った。「先生、ぼくは
超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」と。

●難解な仏教論も教育者の目で見ると

 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなることがあ
る。たとえば親鸞の『回向論』。『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、あの回
向論である。

これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の命令に
よってしているにすぎない。だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に包まれては
いても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本百科事典・石田瑞麿
氏)となる。

しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱりわから
なくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。要するに親鸞が
言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことではないか。悪人が念仏
を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行ける」と。しかしそれ
でもまだよくわからない。

 そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当たり前のこ
とではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。つまりそういう子ども
こそ、ほめられるべきだ」と。もう少し別のたとえで言えば、こうなる。

「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。そういうのは教育とは言わない。問題のあ
る子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。またそれを教育という」と。私にはこんな
経験がある。

●バカげた地獄論

 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。その教
団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。いわく、「この宗教を否定する者は、無間地
獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障害者が多いのは、そのためだ」(N宗機関誌)
と。こんな文章を、身体に障害のある人が読んだら、どう思うだろうか。あるいはその教団に
は、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろうか。

が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようになっ
た。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方は、明らかにまちがってい
る。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼ら
が言うところの慈悲ではないのか。

私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中には「バカヤロー」と
悪態をついて教室を出ていく子どももいる。しかしそういうときでも、私は「この子は苦労するだ
ろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。神や仏ではない私だって、それくらい
のことは考える。いわんや神や仏をや。

批判されたくらいで、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏では
ない。悪魔だ。だいたいにおいて、地獄とは何か? 子育てで失敗したり、問題のある子どもを
もつということが地獄なのか。しかしそれは地獄でも何でもない。教育者の目を通して見ると、
そんなことまでわかる。

●キリストも釈迦も教育者?

 そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったか、
と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外とよく理
解できる。

さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。たとえば「先生、先生……」と、
すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。「何とかい
い成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。いちいち子どもの願いごとをかなえてや
っていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。自分で努力することをやめてしまう。そうなれば
なったで、かえってその子どものためにならない。人間全体についても同じ。

スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自ら努力することをやめてしま
う。医学も政治学もそこでストップしてしまう。それはまずい。しかしそう考えるのは、まさに神や
仏の心境と言ってもよい。

 そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーではなく、赤
い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、今でもはっきり
と覚えている。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

●子どもの宗教を考える法(宗教の話は慎重にせよ!)

教師が宗教を語るとき

●宗教論はタブー 

 教育の場で、宗教の話は、タブー中のタブー。こんな失敗をしたことがある。一人の子ども
(小三男児)がやってきて、こう言った。「先週、遠足の日に雨が降ったのは、バチが当たった
からだ」と。そこで私はこう言った。「バチなんてものは、ないのだよ。それにこのところの水不
足で、農家の人は雨が降って喜んだはずだ」と。

翌日、その子どもの祖父が、私のところへ怒鳴り込んできた。「貴様はうちの孫に、何てことを
教えるのだ! 余計なこと、言うな!」と。その一家は、ある仏教系の宗教教団の熱心な信者
だった。

 また別の日。一人の母親が深刻な顔つきでやってきて、こう言った。「先生、うちの主人に
は、シンリが理解できないのです」と。私は「真理」のことだと思ってしまった。そこで「真理という
のは、そういうものかもしれませんね。実のところ、この私も教えてほしいと思っているところで
す」と。その母親は喜んで、あれこれ得意気に説明してくれた。が、どうも会話がかみ合わな
い。そこで確かめてみると、「シンリ」というのは「神理」のことだとわかった。

 さらに別の日。一人の女の子(小五)が、首にひもをぶらさげていた。夏の暑い日で、それが
汗にまみれて、半分肩の上に飛び出していた。そこで私が「これは何?」とそのひもに手をか
けると、その女の子は、びっくりするような大声で、「ギャアーッ!」と叫んだ。叫んで、「汚れる
から、さわらないで!」と、私を押し倒した。その女の子の一家も、ある宗教教団の熱心な信者
だった。

●宗教と人間のドラマ

 人はそれぞれの思いをもって、宗教に身を寄せる。そういう人たちを、とやかく言うことは許さ
れない。よく誤解されるが、宗教があるから、信者がいるのではない。宗教を求める信者がい
るから、宗教がある。だから宗教を否定しても意味がない。それに仮に、一つの宗教が否定さ
れたとしても、その団体とともに生きてきた人間、なかんずく人間のドラマまで否定されるもの
ではない。

 今、この時点においても、日本だけで二三万団体もの宗教団体がある。その数は、全国の
美容院の数(二〇万)より多い(二〇〇〇年)。それだけの宗教団体があるということは、それ
だけの信者がいるということ。そしてそれぞれの人たちは、何かを求めて懸命に信仰してい
る。その懸命さこそが、まさに人間のドラマなのだ。

●「さあ、ぼくにはわからない」

 子どもたちはよく、こう言って話しかけてくる。「先生、神様って、いるの?」と。私はそういうと
き「さあね、ぼくにはわからない。おうちの人に聞いてごらん」と逃げる。あるいは「あの世はあ
るの?」と聞いてくる。そういうときも、「さあ、ぼくにはわからない」と逃げる。霊魂や幽霊につ
いても、そうだ。ただ念のため申し添えるなら、私自身は、まったくの無神論者。「無神論」とい
う言い方には、少し抵抗があるが、要するに、手相、家相、占い、予言、運命、運勢、姓名判
断、さらに心霊、前世来世論、カルト、迷信のたぐいは、一切、信じていない。信じていないとい
うより、もとから考えの中に入っていない。

 私と女房が籍を入れたのは、仏滅の日。「私の誕生日に合わせたほうが忘れないだろう」と
いうことで、その日にした。いや、それとて、つまり籍を入れたその日が仏滅の日だったという
ことも、あとから母に言われて、はじめて知った。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 宗教
論 宗教とは 親鸞 回向論 悪人をや)







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

特集【子どもの心】

++++++++++++++++++++++

わがままを言っては、親を困らせる。
このところ、学校へも行っていない。

そんな子どもで悩んでいる、NBさんという
方から、相談がありました。

++++++++++++++++++++++

【NBさんより、はやし浩司へ】

はやし先生、お忙しいところ長文で失礼します。

万引きをしたあと、ぎくしゃくした息子(小学3年生)との関係のことで、相談したことのあるW市
(T県)のNBです。ブログにもご回答いただきました。ありがとうございました。今回はその後、
学校を休んでいる息子のことで、相談します。お時間がある時に、ご意見いただきたく思いま
す。

息子の現状についてどう考えればいいのでしょう。先生のおっしゃった通り、もう万引きはして
いません。お金の管理も厳重にしているので、盗まれるということもありません。

ただ、公園に友達と行くとウソをついて、前のお金の残りで、コンビニでカードを買ったりしたこ
とが2度ほどありました。5月23日から休み始め、9日ぶりに、今週の月曜に(授業はなく校外
学習でしたが)、行き、また今週いっぱい休む、というような状態です。

月曜の登校は本人が決めて行きました。いろいろ読ませていただき、学校恐怖症というのでは
なく怠学というのでしょうか、まあ呼び名よりも息子の心の中が問題なわけで。万引きやそれを
問いただした時の息子のパニック(泣き叫び万引きを認めずウソで終始)が、私達にとって大
変ショックでした。

そのため当初から、「行きたくなければいいよ」「行かなくてもいいよ」というような言い方で、対
応しています。担任の先生もゆっくり見守る姿勢を示して下さるので、夫も私も今は本当に見
守る気持ちでいます。

振り返れば、何年も前から問題行動が時折あり、それをきちんと気づいてあげられなかった私
たちに、原因があります。私への絶対的な安心感を得られないまま、外でも緊張状態のまま過
ごしていたのが、ここにきて万引きや不登校という形で爆発したと考えています。

今は学校が終わる時間までは、たいてい家にいて、(私の外出は、まだ認めてくれません)、ゲ
ームや読書で過ごし、ほとんどゲームばかりしています。家事を終えてから一緒に遊んだり、
時々、買い物に行ったりしています。皆が学校から帰ってくると、頻度は減ってきましたが、
(「どうして休んでるの?」と、聞かれる友達とは遊ばなくなりましたが)、友達に電話して、遊び
に行ったりしています。

「今はちょうど給食の時間だ」とか自分から言ったり、「来週からは学校へ行く」などと言うことも
あります。本人は、内心では、学校へは行かなければとは思っているようです。

宿題などには全く関心ないようです。新聞を取ってくるとか、金魚のえさをやるとかの手伝いも
全くやる気なしです。池で釣ったザリガニを持ち帰り、世話をせず、2匹とも死なせてしまいまし
た。平気な顔をしています。

それでも私と二人の時はそれなりに穏やかにすごしているのですが、(以前のように口やかま
しく言わないですが)、途方にくれてしまうのは、夫と三人でいる時です。延々と遊びたがるので
す。特に三人で遊びたがります。このひと月で、ますますこだわりが強くなったようです。

外で遊べば、とっぷり暗くなるまで帰らない、家では寝ないで遊びたがる。11時くらいまでは、
ゲームか他の遊びをすることになります。それも少しずつ、時間帯が遅くなってきました。

「帰ろう」「寝よう」と言うと、機嫌が悪くなり、時には怒り出します。せっかく楽しんでいたのに、
いつも、最後は怒るか泣くかで終わるわけです。夜は怒り出すと、その時、胸にある不満をぶ
ちまけ暴れることもあります。ソファをけったりクッションを投げたり壁をたたいたり。

今の最大の不満は、今週末、お父さんが土曜は仕事、日曜は結婚式で家にいない、ということ
です。前の日曜の夜はこのことを言い出して2時間以上もぐずり、収まったのは、夜中の2時を
過ぎていました。

そのような時はお父さんや私が抱きしめようとしても、「やめて」と言って、怒ります。以前はそう
ではなかったのですが。絶対に式になんか行くなとか、会社や、式をあげる人を罵るような言
葉も、次々に出てきたりします。それを聞いていると、私などは最初悲しく、だんだん腹がたっ
てきてしまいます。

夫には、怒るような口調で「うるさいなあ」と言って、目でたしなめられます。私は本当にこらえ
性がないです。夫は悲しげですが、でも冷静ですね。決してきつく言うことはない。興奮して泣
いている時は、夜中でも、子どもの面倒をみています。

自分の子であって自分の子でないような気分になってしまい、そう感じる自分にも嫌悪したりし
ます。「これでもか」「これでもか」と、息子に要求されているような感じです。夫もそう感じている
らしいですが、三人いるときほど、息子がきつくなるのはどういうことなんでしょう。

万引きをした時に夫が始めてお尻をたたいて、本当に初めて、大きな声で叱ったのが関係して
いるのでしょうか。夜は、ほおっておいて寝る、というわけにも行かず、寝不足の日々です。

寝るときはもちろん川の字で。

学校の先生は今の甘えている状態を、「(幼児期の)忘れ物を取りにいってるんですね」と表現
されました。9年間の忘れ物が1ヶ月やそこらで取り戻せるとは思ってはいませんし、数ヶ月単
位で様子を見なければならないんですね。

なのに、本当に今はこれでいいのだろうか?、どう推移するのだろうと、明るくゲームに興じて
いる様をみていると不安になります。

「お母さんはいつも太陽でいてください」と言われているのですが、実は人に会うのも少し、おっ
くうになってきた、今日、このごろです。


【はやし浩司より、NBさんへ】

 息子さんは、(絶対的な安心感)が得られず、いつも、不安な状態にあると考えてください。つ
まり心は、いつも緊張状態にあるとみます。絶対的な安心感というのは、「疑いすらもたない」と
いう意味です。心理学で言えば、あなたと息子さんの関係は、「基本的不信関係」ということに
なります。

 で、NBさんは、何とか、息子さんに安心感を与えようと努力していますが、残念ながら、息子
さんは、あなたの心の奥まで、読んでしまっています。あなた自身が、子育てをしながら、不安
でならない。つまり絶対的な安心感を覚えていないため、それを息子さんは、感じ取ってしまっ
ているわけです。

 つまりあなたは、「不安だ」「心配だ」と思っている。それがそのまま息子さんに伝わってしまっ
ているというわけです。

 こういうケースでは、『あきらめは、悟りの境地』という格言が、役にたつと思います。「うちの
息子は、こうなんだ」と、あきらめて、受け入れてしまうということです。「ほかの子とは、ちがう」
「このままでは、心配だ」「どうすればいいんだろう」と、悩んでいる間は、決して、安穏たる日々
はやってきません。息子さんにしても、そうです。

 もちろん原因は、息子さんが生まれたとき、息子さんを、全幅に受け入れなかったあなた自
身にあります。が、今さら、それをどうこう悩んでも、しかたのないことです。

 ただこうした子どもの心の問題には、二番底、さらには、三番底があります。形としては、つま
り、症状としては、(家庭内暴力)に似ています。息子さんが、まだ小さいため、NBさんの管理
下というか、コントロール下にありますが、息子さんが、小学校の高学年児、あるいは、中高校
生だとしたら、こうは、簡単には、片づかないはずです。

 私はドクターではないので、これ以上のことは書けませんが、もし今のようなはげしい不安状
態、混乱状態、さらには緊張状態がつづくようなら、一度、心療内科のドクターに相談なさって
みられたらよいでしょう。そのとき、NBさんが、私にくれたメールなどを、ドクターに読んでもらう
とよいでしょう。

 今では、すぐれた薬も開発されています。それによって、息子さんが見せている、一連の(こ
だわり)症状も、軽減するはずです。

 家庭では、(1)求めてきたときが、与え時と考えて、スキンシップなど、そのつど、子どもをす
かさず抱いてあげたりします。が、やりすぎてはいけません。そこで大切なことは、(2)暖かい
無視です。無視すべきところは、無視しながら、子ども自身の自由な時間には、干渉しないよう
にします。

 不登校については、学校恐怖症というよりは、怠学に近いと思われます。子どもの言葉に一
喜一憂したり、振りまわされたりしないように、注意してください。このタイプの子どもの(約束ご
と)には、意味がありません。意味がないというより、子ども自身、自分をコントロールできない
でいるのです。

 で、今度は、NBさん側の問題ですが、お気持ちはわかりますが、全体的に過関心かな…
…?、という印象をもっています。すべてが、子ども中心に動いてしまっている(?)。すべてが
子どもに集中しすぎているといった感じです。状況としては、しかたないのかもしれませんが、
そのため、NBさん自身が、育児ノイローゼの一歩手前にいるようにも思います。

 不登校については、今の状況では、すぐには改善しないと思います。NBさんが言っているよ
うに、どうか、数か月〜半年単位で、考えてみてください。この問題は、根が深いということ。コ
ツは、「なおそう」とは思わないこと。「今の状況をこれ以上悪くしないことだけを考えて、対処す
る」です。

 消極的な対処法にみえるかもしれませんが、無理をすれば、ここでいう二番底、さらには三
番底へと、子どもが、落ちていきます。今はまだ何とかなりますが、子どもの体が大きくなった
り、腕力がついてくると、そうはいかなくなるということです。

 たまたま別の方から、同じような相談が届いていますので、どうか、参考にしてみてください。
よろしくお願いします。

●掲示板への書きこみから

++++++++++++++++++++++

NBさんから、相談のメールをもらった同じ日、
掲示板にこんな書きこみがあった。

小学2年生の、Mさん(女児)についてのもの
だった。

++++++++++++++++++++++

【掲示板への相談より……】

教員ではありませんが、小学校で子どもと関わる仕事をしています。教員免許は持っていま
す。

お手伝い先生のような仕事です。大卒後、企業で8年間、勤務し、退職後、初めての職場。初
めての教育の現場です。詳しく書くことができなく、申し訳ありません。不適切なら削除してくだ
さい。

現在、ある小2女子児童の担当になっています。(Mさんとしておきます。)・・・と言っても、日替
わりで上から指示されるので、とても不安定です。

Mさんは両親が離婚したあと、4月中旬に転校してきました。前の学校では不登校。現在は毎
日来ていますが、徐々に完全に保健室登校になってきています。

毎朝お母さんが送ってきますが、子どもがお母さんから離れられません。お母さんは、Mさん
を、車からぽーんと出し、バン!と閉めて、そのまま帰ってしまいます。そこでMさんは、泣き叫
び後を追いかけます。

道路でMさんを出すのは危険なのでというような指導が、学校側からあったようです。それから
は、お母さんは、Mさんを、学校の中まで中まで送ってきます。が、送ってくると、Mさんは、抱
きついたままお母さんの髪をぎゅーっとつかんで離しません。

そのとき、お母さんの靴を隠す、持ち物を隠す、取り合いになったりすることもあります。転んだ
すきに、お母さんは逃げるように、振り返らず去っていきます。

そのあとも、切れ端(ゴミのようなもの)を握り締め、「ママ・・・」と、しくしく泣き、「それどうする
の?」と聞くと、「お守りだから・・・」と。それを聞くと、胸が張り裂けそうになります。

私にはこの子を抱きしめる事しかできません。背中をさすって、「そう、そう、つらかったんだ
ね」と、沢山聞いてあげる事しかできません。担任からはくわしく話を聞かせてもらうこともあり
ません。でも一応、Mさんの担当なのです。

学校の担任の先生は、「早く教室に入りなさい」と言うだけです。クラスの児童からは、常に、
「この学校は、○○なんだぞ!」とか、「○○ちゃんがきたから、席が替わったじゃない!」と言
われ、みなは、どこかMさんをじゃまにしているような雰囲気です。

私がMさんの担当になる前は、誰も付いていなかったので、たとえば教室前でもじもじしている
と、担任(女性)から腕をつかまれ、引きずられるように入れられていたそうです。

Mさんが、抵抗すると、担任は、お腹をつねっていたようです。そしてとうとう教室を見ただけで
吐き気が起こすようになったり、担任を見ると逃げたり、隠れたり、さらには、クラスの児童を見
ると、「恐い・・・」と消えそうな声で、つぶやくようになってしまいました。

「恐い」にしても、初めの段階では、「集団が恐い」と言っていました。が、最近ではクラスの児
童に限定されてきたようです。優しい子もふくめて、どの子も恐がっているようです。

時限ごとに、Mさんが、「教室へ行ってみる・・・でも無理だったら戻ってもいい?」と言うので、
一緒について行くと、やはり、「恐い・・・やっぱりダメ」という感じです。

また、学校の対応もバラバラです。「今日は1日、この部屋で2人でいていいですよ」というの
で、それなりにおたがいに楽しそうに、じゃあ、今、国語だから漢字ドリルしようか、というような
調子でやっていると、ガラっ!と、突然開いて、知らない先生が「次! 図工だよ! 行け
る!?」と、Mさんのランドセルを持って行ってしまうのです。

子どもは一気に緊張した顔で、条件反射的に、「はい」と答え、部屋を出る。が、やはり行けな
い。そこでその先生が、「はいって言ったじゃない、どうしていけないの?」となじったりしま
す・・・・。と、思ったらまた急に他の先生が入ってきて、保健室にいてもいいですよ。いつ来ても
いいですよー、と言う始末。

はやし先生。これでこの子はどうなってしまうのでしょう。「ママ、バイバイしないで行っちゃった
ー」と泣くことから1日が始まり、クルクルと周りの指導が変わり、(私も規則で12時までしかい
っしょに、いられません)、Mさんにしてみれば、親に裏切られ、先生に裏切られ、友達も・・・と
いうような状況ですよね。

お母さんの話をするときは、赤ちゃん言葉です。以前、過呼吸に近い状態になり驚きました。
最近、混乱してくると頭を、自分で、げんこつでボカボカと自分で殴ります。見ていて恐いくらい
です。

本人の話しによると、以前は、お父さんの実家で同居していたそうです。いとこ(中学生)たちも
いたようで、よく殴られたと言います。

そして現在、お母さんにはお友達がいて、私の話ををちっとも聞いてくれない。お友達は男性
で、毎日のように泊まっていくとのこと。

また、反対にMさんのお母さんからの話しでは、家ではまったく甘えない。そんなそぶりさえ見
せない。学校でこんなに離れないなんてウソみたい。帰ったら遊ぶ約束をしてやっているのに、
宿題が終わらないから泣いてばかりで、遊べない、ということです。
(高知県在住・KUより)

【KU先生へ、はやし浩司より】

 掲示板の記事を読んで、その内容が、最近経験した、Z君(中2男子)と、あまりにも酷似して
いるので、驚きました。

 Z君は、乳幼児のときから、母親の冷淡、無視、育児放棄を経験しています。母親は、「生ま
れつき、そうだ」と言いますが、Z君は、見るからに弱々しい感じがします。全体に、幼く見え、
言動も幼稚ぽく、その年齢にふさわしい人格の核(コア・アイデンティティ)の確立がみられませ
ん。

 はきがなく、追従的で、いつも他人の同情をかうような行動をします。かなり強烈なマイナス
のストロークが、働いているようで、何をしても、「ぼくはできない」「ぼくはだめな人間」と言いま
す。

 ほかの子どもたちのいじめの対象にもなっています。母親は、そういうZ君を「かわいい」「か
わいい」とでき愛していますが、その実、Z君を、外へ出したがりません。「外へ出すと、みなに
いじめられるから」を理由にしています。典型的な、代償的過保護ママです。

 特徴としては、つぎのようなことがあります。思い浮かんだまま、並べてみます。

(1)自己管理能力がない……薬箱のドリンク剤を一日で、全部(10本ほど)、飲んでしまう。そ
のため、ますます母親に強く叱られる。届け物に買ってきた、菓子などを、勝手に封をあけて、
食べてしまったこともある。

(2)特定のものに、強くこだわる……カードゲームのカードをたいへん大切にしている。それを
毎日、戸棚から出し、また並べなおしたりしている。下に、6歳離れた弟がいるが、弟がそのカ
ードに触れただけで、パニック状態(オドオドとして、混乱状態)になる。

(3)時刻にこだわる……片時も腕時計を身からはなさず、いつも、時計ばかり見ている。行動
も、数分単位で、正確。朝、目をさましても、その時刻(6時半)がくるまで、床の中でじっと待っ
ている。そのときも、時計ばかり、見ている。メガネをかけているが、寝るときでさえも、かけた
まま。

(4)衝動的な自傷行為……ときどき、壁に頭をうちつけたりする。あるいは、ものを、壁にぶつ
けて、壊してしまう。ラジカセが思うようにならなかったときも、かんしゃく発作を起こして、こわし
てしまったこともある。が、満足しているときは、借りてきた猫の子のようにおとなしく、おだやか
だが、ふとしたことで急変。二階へつづく階段から、大の字のまま、下へ飛び降りたこともあ
る。現在、前歯が2本、欠損しているが、自傷行為のために、そうなったと考えられる。

(5)異常なまでの依存性……独特の言い方をする。おなかがすいたときも、「〜〜を食べた
い」というような言い方をしない。「〜〜君は、何も食べなかったから、死んでしまった」「ぼくは、
10日くらいだったら、何も食べなくても、平気」などと言ったりする。自主的な行動ができず、他
人の同情をかいながら、全体に、何かをしてもらうといった生活態度が目につく。

(6)幼児がえり……しばらく話しあって、打ち解けあうと、とたんに、幼児言葉になる。年齢的に
は、4〜5歳くらいの話し方をする。「ママが、ぼくを、たたいた」「○○さん(Z君の叔母)が、ぼく
をバカにした」と。

 母親は、仮面型タイプの人間で、私のような他人の前では、きわめて穏やか。始終、やさしそ
うな笑みを浮かべて、さもZ君を心底、思いやっているというようなフリをします。私が会ったと
きも、母親は、Z君の背中を、さすりながら、「元気を出そうね」と言っていました。

 このZ君というより、Z君の母親について、問題点をあげたら、キリがありません。代償的過保
護のほか、代理ミュンヒハウゼン症候群、虐待、基本的不信関係、仮面型人間、ペルソナ…
…。

 これらの原稿については、このあとに添付しておきますので、どうか、参考にしてください。

 で、私もこうした事例に、よく出会います。そしてそのつど、(限界)というか、(無力感)を味わ
います。ここにあげたZ君にしても、最終的に、私が預かるという覚悟ができれば、話は別です
が、そうでなければ、結局は、母親に任すしかないということになります。

 またこういう母親にかぎって、私のようなものの話を聞きません。何かを説明しようとすると、
ここにも書いたように、「生まれつきそうだ」とか、「遺伝だ」とか、さらには、「父親(夫)が、ひど
いことをしたからだ」と、他人のせいにします。

 ものの考え方が、きわめて自己中心的なのが、特徴です。もっと言えば、自分の子どもを、モ
ノ、あるいは奴隷かペットのように考えています。ひとりの人間として、みていません。

 で、30代のころは、そういう子どもばかり預かって、四苦八苦したことがあります。夜中中、
車で、走り回ったこともあります。しかしその結果たどりついたのが、「10%のニヒリズム」とい
う考え方です。

 若いころ、どこかの教師が、何かの会議で教えてくれた言葉です。

 決して、全力投球はしない。90%は、その子どものために働いても、残りの10%は、自分の
ためにとっておくという考え方です。そうでないと、身も心も、ズタズタにされてしまいます。今の
KU先生、あなたが、そうかもしれません。

 が、ご心配なく。もっと複雑で、深刻なケースを、たくさんみてきましたが、子どもは子どもで、
ちゃんと、大きくなっていくものです。もちろん心に大きなキズを残しますが、そのキズをもった
まま、おとなになっていきます。が、やがて自分で、それを克服していきます。つまりそういう人
間が本来的にもつ(力)を信じて、やるべきことはやりながらも、子どもに任すところは、任す。

 あとは、時間が解決してくれます。

 で、Mさんは、明らかに、分離不安ですね。心はいつも緊張状態にあって、その緊張状態か
ら解放されないでいるとみます。家庭の中でも、心が休まることがないのでしょう。一応、母親
の前では、(いい子?)でいるのでしょうが、それは、本来のMさんの姿でないことは、確かなよ
うです。

 (いい子?)でいることで、母親の愛情を取り戻そうとしているのです。私がときどき書く、「悲
しいピエロ」タイプの子どもというのは、このタイプの子どもをいいます。

 が、肝心の母親は、それに気づいていない。つまりここにこの種の問題の悲劇性がありま
す。

 また閉ざされた子どもの心を開くことは、容易なことではありません。1年や2年は、かかるか
もしれません。ちょっとしたことで、また閉じてしまう。この繰りかえしです。しかしあきらめては
いけません。ただ、このタイプの子どもは、いろいろな方法で、あなたの心を試すような行動に
出てくることがあります。

 急にわがままを言ってみたり、乱暴な行動に出てみたりする、など。こちらの限界を見極めな
がら、ギリギリのことをしてくるのが、特徴です。で、そういうときは、まさに根競べ。とことん根
競べをします。子どもの方があきらめて手を引くまで、根競べをします。

 「私はどんなことがあっても、あなたを見放しませんからね」と。

 それに納得したとき、子どもははじめて、あなたに対して心を開きます。

 幸いなことに、Mさんは、あなたというすばらしい先生に、出会うことができました。何が大切
かといって、あなたの今の(思い)ほど、大切なものは、ありません。その(思い)が、あなたとM
さんの絆(きずな)、あるいはMさんの心を支えるゆいいつの柱になっていると思います。

 ところで私は、最近、はじめて、ADHD児の指導を断りました。今までは、むしろそういう子ど
もほど、求めて教えてきたようなところがあります。

 しかし体力の限界だけは、もうどうしようありません。1〜2時間、接しただけで、ものすごい
疲労感を覚えるようになりました。それで断りました。

 そのとき感じた、敗北感というか、虚脱感には、ものすごいものがありました。悶々とした気
持ちで、数日を過ごしました。

 しかしあなたは、まだ若いし、いくらでも、そういう仕事ができます。どうかあきらめないで、が
んばってください。

 繰りかえしますが、あなたのような先生に出会えたことは、Mさんにとっては、本当に幸いなこ
とです。Mさんにかわって、喜んでいます。どうか、どうか、がんばってください。応援します。







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【心を開く】+基本的信頼関係

+++++++++++++++++++

xx日に、11〜12キロ、歩くことになっている。
「Y・歩こう会」の例会である。
7〜8キロくらいまでなら、何とか、歩ける。
しかし11〜12キロは、きびしい。
上級者コース。
途中、山道がつづけば、さらにきびしい。

……ということで、今日、ワイフと10キロ近くを歩いてみた。
「これなら何とかだいじょうぶ」と、ワイフは言った。

あとは天気しだい。
新聞の天気予報をみると、今度のxx日は、雨らしい。
だいじょうぶかな?
少し心配になってきた。

++++++++++++++++++++

●基本的信頼関係

基本的な信頼関係の構築に失敗すると、それ以後、その人は心の開けない人になる。
そういった状態を、基本的信頼関係に対して、基本的不信関係という。

何度も書くが、乳児は、絶対的な安心感の上に、基本的信頼関係を構築する。
「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味。
「絶対的な安心感」というのは、(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)を
をいう。

子どもの側からすれば、安心してすべてを、さらけ出すことができる。
親の側からすれば、何の迷いもなく、すべてを受け入れることができる。
その上で、基本的信頼関係が構築される。
この基本的信頼関係が、成長ともにワクを広げ、友人との信頼関係、先生との
信頼関係、結婚してからは、配偶者との信頼関係へと、発展していく。
先日、こんなシーンを道路で見かけた。

小さな女の子(小2くらい)が、通りで、父親を見つけた。
父親は、自転車に乗っていた。
ブラジル人の親子だと思う。
女の子は、パッと表情を変え、父親に向かって突進していった。
そのまま父親の腕の中に飛び込んでいった。
父親は、娘を力いっぱい抱くと、そのままゆっくりとうしろの荷台に、娘を乗せた。

ほほえましい光景だった。
と、同時に、彼らのもつ愛情表現の豊かさに感心した。
南米から来ている人たちは、そうした行為を、ごく自然な形でできる。
人目を気にせず、できる。
みながみなではないだろうが、日本人の私たちから見ると、オーバーというか、露骨。
親子だけではない。
若いカップルだと、あたりかまわず、抱き合って接吻している。
しかしそういう(さらけ出し)と、(受け入れ)が、自然にできるということだけでも、
すばらしい。

というのも、私たち日本人は、そうした行為を昔から、「はしたない行為」としてきた。
人前ではしてはいけない行為としてきた。
しかしそれは世界の……というより、人間が本来もつ常識ではない。

たった40年前のこと。
私はオーストラリアへ渡ったが、大学のキャンパスの中ですら、若い恋人同士が、
歩きながら接吻し合っていた。
私はそれを見て、心底、驚いた。
が、当時の日本人には、考えられない光景だった。

つまり私たちは、こと親子について言えば、もっと(さらけ出し)を、してよいと
いうこと。
日本の基準というより、世界の基準に合わせる。

私は一度、自転車でそのそばを通りすぎた。
が、すぐに親子の乗った自転車が、私を追い抜いていった。
どこまでも明るく、屈託のない、女の子の表情が美しかった。
父親のうれしそうな表情が、印象的だった。

●夫婦でも……

私たち夫婦は、今から思うと、おかしな夫婦だった。
夫婦でありながら、たがいにどこか遠慮しあっていた(?)。
私は、たとえば実家の恥(?)になるような話は、ワイフに言うべきではないと
考えていた。
ワイフはワイフで、実家にまつわるプライベートな話を、あまりしなかった。
私も聞かなかった。

が、おかしな夫婦といっても、そのときはわからなかった。
自分たちがそうでなくなって、はじめて、あのころの私たちはおかしかったと
感ずるようになった。

もし今でもあのときのままだったら、それに気づかなかっただろう。
30歳を過ぎるころから、私は努めて、ワイフの前でさらけ出しをするようにした。
つづいてワイフも、さらけ出しをするようになった。

それにはこんな事件があった。

ある文士たちが集まる会合に顔を出させてもらったことがある。
そのときのこと。
中央に座っている男性が、私に向かって、突然、こう言った。
「林君、君の奥さんは、君の前で、オナラをするかね?」と。
私はその質問に、一瞬ひるんだ。
が、こう答えた。
「うちのワイフは、そういうことはしません」と。

それに答えて、どっとまわりの男たちが言った。
「かわいそうに」「それは気の毒に」と。

夫の前で、おならが自由にできない妻は、かわいそうというのだ。

私のワイフは、私には、絶対的なさらけ出しをしていなかった。
私は私で、それを絶対的に受け入れてはいなかった。
みなにそう言われるまで、私はそれに気がつかなかった。

●二匹のヤマアラシ

二匹のヤマアラシについては、たびたび書いてきた。

『寒い夜、2匹のヤマアラシが、穴の中で、眠ることになった。しかしたがいに体を近づけると、
たがいの針が刺さり、痛い。しかし遠ざかれば、寒い。こうして2匹のヤマアラシは、一晩中、穴
の中で、離れたり、くっついたりを繰りかえした。

この「2匹のヤマアラシ論」は、本来は、人間関係をうまく結べない人が、孤独と、人と接触する
ことによって起こる苦痛の間を、行ったり来たりするのを説明したものである。

たがいに針を出しあって、たがいに孤独なのに、キズつけあっている。が、さりとて、別れること
もできない……』。

基本的信頼関係がうまく構築できなかった人は、いわゆる心の開けない人になる。
(他人に対して心が開けない)→(さみしい)→(他人の世界に入っていく)→
(神経疲れを起こす)→(他人から離れる)→(さみしい)→(他人の世界に
入っていく)→……、を繰り返す。

こういう状態を、ショーペンハウエルという学者は、「二匹のヤマアラシ」を例に
あげて説明した。
(ここでいうショーペンハウエルについて、私は哲学者のショーペンハウエルのこと
だと誤解していた。しかし心理学者のショーペンハウエルである。)

原因は、母子関係の不全。
子どもとの信頼関係の構築には、母親の育児姿勢が大きく影響する。

こうして基本的信頼関係の構築に失敗した人は、だれに対しても心が開けない分だけ、
孤独になる。
が、ここでいう「孤独」は、ただの「孤独」ではない。
仏教でいう「無間地獄」というにふさわしい孤独である。
人間の魂を押しつぶしてしまうほどの力がある。
が、自分だけならまだしも、そういう人はまわりの人たちをも、孤独にしてしまう。
心を開かない夫と結婚した妻は、どうなるか。
心を開かない妻と結婚した夫は、どうなるか。
さらに不幸はつづく。

心を開かない母親をもった子どもも、また心を開けなくなる。
こうして基本的不信関係は、世代から世代へと、連鎖していく。

●心を開けない人たち

心を他人に対して開けない人は、つねに孤独にさいなまれる。
他人の前では、いつも自分を作ってしまう。
そのため、他人と接すると、精神疲労を起こしやすい。
つぎのような症状があれば、心の開けない人、つまり基本的信頼関係の構築に
失敗した人とみてよい。

(1)集団行動より個別行動を好む。
(2)一見社交的(=仮面)で、他人には逆の評価を受けることが多い。
(3)他人を信頼できない。他人に仕事を任すと、不安。
(4)他人と接していると、神経疲労を起こしやすい。
(5)自分を実際よりよく見せようとすることが多い。
(6)世間体を気にしたり、虚勢を張ることが多い。
(7)「信じられるのは自分だけ」を口にすることが多い。
(8)友人関係は概して希薄で、友人の数も少ない。

が、本当の問題は、心を開けない人がいたとしても、それに自分で気がつくのが、
たいへんむずかしいということ。
ほとんどのばあい、ほとんどの人は、「私はちがう」と思い込んでいる。
というのも、心を開けないまま、それがその人の中で、定着してしまっているということ。
言うなれば、かさぶたの上にかさぶたが重なってしまっていて、元の傷の形すら、
わかりにくくなってしまっている。

まず、自分に気づく。
それがこの問題の最大の関門ということになる。

●心を開く

要するに、さらけ出す。
自分をさらけ出す。
ありのままの自分を、ありのままに表現する。
その第一歩として、言いたいことを言い、やりたいことをやる。
あなたが不完全で未熟であっても、恥じることはない。
あなたはあなた。
どこまでいっても、あなたはあなた。

自分を作ることはない。
自分を飾ることはない。
自分を偽ることはない。

……といっても、いきなり、それをするのはむずかしい。
そこでまず、あなたの妻なり、夫に対して、それをする。
が、それには条件がある。

(1)絶対的なさらけ出しをするということは、同時に、絶対的な
受け入れをしなければならない。
けっして一方的なものであってはいけない。

ただしこうした(絶対的なさらけ出し)と(絶対的な受け入れ)をした
からといって、基本的信頼関係が構築できるというわけではない。
それこそ5年とか、10年とかいう単位の、長い年月が必要。
あとは努力、また努力ということになる。

この問題だけは、本脳に近い部分にまで刷り込まれているから、「正す」と
いっても、容易なことではない。

(そういう点では、『クレヨンしんちゃん』の中に出てくる、みさえ(母親)は、
参考になる。
心を開けない人は、みさえを参考に、心を開く練習をしてみてほしい。
コミック本のVOL1~11前後が、お勧め。
テレビのアニメのほうは、参考にならないので注意。)
  
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
基本的信頼関係 基本的不信関係 心を開く 心が開けない人)





【信頼関係vs不信関係】(Confidential Relationship between Parents and 
Children)

Can you open your heart to other people including your husband or wife? If not, please 
read this article and know yourself.

++++++++++++++

あなたは他人に対して、心を
開くことができるか?

もしそうでないとするなら、
一度、この原稿を読んでみて
ほしい。

さみしい思いをするのは、あなたの
勝手だとしても、あなたの周囲の
人たちまで、さみしい思いを
しているはず。

++++++++++++++

●乳児期に形成される信頼関係

乳児期においては、母子の関係は、絶対的なものである。
それもそのはず。
乳児は、母親の胎内から生まれ、その母親から乳を受ける。命を育(はぐく)む。
その絶対的な関係を通して、乳児は、母子との間で、信頼関係を結ぶ。
「絶対的」というのは、「疑いすらもたない」という意味である。

こうしてできる太い絆(きずな)を、「ボンディング」と呼ぶ。

この信頼関係が基本となって、乳児はやがて、他人との信頼関係を結ぶことができるよう
になる。
成長するにつれて、その信頼関係を拡大する。
父親との関係、保育園や幼稚園での教師との関係、さらには、友人との関係など。

そういう意味で、この母子との間にできる信頼関係を、「基本的信頼関係」という。

その信頼関係は、(絶対的なさらけ出し)と、(絶対的な受け入れ)があってはじめて成り
立つ。

乳児の側からすれば、「どんなことをしても許される」という、疑いすらもたない安心感と
いうことになる。

母親の側からすれば、「どんなことをしても受け入れる」という、疑いすらもたない包容力
ということになる。

が、この信頼関係の構築の失敗する例は、少なくない。
何らかの原因で、この絶対性がゆらぐ。
育児拒否、親の否定的な育児姿勢、無視、冷淡。
夫婦不和、家庭不和、家庭騒動などなど。

子どもの側からすれば、絶対的な安心感をもてなくなる。
母親の側からすれば、絶対的な包容力をもてなくなる。

こうして乳児は、母親に対して不信感をもつようになる。
ただの不信感ではない。
自分の母親ですら信ずることができない。
乳児は、そして子どもは、その不信感を常に抱くようになる。

こうした心理的な状態を、「基本的不信関係」という。
が、一度、その不信関係ができると、子どもは、いわゆる「心の開けない子ども」になる。
その可能性は、きわめて高くなる。

が、不幸は、それで終わるわけではない。

結婚してからも、配偶者にすら、心を開くことができない。
さらに自分の子どもにすら、心を開くことができない。
あなたはそれでよいとしても、あなたの周囲の人も、さみしい思いをする。

そしてそれがさらに世代連鎖して、その子ども自身も、心を開くことができなくなる可能
性も高くなる。

「基本的信頼関係」というのは、そういうもの。
決して、軽く考えてはいけない。

……ということで、今、ここで、もう一度、あなた自身の心の中をのぞいてみてほしい。

あなたは、あなたの子どもや夫を、何の疑いもなく、信じているか?
あなたは、あなたの子どもや夫に、何の疑いもなく、心を開いているか?

反対に、こうも言える。

程度にもよるが、母子との間の基本的信頼関係の構築に失敗した人は、万事に、疑り深く、
猜疑心が強く、ついでに嫉妬心も強い。
もちろん他人に対して心を開けない分だけ、孤独。寂しがり屋。

そこで孤独であることを避けようと、人の中に入っていくが、心を許すことができない。
ありのままの自分をさらけ出すことができない。
自分をつくる。飾る。見栄を張る。虚勢を張る。世間体を気にする。
そのため、人と接触すると、精神疲労を起こしやすい。
人と会うのがおっくうで、会うたびに、ひどく疲れを覚える人というのは、このタイプの
人と、まず疑ってみる。

もしそうなら、まずあなた自身の心の中を静かにのぞいてみるとよい。

あなた自身の乳児期の様子がわかれば、さらによい。
あなたは両親の豊かな愛情に恵まれ、ここでいう基本的信頼関係を構築することができた
か?
あなたの両親は、そういう両親であったか?
先に述べた、ボンディングは、しっかりとできていたか。

もしそうでないとするなら、あなたはひょっとしたら、基本的信頼関係の構築に失敗して
いる可能性がある。
だとするなら、さらに今、あなたは自分の子どもとの関係において、基本的信頼関係の構
築に失敗している可能性がある。

しかしこの問題は、あなた自身の問題というよりは、今度は、あなたの子ども自身の問題
ということになる。

親から子へと世代連鎖していくものは多いが、その中でも、こうして生まれる基本的不信
関係は、深刻な問題のひとつと考えてよい。

たとえば、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、子どもは、「母親から保護され
る価値のない、自信のない自己像」(九州大学・吉田敬子・母子保健情報54・06年11
月)を形成することもわかっている。

さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、強迫性障害、不安障害の(種)になるこ
ともある。最近の研究によれば、成人してから発症する、うつ病の(種)も、この時期に
形成されることもわかってきている。

わかりやすく言えば、その子どもの心の、あらゆる部分に大きな影響を与えていくという
こと。
だからこの問題は、けっしてあなた自身だけの問題に、とどまらないということ。

基本的信頼関係のできている人は、自然な形で、当たり前のように、心を開くことができ
る。
が、そうでない人は、そうでない。だれに対しても、心を開くことができない。

では、どうするか?

この問題だけは、(1)まず、自分がそういう人間であることに気づくこと。(2)つぎに
機会をとらえて、自分をさらけ出すことに努めること。(3)あとは時間を待つ。時間とい
っても、10年単位、20年単位の時間がかかる。

それについては、何度も書いてきたので、別の原稿を参考にしてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 基本的信頼関係 
ボンディング 母子関係 はやし浩司)

+++++++++++++++

この原稿に関して、いくつか
お役に立てそうな原稿を
集めてみました。

+++++++++++++++

【子どもを愛せない親たち】

 その一方で、子どもを愛せない親がいる。全体の10%前後が、そうであるとみてよい。

 なぜ、子どもを愛することができないか。大きくわけて、その理由は、二つある。

 一つは、自分自身の乳幼児期に原因があるケース。もう一つは、妊娠、出産に際して、
大きなわだかまり(固着)をもったケース。しかし後者のケースも、つきつめれば、前者
のケースに集約される。

 乳児には、「あと追い、人見知り」と言われるよく知られた現象がある。生後5〜7か月
くらいから始まって、満1歳半くらいまでの間、それがつづく。

 ボウルビーという学者は、こうした現象が起きれば、母子関係は、健全であると判断し
てよいと書いている。言いかえると、「あと追い、人見知り」がないというのは、乳児のば
あい、好ましいことではない。

 子どもは、絶対的な安心感の中で、心をはぐくむ。その安心感を与えるのは、母親の役
目だが、この安心感があってはじめて、子どもは、他者との信頼関係(安全感)を、結ぶ
ことができるようになる。

 「あと追い、人見知り」は、その安心感を確実なものにするための、子どもが親に働き
かける、無意識下の行動と考えることができる。

 で、この母子との間にできた基本的信頼関係が、やがて応用される形で、先生との関係、
友人との関係へと、広がっていく。

 そしてそれが恋愛中には、異性との関係、さらには配偶者や、生まれてきた子どもとの
関係へと、応用されていく。そういう意味で、「基本的(=土台)」という言葉を使う。

 子どもを愛せない親は、その基本的信頼関係に問題があるとみる。その信頼関係がしっ
かりしていれば、仮に妊娠、出産に際して、大きなわだかまりがあっても、それを乗りこ
えることができる。そういう意味で、ここで、私は「しかし後者のケースも、つきつめれ
ば、前者のケースに集約される」と書いた。

 では、どうするか?

