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●「私」の盲点

●自分を知る


++++++++++++++++++++++


私の教室(BW教室)のビデオを撮るようになって、
ちょうど2か月。
ほとんど手を加えないで、そのまま紹介している。
「ほとんど」というのは、「選択、カット、編集を
しないで」、という意味。


そのビデオを見ていて、たくさんのことに気づいた。
それまでの私が気がつかなかった部分である。
よい面もあるし、悪い面もある。
ときどき「私って、こうだったんだ」と、自分で
へんに納得することもある。


そういう(私)。
(ジョンハリの窓)理論によれば、私の「盲点領域」と
いうことになる。
それに気づいた。


++++++++++++++++++++++


●ジョンハリの窓


アメリカの心理学者の、ルフトとイングラムの2人が、こんな学説を提唱した。
つまり「私」というときの「私」は、つぎの4つに区分されるという。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++
自分も気がついていて     +     自分が気がついていなくて、
他人も気がついている部分   +     他人が気がついている部分 
(開放領域)         +     (盲点領域)  
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
自分は気がついているが、   +     自分も気がついていなくて、
他人が気がついていない部分  +     他人も気がついていない部分 
(隠ぺい領域)        +     (未知領域)
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
         (参考:深堀元文監修、「心理学のすべて」(日本実業出版社)


2人の学者の名前を取って、「ジョン・ハリの窓」という。
で、私が自分のビデオを見て、再発見した部分は、このうちの(盲点領域)と、
(未知領域)ということになる。


たとえば癖(くせ)。
ビデオを見ながら、「私にはこんな癖があったのだ」と。
これはジョンハリの窓に従えば、(盲点領域)ということになる。
もちろんジョンハリの窓でいう(盲点領域)は、癖のことを言っているのではない。
心の奥深くに潜む、深層心理を言ったものである。
しかし癖は手がかりにはなる。


たとえば私は子どもたちを指導するとき、すぐ「わかった?」とか、「わかったか?」
と言う。
よい言葉ではない。
私はそう言いながら、わからないでいる子どもを無視して、そのまま先へと進んで
しまう。
この言葉は、そういうときの自己弁解として使われる。
つまり、イヤ〜〜ナ言葉!


で、それを見て、このところその言葉をできるだけ使わないようにしている。
ほかにもある。


●未知領域


自分でも気がついていなくて、他人も気がついていない部分を、「未知領域」
という。
が、中に、「私のことは、私がいちばんよく知っている」と豪語(?)する人がいる。
しかしそういう人ほど、本当のところ、自分のことがまったくといってよいほど、
わかっていない。
というのも、脳みその活動領域をみるまでもなく、私たちが「私」として意識
する部分というのは、恐ろしく小さい。
一説によると、数10万分の1と言われている。


だから謙虚になるのが、よい。
「私は自分のことが何もわかっていない」という前提で、自分を見る。
すべては、ここから始まる。


いろいろな方法がある。
たとえば私のばあい、幼児を教えることによって、始終、自分を見つめることができる。
これには、2つの意味がある。


よく幼児の中から、幼児期の私に似た「私」をさがすことがある。
「私も幼児のころ、こういう子どもだったんだなあ」と。
そういう子どもを手がかりに、自分を知る。
あるいは自分と同じような生い立ちをもった子どもを知る。
そういう子どもを手がかりに、自分を知る。


たとえばこの方法で、私はいつだったか、私も、帰宅拒否児であり、愛情飢餓の状態
だったことを知った。
そしてそれがいまだに尾を引いているのを知った。


もう一つは、相手が幼児のばあい、容赦なく、私を批評する。
「先生の口は臭い(=口臭がする)」に始まって、「先生は、ジジイだ」というのまで
ある。
子どもというのは、そういう意味で正直。
私の盲点を、ズケズケと指摘する。
頭にカチンと来ることもあるが、そこはそこ。


そういう意味では、私は、職場を通して、いつも自分を見つめなおすことができる。


●私を知る


最近の研究によれば、「私」と言える部分は、実はほとんどなく、そのほとんどは、
脳みその中の別の部分に操られているだけということがわかってきた。
条件反射運動を例にあげるまでもない。


愛煙家は、タバコの臭いをかいただけで、あるいはアルコール中毒の人は、
酒のコマーシャルを見ただけで、猛烈な欲求がわくのを感ずる。
そういう人たちは、「私は私だ」「自分で考えて行動している」と思いがちだが、
実際には、ドーパミンという神経伝達物質によって操られているにすぎない。


これが「性欲」となると、人間の活動のほとんどの部分にまで、影響を及ぼしている。
中学生や高校生が、スポーツでがんばるのも、あるいはファッションに興味をもつのも、
その原点にあるのが、「性的エネルギー」(フロイト)ということになる。
私たちは操られるまま、操られているという意識ももたず、操られている。


だから「私」がわからない。
自分の心を解剖してみたとき、どこからどこまでが「私」で、どこから先が「私」
でないか、それがわからない。
実際には、「私」と言える部分というのは、ほんのわずかかもしれない。


話が脱線したが、「私を知る」ということは、それほどまでにむずかしいということ。


●どうすればよいか?


未知領域があるとして、では、どうすればその未知領域を知ることができるか。
このことは、病識のない認知症の人たちを観察してみると、わかる(?)。


私の近くに、このところどうも(?)という女性(60歳くらい)がいる。
……いた。
(最近になって、アルツハイマー病と診断されたようだが……。)
最初は平気で約束を破ることが気になった。
しかしそのうち、その女性は約束を破るのではなく、約束そのものを忘れてしまう
ことに気がついた。


日時を忘れる。
モノを忘れる。
支払いを忘れる。
預かったお金を忘れる。
計画を忘れる、など。


その一方で、その女性は、こまかいことにたいへんうるさく、私にあれこれと
指示をした。
一言ですむような話を、くどくどと1時間くらいかけて話したりした。
で、私がやんわりとその女性の会話をさえぎった。
「私は、そんなバカではないと思います」と。


するとその女性は何を勘違いしたのか、突然、ヒステリックな声を張りあげて、
こう叫んだ。
「私だって、バカではありません!」と。


これには驚いた。
驚くと同時に、「この女性は自分のことがまるでわかっていない!」と。
私は何も、その女性のことをバカと言ったつもりではない。
で、しばらくして、こうも思った。


「この女性が未知領域について気がつくときは、あるのだろうか?」と。


しかし答は、わかっている。
その女性がそれに気がつくよりも早く、認知症は進む。
つまりその女性は生涯、自分の中の未知領域に気がつくこともなく、人生を
終えるだろう。


……と考えたとき、それはとりもなおさず、私自身の問題であることを知った。
認知症にならなくても、この先、脳みその活動は、加齢とともに、ますます
鈍くなる。
(その女性)イコール、(私自身の近未来の姿)と考えてよい。


●心理学の世界では……


「心理学のすべて」(深堀元文監修)によれば、未知領域を知るために、いろいろな心理
テストが用意されている。
しかしここでは割愛させてもらう。
というのも、これはテストによってどうこうという問題ではなく、日頃の私たちの
生き方に、深く関係しているからである。
またこのエッセーを書く、目的でもない。


先にも書いたように、「私の中には、私が知らない部分のほうが多い」を知り、
自分自身に対して、謙虚になる。
それによって、私たちは自分のことをより深く知ることができる。
またそういう視点を常にもつ。
つまりは日頃の心がけの問題ということになる。


繰りかえしになるが、もし今、あなたが、「私のことは、私がいちばんよく知っている」と
思っているなら、あなたは、かなりあぶないと考えてよい。


さらに蛇足になるが、もし今、あなたが、「私の子どものことは、私がいちばんよく
知っている」と思っているなら、それも、かなりあぶないと考えてよい。
それについては、あちこちで何度も書いてきたので、そちらを参考にしてほしい。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
ジョンハリの窓 ジョン・ハリの窓 ジョンハリ学説 心の盲点 盲点領域 未知領域
はやし浩司 私とは 私を知る)








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【非行】


【子どもを伸ばすコツ】


子どもを伸ばす最大のコツは、(子どもがしたいと思っていること)と、(子どもが現実に
していること)を、一致させてあげることです。とくに乳幼児期は、遊びを通して、それ
を実現します。


「ぼくは、これをしたい。だからこれをする」「私はこれをしたい。だからこれをする」と。


こうして(子どもの中の私)と、(現実の私)を一致させます。これをアイデンティティの
確立といいます。


こうしてその子どもは、自分の進むべき道を、自分でさがし求めるようになります。


ただ一つ、誤解してはいけないのは、(したいこと)は、そのつど、変化するということで
す。たとえば、幼児のことは、「ケーキ屋さんになりたい」と言っていた子どもが、小学生
になると、「パン屋さんになりたい」「お花屋さんになりたい」などと言うようになるかも
しれません。


しかしそのときでも、(自分がやりたいことに向って努力する)という、思考プロセス(=
思考回路)は、頭の中に残ります。この思考プロセスこそが重要なのです。


中身は、そのつど、変わります。変わって当然なのです。


ここでは、「非行」をテーマに、この問題について考えてみます。子どもの非行というのは、
子ども自身が、(やりたいこと)を見つけ出せなくなったとき、その代償的方法(あるいは
自己防衛的方法)として、始まります。


++++++++++++++++++++++


●非行のメカニズム


 子どもの非行。その非行に子どもが走るメカニズムは、意外に単純なもの。言いかえる
と、子どもを非行から防ぐ方法も、簡単。


【第一期・遊離】


 (したいこと)と、(していること)が、遊離し始める。「ぼくは、サッカーをしたい。
しかし塾へ行かなければならない」など。「私はケーキ屋さんになりたいのに、親は、勉強
をして、いい大学へ入れと言う」など。


 (〜〜したい)と思っていることと、(現実にしていること)が、遊離し始める。つまり
子ども中で、アイデンティティ(自我の同一性)が、混乱し始める。


 アイデンティティが、混乱し始めると、子どもの心理状態は、不安定になる。怒りっぽ
くなったり(プラス型)、反対にふさぎやすくなったりする(マイナス型)。


 この状態を、「同一性の危機」という。


 この段階の状態に対して、抵抗力のある子どもと、そうでない子どもがいる。幼少期か
ら、甘やかされて育った子どもほど、当然、抵抗力がない。遊離したとたん、一気に、つ
ぎの(同一性の崩壊)へと進む。


一方、幼少期から、家事の手伝いなどを日常的にしてきた子どもほど、抵抗力が強い。子
どもの世界では、(いやなことをする力)を、「忍耐力」という。その忍耐力がある。


 アイデンティティが混乱したからといって、すぐ、つぎの第二期に進行するわけではな
い。個人差は、当然、ある。


【第二期・崩壊】


 (したいこと)と(していること)が、大きくズレてくると、子どもは、まず、自分を
支えようとする。
がんばる。努力する。が、やがて臨界点にさしかかる。子ども自身の力では、それを支え
きれなくなる。


「野球の選手をめざして、もっとがんばりたいのに、毎日、勉強に追われて、それもでき
ない」「勉強はおもしろくない」「成績が悪く、つまらない」と。


 こうして同一性は、一気に、崩壊へと向う。子ども自身が、「自分は何をしたいのか」「何
をすべきなのか」、それがわからなくなる。


【第三期・混乱】


 アイデンティティが崩壊すると、精神状態は、きわめて不安定になる。ささいなことで、
激怒したり、突発的に暴れたりする(プラス型)。


 反対に落ち込んだり、家の奥にひきこもったりする(マイナス型)。外界との接触を断つ
ことによって、不愉快な気分になるのを避けようとする。このとき、無気力になり、ボー
ッとした表情で、一日を過ごすようになることもある。


【第四期・非行】


 アイデンティティが崩壊すると、子どもは、主につぎの5つのパターンの中から、自分
の道を模索する。


(1)攻撃型
(2)同情型
(3)依存型
(4)服従型
(5)逃避型


 このうち、攻撃型が、いわゆる非行ということになる。独特の目つきで、肩をいからせ
て歩く。独特の服装に、独特の暴言などなど。暴力行為、暴力事件に発展することも珍し
くない。


 このタイプの子どもに、「そんなことをすれば、君は、みなに、嫌われるんだよ」と説い
ても意味はない。このタイプの子どもは、非行を通して、(自分の顔)をつくろうとする。
顔のない自分よりは、嫌われても、顔のある自分のほうが、よいというわけである。


 アイデンティティそのものが、崩壊しているため、ふつうの、合理的な論理は通用しな
い。ささいなどうでもよいことに、異常なこだわりを見せたりする。あるいは、それにこ
だわる。自己管理能力も低下するため、自分をコントロールできなくなる。


 以上が、非行のメカニズムということになる。


 では、子どもを非行から守るためには、どうすればよいか。もうその答はおわかりかと
思う。


 つねに(子どものしたいこと)と、(子どもがしていること)を、一致させるようにする。
あるいはその接点だけは、切らないようにする。


 仮に受験勉強をさせるにしても、「成績がさがったから、サッカーはダメ」式の乱暴な、
指導はしない。受験勉強をしながらも、サッカーはサッカーとして、別に楽しめるワクを
用意する。


 言うまでもなく、(自分のしたいこと)と、(していること)が一致している子どもは、
精神的に、きわめて安定している。どっしりしている。方向性がしっかりしているから、
夢や希望も、もちやすい。もちろん、目的もしっかりしている。


 また方向性がしっかりしているから、誘惑にも強い。悪の世界からの誘惑があっても、
それをはねかえすことができる。自己管理能力もしっかりいているから、してよいことと、
悪いことの判断も的確にできる。


 だから……。


 今までにも何度も書いてきたが、子どもが、「パン屋さんになりたい」と言ったら、「そ
うね、すてきね」「こんど、いっしょにパンを焼いてみましょう」などと、答えてやる。そ
ういう子どもの夢や希望には、ていねいに耳を傾けてやる。そういう思いやりが、結局は、
自分の子どもを非行から守る最善の方法ということになる。


(はやし浩司 非行 子どもの非行 子供の非行 非行から子供を守る方法 非行防止 
アイデンティティ アイデンテティ 自我同一性の崩壊 顔のない子ども 子供 はやし
浩司 非行のメカニズム)


●スチューデント・アパシー


 無気力、無表情、無感動の状態を総称して、「アパシー」という。そのアパシーが、若者
を中心に、部分的に現れることがある。とくに、男子学生に多い。それを、「スチューデン
ト・アパシー」(ウォルターズ)という。


 このスチューデント・アパシーが、燃えつき症候群や、荷おろし症候群とちがう点は、
ここにも書いたように、学業なら学業だけというように、アパシーになる部分が、かぎら
れているという点。学業面では、無気力でも、アルバイトや、交友、遊びは、人一倍、活
発にする。


 が、大学の講義室に入ったとたん、別人のように、無気力状態になる。反応もなく、た
だぼんやりとしているだけ。眠ってしまうこともある。


 こうした症状も、(本人がやりたいこと)と、(現実にしていること)のギャップが、大
きいことが原因でそうなると考えると、わかりやすい。「大学へは入ってみたが……」とい
う状態である。とくに、目標もなく、ただ点数をあげるためだけの受験勉強をしてきたよ
うな子どもに、多く見られる。


 このタイプの学生は、まず本人自身が、何をしたいかを正確に知らなければならない。
しかしたいていのケースでは、それを知るという気力そのものすら、消えていることが多
い。


 「君は、本当は、何をしたいのか?」
 「わからない」
 「でも、君にも、何か、やりたいことがあるだろ?」
 「ない……」
 「でも、今のままでいいとは、君だって、思っていないだろ?」
 「……」と。


 こうした症状は、早い子どもで、小学校の高学年児でも、見られるようになる。概して、
従順で、まじめな子どもほど、そうなりやすい。友だちと遊ぶときはそれなりに活発なの
だが、教室へ入り、机に向かってすわったとたん、無気力になってしまう。


 こうした症状が見られたら、できるだけ初期の段階で、それに気づき、子どもの心を取
りもどす。よく誤解されるが、「いい高校に入りなさい」「いい大学に入りなさい」という
のは、子どもにとっては、(したいこと)ではない。一見、子どものためを思った言葉に聞
こえるかもしれないが、その実、子どもの心を破壊している。


 だから今、目的の高校や大学へ入ったとたん、燃え尽きてしまったりして、無気力にな
る子どもは、本当に多い。市内の進学高校でも、5〜10%が、そうでないかと言われて
いる(教師談)。大学生となると、もっと多い。
(はやし浩司 アパシー スチューデントアパシー 無気力な子ども 自我の崩壊 同一
性の危機 同一性の崩壊)


+++++++++++++++++++++


少し前、こんな相談がありました。再掲載します。


+++++++++++++++++++++ 


【E氏より】


甥(おい)っ子についてなんですが、小学二年生でサッカークラブに入っています。とこ
ろがこのところ、することがないと、ゴロゴロしているというのです。


とくに友だちと遊ぶでもなく、何か自分で遊ぶのでもなく……。サッカーもヤル気がない
くせに、やめるでもない。こういう時は、どこに目を向ければいいのでしょうか。


やる気がないのは、今、彼の家庭が関心を持っている範疇にないというだけで、親自身が
持っている壁を越えさせることがポイントかな、と思ったりしたのですが……。 


【はやし浩司より】


●消去法で


 こういう相談では、最悪のケースから、考えていきます。


バーントアウト(燃え尽き、俗にいう「あしたのジョー症候群」)、無気力症候群(やる
気が起きない、ハキがない)、自我の崩壊(抵抗する力すらなくし、従順、服従的になる)
など。さらに回避性障害(人との接触を避ける)、引きこもり、行為障害(買い物グセ、
集団非行、非行)など。
自閉症はないか、自閉傾向はないか。さらには、何らかの精神障害の前兆や、学校恐怖症
の初期症状、怠学、不登校の前兆症状はないか、など。


 軽いケースでは、親の過干渉、溺愛、過関心、過保護などによって、似たような症状を
見せることがあります。また学習の過負担、過剰期待による、オーバーヒートなどなど。
この時期だと、暑さにまけた、クーラー病もあるかもしれません(青白い顔をして、ハー
ハーあえぐ、など)。


 「無気力」といっても、症状や程度は、さまざまです。日常生活全体にわたってそうな
のか。あるいは勉強面なら勉強面だけにそうなのか。あるいは日よって違うのか。また一
日の中でも、変動はあるのかないのか。


こうした症状にあわせて、何か随伴症状があるかないかも、ポイントになります。ふつう
心配なケースでは、神経症による緒症状(身体面、行動面、精神面の症状)が伴うはずで
す。たとえばチック、夜驚、爪かみ、夜尿など。腹痛や、慢性的な疲労感、頭痛もありま
す。行動面では、たとえば収集癖や万引きなど。


さらに情緒障害が進むと、心が緊張状態になり、突発的に怒ったり、キレたりしやすくな
ります。この年齢だと、ぐずったりすることもあるかもしれません。


こうした症状をみながら、順に、一つずつ、消去していきます。「これではない」「では、
これではないか?」とです。


●教育と医療


 つまりいただいた症状だけでは、私には、何とも判断しかねるということです。したが
って、アドバイスは不可能です。仮に、そのお子さんを前に置いても、私のようなものが
診断名をくだすのは、タブーです。資格のあるドクターもしくは、家の人が、ここに書い
たことを参考に、自分で判断するしかありません。


 治療を目的とする医療と、教育を目的とする教育とは、基本的な部分で、見方、考え方
が違うということです。


 たとえばこの時期、子どもは、中間反抗期に入ります。おとなになりたいという自分と、
幼児期への復帰と、その間で、フラフラとゆれ戻しを繰りかえしながら、心の状態が、た
いへん不安定になります。


 「おとなに扱わないと怒る」、しかし「幼児のように、母親のおっぱいを求める」という
ようにです。


 そういう心の変化も、加味して、子どもを判断しなければなりません。医療のように、
検査だけをして……というわけにはいかないのですね。私たちの立場でいうなら、わかっ
ていても、知らないフリをして指導します。


 しかしそれでは、回答になりませんので、一応の答を書いておきます。


 相談があるということから、かなり目立った症状があるという前提で、話をします。


 もっとも多いケースは、親の過剰期待、それによるか負担、過関心によって、脳のある
部分(辺縁系の帯状回)が、変調しているということ。多くの無気力症状は、こうして生
まれると説明
されます。


 特徴としては、やる気なさのほか、無気力、無関心、無感動、脱力感、無反応など。緩
慢動作や、反応の遅延などもあります。こうした症状が慢性化すると、昼と夜の逆転現象
や回避性障害(だれにも会いたがらない)などの症状がつづき、やがて依存うつ病へと進
行していきます。(こわいですね! Eさんのお子さんのことではなく、甥のことというこ
とで、私も、少し気楽に書いています。)


 ですから安易に考えないこと。


●二番底、三番底へ……


 この種の問題は、扱い方をまちがえると、二番底、三番底へと落ちていきます。さらに
最悪の状態になってしまうということです。たとえば今は、何とか、まだサッカーはして
いるようですが、そのサッカーもしなくなるということです。(親は、これ以上悪くならな
いと思いがちですが……。決して、そうではないということです。)


 小学二年生という年齢は、好奇心も旺盛で、生活力、行動力があって、ふつうなのです。
それが中年の仕事疲れの男のように、家でゴロゴロしているほうが、おかしいのです。ど
こかに心の変調があるとみてよいでしょう。


 では、なおすために、どうしたらよいか?


 まず、家庭が家庭として、機能しているかどうかを、診断します。


●家庭にあり方を疑う……


 子どもにとって、やすらぎのある、つまり外の世界で疲れた心と体を休める場所として
機能しているかどうかということです。簡単な見分け方としては、親のいる前で、どうど
うと、ふてぶてしく、体を休めているかどうかということです。


 親の姿を見たら、コソコソと隠れたり、好んで親のいないところで、体や心を休めるよ
うであれば、機能していないとみます。ほかに深刻なケースとしては、帰宅拒否がありま
す。反省すべきは、親のほうです。


 つぎに、達成感を大切にします。「自身が持っている壁を越えさせることがポイント」と
いうのは、とんでもない話で、そういうやり方をすると、かえってここでいう二番底、三
番底へと、子どもを追いやってしまうから注意してください。


 この種の問題は、(無理をする)→(ますます無気力になる)→(ますます無理をする)
の悪循環に陥りやすいので、注意します。一度、悪循環に陥ると、あとは底なしの悪循環
を繰りかえし、やがて行き着くところまで、行き着いてしまいます。
 

「壁を越えさせる」のは、風邪を引いて、熱を出している子どもに、水をかけるような行
為と言ってもよいでしょう。仮に心の病にかかっているということであれば、症状は、こ
の年齢でも、半年単位で推移します。今日、改めたから、明日から改善するなどというこ
とは、ありえません。


 私なら、学校恐怖症による不登校の初期症状を疑いますが、それについても、私はその
子どもを見ていませんので、何とも判断しかねます。


 ただコツは、いつも最悪のケースを考えながら、「暖かい無視」を繰りかえすということ
です。子どものやりたいようにさせます。過関心であれば、親は、子育てそのものから離
れます。


 多少生活態度がだらしなくなっても、「うちの子は、外でがんばっているから……」と思
いなおし、大目にみます。


 ほかに退行(幼児がえり)などの症状があれば、スキンシップを濃厚にし、CA、MG
の多い食生活にこころがけます。(下にお子さんがいらっしゃれば、嫉妬が原因で、かなり
情緒が不安定になっていることも、考えられます。)


 子どもの無気力の問題は、安易に考えてはいけません。今は、それ以上のことは言えま
せん。どうか慎重に対処してください。親やまわりのものが、あれこれお膳立てしても、
意味がないばかりか、たいていは、症状を悪化させてしまいます。そういう例は、本当に
多いです。


 またもう少し症状がわかれば、話してください。症状に応じて、対処方法も変わります。
あまり深刻でなければ、そのまま様子を見てください。では、今日は、これで失礼します。

(はやし浩司 バーントアウト 燃え尽き あしたのジョー症候群 無気力症候群 自我
の崩壊 回避性障害 引きこもり はやし浩司 行為障害 買い物グセ 集団非行 非行 
学校恐怖症 初期症状 怠学 不登校の前兆症状)








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●識字能力

文字を知って、日本人は、飛躍的に進歩した。
文字があるからこそ、人から人へと、情報を伝えることができる。
言いかえると、もし文字がなかったら、……というよりそれ以前の日本人は、
きわめて原始的な民族だったということになる。
進歩をしたくても、進歩のしようが、ない。

私の近辺にも、本をほとんど読んだことがないという人がいる※。
率直に言って、そういう人は、どこか変?
だから私は、こう推察する。
(文字を読んだり書いたりすること)で、脳のある部分が
刺激され、それが(思考力)に結びついているのではないか、と。

だから文字を読んだり書いたりすることがない人は、思考力そのものが、育たない。
私自身も、こうしてパソコンに向かっていないときは、深くものを
考えることができない。
こうして文字を打ち始めて、はじめて脳みそのある部分が、アクティブになる。
そのとき思考力が働き始める。

もう少し、わかりやすく説明しよう。

たとえばあなたが、何かのことでだれかに、怒りを感じたとしよう。
怒りそのものは、悶々とした感情で、それには(形)はない。
その(怒り)に形を与えるのが、言葉ということになる。

「なぜ私は怒っているのか」と。

つまり言葉で表すことによって、人間は感情的感覚を、抽象的概念にする。
そしてそのとき、それを(文字)で表現することによって、(怒り)を
分析し、内容を論理的に考えることができる。
もちろん他人に伝えることもできる。

が、それはかなりめんどうな作業である。
たいていの人は、できるならそれを避けようとする。
難解な数学の問題を押しつけられたときの状態に似ている。
もし文字を書くことがなかったら、「バカヤロー」「コノヤロー」程度の、
感情的表現で、終わってしまっていたかもしれない。
またそのほうが、ずっと楽(?)。

事実、本を読んだことがないという人は、情報だけが脳みその表面をかすっている
といったような印象を受ける。
感情のおもむくまま行動しているといった感じもする。
言葉にしても、頭の中で反すうするということを、しない。
そういう意味で、(文字)には、特別の意味がある。

ただ「使う」とか「使わない」とかいうレベルの問題ではない。
万葉仮名を使うことによって、日本人は、日本人としての「個」を確立した。
また文字を使ったからこそ、その時代を今に、伝えることができた。
だからこそ、その時代を、私たちは「個」としてとらえることができる。

冒頭にあげた難波宮跡から見つかった木簡は、7世紀中ごろのものとみられている(同書)。
つまり日本人が日本人としての「個」をもち始めたのも、そのころと考えてよい。

それまでの日本人は、言うなれば、「個」のない、ただの原住民に過ぎなかった。
……というのは言い過ぎかもしれないが、隣の中国から見れば、そう見えたにちがいない。
そのころすでに中国では、何千もの漢字を自由に操って、文学や思想の世界だけではなく、
科学や医学の分野においても、世界をリードしていた。

(※付記)

昔、私の知っている女性に、こんな人がいた。
口は達者で、よくしゃべる。
情報量も多く、何かを質問すると、即座に答がはね返ってくる。
が、その女性(当時、50歳くらい)の家を訪れてみて、驚いた。
新聞はとっているようなのだが、本とか、雑誌が、ほとんどなかった!

で、ある日のこと。
その女性が、ある問題で困っているようだったので、私は資料を届けることにした。
本をコピーしたので、それが20〜30枚になった。
ところが、である。
私がその資料をテーブルの上に置いたとたん、その女性はヒステリックな声を
あげて、こう叫んだ。

「私は、そんなものは、読みません!」と。

で、そのときは、そのまま私のほうが引きさがった。
私のほうが何か悪いことでもしたような気分になった。

が、そのあとも、似たようなことが、2度、3度とつづいた。
私は、その女性が、何かの障害をもっているのではないかと疑うようになった。

識字能力……読み書きできる人のことを、識字者という。
それができない人を、非識字者という。
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関=UNESCO)では、識字について、
「日常生活における短い簡単な文章の読み書きができる人を識字者、できない人を非識字者」
と定義している。

日本では、昔、文字を読めない人を、「文盲」と呼んだ。
しかしその後の教育の整備が進んで、今では、文盲の人はいないということになっている。
そこで近年では、(1)文字は読めても、(2)それを理解できない人を、非識字者と
位置づける学者も多い。

ポイントは、一応の読み書きはできる。
しかし読んでも、それを理解することができない、というところにある。

で、たとえばその女性のばあい、(1)文字を目で拾って、読むことはできる。
簡単な手紙を書くことはできる。
しかし、(2)論説的な文章になると、それを理解することができない。
それができる人には、何でもないことかもしれないが、文字が活字として、
こうまで一般に普及したのは、ここ100年前後のことである。
能力が、それについていないという人がいたとしても、おかしくない。

たとえば工事中の現場を見たとする。
地面が掘り返され、工事車両が並んでいる。
私たちは、そうした様子から、そこが工事中であると知る。

が、「工事中」という文字を見たときはどうだろうか。
大脳後頭部の視覚野に映し出された映像の中から、まず文字だけを選び出さなければ
ならない。
つづいてその情報を、今度は、側東部や頭頂部が、
そこでそれまでに蓄積してあった情報と照合する。
さらに記憶となって残っている情報と照合する。
そこではじめて「工事中」という文字の意味を知る。
つまり文字を理解するというのは、それまでにたいへんなことだということ。
それができる人には、何でもないことかもしれないが、そうでない人にはそうでない。

このことは、LD児(学習障害児)をみると、わかる。
ある一定の割合で、文字を読んでも理解できない子どもがいる。
たとえば算数の応用問題が、できない、など。
そこで私が「声を出して読んでいい」と言って、声を出して読ませたり、
別の紙に書き写させたりすると、とたん、「わかった!」とか、言う。
一度、自分の声で読み、それが耳を経由すれば、理解できるというわけである。

ただし程度の差もあり、また診断方法も確立されていないため、このタイプの
子どもが、どれくらいの割合でいるかということについては、わからない。

さらに言えば、文字を読んでも理解できない点について、識字能力に問題があるのか、
それとも、知的能力そのものに問題があるのか、その判別もむずかしい。

しかしそういう子どもがいるのは、事実。
20人に1人くらいではないか。
だとするなら、その延長線上に、文字を読んでも理解できないおとながいると考えても、
おかしくない。

私は、その女性が、そうではないかと疑った。
と、同時に、いろいろな面で、思い当たることがあった。
先に書いたように、その女性の周辺には、本だとか雑誌など、そういったものが、
ほとんどなかったということ。
反対に、私のばあい、本に埋もれて生活をしているので、そういう生活そのものが、
たいへん奇異に見えた。

またビデオ・デッキも、なかった。
「ビデオは見ないのですか?」と聞くと、「ああいうものは、疲れるだけ」と。
とくに洋画は、まったく見ないと言った。
あとから思うと、字幕を読むのが苦痛だったためではないか。

……そうこうしながら、それから10年ほど、たった。
話を聞くと、その女性は、この10年間、ほぼ同じような状態ということがわかった。
が、そこに認知症が加わってきた。
周囲の人たちの話では、的をはずれた言動や、はげしい物忘れが目立つようになってきた
という。
今のところ、日常の生活に支障をきたすようなことはないそうだが、「どこか、
おかしい?」と。

となると、当然のことながら、識字力は、衰退する。
(文字を読まない)→(文字から遠ざかる)の悪循環の中で、文字を読んでも
ますます理解できなくなる。

ワイフはその女性について、最近、こう言った。
「あの人には、文化性を感じないわ」と。
文化性というのは、生活を心豊かに楽しむための、高い知性や理性をいう。
その逆でもよい。
高い知性や理性をもった人は、生活を心豊かに楽しむことができる。
つまり文化性のある人は、音楽を楽しんだり、本を読んだりする。
それがその女性には、「ない」と。

私もそう感じていたので、本文の中で、「率直に言って、そういう人は、どこか変?」
と書いた。

なおあのモンテーニュ(フランスの哲学者、1533〜92)も、こう書いている。

「『考える』という言葉を聞くが、私は何か書いているときのほか、
考えたことはない」(随想録)と。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 評論家 識字
識字者 非識字者 文字 文盲 文章の読めない子ども 文を理解できない子供)






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【老人心理】

++++++++++++++++++++

キューブラー・ロスの『死の受容段階論』は、よく知られている。
死を宣告されたとき、人は、(否認期)→(怒り期)→(取り引き期)
→(抑うつ期)→(受容期)を経て、やがて死を迎え入れるように
なるという。

このロスの『死の受容段階論』については、すでにたびたび書いてきた。
(たった今、ヤフーの検索エンジンを使って、「はやし浩司 死の受容段階」
を検索してみたら、113件もヒットした。)

で、またまた『死の受容段階論』(死の受容段階説、死の受容過程説、
死の受容段階理論などともいう)。

その段階論について、簡単におさらいをしておきたい。

●キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)

(第1期)否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死
ぬほど重いものではないと否認しようとする。

(第2期)怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な
人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。

(第3期)取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試
みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。

(第4期)抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。

(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わ
りを静かに受け入れる。(以上、同書より)

●老人心理

老人心理を一言で表現すれば、要するに、キューブラー・ロスの『死の受容段階論」に、
(第0期)を加えるということになる。

(第0期)、つまり、不安期、ということになる。

「まだ死を宣告されたわけではない」、しかし「いつも死はそこにあって、私たちを
見つめている」と。
不治の病などの宣告を、短期的な死の宣告とするなら、老後は、ダラダラとつづく、
長期的な死の宣告と考えてよい。
「短期」か「長期」かのちがいはあるが、置かれた状況に、それほど大きなちがいは
ない、。

ロスの説く、(第1期)から(第5期)まぜが混然一体となって、漠然とした不安感
を生みだす。
それがここでいう0期ということになる。
そしてそれが老人心理の基盤を作る。

●死の受容

死の宣告をされたわけではなくても、しかし死の受容は、老人共通の最大のテーマ
と考えてよい。
常に私たちは「死」をそこに感じ、「死」の恐怖から逃れることはできない。
加齢とともに、その傾向は、ますます強くなる。
で、時に死を否認し、時に死に怒りを覚え、時に死と取り引きをしようとし、時に、
抑うつ的になり、そして時に死を受容したりする。

もちろん死を忘れようと試みることもある。
しかし全体としてみると、自分の心が定まりなく、ユラユラと動いているのがわかる。

●「死の確認期」

この「0期の不安期」をさらに詳しく分析してみると、そこにもまた、いくつかの
段階があるのがわかる。

(1)老齢の否認期
(2)老齢の確認期
(3)老齢の受容期

(1)の老齢の否認期というのは、「私はまだ若い」とがんばる時期をいう。
若いとき以上に趣味や体力作りに力を入れたり、さかんに旅行を繰り返したりする時期
をいう。
若い人たちに対して、無茶な競争を挑んだりすることもある。

(2)の老齢の確認期というのは、まわりの人たちの「死」に触れるにつけ、自分自身
もその死に近づきつつあることを確認する時期をいう。
(老齢)イコール(死)は、避けられないものであることを知る。

(3)の受容期というのは、自らを老人と認め、死と共存する時期をいう。
この段階になると、時間や財産(人的財産や金銭的財産)に、意味を感じなくなり、
死に対して、心の準備を始めるようになる。
(反対に、モノや財産、お金に異常なまでの執着心を見せる人もいるが……。)

もっともこれについては、「老人は何歳になったら、自分を老人と認めるか」という問題も
含まれる。

国連の世界保健機構の定義によれば、65歳以上を高齢者という。
そのうち、65〜74歳を、前期高齢者といい、75歳以上を、後期高齢者という。
が、実際には、国民の意識調査によると、「自分を老人」と認める年齢は、70〜74歳が
一番多いそうだ。半数以上の52・8%という数字が出ている。(内閣府の調査では
70歳以上が57%。)

つまり日本人は70〜74歳くらいにかけて、「私は老人」と認めるようになるという。
そのころから0期がはじまる。

●「0期不安記」

この0期の特徴は、ロスの説く、『死の受容段階論』のうち、早期のうちは、(第1期)
〜(第3期)が相対的に強く、後期になると、(第3期)〜(第5期)が強くなる。

つまり加齢とともに、人は死に対して、心の準備をより強く意識するようになる。
友や近親者の死を前にすると、「つぎは私の番だ」と思ったりするのも、それ。
言いかえると、若い人ほど、ロスの説く(否認期)(怒り期)(取り引き期)の期間が
長く、葛藤もはげしいということ。

しかし老人のばあいは、死の宣告を受けても、(否認期)(怒り期)(取り引き期)の
期間も短く、葛藤も弱いということになる。
そしてつぎの(抑うつ期)(受容期)へと進む。

が、ここで誤解してはいけないことは、だからといって、死に対しての恐怖感が
消えるのではないということ。
強弱の度合をいっても意味はない。
若い人でも、また老人でも、死への恐怖感に、強弱はない。
(死の受容)イコール、(生の放棄)ではない。
老人にも、(否認期)はあり、(怒り期)も(取り引き期)もある。
それゆえに、老人にもまた、若い人たちと同じように、死の恐怖はある。
繰り返すが、それには、強弱の度合は、ない。

●死の否認期

第0期の中で、とくに重要なのは、「死の否認期」ということになる。
「死の否認」は、0期全般にわたってつづく。
が、その内容は、けっして一様ではない。

来世思想に希望をつなぎ、死の恐怖をやわらげようとする人もいる。
反対に、友人や近親者が死んだあと、その霊を認めることによって、孤独をやわらげ
ようとする人もいる。
懸命に体力作りをしたり、脳の健康をもくろんだりする人もいる。
趣味や道楽に、生きがいを見出す人もいる。

が、そこは両側を暗い壁でおおわれた細い路地のようなもの。
路地は先へ行けば行くほど、狭くなり、暗くなる。
そしてさらにその先は、体も通らなくなるほどの細い道。
そこが死の世界……。

老人が頭の中で描く(将来像)というのは、おおむね、そんなものと考えてよい。
そしてそこから生まれる恐怖感や孤独感は、個人のもつ力で、処理できるような
ものではない。
つまりそれを救済するために、宗教があり、信仰があるということになる。
宗教や信仰に、救いの道を見出そうという傾向は、加齢とともにますます大きくなる。

●老後の生きざま

死は恐怖そのものだが、おおまかに分ければ、その捕らえ方には2つある。
死を限界状況ととらえ、その中で、自分を完全燃焼させようとする捕らえ方。
これを「現世限界型」とする。
もうひとつは来世に希望をつなぎつつ、享楽的に生きようとする捕らえ方。
これを「来世希望型」とする。

これらは両極端な捕らえ方だし、その折衷的な生き方も当然、ある。
程度のちがいもある。
あるいはその2つの捕らえ方に、そのつど翻弄されながら生きる人もいる。
どうであるにせよ、老人心理は死と切り離しては考えられない。

●限界状況

現世限界型の人たちは、「死」を「消滅」ととらえる。
それを認識する肉体そのものが消滅するわけだから、当然のことながら、(個体の
死)イコール、(全宇宙の消滅)ということになる。
わかりやすく言えば、私たちは死ねば、この宇宙もろとも、消滅する。
あとかたもなく、消えてなくなる。

これに対して来世希望型の人たちは、死んでも魂(スピリッツ)は残り、それが
別の世界、あるいは同じこの世で、生まれ変わると考える。
輪廻思想もそのひとつ。
ほとんどの宗教は、来世に希望をつながせることで、魂の救済を図る。

というのも、どちらの型であるにせよ、死は恐怖以外の何ものでもない。
死の恐怖と闘うといっても、個人の力には、限界がある。
とくに現世限界型の人は、それを選択したときから、限りない無間の孤独地獄に
苛(さいな)まされることになる。

●折衷型

私は基本的には、折衷型をとる。
一応、あの世は存在しないという現世限界型を選択しつつ、死んだあと、あの世が
あれば、もうけものという生き方をいう。
あるかないか、はっきりしないものに希望を託して、今、こうして生きている時間を、
粗末にしたくはない。

それはちょうど宝くじのようなもの。
当たるか当たらないか、はっきりしないものをアテにして、それでローンを組んで
家を建てる人はいない。
当たればもうけもの。
そのときはその当選したお金で、家を建てればよい。

つまり死ぬまで、ともかくも、あの世はないという前提で、懸命に生きる。
生きて生きて、生き抜く。
この世に悔いを残さないよう、自分を完全燃焼させる。
その結果として、つまり死んだとき、あの世があればもうけもの。
そこに神や仏がいるなら、それから神や仏の存在を信じても遅くはない。

●あの世論

あの世があるのか、ないのか、私にもわからない。
あることを証明した人はいない。
(「ある」と断言する人は、どこかの頭のおかしい人と考えてよい。)
ないことを証明した人もいない。
常識で考えれば、人間だけにあの世があるはずがない。
虫や魚には、どうしてないのか。
さらに恐竜や、1億年後にこの地球を支配するであろう知的生物には、
どうしてないのか。
人間だけが、(生き物)と考えるのは、どう考えても、おかしい。

で、仮に100歩譲って、「ある」とするなら、私は今、私たちが住んでいる
この世こそが、(あの世のあの世)ではないかと思っている。
あの世のほうが永遠というのなら、私たちが住んでいるこの世のほうが、
サブ、つまり(従)で、あの世のほうが、メイン(主)ということに
なる。

どうであるにせよ、論理的に考えれば考えるほど、あの世があるという
話には矛盾が生じてくる。

●完全燃焼

話がそれたが、老後は、完全燃焼をめざす。
私の考え方が正しいというわけではない。
自信もない。
仮に自信があったとしても、いつまでつづくか、わからない。
しかし、今は今。
その今の私は、そう思う。
そう願う。

したいことをし、言いたいことを言い、書きたいことを書く。
いつか頭の中がからっぽになるまで、それをする。
その結果、私がどうなるか、それもわからない。
具体的には、今できることは、先に延ばさない。
今日できることは、明日に延ばさない。
先手、先手で、ものごとを処理していく。

今の私には隠居など、考えられない。
隠居したところで、何もやることができない。
また今の私が仕事をやめたら、どうなる?
恐らくそのままボケてしまうだろう。
育児論など、書けなくなってしまうだろう。
そうなったら、私は、おしまい!

だから自分を燃焼させる。
燃焼させるしかない。

●最後に……

多くの人は、(私もその1人かもしれないが)、認知症か何かになって、頭の機能が
鈍くなった老人を見ながら、老人心理を推察するかもしれない。
「老人というのは、感覚も感情も、またそれに対する反応も鈍くなって、その結果
として死に対して鈍感になる」と。

が、これは誤解である。
先にも書いたように、死への恐怖感、そしてそれから生まれる孤独感には、強弱はない。
どんな人も、どんな年齢の人も、みな、共通にもっている。
生きている人は、みな、(生きたい)と思っている。
これには老若男女のちがいは、ない。
で、その反対側にあるのが、死への恐怖感であり、それから生まれる孤独感という
ことになる。

私の知人も、昨年、80数歳でこの世を去った。
最後は、家族の顔すら認識できなくなっていたが、それでも毎日、毎晩、死の恐怖に
おののいていた。
ときどき施設内の柵や塀を乗り越えて、外へ出ようとしたこともある。
それだって、死の恐怖から逃れようとしてそうしたとも解釈できる。

80歳になったから、死んでもよいと考えるようになるのではない。
90歳になったから、死の恐怖がなくなるというのでもない。
生きている以上、人は、老若男女に関係なく、みな、平等に死の恐怖を感ずる。
それから生まれる孤独を感ずる。

老人を見るとき、どうかそれだけは、誤解しないでほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
死の受容段階論、死の受容段階説、死の受容過程説、死の受容段階理論 はやし浩司
老人心理 死への不安 死の受容)

+++++++++++++++++

5年前に書いた、こんな原稿が
見つかりました。

+++++++++++++++++

【老後は、どうあるべきか】

+++++++++++++++++

年をとればとるほど、戦わねば
ならないもの。

それが「回顧性」。

人間も、過去ばかりみて生きるように
なったら、おしまい。

半分、棺おけに足をつっこんだような
もの。

この4年間、私は、この問題を、ずっと
考えてきた。

最初は、(老後の準備)を考えた。
しかしやがて、そういう考え方、つまり、
老後を意識した考え方は、まちがって
いることに、気がついた。

++++++++++++++++++

●分岐点は、満55歳前後

 年齢とともに、人は未来をみることよりも、過去をみるようになる。過去をなつかし
んで、その過去に浸(ひた)るようになる。

 心理学などの本によると、その分岐点は、満55歳前後だという。つまりこの年齢を
境にして、人は、未来をみることよりも、過去をみるようになる。同窓会や同郷会、さら
には「法事」に名を借りた親族会も、この年齢を境に、急に多くなる。

 要するに、満55歳を境に、人は、自らジジ臭くなり、ババ臭くなるということ。が、
それだけでは終わらない。

 回顧性が強くなればなるほど、思考力そのものが退化する。そのためその人は、融通
性を失い、がんこになる。過去を必要以上に美化し、心のよりどころを、そこに求めるよ
うになる。

 つまり回顧性などといったものは、それが肥大化すればするほど、魂の死につながる
と考えてよい。過去を懐かしんでばかりいる人は、いくら肉体は健康でも、魂は、すでに
半分、棺おけに足をつっこんだようなもの。

 そこで重要なことは、自分の中に、回顧性の芽を感じたら、それとは徹底的に戦う。
戦いながら、いつも目を未来に向ける。あの釈迦自身も、『死ぬまで精進せよ』(法句教)
というようなことを言っている。

 わかりやすく言えば、死ぬまで、前向きに生きろということ。

 2年半前に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●回顧性と展望性

 過去をかえりみることを、「回顧」という。未来を広く予見渡すことを、「展望」とい
う。

 概して言えば、若い人は、回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い。老人ほど、回
顧性のハバが広く、展望性のハバが、狭い。

 幼児期から少年、少女期にかけて、展望性のハバは広くなる。数日単位でしか未来を
見ることができなかった子どもでも、成長とともに、数か月後、数年後の自分を見渡すこ
とができるようになる。つまりそのハバを広げていく。

 言いかえると、展望性と回顧性のバランスを見ることによって、その人の精神年齢を
知ることができる。つまり未来に夢や希望を託す度合が、過去をなつかしむ度合より大き
ければ、その人の精神年齢は、若いということになる。そうでなければ、そうでない。

 ある女性(80歳くらい)は、会うと、すぐ、過去の話をし始める。なくなった夫や、
その祖父母の話など。こうした行為は、まさに回顧性の表れということになる。が、こ
うした回顧性は、老人の世界では、珍しくない。ごくふつうのこととして、広く見られる。


 一方、若い人は、未来しかみない。時間は無限にあり、その未来に向かうエネルギー
も、永遠のものだと思う。それは同時に、若さの特権でもあるが、問題は、そのハバであ
る。

 自分の未来を、どの範囲まで、見ているか? 1年後はともかくも、20年後、30
年後は、見ているか?

 いくら展望性があるといっても、それが数か月どまりでは、どうにもならない。「明日
も何とかなる」では、どうにもならない。

 そこで、このことをもう少しわかりやすくまとめてみると、こうなる。

(1) 回顧性と展望性のハバが広い人……賢人
(2) 回顧性のハバが広く、展望性のハバが狭い人……老人一般
(3) 回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い人……若い人一般
(4) 回顧性と展望性のハバが狭い人……愚人(失礼!)

 (1)〜(3)は、比較的、わかりやすい。問題は(4)の愚人である。

 過去を蹴(け)散らし、その場だけの享楽に身を燃やす人は、ここでいう愚人という
ことになる。

 このタイプ人は、過去に対して、一片の畏敬(いけい)の念すらない。同時に、明日
のこともわからない。気にしない。その日、その日を、「今日さえよければ」と生きる。健
康も、またしかり。

 暴飲暴食を繰りかえし、今だけよければ、それでよいというような考え方をする。も
ちろん運動など、しない。まさにしたい放題。

 で、問題は、どうすれば、そういう子どもにしないですむかということ。一歩話を進
めると、どうすれば、子どもがもつ展望性のハバを、広くすることができるかということ。

 ためしに、あなたの子どもと、こんな会話をしてみてほしい。

親「あなたは、おとなになったら、どんなことをしないか?」
親「そのために、今、どんなことをしたらいいのか?」
親「で、今、どんなことをしているか?」と。

 以前、こんな女の子がいた。小学3年生の女の子だった。たまたまバス停で会ったの
で、近くの自動販売機で、何かを買ってあげようかと提案したら、その女の子は、こう言
った。

 「私、これから家に帰って夕食を食べます。今、ジュースを飲んだら、夕食が食べら
れなくなるから、いいです」と。

 その女の子は、自分の未来を、しっかりと展望していた。で、その女の子で、もう一
つ、印象に残っていることで、こんなことがあった。

 正月のお年玉として、かなりのお金を手にしたらしい。その女の子は、それらのお金
をすべて貯金すると言う。

 そこで私が、その理由を聞くと、「お金を貯金して、フルートを買う。そのフルートで、
音楽を練習して、私はおとなになったら、音楽家になる」と。

 一方、そうでない子は、そうでない。お金を手にしても、すぐ使ってしまう。浪費し
てしまう。飲み食いのために、使ってしまう。

 少し前だが、タバコを吸っている女子高校生とこんな会話をしたことがある。

私「タバコって、体に悪いよ」
女「知ってるヨ〜」
私「ガンになるよ」
女「みんな、なるわけじゃ、ないでしょう……?」

私「奇形出産のほとんどは、タバコが原因でそうなるっていう話は、どう?」
女「でも、そんな出産したという話は、聞かないヨ〜」
私「みんな、流産という形で、処置してしまうから……」
女「結婚したら、やめるヨ〜」

私「で、タバコって、おいしいの?」
女「別においしくないけどサ〜。吸ってないと、何となく、さみしいっていうわけ」
私「だったら、やめればいいじゃん」
女「また、病気にでもなったら、そのときはそのとき。そのとき、考えるわ」と。

 先の「フルートを買う」と答えた子どもは、ハバの広い展望性をもっていることにな
る。しかしタバコを吸っていた子どもは、ほどんど、その展望性のハバがないことになる。

 こうしたちがいが、なぜ起きるかと言えば、結局は、私の説く「自由論」に行き着く。
「自らに由(よ)る」という意味での、自由論である。

 それについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。しかし結局は、
子どもは、(自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとれる子ども)にする。展望性のハ

の広い子どもになるかどうかは、あくまでもその結果の一つでしかない。
(040125)(はやし浩司 回顧 展望 老後論 自由論)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 ちょうど57歳のとき、私も、中年期クライシスなるものを経験した。今から思うと、
あのときが、回顧性と展望性が、自分の中で交差するときではなかったと思う。その前後、
私の考え方が、急速にうしろ向きになっていったのを覚えている。

 そのとき書いた原稿が、つぎのものである。かなり暗い内容だが、少しがまんして読
んでほしい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●中年期クライシス(危機)

 若い人たちを見ていると、「いいなあ」と思うことがある。「苦労がなくて」と。しか
し同時に、「いいのかなあ?」と思うときもある。目の前に、中年の危機がすぐそこまでき
ているのに、それに気づいていない?