 子どもを愛せないなら、愛せないでよいと、居なおること。自分を責めてはいけない。
ただ、一度は、自分の生い立ちの状況を、冷静にみてみる必要はある。そういう状況がわ
かれば、あなたは、あなた自身を許すことができるはず。

 問題は、そうした問題があることではなく、そうした問題があることに気づかないまま、
その問題に引き回されること。同じ失敗を繰りかえすこと。

 しかしあなた自身の過去に問題があることがわかれば、あなたは自分の心をコントロー
ルすることができるようになる。そしてあとは、時間を待つ。

 この問題は、あとは時間が解決してくれる。5年とか、10年とか、そういう時間はか
かるが、必ず、解決してくれる。あせる必要はないし、あせってみたところで、どうにも
ならない。

【この時期の乳児への対処のし方】

 母子関係をしっかりしたものにするために、つぎのことに心がけたらよい。

(1)決して怒鳴ったり、暴力を振るったりしてはいけない。恐怖心や、畏怖心を子ども
に与えてはならない。
(2)つねに「ほどよい親」であることに、心がけること。やりすぎず、しかし子どもが
それを求めてきたときには、ていねいに、かつこまめに応じてあげること。『求めて
きたときが、与えどき』と覚えておくとよい。
(3)いつも子どもの心を知るようにする。泣いたり、叫んだりするときも、その理由を
さぐる。『子どもの行動には、すべて理由がある』と心得ること。親の判断だけで、
「わがまま」とか、決めてかかってはいけない。叱ってはいけない。

 とくに生後直後から、「あと追い、人見知り」が起きるまでは、慎重に子育てをすること。
この時期の育て方に失敗すると、子どもの情緒は、きわめて不安定になる。そして一度、
この時期に不安定になると、その後遺症は、ほぼ、一生、残る。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

【父親VS母親】

●母親の役割

 絶対的なさらけ出し、絶対的な受け入れ、絶対的な安心感。この三つが、母子関係の基
本です。「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味です。

 母親は、自分の体を痛めて、子どもを出産します。そして出産したあとも、乳を与える
という行為で、子どもの「命」を、はぐくみまず。子どもの側からみれば、父親はいなく
ても育つということになります。しかし母親がいなければ、生きていくことすらできませ
ん。

 ここに母子関係の、特殊性があります。

●父子関係

 一方、父子関係は、あくまでも、(精液、ひとしずくの関係)です。父親が出産にかかわ
る仕事といえば、それだけです。

が、女性のほうはといえば、妊娠し、そのあと、出産、育児へと進みます。この時点で、
女性が男性に、あえて求めるものがあるとすれば、「より優秀な種」ということになります。

 これは女性の中でも、本能的な部分で働く作用と考えてよいでしょう。肉体的、知的な
意味で、よりすぐれた子どもを産みたいという、無意識の願望が、男性を選ぶ基準となり
ます。

 もちろん「愛」があって、はじめて女性は男性の(ひとしずく)を受け入れることにな
ります。「結婚」という環境を整えてから、出産することになります。しかしその原点にあ
るのは、やはりより優秀な子孫を、後世に残すという願望です。

 が、男性のほうは、その(ひとしずく)を女性の体内に射精することで、基本的には、
こと出産に関しては、男性の役割は、終えることになります。

●絶対的な母子関係VS不安定な父子関係

 自分と母親の関係を疑う子どもは、いません。その関係は出産、授乳という過程をへて、
子どもの脳にしっかりと、焼きつけられるからです。

 しかしそれにくらべて、父子関係は、きわめて不安定なものです。

 フロイトもこの点に着目し、「血統空想」という言葉を使って、それを説明しています。
つまり「母親との関係を疑う子どもはいない。しかし父親との関係を疑う子どもはいる」
と。

 「私は、ひょっとしたら、あの父親の子どもではない。私の父親は、もっとすぐれた人
だったかもしれない」と、自分の血統を空想することを、「血統空想」といいます。つまり
それだけ、父子関係は、不安定なものだということです。

●母親の役割

 心理学の世界では、「基本的信頼関係」という言葉を使って、母子関係を説明します。こ
の信頼関係が、そのあとのその子どもの人間関係に、大きな影響を与えるからです。だか
ら「基本的」という言葉を、使います。

 この基本的信頼関係を基本に、子どもは、園の先生、友人と、それを応用する形で、自
分の住む世界を広げていきます。

 わかりやすく言えば、この時期に、「心を開ける子ども」と、「そうでない子ども」が、
分かれるということです。心を開ける子どもは、そののち、どんな人とでも、スムーズな
人間関係を結ぶことができます。そうでなければ、そうでない。

 子どもは、母親に対して、全幅に心を開き、一方、母親は、子どもを全幅に受け入れる
……。そういう関係が基本となって、子どもは、心を開くことを覚えます。よりよい人間
関係を結ぶ、その基盤をつくるということです。

 「私は何をしても、許される」「ぼくは、どんなことをしても、わかってもらえる」とい
う安心感が、子どもの心をつくる基盤になるということです。

 一つの例として、少し汚い話で恐縮ですが、(ウンチ)を考えてみます。

 母親というのは、赤ん坊のウンチは、まさに自分のウンチでもあるわけです。ですから、
赤ん坊のウンチを、汚いとか、臭いとか思うことは、まずありません。つまりその時点で、
母親は、赤ん坊のすべてを受け入れていることになります。

 この基本的信頼関係の結び方に失敗すると、その子どもは、生涯にわたって、(負の遺産)
を、背負うことになります。これを心理学の世界では、「基本的不信関係」といいます。

 「何をしても、心配だ」「どんなことをしても、不安だ」となるわけです。

 もちろんよりよい人間関係を結ぶことができなくなります。他人に心を開かない、許さ
ない。あるいは開けない、許せないという、そういう状態が、ゆがんだ人間関係に発展す
ることもあります。

 心理学の世界では、このタイプの人を、攻撃型(暴力的に相手を屈服させようとする)、
依存型(だれか他人に依存しようとする)、同情型(か弱い自分を演出し、他人の同情を自
分に集める)、服従型(徹底的に特定の人に服従する)に分けて考えています。

どのタイプであるにせよ、結局は、他人とうまく人間関係が結べないため、その代用的な
方法として、こうした「型」になると考えられます。

 もちろん、そのあと、もろもろの情緒問題、情緒障害、さらには精神障害の遠因となる
こともあります。

 何でもないことのようですが、母と子が、たがいに自分をさらけ出しあいながら、ベタ
ベタしあうというのは、それだけも、子どもの心の発育には、重要なことだということで
す。

●父親の役割

 この絶対的な母子関係に比較して、何度も書いてきましたように、父子関係は、不安定
なものです。中には、母子関係にとってかわろうとする父親も、いないわけではありませ
ん。あるいは、母親的な父親もいます。

 しかし結論から先に言えば、父親は、母親の役割にとってかわることはできません。ど
んなにがんばっても、男性は、妊娠、出産、そして子どもに授乳することはできません。
そのちがいを乗り越えてまで、父親は母親になることはできません。が、だからといって、
父親の役割がないわけではありません。

 父親には、二つの重要な役割があります。(1)母子関係の是正と、(2)社会規範の教
育、です。

 母子関係は、特殊なものです。しかしその関係だけで育つと、子どもは、その密着性か
ら、のがれ出られなくなります。ベタベタの人間関係が、子どもの心の発育に、深刻な影
響を与えてしまうこともあります。よく知られた例に、マザーコンプレックスがあります。

こうした母子関係を、是正していくのが、父親の第一の役割です。わかりやすく言えば、
ともすればベタベタの人間関係になりやすい母子関係に、クサビを打ちこんでいくという
のが、父親の役割ということになります。

 つぎに、人間は、社会とのかかわりを常にもちながら、生きています。つまりそこには、
倫理、道徳、ルール、規範、それに法律があります。こうした一連の「人間としての決ま
り」を教えていくのが、父親の第二の役割ということになります。

 (しなければならないこと)、(してはいけないこと)、これらを父親は、子どもに教えて
いきます。人間がまだ原始人に近い動物であったころには、刈りのし方であるとか、漁の
し方を教えるのも、父親の重要な役目だったかもしれません。

●役割を認識、分担する

 「母親、父親、平等論」を説く人は少なくありません。

 しかしここにも書いたように、どんなにがんばっても、父親は、子どもを産むことはで
きません。また人間が社会的動物である以上、社会とのかかわりを断って、人間は生きて
いくこともできません。

 そこに父親と、母親の役割のちがいがあります。が、だからといって、平等ではないと
言っているのではありません。また、「平等」というのは、「同一」という意味ではありま
せん。「たがいの立場や役割を、高い次元で、認識し、尊重しあう」ことを、「平等」と、
言います。

 つまりたがいに高い次元で、認めあい、尊重しあうということです。父親が母親の役割
にとってかわろうとすることも、反対に、母親の役割を、父親の押しつけたりすることも、
「平等」とは言いません。

 もちろん社会生活も複雑になり、母子家庭、父子家庭もふえてきました。女性の社会進
出も目だってふえてきました。「母親だから……」「父親だから……」という、『ダカラ論』
だけでものを考えることも、むずかしくなってきました。

 こうした状況の中で、父親の役割、母親の役割というのも、どこか焦点がぼけてきたの
も事実です。(だからといって、そういった状況が、まちがっていると言っているのでは、
ありません。どうか、誤解のないようにお願いします。)

 しかし心のどこかで、ここに書いたこと、つまり父親の役割、母親の役割を、理解する
のと、そうでないのとでは、子どもへの接し方も、大きく変わってくるはずです。

 そのヒントというか、一つの心がまえとして、ここで父親の役割、母親の役割を考えて
みました。何かの参考にしていただければ、うれしく思います。
(はやし浩司 父親の役割 母親の役割 血統空想)

【追記1】

 母子の間でつくる「基本的信頼関係」が、いかに重要なものであるかは、今さら、改め
てここに書くまでもありません。

 すべてがすべてではありませんが、乳幼児期に母子との間で、この基本的信頼関係を結
ぶことに失敗した子どもは、あとあと、問題行動を起こしやすくなるということは、今で
は、常識です。もちろん情緒障害や精神障害の原因となることもあります。

 よく知られている例に、回避性障害(人との接触を拒む)や摂食障害などがあります。

 「障害」とまではいかなくても、たとえば恐怖症、分離不安、心身症、神経症などの原
因となることもあります。

 そういう意味でも、子どもが乳幼児期の母子関係には、ことさら慎重でなければなりま
せん。穏やかで、静かな子育てを旨(むね)とします。子どもが恐怖心を覚えるほどまで、
子どもを叱ったりしてはいけません。叱ったり、説教するとしても、この「基本的信頼関
係」の範囲内でします。またそれを揺るがすような叱り方をしてはいけません。

 で、今、あなたの子どもは、いかがでしょうか。あなたの子どもが、あなたの前で、全
幅に心を開いていれば、それでよし。そうでなければ、子育てのあり方を、もう一度、反
省してみてください。

【追記2】

 そこで今度は、あなた自身は、どうかということをながめてみてください。あなたは他
人に対して、心を開くことができるでしょうか。

 あるいは反対に、心を開くことができず、自分を偽ったり、飾ったりしていないでしょ
うか。外の世界で、他人と交わると、疲れやすいという人は、自分自身の中の「基本的信
頼関係」を疑ってみてください。

 ひょっとしたら、あなたは不幸にして、不幸な乳幼児期を過ごした可能性があります。

 しかし、です。

 問題は、そうした不幸な過去があったことではありません。問題は、そうした不幸な過
去があったことに気づかず、その過去に振り回されることです。そしていつも、同じ、失
敗をすることです。

 実は私も、若いころ、他人に対して、心を開くことができず、苦しみました。これにつ
いては、また別の機会に書くことにしますが、恵まれた環境の中で、親の暖かい愛に包ま
れ、何一つ不自由なく育った人のほうが、少ないのです。

 あなたがもしそうであるかといって、過去をのろったり、親をうらんだりしてはいけま
せん。大切なことは、自分自身の中の、心の欠陥に気づき、それを克服することです。少
し時間はかかりますが、自分で気づけば、必ず、この問題は、克服できます。
(040409)







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●従順な子ども(Obedient Children)
(Has the Japanese education changed a lot since the end og the WW2? The answer should 
be "No". Still now most of the teachers want more obedient children, so-called "obedient 
children without mouths". The biggest problem we have is that there is only one course 
provided for children in Japan.

++++++++++++++++++++++

日本の学校、つまり日本の教育は、基本的に、
「もの言わぬ、従順な子ども」ほど、いい子と考える。
またそういう子どもにすることを、教育の(柱)に
している。

(少し過激かな?
しかしこれくらい過激に書かないと、みな、
目を覚まさない。)

明治以来、国策としてつづけられてきた、こうした
教育観は、ほとんど変わっていない。
代々、教師から生徒、さらにつぎの生徒へと、
受け継がれている。

こう書くと、「私はちがう」と反発する教師も
いるかもしれない。
しかし反発する前に、外国の学校と、比較して
みたらよい。
あるいはあなたが入学試験の試験官だったら、
どういう生徒を望むか、それをほんの少しだけ、
考えてみたらよい。
直接、日本人を、外国の子どもたちと比較してみるのも
よいかもしれない。
私がここに書いていることが、大筋ではまちがっていない
ことを、あなたは知るはずだ。

+++++++++++++++++++++++

●一定のワク

幼稚園教育には、「6領域」という言葉がある。
「健康」「社会」「自然」「言語」「音楽リズム」「絵画制作」の
6つを、「6領域と」いう。
「6つの分野にわたって子どもを指導する」というものだが、
要するに、何を教えてもよいということ。

が、この「6領域」という言葉は、日本人が考えたものではない。
アメリカの学校にも、同じ言葉がある。
しかも小学校で、それを使っている。

アメリカが日本の教育のまねをした形跡はないから、
日本がアメリカのまねをした。
あるいは戦後、GHQとともに、日本へもたらされた。
そう考えてよい。

要するに、アメリカの小学校では、何を教えてもよい
ということになっている。
「州政府の指導はきわめて緩やかなものです」と、
ある小学校の校長が、私に、話してくれた(アメリカ・A州S小学校)。
(念のため申し添えると、その校長の部屋の前には。
鯉のぼりが飾ってあった。
日本の学校を視察したこともあるという。
そういう立場、つまり日本の教育がどういうものであるかを
知った上で、そう言った。)

言うなれば、日本の教育には、メニューはひとつしかない。
一方、アメリカの小学校には、メニューがいくつもある。
入学年度すら、それぞれの小学校が、自由に決められる。

だから教師にしても、日本では、与えられたワクの中に、
子どもに押し込めようとする。
またそれからはずれる子どもは、嫌われる(?)。
嫌われるという言葉がきついなら、敬遠される。
アメリカには、最初から、そのワクそのものがない。
だったら、どうするか?

教育を自由化する。
自由化に始まって、自由化で終わる。
「それでは国がバラバラになってしまう」と考える人が
いるかもしれない。
もしそうなら、それこそ全体主義。
中国やK国の指導者がそう言うなら、まだわかる。
が、どうしてこの日本が、そんなことを心配するのか。

あるいは、以前、私にこう反論した教師がいた。
「日本は、まだそのレベルに達していない」と。
「自由化してよいほど、日本人の教育観は熟成していない」と。

しかし本当にそうだろうか?
あるいは、そう思い込んでいるだけではないのか?
もしそうなら、文部科学省が、率先して、教育の
自由化を推し進めたらよい。
それでこそ、「教育」である。

アメリカでは、学校の設立そのものが、自由化されている。
さらに進んで、カナダでは学校で使う言語すら、自由。
(アメリカの学校は、英語で教えるが基本になっている。)

カリキュラムにしても、「6領域」※を定める程度にする。
もちろん教科書の検定などというものは、廃止。
もとからあのようなバカげた制度があるほうが、おかしい。
もうやめたらよい。
現在、教科書の検定制度をもっている国は、欧米先進国
の中では、この日本だけ。
どうしてそういう事実に、日本人は、もっと目を向けないのか。

子どもたちが学校で使うテキストにまちがいがあるなら、
そのつど、教師がそれを正せば、それですむこと。
それに今は、インターネットという、すばらしい文明の
利器がある。
やがてコンピュータも、ノート大になり、ノートの
ように気軽に使える時代がやってくる。
言うなれば、巨大な図書館が、ノートの中に、
収まることになる。
教科書に書いてあることが正しいかどうかは、瞬時に、
自分で判断できるようになる。
そういう時代も想定して、では教育はどうあるべきかを、
考えたらよい。

人間の生き方は、けっして、ひとつではない。
同じように、子どもの教育も、けっして、ひとつで
あってはいけない。
多様な道を用意することこそ、教育者の義務では
ないのか。

たまたま今も、窓の外に、学校の校舎が見える。
真四角の箱にしか見えない校舎である。
あの箱の中で、今、どんな教育がなされているのか。
またなされていないのか。

ふと手を休めて、私はそんなことを考えた。
かなり過激な書き方をしたが、しかしこれくらい
過激に書かないと、みな、目を覚まさない。
私自身も、一足飛びに自由化せよと考えているわけではない。
ひとつの努力目標として、前にかかげるべきではないかと、
考えている。

(補記※)「幼稚園教育の六領域」(以下、文部科学省HPより抜粋・転載)
●幼稚園教育要領の制定 
文部省は保育要領実施後の経験と、研究の結果に基づき、また現場の要望にこたえて、昭和
三十一年度に「幼稚園教育要領」を作成した。幼稚園教育要領においては、教育内容を「健
康」、「社会」、「自然」、「言語」、「音楽リズム」、「絵画制作」の六領域に分類し、さらにその領
域区分ごとに「幼児の発達上の特質」およびそれぞれの内容領域において予想される「望まし
い経験」とを示した。さらに、三十九年度には、それまでの経験や研究の結果を生かして、教
育課程の編成や指導計画の作成をよりいっそう適切にするために「幼稚園教育要領」の改訂
を行ない、小・中・高校と同様、文部省告示をもってこれを公示し現在に至っている。 
(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
幼稚園教育 幼児教育 六領域 6領域 教育の自由化 教育自由論)





書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP


●文字と思考
(The invention of letters has changed the world a lot and so did in Japan, too.)
+++++++++++++++++++

文字は、論理を組み立てる上において、
必要不可欠なものである。
言うなれば、子どもが遊ぶ、ブロックのようなもの。
そのブロックを組み合わせて、人は、論理の世界をつくる。

つまり(言葉)という抽象的概念を、(文字)化することによって、
人はそれを、(思考)(思想)にまとめることができる。

たとえば「怒り」。
カーッとなって不愉快な状態になったことを、(怒り)という。
それを「怒り」という言葉を使って、表現する。
「私は怒っている」と。

が、そのままでは、怒りを分析したり、論理的に
解明したりすることはできない。
「なぜ私は怒っているのか」「怒りを静めるためには、
どうすればいいのか」と。

そこで「怒っている」という言葉を、「怒り」という
文字に置き換える。
文字にすれば、遠く離れた人に、自分の感情を伝える
ことができる。
「私はあなたを怒っています」と。
が、それだけではない。
理由も、書くことができる。
「あなたは、私をだましました。それで怒っているのです」と。

こうして人は文字を使って、情報の伝達を行い、感情を
共有することができる。

++++++++++++++++++++++

●万葉仮名

あなたは、つぎの漢字をどう読むだろうか。

『皮留久佐乃皮斯米之刀斯』

ウ〜〜ン!

謎解きのような文章である。
しかしこれは、「はるくさのはじめのとし」(春草の始めの年)と読むのだそうだ
(「日本古代史・謎とミステリー」・リイド社)。

2006年10月、大阪中央区の難波宮(なにわのみや)跡で見つかった、
木簡に、そう記されていたという(同)。

文字は漢字を使い、読みと文法は、日本語に従った。
こういうのを、万葉仮名という。

そこで私も考えてみた。







上から、「あいうえお」と読む。
その万葉仮名から、平仮名やカタカナが生まれた。
今さら説明するまでもないことである。

「は」は、「波」から生まれた?
「や」は、「矢」から生まれた?
「し」は、「氏」から生まれた?

よく平仮名やカタカナは、日本人の発明したすばらしい文字であると
説く人がいる。
しかし本(もと)を正せば、中国語。
それを簡略化したにすぎない。
いちいち漢字で書いていたら、それこそたいへん。
時間の無駄。
だれだって、簡略化することを考えただろう。
「日本人の発明」というような、おおげさなものではない。

……で、今、改めてしげしげと、自分の書いた文章を見つめなおす。
そこには平仮名と漢字が入り交ざった文章が、並んでいる。
当たり前のようにして使っている(文字)だが、それにもいろいろな歴史があるらしい。

たまたま横で別の本(「日本史」・河出書房新社)を読んでいたワイフが、こんな
おもしろい事実を話してくれた。

あの紀貫之(きのつらゆき)の幼名は、「阿古久曽麻呂(あこのくそまろ)」と
言ったそうだ。
「くそ」は、そのままズバリ、「ウンチ」のこと。
そんな名前をつける親も親だが、まだ名前があっただけ、よかったほうなのかもしれない。
これも万葉仮名ということになるが、「阿」が、「あ」になり、一部を取って、「ア」
になった。
「久」は、わかりやすい。
「久」が、「く」になり、「ク」になった。

難波宮跡で見つかった木簡でも、「久」が、「く」と読まれていた。

……しかしこういう話は、あまり深入りしないほうがよい。
へたなことを書くと、その道の専門家たちの袋叩きにあう。
こういうことを一生懸命調べている人もいるわけだから、ここは謙虚になったほうがよい。

で、話を戻す。
(戻すといっても、どこへ戻したらよいか、わからないが……。)

●文字

文字を知って、日本人は、飛躍的に進歩した。
文字があるからこそ、人から人へと、情報を伝えることができる。
言いかえると、もし文字がなかったら、……というよりそれ以前の日本人は、
きわめて原始的な民族だったということになる。
進歩をしたくても、進歩のしようが、ない。

私の近辺にも、本をほとんど読んだことがないという人がいる※。
率直に言って、そういう人は、どこか変?
だから私は、こう推察する。
(文字を読んだり書いたりすること)で、脳のある部分が
刺激され、それが(思考力)に結びついているのではないか、と。

だから文字を読んだり書いたりすることがない人は、思考力そのものが、育たない。
私自身も、こうしてパソコンに向かっていないときは、深くものを
考えることができない。
こうして文字を打ち始めて、はじめて脳みそのある部分が、アクティブになる。
そのとき思考力が働き始める。

もう少し、わかりやすく説明しよう。

たとえばあなたが、何かのことでだれかに、怒りを感じたとしよう。
怒りそのものは、悶々とした感情で、それには(形)はない。
その(怒り)に形を与えるのが、言葉ということになる。

「なぜ私は怒っているのか」と。

つまり言葉で表すことによって、人間は感情的感覚を、抽象的概念にする。
そしてそのとき、それを(文字)で表現することによって、(怒り)を
分析し、内容を論理的に考えることができる。
もちろん他人に伝えることもできる。

が、それはかなりめんどうな作業である。
たいていの人は、できるならそれを避けようとする。
難解な数学の問題を押しつけられたときの状態に似ている。
もし文字を書くことがなかったら、「バカヤロー」「コノヤロー」程度の、
感情的表現で、終わってしまっていたかもしれない。
またそのほうが、ずっと楽(?)。

事実、本を読んだことがないという人は、情報だけが脳みその表面をかすっている
といったような印象を受ける。
感情のおもむくまま行動しているといった感じもする。
言葉にしても、頭の中で反すうするということを、しない。
そういう意味で、(文字)には、特別の意味がある。

ただ「使う」とか「使わない」とかいうレベルの問題ではない。
万葉仮名を使うことによって、日本人は、日本人としての「個」を確立した。
また文字を使ったからこそ、その時代を今に、伝えることができた。
だからこそ、その時代を、私たちは「個」としてとらえることができる。

冒頭にあげた難波宮跡から見つかった木簡は、7世紀中ごろのものとみられている(同書)。
つまり日本人が日本人としての「個」をもち始めたのも、そのころと考えてよい。

それまでの日本人は、言うなれば、「個」のない、ただの原住民に過ぎなかった。
……というのは言い過ぎかもしれないが、隣の中国から見れば、そう見えたにちがいない。
そのころすでに中国では、何千もの漢字を自由に操って、文学や思想の世界だけではなく、
科学や医学の分野においても、世界をリードしていた。

(※付記)

昔、私の知っている女性に、こんな人がいた。
口は達者で、よくしゃべる。
情報量も多く、何かを質問すると、即座に答がはね返ってくる。
が、その女性(当時、50歳くらい)の家を訪れてみて、驚いた。
新聞はとっているようなのだが、本とか、雑誌が、ほとんどなかった!

で、ある日のこと。
その女性が、ある問題で困っているようだったので、私は資料を届けることにした。
本をコピーしたので、それが20〜30枚になった。
ところが、である。
私がその資料をテーブルの上に置いたとたん、その女性はヒステリックな声を
あげて、こう叫んだ。

「私は、そんなものは、読みません!」と。

で、そのときは、そのまま私のほうが引きさがった。
私のほうが何か悪いことでもしたような気分になった。

が、そのあとも、似たようなことが、2度、3度とつづいた。
私は、その女性が、何かの障害をもっているのではないかと疑うようになった。

識字能力……読み書きできる人のことを、識字者という。
それができない人を、非識字者という。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関=UNESCO)では、識字について、
「日常生活における短い簡単な文章の読み書きができる人を識字者、できない人を非識字者」
と定義している。

日本では、昔、文字を読めない人を、「文盲」と呼んだ。
しかしその後の教育の整備が進んで、今では、文盲の人はいないということになっている。
そこで近年では、(1)文字は読めても、(2)それを理解できない人を、非識字者と
位置づける学者も多い。

ポイントは、一応の読み書きはできる。
しかし読んでも、それを理解することができない、というところにある。

で、たとえばその女性のばあい、(1)文字を目で拾って、読むことはできる。
簡単な手紙を書くことはできる。
しかし、(2)論説的な文章になると、それを理解することができない。
それができる人には、何でもないことかもしれないが、文字が活字として、
こうまで一般に普及したのは、ここ100年前後のことである。
能力が、それについていないという人がいたとしても、おかしくない。

たとえば工事中の現場を見たとする。
地面が掘り返され、工事車両が並んでいる。
私たちは、そうした様子から、そこが工事中であると知る。

が、「工事中」という文字を見たときはどうだろうか。
大脳後頭部の視覚野に映し出された映像の中から、まず文字だけを選び出さなければ
ならない。
つづいてその情報を、今度は、側東部や頭頂部が、
そこでそれまでに蓄積してあった情報と照合する。
さらに記憶となって残っている情報と照合する。
そこではじめて「工事中」という文字の意味を知る。
つまり文字を理解するというのは、それまでにたいへんなことだということ。
それができる人には、何でもないことかもしれないが、そうでない人にはそうでない。

このことは、LD児(学習障害児)をみると、わかる。
ある一定の割合で、文字を読んでも理解できない子どもがいる。
たとえば算数の応用問題が、できない、など。
そこで私が「声を出して読んでいい」と言って、声を出して読ませたり、
別の紙に書き写させたりすると、とたん、「わかった!」とか、言う。
一度、自分の声で読み、それが耳を経由すれば、理解できるというわけである。

ただし程度の差もあり、また診断方法も確立されていないため、このタイプの
子どもが、どれくらいの割合でいるかということについては、わからない。

さらに言えば、文字を読んでも理解できない点について、識字能力に問題があるのか、
それとも、知的能力そのものに問題があるのか、その判別もむずかしい。

しかしそういう子どもがいるのは、事実。
20人に1人くらいではないか。
だとするなら、その延長線上に、文字を読んでも理解できないおとながいると考えても、
おかしくない。

私は、その女性が、そうではないかと疑った。
と、同時に、いろいろな面で、思い当たることがあった。
先に書いたように、その女性の周辺には、本だとか雑誌など、そういったものが、
ほとんどなかったということ。
反対に、私のばあい、本に埋もれて生活をしているので、そういう生活そのものが、
たいへん奇異に見えた。

またビデオ・デッキも、なかった。
「ビデオは見ないのですか?」と聞くと、「ああいうものは、疲れるだけ」と。
とくに洋画は、まったく見ないと言った。
あとから思うと、字幕を読むのが苦痛だったためではないか。

……そうこうしながら、それから10年ほど、たった。
話を聞くと、その女性は、この10年間、ほぼ同じような状態ということがわかった。
が、そこに認知症が加わってきた。
周囲の人たちの話では、的をはずれた言動や、はげしい物忘れが目立つようになってきた
という。
今のところ、日常の生活に支障をきたすようなことはないそうだが、「どこか、
おかしい?」と。

となると、当然のことながら、識字力は、衰退する。
(文字を読まない)→(文字から遠ざかる)の悪循環の中で、文字を読んでも
ますます理解できなくなる。

ワイフはその女性について、最近、こう言った。
「あの人には、文化性を感じないわ」と。
文化性というのは、生活を心豊かに楽しむための、高い知性や理性をいう。
その逆でもよい。
高い知性や理性をもった人は、生活を心豊かに楽しむことができる。
つまり文化性のある人は、音楽を楽しんだり、本を読んだりする。
それがその女性には、「ない」と。

私もそう感じていたので、本文の中で、「率直に言って、そういう人は、どこか変?」
と書いた。

なおあのモンテーニュ(フランスの哲学者、1533〜92)も、こう書いている。

「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、
考えたことはない」(随想録)と。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 識字
識字者 非識字者 文字 文盲 文章の読めない子ども 文を理解できない子供)








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【長いトンネル】(息子の引きこもり)

               
【子育て】(S男の引きこもり)(特集)

●時の流れ

時の流れは風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。
「時間よ、止まれ!」と叫んでみても、その風は、止まることはない。
手でつかもうとしても、指の間から、すり抜けていく。

私は子どものころから、何か楽しいことがあると、決まってこの歌を歌った。
「♪夕空晴れて、秋風吹き……。月影落ちて、鈴虫鳴く……」と。

結婚して子どもができてからもそうで、この歌をよく歌った。
ドライブに行き、その帰り道で、みなと合唱したこともある。
が、そういう時代も、あっという間に過ぎてしまった。
そのときは遅々として進まないように見える時の流れも、終わってみると、
あっという間。
どこへ消えたのかと思うほど、風の向こうに散ってしまう。
時の流れは、風のようなもの。

●私の夢

私には、夢があった。
子育ての夢というよりは、私自身の夢だったかもしれない。
その夢というのは、子どもを育てながら、いつか自分の子どもをオーストラリアへ
送ること。
親が夢をもつのを悪いというのではない。
その夢があるから、親は、子育てをしながら、そこに希望を託す。
その希望にしがみつきながら、仕事をする。
がんばる。
私も、ごくふつうの親だった。
息子たちには、何としてもオーストラリアへ行ってほしかった。
理由がある。

●夢のような生活

私は、学生として、オーストラリアへ渡った。
1970年の3月のことだった。
当時は、それなりの後見人、つまり身元保証人がいないと、正規の留学ができない
時代だった。
その後見人に、現在の皇后陛下の父君の、正田英三郎氏がなってくれた。
そのこともあって、私は、今から思うと、夢のような学生生活を送ることができた。

よく誤解されるが、青春はけっして人生の出発点ではない。
青春時代は、人生のゴール。
ゴール、そのもの。
人は常に、青春時代という(灯台)に照らされて、自分の人生を歩む。
私が、そうだった。

ともすればわき道に迷うそうになったことも、何度かある。
もともと生まれも育ちも、よくない。
ときに道を踏み外しそうになったこともある。
そういうとき、私の道を正してくれたのは、あの青春時代という灯台だった。

それが私の夢だった。
3人の息子たちを育てながら、息子たちにもまた、私がもっているのと
同じ灯台をもってほしかった。

●非現実的世界

私には3人の息子がいる。
ちょうど3歳ずつ、歳が離れている。
計画的に、そうしたわけではない。
結果的に、そうなった。

で、私は子育てをしながら、いつもこう願っていた。
息子たちにも、広い世界を見てほしい、と。
私の時代と比較するのもどうかと思うが、私の時代には、外国へ行くということ
すら、夢のような話だった。
たとえば羽田、シドニー間の航空運賃だけでも、往復42万円。
大卒の初任給が、やっと5万円に届いたというころだった。

いわんや留学など、夢のまた夢。
そのあと私が寝泊りするようになったカレッジにしても、当時のレートで、
月額20万円もした。
が、それだけの価値はあった。

最近、ハリーポッターという映画を見たが、あの中に出てくるような生活
そのままだった。
学生たちは、ローブと呼ばれるガウンを身にまとい、上級生や、
講師、教授とともに、いっしょに寝泊りをする。
「カレッジ」というと、日本では、「寮」と訳すが、日本でいう寮を想像しない
ほうがよい。
カレッジは、それ自体が、独立した教育機関である。
中央にある「大学(ユニバーシティ)」で、総合的な教育を受け、カレッジに
もどって、個別の授業を受ける。
それがイギリスのカレッジ制度である。

しかしこの制度は、そののち、労働党政権になり、大きく崩れた。
予算が大幅に削られた。
昨年、オーストラリアへ行った折に、私がいたカレッジを訪れてみたが、
昔の面影というか、雰囲気は、もうなかった。

で、私は正田氏に後見人になってもらったこともあり、皇族として、大学に
迎え入れられた。
隣人は、インドネシアの王子だったし、廊下をはさんで反対側は、
モーリシャスの皇太子だった。
みな、ファースト・ネームで呼びあった。

●外国

息子たちは息子たちで、そういう私の心を察してか、「いつかは外国へ行く」
ということを考えていた。……と思う。
たぶんに押し付けがましいものではあったかもしれないが、私はそれを喜んだ。

が、息子たちの時代ですらも、外国は、まだ遠かった。
2人の息子を連れて、オーストラリアへ行ったときも、またもう1人の息子と、
タイへ行ったときも、それなりの覚悟が必要だった。
それだけで1、2か月分の稼ぎが、吹っ飛んでしまった。
少なくとも、今のように、学校の修学旅行で、オーストラリアやハワイへ行く
ような時代ではなかった。

が、それがよかったのか、悪かったのか、私にはわからない。

同じ(外国)でも、人によって、その印象がちがう。
これはあくまでも一般論だが、外国の生活にそのまま溶け込める子どもと、
そうでない子どもがいる。
溶け込める子どもが、3分の2。
溶け込めないで、その世界からはじき飛ばされてしまう子どもが、3分の1。

つまり3人に1人は、外国の生活になじめない。
その割合は、年齢が大きくなればなるほど、大きくなる。

●S男のこと

親というのは、けっして1人の親ではない。
私も3人の息子を育てながら、3人の親になった。
つまり育て方が、みな、ちがった。

概して言えば、S男にはきびしく接した。
二男には、幼児のとき、浜名湖であやうく事故で亡くしかけたこともあり、
「生きているだけでいい」という接し方をした。
三男は、心の余裕ができたこともあり、俗にいう、甘やかして育てた。

そういう点では、S男には、申し訳ないことをした。
期待を、大きくかけすぎた。
夢を、S男にぶつけすぎた。
S男にとっては、私の家は、窮屈で住みにくいところだったことだろう。
今にして思うと、それがわかる。
申し訳ないことをした。
本当に申し訳ないことをした。
しかし当時の私には、それがわからなかった。
中学、高校へと進むにつれて、とくにS男の心は、私から離れていった。

●断絶

最初は小さな亀裂だった。
しかしそれがやがて断絶となり、私とS男の間の会話は途切れた。
私は、うるさい親父だった。
過干渉で、その上、過関心だった。
さらに悪いことに、これは言い訳にもならないが、私は忙しかった。
そのこともあって、私の情緒は、かなり不安定になっていた。
……というより、私は私で、心の問題をかかえていた。
それについては、もう少しあとで書くとして、私にとってもつらい時代だった。

もっとも、父と子、とくに父と息子が断絶するというケースは、珍しくない。
あのジークムント・フロイトは、それを「血統空想」という言葉を使って、
間接的に説明している。

子どもというのは、ある年齢になると、自分の血統、つまり父親を疑い始める。
「私の父は、本当の親ではないかもしれない。私の父親は、もっと高貴な
人物であったはず」と。

これに対して、自分の母親を疑う子どもは、いない。
それもそのはず。
子どもは母親の胎内に宿り、生まれたあとも、母親から乳を受ける。
そういう意味で、母子関係と、父子関係は、けっして同じではない。
平等ではない。

統計的な数字をみても、「父親のようになりたくない」と思っている中高校生は、
79%もいる(「青少年白書」平成10年)。

私もそうした父親の1人、ということになる。
つまり私は、S男と会話が途切れたことについて、それほど深刻には、考えて
いなかった。

私自身も、私の父親とは、中学生になるころには、ほとんど会話をしなくなっていた。

●大学

下宿は、元高校教師の家に決まった。
私はそれを喜んだ。
大学は、友人の紹介で、キャンベラ大学に決まった。

ところでこうした手続きは、自分でするのがよい。
留学の斡旋を専門にするサービス会社もあるが、一般的に、高額。
が、自分ですれば、実費のみ。
昨年(08)、問題になり、破産した斡旋会社は、1人あたり、数百万円の
手数料を荒稼ぎしていたという。

今ではインターネットを通して、入学の申し込み、学生ビザの取得まで
すべてできる。
下宿代も、食事込みで、月額4〜5万円程度。
学費も、半期の6か月で、70〜80万円程度。
自分で手続きをすれば、ただというわけではないが、数千円の印紙代程度で、
すむ。

●巣立ち

S男は、友人のI君と2人で、大阪の伊丹空港を飛び立った。
3月の、まだ肌寒さの残る朝だった。
空港でいくらかの円を、オーストラリアドルに換えた。
それを渡すと、S男は、こう言った。

「2度と日本には帰ってこない」と。
私は、「そうか」とだけ言った。
親としてはさみしい瞬間であるが、それが巣立ち。
いつかはその日がやってくる。
むしろ私は、そういうS男をたのもしく思った。
と、同時に、内心では、ほっとした。

家の中では、いつもたがいにピリピリとした雰囲気だった。
それがS男にも通じたのか、S男はうしろも振り返らず、黙ったまま、
ゲートを通り過ぎていった。

●私の心のキズ

私が自分の心のキズに気がついたのは、私が40歳も過ぎてからの
ことではなかったか。
「おかしい」とは思っていたが、みなそうだと思っていた。
しかしキズは、たしかにあった。……今でも、ある。

トラウマというのは、そういうもの。
年齢を重ねたからといって、消えるものではない。
私は基本的には、不幸にして、不幸な家庭に生まれ育った。
父と母は、夫婦と言いながら、形だけ。
心はバラバラ。
その上、父は、ふだんはもの静かな学者肌の人だったが、酒が入ると、
人が変わった。
大声を出して、暴れた。
家具をひっくり返し、ふすまや障子のさんを壊した。

私と姉は、そして兄は、そのたびに、父の影におびえ、家の中を逃げ回った。

それが大きなキズとなった。
父が酒を飲んで、人が変わったように、私の中にも2人の「私」がいて、
そのつど、交替で顔を出す。
たとえばこんなことがあった。
私が小学5年生のときのことだった。

●2人の私

私には心を寄せる女の子がいた。
AMさんといった。
が、AMさんは、私には関心を示さなかった。
そういうことが重なって、私はある日、AMさんが教室にいないときを見計らって、
AMさんの机の中から、AMさんのノートを取り出した。
そしてその中の1ページに、乱雑な落書きをした。

しばらくしてAMさんが教室に戻ってきて、それを見て、泣いた。
そのときのこと。
私の中に2人の「私」がいて、1人の私は、それを見て笑っていた。
が、もう1人の「私」もいて、そういうことをした私を責めた。
「なんて、バカなことをしたのだ!」と。

ただ救われたのは、そうしてときどき顔を出す、邪悪な私は、私の中でも
一部であったこと。
また邪悪な私が顔を出すたびに、もう1人の私が、それをたしなめたこと。
もしそれがなければ、私はそのまま多重人格者になっていたかもしれない。
しかし心のキズは、そんなものではない。

●体の震え

私にはおかしな病癖があった。
子どものころから、何かのことで不安や心配になったりすると、体が震えた。
夜、床について、しばらくしてから起こることが多かった。
体中の筋肉がかたまり、そのあと、自分でもわかるほど、体がガタガタと震えた。
年に何度とか、あるいは月に1度とか、回数は多くなかったが、それは起きた。

強度の不安神経症?
パニック障害?

診断名はともかくも、不安が不安を呼び、それが渦のように心の中で増幅し、
やがて制御不能になる。
が、原因が、やがてわかった。

ある夜のこと。
そのとき私は30歳を過ぎていた。
ワイフとふとんの中で、あれこれと話しあっているうち、話題は、あの夜のことに
なった。

あの夜……父がいつもになく酒を飲み、大暴れした夜のことだった。
父は、大声で母の名を呼び、家の中をさがし回った。
「トヨ子!」「トヨ子!」と。

私と姉は二階の、いちばん奥の物干し台の陰に隠れた。
そのときのこと。
父は隣の部屋まで、2度来た。
家具を投げつける音が、壁を伝ってきこえてきた。
私は姉に抱きつきながら、「姉ちゃん、こわいよう、姉ちゃん、こわいよう」と
おびえた。
私はそのとき、6歳だった。

で、その話になったとき、あの震えが起きた。
体中がかたまり、私はガタガタと震えた。

ワイフはそれを見て、牛乳を温めてもってきてくれた。
私はワイフの乳房を吸いながら、心を休めた。

●心を開く

私は子どものころから、「浩司は、明るくて楽しい子」と、よく言われた。
「愛想がいい子」とも、よく言われた。
しかしそれは仮面。
私にも、それがよくわかっていた。
つまり私は、だれにでも尻尾を振る、そんなタイプの子どもだった。

心理学で言えば、心の開けない子どもということになる。
母と私の間で、基本的信頼関係が結べなかったことが原因と考えてよい。
私は乳幼児期において、絶対的な(さらけ出し)ができなかった。
「絶対的」というのは、「疑いすらいだかない」という意味である。
それもそのはず。
先にも書いたように、私の家庭は、「家庭」という「体」をなしていなかった。
静かに家族の絆(きずな)を温めるという雰囲気さえ、なかった。

ゆいいつの救いは、祖父母が同居していたこと。
祖父が、私の父親がわりになってくれたこと。
もし祖父母が同居していなかったら、その後の私は、めちゃめちゃになって
いただろう。

ともかくも、私は、結婚してからも、ワイフにさえ、心を開くことができなかった。
私の過去にしても、また私が生まれ育った環境にしても、そういうことを
話すのは、(私の恥)(家の恥)と考えていた。

そんなわけで、私は、息子たちにも、心を開くことができなかった。
その影響をいちばん強く受けたのは、S男だった。

●パパ、もうダメだ!

電話は、突然だった。
受話器を取ると、S男はこう言った。
「パパ、もうだめだア」と。
悲痛な声だった。
私はその声の中に、異常なものを感じた。
「すぐ帰って来い!」と。

今のようにインターネットがある時代ではない。
連絡は手紙。
あるいは電話。
急ぎのときは、郵便局でファックス・メールというのを使った。
下宿先には、ファックスはなかった。
S男の様子がおかしいということは、下宿先のホスト・マザーから聞いていた。
しかしそれを詳しく確かめることもなかった。

が、2年間の留学生活を終え、これから専門課程へと進む矢先のことだった。
どこか心配なところはあったが、私の頭の中には、あの伊丹空港を出て行くときの
S男の印象が、強烈に残っていた。
意外というより、「どうして?」という疑問のほうが大きかった。

が、さらに驚いたのは、その翌々日のことだった。
裏の勝手口を見ると、S男がそこに立っていた。
「帰って来い」とは言ったが、そんなに早く帰ってくるとは思っていなかった。
私たちは、何も言わず、S男を家の中に迎え入れた。
S男が、ちょうど20歳になる少し前のことだった。

●長いトンネル

私たち夫婦は、そのあと、長くて苦しいトンネルに入った。
出口の見えないトンネルである。

S男の生活を見ていて、興味深かったのは、毎日、ちょうど1時間ずつ
時間がずれていくことだった。
1日が24時間ではなく、1日が25時間で動いていた。

昨日は午前9時ごろ起きたと思っていると、今日はそれが午前10時に
なる。
そしてそれがつぎの日には、11時になる。
こうして時間がずれていって、夜中は起きていて、昼間は寝るという状態が
つづいた。

ワイフは、「そのうち元気になるだろう」と考えていた。
しかし私は、そうでなかった。
仕事上、そのタイプの子どもを何十例も見てきた。
S男の症状は、まさにそれだった。
「引きこもり」という、まさにそれだった。

●自信喪失

S男については、一度、S男が高校生のときに、自信を失ったことがある。
S男が、隠れてタバコを吸い始めた。
それまでは私は、積極的に、禁煙運動を進めていた。
が、S男がタバコを吸っているのを知って、それ以後、禁煙運動はやめた。

しかし今度は、引きこもりである。
私は大きな衝撃を受けた。
というより、自信を失ってしまった。
当時もいろいろな場で、育児相談を受けていた。
が、心、そこにあらずという状態になってしまった。
(教育)の世界から、足を洗うことさえ考えた。

が、それを止めてくれたのが、ほかの2人の息子たちだった。
とくに、三男が、中学で何かにつけ、活躍してくれた。
学年でもトップの成績を取ってくれた。
生徒会長にもなってくれた。
それを見て、ワイフがこう言って励ましてくれた。

「あなたがしてきたことは、まちがっていないわ」と。

●暖かい無視と、ほどよい親

子どもが引きこもるようになったら、鉄則は、2つ。
(1)暖かい無視と、(2)ほどよい親。

もしS男が他人の子どもなら、私はその親に、こう言ってアドバイスしたこと
だろう。
「暖かい無視と、ほどよい親であることを、徹底的に貫きなさい」と。

暖かい無視というのは、愛情だけは忘れず、何もしない、何も言わない、
何も指示しない、何も干渉しない……ことをいう。
ほどよい親というのは、「求めてきたときが、与えどき」と覚えておくとよい。
子どものほうから何かを求めてきたら、すかさずそれに応じてやる。
しかしこちらからは、あれこれと手を出さない。

しかし実際には、これが難しかった。

●だらしなくなる生活態度

私たちは、S男の生活態度が、日増しにだらしなくなるのを知った。
衣服を替えない。
風呂に入らない。
掃除をしない、などなど。
食事の時間は、もちろんめちゃめちゃだった。

もともと静かで穏やかなS男だったが、表面的には、それほど変わらなかった。
しかし心の中は、いつも緊張状態にあった。
不用意に私やワイフが何かを言うと、ときにそれに反応し、烈火のごとく、
怒った。
やがて私たちは、何も言えなくなった。

S男が、なすがまま、それに任せた。
しかしそれは少しずつだが、私とワイフを追いつめていった。
そのつど、私は、ワイフとドライブに出かけて、その先で、泣いた。

●親の愛

親の愛にも、三種類、ある。
本能的な愛、代償的な愛、それに真の愛である。

しかし(愛)ほど、実感しにくい感情もない。
(怒り)や(悲しみ)と同列に置くことはできない。
できないが、『許して、忘れる』。
その度量の深さによって、愛の深さが決まる。
……というより、私はいつもその言葉の意味を考えていた。

英語では、「Forgive & Forget」という。
学生時代に、私が何か困ったことがあるたびに、オーストラリアの友人が
そばへ来て、こう言った。
「ヒロシ、許して忘れろ」と。

しかしこの言葉をよく見ると、「許す」は、「与えるため」とも訳せる。
「忘れる」は、「得るため」とも訳せる。

私は、「何を与えるために許し、何を得るために忘れるのか」、それをずっと
考えていた。
が、そのとき、その意味がわかった。

私とワイフは、そのときも山の中のどこかの空き地に車を止めていた。
そしてそこでぼんやりと、窓の外を見ていた。
満天の星空だった。
と、そのとき、意味がわかった。

親は子どもに愛を与えるために許し、子どもから愛を得るために忘れる。

私はそれを知ったとき、大粒の涙が、何度も何度も、頬を伝って流れるのを
知った。

●闘病生活

かかりつけの内科へ行くと、医師が、薬を処方してくれた。
しかしどれもS男には合わなかった。
そのつど腹部の不快感や、体の不調を訴えた。
で、薬を替えてもらうこともあったが、そのつどS男は、反作用というか、
それに苦しんだ。
いつも効果は、一時的だった。

もちろんS男だけが、引きこもりというわけではない。
この日本だけでも、推定だが、ひきこもっている若者は、数十万人はいると
言われている。

家人が隠しているケースも多いから、実際には、もっと多いかもしれない。
100万人という説もある。
私たち夫婦も、S男が引きこもっていることを、だれにも話さなかった。
隠したのではない。
話したところで、どうにもならなかった。
が、そうでなくても、私たち夫婦のことを話題にしたがる人は、いつもいた。

たとえば二男は、市内でも、ABCD……のつぎにくるような高校に入学した。
いろいろあって、そうなった。
二男が、自分で選んで、そうした。
それについても、「あの林先生の息子さんは、E高校なんですってねえ」と。

私のような仕事をしている者の息子は、トップのS高校でなければならない
という口調である。

とんでもない!
バカヤロー!

●友人の訪問

そんなS男の唯一の窓口が、S男の友人のS君だった。
小学時代からの友人で、週に1度、あるいは2、3週間に1度、S男を訪ねて
くれた。
私たちはS君の来訪を、S男より望んだ。
そして来てくれるたびに、S君を歓待した。
ときどきS男は、S君と居間でお茶を飲んだりした。
そのときだけ、私たちはS男との接点をもつことができた。

S君は、父親の土建業を手伝っていた。
私たちも家の工事をあれこれS君に頼むことで、S君との接点を保った。
この種の心の病気には、時間がかかる。
5年単位、10年単位の時間がかかる。
あせって何かをしても、逆効果。
かえって症状がこじれるだけ。
それを私も、よく知っていた。

●消えた夫婦喧嘩

私たちは、人からは仲のよい夫婦に思われていた。
しかし実際には、喧嘩ばかりしていた。
頻度を言っても意味はないが、月に1、2度は喧嘩を繰り返していた。
それについても、結婚当初からの長い経緯がある。
もともとたがいに納得した結婚ではなかった。
それに私には、先にも書いたように、心の病気があった。
心の開けない人間だった。
それに応じて、ワイフも、いつしか、心の開けない人間になっていた。

が、かろうじて私たちが夫婦でいられたのは、たがいに孤独だったこと。
不幸にして不幸な過去を背負っていたこと。
たがいに寄り添って生きていくしかなかった。

だから喧嘩といっても、2日以上、つづくことはなかった。
昼間に喧嘩しても、夜は同じふとんの中で眠った。

それはそれでよかったのだが、しかしS男の前では、喧嘩はできなかった。
どんなに言い争っていても、S男の空気を感じたら、そのままやめた。
S男に不安感を与えることだけは、ぜったいに避けなければならなかった。

●原因

子どもに問題が起きると、ほとんどの親は、その原因探しをする。
子どもに向けて、する。
が、そのとき、親自身に問題があったと考える親は少ない。
しかし子どもは、家族の(代表)にすぎない。
家族の問題を、代表しているにすぎない。

S男にしても、そうだ。
さらに最近では、うつ病という病気についても、その遠因は、乳幼児期の
母子関係の不全にあるということまで、わかってきた。
私たち自身の過去を見ても、S男がS男のようになったのも、もとはと
言えば、私の過去、そして私自身にある。
親の心が閉じていて、どうしてその親に、子どもが心を開くことが
できるだろうか。

心配先行型の子育て……というより、私は、息子たちを信じていなかった。
悪玉親意識も強く、いつも親風を吹かしていた。
S男がS男のようになったとしても、まったくおかしくない家庭環境だった。

●平凡は美徳だが……

平凡は美徳だが、平凡な生活からは、何も生まれない。
ドラマも生まれない。
感動も生まれない。
それはわかるが、そういった状態が、2年、3年とつづくと、それがそのまま、
平凡になってしまう。

家の中に、よどんだ重苦しさを感じながらも、私たち夫婦は、S男のことを忘れた。
S男はS男で、いつも勝手なことをして、日々を過ごした。
S男自身も、私の目には、それを楽しんでいるかのように見えた。
私たち夫婦も、S男のことは忘れて、勝手なことをし始めた。

が、そんなある日、S男が、突然、「働く!」と言い出した。
部屋の中に引きこもるようになってから、3年、あるいは4年ほど
過ぎたときのことだった。

●旗振りの仕事

「どんな仕事?」と聞くと、「道路工事の旗振りの仕事」と。
初夏の、暑い日がつづいていたころのことだった。
「いくらなんでも、いきなりそんなきびしい仕事をしなくても……」と、
私は言った。

真っ黒に日焼けした人たちの顔が、目に浮かんだ。
が、反対することはできなかった。
むしろ、S男のその変化に、喜んだ。
「ひょっとしたら……」という、淡い期待が、心の中に充満した。

が、そんなある日、S男がふと、こんなことを口にした。

「パパは、ぼくがこんな仕事をしたら、恥ずかしいか?」と。
私は、首を横に振った。
それを鼻先で笑った。
「恥ずかしい? とんでもない。そんな気持ちは、とっくの昔に捨てたよ」と。

私たちはその夜、近くのショッピングセンターで、日焼け止めクリームを
買ってきた。
そしてそれを、そっとS男の部屋の前に置いた。

●旗振り

S男は、旗振りの仕事を、8か月近くもつづけた。
朝早くバイクで出かけて行き、夜遅く帰ってきた。
しかし不規則な仕事で、収入も少なかった。
S男はS男で、「スポーツジムへ通うよりはいい」と言っていた。
私は、S男が快方に向かっているのを感じてはいたが、しかし全幅に
安心していたわけではない。

S男は、そのつど、不安定な様子を示した。
私たちも、そのつど、それに振り回された。

そうそう一度だけだが、こんなことがあった。
S男が、自宅から1時間ほどの現場で仕事をしていたときのこと。
S男が、どんな仕事をしているか、私とワイフが、見に行こうとした。

出かけるときは軽い気持ちだった。
しかし車で現場に近づくにつれて、私もワイフも、だまりこくってしまった。
いくつかの信号を通り過ぎた。
と、そのとき、ワイフが、こう言った。
「やめましょうよ」と。
見ると、ワイフの頬を、大粒の涙が流れ落ちているのがわかった。

●自己開示

その間、私たちとて、手をこまねいていたわけではない。
私が最初に考えたのは、自己開示。
これはS男のことがあったからというよりは、私自身の精神的欠陥に
気がついたからにほかならない。

自分をさらけ出す。
すべてはそこから始まった。
たまたま地元の中日新聞社のほうから、記事の連載を頼まれたこともあった。
私はそれをきっかけに、自分を書くことを始めた。

おかしなことだが、私はそれまで自分のことについて書くということは、
あまりなかった。
本も書いていたし、雑誌にも寄稿していた。
しかし自分のことは書かなかった。
自分の職業すら、たとえば大学の同窓会などでは、隠した。
少なくとも、おおっぴらに威張れるような職業ではなかった。

またワイフに対しても、自分をさらけ出すようにした。
ありのままの自分を、ありのままに表現するようにした。
夫婦や親子の間で、恥ずかしいとか、あるいは外聞を気にするほうがおかしい。
その(おかしさ)に、気がついた。

私は私。
人は人。
人がどう思おうと、私の知ったことではない。
少し遅すぎたが、しかし私は自分の仮面をはずした。
生き様を大きく変えた。

●仕事を替える

旗振りの仕事をきっかけに、S男は、仕事をいろいろと替えた。
替えたというよりは、不運だった。
寿司屋に勤めたときも、おもちゃ屋に勤めたときも、やがて店そのものが、
つぶれてしまった。

が、職安ではラッキーな男だった。
そのつど職安へ足を運ぶと、仕事はすぐ見つかった。
本人も、アルバイトでは、限界があると知ったのだろう。
正規の仕事を求めた。

で、決まったところが、知的障害者の人たちが働いている工場だった。
「ぼくも似たようなものだから」とS男は笑っていたが、私はそういうS男に、
気高いものを感じた。
「よかった」と思った。
が、ちょうど1年半勤めたところで、その会社をやめてしまった。
理由を聞くと、「専門学校に通って、資格を取りたい」と。

私はS男のしている仕事の尊さを知っているだけに、「もったいないことをしたね」
とだけ、言った。

●挫折

S男は、外の世界では、愛想のよい、明るい人間に見られている。
冗談もよく飛ばす。
その点は、私、そっくりだ。
しかしそれは仮面。
自分を偽る分だけ、S男は、疲れる。
それが私にも、よくわかった。

専門学校へは、1年、通った。
しかしそこで挫折。
再び、家に引きこもるようになってしまった。
S男は、専門学校では、年齢的に浮いた状態だった。
高校を出たばかりの若い人たちと、いっしょに机を並べて勉強するという
ことが、S男にはできなかったらしい。
私は「気にするな」と何度も言った。

ほかにもいろいろ理由があったのだろう。
専門学校へ行くと言っては家を出て、そのまま町をぶらついて帰ってくる。
そんなこともあった。

●成長

しかし悪いことばかりではない。
そういうS男だったが、心の成長は、私にもよくわかった。
S男は、私たちが苦しんだ以上に、苦しんだ。
……苦しんでいた。

私たち夫婦は、S男の将来を心配していたが、それ以上にS男自身も、
自分の将来を心配し、悩み、苦しんでいた。

二男が結婚し、子どもができたときも、S男は、ふと、こう漏らした。
「オレは、兄貴として失格だ」と。
S男は、二男に何もしてやれない悔しさを、感じていた。

が、そういう苦しみや悲しみを乗り越えて、S男は、私たちが想像する
よりもはるか高い次元にまで、成長していた。
S男は、再び、あの会社で働くと言い出した。

●再就職

幸いなことに、S男は、再び、同じ会社に再就職できた。
社長、専務以下、みなS男のことをよく覚えていてくれた。
暖かく迎えてくれた。
言い忘れたが、その会社は、主に、3つの部門に分かれている。

プレス課、メッキ課、それに設計などを専門とする課。
プレス課では、主に外国人労働者たちが働いている。
メッキ課では、主に知的障害のある人たちが働いている。
S男は、これら3つの課を順に回りながら、それぞれの仕事をしている。
「総合職」というのか、何というのかは、わからない。
が、彼なりに、そういう仕事に生きがいを見だしつつあるようだ。

仕事から帰ってくると、あれこれとそういう人たちの話を、おもしろ、
おかしく話してくれる。

で、その会社での仕事も、もう2年になる。

●シティ・マラソン

そんなS男が、シティ・マラソンに出ると言い出した。
この話には、驚いた。
「専務といっしょに走る」「10キロコースに出る」と。
「1時間以内に走れば、新聞に名前が載る」と。

さらに驚いたことに、そのマラソンのために、練習を始めたという。

回避性障害、対人恐怖症、人格障害……、病名など何でもよい。
うつ病だって、構わない。
この日本、この世界、まともな人間ほど、そういう病気になる。
人間が狂うのではない。
社会そのものが狂っている。

が、そういうS男が、マラソンに出る?
私はワイフに何度も、それを確かめた。
が、そのつどワイフは笑ってこう言った。
「本気みたいよ」と。

●当日

2月22日は、よく晴れた日だった。
朝起きると、青い空から白い日差しが、カーテンの向こうから部屋の中に
注ぎ込んでいた。

すでにS男は、会社へ出かけたあとだった。
一度会社で集合して、会場へ向かうということだった。
私たち夫婦は、車で一度町まで行き、そこから電車に乗ることにした。
数千人以上もの人たちが、走ることになる。
会場近くは混雑しているに、ちがいない。

私たちは競技場の出入り口で、スタートを待った。
どういうわけか、その間に、2度もトイレに。
講演会場のそでで、出番を待つときのような緊張感を覚えた。
が、じっとしていると寒かったこともあり、コースに沿って、私たちは歩き始めた。
会場の大群衆を見たとき、「これではS男を見分けられない」と思った。
それでそうした。

しばらく歩くと、遠くで、10キロコースのスタートが始まった音がした。
ドンドンと太鼓を叩く音がした。

私たちは沿道に立って、S男を待った。
先頭は、いかにも走り慣れたという人たちが、スタスタと走っていった。
それにつづく集団、また集団。
が、その中にS男がいた!

「S男!」と声をかけると、S男もそれに気がついて、笑った。
笑って手を振った。
S男が見せたことのない、さわやかな笑みだった。

が、あっという間だった。
で、私たちは、さらにコースに沿って歩いた。
「ぼくたちも運動だ」と言うと、ワイフもすなおにそれに応じてくれた。
このところ、毎日1万歩は歩くようにしている。

で、2キロまで歩いたところで、10キロコースの人たちが、折り返して
戻ってくるのがわかった。

私たちは、沿道に立って、S男が戻ってくるのを待った。
が、意外と、早いところを走っていた。

再び「S男!」と声をかけ、20〜30メートル、私もいっしょに走った。
S男は、先ほどと同じように、一瞬手をあげ、それに答えたが、今度は
笑わなかった。
苦しかったのだろう。

●時の流れは、風のようなもの

バイパスも、大通りも、車は走っていなかった。
バスも止まっていた。
人の姿さえ、見えなかった。
私たちは、バスをつかまえることができるところまで、歩くことにした。
明るい日差しは、そのままだった。

遠くで、ドンドンと太鼓を叩く音がした。
「1時間以内に入ったかしら?」と、ワイフは、何度も心配した。
私は時計を見ながら、「入っただろうね」と言った。

時の流れは風のようなもの。
どこからともなく吹いてきて、またどこかへと去っていく。
「時間よ、止まれ!」と叫んでみても、その風は、止まることはない。
手でつかもうとしても、指の間から、すり抜けていく。

と、そのとき、あの歌が、私の口から出てきた。
長く忘れて、歌ったことのない、あの歌が。

「♪夕空晴れて、秋風吹き……。月影落ちて、鈴虫なく……」と。
人目もはばからず、私はその歌を大声で歌った。
ワイフも、いっしょに、歌った。

(END)

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
挫折 絶望 希望 夢 S男 引きこもり 引き篭もり 引きこも


【追記】


●パパ、もうだめだ

 「日本には、2度と帰って来ない」と。C雄は、そう言って、伊丹空港から、オーストラリアへと
旅立っていった。友人のT君もいっしょだった。
 が、それから1年、そして2年が過ぎた。1年目は、キャンベラにある、C大学、2年目は、メル
ボルンにある、L工科大学に席を移して、専門学部への進学に備えていた。
 あまり勉強しているふうでもなかったが、私もそれほど期待はしていなかった。専門学部へ入
学し、学士号(バッチャラー)を取得するのは、オーストラリア人の学生でもむずかしい。日本人
の留学生のばあい、20人に1人以下と聞いていた。「数年オーストラリアにいて、それなりの力
をつけて帰ってくれば、それでいい」と、私は考えていた。それ以上に、広い世界を見ることが、
何よりも大切と考えていた。
 が、そのC雄から、ある夜電話がかかってきた。受話器を取ると、電話口の向こうで、「パパ、
もうだめだ」と言った。暗く沈んだ声だった。私は異常さを察知して、「すぐ帰って来い」と言っ
た。その少し前、専門学部に進学できそうだと言っていた矢先のことだった。
 が、まさか、その翌々日の夜に帰ってくるとは思っていなかった。勝手口で物音がするので、
そちらを見たら、C雄が、そこに立っていた。大きなカバンを2個、横に置いていた。

●私の夢

「日本の大学……」ということも考えた。しかし私は、C雄が小学生のころから、オーストラリア
へ留学させることだけを考えていた。私は、オーストラリアですばらしい経験をした。同じ経験
を、C雄にもさせたかった。
 今にして思うと、それは私という親の、身勝手な願いであった。C雄がそれをしたいと言った
わけではない。C雄の心を確かめたわけでもない。私は妄信的に、それがC雄にとっても、いち
ばん好ましいことだと思った。
 何人かの知り合いのつてを頼りに、C雄をオーストラリアへ送った。下宿先も、元高校教師と
いう人に頼んだ。が、何よりも心強かったのは、もし万が一のときでも、オーストラリアの友人た
ちが、そこにいたことだった。みな、協力を、快く申し出てくれた。
 しかしC雄には、何もかも、合わなかった。水も空気も食べ物も、そして生活も。

●引きこもりの始まり

 家に帰ってから、C雄は、私たちとはほとんど口をきかなかった。食事ときだけ、食堂へ下り
てきたが、それが終わると、また自分の部屋へそのまま戻っていった。「まさか……」とは思い
ながらも、日増しに不安は大きくなっていった。C雄の生活が、大きく乱れ始めたのは、帰国し
てから、1〜2週間目くらいからではなかったか。
 朝、起きてきない。夜更かしがつづく。食事の時間が、混乱する。が、やがて昼と夜が逆転し
始めた。
 昼間は一日中、引きこもったまま。夜になるとノソノソと動き出した。しばらく観察してみると、
毎日、約1時間ずつ時間がずれていくのがわかった。C雄にとっては、1日が25時間ということ
になる。前々日は、午後4時ごろ眠り始める。前日は、午後5時ごろ眠り始める。そして今日
は、午後6時ごろ眠り始める。

●引きこもり

 幸いというべきか、私には、それまでに、10例以上も、このタイプの子どもを指導してきた経
験があった。早くは20数歳のときに経験した。が、当時は、「引きこもり」という言葉すらなかっ
た。家庭内暴力についても、そうだった。多くの人は、専門家とよばれる人たちも含めて、引き
こもりは、子どものわがまま、家庭内暴力は、親の甘やかしが原因と考えていた。
 21世紀に入ってからも、引きこもりや不登校を、強引な方法で治す(?)女性が、愛知県に
現れた。マスコミでも話題になった。その女性のばあい、その子どもや親に罵声を浴びせかけ
て治す(?)というものだった。
 それ以前にも、Tヨットスクールという、これまたあやしげな団体があった。そのスクールで
は、わざと転倒するヨット(セールボート)を子どもに操縦させ、それでもって子どもの情緒障害
を治す(?)というものであった。
 しかしこんな方法で、子どもの心の問題が、解決するはずはない。

●M君のケース

 が、私が最初に、というか本格的にこのタイプの子どもを指導をしたのは、30歳も過ぎてか
らのことだった。名前をM君としておく。
 M君は当初、不登校から始まった。中学2年のときのことである。親か相談があったので、私
はM君の家まで出向いた。M君はふとんの中にもぐったまま、返事もしなかった。私が体を引
きずりだそうとしても、ビクともしなかった。そばにいた父親と母親は、あきれ顔でそれを見てい
た。
 それがはじまりで、そのあと私はM君と、5年間、つきあうことになった。いろいろあったが、
それを書くのは、ここでの目的ではない。で、私の結論は、こうだ。この問題だけは、簡単には
解決しない。まわりの人たちがあせればあせるほど、逆効果。むしろ症状をこじらせてしまう。
何よりも大切なのは、(時間)である、と。
 このことは話が飛ぶが、それから10年後、M君と街角で会って確信した。「先生!」と声をか
ける男性がいたので、見るとM君だった。そのM君は、いきなり私にこう言った。「先生、ぼくの
ほうが先生より稼いでいるよね」と。話を聞くと、ゴルフのプロコーチをしているということだっ
た。
 中学時代からM君は、学校をさぼって、近くの公園でゴルフばかりしていた。

●覚悟を決める 

 私とワイフは覚悟を決めた。「なるようになれ」「なるようにしかならない」と。しかしそれは苦し
い決断だった。私の立場では、つまり私の職業からして、これほどまでに大きな敗北感はなか
った。事実、それから数か月、自信をなくした私は、今の仕事をやめることまで考えた。
 が、そんな私を救ってくれたのが、もう1人の息子だった。同じころ、中学校で、学年でも1、2
位の成績を修める一方、生徒会長に立候補して、当選した。成績がよかったから……とか、生
徒会長になったから……とかいうわけではなかったが、暗い袋小路の中で、一筋の光明を見
たことは事実。
 私とワイフは夜中にこっそりとドライブに出かけ、山の中に車を止め、そこで泣いた。

●許して忘れる

 オーストラリアで学生生活を送っていたころ、私の友人は、よくこう言った。「ヒロシ、許して忘
れろ」と。英語では、「forgive & forget」という。この単語をよく見ると、「フォ・ギブ」は、「与える
ため」とも訳せる。「フォ・ゲッツ」は、「得るため」とも訳せる。
 そのとき私は、その言葉の意味がわかった。……と書くと少しおおげさに聞こえるかもしれな
いが、そのとき、大粒の涙がいく筋も、頬を伝って落ちた。
「フォ・ギブ&フォ・ゲッツ」というのは、「愛を与えるために許し、愛を得るために忘れる」と意味
になる。
 つまり「愛」ほど、実感のしにくい感情はない。しかし「いかに相手を許し、いかに相手を忘れ
るか」、その度量の深さで、愛の深さが決まる。他人の子どもなら、「はい、さようなら」で別れる
こともできる。しかし自分の子どもでは、それができない。だったら、許して忘れるしかない、と。

●ほどよい親、暖かい無視

 C雄に接する上において、私たち夫婦は、つぎの2つのことを頭に置いた。(1)ほどよい親で
あること、(2)暖かい無視を繰り返すこと。
 これはこうした子どもと接するときの、家族の鉄則。あれこれ気を使えば使うほど、また何か
をすればするほど、子ども自身を追い込んでしまう。それもそのはず。親以上に、子どものほう
が、苦しんでいる。
 が、それから3、4年にわたって、闘病生活がつづいた。一時は心療内科に通い、精神薬を
処方してもらったこともある。が、C雄には、合わなかった。副作用が強く、吐き気を催したり、
腹部の不快感を訴えたりした。また一時的に快方に向かう様子を見せたあと、その反動から
か、どっと落ち込むこともあった。
 私たち夫婦にしても、まるで腫れ物に触れるかのような接し方をしなければならなかった。表
面的には静かでも、C雄の心は、いつも緊張していた。言い方をまちがえると、C雄はそれに過
剰なまでに反応した。

●友人のZ君

 その間、C雄には、友人は1人しかいなかった。が、その1人でも、ありがたかった。名前をZ
君という。小学校からの友人で、彼が週に1、2度、C雄を訪問してくれた。C雄も、彼だけに
は、心を許していたようである。もちろん部屋の中で、彼ら2人が何をし、どんな会話をしている
かは、知らない。
 しかしZ君だけが、C雄の心の窓口となった。私はZ君には、感謝した。またZ君が訪問してく
れるよう、私たちなりに努力した。たまたまZ君の両親が、土建の仕事をしていたので、そうい
った仕事は、Z君の両親に頼んだりした。
 ただふつうの引きこもりよりは、やや症状は軽かったと思う。C雄は、ときどきはアルバイト的
な仕事はした。すし屋の小僧、デパートの玩具売り場の店員など。しかし長くはつづかなかっ
た。運も悪かった。C雄が勤める店や職場が、閉店になったり、閉鎖されたりした。
 が、ある日、突然、こんなことを言い出した。「旗振りの仕事をやってみる」と。

●旗振りの仕事
 
 旗振りの仕事というのは、道路の建設現場などで、交通整理のためなどに、旗を振る仕事を
いう。夏の暑い日だった。「何もそんなきびしい仕事でなくても……」と言ったが、C雄は、「そう
いう仕事で、自分を試してみたい」と。
 引きこもりを始めてから、3年目のことだった。
 私たちができることといえば、日焼け止めのクリームを、C雄の部屋の前に置いておくことくら
いでしかなかった。言い忘れたが、私たちはどんなことがあっても、C雄の部屋には入らないと
心に決めていた。のぞくことも、しなかった。
 C雄は自分の部屋で、心を休めていた。……というより、原因は、心の緊張感から解放され
ないこと。いつも心は、ピンと張りつめたような状態にある。言い方を変えると、一触即発の状
態。見た目の静かさにだまされてはいけない。
 ともかくも、C雄は、旗振りの仕事を始めた。長くはつづかないだろうと思っていたが、それを
6か月もつづけた。
 で、ある日のこと。C雄がどんな仕事をしているかと、私とワイフの2人で見に行こうとしたこと
がある。そのときC雄は、車で1時間ほどのところにある現場で、旗を振っていた。
 が、途中で、何かの拍子に車を止めたときのこと。ワイフがふと、こう言った。「やめましょう」
と。見ると、ワイフの頬に、涙が流れていた。

●トイレ通信

 私には3人の息子がいる。その中でもC雄だけは、子どものころから、私との相性があまりよ
くなかった。理由はいろいろある。あるが、ここに書いても意味はない。親子といっても、みなが
みな、よき関係を築けるものではない。子どもによっても、異なる。
 最初は、どこかで歯車がズレる。小さなズレかもしれないが、長い年月を経て、それが大きな
亀裂となる。断絶につながることもある。親子であるがゆえに、確執も大きくなる。他人のよう
に、間に距離を置くことができない。
 私とC雄の関係もそうだった。C雄のため……と思って口にしたことが、かえってC雄を激怒さ
せたこともある。だから、私のほうは、黙るしかない。しかしそれでも……というときがある。
 C雄ののむタバコの量がふえたと感じたときもそうだ。一度、ワイフがそれをたしなめたこと
がある。が、C雄は、「オレには、これしか楽しみがない」とか、「気分を落ち着かせるためには
タバコしかない」と言った。
 で、そういうときは、つまりC雄とのコミュニケーションがうまく取れないときは、(トイレ通信)と
いう方法を用いた。
 トイレの中にメモ用紙とペンを置いた。私の言いたいことを、それに書いた。それにC雄が返
事を書いた。
 「タバコがふえたように思うが、減らしたらどうか」「わかった」と。
 メモによる交信のため、たがいに冷静に話せる。
 で、ついでながら、私もC雄が喫煙を始める前までは、禁煙運動に参加していた。しかしC雄
が喫煙するようになってからは、それはC雄が高校3年生のときのことだったが、禁煙運動は
やめた。「自分の子どもの喫煙すら止めることができなかったのに……」と。

●一進一退

 それでC雄の症状が、快方に向かったというわけではない。全体の流れからみると、数か月
から半年単位で、症状は一進一退を繰り返した。仕事も、やったり、やらなかったりがつづい
た。
 が、その中でも、ある授産施設での仕事は、1年近く、つづいた。その会社はいくつかの部門
に分かれていて、そのひとつに、知的障害のある人たちが集まっていた。C雄は、そういう人た
ちをまとめる仕事をしていた。
 尊い仕事である。が、ある日突然、その仕事をやめると言い出した。話を聞くと、設計士の資
格を取りたい、と。設計士といっても、パソコンを使ったCADの仕事をいう。そのために専門学
校に通いたい、と。
 私は賛成したが、ワープロが使えるようになったからといって、文章が書けるようにはならな
い。同じように、設計士とCAD技術者の間には、越えがたい壁がある。しかしCADが使えるよ
うになれば、設計士になれると、C雄は信じていた。
 ともかくも私としては、反対する理由はなかった。

●重なる挫折

 運が悪かったのか、それともC雄に忍耐力がなかったのか、それはわからない。しかしC雄
のすることは、いつも裏目、裏目と出た。専門学校との教師とのトラブルもつづいた。原因の大
半は、C雄にあっただろうと思う。C雄には、相手に合わせて行動するという包容力に欠けてい
た。
 C雄は学校へ行くといっては、家を出た。しかしその足で、一日中、街をぶらついたり、映画
を見たりして過ごしていたらしい。C雄のつらい気持ちがよくわかっていた。だから私たちは、何
も言わなかった。C雄のしたいようにさせていた。
 そう、C雄は、挫折感といつも闘っていた。オーストラリアでの留学生活を頓挫したことによる
挫折感が大きかったと思う。C雄がそれを直接言ったわけではないが、私はそう感じていた。

●だらしない生活

 C雄の生活の特徴は、だらしないこと。電気はつけっぱなし、ドアはあけっぱなし、裏の木戸
の鍵も、あけっぱなし……、など。しかしこれはC雄の責任というよりは、C雄自身でもコントロ
ール不能の部分が、そうさせていると私は考えた。万事に投げやりというか、神経の向く方向
が、極端にどこかに偏(かたよ)っていた。
 こまかいことにピリピリしている半面、別のところでは、おおざっぱだった。ときに腹立たしい
こともあった。たとえば夏など、一日中、いてもいなくても、クーラーをかけっぱなしにしたりした
こともあった。
 そういう点では、このタイプの子どもと接するときは、一に忍耐、二に忍耐ということになる。
私とワイフは、その忍耐をC雄から学んだ。

●再び、授産施設で

 C雄は、ときどきどこかの会社の面接試験を受けていたようだ。ハローワークにも通ったこと
がある。が、中には辛らつな言葉を浴びせかける面接官もいたようだ。ある会社で面接を受け
たとき、その面接官は、C雄にこう言ったという。
 「お前のような人間がいるから、この日本はだめになるのだ」と。
 これは事実である。
 で、いくつか面接試験を受けたあと、以前働いたことのある授産施設での入社が、再び決ま
った。社長以下、みながC雄のことを覚えていたという。それで「お帰りなさい」ということになっ
たらしい。
 最初は迷っていたようだったが、日増しに、C雄の表情が明るくなっていくのがわかった。「オ
レも、障害者のようなものだからなあ」と。つまり「みんなの気持ちが、よくわかる」と。

●励まし

 直接的には、ほかの2人の兄弟。少しワクを広くして、高校の同級生たち。C雄にはC雄なり
に、自分を卑下していた。二男が結婚し、子どもをもうけたときも、「オレは、だめな兄」と、ふと
漏らしたことがある。
 そういう気持ちがよくわかったから、折につけ、私たちはC雄を励ました。その第一は、仕事。
 「お前のしている仕事は、そこらの銀行マンのしている仕事より、はるかに気高いものだ。障
害のある人にやさしくするというのは、銀行マンたちには逆立ちしても、できない仕事だ」と。
 私は心底、そう思っているから、そう言った。というのも、満60歳が近づいてくると、多くの同
窓生たちは、退職したり、リストラされたりして、それぞれの会社を離れ始めていた。銀行マン
になった友人も、10人前後いた。その最中はともかくも、そうして人生を半ば終わってみると、
仕事のもつ空しさというか、無意味がよくわかる。「私たちは、結局は、企業戦士としておだてら
れ、もてあそばれただけ」と。
 大切なのは、「何かをしてきた」という実感である。その実感が残る仕事を、よい仕事といい、
そうでない仕事を、そうでないという。
 
●マラソン大会

 それから何年も過ぎた。現在、C雄は、33歳。こういう大不況という時世にあっても、授産施
設というのは、保護されているらしい。今のところ、リストラの話は伝わってこない。そればかり
か、たいへん温かい職場らしい。毎月のように親睦会があり、定期的に何かの行事がある。
 今度は、専務とほかにもう1人と、市が主催するマラソン大会に出るという。10キロの距離を
1時間で走れば、新聞に名前が載るとか。そのこともあって、このところ、週に2回ほど、同じコ
ースを走っているという。
 私はその話を聞いて、あのころのC雄を思い出しながら、「これでよかった」と思っている。う
れしかった。そのときは、遅々として進まない境遇に、イライラしたこともある。「どうして私の息
子が」と、自分を恨んだこともある。C雄の将来を心配して、不安になったこともある。しかし
今、その先に、かすかだが、光を見ることができるようになった。私から見れば、まだまだ半人
前だが、C雄はけっしてそうは思っていないらしい。相変わらず生意気なことを口にして、ああ
でもない、こうでもないと言っている。

●引きこもり

 2005年3月、国会内の答弁において、南野国務大臣は、つぎのように答弁している。

『青少年の引きこもり、これは最近の青少年を取り巻く環境の変化により深刻化している問題
の一つであり、各種の調査によりますと、例えば、何が根拠で私がそう申し上げているかとい
いますのは、厚生労働省の研究班の調査によりますと、平成15年度におきまして、20歳から
49歳の引きこもりの状態にある者が約24万人に上ると推計されている。また、2番目といたし
ましては、厚生労働省の別の研究班の調査によりますと、平成14年度におきまして、引きこも
り状態である子供が存在する家庭は、世帯といいますか、これが41万世帯に上るとも推計さ
れております』(衆議院青少年問題特別委員会会議録)と。

 厚生労働省の調査によれば、20歳から49歳までの、引きこもりの状態にある青年が、24
万人〜41万人いるということだそうだ。しかし実際には、この倍の人たちがいると考えてよい。
C雄が引きこもるようになって、私も同じようなタイプの子どもを注意してみるようになった。そ
の結果だが、私の家の近辺だけでも、そういった子どもが、数名はいる。けっして、少ない数で
はない。
 家族に引きこもる人がいても、家族は、それを隠そうとする。しかも診断基準がない。心療内
科でも、うつ病と診断されるケースが多い。またうつ病に準じて、薬物が処方される。引きこも
っている青年が、100万人いると聞いても、私は、驚かない。

●原因

 引きこもりも含めて、うつ病の原因は、その子どもの乳幼児期にあると考える学者がふえて
いる。たとえば九州大学の吉田敬子氏は、母子の間の基本的信頼関係の構築に失敗すると、
子どもは、「母親から保護される価値のない、自信のない自己像」(九州大学・吉田敬子・母子
保健情報54・06年11月)を形成すると説く。さらに、心の病気、たとえば慢性的な抑うつ感、
強迫性障害、不安障害の(種)になることもあるという。それが成人してから、うつ病につながっ
ていく、と。
 C雄についても、思い当たるフシがいくつかある。結婚当初の私たちは、夫婦喧嘩ばかりして
いた。それに私は仕事第一主義で、ワイフに子育てを押しつけ、仕事ばかりしていた。ワイフ
のみならず、C雄にまで、仕事からくるストレスをぶつけていた。
 C雄にしてみれば、暗くて、憂うつな乳幼児期だったかもしれない。そしてそれが原因となっ
て、青年期の引きこもりへとつながっていった(?)。
 しかしこの問題だけは、原因さがしをしても、あまり意味はない。意味があるとすれば、C雄
がそうなったのも、私たち夫婦に責任があるということ。その責任をさておいて、C雄ばかりを
責めても意味はない。こういうケースでは、親がまず謙虚になること。子どもは、家族の代表者
にすぎない。子どもに何か問題が起きれば、それは家族の問題であり、家族全体でかかえる
問題である。そういう視点を、踏みはずしてはいけない。

●私たちの経験から

(1)まず自分を知る……だれしも、ひとつやふたつ、暗い過去を背負っている。暗い過去のな
い人など、いない。だからだれしも心の傷を負っている。傷を負っていない人などいない。大切
なことは、その傷に早く気がつくこと。まずいのは、傷があることに気がつかないまま、その傷
に振り回されること。私のばあいも、あの戦後直後という時代に生まれ、家庭教育の「カ」の字
もないような家庭環境で育った。そのため「家庭」というものを知らず、家庭のもつ(温かさ)に、
飢えていた。そしてその(飢え)が、気負いとなり、私の家庭をぎくしゃくしたものにしていた。C
雄は、その犠牲者に過ぎなかった。

(2)暖かい無視……子どもが引きこもるようになったら、暖かい無視に心がける。最近になっ
てC雄もこう言っている。「親たちが、ぼくを無視してくれたのが、いちばんよかった」と。とにかく
何も言わない。小言も言わない。生活態度がだらしなくなるから、それなりに、そのつど、言い
たいことはあった。しかしそこはがまん、またがまん。いちばん苦しんでいるのは、C雄自身で
あることを理解する。寝たいときに寝る。起きたいときに起きる。そういう生活が、2年とか3年
つづいても、無視する。暖かく無視する。

(3)ほどよい親である……やりすぎない。しかし何もしないというわけではない。子どものほう
から何かを求めてきたら、そのときはていねいに答えてやる。C雄のばあいも、一度、専門学
校への再入学を考えた。私たちは資料を集め、C雄が望むようにした。内心では、「無駄にな
るだろうな」と感じていたが、それは言わなかった。「がんばれ」とか、「しっかりやれ」とも言わ
なかった。淡々と事務的に協力し、それですました。

(4)精神薬……現在もC雄は内科で処方してくれる(軽い薬)をのんでいる。しかしこうした精神
薬の投与は、慎重であったほうがよい。副作用も強いが、それをやめたときの反作用も強い。
かえって症状が以前よりひどくなるということも、よくある。また個人差がはげしく、個人によって
効果の現れ方が大きく異なる。私自身は、時間がかかっても、当人がもつ自然治癒力を信じ
た方がよいと考えている。その点、心療内科にせよ、精神科にせよ、投薬しないと収入につな
がらないため、何らかの薬を処方したがる(ようだ)。

(5)時間……この病気だけは、(病気と言ってさしつかえないと思うが)、5年単位、10年単位
の根気が必要である。C雄のばあいも、一進一退を繰り返した。ぬか喜び、取り越し苦労は禁
物。親の方が動じない。今、その最中にある人にはつらいことかもしれないが、5年単位、10
年単位の忍耐が必要である。あせればあせるほど、一時的な効果は得られるが、かえって症
状をこじらせてしまう。説教などは、しても意味はない。本人が自分で考え、自分で行動するよ
うにしむける。なおC雄について言えば、自分からマラソン練習を始めたとき、私たちは、はじ
めてC雄が回復したと実感した。オーストラリアから帰ってきて、13年目のことである。

(6)幼児返り……回復に向かうとき、特異な現象がいくつか見られた。たとえば幼児返りもそ
のひとつ。幼児期からもう一度、自分を再現するような行動が、順に見られた。最初は幼児
期、そして小学生のころ……、と。そのころC雄がしていた遊びなどを、C雄は繰り返した。バラ
バラになっていた過去を、積み木を積み重ねるように、C雄なりのやり方で、再構築したのでは
なかったのか。が、それが終わったからといって、すぐに回復に向かったというわけではない。

(7)退屈作戦……「作戦」と呼ぶのは、C雄には失礼な言い方になるが、しかし私たち夫婦は、
こう決めた。C雄が退屈に耐えられなくなるまで、退屈にするしかない、と。しかし引きこもりを
する子どもというのは、その退屈をしない。そこでまた根競べが始まる。「ふつうの人なら耐えら
れないだろうな」と思うような生活を、平気で繰り返す。それが5年とか10年もつづく。しかしこ
こであせってはいけない。脳の機能が正常に近づいてくると、子どもは退屈を覚える。覚えたと
たん、行動を開始する。

(8)前向きに考える……引きこもりは悪いことばかりではない。引きこもる子どもは、人生を内
側からいつもしっかりと見つめている。ふつうの人にはない人生観を手にすることもある。C雄
についても、こう感じたことがある。「まったく世間と接していないはずなのに、どうしてこうまでし
っかりとした人生観をもっているのだろう」と。むしろ私の方が、いろいろ教えられたほどであ
る。

●最後に……

 どの家庭も外から見ると、何も問題がないように見える。しかし問題のない家庭など、ない。
いわんや、子どもをや。だから子どもに問題があったとしても、「どうしてうちの子だけが」とか、
そういうふうには、考えてはいけない。
 平凡は美徳だが、平凡な人生からは、何も生まれない。ドラマも生まれない。子育てもまた、
しかり。「ようし、十字架のひとつやふたつ、背負ってやる」と覚悟したときから、前に道が見え
てくる。その道を子どもといっしょに歩むつもりで、あとは前に向って進む。そこに子どもがいる
という事実だけを受け入れる。子どものよい面だけを見ながら、それを信ずる。
 そう、昔の人はこう言った。『上見てきりなし、下見て切りなし』と。C雄についていうなら、C雄
は他人に対しては、やさしすぎるほど、やさしい心をもっている。(私たち夫婦には冷たいが…
…。)健康だし、それなりの人生観ももっている。タバコは吸うが、酒は飲まない。麻薬などと
は、まったく無縁の世界にいる。が、何よりもすばらしいのは、まじめなこと。
 今でも仕事の勤務時間は不規則だが、不平不満を口にすることもなく、がんばっている。そ
の(まじめさ)にまさる価値があるだろうか。
 まだまだドラマはつづきそう。しかしそのドラマを楽しむ心を忘れたら、C雄も行く道を見失う。
私たちは、これからもC雄とともに、そのドラマを楽しみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 引き
こもり 子どもの引きこもり 引き籠り 引き篭もり NEET ニート)








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【欲望と知覚】

●お金と「知覚」

++++++++++++++++++

こんな興味深い実験がある。
子どもたちにコイン(1、5、10、25、50セント)を見せ、
それを子どもたちに、紙に描かせてみたという。
すると貧しい家庭の子どもたちは、コインを実際よりも大きく描き、
裕福な家庭の子どもたちは、実際よりも小さく描いたという。
(アメリカ・心理学者のブルーナーとグッドマンの研究、出典
「心理学のすべて」(日本実業出版社))

++++++++++++++++++

●「感覚」→「知覚」→「認知」

目から入ってきた情報は、一度、大脳後頭部にある視覚野に映し出される。
言うなれば、ここがモニター画面ということになる。
が、それだけではただの映像。
心理学の世界では、これを「感覚」と呼ぶ。

その映像の中から、意味のあるものと、そうでないものを、まずよりわける。
これを心理学の世界では、「知覚」と呼ぶ。
その知覚がどういうものであるかを知りたかったら、ぼんやりと外の景色を
ながめてみればよい。

庭が見える。
木々が見える。
畑の一部も見える。
全体の景色が意味もなく、目に飛び込んでくる。

が、その庭の中で、今動くものが見えた。
鳥だ。
野生のドバトだ。

つまりこうして私たちは、ぼんやりとした映像の中から、ハトを選び出す。
そしてそれがドバトと知る。
これが「知覚」である。

が、そこで終わるわけではない。
知覚したあと、それにさまざまな思考を加える。
たとえば私はふと我に返り、庭に餌をまいてないことを知る。
2〜3月は、野生の鳥たちにとっては、もっともきびしい時期。
昨日までは雨が降っていた。
私はドバトに餌をあげるのを忘れていた。
ドバトはどこか心配そうな顔をして、枝の上から庭を見つめている。
……とまあ、あれこれと考える。
これが「認知」ということになる。

文字で考えると、さらにわかりやすい。

たとえば今、私は自分の書いた文章を、パソコンのモニター上でながめている。
ぼんやりとながめれば、ただの線。
無数の線が、いろいろと交差している。
これが「感覚」。

その中から、私は「文字」を選び、順にそれを目で追っていく。
これが「知覚」。
が、そのままでは意味をもたない。
大脳の側頭部や頭頂部が、それを解読する。
意味のある文として理解しようとする。
これが「認知」。

●知覚は影響を受ける

そこで最初の実験。

同書(「心理学のすべて」)によれば、「貧しい家庭の子どものほうが、コインが大きく
見えるのは、お金に対する欲求が強いためと考えられます」(P43)とある。

知覚は欲求に左右される例として、同書は、ブルーナーとグッドマンによる実験をあげた。

で、同じような経験を、私もしている。

たとえば年中児(4〜5歳児)に、「お父さんとお母さんの顔を描いてごらん」と言って、
白い紙を渡す。
私が「お父さんとお母さん」と言ったにもかかわらず、半分以上の子どもたちは、
母親のほうから描き始める。
しかもたいてい母親のほうが、父親よりも大きい。
つまり子どもにとっては、それだけ母親の存在感が大きいということになる。
このばあいは、知覚が、印象に左右されたということになる。

さらにこんなこともある……。

●性欲からの解放

話はぐんと生臭くなるが、許してほしい。

私が55歳前後のときのことだった。
(正確には年齢を覚えていない。)
あとでいろいろな人に話を聞くと、それが男の更年期症候群のひとつと知った。
つまりそのころ、私は、男性と女性の区別がつかなくなってしまった。
だからある日、ふとこう思った。
「今なら、女性と混浴風呂に入っても、平気で入れるだろうな」と。
それをワイフに告げると、ワイフはこう言って笑った。
「相手がいやがるわよ」と。

それを喜んでよいのか悪いのかは、わからない。
が、そのとき生れてはじめて、私は、「性欲からの解放」を味わった。
というのも、フロイト学説を借りるまでもなく、私たち人間は、性欲の奴隷と
いっても過言ではない。
ありとあらゆる行動や心理が、心の奥底で、性欲と結びついている。

つまり感覚として得た情報を、つぎの知覚というレベルで判断するとき、
どうしても(性欲)というものが、そこに混入してくる。
たとえば同じ母親と呼ばれる人たちでも、その美貌や雰囲気、年齢やスタイルで、
おおまかな判断をくだしてしまう。
ときに色気を感ずることもあるし、反対に、「この人は私のタイプではないな」と
思ってしまうこともある。
(居直るわけではないが、健康な男性なら、みなそうだ。)

が、そのとき、つまり性欲からの解放を味わったとき、母親たちを、女性として
ではなく、それぞれを1人の人間として見ることができるようになった。
心理学的に言えば、冷静に感覚を判断し、それを知覚につなげることができる
ようになった。
(少し、大げさかな?)