 危機。「クライシス」という。そして中高年の男女が感ずる危機を、総称して、「中年
期クライシス」という。

 健康面(心臓疾患、高血圧症、糖尿病などの、生活習慣病)、精神面(抑うつ感、うつ
病)のクライシス。仕事面、交遊面のクライシスなど。もちろん夫婦関係、親子関係のク
ライシスもある。

 こうしたクライシスが、それこそ怒涛(どとう)のように押し寄せてくる。若い人は、
遠い未来の話と思うかもしれないが、そのときになってみると、あっという間に、そうな
る。それがまた、中年期クライシスのこわいところでもある。

●中年期クライシス、私のばあい

 私は、もうそろそろ中年期を過ぎて、初老期にさしかかっている。もうすぐ満57歳
になる。

 まず健康面だが、このところ、ずっと、どうも心が晴れない。軽いうつ状態がつづい
ている。それに仮性うつ病というか、頭が重い。ときどき偏頭痛の前ぶれのような症状が
起きる。

 仕事は楽で、ほどほどに順調だが、何かと悩みごとはつきない。ときどき「私は、も
う用なしなのか」と思うことがある。息子たちも、ほぼ、みな、巣立った。ワイフも、あ
まり私の存在をアテにしていないようだ。「あんたが死んだら、私、息子といっしょに住む
わ」などと、平気で言う。

 私を心配させないためにそう言うのだろう。が、どこかさみしい。

 性欲は、まだふつうだと思うが、しかしここ数年、女性が、急速に遠ざかっていくの
が、自分でもわかる。若い母親たちのばあい、(当然だが……)、もう私を「男」と見てい
ない。それが自分でも、よくわかる。

 だから私も、気をつかうことが、ぐんと少なくなった。「どうせ私を男とみてくれない
なら、お前たちを、女とみてやるかア!」と。

 しかしこの世の中、「女」あっての、「男」。女性たちに「男」にみてもらえないのは、
さみしい。

 そう、中年期クライシスの特徴は、この(さみしさ)かもしれない。

 たとえばモノを買うときも、「あと○○年、もてばいい」というような考え方をする。何
かにつけて、未来的な限界を感ずる。

 あるいは今は、ワイフも私も、かろうじて健康だが、ときどき、「いつまで、もつだろ
うか?」と考える。「そのときがきても、覚悟ができているだろうか?」と。そういう私の
中年期クライシスをまとめると、こうなる。

(1) 健康面の不安……体力、気力の衰え。自信喪失。回復力の遅れなど。
(2) 精神面の不安……落ちこむことが多くなった。うつ状態になりやすい。
(3) 家族の不安……子どもたちがみな、健康で幸福になれるだろうかという心配。
(4) 老後の不安……収入面、仕事面での不安。何か事故でもあれば、万事休す。
(5) 責任感の増大……「私は倒れるわけにはいかない」という重圧感。

 こうしたもろもろのストレスが、心を日常的に、おしつぶす。そしてそれが、食欲不
振、頭重感、抑うつ感、不安神経症へとつながる。「心が晴れない」というのは、そういう
状態を、総合していう。

●何とかごまかして、前向きに生きる

 自分の心を冷静に、かつ客観的にみることは大切なことだが、ときとして、自分の心

をだますことも必要なのかもしれない。
 楽しくもないのに、わざと楽しいフリをしてみせて、まわりを茶化す。おもしろくも
ないのに、わざとおもしろいと騒いでみせて、まわりをごまかす。

 しかしそれも、疲れる。あまりひどくなると、感情が鈍麻することもあるそうだ。よ
く言われる、「微笑みうつ病」というのも、それ。心はうつ状態なのに、表情だけはにこや
か。いつも満足そうに、笑っている。

 そう言えば、Mさんの奥さん(60歳くらい)も、そうかもしれない。通りであって
も、いつも、ニコニコと笑っている。が、実際、話してみると、どこか上(うわ)の空。
会話が、まったくといってよいほど、かみあわない。

 ただ生きていくことが、どうしてこんなにも、つらいのか……と思うことさえ、ある。
ある先輩は、ずいぶんと昔だが、つまりちょうど今の私と同年齢のときに、こう言った。

 「林君、中年をすぎたら、生活はコンパクトにしたほうがいいよ。それに人間関係は、
簡素化する」と。

 生活をコンパクト化するということは、出費を少なくするということ。60歳を過ぎ
たら、広い土地に大きな家はいらない。小さな家で、じゅうぶん。

 人間関係を簡素化するということは、交際範囲を狭くし、交際する人を選ぶというこ
と。ムダに、広く浅く交際しても、意味はない。

 が、なかなか、その切り替えができない。「家を小さくする」といっても、実際には、
難題である。心のどこかには、「がんばれるだけ、がんばってみよう」という思いも残って
いる。

 交際範囲については、最近、こう思うようになった。

 親戚や知人の中には、私のことを誤解して、あれこれ悪く言っている人もいる。若い
ころの私だったら、そういう誤解を解くために、何かと努力もしただろうが、今は、もう
しない。「どうでも勝手に思え」という、どこか投げやり的な、居なおりが、強くなった。

 どうせ、みんな、私も含めて、あと20年も生きられない。そういう思いもある。

 が、考えたところで、どうにかなる問題ではない。だから結論はいつも、同じ。

 そのときまで、前向きに生きていこう、と。生きている以上、ここで死ぬわけにはい
かない。責任を放棄するわけにもいかない。だから生きていくしかない。自分をごまかし
ても、偽っても、生きていくしかない。

 そしてそれが中年期クライシスにある私たちの、共通の思いではないだろうか、……
と、今、勝手にそう思っている。
(040619)
(はやし浩司 中年期クライシス 中年クライシス 中年期の危機)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 しかし私は、まちがっていた。やがてそれに気がついた。人は年をとっても、コンパクトに生き
る必要はない。またコンパクトな生き方をしてはいけない。

 何も、自ら好き好んで、死ぬための準備など、する必要はない。最後の最後まで、自分をま
っとうさせる。

 そうした変化を自分の中で感じたのが、つぎの原稿を書いたときである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●小さく生きる人、大きく生きる人

+++++++++++++++

老人になると、小さくなっていく
人と、大きくなっていく人がいま
すね。

+++++++++++++++

 人は、人、ぞれぞれ。生き方も、人、それぞれ。最近、老人観察をつづけている。こ
のところ、老人の生き様が、気になって、しかたない。それについては、少し前にも、書
いた。

 で、大別して、老人になればなるほど、より小さく生きる人と、より大きく生きる人
がいることがわかる。その間にあって、(その日、その日を、ただ生きている人)もいるが、
そういう老人は、ここでは考えない。

【より小さく生きる人】

 より小さく生きる人は、生活そのものを、コンパクトにしようとする。しかしそれは
それで賢明なことかもしれない。欧米人でも、高齢化すればするほど、そういう生き方を
するのが、ふつうのようである。

 たとえば、住環境を縮小したり、人間関係を整理したりするなど。収入も減り、健康
にも自信がなくなれば、それは当然のことかもしれない。

 しかしそれにあわせて、自分という人間そのものまで、小さくしてしまう人がいる。
わかりやすく言えば、より自己中心的になる。

 より利他的な生き方をする人を、人格のより完成した人とみるなら、より自己中心的
になるということは、それだけ、人格が後退したとみる。より自己中心的になれば、やが
て、自分のことだけしかしなくなる。自分さえよければというような、考え方をするよう
になる。

 たとえば世間的な活動には、まったく参加せず、個人的な趣味だけしかしないという
老人は、少なくない。で、このタイプの老人にかぎって、少しでも、自分の生活圏が侵さ
れたりすると、猛烈に反発したりする。

【より大きく生きる人】

 これに対して、自分の生活を、より大きくしようとする人がいる。「大きい」といって
も、住環境を拡大したり、新しい人間関係を求めるというのではない。ある男性は、いつ
も口ぐせのように、こう言っている。

 「私は今まで、こうして無事に生きてくることができた。それを最後には、社会に還
元するのが、私の最後の務めである」と。すばらしい生き方である。

 つまりこのタイプの人は、より、利他的になることによって、人格の完成度を高めよ
うとする。ある女性は、80歳をすぎてからも、乳幼児の医療費、完全無料化のための運
動をつづけていた。「どこからそういうエネルギーがわいてくるのですか?」と私が聞くと、
その女性は笑いながら、こう言った。「私は、ずっと保育士をしてきましたから」と。

 その人の人生は、その人のもの。だから他人がとやかく言ってはいけない。最近の私
は、「とやかく思ってもいけない」と、考え始めている。仮にあなたの隣人が、優雅な年金
生活をしていたとしても、それはその人の人生。批判したり、批評したりすることも、い
けない。

 反対の立場で言うなら、他人にどう思われようが、気にすることはない。

 大切なことは、私は私で、納得のできる老後の道をさがすこと。あくまでも、私は、
私。が、これだけは、言える。

 愚かな人からは、賢明な人がわからない。しかし賢明な人からは、愚かな人がよくわ
かる。同じように、人格の完成度の低い人からは、完成度の高い人はわからない。しかし
完成度の高い人からは、、完成度の低い人がよくわかる。

 それはちょうど、山登りに似ている。低いところにいる人は、高いところから見る景
色がどんなものか、わからない。しかし高いところにいる人は、低いところにいる人が見
ることができない景色を見ることができる。

 そしてより広い景色を見た人は、きっと、こう思うだろう。「今まで、こんな景色を知
らなかった私は、愚かだった。損をした」と。

 ……といっても、それはあくまでも、相対的なもの。こんなことがあった。

 私が、地域の公的団体の主催する講演会で、講師をしたときのこと。少し自慢げに、
恩師のT先生にそのことを話したら、T先生から、すかさず、一枚の写真が送られてきた。
その写真というのは、T先生が、「中国化学会創立50周年記念」で、記念講演をしている
ときの写真だった。しかも添え書きには、「中国語でしました」とあった。

 T先生は、いつも私が見たこともない世界で、仕事をしている。だから私ができるこ
とといえば、先生の言葉の断片から、その見たこともない世界を想像するだけでしかない。
そのT先生から見れば、私の住んでいる世界などというものは、まるでおもちゃの世界の
ようなものかもしれない。

 そうそう、もう一人、別の恩師は、こうメールを書いてきた。その恩師も、世界を舞
台に、あちこちで、講演活動をしている。いわく、「林君、田舎のおばちゃんたちなんか、
相手にしていてはだめだ」と。

 ずいぶんときつい言葉である。そのときは、「そんなことを女性たちが聞いたら、怒る
だろうな」と思った。しかし同時に、「そういうものかなあ?」と思った。その恩師にして
も、私の世界をはるかに超えた世界で、仕事をしている。

 まあ、このところ、私の限界も、はっきりしてきた。「私の人生は、こんなもの」と、
心のどこかで、ふんぎりをつけるようになった。だから後悔はしないが、しかしこれで私
の人生が終わったわけではない。

 できれば、これから先、ここに書いた、(より大きく生きる老人)になりたいと願って
いる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

ちょうど上の原稿を書いたころ、こんな原稿も書いた。

内容が少しダブるかもしれないが、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●過去と未来

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわると
いう。ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかし
これには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反
対に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんど
ちらがよいとか、悪いとかいうのではない。ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、
過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大き
くなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど
毎日、幼児や小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあっ
ても、過去は、ない。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。
今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。10年
後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」
という程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※を
いくら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、
天国の話はしているが、ここでいう前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏
教典のほとんどは、釈迦滅後4、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミ
ックスされてできた。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したの
が、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あ
ればもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわか
らないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私
のようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はや
し浩司など、相手にしない。どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。
大きな正義を貫く勇気も、度胸もない。小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があると
しても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。そ
れしかない。それに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが、表に出てくる
のがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをな
つかしむようになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華
や肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、い
くらでもいる。が、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進」という言葉を使って、「日々に前進す
ることこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。

わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。そういう釈迦の教えにコ
メントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。人間が生きる意味は、日々を、
懸命に、しかも前向きに生きるところにある。過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。

 一年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

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●前向きの人生、うしろ向きの人生

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしま
い。偉そうなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわか
らない。しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自
信はないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(7
0歳)がいた。その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産
を築いた人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時
は従業員を五人ほど雇うほどまでになった。

が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸
前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなってか
ら2年後に他界している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方
をしていた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、
私と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。

「母は、異常なまでにケチになりました」と。たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買
ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したという。「それも、私がどこに
あるか忘れてしまったようなものです。値段も、2000円とか3000円とかいうよう
な、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎ
へと、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。
波がなければないで、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわ
いのは、方向がわからなくなること。同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰
り返しだったら、生きている意味はない。死んだほうがましとまでは言わないが、死んだ
も同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチ
ンコ。読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという
人がいる。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りが
うまくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗
記しても、それがどうだというのか。そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はあ
る会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だっ
た。乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生
きした顔色を見て驚いた。

「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言っ
た。「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そう
いうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。し
かしそういう航海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマ
があるからだ。そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の
大波小波は、できれば少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそ
れ以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝か
せる。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがう
しろ向きになる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あ
くまでも信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、
人がいなければ、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのよ
うな矛盾をどうやって説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でも
ある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっ
としたら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。そ
のあと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化
して、昆虫人間になるということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、
その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅
をもたらしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜
には神はいなかったのかということになる。

数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数10万年など、マバタ
キのようなものだ。お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。しか
し数10万円では、パソコン1台しか買えない。数億年と数10万年の違いは大きい。モ
ーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年〜6000
年ほど前のこと。たったの6000年である。それ以前の数10万年の間、私たちがいう
神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定して
いるのではない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることよ
り、はるかに多い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているの
かもしれない。そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味も
ふくめて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だから
といって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇
跡を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待
してするものではない。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(ス
ッタニパーダ「ダンマパダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えて
いるのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きる
かどうかを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばるか
らこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎
日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。
同じようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。

たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもが
いる。そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先生」
と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが……)、さらに困る。も
しそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら
不合格で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人が
いる。「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。
そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。が、何
も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその
女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性
の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。

この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。
言ってはならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、
ハシゴをはずすようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあ
げねばならない。何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人と
して、してはいけないことと言ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことであ
る。どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、
うしろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようにな
ったら、人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか
私はそういう人生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもな
い。保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れ
るようになるかもしれない。私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にた
とえて言うなら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんば
っている。歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、お
しまい。あっという間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。

しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。
もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。
……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のこと
が、よく気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあ
れこれ観察する。先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どん
な生きがいや、生きる目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているの
だろう」「今、どんなことを考えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬
間、その人の中身というか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実
の問題から逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせれば
それでよいと考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もい
る。クシャクシャになったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もい
る。

人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。
愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽を
つんでしまうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、い
つの間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは
実に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということ
になる。何も考えなければ、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じ
で、日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダ
は、それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心
と精神はブヨブヨに太り始める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。
つまりいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。

 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念
場だ」と。
(030613)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

そして昨年(05年)の1月に、つぎのような原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心に残る人たち

 個性的な生き方をした人というのは、それなりに強く印象に残る。そしてそれを思い
出す私たちに、何か、生きるためのヒントのようなものを与えてくれる。

 たとえば定年で退職をしたあと、山の中に山小屋を建てて、そこに移り住んだ人がい
た。姉が中学校のときに世話になった、Nという名前の学校の先生である。その人が、こ
とさら印象に強く残っているのは、郷里へ帰るたびに、姉が、N先生の話をしたからでは
ないか。

 「N先生が、畑を作って、自給自足の生活をしている」
 「半地下の貯蔵庫を作って、そこできのこの栽培をしている」
 「教え子たちを集めて、パーティを開いた」など。

 ここまで書いたところで、つぎつぎと、いろいろな人が頭の中に浮かんでは消えた。

 G社という出版社で編集長をしていた、S氏という名前の人は、がんの手術を受けた
あと、一度、元気になった。その元気になったとき、60歳になる少し前だったが、自動
車の運転免許証を手に入れた。車を買った。そしてこれは、あとから奥さんから聞いた話
だが、毎週、ドライブを繰りかえし、なくなるまでの数年間、1年で、10万キロ近く、
日本中を走りまわったという。

 またS社という、女性雑誌社に勤めていた、I氏という名前の人は、妻を病気でなく
したあと、丸1年、南太平洋の小さな島に移り住み、そこで暮らしたという。一時は、行
方不明になってしまったということで、周囲の人たちはかなり心配した。が、1年後に、
ひょっこりと、その島から戻ってきた。そしてそのあとは、何ごともなかったかのような
顔をして、10年近くも、S社の子会社で、また、健康雑誌の編集長として活躍した。

 で、それからもう20年近くも過ぎた。山の中に山小屋を建てて住んだNという先生
は、とっくの昔に、なくなった。G社の編集長をしていたS氏も、なくなった。女性雑誌
社に勤めていたI氏は、私が知りあったとき、すでに50歳を過ぎていた。私が、25歳
のときのことだった。だから今、生きているとしても、80歳以上になっていると思う。

 I氏からは、あるときまでは、毎年、年賀状が届いた。が、それ以後、音信が途絶え
た。住所も変わった。

 そうそうG社という出版社に、Tさんという女性がいた。たいへん世話になった人で
ある。そのTさんは、G社を定年で退職したあとまもなく、大腸がんで、なくなってしま
った。

 その葬式に出たときのこと。こんな話を聞いた。

 そのとき、私は、そのTさんにある仕事を頼んでいた。その仕事について、ある日の
昼すぎに、電話がかかってきた。Tさんが病気だということは知っていた。が、意外と、
明るい声だった。Tさんは、いつものていねいな言い方で、私の頼んだ仕事ができなくな
ったということをわびた。そして何度も何度も、「すみません」と言った。

 そのことを葬儀の席で、Tさんをよく知る人に話すと、その人は、こう言った。「そん
なはずはない。Tさんが、あなたに電話をしたというときには、Tさんは、すでに昏睡状
態だった。電話など、できるような状態ではなかった」と。

 おかしな話だなと、そのときは、そう思った。あるいはそういう状態のときでも、ふ
と、意識が戻ることもあるそうだ。Tさんは、そういうとき、私に電話をかけてくれたの
かもしれない。

 親類の人たちや、友人は別として、その生きザマが、印象に残る人もいれば、そうで
ない人もいる。言うなれば、平凡は美徳だが、平凡な生活をした人は、あとに、何も残さ
ない。だからといって、平凡な生活をすることが悪いというのではない。「私らしい生きザ
マ」とは言うが、しかしそれができる人は、幸せな人だ。

 たいていの人は、世間や家族、さらには親類などのしがらみに、がんじがらめになっ
て、身動きがとれないでいる。いまだに「家」を引きずっている人も、少なくない。そう
いう状況の中で、その日、その日を、懸命に生きている。

 それにこうした個性的な生きザマを残した人にしても、私たちに何かを(残す)ため
に、そうしたわけではない。私たちに何かを教えるために、そうしたわけでもない。結果
として、私たちが、勝手にそう思うだけである。

 ただ、こういうことは言える。

 それぞれの人は、それぞれの人生を懸命に生きているということ。悲しみや苦しみと
戦いながら、懸命に生きているということ。その懸命に生きているという事実が、無数の
ドラマを生み、そのドラマが、そのあとにつづく私たちに、ときに、大きな感動を残して
くれるということ。

 で、かく言う私はどうなのかという問題が残る。

 ここ数か月以上、私は、「老人観察」なるものをしてきた。その結論というか、中間報
告として、ここで言えることは、私は、最後の最後まで、年齢など忘れて、がんばって生
きてみようということ。

 ときに、「生活をコンパクトにしよう」とか、「老後や、死後に備えよう」などと考え
たこともあるが、それはまちがっていた。エッセーの中で、そう書いたこともある。まだ、
その迷いから完全に抜けきったわけではないが、私は、そういう考え方を捨てた。……捨
てようとしている。

 つまりそういう生きザマを、こうした人たちが、私に教えてくれているように思う。
私たちはその気にさえなれば、最後の最後まで、何かができる。それを教えてくれている
ように思う。

 N先生……私自身は一面識もないが、心の中では、いつも尊敬していた。
 S氏……そのS氏が、私にエッセーの書き方を教えてくれた。
 I氏……いっしょに健康雑誌を書いた。……I氏の実名を出してもよいだろう。I氏は、
主婦と生活社の編集長をしていた、井上清氏をいう。健康雑誌の名前は、『健康家族』とい
う雑誌だった。その名前を覚えている人も、中にはいると思う。

 そしてTさん。電話では、自分の病状のことは、何も言わなかった。それが今になっ
て、私の胸を熱くする。私は、そのTさんの葬儀には、最後の最後まで、つきあった。藤
沢市の会館で葬儀をし、そのあと、どこかの火葬場で、火葬にふされた。アメリカ軍の基
地の近くで、ひっきりなしに、飛行機の爆音が聞こえていた。私は、Tさんが火葬されて
いる間、何度も何度も、その飛行機を見送った。

 遠い昔のことのようでもあるし、つい先日のことのようにも思う。みなさん、私に生
きる力を与えてくれてありがとう。私も、あとにつづきます!

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●終わりに……

 老後の敵、それはここに書いた「回顧性」ということになる。その回顧性を感じたら、
すでにあなたも、老人の仲間入りをしたということになる。

 もし、それがいやなら、つまりジジ臭くなったり、ババ臭くなるのがいやだったら、
回顧性とは、戦うしかない。

 私は死ぬまで、現役。あなたも、死ぬまで、現役。いつまでも、若々しく、前向きに
生きていく。

 繰りかえすが、毎日、過去をなつかしみながら、仏壇の金具を磨きながら日を過ごす
ようになったら、その人も、おしまい。そういうこと。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
回顧性と展望性 展望性と回顧性)

++++++++++++++++++++++++

【補足】輪廻思想について

●輪廻(りんね)

++++++++++++++

生まれ変わることができるというのは、
たしかに希望である。

生まれ変われないにしても、30歳とか、
40歳、突然、若くなれるとしたら……。

が、ここで私は、ふと、思いとどまる。

生まれ変わるとしても、条件がある。
今の生活環境以上に、よい生活環境
に生まれ変わるとしたら、それはそれで
よい。

しかしそうでなければ、どうするか?
たとえば現在のK国のような国で
生まれ変わるとしたら、私はごめん。

戦前の日本のような国も、いや。

さらに、だれかが、こう言ったとしたら、
私は、たぶん、それを断るだろう。

「林、もう一度、20歳に戻してやる。
同じ人生を歩んでみろ」と。

人生は一度でたくさん。私はそこまで
は思わないが、中には、こりごり
という人だっているかもしれない。

そんなふうに考えていくと、こうした生まれ
変わり、つまり輪廻(りんね)思想の生まれた
インドでは、輪廻そのものを、大衆は
支持していなかったのではないか?、という
疑問がわいてくる。

カースト制度というきびしい身分制度。その
身分制度の中で、奴隷(シュードラ)は
生まれながらにして奴隷であり、一生、
死ぬまで、奴隷であった。

そんな奴隷の1人に、輪廻思想を説いても、
はたしてその奴隷は、その思想を受け入れる
だろうか。たぶんその奴隷は、こう言うだろう。

「人生なんて、一度で、こりごり」と。

そこでウパニシャッド哲学(インド哲学)では、
輪廻転生から離脱し、宇宙(神)と一体化する
ことを、「解脱(げだつ)」と呼んだ。

(ちゃんと逃げ道が用意してあるところが、
すごい!)

私たちの魂は、生きたり死んだりを繰り返す。
その魂を、瞑想、つまりヨーガによって、宇宙の
神と一体化させる。

そうすればだれでも、解脱の境地に達する
ことができる。つまり、輪廻転生の輪から、
自分を解放させることができる。

+++++++++++++++

 インド哲学を理解するときは、一度、私たちを文明の世界から切り離さなければなら
ない。私たちが現在もっている常識で、インド哲学を理解しようとしても、理解できない。
そういう部分は、多い。

 これはあくまでも私の推察だが、当時のインドでは、時間についての観念そのものが
今とはちがっていたのではないか。たとえば30年、一昔というが、当時のインドでは、
100年単位、200年単位で、時代が動いていた。

 あるときあなたはひとつの村を訪ねる。そこで何人かの村人に会う。が、それから3
0年後。再び、あなたはその村を訪ねる。あなたはそこにいる人たちを見て、驚く。生活
もしきたりも、30年前とまったく同じ。

 生活やしきたりばかりではない。そこに住んでいる人たちも、30年前とまったく同
じ。30年前に会った人たちが、そっくりそのまま新しい人たちと置き換わっている。

 私は輪廻思想が生まれた背景には、そういった時代的背景があったと思う。つまりあ
なたから見れば、時間の流れというのが、くるくると回っているかのように見える。その
くるくると回っているという部分から、「輪廻」という言葉が生まれた。

 それについて以前、書いた原稿が、つぎのものである。一部、重複するが許してほし
い。

+++++++++++++++++

【過去、現在、未来】

●輪廻(りんね)思想

+++++++++++++++++++++

過去、現在、未来を、どうとらえるか?

あるいは、あなたは、過去、現在、未来を、
どのように考えているか?

どのようなつながりがあると、考えているか?

その考え方によって、人生に対する
ものの見方、そのものが変わってくる。

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 時の流れを、連続した一枚の蒔絵(まきえ)のように考えている人は、多い。学校の
社会科の勉強で使ったような歴史年表のようなものでもよい。過去から、現在、そして未
来へと、ちょうど、蒔絵のように、それがつながっている。それが一般的な考え方である。

 あるいは、紙芝居のように、無数の紙が、そのつど積み重なっていく様(さま)を想
像する人もいるかもしれない。過去の上に、つぎつぎと現在という紙が、積み重なってい
く。あるいは上書きされていく。

 しかし本来、(現在)というのは、ないと考えるのが正しい。瞬間の、そのまた瞬間に、
未来はそのまま過去となっていく。そこでその瞬間を、さらに瞬間に分割する。この作業
を、何千回も繰りかえす。が、それでも、未来は、瞬時、瞬時に、そのまま過去となって
いく。

 そこで私は、この見えているもの、聞こえているもの、すべてが、(虚構)と考えてい
る。

 見えているものにしても、脳の中にある(視覚野)という画面(=モニター)に映し
出された映像にすぎない。音にしても、そうだ。

 さらに(時の流れ)となると、それが「ある」と思うのは、観念の世界で、「ある」と
思うだけの話。本当は、どこにもない。つまり私にとって、時の流れというのは、どこま
でいっても、研(と)ぎすまされた、(現実)でしかない。

 その(時の流れ)について、ほかにもいろいろな考え方があるだろうが、古代、イン
ドでは、それがクルクルと回転していくというように考えていたようだ。つまり未来は、
やがて過去とつながり、その過去は、また未来へとつながっていく、と。ちょうど、車輪
の輪のように、である。

 そのことを理解するためには、自分自身を、古代インドに置いてみなければならない。
現代に視点をおくと、理解できない。たとえば古代インドでは、現代社会のように、(変化)
というものが、ほとんどなかった。「10年一律のごとし」という言葉があるが、そこでは、
100年一律のごとく、時が過ぎていた。

 人は生まれ、そして死ぬ。死んだあと、その人によく似た子孫がまた生まれ、死んだ
人と同じような生活を始める。同じ場所で、同じ家で、そして同じ仕事をする。人の動き
もない。話す言葉も、習慣も、同じ。

 そうした流れというか変化を、一歩退いたところで見ていると、時の流れが、あたか
もグルグルと回転しているかのように見えるはず。死んだ人がいたとしても、しばらくし
てその家に行ってみると、死んだ人が、そのまま若返ったような状態で、つまりその子孫
たちが、以前と同じような生活をしている。

 死んでその人はいないはずなのに、その家では、以前と同じように、何も変わらず、
みなが、生活している。それはちょうど、庭にはう、アリのようなもの。いつ見てもアリ
はいる。しかしそのアリたちも、実は、その内部では、数か月単位で、生死を繰りかえし
ている。

 こうして、多分、これはあくまでも私の憶測によるものだが、「輪廻(りんね)」とい
う概念が生まれた。輪廻というのは、ズバリ、くるくると回るという意味である。それが
輪廻思想へと、発展した。

 もちろん、その輪廻思想を、現代社会に当てはめて考えることはできない。現代社会
では、古代のインドとは比較にならないほど、変化のスピードが速い。10年一律どころ
か、数年単位で、すべてが変わっていく。数か月単位で、すべてが変わっていく。

 住んでいる人も、同じではない。している仕事もちがう。こうした社会では、時の流
れが、グルグルと回っていると感ずることはない。ものごとは、すべて、そのつど変化し
ていく。流れていく。

 つまり時の流れが、ちょうど蒔絵のように流れていく。もっとわかりやすく言えば、
冒頭に書いたように、社会科で使う、年表のように、流れていく。長い帯のようになった
年表である。しかしここで重要なことは、こうした年表のような感じで、過去を考え、現
在をとらえ、そして未来を考えていくというのは、ひょっとしたら、それは正しくないと
いうこと。

 つまりそういう(常識?)に毒されるあまり、私たちは、過去、現在、未来のとらえ
かたを、見誤ってしまう危険性すら、ある。

 よい例が、前世、来世という考え方である。それが発展して、前世思想、来世思想と
なった。

 前世思想や、来世思想というのは、仏教の常識と考えている人は多い。しかし釈迦自
身は、一言も、そんなことは言っていない。ウソだと思うなら、自分で、『ダンマパダ(法
句)』(釈迦生誕地の残る原始仏教典)を読んでみることだ。

 ついでに言っておくと、輪廻思想というのは、もともとはヒンズー教の教えで、釈迦
自身は、それについても一言も、口にしていない。

 言うまでもなく、現在、日本にある仏教経典のほとんどは、釈迦滅後、4〜500年
を経てから、「我こそ、悟りを開いた仏」であるという、自称「仏」(仏の生まれ変わりた
ち)によって、書かれた経典である。その中に、ヒンズー教の思想が、混入した。
 
 過去、現在、未来……。何気なく使っている言葉だが、この3つの言葉の中には、底
知れぬ謎が隠されている。

 この3つを攻めていくと、ひょっとしたら、そこに生きることにまつわる真理を、発
見することができるかもしれない。

 そこでその第一歩。あなたは、その3つが、どのような関連性をもっていると考えて
いるか。

 一度、頭の中の常識をどこかへやって、自分の頭で、それを考えてみてほしい。

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●再び輪廻について。

 たとえば輪廻というほどではないにしても、毎日が毎日の繰り返し……という人生に、
どれほどの意味があるというのか。そのことは、老人介護センターにいる老人たちを見れ
ばわかる。(だからといって、そこに住む老人たちの人生に意味はないと言っているのでは
ない。誤解のないように!)

 毎日、毎日、同じことを繰り返しているだけ。同じ時刻に起きて、同じ時刻に食事を
して、あとは一日中、テレビの前に座っているだけ。

 これは老人介護センターの中の老人たちの話だが、私たちの生活にしても、似たよう
なもの。今日は、昨日と同じ。今年は、去年と同じ、と。

 これもひとつの輪廻とすると、私たちがつぎに考えなければならないことは、どうす
れば、この輪廻を断ち切ることができるかということ。

 まさか瞑想(ヨーガ)をすればよいと説く人はいないと思う。(ヨーガというと、あの
O真理教を連想し、どうもイメージがよくない。)しかしだれも、このままでよいとは思っ
ていない。

 そこでひとつのヒントとして、サルトルは、こう説いた。「自由なる意思で、自由を求
め、思考し、自ら意思を決定していくことこそ重要」と。つまりこの輪廻を断ち切るため
には、「私は私」と、その「輪」の中から飛び出すことではないか。

……と書いたところで、「ウ〜ン」とうなって、筆が止まってしまった。そのことをワイ
フに話すと、ワイフも、そう言った。

私「思いきって、オーストラリアへ移住しようか?」
ワ「移住でなくても、2〜3年なら、いいわ」
私「このままだと、ぼくたちの人生も、このまま終わってしまう」
ワ「そうね。自分たちがどうあるべきか、まず、それを考えなくては……」と。








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【心の部屋論】(道徳完成論)

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人間の心には、いくつかの部屋がある。
言うなれば、どこかの大学のようなもの。
事務室もあれば、講義室もある。
講義室にしても、大講堂もあれば、研究室もある。
研究室といっても、ひとつではない。
哲学を研究する研究室もあれば、化学を研究する
化学室もある。
もちろん教会もあれば、博物館もある。
サッカー場もあれば、パチンコ店もある。
それぞれが有機的につながりながら、独自の
活動をしている。

たとえば今、私は、私の心の中の心理学の
研究室にいる。
「脳みそ」を大学に例えるなら、その総合的な
機能を研究するのが、心理学の研究室である。
この研究室からは、大学全体を見渡せる。
近くには政治学部があり、その向こうには
美術学部がある。

こうした大学は、人によって大きさも、構成の
しかたも、みなちがう。
中には、コンピュータ研究室が特異に大きな
大学に住んでいる人もいるだろう。
あるいは音楽学部が特異に大きな大学に住んでいる
人もいるだろう。

私はそれぞれの学部や研究室で、ときに教授に
なりながら、またときに、学生になりながら、
そのときどきを過ごす。

が、こわいのは、つまり私たちがもっとも警戒
しなければならないのは、心の闇の部分に相当
する、地下室である。
外からは見えないが、そこには、ありとあらゆる
ゴミがたまっている。
ゴミといっても、邪悪なゴミだ。
ウソ、インチキ、ごまかし、嫉妬、怒り、不満、
ウラミ、などなど。

私たちは日常的にゴミを出しながら、それを
捨てた段階で、そのゴミのことを忘れる。
(……意図的に忘れる。)
しかしゴミは確実にたまり、やがて大学の運営
そのものに、影響を与えるようになる。

あのユングという学者は、それを「シャドウ」と
いう言葉を使って説明した。
大切なことは、ゴミを作るとしても、最小限に!
できればゴミを出さない。
日々に、明るく、朗らかに、かつさわやかに……、
ということになる。

さあ、今日も一日、始まった。
今朝はたっぷり熟睡して、今は、午前7時35分。
今の私は大学の学長だ。
まずいくつかの学部を訪れてみる。
とりあえずすぐ隣の心理学部では、「心の広さ」に
ついて研究しているようだ。
そこをのぞいてみる。

みなさん、おはようございます!
5月21日、木曜日!

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●心の広さ

「心の広さ」を知るときは、反対に心の狭い人をみればよい。
俗にいう、「心に余裕のない人」である。
私はこのことを、母の介護をしているときに、知った。

同じ親の介護をしながら、明るく、ほがらかに、かつさわやかに
介護している人もいれば、反対に、暗く、つらそうに、かつ
グチばかり並べてしている人もいる。

「老人臭がする」
「町内会に出られなくなった」
「内職の仕事ができなくなった」
「コンロの火がつけっぱなしだった」
「廊下で、母が便をした」などなど。

このタイプの人のグチには、「では、どうればいいのか?」という部分がない。
ないまま、いつまでも同じグチを繰り返す。
ネチネチとグチを繰り返す。

私なら、……実際、そうしてきたが、老人臭が気になれば、換気扇をつければよい。
町内会など、出なければならないものではない。
みな、事情を話せば、わかってくれる。
内職の仕事にしても(やりくり)の問題。
老人が家にいるからといって、できなくなるということはない。
コンロの火が心配なら、自動消火装置つきのコンロにすればよい。
廊下で便など、子どもの便と思えばよい。
私の息子たちはみな、こたつの中で便をしていたぞ!

要は、心の広さの問題ということになる。

●道徳の完成度

心の広さを、お金(マネー)にたとえるのも、少し気が引ける。
しかし似ている。

たとえばふところに、10万円もあれば、どこのレストランへ行っても、安心して
料理を楽しむことができる。
が、それが1000円とか2000円だったりすると、とたんに不安になる。
では、心の広さのばあいは、どうか。
どうすれば、心の余裕を作ることができるか。
心を広くすることができるか。

ひとつのヒントとして、コールバーグが説いた「道徳の完成度」というのがある。
つまり、道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたもの
であるか、その2点で判断される、と。

(1)いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分が
その立場にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動
できるかどうかで、その人の道徳的完成度は決まる。

(2)いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点と
するなら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、
その人の道徳的完成度は決まる。

心が広い人イコール、道徳の完成度の高い人ということにはならない。
しかし道徳の完成度の高い人イコール、心の広い人と考えてよいのでは?
異論、反論もあろうかと思うが、その分だけ、そのときどきの(縁)に翻弄(ほんろう)
されるというこが少なくなる。
心理学的には、自己管理能力の高い人ということになる。
大脳生理学的には、前頭連合野の活動が、すぐれている人ということになる。
そういうものが総合されて、その人の心の広さを決定する。
が、何よりも大切なことは、運命を受け入れて生きるということ。

●運命論

どんな人にも、まただれにも、無数の糸がからんでいる。
生い立ちの糸、家族の糸、社会の糸、能力の糸、人間関係の糸、健康の糸、
性質の糸、、性格の糸、環境の糸などなど……。
そういった糸が無数にからんできて、ときとして私やあなたは、自分の意図する
のとは別の方向に、足を踏み入れてしまうことがある。

いや、そのときはそれに気がつかない。
あとで振り返り、そのうしろの足跡を見て、それに気づく。
運命というのがあるとすれば、運命というのは、そういうもの。

その運命を心のどこかで感じ、そしてそれが抵抗しても意味のないものと
知ったら、運命は受け入れる。
すなおに受け入れる。
そのわかりやすさが、私やあなたの心を広くする。

私も母の介護をするようになって、はじめてその運命のもつ力というか、
ものすごさを知った。
ふつうの母と子の関係なら、それほど苦しまなかったかもしれない。
しかし私のばあい、そうではなかった。
だからこそ、苦しんだ。

が、母が、私の家にやってきたとき、それは一変した。
下痢で汚れた母の尻を拭いてやっているとき、それまでのわだかまりや、こだわりが、
ウソのように消えた。
そこに立っているのは、どこまでもか弱い、そしてどこまでもあわれな、1人の
老婆にすぎなかった。
体の大きさも、小学生ほどになっていた。
それを知った、その瞬間、私は運命を受け入れた。

そう、運命というのは、そういうもの。
それに逆らえば、運命は、キバをむいて、私やあなたに襲いかかってくる。
しかし一度それを受け入れてしまえば、運命は、シッポを巻いて、向こうから逃げていく。

●生きる醍醐味

「生きる醍醐味は何か?」と問われれば、この心の部屋論にたどりつく。
大豪邸に住み、ぜいたくな生活をするのが、醍醐味ということではない。
(もちろんそういう人の心は、狭いということではない。誤解のないように!)

しかしいくらボロ家に住んで、つつましやかな生活をしていても、
心の部屋まで狭くしてしまってはいけない。
こんな例が参考になるかどうかは、わからないが、最近も、こんなことがあった。

私たち夫婦は、今年、H社のハイブリッド・カーを購入するつもりでいた。
何度もショールームに足を運んだ。
T社のハイブリッド・カーも魅力的だった。
何でも燃費が、リッターあたり、38キロ!
驚異的な数字である。
迷ったが、地元の会社であるT車のハイブリッド・カーに決めた。……決めていた。

で、その時期をねらっていたら、三男が結婚して、車がほしいと言い出した。
給料はかなり安いらしい。
しかも電車を乗り継いで通勤できるようなところではないらしい。
そこで私たちは、ギブアップ。
そのお金を三男に回した。
今しばらく、T社のビッツに乗りつづけることにした。
T社の車の中では、最安値の車である。

が、ビッツに乗っていても、卑下感は、まったくない。
大型高級車を見たりすると、ホ〜〜ッとため息をつくことはあるが、そこまで。
けっして負け惜しみではない。

私たち夫婦は、いつもこう言っている。
「車はビッツでも、肉体はベンツ」と。
そういうこともあって、このところ毎日、2人で、10キロは歩くようにしている。
プラス、ワイフは、週2回のテニスクラブ。
私は週4〜5単位のサイクリング。
(1単位=40分の運動量をいう。)

つまりこれが心の余裕ということになる。
さて、ここで究極の選択。

「肉体はビッツで車はベンツ、あるいは肉体はベンツで車はビッツ。
あなたはどちらを選ぶか?」

あるいは、
「豪華な生活をしながら心は4畳半、あるいは4畳半に住みながら、心は
大豪邸。あなたはどちらを選ぶか?」でもよい。

もっとも私のばあい、本音を言えば、大豪邸に住んで、心も大豪邸。
できれば超大型のベンツにも乗りたい。
そういう人も、知人の中には、いないわけではない。

まっ、がんばろう。
ここはがんばるしかない。

隣の心理学部を出て……。
その横には銭湯がある。
これから朝風呂を浴びてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
コールバーグ 道徳の完成度 道徳完成度 はやし浩司 道徳の完成度 完成論 
はやし浩司 心の部屋論 運命論 無数の糸)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

【子どもの道徳・道徳の完成度】

●地球温暖化

+++++++++++++

子どもたちほど、地球温暖化の
問題を真剣に考えているという
のは、興味深い。

他方、おとなほど、この問題に
関して言えば、無責任(?)。

「何とかなるさ」という言い方をする
おとな。「だれかが何とかしてくれ
る」とか、「私ひとりが、がんばって
も、どうしようもない」とか。

そんなふうに考えているおとなは、
多い。

+++++++++++++

 道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)。

 いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分がその立
場にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動できるかどうか
で、その人の道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点とする
なら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、その人の道徳的
完成度は決まる。

 たとえばひとつの例で考えてみよう。

 あなたはショッピングセンターで働いている。そのとき1人の男性が、万引きをしたと
する。男性は品物をカートではなく、自分のポケットに入れた。あなたはそれを目撃した。

 そこであなたはその男性がレジを通さないで外へ出たのを見計らって、その男性に声を
かけた。が、あなたは驚いた。他人だと思っていたが、その男性は、あなたの叔父だった。

 こういうケースのばあい、あなたなら、どう判断し、どう行動するだろうか。「叔父だか
ら、そのまま見過ごす」という意見もあるだろう。反対に、「いくら叔父でも、不正は不正
と判断して、事務所までいっしょに来てもらう」という意見もあるだろう。

 つまりここであなたの公正さが、試される。「叔父だから、見過ごす」という人は、それ
だけ道徳の完成度が低い人ということになる。

 またこんな例で考えてみよう。

 今、地球温暖化が問題になっている。その地球温暖化の問題について、いろいろな考え
方がある。コールバークが考えた、「道徳的発達段階」を参考に、考え方をまとめてみた。

(第1段階)……自分だけが助かればばいいとか、自分に被害が及ばなければ、それでい
いと考える。被害が及んだときには、自分は、まっさきに逃げる。

(第2段階)……仕事とか、何か報酬を得られるときだけ、この問題を考える。またその
ときだけ、それらしい意見を発表したりする。

(第3段階)……他人の目を意識し、そういう問題にかかわっていることで、自分の立場
をつくったりする。自分に尊敬の念を集めようとする。

(第4段階)……みなでこの問題を考えることが重要と考え、この問題について、みなで
考えたり、行動しようとしたりする。

(第5段階)……みなの安全と幸福を最優先に考え、そのために犠牲的になって活動する
ことを、いとわない。日夜、そのための活動を繰りかえす。

(第6段階)……地球的規模、宇宙的規模で、この問題を考える。さらに、人類のみなら
ず生物全体のことを念頭において、この問題を考え、その考えに沿って、行動する。

 この段階論は、子どもたちの意見を聞いていると、よくわかる。「ぼくには関係ない」と
逃げてしまう子どももいれば、とたん、深刻な顔つきになる子どももいる。さらに興味深
いことは、幼少の子どもほど、真剣にこの問題を考えるということ。

 子どもも中学生や高校生になると、「何とかなる」「だれかが何とかしてくれる」という
意見が目立つようになる。つまり道徳の完成度というのは、年齢とかならずしも比例しな
いということ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の道徳 道徳の完成度 道徳 完成度 はやし浩司 道徳の完成度 コールバーク 
道徳完成度 完成度段階説)


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●道徳の完成度(2)

+++++++++++++++++++

道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、
(2)いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)という。

 いかに公正であるか……相手が知人である
とか友人であるとか、あるいは自分がその立場
にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、
公正に判断して行動できるかどうかで、その人の
道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児
が見せる原始的な自己中心性を原点とするなら、
いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的
であるかによって、その人の道徳的完成度は決
まる。

+++++++++++++++++++

 この2日間、「道徳の完成度」について、考えてきた。「言うは易(やす)し」とは、よ
く言う。しかし実際に、どうすれば自己の道徳を完成させるかということになると、これ
はまったく別の問題と考えてよい。

 たとえば公正性についても、そのつど心の中で揺れ動く。情に動かされる。相手によっ
て、白を黒と言ってみせたり、黒を白と言ってみせたりする。しかしそれでは、とても公
正性のある人間とは言えない。

 またその視野の広さについても、ふと油断すると、身近なささいな問題で、思い悩んだ
り、自分を取り乱したりする。天下国家を論じながら、他方で、近隣の人たちとのトラブ
ルで、醜態をさらけだしたりする。

 コールバークの道徳論を、もう一度、おさらいしてみよう。

(1)「時、場所、そして人のいかんにかかわらず、公正に適応されるという原則」
(2)「個人的な欲求や好みを超えて、個人の行為を支配する能力」(引用文献:「発達心理
学」ナツメ社)。

 そこで重要なことは、日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要、ということになる。常
に公正さを保ち、常に視野を広くもつということ。が、それがむずかしい。ときとして問
題は、向こうから飛びこんでくる。こんな話を聞いた。

 よくある嫁―姑(しゅうとめ)戦争だが、嫁の武器は、子ども。「孫がかわいい」「孫に
会いたい」という姑の心を逆手にとって、その嫁は、姑を自分のよいように操っていた。
具体的には、姑のもつ財産をねらっていた。

 いつしか姑が、息子夫婦の生活費を援助するようになっていた。嫁の夫(=姑の息子)
の給料だけでは、生活が苦しかった。質素に生活すれば、できなくはなかったが、嫁には、
それができなかった。嫁は、派手好きだった。

 そのうち、姑は、孫(=嫁の息子、娘)の学費、教育費まで負担するようになった。し
かし土地などの財産はともかくも、現金となると、いつまでもつづくわけではない。そこ
で姑が、支出を断り始めた。「お金がつづかない」とこぼした。とたん、嫁は、姑と息子と
娘(=姑の孫)が会うのを禁止した。

息子(小4)と娘(小1)は、「おばあちゃんに会いたい」と言った。
嫁は、「会ってはだめ」「電話をしてもだめ」と、自分の子どもにきつく言った。
姑は「孫たちに会いたいから、連れてきてほしい」と、嫁に懇願した。
嫁は間接的ながら、「お金がなかったら、土地を売ってお金をつくってほしい」と迫った。

 ……という話を書くのが、ここでの目的ではない。こういう話は、あまりにも低レベル
というか、あさましい。できるなら、こういう話は聞きたくない。話題にしたくもない。
が、現実の世界では、こうした問題が、つぎからつぎへと起きてくる。いくら道徳的に高
邁(こうまい)でいようとしても、ふと気がつくと、こうした問題のウズの中に巻き込ま
れてしまう。

 言いかえると、道徳の問題は、頭の中だけで論じても、意味はないということ。この私
だって、偉そうなことなら、いくらでも言える。それらしい顔をして、それらしい言葉を
口にしていれば、それでよい。それなりの道徳家に見える。

 しかし実際には、中身はガタガタ。私はその嫁とはちがうと思いたいが、それほどちが
わない。そこで繰りかえすが、「日々の生活の中での心の鍛錬こそが重要」ということにな
る。

 私たちは常に試される。この瞬間においても、またつぎの瞬間においても、だ。何か大
きな問題が起きれば、なおさら。そういうときこそ、日々の鍛錬が、試される。つまりそ
の人の道徳性は、そういう形で、昇華していくしかない。

(道徳性について、付記)

 高邁な道徳性をもったからといって、どうなのか……という問題が残る。たとえばこん
な例で考えてみよう。最近、実際、あった事例である。

 あなたは所轄官庁の担当部長である。今度、遠縁にあたる親類の1人が、介護施設を開
設した。あなたは自分の地位を利用して、その親類に、多額の補助金を交付した。その額、
数億円以上。

 そのあなたが、ある日、その親類から、高級車の提供をもちかけられた。別荘の提供も
もちかけられた。飲食して帰ろうとすると、みやげを渡された。みやげの中には、現金数
百万円が入っていた。
(お気づきの人もいるかと思うが、これは実際にあった事件である。)

 こういうケースのばあい、あなたならどう判断し、どう行動するだろうか?

 「私はそういう不正なことは、しません」と、それを断るだろうか。その勇気はあるだ
ろうか。また断ったところで、何か得るものは、あるだろうか。

 私はそういう場に立たされたことがないので、ここでは何とも言えない。しかし私なら、
かなり迷うと思う。今の私なら、なおさらそうだ。いまだに道路にサイフが落ちているの
を見かけただけで、迷う。

不運にも(?)、この事件は発覚し、マスコミなどによって報道されるところとなった。
しかしこうした事例は、小さなものまで含めると、その世界では、日常茶飯事。それこ
そ、どこでも起きている。

 つまり道徳性の高さで得られるものは、何かということ。それがこの世界では、たいへ
んわかりにくくなっている。へたをすれば、「正直者がバカをみる」ということにもなりか
ねない。

 ところで、少し前、中央教育審議会は、道徳の教科化を見送ることにしたという。当然
である。
 道徳などというものは、(上)から教えて、教えられるものではない。だいたい道徳を教
える、長の長ですら、あの程度の人物。公平性、ゼロ、普遍性、ゼロ。どうしてそんな人
物が、道徳を口にすることができるのか。

 「学習指導要領の見直しを進めている中央教育審議会は、18日、道徳の授業を教科と
しない方針を固めた。政府の教育再生会議は、規範意識の向上を目的に、第二次報告で道
徳を『徳育』としたうえで、教科化するよう求めていた。もともと中教審の内部では、教
科化に慎重な意見も強かったが、安倍首相の辞任後、『教育再生』路線との距離の置き方も、
明確になった格好だ」(中日新聞)とある。

 わかりやすく言えば、安倍総理大臣が辞任したこともあり、安倍総理大臣が看板にして
いた徳育教育(?)が、腰砕けしたということ。

 閣僚による数々の不祥事。加えて、安倍総理自身も、3億円の脱税問題がもちあがって
きている。「何が、道徳か!」、ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
道徳 道徳教育 徳育 徳育教育 教育再生会議 中央教育審議会)







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●記憶(感覚記憶)

ぼんやりとパソコンの画面をながめる。
ニュースのタイトルが、ズラリと並んでいる。

「?」と思ったり、「!」と思ったり。
タイトルを、そのつどクリックする。
ニュースの内容が表示される。
目を通す……。

バッキンガム宮殿……UAEで新型インフル……厚生省……温室ガス効果……。
未明に火事……日中韓のレベル……シャトル帰還……国民葬……(5・26)。

が、このあとおもしろい現象が起きる。

読んでいるときは、それほど関心を引かなかった記事が、そのあとぐんぐんと脳みその
中でふくらんでくることがある。
そこでもう一度その記事を読みなおしてみたいと思うのだが、それがどこのどの記事
だったかが、思いだせない。
で、またあちこちを開きなおしてみる。
が、見つからない……。
「?」「?」「?」。

つまり私はニュースサイトの記事に目を通したが、記憶として脳に格納するという
操作をしなかった。
心理学的に言えば、「感覚記憶」だけですませてしまった。

●感覚記憶

ふつう感覚記憶というのは、1秒前後で消失すると言われている。
たとえばパソコンの画面を見る。
右横の方には、ガジェットと呼ばれるコーナーがある。
時刻やカレンダー、株価や為替などがそこに表示されている。
が、そのとき特段の注意を払わなければ、そこに表示されている数字は、そのまま
忘れてしまう。
言うなれば、ただの模様。

これが感覚記憶である。

が、もしこの感覚記憶がなかったら……。
「1秒前後で消失する」とはいうものの、その1秒も残らなかったとしたら……。
私はつぎの記憶操作に移れなくなってしまう。
感覚記憶があるから、たとえその1秒でも、その1秒のうちに、それが重要な情報
であるかを判断することができる。
そして「重要」と判断したときには、脳は、つぎの記憶操作に移動する。
「短期記憶」という記憶操作である。

私はパッパッとガジェットを見ながら、その瞬間、(それこそ1秒以内に)、
重要な数字とそうでない数字を、頭の中でより分ける。
カレンダーを見ながら、ふと円ドルの為替相場を思い出す。
「先週は、1ドル、94・787円で終わったのか……」と。

●短期記憶

こうして感覚記憶を、つぎの短期記憶につなげていく。
「円高になっている……」と。
しかし世界的なドル安の可能性もあるとも考えられる。
あるいは世界的な円高かもしれない……。

そこで各国の通貨を、円やドルと比較してみる。
オーストラリア・ドル、ニュージーランド・ドル、韓国ウォン……。
その結果として、円もドルも下落傾向にあり、相対的にドルのほうが、円よりも
下落率が高いことを知る。

こうして1ドル=94円という数字が、記憶の中に残る。
が、この数字とて、明日になれば忘れる。
(今日の午後かもしれない……。)
忘れるというより、新しい数字がその数字の上に、上書きされる。

では、その数字を、さらに長い間記憶させるためには、どうしたらよいのか。
それが長期記憶ということになる。

●長期記憶

長期記憶は、(記銘)→(保持)→(想起)という3つの段階を経て、脳みその中に
刻みこまれる。
長期記憶として残る。
わかりやすく言えば、(1)まず記憶として、頭の中に叩き込む。
つぎに(2)記憶として、保持する。
あるいは保持するための操作を繰り返す。
そして(3)それをじょうずに、思いだす。

記銘力が弱くなれば、記憶は記憶として残らないことになる。
よく老人になると、物忘れがひどくなると言われるが、私はそうではないと考える。
老人になると、記銘力そのものが弱くなる。
「記憶してやろう」という意欲そのものが、減退する。
だから記憶として残らない。
その結果として、物忘れがひどくなる、と。
これは私の体験からの意見である。

つぎに保持だが、それについては、そのつど反復して思い出すことによって、
より確かなものにすることができる。
英語の単語の暗記を例にあげるまでもない。
が、それだけでは足りない。
何かのことと関連づける必要がある。
最近も、私は、こんな経験をした。

コールバーグという学者がいる。
道徳の完成度を、(1)より公平である、(2)より普遍的であるという2点にしぼって、
まとめあげた学者である。
すばらしい意見である。
が、その名前を忘れてしまった。
何かの場でその名前を思い出そうとしたが、どうしても思い出せなかった。

ところが、である。
ある映画を見ていて、だれかかがハンバーグを食べているシーンを見たとき、思いだした。
「コールバーグだ!」と。

私は、そこで「コールバーグ」と「ハンバーグ」を結びつけて、記憶の中に格納した。
で、今では、すぐにその名前を思い出すことができる。……できるようになった。
つまり、「保持」のためには、「反復」「関連づけ」という操作をしなければならない。

●限界はない

では、その長期記憶には、限界があるのか?
私の経験では、加齢とともに、脳みその底に穴があいたような状態になる。
感覚記憶、短期記憶は、どんどんと、下へこぼれ落ちていく。

では、長期記憶はどうか。
一般論としては、長期記憶は一度、記憶されると、ほぼ永遠、つまり死ぬまで
残るとされる。
(ただし想起力が低下すれば、思いだすことができなくなるが……。
また何かの脳の病気になれば、「死ぬまで……」というわけにはいかなくなる。)

また長期記憶には、際限はないとされる。
脳のもつキャパシティには、相当なものがあるらしい。
実感として、100の英語の単語を記憶すれば、一方で100の英語の単語を
忘れてしまうのではないかと思う。
しかし実際には、そういうことはない。
「限界はない」というのが、定説になっている。

新しい長期記憶ができたからといって、別の長期記憶が消えていくなどということは、
ないということ。
だからどんどんと記憶していく。
遠慮なく、記憶していく。

●思考

こうして今、一通り、ニュースサイトを読み終えた。
が、ここからが、私の出番(?)。

ニュースにしても、ただ読んだだけでは、記憶として残るだけ。
もしその段階で終わってしまったら、それこそ、ワイフとの茶飲み話で終わってしまう。
そこで大切なことは、それを思考につなげていくという操作。
それをしないと、私はただの情報人間になってしまう。
またそうすることによって、長期記憶を、より確かなものにすることができる。

たとえば……。
どこかを旅しても、車窓から外をながめていただけでは、長期記憶としては
記憶に残らない。
何かのエピソードと結びつけば、その段階で、短期記憶として残る。
が、さらにしっかりとした長期記憶として残したいと思うなら、
(これはあくまでも私の意見だが)、絵に描いてみるとよい。
あるいはその瞬間に、旅行記を書いてみるとよい。
簡単なメモでもよい。
そうすれば、脳の中に、記憶として、しっかりと(記銘)することができる。

そういう視点で、今日も、いくつかのニュースに興味をもった。
それについては、このあと書いてみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi Hama 感覚記憶 短期記憶 長期記憶 記銘 保持 想起 記憶の
メカニズム 林浩司)







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●【結果主義】(希望と落胆)

++++++++++++++++++++++

『我らが目的は成功することではない。
失敗にめげず、前に進むことである』(スティーブンソン)。

++++++++++++++++++++++

●A氏のケース

A氏は、競馬でその日、もっていたお金のほとんどを
すってしまった。

残ったのは、1000円。
食事は、コンビニのパンですまし、おつりで、宝くじを買った。

が、この宝くじがあたった。
X賞で、賞金200万円!