ともかくも、性欲からの解放は、悪いものではない。
そのころの私は、参観に来ている母親を、女性として意識しなくなった。
子どもたちを教えながらも、好き勝手なことを言ったり、したりすることが
できるようになった。

●体制化

さらに同書(「心理学のすべて」)によれば、感覚で得た情報は、さまざまな形で、
脳の中で処理されるという。
そのひとつが、「体制化」。
つまり「感覚が得た情報の中から、自分にとって重要な意味をもつものと、
さして意味のもたないものに選択する『体制化』も行われています」(P42)
と。

このことも、子どもの世界に当てはめてみると、理解しやすい。

たとえば小学3年生くらいに、角度というものを教えてみる。
しかし大半の子どもは、最初の段階で、すでにほとんど興味を示さない。
分度器の使い方を教えても、どこ吹く風といった感じになる。
つまりこの段階では、子どもにとって、角度などという話は、どうでもよい
ことということになる。

心理学的に言えば、子ども自身が、「さして意味のもたないもの」と判断している
ということになる。

そこで私のばあい、プラスチック(下敷き)で、10〜15枚の三角形をつくり、
その三角形を見せながら、子どもたちにこう問いかける。

「この中で、一番角がツクンツクンとして、痛いところはどこかな?」と。
自分のてのひらを、その先で突き刺すしぐさをして見せる。
するととたん、子どもたちの目が輝き始める。
(痛いところ)→(角がとがっているところ)→(角)→(角度)と、頭の中で、
情報をつなげていく。
つまりそれを「自分にとって重要な情報」と位置づける。

●知覚

何気なく見ている情報だが、常に私たちは、それを脳の中で、加工している。
加工しながら、自分というものを、その中でつくりあげている。
が、それは本当に「私」によるものかというと、それは疑わしい。
冒頭にあげた実験を例にあげるまでもなく、私たちはそのつど、欲望という
エネルギーによって影響を受ける。
性欲もそのひとつだし、金銭欲もそのひとつということになる。

さてあなたも、ひとつの実験として、ここで1000万円の札束を、
紙に描いてみてはどうだろうか。
(男性であれば、女体、女性であれば、男体でもよい。)
そしてそのあと、実際の札束よりも大きく描けば、あなたは慢性的に貧困状態にある
ということになる。
そうでなければ、お金に困らない生活をしていることになる。
(男性であれば、その描いた絵で、どこにどのような不満を妻に感じているかが、
わかるかも?)

実験結果については、ブルーナとグッドマンに、責任を取ってもらう。

なお性欲からの解放について、一言。
現在私は満61歳だが、そのあと少しずつだが、再び、性差意識が呼び戻されて
きたように思う。
美しい母親を前にしたりすると、ドキッとすることが、このところよくある。
正常に戻ったというべきか、それとも再び、性の奴隷になったというべきか。
現在の私なら、たとえば混浴風呂などには、とても平然としては入れないだろう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 感覚
 知覚 認知 体制化 ブルーナー グッドマン 性の奴隷)









書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●喪失の時代

++++++++++++++++++++++++++

老齢期を「喪失の時代」ともいう。
それは主に、つぎの4つからなるという(堀井俊章著「心理学」PHP)

(1)心身の健康の喪失
(2)経済的基盤の喪失
(3)社会的役割の喪失
(4)生きがいの喪失、と。

どれも重要なものだが、これら4つの(喪失)を裏返すと、こうなる。

(1)病気との闘い
(2)貧困との闘い
(3)自己否定との闘い
(4)絶望との闘い。

が、私は、これら4つのほかに、もうひとつの項目があると考える。
これら4つだけでは、あまりにもさみしい。
だから「第五番目の項目」ということにしておく。
順に考えてみたい。

++++++++++++++++++++++++

(1)病気との闘い

私は最近、30代、40代の人と話すたびに、こう言っている。
「持病だけは、つくらないように」と。
成人病はもちろんのこと、持病というと、足腰や関節に関するものが多い。
が、30代、40代のころは、体力もそこそこにあり、こうした持病を肉体の奥に
押し隠すことができる。
しかし50代、60代になってくると、体力そのものが衰えてくる。
とたん、それまで隠れていた持病が、表に出てくる。
心の病気も同じ。
若いころは気力で、それをごまかすことができる。
しかし50代、60代になってくると、気力そのものが衰えてくる。
とたん、それまで隠れていた精神的、情緒的もろさが、表に出てくる。

(2)貧困との闘い

老後イコール、貧乏と考えてよい。
収入そのものが、極端に少なくなる。
そのため生活の規模そのものが、縮小する。
活動の範囲も、狭くなる。
加えて気力も弱くなる。
「何かをしたい」という思いがあっても、根気がつづかない。
やがてすぐ、乾いた風の中に、そのまま消えてしまう。

(3)自己否定との闘い

「あなたには、もう用はない」
「あなたは役立たず」と言われることほど、つらいことはない。
存在性そのものを否定される。
多くの人は、それを知ったとき、「私は何をしてきたのだ」という自己嫌悪感に襲われる。
が、それならまだよいほう。
中には、「あなたはまちがったことをしてきたのだ」と、教えられる人もいる。
そういう立場に立たされたとき、人は、つぎの2つのうちから、1つを選ぶ。
過去に盲目的にしがみつくか、あるいは自己否定の泥沼に入っていくか。
しかし「自己否定」というのは、まさに自分の人生の否定そのものと考えてよい。
だからほとんどの人は、過去にしがみつく。
過去の地位や名誉、学歴や業績などなど。

(4)絶望との闘い。

そこで人は、老後に向けて、生きがいを模索する。
しかし(生きがい)というのは、一朝一夕に確立できるものではない。
それまでの熟成期間が必要である。
10年とか、20年とか、そういう長い年月を経て、自分の中で熟成される。
「老後になりました。明日からボランティア活動を始めます」というわけにはいかない。
生きがいには、その人の人生そのものが集約される。
が、その(生きがい)の構築に失敗すればどうなるか。
その先に待っているのは、(絶望)ということになる。

が、老後の最大の問題は、これら4つではない。
これら4つも、つぎの問題を前にしたら、幼稚園児が解く知恵パズルのようなもの。
つまり老後の最大かつもっとも深刻な問題は、「死の受容」である。

この死の受容には、(1)他者の死(肉親、配偶者、友人の死)の受容と、(2)自分自身
の死の受容がある。
だれしも死と無縁であることはできない。
死は現実であり、いつもそこにある。
その(死)といかに闘うか。
それこそがまさに、私たちに最後に残された最大の問題ということになる。
が、この問題は、おそらく個人の力では、どうにもならない。
それにはこんな話がある。

恩師の田丸謙二先生の隣家に、以前、中村光男という、戦後の日本を代表する文芸評論家
が住んでいた。
ビキニで被爆した第五福竜丸事件をきっかけに、先頭に立って、核兵器廃絶運動を
推し進めた人物である。
その中村光男は、……というか、あの中村光男ですら、死の直前には妻の手引きで、
教会で洗礼を受けている。
雑誌の記事によると、死の一週間前のことだったという。
その話を田丸先生に話すと、先生は感慨深そうにこう言った。
「知りませんでした。……あの中村さんがねえ……」と。

死の恐怖を目前にしたとき、それと自前で闘える人というのは、いったい、どれだけいるだろう
か。
私は中村光男の話を聞いたとき、さらに自信を失った。
「私にはとても無理だ」と。

……ということもあって、60代になってさらに宗教に興味をもつようになった。
私のワイフもそうで、あちこちで話を聞いてきては、そのつど私に報告する。
しかしこれにも、段階がある。

(1)死の恐怖は克服できるものなのかという疑問。
(2)克服できないとするなら、どうすればよいのかという疑問。
(3)臨終を迎えた人は、どのように死を受容していくかという疑問。
(4)宗教で、それを克服できるかという疑問。
(5)できるとするなら、その宗教とは何かという疑問。

キューブラー・ロスの『死の受容段階論』もあるが、今の私には現実的ではない。
だれしも、(こんな書き方は失礼な言い方になるかもしれないが……)、死を目前に
すれば、いやおうなしに、死の受容に向かって進むしかない。

問題は、健康である(今)、どう(死にまつわる不条理)を克服したらよいかということ。
この問題を解決しないかぎり、真の自由を、手に入れることはできない。
それこそ老後の残り少ない時間を、死の影におびえながら、ビクビクして生きて
いかねばならない。

が、ものごとは悲観的にばかり考えてはいけない。
死という限界があるからこそ、私たちはさらに真剣に自分の人生を見つめなおすことが
できる。

「心理学」(同書)の中には、こうある。

「エリクソンは老年期を(統合対絶望)と考え、心身の老化や社会的なさまざまな喪失を
受容し、これまでの人生を振り返り、1人の人間としての自分を統合する時期と考えて
います。
エリクソンは、『自分の唯一の人生周期を、そうあらねばならなかったものとして、
またどうしても取り替えを許されないものとして、受け入れること』が必要であると述べ、
人間としての完成期を老年期におきます」(P76)と。

つまりいかに死ぬかではなく、いかに自分の人生を完成させるか、と。
老後は終わりではなく、完成の始まりと考える。
これが先に書いた、第5番目の項目ということになる。

(5)人生を完成させるための闘い、と。

老後を感じたら、テーマを広げてはいけない。
テーマをしぼる。
何をしたいか、何をすべきか、何ができるか……。
その中から、自分を選択していく。
だれしも、それまでにしてきたことがあるはず。
たとえそれが小さな芽であっても、そこに自分を集中させる。
それを育てる。
伸ばす。
ちょうど幼い子どもの中に、何かの才能を見つけたときのように。

無駄にできる時間は、ない。
一瞬一秒も、ない。
最期の最後まで。
そうあのゲオルギウは、こう言った。

ゲオルギウ……ルーマニアの作家である。
1901年生まれというから、今、生きていれば、108歳になる。
そのゲオルギウが、「二十五時」という本の中で、こう書いている。

 「どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅうえん)するとわかっ
ていても、今日、リンゴの木を植えることだ」と。

さあ、私にできるだろうか……?
4年前に、こんな原稿を書いたのを思い出した。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●夢、希望、目的

 子どもを伸ばすための、三種の神器、それが「夢、希望、そして目的」。

 それはわかるが、これは何も、子どもにかぎったことではない。おとなだって、そして老人だっ
て、そうだ。みな、そうだ。この夢、希望、目的にしがみつきながら、生きている。

 もし、この夢、希望、目的をなくしたら、人は、……。よくわからないが、私なら、生きていかれ
ないだろうと思う。

 が、中身は、それほど、重要ではない。花畑に咲く、大輪のバラが、その夢や希望や目的に
なることもある。しかしその一方で、砂漠に咲く、小さな一輪の花でも、その夢や希望や目的に
なることもある。

 大切なことは、どんなばあいでも、この夢、希望、目的を捨てないことだ。たとえ今は、消えた
ように見えるときがあっても、明日になれば、かならず、夢、希望、目的はもどってくる。

あのゲオルギウは、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(しゅう
えん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』(二十五時)という名言を残して
いる。

 ゲオルギウという人は、生涯のほとんどを、収容所ですごしたという。そのゲオルギウが、そ
う書いている。ギオルギウという人は、ものすごい人だと思う。

 以前書いた原稿の中から、いくつかを拾ってみる。


●希望論

 希望にせよ、その反対側にある絶望にせよ、おおかたのものは、虚妄である。『希望とは、
めざめている夢なり』(「断片」)と言った、アリストテレス。『絶望の虚妄なることは、ま
さに希望と相同じ』(「野草」)と言った、魯迅などがいる。

さらに端的に、『希望は、つねに私たちを欺く、ペテン師である。私のばあい、希望をな
くしたとき、はじめて幸福がおとずれた』(「格言と反省」)と言った、シャンフォールがい
る。

 このことは、子どもたちの世界を見ているとわかる。

 もう10年にもなるだろうか。「たまごっち」というわけのわからないゲームが、子ども
たちの世界で流行した。その前後に、あのポケモンブームがあり、それが最近では、遊戯
王、マジギャザというカードゲームに移り変わってきている。

 そういう世界で、子どもたちは、昔も今も、流行に流されるまま、一喜一憂している。
一度私が操作をまちがえて、あの(たまごっち)を殺して(?)しまったことがある。そ
のときその女の子(小1)は、狂ったように泣いた。「先生が、殺してしまったア!」と。
つまりその女の子は、(たまごっち)が死んだとき、絶望のどん底に落とされたことになる。

 同じように、その反対側に、希望がある。ある受験塾のパンフレットにはこうある。

 「努力は必ず、報われる。希望の星を、君自身の手でつかめ。○×進学塾」と。

 こうした世界を総じてながめていると、おとなの世界も、それほど違わないことが、よ
くわかる。希望にせよ、絶望にせよ、それはまさに虚妄の世界。それにまつわる人間たち
が、勝手につくりだした虚妄にすぎない。その虚妄にハマり、ときに希望をもったり、と
きに絶望したりする。

 ……となると、希望とは何か。絶望とは何か。もう一度、考えなおしてみる必要がある。

キリスト教には、こんな説話がある。あのノアが、大洪水に際して、神にこうたずねる。
「神よ、こうして邪悪な人々を滅ぼすくらいなら、どうして最初から、完全な人間をつ
くらなかったのか」と。それに対して、神は、こう答える。「人間に希望を与えるため」
と。

 少し話はそれるが、以前、こんなエッセー(中日新聞掲載済み)を書いたので、ここに
転載する。

++++++++++++++++++++

【子どもに善と悪を教えるとき】

●四割の善と四割の悪 

社会に四割の善があり、四割の悪があるなら、子どもの世界にも、四割の善があり、四
割の悪がある。子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさない
で、子どもの世界だけをよくしようとしても、無理。子どもがはじめて読んだカタカナが、
「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンしんちゃん」V1)。

つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をす
る者は、子どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマり
やすい。ある中学校の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生
徒を、プールの中に放り投げていた。

その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対しては
どうなのか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびし
いのか。親だってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強して
いる親は、少ない。

●善悪のハバから生まれる人間のドラマ

 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動
物たちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界にな
ってしまったら、何とつまらないことか。言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の
世界を豊かでおもしろいものにしている。無数のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書
についても、こんな説話が残っている。

 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすく
らいなら、最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。
神はこう答えている。「希望を与えるため」と。

もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希
望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。
神のような人間になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。

●子どもの世界だけの問題ではない

 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それ
がわかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世
界だけをどうこうしようとしても意味がない。

たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。問題は、そういう
環境を見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないというのなら、あなたの
仲間や、近隣の人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたはどれほどそ
れと闘っているだろうか。

私の知人の中には五〇歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校
生の娘もいる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。「君の娘が中年の男と援助交際を
していたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、こう言った。

「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。私は「相手
の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が悪い」と。
こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。それ
が問題なのだ。

●悪と戦って、はじめて善人

 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけで
もない。悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社
会を見る目は、大きく変わる。子どもの世界も変わる。(中日新聞投稿済み)

++++++++++++++++++++++

 このエッセーの中で、私は「善悪論」について考えた。その中に、「希望論」を織りまぜ
た。それはともかくも、旧約聖書の中の神は、「もし人間がすべて天使のようになってしま
ったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくしてしまう。つまり人間は悪いこと
もするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間になることもできる。それ
が希望だ」と教えている。

 となると、絶望とは、その反対の状態ということになる。キリスト教では、「堕落(だら
く)」という言葉を使って、それを説明する。もちろんこれはキリスト教の立場にそった、
希望論であり、絶望論ということになる。だからほかの世界では、また違った考え方をす
る。

冒頭に書いた、アリストテレスにせよ、魯迅にせよ、彼らは彼らの立場で、希望論や絶
望論を説いた。が、私は今のところ、どういうわけか、このキリスト教で教える説話にひ
かれる。「人間は、努力によって、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。

 もちろん私は神を知らないし、神のような人間も知らない。だからいきなり、「そういう
人間になるのが希望だ」と言われても困る。しかし何となく、この説話は正しいような気
がする。言いかえると、キリスト教でいう希望論や絶望論に立つと、ちまたの世界の希望
論や絶望論は、たしかに「虚妄」に思えてくる。つい先日も、私は生徒たち(小四)にこ
う言った。授業の前に、遊戯王のカードについて、ワイワイと騒いでいた。

 「(遊戯王の)カードなど、何枚集めても、意味ないよ。強いカードをもっていると、心
はハッピーになるかもしれないけど、それは幻想だよ。幻想にだまされてはいけないよ。
ゲームはゲームだから、それを楽しむのは悪いことではないけど、どこかでしっかりと線
を引かないと、時間をムダにすることになるよ。カードなんかより、自分の時間のほうが、
はるかに大切ものだよ。それだけは、忘れてはいけないよ」と。

 まあ、言うだけのことは言ってみた。しかしだからといって、子どもたちの趣味まで否
定するのは、正しくない。もちろん私たちおとなにしても、一方でムダなことをしながら、
心を休めたり、癒(いや)したりする。が、それはあくまでも「趣味」。決して希望ではな
い。またそれがかなわないからといって、絶望する必要もない。大切なことは、どこかで
一線を引くこと。でないと、自分を見失うことになる。時間をムダにすることになる。

●絶望と希望

 人は希望を感じたとき、前に進み、絶望したとき、そこで立ち止まる。そしてそれぞれ
のとき、人には、まったくちがう、二つの力が作用する。

 希望を感じて前に進むときは、自己を外に向って伸ばす力が働き、絶望を感じて立ち止
まるときは、自己を内に向って掘りさげる力が働く。一見、正反対の力だが、この二つが あっ
て、人は、外にも、そして内にも、ハバのある人間になることができる。

 冒頭にあげた、「子どもの受験で失敗して、落ちこんでしまった母親」について言うなら、
そういう経験をとおして、母親は、自分を掘りさげることができる。私はその母親を慰め
ながらも、別の心で、「こうして人は、無数の落胆を乗り越えながら、ハバの広い人間にな
るのだ」と思った。

 そしていつか、人は、「死」という究極の絶望を味わうときが、やってくる。必ずやって
くる。そのとき、人は、その死をどう迎えるか。つまりその迎え方は、その人がいかに多
くの落胆を経験してきたかによっても、ちがう。

 『落胆は、絶望の母』と言った、キーツの言葉の意味は、そこにある。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●孤独

 孤独は、人の心を狂わす。そういう意味では、嫉妬、性欲と並んで、人間が原罪としてもつ、
三罪と考える。これら三罪は、扱い方をまちがえると、人の心を狂わす。

 この「三悪」という概念は、私が考えた。悪というよりは、「罪」。正確には、三罪ということにな
る。ほかによい言葉が、思いつかない。

孤独という罪
嫉妬という罪
性欲という罪

 嫉妬や性欲については、何度も書いてきた。ここでは孤独について考えてみたい。

 その孤独。肉体的な孤独と、精神的な孤独がある。

 肉体的な孤独には、精神的な苦痛がともなわない。当然である。

 私も学生時代、よくヒッチハイクをしながら、旅をした。お金がなかったこともある。そういう旅
には、孤独といえば孤独だったが、さみしさは、まったくなかった。見知らぬところで、見知らぬ
人のトラックに乗せてもらい、夜は、駅の構内で寝る。そして朝とともに、パンをかじりながら、
何キロも何キロも歩く。

 私はむしろ言いようのない解放感を味わった。それが楽しかった。

 一方、都会の雑踏の中を歩いていると、人間だらけなのに、おかしな孤独感を味わうことが
ある。そう、それをはっきりと意識したのは、アメリカのリトルロック(アーカンソー州の州都)と
いう町の中を歩いていたときのことだ。

 あのあたりまで行くと、ほとんどの人は、日本がどこにあるかさえ知らない。英語といっても、
南部なまりのベラメー・イングリッシュである。あのジョン・ウェイン(映画俳優)の英語を思い浮
かべればよい。

 私はふと、こう考えた。

 「こんなところで生きていくためには、私は何をすればよいのか」「何が、できるのか」と。

 肉体労働といっても、私の体は小さい。力もない。年齢も、年齢だ。アメリカで通用する資格
など、何もない。頼れる会社も組織もない。もちろん私は、アメリカ人ではない。市民権をとると
いっても、もう、不可能。

 通りで新聞を買った。私はその中のコラムをいくつか読みながら、「こういう新聞に自分のコ
ラムを載せてもらうだけでも、20年はかかるだろうな」と思った。20年でも、短いほうかもしれ
ない。

 そう思ったとき、足元をすくわれるような孤独感を覚えた。体中が、スカスカするような孤独感
である。「この国では、私はまったく必要とされていない」と感じたとき、さらにその孤独感は大
きくなった。

 ついでだが、そのとき、私は、日本という「国」のもつありがたさが、しみじみとわかった。で、
それはそれとして、孤独は、恐怖ですらある。

 いつになったら、人は、孤独という無間地獄から解放されるのか。あるいは永遠にされない
のか。あのゲオルギウもこう書いている。

 『孤独は、この世でもっとも恐ろしい苦しみである。どんなにはげしい恐怖でも、みながいっし
ょなら耐えられるが、孤独は、死にも等しい』と。

 ゲオルギウというのは、『どんなときでも、人がなさねばならないことは、世界が明日、終焉(し
ゅうえん)するとわかっていても、今日、リンゴの木を植えることだ』(二十五時)という名言を残
している作家である。ルーマニアの作家、1910年生まれ。

+++++++++++++++++++++

●私に夢、希望、目的

 そこで最後に、では、私の夢、希望、目的は何かと改めて考えてみる。

 毎日、こうして生きていることに、夢や希望、それに目的は、あるのだろうか、と。

 私が今、一番、楽しいと思うのは、パソコンショップをのぞいては、新製品に触れること。今は
(2・18)は、HPに音やビデオを入れることに夢中になっている。(いまだに方法は、よくわから
ないが、このわからないときが、楽しい。)

 希望は、いろいろあるが、目的は、今、発行している電子マガジンを、1000号までつづける
こと。とにかく、今は、それに向って、まっすぐに進んでいる。1001号以後のことは、考えてい
ない。

 毎号、原稿を書くたびに、何か、新しい発見をする。その発見も、楽しい。「こんなこともある
のか!」と。

 しかし自分でも、それがよくわかるが、脳ミソというのは、使わないでいると、すぐ腐る。体力
と同じで、毎日鍛えていないと、すぐ、使いものにならなくなる。こうしてモノを毎日、書いている
と、それがよくわかる。

 数日も、モノを書かないでいると、とたんに、ヒラメキやサエが消える。頭の中がボンヤリとし
てくる。

 ただ脳ミソの衰えは、体力とちがって、外からはわかりにくい。そのため、みな、油断してしま
うのではないか。それに脳ミソのばあいは、ほかに客観的な基準がないから、腐っても、自分
ではそれがわからない。

 「私は正常だ」「ふつうだ」と思っている間に、どんどんと腐っていく。それがこわい。

 だからあえて希望をいえば、脳ミソよ、いつまでも若くいてくれ、ということになる。
(050218)








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●本能

+++++++++++++++++

私たち人間の行動、心理、精神作用を
ながめていると、どこからどこまでが
本能で、どこから先が本能でないか、
それがわからなくなる。

まず、本脳について、調べてみる。

+++++++++++++++++

深堀元文著「心理学のすべて」(日本実業出版社)によれば、本脳は、つぎの4つに分類
されるという。

(1)種別性(種のちがいによって、本脳の内容が異なる。)
(2)生得性(生まれながらにしてもっている。)
(3)固定制(学習性がない。)
(4)不可逆性(順序が変わると、できなくなる。)(かっこ内は、私のコメント。)

同書は、具体的に、つぎのような例をあげている。

(1)種別性(種のちがいによって、本脳の内容が異なる。)
同じヒナでも、ニワトリのヒナは水に入ることを嫌がるが、アヒルのヒナは、
水に入ることをいやがらない。このように同じ鳥の、同じヒナでも、種の
ちがいによって、本脳の内容も異なる。

(2)生得性(生まれながらにしてもっている。)
同書は、クモの巣づくりを例にあげて、説明している。
クモはだれに教わったわけでもないのに、精巧な巣を自分で作ることができる。
生まれながらにして、そういう本脳を身につけている。

(3)固定制(学習性がない。)
本能と学習はいつも対比して考えられている。人間は学習によって、自らを
進歩させることができる。
しかし本脳には、それがない。
同書は、こんな興味深い例をあげている。
たとえばカモメは、貝殻を拾うと、それを空中から落とす習性があるそうだ。
私自身は、そういう光景を見たことがないので、同書の説明に従うしかない。
で、そのとき、落とした貝殻のうち、岩場などに当たった貝殻が割れる。
そうでない、たとえば砂浜に落とした貝殻などは、割れない。
が、カモメはそれを見ながらも、拾った貝殻を、無分別に、地面に落とし
つづけるという。
もしカモメに学習能力があるなら、つぎに落とすときは、岩場をめざして
落とすはず。

(4)不可逆性(順序が変わると、できなくなる。)(かっこ内は、私のコメント。)
「産卵前のジバチは、地面に穴を掘り、アオムシを見つけると、麻酔で眠らせ、
穴に引き入れる。
その体内に産卵し、穴を埋めてしまう」
「(しかしその作業の途中で、ほかの虫などのよる)妨害を受けると、(作業を)
継続できなくなる。つまり順序を変えて行動できない」(同書P63)と。
わかりやすく説明すると、ジバチは、(穴を掘る)→(アオムシを麻酔で
眠らせる)→(アオムシの体内に産卵する)→(穴を埋める)という一連の
行動をする。
しかしその途中で、ほかの虫などの妨害が入ると、そこで作業を中断してしまい、再び、途中
から作業をすることができなくなるという。
たとえば(アオムシを麻酔で眠らせた)とき、ほかの虫の妨害が入ったとする。
するとジバチは、その虫と対峙するが、それが終わったとき、その途中から
もとの作業に戻ることができない、と。

以上の話を、「では、人間なら……」と、自分に当てはめて考えてみると、おもしろい。

(1)人間だから水の中に入るのを嫌がるとか、嫌がらないとかいうことはない。

(2)クモは、精巧な巣づくりをするというが、人間にも似たような習性がある。
これは哺乳動物一般に共通する本脳だそうだが、巣づくりをするときは、中央に自分の
巣をつくり、余計なものを周囲に積み重ねる。
イヌもネコも似たような行動をする。
人間も、モノを壁にそって周囲に置く。

(3)人間なら、貝殻の殻がどういうときに割れて、どういうときに割れないかを
観察して、そこで学習をする。
そしてつぎに貝殻を落とすときは、岩場に向けて落とす。

(4)何が本当的な作業で、また何が本能的な作業でないのか、人間自身もよくわかって
いないので、安易に「人間なら……」とは、書けない。
書けないが、作業が途中で中断しても、人間なら、つぎは、途中からまた作業を再開
するだろう。
たとえばワイフとセックスをしている最中に、電話がかかってきたようなばあいを、
考えてみればよい。
(電話の内容にもよるだろうが……。)

●本脳論

ここまで予習して、さて本脳論。
先にも書いたように、本脳と学習は、常に対比して考えられていれる。
しかし(学習)といっても、個人差がはげしい。
歳をとればとるほど、学習能力も劣ってくる。
脳は柔軟性を失い、それまでにできあがった固定観念に、より固着するようになる。
しかも人間の行動、心理、精神作用のほとんどが、実は本脳に根ざしている。
「性」を例にあげるまでもない。

これも順に考えてみよう。

(1)人間の男性は、女性の裸体を見ると、性的に興奮する。
しかしイルカの裸体を見て、興奮する人はいない。
これなどは、「種のちがい」とは、言わないのだろうか。

(2)人間は自分の住居を構えるとき、四角形、もしくは円形の住居にする。
これに対して、ハチなどは、六角形を基本とする。
これなどは、「本能」とは、言わないのだろうか。

(3)基本的には、人間は怠け者である。
「学習」にしても、そこに至る過程で、ものごとを分析しなければならない。
分析したものを、つぎに論理的に組み立てなければならない。
これがけっこう、めんどうな作業で、たいていの人は、できるならそうした
作業を避けようとする。
そのかわり、てっとり早く、だれかに方法だけを教えてもらおうとする。
子どもに例えるなら、解答用紙だけをまる写しにして、宿題をすますようなことを、
平気でする。

では、(4)の不可逆性はどうか?
ジバチは、途中で作業が妨害されると、その作業を中断してしまうという。
そしてまたイチから作業を始めるという。
要するにジバチには、脳の柔軟性がないということになる。
しかしこれも程度の差こそあれ、人間も共通して経験することである。
とくに思想の世界で、それを経験する。

たとえば私の近くに、「親は絶対」と説く人がいる。
が、何度話を聞いても、同じ話を最初から、する。
時間がないので、途中で話をやめて別れるが、つぎに会ったときも、また同じ話を
最初からする。
「この前は、ここまで話したから、今日はここから話しましょう」ということが、
できない。
あるいは「親は絶対」という話を基盤にして、「親孝行論」を説いたり、「最近の
若者は……」とか言ったりする。
そういう人は、先にあげたジバチと、どこがどうちがうのかということになる。
あるいは話が、少し脱線しているかな?
しかしこういうことは言える。

私のような年齢になると、性欲からかなり解放される。
と、同時に、性欲といったものが、どういうものか、それがわかるようになる。
そういう視点で自分の過去を振り返ってみると、逆に私の人生のほとんどが、
その性欲に支配されていたことを知る。
学生時代には、1日24時間のち、20時間以上は、女性のことを考えていた。
(性欲)、さらにはその基盤になっている(種族保存)のための本脳は、まさに本脳。
自分からそれを取り除いたら、(私)と言えるものが、ほとんど残っていないのを
知る。
タマネギの皮を順にむいていったら、最後には何も残らない……といったことが、
自分の中でも起こる。

つまり私たちは動物の本能を知ることで、「私たち人間はちがう」と思うかもしれないが、
私たち人間も、やってきることと考えていることは、そこらの虫と同じ。
ちがうと考える方が、おかしい。
脳みそにしても、「昆虫のような脳みそ」(田丸先生弁)をもった人間は、いくらでもいる。
そこで(学習)ということになる。

人間は学習によって、本脳から自分を解放させることができる。
またそれができる人を、(人間)という。
釈迦も、それを「精進」という言葉を使って、説明した。
が、その力は、弱い。
本脳のもつ力を巨大なブルドーザーにたとえるなら、(学習)がもつ力は、
スコップで穴を掘る程度の力しかない。

だから誤解がないように言っておくが、(性欲からの解放)は、けっして悪いものでは
ない。
私も50代の半ばごろ、男性の更年期症候群とやらで(?)、一時、性欲から解放された
気分を味わったことがある。
そのとき感じた軽快感というか、総快感は、いまだに忘れない。
私が(私)に、ぐんと近づいたような気分になった。

……本能、されど本能ということか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
本脳論 本脳 本脳と学習)








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●失錯行為

+++++++++++++++++

思わず本音がポロリと出る……ということは、
よくある。
口にしてはいけないと思っていると、かえって
それが口から出てきてしまうこともある。
たとえば話している相手が、かなりの肥満体で、
内心では、「肥満の話はしてはいけない」と
思っていても、ふと話題が肥満に向いてしまう、など。

こういう行為を、失錯行為という。
私も、最近、この種の失敗をよくする。
脳みその緊張感が、それだけゆるんできたという
ことか?
が、これは、老後を迎える私たちにとっては、
深刻な問題と考えてよい。

++++++++++++++++++

●緊張感の減退

子どもとこんな会話をしたことがある。

ある日、デスクの上を見ると、昨日までそこにあったビーズ玉で作った
ネックレスがない。
「?」と思いつつも、ネックレスのことは忘れた。
が、レッスンが終わって、あいさつがすんだときのこと。
A子さん(小2・女児)に、「A子さん……」と声をかけた。
私はそのとき何か別の用があって、そう声をかけた。
が、A子さんは、すかさず、こう言い返した。
「私、何ももっていっていません」と。

瞬間、何のことかわからなかったが、ネックレスをもっていったのは、
A子さんと、私はわかった。
こういうのを失錯行為という。
A子さんは、私が声をかけたとたん、思わず、そう言い返してしまった。
そのとき私は、「子どもでも、失錯行為をするんだなあ」とまあ、へんな感心をした。

……ということだが、私自身も最近、ときどきこの失錯行為を経験する。
先にも書いたように、それだけ脳みその緊張感がゆるんできたということになる。
が、こうした傾向は、加齢とともに、ますます大きくことはあっても、小さくなる
ことはない。
自己管理能力そのものが、衰退する。

たとえば講演をしているようなとき、私は同時に脳みそが2つの部分で機能して
いるのを感ずる。
ひとつは、話している内容について機能している部分。
もうひとつは、そういう自分を別のところから客観的に判断している部分。
「残りの時間は、あと15分だぞ。そろそろまとめに入れ」とか、など。

コンピュータにたとえるなら、デュアル・コアということになるのか。
2つの仕事を、脳みそが同時進行の形で、処理している。
つまりその客観的に判断している部分の昨日が衰退する。
だから「思わず……」ということが多くなる。
が、この程度ですめば、まだよいほう。
もう少し進むと、いわゆるボロが出る、ということになる。

●ボロが出る

私の中心部に、(私の人間性)があるとする、
その(私の人間性)を包むように、無数の(私)がある。
中心部にある私を(芯)とするなら、まわりの私は、(皮)ということになる。
タマネギを想像すると、わかりやすい。

たとえば教室で美しい母親を見たとする。
そういうとき、「美しい人だな」と思う。
裸で肌をこすり合わせたら、さぞかし気持ちよいだろうなと思う。
思うが、そういうふうに思っていることを、相手の母親に悟られてはならない。
つまりそういうふうに思っていることを悟られないように、自分をコントロールする。
そういう力を、自己管理能力という。
(発達心理学でいう「自己管理能力」とは、少し意味がちがうかもしれない。)

その自己管理能力の元になっている力が、「気力」ということになる。
私はさも聖人であかのようなフリをして、「そういうことには興味はありません」
というような様子をしてみせる。

そういうふうに自分を隠す部分が、先に書いた、タマネギの皮の部分ということになる。
このタマネギの皮の部分ばかりが肥大化すると、仮面、つまりペルソナということに
なるが、そこまで深刻な問題ではない。
だれしも、その程度の(皮)はかぶる。
タクシーの運転手が、客に愛想がよいのも、店の若い女性が、ていねいな言い方を
するのも、多かれ少なかれ、この(皮)による。
わかりやすく言えば、「営業用の顔」。

しかし加齢とともに、その(皮)が薄くなる。
薄くなって、ボロが出る。
もしそれがわからなければ、老人ホームにいる老人たちを見ればよい。
彼らの多くは、自分をむき出しにして生きている。

●奥の人間性

だれしもタマネギの芯のような部分をもっている。
それはそれとして、その(芯)がよいものであれば、それでよし。
そうでなければ、かなり警戒したほうがよい。
加齢とともに、その(芯)が、だれの目にもわかるようになる。

たとえばこの私は、芯となる素性が、あまりよくない。
自分でもそれがよくわかっている。
よく誤解されるが、(芯)は、人間性の問題。
生き様の問題。
経歴や学歴では決まらない。
頭のよさとも関係ない。
しかも長い年月をかけて、自分の中で熟成されるもの。

善人ぶることは簡単なこと。
それらしい顔をして、それらしい話をして、それらしく行動すればよい。
政治家の中には、この種の人間は、いくらでもいる。
しかし一度自分の中にしみついた(悪)を、自分から取り除くのは、
容易なことではない。

ほとんどのばあい、一生、残る。
死ぬまで残る。

それはちょうど健康論に似ている。
若いころは持病があっても、体力でそれをごまかすことができる。
しかしその体力が弱くなってくると、持病がドンと前に出てくる。

●では、どうするか?