A氏はそのお金で、念願だった、新車を購入した。
が、買ってまもなくのこと、追突事故を起こしてしまった。
幸い、双方ともに軽い損傷程度ですんだ。

が、それが縁で、つまり追突した車を運転していた女性と知りあい、
そのままその女性と結婚してしまった。
電撃結婚だった。

その女性は財産家の1人娘だった。
甘いハネムーンから覚めてみると、その女性は、まったく家事が
できないことがわかった。
食事は、ほとんど外食、あるいは弁当。
洗濯の仕方も知らなかった。

A氏の給料だけでは、生活できなくなってしまった。
その女性は、実家からA氏の給料以上の支援を受けるようになった。
が、そのためA氏と女性の間では、夫婦喧嘩が絶えなかった。

女性が妊娠したところで、女性は「生活ができない」と言って、
実家に帰ってしまった。
そのまま離婚。
A氏は、女性の実家から、かなりの額の慰謝料を受け取った。
女性の実家の両親は、もともと、2人の結婚には、反対していた。

A氏はその慰謝料を元手に、町の中に人材派遣業を開いた。
最初はそれまでの仕事の関係で、けっこう収入があったが、やがてすぐ左前。
半年くらいで、事務所を閉じてしまった。

●大切なのは「今」

A氏の話は、私の作り話である。
(運)と(不運)を交互にまぜてみた。
つまりそのつど(結果)があり、その(結果)が、つぎの(結果)の
始まりであることを、この話を通して理解してもらえれば、うれしい。

このことは、子どもの受験勉強についても言える。

中学受験で合格する。
その喜びも、数か月も過ぎると、消える。
今度は高校受験が始まる。
で、何とか、目的の高校に合格できた。
同じように、その喜びも、数か月も過ぎると、消える。
今度は大学受験が始まる。

このばあいも、(結果)はつぎの、過程への一里塚でしかないことがわかる。
もっと言えば、(結果)は常に、(次の始まり)でしかない。
さらに言えば、(結果)と(始まり)を分けるほうが、おかしい。
またA氏のケースを読んでもわかるように、(もちろん作り話だが)、
結果がよくても、また悪くても、そこで流れが止まるということでもない。

では、どう考えたらよいのか。

結果というのは、「今」のあとに必ず、やってくる。
「結果」という言葉にこだわる必要はない。
「今」のあとには、必ず、「次の今」がやってくる。
私たちがなすべきことがあるとすれば、それは「今」を懸命に生きること。
そのあとのことは、そのあとのこと。
そのときは、また、そのとき懸命に生きればよい。

子どもの受験勉強にしても、そうだ。
子どもがそのとき、生き生きと楽しそうに生活していれば、それでよい。
もちろん懸命に勉強していれば、さらによい。
入学試験という関門はそのつどやってくるが、それはあくまでも関門。
結果がよくても悪くても、一喜一憂しない。
またその価値もない。

この世界でもっとも愚劣な生き方といえば、取り越し苦労に、ヌカ喜び。
結果主義の生き方をしている人は、えてして、そのときどきの結果に、
振り回されてしまう。

……日本の仏教は、結果を重んじ、ともすれば結果主義に走るきらいがある。
『終わりよければ、すべてよし』と。
『死んだ人は、みな仏』というのも、同じように考えてよい。
「死に際の様子を見れば、その人の人生のすべてがわかる」と教える仏教教団も
ある。

こうした仏教的なものの見方は、私たち日本人の骨のズイにまでしみこんでいる。
だからそれを自分の体から抜き出すのは、容易なことではない。
ないが、その努力だけは怠ってはいけない。
怠ったとたん、再び、その流れの中に、体ごと飲みこまれてしまう。

あなたが今、どういう状態であれ、あなたはあなた。
私は私。
そして今は今。
大切なことは、今というこのときを、懸命に生きること。
過去を悔やんでも始まらない。
未来を嘆いても始まらない。
とにかく今を、懸命に生きること。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 結果
主義)

●希望と落胆

++++++++++++++++

希望と落胆は、ある一定の周期をおいて、
交互にやってくる。

希望をもてば、そのあとには、必ず
落胆がやってくる。しかしそこで終わる
わけではない。

朝のこない夜はないように、落胆の
あとには、これまた必ず希望がやってくる。

++++++++++++++++

 最近、何かと落ちこむことが多くなった。失敗(?)も重なった。調子も悪い。何をし
ても、空回りばかりしている。

 で、そういうときというのは、おかしなもので、自分の書いた原稿に慰められる。つま
り自分で書いた原稿を読みながら、自分を慰める。今朝もそうだ。ふと自分に、『私たちの
目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである』と言い聞かせたとき、それ
について書いた原稿を読みたくなった。

検索してみたら、3年前に書いた原稿が見つかった。

++++++++++++++++++

【私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進むことである】

 ロバート・L・スティーブンソン(Robert Louise Stevenson、1850−1894)と
いうイギリスの作家がいた。『ジキル博士とハイド氏』(1886)や、『宝島』(1883)
を書いた作家である。もともと体の弱い人だったらしい。44歳のとき、南太平洋のサモ
ア島でなくなっている。

そのスティーブンソンが、こんなことを書いている。『私たちの目的は、成功ではない。失
敗にめげず、前に進むことである』(語録)と。

 何の気なしに目についた一文だが、やがてドキッとするほど、私に大きな衝撃を与えた。
「そうだ!」と。

 なぜ私たちが、日々の生活の中であくせくするかと言えば、「成功」を追い求めるからで
はないのか。しかし目的は、成功ではない。スティーブンソンは、「失敗にめげず、前に進
むことである」と。そういう視点に立ってものごとを考えれば、ひょっとしたら、あらゆ
る問題が解決する? 落胆したり、絶望したりすることもない? それはそれとして、こ
の言葉は、子育ての場でも、すぐ応用できる。

 『子育ての目的は、子どもをよい子にすることではない。日々に失敗しながら、それで
もめげず、前向きに、子どもを育てていくことである』と。

 受験勉強で苦しんでいる子どもには、こう言ってあげることもできる。

 『勉強の目的は、いい大学に入ることではない。日々に失敗しながらも、それにめげず、
前に進むことだ』と。

 この考え方は、まさに、「今を生きる」考え方に共通する。「今を懸命に生きよう。結果
はあとからついてくる」と。それがわかったとき、また一つ、私の心の穴が、ふさがれた
ような気がした。

 ところで余談だが、このスティーブンソンは、生涯において、実に自由奔放な生き方を
したのがわかる。17歳のときエディンバラ工科大学に入学するが、「合わない」という理
由で、法科に転じ、25歳のときに弁護士の資格を取得している。そのあと放浪の旅に出
て、カルフォニアで知りあった、11歳年上の女性(人妻)と、結婚する。スティーブン
ソンが、30歳のときである。小説『宝島』は、その女性がつれてきた子ども、ロイドの
ために書いた小説である。そしてそのあと、ハワイへ行き、晩年は、南太平洋のサモア島
ですごす。

 こうした生き方を、100年以上も前の人がしたところが、すばらしい。スティーブン
ソンがすばらしいというより、そういうことができた、イギリスという環境がすばらしい。
ここにあげたスティーブンソンの名言は、こうした背景があったからこそ、生まれたのだ
ろう。並みの環境では、生まれない。

 ほかに、スティーブンソンの語録を、いくつかあげてみる。

●結婚をしりごみする男は、戦場から逃亡する兵士と同じ。(「若い人たちのために」)
●最上の男は独身者の中にいるが、最上の女は、既婚者の中にいる。(同)
●船人は帰ってきた。海から帰ってきた。そして狩人は帰ってきた。山から帰ってきた。(辞
世の言葉)
(03―1―1)

++++++++++++++++++

 希望を高くもてばもつほど、必ずそのあとに、落胆がやってくる。希望通りにものごと
が進む例など、100に1つもない。1000に1つもない。

 しかし希望のない人生は、そのものが闇。だからつぶされても、つぶされても、人は何
かの希望をもとうとする。そして再び、前に進もうとする。朝のこない夜はないように、
落胆のあとには、これまた必ず希望がやってくる。

 こうして人は、希望と落胆を、周期的に繰りかえす。そして歯をくいしばりながら、前
に進む。

 子育ても、また同じ。

 そこで大切なことは、仮に子育てをしていて、落胆したり、ときには絶望感を覚えたと
しても、決して、それがドン底であるとか、終わりであると思ってはいけないということ。

 私たちにとって大切なことは、『私たちの目的は、成功ではない。失敗にめげず、前に進
むことである』。

 今朝は、この言葉に、私は慰められた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
結果主義 林浩司 スティーブンソン はやし浩司 我らが目的 希望論 落胆 希望と
落胆)







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●しつけ

+++++++++++++++++

「しつけ」というときは、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がなければならない。

あいさつの仕方など、国によってみなちがう。
時代によってちがうこともある。
さらに軍人には、軍人のあいさつのしかたがある。

そういうのは、「しつけ」とは言わない。
「作法」という。

たとえば最近、こんなことがあった。

++++++++++++++++++

W君(小2男児)は、インフルエンザにかかり、1週間ほど、
学校を休んだ。
その直後、私の教室に来た。
まだ咳が残っていた。
1〜2分おきぐらいに、ゴホゴホと咳をしていた。

こういうケースのばあい、対処の仕方が2つある。

W君にマスクを渡し、マスクをかけさせる。
あるいは全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。

ふつうはW君だけにマスクを渡し、W君だけマスクを
かけさせれば、それですむ。
しかし中に、それをかたくなに拒否する子どももいる。
「罰」か何かのようにとらえる。

そういうときは、全員にマスクを渡し、マスクをかけさせる。

が、である。
そういうふうにしても、W君は、ときどきマスクをはずし、
ゴホゴホと咳をする。
私のところへやってきて、面と向かって、ゴホゴホと咳をする。

だから私はかなりきつくW君を叱った。
「人の顔に向けて、咳をしてはだめだ」と。

するとW君は、「手で(自分の口を)押さえた」とか、
「先生の顔には向けてない」とか言って、反論した。

私「あのなあ、咳というのは、手で押さえたくらいでは
防ぐことができないんだよ」
W「いいから、いいから……」
私「いいから、いいからというような問題ではない。
マスクをちゃんと、しなさい」
W「ぼくはもう、治った」
私「治ってない!」と。

ついでに付記するなら、インフルエンザのウィルスに、
おとなも子どもも、ない。
おとな用のウィルス、子ども用のウィルスというのは、ない。
みな、同じ。
だから目の前でゴホンとやられたら、即、そのまま私に
感染する。
防ぎようがない。

ほとんどの人は、(おとなも子どもも)、咳をすることに
たいへん無頓着。
この日本では、とくに無頓着。
それを悪いことと考えている人は、少ない。
満員電車の中でさえ、平気でゴホゴホと咳をしている人さえ
いる。

しかし相手の顔に向けて咳をするのは、相手を手で殴るのと
同じ、暴力行為。
だから私はW君をさらに強く、叱った。

私「私の言うことが聞けないなら、この教室から出て行きなさい」
W「どうしてヨ〜?」
私「どうしてって、みんなにインフルエンザが移ったら、どうする?」
W「だいじょうぶだよ。移らないよ」
私「……」と。

もうおわかりのここと思うが、こういうのを(しつけ)という。
「咳をするときは、口をハンカチで押さえる」
「マスクをかけるのは、常識」
「マスクをしていても、相手の顔に向けて、咳をしない」

こうした(しつけ)には、時代を超えた普遍性、
国や民族をこえた国際性がある。
わかりやすく言えば、世界の常識。

……では、なぜ、こんなことを書くか?
実は今、あちこちの幼稚園で、「しつけ教室」なるものが、
たいへん流行(はや)っている。
たいていあいさつの仕方から始まって、箸の持ち方、置き方
などを教えている。

私はそうした(しつけ)は無駄とは思わないが、どこか
ピントがズレているように思う。

もっと基本的な部分で、大切にしなければならないことがある。
たとえば、(順番を並んで待つ)(順番を無視して、割り込みしない)
(他人をキズつけるような言葉を口にしない)など。
しかしそういう(しつけ)は、「しつけ教室?」で学ぶような
しつけではない。
私たちおとなが、日々の生活を通して、「常識」として、子どもの
体の中に、しみこませるもの。
先に書いた咳にしても、そうだ。
自分の子どもが無頓着に他人の顔に向けて咳をしたら、すかさず、
子どもを叱る。
その前に、親自身が自分のエリを正さなくてはいけない。
(しつけ)というのは、そういうもの。

ついでに言うなら、(あいさつ)など、どうでもよい。
したければすればよい。
したくなければ、しなくてもよい。
そんなことをいちいち教えている国は、今、ほとんどない。

たとえば韓国でも、数年前から、授業の前とあとのあいさつを
廃止した。
「起立!」「礼!」という、あのあいさつである。
「日本の植民地時代の亡霊」という理由で、そうした。

が、現在、浜松周辺の学校では、ほとんどの学校で、この種のあいさつを
している。
(当番の子どもが、「これから授業を始めます」などと言い、頭をさげるなど。)
国際性がないという点で、これはしつけでもなんでもない。

(参考)

A小学校……当番が「はじめましょう」と小さい声でいう。
それに答えて、全員が「はじめましょう」と合唱して、頭をさげる。

B小学校……当番が「起立!」と言い、先生が「はじめましょう」と答える。
そのとき生徒全員が、頭をさげる。

C小学校……全員が起立したあと、「今から○時間目の授業をはじめます」と
言って、頭をさげる。

D小学校……当番が「起立!」と号令をかけ、「○時間の授業を始めましょう」と
言う。そのとき生徒と先生が、たがいに頭をさげる。

E小学校……学級委員が、「起立」「姿勢はいいですか」と言い、みなが、
「はい!」と答え、学級委員が「今から○時間目の授業をはじめましょう」と
言って、みなが、礼をする。

ついでながら、アメリカやオーストラリアでは、先生が教室へやってきて、
「ハイ!」とか言って、それおしまい。








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【子どもの非行】

●子どもの暴力+非行

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内燃する欲求不満、それが爆発して、子どもは
外の世界で、非行に走るようになる。
ふつうの欲求不満ではない。
「相手を殺してやりたい」と思うほどの欲求不満。
このばあい、相手というのは、多くのばあい、
母親をさす。

が、母親には、その自覚はない。
「私はすばらしい母親」と思い込んでいる。
「私のすることは、ぜったい、正しい」と
思い込んでいる。
この異常なまでの自己中心性が、子どもの心の
中に、殺意を生む。

子どもが非行に走る背景には、その母親がいる。
頭ごなしの過干渉、口うるさく、世話焼きだが、
子どもの心を考えない母親。
一方的に自分の価値観を子どもに押しつけ、
そのつど恩を着せる。
「産んでやった」「育ててやった」「苦労をした」と。
子どもには、それが負担。
ときに重苦しい鎖となって、子どもの首を絞める。
そうした子どもの心さえ、母親には理解できない。

が、家庭の中では何もできない。
悶々とした日々。
晴れることのない、うっぷん。
「殺意」を感じたとしても、それはそれ。
それが外の世界で、爆発する。

過干渉児の第一の特徴といえば、善悪の判断にうとい
ということ。
自分で考えることさえ、できない。
いつも母親に命令されるだけ。
「ああしなさい」「こうしなさい」と。
子どもの非行は、その結果としてやってくる。

+++++++++++++++++++

●異常な過干渉

その母親には、3人の子どもがいた。
が、3人とも、中学へ入るころから、グレ始め、高校へ入るころには、
手がつけられないような状態になっていた。
もちろん高校は、そのまま退学。

その母親と、ある仕事を通して、しばらく交際したことがある。
明るく快活な女性だった。
世話好きで、情報量も多く、何か問いかけると、すかさずペラペラとあれこれ、
教えてくれた。
が、やがて気になることが目立ち始めた。

まず自分を飾るためのウソが多いということ。
口がうまく、その場の雰囲気に合わせて、あれこれと言うが、つかみどころがない。
同じ話を長々と繰り返すことも多かった。
が、その一方で、相手、つまり私の言うことを聞かない。
自分勝手でわがまま。
そして3人の子どもたちの話になると、「私は一生懸命尽くしたが、子どもたちは、
私を理解できない」と。

とくに自分の苦労話になると、ことこまかく、話し始めた。
「息子の塾通いのために、苦労をした。病気でも、休む暇もなかった。
私は息子たちのために、どれほど苦労したかわからない」と。

全体の雰囲気としては、セカセカと、いつも落ち着きなく動き回っていた。
ペラペラとよくしゃべったが、中身がなかった。
一度、何かの資料をインターネットからコピーして手渡したことがある。
しかしそれには、一瞥(べつ)しただけで、何を誤解したのか、
片手でそれを払いのけてしまった。
「私には、こんなものを読んでもわかりません!」と。

そしてある日。
私がその息子の1人と話すことになった。
そのときのこと。
私が息子と話そうとしても、そのつど、間に割り込んできた。

私、息子に向かって、「学校では、部活は、何をしているの?」
母親、割り込んできて、「今は、何もしていないわよね」
私、息子に向かって、「何かしたいことはあるだろ?」
母親、割り込んできて、「先生との相性が悪くて、ハンドボールをしていましたが、
やめました」
息子「……」と。

こういう母親と接していると、絶望感すら覚える。
子どもの立場で考えるなら、殺意を感じたところで、何らおかしくない。
そこで私は、母親にその場を離れてもらい、息子と一対一で話すことにした。
が、その様子を見ながら、部屋から出るとき、母親はこう言った。

「うちには、そういう人(=私のこと)がいないから、いけないのよ」と。

つまり息子たちと、そのときの私のように、静かに会話できるような人がいないから、
「いけないのよ」と。
私には何かしら、捨てゼリフのようにも聞こえた。
あるいは夫に対する、不平、不満を、その一言で表現したのかもしれない。
「夫は何もしてくれないから、私だけが苦労する」と。

●子どもの非行

しかしこのタイプの母親ほど、外の世界で子どもが事件を起こすと、パニック状態に
なる。
ワーワーと泣きわめいたり、子どもをかばったりする。
そして子どもに向かっては、いつ終わるとも知れない説教を繰り返す……。

私はそういう母親を知ったとき、子どもの非行の原因は、母親が作ると感じた。
(そう言い切るのは、少し乱暴かもしれないが……。)
もし家庭が、穏やかで、心温まる場所であれば、子どもは疲れた翼(つばさ)を、
そこで休めることができる。
そのカギを握るのが母親であるとするなら、やはり原因は、母親にあると考えてよい。

が、このタイプの母親は、それすら認めようとしない。
「うちの子が非行に走ったのは、友だちにそそのかされたからです」
「友だちが悪いのであって、うちの子ではありません」と。

自己中心性が、(家族)というワクになると、今度は、(家族)中心性へと
変化する。

「自分の家族は、ぜったい正しい」
「自分の家族のすることには、まちがいない」と。

その息子が高校で退学処分になるときも、その母親は、最後の最後まで、
相手の子どもが悪いと主張した。
言い忘れたが、その息子は、学校で暴力事件を起こし、相手の子どもを2階の窓から
突き落とし、全治3か月の大けがをさせてしまった。

自己中心的であればあるほど、相手の心が見えなくなる。
自分の息子の心が見えなくなる。
その盲目性が、子どもを非行へと追いやる。

+++++++++++++++++++++

以上が、子どもの非行についての一般論ということになる。
もちろん子どもの非行が、すべて、これで説明できるというわけではない。
子ども自身が何らかの心の病気をもっているケースも少なくない。

たまたま昨日、A県に住んでいる、Eさんという母親から相談のメールが届いた。

もちろんEさんが、ここでいう自己中心性の強い母親ということではない。
Eさんは今、懸命に自分を見つめなおそうとしている。
しかしどこかで親子の歯車がかみ合わなくなってしまった。
最初は小さなキレツだったかもしれない。
しかしそれが今、親子の間に、大きな溝を作ってしまった。

【Eさんより、はやし浩司へ】

(家族構成)

父親 サラリーマン、国立大学院卒、監査役会社コンサルタント会社取締役、
父親には、学歴重視があり、子供たちにも小さなころから、自分が卒業した地元の進学校
に入学することを言葉にして、促していた。

母親 わたくし本人、地元A市の短大卒、商社支社に就職、友達の紹介で結婚、二人の息
子出産。

(経過)

長男 18歳、中3から荒れ始め、非行、高校には進学せず、バイクで暴走、万引き、家
庭内暴力もある。
家裁に2度ほど行くが、不処分に終わる。
去年終り頃から落ち着き始め、地元を離れたいといい、A市の方で一人暮らし。高認、
大学進学コースの学校に通いはじめるが、行くことはなく、キックボクシングをやりなが
ら今年の高認を受ける。

次男 16歳、小学校6年から不登校、中2までひきこもる。中1の時、父親と一緒に隣
町のマンションに引っ越す。
長男の家庭内暴力がひどかったこともあるが、父親がそんな家庭から逃げたかったともあ
るように思う。

中3から転校して登校したいといい、転校させ、登校し始める。
3年間の不登校はあったが、もともと頭の切れる子であったため、成績は学年でもトップ
クラス。

今年の初めごろから元のマンションに戻り、一緒に暮らすようになる。
高校も受験し、公立高校に合格するが、8日でやめてしまう。
今年、4月から高校もやめ、家にいる。
少し、コンビニでバイトしたが、続かず、人間関係がうまく結べない。
ちょっとしたことに腹を立て、へそを曲げやめる。

今回、相談は次男のことです。

最近、こだわりが強く、政治の問題を見ても偏りが多く、自分の意見と合わないニュース
などはすぐに切ってしまいます。

右翼、左翼という言葉を口にし、左翼を馬鹿だ、あほだと批判します。
障害者や貧乏人は社会の役立たずだから、おとなしくすべきだなどと暴言を吐きます。
内容はまだまだ稚拙に思え、本当の思想をもった右翼とは違いますが、自分では偉そうに
講釈をたれ、私を罵倒します。

私はただ、うなずくだけ、反対も抵抗もしません。
違うんじゃない?、なんて言おうものなら暴力をふるわれます。

うつ病であるようですが、病院にいくような状態ではありません。本人は拒絶して荒れる
と思われます。
寝る前は死にたい、死にたいと言っていますし、夜中起きて大きな音をたてて、腹が立っ
ていることを知らしめようとする行為が見られます。

小さい頃はK式算数教室にも通い、成績もよく、利口な子でした。
そう演じていただけなのかもしれません。
友達と心を開いて、遊ぶこともなかったように思います。
小学校では優等生、クラスでは人気者でお笑いの漫才をしたりするような子でした。

この状態はしばらく様子を見るしかないのでしょうか。
これ以上荒れないようにするにはどう対処すればいいのでしょうか。

長男の非行のほうが、よほどましなような気がします。
それはそれで大変でしたが、今は落ち着いています。

私は長男に高卒認定試験を進めるわけでも、大学進学をするように言うようなことは一切
しなかったですが、本人がそうしたいと言い出しました。
鉄筋工、溶接工などの仕事を経験し、自分をみつめたのでしょうか、自分で動きだしまし
た。

次男の場合は長男の状況をは違うようです。

接し方で気になる点があれば教えていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

++++++++++++++++++++++

【はやし浩司より、Eさんへ】

Eさんの心中を察するに、あまりあるものがあります。
心苦労も大きいかと思います。
しかしひとたびこういう状況になってしまったら、鉄則は、ただ2つ。

(1)暖かい無視
(2)求めてきたときが与えどき、です。

あとはやるべきことをやりながら、時の流れに身を任せます。
「直そう」「改めよう」「何とかしよう」とあせればあせるほど、逆効果。
子ども自身も、それを望んでいないでしょう。
あなたがすべてを受け入れ、あきらめきったとき、あなたの子どもは、
あなたに対して心を開きます。

が、その時期といっても、10年後かもしれません。
20年後かもしれません。
しかしいつか「お母さん、ぼくが苦労をかけて悪かった」と言う日がやってきます。

方法は、簡単です。
『許して、忘れる』です。
これだけを念じて、前に進みます。

幸いなことに、あなたは、私に相談のメールをくれました。
あなた自身が、問題解決のために、一歩、踏みだしたということです。

先に、子どもの非行についての一般論を書いてみましたが、もちろんこれはEさんの
ことではありません。
ただ親というのは、親意識が強ければ強いほど、自分ではよかれと思いながら、
子どもに対して、余計なことをしやすいもの。
別のところで、子どもの心を見失いやすいものということです。

Eさんは、メールの中で、「そう演じていただけなのかもしれません」と書いて
おられます。
ここまで気づけば、もう先は、それほど遠くありません。
ふつうは、つまりふつうの親は、ここまでは気がつきません。
「私は正しいことをした」と、自分を振り返るようなことはしません。

で、Eさんのメールを読んで、再確認したことがあります。
それは、「親が子どもを育てるのではない」ということ。
「子どもが親を育てる」ということです。

今のEさんには、そこまではまだわからないかもしれませんが、私には、それが
わかります。
Eさんの2人の子どもは、今、自分の体を張って、Eさんという人間(母親でもない、
妻でもない、一人の人間としてのEさんという人間)を、育てているのです。

あとは謙虚になって、子どもの横に立ってみてあげてください。
くだらない親意識は捨て、友として、横に立つのです。
とたん、それまで見えなかったものが、見えてくるはずです。
もっと大切な、何かです。

それに気づいたとき、今、Eさんがかかえている問題は、すべて氷解し、今のこの
現状が、笑い話になります。

K式算数教室?
高認?
受験?
……みんな、蜃気楼に踊らされているだけですよ!

どうか今の苦労から逃げないでください。
逃げないで、乗り越えるのです。
「ようし、十字架の一つや二つ、背負ってやるぞ」とです。
EさんにはEさんの運命というものがあります。

仮に今、Eさんが今の状況を不幸に感じたとしても、それはEさんの責任ではありません。
おそらくEさん自身も、Eさんの夫自身も、乳幼児期〜少年少女期にかけて、
(あまり幸福でない家庭)を経験しているはずです。
それが今でも、ズルズルと尾を引いている。
だから私は「運命」という言葉を使います。

運命というのは、それを受け入れてしまえば、何でもありません。
へたに逆らうと、運命は悪魔となって、そしてキバをむいて、あなたに襲いかかって
きます。
あなたをとことん苦しめます。

最後に、あなたが苦しんでいる以上に、二男も苦しんでいるということを忘れないように。
あなたから見れば、わがままな息子に見えるかもしれませんが、16歳の子どもが、
16歳という年齢の範囲で、懸命にもがき、苦しんでいるのです。
この年齢では、自分のしたことがわからない、自分のしたいことができないというのは、
たいへんな苦痛なのです。
私自身も、似たような経験をしたことがあります。
その苦痛をEさんが共有できないまでも、暖かい愛でくるんであげたら、二男も救われる
のではないでしょうか。
『暖かい無視』というのは、そういう意味です。

直接的な問題が解決するまでに、まだ1、2年はかかりますが、終わってみると、
あっという間のできごとです。
何ごともなく終わった……という感じになります。
その日を信じて、今は、淡々とやるべきことはやり、あとは時の流れに身を任せて
ください。

それを乗り越えたとき、あなたはすばらしい人間になっていますよ!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子どもの非行 子供の非行 非行 家庭内暴力)

【Eさんより、はやし浩司へ】(返信)

林先生、早速の返信ありがとうございます。
よくわかります。
次男は優等生を親のために演じていたのだと思います。
小学校のころ、帰宅してランドセルを放り投げ、寝っ転がってマンガを読んだり、友達と
遊ぶことはなかったように思います。

私が学歴重視をして本来の子供のあるべき姿をうばっていたのです。
今反省したところでしかたありませんが、育てなおしをしよう、低学年からやり直そうと
思います。

次男、近頃女装してネットのブログに写真をのせて遊んでいます。
気になりますが、女装することで発散してるのだろうと見て見ぬふりをしてます。
あたたかい無視に徹し、努力し、よい加減の母親に努めます。
ありがとうございました。








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●人格完成論

【中学校での講演】(改作)



++++++++++++++++



先日、中学校での講演のレジュメを

考えた。



で、その一部を、中学生たちにして

みたら、みな、「つまらない」と。



そこでそのレジュメは、ボツ!



そこで改めて、考えなおしてみる。



(荒削りの未完成レジュメなので、

その点を含みおきの上、お読みくだ

さい。)



++++++++++++++++



●初恋



 私は、中学生になるまで、女の子と遊んだ経験がない。当時は、そういう時代だった。女の子
といっしょにいるところを見られただけで、「女たらし」と、みなにからわかわれた。私も、からか
った。



 その私が、中学2年生のときに、初恋をした。相手は、恵子(けいこ)さんという、すてきな人
だった。



 毎日、毎晩、考えるのは、その恵子さんのことばかり。家にいても、恵子さんの家のほうばか
り見て、ときには、ボーッと何時間もそうしていた。恵子さんの家のあたりの空だけが、いつも、
虹色に輝いていた。



 で、ある日、私は思い立った。そして恵子さんに電話をすることにした。



 私は10円玉をもって、電車の駅まで行った。公衆電話はそこにしか、なかった。家にも電話
はあったが、家ですると、親に見つかる。



 私は高まる胸の鼓動を懸命におさえながら、駅まで行った。そして電話をした。それはもう、
死ぬようない思いだった。



 で、電話をすると、恵子さんの母親が出た。私が、「林です。恵子さんはいますか?」と電話を
すると、母親が電話口の向こうで、恵子さんを呼ぶ声がした。「恵子、電話よ!」と。



 心臓の鼓動はさらに、高まるばかり。ドキドキドキ……と。



 そしてその恵子さんが、電話に出た。そしてこう言った。



 「何か、用?」と。



 そのときはじめて、私は気がついた。私には、何も用がなかった。ただ電話をしたかっただ
け。だから、その電話はそれでおしまい。私は何も言えず、電話を切ってしまった。



●フェニルエチルアミン



 その人のことを思うと、心がときめく。すべてが華やいで見える。体まで宙に浮いたようになる
……。恋をすると、人は、そうなる。



 こうした現象は、脳内で分泌される、フェニルエチルアミンという物質の作用によるものだとい
うことが、最近の研究で、わかってきた。恋をしたときに感ずる、あの身を焦がすような甘い陶
酔感は、そのフェニルエチルアミンの作用によるもの、というのだ。



その陶酔感は、麻薬を得たときの陶酔感に似ているという人もいる。(私自身は、もちろん、麻
薬の作用がどういうものか、知らない。)しかしこのフェニルエチルアミン効果の寿命は、それ
ほど長くない。短い。



 ふつう脳内で何らかの物質が分泌されると、フィードバックといって、しばらくすると今度は、
それを打ち消す物質によって、その効果は、打ち消される。この打ち消す物質が分泌されるか
らこそ、脳の中は、しばらくすると、再び、カラの状態になる。体が、その物質に慣れてしまった
ら、つぎから、その物質が分泌されても、その効果が、なくなってしまう。



しかしフェニルエチルアミンは、それが分泌されても、それを打ち消す物質は、分泌されない。
脳内に残ったままの状態になる。こうしてフェニルエチルアミン効果は、比較的長くつづくことに
なる。が、いつまでも、つづくというわけではない。やがて脳のほうが、それに慣れてしまう。



 つまりフェニルエチルアミン効果は、「比較的長くつづく」といっても、限度がある。もって、3年
とか4年。あるいはそれ以下。当初の恋愛の度合にもよる。「死んでも悔いはない」というよう
な、猛烈な恋愛であれば、4年くらい(?)。適当に、好きになったというような恋愛であれば、半
年くらい(?)。



 その3年から4年が、恋愛の寿命ということにもなる。言いかえると、どんな熱烈な恋愛をして
も、3年から4年もすると、心のときめきも消え、あれほど華やいで見えた世界も、やがて色あ
せて見えるようになる。もちろん、ウキウキした気分も消える。



●リピドー(性的エネルギー)



 このフェニルエチルアミン効果と同時進行の形で考えなければならないのが、リピドー、つま
り、「性的エネルギー」である。



 それを最初に言い出したのが、あのジークムント・フロイト(オーストリアの心理学者、1856
〜1939)である。



 「リピドー」という言葉は、精神分析の世界では、常識的な言葉である。「心のエネルギー」(日
本語大辞典)のことをいう。フロイトは、性的エネルギーのことを言い、ユングは、より広く、生
命エネルギーのことを言った。



 人間のあらゆる行動は、このリピドーに基本を置くという。



たとえばフロイトの理論に重ねあわせると、喫煙しながらタバコを口の中でなめまわすのは、口
愛期の固着。自分の中にたまったモヤモヤした気分を吐き出したいという衝動にかられるの
は、肛門期の固着。また自分の力を誇示したり、優位性を示したいと考えるのは、男根期の固
着ということになる。(固着というのは、こだわりと考えると、わかりやすい。)



 つまり、フロイトは、私たちのあらゆる生きる力は、そこに異性を意識していることから生まれ
るというのだ。



 男が何かに燃えて仕事をするのも、女がファッションを追いかけたり、化粧をするのも、その
根底に、性的エネルギーがあるからだ、と。



●性的エネルギー



 このことと、直接関係あるかどうかは知らないが、昔、こんな話を何かの本で読んだことがあ
る。



 あのコカコーラは、最初、売れ行きがあまりよくなかった。そこでビンの形を、それまでのズン
胴から、女体の形に似せたという。胸と尻の丸みを、ビンに表現した。とたん、売れ行きが爆発
的に伸び、今のコカコーラになったという。



 同じように、ビデオも、インターネットも、そして携帯電話も、当初、その爆発の原動力となっ
たのは、「スケベ心」だったという。そう言えば、携帯電話も、電子マガジンも、出会い系とか何
とか、やはりスケベ心が原動力になって、普及した?



 東洋では、そしてこの日本では、スケベであることを、恥じる傾向が強い。仮にそうであって
も、それを隠そうとする。しかし人間というのは、ほかの動物たちと同じように、基本的には、異
性との関係で生きている。つまりスケベだということ。



 人間は、この数一〇万年もの間、哲学や道徳のために生きてきたのではない。種族を後世
へ伝えるために生きてきた。「生き残りたい」という思いが、つまりは、スケベの原点になってい
る。だから、基本的には、人間は、すべてスケベである。スケベでない人間はいないし、もしス
ケベでないなら、その人は、どこかおかしいと考えてよい。



 問題は、そのスケベの中身。



●善なるスケベ心



 ただ単なる肉欲的なスケベも、スケベなら、高邁な精神性をともなった、スケベもある。昔、産
婦人科医をしている友人に、こんなことを聞いたことがある。



 「君は、いつも女性の体をみているわけだから、ふつうの男とは、女性に対して違った感情を
もっているのではないか。たとえばぼくたちは、女性の白い太ももを見たりすると、ゾクゾクと感
じたりするが、君には、そういうことはないだろうな」と。



 すると彼は、こう言った。「そうだろうな。そういう意味での、興味はない。ぼくたちが女性に求
めるのは、体ではなく、心だ」と。



 たぶん、その友人がもつスケベ心は、ここでいう高邁な精神性をともなったスケベかもしれな
い。



 では、私にとっての性的エネルギー(リピドー)は、何かということになる。



 私は、それはひょっとしたら、若いころの、不完全燃焼ではないかと思うようになった。私は若
いころは、勉強ばかりしていた。大学時代は、同級生は、全員、男。まったく女気のない世界だ
った。その前の高校時代は、さらに悲惨だった。私は、まさに欲求不満のかたまりのような人
間だった。



 だから心のどこかで、いつも、チクショーと思っている。その思いは、いまだに消えない。そし
てそれが、回りまわって、今の私の原動力になっている? そう言えばあの今東光氏も、昔、
私にそう話してくれたことがある。彼もまた、若いころは、修行、修行の連続で、青春時代がな
かったと、こぼしていた。



 何はともあれ、私たちは、いつも、異性を意識しながら生きている。男がかっこうを気にした
り、女が化粧をしたりするのも、原点は、そこにある。そしてそういう原点から、それぞれが、つ
ぎのステップへと進む。あらゆる文化は、そうして生まれた。哲学にせよ、道徳にせよ、あくまで
も、その結果として生まれたに過ぎない。



 さあ、世の男性諸君よ。女性諸君よ。それに中学生諸君よ、スケベであることを、恥じること
はない。むしろ、誇るべきことである。もし、心も体も、健康なら、あなたは、当然、スケベであ
る。もしあなたがスケベでないなら、心や体が病んでいるか、さもなければ、死んでいるかのど
ちらかである。



 あとはそのスケベ心を、善なるスケベ心として、うまく昇華すればよい!



●自我構造理論



 が、それがむずかしい。この性的エネルギーというのは、基本的には、快楽原理の支配下に
ある。油断をすれば、その快楽原理に溺れてしまう。



一方、その私はどうかというと、私も、ふつうの人間。いつもそうしたモヤモヤとした快楽原理と
戦わなくてはならない。しかしそれを感じたとたん、「邪悪な思い」と片づけて、それをまた心の
どこかにしまいこんでしまう。



 こうした心の作用は、フロイトの、「イド&自我論」(=自我構造理論)を使うと、うまく説明でき
る。



 私たちの心の奥底には、「イド」と呼ばれる、欲望のかたまりがある。人間の生きるエネルギ
ーの原点にはなっているが、そこはドロドロとした欲望のかたまり。論理もなければ、理性もな
い。衝動的に快楽を求め、そのつど、人間の心をウラから操る。



 そのイドを、コントロールするのが、「自我」ということになる。つまり「私は私」という理性であ
る。その自我が、混沌(こんとん)として、まとまりのない、イドの働きを抑制する。



●イドと自我の戦い

 

しかしあえて言うなら、それはイドに操られた言葉ということになる。もう少し自我の働きが強け
れば、仮にそう思ったとしても、言葉として発することまではしなかったと思われる。



 同じようなことは、EQ論(emotional quotient、心の知能指数)でも、説明できる。



 今回は、みなさんに、そのEQテストなるものをしてみたい。(後述)



 EQ論によれば、人格の完成度は、(1)自己管理能力の有無、(2)脱自己中心性の程度、
(3)他人との良好な人間関係の有無の、3つをみて、判断する。(心理学者のゴールマンは、
(1)自分の情動を知る、(2)感情のコントロール、(3)自己の動機づけ、(4)他人への思いや
り、(5)人間関係の5つをあげた。)



 つまり自己管理能力が弱いということは、それだけ人格の完成度が低いということになる。



●教師という仮面



 ところで、教師という職業は、仮面(ペルソナ)をかぶらないと、できない職業といってもよい。
おおかたの人は、教師というと、それなりに人格の完成度の高い人間であるという前提で、も
のを考える。接する。



 そのため教師自身も、「私は教師である」という仮面をかぶる。かぶって、親たちと接する。し
かしそれは同時に、教師という人間がもつ人間性を、バラバラにしてしまう可能性がある。こん
なことまでフロイトが考えたかどうかは、私は知らないが、自我とイドを、まったく分離してしまう
ということは、危険なことでもある。



 ばあいによっては、私が私でなくなってしまう。



 そこまで深刻ではないにしても、仮面をかぶるということ自体、疲れる。よい人間を演じている
と、それだけでも心は緊張状態に置かれる。人間の心は、そうした緊張状態には、弱い。長く、
つづけることはできない。



●自己管理能力



 人には、(本当にすばらしい人)と、(見かけ上、すばらしい人)がいる。その(ちがい)はどこ
にあるかと言えば、イドに対する自我の管理能力にあるということになる。もっと言えば、自我
のもつ管理能力がすぐれている人を、(本当にすばらしい人)という。そうでない人を、(見かけ
上、すばらしい人)という。



 さて話は、ぐんと現実的になるが、私がここに書いたことを、もっと理解してもらうために、こ
んな話を書きたい。



●思春期に肥大化するイド



 昨夜も、自転車で変える途中、こんなことがあった。



 私が小さな四つ角で信号待ちをしていると、2人乗りの自転車が、私を追い抜いていった。黒
い学生服を着ていた。高校生たちである。しかも無灯火。



 その2人乗りの自転車は、一瞬、信号の前でためらった様子は見せたものの、左右に車が
いないとわかると、そのまま信号を無視して、道路を渡っていった。



 最初、私は、「ああいう子どもにも、幼児期はあったはず」と思った。皮肉なことに、幼児ほ
ど、ルールを守る。一度、教えると、それを忠実に守る。しかし思春期に達すると、子どもは、と
たんにだらしなくなる。行動が衝動的になり、快楽を追い求めるようになる。



 なぜか?



 それもフロイトの自我構造理論を当てはめて考えてみると、理解できる。



 思春期になると、イドが肥大化し、働きが活発になる。先にも書いたように、そこはドロドロと
した欲望のかたまり。そのため自我の働きが、相対的に弱くなる。結果、自我のもつ管理能力
が低下する。



 言うなれば、自転車に2人乗りをして、信号を無視して道路を渡った子どもは、(本当にすば
らしい人)の、反対側にいる人間ということになる。人間というよりは、サルに近い(?)。



●では……



 ではどうすれば、私たちは、(本当にすばらしい人間)になれるか。



 最初に、自分の心の奥深くに居座るイドというものが、どういうものであるかを知らなければ
ならない。これはあくまでも私の感覚だが、それはモヤモヤとしていて、つかみどころがない。ド
ロドロしている。欲望のかたまり。が、イドを否定してはいけない。イドは、私の生きる原動力と
なっている。「ああしたい」「こうしたい」という思いも、そこから生まれる。



 そのイドが、ときとして、四方八方へ、自ら飛び散ろうとする。「お金がほしい」「女を抱きたい」
「名誉がほしい」「地位がほしい」……、と。



 イドはたとえて言うなら、車のエンジンのようなもの。あるいはガソリンとエンジンのようなも
の。



 そのエンジンにシャフトをつけて、車輪に動力を伝える。制御装置をつけて、ハンドルをとりつ
ける。車体を載せて、ボデーを取りつける。この部分、つまりエンジンをコントロールする部分
が、自我ということになる。あまりよいたとえではないかもしれないが、しかしそう考えると、(私)
というもが、何となくわかってくる。つまり(私)というのは、そうしてできあがった、(車)のような
もの、ということになる。



 つまり、その車が、しっかりと作られ、整備されている人が、(本当にすばらしい人)ということ
になるし、そうでない人を、そうでない人という。そうでない人の車は、ボロボロで、故障ばかり
繰りかえす……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 自我
構造理論 イド EQ EQ論 心の知能指数)



●エスの人



 さらに話を進めたい。



フロイトは、人格、つまりその人のパーソナリティを、(1)自我の人、(2)超自我の人、(3)エス
の人に分けた。



 たとえば(1)自我の人は、つぎのように行動する。



 目の前に裸の美しい女性がいる。まんざらあなたのことを、嫌いでもなさそうだ。あなたとの
セックスを求めている。一夜の浮気なら、妻にバレることもないだろう。男にとっては、セックス
は、まさに排泄行為。トイレで小便を排出するのと同じ。あなたは、そう割り切って、その場を楽
しむ。その女性と、セックスをする。



 これに対して(2)超自我の人は、つぎのように考えて行動する。



 いくら妻にバレなくても、心で妻を裏切ることになる。それにそうした行為は、自分の人生をけ
がすことになる。性欲はじゅうぶんあり、その女性とセックスをしたい気持ちもないわけではな
い。しかしその場を、自分の信念に従って、立ち去る。



 また(3)エスの人は、つぎのように行動する。



 妻の存在など、頭にない。バレたときは、バレたとき。気にしない。平気。今までも、何度か浮
気をしている。妻にバレたこともある。「チャンスがあれば、したいことをするのが男」と考えて、
その女性とのセックスを楽しむ。あとで後悔することは、ない。



 これら三つの要素は、それぞれ一人の人の中に同居する。完全に超自我の人はいない。い
つもいつもエスの人もいない。



 これについて、京都府にお住まいの、Fさんから、こんな質問をもらった。



 Fさんには、10歳年上の兄がいるのだが、その兄の行動が、だらしなくて困るという。



 「今年、40歳になるのですが、たとえばお歳暮などでもらったものでも、無断であけて食べて
しまうのです。先日は、私の夫が、同窓会用に用意した洋酒を、フタをあけて飲んでしまいまし
た」と。



 その兄は、独身。Fさん夫婦と同居しているという。Fさんは、「うちの兄は、していいことと悪
いことの判断ができません」と書いていた。すべての面において、享楽的で、衝動的。その場だ
けを楽しめばよいといったふうだという。仕事も定食につかず、アルバイト人生を送っていると
いう。



 そのFさんの兄に、フロイトの理論を当てはめれば、Fさんの兄は、まさに「エスの強い人」と
いうことになる。乳幼児期から少年期にかけて、子どもは自我を確立するが、その自我の確立
が遅れた人とみてよい。親の溺愛、過干渉、過関心などが、その原因と考えてよい。もう少し
専門的には、精神の内面化が遅れた。



 こうしたパーソナリティは、あくまでも本人の問題。本人がそれをどう自覚するかに、かかって
いる。つまり自分のだらしなさに自分で気づいて、それを自分でコントロールするしかない。外
の人たちがとやかく言っても、ほとんど、効果がない。とくに成人した人にとっては、そうだ。



 だからといって、超自我の人が、よいというわけではない。日本語では、このタイプの人を、
「カタブツ人間」という。



 超自我が強すぎると、社会に対する適応性がなくなってしまうこともある。だから、大切なの
は、バランスの問題。ときには、ハメをはずしてバカ騒ぎをすることもある。冗談も言いあう。し
かし守るべき道徳や倫理は守る。



 そういうバランスをたくみに操りながら、自分をコントロールしていく。残念ながら、Fさんの相
談には、私としては、答えようがない。「手遅れ」という言い方は失礼かもしれないが、私には、
どうしてよいか、わからない。(ごめんなさい!)



●話を戻して……



 自分の中の(超自我)(エス)を知るためには、こんなテストをしてみればよい。



(1)横断歩道でも、左右に車がいなければ、赤信号でも、平気で渡る。

(2)駐車場に駐車する場所がないときは、駐車場以外でも平気で駐車できる。

(3)電車のシルバーシートなど、あいていれば、平気で座ることができる。

(4)ゴミ、空き缶など、そのあたりに、平気で捨てることができる。

(5)サイフなど、拾ったとき、そのまま自分のものにすることができる。



 (1)〜(5)までのようなことが、日常的に平気でできる人というのは、フロイトがいうところの
「エスの強い人」と考えてよい。倫理観、道徳観、そのものが、すでに崩れている人とみる。つ
まりそういう人に、正義を求めても、無駄(むだ)。仮にその人が、あなたの夫か、妻なら、そも
そも(信頼関係)など、求めても無駄ということになる。もしそれがあなたなら、あなたがこれか
ら進むべき道は、険(けわ)しく、遠い。



 反対に、そうでなければ、そうでない。



●オーストラリアでの経験



 私のオーストラリアの友人に、B君がいる。そのB君と、昔、こんな会話をしたことがある。南
オーストラリア州からビクトリア州へと、車で横断しようとしていたときのことである。私たちは、
州境にある境界までやってきた。



 境界といっても、簡単な標識があるだけである。私は、そのとき、車の中で、サンドイッチか
何かを食べていた。



B君「ヒロシ、そのパンを、あのボックスの中に捨ててこい」

私 「どうしてだ。まだ、食べている」

B君「州から州へと、食べ物を移してはいけないことになっている」

私 「もうすぐ食べ終わる」

B君「いいから捨ててこい」

私 「だれも見ていない」

B君「それは法律違反(イリーガル)だ」と。



 結局、私はB君の押しに負けて、パンを、ボックスの中に捨てることになったが、この例で言
えば、B君は、超自我の人だったということになる。一方、私は自我の人だったということにな
る。



 で、その結果だが、今では、つまりそれから36年を経た今、B君は、私のもっとも信頼のお
ける友人になっている。一方、私は私で、いつもB君を手本として、自分の生き方を決めてき
た。私は、もともと、小ズルイ人間だった。



●信頼関係は、ささいなことから



 私とB君とのエピソードを例にあげるまでもなく、信頼関係というのは、ごく日常的なところか
ら始まる。しかも、ほんのささいなところから、である。



先にあげた(テスト)の内容を反復するなら、(1)横断歩道でも、左右に車がいなくても、信号が
青になるまで、そこで立って待つ、(2)駐車場に駐車する場所がないときは、空くまで、じっと待
つ、(3)シルバーシートには、絶対、すわらない、(4)ゴミや空き缶などは、決められた場所以
外には、絶対に捨てない、(5)サイフは拾っても、中身を見ないで、交番や、関係者(駅員、店
員)に届ける。そういうところから、始まる。



 そうしたことの積み重ねが、やがてその人の(人格)となって形成されていく。そしてそれが熟
成されたとき、その人は、信頼に足る人となり、また人から信頼されるようになる。



 先のB君のことだが、最近、こんなことがあった。ここ数年、たてつづけに日本へ来ている
が、車を運転するときは、いつもノロノロ運転。「もっと速く走っていい」と私が促すと、B君は、
いつも、こう言う。



 「ヒロシ、ここは40キロ制限だ」「ここは50キロ制限だ」と。



 さらに横断歩道の停止線の前では、10〜20センチの誤差で、ピッタリと車を止める。「日本
では、そこまで厳格に守る人はいない」と私が言うと、B君は、「日本人は、どうして、そうまでロ
ジカルではないのだ」と、逆に反論してきた。



 「ロジカル」というのは、日本では「論理的」と訳すが、正確には「倫理規範的」ということか
(?)。



 しかしこうした経験を通して、私は、あらゆる面で、ますますB君を信頼するようになった。



●友人との信頼関係



 友人の信頼関係も、同じようにして築かれる。そして長い時間をかけて、熟成される。しかし
その(はじまり)は、ごく日常的な、ささいなことで始まる。



 ウソをつかない。約束を守る。相手に心配をかけない。相手を不安にさせない。こうした日々
の積み重ねが、週となり月となる。そしてそれが年を重ねて、やがて、夫婦の信頼関係となっ
て、熟成される。



 もちろんその道は、決して、一本道ではない。



 ときには、わき道にそれることもあるだろう。迷うこともあるだろう。浮気がいけないとか、不
倫がいけないとか、そういうふうに決めてかかってはいけない。大切なことは、仮にそういう関
係をだれかともったとしても、その後味の悪さに、苦しむことだ。



 その苦しみが強ければ強いほど、「一度で、こりごり」ということになる。実際、私の友人の中
には、そうした経験した人が、何人かいる。が、それこそ、(学習)。人は、その学習を通して、
より賢くなっていく。



●超自我の世界



 フロイトの理論によれば、(自我)の向こうに、その(自我)をコントロールする、もう一つの自
我、つまり(超自我)があるという。



 この超自我が、どうやら、シャドウの役目をするらしい(?)。



 たとえば(自我)の世界で、「店に飾ってあるバッグがほしい」と思ったとする。しかしあいにく
と、お金がない。それを手に入れるためには、盗むしかない。



 そこでその人は、そのバッグに手をかけようとするが、そのとき、その人を、もう1人の自分
が、「待った」をかける。「そんなことをすれば、警察につかまるぞ」「刑務所に入れられるぞ」
と。そのブレーキをかける自我が、超自我ということになる。



 このことは、たとえばボケ老人を観察していると、わかる。ボケ方にもいろいろあるようだが、
ボケが進むと、この超自我による働きが鈍くなる。つまりその老人は、気が向くまま、思いつく
まま、行動するようになる。



 ほかにたとえば、子どもの教育に熱心な母親の例で考えてみよう。



●シャドウ



 もしその母親にとって、「教育とは、子どもを、いい学校へ入れること」ということであれば、そ
れが超自我となって、その母親に作用するようになる。母親は無意識のまま、それがよいこと
だと信じて、子どもの勉強に、きびしくなる。



 そのとき、子どもは、教育熱心な母親を見ながら、そのまま従うというケースもないわけでは
ないが、たいていのばあい、その向こうにある母親のもつ超自我まで、見抜いてしまう。そして
それが親のエゴにすぎないと知ったとき、子どもの心は、その母親から、離れていく。「何だ、お
母さんは、ぼくを自分のメンツのために利用しているだけだ」と。



 だからよくあるケースとしては、教育熱心で、きびしいしつけをしている母親の子どもが、かえ
って、学業面でひどい成績をとるようになったり、あるいは行動がかえって粗放化したりするこ
となどがある。非行に走るケースも珍しくない。



 それは子ども自身が、親の下心を見抜いてしまうためと考えられる。が、それだけでは、しか
しではなぜ、子どもが非行化するかというところまでは、説明がつかない。



 そこで考えられるのが、超自我の引きつぎである。



 子どもは親と生活をしながら、その密着性ゆえに、そのまま親のもつ超自我を自分のものに
してしまう。もちろんそれが、道徳や倫理、さらには深い宗教観に根ざしたものであれば問題は
ない。



 子どもは、親の超自我を引きつぎながら、すばらしい子どもになる。しかしたいていのばあ
い、この超自我には、ドロドロとした醜い親のエゴがからんでいる。その醜い部分だけを、子ど
もが引きついでしまう。



 それがシャドウということか。



 話がこみいってきたが、わかりやすく言えば、こういうこと。



つまり、私たち人間には、表の顔となる(私)のほか、その(私)をいつも裏で操っている、もう1
人の(私)がいるということ。簡単に考えれば、そういうことになる。



 そしていくら親が仮面をかぶり、自分をごまかしたとしても、子どもには、それは通用しない。
つまりは親子もつ密着度は、それほどまでに濃密であるということ。



 そんなわけで、よく(子どものしつけ)が問題になるが、実はしつけるべきは、子どもではなく、
親自身の(超自我)ということになる。昔から日本では、『子は親の背中を見て育つ』というが、
それをもじると、こうなる。



 『子は、親のシャドウをみながら、それを自分のものとする』と。親が自分をしつけないで、どう
して子どもをしつけることができるのかということにもなる。



 話が脱線しようになってきたので、この問題は、もう少し、この先、掘りさげて考えてみたい。



●【EQ】



 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional Intell
igence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。



(1)自己管理能力

(2)良好な対人関係

(3)他者との良好な共感性



 ここではP・サロヴェイのEQ論を、少し発展させて考えてみたい。



 自己管理能力には、行動面の管理能力、精神面の管理能力、そして感情面の管理能力が
含まれる。



●行動面の管理能力



 行動も、精神によって左右されるというのであれば、行動面の管理能力は、精神面の管理能
力ということになる。が、精神面だけの管理能力だけでは、行動面の管理能力は、果たせな
い。



 たとえば、「銀行強盗でもして、大金を手に入れてみたい」と思うことと、実際、それを行動に
移すことの間には、大きな距離がある。実際、仲間と組んで、強盗をする段階になっても、その
時点で、これまた迷うかもしれない。



 精神的な決断イコール、行動というわけではない。たとえば行動面の管理能力が崩壊した例
としては、自傷行為がある。突然、高いところから、発作的に飛びおりるなど。その人の生死に
かかわる問題でありながら、そのコントロールができなくなってしまう。広く、自殺行為も、それ
に含まれるかもしれない。



 もう少し日常的な例として、寒い夜、ジョッギングに出かけるという場面を考えてみよう。



そういうときというのは、「寒いからいやだ」という抵抗感と、「健康のためにはしたほうがよい」
という、二つの思いが、心の中で、真正面から対立する。ジョッギングに行くにしても、「いやだ」
という思いと戦わねばならない。



 さらに反対に、悪の道から、自分を遠ざけるというのも、これに含まれる。タバコをすすめら
れて、そのままタバコを吸い始める子どもと、そうでない子どもがいる。悪の道に染まりやすい
子どもは、それだけ行動の管理能力の弱い子どもとみる。



 こうして考えてみると、私たちの行動は、いつも(すべきこと・してはいけないこと)という、行動
面の管理能力によって、管理されているのがわかる。それがしっかりとできるかどうかで、その
人の人格の完成度を知ることができる。



 この点について、フロイトも着目し、行動面の管理能力の高い人を、「超自我の人」、「自我の
人」、そうでない人を、「エスの人」と呼んでいる。



●精神面の管理能力



 私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症にはじまって、スピード恐怖症、
飛行機恐怖症など。



 精神的な欠陥もある。



 私のばあい、いくつか問題が重なって起きたりすると、その大小、軽重が、正確に判断できな
くなってしまう。それは書庫で、同時に、いくつかのものをさがすときの心理状態に似ている。
(私は、子どものころから、さがじものが苦手。かんしゃく発作のある子どもだったかもしれな
い。)



 具体的には、パニック状態になってしまう。



 こうした精神作用が、いつも私を取り巻いていて、そのつど、私の精神状態に影響を与える。



 そこで大切なことは、いつもそういう自分の精神状態を客観的に把握して、自分自身をコント
ロールしていくということ。



 たとえば乱暴な運転をするタクシーに乗ったとする。私は、スピード恐怖症だから、そういうと
き、座席に深く頭を沈め、深呼吸を繰りかえす。スピードがこわいというより、そんなわけで、そ
ういうタクシーに乗ると、神経をすり減らす。ときには、タクシーをおりたとたん、ヘナヘナと地面
にすわりこんでしまうこともある。



 そういうとき、私は、精神のコントロールのむずかしさを、あらためて、思い知らされる。「わか
っているけど、どうにもならない」という状態か。つまりこの点については、私の人格の完成度
は、低いということになる。



●感情面の管理能力



 「つい、カーッとなってしまって……」と言う人は、それだけ感情面の管理能力の低い人という
ことになる。



 この感情面の管理能力で問題になるのは、その管理能力というよりは、その能力がないこと
により、良好な人間関係が結べなくなってしまうということ。私の知りあいの中にも、ふだんは、
快活で明るいのだが、ちょっとしたことで、激怒して、怒鳴り散らす人がいる。



 つきあう側としては、そういう人は、不安でならない。だから結果として、遠ざかる。その人は
いつも、私に電話をかけてきて、「遊びにこい」と言う。しかし、私としては、どうしても足が遠の
いてしまう。



 しかし人間は、まさに感情の動物。そのつど、喜怒哀楽の情を表現しながら、無数のドラマを
つくっていく。感情を否定してはいけない。問題は、その感情を、どう管理するかである。



 私のばあい、私のワイフと比較しても、そのつど、感情に流されやすい人間である。(ワイフ
は、感情的には、きわめて完成度の高い女性である。結婚してから30年近くになるが、感情
的に混乱状態になって、ワーワーと泣きわめく姿を見たことがない。大声を出して、相手を罵倒
したのを、見たことがない。)



 一方、私は、いつも、大声を出して、何やら騒いでいる。「つい、カーッとなってしまって……」
ということが、よくある。つまり感情の管理能力が、低い。



 が、こうした欠陥は、簡単には、なおらない。自分でもなおそうと思ったことはあるが、結局
は、だめだった。



 で、つぎに私がしたことは、そういう欠陥が私にはあると認めたこと。認めた上で、そのつど、
自分の感情と戦うようにしたこと。そういう点では、ものをこうして書くというのは。とてもよいこと
だと思う。書きながら、自分を冷静に見つめることができる。



 また感情的になったときは、その場では、判断するのを、ひかえる。たいていは黙って、その
場をやり過ごす。「今のぼくは、本当のぼくではないぞ」と、である。



(2)の「良好な対人関係」と、(3)の「他者との良好な共感性」については、また別の機会に考
えてみたい。

(はやし浩司 管理能力 人格の完成度 サロヴェイ 行動の管理能力 EQ EQ論 人格の
完成)



+++++++++++++++++++++



ついでながら、このEQ論を、

子どもの世界にあてはめて、

それを診断テストにしたのが、

つぎである。



****************



【子どもの心の発達・診断テスト】(以下のテストを会場で実施)



****************



【子どもの社会適応性・EQ検査】(参考:P・サロヴェイ)



●社会適応性



 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。



(1)共感性



Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。



○いつも喜んでするようだ。

○ときとばあいによるようだ。

○いやがってしないことが多い。





(2)自己認知力



Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは……



○雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)

○しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)

○聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)





(3)自己統制力



Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子どもは
……。



○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)

○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)

○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)





(4)粘り強さ



Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。



○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)

○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)

○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)



(5)楽観性



Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子どもは…
…。



○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)

○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)

○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)

 



(6)柔軟性



Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……



○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)

○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)

○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)



***************************





(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。

(  )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。

(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。

(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。

(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。

(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。

(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。





 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子
どもとみる(「EQ論」)。

(以上のテストは、いくつかの小中学校の協力を得て、表にしてある。集計結果などは、HPの
ほうに収録。興味のある方は、そちらを見てほしい。当日、会場で、診断テスト実施。)





***************************



●順に考えてみよう。



(1)共感性



 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、
「共感性」ということになる。



 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲し
み、悩みを、共感できるかどうかということ。



 その反対側に位置するのが、自己中心性である。



 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その
自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。



 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの
自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世
間体意識へと、変質することもある。



(2)自己認知力



 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何を
したいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。



 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわから
ない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔
不断。



反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っているこ
とを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多
い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。



(3)自己統制力



 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どもの
ばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。



 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにため
て、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。



 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのた
めに使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓
子をみな、食べてしまうなど。



 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にし
たり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い
子どもとみる。



 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に
分けて考える。



(4)粘り強さ



 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。



 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある
子どもでも、短気な子どもは多い。



 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気にな
る。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どもも
いる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。



 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。



(1)楽観性



 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、も
のを考えていく。



 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところ
で、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすること
もある。



 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。



 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にも
よるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。



 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言え
ば、楽観的。超・楽観的。



 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」と。そこで
「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなか
ったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。



 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人
もいる。



(2)柔軟性



 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。



 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。



 一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくなになる、
かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何らかの問題がある
子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。



 朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをしなかっ
た子どもがいた。



 いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚園で
も、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。



 何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまってしまう
子どもがいた。



 先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」と、
最後までがんばった子どもがいた。



 症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができる。
柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。

(はやし浩司 思考 ボケ 認知症 人格の後退 人格論 EQ論 サロベイ)



●終わりに……



 私は私と考えている人は多い。しかし本当のところ、その「私」は、ほとんどの部分で、「私で
あって、私でない部分」によって、動かされている。



 その「私であって私でない部分」を、どうやって知り、どうやってコントロールしていくか。それ
ができる人を、自己管理能力の高い人といい、人格の完成度の高い人という。そうでない人を
そうでないという。



 思春期は、それ自体、すばらしい季節である。しかしその思春期に溺れてしまってはいけな
い。その思春期の中で、いかに「私」をつくりあげていくか。それも、思春期の大切な柱である。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 思春
期 自我構造理論 中学生)



●おまけ



 当日の人格完成度テストで、満点もしくは、それに近い点数を取った子どもには、私の本をプ
レゼントする予定。








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11
●ニートについて一考

ニート族の60%は、部活動の経験なし(?)



++++++++++++++++



何かの新聞の見出しに、

こんな記事が載っていた。



「ニート族の60%に、

部活動の経験、なし」と。



その記事は、そのまま、

見過ごしてしまった。



心のどこかで、「?」と

思いながら……。



++++++++++++++++



 このS県では、中学校については、部活動には、一応、全員が、参加することになっている。
義務ではないが、そうなっている。が、特別の事情のある子どもについては、部活動が免除さ
れる。高校生については、公立、私立を問わず、自由参加が原則になっている。



 見出しに、「部活動の経験なし」とあるから、そのまま読めば、小学校、中学校、高校を通し
て、部活動の経験がないということになる。しかし、そんな子どもはいるのだろうか?



で、この記事を一読すると、「部活動を経験しない子どもは、ニート族になる可能性が高い」と
いう印象をもってしまう。ここでいくつかの疑問が、わいてくる。



 ほかの県のことは知らないが、仮に、ある県では、部活動に参加するかしないかは、子ども
の意思に任されていたとする。そのため、部活動に参加しない子どもが、60%、いたとする。
すると、この調査結果は、まったく意味がないことになる。



 「ニート族を調べたら、50%が、男子だった」というのと同じくらい、おかしい。「病気の子ども
を調べたら、50%が男子だった」というのでも、よい。



 しかしこのS県に関していえば、一応、100%の子どもが、何らかの部活動を経験しているこ
とになる。何らかの事情があって、部活動を免除してもらっている子どもは、正確に調査したわ
けではないが、中学生で、10%前後ではないか。



 そこで、その(10%)という数字の上に、(60%)という数字をのせてみると、こういうことにな
る。



 「部活動を免除してもらった10%の子どものうち、60%がニート族になる」と。



 が、ここでまたまた別の疑問が生まれる。



 そもそも何らかの事情で、部活動を免除してもらう子どもというのは、その前提として、何らか
の「事情」をもっている。「どうしても集団になじめない」とか、「体力的に問題がある」とか、な
ど。そういう子どもをもつ親から、私はそういう相談を、よく受ける。



 だから部活動をしないと、ニート族になりやすいと考えるのは、短絡的すぎる。部活動に参加
できない子どもは、それ以前から、もともとニート族になるような要素をかかえている子どもとい
うふうにも、考えられる。



 ニート族というのは、「not in education,employment or training」、略して、「NEET」。つ
まり「就学も職業訓練もしていない若年層の無業者」をいう。



 つまり「部活動をしなかったから、ニート族になった」と考えたらよいのか、「そもそも、その素
地は、就学前からあった」と考えたらよいのか、それがよくわからない。個人のレベルでそれを
考えてみれば、わかる。



 たとえばA君(中1)という子どもがいたとする。



 彼は最初、テニス部に入りたかった。もともと運動は得意ではなかった。しかしテニス部は満
員。抽選ではずれて、バスケット部へ回された。しかしA君は、背が高くなかった。反射神経も、
よくなかった。



 そこでA君は、毎日、重い足を引きずるようにして、学校へ通うようになった。「部活をやめさ
せてほしい」「変えてほしい」と、何度も担任の教師に訴えたが、聞き入られなかった。で、断続
的に不登校。あわてた両親が、担任と部活動の指導教師に相談。やっとのことで、A君は、部
活動を免除された。



 ……というようなケースは、多い。で、こういうケースのばあい、部活動が先で、A君はA君の
ようになったのか、それとも、A君は、もともとそういう子どもであったから、部活動になじめなか
ったのかということになる。その判断が、たいへんむずかしい。



 というのも、対人恐怖症、集団恐怖症、さらには回避性障害をもった子どもというのは、決し
て少なくない。そしてそういう傾向は、すでに幼児期のときから始まる。



 このタイプの子どもというのは、学校という集団教育にさえ、なじむことができない。いわん
や、体育系の部活動となると、さらになじむことができない。そういう子どもは、ここでいう「部活
動の経験なし」という部類に属する子どもになる可能性は、たいへん高い。



 ……とまあ、いろいろ考える。



 で、結論から先に言えば、「では、部活動をきちんとできるようにすれば、ニート族になるの
を、予防することができる」というふうに考えるのは、まちがっている。この調査をした人は、お
そらく、そういう先入観をもって、調査をしたのではないのか。



 というのも、この種の論法は、すでに30年近く前から、よく耳にするからである。つまり「だか
ら、部活動は子どもにとって、重要だ」と。そのことを裏づけるために、どこかの団体が、こうし
た調査をして、「ニート族の60%に、部活動の経験、なし」という数字をはじき出した(?)。



 それに、だれも、(子どもも、そうだが)、なりたくて、ニート族になるのではない。それぞれの
人は、(子どもも、そうだが)、そうであることに、人知れず、悩んでいる。苦しんでいる。ある男
性(30歳)は、そのニート族だが、その男性の母親が、こんな話をしてくれた。



 その男性は、子どものころから、集団活動や訓練が苦手だった。遠足といえば、子どもは喜
ぶはずと考える人が多いかもしれないが、その男性は、遠足が苦痛だった。運動会も苦痛だ
った。



 もともと、ある心の問題をかかえていた。



 で、20歳をすぎてからも、職にもつかず、訓練学校にも通わなかった。その男性には、2人
の弟がいたが、その2人の弟は、大学を出て、結婚をした。そういう兄弟や兄弟夫婦たちと正
月に顔を合わせたあと、その男性は、自分の部屋で、おいおいと泣いていたという。



 「ぼくは、兄貴なのに、何一つ、兄貴らしいことをしてやれない……」と。



 ニート族というと、怠けた人間に思う人も多いかもしれない。事実、客観的に見ると、そう見え
なくもない。しかしそういう若者たちがかかえる問題の根は、もっと深い。ここでいうように、部
活動と短絡的に結びつけて考えられるほど、単純な問題ではない。



 が、この日本では、「集団教育」に、どういうわけか、異常なほどまでに、こだわる。集団にな
じめないことを、「おくれる」とか、「落ちこぼれる」とか、いう。むしろ、個人が個人として生きて
いくことすら許さない。また個人で生きていくとしても、その道は、たいへん限られている。しかし
ほんの少しだけ視点を変えて、もし、「集団のほうが、おかしい」「問題がある」と考えたら、どう
なるのか。



 それがわからなければ、この過密すぎるほど過密な、社会を見たらよい。この忙しすぎるほ
ど、忙しい、社会を見たらよい。これが本当に、人間にとって、あるべき環境なのだろうか。



 何割かの子どもが、そういう集団になじめないからといっても、何も、おかしくない。むしろ大
切なことは、そういう子どもが、何割かの確率で生まれるということを前提にして、もっと多様性
のある社会を用意することではないのか。



 今のように、学校だけが道であり、学校を離れて道はないという社会のほうが、まちがってい
る。



 まわりくどい言い方をしたが、「ニート族は悪」であるという発想が、どこか、見え隠れして、ど
うも、この調査結果には、抵抗を覚える。少し前には、「フリーター撲滅論」まで、あった。(撲滅
だぞ!)



さらに一言、つけ加えれば、こうした調査結果が、部活動推進派の教師を、ますます勢いづか
せることを、私は、心配する。そしてその結果、ますます重い足をひきずりながら学校へ通う子
どもがふえることを、私は、心配する。



 もちろんだからといって、部活動を否定しているのではない。ただ私は、子どもによっては、
部活動そのものが、過負担になるケースもあるということ。それを言いたかった。



 以上、私は、その新聞の見出しを読んだだけなので、ここに書いたことは、まちがっているか
もしれない。そういう前提で、このエッセーを読んでほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 部活
動 ニート ニート族 NEET)





【補足】



 この私の意見に対して、実際、引きこもりを体験したことのある、宮沢K氏が、トラックバック
してくれました。



 転載許可がもらえましたので、それをそのままここに転載させてもらいます。



【宮沢K氏のBLOGより】



●引きこもりは、病気だ!



お気楽にやってきたいのに、今日もシビアになっちまう。



「引きこもり者更生支援施設内で暴行か、引きこもり男性死亡」って事件の話。



 不条理日記さんのIMスクールについて、KMさんという人のコメント。



「このケースは、言ってみれば、自信過剰の民間療法の素人が、

 癌の治療に手を出したようなものでしょう。

 引きこもりの一部は精神科の病気、

 それもとても治療の難しい病気なのだという対応が必要です。」



この人が正しい☆ミ凸ヽ(^-^) タイコバン!



それに対して管理人のじじさんが



「引きこもりが病気!?

 そのように病気病気言うから病気に甘えて

 薬に甘えて医者、病院にあまえて何もできなくなってしまうから

 それがひきこもりって、そのまんまの名前の病気になってしまうんではないでは? 」



 じじさん、あんたねえ、

KMさんも「引きこもりの一部は」って言ってるでしょ。

引きこもりには怠けもんも多いけど

正しい? 病気の人も多いの。



世間一般、じじさんと同じように思ってるだろうけど

メラトニンやコルチゾールの分泌異常とか

前頭葉領域の血流低下とかアセチルコリンの消費量増大とか

あとはPTSDとか親の共依存とか

かなり脳科学や臨床心理学で解明されてきてる。



やる気だって、脳内の化学物質の反応なんだよ。

無知だよなあ、世間のやつらは。



++++++++++++++++++



引きこもり者更生支援施設依存症の親



 IMスクールの事件じゃ、どうやら家庭内暴力で疲れ果てた家族が

施設に引き渡したらしいね。



 精神科の世界で誰にもわからないから閉じ込めるしかない 

今の医学ではそんなもの。



本人が一番辛かったはず、「なんでおれは暴れちまうんだろう」ってね。

原因はあるんだろうが、わたしにはもちろんわからない 



引きこもりに正面から向き合うこともなく、

病理的な勉強も怠り、

甘えだとかやる気がないとかほかの子はちゃんとやってるのに

とか言ってる大人たちが、こんな、社会やこんな子供を作った。 



あんたらこそ、やる気だしてみろよ

薬打って中毒になってみろよ 

病気で足を切断されて足の大切さがわかり、

元通りにならない事をはじめて認める。



どうにもならない事って、その状況にならないとわからない事って

あるだろう。



自分が正常でございと思ってるすべての連中、

あんたらは

感性が擦り切れて、何も感じられないからこんな世の中で平気でいられるだけだ。

宮沢Kの感性の爪の垢でも飲みやがれ(▼ω▼怒)



この施設がどういう人たちがやってて

どういうことが行われたかはわからない。

事故だったのかなんだったのかはわからない。

引きこもりにはそれなりの意義があるんだけど

わかってないんだろうな、こんな施設つくるくらいだから

(引きこもりの人生の意義の話は、またこんどね)



 親が、子どもの暴力に耐えかねて

預かってくれる施設があると聞いて喜んで拉致させた。



 親がこの施設に依存した。

親と子がいっしょに戦うことをあきらめた。

その結果、子どもは死んだ。

これだけだ。



臭いものにはフタか?

わが子は臭いものか?

誰かにまるごと頼みます、であとは平穏な暮らしが戻るのか?



(暴力で苦しんでる家庭では

いっぺん親だけでも精神科や心療内科に相談に行くといい。

ハロペリドールなどの精神安定剤の処方でおおかた静まる。

それからゆっくり時間をかけて話をしていってほしい。

相談するなら素人じゃなく専門家にしないとね。



ただ精神科くらい、医者の当たり外れの大きいところもないから

気に入る医者に出会うまで何人も回ること。



わたしは5つくらい、病院、回って奇跡的にいいドクターに会えて

やっと回復できた C=(^◇^ ; 

どうしてこんな無知で精神科の医者やってんの?というのが多い。

答えは「精神科は楽に儲かるから」。

(点数がいろいろ有利なのは事実)



+++++++++++++++++++++



 ★今日は最後に怠け者へ一言★



 じじさんの言ってた

たんなる「怠け者」の引きこもりやニート、不登校のあんたらに言っておく。

怠け者の末路は悲惨だよ。



生活保護って制度もいつまであるかわかんない。

バス代さえなくて何キロも歩いて病院にきてるおばさん、

家族から見放されて無縁墓地にはいるのを待って

光の入らない4畳半に住んでるおじさん。。。



 やっぱ、施設とか、病院って、世の中にすごく必要。

こういう同病者をまじかにみれるもの。



自分の明日が見れるし

いっしょに抜け出そうとする仲間に出会えるもの。



 ただし、自分から入りたい、と覚悟するまでが、時間、かかるのね。



 これから医学はもっともっと進むよ。

病気かそうでないかは、かんたんに見破られるから

病気のフリもできない。

怠け者にはじじさんだけじゃなく、私も世間も、やさしくないよ

(▼O▼メ)





【宮沢Kさんへ】



 たいへん参考になりました。あなたのような体験をもった人たちが、もっと声をあげれば、IM
スクールのような、おかしな更生支援施設(?)は、なくなると思います。










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12
●すばらしい人



二人の知人



●二人の知人

 

石川県金沢市の県庁に、S君という同級生がいる。埼玉県所沢市のリハビリセンターに、K氏
という盲目の人がいる。親しく交際しているわけではないが、もし私が、この世界で、もっともす
ばらしい人を二人あげろと言われたら、私は迷わず、この二人をあげる。この二人ほどすばら
しい人を、私は知らない。この二人を頭の中で思い浮かべるたびに、どうすれば人は、そういう
人になれるのか。またそういう人になるためには、私はどうすればよいのか、それを考えさせら
れる。



 この二人にはいくつかの特徴がある。誠実さが全身からにじみ出ていることもさることなが
ら、だれに対しても、心を開いている。ウラがないと言えば、まったくウラがない。その人たちの
言っていることが、そのままその人たち。楽しい話をすれば、心底、それを楽しんでくれる。悲し
い話をすれば、心底、それを悲しんでくれる。子どもの世界の言葉で言えば、「すなおな」人た
ちということになる。



●自分をさらけ出すということ

 

こういう人になるためには、まず自分自身を作り変えなければならない。自分をそのままさらけ
出すということは、何でもないようなことだが、実はたいへんむずかしい。たいていの人は、心
の中に無数のわだかまりと、しがらみをもっている。しかもそのほとんどは、他人には知られた
くない、醜いものばかり。つまり人は、そういうものをごまかしながら、もっとわかりやすく言え
ば、自分をだましながら生きている。そういう人は、自分をさらけ出すということはできない。



 ためしにタレントの世界で生きている人たちを見てみよう。先日もある週刊誌で、日本の4タ
ヌキというようなタイトルで、4人の女性が紹介されていた。



元野球監督の妻(脱税で逮捕)、元某国大統領の第二夫人(脱税で告発)、元外務大臣の女
性(公費流用疑惑で議員辞職)、演劇俳優の女性の四人である。4番目の演劇俳優の女性は
別としても、残る3人は、たしかにタヌキと言うにふさわしい。(週刊誌のほうでは、実名と写真
を掲載していた。)



昔風の言い方をするなら、「ツラの皮が、厚い」ということか。こういう人たちは、多分、毎日、い
かにして他人の目をあざむくか、そればかりを考えて生きているに違いない。仮にあるがまま
の自分をさらけ出せば、それだけで人は去っていく。だれも相手にしなくなる。つまり化けの皮
がはがれるということになる。



●さて、自分のこと



 さて、そこで自分のこと。私はかなりひねた男である。心がゆがんでいると言ったほうがよい
かもしれない。ちょっとしたことで、ひねくれたり、いじけたり、つっぱったりする。自分という人
間がいつ、どのようにしてそうなったかについては、また別のところで考えることにして、そんな
わけで、私は自分をどうしてもさらけ出すことができない。ときどき、あるがままに生きたら、ど
んなに気が楽になるだろうと思う。が、そう思っていても、それができない。どうしても他人の目
を意識し、それを意識したとたん、自分を作ってしまう。



 ……ここまで考えると、その先に、道がふたつに分かれているのがわかる。ひとつは居なお
って生きていく道。もうひとつは、さらけ出しても恥ずかしくない自分に作り変えていく道。いや、
一見この二つの道は、別々の道に見えるかもしれないが、本当は一本の道なのかもしれな
い。もしそうなら、もう迷うことはない。二つの道を同時に進めばよい。



●あるがままに生きる



 話は少しもどるが、自分をごまかして生きていくというのは、たいへん苦しいことでもある。疲
れる。ストレスになるかどうかということになれば、これほど巨大なストレスはない。あるいは反
対に、もしごまかすことをやめれば、あらゆるストレスから解放されることになる。人はなぜ、と
きとして生きるのが苦痛になるかと言えば、結局は本当の自分と、ニセの自分が遊離するから
だ。そのよい例が私の講演。



 最初のころ、それはもう20年近くも前のことになるが、講演に行ったりすると、私はヘトヘトに
疲れた。本当に疲れた。家に帰るやいなや、「もう二度としないぞ!」と宣言したことも何度かあ
る。もともとあがり症だったこともある。私は神経質で、気が小さい。しかしそれ以上に、私を疲
れさせたのは、講演でいつも、自分をごまかしていたからだ。



 「講師」という肩書き。「はやし浩司」と書かれた大きな垂れ幕。それを見たとたん、ツンとした
緊張感が走る。それはそれで大切なことだが、しかしそのとたん、自分が自分でなくなってしま
う。精一杯、背伸びして、精一杯、虚勢を張り、精一杯、自分を飾る。ときどき講演をしながら、
その最中に、「ああ、これは本当の私ではないのだ」と思うことさえあった。



 そこであるときから、私は、あるがままを見せ、あるがままを話すようにした。しかしそれは言
葉で言うほど、簡単なことではなかった。もし私があるがままの自分をさらけ出したら、それだ
けで聴衆はあきれて会場から去ってしまうかもしれない。そんな不安がいつもつきまとった。そ
のときだ。私は自分でこう悟った。「あるがままをさらけ出しても、恥ずかしくないような自分にな
ろう」と。が、今度は、その方法で行きづまってしまった。



●自然な生活の中で……



 ところで善人も悪人も、大きな違いがあるようで、それほどない。ほんの少しだけ入り口が違
っただけ。ほんの少しだけ生きザマが違っただけ。もし善人が善人になり、悪人が悪人になる
としたら、その分かれ道は、日々のささいな生活の中にある。人にウソをつかないとか、ゴミを
捨てないとか、約束を守るとか、そういうことで決まる。



つまり日々の生活が、その人の月々の生活となり、月々の生活が年々の生活となり、やがて
その人の人格をつくる。日々の積み重ねで善人は善人になり、悪人は悪人になる。しかし原点
は、あくまでもその人の日々の生活だ。日々の生活による。むずかしいことではない。中には
滝に打たれて身を清めるとか、座禅を組んで瞑想(めいそう)にふけるとか、そういうことをする
人もいる。私はそれがムダとは思わないが、しかしそんなことまでする必要はない。あくまでも
日々の生活。もっと言えば、その瞬間、瞬間の生きザマなのだ。



 ひとりソファに座って音楽を聴く。電話がかかってくれば、その人と話す。チャイムが鳴れば
玄関に出て、人と応対する。さらに時間があれば、雑誌や週刊誌に目を通す。パソコンに向か
って、メールを書く。その瞬間、瞬間において、自分に誠実であればよい。人間は、もともと善
良なる生き物なのである。だからこそ人間は、数十万年という気が遠くなる時代を生き延びる
ことができた。



もし人間がもともと邪悪な生物であったとするなら、人間はとっくの昔に滅び去っていたはずで
ある。肉体も進化したが、同じように心も進化した。そうした進化の荒波を越えてきたということ
は、とりもなおさず、私たち人間が、善良な生物であったという証拠にほかならない。私たちは
まずそれを信じて、自分の中にある善なる心に従う。



 そのことは、つまり人間が善良なる生き物であることは、空を飛ぶ鳥を見ればわかる。水の
中を泳ぐ魚を見ればわかる。彼らはみな、自然の中で、あるがままに生きている。無理をしな
い。無理をしていない。仲間どうし殺しあったりしない。時に争うこともあるが、決して深追いをし
ない。その限度をしっかりとわきまえている。そういうやさしさがあったからこそ、こうした生き物
は今の今まで、生き延びることができた。もちろん人間とて例外ではない。



●生物学的な「ヒト」から……



 で、私は背伸びをすることも、虚勢を張ることも、自分を飾ることもやめた。……と言っても、
それには何年もかかったが、ともかくもそうした。……そうしようとした。いや、今でも油断をす
ると、背伸びをしたり、虚勢を張ったり、自分を飾ったりすることがある。これは人間が本能とし
てもつ本性のようなものだから、それから決別することは簡単ではない(※1)。それは性欲や
食欲のようなものかもしれない。本能の問題になると、どこからどこまでが自分で、そこから先
が自分かわからなくなる。



が、人間は、油断をすれば本能におぼれてしまうこともあるが、しかし一方、努力によって、そ
の本能からのがれることもできる。大切なことは、その本能から、自分を遠ざけること。遠ざけ
てはじめて、人間は、生物学的なヒトから、道徳的な価値観をもった人間になることができる。
またならねばならない。



●ワイフの意見



 ここまで書いて、今、ワイフとこんなことを話しあった。ワイフはこう言った。「あるがままに生
きろというけど、あるがままをさらけ出したら、相手がキズつくときもあるわ。そういうときはどう
すればいいの?」と。こうも言った。「あるがままの自分を出したら、ひょっとしたら、みんな去っ
ていくわ」とも。



 しかしそれはない。もし私たちが心底、誠実で、そしてその誠実さでもって相手に接したら、そ
の誠実さは、相手をも感化してしまう。人間が本来的にもつ善なる心には、そういう力がある。
そのことを教えてくれたのが、冒頭にあげた、二人の知人たちである。たがいに話しこめば話
しこむほど、私の心が洗われ、そしてそのまま邪悪な心が私から消えていくのがわかった。別
れぎわ、私が「あなたはすばらしい人ですね」と言うと、S君も、K氏も、こぼれんばかりの笑顔
で、それに答えてくれた。



 私は生涯において、そしてこれから人生の晩年期の入り口というそのときに、こうした二人の
知人に出会えたということは、本当にラッキーだった。その二人の知人にはたいへん失礼な言
い方になるかもしれないが、もし一人だけなら、私はその尊さに気づかなかっただろう。しかし
二人目に、所沢市のK氏に出会ったとき、先の金沢氏のS氏と、あまりにもよく似ているのに驚
いた。そしてそれがきっかけとなって、私はこう考えるようになった。「なぜ、二人はこうも共通
点が多いのだろう」と。そしてさらにあれこれ考えているうちに、その共通点から、ここに書いた
ようなことを知った。



 S君、Kさん、ありがとう。いつまでもお元気で。



●みなさんへ、



あるがままに生きよう!

そのために、まず自分を作ろう!

むずかしいことではない。

人に迷惑をかけない。

社会のルールを守る。

人にウソをつかない。

ゴミをすてない。

自分に誠実に生きる。

そんな簡単なことを、

そのときどきに心がければよい。

あとはあなたの中に潜む

善なる心があなたを導いてくれる。

さあ、あなたもそれを信じて、

勇気を出して、前に進もう!

いや、それとてむずかしいことではない。

音楽を聴いて、本を読んで、

町の中や野や山を歩いて、

ごく自然に生きればよい。

空を飛ぶ鳥のように、

水の中を泳ぐ魚のように、

無理をすることはない。

無理をしてはいけない。

あなたはあなただ。

どこまでいっても、

あなたはあなただ。

そういう自分に気づいたとき、

あなたはまったく別のあなたになっている。

さあ、あなたもそれを信じて、

勇気を出して、前に進もう!

心豊かで、満ち足りたあなたの未来のために!





(追記)



※1……自尊心



 犬にも、自尊心というものがあるらしい。



 私はよく犬と散歩に行く。散歩といっても、歩くのではない。私は自転車で、犬の横を伴走す
る。私の犬は、ポインター。純種。まさに走るために生まれてきたような犬。人間が歩く程度で
は、散歩にならない。



 そんな犬でも、半時間も走ると、ヘトヘトになる。ハーハーと息を切らせる。そんなときでも、
だ。通りのどこかで飼われている別の犬が、私の犬を見つけて、ワワワンとほえたりすると、私
の犬は、とたんにピンと背筋を伸ばし、スタスタと走り始める。それが、私が見ても、「ああ、か
っこうをつけているな」とわかるほど、おかしい。おもしろい。



 こうした自尊心は、どこかで本能に結びついているのかもしれない。私の犬を見ればそれが
わかる。私の犬は、生後まもなくから、私の家にいて、外の世界をほとんど知らない。しかし自
尊心はもっている? もちろん自尊心が悪いというのではない。その自尊心があるから、人は
前向きな努力をする。



私の犬について言えば、疲れた体にムチ打って、背筋をのばす。しかしその程度が超えると、
いろいろやっかいな問題を引き起こす。それがここでいう「背伸びをしたり、虚勢を張ったり、自
分を飾ったりする」ことになる。言いかえると、どこまでが本能で、どこからが自分の意思なの
か、その境目を知ることは本当にむずかしい。



卑近な例だが、若い男が恋人に懸命にラブレターを書いたとする。そのばあいも、どこかから
どこまでが本能で、どこから先がその男の意思なのかは、本当のところ、よくわからない。



 自尊心もそういう視点で考えてみると、おもしろい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 自尊
心 子供の自尊心) 












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13
【より高い人間性を求めて】(1)



++++++++++++++++++



古今東西、実に多くの哲学者たちが、

「どうすればより人間として、

人間らしく生きることができるか」という

テーマについて考えている。



ここでは、マズローの「欲求段階説」を

中心に、それを考えてみたい。



+++++++++++++++++++



 今日も、昨日と同じ。明日も、今日と同じ……というのであれば、私たちは人間として生きるこ
とはできない。



 そこで「より高い人間として生きるためには、どうしたらよいか」。それについて、A・H・マズロ
ーの、「欲求段階説」を参考に、考えてみる。マズローは、戦時中から、戦後にかけて活躍し
た、アメリカを代表する心理学者であった。アメリカの心理学会会長も歴任している。



●第1の鉄則……現実的に生きよう



 しっかりと、「今」を見ながら、生きていこう。そこにあるのは、「今という現実」だけ。その現実
をしっかりと見つめながら、現実的に生きていこう。



●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう



 私がここにいて、あなたがそこにいる。私が何であれ、そしてあなたが何であれ、それはそれ
として、あるがままの私を認め、あなたを認めて、生きていこう。



●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう



 ごく自然に、ごくふつうの人として、当たり前に生きていこう。心と体を解き放ち、自由に生き
ていこう。自由にものを考えながら、生きていこう。



●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう



 いつも他人の心の中に、自分の視点を置いて、ものを考えるようにしよう。他人とのよりよい
人間関係は、それ自体が、すばらしい財産と考えて、生きていこう。



●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう



 過去や、因習にとらわれないで、いつも新しいものに目を向け、それに挑戦していこう。新し
い人たちや、新しい思想を受けいれて、それを自分のものにしていこう。



●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう



 いつも高い視野を忘れずに、地球全体のこと、人類全体のことを考えて、生きていこう。そこ
に問題があれば、果敢なく、それと戦っていこう。



●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう



 考えるから人は、人。生きるということは、考えること。どんなささいなことでもよいから、それ
をテーマに、いつも考えながら生きていこう。



●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう



 少人数の人と、より深く交際しながら生きていこう。大切なことは、より親交を温め、より親密
になること。夫であれ、妻であれ、家族であれ、そして友であれ。



●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう



 今、自分は、どういう人間なのか、それを客観的に見つめながら、生きていこう。方法は簡
単。他人の視点の中に自分を置き、そこから見える自分を想像しながら生きていこう。 



●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう



 あなたのまわりに、いつも笑いを用意しよう。ユーモアやジョークで、あなたのまわりを明るく
して生きていこう。

(はやし浩司 マズロー 欲求段階説 高い人間性)



【より高い人間性を求めて】(2)



 人格論というのは、何度も書いているが、健康論に似ている。日々に体を鍛錬することによっ
て、健康は維持できる。同じように、日々に心を鍛錬することによって、高い人間性を維持する
ことができる。



 究極の健康法がないように、究極の精神の鍛錬法などというものは、ない。立ち止まったとき
から、その人の健康力は衰退する。人間性は衰退する。



 いつも前向きに、心と体を鍛える。しかしそれでも現状維持が、精一杯。多くの人は、加齢と
ともに、つまり年をとればとるほど、人間性は豊かにななっていくと誤解している。しかしそんな
ことはありえない。ありえないことは、自分が、その老齢のドアウェイ(玄関)に立ってみて、わ
かった。



 ゆいいつ老齢期になって、新しく知ることと言えば、「死」である。「死の恐怖」である。つまりそ
れまでの人生観になかったものと言えば、「死」を原点として、ものを考える視点である。「生」
へのいとおしさというか、「生きることのすばらしさ」というか、それが、鮮明にわかるようにな
る。



 そうした違いはあるが、しかし、加齢とともに、知力や集中力は、弱くなる。感性も鈍くなる。
問題意識も洞察力も、衰える。はっきり言えば、よりノーブレインになる。



 ウソだと思うなら、あなたの周囲の老人たちを見ればわかる。が、そういう老人たちが、どう
であるかは、ここには書けない。書けないが、あなたの周囲には、あなたが理想と考えることが
できるような老人は、いったい、何人いるだろうか。



 せっかくの命、せっかくの人生、それをムダに消費しているだけ。そんな老人の、何と、多い
ことか。あなたはそういう人生に、魅力を感ずるだろうか。はたしてそれでよいと考えるだろう
か。



 マズローは、「欲求段階説」を唱え、最終的には、「人間は自己実現」を目ざすと説いた。人
間は、自分がもつ可能性を最大限、発揮し、より人間らしく、心豊かに生きたいと願うようにな
る、と。



 問題は、どうすれば、より人間らしく、心豊かに生きられるか、である。そこで私はマズローの
「欲求段階説」を参考に、10の鉄則をまとめてみた。



Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司



【人間らしく生きるための、10の鉄則】(マズローの「欲求段階説」を参考にして)



●第1の鉄則……現実的に生きよう



●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう



●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう



●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう



●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう



●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう



●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう



●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう



●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう



●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう





+++++著作権BYはやし浩司++++++copy right by Hiroshi Hayashi+++++



●マズローの欲求段階説



 昨日、「マズローの欲求段階説」について書いた。その中で、マズローは、現実的に生きるこ
との重要性をあげている。



 しかし現実的に生きるというのは、どういうことか。これが結構、むずかしい。そこでそういうと
きは、反対に、「現実的でない生き方」を考える。それを考えていくと、現実的に生きるという意
味がわかってくる。



 現実的でない生き方……その代表的なものに、カルト信仰がある。占い、まじないに始まっ
て、心霊、前世、来世論などがもある。が、そういったものを、頭から否定することはできない。



ときに人間は、自分だけの力で、自分を支えることができなくことがある。その人個人というよ
りは、人間の力には、限界がある。



 その(限界)をカバーするのが、宗教であり、信仰ということになる。



 だから現実的に生きるということは、それ自体、たいへんむずかしい、ということになる。いつ
もその(限界)と戦わねばならない。



 たとえば身近の愛する人が、死んだとする。しかしそのとき、その人の(死)を、簡単に乗り越
えることができる人というのは、いったい、どれだけいるだろうか。ほとんどの人は、悲しみ、苦
しむ。



いくら心の中で、疑問に思っていても、「来世なんか、ない」とがんばるより、「あの世で、また会
える」と思うことのほうが、ずっと、気が楽になる。休まる。



 現実的に生きる……一見、何でもないことのように見えるが、その中身は、実は、奥が、底な
しに深い。





●あるがままに、生きる



 ここに1組の、同性愛者がいたとする。私には、理解しがたい世界だが、現実に、そこにいる
以上、それを認めるしかない。それがまちがっているとか、おかしいとか言う必要はない。言っ
てはならない。



 と、同時に、自分自身についても、同じことが言える。



 私は私。もしだれかが、そういう私を見て、「おかしい」と言ったとする。そのとき私が、それを
いちいち気にしていたら、私は、その時点で分離してしまう。心理学でいう、(自己概念=自分
はこうであるべきと思い描く自分)と、(現実自己=現実の自分)が、遊離してしまう。



 そうなると、私は、不適応障害を起こし、気がヘンになってしまうだろう。



 だから、他人の言うことなど、気にしない。つまりあるがままに生きるということは、(自己概
念)と、(現実自己)を、一致させることを意味する。が、それは、結局は、自分の心を守るため
でもある。



 私は同性愛者ではないが、仮に同性愛者であったら、「私は同性愛者だ」と外に向って、叫
べばよい。叫ぶことまではしなくても、自分を否定したりしてはいけない。社会的通念(?)に反
するからといって、それを「悪」と決めつけてはいけない。



 私も、あるときから、世間に対して、居なおって生きるようになった。私のことを、悪く思ってい
る人もいる。悪口を言っている人となると、さらに多い。しかし、だからといって、それがどうなの
か? 私にどういう関係があるのか。



 あるがままに生きるということは、いつも(自己概念)と、(現実自己)を、一致させて生きるこ
とを意味する。飾らない、ウソをつかない、偽らない……。そういう生き方をいう。





●自然で自由に生きる



 不規則がよいというわけではない。しかし規則正しすぎるというのも、どうか? 行動はともか
くも、思考については、とくに、そうである。



思考も硬直化してくると、それからはずれた思考ができなくなる。ものの考え方が、がんこにな
り、融通がきかなくなる。



 しかしここで一つ、重要な問題が起きてくる。この問題、つまり思考性の問題は、脳ミソの中
でも、CPU(中央演算装置)の問題であるだけに、仮にそうであっても、それに気づくことは、ま
ず、ないということ。



 つまり、どうやって、自分の思考の硬直性に、気がつくかということ。硬直した頭では、自分の
硬直性に気づくことは、まず、ない。それ以外のものの考え方が、できないからだ。



 そこで大切なのは、「自然で、自由にものを考える」ということ。そういう習慣を、若いときから
養っていく。その(自由さ)が、思考を柔軟にする。



 おかしいものは、「おかしい」と思えばよい。変なものは、「変だ」と思えばよい。反対にすばら
しいものは、「すばらしい」と思えばよい。よいものは、「よい」と思えばよい。



 おかしなところで、無理にがんばってはいけない。かたくなになったり、こだわったりしてはい
けない。つまりは、いつも心を開き、心の動きを、自由きままに、心に任せるということ。



 それが「自然で、自由に生きる」という意味になる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 マズ
ロー A・H・マズロー 欲求段階説 人間らしい生き方





Hiroshi Hayashi+++++++++Sep 06+++++++++++はやし浩司※



最前線の子育て論byはやし浩司(1526)



【人間らしく生きるための、10の鉄則】

(マズローの「欲求段階説」を参考にして)



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A・H・マズローは、「欲求段階説」を唱え、

最終的には、「人間は自己実現」を目ざすと説いた。

人間は、自分がもつ可能性を最大限、発揮し、

より人間らしく、心豊かに生きたいと願うようになる、と。



マズローの欲求段階説をもとに、私は、

人間らしく生きるための10か条として、

つぎのように考えた。



AHマズローは、アメリカ心理学会の会長を

務めたこともある人物である。



●第1の鉄則……現実的に生きよう



●第2の鉄則……あるがままに、世界を受けいれよう



●第3の鉄則……自然で、自由に生きよう



●第4の鉄則……他者との共鳴性を大切にしよう



●第5の鉄則……いつも新しいものを目ざそう



●第6の鉄則……人類全体のことを、いつも考えよう



●第7の鉄則……いつも人生を深く考えよう



●第8の鉄則……少人数の人と、より深く交際しよう



●第9の鉄則……いつも自分を客観的に見よう



●第10の鉄則……いつも朗らかに、明るく生きよう



+++++++++++++++++++++



 ここにあげた10の鉄則は、どれも、きわめて常識的なものと考えてよい。だれもが、「そうだ」
と納得できることを、10の鉄則にまとめたにすぎない。



 しかしその常識的であるという点が、むずかしい。



 たまたま昨日(9月15日)、あの忌まわしい地下鉄サリン事件の首謀者である、A被告の死
刑判決が確定した。それについて、教団内部では、(1)A死刑囚の奪還計画、(2)死刑執行と
ともに、信者たちの後追い自殺などの動きが見られるという(Yahoo・news)。



 (常識)をはずれた人たちは、そこまで狂う。



 そこでどうすれば、その(常識)をみがくことができるかということになる。マズローは、そのヒ
ントを私たちに与えてくれた。心理学者として、数多くの、人間の(心)をみつめてきた人であ
る。その意見は、傾聴に値する。



 で、マズローの欲求段階説によれば、人間は、最終的には、「自己実現」をめざすという。わ
かりやすく言えば、「私の確立」ということか? 崇高で気高い自己概念(=こうでありたいと描く
自分像)をもち、その自己概念に、現実自己(=現実の自分)を完全に一致させる。そのとき
「私」は、完成する。



 この10の鉄則の中で、最大のポイントは、「いかにすれば、現実的に生きられるか」である。



 以前、こんな原稿を書いた。少し話が脱線するかもしれないが、「現実的に生きるためのヒン
ト」になれば、うれしい。



++++++++++++++++++



子どもに善と悪を教えるとき



●四割の善と四割の悪 



社会に4割の善があり、4割の悪があるなら、子どもの世界にも、4割の善があり、4割の悪が
ある。



子どもの世界は、まさにおとなの世界の縮図。おとなの世界をなおさないで、子どもの世界だ
けをよくしようとしても、無理。



子どもがはじめて読んだカタカナが、「ホテル」であったり、「ソープ」であったりする(「クレヨンし
んちゃん」V1)。



つまり子どもの世界をよくしたいと思ったら、社会そのものと闘う。時として教育をする者は、子
どもにはきびしく、社会には甘くなりやすい。あるいはそういうワナにハマりやすい。ある中学校
の教師は、部活の試合で自分の生徒が負けたりすると、冬でもその生徒を、プールの中に放
り投げていた。



その教師はその教師の信念をもってそうしていたのだろうが、では自分自身に対してはどうな
のか。自分に対しては、そこまできびしいのか。社会に対しては、そこまできびしいのか。親だ
ってそうだ。子どもに「勉強しろ」と言う親は多い。しかし自分で勉強している親は、少ない。



●善悪のハバから生まれる人間のドラマ



 話がそれたが、悪があることが悪いと言っているのではない。人間の世界が、ほかの動物た
ちのように、特別によい人もいないが、特別に悪い人もいないというような世界になってしまっ
たら、何とつまらないことか。



言いかえると、この善悪のハバこそが、人間の世界を豊かでおもしろいものにしている。無数
のドラマも、そこから生まれる。旧約聖書についても、こんな説話が残っている。



 ノアが、「どうして人間のような(不完全な)生き物をつくったのか。(洪水で滅ぼすくらいなら、
最初から、完全な生き物にすればよかったはずだ)」と、神に聞いたときのこと。神はこう答え
ている。「希望を与えるため」と。



もし人間がすべて天使のようになってしまったら、人間はよりよい人間になるという希望をなくし
てしまう。つまり人間は悪いこともするが、努力によってよい人間にもなれる。神のような人間
になることもできる。旧約聖書の中の神は、「それが希望だ」と。



●子どもの世界だけの問題ではない



 子どもの世界に何か問題を見つけたら、それは子どもの世界だけの問題ではない。それが
わかるかわからないかは、その人の問題意識の深さにもよるが、少なくとも子どもの世界だけ
をどうこうしようとしても意味がない。



たとえば少し前、援助交際が話題になったが、それが問題ではない。問題は、そういう環境を
見て見ぬふりをしているあなた自身にある。そうでないというのなら、あなたの仲間や、近隣の
人が、そういうところで遊んでいることについて、あなたはどれほどそれと闘っているだろうか。



私の知人の中には50歳にもなるというのに、テレクラ通いをしている男がいる。高校生の娘も
いる。そこで私はある日、その男にこう聞いた。



「君の娘が中年の男と援助交際をしていたら、君は許せるか」と。するとその男は笑いながら、
こう言った。「うちの娘は、そういうことはしないよ。うちの娘はまともだからね」と。



私は「相手の男を許せるか」という意味で聞いたのに、その知人は、「援助交際をする女性が
悪い」と。こういうおめでたさが積もり積もって、社会をゆがめる。子どもの世界をゆがめる。そ
れが問題なのだ。



●悪と戦って、はじめて善人



 よいことをするから善人になるのではない。悪いことをしないから、善人というわけでもない。
悪と戦ってはじめて、人は善人になる。そういう視点をもったとき、あなたの社会を見る目は、
大きく変わる。子どもの世界も変わる。



(参考)

 子どもたちへ



 魚は陸にあがらないよね。

 鳥は水の中に入らないよね。

 そんなことをすれば死んでしまうこと、

 みんな、知っているからね。

 そういうのを常識って言うんだよね。



 みんなもね、自分の心に

 静かに耳を傾けてみてごらん。

 きっとその常識の声が聞こえてくるよ。

 してはいけないこと、

 しなければならないこと、

 それを教えてくれるよ。



 ほかの人へのやさしさや思いやりは、

 ここちよい響きがするだろ。

 ほかの人を裏切ったり、

 いじめたりすることは、

 いやな響きがするだろ。

 みんなの心は、もうそれを知っているんだよ。

 

 あとはその常識に従えばいい。

 だってね、人間はね、

 その常識のおかげで、

 何一〇万年もの間、生きてきたんだもの。

 これからもその常識に従えばね、

 みんな仲よく、生きられるよ。

 わかったかな。

 そういう自分自身の常識を、

 もっともっとみがいて、

 そしてそれを、大切にしようね。

(詩集「子どもたちへ」より)



++++++++++++++++++



神や仏も教育者だと思うとき 



●仏壇でサンタクロースに……? 



 小学一年生のときのことだった。私はクリスマスのプレゼントに、赤いブルドーザーのおもち
ゃが、ほしくてほしくてたまらなかった。母に聞くと、「サンタクロースに頼め」と。そこで私は、仏
壇の前で手をあわせて祈った。



仏壇の前で、サンタクロースに祈るというのもおかしな話だが、私にはそれしか思いつかなか
った。



 かく言う私だが、無心論者と言う割には、結構、信仰深いところもあった。年始の初詣は欠か
したことはないし、仏事もそれなりに大切にしてきた。が、それが一転するできごとがあった。



ある英語塾で講師をしていたときのこと。高校生の前で『サダコ(禎子)』(広島平和公園の中に
ある、「原爆の子の像」のモデルとなった少女)という本を、読んで訳していたときのことだ。



私は一行読むごとに涙があふれ、まともにその本を読むことができなかった。そのとき以来、
私は神や仏に願い事をするのをやめた。「私より何万倍も、神や仏の力を必要としている人が
いる。私より何万倍も真剣に、神や仏に祈った人がいる」と。いや、何かの願い事をしようと思
っても、そういう人たちに申し訳なくて、できなくなってしまった。



●身勝手な祈り



 「奇跡」という言葉がある。しかし奇跡などそう起こるはずもないし、いわんや私のような人間
に起こることなどありえない。「願いごと」にしてもそうだ。「クジが当たりますように」とか、「商売
が繁盛しますように」とか。そんなふうに祈る人は多いが、しかしそんなことにいちいち手を貸
す神や仏など、いるはずがない。いたとしたらインチキだ。



一方、今、小学生たちの間で、占いやおまじないが流行している。携帯電話の運勢占いコーナ
ーには、1日100万件近いアクセスがあるという(テレビ報道)。



どうせその程度の人が、でまかせで作っているコーナーなのだろうが、それにしても1日100
万件とは! 