若いころから、しかしできれば幼児期から、自分の人間性を磨くしかない。
「幼児期から?」と思う人もいるかもしれないが、幼児を見れば、すでに
その幼児の中に、どんな(芯)ができているかがわかる。

もちろんその(芯)を作るのは親ということになる。
とくに母親から受ける影響が大きい。
母親が正直で、まじめな人だと、子どもも、正直で、まじめになる。
しかもこうした連鎖は、教えずして、子どもに伝わる。

たとえば車の運転中に携帯電話がかかってきたとする。
そういうとき賢い母親は、そばにいる子どもに、代わりに電話に出させる。
「あなた、電話に出て。ママは運転中だから」と。
しかしそうでない母親は、そうでない。
子どものいる前でも、平気でルールを破る。
何気なく、破る。
携帯電話を片手に、平気で運転をつづける。
そういう姿を見て、子どもは、自分の中に(芯)を作っていく。

もう、答はおわかりかと思う。

私たちの中にある(芯)、つまり人間性は、日々の研鑽のみによって、作られる。
一瞬一瞬の行為が積み重なって、その人の人間性を作る。
といっても、これは難しいことではない。

約束を守る。
ウソをつかない。
この2つだけを積み重ねていく。
どんなばあいにも、子どもがいても、いなくても、それを守る。
こうした努力が、10年、20年……とつづいて、芯をつくる。
またそういうよい芯がしっかりしていれば、老後になっても、何も恐れる必要はない。

が、いくつかのコツがある。

私も努めてそうしているが、40歳を過ぎたら、つきあう人をどんどんと選択する。
とくに小ズルイ人は、避けたほうがよい。
もちろん悪人とはつきあわない。
そういう人と接していると、こちらの人間性までゆがんでくる。
若いときならまだしも、そういう人たちと交際して、無駄にできる時間は、もうない。
小ズルイ人とつきあっていると、そのつど、自分の人間性が逆戻りしていくのが
わかる。
とくに私のように、もともと素性がよくない人間はそうである。

で、あとは自然体。
なりゆきに任す
『類は友を呼ぶ』の格言どおり、あなたのまわりには、そういう人たちが集まってくる。
そうでない人は、あなたから遠ざかっていく。
人間性を磨くとは、そういうことをいう。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 失錯
失錯行為 ボロ 人間性)








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●無意識下のウソ

++++++++++++++++++

ウソにもいろいろある。
その中でも本心から、ウソをつくときがある。
「本心から」というのも、おかしな言い方に
聞こえるかもしれない。
しかし自ら本心を偽りながら、ウソをつく。
もちろんウソという認識はない。
本人は、自分の心を作り変えることで、
ウソをウソと思わなくなる。

++++++++++++++++++

●子ども二態

こんな現象がある。
これはあくまでも一般論だが、どこかの試験会場のようなところで試験を受けて
きたような子どもに、こう聞く。
「どう、できた?」と。

そのとき、「うん、まあまあできたよ」と言う子どもは、たいてい結果がよくない。
「むずかしかった」「できなかった」と言う子どもは、たいてい結果がよい。

理由がある。

試験を受けてみて、むずかしい点がわかる、できなかったところがわかる、というのは
それだけ試験の内容が理解できたことを意味する。

むずかしかったところや、できなかったところを、集中的に気にする。
だから「できなかった」と言う。
一方、それすらもわからない子どもは、つまり自分ができなかったことすらわからない
そこで子どもは、「まあまあ、できた」と言う。
自分ができたところだけを過大に評価する。

ともにウソを言っているわけではない。
自分でそう思い込んでいるから、そう言う。


Hiroshi Hayashi++++++++FEB. 09++++++++++++はやし浩司

【本心論】

●認知的不協和理論

さて、本心論。
心理学の世界に、「認知的不協和理論」という理論がある。
アメリカの心理学者のフェスティンガーの発表した理論である。
人は自分の中に矛盾を感じたとき、どちらか一方を否定し、どちらか一方を合理化
することによって、その矛盾を解消しようとする。
その中間状態、つまり中途半端な状態にあるとき、人間の心理はたいへん不安定に
なる。
こうした不安定な状態は、『フリップ・フロップ理論』という理論で、説明される。

箱でもどちらか一方に倒れているときは、安定する。
しかし角で立てるなど、中途半端な状態だと、フラフラして落ち着かない。
「フリップ・フロップ」というのは、「フラフラしている」という意味である。
人間の心理もまた、同じ。
どちらかに心を決めてしまえば、落ち着く。
しかし中途半端だと、ずっと不安定なまま。
よくある例は、無神論の人が、有神論になるとき。
あるいは有神論の人が、無神論になるとき。
人間の心は、きわめて不安定になることが知られている。

が、このようにわかりやすいケースのほうが、少ない。
認知的不協和理論を説明するとき、心理学のテキストによく登場するのが、喫煙。
「タバコを吸うのは、体に悪い」、しかし「タバコを吸わざるをえない」と。
こういうばあい、その人は、(吸ってはだめ)(吸いたい)という矛盾の世界で、
葛藤する。
が、タバコを吸うのをやめることはできない。
そこでタバコを吸っていても元気な、80歳や90歳の人がいることを理由に、
自分を合理化しようとする。
「タバコを吸っていても、元気な人はいくらでもいる」と。

子どもの世界でもで、認知的不協和の状態は、よく観察される。
たとえばこんな例がある。

A君(中3)は、3日後に、大きなテストを控えている。
そんなとき、仲のよい友人が、遊びに来た。
A君は、テスト勉強をしなければならない。
しかし友人と遊んでいると楽しい。
こういうとき、A君は心理は、認知的不協和状態になる。

が、その状態を長く保つのは、むずかしい。
そこでA君は、テスト勉強があるから、友人に帰ってもらうか、
さもなければ、「テストはだいじょうぶ」と自分に言い聞かせることで、
友人と遊びつづけるかの、選択に迫られる。

で、A君は、後者のほうを選択した。
「今度のテストは簡単なものだ」という、別の友人の言葉を何度も頭の中で
繰り返すことで、自分を安心させた。

●深刻な例

B氏(40歳・男性)は学生時代から、無神論者だった。
無神論にもいろいろな程度があるが、B氏のばあいは、完全な無心論者だった。
しかし妻のほうは、そうではなかった。
どこかにそういう下地があったのだろう。
妻の家族はみな、急進的な宗教団体として知られているX教団の信者だった。
ある日突然、(本当はそれ以前から、夫に隠れて信仰していたのだが)、
X教団に入信してしまった。

X教団では、離婚することを強く戒めていたが、B氏は、そこで大きな選択を
迫られることになった。
B氏自身も入信するか、さもなければ、離婚か、と。
先にあげたフリップ・フロップ理論を借りるまでもなく、B氏の心理状態は、きわめて
不安定になった。
不安定ということは、心の緊張状態が取れないことをいう。
人間の心理は、緊張状態の程度にもよるが、それほど長くは、その緊張状態に
耐えられない。

結果、A氏はこう考えた。

「私の妻は、20年近く、私のためにがまんしてくれた。
つぎの20年は、私が妻のためにがまんする番だ」と。
B氏も、つづいてX教団に入信した。

●合理化

認知的不協和理論を考えていくと、何が本心で、何が本心でないかが、
よくわからなくなってくる。
本心と思っている(心)にしても、そのときの状況や雰囲気、環境によって、
自らがそう思い込んでいるだけというケースも少なくない。

心理学でいう(合理化)も、そのひとつということになる。

たとえば買ったばかりの宝くじの券を、どこかで落としてしまったとする。
そういうときその人は、「どうせあのクジははずれ券」と、自分をなぐさめる。
なぐさめることによって、損をしたという思いを打ち消す。

こうした心理操作は、私たちは日常の生活の中で、連続的にしている。
連続的にしながら、自分の本心(?)を作り上げていく。

子どもの世界でも、よくある。

先日も、C子さん(小6・女児)が、「私はおとなになったら、弁護士になる」と言った。
そこで私が、「本当になりたいの?」と何度も念を押したのだが、C子さんは、その
つど、しっかりと、「そうです」と答えた。

私「本心から、そう思っているの?」
C「もちろん」
私「でもどうして弁護士なの?」
C「弱い人の味方になりたいから」
私「じゃあ、どうやって、弱い人の味方になるの?」
C「……それは、わからない」と。

C子さんは、「弁護士になる」ということを口にしながら、家で、自分の立場を確保していた。
それを口癖にすれば、家で、わがままを通すことができた。
家事も手伝わないですんだ。

つまり「わがままを言いたい」「家事を手伝いたくない」という思いが別にあって、
C子さんは、「弁護士」という言葉を使うことを選んだ。
「弁護士になるために勉強する」と言えば、すべての手伝いや家事から解放された。
ほしいものは、何でも買ってもらえた。

●タバコ

こんな例もある。

Dさん夫婦は、Y教という、あるカルト教団の熱心な信者だった。
Y教というのは、手かざしで病気を治すという話で、よく知られている教団である。
が、10歳になった息子が、ある日、病気になってしまった。
どんな病気だったかは知らないが、Dさん夫婦は、病院へは連れていかなかった。
そのかわり、Y教の支部へ連れていった。
手かざしで息子の病気を治そうとした。
が、残念なことに、手かざしで治るような病気ではなかった。
息子はそれからしばらくして、死んでしまった。

ふつうならDさん夫婦は、Y教のインチキに気づき、Y教から離れる。
が、離れなかった。
離れられなかった。
かえってDさん夫婦は、さらに熱心な信者になってしまった。
しかし、これも認知的不協和理論を当てはめて考えてみると、理解できる。

もしY教がインチキだとするなら、息子を殺したのは、Dさん夫婦と自身いうことに
なってしまう。
そのとき病院へ連れていけば、治ったような病気である。
あとでそれがわかったが、Dさん夫婦がおかしな宗教を信じたために、息子は死んでしまった。
が、この事実を受け入れるのは、Dさん夫婦には、たいへんむずかしい。
そこでDさん夫婦は、より熱心な信者になることによって、その罪の意識から
逃れようとした。
「息子が死んだのは、私たちの信仰が足りなかったから」と。

●本心論

さて、本心論。
しかしこの「本心」ほど、アテにならないものはない。
卑近な例で考えてみよう。
私のワイフは、「お前は、ぼくのような男と結婚して、後悔していないか?」と
聞く。
するとかならず、「後悔していない」と答える。
そこで私が、「それはお前の本心ではないと思う」と言うと、「本心よ」と答える。
しかしこういう本心(?)は、まず、疑ってかかってみたほうがよい。

ワイフはワイフで、いろいろな場面で、認知的不協和状態になり、それを打開する
ために、私との関係を合理化してきた。
若いころの私は、男尊女卑的な思想をかなり強くもっていた。
仕事ばかりしていて、家庭を顧みなかった。
ワイフはそのつど、私との結婚に、疑問をもったにちがいない。
それをワイフは、心のどこかで感じていた(?)。
そのつど、自分を合理化することで、矛盾を別の心の中で、押しつぶしてきた(?)。

その結果が(今)であり、(ワイフの本心?)ということになる。
だからこの段階で、「後悔している」と認めることは、結婚生活そのものの否定につながる。
離婚程度で解決するような問題ではない。
その苦しさに耐えるくらいなら、自分の心をごまかしてでも、合理化したほうが得(?)。
だから「本心よ」と答える。

……と考えていくと、本心とは何か、ますますわからなくなってくる。
しかもこの本心というのは、他人によって作られるものではなく、自分によって
作られるもの。
だからよけいに、タチが悪い。
わけがわからなくなる。

実のところ私の中にも、本心と言ってよいものが、無数にある。
しかしその中でも、本当に、これが本心と言えるものは、ひょっとしたら、
ほとんどないのではないか。
「本心」というものは、そういうもの。
つまりずいぶんといいかげんなもの。
本心論を考えていると、そういう結論になってしまう。
さて、あなたはどうか?

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
本心論 認知的不協和理論 フェスティンガー 合理化 正当化 自己正当化)








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●Albert Einsteinの言葉

Here are some words, written or spoken by Albert Einstein, which teaches us a lot.

+++++++++++++++++

Einstein(アインシュタイン)の

言葉を集めてみた。

どれもよく知られた言葉である。

(出典:YOU TUBE)

+++++++++++++++++

●A perfection of means and confusion of aims, seems to be our main problem.

方法の完ぺきさと、目的の混乱、この2つが、私たちの主な問題に見える。(手段の完ぺきさを
求め、一方で、目的が混乱する。この2つが主な問題である。)(目的がわからないまま、方法
論ばかり説いているから、問題なのだ。)

●A person who never made a mistake never tried anything new.

まちがいを犯したことのない者は、新しいことに挑戦したことのない者だ。(挑戦する者は、まち
がいを犯すことを恐れるな。)

●Everything should be made as simple as possible, but not simpler.

すべてのものは、できるだけシンプルに作られるべきだ。しかしよりシンプルであってはいけな
い。(ものは、シンプルでなくてはいけないが、手抜きであってはいけない。)

●I have no special talent. I am only passionately curious.

私には特別の才能はない。ただ私は、情熱的に好奇心が旺盛なだけだ。(みなは、私のことを
天才と言うが、私は、ただ好奇心が旺盛なだけだ。)

●Imagination is more important than knowledge.

空想は、知識より重要である。(知識だけにしばられていると、新しい発見はできない。)

●Insanity: doing the same thing over and over again and expecting different results.

異常な人……それはちがった結果を期待しながら、同じことを何度も何度も繰りかえす人だ。
(何かあるだろうと、同じことを繰りかえしても、意味がない。)

●It’s not that I’m so smart, it’s just that I stay with problems longer.

それは私が頭がよいからではなく、ただ私は問題と、人より、より長く取り組むからにほかなら
ない。(みなは、私のことを天才と言うが、私はただ、みなより、より長く、ひとつの問題に取り
組んでいるだけだ。)

●Keep on sowing your seed, for you never know which will grow-perhaps it all will.

種を蒔きつづけよ。なぜならあなたはどれが育つかわからないからだ。しかし実際には、すべ
て育つだろう。(種は、どんどんと蒔いていけ。どれが育つかはわからないが、実際には、み
な、育つ。)

●Love is a better teacher than duty.

愛は、義務より、よい教師である。(教育者は、義務を子どもに押しつけるのではなく、愛をもっ
てせよ。)(「〜〜しなさい」式の教育よりも、愛情をもって子どもに接することのほうが、重要で
ある。)

●No problem can be solved from the same level of consciousness that created it.

どんな問題も、それが創られたのと同じレベルの意識では、解くことはできない。(問題を解こう
とするなら、それが創られたレベルを越えなければならない。)

●Once we accept our limits, we go beyond them.

限界を認めれば、私たちはその向こうへ行く。(限界を認めることが、先へ進む方法である。)

●Only two things are infinite, the universe and human stupidity, and I am not sure about 
the former.

無限のものは、2つだけ。宇宙と人間の愚かさ。私は前者については、確かではない。(無限
につづくものに、2つある。宇宙と人間の愚かさだ。人間の愚かさは、無限につづくが、宇宙に
ついては、私はよくわからない。)

●The important thing is not to stop questioning.

重要なことは、問うことをやめないこと。(重要なことは、問いつづけること。)

●There are two ways to live: you can live as if nothing is a miracle; you can live as if 
everything is a miracle.

2つの生き方がある。奇跡などまったくないかのように生きること。もうひとつは、すべてのもの
が奇跡であるかのように生きること。(奇跡など、どこにもないと思って生きる生き方がある。す
べてのものが奇跡であると思って生きる生き方もある。)

●Try not to become a man of success, but rather try to be a man of value.

成功者になろうとするな。価値のある人になろうとせよ。(成功することを考えるな。価値のある
人間になることを考えろ。)

+++++++++++++++++++++

先にも書いたが、どれも、よく知られた言葉である。

私のHPでも、何度か、とりあげたことがある。

●A perfection of means and confusion of aims, seems to be our main problem.

方法の完ぺきさと、目的の混乱、この2つが、私たちの主な問題に見える。(手段の完ぺきさを
求め、一方で、目的が混乱する。この2つが主な問題である。)(目的がわからないまま、方法
論ばかり説いているから、問題なのだ。)

科学者がよく陥るジレンマ。

それがこれである。

「何を研究しているかわからないまま、方法論ばかりを議論する」。

こんなことがあった。

文科省に、理科予算を決定する部課がある。

毎年、数百億円の研究助成金は、そこから配分される。

研究機関などからの申告をもとに、どの分野のどの研究者に、どれだけの予算をつけるかを、
決定する。

が、実際に決定するのは、文科省から委託を受けた、評議員たちである。

評議員たちが、研究目的や意義などを検討して、助成金の金額を決める。

が、実際には、おおざっぱに言えば、東大が、全体の2分の1。

残りの2分の1を、京大(=全体の4分の1)。

残りの4分の1を、全国の大学で、分けあっている。

その評議員の1人が、こんな話をしてくれた。

「中には、こんな研究をして何になるのかと、首をかしげるようなものも、ありますよ」と。

その評議員は、一例として、『南中国における民族打楽器の研究』(改変)というのをあげた。

つまり「それがわかったところで、それがどうなの?」と。

アインシュタインがそういうことを考えながら、この言葉を書いたのかどうかは知らない。

しかし、「研究」にも、いろいろある。

人類全体に役立つ研究もあれば、そうでない研究もある。

一般論として、最近の研究者たちは、細部の、そのまた細部をほじくり返すことによって、その
道の専門家になろうとする。

ほかにライバルがいない状態をつくりながら、専門家としての地位を守ろうとする。

しかしこれでは、(目的)を見失う。

つまりそういう研究には、意味がない。

まず遠大な目的をもつ。

その目的に向かって進む。

方法論などというものは、あとからついてくる。

それが真の研究ということになる。

アインシュタインは、たぶん、それが言いたかったのではないかと思う。

++++++++++++++++++++

●A person who never made a mistake never tried anything new.

まちがいを犯したことのない者は、新しいことに挑戦したことのない者だ。(挑戦する者は、まち
がいを犯すことを恐れるな。)

小さな世界に閉じこもって、無難な人生を送ることほど、楽なことはない。

何かをしているようで、結局は、何もしていない。

そんな人生である。

先日も、こんなことを言う人に出会った。

私にこう言った。

「林君、老後になったらね、生活をコンパクトにすることだよ」と。

しかし、どうして?

どうしてコンパクトにしなければならないのか?

その人が言うには、蓄(たくわ)えと、年金だけで生活できる態勢をつくり、こぢんまりとした生活
を旨(むね)とすべき、と。

そのときがくれば、そのとき。

しかしそれまでは、年齢など忘れて生きていきたい。

アインシュタインのこの言葉を読んだとき、私は、そう考えた。

++++++++++++++++++++++++++

●Everything should be made as simple as possible, but not simpler.

すべてのものは、できるだけシンプルに作られるべきだ。しかしよりシンプルであってはいけな
い。(ものは、シンプルでなくてはいけないが、手抜きであってはいけない。)

「シンプル」という言葉を使って、アインシュタインが何を言おうとしたのか、私にはよくわからな
い。

ふつう「simple(シンプル)」というときは、「単純、明快、簡素な」という意味である。

アインシュタインは、「made(作られる)」という言葉を使ったが、(モノ)にこだわる必要はな
い。

たとえば、あの有名な(E=mc2)という公式にしても、シンプルすぎるほど、シンプル。

この公式、つまり4元運動量の公式が、世界の物理学を変えてしまった!

アインシュタインがいう、「シンプル」というのは、そういう意味か?

+++++++++++++++++++++++

●I have no special talent. I am only passionately curious.

私には特別の才能はない。ただ私は、情熱的に好奇心が旺盛なだけだ。(みなは、私のことを
天才と言うが、私は、ただ好奇心が旺盛なだけだ。)

アインシュタインについて、ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

「非常に面倒くさがりであったとされる。洗濯用石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭い、灰皿に食事
を盛りつけるという行動もあったといわれている。 


最初の妻だったミレーバとの間に息子が二人。長男のハンスは、カリフォルニア大学バークレ
ー校で流体力学関係の教授を勤めた。二男のエドゥアルトは、医学生時代に統合失調症を発
し、生涯回復せず、精神病院で亡くなった。後年公開された資料では、ミレーバとの破局は、ア
インシュタインの家庭内暴力が一因であり、病気を患った息子に対しても、非常に冷淡な態度
を取り続けたことが公表されている。 


ミレーバへの離婚の条件はノーベル賞を取って賞金をあげるというもので、2年後に本当に受
賞し賞金をあげたとされている」と。

こうした人物像を読むかぎり、アインシュタインが、特別の人であったという雰囲気はない。

アインシュタイン自身も、自分は、ごくふつうの人間と考えていたようである。

++++++++++++++++++++

●Imagination is more important than knowledge.

空想は、知識より重要である。(知識だけにしばられていると、新しい発見はできない。)

自分のもっている知識だけを、絶対と思ってはいけない。

ときとして、自分の知識は、自分自身をしばってしまう。

自分をして、そのワクの中でしか、考えられなくしてしまう。

だから何らかの方法で、その(ワク)から、飛び出してみる必要がある。

アインシュタインは、そのひとつとして、(空想)をあげた。

別のところで、アインシュタインは、「常識ほどアテにならないものはない」というような

ことを言っている。

つねに私たちがもつ常識を疑ってみる。

とくに私たち日本人は、「型」にこだわりやすい。

「形」でもよい。

その代表的な例が、冠婚葬祭ということになるが、これについては、たびたび書いて

きたので、ここでは省略する。

つまり私たちがもっている常識ほど、私たちの進歩の障害となるものはない。

+++++++++++++++++

●Insanity: doing the same thing over and over again and expecting different results.

異常な人……それはちがった結果を期待しながら、同じことを何度も何度も繰りかえす人だ。
(何かあるだろうと、同じことを繰りかえしても、意味がない。)

これを読んで、「今の私がそうかもしれない」と思った。

毎日、私は、「この先にきっと何かがあるだろう」と思って、同じことを繰りかえしている。

しかしその日が終わると、いつもこう思う。

「今日も、何もなかった……」と。

あとは、この繰りかえし。

私は、「異常な人(Insanity)」なのかもしれない?

++++++++++++++++++++

●It’s not that I’m so smart, it’s just that I stay with problems longer.

それは私が頭がよいからではなく、ただ私は問題と、人より、より長く取り組むからにほかなら
ない。(みなは、私のことを天才と言うが、私はただ、みなより、より長く、ひとつの問題に取り
組んでいるだけだ。)

日本でも、『継続は力なり』という。

継続するところに、意味がある。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●Keep on sowing your seed, for you never know which will grow-perhaps it all will.

種を蒔きつづけよ。なぜならあなたはどれが育つかわからないからだ。しかし実際には、すべ
て育つだろう。(種は、どんどんと蒔いていけ。どれが育つかはわからないが、実際には、み
な、育つ。)

「種を蒔く」ということと関係があるのかないのかは知らないが、無私、無欲で、他人のために
何かをしてやることの尊さを、このところ、よく実感する。

あのマザーテレサもこう書いている。

I have found the paradox that if I love until it hurts, then there is no hurt, but only more 
love.(私はこんなパラドックスを発見した。それが心を痛めるまで(人を)愛すると、痛みは消
え、さらなる愛を感ずる)」と。

「痛めつけられても、痛めつけられても、人を愛しつづけていると、その痛みは消え、さらなる愛
を手にすることができる」と。

アインシュタインの言葉と、少し本旨がズレているように思うが、「種を蒔く」ことの重要さを疑う
人は、いない。

++++++++++++++++++++

●Love is a better teacher than duty.

愛は、義務より、よい教師である。(教育者は、義務を子どもに押しつけるのではなく、愛をもっ
てせよ。)(「〜〜しなさい」式の教育よりも、愛情をもって子どもに接することのほうが、重要で
ある。)

アインシュタインという人は、子ども時代、かなり(ひどい?)教育を受けたのではないかと思
う。

ほかにも、それを思わせるような言葉を、いくつか残している。

それはともかくも、アインシュタインは、心のどこかで、いつも既存の教育に反発していたのか
もしれない。

一説によれば、アインシュタインは、アスペルガー、もしくは学習障害児であったかもしれないと
いう(ウィキペディア百科事典)。

当時は、そうした子どもに対する理解も知識もない時代だったから、その分だけ、アインシュタ
インは、つらい子ども時代を送ったのかもしれない。

+++++++++++++++++++

●No problem can be solved from the same level of consciousness that created it.

どんな問題も、それが創られたのと同じレベルの意識では、解くことはできない。(問題を解こう
とするなら、それが創られたレベルを越えなければならない。)

私は、よく、「利口な人からは、バカな人がよくわかる。しかしバカな人からは、利口な人がわか
らない」と書く。

あるいは、「賢い人からは、愚かな人がよくわかる。しかし愚かな人からは、賢い人がわからな
い」でもよい。

だからといって、私が利口だとか、賢いと言っているのではない。

利口とバカ、賢さと愚かさは、あくまでも相対的なものにすぎない。

そのため、つねに私たちは、より利口になり、より賢くならねばならない。

立ち止まるのも、よくない。

立ち止まったとたん、その人は、後退する。

後退するのみならず、相手のレベルにまで、落ちてしまう。

きっとあるとき、アインシュタインも、ある人から、何かの問題を提起されたのだろう。

そのときアインシュタインも、こんなふうに考えたにちがいない。

「その問題を解くためには、その人の意識のレベルを超えなければならない」と。

つまりその人と、同じレベルでは、その人がその問題を解けないように、私も、解けない、と。

ところで最近、私の身近でも、こんな事件が起きた。

ある女性(70歳くらい)が、私に、長々と説教をした。

「年上」というだけで、偉そうな顔をする人は、この日本には、ゴマンといる。

低俗な論理に、低俗な人生観。

まさに低俗のかたまりのような内容だった。

もっと言えば、演歌の歌詞を集めたような説教だった。

そこで私は、こう言った。

「私は、あなたが思っているほど、バカではないと思いますが……」と。

するとその女性は、突然、声を荒げてこう叫んだ。

「私だって、バカではない!」と。

本物のバカというのは、そういう人のことを言う。(失礼!)

++++++++++++++++++++++++

●Once we accept our limits, we go beyond them.

限界を認めれば、私たちはその向こうへ行く。(限界を認めることが、先へ進む方法である。)

限界を認めることの恐ろしさ……。

それを私も、このところ毎日のように実感している。

敗北感などという生やさしいものではない。

限界を認めるということは、多くのばあい、自己否定につながる。

「今までの私は何だったのか?」と思うことほど、恐ろしいものは、ない。

そこで人は、2つのうち、どちらかを選択するように迫られる。

そのまま最後の最後まで、「私は私」と、つき進むか。

それとも限界を認めて、とことん自己否定を繰りかえして、その向こうに出るか。

前者は、むしろ楽な道ということになる。

それまでの自分を、そのまま踏襲すればよい。

しかし後者は、並大抵の人間では、できない。

ほとんどの人は、その前で、震えあがってしまう。

+++++++++++++++++++++

●Only two things are infinite, the universe and human stupidity, and I am not sure about 
the former.

無限のものは、2つだけ。宇宙と人間の愚かさ。私は前者については、確かではない。(無限
につづくものに、2つある。宇宙と人間の愚かさだ。人間の愚かさは、無限につづくが、宇宙に
ついては、私はよくわからない。)

大きなニュースサイトでも、このところBLOGへの書き込みが自由にできるようになっている。

昨日も、Y・ニュースの下の方に、こんな書き込みがあった。

米朝会談についての書き込みだが、いくつかを拾ってみる(要約)。

「どうしてアメ公が、極東アジアで、のさばっているのか。アジアの問題に、アメ公が、口を出す
な」

「K国など、日本の航空戦力だけで、こなごなに粉砕できる。さっさとやってしまえ」

「ただちに海上封鎖して、K国を兵粮攻めにしろ」と。

ほかにもいくつかあった。

が、このレベル!

愚かさと闘うための、ゆいいつの方法は、(思考する)こと。

しかし思考することには、いつもある種の苦痛がともなう。

難解な数学の問題を前にしたときのような苦痛である。

しかしその苦痛を乗り越えないかぎり、自分の愚かさと闘うことはできない。

言いかえると、愚かな人というのは、いつも安易な道を選んで歩いている人ということになる。

で、アインシュタインの言葉。

この先、永遠に、愚かな人は、なくならないだろう。

+++++++++++++++++++++++

●The important thing is not to stop questioning.

重要なことは、問うことをやめないこと。(重要なことは、問いつづけること。)

アインシュタインの言葉の中でも、とくによく知られた言葉である。

「問いつづけること」と。

生きるための究極の目標は、真・善・美の追求に、集約される。

もちろんほかにもあるだろうが、わかりやすく言えば、この3つ。

真実の追求、絶対的善の追求、そして究極の美の追求ということになる。

学者や研究者は、真を追求し、哲学者や宗教家は、善と追求し、芸術家は、美を追求する。

が、生涯において、どの分野においてもそれができない、あるいはそれができなかったという
のであれば、私やあなたは、「ただの人(das Mann)」(ハイデッガー)、あるいは「ただの人だっ
た」ということになる。

ハイデッガーは、軽蔑の念をこめて、「ただの人」という言葉を使った。

では、どうするか?

「ただの人」にならないためには、どうするか?

答は、アインシュタインが教えてくれた。

つまり「問いつづけること」と。

+++++++++++++++++++++++

●There are two ways to live: you can live as if nothing is a miracle; you can live as if 
everything is a miracle.

2つの生き方がある。奇跡などまったくないかのように生きること。もうひとつは、すべてのもの
が奇跡であるかのように生きること。(奇跡など、どこにもないと思って生きる生き方がある。す
べてのものが奇跡であると思って生きる生き方もある。)

ものが見える。

音が聞こえる。

歩ける。

話せる。

仕事ができる。

そこに妻がいて、家族がいる。

健康だ。

食事がおいしい……。

すべてが奇跡である。

アインシュタインは2つの生き方を対比させながら、当然、「すべてのものが奇跡である」という
生き方を選択している。

私も、まったく、同感である。

+++++++++++++++++++++

●Try not to become a man of success, but rather try to be a man of value.

成功者になろうとするな。価値のある人になろうとせよ。(成功することを考えるな。価値のある
人間になることを考えろ。)

日本では、子どもに向かって、「偉い人になれ」と教える親は、今でも、少なくない。

日本では、地位や肩書きのある人、さらには金持ちの人を、「偉い人」という。

そうでない人は、「偉い人」とは、あまり言わない。

こういうとき英語国では、「respected man(尊敬される人)」という言葉を使う。

「尊敬される人」という意味である。

親たちは、子どもにこう言う。

「尊敬される人になりなさい」と。

「尊敬される人」というときには、地位や肩書きは関係ない。

金持ちであるかどうかも、関係ない。

ということで、「偉い人」というのと、「尊敬される人」というのでは、その間には、天地ほどの開
きがある。

アインシュタインのこの言葉を読んだとき、私の頭の中では、そんなことが思い浮かんだ。

+++++++++++++++++++++

●アインシュタインの人物像について(ウィキペディア百科事典より転載)(参考資料)

アインシュタインの人物像について、

ウィキペディア百科事典には、かなり詳しく

載っている。

その一部を転載させてもらう。

この中で、いくつか気になる点がある。

そのひとつ。

世界的な玩具販売チェーン店に、「TOYZARUS」(トイザラス)

というのがある。

お気づきの方も多いと思うが、その店の名前の「R」の部分は、

鏡文字になっている。

私は長い間、「どうしてRが鏡文字なのか?」と思っていた。

が、この記事を読んで、その謎が解けた。(たぶん?)

直接、アインシュタインと関係あるかどうかはわからないが、

アインシュタインは、「R」を、いつも鏡文字で書いて

いた。

「TOYZARUS」は、どこかでアインシュタインを意識して、

そういうふうに書くようにしたのかもしれない。

これはあくまでも私の、個人的な推測によるものだが……。

++++++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より転載+++

非常に臆病で、生真面目でありながらも気さくな性格であった。 

彼は常に発明はユニークな発想と考えており、自身を天才であるとはいささかも思っていなか
ったという。 


ヴァイオリンの演奏を好んだ。しかしピアニストで友人のアルトゥール・シュナーベルとアンサン
ブルを行った際、何度も拍の勘定を間違えるため、シュナーベルから「君は数も数えられない
のか」と呆れられたという。 


靴下を履かない。当時の靴下は脆く、すぐに破れてしまうため嫌いだった。そのため、常に靴
を素足のまま履いていたという。 


睡眠時間は1日10時間と言われている。 


非常に面倒くさがりであったとされる。洗濯用石鹸で顔を洗い、雑巾で顔を拭い、灰皿に食事
を盛り付けると云う行動もあったといわれている。 


最初の妻だったミレーバとの間に息子が二人。長男のハンスはカリフォルニア大学バークレー
校で流体力学関係の教授を勤めた。二男のエドゥアルトは医学生時代に統合失調症を発し、
生涯回復せず、精神病院で亡くなった。後年公開された資料では、ミレーバとの破局はアイン
シュタインの家庭内暴力が一因であり、病気を患った息子に対しても非常に冷淡な態度を取り
続けたことが公表されている。 


ミレーバへの離婚の条件はノーベル賞を取って賞金をあげるというもので、2年後に本当に受
賞し賞金をあげたとされている。 


笑わない。しかし、自身が舌を出している最も有名な写真は、1951年3月14日、アインシュタイ
ンが72歳の誕生日に、INS通信社カメラマンだったアーサー・サスの「笑ってください」というリク
エストに応えてした表情を撮ったものである。さらにその写真はアインシュタイン本人もお気に
入りで、9枚焼き増しを頼んだほどである。この写真は、1951年度のニューヨーク新聞写真家
賞のグランプリを受賞した。また、切手にもなった。 


ノーベル賞受賞後、ニューヨークで、ある少女に数学を教えていたことがあった。少女の母親
が、娘の家庭教師がアインシュタインと知って、慌てて彼の元を訪れたが、そのとき彼は「私が
彼女に教える以上のことを、私は彼女から教わっているのだから、礼には及びません」と返答
した。 



Oren J. Turnerによる写真1947年

小学生のようにスペルを間違えることがままあったという。また、「R」の大文字を生涯鏡字で書
き続けた。 


簡単な数字や記号を記憶することが苦手だったとされる。ある新聞社のインタビューの中で、
光速度の数値を答えられず、記者から揶揄されると「本やノートに書いてあることをどうして憶
えておかなければならないのかね?」と、やりかえしたという。 


幼年時の学習状況、成人してからの振る舞いなどから、アインシュタインには何らかの障害(ア
スペルガー症候群、学習障害)と共通していることが指摘されているが、医学的な検証はなさ
れていない。 


彼は手紙好きであり、有名になってからも一万通以上も手紙をやり取りしていたらしい。 

+++++++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より転載++++

アインシュタインの言葉や映像については、

私のHPより、(音楽と私)→(命について考える)で、

楽しんでいただけるようにした。









書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【子どもと笑い】

●笑うと健康」裏づけ(組織刺激され血行増進)

 笑うと、血液の流れがよくなるそうだ。それだけではないと思うが、「笑うこと」には、不思議な
力がある。それは私自身が、幼児教育の場で、日常的に実感していることでもある。

今度、アメリカ・メリーランドのマイケル・ミラー医師らが、こんな発表をした。

いわく、「血管の内側にある組織が刺激を受けて、血液の流れがよくなることが、調査で明らか
になった。『笑いは健康にいい』との説が医学的にも裏づけられた形だ。なぜ笑うとこの組織が
活性化されるのかまでは突きとめられなかったが、同医師は『ストレスからくる血行障害のリス
ク、減らすことができる』と、笑いの効用を力説している」と。  
(時事通信・05年3月15日 )

+++++++++++++++++++++

教室での笑いについては、たびたび、書いてきた。

+++++++++++++++++++++

●笑えば、伸びる

 言いたいことを、言う。したいことを、する。これが幼児教室の基本である。おさえるのは、簡
単。その時期がきたら、少しずつ、しめていけばよい。

 今週は、(数)をテーマにした(月曜日クラス)。

 この時期は、(教えよう)(教えてやろう)という気持ちは、控えめに。大切なことは、子ども自
身が、数を好きになること。数を、楽しいと思うようになること。が、それ以上に、大切なことは、
子どもが、自信をもつこと。決して、おとなの優位性をおしつけてはいけない。

 7個のリンゴを、わざとまちがえて数えてみせる。すると子どもたちは、「ちがう、7個だ!」と
叫ぶ。そこで改めて、数えてみせる。そして「ああ、7個だったのかあ?」と、とぼけてみせる。

 が、その日は、それですんだわけではない。さらに、私を責めた子どもがいた。「あんた、先
生でしょ!」と。そこで私は、こう言ってやった。

 「君、まだ幼稚園児だろ。だったら、そんなにしっかりと勉強しなくていい。もっと、ぼんやりと
勉強しなさい。あのね、幼稚園児というのは、指をしゃぶって、おしりからプリプリと、出しながら
勉強するものだよ。わかっている?」と。

 すると子どもたちが、ワイワイと反発した。しかしその反発こそが、私のねらいでもある。

 「あのね、わかっていないな。勉強なんてものはね、適当にやればいいの。そんなにしっかり
やると、頭がへんになるよ!」と。

 すると子どもたちは、「ちがう、ちがう」と叫ぶ。つまりそうやって、子どもを、こちらのペースに
のせながら、指導していく。あとは、子ども自身がもつ、伸びる力に任せればよい。

 だいたいにおいて、子どもというのは、伸ばそうと思っても伸びるものではない。大切なこと
は、子ども自身がもつエネルギーを、うまく利用すること。それをうまく利用すれば、子どもは、
伸びる。

 さて、子どもを明るい子どもにするには、方法は、一つしかない。つまり、笑わせる。大声で、
笑わせる。それにまさる方法はない。だから私の教室では、子どもを笑わせることを、何よりも
大切にしている。1時間なら1時間、笑わせぱなしにすることも、珍しくない。

 笑うことにより、子どもの心は、開放される。前向きな、学習態度も、そこから生まれる。『笑
えば、伸びる』、それが私の、この39年間でつかんだ、幼児教育の真髄である。

【追記】

 最近の研究では、ストレスと免疫系の関係などが指摘されているが、それと反対に、「笑い」
には、不思議な力が隠されている。これから先、大脳生理学の分野で、少しずつ、その「力」が
解明されていくだろうと思う。

+++++++++++++++++++++++

●私の実験教室「BW教室」

 幼児を教えるようになって、35年になる。この間、私は4つのことを、守った。(1)すべて授業
は公開し、親の参観をいつでも自由にした。(2)教材はすべて手作り。市販の教材は、いっさ
い使わなかった。(3)同じ授業をしなかった。(4)新聞広告、チラシ広告など、宣伝をしなかっ
た。

 まず(1)授業の公開は、口で言うほど、楽なことではない。公開することによって、教える側
は、手が抜けなくなる。教育というのは、手をかけようと思えばいくらでもかけられる。しかし手
を抜こうと思えば、いくらでも抜ける。それこそプリントを配って、それだけですますこともでき
る。そこが教育のこわいところだが、楽でない理由は、それだけではない。

 授業を公開すれば、同時に子どもの問題点や能力が、そのまま他人にわかってしまう。とく
にこのころの時期というのは、親たちが神経質になっている時期でもあり、子どもどうしのささ
いなトラブルが大きな問題に発展することも珍しくない。教える側の私は、そういうとき、トコトン
神経をすり減らす。

 (2)の教材についてだが、私は一方で、無数の市販教材の制作にかかわってきた。しかしそ
ういう市販教材を、親たちに買わせたことは一度もない。授業で使ったこともない。出版社から
割引価格で仕入れて、親たちに買わせれば、それなりの利益もあったのだろうが、結果として
振り返ってみても、私はそういうことはしなかった。本もたくさん出版したが、売るにしても、希望
者の親のみ。しかも仕入れ値より安い値段で売ってきた。

(3)の「同じ授業をしない」については、二つの意味がある。年間を通して同じ授業をしないと
いう意味と、もう一つは、毎年、同じ授業をしないという意味である。

この10年は、何かと忙しく、時間がないため、年度ごとに同じ授業をするようになった部分もあ
るが、それでもできるだけ内容を変えるようにしている。ただその年の授業の中では、年間をと
おして同じ授業をしない。これには、さらに二つの意味がある。

 そういう形で子どもの心をひきつけておくということ。同じ授業をすれば、子どもはすぐあき
る。もう一つは、そうすることによって、子どもの知能を、あらゆる方向から刺激することができ
る。

 最後に(4)の宣伝については、こうしてインターネットで紹介すること自体、宣伝ということに
なるので、偉そうなことは言えない。それに毎年、親どうしの口コミ宣伝だけというのも、実のと
ころ限界がある。

ある年などは、1年間、生徒(年中児)はたったの3人のままだった。例年だと、親がほかの親
を誘ってくれたりして、生徒が少しずつふえるのだが、その年はどういうわけだかふえなかっ
た。

 私の実験教室の名前は、「BW(ビーダブル)教室」という。「ブレイン・ワーク(知能ワーク)」
の頭文字をとって、「BW」とした。「実験」という名前をつけたのは、ある時期、大きな問題のあ
る子どもだけを、私の方から頼んで、(そのため当然無料だったが)、来てもらったことによる。

私の教室は、いつも子どもたちの笑い声であふれている。「笑えば伸びる」が、私の教育モット
ーになっている。その中でも得意なのは、満四・五歳から満五・五歳までの、年中児である。興
味のある人は、一度訪れてみてほしい。ほかではまねできない、独自の教育を実践している。

++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもへの禁止命令 
 
 「〜〜をしてはダメ」「〜〜はやめなさい」というのを、禁止命令という。この禁止命令が多け
れば多いほど、「育て方」がヘタということになる。イギリスの格言にも、『無能な教師ほど、規
則を好む』というのがある。家庭でいうなら、「無能な親ほど、命令が多い」(失礼!)ということ
になる。

 私も子どもたちを教えながら、この禁止命令は、できるだけ使わないようにしている。

たとえば「立っていてはダメ」というときは、「パンツにウンチがついているなら、立っていてい
い」。「騒ぐな」というときは、「ママのオッパイを飲んでいるなら、しゃべっていい」と言うなど。ま
た指しゃぶりをしている子どもには、「おいしそうだね。先生にも、その指をしゃぶらせてくれな
いか?」と声をかける。禁止命令が多いと、どうしても会話がトゲトゲしくなる。そしてそのトゲト
ゲしくなった分だけ、子どもは心を閉ざす。

 一方、ユーモアは、子どもの心を開く。「笑えば伸びる」というのが私の持論だが、それだけで
はない。心を開いた子どもは、前向きに伸びる。イギリスにも、『楽しく学ぶ子どもは、もっとも
学ぶ』(Happy Learners Learn Best)というのがある。

心が緊張すると、それだけ大脳の活動が制限されるということか。私は勝手にそう解釈してい
るが、そういう意味でも、「緊張」は避けたほうがよい。禁止命令は、どうしてもその緊張感を生
み出す。

 一方、これは予断だが、ユーモアの通ずる子どもは、概して伸びる。それだけ思考の融通性
があるということになる。俗にいう、「頭のやわらかい子ども」は、そのユーモアが通ずる。以
前、年長児のクラスで、こんなジョークを言ったことがある。

 「アルゼンチンの(サッカーの)サポーターには、女の人はいないんだって」と私が言うと、子ど
もたちが「どうして?」と聞いた。そこで私は、「だってアル・ゼン・チン!、でしょう」と言ったのだ
が、言ったあと、「このジュークはまだ無理だったかな」と思った。

で、子どもたちを見ると、しかし一人だけ、ニヤニヤと笑っている子どもがいた。それからもう四
年になるが、(というのも、この話は前回のワールドカップのとき、日本対アルゼンチンの試合
のときに考えたジョーク)、その子どもは、今、飛び級で二年上の子どもと一緒に勉強してい
る。反対に、頭のかたい子どもは、どうしても伸び悩む。
 もしあなたに禁止命令が多いなら、一度、あなたの会話術をみがいたほうがよい。
 








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【自尊教育】

++++++++++++++++

東京都教育委員会は、今度、自尊教育を始めるそうです。
どんな教育を考えているのかは知りませんが、しかし自尊教育ほど、
簡単なものはありません。
「ほめる」。
たったそれだけのことで、子どもは、自分に対して肯定的な
評価をくだすようになります。

が、そうでない子どもが多い。
発達心理学的に言えば、「自我の同一性(アイデンティティ)」の
構築に失敗したということになります。

さらに最近では、それが大脳生理学の分野でも、証明されています。
そのカギを握るのが、辺縁系にある、扁桃核(扁桃体)ということに
なります。
「教育」でできる……というよりは、これは「家庭」の問題かな。
さらに言えば、幼児期から少年少女期への移行期(4・5〜5・5歳)
における指導が重要ということになります。

それを書く前に、産経新聞の記事から抜粋させてもらいます。

+++++++++++++以下、産経新聞・090310++++++++++

 日本の子供たちは自分が嫌い−。東京都教育委員会が公立の小中学生、都立高校生を対
象に「自尊感情」について調査したところ、中高生の5〜6割が「自分」を好意的にとらえていな
いことが10日、分かった。日本の子供たちの自尊感情の低さはこれまでも指摘されてきた
が、自治体レベルで大規模な調査が行われたのは初めて。都教委は現状を深刻に受け止
め、「自分の存在や価値を積極的に肯定できる子供を育てる」とし、4月から小学校で試験的
に"自尊教育"を実施する。

 都教委は昨年11〜12月、都内の小学生4030人、中学生2855人、高校生5855人を対
象に、自尊感情や自己肯定感をテーマにしたアンケートを行った。 

 調査結果によると、中学生では「自分のことが好きだ」との問いに、「そう思わない」「どちらか
というとそう思わない」と否定的に回答した割合が、中1=57%、中2=61%、中3=52%に
上り、全学年で「そう思う」「どちらかというとそう思う」と肯定的に答えた割合を上回った。高校
生でも否定的な考えが目立ち、高1=56%、高2=53%、高3=47%だった。

 小学生では、小1の84%が肯定的な回答をしたが、学年が上がるにつれてその割合は低下
し、小6では59%となっている。

 このほか、国内外の青少年の意識などを調査・研究している財団法人「日本青少年研究所」
の国際調査(平成14年)でも「私は他の人々に劣らず価値のある人間である」との問いに「よく
あてはまる」と回答した中学生が、アメリカ51・8%、中国49・3%だったのに比べ、日本は8・
8%と極端に低かった。

+++++++++++++以上、産経新聞・090310++++++++++

数字が並んでいるので、整理させてもらう。

中学生
「自分のことが好きだ」
「そう思わない」「どちらかというとそう思わない」と答えた子ども
中1……57%、
中2……61%
中3……52%

高校生でも否定的な考えが目立ち、高1……56%
高2……53%
高3……47%

小学生では、小1……84%が肯定的な回答をしたが、学年が上がるにつれてその割合は低
下し、小6では59%となっている。

++++++++++++++++++

以上の数字をまとめると、こうなります。
小学1年生では、84%が、「肯定的だが」、学年が進むと、小学6年生では、それが
59%に低下する。
さらに中学生になると、50%台、高校生になると、40%台に低下するということ。

しかしこの数字を見て私が驚いたのは、小学1年生で、84%しかいないということ。
「小学1年生で、もう84%!」と。
その入口にいる子どもですら、肯定的に自分をとらえている子どもが、84%しかいない
ということに注目してください。