あの『ドラえもん』の中には、「どこでも電話」というのが登場する。今からたった25年前には、
「ありえない電話」だったのが、今では幼児だって持っている。奇跡といえば、よっぽどこちらの
ほうが奇跡だ。



その奇跡のような携帯電話を使って、「運勢占い」とは……? 人間の理性というのは、文明
が発達すればするほど、退化するものなのか。話はそれたが、こんな子ども(小5男児)がい
た。窓の外をじっと見つめていたので、「何をしているのだ」と聞くと、こう言った。「先生、ぼくは
超能力がほしい。超能力があれば、あのビルを吹っ飛ばすことができる!」と。



●難解な仏教論も教育者の目で見ると



 ところで難解な仏教論も、教育にあてはめて考えてみると、突然わかりやすくなることがあ
る。



たとえば親鸞の『回向論(えこうろん)』。『(善人は浄土へ行ける。)いわんや悪人をや』という、
あの回向論である。



これを仏教的に解釈すると、「念仏を唱えるにしても、信心をするにしても、それは仏の命令に
よってしているにすぎない。だから信心しているものには、真実はなく、悪や虚偽に包まれては
いても、仏から真実を与えられているから、浄土へ行ける……」(大日本百科事典・石田瑞麿
氏)となる。



しかしこれでは意味がわからない。こうした解釈を読んでいると、何がなんだかさっぱりわから
なくなる。宗教哲学者の悪いクセだ。読んだ人を、言葉の煙で包んでしまう。要するに親鸞が
言わんとしていることは、「善人が浄土へ行けるのは当たり前のことではないか。悪人が念仏
を唱えるから、そこに信仰の意味がある。つまりそういう人ほど、浄土へ行ける」と。しかしそれ
でもまだよくわからない。



 そこでこう考えたらどうだろうか。「頭のよい子どもが、テストでよい点をとるのは当たり前のこ
とではないか。頭のよくない子どもが、よい点をとるところに意味がある。つまりそういう子ども
こそ、ほめられるべきだ」と。



もう少し別のたとえで言えば、こうなる。「問題のない子どもを教育するのは、簡単なことだ。そ
ういうのは教育とは言わない。問題のある子どもを教育するから、そこに教育の意味がある。
またそれを教育という」と。私にはこんな経験がある。



●バカげた地獄論



 ずいぶんと昔のことだが、私はある宗教教団を批判する記事を、ある雑誌に書いた。その教
団の指導書に、こんなことが書いてあったからだ。



いわく、「この宗教を否定する者は、無間地獄に落ちる。他宗教を信じている者ほど、身体障
害者が多いのは、そのためだ」(N宗機関誌)と。こんな文章を、身体に障害のある人が読んだ
ら、どう思うだろうか。あるいはその教団には、身体に障害のある人はいないとでもいうのだろ
うか。



が、その直後からあやしげな人たちが私の近辺に出没し、私の悪口を言いふらすようになっ
た。「今に、あの家族は、地獄へ落ちる」と。こういうものの考え方は、明らかにまちがってい
る。他人が地獄へ落ちそうだったら、その人が地獄へ落ちないように祈ってやることこそ、彼ら
が言うところの慈悲ではないのか。



私だっていつも、批判されている。子どもたちにさえ、批判されている。中には「バカヤロー」と
悪態をついて教室を出ていく子どももいる。しかしそういうときでも、私は「この子は苦労するだ
ろうな」とは思っても、「苦労すればいい」とは思わない。



神や仏ではない私だって、それくらいのことは考える。いわんや神や仏をや。批判されたくらい
で、いちいちその批判した人を地獄へ落とすようなら、それはもう神や仏ではない。悪魔だ。



だいたいにおいて、地獄とは何か? 子育てで失敗したり、問題のある子どもをもつということ
が地獄なのか。しかしそれは地獄でも何でもない。教育者の目を通して見ると、そんなことまで
わかる。



●キリストも釈迦も教育者?



 そこで私は、ときどきこう思う。キリストにせよ釈迦にせよ、もともとは教師ではなかったか、
と。ここに書いたように、教師の立場で、聖書を読んだり、経典を読んだりすると、意外とよく理
解できる。



さらに一歩進んで、神や仏の気持ちが理解できることがある。たとえば「先生、先生……」と、
すり寄ってくる子どもがいる。しかしそういうとき私は、「自分でしなさい」と突き放す。「何とかい
い成績をとらせてください」と言ってきたときもそうだ。



いちいち子どもの願いごとをかなえてやっていたら、その子どもはドラ息子になるだけ。自分で
努力することをやめてしまう。そうなればなったで、かえってその子どものためにならない。



人間全体についても同じ。スーパーパワーで病気を治したり、国を治めたりしたら、人間は自ら
努力することをやめてしまう。医学も政治学もそこでストップしてしまう。それはまずい。しかしそ
う考えるのは、まさに神や仏の心境と言ってもよい。



 そうそうあのクリスマス。朝起きてみると、そこにあったのは、赤いブルドーザーではなく、赤
い自動車だった。私は子どもながらに、「神様もいいかげんだな」と思ったのを、今でもはっきり
と覚えている。



+++++++++++++++++



第2の鉄則と、第3の鉄則は、

「あるがままに、世界を受けいれよう」

「自然で、自由に生きよう」である。

それについても、以前、こんな原稿を

書いたことがある。

なお私がいう「自由」とは、「自らに由(よ)る」

という意味である。

好き勝手なことを、気ままにすることを

自由とは言わない。



+++++++++++++++++



●今を生きる子育て論



 英語に、『休息を求めて疲れる』という格言がある。愚かな生き方の代名詞のようにもなって
いる格言である。



「いつか楽になろう、なろうと思ってがんばっているうちに、疲れてしまって、結局は何もできなく
なる」という意味だが、この格言は、言外で、「そういう生き方をしてはいけません」と教えてい
る。



 たとえば子どもの教育。幼稚園教育は、小学校へ入るための準備教育と考えている人がい
る。同じように、小学校は、中学校へ入るため。中学校は、高校へ入るため。高校は大学へ入
るため。そして大学は、よき社会人になるため、と。



こうした子育て観、つまり常に「現在」を「未来」のために犠牲にするという生き方は、ここでいう
愚かな生き方そのものと言ってもよい。いつまでたっても子どもたちは、自分の人生を、自分
のものにすることができない。



あるいは社会へ出てからも、そういう生き方が基本になっているから、結局は自分の人生を無
駄にしてしまう。「やっと楽になったと思ったら、人生も終わっていた……」と。



 ロビン・ウィリアムズが主演する、『今を生きる』という映画があった。「今という時を、偽らずに
生きよう」と教える教師。一方、進学指導中心の学校教育。この二つのはざまで、一人の高校
生が自殺に追いこまれるという映画である。



この「今を生きる」という生き方が、『休息を求めて疲れる』という生き方の、正反対の位置にあ
る。これは私の勝手な解釈によるもので、異論のある人もいるかもしれない。しかし今、あなた
の周囲を見回してみてほしい。あなたの目に映るのは、「今」という現実であって、過去や未来
などというものは、どこにもない。あると思うのは、心の中だけ。



だったら精一杯、この「今」の中で、自分を輝かせて生きることこそ、大切ではないのか。子ど
もたちとて同じ。子どもたちにはすばらしい感性がある。しかも純粋で健康だ。そういう子ども
時代は子ども時代として、精一杯その時代を、心豊かに生きることこそ、大切ではないのか。



 もちろん私は、未来に向かって努力することまで否定しているのではない。「今を生きる」とい
うことは、享楽的に生きるということではない。しかし同じように努力するといっても、そのつどな
すべきことをするという姿勢に変えれば、ものの考え方が一変する。



たとえば私は生徒たちには、いつもこう言っている。「今、やるべきことをやろうではないか。そ
れでいい。結果はあとからついてくるもの。学歴や名誉や地位などといったものを、真っ先に追
い求めたら、君たちの人生は、見苦しくなる」と。



 同じく英語には、こんな言い方がある。子どもが受験勉強などで苦しんでいると、親たちは子
どもに、こう言う。「ティク・イッツ・イージィ(気楽にしなさい)」と。



日本では「がんばれ!」と拍車をかけるのがふつうだが、反対に、「そんなにがんばらなくても
いいのよ」と。ごくふつうの日常会話だが、私はこういう会話の中に、欧米と日本の、子育て観
の基本的な違いを感ずる。その違いまで理解しないと、『休息を求めて疲れる』の本当の意味
がわからないのではないか……と、私は心配する。



+++++++++++++++++++



●己こそ、己のよるべ



 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。



法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。釈迦は、「自分こ
そが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。つまり「自分のことは自
分でせよ」と教えている。



 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、もともと
「自らに由(よ)る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行動し、自
分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは言わない。子育て
の基本は、この「自由」にある。



 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれるタイ
プの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込んでくる。



私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」

母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう言いなさ
い」

私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」

母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」と。



 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を変え
て、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。ある母親は今の夫と
いやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつになったら、あなたは、ちゃん
とできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。



 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるいは自
分で行動させない。



いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、精神面での過保護。「乱暴な
子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のもとだけで子育てをするなど。子どもは
精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子どもになる。外へ出す
と、すぐ風邪をひく。



 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がない。自
分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同士が喧嘩をし
ているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り飛ばしたい衝動に
かられます」と。



また別の母親は、自分の息子(中2)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。警察で最
後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。たまたまその場に
居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机を叩いたりして、手が
つけられなかった」と話してくれた。



 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、子
どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。



+++++++++++++++++



 自分を客観的に見るということと、

他者との共鳴性については、一見、

正反対の位置にあるように思う人が

いるかもしれないが、この両者は、

紙にたとえて言うなら、(表)と(裏)

の関係にある。



 つまり自分の視点を、他人の目の中に

置いてみる。その他人の目を通して、自分を見る。

その人自身の心の中を見る。



 方法は簡単である。



 たとえば通勤電車の中に座ったとしてみよう。

通路をはさんで、その向こうには、

ほかの客たちが座っている。



 そのとき、それぞれの客の中に、

自分を置いてみればよい。

最初は、「相手から見ると、自分はどんなふうに見えるだろう」

と想像するだけでよい。

あなたが相手を見るように、相手から見る自分を想像する。



 これを繰りかえしていると、自分の姿が、

より客観的に見えるようになると同時に、

その人の心の中に、入りこむことができる。

それがここでいう「共鳴性」ということになる。



 その「共鳴性」は、人格の完成度を知るための、

ひとつのバロメーターにもなっている。



 以前、子どもの人格論について、こんな原稿を

書いた。



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【子どもの人格】



●社会適応性



 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。



(1)共感性

(2)自己認知力

(3)自己統制力

(4)粘り強さ

(5)楽観性

(6)柔軟性



 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子
どもとみる(「EQ論」)。



 順に考えてみよう。



(1)共感性



 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、
「共感性」ということになる。



 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲し
み、悩みを、共感できるかどうかということ。



 その反対側に位置するのが、自己中心性である。



 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その
自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。



 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの
自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世
間体意識へと、変質することもある。



(2)自己認知力



 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何を
したいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。



 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわから
ない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔
不断。



反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っているこ
とを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多
い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。



(3)自己統制力



 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どもの
ばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。



 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにため
て、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。



 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのた
めに使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓
子をみな、食べてしまうなど。



 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にし
たり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い
子どもとみる。



 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に
分けて考える。



(4)粘り強さ



 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。



 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある
子どもでも、短気な子どもは多い。



 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気にな
る。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どもも
いる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。



 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。



(5)楽観性



 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、も
のを考えていく。



 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところ
で、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすること
もある。



 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。



 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にも
よるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。



 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言え
ば、楽観的。超・楽観的。



 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」と。そこで
「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなか
ったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。



 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人
もいる。



(6)柔軟性



 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。



 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考える前に、
それについて、書いたのが、つぎの原稿である。



+++++++++++++++++



●子どもの意地



 こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚園へ
行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。



そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。しかし幼
稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもながらに、それは
ずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、幼稚園にいることに
なった。またこんな子ども(年長男児)もいた。



 レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さんが、「お兄
ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。そこで母親はもう
一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザを食べたという。



「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。

 

今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなった。心理学の
世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SELFとかいう。少し昔の日本人
は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使うが、どこか暴力的で、私は好きではない
が……。)



教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリとしている。
ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。



 ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がきかなくな
ることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、がんこ。また
「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。



がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方法で対
処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)を大切にする。



++++++++++++++++++



 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことにこだわ
り、そこから一歩も、抜け出られなくなる。



 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常なこ
だわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。



 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先生に、
一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、など。



 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(がんこさ)を
示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わがまま」と決めてか
かって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめる。症状をこじらせる。



 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、臨
機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔軟な子
どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。



 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」というが…
…。)



 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここでいう人
格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。



【子ども診断テスト】



(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。

(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。

(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。

(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。

(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。

(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。

(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。



 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた子ども
とみる。

(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)



【付録】*******************************



 最後に、では、あなたの子どもはどうか、

(あなた自身でもよいが)、

その診断テストを考えてみたので、ここにあげる。



****************



【子どもの心の発達・診断テスト】



****************



【社会適応性・EQ検査】(P・サロヴェイ)



●社会適応性



 子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。



(1)共感性

Q:友だちに、何か、手伝いを頼まれました。そのとき、あなたの子どもは……。



(1)いつも喜んでするようだ。

(2)ときとばあいによるようだ。

(3)いやがってしないことが多い。





(2)自己認知力

Q:親どうしが会話を始めました。大切な話をしています。そのとき、あなたの子どもは……



(1)雰囲気を察して、静かに待っている。(4点)

(2)しばらくすると、いつものように騒ぎだす。(2点)

(3)聞き分けガなく、「帰ろう」とか言って、親を困らせる。(0点)





(3)自己統制力

Q;冷蔵庫にあなたの子どものほしがりそうな食べ物があります。そのとき、あなたの子どもは
……。



○親が「いい」と言うまで、食べない。安心していることができる。(4点)

○ときどき、親の目を盗んで、食べてしまうことがある。(2点)

○まったくアテにならない。親がいないと、好き勝手なことをする。(0点)





(4)粘り強さ

Q:子どもが自ら進んで、何かを作り始めました。そのとき、あなたの子どもは……。



○最後まで、何だかんだと言いながらも、仕あげる。(4点)

○だいたいは、仕あげるが、途中で投げだすこともある。(2点)

○たいていいつも、途中で投げだす。あきっぽいところがある。(0点)



(5)楽観性

Q:あなたの子どもが、何かのことで、大きな失敗をしました。そのとき、あなたの子どもは…
…。



○割と早く、ケロッとして、忘れてしまうようだ。クヨクヨしない。(4点)

○ときどき思い悩むことはあるようだが、つぎの行動に移ることができる。(2点)

○いつまでもそれを苦にして、前に進めないときが多い。(0点)

 



(6)柔軟性

Q:あなたの子どもの日常生活を見たとき、あなたの子どもは……



○友だちも多く、多芸多才。いつも変わったことを楽しんでいる。(4点)

○友だちは少ないほう。趣味も、限られている。(2点)

○何かにこだわることがある。がんこ。融通がきかない。(0点)



***************************





(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。

(  )自分の立場を、いつもよくわきまえている(自己認知力)。

(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。

(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。

(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。

(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。

(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。





 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子
どもとみる(「EQ論」)。



***************************



順に考えてみよう。



(1)共感性



 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、
「共感性」ということになる。



 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲し
み、悩みを、共感できるかどうかということ。



 その反対側に位置するのが、自己中心性である。



 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その
自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。



 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの
自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世
間体意識へと、変質することもある。



(2)自己認知力



 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何を
したいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。



 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわから
ない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔
不断。



反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っているこ
とを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多
い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。



(3)自己統制力



 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どもの
ばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。



 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにため
て、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。



 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのた
めに使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓
子をみな、食べてしまうなど。



 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にし
たり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い
子どもとみる。



 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に
分けて考える。



(4)粘り強さ



 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。



 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある
子どもでも、短気な子どもは多い。



 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気にな
る。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どもも
いる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。



 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。



(1)楽観性



 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、も
のを考えていく。



 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところ
で、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすること
もある。



 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。



 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にも
よるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。



 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言え
ば、楽観的。超・楽観的。



 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」と。そこで
「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなか
ったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。



 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人
もいる。



(2)柔軟性



 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。



 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。



 一般論として、(がんこ)は、子どもの心の発達には、好ましいことではない。かたくなになる、
かたまる、がんこになる。こうした行動を、固執行動という。広く、情緒に何らかの問題がある
子どもは、何らかの固執行動を見せることが多い。



 朝、幼稚園の先生が、自宅まで迎えにくるのだが、3年間、ただの一度もあいさつをしなかっ
た子どもがいた。



 いつも青いズボンでないと、幼稚園へ行かなかった子どもがいた。その子どもは、幼稚園で
も、決まった席でないと、絶対にすわろうとしなかった。



 何かの問題を解いて、先生が、「やりなおしてみよう」と声をかけただけで、かたまってしまう
子どもがいた。



 先生が、「今日はいい天気だね」と声をかけたとき、「雲があるから、いい天気ではない」と、
最後までがんばった子どもがいた。



 症状は千差万別だが、子どもの柔軟性は、柔軟でない子どもと比較して知ることができる。
柔軟な子どもは、ごく自然な形で、集団の中で、行動できる。



+++++++++++++++++++++



 EQ(Emotional Intelligence Quotient)は、アメリカのイエール大学心理学部教授。ピーター・
サロヴェイ博士と、ニューハンプシャー大学心理学部教授ジョン・メイヤー博士によって理論化
された概念で、日本では「情動(こころ)の知能指数」と訳されている(Emotional Educatio
n、by JESDA Websiteより転写。)



++++++++++++++++++++



【EQ】



 ピーター・サロヴェイ(アメリカ・イエール大学心理学部教授)の説く、「EQ(Emotional Intell
igence Quotient)」、つまり、「情動の知能指数」では、主に、つぎの3点を重視する。



(1)自己管理能力

(2)良好な対人関係

(3)他者との良好な共感性



 ここではP・サロヴェイのEQ論を、少し発展させて考えてみたい。



 自己管理能力には、行動面の管理能力、精神面の管理能力、そして感情面の管理能力が
含まれる。



○行動面の管理能力



 行動も、精神によって左右されるというのであれば、行動面の管理能力は、精神面の管理能
力ということになる。が、精神面だけの管理能力だけでは、行動面の管理能力は、果たせな
い。



 たとえば、「銀行強盗でもして、大金を手に入れてみたい」と思うことと、実際、それを行動に
移すことの間には、大きな距離がある。実際、仲間と組んで、強盗をする段階になっても、その
時点で、これまた迷うかもしれない。



 精神的な決断イコール、行動というわけではない。たとえば行動面の管理能力が崩壊した例
としては、自傷行為がある。突然、高いところから、発作的に飛びおりるなど。その人の生死に
かかわる問題でありながら、そのコントロールができなくなってしまう。広く、自殺行為も、それ
に含まれるかもしれない。



 もう少し日常的な例として、寒い夜、ジョッギングに出かけるという場面を考えてみよう。



そういうときというのは、「寒いからいやだ」という抵抗感と、「健康のためにはしたほうがよい」
という、二つの思いが、心の中で、真正面から対立する。ジョッギングに行くにしても、「いやだ」
という思いと戦わねばならない。



 さらに反対に、悪の道から、自分を遠ざけるというのも、これに含まれる。タバコをすすめら
れて、そのままタバコを吸い始める子どもと、そうでない子どもがいる。悪の道に染まりやすい
子どもは、それだけ行動の管理能力の弱い子どもとみる。



 こうして考えてみると、私たちの行動は、いつも(すべきこと・してはいけないこと)という、行動
面の管理能力によって、管理されているのがわかる。それがしっかりとできるかどうかで、その
人の人格の完成度を知ることができる。



 この点について、フロイトも着目し、行動面の管理能力の高い人を、「超自我の人」、「自我の
人」、そうでない人を、「エスの人」と呼んでいる。



○精神面の管理能力



 私には、いくつかの恐怖症がある。閉所恐怖症、高所恐怖症にはじまって、スピード恐怖症、
飛行機恐怖症など。



 精神的な欠陥もある。



 私のばあい、いくつか問題が重なって起きたりすると、その大小、軽重が、正確に判断できな
くなってしまう。それは書庫で、同時に、いくつかのものをさがすときの心理状態に似ている。
(私は、子どものころから、さがじものが苦手。かんしゃく発作のある子どもだったかもしれな
い。)



 具体的には、パニック状態になってしまう。



 こうした精神作用が、いつも私を取り巻いていて、そのつど、私の精神状態に影響を与える。



 そこで大切なことは、いつもそういう自分の精神状態を客観的に把握して、自分自身をコント
ロールしていくということ。



 たとえば乱暴な運転をするタクシーに乗ったとする。私は、スピード恐怖症だから、そういうと
き、座席に深く頭を沈め、深呼吸を繰りかえす。スピードがこわいというより、そんなわけで、そ
ういうタクシーに乗ると、神経をすり減らす。ときには、タクシーをおりたとたん、ヘナヘナと地面
にすわりこんでしまうこともある。



 そういうとき、私は、精神のコントロールのむずかしさを、あらためて、思い知らされる。「わか
っているけど、どうにもならない」という状態か。つまりこの点については、私の人格の完成度
は、低いということになる。



○感情面の管理能力



 「つい、カーッとなってしまって……」と言う人は、それだけ感情面の管理能力の低い人という
ことになる。



 この感情面の管理能力で問題になるのは、その管理能力というよりは、その能力がないこと
により、良好な人間関係が結べなくなってしまうということ。私の知りあいの中にも、ふだんは、
快活で明るいのだが、ちょっとしたことで、激怒して、怒鳴り散らす人がいる。



 つきあう側としては、そういう人は、不安でならない。だから結果として、遠ざかる。その人は
いつも、私に電話をかけてきて、「遊びにこい」と言う。しかし、私としては、どうしても足が遠の
いてしまう。



 しかし人間は、まさに感情の動物。そのつど、喜怒哀楽の情を表現しながら、無数のドラマを
つくっていく。感情を否定してはいけない。問題は、その感情を、どう管理するかである。



 私のばあい、私のワイフと比較しても、そのつど、感情に流されやすい人間である。(ワイフ
は、感情的には、きわめて完成度の高い女性である。結婚してから30年近くになるが、感情
的に混乱状態になって、ワーワーと泣きわめく姿を見たことがない。大声を出して、相手を罵倒
したのを、見たことがない。)



 一方、私は、いつも、大声を出して、何やら騒いでいる。「つい、カーッとなってしまって……」
ということが、よくある。つまり感情の管理能力が、低い。



 が、こうした欠陥は、簡単には、なおらない。自分でもなおそうと思ったことはあるが、結局
は、だめだった。



 で、つぎに私がしたことは、そういう欠陥が私にはあると認めたこと。認めた上で、そのつど、
自分の感情と戦うようにしたこと。そういう点では、ものをこうして書くというのは。とてもよいこと
だと思う。書きながら、自分を冷静に見つめることができる。



 また感情的になったときは、その場では、判断するのを、ひかえる。たいていは黙って、その
場をやり過ごす。「今のぼくは、本当のぼくではないぞ」と、である。



(2)の「良好な対人関係」と、(3)の「他者との良好な共感性」については、また別の機会に考
えてみたい。

(はやし浩司 管理能力 人格の完成度 サロヴェイ 行動の管理能力 EQ EQ論 人格の
完成 はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
人格の完成度 自己実現 人間性の確立)






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14
【金権教】

●ぜいたくな悩み

+++++++++++++++++++++

悩みといっても、本来、悩むような問題ではないかもしれない。
ぜいたくな悩みということは、よくわかっている。
この地球上では、約3分の1の人たちが、飢餓状態に
あると言われている。
食べるのもなくて、困っている。

が、そういう中、私は今、ときどきこんな選択に迫られる。

「食べたら損なのか?」「食べなければ損なのか?」と。

+++++++++++++++++++++

●レストランで……

 昨日、ワイフの誕生日祝いということで、郊外のホテルで昼食をとった。
フルコースの半分の、ハーフコースというのを注文した。
肉料理を省略したコースをいう。

 そのコースのあと、最後にデザートが出た。
最近はやりの、バイキング・デザートというのである。
10種類くらいのケーキから、好きなのを選んで、いくらでも食べられる。

 私はイチゴ系のケーキ、ワイフはオレンジ系のケーキを選んだ。
1個というよりは、ひとかけらと言ったほうがよい。
小さなケーキだった。
で、それを食べ終わるころ、ボーイが、「ほかに、どれになさいますか?」と
聞いてきた。
そのときのこと。
またあの選択が頭の中を横切った。

「食べたら損なのか?」「食べなければ損なのか?」と。

 私は現在、ダイエット中。
昨日の朝、体重計に乗ってみたら、目標にしていた63キロ台!
この1か月半で、約5キロの減量に成功した。
「何としても、今の体重を維持しよう」と、心に決めていた、その矢先のことである。

 私はググーッとわいてくる食欲を懸命に抑えながら、「もう結構です」と答えた。
「食べたら損」のほうを、選択した。

●ムダ肉

 脂肪細胞というのは、わかりやすく言えば、エネルギーの貯蔵庫のようなもの。
ノートパソコンにたとえるなら、バッテリーのようなもの。
たとえば数日おきくらいにしか食べ物にありつけないような環境なら、脂肪細胞も
必要。
脂肪細胞にエネルギーを貯蔵しておく必要がある。

 しかし現在の日本のように、1日3食、もしくは2食、食べるのが当たり前になって
いるような国では、脂肪細胞にエネルギーを貯蔵しても、意味はない。
その必要もない。
必要なエネルギーは、そのつど摂(と)ればよい。
それに体は軽ければ軽いほどよい。
運動量もふえるから、筋肉も鍛えられる。
それが良循環となって、肉体は健康になる。
ポテポテとした肉体を引きずっていて、よいことは、何もない。

 が、どうしてか、「食べなければ損」という意識が、いつも働く。
どうしてだろう?
つまりこんなところでも、マネーの論理が働く。
「同じ値段なのだから、たくさん食べなければ損」と。
言い換えると、その人の健康観まで、マネーに毒されている(?)。
これは忌々(ゆゆ)しき問題と考えてよい。

●金銭的感覚

が、「損とは何か?」「得とは何か?」、それを考えていくと、
その先が、灰色のモヤに包まれてしまう。
何をもって、人は、得といい、何をもって、人は、損というのか?

いちばんわかりやすい例でいえば、金銭的な損と得がある。
数字が大きくなることを、「儲けた」といい、数字が小さくなることを、
「損した」という。
しかしそれにも限界がある。
金(マネー)に毒されすぎると、何が大切で、何がそうでないか、
わからなくなってしまう。
ときに人の命まで、金銭的感覚で、判断してしまう。
自分の人生まで、金銭的感覚で、判断してしまう。

●○○鑑定団

私の大嫌いなテレビ番組に、『○○鑑定団』というのがある。
いろいろな人が、いろいろなものをもちよって、その値段を
「鑑定」するという、あの番組である。
しばらくああいう番組を見つづけていると、ものの価値まで、金銭的感覚で、
判断してしまうようになる。
(……なってしまった。)

「この絵は、200万円の価値があるから、すばらしい絵だ」
「あの絵は、10万円の価値しかないから、つまらない絵だ」とか、など。

その絵にしても、有名人(?)の描いたものほど、値段が高い。
が、もし、ものの価値のみならず、美術的価値まで、金銭的感覚で判断する
ようになってしまったら、「美術とはいったい、何か?」ということに
なってしまう。

 モノならまだしも、自分の健康となると、そうはいかない。
またそうであってはいけない。

●社会のCPU(中央演算装置)

 話は少し脱線する。

世の中には、「カルト」と呼ばれる、宗教団体がある。
正確には、「宗教的団体」と言うべきか。
で、そういう団体に属する信者の人たちと話していて、いつも不思議に思うことがある。
10年前に、世間を騒がせた、あの宗教団体の信者の人たちにしても、そうだ。
会って、個人的に話をしている間は、ごくふつうの、どこにでもいるような人。
そういう狂信的な団体に属しているから、どこかおかしいのでは(?)と思って観察して
みるのだが、そういうことはない。
どこもおかしくない。
冗談も通ずる。
ふつうの常識も、もっている。

 が、全体として、つまりその団体を全体としてみると、やはりおかしい(?)。
集団となったとき、反社会的な行為を繰り返す。
団体の教義を批判したり、否定したりすると、彼らは猛烈にそれに対して反発する。
あるいはそのまま私たちを、ワクの外にはじき飛ばしてしまう。

 ……これは「カルト」と呼ばれるカルト教団の話である。
が、実は、私たちも全体として、同じような宗教を信仰しているのではないか。
「マネー教」というカルト教である。
その信者でいながら、全体がそうであるから、それに気がつかない。
そういうことは、じゅうぶん考えられる。

つまり社会のCPU(中央演算装置)そのものが狂っているから、その(狂い)すら、
自分で気がつくことができない。

●私の子ども時代

 このことは、私の子ども時代と比較してみてもわかる。
当時の特徴を2つに分けるとこうなる。

(1)戦時中の軍国主義的な色彩が、まだ残っていた。
(2)その時代につづく金権主義の色彩は、まだ薄かった。

 軍国主義的な色彩というのは、たとえば教育の世界にも強く残っていた。
(学校の先生)にしても、戦時中のままの教え方をする人もいた。
反対に民主主義的な(?)教え方をする人もいた。
それがおもしろいほど、両極端に分かれていた。

 一方当時は、まだ牧歌的な温もりが残っていた。
私の父にしても、将棋をさしながら、仕事をしていた。
将棋に熱中してくると、客を待たせて将棋をさしていたこともある。
客が、その将棋に加わることもあった。

 そういう時代と比べてみると、たしかに(現代)はおかしい。
狂っている。
が、みな狂っているから、それが見えない。
わからない。

●飽食の時代の中で

 アメリカ(USA)では、肥満をテーマにしたエッセーを書くのは、タブーだそうだ。
それだけで、「差別」ととらえられるらしい。
しかしご存知のように、アメリカ人の肥満には、ものすごいものがある。
どうすごいかは、見たとおり。
あの国では、肥満でない人をさがすほうが、むずかしい。

 で、最近、私は日本もそうなりつつあるのを、感ずる。
アメリカ人型の肥満がふえているように思う。
飽食のせいというよりは、アメリカ型食生活の影響ではないか。
ともかくも、そういった人たちは、よく食べる。

このことは以前にも書いたが、浜松市の郊外に、バイキング料理の店がある。
ランチタイム時は、1人、1200円で、食べ放題。
そういうところで食事をしている人を見ると、まさに「食べなければ損」といった感じ。
デザートのケーキでも、一個を一口で食べている。
パク、パク、パク……の3回で、3個!

 食事を楽しんでいるというよりは、食欲の奴隷。
「食べる」というよりは、「食べさせられている」。
そんな印象すら、もつ。
もちろんそういう人たちは、例外なく、太っている。
歩くのも苦しそう。

 しかしそういう人ほど、「食べたら、損」なはず。
食べれば食べるほど、健康を害する。
が、そういう人たちほど、よく食べる。

●散歩の途中で

 私たちの日常生活は、マネーにあまりにも毒されすぎている。
それに気づかないまま、毒されすぎている。
芸術も文化も、マネー、マネー、マネー。
ついでに健康までも、マネー、マネー、マネー。
その一例として、「食べなければ損」について考えてみた。

 しかしどうして「食べなければ損」なのか。
たまたま今日、ワイフと散歩しながら、途中でラーメン屋に寄った。
今度から「ランチ・メニュー」が始まった。
ラーメン+ギョーザ+ミニ・チャーハンの3点セットで、580円。
安い!
私は、チャーシュー丼を注文した。
ワイフは、ランチセットを注文した。
が、とても2人で食べられるような量ではない。
ランチセットを2人で分けても、まだ量が多すぎる。
しかし1人分の料理を、2人で分けてたべるというのも、気が引ける。
で、2人分、頼んだ。

 が、そこでもあの選択。
「食べたら損」なのか、「食べなければ損」なのか?

 私はチャーシュー丼には、ほとんど口をつけなかった。
そのかわり、ワイフが注文したランチセットを、2人で分けて食べた。
が、それでもラーメンの麺は、40%近く、食べないで、残した。

 大切なことは、「ラーメンの味を楽しんだ」という事実。
味を楽しめばじゅうぶん。
目的は達した。
「もったいないから、食べてしまおう」と思ったとたん、マネー教の虜(とりこ)
になってしまう。

●マネー教からの脱出

 お金がなければ不幸になる。
しかしお金では、幸福は買えない。
心の満足感も買えない。
お金の力には、限界がある。
が、その一方で、人間の欲望には、際限がない。
その(際限なさ)が、ときとして、心をゆがめる。
ゆがめるだけではない。
大切なものを、大切でないと思い込ませたり、大切でないものを、大切と
思い込ませたりする。

 子どもの世界でそれを考えると、よくわかる。

 10年ほど前のこと。
1人の女の子(小学生)が、(たまごっち)というゲームで遊んでいた。
私はそれを借りて、あちこちをいじった。
とたん、あの(たまごっち)が死んでしまった。
その女の子は、「たまごっちが死んでしまったア!」と、大声で泣き出した。

 私たちはそういう女の子を見ると笑う。
しかし本当のところ、私たちはその女の子と変わらないことを、日常的に
繰り返している。
繰り返しながら、それに気づかないでいる。

●ではどうするか?

 私たちはカルト教団の信者を見て、笑う。
「私たちは、あんなバカではない」と。
しかし同じようなバカなことをしながら、そういう自分に気づくことはない。
自分を知るというのは、それくらい難しい。

 つまり自分自身を、そうしたカルト教団の信者に置き換えてみればよい。
あなたならそういう信者を、どのようにして説得し、教団から抜けださせることが
できるだろうか。

 いきなり頭から「あなたは、まちがっている!」と言ってはいけない。
梯子(はしご)をはずすのは簡単なこと。
大切なことは、同時に、その人に別の救いの道を提示すること。
それをしないで、一方的に、「あなたはまちがっている」と言ってはいけない。
同じように、自分に対して、「私はまちがっている」と思ってはいけない。
大切なことは、自分の中で、別の価値観を創りあげること。

 方法は、簡単。
常に、何が大切で、何が大切でないか、それを問い続ければよい。
何があっても、それを問い続ける。
あとは、時間が、あなたを導いてくれる。
やがてその向こうに、その(大切なもの)が、見えてくるようになる。

 (見えてくのもの)は、それぞれみなちがうだろう。
しかし見えてくる。
その価値観が優勢になったとき、マネー教はあなたの中から、姿を消す。

●食べたら損

 で、結論は、「食べたら損」ということになる。
いっときの欲望を満足させることはできるが、かえって健康を損(そこ)ねる。
同じように、いくらそのチャンスがあったとしても、人をだましたら、損。
ずるいことをしたら、損。
自分を偽ったら、損。
その分だけ、心の健康を損なう。

 「損(そん)」とは、もともと「損(そこ)なうこと」をいう。
失うことを、「損」というのではない。
が、今では、金銭的な損を、「損」という。
またそういうふうに考える人は多い。

 「食べたら損」なのか、「食べなければ損」なのか。
そういうふうに迷うときがあったら、あなたも勇気を出して、「食べたら損」を
選択してみたらどうだろうか。
たったそれだけのことだが、あなたの心に、何らかの変化をもたらすはず。

 ついでに言うなら、マネーが日本で、一般社会に流通するようになったのは、
江戸時代の中期ごろから。
このことについては、以前、私がかなり詳しく調べたから、まちがいない。
つまりそれまでは、日本人は、マネーとは無縁の生活をしていた。
私が子どものころでさえ、「マネー」を、おおっぴらに口にすることは、
卑しいこととされていた。
それが今は、一変した。
何でも、マネー、マネー、マネーとなった。
マネー教の信者になりながら、信者であることにさえ気がつかなくなってしまった。
その結果が、「今」ということになる。

(付記)

 「食べ物を残すことはもったいない」という意見に、一言。

レストランへ行くと、「お子様ランチ」というのがある。
同じように、「シルバー・ランチ」、もしくは「シルバー・メニュー」のようなものを、
もっと用意してほしい。

 最近の傾向として、レストランでの料理の量が、多くなってきたように感ずる。
全国規模で展開しているレストランほど、そうで、たいてい食べ残してしまう。
しかしこれは食料資源という面で、「もったいない」。
私も、そう思う。
だから高齢者向けに、高齢者用のメニューをふやしてほしい。

 「カロリー少なめ、塩分少なめ、糖分控え目、ハーフサイズ」とか。

 もちろん値段も、その分、安くしてほしい

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
Hiroshi Hayashi 林浩司 BW BW教室 マネー教 金権教 金権教団)


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

●金権教

+++++++++++++++++

お金がすべて……。
お金しか、信じない。
そういう人は、多い。
称して、「金権教」という。

+++++++++++++++++

●戦争の後遺症

あの戦争が残した最大の後遺症と言えば、
金権教と考えてよい。
それまでは天皇が神だった。
その天皇が人間宣言をして、神の座をおりた。
とたん、多くの日本人は、行き場を失ってしまった。
心のより所を失ってしまった。
戦後しばらくの間、放心状態になってしまった人も多い。
戦後、雨後の竹の子のように新興宗教が生まれたのも
そのためと考えてよい。

が、中でも最大の新興宗教といえば、金権教ということになる。
「マネー教」と言ってもよい。
「マネーがすべて」「マネーがあれば幸せ」「マネーがあれば、どんな
夢もかなう」と。
基本的には、現在の日本は、いまだにその(流れ)の中にある。

かなり大ざっぱな書き方をしたが、大筋ではまちがっていない。

●仕事第一主義

ひとつの価値観を妄信すると、他の別の価値観が犠牲になる。
これは私の価値観というよりは、私たちの世代に共通した価値観と言ってもよい。
今でこそ、「仕事より家族のほうが大切」と考える人は多い。
しかし私たちが、20代、30代のころは、そうではなかった。
「仕事か家族か」と問われれば、みな、まちがいなく「仕事」を選んだ。
「仕事あっての家族」と考える人もいた。

だから「仕事」という言葉は、それ自体が、トランプでいえば、ジョーカー
の働きをした。

A「明日、会合に出てくれますか?」
B「私は、仕事がありますから」
A「ああ、それなら結構です」と。

戦前の「お国のため」が、「会社のため」になった。
戦前の「兵士」が、「企業戦士」となった。
仕事第一主義は、そこから生まれた。
「会社人間」という言葉も、そこから生まれた。

しかしそれを裏から支えたのが、金権教ということになる。

●ぜいたくが当たり前

お金がなければ、不幸になる。
それは事実。
しかしお金では、幸福は買えない。
それもまた事実。
お金で私たちは欲望を満足させることはできる。
しかしその欲望には、際限がない。

戦後生まれの私たちと、今の人たちを比較するのもどうかと思うが、
いろいろな場面で、私は、その(ちがい)を強く感ずる。
とくに今の若い人たちの(ぜいたく)を見たりすると、ときに、それに
ついていけないときがある。

もう15年近くも前のことだが、こんなことがあった。
息子たちが、スキーに出かけた。
スキーをするということ自体、私たちの世代には、考えられないことだった。
どこかの金持ちの、最高のぜいたくということになっていた。
が、その息子が、手ぶらでスキーにでかけ、手ぶらで、スキーから帰ってきた。
「荷物はどうした?」と聞くと、息子たちは、平然とこう答えた。
「宅急便で送った」と。

私には、その(ぜいたくさ)が理解できなかった。
そこで息子たちを叱ったのだが、少しあとになって、そのことを友人に話すと、
「今は、みな、そうだ」という返事をもらった。

あとは、この繰り返し。
それが無数に積み重なって、現代という時代になった。

●あるのが当たり前

しかし今はよい。
何とか日本の経済は、持ちこたえている。
しかし日本の経済が、後退期に入ったら、どうなるか。

たとえば今では、子ども部屋といっても、完全冷暖房が常識。
夏は、一晩中、冷房をかけっぱなしにしている。
冬は、一晩中、暖房をかけっぱなしにしている。
今の子どもたちに、ボットン便所で用を足せと言っても、できないだろう。
何でも、「あるのが当たり前」という生活をしている。

これではいくらお金があっても、足りない。
足りないから、その負担は、結局は、親に回ってくる。
ざっと見聞きした範囲でも、現在、親から仕送りしてもらっている若い夫婦は、
約50%はいるとみてよい。
結婚式の費用、新居の費用、出産の費用などなど。
さらには子ども(=孫)のおけいこ代まで。

しかしこうした(ゆがんだ生活観)を支えているのも、金権教ということになる。
「お金を出してやれば、親子の絆(きずな)は深まるはず」
「お金を出してやれば、子どもは、それに感謝するはず」と。

子どもについて言えば、クリスマスのプレゼントにせよ、誕生日のプレゼントにせよ、
より高価なものであればあるほど、よいということになっている。

●金権教と闘う

金権教といっても、まさにカルト。
一度自分の体にしみついたカルトを抜くのは、容易なことではない。
長い時間をかけて、その人の人生観、さらには人生哲学になっている。

「あなたはまちがっていますよ」と言っても、意味はない。
その人は、かえって混乱状態に陥ってしまう。
言うなら言うで、それに代わる別の価値観を容易してやらなければならない。
……と書いたが、それは私たち自身の問題でもある。

金権教と闘うといっても、金権教自体と闘っても、意味はない。
自分の中に新しい価値観を構築し、その結果として、金権教と闘う。
金権教を自分の中で、無意味化する。

が、だからといって、マネーを否定せよとか、マネーには意味がないとか、
そんなことを言っているのではない。
現代社会では、マネーに背を向けては、生きていけない。
しかし毒されすぎるのも、危険と、私は言っている。
へたをすれば、人生そのものを、棒に振ってしまう。
事実、そういう人は多い。

そこでもしあなたに子どもがいるなら、育児の場で、金権教と闘ってみよう。

(1) 子どもには、ぜいたくをさせない。
(2) 子どもには、高価なものを買い与えない。
(3) 子どもには、必要なものだけを買い与える。

少しテーマがちがうが、あのバートランド・ラッセル(一八七二〜一九七〇)は、
こう書いている。

「子どもたちに尊敬されると同時に、子どもたちを尊敬し、必要なだけの訓練は施すけれど、決
して程度をこえないことを知っている、そんな両親たちのみが、家族の真の喜びを与えられる」
と。

要するに、「程度を超えない」ということ。


***************************

(追記)

【金権教】(2)

●「食べれば損(そこ)ねるか」「食べなければ損(そん)か」

 ワイフとこんな会話をした。
「食べれば損(そこ)ねるか」「食べなければ損(そん)か」と。
「損」という漢字は、「損(そこ)ねる」とも読める。
「損(そん)」とも読める。

 損ねるというのは、「体のどこかを傷(いた)める」という意味。
損するというのは、金銭的なロスをいう。
それをワイフに話すと、ワイフもすなおに賛成してくれた。
「(金銭的な意味で)、食べなきゃ、損と思っていると、
あっという間に太ってしまうわね」と。

私「じゃあ、金権(マネー)教の人は太りやすいということかな?」
ワ「そうねエ、食べ物を見て、すぐ金銭的な判断をする人は、食べなきゃ、
損を考えるかもね」
私「しかし自分の中から、金権教を抜くのは、たいへんなことだよ。
それまでの価値観を180度、変えなければならない人もいるから」と。

●金権教(マネー教)

 日本というより、世界中が、金権教(マネー教)の毒されている。
だから自分がその信者でいながら、その信者であることにさえ気がつかない。
そのことは隣の中国の人たちと比べてみてもわかる。
10年ほど前のことだが、実際に、こんなことがあった。

 子どもが川にはまって溺れた。
それを見て母親が周囲の人たちに助けを求めた。
で、中に1人、男が名乗り出てきて、こう言ったという。
「〜〜元、出してくれたら、助けてやる」と。

 こういう話を聞くと、日本人なら、「それはおかしい」と言う。
たしかにおかしい。
しかし当時の中国では、そうでなかったらしい?
あるいは中国でも特異な話だったかもしれない?
ともかくも金権教に毒されると、そういう発想で、世の中を見るようになる。

●ハイパーインフレ

 貧富の差が、さらに広がりつつあるという。
「ワーキングプア」という言葉にしても、新鮮味を失った。
今では、私もあなたも、みんなワーキングプア。

 一方、政府はジャブジャブどころか、どしゃ降り的に、マネーを
ばらまいている。
AS首相は世界へ行くたびに、その先々で、1兆円単位のマネーを
ばらまいている。
もちろん、この日本でも!

 そういったお金は、機関投資家や金融機関へと流れている。
が、庶民に届くのは、もっと先。
が、そのころそこで待っているのは、ハイパーインフレ。
やっとお金が回ってきたと思ったら、物価も消費税も2倍!、と。
AS首相のこうした金融政策に疑問を投げかける専門家も多い。
当然のことながら、09年6月に入って、AS首相の支持率が急落し始めている。

●金万能主義

 昔はその人の「家」を見て、その人を判断した。
「あの人は立派な家を建てた」「だから出世した」とか、など。
江戸時代の家制度の亡霊と考えてよい。

 それがある時代は、「自動車」になった。

大型の乗用車に乗っている人ほど、尊敬の念を集めた(?)。
(数年前の韓国もそうだったという話を聞いたことがある。
みな、こぞって大型車に乗りたがったとか。)
が、今は、金権(マネー)。

 「金権」というときの「権」は、「権力」の「権」ではない。
マネーがもつ「力」をいう。
マネーをもっている人は、その力にものを言わせて、好き勝手なことができる。
「金万能主義」ともいう。
「お金があれば、何でもできる」と、このタイプの人は、そう信じている。
さらに積極的に、「お金しか信じられない」とか、「信じられるのはお金だけ」とか、
そんなふうに考える。

●ではどうすれば、よいか

 自分の体にしみついた金権教を、どうすれば知ることができるか。
自分の心を映すカガミのようなものがあればわかりやすいが、そういうカガミはない。
そこで私なりにテストを考えてみた。

(1)美術館などで、絵画の価値を、売買金額で決めることが多い。
(2)金持ちの人を、成功者と称える傾向が強い。
(3)(反対に貧しい自分を、恥じる傾向が強い。)
(4)世間的な見得を張ることが多く、金持ちぶることが多い。
(5)明けても暮れても、考えることはマネーのことばかり。
(6)金銭の損得計算にこまかく、うるさい。
(7)自分が貧乏人に見られることを、とくに嫌う。
(8)「人生で、お金がいちばん頼りになる」と信じている。
(9)金儲けのためなら、家族は犠牲になって当然と考える。

 (1)〜(9)までのうち、いくつかが当てはまれば、金権教の信者
ということになる。
相互に関連しあっているので、「何点以上が金権教」というようには、
判断できない。
たとえば見栄っ張りな人は、同時に自分貧乏人に見られることを嫌う。
明けても暮れても金儲けのことしか考えていない人は、当然のことながら、
金儲けためには、家族は犠牲になって当然と考える。

●歴史

 金権教がこれほどまでに優勢になったのは、戦後のことではないか。
とくに1965年前後から始まった、高度成長期以後のことである。
だれもが「マネー」「マネー」と言い出すようになった。

 よく「日本人には宗教観がない」と言われる。
それはその通りで、仏教そのものが形骸化し、中身を失ってしまった。
かわって金権教が台頭してきた。
中には「この仏法を信ずれば、庭の枯れ木に札の花が咲く」と教えて、
戦後急速に勢力を伸ばした新興宗教団体もある。

 で、今は、その高度成長期も一段落し、円熟期というか、後退期に
入っている。
金権教の信者だった人も、「今までどおりでよいのか」と疑問をもち
始めている。
出世主義が崩壊し、家族主義が主流になったのも、そのひとつ。
「仕事より家族が大切」などという考え方は、40年前には想像もつかなかった。

●ではどうするか

 先のテストで、「私は金権教の信者」と気づいたら、同時に、別の価値観
の創造をしなければならない。
それしないまま、金権教を自分からはずすと、それこそ糸の切れた凧の
ようになってしまう。

 では、その価値観とは何か?
どうすれば自分の中に、作ることができるか?
が、こればかりは、人それぞれ。
みなちがう。
自然主義、人間中心主義、平和主義、人道主義などなど。
真・善・美の追求もすばらしい。

 そうしたものに向けて、自分を燃焼させていく。
またそういう方法で、自分の価値観を創造していく。
で、私のばあいは、どうか。

 何を隠そう、私も団塊の世代の常として、金権教の信者だった。
人一倍、そうだった。……ように思う。
しかしそういう時代というのは、今から思い出しても、残るのは、後味の悪さだけ。
そういう自分を思い出しながら、人生を無駄にしたように感ずることもある。
お金の使い方にしても、もう少し賢い使い方をすれば、より中身の濃い人生
にすることができたと思う。
人間関係にしても、そうだ。

親類にすら、お金をだまし取られた。
が、それとて、私が蒔いた種。
いいかっこうをしすぎた(?)。
私自身に責任がなかったとは、言えない。

●私のばあい

 いまだに模索状態。
何かがそこにあるはずなのに、それがつかめない。
悶々としている。
もちろん金権教も残っている。
マネーは嫌いではない。
あればあるほど、楽しい。
ないと不安というより、収入として入ってくるマネーの流れが
止まるのが心配。
いまだに何かに追い立てられているような感じがする。
そういう感じを断ち切ることができない。
……難しい。

 ただ若いころとちがうのは、マネーの限界を強く感ずるようになったこと。
「マネーでは、幸福は買えない。
命も健康も買えない。
マネーでは、生きがいを買えない」と。

 その限界を、加齢とともに、強く感ずるようになった。
この傾向は、この先、ますます増大するだろう。
その結果……。

 それには私より年配の人たちの生き様が参考になるはずなのだが、
ざっと見回したところ、そういう人が、1人しかいない。
恩師のTK先生である。
肩書きを並べただけでも、数枚の紙に収まらないだろう。
しかしTK先生のばあい、一度とて、自分のほうからそれを求めた
ことはない。
人徳というか、結果として、そうなった。

 で、そのTK先生自身は、木造の古い家に住んでいる。
大正時代に建てられた家という。
研究者らしく、モノとしての財産には、ほとんど興味がない。
先日も会ったとき、こんな話をしてくれた。
「窒素の固定化を、そこらの植物がしています。
その分子を調べたら、20数万個もの元素でできているのです※。
どうしてああいうものが、自然界で、何の苦もなくできていくのか、
不思議でなりません」と。

 興味の対象、そのものがちがう。
私はその話を聞いたとき、TK先生を、心底、うらやましく思った。
TK先生は、いつも頭の中で、そんなことを考えている。

●終わりに……

 が、無数の人の金権教のおかげで、今の日本がある。
これからの日本を支えていくためには、(少なくとも、この自由主義
貿易陣営の中で生きていこうとするなら)、金権教は必要である。
完全に否定することはできない。

 が、それに毒されすぎてもいけない。
毒されたとたん、自分を見失う。
が、それこそ人生の無駄。
損。
本物の損ということになる。


Hiroshi Hayashi++++++++June・09++++++++++++はやし浩司

●時間教

+++++++++++++++++

『ピーターパン』の話に出てくる、フック船長は
あのワニが大の苦手。
ワニがチックタックと音を出して近づいてくるだけで、
フック船長は、震えあがる。

ワニは、いつか、目覚まし時計を飲み込んだ。
それでチックタックという音を出すようになった。
原作者のジェームズ・マシュー・バリーにそういう
意図があったかどうかは、わからない。
しかしフック船長は、そのまま、時間に追われて生きる現代人を、
象徴している(?)。

現代人はいつも、チクタクと時間に追われて生活している。

+++++++++++++++++++

●時間こそ財産

 「時間こそ財産」ということには、いくつかの意味が含まれる。
また「時間」は、使い方の問題。
 よく「Time is Money(時は金なり)」と、時間をマネーにたとえて
考える人がいる。
ここでいう「時間こそ財産」というのは、もっとちがった意味で、
私はそういう。

 「時間」という言い方に問題があるなら、「命」と置き換えてもよい。
生きている命そのものが、財産。
命の長さを数値で表したものが、「時間」と考えればよい。

 また「使い方の問題」というのは、要するに、何のために使うか
ということ。
金儲けのためだけに使えば、それこそフック船長ということになる。
毎日時間に追われて、あくせくする。
一方、真・善・美の追求のために使うなら、時間はつねに財産ということに
なる。

●時間との勝負

 私のばあい、「時間との勝負」「健康との勝負」の2つが加わる。
「健康」には、「肉体の健康」と「脳みその健康」がある。
一般的には、健康寿命(健康でいられる寿命)は、平均寿命から
10年を引いた分と言われている。
平均寿命が84歳なら、健康寿命は、74歳ということになる。
だれしも晩年の10年は、病気との闘いということになる。
しかしそうなったのでは、当然、脳みその働きも鈍くなる。
ものも考えられなくなる。

 肉体の健康ということになれば、そのときはそのとき。
そのとき恐れないように、今を、じゅんぶん生きていく。
何がこわいかといって、「後悔の念」ほど、怖いものはない。
その「念」だけは、それまでに、しっかりと払拭しておきたい。
そのために、「今」がある。
今、がんばる。