しかし「自尊教育」ほど、簡単なものはないのです。
順に説明してみましょう。

+++++++++++++++++++

「私はこうありたい」「こうあるべき」という(像)を、
「自己概念」といいます。
おとなだけではなく、子どももみな、この自己概念を
描きながら生きています。

それに対して、そこに(現実の自分)がいます。
これを「現実自己」といいます。

この両者が一致した状態を、「自我の同一性が確立した状態」と
いいます。
このタイプのおとなは、(もちろん子どもも)、
外界からの誘惑に対しても、強い抵抗力を示します。
もちろん、自尊感情も強く、現実感覚もしっかりと
しています。

それについて書いたのが、つぎの原稿です。
少し余計なことも書いていますが、どうか
がまんして読んでください。


++++++++++++++++++++

●自我の同一性(アイデンティティ)の確立

●世間的自己

 少し前、(自己概念)と(現実自己)について、書いた。「自分は、こうあるべきだという私」を
(自己概念)といい、「現実の私」を(現実自己)という。

 これら二つが近接していれば、その人は、落ちついた状態で、自分の道を進むことができ
る。しかしこれら二つが遊離し、さらに、その間に超えがたいほどの距離感が生まれると、その
人の精神状態は、きわめて不安定になる。劣等感も、そこから生まれる(フロイト)。

 たとえば青年時代というのは、(こうであるべき自分)を描く一方、(そうでない自分)を知り、
その葛藤に(かっとう)に苦しむ時代といってもよい。

 そこで多くの若者は、(そうであるべき自分)に向って、努力する。がんばる。劣等感があれ
ば、それを克服しようとする。しかしその(そうであるべき自分)が、あまりにもかけ離れていて、
手が届かないとわかると、そこで大きな挫折(ざせつ)感を覚える。

 ……というのは、心理学の世界でも常識だが、しかしこれだけでは、青年時代の若者の心理
を、じゅうぶんに説明できない。

 そこで私は、「世間の人の目から見た私」という意味で、(自己概念)と(現実自己)にほかに、
3つ目に、(世間的自己)を付け加える。

 「私は世俗的他人からどのように評価されているか」と、自分自身を客観的に判断すること
を、(世間的自己)という。具体的に考えてみよう。

+++++++++++++++++

 A子さん(19歳)は、子どものころから、音楽家の家で育ち、持ち前の才能を生かして、音楽
学校に進学した。いつかは父親のような音楽家になりたいと考えていた。

 しかしこのところ、大きなスランプ状態に、陥(おち)いっている。自分より経験の浅い後輩よ
り、技術的に、劣っていると感じ始めたからだ。「私がみなに、チヤホヤされるのは、父親のせ
いだ。私自身には、それほどの才能がないのではないか?」と。

 ここで、「父親のような音楽家になりたい」というのは、いわば(自己概念)ということになる。し
かし「それほどの才能がない」というのは、(現実自己)ということになる。

 しかしAさんは、ここでつぎの行動に出る。自分の父親の名前を前面に出し、その娘であるこ
とを、音楽学校の内外で、誇示し始めた。つまり自分を取り囲む、世間的な評価をうまく利用し
て、自分を生かそうと考えた。「私は、あの○○音楽家の娘よ」と。

 これは私がここでいう(世間的自己)である。

+++++++++++++++++++

 少し話がわかりにくくなってきたので、もう少しかみくだいて説明してみよう。

 世の中には、世間体ばかりを気にして生きている人は、少なくない。見栄、メンツに、異常な
までに、こだわる。名誉や地位、肩書きにこだわる人も、同じように考えてよい。自分の生きザ
マがどこにあるかさえわからない。いつも他人の目ばかりを気にしている。

 「私は、世間の人にどう思われているか」「どうすれば、他人に、いい人に思われるか」と。

 そのためこのタイプの人は、自分がよい人間に見られることだけに、細心の注意を払うよう
になる。表と裏を巧みに使い分け、ついで、仮面をかぶるようになる。(しかし本人自身は、そ
の仮面をかぶっていることに、気づいていないことが多い。)

 これは極端なケースだが、こういう人のばあい、その人の心理状態は、(自己概念)と(現実
自己)だけは、説明できなくなる。そもそも(自己)がないからである。

++++++++++++++++++++

 そこで(私)というものを考えてみる。

 (私)には、たしかに、「こうでありたいと願っている私」がいる。しかし「現実の私はこうだとい
うことを知っている私」もいる。で、その一方で、「世間の人の目を意識した私」もいる。

 これが(自己概念)(現実自己)、そして(世間的自己)ということになる。私たちは、この三者
のはざまで、(私)というものを認識する。もちろん程度の差はある。世間を気にしてばかりして
いる人もいれば、世間のことなど、まったく気にしない人もいる。

 しかしこの世間体というのは、一度それを気にし始めると、どこまでも気になる。へたをすれ
ば、底なしの世間体地獄へと落ちていく。世間体には、そういう魔性がある。気がついてみた
ら、自分がどこにもないということにもなりかねない。

 中学生や高校生を見ていると、そういう場面に、よく出あう。

 もう15年ほど前のことだが、ある日、1人の男子高校生が私のところへやってきて、こう聞い
た。

 「先生、東京のM大学(私立)と、H大学(私立)とでは、どっちが、カッコいいでしょうかね。
(結婚式での)披露宴でのこともありますから」と。

 まだ恋人もいないような高校生が、披露宴での見てくれを心配していた。つまりその高校生
は、「何かを学びたい」と思って、受験勉強をしていたわけではない。実際には、勉強など、ほと
んどしていなかった。その一方で、現実の自分に気がついていたわけでもない。

 学力もなかったから、だれでも入れるような、M大学とH大学を選び、そのどちらにするかで
悩んでいた。つまりこれが、(世間的自己)である。

+++++++++++++++++++++++

 これら(自己概念)(現実自己)(世間的自己)の三者は、ちょうど、三角形の関係にある。

 (自己概念)も(自己評価)も、それほど高くないのに、偶然とチャンスに恵まれ、(世間的自
己)だけが、特異に高くなってしまうということは、よくある。ちょっとしたテレビドラマに出ただけ
で、超有名人になった人とか、本やCDが、爆発的に売れた人などが、それにあたる。

 反対に(自己概念)も(自己評価)も、すばらしいのに、不運がつづき、チャンスにも恵まれ
ず、悶々としている人も、少なくない。大半の人が、そうかもしれない。

 さらにここにも書いたように、(自己概念)も(現実自己)も、ほとんどゼロに等しいのに、(世
間的自己)だけで生きている人も、これまた少なくない。

 理想的な形としては、この三角形が、それぞれ接近しているほうがよい。しかしこの三角形が
肥大化し、ゆがんでくると、そこでさまざまなひずみを引き起こす。ここにも書いたように、精神
は、いつも緊張状態におかれ、ささいなことがきかっけで、不安定になったりする。

++++++++++++++++++++++

 そこで大切なことは、つまり親として子どもを見るとき、これら三者が、子どもの心の中で、ど
のようなバランスを保っているかを知ることである。

 たとえば親の高望み、過剰期待は、子どものもつ(自己概念)を、(現実自己)から、遊離させ
てしまうことに、なりかねない。子ども自身の自尊心が強すぎるのも、考えものである。

 子どもは、現実の自分が、理想の自分とあまりにもかけ離れているのを知って、苦しむかもし
れない。

 さらに(世間的自己)となると、ことは深刻である。もう20年ほど前のことだが、毎日、近くの
駅まで、母親の自動車で送り迎えしてもらっている女子高校生がいた。「近所の人に制服を見
られるのがいやだから」というのが、その理由だった。

 今でこそ、こういう極端なケースは少なくなったが、しかしなくなったわけではない。世間体を
気にしている子どもは、いくらでもいる。親となると、もっといる。子どもの能力や方向性など、
まったく、おかまいなし。ブランドだけで、学校を選ぶ。

 しかしそれは不幸の始まり。諸悪の根源、ここにありと断言してもよい。もちろん親子関係
も、そこで破壊される。

 ……と話が脱線しそうになったから、この話は、ここまで。

 そこであなた自身は、どうか。どうだったか。それを考えてみるとよい。

 あなたにはあなたの(自己概念)があるはず。一方で、(現実自己)もあるはず。その両者
は、今、うまく調和しているだろうか。もしそうなら、それでよし。しかしもしそうでないなら、あな
たは、今、ひょっとしたら、悶々とした毎日を過ごしているかもしれない。

 と、同時に、あなたの(世間的自己)をさぐってみるとよい。「私は世間のことなど、気にしな
い」というのであれば、それでよし。しかしよくても悪くても、世間的自己ばかりを気にしている
と、結局は、疲れるのは、あなた自身ということになる。

 (私)を取りもどすためにも、世間のことなど、気にしないこと。このことは、そのままあなたの
子育てについても、言える。あなたは自分の子どものことだけを考えて、子育てをすればよい。
すべては、子どもから始まり、子どもで終わる。

 コツは、あなたが子どもに抱く(子どもの自己概念)と、子ども自身が抱く(現実自己)を、遊離
させないこと。

その力もない子どもに向かって、「もっと勉強しなさい!」「こんなことで、どうするの!」「AA中
学校へ、入るのよ!」では、結局は、苦しむのは、子ども自身ということになる。
(はやし浩司 現実自己 自己概念 世間的自己 世間体)


++++++++++++++++++++

自我の同一性(アイデンティティ)の構築に失敗すると、
いろいろな場面で、不適応症状を示すようになります。

「こんはずではない」「これは私のしたいことではない」と。
それが進むと、自我の不一致が起こり、さらに進むと、
自我の崩壊が始まります。

最悪のばあいは、無気力症候群に襲われ、ニタニタと
意味のない笑いだけを浮かべながら生活する、など。

では、どうすればよいのでしょうか。
自我の同一性を確立するためには、どうすればよいのでしょうか。

それが「私らしく生きる」ということになります。

つぎの原稿がそれですが、一部、内容がダブりますが、
許してください。

++++++++++++++++++++

●私らしく生きるために……

●不適応障害

 「私は私」と、自分に自信をもって、生活している人は、いったい、どれだけいるだろうか。実
際には、少ないのでは……。

+++++++++++++++++

 「私は、こうでなければならない」「こうであるべきだ」という輪郭(りんかく)を、「自己概念」とい
う。

 しかし、現実には、そうはいかない。いかないことが多い。現実の自分は、自分が描く理想像
とは、ほど遠い。そういうことはよくある。

 その現実の自分を、「現実自己」という。

 この(自己概念)と(現実自己)が、一致していれば、その人は、「私は私」と、自分を確信する
ことができる。自分の道を、進むべき道として、自信をもって、進むことができる。そうでなけれ
ば、そうでない。

不安定な自分をかかえ、そのつど、道に迷ったり、悩んだりする。が、それだけではすまない。
心の状態も、きわめて不安定になる。

++++++++++++++++++

 Aさん(女性)は、財産家の両親をもつ、夫のB氏と結婚したつもりだった。B氏の両親は、そ
の地域でも、昔からの土地持ちという話を聞いていた。

 が、実際には、B家は、借金だらけ。しかも大半の土地は、すでに他人のものになっていた。
ここでAさんの夢は、大きく崩れた。

 Aさんは、B氏の夫として、そして良家の奥様として、優雅な生活を設計していた。とたん、つ
まり、そういう現実を目の前につきつけられたとき、Aさんの情緒は、きわめて不安定になっ
た。

 良家の奥様にもなりきれず、さりとて、商家のおかみさんにも、なりきれず……。

 毎晩のように、夫と、はげしい夫婦げんかを繰りかえした。

 ……というような例は、多い。似たようなケースは、子どもの世界でも、よく起こる。

 (こうでなければならない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)。その両者がうまくか
みあえば、それなりに、子どもというのは、落ちついた様子を見せる。

 しかし(こうでなければならない自分)と(現実の自分)が、大きく食い違ったとき、そこで不適
応症状が現れる。

 不適応症状として代表的なものが、心の緊張感である。心はいつも緊張した状態になり、ささ
いなことで、カッとなって暴れたり、反対に、極度に落ちこんだりするようになる。

 私も、高校2年から3年にかけて、進学指導の担任教師に、強引に、文科系の学部へと、進
学先を強引に変えられてしまったことがある。それまでは、工学部の建築学科を志望していた
のだが、それが、文学部へ。大転身である!

 その時点で、私は、それまで描いていた人生設計を、すべて、ご破算にしなければならなな
かった。私は、あのときの苦しみを、今でも、忘れない。

……ということで、典型的な例で、考えてみよう。

 Cさん(中2.女子)は、子どものころから、蝶よ、花よと、目一杯、甘やかされて育てられた。
夏休みや冬休みになると、毎年のように家族とともに、海外旅行を繰りかえした。

 が、容姿はあまりよくなかった。学校でも、ほとんどといってよいほど、目だたない存在だっ
た。その上、学業の成績も、かんばしくなかった。で、そんなとき、その学校でも、進学指導の
三者面談が、始まった。

 最初に指導の担任が示した学校は、Cさんの希望とは、ほど遠い、Dランクの学校だった。
「今の成績では、ここしか入るところがない」と、言われた。Cさんは、Cさんなりに、がんばって
いるつもりだった。が、同席した母親は、そのあとCさんを、はげしく叱った。

 それまでにも、親子の間に、大きなモヤモヤ(確執)があったのかもしれない。その数日後、
Cさんは塾の帰りにコンビニに寄り、門限を破った。そしてあとは、お決まりの非行コース。

 (夜遊び)→(外泊)→(家出)と。

 中学3年生になるころには、Cさんは、何人かの男とセックスまでするようになっていた。こう
なると、もう勉強どころではなくなる。かろうじて学校には通っていたが、授業中でも、先生に叱
られたりすると、プイと、外に出ていってしまうこともある。

 このCさんのケースでも、(Cさんが子どものころから夢見ていた自分の将来)と、(現実の自
分)との間が、大きく食い違っているのがわかる。この際、その理由や原因など、どうでもよい。
ともかくも、食い違ってしまった。

 ここで、心理学でいう、(不適応障害)が始まる。

 「私はすばらしい人間のはずだ」と、思いこむCさん。しかし現実には、だれも、すばらしいと
は思ってくれない。

 「本当の私は、そんな家出を繰りかえすような、できそこないではないはず」と、自分を否定す
るCさん。しかし現実には、ズルズルと、自分の望む方向とは別の方向に入っていてしまう。

 こうなると、Cさんの生活そのものが、何がなんだかわからなくなってしまう。それはたとえて
言うなら、毎日、サラ金の借金取りに追い立てられる、多重債務者のようなものではないか。

 一日とて、安心して、落ちついた日を過ごすことができなくなる。

 当然のことながら、Cさんも、ささいなことで、カッとキレやすくなった。今ではもう、父親です
ら、Cさんには何も言えない状態だという。

日本語には、『地に足のついた生活』という言葉がある。これを子どもの世界について言いか
えると、子どもは、その地についた子どもにしなければならない。(こうでなければならない自
分)と(現実の自分)が一致した子どもにしなければならない。

 得てして、親の高望み、過剰期待は、この両者を遊離させる。そして結局は、子どもの心を
バラバラにしてしまう。大切なことは、あるがままの子どもを認め、そのあるがままに育てていく
ということ。子どもの側の立場でいうなら、子どもがいつも自分らしさを保っている状態をいう。

 具体的には、「もっとがんばれ!」ではなく、「あなたは、よくがんばっている。無理をしなくてい
い」という育て方をいう。

子どもの不適応障害を、決して軽く考えてはいけない。

+++++++++++++++++++++

 「私らしく生きる……」「私は私」と言うためには、まず、その前提として、(こうでなければなら
ない自分=自己概念)と(現実の自分=現実自己)、その両者を、うまくかみあわせなければな
らない。

 簡単な方法としては、まず、自分のしたいことをする、ということ。その中から、生きがいを見
つけ、その目標に向って、進んでいくということ。

 子どもも、またしかり。子どものしたいこと、つまり夢や希望によく耳を傾け、その夢や希望に
そって、子どもに目的をもたせていく。子どもを伸ばすということは、そういうことをいう。
(はやし浩司 子どもの不適応障害 子どもの不適応障害 現実自己 自己概念)

(注)役割混乱による、不適応障害も、少なくない。


++++++++++++++++++++++

子どもの自尊感情を育てるためには、どうしたらよいか?
もうそろそろその輪郭が見えてきたことと思います。

しかしこれは何も、子どもだけの問題ではありませんね。
私たちおとなも、実は、自尊感情のあるなしで、
毎日、悩み、もがいているのです。

もう一度、自己概念について考えてみたいと思います。

++++++++++++++++++++++

●自己概念

 「自分は、人にどう思われているか」「他人から見たら、自分は、どう見えるか」「どんな人間に
思われているか」。そういった自分自身の輪郭(りんかく)が、自己概念ということになる。

 この自己概念は、正確であればあるほどよい。

 しかし人間というのは、身勝手なもの。自分では、自分のよい面しか、見ようとしない。悪い面
については、目を閉じる。あるいは人のせいにする。

 一方、他人というのは、その人の悪い面を見ながら、その人を判断する。そのため(自分が
そうであると思っている)姿と、(他人がそうであると思っている)姿とは、大きくズレる。

 こんなことがあった。

 ワイフの父親(私の義父)の法事でのこと。ワイフの兄弟たちが、私にこう言った。

 「浩司(私)さん、晃子(私のワイフ)だから、あんたの妻が務まったのよ」と。

 つまり私のワイフのような、辛抱(しんぼう)強い女性だったから、私のような短気な夫の妻と
して、いることができた。ほかの女性だったら、とっくの昔に離婚していた、と。

 事実、その通りだから、反論のしようがない。

 で、そのあとのこと。私はすかさず、こう言った。「どんな女性でも、ぼくの妻になれば、すばら
しい女性になりますよ」と。

 ここで自己概念という言葉が、出てくる。

 私は、私のことを「すばらしい男性」と思っている。(当然だ!)だから「私のそばにいれば、ど
んな女性でも、すばらしい女性になる」と。そういう思いで、そう言った。

 しかしワイフの兄弟たちは、そうではなかった。私のそばで苦労をしているワイフの姿しか、
知らない。だから「苦労をさせられたから、すばらしい女性になった」と。だから、笑った。そして
その意識の違いがわかったから、私も笑った。

 みんないい人たちだ。だからみんな、大声で、笑った。

 ……という話からもわかるように、自己概念ほど、いいかげんなものはない。そこで、私たち
はいつも、その自己概念を、他人の目の中で、修正しなければならない。「他人の目を気にせ
よ」というのではない。「他人から見たら、自分はどう見えるか」、それをいつも正確にとらえて
いく必要があるということ。

 その自己概念が、狂えば狂うほど、その人は、他人の世界から、遊離してしまう。

 その遊離する原因としては、つぎのようなものがある。

(1)自己過大評価……だれかに親切にしてやったとすると、それを過大に評価する。
(2)責任転嫁……失敗したりすると、自分の責任というよりは、他人のせいにする。
(3)自己盲目化……自分の欠点には、目を閉じる。自分のよい面だけを見ようとする。
(4)自己孤立化……居心地のよい世界だけで住もうとする。そのため孤立化しやすい。
(5)脳の老化……他者に対する関心度や繊細度が弱くなってくる。ボケも含まれる。

 しかしこの自己概念を正確にもつ方法がある。それは他人の心の中に一度、自分を置き、そ
の他人の目を通して、自分の姿を見るという方法である。

 たとえばある人と対峙してすわったようなとき、その人の心の中に一度、自分を置いてみる。
そして「今、どんなふうに見えるだろうか」と、頭の中で想像してみる。意外と簡単なので、少し
訓練すれば、だれにでもできるようになる。

 もちろん家庭という場でも、この自己概念は、たいへん重要である。

 あなたは夫(妻)から見て、どんな妻(夫)だろうか。さらに、あなたは、子どもから見て、どん
な母親(父親)だろうか。それを正確に知るのは、夫婦断絶、親子断絶を防ぐためにも、重要な
ことである。

 ひょっとしたら、あなたは「よき妻(夫)であり、よき母親(父親)である」と、思いこんでいるだけ
かもしれない。どうか、ご注意!
(はやし浩司 自己概念)


+++++++++++++++++++++++

そこで登場するのが、『マズローの欲求段階説』です。
「私は私らしく生きたい」。
そのためには、どうすればよいのか。

ポイントは、「現実的に生きる」ということです。
この(現実性)を喪失すると、おとなも、子どもも、
非現実的な世界で生きるようになります。

昨今のスピリチュアル・ブームも、その流れの中に
あると考えてよいでしょう。

(自我の同一性の確立ができない)→(現実から逃避する)
→(非現実的な世界に生きようとする)、と。

生き方のひとつのヒントになると思いますので、
紹介します。

++++++++++++++++++++++

【私らしく生きるための、10の鉄則】(マズローの「欲求段階説」を参考にして)

●第1の鉄則……現実的に生きよう

●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう

●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう

●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう

●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう

●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう

●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう

●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう

●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう

●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●マズローの欲求段階説

 昨日、「マズローの欲求段階説」について書いた。その中で、マズローは、現実的に生きるこ
との重要性をあげている。

 しかし現実的に生きるというのは、どういうことか。これが結構、むずかしい。そこでそういうと
きは、反対に、「現実的でない生き方」を考える。それを考えていくと、現実的に生きるという意
味がわかってくる。

 現実的でない生き方……その代表的なものに、カルト信仰がある。占い、まじないに始まっ
て、心霊、前世、来世論などがもある。が、そういったものを、頭から否定することはできない。

ときに人間は、自分だけの力で、自分を支えることができなくことがある。その人個人というよ
りは、人間の力には、限界がある。

 その(限界)をカバーするのが、宗教であり、信仰ということになる。

 だから現実的に生きるということは、それ自体、たいへんむずかしい、ということになる。いつ
もその(限界)と戦わねばならない。

 たとえば身近の愛する人が、死んだとする。しかしそのとき、その人の(死)を、簡単に乗り越
えることができる人というのは、いったい、どれだけいるだろうか。ほとんどの人は、悲しみ、苦
しむ。

いくら心の中で、疑問に思っていても、「来世なんか、ない」とがんばるより、「あの世で、また会
える」と思うことのほうが、ずっと、気が楽になる。休まる。

 現実的に生きる……一見、何でもないことのように見えるが、その中身は、実は、奥が、底な
しに深い。

●あるがままに、生きる

 ここに1組の、同性愛者がいたとする。私には、理解しがたい世界だが、現実に、そこにいる
以上、それを認めるしかない。それがまちがっているとか、おかしいとか言う必要はない。言っ
てはならない。

 と、同時に、自分自身についても、同じことが言える。

 私は私。もしだれかが、そういう私を見て、「おかしい」と言ったとする。そのとき私が、それを
いちいち気にしていたら、私は、その時点で分離してしまう。心理学でいう、(自己概念=自分
はこうであるべきと思い描く自分)と、(現実自己=現実の自分)が、分離してしまう。

 そうなると、私は、不適応障害を起こし、気がヘンになってしまうだろう。

 だから、他人の言うことなど、気にしない。つまりあるがままに生きるということは、(自己概
念)と、(現実自己)を、一致させることを意味する。が、それは、結局は、自分の心を守るため
でもある。

 私は同性愛者ではないが、仮に同性愛者であったら、「私は同性愛者だ」と外に向って、叫
べばよい。叫ぶことまではしなくても、自分を否定したりしてはいけない。社会的通念(?)に反
するからといって、それを「悪」と決めつけてはいけない。

 私も、あるときから、世間に対して、居なおって生きるようになった。私のことを、悪く思ってい
る人もいる。悪口を言っている人となると、さらに多い。しかし、だからといって、それがどうなの
か? 私にどういう関係があるのか。

 あるがままに生きるということは、いつも(自己概念)と、(現実自己)を、一致させて生きるこ
とを意味する。飾らない、ウソをつかない、偽らない……。そういう生き方をいう。


+++++++++++++++++++

では、どうすれば、私は私らしく生きることが
できるか。
子どもは、子どもらしく生きることができるか。

+++++++++++++++++++

●自然で自由に生きる

 不規則がよいというわけではない。しかし規則正しすぎるというのも、どうか? 行動はともか
くも、思考については、とくに、そうである。

思考も硬直化してくると、それからはずれた思考ができなくなる。ものの考え方が、がんこにな
り、融通がきかなくなる。

 しかしここで一つ、重要な問題が起きてくる。この問題、つまり思考性の問題は、脳ミソの中
でも、CPU(中央演算装置)の問題であるだけに、仮にそうであっても、それに気づくことは、ま
ず、ないということ。

 つまり、どうやって、自分の思考の硬直性に、気がつくかということ。硬直した頭では、自分の
硬直性に気づくことは、まず、ない。それ以外のものの考え方が、できないからだ。

 そこで大切なのは、「自然で、自由にものを考える」ということ。そういう習慣を、若いときから
養っていく。その(自由さ)が、思考を柔軟にする。

 おかしいものは、「おかしい」と思えばよい。変なものは、「変だ」と思えばよい。反対にすばら
しいものは、「すばらしい」と思えばよい。よいものは、「よい」と思えばよい。

 おかしなところで、無理にがんばってはいけない。かたくなになったり、こだわったりしてはい
けない。つまりは、いつも心を開き、心の動きを、自由きままに、心に任せるということ。

 それが「自然で、自由に生きる」という意味になる。
 

+++++++++++++++++++++

しかし現実には、子どもの自尊感情を
傷つけるだけではなく、破壊する親も少なくないですね。
破壊しながら、破壊しているという事実にすら、
気がついていない。

それについて書いたのが、つぎの原稿です。

+++++++++++++++++++++

●親の希望 vs 現実の子ども

 親が、心の中で希望として描く、子ども像。これを(子ども概念)と呼ぶ。一方、そこには、現
実の子どもがいる。それを(現実子ども)と呼ぶ。心理学でいう、(自己概念)と、(現実自己)と
いう言葉にならった。

 そこで私は、この(子ども概念)と(現実子ども)のほかに、もう一つ、(世間評価)を加える。こ
れも、(自己概念)と(現実自己)のほかに、もう一つ、(世間評価)を、加えたことに、まねる。他
人から見た子ども像ということで、「世間評価」という。

 親が、「うちの子は、こうであってほしい」と願いながら、心の中に描く、子ども像を、(子ども概
念)という。

 勉強がよくできて、スポーツマンで、よい性格をもっていて、人にも好かれる。集団の中でもリ
ーダーで、できれば、ハンサム。自分という親を尊敬してくれていて、親の相談相手にもなって
くれる……、と。

 しかし現実の子どもは、そうでないことが多い。問題だらけ。園でも学校でも、何かとトラブル
をよく起こす。成績もかんばしくない。できも悪い。性格もいじけているし、反抗ばかりしている。
このところ、勉強、そっちのけで、遊んでばかりいる。

 しかし子どもの姿というのは、それだけでは決まらない。親が知らない世界での評価もある。
家の中では、ゴロゴロしているだけ。生活態度も悪い。親を親とも思わない言動。しかしスポー
ツクラブでは、目だった活躍をしている、とか。

 こういうケースは、よくある。

 そこで、(子ども概念)と、(現実子ども)が、それなりに一致していれば、問題はない。(子ども
概念)と(世間評価)も、それなりに一致していれば、問題はない。しかしこの三者が、よきにつ
け、悪しきにつけ、距離を置いて、遊離すると、そこでさまざまな問題を引き起こす。

【例1】(以下の例は、すべてフィクションです。実際にあった例ではありません。)

 ある日、小学1年生になったS君のバッグの中を見て、私は驚いた。そうでなくても、これから
先、たいへんだろうなと思っていた子どもである。今でいうLD(学習障害児)であったかもしれ
ない。そのバッグの中には、難解なワークブックが、ぎっしりと入っていた。

 このケースでは、親は、S君に対して、過大な期待を抱いていたようである。そのため、「やら
せれば、できる」という信念(?)のもと、難解なワークブックを、何冊も買いそろえた。そして毎
日、S君が学校から帰ってくると、最低でも、2時間は、勉強を教えた。

 このS君のケースでは、ここでいう親が心の中で描く(子ども概念)と、(現実子ども)が、大き
くかけ離れていたことになる。

【例2】

 B君は、中学1年生。勉強は嫌い。ときどき、学校もサボる。しかし小学生のときから、少年
野球クラブでは、ずっと、レギュラー(ピッチャー)を務めてきた。その地区では、B君にまさるピ
ッチャーはいなかった。

 年に4回開かれる、地区大会では、B君の所属するチームは、たいてい優勝した。市の大会
で、準優勝したこともある。

 しかし母親との間では、けんかが絶えなかった。「勉強しなさい!」「うるさい!」と。あるとき、
母親は、「勉強しなければ、野球チームをやめる」とまで言った。が、B君は、その夜、家を出て
しまった。B君が、6年生のときのことである。

 中学生になってから、B君は、部活に野球部を選んだ。しかしその直後、B君は、監督の教
師と衝突してしまい、そのまま野球部をやめてしまった。B君が、グレ始めたのは、そのときか
らだった。

 このB君のケースでは、(子ども概念)と(現実子ども)は、それほど遊離していなかったが、
親が子どもに対してもっている(子ども概念)と、(世間評価)は、大きくズレていた。

【例3】

 私の実家は、以前は、いくつかの借家をもっていた。その中の一つは、表が駐車場で、裏が
一間だけの家になっていた。

 その借家には、父と子だけの二人が住んでいた。母親は、どうなったか知らない。が、その
子というか、高校生が、国立大学の医学部に合格した。父親は、酒に溺れる毎日だったとい
う。

 しばらくしてその父子は、その借家を出たが、私は、その話を、母から聞いて、心底、驚い
た。借家を訪れてみたが、酒のビンがいたるところに散乱していた。

 私が、「どんな子どもでしたか」と近所の人に聞くと、その人は、こう言った。「本当にすばらし
い息子さんでしたよ。毎日、父の酒を買うために、自転車で、酒屋へ通っていました」と。

 この父子の関係では、父親に、そもそも(子ども概念)があったかどうかは、疑わしい。放任と
無責任。しかしその子どもの(現実子ども)は、父親のもっていたであろう(子ども概念)を、は
るかに超えていた。(世間評価)も、である。

【例4】

 新幹線をおりて、バスで、友人の家に向かうときのこと。うしろの席で、あきらかに母と娘と思
われる二人が、こんな会話を始めた。母親は、45歳くらいか。娘は、20歳そこそこ。母親とい
うのは、どこかの大病院の院長を夫にもつ、女性らしい。どうやら、娘の結婚相手をだれにす
るかという相談のようだった。

母親「Xさんは、いい人だけど、私大卒でしょう。出世は望めないわね」
娘「それにXさんは、もう30歳よ」
母親「Yさんは、K大学で、4年間、講師をしていたそうよ。でもね、ああいう性格だから、お母さ
んは、薦めないわ」
娘「そうね。同じ意見よ。あの人は、私のタイプじゃないし……」
母親「Zさんは、どう? 患者さんの評判も、いいみたいだし……」
娘「そうね、一度、Zさんと、食事をしてみようかしら。でもZさんには、もう恋人がいるかもしれな
いわ」と。

 話の内容はともかくも、二人の会話を聞きながら、私は、いい親子だなあと思ってしまった。
呼吸が、ピタリとあっている。

 最後のこのケースでは、母のもつ(子ども概念)と、(現実子ども)は、一致している。大病院
の後継者を、二人でだれにするか、相談している。このばあいは、(世間評価)は、ほとんど、
問題になっていない。

 ふつう、この三者が、ともに接近していれば、親子関係は、スムーズに流れる。しかしこの三
者が、たがいに遊離し始めると、先に書いたように、親子関係は、ギクシャクし始める。

 何が子どもを苦しめるかといって、親の高望み、つまり過剰期待ほど、子どもを苦しめるもの
は、ない。

 一方。その反対のこともある。すばらしい子どもをもちながら、「できが悪い」と悩んでいる親
である。こういうケースは、少ないが、しかしないわけではない。

 そこであなた自身のこと。

 あなたは今、どのような(子ども概念)をもっているだろうか。そしてその(子ども概念)は、(現
実子ども)と一致しているだろうか。もし、そうならあなたは、今、すばらしい親子関係を築いて
いるはず。

 が、反対に、そうでなければ、そうでない。やがて長い時間をかけて、あなたの親子関係は、
ギクシャクしたものになる。気がついてみたら、親子断絶ということにもなりかねない。一度、
(世間評価)も参考にしながら、あなた自身のもっている(子ども概念)を、修正してみるとよい。


++++++++++++++++++

子どもの自尊感情を育てるために、
家庭教育はどうあったらよいのか。
それについて書いたのが、つぎの
原稿です。

++++++++++++++++++

【特集・子どもの自尊感情を育てるために】

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織ということになる。

++++++++++++++

●やる気論

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺
縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分に
とって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を
分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。そ
れはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。こんな実験
がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除してし
まうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけ
である。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好
きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてし
まうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、そうした感情ができてし
まうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を
示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたと
しよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつよ
うになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつよ
うになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子ども
は、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますま
すその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言
葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。反対
に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割
には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌され
る。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミンにも、同
じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを
分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるという
こと。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えた
か)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しん
だかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、
いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好
きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子
どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、その向こうにある
隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。何
かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせる。そういう印
象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が芽生えていくのを、静
かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。
多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えてい
る。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせている
その物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。
(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズ
ムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。借金に
たとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を
見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追
いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。しかし
この日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親
は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期
に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉強
はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、その子
どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少しでも伸び
る姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないというこ
と。


+++++++++++++++++++++++

もうおわかりのことと思います。
自尊感情とやる気は、紙にたとえるなら、表と裏のような
ものです。

自分を肯定的にとらえるところから、やる気は生れ、
そのやる気が、また自尊感情を育てていきます。

では、どうすればよいか。
ここに書いたように、「ほめる」です。
ほめて、ほめて、ほめまくる。
それだけでよいのです。
子どもは、(おとなもそうですが)、ほめることによって、
前向きな姿勢をもつようになります。

たとえば子どもがはじめて、文字らしきものを書いたら、
すかさず、ほめる。
へたでも、読めなくても、それでもほめる。
「すごいわね!」と。
そして子どもの書いたものを、一生懸命、読んであげる。
そのとき子どもの脳の中で起きる反応については、
ここに書いたとおりです。

で、こうした方向性をつくるのは、時期的には、
少年少女期に入る前、年齢的には、4・5〜5・5歳まで
ということになります。

つまりこの時期までの教育が、きわめて重要だという
ことです。

小学校1年生で、「84%」しかいないことに驚いた
私の気持ちを理解していただけましたか?
言いかえると、すでにこの段階で、16%の子どもが、
自分を見失っている?
本来なら、この時期なら、100%が、そうであっても
おかしくないのです。

「ほら、音楽教室!」
「ほら、英語教室!」
「ほら、体操教室!」と、子どもを追い立てることによって、
子どもの心をつぶしていることに、じゅうぶん、注意して
ください。

今、年中児でも、ハキがなく、集団の中でも、グズグズしている
子どもが、5〜6人に1人はいます。
中には、そういう子どもほど、「できのいい子ども」と誤解して
いる親さえいます。

おかしいですね。

+++++++++++++++++++++++++

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
現実自己 自己概念 自己の同一性 自我の同一性 やる気 マズロー 欲求段階説
はやし浩司 自尊感情 ほめる 強化の原理 弱化の原理 不適応 不適応障害 
燃え尽き 無気力 現実逃避 スピリチュアル スピリチュアルブーム はやし浩司
現実逃避する若者 現実逃避する子供)







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●ほめる

読売新聞に、こんな記事が載っていた。

+++++++++++以下、読売新聞より+++++++++++

乳幼児期に親からよくほめられる子供は、他人を思いやる気持ちなどの社会適応力が高くな
ることが、科学技術振興機構の長期追跡調査で明らかになった。育児で「ほめる」ことの重要
性が、科学的に証明されたのは初めて。3月7日に東京都内で開かれるシンポジウムで発表
する。

 筑波大のAM教授(発達保健学)らの研究チームは、2005〜08年、大阪府と三重県の計
約400人の赤ちゃんに対し、生後4か月、9か月、1歳半、2歳半の時点で成長の度合いを調
査した。調査は親へのアンケートや親子の行動観察などを通して実施。自ら親に働きかける
「主体性」や相手の様子に応じて行動する「共感性」など、5分野25項目で評価した。

 その結果、生後4〜9か月時点で父母が「育児でほめることは大切」と考えている場合、その
子供の社会適応力は1歳半時点で明らかに高くなった。また、1歳半〜2歳半の子供に積み木
遊びを5分間させたとき、うまく出来た子供をほめる行動をとった親は半数程度いたが、その
子供の適応力も高いことも分かった。

 調査では、〈1〉規則的な睡眠習慣が取れている、〈2〉母親の育児ストレスが少ない、〈3〉親
子で一緒に本を読んだり買い物をしたりすることも、子供の適応力の発達に結びつくことが示
された(読売新聞090228)

+++++++++++以上、読売新聞より+++++++++++

ほめることは、幼児教育の要(かなめ)である。
それを疑う人は、いない。
しかし……?

こんなことは、すでに大脳生理学の分野で、証明されていることではないのか。
人のやさしさを司るのは、辺縁系の中の、扁桃核(扁桃体)と言われている。
たとえば人にほめられたり、やさしくされたりすると、その信号は、扁桃核に送られる。
その信号を受けて、扁桃核は、エンドロフィンやエンケファリンなどの、いわゆる
モルヒネ様のホルモンを分泌する。
その結果、その人(子どもは)は、甘い陶酔感を覚える。
この陶酔感が、(やさしさ)につながる。

以前書いた原稿をさがしてみる。

++++++++++++++++++

●意思

 最近の研究では、「自分の意思」ですらも、実は、脳の中で、作られるものだということがわか
ってきた(澤口俊之氏「したたかな脳」日本文芸社)。

 たとえばテーブルの上に、ミカンがあったとしよう。するとあなたは、そのミカンに手をのばし、
それを取って食べようとする。

 そのとき、あなたは、こう思う。「私は自分の意思で、ミカンを食べることを決めた」と。

 が、実は、そうではなく、「ミカンを食べよう」という意思すらも、脳の中で、先に作られ、あなた
は、その命令に従って、行動しているだけ、という。詳しくは、「したたかな脳」の中に書いてあ
るが、意思を決める前に、すでに脳の中では別の活動が始まっているというのだ。

たとえばある人が、何らかの意思決定をしようとする。すると、その意思決定がされる前に、す
でに脳の別のところから、「そういうふうに決定しないさい」という命令がくだされるという。

 (かなり大ざっぱな要約なので、不正確かもしれないが、簡単に言えば、そういうことにな
る。)

 そういう点でも、最近の脳科学の進歩は、ものすごい! 脳の中を走り回る、かすかな電気
信号や、化学物質の変化すらも、機能MRIや、PETなどによって、外から、計数的にとらえてし
まう。

 ……となると、「意思」とは何かということになってしまう。さらに「私」とは、何かということにな
ってしまう。

 ……で、たった今、ワイフが、階下から、「あなた、食事にする?」と声をかけてくれた。私は、
あいまいな返事で、「いいよ」と答えた。

 やがて私は、おもむろに立ちあがって、階下の食堂へおりていく。そのとき私は、こう思うだろ
う。「これは私の意思だ。私の意思で、食堂へおりていくのだ」と。

 しかし実際には、(澤口氏の意見によれば)、そうではなくて、「下へおりていって、食事をす
る」という命令が、すでに脳の別のところで作られていて、私は、それにただ従っているだけと
いうことになる。

 ……と考えていくと、「私」が、ますますわからなくなる。そこで私は、あえて、その「私」に、さ
からってみることにする。私の意思とは、反対の行動をしてみる。が、その「反対の行動をして
みよう」という意識すら、私の意識ではなくなってしまう(?)。

 「私」とは何か?

 ここで思い当たるのが、「超自我」という言葉である。「自我」には、自我を超えた自我があ
る。わかりやすく言えば、無意識の世界から、自分をコントロールする自分ということか。

 このことは、皮肉なことに、50歳を過ぎてみるとわかる。

 50歳を過ぎると、急速に、性欲の働きが鈍くなる。性欲のコントロールから解放されるといっ
てもよい。すると、若いころの「私」が、性欲にいかに支配されていたかが、よくわかるようにな
る。

 たとえば街を歩く若い女性が、精一杯の化粧をし、ファッショナブルな服装で身を包んでいた
とする。その若い女性は、恐らく、「自分の意思でそうしている」と思っているにちがいない。

 しかし50歳を過ぎてくると、そういう若い女性でも、つまりは男性をひきつけるために、性欲
の支配下でそうしているだけということがわかってくる。女性だけではない。男性だって、そう
だ。女性を抱きたい。セックスしたいという思いが、心のどこかにあって、それがその男性を動
かす原動力になることは多い。もちろん、無意識のうちに、である。

 「私」という人間は、いつも私を越えた私によって、行動のみならず、思考すらもコントロール
されている。

 ……と考えていくと、今の私は何かということになる。少なくとも、私は、自分の意思で、この
原稿を書いていると思っている。だれかに命令されているわけでもない。澤口氏の本は読んだ
が、参考にしただけ。大半の部分は、自分の意思で書いている(?)。

 が、その意思すらも、実は、脳の別の部分が、命令しているだけとしたら……。
 
 考えれば考えるほど、複雑怪奇な世界に入っていくのがわかる。「私の意識」すらも、何かの
命令によって決まっているとしたら、「私」とは、何か。それがわからなくなってしまう。

++++++++++++++++

そこでひとつの例として、「子どもの
やる気」について考えてみたい。

子どものやる気は、どこから生まれるのか。
またそのやる気を引き出すためには、
どうしたらよいのか。

少し話が脱線するが、「私の中の私を知る」
ためにも、どうか、読んでみてほしい。

++++++++++++++++

●子どものやる気

+++++++++++++

子どもからやる気を引き出すには
そうしたらよいか?

そのカギをにぎるのが、扁桃体と
いう組織だそうだ!