●時間教の勧め

 もしあなたが今、健康で、元気なら、今こそ、時間を大切にしたらよい。
目が見える、音が聞こえる、歩くことができる、話をすることができる。
食事がおいしい、初夏のそよ風が心地よい、ものを考えることができる。
 それこそが、時間教の恵みということになる。
その時間を生かして、今、やるべきことをさがし、(「したいこと」では
ない。「やるべきこと」)、そのやるべきことに自分を統合させていく。

 かなり説教ぽい書き方になってしまった。
が、これは私自身の目標でもある。
またそれができないから、(正直なところ)、悶々としている。
だいたいにおいて、(やるべきこと)が、いまだに定まっていない。
その(やるべきこ)は、エリクソンも言っているように、無私無欲でなけ
ればならない。
損得勘定、欲得が混入したとたん、統合性は霧散する。
あくまでも人のため、社会のため、人類、地球のため……。
そういう意識は高邁(こうまい)であればあるほど、よい。
つまり俗世間を相手にしないところに、統合性の確立の意味がある。
またそれなくして、統合性の確立は、ありえない。

 これは時間教の根幹をなす考え方である。

 さあ、今日一日、どうやって時間を過ごすか。
がんばってみよう。
6月15日、朝、記す。









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15
【思考回路】(Thinking Process)

●思考回路

人間の行動の99%以上は、脳の中に
できあがった思考回路に沿ってなされる。

たとえばテーブルの上のリンゴをつかむとき、
それをどうつかむか、いちいち考えてする人はいない。
自然に手は動き、指はリンゴをつかむ。

同じように、今度はまったく新しいものを
つかむときも、それがはじめてのものであっても、
どうつかむか、それをいちいち考えてする人はいない。

脳の中に、すでに(つかむ)という動作について、
思考回路ができあがっているからである。

これは行動、動作に関する思考回路ということになるが、
同じように、思考、感情に関する思考回路もある。

たとえば何かのことで不愉快に思ったとする。
するとそれが何であれ、その人は自分の思考回路に
したがって、その問題を解決しようとする。
たとえば暴力団の人なら、(不愉快)→(暴力で
解決)というふうに、思考を肥大化するかもしれない。

が、ここで誤解してはいけないのは、思考がそのまま
行動につながるというわけではない。
(思考)→(感情の肥大化)と進み、それが臨界点を
超えたとき、(暴力)という行為につながっていく。

具体的に考えてみよう。

●感情の思考回路

たとえば、何かのことで不愉快になったとしよう。
近隣の人が、このところ何かとあなたの様子をうかがって
いる(?)。
あなたはそういう疑惑をもったとする。

するとそれまでにそういう思考回路ができている人は、
(疑惑)→(妄想)→(怒り)というように、感情を発展させていく。

そのとき、そういう思考回路のない人は、(疑惑)そのものを
もたない。
疑惑をもつということは、すでにそれ以前に、そうした思考回路
を作ってしまったということになる。
似たような経験があったというように考えてもよい。

たとえば子どものころ、仲間に意地悪をされたとか、など。
(筆箱がなくなった)→(だれかが隠した)→(いじめられた)と。

あとはその思考回路に従って、(怒り)を増大させる。
(暴力)という結果につながるかどうかは、あくまでも、
その結果、ということになる。

ただ暴力団の人は、(多分?)、暴力の使い方をよく知っているから、
即、「ぶん殴ってやれ!」というように考えるかもしれない。
私のばあいは、何か問題が起きるとすぐ、「文章を書いて解決
しよう」と考える。
それが思考回路ということになる。

●善玉思考回路vs悪玉思考回路

が、思考回路が悪いというのではない。
先に書いた、テーブルの上のリンゴをつかむときにしても、
思考回路ができあがっているため、それをスムーズにつかむことができる。
何も考えないで、つかむことができる。

思考にしても、そうだ。

大切なのは、どういう思考回路に沿って、ものごとを
考えるかということ。
そういう意味で、私は思考回路を、(1)善玉思考回路と、(2)悪玉思考回路
の2つに分けて考える。

(1)善玉思考回路

たとえば目の前に大きな問題が立ちふさがったとする。
たとえば義父の介護問題が起きたとする。
要介護度は3だが、勝手に台所へ入ってきて、いろいろなものを
散らかしてしまう。
ときに居間で、おむつの間から、便を漏らしてしまうこともある。

そういう状況になったとき、介護者であるあなたは、
いろいろな対策を考える。
義父が部屋から出られないようにする。
が、それはかわいそうだから、床からジュータンを取り除く。
台所には、ものを置かない。
おむつは大きなものにする。
簡単な囲いを作って、大切なものにはさわらせないようにするという
方法もある。

こうしてあなたは自分の思考回路に従って行動する。
それを妄想として、肥大化させない。
こういうふうに、前向きにものごとを考えていく思考回路。
それが善玉思考回路ということになる。

(2)悪玉思考回路

これに対して、妄想をどんどんとふくらませていくケースもある。
「こんなことでは、この先、どうなるかわからない」
「床が便で汚れる」
「部屋に閉じ込めておくと、暴れるかもしれない」
「義兄や義姉がそれを見たら、義父を虐待していると騒ぐかもしれない」と。

こうした悪玉思考回路は、ある人には、ある。
ない人には、ない。
以前、同じような経験をして、いやな思いをした人ほど、そういう
悪玉思考回路はできやすい。
心の病気がからんでいるケースもある。
そこでその人は、(いやだ)→(妄想)→(怒り)と、
自分の感情を肥大化させてしまう。

わかりやすく言えば、そういう悪玉思考回路のある人は、
その思考回路に従って、妄想をもちやすく、またそれを肥大化
させやすいということ。

極端なケースかもしれないが、一度、そういったケースを、
暴力を使って解決したことがある人は、即、「暴力で……」と
いうように考えるかもしれない。

が、そうでない人は、そうでない。
「暴力」そのものを思いつかない。

●体罰

よく親の体罰は、子どもに世代連鎖しやすいと言われる。
それも、この悪玉思考回路によって、説明できる。
子どもは、親に体罰を受けることによって、(何か不満がある)
→(怒り)→(体罰)という思考回路を、自分の脳の中に
作ってしまう。

そのため、自分がおとなになり、結婚し、子どもをもうけたとき、
その思考回路に従って、子どもに体罰を加えるようになる。
(心理学の世界では、「学習」という言葉を使って、それを説明する。)

もっとわかりやすい例では、体育系の教師による体罰がある。
体育系の教師自身も、自分が子どものころ、そういう教育を受けた。
その教育を、無意識のまま、繰り返している(?)。
さらにそれ以前はいえば、戦前の軍国主義教育があったかもしれない。
日本軍の指導の仕方は、体罰一辺倒であった。
何があっても、体罰。
何を失敗しても、体罰。
それが体育系の教師の思考回路として、代々、引き継がれた(?)。

●善玉思考回路

大切なことは、悪玉思考回路はつくらないということ。
教育について言うなら、子どもには、もたせないということ。
一度、作られた思考回路は、消すことができない。
できなくはないかもしれないが、改めるのはたいへん。

そこで善玉思考回路について、説明してみる。

ある女の子(幼稚園・年長児)が、「私はおとなになったら、お花屋さんに
なりたい」と言ったとする。
そのとき親は、すかさず、こう言う。

「すてきだね。
だったら、今度の日曜日に、○○ガーデン・パークへ行ってみよう」
「図書館で、お花の図鑑を借りてこよう」
「庭に、花の種をまいてみよう」
「野菜もいいかもね」と。

こうして子どもの(思い)を、どう育てていくか、子どもにそのレールを
示してやる。
それがその子どもの思考回路となる。

ただ、思考回路に何が乗るかは、それは年代によって異なる。
幼稚園児のときは、お花屋さんであっても、小学生に
なると、パン屋さんになるかもしれない。
中学生になるころには、ファッションデザイナーになるかもしれない。
しかしそれが何であれ、つまり思考回路に乗るものが何であれ、
子どもは、その思考回路に従って、自分を前向きに
伸ばしていく。
それができるようになる。

まず、図書館へ行く。
そういう仲間に入る。
自分で、パンを作ってみる、など。
大切なのは、その上に何が乗るかではなく、善玉思考回路を
どう作るか、である。

●思考回路の転換

私たちの行動、思考は、そのほとんどが、自らの思考回路に
沿ってなされる。
一見複雑に見える、人間の行動や思考だが、それぞれの人は
自分の思考回路に従って、行動し、思考しているだけ。
冒頭に書いた「99%以上」というのは、そういう意味である。

そこで、こんなことも重要である。

先にも書いたように、思考回路というのは、一度できあがると、
それを改めるのは、たいへん。
たいへんというより、よほど何かのことがないと、改めるのは
不可能。

たとえば若いとき、親絶対教の信者になった人は、死ぬまで
親絶対教の信者のまま。
その思考回路に従って、ものを考え、行動する。
権威主義でもって、親風をビュービューと吹かす。
自分で、自分の親を絶対と思うのは、その人の勝手。
しかしその返す刀で、子どもに向かって、
「親に向かって、何てこと言う!」と怒鳴り散らす。
子どもにも、それを強要する。

が、これでは親子の断絶は、時間の問題。
……というより、子どもも、親絶対教の信者にならないかぎり、
まちがいなく親子の関係は、断絶する。

そこで自分の思考回路を、ときに疑い、ときに別の思考回路を
応用してみる。
これは日々の努力のみによって可能である。
しかも脳みそが硬直化し始めたら、遅い。
若ければ若いほど、よい。

……そこでためしに、今度テーブルの上にあるリンゴを手でつかむとき、
いつものやり方、つまり無意識のままつかむという方法ではなく、
別の方法でつかんでみたらどうだろう。

たとえば両手の人さし指だけで、つかんでみるとか、
口と片手を使って、つかんでみるとか、
さらに箸で、刺してそれをもちあげてみるとか、などなど。
いろいろな方法がある。

いろいろな方法で、自分の中の思考回路を、一度破壊してみる。
思考、感情の思考回路も、また同じ。
まずいのは、同じ思考回路に沿って、毎日同じ行動、同じ思考を繰り返すこと。
そういうことをすること自体が、すでにボケの始まりとみてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW 思考回路 善玉思考回路 悪玉思考回路 思考プロセス はやし浩司 思考回
路 思考の柔軟性 ボケの始まり)








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16
【「私」って、何だろう?】(1)(09年6月22日記)
(意識と肉体の分離)

【菩提心】

+++++++++++++++++++++++

仏教によれば、私たちは煩悩(=欲望)のかたまり
であるという。
煩悩には、たとえば『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』
などがある。

『貪(どん)』というのは、「貪(むさぼ)ること」をいう。
『瞋(しん)』というのは、「激しく怒(いか)ること」をいう。
『痴(ち)』というのは、「無知なこと」をいう。
そのほかにもいろいろあるが、私たちの肉体は、これらの
煩悩に満ち溢れている。
その煩悩が、自分の内にある『菩提心』(すべての人々を愛すること)
が目覚めるのを邪魔する
世親(300〜400年ごろの人、パキスタン、ペシャワール
あたりの人とされる※)が、そう説いている。

だから世親は、菩提心を呼び起こすためには、心(精神)を、
一度、肉体から切り離さなければならないと説いた(『浄土三部経』)。

+++++++++++++++++++++++++

●精神と肉体

 私は53、4歳のころ、女性に対する興味を、ほとんどなくしてしまった。
女性が、「女」として意識できなくなってしまった。
たとえばある日、テレビで相撲を見ていたときのこと。
相撲取りの胸が、たいへん美しく思えた。
「若い娘の胸より美しい」と思った。
あるいはこんなこともあった。

どこかのレストランで、写真週刊誌を読んでいたときのこと。
後半のほうに、若い女性たちのヌード写真が、たくさん載っていた。
それを見ながら、ふとこう思った。
「今まで、どうしてこんな写真に興味をもったのだろう?」と。

 で、家に帰ってワイフに、こう言った。
「あのなア、お前、今のぼくなら、混浴風呂で若い女性と肩を並べて入っても
平気だぞ」と。
それに答えて、ワイフはこう言った。
「バカねえ……。相手の女性がいやがるわよ」と。

あとでそのことを人に話すと、「男の更年期」と教えてくれた人がいた。
「初老性のうつ病の症状かも」と教えてくれた人もいた。
うつ病になると、性的な関心を失い、似たような症状が出ることがあるそうだ。
が、それはともかくも、私はそのときはじめて、……というより、思春期以来はじめて、
性欲からの解放感を味わった。
さばさばしたというよりは、どこか乾いた砂漠の中に入ったような気分だった。
心が恐ろしく軽くなったのを覚えている。

 と、同時に、それまでの私が、あまりにも性欲の奴隷だったことを知った。
ありとあらゆる面が、「女性」と結びつき、その向こうにある「性」と結びついていた。
それがそのとき、わかった。

●精神と肉体の分離

 たまたま今、私は精神と肉体の分離を、現実に経験している。
(少し、おおげさかな?)
というのも、目下、ダイエット中。
少し油断していたら、体重がいつの間にか68キロ台にまでふえていた。
そこで体重を、63キロ台に落とすことを決意。
それが今の今もつづいている。

 で、食事のとき、私はいつも自分にこう問いかけながら、食べている。
「食べたら損(そこ)ねるのか、それとも食べなければ損(そん)なのか」と。
たいへん興味深いことに、「損」という感じは、「損(そこ)ねる」とも使う。
「損(そん)」とも使う。
わかりやすく言えば、「体を損(そこ)ねるほど食べたら、かえって損(そん)」
ということになる。
 
 その食欲は、性欲とたいへんよく似ている。
腹がいっぱいになったとたん、食欲はスーッと消える。
性欲もまた同じ。

 回りくどい言い方をしたが、私たちの精神は、常に肉体からの命令によって、
左右される。
食欲にしても、性欲にしても、それらは肉体の反応でしかない。
その肉体の反応が、私たちの精神を操る。
ダイエットをしていると、それがよくわかる。

●肉体の奴隷

 が、もし肉体の反応のまま、精神が操られるとしたら……。
それが『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』ということになる。
ここでいう『痴』というのは、仏教でいうところの『愚痴(ぐち)』ということになる。
(日本語のグチとは、意味がちがう。
しかしグチを言う人は、基本的に愚かな人とみてよい。)

 操られるなら操られるなで構わないと、思う人も多いかと思う。
そのほうが楽しい、と。
ほしいものは、何でも手に入れる。
食べたいものは、何でも食べる。
したいことをし、行きたいところへ行く。
「それがどうして悪いことなのか」と。

が、しかしそれでは、「真理」に到達することはできない。
菩提心を目覚めさせることはできない。
世親は、それを言った。

●『瞋(しん)』

『瞋(しん)』というのは、「激しい怒り」をいう。
世親がそこまで考えて書いたかどうかは知らないが、怒りといっても、2種類ある。
原子力にたとえるのも、どこか不謹慎な感じがしないでもない。
が、原子力の使い方にも、2種類ある。
原子力発電所として、原子力を利用する方法。
もうひとつは、核爆弾として利用する方法。

 私は(怒り)を否定しない。
たとえば今、私はこうしてモノを書いているが、心の根底にあるのは、(怒り)と
言ってもよい。
社会に対する怒り、国に対する怒り、世界に対する怒り、など。
もちろん自分に対する怒りも、ある。
特定の個人に対する怒りも、ないとは言わない。
(できるだけそうしたことに、モノを書くということを利用したくないが……。)

 そうした(怒り)がなかったら、こうしてモノなど書かないだろう。
つまり私の感じている(怒り)というのは、原子力発電所の中の原子力のようなもの
である。

 これに対して、相手の襟首をつかまえ、「コノヤロー」「バカヤロー」と怒鳴りあうのは、
核爆弾の中の原子力のようなもの、ということになる。

●『痴(ち)』

 賢者からは、愚痴な人がよくわかる。
手に取るように、よくわかる。
しかし愚痴な人からは、賢者がわからない。
「自分と同じくらいだろう」くらいにしか考えない。

 同じように、自分が愚痴な人だったというのは、自分がより賢者になってみて、
はじめてわかる。
それはちょうど山登りに似ている。

 下から見たとき、それほど高くないと思っていても、登ってみると、意外と視野が
広いのに驚く。
また同時に、それまでの自分が、いかに低い位置にいたかを知る。

 さらに言えば、賢者も、愚痴な人も、相対的な(差)でしかない。
賢者の上には、さらなる賢者がいる。
愚痴な人の下には、さらなる愚痴の人がいる。
だから釈迦は、『精進(しょうじん)』という言葉を使った。
「日々に、研鑽あるのみ」「死ぬまで、研鑽あるのみ」と。

 その努力を怠ったとたん、どんな賢者でも、愚痴の世界に向かって、そのまま
まっしぐらに、ころげ落ちていく。

●『時は金なり』

 こうして私たちは、肉体は肉体とし、精神は精神として、分離する。
けっして肉体の奴隷になってはいけない。
奴隷になったとたん、自分を見失う。
見失って、貴重な時間を浪費する。

 『時は金なり』とはいうが、『時(=時間)そのものが、貴重』なのだ。
仮に今、あなたが「あなたの余命は、あと半年です」と宣告されたら、あなたは
どうするだろうか。
あなたは自分の命の短いことをのろい、悶絶するかもしれない。
しかし半年でも、10年でも、20年でも、同じではないか。
人はみな、例外なく、死に向かって、静かな行進をしつづける。
今、病気の人たちだけではない。
健康な人も、だ。

●恐怖心

 これから先については、私は想像で書くしかない。
「生きとし生けるもの、すべてに愛をもつこと」を『菩提心』というが、それが
どういうものなのかは、私にもわからない。
そこがどんな世界かも、知らない。
またそういう世界へ入っていくことに対して、恐怖心もないわけではない。

 そのことは、若いころ、インドのマザーテレサを知ったときにも感じた。
マザーテレサは、私たちのそれとは想像もつかないほど高い境地に達した人だが、
では、それがそのまま私たちの幸福感とつながるのかどうかということに、自信
がもてなかった。

 さらに具体的には、こうも考えた。
「もし私の息子の1人が、マザーテレサの弟子になりたいと言い出したら、それを
親として許すか」「許せるか」と。

 あなたなら、どうするだろうか。
それがここで私がいう、「恐怖心」ということになる。

●『菩提心』

 キリスト教では、愛を説く。
仏教では、慈悲を説く。
イスラム教というと、キリスト教とはまったく異質の宗教と考えている人は多い。
しかしキリスト教とイスラム教は、実際には、兄弟宗教と考えてよい。
この2つは、知れば知るほど、よく似ている。
もちろんイスラム教でも、愛を説く。

 これに対して、『菩提心』というのは、愛に合わせて、「智」も含まれる。
だから世親は、人間の欠陥のひとつとして、『痴』という言葉を使った。
「愛だけでは、人間は完成されない。智が伴って、はじめて人間は完成される」と。
これは私の勝手な判断によるものだが、それほどまちがっていないと思う。

 で、その『智』とは何か。
東洋医学では、(意)→(志)→(思)→(慮)→(智)と順に生み出していくと教える。
日本語にも、「意志」「思慮」という言葉がある。
「智」は、その先にある言葉ということになる。
英語では、sharp(頭が切れる)→clever(頭がよい)→wise(賢い)
というふうに使い分ける。

話はそれたが、簡単に言えば、人間は愛だけではだめ。
知性、理性がともなって、はじめて、愛は愛として光り輝く、というふうにも、
解釈できる。
世親のすごさは、一言で言えば、ここにある。

 要するに、『菩提心』というのは、心の中にある山の中でも、最高峰ということになる。
そこから見える景色は、どんなものか。
そのとき私はどんな境地に包まれるのか。
それは私にもわからないが、死ぬまでに一度は、その山に登ってみたい。
きっとすばらしい世界にちがいない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 世親 浄土三部経 菩提心)

(注※……世親、ウィキペディア百科事典より)

『世親(せしん、サンスクリット、vasubandhu ヴァスバンドゥ、音写:婆藪般豆、婆藪般頭、旧訳
名:天親〈てんじん〉)は、古代インドの仏教僧。現在のパキスタン、ペシャワールの人で、無著
の弟。浄土真宗七高僧の第二祖。
初め部派仏教の説一切有部を学び、有部一の学者として高名をはせた。ところが、兄の無着
から大乗仏教を勧められ、下らない教義を聞いていたと自らの耳をそいで、瑜伽行唯識学派
に入ったといわれている。その後、唯識思想を学び体系化することに勤めた』『300〜400年
ごろの人』とある。


Hiroshi Hayashi++++++++June.09+++++++++はやし浩司

【「私」って、何だろう?】(2)

++++++++++++++++++

今、私はここにいる。
ここにいて、頭蓋骨の中から、外の世界を
ながめている。
下のほうには、自分の鼻先が見える。
メガネのワクも、焦点が合っているわけではないが、
見える。
その向こうにはパソコンの画面。
周囲の雑多な電子機器の数々……。

この頭蓋骨の中にいる私が、「私」ということになる。

++++++++++++++++++

●精子と卵子

 若い男性のばあい、1回の射精で、約1億個の精子が放出される。
約1億個、である。
 一方、女性のほうは、毎月新しい卵子を排出する。
毎月、である。
 その精子と卵子が結合して、1人の人間が誕生する。
確率論的に言えば、1人の人間が「私」になるためには、男性側が毎月10回、射精した
としても、10年の間では、1200億個。
それに女性の卵子の数、120回(10年分)をかけると、約14兆分の1の確率という
ことになる。

 約14兆分の1、である。
もしそのとき、卵子に到達する精子が、ほんの1つ、ずれていたとしても、また結合する
時期が、1か月ずれていたとしても、「私」は、この世の中に、いなかったことになる。

●必然的な結果

 一方、外から見たらどうだろうか。
そこに一組の夫婦がいる。
その夫婦が、セックスをして、子どもをもうけたとする。
その夫婦からすれば、子どもが生まれるのは、必然的な結果ということになる。

 話をわかりやすくするために、川原に向かって小石を投げたばあいを考えてみよう。
投げた石は、重力の法則にしたがって、やがて下に落ちる。
どれかの石に当たる。
必ず、当たる。

 しかし当てられたほうの石からみると、それは何百万分の1の確率で、「当たった」
ということになる。
(川原の広さにもよるが……。)
つまり石を投げれば、必ず、どれかの石に当たる。
しかし川原の石から見れば、「私」という自分の石に当たるのは、偶然の、そのまた
偶然ということになる。

●もし……

 そこでさらにこう考えてみる。
仮に、卵子に結合した精子が、「私」の精子ではなく、その横を泳いでいた別の精子だった
ら、「私」はどうなっていただろう。
それでも卵子と精子は結合し、そこで子どもは誕生する。
で、ここでの最大の問題は、そのときそこで誕生する子どもは、「私」であるか、「私」
ではないかということ。

 もちろん「私」ではない。
「私」の兄弟あるいは姉妹かもしれないが、「私」ではない。
このことは、もしあなたに兄弟姉妹がいれば、何でもない疑問ということになる。
あなたの兄弟姉妹が「私」ではないのと同じように、そうして生まれた私は、「私」では
ないということになる。
 つまりほんのわずかだけ、タイミングと時期がずれただけで、私という「私」は
生まれず、別の人間が生まれていたことになる。

 が、親や、その周囲の人たちからみれば、そこにいるのは、(あなた)ということに
なる。
精子のひとつやふたつズレたところで、親や、その周囲の人たちからみれば、それは
ごく微小な誤差でしかない。

 ここが重要な点だから、もう一度、考え直してみる。

●9999万9999人の兄弟・姉妹

 仮に1人の男が、1億個の精子を放出したとする。
その中で卵子にたどりつき、生き残るのは、たった1個。
残りの、9999万9999個の精子は、そのまま死滅することになる。
が、仮に、「それはかわいそうだ」ということで、全世界の女性たちから、
9999万9999個の卵子を集めてきて、人工授精したとする。
そしてそれらの女性の体を使って、9999万9999人の子どもを作ったとする。

 しかしその9999万9999人の子どもは、あなたの兄弟や姉妹かもしれないが、
けっしてあなたではない。
「私」ではない。

●生の人間

 言うなれば生まれた直後の子どもは、(妊娠した直後の子どもでもよいが)、言うなれば、
(生の人間)ということになる。
 性質や気質など、親から引き継ぐものも多いが、一応(生の人間)と考える。
この(生の人間)は、その後の環境によって、(あなた)に作りあげられていく。

 日本で生まれ育てば、日本人らしくなる。
浜松で生まれ育てば、浜松の言葉を話すようになる。
私の家庭のような環境で育てば、まちがいなく、ドラ息子、ドラ娘になる。

 つまりあなたの親を含めて、外の世界から見た(あなた)は、あなた。
卵子と精子が結合するタイミングと時期が、多少程度ずれていたとしても、あなたは
あなた。
 しかしこれだけは、絶対、たしか。
その(あなた)は、けっして「私」ではない。
私という「私」は、私になれないまま、他の9999万9999個の精子とともに、
闇から抜け出ることもなく、そのまま死滅する。
もちろんそれらの精子が、「私」を自覚することはない。

●「私」は奇跡中の奇跡

 こうして考えてみると、「私」というのが今、ここにいるのは、まさに奇跡中の奇跡、
ということになる。
「約14兆分の1の確率で生まれた」と言っても過言ではない。
もしほんの1つでもタイミングがずれていたとしたら、「私」はいない。
だれかほかの人は生まれたかもしれないが、しかしそれは「私」ではない。
今の私とまったく同じ顔をし、同じことをしているかもしれないが、「私」ではない。

 もしタイミングがほんの1つでもタイミングがずれていたとしたら、私は「私」になる
前に、そのまま永遠の闇の中に、葬られていた。
永遠ということは、永遠。

●意識

 というふうに考えていくと、「私」というのは、この頭蓋骨の中から外をながめている、
「意識」ということになる。
頭蓋骨から離れたとたん、それは「私」ではなくなってしまう。
こんな例で考えてみれば、それがわかる。

 コンピュータの技術が進歩して、あなたの脳をそっくりそのままコピーできるように
なったとしよう。
そっくりそのまま、だ。
が、そのままではその脳は、見ることも、聞くことも、話すこともできない。
そこでそのコピーされた脳に、カメラやイヤホン、それにスピーカーを取りつける。
その脳は、あなたの脳とまったく同じだから、他人から見れば、(あなた)かもしれない。
しかしその脳は、けっして、あなたではない。

 あなたがその脳に向かって、名前を聞けば、その脳は、ちゃんとあなたの名前を
言うだろう。
しかし、けっして、あなたではない。
何からなにまで、そっくりあなたと同じであったとしても、あなたではない。
あなたが「私」と言えるのは、そこにあなたの意識があるからだ。

●死後の世界

 こう考えていくと、「死後の世界」という「世界」を考えることすら、無意味に
思えてくる。
死んだら、「世界」はない。
少なくとも「私」という意識は、そこで完全に途絶える。
あなたの肉体や脳を作っている無数の分子は、バラバラに解体され、その一部は、
また別の肉体や脳を作るために、再利用される。
が、だからといって、そこであなたの意識が再生されるというわけではない。
肉体や脳のほとんどは、土となり、植物となり、もろもろの生物に生まれ変わる。

 念のため、申し添えるなら、死んだとたん、意識をもつあなたの脳は、バラバラに
なる。
たとえはよくないかもしれないが、日々に排泄するあの便と同じ。
つまり意識は消える。
中に、スピリチュアル(霊)とか何とか、わかったようなことを言う人もいるが、
その意識だけが肉体から離れて、別の世界に浮遊するなどということは、ありえない。

●思考の限界を超えて……

 このあたりが、人間の思考の限界ということになるのか。
私にしても、この先が、わからない。
だから人間は、その手前で、右往左往する。
「あの世はあるのか」という命題にしても、結論を出すこともできず、今の今も、
迷っている。
またそれを乗り越えて、その先へ進むこともできない。
「その先」というのは、既存の宗教観を乗りこえた、その先という意味である。
宗教を否定しながら、宗教に頼り、宗教に頼りながら、宗教を否定する。
毎日が、その繰り返し。
その先へ、進むことができない。

 実際、宗教の先に見えるのは、広大な、それこそ果てしなくつづく広大な原野。
それを知っただけで、人々は、みな、おびえてしまう。
だからこう考える。
「そんな広大な原野にひとり取り残されるよりは、妥協して安易な道を選んだ
ほうがいい」と。

 いくら冒険好きといっても、できることと、できないことがある。
大宇宙へ、たったひとりで、宇宙船に乗って出かけるようなもの。
想像するだけで、ぞっとする。

 こうしてまたもとの世界に戻ってしまう。
それが「右往左往」ということになる。

●真の勇者

 いつか真の勇者が現れるかもしれない。
「私」という意識を乗り越えて、さらに言えば、あらゆる宗教観を乗り越えて、
広大な原野に道を切り開いてくれる人が、現れるかもしれない。

 が、それは、庭に遊ぶ犬のハナに、コンピュータの原理を理解しろというくらい、
難しいことかもしれない。
仮にこのまま数万年、進化しつづけたとしても、難しいことかもしれない。
同じように、人間が、そこへ到達するためには、長い長い時間がかかるだろう。
しかしだからといって、あきらめるわけにはいかない。
方法がないわけではない。
あのソクラテス流に言うなら、常に「私とは何か」、それを問いつづけること。
それが重要ということになる。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW 私論 私とは何か ソクラテス)

(補記)

意識と肉体の分離。
精神と肉体の分離と置き換えてもよい。
常に意識が、肉体を支配し、肉体をコントロールする。
けっして、意識は、肉体にコントロールされてはいけない。

たとえば寒い朝、ジョギングに出かけるときのことを考えてみよう。
あなたは意識の中で、運動の必要性を強く感じている。
が、肉体のほうは、それに抵抗する。
「寒いから、いやだ」「疲れているから、行かない」と。
が、そういう肉体の声に負けてはいけない。
あなたは自分の意思で、ジョギングに出かける。
寒くてつらい思いをするのは、あなたの(意識)のほうではない。
(肉体)のほうである。

もしこのとき意識と肉体の分離がうまくできないと、あなたは肉体のほうの声に
負けてしまうことになる。
そしてこう言うにちがいない。
「そうだ、今日は寒いから、ジョギングにでかけるのをやめよう」と。
しかしそう思って、ジョギングをやめてしまうことは、結局は、
肉体そのものを弱くしてしまうことになる。

基本的に、(肉体)というのは、怠け者。
少しでも疲れたり、痛かったりすると、「休もう」と考える。
そしてあなたの意識を自分の都合のよいように、誘導しようとする。

が、肉体の求める欲望に負けていたら、あなたの意識は、自分の居場所すら、失って
しまうことになる。
肉体あっての意識。
肉体が滅びれば、意識も消える。

これが意識と肉体の関係。
つまり意識と肉体を分離すればするほど、意識は肉体をコントロールしやすくなる。
意識と肉体を分離することの重要さを、これでわかってもらえたことと思う。








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●田丸謙二先生

++++++++++++++++++++++++

今度、恩師の田丸謙二先生が、化学会の化学遺産委員会の
ほうで、インタビューを受けました。
田丸謙二先生の生涯の履歴書のようなものです。
先生から原稿を送ってもらいましたので、そのまま紹介
させてもらいます。

+++++++++++++++++++++++

林様:

  例の「名士インタビュー」の最終原稿です。 どうせ文部科学省の連中は読んでくれないと思いますので、「要約」をつけました。 私は大変に大事な教育改革だと思いますが、最近の様子を知らせてください。 日本人は自分の意見を自立して考えて外国人と討論でき、debate ができるようになれるにはどうしたらいいのでしょうか。特に外務省の役人の人たちなど、矢張り小学校の頃から訓練しないといけないのではないでしょうか。
  率直なご意見お待ちしています。
                                               
  田丸謙二

  この原稿に写真がつきます。どんなのがつくか分かりませんが。
(2009年5月16日)

*****************************

【田丸謙二先生へ】

おはようございます!
ひざの関節のぐあいは、いかがですか?
たった今、送っていただいた原稿を、再度、読ませていただきました。
(先日、プロトタイプの原稿を送っていただきましたので、今回が、2回目という
ことになります。)

Independent Thinkerについてですが、まず第一に、日本の社会のしくみそのものが、
独立してdebateできるようなしくみになっていないということです。
「もの言わぬ従順な民づくり」が、今でも、教育の基本です。
それではいけないと考えている教師も多いようですが、結局は押さえこまれてしまって
います。
あるいは限られたワクの中に、安住してしまっている(?)。
ワーワーと自己主張するような子どもは、集団教育の場では、やりにくいというわけ
です。

これについては、江戸時代の寺子屋教育、さらには明治に入ってからの国策教育が
原点になっていますから、改めるのは容易なことではないでしょうね。
「もの言わぬ従順な民」に教育させられながら、またそういう教育を繰り返しながら、
当の本人たちが、それに気づいていないのですから。

第二に、私自身が、そういう世界に生きてみて実感しているのですが、この日本では、
(力のある子ども)(力のある人)を、どんどんと登用していくというシステム、
そのものが、できていません。
先生がいつもおっしゃっているように、トコロテンのように(流れ)に乗った人は、
それなりのコースを歩くことができますが、そうでない人は、そうでない。

たとえば私の息子たちですが、二男は、現在、インディアナ大学(IU)で、スーパー
コンピュータの技師として働いています。
キャンパスを車で行くだけで、2時間もかかるという広大な大学です。
(多分、先生もご存知かと思いますが……。)

二男はそれを操って、世界中のスパコンをリンクさせるというような仕事をしています。
で、今は、EUが開発した量子加速器(映画『天国と地獄』にも一部、出てきましたが)、
そこから衛星を使って送られてくるデータの分析をしているそうです。

浜松のランクの低い高校を出て、アメリカへ渡り、ワチェタ大学→ヘンダーソン州立大学、
コンピュータ・ソフトウェア会社を経て、IUに移りました。
私はこういうことが自由にできるアメリカのものすごさに、驚いています。

一方、二男の嫁は、ヘンダーソン大学のアメリカ文学部を、主席で卒業したこともあり、
2年前、日本でいう司法試験に合格。
全額奨学金を得て、同じIUに通っています。
2児の母親が受験勉強をして、です。
これもまた日本では考えられないしくみです。

で、三男はどうかというと、横浜国大をセンター試験2位の成績で入学しながら、中退。
オーストラリアのフリンダース大学の語学校を卒業、(つまり卒業ということは、大学の
専門学部への入学資格を取得したという意味です。たいはんの留学生は、入学資格を
取得できないまま、帰国しています。)
そのあと航空大学に入学、現在は、J社で、B-777の最終操縦訓練を受けています。

で、この三男でおもしろいのは、学生時代に、世界的規模のアマチュアビデオコンテスト
(英語名:Fish-eye)で、グランプリ(第一位)を獲得したという点です。
表彰式はロシアのモスクワでありました。

しかし、です。
ここからが日本です。
三男は自分で制作したビデオ類を、昨年、すべてYOUTUBEから取り下げて
しまいました。
詳しくは書けませんが、そういった圧力を、どこかで感じたのでしょう。
つまりこの日本では、(力のある人)が伸びることもできず、「型」にはめられ、
押し殺されてしまうのです。
で、今は、ビデオ制作から、完全に遠ざかってしまっています。

こうした(しくみ)は、私も自分の人生を通して、いやというほど、思い知らされて
います。
なんせ、そこらの出版社の編集部員ですら、そういう(しくみ)に迎合しているのです
からおかしいですね。
(東京の出版社からときどき、客がきますが、みな、手ぶら。
駅からの送り迎えにあわせて、食事の接待などを、平気で私たちにさせたりします。
「ああ、この男は、私をそういうふうに見ているのだな」ということが、それでよく
わかります。)

こういった(しくみ)を変えていくのは、たいへんなことです。
それこそ教育のしくみ、そのものを、根底から変えていかねばなりません。
端的に言えば、現在のように、学校しか道がなく、学校を離れて道がないという(しくみ)
を変えていかねばなりません。

ご存知のように、大学では、EUのように単位の共通化をするという方法もありますが、
たとえば小中学校レベルでは、ドイツやフランス、イタリアのように、「クラブ制」を
もっと導入していきます。
日本でも、あちこちで始まりつつありますが、官製クラブでは、意味がありません。
学校教育そのものが、現在、教育機関として満足に機能できない状態にあります。
教師たちが忙しすぎるというのも、深刻な問題です。
どうしてその上、「クラブ」?、ということになります。
民間に委譲できる部分は、思いきって移譲すればよいのです。

そのEUでは、クラブ制を活用し、その費用は国が負担しています。
(額は、国によってちがいますが、同じくクラブの費用も国によってちがいます。)
もっとも現在のままクラブ制を日本で導入したら、進学に有利なクラブのみが繁盛する
という結果になってしまうと思いますが……。

つまりこの日本では、debateできる国民は求められていないということです。
自分の意見を、自分の名前で発表していく……。
何でもないことのようですが、それができません。
この私についても、「あの林は、共産党員だ」と書いているBLOGもあります。
政治を批判したら、共産党員というわけです。
(最近では、「北朝鮮のミサイル迎撃反対」という意見を書いたら、即刻、「売国奴
BLOG」なるもののリストに、私の名前が載ってしまいました。)

まるで日本全体が、歌舞伎か相撲、茶道、華道、さらには、能の世界みたいです。
が、もちろんこれではdebateなど、求むべくもありません。
Debateしたくても、相手が逃げてしまいます。
毛嫌いされてしまいます。

……とまあ、愚痴ぽくなってしまいました。
で、自分の人生を振り返ってみて、こうも思います。
「私はたしかに自由を求めて生きてきたが、本当にこれでよかったのか?」とです。
あのままどこかの大学に入り、研究者としての道を歩んだほうがよかったかもしれない、
とです。
ワイフもときどき、そう言います。
そのほうがこの日本では、生きやすかったのかもしれません。

しかし悪いことばかりではありません。
この40年間だけをみても、日本は大きく変わりました。
今の今も、変わりつつあります。
不十分かもしれませんが、やっと日本も、民主主義に向けて産声をあげつつあるという
ところではないでしょうか。
(その一方で、復古主義的な動きもありますが……。)

その私も満61歳。
先生が東京理大へ移られた年齢です。
で、もう遠慮はしない。
言いたいことを言い、書きたいことを書く。
そういう姿勢に変わってきました。
「自由」を満喫できるのは、これからだと思っています。

最後になりますが、先生にはいつも、本当に励まされます。
私の知人の中には、(そのほとんどがそうですが……)、定年退職と同時に、
ジジ臭くなってしまい、隠居だの、旅行だの、畑作だの、そんなことばかりして
いる人がいます。
そういう人たちを見るにつけ、「どうしてこの人たちは、もっと天下国家を論じ
ないのだろう」と不思議でなりません。
残り少ない人生を、若い人たちに還元していく。
それこそが私たちの世代の者の使命だと私は思うのですが……。

言いかえると、長い人生の中で、日本という組織の中で、そのように(飼い殺されて
しまった)ということにもなりますね。
「牙を抜かれてしまった」と言い換えてもよいかもしれません。
そしてなお悪いことに、今度はそういう人たちが、保守主義、あるいは保身主義に
陥ってしまっている!
過去を踏襲しながら、踏襲しているという意識そのものがない。

もっともそれをしないと、自己否定の世界に陥ってしまいますから……。
だから私のような人間は、嫌われるのです。
私のような人間に、成功(?)してもらっては、困るのです。
そういう一般のサラリーマンたちがもっている潜在的な意識は、あちこちで、
よく感じます。

またまた愚痴ぽくなってきました。
実のところ、この2週間ほど、スランプ状態で、脳みそが思考停止状態にありました。
思考停止というより、「もうどうでもよくなってしまった」という感じでした。
「どうしてこの私が、日本や、人間や、地球の心配をしなければならないのだ」と、です。
「どうせ私は、だれにも相手にされていないではないか」と、です。

しかしまたまた先生からのメールをもらって、元気100倍!
一気に、ここまで(計6ページ)も書いてしまいました。
今朝は指の動きも軽快です。
久しぶりです。
ありがとうございました。

なおいただいたインタビュー記事ですが、先生のおもしろさが、まったくなく、
私はつまらないと思います。
先生がいつか話してくださった、紅衛兵時代の中国や、東大紛争時代の理学部の話
のほうが、ずっとおもしろいです。
プリンストン大学のアインシュタイン博士の話でもよいです。
先生の父親が、理学研究所でシャワールームを作った話でもおもしろいです。
あるいは東京理大の入試問題の話とか、不合格になった学生の親から抗議を受けた
話とか……など。

私が先生なら、そういう話をまとめて自伝にします。
あらいざらい、この際、世界を蹴とばすようなつもりで書きます。
(私も、現在、そういう心境になりつつあります。)
つまりこの記事は、たしかに「遺産」ですが、(まだ生きている人に向って、
「遺産編集」というのも失敬な話だと思いますが……)、先生はまだ遺産ではない。
「現役」です。
その現役であることに感動しています。

実のところ、先生が数年前、アメリカの化学の教科書を翻訳出版したと聞いたとき、
あるいは50歳を超えて、中国語を勉強し始め、中国科学院で中国語で講演をした
と聞いたとき、そのつど、私は心底、励まされました。
「人間は、やる気になれば、できるのだ」と、です。

先生と私とでは、月とスッポンですが、いつも月をながめてがんばっています。
(実のところ、今のこの日本で認められるということは、あきらめています。
だいたい、この日本を相手にしていないのですから……。)

どうかお体を大切に!
関節の具合はいかがですか?
血栓も無事防げたということは、メールを読んでわかりました。
よかったですね。

では……。

先生からいただいたインタビュー記事は、そのままBLOGなどに収録しますが、
よろしいですか。
不都合な点があれば、知らせてください。

なおたびたびですみませんが、先生から預かっている原稿が、山のようになっています。
こうした原稿も、随時、私のHPやBLOGなどで掲載してもよろしいでしょうか。
(現在、掲載しているのは、許可をいただいた分のみです。)

また気分のよいとき、返事をください。
待っています。

林 浩司


***********以下、田丸謙二先生より***************


1:はじめに
○インタビュアー:田丸先生、今日は土曜日で、先生おくつろぎのところ、わざわざ私ど
も化学遺産委員会のためにお時間を割いていただきまして誠にありがとうございます。
 私ども化学遺産委員会、日本化学会、もちろん先生は会長を以前にしていただいており
ましてよくご存じのところでございますが、化学遺産委員会というものを昨年3月に立ち
上げまして、その以前には化学アーカイブズという形で3年ぐらい事業を続けたんですが、
化学遺産委員会というわかりやすい名前に変えまして、そこでいろいろな事業を行ってい
るわけですが、その中の一つに、化学における立派なご業績を残された先生方、あるいは
企業で立派な仕事をなさった方々、そういった方々の人となりを声と映像で残そうという
事業を一つ行っております。

○田丸先生:先生は最初からご関係なんですか。

○インタビュアー:はい、一応やらされて。私、一応、今、化学遺産委員会委員長を引き
受けております植村でございます。
 それで、今日は、先生がご幼少のころからずっと今まで、どういうふうにして化学の道
に入ってこられて、どのような人生を歩んでこられたのか、それを先生にご自由にお話し
していただけたらと思っております。

2:生まれ育ちについて
 まず、どういうところからでも結構なんですが、一応、先生の簡単な生い立ちというも
の、先生は、まさにここ鎌倉でお生まれになったんですか。

○田丸先生:この家で生まれました。

○インタビュアー:そうでございますか。それでずっとここで育たれて、大学は東京大学。
そのときは先生、まだ東京帝国大学ですね。

○田丸先生:はい。

○インタビュアー:帝国大学の理学部化学科に行かれたとお聴きしておりますが、そのあ
たりまでのところで、何か先生、ちょっとお話していただけますとありがたいんですが。

○田丸先生:その辺りのことは私のホームページ(http://www6.ocn.ne.jp/~kenzitmr)に
も書いてあるんですけれども。小学校のときは、ここの鎌倉師範の附属に行っていて、そ
こを出て神奈川県立湘南中学校という、今の湘南高校ですけれども、旧制の中学に入って、
それで、そこでは化学が一番嫌いだったんですよ。成績も他の科目に比べて悪かったんで
す。
 私の成績のことをふだん言う人ではなかった父だったんですけれども、父が、やっぱり
自分が化学をやっていたせいか、「化学の何がわかんないの?」と聞かれて、返事に困った
ことがあるんです。要するに分からないというよりも、全くの暗記物だったんです、その
ころですね。だから毎週、もう「これ暗記したか」、「これ暗記したか」とばかり教えられ
て、要するにつまらなかったわけですね。ただ、父が言った一言を覚えているのは、「大学
に行くと、化学は今のと随分違うんだよ」というのは、ちょっと頭の隅に残ってはあった
んですね。
 とにかく大嫌いな化学だったのが、旧制高校に入りまして化学を学ぶと、もう全然違う
んですね。それこそ、なるほど、なるほどという話になって、今までのただ暗記すればい
い化学とは全然違って、「これはなかなか面白いな」と考えが変わったのです。
 ちょうど大学の入学試験に、僕の年まで分析実験の試験があったんです。未知試料をも
らって、これは何かという答えを2時間で分析して、そのレポートを書く。その練習まで
特別にさせてもらって、それで、なかなか面白いなと思って。今まで嫌いだったのが、そ
の時点で切り替わりました。やはり、なるほどというか、化学って考えてやるもんだなと
いう因子がそこで入ってきたわけです。
 そのころは、戦争中でしたから、勤労動員に行ったりしてなかなか勉強しにくかったん
ですけれども、私が大学を卒業したのが昭和21年で、終戦の翌年ですね。その頃は東京の
相当部分が焼け野原でしたし、財閥は賠償に取られるんだとかいろいろの噂があり、もう
いい就職口なんか全然なかったんです。ただ、戦争中に特別研究生と言って、助手並みの
給料をもらいながら研究をする、そういう理系の学生を育てるというシステムが終戦後も
残っていたんですね。

○インタビュアー:聞いたことがございますね。大学院入学から学位をもらうまで

○田丸先生:それで、そのいわゆる特研生にしていただけたものですから大学に残れて、
おかげさまで人生がそこである程度決まったわけです。

○インタビュアー:今、先生が言われましたが、お父様が化学をやっておられて、高名な、
後でまたお話ししていただくと思うんですが、非常に高名な、私が聴いたところによると、
日本化学会の会長先生がこの家から2人出ているというような、お父さんと息子さんでと
いう、そういうことをちょっと耳に挟んだことがありますけれども。

○田丸先生:そうですね。偉はそうえらそうなことを言うのではなくて、医者の子どもが
医者になりたがるのと似たような、余り深い哲学もなくて継いだという面もなくはないと
思うんです。

○インタビュアー:物すごくいい親孝行を先生はされたんですね。

3:大学院時代と就職
○田丸先生:いやいや。
 それで、私が後で考えて、一番大事だったと思うのは、大学院に行きまして、鮫島実三
郎先生のところに研究テーマをもらいに行ったわけです。何をしたらいいでしょうかと。
そうしたら鮫島先生が一言、「触媒をおやりになったらどうですか」と言われたんです。そ
のころ、もっとずうずうしければ、触媒をどういうふうにすればいいんですかと質問して
もよかったかもしれないんですけれども、そのころは、先生は偉い人で、そういう一言を
いただいて、「はい」と言って引き下がってきたんです。
 ところが、鮫島研究室の中には、例えば助教授の赤松秀雄先生は炭素の電気伝導度、あ
れは後で学士院賞になった有機半導体の研究、それから後にお茶大に移られた立花太郎先
生が煙霧質といって煙のことをやっていらしたし、それから、中川鶴太郎さんという後に
北大に行かれた人は液体の粘弾性というのをやっていたり、みんな違うことを勝手にやっ
ているんですよね。だから、誰に聴こうが、教わる先輩が全然いないんです。「触媒をおや
りになったら」と言われてもね。今、何が面白いんでしょうとか、普通は同じ研究室にみ
んな先輩がいて相談に乗ってくれるんですけれども研究室の中には誰もいない。しかも、
化学教室自体が、水島三一郎先生みたいに分子構造論とか、島村修先生の有機化学なんか
があるんですが、触媒をやっている人なんか一人もいないんです。
 しかも、もっと悪いのは、終戦直後ですから外国の文献が全然入ってこなかった。そう
すると、戦前の随分古い文献までしか文献がないんですね。それで、触媒をおやりになっ
たらと言われても、それからの4〜5カ月というのは、もう本当に苦しかったんです。何
をしていいのか自分で決めなければいけないわけですね。それで、古い本を見ていても、
分かったことは書いてあるんですけれど、研究というのはどういうものかというのは、大
学院の入りたてですから全然そういう下地がなくて、苦しい4〜5カ月に一生懸命考えて、
何をしたらいいだろうと迷いに迷って。1人で考えるものですから全然自信がないんです。
 でも、その迷いが後々まで、自分のやっていることが何か間違っていないだろうか、あ
るいはもっと発展するいい考えがないだろうか。それで、どういうふうに考えたらいいん
だろうかと、いつも研究しながら、自分で自分に問いかけながら研究をするという、そう
いう研究の基本を問わず語りに教わったわけですね。僕は、非常にいい経験だったなと後
になって思います。
 それで、さんざん迷った挙句実際に決めたのは、パラジウムを触媒とするアセチレンの
水素添加反応で、アセチレンからエチレンになって、更にエタンへ行きますよね。そのと
きに、あのころはもう研究費もないものですから、ただの真空ポンプで、反応容器を真空
にしてアセチレンと2倍の水素を入れてやったんですけれども。そうすると、全圧を計っ
ていると、だんだん時間と共に圧力が減るわけですね、水素化されますから。そうすると、
あるところで、何もしないのに急に反応が早く進むんですよ。「これは何だろう?」とよく
調べてみたら、アセチレンのある間はエチレンからエタンに行く反応が起こらないんです。
アセチレンが全部エチレンになったら、今度はエチレンの水素添加が早く進み始まるんで
すね。そういう二つの反応が一つの実験の中に別々にぽんと入っているんですね。
 これは、後で分かったのは、そのころ世界でも誰も知らなかったことだったんです。た
またまそういうものにぶつかったものでした。そうしたら、パラジウム触媒の分散度を変
えたら二つの水素化反応が如何に変わるか、触媒の担体を変えたらどうなるだろうか、そ
れから、触媒を部分的に被毒をさせたらどちらがどうなるだろうかと、いろんな実験がど
んどん後に続くわけですね。
 それで、その結果が数年後にアメリカで「Catalysis」というEmmett(BET吸着式の提唱
者の一人)がつくった本があって、その中に3ページほど引用されていて、結構新しい面白
いことだったわけで、それは全く運がよかったわけですよね。

○インタビュアー:先生、そのお仕事は、やはり邦文の論文として。

○田丸先生:欧文誌に出しました。

○インタビュアー:日本化学会の欧文誌に。

○田丸先生:そうです。

○インタビュアー:それは、きちんとエメットなんかが見て、それを。

○田丸先生:そうですね。多分Chemical Abstractsあたりを通したんではないでしょうか。
それでその結果学位をもらえたんです。幾つも印刷発表をしたものですから。そのころは
まだ、本当の大学院が発足していませんでしたけれども、いわゆる論文ドクターで、普通、
論文ドクターは、大学を出て7〜8年してもらうものだったんですね。

○インタビュアー:そうですね、普通は時間がかかりますね。

○田丸先生:「鮫島先生が卒業年度を間違えたんじゃないの?」と言われたくらい、4年で
もらえたんですよ。それで、ひき続き就職の話になるんですけれど、一年先輩の学年の人
や兵役解除された人達が一杯いてトテモ空いた地位がない。そのころはGHQがみんなコ
ントロールしていましたから、アメリカと同じに、日本では各県に1つずつ大学をつくる
んだよということになったのです。それまで、大学というのは数少なかったわけですね。
いわゆる旧制大学だけでしたから。それからアメリカ式の教育システムになるという話に
なっていました。丁度その頃横浜国立大学から人を求めてきたからどうですかと言われた
んです。しかしそのころは横浜国大と言っても、いわゆる横浜高等工業ですよね。研究な
んか、全然そんな雰囲気のところではなかったわけです。日本のいわゆる新制大学が全部
がそうでしたけれども。その上、横浜には夜学もあって、何か雑用ばかりさせられて、こ
んなことしてたんじゃとてもいけないなという感じで、それで、アメリカのPrinceton大
学に Sir Hugh Taylorという触媒では世界のリーダー的大物で、その弟子たちが各国にい
る、触媒の分野では本当の泰斗というか、開拓者の一人がおられて。