++++++++++++++

 人間には、「好き」「嫌い」の感情がある。この感情をコントロールしているのが、脳の中の辺
縁系にある扁桃体(へんとうたい)という組織である。

 この扁桃体に、何かの情報が送りこまれてくると、動物は、(もちろん人間も)、それが自分に
とって好ましいものか、どうかを、判断する。そして好ましいと判断すると、モルヒネ様の物質を
分泌して、脳の中を甘い陶酔感で満たす。

たとえば他人にやさしくしたりすると、そのあと、なんとも言えないような心地よさに包まれる。そ
れはそういった作用による(「脳のしくみ」新井康允)。が、それだけではないようだ。こんな実験
がある(「したたかな脳」・澤口としゆき)。

 サルにヘビを見せると、サルは、パニック状態になる。が、そのサルから扁桃体を切除してし
まうと、サルは、ヘビをこわがらなくなるというのだ。

 つまり好き・嫌いも、その人の意識をこえた、その奥で、脳が勝手に判断しているというわけ
である。

 そこで問題は、自分の意思で、好きなものを嫌いなものに変えたり、反対に、嫌いなものを好
きなものに変えることができるかということ。これについては、澤口氏は、「脳が勝手に決めてし
まうから、(できない)」というようなことを書いている。つまりは、一度、そうした感情ができてし
まうと、簡単には変えられないということになる。

 そこで重要なのが、はじめの一歩。つまりは、第一印象が、重要ということになる。

 最初に、好ましい印象をもてば、以後、扁桃体は、それ以後、それに対して好ましい反応を
示すようになる。そうでなければ、そうでない。たとえば幼児が、はじめて、音楽教室を訪れたと
しよう。

 そのとき先生のやさしい笑顔が印象に残れば、その幼児は、音楽に対して、好印象をもつよ
うになる。しかしキリキリとした神経質な顔が印象に残れば、音楽に対して、悪い印象をもつよ
うになる。

 あとの判断は、扁桃体がする。よい印象が重なれば、良循環となってますます、その子ども
は、音楽が好きになるかもしれない。反対に、悪い印象が重なれば、悪循環となって、ますま
すその子どもは、音楽を嫌いになるかもしれない。

 心理学の世界にも、「好子」「嫌子」という言葉がある。「強化の原理」「弱化の原理」という言
葉もある。

 つまり、「好きだ」という前向きの思いが、ますます子どもをして、前向きに伸ばしていく。反対
に、「いやだ」という思いが心のどこかにあると、ものごとから逃げ腰になってしまい、努力の割
には、効果があがらないということになる。

 このことも、実は、大脳生理学の分野で、証明されている。

 何か好きなことを、前向きにしていると、脳内から、(カテコールアミン)という物質が分泌され
る。そしてそれがやる気を起こすという。澤口の本をもう少しくわしく読んでみよう。

 このカテコールアミンには、(1)ノルアドレナリンと、(2)ドーパミンの2種類があるという。

 ノルアドレナリンは、注意力や集中力を高める役割を担(にな)っている。ドーパミンにも、同
じような作用があるという。

 「たとえば、サルが学習行動を、じょうずに、かつ一生懸命行っているとき、ノンアドレナリンを
分泌するニューロンの活動が高まっていることが確認されています」(同P59)とのこと。

 わかりやすく言えば、好きなことを一生懸命しているときは、注意力や集中力が高まるという
こと。

 そこで……というわけでもないが、幼児に何かの(学習)をさせるときは、(どれだけ覚えた
か)とか、(どれだけできるようになったか)とかいうことではなく、その幼児が、(どれだけ楽しん
だかどうか)だけをみて、レッスンを進めていく。

 これはたいへん重要なことである。

 というのも、先に書いたように、一度、扁桃体が、その判断を決めてしまうと、その扁桃体が、
いわば無意識の世界から、その子どもの(心)をコントロールするようになると考えてよい。「好
きなものは、好き」「嫌いなものは、嫌い」と。

 実際、たとえば、小学1、2年生までに、子どもを勉強嫌いにしてしまうと、それ以後、その子
どもが勉強を好きになるということは、まず、ない。本人の意思というよりは、その向こうにある
隠された意思によって、勉強から逃げてしまうからである。

 たとえば私は、子どもに何かを教えるとき、「笑えば伸びる」を最大のモットーにしている。何
かを覚えさせたり、できるようにさせるのが、目的ではない。楽しませる。笑わせる。そういう印
象の中から、子どもたちは、自分の力で、前向きに伸びていく。その力が芽生えていくのを、静
かに待つ。

 (このあたりが、なかなか理解してもらえなくて、私としては歯がゆい思いをすることがある。
多くの親たちは、文字や数、英語を教え、それができるようにすることを、幼児教育と考えてい
る。が、これは誤解というより、危険なまちがいと言ってよい。)

 しかしカテコールアミンとは何か?

 それは生き生きと、顔を輝かせて作業している幼児の顔を見ればわかる。顔を輝かせている
その物質が、カテコールアミンである。私は、勝手に、そう解釈している。
(はやし浩司 子供のやる気 子どものやる気 カテコールアミン 扁桃体)

【補記】

 一度、勉強から逃げ腰になると、以後、その子どもが、勉強を好きになることはまずない。
(……と言い切るのは、たいへん失礼かもしれないが、むずかしいのは事実。家庭教育のリズ
ムそのものを変えなければならない。が、それがむずかしい。)

 それにはいくつか、理由がある。

 勉強のほうが、子どもを追いかけてくるからである。しかもつぎつぎと追いかけてくる。借金に
たとえて言うなら、返済をすます前に、つぎの借金の返済が迫ってくるようなもの。

 あるいは家庭教育のリズムそのものに、問題があることが多い。少しでも子どもがやる気を
見せたりすると、親が、「もっと……」「うちの子は、やはり、やればできる……」と、子どもを追
いたてたりする。子どもの視点で、子どもの心を考えるという姿勢そのものがない。

 本来なら、一度子どもがそういう状態になったら、思い切って、学年をさげるのがよい。しかし
この日本では、そうはいかない。「学年をさげてみましょうか」と提案しただけで、たいていの親
は、パニック状態になってしまう。

 かくして、その子どもが、再び、勉強が好きになることはまずない。
(はやし浩司 やる気のない子ども 勉強を好きにさせる 勉強嫌い)

【補記】

 子どもが、こうした症状(無気力、無関心、集中力の欠如)を見せたら、できるだけ早い時期
に、それに気づき、対処するのがよい。

 私の経験では、症状にもよるが、小学3年以上だと、たいへんむずかしい。内心では「勉強
はあきらめて、ほかの分野で力を伸ばしたほうがよい」と思うことがある。そのほうが、その子
どもにとっても、幸福なことかもしれない。

 しかしそれ以前だったら、子どもを楽しませるという方法で、対処できる。あとは少しでも伸び
る姿勢を見せたら、こまめに、かつ、すかさず、ほめる。ほめながら、伸ばす。

 大切なことは、この時期までに、子どものやる気や、伸びる芽を、つぶしてしまわないこと。







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【おとなしい子どもほど、心配】(子どもは削っ
て、伸ばす)

●抑圧(Excessive Pressure causes
Trauma)

Excessive Pressure against children often makes another rooms in children's minds, which 
causes trauma. 

+++++++++++++++++++++++

よくあるケース。
子どもがその年齢になると、親に向かって、こう叫ぶ。
「こんなオレにしたのは、お前だろ!」
「どうしてオレなんかを、産んだ!」
「オレなんか、産んでもらわなかったほうがよかったア!」と。

ふつうの言い方ではない。
親をはげしい口調でののしり、罵倒する。
今にも親につかみかかりそうな雰囲気で、そう言う。
実際そのとき、子どもに、殴られる親も多い。
さらに、ときにそのまま子どもに殺されてしまうことも……(絶句)。

が、この種の罵倒、暴言で、特徴的なのは、子どもが高校生になっても、
20歳になっても、さらに30歳になっても、40歳、50歳に
なっても、それが「ある」ということ。

ふつうの常識で考えれば、10年前、20年前、30年前の話を
もちだすこと自体、理解できない。
が、それだけではない。
さらに理解できないことは、その間、良好な親子関係があったとしても、
それは、ほとんど意味をもたないということ。
途中の記憶、思い出が、そのままどこかへ吹き飛んでしまう。

ある父親は、ときどき、同じようなセリフで、息子に罵倒さるという。
父親はこう言う。
息子といっても、結婚し、子どもも2人いる。
息子の年齢は、40歳を超えている。

「たしかに私は、けっしてほめられるような父親ではありませんでした。
しかし30年近くも前のことに、どうして息子は、こうまでこだわるのでしょう。
その間に、孫が2人、生まれ、それなりによい人間関係を築いてきた
つもりなのですが……」(G県、UT氏)と。

心理学の世界では、こうした現象を、「抑圧」という言葉を使って説明する。
抑圧の恐ろしさは、そのときはわからない。
10年とか、20年とか……時の流れを超えて、出てくる。
しかも症状が、はげしい!

++++++++++++++++++++++++

●心の別室

はげしい欲求不満がつづくと、人は、とくに子どもは、心の中の別室につくり、
そこに自分の欲求不満を閉じ込める。
閉じ込めることによって、その場をやり過ごす。 
それがトラウマ、つまり心的外傷となることがある。

よく教育の世界では、「おとなしい子どもほど心配」という。
あとあと何かと問題を起こし、指導がむずかしくなることをいう。
つまり親や教師の前で、従順で、おとなしく、それに素直に(?)従う。
一見、できのよい、ものわかりのよい子どもほど、実は心配。
教師の立場でいうなら、教えやすい子どもに見えるかもしれないが、その分だけ、
心をゆがめる。

ここでいう「抑圧」も、そのひとつ。
人は、そして子どもは心の中に別室をつくり、悶々とした自分を、その中に閉じ込める。
閉じ込めることによって、自分の心を守る。

●無時間の世界

ところで心の世界には、原則として、時間はない。
時間が働くのは、(現実)の世界だけ。
たとえば記憶にしても、よく「古い記憶」「新しい記憶」という言葉を使う。
しかし記憶は、時間的経緯の中で、脳の中に「層」になって蓄積されるわけではない。
てんでばらばらに、それぞれの部分に、蓄積される。

(記憶のメカニズムは、複雑で、未解明な部分も多い。)

だから記憶自体には、時間はない。
「古い記憶」「新しい記憶」といっても、デジカメの写真のように、
日付が書き込まれているわけではない。
記憶のどこかに、(09−02−28)とあれば、2009年の2月28日ということが
わかる。
そうした記録は、記憶にはない。

だから10年前の記憶にしても、それが10年前とわかるのは、その記憶の中の
自分の姿や、まわりの様子からである。
それがなければ、わからない。
つまり古い記憶だから、それなりにセピアカラーになるということもない。
つまりは、記憶が鮮明に残っているかどうかは、そのときの印象の強烈さによって決まる。

●呼び起こされる「抑圧」状態

別室に入った記憶は、何らかのきっかけで、呼び起こされる。
それが強烈であればあるほど、呼び起こされたときの反応も、また強烈である。
同じようによくある例が、夫婦喧嘩。

夫婦喧嘩をしながら、20年前、30年前の話を持ち出す人は多い。
結婚当初のこだわりを持ち出し、「どうしてお前は(あなたは)、あのとき……!」と。

もう一方の側にすれば、とっくの昔に忘れてしまってよいような話ということに
なる。
つまり別室に入っているため、その間に、いくら楽しい思い出があったとしても、
別室に入った記憶については、上書きされるということはない。
ずっとそのままの状態で、残る。

具体的な例をあげてみよう。

私の父は今でいうアルコール中毒者だったが、酒が入るたびに、20年前、30年前の
話をもちだして、母を責めた。
こんなことがあった。(……らしい。)

結婚が決まったときのこと。
母が母の家に来てほしいと言った。
それで父が、母の家に行くと、そこに母の兄弟がずらりと並んで待っていたという。
父はそれに驚いた。
で、そのとき母が、兄弟の側に座っていて、父にみなの前で、土下座させたという。
当時は、板間と、一段高くなった、畳の間に分かれていたらしい。
父は酒が入るたびに、こう言っていた。

「どうしてお前は、あのとき、オレに土下座させたア!」と。
父には、それがよほどくやしかったらしい。

●心の病気

心に別室をつくり、そこの抑圧された自分を閉じ込める。
その抑圧された自分が、時間を超えて、何かのきっかけで爆発する。
自分で自分をコントロールできなくなる。
興奮状態になり、怒鳴り散らしたり、暴れたり、暴力を振るったりする。

今では、それ自体が、(心の病気)として考えられるようになった。
症状からすると、パニック障害に似ている。
精神科にせよ、心療内科にせよ、そういうところへ行けば、立派な診断名を
つけてもらえるはず。

●病識

それはともかくも、この病気には、ひとつ、重大な別の問題が隠されている。
「病識」の問題である。
ほとんどのばあい、そういう自分を知りながら、それを病気と自覚している
人は少ない。
(子どもでは、さらにいない。)
つまり病識がない。
そういう病識のない人に、どうやってその病気であることを自覚してもらうか、
それが問題。

それがないと、ドクターであれば、つぎのステップに進めない。
子どもの指導でも、つぎのステップに進めない。
話し合いそのものが、できない。

だからことこの「抑圧」の問題に関して言えば、本人自身が、そういった心の
問題、つまりトラウマ(心的外傷)に気がつくこと。
そのためにそういった人たちの集まる会に出たり、あるいは、私が今、
ここに書いているようなことを自分で読む。
そして自分で自分の中の、(心の別室)に気がつく。

それに気がつけば、あとは時間が解決してくれる。
自分で自分をコントロールできるようになる。
ドクターにしても、薬で治せるような病気でないため、結局はカウンセリング
で、ということになる。

●「抑圧」自己診断

つぎのような症状があれば、心の別室があると判断してよい。

(1)ふだんはそのことを忘れている。
(2)しかし何かのきっかけで、時間を超えて古い過去をもちだし、パニック状態
になる。理性的なコントロールがきかなくなる。
(3)そのときの記憶が、つい数時間前のできごとであるかのように、鮮明に
呼び戻される。そのときの怒りや不満が、そのまま出てくる。
(4)その過去にこだわり、相手を罵倒したり、相手に暴言を吐いたりする。
ときにはげしい暴力行為をともなうこともある。
(5)パニック状態が終わり、再びふだんの生活にもどると、何ごともなかったかの
ように、また日常的生活が始まる。

診断名については、ドクターに相談して、つけてもらったらよい。
ここでは、「心の病気」とだけしておく。

●子どもの世界では

これで「おとなしい子どもほど心配」という言葉の意味をわかってもらえた
と思う。
子どもというのは、そのつど、言いたいことを言い、したいことをする。
それが子どもの(原点)ということになる。

強圧や威圧で、子どもは、一見、おとなしく従順になるが、それはけっして
子ども本来の姿ではない。
またそういう子どもを、理想の子どもと思ってはいけない。
あるべき子どもの姿と思ってはいけない。

まず好きなように、ワーワーと自己主張させる。
それを原点として、年齢とともに、少しずつ軌道修正していく。

以前、私は『子どもは削って伸ばせ』という格言を考えた。
つまりまず、四方八方に伸ばすだけ、伸ばす。
その上で、好ましくない部分については、削りならが修正していく。
けっして子どもを、盆栽のように、最初から、小さな箱の中に、閉じ込めてはいけない。
この格言の真意は、ここにある。

幼児教育においては、とくに大切なポイントのひとつということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
パニック障害 抑圧 心の別室 子どもの暴言 暴力 抑圧された心 抑圧の暴走 
はやし浩司 子どもは削って伸ばす 心的外傷 心的外傷後ストレス障害 トラウマ
幼児期のトラウマ)

(補記)
私の教室(BW教室)では、子どもたちに言いたいことを言わせ、したい
ことをさせる。
そこからまず、指導を始める。
具遺体的には、大声で、自分の言いたいことを表現させる。
この時期、(心の状態=情意)と(顔の表情)が、一致している子どもを、
「すなおな子ども」という。
うれしいときは、うれしそうな顔をする。
悲しいときは、悲しそうな顔をする。
そうした表情を、自然な形で表現できる子どもを、「すなおな子ども」という。
まず、そういう子どもにすることを目指す。

子どもを抑えるのは、簡単。
伸ばすのは難しいが、抑えるのは簡単。
抑えるのは、子ども自身にそれだけの抵抗力ができてから、ということになる。
年齢的には、年長児の終わりごろ。
それまでは、まず四方八方に伸ばす。

こうした子どもの様子は、私のHPの「BW公開教室」で、見ることができる。
一度、参考にしてみてほしい。
一見騒々しく見える教室だが、子どもたちの伸びやかな様子に、どうか注目!

はやし浩司のHP:
http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/
→(BW公開教室)








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【夫婦の同一化】

●土下座

昨日、こんな話を聞いた。
父親が、何かの事業に失敗した。
その責任(?)を取らされて、父親が、家族の前で、土下座して謝ったという。
このところの大不況で、ありえない話ではない。
が、つぎのことを知って、言葉を失った。
父親に「土下座しろ!」と迫ったのは、母親、つまりその父親の妻だった。
妻が夫に向かって、「土下座して、謝れ!」と。
それでその父親が、子ども(小学生2人、幼児1人)の前で、土下座して、謝った。

この話を聞いて、何とも言われない重い気持ちに包まれた。
やりようのない閉塞感というのは、そういうときの気分をいうのか。

たとえそうであっても、つまり夫が事業に失敗しても、妻たるもの、そこまで
夫にさせてはいけない。
そのときはそれですんだとしても、それを見ていた子どもたちに、大きなしこりを
残す。

●こだわり

少し前だが、こんな話も耳にした。
婚約してまもなくのこと。
女性のほうが、男性を、自分の実家に連れていくことになった。
実家は、岐阜県の山奥にあった。

で、その実家を前にしたところで、道の向こうのほうから、
2人の女性が歩いてきた。
その女性の友人たちであった。
そのときのこと。
何を思ったか、その女性が、男性を近くの竹やぶに突き倒し、
「あんたは、ここに隠れていて!」と。

なぜその女性が、そういう行動に出たのかは、私にはわからない。
婚約者に不満をもっていたのかもしれない。
常識的に考えれば、そうなる。
あるいは一瞬の照れ隠しだったかもしれない。
しかしそういうことをされた男性の気持ちは、どうなのか。

結局のこのときの事件がきっかけで、男性のほうから婚約を破棄。
「どうしてぼくを突き飛ばしたのか?」という質問に、女性のほうは、
最後まで答えられなかったという。

●さらに……

子どもの前で、父親(夫)が母親(妻)の悪口を言うのは、タブー。
母親(妻)が父親(夫)の悪口を言うのも、タブー。
そのときはそのときで、子どもは父親や母親の話を聞くかもしれないが、
やがて親子の間に、大きなキレツを入れることになる。
これを心理学の世界でも、「三角関係」と呼ぶ。
家庭教育そのものが、崩壊する。

で、その悪口の中に、こんなのがあった。
これについては、以前にもどこかで書いたことがあるが、こんなのである。
ある母親(妻)が、子どもに向かって、こう言った。

「お父さんの稼ぎが少ないでしょ。だから私たちは、苦労するのよ」と。

母親としては、生活の苦しさを子どもに伝えたかっただけかもしれない。
子どもに妻としての、自分の苦労を理解してもらいたかっただけかもしれない。
しかしこういう言い方は、決定的に、まずい。

●遊離する女性たち

「ならば、はじめから結婚などしなければいい」と、だれしも思う。
家族の前で父親(夫)を土下座させた母親(妻)にしても、竹やぶに婚約者を
突き倒した女性にしても、また子どもに向かって、「お父さんの稼ぎが少ない……」
と言った母親(妻)にしても、だ。

こうした女性たちに共通する心理はといえば、(現実からの遊離)ということになる。
現実そのものに、根をおろしていない。
だから、そういう(おかしなこと)を、言ったりしたりしながらも、それを
「おかしい」とも思わない。
「夫婦」という「運命共同体」をつくりながら、その共同体から遊離してしまう。
「自分だけは、ちがう」と思ってしまう。
別の世界に、住んでしまう。

●夫婦は一枚岩

そうでなくても難しいのが子育て。
夫婦がバラバラで、どうして子育てが満足にできるというのか。
が、ここで書きたいのは、そのことではない。
何ゆえに、ときとして、母親(妻)は、家族から遊離してしまうかということ。
遊離して、自分だけの世界に閉じこもってしまうかということ。

簡単に考えれば、結婚相手に不満があったということになる。
不本意な結婚で、父親(夫)と同一化の形成ができなかったということになる。
常識で考えれば、「そういう夫を選んだのは、あなたという妻ではないか」ということに
なる。
さらにきびしい言い方をすれば、「そういう夫としか結婚できなかったのは、あなたの
責任」ということになる。
が、そういうことは、このタイプの母親(妻)には、理解できない。

●血統空想

「血統空想」という言葉がある。
ジークムント・フロイトが使った言葉である。
ある年齢に達すると、男児は、自分の血統を空想するようになる、という。
「ぼくの父親は、もっと高貴な人間であったはず」と。

この血統空想をヒントにすると、このタイプの母親(妻)は、父親(夫)と
結婚しながらも、夫を受け入れることができず、血統空想の中で生きている
ということになる。
言うなれば、「自己血統空想」ということになる。

「私の夫は、もっと高貴で、力のある人でなくてはならない」
「私はそれにふさわしい女性である」と。

フロイトが説いた「血統空想」は、父親の血統を疑うというものだが、このタイプの
母親(妻)の血統空想は、自分に向けられたもの。
だから「自己血統空想」(これは私が考えた言葉)ということになる。


この血統空想が肥大化して、家族から遊離する。
家族の一員でありながら、その家族に同化できなくなってしまう。
その結果として、父親(夫)に土下座させたり、竹やぶに突き倒したり、さらには、
子どもの前で、父親(夫)を、平気でけなしたりするようになる。

●同一化の形成

夫婦は夫婦になったときから、同一化を形成する。
「一体化」と言い換えてもよい。
その形成に失敗すると、ここに書いたような結果を生み出す。

「夫が恥ずかしい」「妻が恥ずかしい」と思うようであれば、すでに同一化は
崩壊しているとみてよい。
反対に、こんなことを口にする夫婦もいる。
「私は今の夫と結婚できて、幸せです」「私の夫は、すばらしい人です」と。

一見、すばらしい夫婦に見えるが、このばあいも、同一化は崩壊していると
みてよい。
本当にうまくいっている夫婦なら、つまり同一化の確立している夫婦なら、そんな
ことは、他人に言わない。
そういうことを言うということ自体、妻であれば、夫に対して、大きな不満を
いだいていることを示す。
その反動として、つまり自分の心を偽るため、そういった言葉を口にする。

そこで同一化のレベルを、段階的に示してみる。

●同一化のレベル

(レベル0)夫婦といっても、他人と他人との関係
(レベル1)夫婦といっても、形だけ。すべきことはするが、いつもそこまで。
(レベル2)共同作業はいっしょにするが、生き様を共有できない。
(レベル3)ほどほどにわかりあっているが、全幅に心を開くことはできない。
(レベル4)心を開きあい、共通の人生観、哲学をもっている。
(レベル5)一体性がきわめて強く、密接不可分の関係。

「理想としては……」と書きたいが、夫婦の形態は、まさに千差万別。
中身も千差万別。
それぞれがそれぞれの立場で、それなりにほどよくやっていれば、それでよし。
それぞれには、それぞれの家庭の事情もある。
問題もある。
また自分たち夫婦が、同一化の形成に失敗したからといって、大げさに悩む必要は
ない。
世の中には、月に2、3度しか会わなくても、それでもうまくいっている夫婦が
いる。
反対に毎日、ほとんどの時間をいっしょに過ごしていても、心はバラバラという
夫婦もいる。
大切なことは、その中でも、高度な次元で、たがいに尊敬しあって生活するということ。

そういう意味でも、子どもの前で、父親(夫)を土下座させてはいけない。
竹やぶに、婚約者を突き飛ばしてはいけない。
父親(夫)の悪口を言ってはいけない。
そんなことをすれば、結局は、その母親(妻)自身のが愚かということを、
自ら証明することなる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
夫婦の同一化 同一化の形成 同一化の崩壊 三角関係 自己血統空想 血統空想) 








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

【無知という罪悪】(改)

++++++++++++++++

メキシコの作家の、Carlos Fuentes
は、こう言った。

Writing is a struggle against silence.

「書くことは、静寂との闘いである」と。

たしかにそうだ。

何ごともなく、無難に過ごそうと思えば、
それはできる。ひとり、静かに、小さな
部屋の中に、閉じこもっていればよい。

しかし人は、書くことによって、ものを
考え、考えることによって、生きること
ができる。

無知は、それ自体が、罪悪。

この言葉を知ったとき、数年間に書いた
原稿のことを思い出した。

++++++++++++++++

【無知という「罪悪」】

++++++++++++++++

「私は知らなかった」では、すまされない。
それが子どもの世界。

無知は、罪悪。そう考えるのは、きびしい
ことだが、しかし親たるもの、親としての
勉強を怠ってはいけない。

+++++++++++++++++

 これだけ情報が濃密に行きかう時代になっても、その情報の外に住んでいる人たちがいる。
自ら情報の外の世界に身を置くことにより、彼らの言葉を借りるなら、「情報がもつわずらわし
さから、自分を解放するため」だ、そうだ。

 しかし無知は、今の時代にあっては、罪悪と考えてよい。「知らなかった」では、すまされな
い。とくに相手が子どものばあい、親の独断と偏見ほど、こわいものはない。症状をこじらせる
だけではなく、ばあいによっては、取りかえしのつかない状態に、子どもを追いやってしまう。

【ケース1】

その母親は、静かで、おとなしく、従順な子どもほど、「できがいい」と信じていた(?)。そう信じ
ていたかどうかは、実のところ、はっきりしないが、そのように考えていたことは、子ども(女児・
年中児)の指導ぶりを見ていれば、わかる。もともと静かで、……というよりハキのない子ども
だった。ときにほんの少しでもハメをはずしたりすると、それを強く叱ったりしていた。

 母親自身も、依存性の強い人だった。こうした依存性は相互的なもので、依存性の強い子ど
もをみたら、母親自身も、そのタイプの人と考えてよい。つまり母親が依存的であればあるほ
ど、子どもの依存性に甘くなる。結果として、子どもも、依存性の強い子どもになる。その子ど
もは、何かできないことや、うまくいかないことがあったりすると、すぐ「ママ〜、ママ〜」と言っ
て、泣きべそをかいたりしていた。

そういう子どもを見て、その母親は、一方で子どもを抱き寄せながら、同時に、顔をしかめて叱
ったりしていた。が、ここにも書いたように、正すべきは、母親自身のほうにある。

 で、私はそれとなくその子どもの問題点を告げようとした。その子どもは、集団教育の場で
は、いい子ぶり、それだけ無理をしていた。子どもらしい、伸びやかさがない分だけ、ものごと
を内へ内へと、ためこんでいた。これは幼児期の子どもにとって、たいへん危険な兆候と考え
てよい。

が、その母親には、それだけの理解力がなかった。問題意識もなかった。私への信頼感も薄
く、私が感じている問題点にも、関心を示さなかった。そればかりか、「この教室は、うちの子ど
もには合わない」というように感じて、年中児の終わりに、教室を去っていった。

 こういうケースは、多い。多いが、私の立場にも限界がある。ここで「危険な兆候」と書いた
が、こういう状態がつづくと、子どもは外の世界で不適応症状を示すようになる。わかりやすく
いえば、環境に適応できなくなり、たとえばそれが不登園、不登校につながったりする。

さらに従順であることをよいことに、無理な学習を押しつければ、かなり早い段階で、燃え尽き
てしまうことも考えられる。実際、その子どもは、(勉強は、よくできた)。年中児だったが、文字
の読み書きなどは、平均児よりもはるかに、よくできた。それだけどこかで、教えこんでいたた
めである。

 で、最後まで、その母親とは、静かに話し合う機会はなかった。先にも書いたように、私への
信頼感も薄く、私をその程度の人間にしか見ていなかった。それが私にもよくわかった。表面
的には、私にはていねいだったが、いつもそこまで。「うちの子どものことは、私がいちばんよく
知っている」という態度で、私を軽くはねのけてしまった。

 子どもを伸ばすコツ……というより、子どもは、まず四方八方に、伸ばしてみる。言いたいこと
を言わせ、やりたいことをさせる。その上で、少しずつ枝葉を切り落とすように、抑えるとことは
抑えていく。最初から盆栽よろしく、親の設計図に合わせて、子どもを(作る)ようなことはして
はならない。何十人も、何百人も子どもを育てたことのある親なら、そういう設計図をもったとし
ても、よいかもしれない。しかしそんな親はいない。

 そのために子育てでは、いつも(風通し)を考える。風通しのよい子育てをする。ほかの親と
の情報交換をし、またそれを受け入れる。まずいのは、隔離された部屋で、マンツーマンの子
育てをすること。「私がしていることが、ぜったい正しい」という、独善的、独断的な子育てほど、
恐ろしいものはない。

言うなれば、これも、無知、無学のなせるわざということになる。


【ケース2】

 A君という年長児の子どもがいた。自閉症と診断されたわけではないが、軽い自閉傾向があ
った。一度何かのことで、こだわりを見せると、かたいカラの中に入ってしまった。たとえば幼稚
園へ行くときも、青いズボンでないと行かないとか、幼稚園でも、決まった席でないと、すわらな
いとか、など。居間の飾り物を動かしただけで、不機嫌になることもあった。

そのA君は、虫の写真の載っているカードを大切にしていた。いろいろな種類のカードをもって
いたが、その数が、いつの間にか、400枚近くになっていた。A君は、それを並べたり、箱に入
れたりして大切にしていた。

 が、A君の母親は、それが気に入らなかった。母親は、虫が嫌いだった。また母親が、カード
の入っている箱にさわっただけで、A君は、パニック状態になってしまったりしたからである。

 そこである日、A君が幼稚園へ行っている間に、母親は、そのカードが入っている箱を、倉庫
へしまいこんでしまった。が、それを知ったA君は、そのときから、だれが見ても、それとわかる
ほど、奇異な様子を見せるようになった。

 ボーッとしていたかと思うと、ひとり、何かを思い出してニヤニヤ(あるいはニタニタ)と笑うな
ど。それに気づいて母親が、カードを倉庫から戻したときには、もう遅かった。A君は、カードに
は見向きもしなくなってしまったばかりか、反対に、そのカードを破ったり、ゴミ箱に捨てたりし
た。

 それを見て、母親は、A君を強く叱った。「捨ててはだめでしょ」とか、何とか。私が、「どうして
カードを、倉庫へしまうようなことをしたのですか?」と聞くと、A君の母親は、こう言った。「だっ
て、ほかに、まだ、100枚近くももっているのですよ。それに私がしまったのは、古いカードが
入った箱です」と。

 自閉傾向のある子どもから、その子どもが強いこだわりをもっているものを取りあげたりする
と、症状が、一気に悪化するということはよくある。が、親には、それがわからない。いつもその
ときの状態を、「最悪の状態」と考えて、無理をする。

 この無理が、さらにその子どもを、二番底、三番底へと落としていく。が、そこで悲劇が終わ
るわけではない。親自身に、「自分が子どもの症状を悪化させた」という自覚がない。ないか
ら、いくら説明しても、それが理解できない。まさに、ああ言えば、こう言う式の反論をしてくる。
人の話をじゅうぶん聞かないうちに、ペラペラと一方的に、しゃべる。

私「子どもの気持ちを確かめるべきでした」
母「ちゃんと、確かめました」
私「どうやって?」
母「私が、こんな古いカードは、捨てようねと言いましたら、そのときは、ウンと言っていました」

私「子どもは、そのときの雰囲気で、『うん』と言うかもしれませんが、本当に納得したわけでは
ないかもしれません」
母「しかし、たかがカードでしょう。いくらでも売っていますよ」
私「おとなには、ただのカードでも、子どもには、そうではありません」
母「気なんてものは、もちようです。すぐカードのことは忘れると思います」と。

 私の立場では、診断名を口にすることはできない。そのときの(状態)をみて、「ではどうすれ
ばいいか」、それを考える。しかしA君の症状は、そのとき、すでにかなりこじれてしまってい
た。

 ……こうした親の無知が、子どもを、二番底、三番底へ落としていくということは、よくある。心
の問題でも多いが、学習の問題となると、さらに多い。少しでも成績が上向いてくると、たいて
いの親は、「もっと」とか、「さらに」とか言って、無理をする。

 この無理がある日突然、限界へくる。とたん、子どもは、燃えつきてしまったり、無気力になっ
てしまったりする。印象に残っている子どもに、S君(小2男児)という子どもがいた。

 S君は、毎日、学校から帰ってくると、1〜2時間も書き取りをした。祖母はそれを見て喜んで
いたが、私は、会うたびに、こう言った。「小学2年生の子どもに、そんなことをさせてはいけな
い。それはあるべき子どもの姿ではない」と。

 しかし祖母は、さらにそれに拍車をかけた。漢字の学習のみならず、いろいろなワークブック
も、させるようになった。とたん、はげしいチックが目の周辺に現われた。眼科で見てもらうと、
ドクターはこう言ったという。「無理な学習が原因だから、塾など、すぐやめさせなさい」と。

 そのドクターの言ったことは正しいが、突然、すべてをやめてしまったのは、まずかった。そ
れまでS君は、国語と算数の学習塾のほか、ピアノ教室と水泳教室に通っていた。それらすべ
てをやめてしまった。(本来なら、子どもの様子を見ながら、少しずつ減らすのがよい。)

 異常なまでの無気力症状が、S君に現われたのは、その直後からだった。S君は、笑うことも
しなくなってしまった。毎日、ただぼんやりとしているだけ。学校から帰ってきても、家族と、会話
さえしなくなってしまった。

 祖母から相談があったのは、そのあとのことだった。しかしこうなると、私にできることはもう
何もない。「もとのように、戻してほしい」と、祖母は言ったが、もとに戻るまでに、3年とか4年
はかかる。その間、祖母がじっとがまんしているとは、とても思えなかった。よくあるケースとし
ては、少しよくなりかけると、また無理を重ねるケース。こうしてさらに、子どもは、二番底、三番
底へと落ちていく。だから、私は指導を断った。

 子どもの世界では、無知は罪悪。そうそう、こんなケースも多い。

 進学塾に、特訓教室というのがある。メチャメチャハードな学習を子どもに強いて、子どもの
学力をあげようというのが、それ。ちゃんと子どもの心理を知りつくした指導者がそれをするな
らまだしも、20代、30代の若い教師が、それをするから、恐ろしい。ばあいによっては、子ど
もの心を破壊してしまうことにもなりかねない。とくに、学年が低い子どもほど、危険である。

 テストを重ねて、順位を出し、偏差値で、子どもを追いまくるなどという指導が、本当に指導な
のか。指導といってよいのか。世の親たちも、ほんの少しだけでよいから、自分の理性に照ら
しあわせて考えてみたらよい。つまり、これも、ここでいう無知の1つということになる。

 たいへんきびしいことを書いてしまったが、無知は、まさに罪悪。親として、それくらいの覚悟
をもつことは、必要なことではないか。今、あまりにも無知、無自覚な親が、多すぎると思うので
……。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 無知
 無知という罪悪 無学という罪悪)








書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●結婚はしてみたけれど
(認知的不協和)

++++++++++++++++

結婚はしてみたけれど、こんなハズではなかった……という
夫婦は多い。
心理学でいえば、「認知的不協和」ということになる。

++++++++++++++++

「個人のもつ認知に矛盾やアンバランスが生じたことを、
アメリカの心理学者のフェスティンガーは、認知的不協和と
名づけた」(大村政男著「心理学」ナツメ社、P172)とある。

日常的によく経験する。

先日もあるところへ旅行した。
その旅行先で、昼食にとある食堂へ入った。
しかし立派だったのは、店構えだけ。
値段ばかり高く、まずかった。

で、その食堂を出て、しばらく歩くと、そこに
行列のできた食堂が何軒かあった。
レジの前には、順番待ちの客が、ズラリと並んでいた。
それを見て、「こういうところで食べればよかった」と、
少なからず、後悔した。
言うなれば、これも認知的不協和?

しかしこれが結婚相手となると、ことは深刻。
子どもができれば、なおさらである。
そういうとき、人間は、認知的不協和から
「脱出」するため、4つのパターンから、
その一つを選ぶ(参考:同書)。

(1)この人しか私にはいないと、自分を納得させ、ほかの人と比較しない。
(2)離婚はしたくないので、がまんする。
(3)相手を育てるのは私と考え、ともに前向きに努力する。
(4)相手のよいところをさがし、それだけを評価するようにする。

この4つのパターンは、「心理学」を参考に、私が適当に考えたものである。
が、結婚生活というのは、実際には、もう少し複雑。
そのつど、この4つのパターンが、交互に、あるいは同時に、夫婦を襲う。
ときに自分を納得させ、ときにがまんし、また別のときには、あきらめる……。
この連続。

が、まずいのは、何と言ってもストレス。
認知的不協和も、ある一定の限度内なら、生活のスパイスとなる。
が、その限度を超えると、とたんにストレスとなって、その人を襲う。
おおまかにいえば、つぎのサイクルを踏む。

(平穏期)→(緊張期)→(爆発)→(沈静期)→(平穏期)……と。

しかしこれもどちらかというと、仲がよい夫婦のばあい。
ずっと(平穏期)のままという夫婦も、(緊張期)のままという夫婦もいるにはいるが、
そういう夫婦のほうが、あ・ぶ・な・い。
ただ周期の長さには、個人差がある。
2〜3か月ごとに(爆発)を迎え、大喧嘩する夫婦もいる。
1〜2年ごとに(爆発)を迎えるという夫婦もいる。
あるいは小刻みなサイクルを繰り返しながら、大きなサイクルを繰り返すという
夫婦もいる。
若い夫婦ほど、サイクルが短いということになるが、それにも個人差がある。

要するに夫婦喧嘩(=爆発)も、しかたの問題ということ。
だから昔から、こう言う。
『夫婦喧嘩は、犬も食わぬ』と。
つまり何でも食べる犬でも、夫婦喧嘩は食べない、と。
「仲のよい夫婦ほど夫婦喧嘩をし、一時的ですぐ和合するから、仲裁に入るのは
愚かである」(広辞苑)という意味。

大切なことは、こう考えること。
どんな夫婦にも、認知的不協和はつきもの。
あとは、どううまくつきあっていくかということ。
それが夫婦ということになる。

(付記)
最近、気がついたが、結果として離婚していく夫婦には、ある共通のパターンがある。
同時にそれぞれが、離婚に向かうというケースは、少ない。
そのとき、先に離婚を覚悟するほうを、離婚側とする。
どちらかというと不本意ながら、離婚をさせられるほうを、被離婚側とする。

ふつうは被離婚側が気がつかないうちに、離婚側が、離婚を覚悟を決めてしまう。
そしてある程度……というか、その覚悟がしっかりできた段階で、離婚側が、
被離婚側に、離婚話を持ち出す。
「離婚する」「離婚させてください」と。

定年離婚と呼ばれる離婚には、こうしたケースが多い。

で、そのときのこと。
離婚側のほうには、微妙な変化が現れる。
相手が夫であれ、妻であれ、(妻であることのほうが多いが……)、

(1)電話などでの応対が、ぞんざいになる。
(2)きめのこまかい交際をしなくなる。(何かものを送っても、礼のあいさつがない。)
(3)小さな悪口を、それとなく会話にまぜる。
(4)軽蔑したような表現が多くなる。
(5)会話の内容が事務的になり、しっくりとかみ合わなくなる。

で、しばらくそういう状態がつづき、部外者が「?」と思っていると、そのまま
離婚……ということになる。
たとえば数年前、私はある知人に電話をした。
その知人は、その町の中心部で事務所を開いたのだが、それがすぐ行き詰ってしまった。
そのことを知っていたので、その知人の妻に電話をしたとき、「ご主人も、たいへんですね」
と私は言った。
それに対して知人の妻は、「……あの人は、何をしても、ドジばっかり……」と。
小さい声だったが、どこか吐き捨てるような言い方だった。

で、あとで知ったのだが、そのすぐあと、知人夫婦は離婚していた。

一般論からいうと、(あるいは私の経験論ということになるが)、年齢が若いときに、
ラブラブの状態で結婚した人ほど、皮肉なことに、認知的不協和は起こりにくい。
一方、晩婚型で、計算高く結婚した人ほど、認知的不協和は起こりやすい。
年齢が高い分だけ、それだけ相手をよく見ているかというと、そうでもない。
あるいは、いくら知ったつもりでいても、人間を知りつくすのは、それほどまでに
むずかしいということ。
このことは、結婚歴40年近い、私にとっても、そうである。
いまだにワイフについて、わからないところがある。
(ワイフにしても、そうだろう。)

だからやはり結婚というのは、電撃に打たれるような衝撃を感じて、何も考えず、
ラブラブのまま、結婚するのがよいということになる。
盲目的な結婚が悪いというのではない。
どうせ、みな、盲目なのだから……。

♪Wise men say, only fools rash in. But I can't help falling love with you…

(愚かモノだけが、結婚に突進すると賢者は言う。しかし私はあなたに恋をするのを
止めることができない……。)









書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●ひねくれ症状

+++++++++++++++++

心のひねくれた子どもというのは、いる。
10人に1人とか、20人に1人とかはいる。

たとえばこんな会話をする。

私「春になって、気持ちいいね」
子「花粉症になるから、いやだ」
私「そう、それはたいへんだね」
子「たいへんじゃないわよ。苦しいよ」
私「……」と。

あるいは以前、こんな子ども(年長女児)もいた。
私が「今日はいい天気だね」と声をかけると、
キーッとにらみ返して、こう言った。
「いい天気じゃない。あそこに雲がある!」と。

私「雲があっても、いい天気じゃない?」
子「雲があるから、いい天気じゃない」
私「少しくらいあっても、青い空は見えるよ」
子「雲があるから、いい天気とは言わない」と。

++++++++++++++++++++

幼児期から少年少女期にかけて、慢性的な欲求不満がつづくと、それが
抑圧となって、心をゆがめる。
ひねくれ症状もそのひとつ。

私「だれだ、こんなところで水をこぼしたのは!」
子「水じゃ、ない。お茶!」
私「どうしてこぼしたの?」
子「先生が、そんなところに、茶碗を置いておくから悪い」
私「悪いって、こぼしたら、ごめんと言えばいい」
子「わざとじゃないから、謝る必要はない」と。

さらに私は教室では、ノート類はただで渡している。
そのノートをA君(小4)に、「これを使ってね」と言って渡したときのこと。
横にいたB子さん(小4)が、すかさず、こう言った。
「どうせ、100金(100円ショップ)のよ」と。

これには私もカチンときた。
だからB子さんを、たしなめた。
するとB子さんは、こう言った。
「本当のことを言っただけよ。どうして本当のことを言ってはいけないの!」と。

一事が万事。

B子さんが、新しい筆箱をもっていた。
私が「いい筆箱だね」と声をかけると、「安いか高いか、わからないわ」と。
「値段が、わからない」という意味で、そう言った。
すなおに、「うん」とか、「そう」という言葉が出てこない。
そこで私が、B子さんに、「あのね、そういうふうに、相手が言うことを、
否定してはだめだよ」と教えると、すかさずB子さんは、こう言った。
「私は、何も否定なんかしてないわよ」と。

こういうのをパラドックスという。
「否定していないわよ」と言って、相手を否定する。

このタイプの子どもには、一定の特徴がある。

(1)無意識下の言動であるため、「否定している」という意識そのものがない。
(2)自分がまちがえたり、失敗しても、それを最後まで認めない。
(3)「私は絶対に正しい」と思ったまま、カラの中に閉じこもってしまう。
(4)相手の非をすかさず持ち出して、「先生だって、この前……!」と切り返す。

だからこのタイプの子どもと接していると、こちらまで気がへんになる。
相手は子どもなのだが、本気で怒りを覚える。
が、もちろん本人には、否定しているという意識はない。
相手がどうして怒っているかも、理解できない。

「どうして、そんなことで、先生は怒るの!」と言い返してくる。
だから私のほうもムキになって、一言「ごめんと言えばそれですむことだろ」と諭す。
が、それに対しても、「私は何も悪いことをしていないのに、どうして謝らなくては
いけないのよ!」と、言い返す。
こういう状態になると、何を言っても無駄。
そこで強く叱ると、「ごめんと言えばいいのね、じゃあ、言うわよ。『ごめん』」と。

少年少女期に、一度、こういった症状が出てくると、その症状は、おとなに
なってからも、ずっとそのままつづく。
恐らく、老人になって死ぬまで、それがつづく。
ものの考え方の基本として、定着してしまうためと考えてよい。

では、どうすればよいか?