4:アメリカ留学時代
○インタビュアー:Sir Taylor。

○田丸先生:はい、Sir Hugh Taylor。それで、その方に学位論文と自分のことを書いて、
留学できませんかと手紙を直接出したんですね。そうしたら、たまたまテイラー先生がお
若いときにハーバー(Fritz Haber)の研究室を見に行ったら、私の父とお会いになったのを
覚えていらしたんです。それで、ハーバーがアンモニア合成に成功したのは、その下にLe 
Rossignolとか、田丸とか、すぐれた人がいたからだよとおっしゃるんです。
つまり、あのころ人類は、人口は増えるけれども、窒素肥料はチリ硝石に主に頼ってい
たんですが、もうそのチリ硝石も枯渇するのが目に見えている、人類の将来は飢餓が訪
れるともっぱら前世紀の初めには言われていて、Ramsay(Sir William Ramsay)とか、
Ostwald(
Wilhelm Ostwald) とか、Nernst(Walther Nernst)とか、後でノーベル賞をもらった連中
がみんな、一生懸命窒素固定のことをやっていたんですね。中には、空気中で放電して
NOxを作ることをやろうとしていたのもいましたけれども、窒素と水素からアンモニ
アをつくるというのが、本当にどれだけ行く反応なのか、窒素は不活性な気体ですから,
平衡定数がよくわからないで、みんな暗中模索でやっていたんですね。
 それで、Nernstという人が、高圧がいいに違いないというんで、高圧にして、平衡定数
を計ろうとしたんですけれども、データが不正確で、ブンゼン学会で1907年に有名な討論
があって、ネルンストは、結論として窒素と水素からアンモニアをつくるなんていうのは
工業的にも到底できない反応であると言いきったんですね。ハーバーは、実験が正確では
ないんだというので有名な討論があったのです。ハーバーはアンモニアの合成と分解の両
方から速度を求めただけでなく、窒素と水素の混合気体を触媒を通す循環系を使って循環
させ、それの途中でアンモニアを集める工夫をしてやる。そうするとだんだんアンモニア
がたまってくる。そういうアイデアでやったら、これで行くよという形になって、それで
初めて、1909年に、オスミウムを触媒にして、180 気圧、820 K でうまくやってみせたん
ですね。
 それで、BASFがそれに乗り出して、Bosch (Carl Bosch)が大変な苦労をして高温、
高圧の条件でスケイルアップし、Mittasch(Alvin Mittasch) がいい触媒を見つけるのに成
功したわけです。ハーバーは1918年にそれでノーベル賞をもらったんですけれども、ボッ
シュは高温、高圧の化学工業を初めて成功させたというので、1931年ですか、ノーベル賞
を貰っていますね。

○インタビュアー:いわゆる我々がハーバー・ボッシュ法と大学で習うあれでございます
ね。

○田丸先生:そうなんですね。

○インタビュアー:そのときの技術というのは、今の化学工業の一番の礎だ、基礎だとい
うところで、いまだに、それがあったからということを聞きますけれども、そうなんです
か。

○田丸先生:そうなんですね。Mittasch が、その反応に使ういい触媒がないかといって非
常にたくさんのものを探したんですね。その研究が、触媒の本性というか、それを随分明
らかにしたんですね。例えば、その際たまたまスウェーデンから出てきた鉄鉱石がいい触
媒だとわかって、それじゃといって、純粋の鉄を使うとだめなんですね。それで、なぜそ
うなんだろうというので、純粋の鉄に微量なものを加えると活性がぐんと上がる。いろん
なそういういわゆる助触媒作用というものとか、もちろん触媒作用の温度の影響や被毒現
象なんか、そういう触媒の性質を非常に明らかにした。ミッターシュ自身もノーベル賞を
もらってもいいくらい、本当に触媒の本性を初めて明らかにしたわけですね。
 テイラー先生はそういうのを見ていらっしゃったから、その田丸の息子なら雇ってもい
いと思われたらしくて、comfortable に生活できるからプリンストンへいらっしゃいと言
われて。

○インタビュアー:それは先生、昭和何年ごろですか。

○田丸先生:1953年です。昭和28年ですね。

○インタビュアー:講和条約ができた直後ですか。

○田丸先生:まだ珍しいころです。

○インタビュアー:そうですね。

○田丸先生:ちょうどフルブライトがあったものですから、それで家内と行かせてもらっ
て。日本じゃ、あのころ、生活費の中で食費が占める割合であるエンゲル係数というのは
大体60%、まだ食べるのがやっとの時代でした。そのころアメリカに行って、日本にまだ
なかったスーパーマーケットで、食べたいものをみんな、アイスクリームでも何でもかご
に入れられて、それが一番の感激でした。一桁以上違う生活レベルでしたから。
 それで、実験施設もいいし、テイラー先生がとってもよくしてくださったんです。そこ
で、いろいろの話から問わず語りに、研究というのは頭でするものだよというのを非常に
深く教えていただきました。実際にテイラー先生の弟子たちが、世界中、方々にいたんで
す。ですから、後で方々に行くと、おまえ、「プリンストンの田丸だね」と言って、とても
よくしていただいて。
 例えば、ソ連なんかではボレスコフ(G,K,Boreskov)という大物がいたんです。ノボシビ
ルスクの触媒研究所の所長で、アカデミシャンで、ソ連の中で触媒関係についていろいろ
決めていた。それが、「テイラーがあなたのことをベストなスチューデントだと言ってたよ」
といって、私がいろいろな国際会議の議長や国際触媒学会(第9回ICC) (International 
Congress on Catalysis)(1956年以来4年毎に開かれている大きな国際触媒学会で、昨年
韓国のソウルで第14回が開催された。第1回からこれまで14回全部のICCに参加したの
が世界で私一人だけになってしまって特別に挨拶させられた)の会長をやっていたときに
も、例えば台湾を1国として数えるかどうかとかいろいろな問題があったんですけれども、
米ソの軋轢の中でボレスコフさんはとても協力的にやってくれました。そういう意味では、
テイラー先生のおかげで、随分助かったんです。

5:In-situ dynamic characterizationの始まり
 テイラー先生のところでやった実験というのは、ゲルマニウムの水素化物のゲルマニウ
ムの上での分解反応なんですけれども、それをやっているときに思いついたのは、触媒反
応の反応中の触媒の表面の反応現場、それがどうなっているかを直接調べたいというアイ
デアを生んだんです。それまでは、触媒というのは微量で反応速度を促進するものという
ことで、いつもブラックボックスの中に入っていて、ブラックボックスの入り口と出口の
情報を基にして、例えば反応速度式の情報から、反応はこういうふうに行くのではないか
という推論だけやっていたんですね。
 ところが、僕はやっぱり、本当に大事なのは反応をしている最中に触媒表面の現場を見
ることである。何がどんな形でくっついているのか、それがどういうダイナミックな挙動
をするか、どんな反応経路を経て反応が行っているのか、そういうものを、後でisotope jump 
method と称したんですが、定常的に反応が進んでいる最中に、ある反応物を同位元素で印
を持ったものにぽっと置き換えるんですね。その同位元素が吸着種の中に現れてきて、そ
れからこっちへ行って最後に反応生成物に行くという、その反応経路もわかるようになる
わけです、 
 それで、兎に角触媒反応が進んでいる状態で触媒表面を直接調べようということをテイ
ラー先生に申し上げたんです。まず触媒を普段よりうんと多くして、閉じた循環系で
反応速度を測りながらやりますと吸着種とその量が分かるのです。そうしたら、先生はそ
のときに、直ぐにその意味を分かってくださり、「You are very ambitious」更にもう一度
「You are very ambitious!」とため息混じりに二度繰り返されました。でも、まだ世界中
でそれまで誰もしたことがないのに、そんなこと果たして本当にできるのかと先ず仰いま
した。じゃ、その計画を持っていらっしゃいというので、翌日、触媒をこれだけ入れて、
こうやって、こうすると、このくらいできますよといって、「じゃ、やってごらん」という
ので、そこで触媒反応中の触媒表面の直接の観察が初めて始まったんです。

○インタビュアー:You are very ambitiousと言われたわけですね。

○田丸先生:はい。それで、パリで1960年に大きな触媒の国際会議(第2回ICC)があっ
て、そこでテイラー先生が、僕のアイデアを引用して招待講演をなさったんですけれども、
触媒作用はこれまで反応機構が暗中模索だったけれど、これからは田丸のアイデイアで、
新しい頁が開けるよ。こうやって反応の起こっている現場を調べていくと本当の触媒作用
の機構がわかるんだよと。これから新しい触媒の研究面が生まれて、それを基にして、あ
とは反応中間体の調べ方を開拓していけば、ちょうどそのころ、吸着種を調べる赤外分光
も出てきたし、それから電子分光も直ぐに出てきて、そういう新しいアプローチも出てき
たころだったからよかったんですけれども、いわゆるワーキングステイトの触媒の表面が
どうなって、どういう反応経路を経て反応が行くかというのを調べ始めて、程なく何百と
いう研究報告がその新しい線に沿って出てきて、いわゆる触媒作用の分野が本当のサイエ
ンスになったんですね。それまでだとただ外側から推論だけだったのが。

○インタビュアー:今のことは、インサイトーの、インシチユーの、それの中で吸着がど
のようになっているかというようなことを見るというアイデアだったわけですね。

○田丸先生:そうなんですね。触媒のin-situ dynamic characterizationの始まり、つま
り、触媒の表面を反応中に直接調べるという。それで、そういう線に沿ってその後にEXAFS
とかいろんな新しい手法で調べるダイナミックなキャラクタリゼーションを色々の人が始
めて、それがだんだん積み重なって、一昨年、ベルリンのフリッツ・ハーバー研究所のデ
ィレクターだったErtl(Gerhard Ertl)がノーベル化学賞をもらいましたけれども。

○インタビュアー:ドイツの人。

○田丸先生:はい。触媒の基礎としてPhotoemission electron microscope という面白い
手法で、反応中の触媒表面を反応中に調べたんですね。そういうこともあってノーベル賞
をもらいましたけれども、私が言い出してからの50年間というのが、そういう触媒のサイ
エンスが飛躍的に進歩発展していった時代で。

○インタビュアー:要するに、先生が、そのノーベル賞につながった一番最初のところの
提案者というか、そういう感じでございますね。

○田丸先生:そうですね。ちょっと言い過ぎかもしれないですが。
 
6:Princetonからの帰国
それで、1956年にプリンストンから日本へ帰ってきて、触媒討論会で初めてそれの反応
例を、タングステンによるアンモニアの分解の結果を発表したんですね。そうしたら、
堀内寿郎先生という当時北大の触媒研究所の所長さんで、後で総長になられましたけれ
ども、その先生はいつもスピーカーのすぐ前に座っていらっしゃるんですよ。それで、
僕の話が終わったら、すっくと立ち上がって、本当に言葉を尽くして褒めてくださいま
した。これはすばらしい研究だと。触媒の研究が、これでこれからは本当のサイエンス
になるんだと。
 それで、私についていらっしゃいと仰るんです。どこへ行くのかなと思ってついて行っ
たら、文部省に行かれて、文部省の研究助成課の課長、中西さんとそのころ言った、その
人に会って、堀内先生だからそういうところへ行って、会えたんですね。田丸は今将来学
士院賞をもらうほどの素晴らしい新しい研究をやっているから、是非幾らかでも補助して
あげられないかと個人的に交渉なさって、当時、特別に15万円もらって。15万円って少額
ですけれども、そのころ私は横浜の助教授の、まだ30歳ちょっと超えたころで、もう本当
に真空ポンプ一つ買うにも苦労していたものですからとっても助かりましたし、そのよう
に励ましていただいたということですね。堀内先生とは師弟関係があったわけじゃなかっ
たんですけれども、そうやって特別に褒めていただいたのは、とてもありがたかったなと
思うんですね。

○インタビュアー:見抜かれる方もそうですが、見抜く方もすごいもんですね、やはり。
立派なものですね。

○田丸先生:それで、これは学士院賞に値すると褒めてくださったんですが、本当にもら
ったのは何十年か後でしたけれども。

○インタビュアー:先生は学士院賞もいただきましたですね。

○田丸先生:だから、触媒が新しいサイエンスとなった、新しいページを開いた時代でし
たから、やること、なすことみんなexcitingで、面白いんですね。基本的な触媒反応につ
いて、この反応の中間体は、今まで教科書なんかに書いてあることと全然違うことも出て
くるんですね。学生たちも非常によく働いてくれたものですから、新しいことが沢山出て
と来てとても面白かった時代です。

○インタビュアー:先生はプリンストンには2年ぐらいいらっしゃったわけですか。

○田丸先生:3年近くいました。あちらで双生児が生まれましてね、おしめのことなどあ
り,まだその頃は長旅はすぐ帰れませんからというので、双生児を理由にして1年延ばし
てもらって。双生児のおかげでよかったんですけれども。 (その双生児が生まれた病院で
一ヶ月後にアインシュタインが亡くなりました)

○インタビュアー:それは、横浜国大に籍を置いたままやらせていただく。

○田丸先生:そうです。それで、横浜の方では、(当然のことながら)人手が足りなくて困
って大分冷たいことを言われましたけれども、双生児で今本当に困っているんだから、長
旅はちょっと待ってよということで。だから、帰国までにいい実験結果もまとまりました
し、帰国後も学生に本当に新しい局面の実験をさせることができたんですけれども。
 私がいつも口癖のように言っていたのは、「せっかくいい頭をお持ちなんだから、よく考
えなさい」と。よく偉い先生が、アイデアがたくさんあって、おまえはこれやりなさい、
おまえはこれやりなさいと先生からテーマをもらって、院生は人手として実験して、確か
にいい仕事ができるんですけれども、研究テーマをもらってやっただけでは、その後、独
立すると育たないんですね。それじゃいけないからと思って、テイラー先生のやり方もそ
うだったんですが、とにかく研究は頭でするものだというフィロゾフィーですね。
 「せっかくいい頭をお持ちなんだからよく考えなさい」と、ここにいる人たちも言われ
たと思うんです。ただ、初め、みんな皮肉を言われたと思うんですね。ところが、僕にし
てみれば、頭は使えば使うほどいい頭になるんですよね。そういう基本があったものです
から、みんなやはり研究は何か新しいことを、先生からもらったテーマだけじゃなくて、
それをいかに発展させるかというのを考えてくれたというのがあります。そうやって考え
に考えて自分で新しいアイデイアを考え付く体験はその人の一生の宝になるものです。

○インタビュアー:それは、先生も、鮫島先生からそういうご指導を受け、またテイラー
先生から受けられたという、それがきちんと身になって。

7:Independent thinker について
○田丸先生:それが基本になっているのではないかと思いますね。ですから、口の悪いの
が冗談半分に、私がいつもそう言っているのは、「あれは先生にアイデアがないからだよ」
と言った人もいるんですけど、必ずしもそうではなくて、学生によると、僕が例の通りそ
う言うと、これは自分で考えに考えてこう考えるのです、と言うから、それじゃやっぱり
足りないよ。こういうこともあるだろう、ああいうアプローチもあるだろうと、やはりそ
のくらい言える準備はしていないといけないんですけれども。

○インタビュアー:学生が、本当は先生もわかってるんだなと思うわけですね。

○田丸先生:それで皆さん、自分でよく考えていただいて。だから、例えばここにいる人
たちは、みんな東大の名誉教授と東大教授ですけれども、その前は、田中虔一君は北大か
ら東大に呼ばれたし、川合真紀さんは理研から、それから堂免一成君は東工大からとか、
初めいろいろなところへ就職させても、その先々で自分で考えていい仕事をしてくれたも
のですから、その結果として東大に招かれて。だから、僕は別に東大で政治的にどうした
ということは全然なくて、そういう仕事を通して研究室の卒業生の中から東大に8人も集
まったということだと思うんです。その他、京大、阪大、東工大などなどにもいますし、
私の研究室を出て大学教授になった連中はざっと数えても40人近くおりますし、国立の
研究所や企業でも活躍している人達も少なくありません。そういうお弟子さんのおかげで、
それこそ弟子でもってるねというのがそれなんですけれども。

○インタビュアー:今日はちょうどそのお三人の先生方もいてくださっているので、先生
は心強く話していただけると。

○田丸先生:お蔭様で、しかし間違ったことを言ったら言ってください。

○インタビュアー:いやいや、それは本当です。

○田丸先生:考えるに、大学院の時代でも、よく考えろ、考えろと言われると、考えるよ
うになるもんだなという感じがしますね。
 本当は、日本の教育が、自分で自立して考える教育というのが大変に乏しい。先生も生
徒も、自分の考えが足りないことは自分では気がつかないものなんです。外国ではもう幼
稚園、小学校からやるんですよね。「お前はどう考えるか」、と。そうしてお互いに議論し
合うことを通して自分の考え方を作り上げるのです。
私の孫で大山令生(レオ)というのは、アメリカで小学校2年までやって日本に帰っ
てきたんですね。それで、何をするかいうと、コップに水を入れて、自分の腕時計を
水の中に入れているんですよ。「おまえ、何してんのよ!」と言ったら、「これ、防水
って書いてある」と。実験しているんですね。
 それから、「救急車がこっちへ来るときは高い音で、向こうへ行くとき低い音になるのは
なぜ?」とか、「台風のメってどんなものなの?」とか、小学校2年生のくせに自分で考え
てどんどん質問するんですよね。それで、彼の小学校の先生が、私は長い間先生をしてい
たけれど、こんな利口な子、見たことないと言いました。それが、どうでしょう、日本に
いるともう見る見るうちに質問しなくなりましたね。普通の子になってしまいました。

○インタビュアー:日本に帰ってこられてからですか。

○田丸先生:そうです。日本の教育は教科書を覚えさせられて、入学試験の準備をさせら
れて、ということで、自分で考える教育が殆どない。もう本当に見る見るうちに普通の子
になりました。日本の教育は生まれつき才能を持っている子供たちでもその才能を引き出
して(educeして)育てることなしにみな普通の子にしてしまうんですよね。個性を育てる
本当のeducation が存在していないのです。
そういう個性を伸ばす教育は、小学校時代からちゃんとしないといけないんだなという、
そうするのが本当の教育だなという感じがいたしますね。

○インタビュアー:先生、教育については、日本化学会の雑誌の『化学と工業』とか『化
学と教育』とかにもしばしばエデュースということについて書いていただいていますね。

○田丸先生:アメリカで母親として子供を育てた娘も一緒に書いてくれましたが、小学校
の校長先生にどんな子供を育てるのかと尋ねると、アメリカではindependent thinkerと
言って、自分で考えさせるという基本を小学校時代から心がけるのです。お前はどう考え
るか、の繰り返しで、debateしながら、各人がそれぞれ生来持っている異なった個性を伸
ばしながら、みんなで協力して民主主義が育つんだという哲学ですね。日本の小学校の先
生でindependent thinker を育てようとしている先生が何人いるでしょうか。日本だと、
何かみんなと違う考えだと村八分になったりして、みんなと協力するという、「和をもって
貴しとなす」という、いい面もあるんですけれども、逆に言うと、個が育つ環境がないわ
けですね。
 本当に日本はこれから、殊にコンピューターの時代に、時代の変化が加速度的にどんど
ん速くなっていきますね。そういうときに、「教え込み教育」を通して単なる物知りなどを
つくっている教育ではだめなんで、やはり自分で考えられる、そういう変化の激しい時代
をリードできる人間というのは、やっぱりそういうindependent thinkerとして、自分で
考えるクリエイテイブな教育を受けさせることが必要で、これから日本は教育を基本的に
変えていかなければいけないのではないかなという感じがします。私の院生の連中は電子
供与体と電子受容体とを組み合わせて所謂「EDA錯体の触媒作用」もやっていたのもいまし
たが、両者の組み合わせでそれぞれと全く異なった触媒作用が現れるのです。鉄フタロシ
アニンとカリウムの錯体など、アンモニア合成を室温で進ませるものもでてきたりして、
沢山のデータを集めて「EDA錯体の触媒作用」として一冊の本に纏めてあります。
 私の経験からも、特に大学院に入って最初の1−2年に知的体力を蓄えることが非常に大
事なんですね、研究とは如何なることをするものかという正しい概念を身につけることで
すが、なかなか難しいことですけれど。現在の一つの現実的な問題は近視眼的な成果を求
める傾向もあって、日本学生支援機構(旧育英会)からの奨学金返済のシステムの変更があ
りますが、学問する上で学生にとっては大変に重要な問題になっているようです。
一方研究費については昔に比べると場所によっては近頃研究費は随分増えましたね。堂
免君のところなんて30人近くも抱えている。よくやっているとは思いますが。研究費で
は、僕なんていつも研究費が足りないので苦しみ、苦しみしてやってきたものですけれ
ども。ただ、そういう十分になってきた研究費が、さっきのように、本当に研究という
のは、自分でいつも考えに考えてやるものだという、それで練習問題的なことでなく、
新しいことをやらなければいけないという基本的な厳しい考え方が薄れて、イージーに
なってくる恐れを感じるのですが。研究費の出し方も同様ですが。
 勝手な考え方ですけれども、やはり、殊に大学院に進んで最初の数カ月、テーマをいた
だいてからの苦しみというか、厳しさというか、本当に研究って何をするんだろう?何を
やっても、もっといい考えがないかとしょっちゅう自分で悩みながら研究をするものだと
いうことを実際に教えていただくという、それは、研究者として基本的な大事なことだと
思います。

○インタビュアー:それが先生の仕事の本当の原点になっているんですね。

○田丸先生:大学院生なんかは、人手として使って、仕事をさせて、ペーパーは出るかも
しれないけれども、本当に研究の基本というものを、大学院生になって初めて研究に携わ
るときに、研究とは何をするのか、independent thinkerとして、自分で考えに考えて自立
した研究者になってくれればいいんですけれどもね。それが「知的体力」作りなんですね。
それをしないと、大学以下の受け取るだけの教育の延長では駄目なので、殊に新しく大学
院に入ってきた連中の研究者としての才能を育てていない感じがします。
○インタビュアー:そういう指導者であるべきだということですね。だから、先生のお弟
子さんは、そういう姿を見ておられるので、そういう感じの指導者になっていっておられ
るんだと私は思いますね。

○田丸先生:私のところから出て独立すると、みんなそれぞれ独立して立派な仕事をして
くれていますから、そこが少し違うのではないかという気がいたします。

○インタビュアー:確かに、最近ですと、大学院もきちんと充実してきて、例えば学部制
で入ってきても、テーマも上の先輩がやっているものの、まずは手助けぐらいから入った
りして、余り考えなくてもごく自然にやる。上の人がある程度仕事をやっていると、論文
として名前が出たりとか、「研究ってこんなものかな」と思いがちなところがございますよ
ね。

○田丸先生:そうなんです。新しく「研究」と言うものを学ぶときに、いい加減なことを
研究だと思い込ませるとその人の研究者としての才能を一生つぶすことになるわけです。

○インタビュアー:それは、一つは有能な方々が集まってきていたということはあったで
しょうね。ほとんど小中高校ぐらいの本当のトップだけが集まっていっているようなとこ
ろですから、先生もそういう指導がいいと思われたのかもしれないですね。

○田丸先生:でも、いわゆる秀才と、それからそういう新しいことを考えれる独創性とは、
やはり根本的に違うんですね。教えられたことを全て答えられる、そういう秀才だからい
い研究者というわけではないんですね。その辺の、習ったことを理解して覚えるだけでは
なくて、independent thinkerとして、自分で新しいことをcreativeに考える努力をする
という、人によって才能も違いますけれども、皆さん、そういう意味で努力してくれた結
果だと思うんです。出藍の誉れというのはみんな。

卒業生の活躍
○インタビュアー:先生もそうでしたし、先生のお弟子さん方も皆、やはり能力ある上に、
よく考えるということをされた方々が、その結果として、先生がおっしゃったように、40
人近い弟子たちが大学教授となり、中には東京大学だけでも8人も教授がいらっしゃる、
あるいは京大や阪大、東工大、北大にもいらっしゃると言うことですが、そういう人たち
が、また次の世代を先生の思想をもとに教えていっているというのは、非常にありがたい
ことですね。うれしいことですね。

○田丸先生:そうですね、今、弟子の弟子、つまり孫弟子を育てていますからね。少なく
とも、孫の育て方を厳しくきちんと考えてやりなさいという考え方を伝えてほしいなと思
うのです。さっき言ったように、時代の変化がますます激しくなってくる、そういう変化
の激しい時代をリードできるには、やはり自分で考えないといけないんですね。コンピュ
ーターができる物知りだけでは、これからはますますいけなくなるのではないかと。僕も、
先が短いですけれども、とにかくそういう、みんなが、もう少し日本人の教育全体的に、
independent thinkerとして、そういう個性を育てる教育がこれからますます必要になるの
ではないかと。

○インタビュアー:ちょっともとへ戻りますが、横浜国大で何年間かいらっしゃった後、
古巣へ戻るというか、先生はまた東京大学へ移られたわけでございますね。それで、そこ
でまた20年ぐらいいらっしゃったのでしょうか。

○田丸先生:そうです。東大の教授になったのが40ちょっと前ですから教授として20年
いました。その前に横浜に教授として4年半いたんです。そのときは僕も一生懸命実験を
したし、それなりに新しいやり方をやってもらったり、したりして、4年半教えた研究室
に毎年4人くらい来ましたか、その中から3人東大教授が出ましたし、大学教授になった
連中も幾人もいます。学生の質もよかったんですけれども、そのころから人が育ち始めて。
夜学なんかは随分つらかったけれども、学生がよくできて、そういう意味では、本当に私
は幸せだったと思います。

8:アドミニストレイションについて
○インタビュアー:先生、東京大学の方に戻られてからは、結構、学内のいろいろなアド
ミニストレーション的なお仕事も大分していらっしゃるのではないですか。

○田丸先生:それは、ちょっと話があるのですけれども、プリンストンに小平邦彦先生と
いうフィールド賞をもらわれた有名な数学の先生がいらして。

○インタビュアー:小平先生、数学者。

○田丸先生:あの方がプリンストンに一番最初からいらして、日本人の仲間の村長さんみ
たいだったんですけれども、その100メートルぐらいのところに私たちは住んでいて、し
ょっちゅうお邪魔に上がり、先生も僕たちとはとてもよく話してくださって、小平式の考
え方がとても勉強になりました。
 小平先生が帰国されて程なく、紛争の直後だったわけですよ。それで、事もあろうに、
理学部の教授会が小平先生を理学部長に選んだんですよね。それで、小平先生はもう絶対
に嫌だ、そんなために日本に帰ってきたのではないから絶対に嫌だと言われて。だけれど
も、教授会で一旦選ばれて断れるという前例をつくられると、あの時代に、なる人がいな
くなりますでしょう。だから、みんなで助けるから是非断らないでくれと言って。そうし
たら、化学では田丸さんを知っていると言うんですね。それで僕が学部長補佐の中に入れ
られて、学生とごたごたさせられて。あのころ、いろいろ大変だったでしょう。

○インタビュアー:そうですね。

○田丸先生:もうそれこそ学生が、先生たちは「専門ばか」だと言って。小平先生が、「先
生は「専門ばか」と言われるけど、学生はただの「ばか」だね」と(笑)。小平語録という、そういう面白い話がたくさんあるんです。そんな形で、そういうアドミニストレーション
に引っ張り込まれたわけです。それまではもう研究しかやっていなかったんですけれども。

○インタビュアー:それから後、もちろん研究者としては、我々は日本化学会ですから、
化学会賞も先生に取っていただいていますし、化学会の会長にもなってご尽力していただ
きましたね。いろいろあるんですが、先生は、東京大学をご退官になってから、たしか、
今、山口東京理科大という、最初からそうだったんでしたか。

9:東京理科大時代と新しい大学作り

○田丸先生:東大を辞めて、東京理科大にまず行ったわけですね。理科大で呼んでくださ
って、そこに11年いました。神楽坂のあそこへ。でも、その終わりのころは、山口に短大
があったんですね。それを4年制にするから大学づくりを手伝ってくれと。僕は、まずよ
い大学を作るのには人集めが大切だからといって。でも、田舎の小さい大学なのに、随分
いい人が来てくれました。僕が言うと変ですけれども、田丸先生だからあれだけ集まった
んですねと言われ、例えば、木下実さんという学士院賞を後でもらった人も来てくれたし、
東大からは化学会で賞をもらった戸嶋直樹さんとか、清水忠二先生とか、東工大から山本
経二さんとか、いろいろないい人が随分来てくれて。ただ、残念ながら、今はもうほとん
ど定年になって辞めていきますけれども。だから今、大分苦しい立場らしいですけれども。
 そのころは、新しい大学とはどういうものであるべきかというので、初め東京理科大の
中で、橘高先生という偉い理事長さんが、「理科大の教育を高度化する委員会」をつくって、
その委員長をさせられたんです。それで私は、まず、アメリカ式に、教育を充実させよう、
先生の講義に学生が意見を出すべきだと、いろいろなそういう話をしたら、皆さん、その
ときはもう、「とんでもない、学生の分際で先生の講義を……」と、そういう雰囲気だった
んです。それで、その新しい考え方を山口で実施したわけです。ですから、そのころの一
部の人は知っていますけれども、要するに、理科大はこうあるべきだというモデルをそこ
につくって、例えば人事をするときは、自分たちだけではなくて、その分野の専門家も学
外から入れて決めるべきだとか、カリキュラム自体も、例えば数学の先生が書いてくるも
のをそのまま受け取るのではなくて、やはり全体的に客観的な意見を学外からも求めて、
全体的にきちんとしたカリキュラムをするべきだとか、今まで習慣的にやってきた大学の
あり方を大きく変えて、山口で始めました。今どうなっているか知りませんけれども。

10:大学入試について
○インタビュアー:少し戻りますが、先生は、山口東京理科大で、モデルケースをつくろ
うというか、一つの実験をしようという感じだったと思うんですが、入学試験の制度を変
えたらどうかということを、私、何か先生のお話を聴いたことがあるんですが、それはど
んなものだったんでしょうか。

○田丸先生:さっき言ったように、これからあるべき大学の姿をつくりたいといって、入
学試験を面接に加えて教科書持参で筆記試験をやったんです。高校以下の教育を改善する
には大学の入試を改善することが大事なんですね。福井謙一先生も何時も言っておられま
した、「今の大学の入試はどうでもいいこまかいことまで覚えさせられて、あれは若い人の
芽を摘んでいるんですよ」と。

○インタビュアー:教科書持参ですか。なるほど。

○田丸先生:文部省検定の教科書を持ってきていいよ。すると、教科書を持っているから、
「これ覚えているか?」式の暗記問題はできないんですよね。教科書を本当に理解してい
るか、こういう場合はどうすればいいのか、という考える問題にしたのです。福井先生が
それを聞かれて大変に褒めていただきました。その大学の開学式にご挨拶してくださり、
その冒頭に入試についてお褒めの言葉を頂きました。
 ですから、例えば、塩と砂糖と白い砂がまざっているものがある。それがどのくらいの
割合であるかどうやって調べればいいか、そうやって教科書には全然出ていない考え方を
聞くわけですね。そうすると、実によくわかりますね、この子は考えることができる子か、
たとえ結論が間違っていても、ちゃんと食いついてくる子かどうかというのが、非常によ
くわかります。
 だから、ああいうのは、入学試験で、例えば大学院の試験でもそうかもしれないんです
けれども、普通の講義の試験になっていると、要するに入学試験の準備で、日本は高等学
校の理科を見ても、「わかったか、覚えておけ」、そういう一方的な教え込む授業ばかりで
すよね。またそれが入試対策にはいい教え方なんです。それで、大学へ来ても、そういう
延長ですから、生徒から先生に質問がろくにないわけです。アメリカだと、極端な場合は、
講義の後、先生の部屋の前に並んで待っていますよ、ディスカッションするために。日本
じゃ、ただ受け取るだけの話で、それで大学院へ来るわけですね。それでクリエイティブ
なことをしろと言ったって自立していないからできない。ついイージーな教育になってし
まうので、ほんとうの「研究」から大きく外れて一生損をします。 
 本当に、さっきの私が経験したような辛い思いを大学院に入って数カ月、「おまえ考えろ」
だけでもいいです。何をすればいいかね。そうやって、やはり研究というのは考えるもの
だと。それが知的体力を鍛えるのです。そうして人生全体に、independent thinkerとして、
やはり考える自立した人間をつくらなければいけないんだということで、入試を変えない
といけないですね。

○インタビュアー:それは、先生がそう言われても、例えば入学試験の問題をつくるのは、
今までいた教官なわけですね。そうするとなかなか。

○田丸先生:それが見えてくる。非常にはっきり分かれるんです。「先生、問題をつくれま
せん」と。確かに容易ではないんですけれどもね。だけども、本当に考えられる人は研究
も立派に出来ます。或いは研究の優れた人は自分で独自に考えることができますし問題も
作れます。きちんと考えますから。だから、僕は、大学院の試験でも同じように、講義の
試験をするようなことではなくて、例えば、高等学校のときに習って覚えている話があり
ますけれども、例えばアボガドロの法則といったようなものを、気体の体積、圧力が同じ
で同じ数の分子があるとか、そういうものを習いますよね。それから、食塩はイオン結晶
だよとか、水素と塩素の反応は連鎖反応だとか教わりますよね。だから、そういう三つの
ことをみんなよく知っているんだけれども、では、それぞれを実験的に証明する仕方を述
べなさいと出題するわけです。そうすると、よくわかるんですよね。よく知っていること
を、どうしてそうなのか実験的に証明しろと言われると、本当にその人の考える力がわか
るんですね。
 そういう意味で、教育自体が、入学試験を含めて自分で考えてやるものだという。ただ、
先生がこう言ったから、はいわかりましたと覚えて、物知りになって出てくる、そうやっ
て育ってくる人間ではなくて、「先生そう言うけど、これはなぜ?」とか、さっきの小学校
2年の孫が聞いたのと同じことなんです。そうやって、それぞれの事柄が、バックがきち
んとあるのを、みんなただ教科書を覚えさせられてもだめなんですよね。

○インタビュアー:先生、試験のそういう試みをされたときは、全学の受験生に対してそ
れをされたわけですか、それともある学科だけ。

○田丸先生:いや、全部。全部といっても、学部は1つしかなかった小さい大学ですから。

○インタビュアー:その結果は、先生、どんな感じ、何年間ぐらい続くことが可能でござ
いましたか。

○田丸先生:だから、時々そうやって選んだ生徒はどうなっていますかと言われるんです。
あとよくわからないんですけれども、一つは、初めから受験生の質の問題もありますから
わかりませんが、日本全体の入学試験自体が問題で。アメリカ辺りでも、有名大学によっ
てはクリエイティビティーとリーダーシップを見て選ぶとか言いますね。そうやって人の
上にたつ人を資料や面接を通してきちんと見るんですね。ケンブリッジでもそうです。教
科書を丸暗記しているような子は採らない。やはり自分で考えられる将来のリーダーを選
ぶんですね。
 本当は東大でも、そういう意味で、将来のリーダーを選ぶクリエイテイブな入学試験を、
面接などに時間がかかるかもしれないけれども、2倍ぐらいに絞ってからでもいいですが、
そういう自分で考えられる人間を選び育てるんだという姿勢で、それこそ京大でも、東大
でもみんなそういうことにいたしますと、高等学校以下でもそれに備えてそういう準備教
育をいたしますから、だんだん自分で考える人間が育ってくるわけですね。そういうのが
私の意見です。

○インタビュアー:山口理科大で先生がそういう試みをされたときは、そのころは文部省
でしょうか、それは別に、「どうぞやってください」という、それに対して何らか規制とい
うか抵抗は別になかったわけですね。

○田丸先生:私立ですし、理事長さんが僕の意見を入れてくださったからよかったんです。
でも、教科書持参の試験を一部でいいですからやるのもアイデアだと思うんです。

○インタビュアー:そうですね。

○田丸先生:例えばサッカーの選手だって、練習で余りこまかい受験準備はできなかった
けれども、そういう考え方には自信があるよというのは、そっちの方へ行って受けるとか
ね。しかし本当に問題づくりが難しいんですよ。だから、要するに先生のクリエイティビ
ティーの問題なんですよね。

○インタビュアー:そんな感じはしますね。

○田丸先生:ですから、逆に言うと、先生を選ぶ人事のときも、そういうことができる人
間を大学として大事にする、またそういう人は研究面でも必ず優れています。そういうこ
とをしないと、ただ知識を教えるだけなら、教科書に書いてあるのを説明するだけで、「わ
かったか、おい」とかというだけの話ですから自分で考えるようには育たないですね。

11:父親、田丸節郎について

○インタビュアー:先生、ちょっと話が変わりますが、一番最初のころに出ました先生の
お父様、何といってもハーバーとの関係で、我々、表面だけなんですが非常によく存じ上
げているのですが、そのあたりのことをちょっとお伺いしておければありがたいと思うん
ですが、お父様は、やはり東京大学をご卒業されてから向こうに行かれたわけですか。

○田丸先生:そうです。(亡父の兄は田丸卓郎で、東大の物理の教授で寺田寅彦の先生とし
て、またローマ字論者として知られている)

○インタビュアー:第一次世界大戦の前。

○田丸先生:文部省の留学生としてハーバーのところに行ったんですね。それで、カール
スルーエでアンモニア合成をやって、40人もいたそうですけれども、ハーバーがベルリン
の新しい研究所(現 Fritz-Haber-Institut der Max-Planck-Gesellshaft,Berlin)の所
長に選ばれたときに、その中から父を選んで連れていって研究職員にしたんですね。その
研究所が世界一の研究所で、アインシュタイン(Albert Einstein)などもいたし、日本人も
随分そこに留学に行っています。

○インタビュアー:何年間ぐらいドイツというか、いらっしゃったんですか。

○田丸先生:合計8年ぐらいだったと思います。だから、ベルリンにいた日本の大使が父
に、「日本からどんないい職が来ても、私が断ってあげますよ」と言ったそうだけれども、
それだけ日本人として大変に珍しく重要な地位だったらしいのですが、世界大戦が始まる
と、ドイツは日本の敵ですからおれなくなって。
   
○インタビュアー:第一次世界大戦ですね。

○田丸先生:それでニューヨークに行って、高峰さんなんかと一緒にいて、日本に理研を
つくろうじゃないかと話し合ったりして。ハーバードにもいましたけれども。

○インタビュアー:それで高峰譲吉先生とか

○田丸先生:はい。理研も最初、化学の研究室は父が責任を持ってつくって、日本に初め
て本式の化学の実験室というのをつくりたいというので、相当無理したらしいです。その
頃日本にはなかった本当の化学の研究室のモデルをつくりたいと。それで多分、費用もか
かって大分言われたらしいのですが、大震災で他の建物は大分つぶれてしまったのにその
建物はガラス1枚割れなかったというので大変に評価されたらしいんです。

○インタビュアー:震災というと、それは関東大震災ですか。

○田丸先生:そうです。

○インタビュアー:ああ、そうなんですか。

○田丸先生:大正12年のね。僕が生まれる前です。

 父が一番最後に努力したのは、学術振興会をつくることでした。昭和一桁の時は、ご存
じのように、日本の経済は非常に悪かったので、せっかく理研なんかをつくっても、研究
費が削られることはあっても、来にくかったんですね。大学でもほとんど研究費が乏しく
て、これではとてもいけないからというので、桜井錠二先生を担いで、父も必死になって
学術振興会をつくる運動をしました。身体が悪かったんですけれども無理をしながら。結
局、一番最後は、手回ししたんでしょうが、昭和天皇が、私の身の回りのことは幾ら節約
してもいいから、学術振興のためにお金を出してくれとおっしゃってくださったんですね。
それで、昭和7年かにできて、それで、それから急に論文の数が日本で倍くらいに増えて、
論文だけじゃなくて、それで人材が育ったんですね。その人材が次の代を育てて日本が発
展していった、それが父の一番の苦労でした。

○インタビュアー:櫻井錠二先生。お名前は。

○田丸先生:先生の残された遺言書に書いてありますけれども、学術振興会なんかでも、
本当に田丸のおかげでできたと。

○インタビュアー:そうですか、立派なことをなさったんですね。

○田丸先生:それが、日本を欧米並みにしようという努力ですね。理研を作り、理研の実
験室をつくること自体も、そういう意味で大分努力したのではないかと思います。
 ハーバーがベルリンに連れていってくれたときも、よく、「田丸は死ぬほど働くから」と
言ったそうなんですけれども、何か死ぬほど働いたらしいんですね。アンモニアの合成な
んかにできるかどうかというのが。それで、死ぬほど働いてどうにかなった。だから、テ
イラー先生も、田丸の息子だからというので、何かにも書いてありましたが、「父親の素質
を受け継いでよくやってくれた」と。

○インタビュアー:先生もお父さんと同じように、死ぬほどテイラー先生のところで働か
れたんですね。

○田丸先生:いいえ、僕はそれほど勤勉ではありません、死ぬほどなどしなかったです。

○インタビュアー:いやいや、周りのアメリカ人とかイギリス人は結構、lazy で、だから
先生を見たらもう脅威だったのではないですか。

○田丸先生:そうですね。そういえば、一緒にいたイギリス人が「ケンジは一日16 時間実
験する」と言ったことはあります。家との通勤が片道車でほんの5分くらいでしたし、実験
の合間に食事に帰って、新しい方法で、新しいexciting な興味あるデータがどんどん出て
きて研究がとても面白かったですから。

○インタビュアー:ブラックボックスを先生がちょっと開けて見られたわけで、そういう
感じですね。

○田丸先生:そうですね。でも、その結果というか、それからの50年間が、そういう意味
で触媒の分野が本当に進歩したんですね。反応最中の表面を調べ始めましたから。それで、
いろいろな機器もどんどん進歩しましたから。それで、結論的に、一昨年ノーベル賞をも
らっています。そういう基本的な分野が今、日本で案外なほど少ないんですよ。大学院生
をこれできちんと育てないとという心配もありますね。

○インタビュアー:先生のおっしゃることはよくわかります。私は一応これでも京都で福
井謙一先生の門下生の端くれなんですけれども、福井先生も先生と同じようなことをいつ
も考えておられて、「サイエンスそのものを考えるのが大切だ。その根本を考えろ」といつ
も言われていましたね。それはなかなかわからなかったんですけれども、先生のおっしゃ
るのと、やはりそうなんですね。

12::Catalysis Letters に載った写真について
 
○田丸先生:先生に一つ見ていただきたいのは、これは、2000年に出たCatalysis Letters
でそんなに昔の話ではないんですけれども、触媒の歴史をまとめて、例えばベルツェリウ
ス(Jons Jacob Berzelius)が「触媒」という言葉を初めて言い出して、ファラデー(Michael 
Faraday)が出てきて、そしてハーバーが出ているんですけれども、その中にこういう、こ
の写真を勝手に使ったんですよ。僕の許しを得ないで出していて。

○インタビュアー:どこからこういうのが手に入っていったんですか。先生がどこかに出
されたんですか。    
   
○田丸先生:ここの家の前で撮った写真ですよ。

○インタビュアー:それを誰かから手に入れているわけですか。

○田丸先生:もう一枚、現在の私のと。あなたの写真を2枚入れたよと言ってくれたんで
すが、他人の写真を、これは1984年にベルリンで大きな触媒の学会(第8回ICC)があった
ときに、ハーバーの展示コーナーをつくったんです、ハーバーが初めてアンモニア合成し
たときの装置なんかを出して見せて。それで、僕のところに、何かハーバーに関連したも
のを送ってくれないかというので、それまでほとんど出さなかったんですけれども、その
写真を送ったんですよ。そうしたら、ケンブリッジの教授のジョン・トーマスさんが、僕
に是非このコピーをくれと言って、それで上げたのをオフィスに飾って、日本人が来ると、
この赤ん坊が謙二なんだよと言って。

○インタビュアー:そうですよ、先生、これとこれなんですね。

○田丸先生:この赤ん坊なんですよ。ハーバーに会っている証拠の写真です。

○インタビュアー:だから二つ載っていると、そういう意味ですね。現在のとで二枚。

○田丸先生:そうなんです。そういう、大げさに言えば、化学者になるように運命づけら
れていたということかもしれないんですけれども。

○インタビュアー:すばらしいな。

13:アインシュタインからの手紙について

○田丸先生:それから、私の家宝の一つなんですけれども、これは、この人の手紙ですよ

○インタビュアー:アインシュタインですね。

○田丸先生:田丸あてですよ。

○インタビュアー:1949年、すごいですね。

○田丸先生:アインシュタインが、そのころは世界が、第二次大戦が終わって、もう日本
もめちゃくちゃになっちゃったし、ヨーロッパも戦争でめちゃくちゃになって。でも原爆
ができて、だから、トルーマンがスターリンに、もう一回、今米ソでやれば必ず勝つとい
うわけですね。

○インタビュアー:アメリカがソ連にですね。

○田丸先生:いわゆる緊張した時代だったんです。私の父はアインシュタインと同じ研究
所で知っていましたから、その息子なんだけれども、世界がこんなんでいいんだろうかと
いう、若気の過ちで手紙を出したら、きちんと返事が来ましてね。
 しかも、面白いのは、世界が平和になるのは、アンダーラインをして、1つの方法しか
ないというんです。それはもう世界連邦しかないと。それから今まで60年ですか、随分た
っていますけれども、今ヨーロッパに行くと、もう本当にそういう感じがしますものね。
各国が同じお金を使うし、パリみたいに、昔は英語なんか全然しゃべらなかった所が、英
語もどうにか通じるようになるし、いわゆる連邦という感じがしますでしょう。
 それで、僕は、これから50年のうちには東洋もそうなると思うんですけどね。コンピュ
ーターの時代になって、国や宗教、人種の違いを超えてお互いのcommunicationも加速度
的に自由になって増えてきますし、だんだん世界中そういう連邦になるのではないかと思
って。その方向に。要するにワンウェイしかないと。アインシュタインが自分でサインし
て田丸あてにくれたというのが。

○インタビュアー:湯川秀樹先生も書いているんですね。オール……(以下、アインシュ
タインからの手紙を読む)……すごいな。

○田丸先生:アインシュタインの言葉が、今の現実を見るとき、あのときにはもう全然考
えられない時代でした。フランスとドイツだってお互いに殺し合いをしていた直後でしょ
う。だけれども、それからもう50年、60年たつと、そういう方向にどんどんなっていって
いるというので……。

○インタビュアー:これは先生、是非この冊子に載せさせてくださいね、この言葉はね。

○田丸先生:はい。

○インタビュアー:これはすごいですね。

○田丸先生:僕は、そういう意味で、このアインシュタインの言葉と今の現実とを対比す
ると、本当にそうだなという感じがいたしますね。

○インタビュアー:湯川先生も一生懸命、世界連邦をつくるということを言っておられま
したけれどもね。

○田丸先生:そうですね。

○インタビュアー:早くからそういうふうにね。

○田丸先生:実際に、田丸謙二あてに書いてくれたというのが、僕としてはありがたい言
葉で。それで、僕はある高等学校で化学の話をさせられて、普通の話をして、そのときに
アインシュタインのこの話を一寸出したんです。そうしたら、何かすごくみんなショッキ
ングで、それで、質問が幾つか来て、「どうしたらああいう手紙をもらえるんでしょうか」
と。(笑)

○インタビュアー:なるほど、そうですか。やはり純粋な心を持つということでしょうか。

○田丸先生:つまらない話ばかりして申し訳ないんですけど。

○インタビュアー:いやいや貴重な話ですよ。いろいろお話いただいてお疲れでしょうが、
いろいろ先生からお話を伺って、今、先生はもう満85歳におなりですし、大体、若者に対
しての言葉というものもいただいて、「考えろ」というふうなことなんですが、あとほんの
少し、何か先生、もうちょっとこれだけ言っておきたいということがございましたら、少
しだけでも何かありましたら。

14:日米の教育の差について

○田丸先生:繰り返しになりますが、やはり教育界全体が問題で、例えば20年近い前か
な、アメリカでは、アカデミーを中心にして、これからの子供の教育は、コンピューター
の時代になるし、大幅に変えなければいけないというので、それまでは理科でも、クジラ
の種類を覚えさせたり、そういう理科の授業だった。それではいけないというので、そん
なのは全部やめて、science inquiry という、科学の考え方ですね。さっきのように、「な
ぜこうなのか?」という理科に変えるんだといって猛烈な努力をしたんです。もう全国で
150 回ぐらい講習会を開いて、それから、教育関係学会とも協力し、最後は4万冊刷って
みんなに配って意見を求めて広め、理科を基本的に変えるという時代でした。
 ちょうどそのころですよ、日本の化学教育の関係者が集まって、文部省の教科書検定に、
高等学校から「平衡」という言葉を消したんですよ。「平衡」なんていうのは、ものを考え
る一番基本ですよ。例えば蒸気圧一つにしても、平衡で蒸気圧降下はなぜ起こるかとか、
それから、沸点上昇でも、凝固点降下でも、浸透圧でもみんな平衡をもとにして考え方が
出てくるわけですね。それで日本は、むしろ考えない方向にした時代です。今は直りまし
たからいいのですけれど。日米の教育関係者の知的レベルの差はこれほど大きいのです。
 大事なことは、そういう日本の教育関係者たちが、本当のことを全くわかっていないと
いうことですね。それで、文部省も有名人を集めて平衡をなくしたわけです。そのくらい
の知的レベルなんですね。それで、アメリカの方ではそういう画期的な努力をして、新し
いものをつくって、それがヨーロッパに広まって、かえってそれが日本に入ってきて、「ゆ
とり教育」を始めようと言い出すわけです。
ゆとり教育というのは、覚えることを少なくさせるための教育ではなくて、考える教
育を育てるというのが基本なんですけれども、日本にそういう基盤がないんですよね。
ろくな準備もしてないで入れるものですから、ますます駄目なのです。本当は知識は
基本的なものに限り、互いに debate し合いながら、それを基に各人が十二分に自立
して「考える教育」に切り替える訓練をして、新しい時代に向けての「考える教育」を
するために非常な努力をしなければいけなかったのです。「化学と教育」誌57巻3号
(2009年)に日本化学会会長の中西宏幸さんがお書きになっています。「イノベーショ
ンを推進するためにはこれを担う人材の育成が急務であるが、残念ながら、わが国の
人材育成は多くの問題を抱え危機的な状況にあると言わざるをえない。コミュニケー
ション能力の不足、専門以外の基礎学力の不足、自分で考える力あるいは意欲の低下
といった問題が感じられるのは私だけではないと思う。」要するに「ゆとり教育」が「教
える知識の減少」のみが実際に実施され、最も肝心な「考える教育」の育成は文科省
も教師も全く受け入れる基盤のない結果として、単に「学力の低下」になってしまっ
た。一番の被害者は生徒たちで、一番大事な考える重要性も、考え方も教わらず、肝
心なその訓練もなく、単に教わる項目が減ったと言うことで、「実力が下がった」と言
われる結果となってしまった。時代の大きな新しい流れに乗って世界的に教育改革を
する折角のいい機会だったのに自国の「考えない入試本位の教育の基本的欠点を改め
ようともせずに、国を損なった文科省を初めとする教育関係者の罪は大変に重いとい
わざるを得ないのではないでしょうか。
考える範囲を限るという考え方は、学術の健全な姿ではないんです。「ゆとり教育」の
初期の議論で再三問われたのは「最低限教える必要のある項目を精査する」ことだった
はずがどこかで「必要十分条件」とすりかえられてしまったことが不幸の始まりだっ
たと思います。自分で考えようとする姿勢を持っている子供たちには、その知的好奇
心に答えるための教育であるべきです。先程の私の孫の例でもよい参考になりますが。
子供の数が激減している現状では、少人数学級や副主任などの制度が整備されれば、
各人の個性に応じた個別教育に近い対応も可能なのではないかと、思いますが。

○インタビュアー:「ゆとり教育」も何か妙になってしまったんですね、あれも。

○田丸先生:そうなんですね。やはり学力が低下したとかなんか言うんだけれども、本当
の話は、考える教育が世界中に広まってきて、日本だけがそうやって手遅れになってしま
うということです。
 それが、大事なことは、文部科学省をはじめとして教育関係者がわかっていないという
ことですね。それで、小学生にindependent thinkerに教育をするんだと思っている先生
なんて、日本にどれだけいるでしょうか!小学生は何も知らないで入ってくるから教える
んだという、教え込むことだけでやっていますね。最近少しずつ変わってきているようで
すが。教え込む方が楽ですし、入学試験もそれでいくし。だから、何かそういう、さっき
のケンブリッジでもそうですけれども、将来のリーダーを育てるという教育が、日本には、
差別というのはいかんという形ですが、差別という意味ではなくて、各人の異なった資質
を区別しながら才能を伸ばす教育、各人が自分の個性を育てるように自分で考える、要す
るに個性を育てる教育に切り替えないと。これは先生からそうだと思う。やはり生徒は先
生の背を見て育ちますから、先生がそうやって自分で考える教育をすると、生徒も考えな
ければいけないんだなということがわかってくると思うんです。

○インタビュアー:先生まで変えていかなければいかんので、これからも時間がかかりま
すね。

○田丸先生:それがいい方向に向かっていればまだいいんだけれども、どうも時代はどん
どん加速度的に変化していきますよね。日本では、それについていけるかどうか。

○インタビュアー:いえいえそんなことは。そうならないようにね。

○田丸先生:政治家でも何でもそうですけれども、立花隆が『天皇と東大』という本を書
きましたが、あれにも書いてあるんですけれども、東大生は習ったことをそのまま理解し
てはき出す、そういう能力は非常に高い者が多いけれども、要するに自分で考えるクリエ
イティブな人は必ずしも多くない。クリエイティビティーで試験をしていませんから。そ
れで、それが大学を出て、公務員試験などを経て、必ずしもクリエイテイブでないリーダ
ーになるわけですね。それが日本の国策を決めていくわけです。ですから、やはり基本は
考えることが大事だ、と。それで、そういう人材のつくり方をきちんとしていかないとい
けないのではないかと思うんですけどね。国の将来は教育が決めるんです。

○インタビュアー:それについて、京都でも考えるんですけれど、私を見てもわかります
ように、大したものがなかなか出ていないというのもあるんですね。

○田丸先生:本当は先生がきちんとすべきなんですよね。先生の再教育のための講習会を
開いても、来る先生はまあいいんだけれども、むしろ来ない先生の方が問題でね。やはり
先生の再教育ということは、本当に大事なことだと思いますね。