まず、自分に気がつくこと。
そのためには、自分の少年少女期を、静かに振り返ってみる。
不平不満もなく、いつも明るく、すがすがしい毎日を送っていただろうか。
それとも、いつも何か悶々とした毎日を送っていただろうか。
あるいはツッパリ症状があっただろうか。
そういったところから、自分を見つめなおしてみる。

あとは時間に任せるしかない。
10年とか、20年とか、それくらいはかかる。
今日気がついたから、来週にはなおるという問題ではない。
「心」というのは、そういうもの。
だから昔の人は、こう言った。

『三つ子の魂、百まで』と。

大切なことは、あなたはそうであっても、子どもには、そういう不幸な
経験をさせないということ。
愛情豊かで、心の温まる家庭を用意する。
それは子どもをツッパらせないためだけではない。
子どもの心をつくるための、親の義務と考えてよい。







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●情報の洪水(Floods of Information)

++++++++++++++++

数日前、BSアンテナを買った。
テレビ(=フル・ハイビジョン)に接続した。
NHKの視聴料金はずっと払ってきたが、一度、アンテナが
壊れ、そのままになっていた。

その間、数年間。
私は基本的には、テレビはあまり好きではない。
見るとしても、スポーツとかニュースだけ。
あとはDVD再生用。

が、久しぶりにBSを見て、驚いた。
チャンネル数だけでも、10前後ある。
その上、フル・ハイビジョン!
美しさがちがう。
ダントツにちがう。
……ということで、この数日間、テレビに釘付け。

++++++++++++++++

●考える暇

そこは情報の世界。
それが怒涛のように、飛び込んでくる。
つぎからつぎへと、立ち止まって考える暇もない。
チャンネルをあちこちに替えながら見ていると、頭の中が興奮状態になる。
自分でもそれがわかる。

そこでふと考えた。
「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」と。

情報の量が多いからといって、それだけ知識が豊富になったということにはならない。
情報というのは、一度、頭の中で、整理されなければならない。
そのつど立ち止まり、思考という形で、脳の中に刻んでこそ、
情報は情報としての意味をもつ。
一方的に情報の洪水の中にいると、それこそ情報の渦の中に巻き込まれてしまう。
具体的には、感覚が麻痺し、思考力を失ってしまう。

たとえて言うなら、薮から棒に、何か専門的なことを質問されたばあいを想像して
みればよい。
1つ2つならまだしも、そういう質問が、4つ5つと重なった場合を想像してみればよい。
1つや2つでも、私たちは、相手の質問の内容を吟味し、ゆっくりと答える。
いいかげんなことを言うと、かえって相手に誤解を招く。
これがここでいう「考える暇」というのが、それ。

もっとわかりやすい例では、落ち着きなく、あたりをキョロキョロと見回している
子どもがいる。
キョロキョロしているから、頭がよいということにはならない。
むしろ、その逆。
キョロキョロしながら、その実、何も考えていない。
その(キョロキョロした状態)になる。

●刺激されるのは右脳だけ

順に考えてみよう。

たとえば昨夜、民放(BS)で、アメリカの自然を特集していた。
ワシントン州の景色である。
私はその美しさに息をのんだが、もしそのとき、「きれい!」「美しい!」だけで
終わってしまったら、思考力ゼロということになる。
が、テレビのほうは、思考することそのものを許してくれない。
こちらが考える間もなく、つぎからつぎへと、画面を変えていく。

空撮から水辺、花畑から森の中、さらには時間を短縮した画像へ、と。
そのつどそれを見ている私たちは、それに振り回されるだけ。
もしそのとき、私たちにできることがあるといえば、即座にそれに反応することだけ。
子どもの世界で言うなら、右脳ばかりが刺激され、それで終わってしまう。

瞬間的な判断力は必要かもしれないが、それが思考力につながるということは、
論理的に考えても、ありえない。

●バラエティ番組

そこで私たちは何かの情報を得たら、それを吟味し、思考に変換していく。
分析し、論理として組み立てていく。
が、情報の洪水の中では、それができない。
その典型的な例が、バラエティ番組と呼ばれる番組である。

けばけばしいスタジオ。
けばけばしい出演者たち。
そういう人たちが、意味のないことをギャーギャーとわめき散らしている。
そういうことをするのが、テレビ番組のあり方とでも思っているよう。
またそういうことができないと、ああした番組には出られない。

ついでながら、もう1つ、気がついたことがある。

ああした番組に出てくる人たちは、それぞれのタレントについて、よく知っている。
「●△□さんねえ……」
「XXYさんねえ……」と。

残念ながら、私はそういう名前を出されても、1人も顔が浮かんでこない。
学者の世界で言うなら、ノーベル賞を受賞した学者の名前とかになるのだろう。
つまりそういう名前を相互に口にしながら、彼らは彼らで、自分たちのステータス
を守りあっている。
またそういう名前を出されたとき、「そんな人、知らない」とでも言おうものなら、
さあ、たいへん。
みなから袋叩きにあう。

そしていつもの自慢話。
「この前、●△□さんと、ドラマをご一緒させてもらいましてね……」
「XXYさんとは、〜〜パーティで、一緒になりましてね……」とか。

まるでテレビという世界を中心にした、特権階級に住んでいるかのよう。
それを見ている視聴者は、指をくわえて見ているだけ。

●かけ合い漫才

話が脱線したが、ああした人たちを見ていると、「この人たちには、静かに考える
時間があるのだろうか」と思う。
が、問題は、それを見ている人たち。
私たちはそうした番組を見ながら、情報に振り回されているだけ。
そのときはそれなりに楽しくても、あとには何も残らない。
残らないばかりか、毎回見ていれば、当然、その影響を受ける。

しゃべり方やジェスチャが似てくるのはしかたないとしても、
考え方まで似てくる。

まず相手をドキッとさせるように、スレスレのことを口にする。
「お前、何や?、そんなアホづらしてエ?」と。

あたかもそう言いあうのが、親しさの表れとでも言わんばかりの言い方である。
それを数回繰りかえしたあと、かけ合い漫才のようになる。
脳の表面に飛来した情報を、ペラペラと口にする。

そこで問題点を整理すると、こうなる。

●問題点

(1)情報の洪水(一方向的な情報の洪水)
(2)思考力の低下(浅薄化)
(3)情報の麻薬性(絶えず情報に接していないと落ち着かない)
(4)禁断症状(情報が切れると、落ち着かない)

(1)情報の洪水。

このばあいも、「だから、どうなの?」と自問してみればよい。
「それがわかったからといって、どうしたの?」と。
それだけでも情報の量は、かなり選択される。

(2)思考力の低下

これはテレビ局側のねらいとも一致する。
間断なく情報を流すと、脳みそはその間、思考停止の状態になる。
つまりカラッポ。
そのあとコマーシャルを流せば、視聴者をそのまま洗脳することができる。
が、視聴者こそ、よい迷惑。
テレビ局側に操られるまま、操られてしまう。

(3)情報の麻薬性

これは私の母や兄を観察していて気がついたことだが、見てもいないのに、
母や兄は、一日中、いつもテレビをつけっぱなしにしていた。
テレビをつけていないと、落ち着かないらしい。
「情報の麻薬性」というのは、それをいう。
が、それは同時に、視聴者の愚民化を意味する。

(考えること)には、ある種の苦痛がともなう。
情報を垂れ流すことによって、その苦痛から、身を守ることができる。

(4)禁断症状

情報に接している間は、安心感を覚える。
が、その情報が途絶えたとたん、不安になる。
こうした視聴者の心理をテレビ局側は知り尽くしている。
だから、愚劣番組を垂れ流す。

見るからにそれらしい出演者たち。
視聴者は、自分よりバカな人間がいることを知り、安心する。
この安心感こそが、テレビ文化の基本になっている。

だから……。
それが途絶えたとたん、視聴者には禁断症状が生まれる。
不安になる。
心配になる。
つまり(テレビ)は(集団)であり、その集団に身を寄せることで、
安心感を覚える。

●選択の問題

否定的な意見ばかり書いたが、だからといって、テレビそのものを否定している
わけではない。
だれの目から見ても、テレビは必要だし、功罪を説けば、「功」のほうが大きい。
だから冒頭に書いたように、これは「選択」の問題ということになる。
「いかに番組を選択して見るか」ということ。
その操作を誤ると、これも先に書いたように、「たいへんなことになる」。

テレビゲームを与えている間は、おとなしい。
しかしゲームを取りあげたとたん、禁断症状が現れる。
テレビ漬けになったおとなも、同じような症状を示す。

「選んで見ないと、これはたいへんなことになる」という意味は、
これでわかってもらえたと思う。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
テレビ テレビ文化 テレビの功罪)











【板取川】

●岐阜県・板取村へ

++++++++++++++++++++

今、ワイフと私は、電車
に乗って、板取村へと
向かっている。

++++++++++++++++++++

●電車の中で

この原稿は、電車の中で書き始めた。
名鉄・豊橋線の中。
土曜日ということもあって、子連れの夫婦が、
前後に何組か座っている。

私は職業柄、子どもたちの顔や姿を、ジロッ、ジロッと見てしまう。
どうしても見てしまう。
長く見る必要はない。
瞬間でよい。
時間にすれば、1秒前後か。
それでわかる。

年齢から、性格、さらには問題点まで。
で、私のばあい、10年〜後の姿まで、見えてくる。
「この子は、こうなって、ああなって……」と。
過去も見えてくる。
「どういう家庭環境で、どう育ったか」と。
どこかの予言者みたいな言い方をするが、これは事実。
しかしスピリチュアル(霊力)などという、インチキなものではない。
経験と知識に基づいている。

診断権こそないが、何か情緒に障害をもっている子どもにしても、
瞬間、垣間見ただけで、それがわかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。

もちろんその反対のこともある。
学校で、LD(学習障害児)と判断された子ども(小1男児)がいた。
(学校側が、それをはっきりと示したわけではないが……。)
学校側は親に、特別学級への編入を勧めていた。
が、私は「そうではないと思う」と、母親に告げた。
「〜〜ではないと思う」という診断なら、私にもくだせる。
で、2、3年もすると、その結果が、はっきりとしてくる。
その子どものばあいも、小学4年生になるころから、めきめきと
成績を伸ばし始めた。
現在は小学6年生だが、その学校のクラスでも、トップの成績を修めている。

……しかしそれがわずらわしいから、(子どもがわずらわしいからではない。
誤解のないように!)、本当は、こうした休日には、できるだけ子どもの
そばに、すわらないようにしている。
どうしても気になってしまう。
しかし、この席は、指定席。
車内も、ほぼまんべんなく、混んでいる。
席を移動することはできない。

●診断

ななめうしろの席のA君(小2くらい)。
度の強いメガネをかけている。
A君の遠視に気がついたのは、かなり遅かったのではないか。
年齢相応の人格の完成度に、やや欠ける。
動作が、どこか幼稚ぽい。
時折前の席に座った弟(5歳くらい)に、ちょっかいを出しているのは、
嫉妬からか。
赤ちゃん返りの後遺症も残っている。
弟の横には、母親が座っている。
それで弟の横にいる母親が気になるらしい。

……というようなことを書くのはやめよう。
今日は、一応、「旅行」。
仕事の話はなし!

+++++++++++++++++++++

【板取村・旅行記】

●生老から

「生老」……このあたりでは、「しょうろ」と読む。
その生老から、目的地の民宿「ひおき」まで、約10キロ。
生老で理髪店を営む従兄(いとこ)は、そう言った。

10キロ。
何とか歩けそう……ということで、私たちは歩き始めた。
坂道というほどでもないが、ときどきゆる〜い坂道。
5月の新緑が、まぶしいばかりに美しい。
私はそのつど、風景をビデオや、カメラに収める。

●Yさん

私は従兄のYさんを、尊敬の念をこめて、いつも「Yさん」と「さんづけ」で呼んでいる。
頭がよい。
キレる。
たまたま田舎にいるが、都会に住んでいれば、超一級のドクターになっていたはず。
今とちがって、昔は自分で自分の病気を治さねばならなかった。
それで医学を独学した。

そのYさんが、自力で、囲炉裏小屋を建てた。
それを見せてもらった。
土台から屋根、部屋の造作まで、すべてひとりで作ったという。
道楽に、これ以上の道楽があるだろうか。

「ぼくも山荘を作るとき、家以外は、すべて自分たちでしました」と話したら、
うれしそうだった。
趣味を同じくするものには、相通ずるものがある。

ただし一言。
家作りにせよ、土地作りにせよ、それを作っているときが楽しい。
作り終えたとき、そこでその道楽は終わる。
今の私がそうだ。
終わったとき、また別のものを求めて、さまよい歩く……。
従兄も、同じようなことを言っていた。

●万歩計

万歩計を見ると、すでに1万1000歩になっていた。
家を出るとき、ゼロにセットしたはず。
「それほど歩いていない」と思ったが、それだけ歩いたのだろう。
ふだんなら、一日の運動量としては、じゅうぶん。
それをワイフに告げると、「今日は2万歩を超えるかも……」と言った。

私はところどころでビデオを撮ったり、写真を撮ったりした。
その間にワイフは、100メートルほど先へ。
私は急いで追いつく。
写真を撮っては、追いつく。
その繰り返し。

●門出(かどいで)から、上ヶ瀬(かみがせ)

上ヶ瀬(かみがせ)……なつかしい地名が飛び込んできた。
昔、伯父が、この街道筋で、駄菓子屋を営んでいた。
何度か遊びに来て、菓子を分けてもらったことがある。

風景は、すっかり変わっていた。
洋風の家も、ところどころに見える。
が、何と言っても、道路が立派になった。
見るとワイフは、小さなタオルで額をぬぐいながら歩いていた。
「だいじょうぶ?」と何度も声をかける。
そのつどワイフは、「だいじょうぶ……」と。
歩いてまだ20分ほどなのに、もう無口になってしまった。

で、たしか伯父の店は、その村の中心部にあったはず。
裏から外を見ると、その下に板取川が見えた。
「どこだったのかな」と思っているうちに、上ヶ瀬の村を出てしまった。

●静かな村

5月2日、土曜日。
しかしどこも閑散としていた。
みやげもの屋や、土地の名産品を売る店もいくつかあったが、
客の姿は見えなかった。
今が行楽のベスト・シーズン。
暑くもなく、寒くもなく……。

「きっと不景気だからよ」とワイフは言った。
「そうだね」と私は答えた。

行き交う車の数も、少なかった。
うす曇り。
その雲を通して、日差しは白く、まぶしかった。
春の陽光が私たちの影を、道路にしっかりと作っていた。

その私……。
背中には、大型のリュックサック。
パソコン一式、ペットボトルなど。
10キロ以上はある。
それが少しずつだが、身にこたえるようになってきた。
ズシンズシンと、太ももにひびく。

●加部から生老

話は前後するが、生老のひとつ手前の村が、加部(かべ)。
順に並べてみると、こうなる。
加部→生老→上が瀬。

その加部から杉原(すぎはら)まで、
私は子どものころから、一度は、歩いてみたいと思っていた。
加部というのは、母の実家があるところ。
母は、13人兄弟の長女として、そこで生まれ育った。

その加部から生老までは、歩いて5分くらい。
加部まで車で送ってくれた人に礼を言って、生老まで歩いた。

どうして歩いてみたいかって?
それにはこんな理由がある。

●山の向こう

私は子どものころから、この板取村へ来るたびに、母にきまってこう
聞いたという。
「あの山の向こうは、どうなっている?」と。

母もそのことをよく覚えていて、ずっとあとになって、「浩司は、うるさかった」
と、何度もそう言った。
それがいまだに記憶のどこかに残っていて、この年齢になっても、(山の向こう)の
夢をよく見る。

山の向こうには別の村があって、そこには温泉がある。
温泉には洞窟があって、みながその洞窟の中で温泉につかっている、と。
子どものころには、山の向こうには、キツネが住んでいる部落があると、
本気で私は信じていた。

しかしおとなになってから、私がよく見る夢は、こんな夢だ。

●夢

金沢から富山に抜ける。
そこから山をくだっていくと、板取川の源流にたどりつく。
(実際には、富山から板取川に入る道はないが……。)
私はその源流をくだりながら、上流から下流へと、村々を通り過ぎて、
くだっていく……。
ただの旅行の夢だが、崖の下には、コバルト色の澄んだ川が見える。
ところどころで道は細くなり、農家の軒先を歩く。
どうということのない、たわいもない夢である。

で、その夢のルーツはといえば、幼いころの私に戻る。
私には、周囲の山々が、山というよりは、緑の壁のように見えた。
だからその壁の向こうがどうなっているか、それを知りたくてたまらなかった。
それが今の夢につながっている(?)。
たぶん……?

●アジサイ・ロード

「ぼくは今日、自分の夢を果たしている」
「一度は、歩いてみたかった」
「これでぼくは思い残すことはない」と。

ワイフはすでに何も言わなくなっていた。
下を向いたまま、景色を楽しむという余裕もなさそう(?)。
私にはそう見えた。

ところどころに「アジサイ・ロード」という標識が立っていた。
その標識の立っている周辺には、たしかにアジサイの木があった。
残念ながら、今は、その季節ではない。

で、見ると、ひとつの標識に「岩本(いわもと)」という地名が書いてあった。
とくに思い出はないが、正月の初詣に、母と、この村のお宮様に来たことがある。
このあたりでは、神社のことを、「お宮様」という。
私が小学生くらいのことではないか。

そうそう言い忘れたが、このあたりの人たちの姓は、ほとんどが「長屋」。
だからみな、姓ではなく、名前で呼びあっている。

●長屋氏

みな「長屋氏」を名乗っているが、一族というわけではない。
戦国時代に活躍した長屋氏の子孫でもない。
明治に入ってから、みながいっせいに、「長屋」の姓を名乗るようになったという。
(その昔には、岐阜城が落城したとき、長屋なんとかの守(かみ)が、
落人(おちうど)として、この地に移りすんだという話は聞いたことがある。
不正確な話で、ごめん。)

その昔は、この街道を通る人たちから、通行料を徴収していたという。
「徴収」といえば聞こえがよいが、要するに山賊(?)。
昔それを母に言って、えらく母に叱られたことがある。
「わっち(=私)の先祖は、山賊ではねえ(=ない)!」と。

この街道を抜ければ、岐阜から福井県の大野へ、そしてそのまま
日本海へ行くことができる。
昔は福井で取れた魚や、越中富山の薬売りなどが、この道を通ったという。
日本でも秘境のひとつと言ってもよい。
途中には、落差200メートル近い渓谷がある。
さらにその先では、恐竜の化石が、つぎつぎと発見されている。

●森林

30年ほど前、私は、板取村の中の山林を購入した。
よく調べなかった私が、「ターケボー」ということになる。
ターケボーというのは、このあたりの方言で、「愚か者」という意味である。
「バカ」よりは、ニュアンスが強い。

当時の相場でも、x0万円。
それをその人を信じて、x00万円で購入してしまった。
私にとっては、信じてもおかしくない立場の人だった。
まさかのまさか。
そういう人にだまされた。

で、そのあとも、毎年、言われるまま、管理費なるものを、払っていた。
その額、8〜10万円。

「枝打ちをしたから実費を払え」「下草を刈ったから実費を払え」と。
しかしこれもあとになってわかったことだが、その人は山の管理など、
何もしてくれていなかった。
またこうした管理は、森林組合に申請すれば、組合のほうで、無料でしてくれる。
そういう話も、あとから聞いた。

その森林が、30年を経て、x0万円。
30年前には、x00万円もあれば、家を新築することができた。
x00万円がx0万円!
現在のx0万円では、駐車場をつくるのも難しい。
その手続きをすませ、従兄が住む生老へとやってきた。
従兄が今回の売買では、いろいろと力になってくれた。
その礼を言いたかった。

●類は友を呼ぶ

今回の金融危機で、金融資産を100分の1にした人がいる。
1億円が、100万円。
そういう人の話を、身近で聞いていたので、x00万円くらいなら、
何でもない……と言いたいが、そうはいかない。

相手がそれだけの誠意を見せてくれれば、まだ救われる。
母にも近い人だったが、母の葬儀にも来なかった。
今回も、何も協力してくれなかった。

昔からこう言う。
(私がそう言っているだけだが……。)
『被害者はいつまでも被害を受けたことを覚えている。
しかし加害者には、その意識がない。
あってもすぐ忘れる』と。

「復讐」という言葉もあるが、それを考えるだけで、疲れる。
だから忘れるのが一番。
どうせその程度の人は、その程度の人生しか送っていない。
まさに一事が万事。
万事が一事。
いろいろ噂が耳に入っているが、板取村でも、つまはじき者とか。

さらに言えば、『類は友を呼ぶ』。
その人と親しく交際している人を、私は何人か知っている。
しかしたいへん興味深いことに、どの人も、似たような人。
小ずるくて、どこか薄汚い。

●損論

少なくともこの10年以上、私は悶々とした気分が晴れなかった。
金銭的な損失を問題にしていたわけではない。
事実、それで売れなかったら、山林は、地元の森林組合に寄付するつもりでいた。

それ以上に、信じていた人に裏切られたというのは、信じていただけにショックが大きい。
それに私は、板取の人たち以上に、この村が好きだった。
今も好きだ。

しかしこの村へ来るたびに、ムッとした不快感と闘わねばならない。
それが苦痛だった。
だからはやくスッキリしたかった。
ケリをつけたかった。
山林のことは忘れたかった。
ついでに、それを売りつけた人のことも忘れたかった。

が、悪いことばかりではない。
人は、損をすることで、より大きくなれる。
損を恐れていたら、自分の殻(から)を破ることはできない。
「損をした分だけ、またがんばればいい」と。

人は追いつめられてはじめて、つぎの手を考える。
同じように、損をすることで、より賢くなる。
ちなみに、あなたの周囲で、ケチケチしながら生きている人を見てみるとよい。
そういう人ほど、小さな世界に安住しているのがわかる。

●中切(なかぎり)

母方の兄弟が13人もいる。
そのため、このあたりには、私の従兄弟が、散らばっている。
この中切にもいる。
私たちは、「Mちゃん」と呼んでいた。
当時としては珍しい、背が高く、スラリとした人だった。
夫は長く、中切の郵便局の局長をしていた。

で、ワイフは、相変わらず黙って歩いていた。
距離がわからないから、バス停に来るたびに、バスの時刻表を見た。
朝、7時01分に、板取温泉を出るバスがある。
その時刻は知っていた。
だから、時刻表に、7時05分とあれば、板取温泉からバスで、4分の
距離ということになる。
中切りのバス停では、7時05分となっていた。

「あと4分の距離だから……」と私は言った。
ワイフはウンとだけ、うなずいた。
ワイフはすでに体力の限界を超えていた。
それが私にも、よくわかった。

●絶望

その中切を出たところに、コンビニがあった。
飲み物を買った。
で、そこの若い主人に、「板取温泉まで、あとどれくらいですか」と聞いた。
主人は、「5分……」と言った。

私「歩いていくと、どれくらいですか?」
主「5キロくらいかな……。こ1時間はかかるかな……」と。

私は、この「5キロ」という言葉を聞いて、がく然とした。
「まだ、半分しか来ていない?」「いや、そんなはずはない」と。
「もしそうなら、今までの倍の距離など、とても歩けない」と。

私ははじめて弱音を吐いた。
「従兄に助けに来てもらおうか」と。
ワイフは、その言葉にずいぶんと迷ったらしい。
「そうねえ……」と、小さな声でつぶやいた。

●なしのつぶて

私に山を売りつけた人には、何度か手紙を書いた。
しかしそのつど、返事はなかった。
その私も61歳。
そろそろ身辺の整理をしなければならない。
山林など、もっていても、どうしようもない。
そこで山林を売りに出すことにした。

しかし山林は、町中の宅地のようなわけにはいかない。
売るといっても、その方法がない。
それを扱う不動産屋もない。
しかたないので、私は新聞に、折り込み広告を入れた。
「山林を買ってくれる人はいませんか?」と。
が、この折り込み広告が、その人の逆鱗に触れたらしい。
私のことを、「浜松のターケボー」と、周囲の人たちに言っているのを知った。

「自分に恥をかかせたから、ターケボー」と。

どこまでも、あわれな人である。
心の貧しい人である。
心の髄(ずい)まで、腐っている!

●山林

素人は、そしてその土地の人間でないならば、山林などに手を出してはいけない。
「投資のつもり」と考える人がいるかもしれないが、それもやめたほうがよい。
買うとしても、何町歩単位というように、山ごと買う。
理由がある。

山そのものには、財産的価値はほとんどない。
価値があるとすれば、その上の木。
「立木(たちぎ)」という。
しかしその管理がたいへん。
木の管理もたいへんだが、隣地との境界をどう守るかもたいへん。
10年も放っておくと、境界すらわからなくなる。

加えて買うのは簡単だが、売るのがたいへん。
まず不可能と考えてよい。
山林というのは、地元の知りあいどうしが、内々で売買するのが慣わしになっている。
私はそれを知らなかった。
私はたしかに、ターケボウだった。

●あと2キロ

「もうだめだ……」と、私も思うようになった。
ワイフはひざが痛いと言った。
私も太ももが、引きつったように痛くなり始めていた。

私「きっと10キロではなかったんだよ」
ワ「……」
私「きっと15キロだっただよ」
ワ「……」
私「ぼくの夢につきあわせて、ごめんね」
ワ「毎度のことよ……」
私「うん……」と。

ビデオを撮る回数も少なくなった。
首にぶらさげたカメラが、ベルトのバックルにカチャカチャ当たる。
心の遠くで、「カメラに傷がつく」と思ったが、それをポケットにしまう
元気もなかった。

と、そのとき小さな看板が目についた。
「板取温泉まで、2キロ」と。

とたん元気がわいてきた!
あと2キロ!

「あと2キロだよ。家から、ビデオショップまでの距離だよ」と。

私たちは丘の上を歩いていた。
その向こうに、赤い大きな屋根が見えてきた。

「着いたよ!」と声をあげると、ワイフははじめてニッコリと笑った。

●板取温泉

このあたりでは、ドイツ語が公用語になっている、らしい。
少し前に通り過ぎた、板取中学校にも、ところどころにドイツ語が使われていた。
ドイツのどこかに似せて、村興(おこ)しをした(?)。
板取温泉も、そういう雰囲気を漂わせていた。

それが正解だったのか?
昔からの板取を知る私としては、違和感を覚える。
あちこちに「スイス村」という表示も見える。
しかしどうして板取が、スイス村?
雰囲気からして、カナディアン村のほうが、合っている。

和室の一部を、水色に塗り替えたような違和感である。
スイスは山の上の国。
板取は、深い谷あいの村。

しかしそれを差し引いても、板取温泉は、すばらしい。
美しい自然の中にある。
私自身は、まだ一度も入浴していないが、評判はよい。

●山の宿・ひおき(民宿)

私はこの板取村が好きだが、ここ数年は、板取村へ来るたびに、
いつもこの「ひおき」に泊っている。
板取村では、イチ押しの民宿である。
場所は、板取温泉の、川をはさんで反対側。
歩いて5分ほどのところ。

住所:岐阜県関市板取3752−1
電話:0581−57−2756

四季折々の自然を満喫できる。
1泊10500円(1名のばあい)。
手元の案内書にはそうある(09年5月)。

案内書には、「通気による冷暖対策のため、閉鎖的な客室構造とはなっていませんので、
ご了承くださいませ」とある。
そのポリシーが気に入っている。

のんびりと山間の田舎を満喫したい人には、お勧め。

●小さな村

そのひおきの主人が、私たちの部屋にやってきて、こう言った。
「山のほうは、片づきましたか?」と。

ギョッ!

この言葉には驚いた。
「どうして知っているのだろう」と。

私は折り込み広告を入れた。
それには、「浜松の林」という名前を明記した。
どうやらそれを読んだらしい。
しかしそれにしても……!

もうひとつの可能性は、以前書いた、私の旅行記を読んだ(?)。
その中で、「ひおき」の宣伝をしておいた。
今、ヤフーの検索エンジンなどを使って、「山の宿ひおき」を検索すると、
私のHPが、かなりトップのほうに出てくる。
それで私の名を知っていたのかもしれない。

もともと小さな村である。
折り込み広告にしても、全世帯で、530軒ほど。
動きが止まったような村だからこそ、その内部では、濃密な情報交換が
なされているにちがいない。

私が「実は今日、片づきました」と言うと、うれしそうに喜んでくれた。

●2万6400歩

ひおきに着いてから、万歩計を見ると、2万6400歩。
生老から民宿「ひおき」まで、1万4400歩ということになる。
私の歩幅で、1万歩で、約7・5キロ。
それで計算すると、生老から板取温泉まで、約10キロということになる。
従兄が言ったことは、やはり正しかった。

しかしそれにしてもよく歩いた。
荷物も重かった。
そのこともあって、ひおきでは、ご飯を、3杯も食べてしまった。
いつものことだが、おいしかった。
気持ちよく眠られた。
午後8時に就寝。
起きたのが午前4時。
ワイフは、午前5時。

まだキーボードがよく見えないときから、この原稿をまとめる。
今は午前5時半。
これから近くの川へ行き、ビデオと写真を撮ってくる。
家へ帰ってからの編集が楽しみ。
「どうか期待していてほしい」と、今、ふと、そう思った。

●帰りの電車の中で

帰りも名鉄電車を利用した。
一度JRへ回ったが、あまりの混雑に驚いた。
ワイフが、「名鉄にしましょう」と言った。
名鉄電車なら座席指定券が取れる。
それにシートもよい。

その電車の中。
たった今、電光掲示板に、アメリカ人の子どもに、豚インフルの疑いなし
と出た。
よかった。
昨日のニュースによれば、もう1人、名古屋市に住む人が感染の疑いがあるという。
その人はどうなったのか?

私「山が片づいて、よかったね」
ワ「そうね」
私「これから先、二度とあの家族とはつきあわないよ。
こうして悪口を書いてしまったからね」
ワ「そうね。これからは、あなた自身の板取を、心の中に作ればいいのよ」
私「そうだね」と。

窓の外は、昨日よりもさらに白く景色がかすんでいた。
春がすみ?
それとも黄砂?
ワイフも先ほどから、手帳にメモを書いている。
平和なとき。
おだやかなとき。

時刻は午前9時44分。
明日、三男の嫁さんが遊びにくる。
どこかでご馳走してやろう。
楽しみ!

電車は岡崎に着いた。
先ほど駅で買った、ういろうを、少し食べた。
おいしかった。
名古屋といえば、ういろう。
名古屋の名物。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家
はやし浩司 山の宿ひおき 山の宿・ひおき 板取 ひおき 民宿ひおき 関市
板取村 民宿 ひおき 板取温泉 岐阜県関市板取 岐阜県板取村)









書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●恥(はじ)論

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

「恥」をもって、これこそが日本が世界に誇る、精神的美徳であると説く人は多い。
「恥を教えれば、学校からいじめがなくなる」と説く学者もいる。
しかし本当に、そうか?
そう考えてよいのか?

そのルーツといえば、封建時代の、あの武士道である。
それ以前のことは知らないが、「恥」が、日本の文化の中で立場を定着したのは、
そのころである。

が、封建時代を美化してはいけなのと同じように、「恥」なるものを、
けっして美化してはいけない。
ほんの5〜6%の武士階級(=特権階級)の人たちにとっては、住みやすい
世界だったかもしれないが、あの時代は、世界の歴史の中でも、
類を見ないほど暗黒の時代であった。
それを忘れてはいけない。

それだけではない。
話は飛躍するが、「自立」と「恥」は対立関係にある。
自立できない人ほど、その一方で、恥にこだわる。
恥が日本人の精神的バックボーンであるとするなら、日本人は、それだけ
自立できない、つまりは未成熟な民族ということになる。

+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●子どもの自立

満4・5歳を過ぎると、子どもは、急速に自立をめざす。
幼児期から少年期への移行期へと入る。
この時期、子どもは、まさに(ああ言えば、こう言う)式の反抗を繰り返すようになる。

母「玄関から、新聞を取ってきて」
子「自分のことは、自分でしな!」と。

子どもは生意気になることで、おとなの世界をコントロールしようとする。
けっしておとなの優位性を、頭から押しつけてはいけない。
おとなは、ときに子どもに負けたフリをしながら、かつ、バカなフリをしながら、
子どもに自信をもたせる。
それが子どもの自立を促す。

●権威主義

が、中には、子どもの反抗を許さない親がいる。
子どもが何かを口答えしただけで、「何よ、親に向って!」と。
たいていは権威主義的なものの考え方をする親と考えてよい。
しかし親が、親風(=悪玉親意識)を吹かせば吹かすほど、子どもは委縮する。
萎縮するだけならまだしも、子どもは、親に「飼殺されたような状態」になる。

たとえば親の優位性を押しつけすぎると、子どもは、(1)権威、権力に従順になる、
(2)ものの考え方が復古主義的になる、(3)「型」にはまった考え方をするようになる、
(4)保守的な生き方をし、非冒険的な生活を好むようになる、(5)依存性が強くなり、
ものの考え方が服従になったり、卑屈になったろする。

が、最大の特徴は、(5)見え、体裁、メンツにこだわり、その結果として、「恥」をより強く意識す
るようになる。

「世間に顔向けができない」
「世間体が悪い」
「世間が笑う」と。

●世間的な自己評価

「私は私」「あなたはあなたは」という生き方の中で、子どもは自立する。
私がどんな人間であっても、構わない。
あなたがどんな人間であっても、構わない。
大切なことは、「私は私で生きる。そしてその分だけ、相手は相手として認める」。
それが「自立」である。
「自律」と言い換えてもよい。

が、「恥」を気にする人は、常に、周りの人たち、つまり世間的な自己評価を気にする。
わかりやすく言えば、他人の目の中で生きる。
しかしこれが実に愚かな生き方であるかは、ほんの50年前を知ればわかる。

たとえば私たちが子どものことのこと。
たとえば「役者」という職業は、番外と言ってもよいほど、「恥ずかしい職業」という
ことになっていた。
あるいは家族の中に、何か障害をもった人(子ども)がいたりすると、その家族は、
必死になって、それを隠そうとした。
私が幼稚園の講師になったときも、母は、電話口の向こうで泣き崩れてしまった。
「浩ちゃん、あんたは道をまちがえたア!」と。

しかしこんなものの考え方は、日本が誇るべき精神的美徳でも何でもない。
幼稚性の表れ、そのものとみる。

●恥ずかしいから、やめよう(?)

もちろん「恥」にも、いろいろある。
「個人の恥」
「家の恥」
「社会の恥」などなど。

こうした「恥」という言葉を使うときは、つねにそこに第三者的な目を想定する。
最近でも、韓国のある新聞に、こんな記事が載っていた。

いわく、「……(韓国人は)、平気で道路につばや痰を吐く。
こうした行為は、(先進国の仲間入りをしようとしている国としては)、恥かしい」と。
今日も、「元大統領、事情聴取、韓国の恥」という見出しをかかげていた新聞があった
(5月1日)。

このばあいは、(外国)という国を意識しながら、「恥ずかしい」と言っているのがわかる。
しかしだからといって、同じ国民に向って、「ツバを吐くのは恥ずかしいからやめよう」と
言うのは、越権行為もはなはだしい。
いらぬ節介。

大切なことは、自分たちの国がまだそのレベルであることを認め、全体として文化を
高めること。
その結果として、みなが、ツバや痰を吐かなくなる。

言いかえると、恥を感ずるたびに、破れた衣服にパッチをあてていても、問題の
解決にはならないということ。
個人についても、同じ。

●大切なのは反省

「何をしてもよい」ということは、けっして、「他人に迷惑をかけてもよい」ということ
ではない。
そんなことは常識で、「恥」という言葉を改めて出すまでもない。
で、ゆいいつ「恥」という言葉が生きる場所があるとするなら、それは「自分に対しての
恥」ということになる。
が、それとて、「後悔」もしくは、「自責の念」という言葉で、置きかえることができる。
「恥は、日本が誇るべき精神的美徳」と、無理に結びつける必要はない。

むしろ「恥」という言葉を先に使うことで、かえって「反省」そのものが、どこかへ
吹っ飛んでしまうことさえある。
たとえばあなたが何かの破廉恥罪を犯したようなばあいを考えてみよう。
電車の中で痴漢行為か何かを働いたようなばあいである。

逮捕され、新聞などに報道されれば、たしかに恥ずかしい。
しかしこのばあいも、「恥」が先に立ってしまうと、反省が後回しになってしまう。
大切なのは、「恥」ではなく、「反省」である。
それがわからなければ、痴漢行為はしたが、発覚しなかったばあいを考えてみればよい。
「恥」だけを考えていたとしたら、あなたは「うまくやった」と喜ぶことになる。
発覚しなかったから、「よかった」、発覚したから、「恥ずかしい」というのは、
あまりにも無責任。
言いかえると、あなた自身が、どこにもない。

●自分に対する恥

もちろん中には、自分のした愚かな行為について、自らに恥じる人もいるかもしれない。
しかしそれとて、その人がより高い境地になったとき、はじめてできることであり、
そうでなければ、自分に恥じるということは、ありえない。
たとえば痴漢行為にしても、自分がより高い境地になったときはじめて、「私は愚かなこと
をした」とわかるようになる。
そのときそれがわかるということはない。
わかれば、そうした行為はしないはず。
つまり発覚する、発覚しないというのは、別次元の話。
発覚しなくても、恥じる人は、恥じる。

そこで「自由論」!

●自由論

長々と話したが、要するに、「恥」という言葉を使うときは、そこにいつも他人の
目がある。
他人の目を意識して、「恥」という。
が、他人の目など、ぜったいに行動の規範にはなりえない。
また行動の規範にしてはいけない。
繰り返すが、「私は私」「あなたはあなた」である。
一言でいえば、「自由」。

その「自由」とは、「自らに由(よ)る」という意味である。
「自分で考え」「自分で行動し」「自分で責任を取る」。
この3者を合わせて、「自由」という。

その自由が達成できたら、(もちろん犯罪は別だが……)、私がどんな私であっても、
またあなたがどんなあなたであっても、私は私、あなたはあなたで、生きていけばよい。
自立というときの「自立」、自律というときの「自律」というのは、それをいう。

さあ、あなたも叫んでみよう。
「恥なんて、クソ食らえ!」と。
子どもに対しては、「あなたはあなた」と教える。
すべてはそこから始まる。

(以上、未完の原稿ですが、一度、このままBLOGに掲載します。)

(付記)

私自身は、「恥」という言葉を生涯にわたって、使ったことはない。
そんな言葉など知らなくても、何も不都合なことはない。
私は私で、それなりにちゃんと生きている。
が、もし「恥ずかしい」と思うようなときがあれば、こんなときだ。

若い母親たちが参観している教室で、立った拍子などに、ブリッと、
おならが出てしまったような場合。

そういうときは、内心では「恥ずかしい」とは思うが、私は知らぬ
顔をしてレッスンをつづける。
「気がついたかな?」「ほかの音とまちがえてくれたかな?」と
思いながら、レッスンをつづける。

つまり「恥」というのは、もともとそのレベルの話。
そのレベルを超えることはない。
少なくとも「日本が誇るべき……」などというレベルの話ではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
恥論 恥とは 恥ずかしい はやし浩司の恥論 恥(はじ)論)







書庫TOPへ 書庫(1) 書庫(2) メインHP

●心の別室と加害意識
(Another Room in the Mind and Consciousness of Guilty)


++++++++++++++++++++


カレー・ヒ素混入事件で、現在無実を争って
いる女性が、HM。
地下鉄サリン事件で、これまた無実を争って
いる男性が、OS教のMT。


現在刑事裁判が継続中なので、これらの人たちは
無実という前提で、ものを考えなければならない。
どんな被告人でも、有罪が確定するまで、推定無実。


カレーにヒ素を混入させたのは、別人物かも
しれない。
地下鉄サリン事件には、MTは関与していなかった
かもしれない。
そういう可能性が、1000に1つ、万に1つでも
あるなら、これらの人たちは、無実。
そういう前提で、ものを考えなければならない。


が、同じ無実でも、いまだに納得できないのが、
あの『ロス疑惑事件』。


Kさんの殺害現場に、一台の白いバンがやってきた。
そのバンが走り去ったとき、Kさんは、殺されていた。
Kさんのそばには、MKがいた。


白いバンは、近くのビルにいた男性たちによって
目撃されている。
MK自身が撮った写真の中にも、白いバンの
一部が写っている。
しかしMKは、「白いバンは見ていない」と。


そのMKは、ロス市警へ移送されたあと、留置場の中で
自殺している。
MKは無実だったのか?
無実だったのなら、自殺などしないで、最後の最後まで
闘ってほしかった。
どうもこの事件は、すっきりしない。
いまだにすっきりしない。


++++++++++++++++++++


●心の別室論(Another Room in the Mind)


人間には、自分にとって都合の悪いことがあると、心の中に別室を作り、
そこへ押し込めてしまうという習性がある。
心理学では、こうした心理操作を、「抑圧」という言葉を使って説明する。
「心の平穏を守るために自らを防衛する機能」という意味で、「防衛機制」のひとつ
と考えられている。


その防衛機制は、つぎの7つに大別される。


(1)抑圧
(2)昇華
(3)同一化
(4)投射
(5)反動形成
(6)合理化
(7)白日夢(以上、深堀元文「心理学のすべて」)


この中でも、「不安や恐怖、罪悪感などを呼び起こすような欲求、記憶などを
無意識の中に閉じ込め、意識にのぼってこないようにする」(同書)を、「抑圧」
という。
つまり心の別室の中に、それを閉じ込め、外からカギをかけてしまう。
よく「加害者は害を与えたことを忘れやすく、被害者は害を受けたことを
いつまでも覚えている」と言われる。
(そう言っているのは、私だが……。)
この「加害者は害を与えたことを忘れやすい」という部分、つまり都合の悪いことは
忘れやすいという心理的現象は、この「抑圧」という言葉で、説明できる。


が、実際には、(忘れる)のではない。
ここにも書いたように、心の別室を作り、そこへそれを押し込んでしまう。
こうした心理的現象は、日常的によく経験する。


たとえば教育の世界では、「おとなしい子どもほど、心配」「がまん強い子どもほど、
心配」「従順な子どもほど、心配」などなど、いろいろ言われる。
さらに言えば、「ものわかりのよい、よい子ほど、心配」となる。
このタイプの子どもは、本来の自分を、心の別室に押し込んでしまう。
その上で、別の人間を演ずる。
演ずるという意識がないまま、演ずる。
が、その分だけ、心をゆがめやすい。


これはほんの一例だが、思春期にはげしい家庭内暴力を起こす子どもがいる。
ふつうの家庭内暴力ではない。
「殺してやる!」「殺される!」の大乱闘を繰り返す。
そういう子どもほど、調べていくと、乳幼児期には、おとなしく、静かで、かつ
従順だったことがわかる。
世間を騒がすような、凶悪犯罪を起こす子どもも、そうである。
心の別室といっても、それほど広くはない。
ある限度(=臨界点)を超えると、爆発する。
爆発して、さまざまな問題行動を起こすようになる。


話が脱線したが、ではそういう子どもたちが、日常的にウソをついているとか、
仮面をかぶっているかというと、そうではない。
(外から見える子ども)も、(心の別室の中にいる子ども)も、子どもは子ども。
同じ子どもと考える。


このことは、抑圧を爆発させているときの自分を観察してみると、よくわかる。


よく夫婦喧嘩をしていて、(こう書くと、私のことだとわかってしまうが)、
20年前、30年前の話を、あたかもつい先日のようにして、喧嘩をする人がいる。
「あのとき、お前は!」「このとき、あなたは!」と。


心の別室に住んでいる(私)が外に出てきたときには、外に出てきた(私)が私であり、
それは仮面をかぶった(私)でもない。
どちらが本当の私で、どちらがウソの私かという判断は、しても意味はない。
両方とも、(心の別室に住んでいる私は、私の一部かもしれないが)、私である。


私「お前なんか、離婚してやるウ!」
ワ「今度こそ、本気ね!」
私「そうだ。本気だア!」
ワ「明日になって、仲直りしようなんて、言わないわね!」
私「ぜったいに言わない!」
ワ「この前、『お前とは、死ぬまで一緒』って言ったのは、ウソなのね!」
私「ああ、そうだ、あんなのウソだア!」と。


そこでよく話題になるのが、多重人格障害。
「障害者」と呼ばれるようになると、いろいろな人格が、交互に出てくる。
そのとき、どれが(主人格)なのかは、本当のところ、だれにもわからない。
「現在、外に現れているのが、主人格」ということになる。
夫婦喧嘩をしているときの(私)も、私なら、していないときの(私)も、
私ということになる。
実際、夫婦喧嘩をしている最中に、自分でもどちらの自分が本当の自分か、
わからなくなるときがある。


ともかくも、心の別室があるということは、好ましいことではない。
「抑圧」にも程度があり、簡単なことをそこに抑圧してしまうケースもあれば、
重篤なケースもある。
それこそ他人を殺害しておきながら、「私は知らない」ですませてしまうケースも
ないとは言わない。
さらに進むと、心の別室にいる自分を、まったく別の他人のように思ってしまう。
そうなれば、それこそその人は、多重人格障害者ということになってしまう。


ところで最近、私はこう考えることがある。
「日本の歴史教科書全体が、心の別室ではないか」と。
まちがったことは、書いてない。
それはわかる。
しかしすべてを書いているかというと、そうでもない。
日本にとって都合の悪いことは、書いてない。
そして「教科書」の名のもとに、都合の悪いことを、別室に閉じ込め、
カギをかけてしまっている(?)。


しかしこれは余談。
ただこういうことは言える。
だれにでも心の別室はある。
私にもあるし、あなたにもある。
大切なことは、その心の別室にいる自分を、いつも忘れないこと。
とくに何かのことで、だれかに害を加えたようなとき、心の別室を忘れないこと。
忘れたら、それこそ、その人は、お・し・ま・い!


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
心の別室 防衛機制 抑圧 はやし浩司 心の別室論 人格障害 加害意識)