○インタビュアー:先生ありがとうございます。

15::テニスと天皇・皇后両陛下について

 最後に、全然関係ないですが、先生はお忘れでしょうが、私は昔、先生とテニスをさせ
ていただいたこと、覚えているんですけれども、先生はそのとき、鎌倉のこのあたりのロ
ーンテニスクラブか何かの会長か何かをしているとおっしゃっていた。もうこのごろは、
テニスなんかは全然していらっしゃらない。

○田丸先生:もう今はひざが痛くてできないんですけれどね。会長も、それこそ早稲田の
テニス部の元キャプテンだったなんていううまい人がたくさんいるクラブで、当時六百人
以上のクラブなんです。ただ、そのテニスコートをつくった隣に頼朝がつくったというお
寺があって、それを鎌倉市はもとのお寺に復興させようと。そうすると、そのテニスコー
トがそのお寺の庭になってつぶれる恐れがあるんですよね。鎌倉市は世界史跡都市とかに
なりたいというので一生懸命で、そうしたいと言っていて、2年のうちにそういうふうに
するという時代があったんです。
 ちょうど景気の悪くなるちょっと前でしたか。それで、その費用の8割を出す文化庁に
一寸でも顔のきく人がいないか、と。僕は全然だめよと繰り返し言ったんだけれども、会
長にさせられちゃって。そうしたら、ちょうど私が東大の総長特別補佐(副学長)をやら
せてもらったときに、文部省から東大の法学部を出た女の人が学務課長に来ていたんです。
それが文化庁へ戻って、文化庁でその問題を取り扱う隣の課長になっていた。それでもう
その人を頼みにするしかないというので行ったら、とてもよくしてくれて、その係の人た
ちを集めて僕の説明を聞いてくれたり、それで予算のときでも考慮に入れてくれ、それで
一番の危ないときを乗り越えまして、とてもありがたかったんです。
 天皇陛下が葉山にいらっしゃるときに、御用邸がありますでしょう、天皇。皇后両陛下
がテニスをしに時々いらっしゃるんですよ。それでそのときに僕は、侍従なんかに言った
ら絶対にだめなんですけれども、天皇陛下に、「ここのクラブの特別名誉会員になっていた
だけますか」と直接お願いしたんです。そうしたら、まんざらでもないお言葉があったん
ですよ。それで、「天皇陛下がいいっておっしゃったよ」とみんなに言いふらして。そうし
たら、本当にそういう手続を一応して、そうなったんです。
 天皇。皇后両陛下とも素晴らしいお二人です。形式抜きにおもてなしして、気楽にお話
し下さるようにするんですけれど、本当に素晴らしいご夫婦ですね。ご結婚50周年で新聞
にも出ていましたが、テニスコートにいらっしゃると、テニスだけでなく、お気楽にお話
になる雰囲気がお好きなんですよね。特別名誉会員になっていただいた次のときにいらし
たときに、お帰りになるときに、「おたくのクラブの特別名誉会員にしていただいてありが
とうございました」とお礼をおっしゃるじゃないですか。普通、お礼を言われると、「どう
いたしまして」と言うんですけれど、こういうとき何て言っていいかわからないで、もう
まごまごしてしまったんですけれども。

○インタビュアー:先ほど、先生の写真がね、天皇・皇后両陛下とご一緒に写った写真を
拝見しましたから、ふと、ああ、そうだ、先生テニスをされていたなと思い出したので。

○田丸先生:でも、気楽にお話をすると、とても素晴らしい方々ですよ。皇后陛下もお利
口さんだし、お心遣いもなさり、本当によくできた素晴らしいお二人です。

○インタビュアー:私は、化学会としては6年前に125周年のときに陛下に来ていただい
て。

○田丸先生:そうなんですよね。その前に前立腺の手術をなさったでしょう。そのときに
僕はお見舞い状を出そうやと言ってお見舞い状を出したんです。またお元気になられてテ
ニスをしにいらっしゃいということで。そうしたら翌日、侍従から直接電話が来てね、陛
下がとてもお喜びになりました、と。その時は本当にごらんになったのかなと半信半疑に
思って。だって、沢山の人が祈念しに行ったときでしょう。そうしたら、その後退院され
て初めての公務として化学会にいらしたでしょう。

○インタビュアー:そうです。来ていただいたんですよ。

○田丸先生:それで、立派なお言葉を賜り、その後でレセプションがあったときに、陛下
が僕の顔を見て、いらして、「その節はお見舞いありがとうございました」ってお礼を言わ
れたんですよ。天皇陛下がそこまで細かいことにまで気を遣われるとは夢にも思わなかっ
たんですけれども、僕の顔を見て、お礼をおっしゃいました。

○インタビュアー:先生、本当にいいお話を聞かせていただきました。

○田丸先生:いやいやとんでもないです。つまらない話ばかりで。

16:「サロン・ド・田丸」について

○インタビュアー:今日は、先生のお弟子さんの先生方が沢山お宅に来ていらして。

○田丸先生:そうですね。昨年11月に田丸研究室の出身者の集まりを東京でしたんですけ
れど、皆が来ますと限られた時間内ではお互いにゆっくりと話し合えなかったんですね。
そうしたら、もっと先生と親しくしゃべりたいというので、有志が「サロン・ド・タマル」
というのをつくって、早速12月にやろうというので、もう勝手に企画して、鎌倉駅に早め
に集まって食べるもの飲むものなど全部買い集めて、しかも集まる人数はなるべく10人以
下にしたいというのですが、実際にやって、見ると数名の幹事役を除いても優にその二倍
にもなったりして、私の家で僕を囲んでしゃべるというんです。僕は、その会の幹事役に
任せてあるんですけれど、僕の会費分は僕に払わせてもらって、ただ皆さんが楽しくしゃ
べっているのを聴いて楽しむだけが主な役なんですけれど、今日は午後その日に当たって
いるのです。場合によってはわざわざ大阪からその為に来る人もいます。
 研究室として、以前はしょっちゅうここの庭でバーベキューなど集まりをしまして、み
んな仲がいいものだから、一緒に来た外邦人なんかも驚くんですね。アメリカなんかでは
考えられない、と。だから、いつまでも家族的に皆さん仲よくやってくれるという、それ
は、とても素晴らしいことですね。日本的なところでもありますけれども。

○インタビュアー:それは、日本的であると同時に、やはり先生のご人徳であり、一つの
教育を、その場でやはり教育になっているんでしょうね。

○田丸先生:そうですね。出世した弟子たちに今更わたくしからの教育でもないのですが、
意見があれば伝えますが、逆に現役の連中から近頃の様子を教えてもらったり、(折に触れ
て彼らの研究室のゼミに出させてもらっていますが)前回は化学会学会賞が今度3月末か
な、川合真紀さんがもらいますから、それをこのサロンで皆でお祝いし、それから、今日
の午後には、触媒学会賞を今度もらう内藤周弌君夫妻が来ます。お祝いも忙しいですが、
皆さん、弟子の方々がだんだん偉くなって、紫綬褒章も、今までもらった人は研究室出身
者の中から4人ですけれども、将来多分もっと増えるのではないでしょうか。

○インタビュアー:先生、それをいつまでも見届けるように頑張ってください。是非長生
きしていただいて。

○田丸先生:それが私の毎日の楽しみの一つなんです。卒業生の皆さんがメールや電話で
よくお見舞いなどしてくれ有難いことです。一人住まいで不便の面もありますけれど、け
れど毎日がお蔭様で、ありがたく、楽しく、感謝しています。

○インタビュアー:それは、これから元気でいらっしゃる大きなドライビングフォースで
すね。 今日は先生、本当にありがとうございました。


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(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
田丸謙二 田丸先生 Kenzi Tamaru Kenji Tamaru)






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【私の母】(My Mother)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++

私の母は、ああいう女性だったが、今さら母の批判などしても意味はない。
したくも、ない。
母は、私の母だったが、それをのぞけば、どこから見ても、ふつうの女性だった。
特別な女性ではなかった。
よい意味においても、また悪い意味においても、どこにでもいるような女性だった。
そういう母のことを、あれこれ書いても、意味はない。

ただ、どうして私の母は、ああいう女性になったかという点については、興味がある。
ずっと、それを考えてきた。
今も、考えている。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++

●最後の会話

2008年、11月11日、夜、11時を少し回ったときのこと。
ふと見ると、母の右目の付け根に、丸い涙がたまっていた。
宝石のように、丸く輝いていた。
私は「?」と思った。
が、そのとき、母の向こう側に回ったワイフが、こう言った。
「あら、お母さん、起きているわ」と。

母は、顔を窓側に向けてベッドに横になっていた。
私も窓側のほうに行ってみると、母は、左目を薄く、開けていた。

「母ちゃんか、起きているのか!」と。
母は、何も答えなかった。
数度、「ぼくや、浩司や、見えるか」と、大きな声で叫んでみた。
母の左目がやや大きく開いた。

私は壁のライトをつけると、それで私の顔を照らし、母の視線の
中に私の顔を置いた。
「母ちゃん、浩司や! 見えるか、浩司やぞ!」
「おい、浩司や、ここにいるぞ、見えるか!」と。

それに合わせて、そのとき、母が、突然、酸素マスクの向こうで、
オー、オー、オーと、4、5回、大きなうめき声をあげた。
と、同時に、細い涙が、数滴、左目から頬を伝って、落ちた。

ワイフが、そばにあったティシュ・ペーパーで、母の頬を拭いた。
私は母の頭を、ゆっくりと撫でた。
しばらくすると母は、再び、ゆっくりと、静かに、眠りの世界に落ちていった。

それが私と母の最後の会話だった。

●男尊女卑思想

男尊女卑思想というと、男性だけがもっている女性蔑視思想と考えられがちである。
しかし女性自身が、男尊女卑思想をもっているケースも多い。
「女は家庭を守るべき」とか、「夫を助けるのが妻の仕事」と。
「男は仕事、女は家庭」とか、「子育ては女の仕事」というのでもよい。
それをそのまま受け入れてしまっている。
私の母もそうだった。

印象に残っているのは、私が高校生のときのこと。
私が何かの料理がしたくて、台所に並んだときのこと。
母は、こう言った。
「男が、こんなところに来るもんじゃ、ない!」と。
ものすごい剣幕だった。
だから私は大学を卒業するまで、料理という料理を経験したことは、ほとんどなかった。

●実家意識

今から思うと母にとっての「家」は、母が嫁いできた「林家」ではなく、実家の「N家」
だった。
「林家」にいながら、いつも心、この家にあらずといった雰囲気だった。

母は、農地解放で農地の大半を没収されるまでは、その村では、1、2を争う地主だった
という。
しかしそれも終戦までの話。
母の実家は、「畑農家」と呼ばれていた。
農家にも2種類あって、「山農家」と「畑農家」。
それだけに農地解放で失った財産も、大きかった。

そのあと、戦後の「N家」は、没落の一途をたどった。
が、気位だけは、そのままだった。
母は子どものころ、その村では、「お姫様」と呼ばれていた。
13人兄弟の中の長女。
10番目に生まれた女児ということで、それこそ蝶よ花よと、親にでき愛されて育った。
言い忘れたが、母は大正5年生まれ。

●不運な結婚

2度目の顔合わせで、母は、私の父と結婚した。
父の父、つまり私の祖父と母の父との間の話し合いで、結婚が決まってしまったという。
母は、父に見初められたというよりは、私の祖父に見初められた。
今にして思うと、そのとおりだったと思う。
母と私の祖父は、まるで恋人どうしのように仲がよかった。
その一方で、父とは仲が悪かった。
「悪い」というより、たがいの会話もなく、関係は冷え切っていた。
私の記憶のどこをどうさがしても、母と父が何か、しんみりと話しあっている姿など、
どこにない。
いっしょに歩いている姿さえない。
そんなわけでいつ離婚してもおかしくない関係だった。
が、父と母の間をつないでいたのは、祖父だった。

●貧乏

私が中学生になるころには、稼業の自転車屋は斜陽の一途。
遅くとも私が高校生のときには、いつ廃業してもおかしくない状態だった。
そんなあるとき、私は1か月に、自転車屋が何台売れたか計算したことがある。
そのときの記憶によれば、中古自転車が数台のほか、新車も数台だけだった。
その数台でも、よく売れたほうだった。
あとはパンク修理だけ。
それで、何とか生活を維持していた。
貧乏といえば貧乏だった。

しかし母は、けっしてそういう様子を外の世界では見せなかった。
『武士は食わねど……』というが、母のそれはまさにそれだった。
家計などあって、ないようなもの。
しかしそれでも母は、姉を日本舞踊に通わせたりしていた。
琴も習わせていた。
当時、日本舞踊や琴を習っている娘というのは、酒屋か医者の娘と、相場は決まっていた。

●自己中心性

私はM町という、田舎の町だが、昔からの町で生まれ育った。
岐阜県に当初、3つの高等学校(=旧制中学校)ができたが、そのひとつが、
私の町にできた。
明治時代の昔には、それなりの町だったということになる。
で、母は、そういう意識を強くもっていた。
「M町こそ、世界の中心」と。
その意識がこっけいなほど、強かった。

だから何かの事情で、M町から岐阜などの都会へ引っ越していく人がいるたびに、
「あの人は出て行った」と言った。
母が「出て行った」というときは、そこには「敗北者」というニュアンスが
こめられていた。
さらに言えば、「軽蔑の念」がこめられていた。
だからあるとき、私にこう反論したことがある。
「M町からG市へ引っ越したということは、成功組ではないか!」と。

●恩着せと脅し

母の子育ての基本は、恩着せと脅しだった。
「産んでやった」「育ててやった」が、恩着せ。
同時にことあるごとに、「お前を捨てる」とか、「家を継げ」とか言った。
それが「脅し」。
当時の私には、稼業の自転車屋を継げという言葉は、「死ね」と言われるのと同じくらい、
恐ろしいことだった、

私はこれらの言葉を、それこそ耳にタコができるほど聞かされて育った。
だからあるとき私は、反発した。
高校1年生か2年生のときのことだったと思う。
「だれが、いつ、お前に産んでくれと頼んだア!」と。

しかしそれは同時に、私と母の間に、決定的なキレツを入れた。
いや、そのときはわからなかったが、ずっとあとになって、それがわかった。
私にとっては、母は母だったが、母にすれば、私は他人になった。

●帰宅拒否児

私は今で言う、帰宅拒否児だったと思う。
もちろんそのとき、それを意識したわけではない。
今にして振り返ってみると、それがよくわかる。
私は毎日、ほとんど例外なく、学校からまっすぐ家に帰ったことはない。
「寄り道」という言葉があるが、寄り道するのが当たり前。
寄り道しないで家に帰るということそのものが、考えられなかった。

寺の境内で遊んでいるときも、そうだった。
毎日、真っ暗になるまで、そこで遊んでいた。
そういう自分を振り返ってみると、「私は帰宅拒否児だった」とわかる。

原因は、これも今にしてわかることだが、私の家には、私の居場所すらなかった。
町中の小さな自転車屋で、「家庭」という雰囲気は、どこにもなかった。
居間の横が、トイレにつながる土間。
学校から帰ってきても、体を休める場所すらなかった。
加えて父の酒乱。
父は数日置きに酒を飲み、家の中で暴れた。
そのつど私は、近くに住む伯父の家に逃げた。

●親絶対教

私の生まれ育った地方には、「M教」という、親絶対教の本部がある。
私の父がまずその教団に入信。
それがそのまま、私の家の宗教になってしまった。

もっともM教というのは、仏教とかキリスト教とかいうような宗教とは一線を画して
いた。
冠婚葬祭には、ノータッチ。
そのため「道徳科学研究会」というような名前がついていた。
そのM教では、つねに「親」「先祖」、そして「天皇」を、絶対的な権威者として教える。
親や先祖、天皇に反抗するなどということは、もってのほか。
天皇を神格化すると同時に、先祖を神格化し、ついで親を神格化した。
子どもながらに私は、「ずいぶんと親にとっては、つごうのよい宗教だなあ」と思った。
で、ある夜、こんなことがあった。

M教では、毎月(毎週だったかもしれない?)、それぞれの家庭で、持ちまわり式に会合
を開いていた。
その夜も、そうだった。
私の家で、それがあった。

講師の男性が、声、高々に、こう言った。
「親の因果、子にたたり」と。
で、そうした話をしたあと、末席に座っていた私に向かって、その男性がこう言った。

「そこに座っているボーヤ(坊ちゃん)、君は、どう思うかね」と。

私はその夜のことをはっきりと覚えている。
私が小学3年生だったとことも、よく覚えている。
私はこう言った。
「たたりなんて、ない!」と。

そのあとのことはよく覚えていないが、私はその場から追い出された。
母がその場を懸命にとりつくろっていた。
そうした姿だけは、おぼろげながら記憶に残っている。

●母の葛藤

私は母にとっては、自慢の息子だった。
私は勉強もよくでき、学校でも目立った。
そのこともあって、母は、私をでき愛した。
小学3、4年生ごろまで、毎晩、私を抱いて寝た。
私がそれを求めたというよりは、習慣になっていた。
そういう姿を覚えている人は、ずっとあとになってから、私によくこう言った。
「お前は、母親にかわいがってもらったではないか。そういう恩を忘れたのか」と。

忘れたわけではない。
しかし母が本当に私を愛していたかというと、それは疑わしい。
母は、私が母から離れていくのを、何よりも許さなかった。
口答えしただけで、そのつど、ヒステリックな声を張り上げて、こう言った。
「親に向かって、何てことを言う!」「親に逆らうような子どもは、地獄へ落ちる」と。

そして私は中学2、3年になるころ、母は、大きなジレンマに陥った。
「進学校は地元の高校にしろ」「家のあとを継げ」「大学は国立大学以外はだめ」と。
一方で「勉強しろ」と言いながら、「家から出るな」と。

国立大学といっても、当時は一期校と二期校という名前で分類され、倍率はどこも10倍
前後はあった。
私が受験した金沢大学の法文学部法科にしても、倍率は、8・9倍だった。
「国立大学しかだめ」というのは、事実上、「大学へは行くな」という意味だった。

●演技性人格障害者

母は今にして思えば、演技性人格障害者ではなかったか。
極端にやさしく、善人の仮面をかぶった母。
しかしそれは表の顔。
が、その実、その裏に、猛烈にはげしい、別の顔を隠し持っていた。
今でも、母の評価について、「仏様のように、穏やかでやさしい人でした」と言う人は多い。
たしかにそういう面もあった。
私は否定しない。
そういうことを言う人に対しては、「そうです」と言って、それで終わる。
あえて私のほうから、「そうではなかったです」と言う必要はない。
言ったところで、理解してもらえなかっただろう。

しかし私たち子どもに対しては、ちがった。
母は自分に対する批判を、許さなかった。
他人でも母を批判する人を許さなかった。
ジクジクと、いつまでもその人をうらんだりした。

●仕送り

今のワイフと結婚する前から、私は収入の約半分を母に送っていた。
結婚するときも、それを条件に、結婚した。
だからワイフは何も迷わず、毎月、母への仕送りをつづけてくれた。
額にすれば、3万円とか4万円だった。
当時の大卒の初任給が、5〜6万円前後の時代だったから、それなりの額だった。
母はそのつど、「かわりに貯金しておいてやる」「あとで返す」とか言った。
が、それはそのまま、やがて実家の生活費に組み込まれていった。

母は、たくみに私を操った。
私が電話で、「生活できるのか?」と聞くと、いつも涙声で、こう言った。

「母ちゃんは、ダイコンを食っているから、心配せんでいい。
近所の人が、野菜を届けてくれるし……」と。

だからといって、私がとくべつに親孝行の息子だったとは思っていない。
当時はまだ「集団就職」という言葉が残っていた。
都会へ出た子どもが、実家にいる親に金銭を仕送りするというようなことは、ごく
ふつうのこととして、みながしていた。
が、こんなこともあった。

●長男の誕生

長男が生まれたときのこと。
そのとき私たちは、6畳と4畳だけのアパートに住んでいた。
母は一週間、ワイフの世話をしてくれるということでやってきた。
しかしその翌日、母は私にこう言った。
「貯金は、いくらあるか?」と。
私は正直に、「24万円、ある」と答えた。
が、それを知ると母は、私にこう言った。
「その金を、私によこしんさい(=よこせ)。私が預かってやる」と。

ワイフは少なからず抵抗したが、私はその貯金をおろして、母に渡した。
が、それを受け取ると、母は、その翌日の朝早く、実家へ帰ってしまった。

以後、こういうことがしばしばあった。
が、母がお金を返してくれたことは、一度もない。
最後の最後まで、一度もない。

●金づる

話が入れ替わるが、今でもなぜ母が、私から貯金を持ち去ったかについて理由がよく
わからない。
実家は貧乏だったが、長男が生まれた当時はまだ父も生きていた。
祖父も生きていた。
兄も、それなりに稼業の自転車屋を手伝っていた。
お金には困っていなかったはず。

一方、そういうことをされながらも、私は母の行為を批判したりはしなかった。
「かわりに貯金しておいてやるで」という言葉を、まだ私は信じていた。
が、今になってみると、つまりこうして母のあのときの行為を書いてみると、
言いようのない怒りが胸に充満してくる。
「私はただの、金づるだったのか」と。

●逆の立場に立たされてみて

私の二男に子どもができた。
私にとっては、はじめての孫だった。
そのときのこと。
私は二男にお祝いのお金を渡すことは考えた。
しかしその二男からお金を取ることは考えなかった。
いわんや貯金を吐き出させて、自分のものにするなどという考えは、みじんも
考えなかった。
そのことをワイフに話すと、ワイフは、こう言った。

「あなたのお母さんは、特別よ」と。
その言葉を聞いたとき、ムラムラと怒りが私の心の中に充満するのを感じた。
が、私の母は、私に対して、それをした。
してはいけないことを、した。
ふつうの親なら、できないことをした。
それが逆の立場になってみたとき、私にわかった。

●逆の立場

それ以後も、母は、容赦なく、私からお金を奪っていった。
「奪う」という表現に、いささかの誇張もない。
あれこれ理由をつけて、奪っていた。
その行為には、情け容赦がなかった。

「近所の○○さんが、亡くなった。(だから香典を送ってくれ)」
「今度、M(=姉)の娘が結婚することになった。(だから祝儀を送ってくれ)」と。
多いときは、それが月に数度になった。

半端な額ではない。
叔父の葬儀には、50万円。
叔母の葬儀には、15万円。
伯父の葬儀には、30万円、と。

冠婚葬祭だけは派手にやる土地柄である。
私はそう思って仕送りをつづけたが、これにはウラがあった。
実際には、その大部分を母が自分のものにし、相手にはその何分の1も渡していなかった。
やがて私は、そうした母のやり方を知るところとなった。

●「悔しい」

問題は、なぜ、母は、私にそこまでしたかということ。
できたかということ。
それについては、名古屋市に住む従姉(いとこ)が、ずっとあとになって教えてくれた。

その従姉はこう話してくれた。
私が今のワイフと結婚届けを出した夜のこと。
母は親戚という親戚すべてに電話をかけ、「(息子を)取られた」「悔しい」と、
泣きつづけたという。
従姉もその電話を受け取っていた。

母は、私の前ではそういった様子を、おくびにも出さなかった。
私たちの結婚を祝福してくれたように、私は理解していた。
が、そうではなかった。
母は、私という息子を、ワイフに「取られた」と感じたらしい。
つまりそれが母の心の底にあって、その(恨み)が、私からお金を奪うという
行為につながっていった。
「大学まで出してやったのに、恩知らず」と。

今にして思うと、そう解釈できる。

●ダカラ論

『ダカラ論』ほど、身勝手な論理もない。
「親だから……」「子だから……」「男だから……」「女だから……」と。
ダカラ論を振りかざす人たちは、過去の伝統や風習、習慣を背負っているから強い。
問答無用式に、こちらをたたみかけてくる。

一方、それを受け取る側はどうかというと、反論するばあいも、その何十倍も、
理論武装しなければならない。
過去の伝統や風習、習慣と闘うというのは、それ自体、たいへんなことである。
それに相手は多勢。
こちらは無勢。
そういう相手が、どっと私に迫ってくる。
で、結局、『長いものには巻かれろ』式に、妥協するしかない。
「どんな親でも、親は親だからな」と言われ、「そうですね」と言って、そのまま
引きさがる。
いらぬ波風を立てるくらいなら、穏やかにすませたい。
いつしか私と母の関係は、そういう関係になっていった。

●バネ

しかし実際には、これがたいへんだった。
金銭的な負担感というよりは、社会的な負担感。
それがギシギシと、私の心を蝕(むしば)み始めた。
私が仕送りを止めたら、母と兄は、それこそ路頭に迷うことになる。
重圧感を覚えながらも、仕送りを止めるわけにはいかなかった。

が、幸いなことに、私の仕事は順調だった。
家族、みな、健康だった。
それに私は、戦後生まれの団塊の世代として、たくましかった。
あのドサクサの時代の中で、そう育てられた。
だから私は、母にお金を取られるたびに、それ以上のお金を稼いだ。
「畜生!」「畜生!」と、歯をくいしばって、そうした。
だからワイフは、ときどきこう言う。

「かえってそれがバネになったのよ」と。

●家族自我群

人間にも、鳥類に似た、「刷り込み」があるのが、最近の研究でわかってきた。
生後まもなくから、7か月前後までと言われている。
この時期を、「敏感期」と呼んでいる。
この敏感期に、親子の関係は、本能に近い部分にまで、徹底的に刷り込みがなされる。

もっとも親子関係が良好な間は、こうした刷り込みも、それなりに有用である。
親子の絆も、それでしっかりとしたものになる。
しかしその関係が一度崩壊すると、今度はそれが家族自我群となって、その人を苦しめる。

ふつうの苦しみではない。
何しろ本能に近い部分にまで、刷り込まれる。
だから心理学の世界でも、そうした苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。
特別なものと考える。
私は、その幻惑に苦しんだ。

記憶にあるのは、40代のはじめのころのこと。
私はいつも電車を乗り継いで郷里へ帰ったが、実家が近づくたびに、電車の中で、
法華経の経文を唱えた。
またそうでもしないと、自分の心を落ち着かせることができなかった。

●兄のこと

兄についても書いておかねばならない。
兄は昭和13年生まれ。
私より9歳、年上だった。

ずっとあとになって、……というより亡くなる数年前に、専門医に自閉症と診断
されている。
そう、自閉症だった。
が、軽重を言えば、軽いものだった。
少なくとも中学校を卒業するまでは、そうだった。
アルバムの中の兄を見ても、ごくふつうの中学生だった。
その兄が大きく変化したのは、兄が中学を卒業し、稼業の自転車屋を継ぐようになって
からである。

父は兄を毎日のように、叱り、罵倒した。
本来なら母が間に入って、その関係を調整しなければならなかったが、母までが、
兄を毛嫌いし、兄を突き放した。
兄の精神状態がおかしくなり始めたのは、そのころのことだった。

自分の部屋に閉じこもり、レコードを聴いて過ごすことが多くなった。
あるいはニタニタと意味のわからない笑みを浮かべ、独り言を口にしたりした。

●干渉

田舎という地方性があったのかもしれない。
あるいは私の実家だけが、とくに同族意識が強かったのかもしれない。
実家が、「林家」という本家だったこともあり、叔父叔母、伯父伯母は言うに及ばず、
従兄たちまでもが、そのつど、私や私の家族に干渉してきた。

うるさいほどだった。

私の事情も知ることなく、また経緯(いきさつ)を知ることもなく、安易に、ダカラ論
をぶつけてきた。
干渉するほうは、親切心(?)から、そうしてくるのかもしれない。
あるいは好奇心からか?
事実、叔父、叔母も含めて、もちろん従兄弟たちも含めて、私は生涯にわたって、
1円たりとも金銭的援助を受けたことはない。

しかし干渉されるほうは、たまったものではない。
そのつど私は真綿で首を絞められるような苦しみを味わった。

が、いちいち説明することもできない。
私と母の関係を説明することもできない。
何しろ、親絶対教の信者たちばかりである。
そういう世界で、親の悪口を言えば、逆にこちらのほうが寄ってたかって、
袋叩きにされてしまう。

面従腹背というのは、まさにそれをいう。
私は心の奥では運命をのろい、外では、できのよい息子を演じた。
しかしこうした仮面をかぶるのも、疲れる。
一度だけだが、節介焼きの従兄と、喧嘩したこともある。

●従兄

その従兄は、ネチネチとした言い方で、いつも私を揶揄(やゆ)した。
用もないのに、「ゆうべ、浩司クンの夢を見たから……」と。

「Jちゃん(=私の兄名)が、入院したぞ」
「Jちゃんが、ものすごいスピードで、自単車で走っていたぞ」
「親は、どんな親でも、親だかなあ、ハハハ」と。

だから最後の電話で、こう叫んだ。

「偉そうなことを言うな。お前が、ぼくと同じように、20代のときから実家に
仕送りでもしていたというのなら、お前の話を聞いてやる。しかしそういうことも
ロクにせず、偉そうなことを言うな!」と。

それでその従兄とは、縁を切った。
「たがいに死ぬまで、連絡を取らない」と心に決めた。
昔の話ではない。
今から10年ほど前のことである。

●母の悪口

親絶対教の信者でなくても、親の悪口を書くのは気が引ける。
どこかに「書くべきでない」という不文律さえある。
しかし親といえども、1人の人間。
いつか息子や娘に、1人の人間として、評価を受けるときがやってくる。
大切なのはそのとき、その評価に耐えうる親になっているかどうかということ。
「親である」という立場に甘えてはいけない。
「親だから」という理由だけで、子どもの上に君臨してはいけない。

世の中には、親をだます子どもはいくらでもいる。
しかし同時に、子をだます親だっている。
悲しいことに、私の母が、そうだった。

私をだましてお金を奪うなどということは、朝飯前だった。
が、問題は、なぜ、そうだったかということ。
なぜ、母は、そうなったかということ。

●母の奴隷

稼業は自転車屋だったが、生涯において、母は、一度もドライバーを握ったことがない。
手を油で汚したことはない。
店先に立って、客の応対をしたことはよくあるが、それでも手を汚したことはない。

父や兄は仕事が終わると、一度、道路に出て、外付けの水道で手を洗った。
そして裏口から家に入ると、そこでもう一度、手を洗った。
ふつう自転車屋というと、どこも、裏の裏の、トイレのノブまで油で黒くなっている。
が、私の家ではちがった。
母がそれを許さなかった。

そんなこともあって、家の中の掃除は母がしたが、土間の掃除は、兄がした。
窓拭きも、道路掃除も、兄がした。
母はしなかった。
姉もしなかった。
すべて兄がした。
兄は、死ぬまで、ずっと母の奴隷のような存在だった。

●仮面

私の母をさして、「いい人だった」と言う人は、多い。
「あなたのお母さんは、やさしく、親切な人だった」と言う人も、多い。
事実、母は、実にこまめな人だった。
人が来るとお茶を出し、始終、やさしい言葉をかけた。
食事も出し、めんどうもみた。
そしてことあるごとに、相手や相手の家族を気遣った。

「○○さんは、お元気ですかね」と。
穏やかな慈愛に満ちた言い方が、母の特徴だった。
しかし本心で気遣ったわけではない。
母はそういう言い方をしながら、相手の家の内情をさぐった。
だからその人が帰ると、いつもこう言って笑った。

「あの家の嫁さんは、鬼や。株で損して、家計は火の車や」と。

いつしか母は、仮面をかぶったまま、その仮面をはずせなくなってしまった。
恐らく母も、どれが本当の自分の顔かわからなくなってしまっていたのではないか。
自分では、「私は苦労した」「よくできた人間」と、言っていた。
本気でそう思い込んでいた。
で、その一方で、心に別室を作り、邪悪な自分をどんどんとそこへ押し込んでいった。

●仮面

兄もそうだったが、母は、相手の視線を感じたとたん、態度を変えた。
それは天才的ともいえるほどの技術だった。
こんなことがあった。

10年ほど前のこと。
兄、姉、それに私たち夫婦で、いっしょに食事に行ったことがある。
私は久しぶりに母に会った。
が、驚いたことに母は、ほとんど歩けなかった。
で、食事がすんで駐車場に向かうとき、そこまでは10メートル前後だったと思うが、
私とワイフが両側からから、母を支えた。
母は、ほんの数10センチほどずつ、ヨボヨボと歩いた。

で、そのあと、母がいないとき、それについて姉にたずねると、姉は、何かしら
意味のわからない笑みを浮かべた。
私には、その意味がわかった。
事実、その数日後、母は、クラブの仲間と、実家から2キロ戦後もある小間物屋まで
歩いて行っている。

●同情と依存

老人がまわりの人たちの同情を買うため、わざと弱々しい老人を演じてみせることは
よくある。
中にはわざとヨロけてみせたり、ものを食べられないフリをしてみせたりする。
兄にしても、よく道路でころんでみせたりした。
しかしそれとて、まわりの人たちの同情を買うため。
その証拠に、兄にしても、自分の身に危険が及ぶようなところでは、けっして
ころばなかった。

母もそうで、自分のプライドが傷つくようなところでは、けっして弱みをみせなかった。
たとえば病院の待合室など。
それまではヨボヨボしていても、廊下の向こうから知人が歩いてきたりすると、とたん、
背筋をピンと伸ばしたりした。
話し方までも変えた。

●ものすごい人

それでも私の母を評して、「すばらしい女性」と言う人は多かった。
私も、あえて、それには反論しなかった。
だれしも、表の顔もあれば、裏の顔もある。
私にだって、ある。
が、母のばあい、息子の私ですら、裏の顔を見抜くのに、30数年もかかった。
「どうもおかしい?」と思い始めたのが、そのときだった。
いわんや、他人をや。
「私にだって見抜けなかった。どうしてあなたに……!」と、そのつど思った。

そういう意味では、私の母は、ものすごい女性だった。
尋常の神経の持ち主ではない。
また常識で理解できるような女性でもない。
ワイフもそのつど、こう言った。
「あなたのお母さんは、ものすごい人ね」と。
けっして尊敬していたから、そういったのではない。
「あきれてものも言えない」という意味で、そう言った。

●遊離

心の状態、これを情意という。
その情意と、外に現れた表情が、まったくズレていた。
心理学的には、そういう状態を、「遊離」と呼ぶ。
母を一言で評すると、そういうことになる。

息子の私ですら、母がそのとき何を考えているか、さっぱり理解できないことが多かった。
ウソと虚飾のかたまり。
それが母のすべてだった。

母がまだ私に気を許しているとき、よく叔父や叔母の悪口を言った。
口が枯れるまで、叔父や叔母を、口汚くののしった。
が、そこに叔父や叔母がいると、態度が一変した。
そういう姿を、私はよく見ていた。
だから何度も私は、こう言った。
「そんなにイヤな奴なら、つきあうな」と。
が、母には、それができなかった。
つぎに会うと、再び、何ごともなかったかのように、親しげに話し込んだりしていた。
私が子どものころには、そういう母を、尊敬したこともある。
「商売というのは、そういうもの」と、母を通して、感心したこともある。

どんなに虫の居所が悪くても、瞬時に笑顔に変えて、客と接する、と。
しかしそれも度を越すと、「遊離」となる。
へたをすれば、心がバラバラになってしまう。
そういう意味では、母は、不幸な女性だった。
どこにも自分がなかった。

●信じられるのは、お金だけ(?)

ある日、母から電話がかかってきた。
「(実家の伯父の)、Sを助けてやってほしい」という電話だった。
「今度、(Sの)二男が結婚することになった。ついては、金を貸してやってほしい」と。
私が30歳になったころのことだった。

私は金の貸し借りは、しないと心に決めていた。
で、断った。
が、1週間もしないうちにまた電話があり、「では、山を買ってやってほしい」と。
私は即座に値段を交渉し、その数日後には、x00万円をもって、伯父の家に向かった。

母が先にそこに来ていた。
……ということで、当時ですら、相場の10倍以上の値段で、その山を買わされるハメに
なった。
これはあとで聞いたことだが、伯父にしても、その直前、120万円で購入した山だった。
そればかりか、伯父はその後、10年近く、管理費と称して、私に現金を請求してきた。

以後、伯父からはいっさいの連絡はなし。
「山を買い戻してほしい」と何度も手紙を書いたが、それにも返事もなかった。

母はその伯父とは、一卵性双生児と言われるほど、仲がよかった。
一時は伯父を詐欺罪で告発する準備もしたが、母が間に入っているため、それも
できなかった。

●世間体

母の人生観の基本にあったのが、「世間体」だった。
それが人生観といえるほどの「観」といえるかどうかは、疑問だが、母はあらゆる場面で、
世間体を気にした。

「世間が笑う」
「世間が許さない」
「世間体が悪い」など。
そのつど「世間」という言葉をよく使った。

こうした生き様は、江戸時代の、あの封建主義時代の亡霊そのものと断言してよい。
「みなと同じことをしていれば安心」、しかし「それからはずれると、容赦なく叩かれる」。
没個性の反対側にある生き方、それが母の生き方だった。
だから私も、子どものころから、いつもみなと同じように生きることを強いられた。
服装にしても、そうだった。
髪型にしても、そうだった。
……といっても、当時は、それほどバリエーションがあったわけではない。
が、それでも私が、ふつうの子どもとちがったかっこうをするのを、許さなかった。

母自身にしても、そうだ。
自転車屋の女主人でありながら、生涯にわたって、ただの一度も、自転車にまたがった
ことがない。
「女は自転車に乗ってはいけない」という、いつかどこかで学んだ教え(?)を、
かたくなに守った。
1年のほとんどを、和服で過ごしていたこともある。

●母の苦労

母は、ことあるごとに、「私は苦労した」と言った。
祖父母の介護で、苦労した。
夫の世話で苦労した。
兄で苦労した。
私のことで苦労した、と。
だから近所でも、また親戚中でも、母は、苦労人で通っていた。
だからみなは、こう言う。
「あなたのお母さんは、苦労をなさったからねえ」と。

もし母に苦労があったとするなら、それは運命との戦いだった。
母は、つねに運命と戦った。
不本意な結婚。
病弱な父と兄。
気の強い姑。
その介護。

しかし運命というのは、受け入れてしまえば、何ともない。
運命のほうからシッポを巻いて逃げていく。

その第一。
母は、自転車屋の父と結婚したが、商人の女将にもなりきれなかった。
かといって、金持ちの奥様にもなれなかった。
だからたいへんおかしなことに、最後の最後まで、自分は自転車屋の女将とは、
思っていなかった。
それを認めていなかった。
だからたとえば、近所の人たちの職業を、よくけなした。
「あそこは、どうの」「ここは、どうの」と。
「ロクでもない仕事」という言葉もよく使った。
で、ある日、私はこう言ったことがある。
「うちだって自転車屋だろ。そう、いばれるような職業ではないだろ」と。
それを言ったとき、母は、「うちは、ちがう!」と、血相を変えて怒った。

母にしてみれば、死ぬまで、母はN家という名家の出だった。
またその世界から一歩も、外に出ることがなかった。

また他人は、母のことを苦労人と思っていたが、そう思わせたのは、実は母自身だった。
母は、そういう点でも、口のうまい女性だった。

●祖父の財産

母について、理解できない点もいくつかある。
たとえば私が毎月仕送りをつづけていたことについても、母は、それをだれにも
話していなかった。
私の姉にすら、話していなかった。
だからあるとき、そのことを姉に話すと、姉はたいへん驚いた様子をしてみせた。
「そんな話は聞いていなかった!」と。
(あるいはそう言って、とぼけただけだったかもしれない。)

それとて私が40歳を過ぎてからのことだった。
私は当然、姉だけは、私がしていることを知っていると思っていた。
姉だけには、母は、私がしていることを話していると思っていた。
が、姉ですら、知らなかった。

で、母は、ことあるごとに、また周囲の人たちには、こう言っていた。
「おじいちゃん(=私の祖父)の残してくれた財産で、生活している」と。
つまり祖父の残した遺産がたくさんあったから、生活には困らない、と。
他人にはともかくも、身内の姉や私にそんなウソを言っても意味はない。
が、それでも私は、姉だけには話していると思っていた。……思い込んでいた。

実際には、祖父の残した財産は、いくつかの不動産をのぞいて、まったくなかった。
私が中学生のときには、我が家はまさに火の車。
自転車操業。
それに祖父はすでにそのとき、隠居の身分だった。
バイクをいじるのが趣味で、それをいじって遊んでいた。
収入はなかった。
小銭をもっていたとすれば、むしろ祖母のほうだった。
祖母は株の売買をしていた。
が、それとて、「端株(はかぶ)」といって、証券会社からのおこぼれ株だった。
10株とか、20株単位の株を売買していた。

今にして思えば、母には親としてのプライドがあったのだろう。
「息子から奪ったお金で、生活をしている」とは、とても言えなかった。

●私が悪者

遠くに住んでいることをよいことに、母は、私を悪者に仕立てた。
何かにつけ、自分にとって都合の悪いことは、すべて私のせいにした。
父が他界し、私の家でも遺産相続問題が起きたときも、そうだ。

そのときのこと。
祖父の残した土地が、3筆あった。
その相続についても、母は、叔父、叔母のところを回りながら、こう言った。
「浩司がうるさいから、(相続放棄の)書類に判を押してほしい」と。
母は、私に追いつめられたから、いやいやながらも、判を集めているのだと言った。

が、実際には、これもちがった。
私は一言も、相続について口をはさんだことはない。
母から手続きの相談を受けたことはあるが、それ以上の記憶はない。
むしろ事実は逆で、祖父の財産は、叔父、叔母で分けるのが筋道と考えていた。
祖父は生前、いつも口癖のようにこう言っていた。
「Y町のあの土地は、S(=叔母)のものだ」と。
で、これについてはこんなエピソードがある。

母の話を真に受けた叔父が、ある日、突然、私の家にやってきた。
「貴様!」と怒鳴ったあと、私を殴り飛ばした。
パシッ、パシッと、叔父の拳が顔面ではじけるのを私は感じた。
そのとき私はたまたま実家に帰省していた。
叔父はそれを聞きつけて、私の家にやってきた。
私は殴られるまま、反論することもできなかった。
なぜ私が叔父に殴られるか……。
私も、そして母も、その理由がわかっていた。
しかし母は、別の部屋で静かにその様子を見ていた。
息をひそめて、静かにそれを見ていた。

●一事が万事

そんなわけで、母との思い出は、ほとんどない。
浜松に移り住んでからも、お金を奪いに来たことはあるが、たとえば私の息子たちの
ために何かをしてくれたことは一度もない。
で、三男が小学6年生になったときのこと。
私は「一度でいいから、参観日に来てやってほしい」と懇願したことがある。
「これが最後になるから……」と。

その電話を受けて、母は、オイオイと電話口の向こうで泣いた。
「浩ちゃん、ごめんな……。母ちゃんは行ってやりたいけど、足が痛いのや……」と。

私はそれを聞いてあきらめたが、この話は、ウソだった。
その日母は、クラブの仲間たちと、一泊旅行に出かけていた。
あとで私がそれを知り、母を責めると、母は悪びれた様子もなく、ケラケラと笑いながら、
こう言った。
「ハハハ、バレたかなも」と。

そんなこともあって、私は母から受け取ったものは、何もない。
私が結婚したとき、親戚の中には、私に祝いを届けてくれた人もいたらしいが、
そういったお金は、すべて、1円残らず、すべて母が自分のふところに入れてしまった。

で、それについても、ずっとあとになってから、私が母に、「お前からもらったものは
何もないなア……」とこぼすと、母は、こう言った。
「そんなこと、あらへん。(二男が生まれたとき)、(二男に)ふとんを送った」と。

私はそれを忘れていた。
で、その話をすると、ワイフはそう言えば……と、そのふとんのことを思い出してくれた。
が、そのふとんというのは、私が幼児のころ使っていたふとんである。
ふとんの絵柄に思い出が残っていた。

まさに一事が万事、万事が一事だった。

●決裂

私が母と決裂したのには、いくつかの理由がある。
理由というより、段階がある。
そのつど、私は母にだまされ、そのつど、それを乗り越えた。
が、最後に決裂したのは、こんな事件があったから。

そのとき私は、母に土地の権利書を渡した。
実家を改築するときに、担保として、私が譲り受けたものである。
実家の改築に1800万円程度の費用がかかった。
大半をローンでまかなった。
そのとき、母名義の土地を、私が譲り受けた。
坪数は30坪前後。
当時の価格からしても、500万円にもならなかった。
銀行に相談しても、「その土地では、金を貸さない」と言われた。

で、そのままその権利書は、私が預かった。
しかたないので、私は私の自宅の土地を担保にして、お金を借りた。

が、その土地を、私が知らないときに、言葉巧みに権利書を自分のものにすると、
それをそのまま他人に転売してしまった。
泣いて私がそれに抗議すると、母は、平然とこう言ってのけた。

「親が先祖を守るために、子の金を使って、何が悪い!」と。
罵声以上の怒鳴り声だった。

●煩悶

それから10か月。
私はワイフの介抱なくして眠られなかった。
夜、床に就くたびに、体中がほてり、脈がはげしくなった。
ワイフはそのつど、氷で頭を冷やしてくれた。

あるいは夜中に、うなされることもつづいた。
突然、飛び起きて、ウォーと声を張り上げることもあった。
しかし夢となると、もっと多かった。
朝起きると、ワイフは、よくこう言った。

「あなた、昨夜も、うなされていたわ。お母さんと喧嘩していたわ」と。

●干渉

が、数か月もすると、伯父から電話がかかってきたりした。
説教がましい電話だった。
裏で、母がどのように伯父に泣きついていたかは、容易に察しがついた。
叔父は、そのつど、こう言った。

「姉を大切にしろよ。親は親だからな」「親の恩を忘れるな」と。

そのうち従兄たちからも電話がかかってくるようになった。
「おばちゃんが、ころんだぞ」
「おばちゃんが、入院したぞ」と。

従兄たちも、母に、よいように操られていた。

私には知ったことではなかった。
実際には、そのつど姉の方から電話を受けて、それを知っていた。
しかし新類は、それを許してくれなかった。
私はそのつど、身をひきちぎる思いで、それに妥協した。

●人間不信

母がああいう母であったことについては、それが運命であるなら、しかたない。
母は母で、あの時代の申し子。
母のような人は、あの時代には、珍しくなかった。
「江戸時代」というと、遠い昔のことのように思う人もいるかもしれない。
しかし母の時代にしてみれば、江戸時代といっても、ほんの一世代前のことだった。
「家」意識にしても、逆に、1世代や2世代くらいで、消えるような意識ではない。
母は、それを引きずっていた。

母だけではない。
どこにでもいるとまでは言わない。
が、似たような人は、いくらでもいた。
今でもいる。

が、私にとって何よりもつらかったのは、そうした母をもったことによって、
人を信じられなくなってしまったこと。
「女はみな、そういうもの」という意識は、「ワイフも似たようなもの」という
意識に、そのつど、変化した。
しかし私がそういう意識をもつことで、いちばん苦しんだのは、結局は、私の
ワイフということになる。

●母の孤独

一方、母の孤独については、とくに晩年、それが痛いほど、よくわかった。
母はちぎり絵に没頭したが、楽しかったから、没頭したわけではない。
何かに取りつかれたかのように没頭した。
楽しんでいるというよりは、何かから逃れるために、そうした。
私にはそれがよくわかったが、しかしどうすることもできなかった。

何度か、まわりの人たちに、「一度でいいから、私に謝罪してほしい」と伝えた
ことがある。
しかしどの人もこう言った。
「親が、子に謝るなどいうことは、あってはならない」
「親は親だから、どんな親でも、親は子に謝る必要はない」と。

親絶対教というのは、そういうのをいう。
しかし私は一度でも母が、「私が悪かった」と言ってくれれば、それで許すつもりでいた。
この小さな地球上の、そのまた小さな国で、近親者が憎しみあって、どうする?
この世に生を受けたこと自体が奇跡。
この地球上に何十億人という人たちがいるが、生涯にわたって交際する人となると、
ほんの数えるほどしかいない。

ウソではない。
私は、一度でも母が、「私が悪かった」と要ってくれれば、それを許すつもりでいた。
が、母は、そういう人ではなかった。
それができる人でもなかった。
もしそれをすれば、母は、それまでの自分に生き様を否定することになる。
母としてそれができなかった。
それも、私にはよくわかっていた。

●母の見栄

晩年になればなるほど、母の見栄は、はげしくなった。
ますます世間体を気にするようになった。
これは姉から聞いた話だが、買い物に行くときも、千円札を、何十枚か重ね、両端を
1万円札ではさんでサイフに入れ、もち歩いていたという。
そしてレジでお金を出すとき、わざとサイフを開いて、その札たばを店員に
見せつけていたという。
またこんなこともあったという。

姉の家で何かの祝いごとがあった。
姉は母を家へ連れていくことにした。
そのときも、母は、美容院で髪を染め、パーマをかけていたという。
姉の家の近所の人たちに、それなりのかっこうづけをするためだったという。
その日の生活に困っているはずの母が、姉の家に行くのに、1万円前後もかけて、
髪をセットする……。

当時、母はすでに80歳を過ぎていた。
そうした母の行為は、私の常識とは、かけ離れたものだった。

●10年のブランク

私は母との関係を切った。
それが10年近く、つづいた。
その間、冠婚葬祭、親族会などをのぞいて、私は郷里へは戻らなかった。
お金の仕送りも止めた。

が、その間に、母はいろいろな病気を繰り返した。
骨折して入院もした。
またそれがはじまりで、そのあとは、歩くのもままならなくなった。
介護が必要となった。

母は姉の家に2年いたあと、今度は、私が引き取ることになった。
そして同じく私の家に2年いたあと、他界した。

●母の信仰

そういうこともあって、母の信仰の仕方も、これまた一風、変わっていた。
「家にいるときより、寺にいるときのほうが長い」と、みなが、そう言っていた。
こまかい作法にこだわった。
ローソクの立て方、線香の燃やし方、仏具の飾り方などなど。
また親類、縁者たちの命日供養については、毎月、それをしていた。
毎年、年1回ではなく、毎月だぞ!

ここで注意しなければならないことは、宗教心と信仰心はちがうということ。
宗教は、「教え」に従ってするもの。
現実のこの世界で、よりよく生きるために、宗教はある。
一方、信仰心にはそれがない。
そこはまさに、「イワシの頭」。
対象は、キツネでもタヌキでも、何でもよい。
そこに(思い込み)を凝縮させる。

それをなじると母はいつも決まってこう言った。
「人がいいということをして、悪いことにはならない」と。
つまりどんな信仰でも、信仰して悪いということはない、と。

●迷信

こうした母の一連の行為は、一言で説明すれば、「哲学の欠落」ということになる。
権威主義のかたまりのような人だったが、それを支える哲学がなかった。
それがもっともよく現れていたのが、迷信だった。

「夕方に履物を買ってはだめ」
「玄関で脱いだ靴は、裏で履いてはだめ」などなど。
あらゆる行動を、その日の運勢にしたがって決めていた。
「今日は、日が悪いから、靴を買ってはだめ」
「明日は、日がよいから、服を買ってもよい」などなど。

食べ物についても、そうだった。
「梅干と、うな丼と、いっしょに食べてはだめ」
「風邪をひいたときは、豆を食べてはだめ」などなど。

子どものころは私もそれに従っていたが、中学生になるころには、それに耐えられ
なくなった。
あまりにも息苦しかった。

こうした迷信は、一度気にすると、それがずっと気になる。
それを続けていると、やがてそのワナにはまって、そこから抜け出せなくなる。
だから「ナッシング・オア・オール(ゼロかすべてか)」となる。
私は「ゼロ」のほうを選んだ。
今の今でも、迷信なるものは、いっさい、信じていない。
その種の話には、はげしい拒絶反応が起きる。

が、私の知っている人にこんな人がいた。

新車を購入したのだが、その車を納入させるとき、日時はもちろん、納入のための
道順まで、ディーラーに指示したという。
「一度、北に出て、それから西まわりで、車を届けてほしい」と。
迷信を気にするひとは、そこまで気にする。

母も、似たようなことを、よく口にした。

●姉との確執

そんな母が姉の家に2年間いた。
そのあと、私の家に来た。
来たというよりは、私が母を抱きかかえ、車に、無理やり乗せて連れてきた。

それまでの姉との経緯(いきさつ)については、ここには書けない。
いろいろ書きたいことはあるが、やはりここには書けない。
ただ言えることは、事実として、私と姉はその前後に、断絶状態になっていたこと。
姉はそのつど私をはげしくののしった。
そういうことが重なり、私は母を引き取ることにした。

その前日は、M町の旅館で一泊。
朝早く起きて、姉の家に向かった。
重い雲が山々の尾根を覆い隠し、かすかに見える山も、白いモヤにかすんでいた。
M町から姉の家まで、車で、20分足らず。
私は姉とは会話らしい会話もせず、そのまま母を車に乗せ、浜松に向かった。

最初母は、少なからずそれに抵抗したが、私が強く抱きかかえると、力を抜いた。
軽かった。
母は、信じられないほど、軽かった。
私は用意してきた毛布を、幾重にも積みあげ、その上に母を置いた。
そしてその上に、分厚いふとんをかけた。
そしてそのままあいさつもそこそこに、姉と別れ、浜松へと向かった。
まだ正月気分の残る、1月4日のことだった。

●家庭の内情

それぞれの家庭には、それぞれの言うに言われない事情というものがある。
私の家にもあるし、あなたの家にもある。
そういった事情も知らないで、他人が自分の推察だけでものを言うのは、たいへん危険。
ばあいによっては、その相手を深く、傷つける。
最近も、ある人から、こんな話を聞いた。

A氏(80歳)には、3人の息子がいる。
が、外に出た二男や三男が、A氏が住む実家に寄りつかないという。
二男や三男は、実家の近くに来ることはよくあるのだそうだが、そのまま実家には
寄らず、帰ってしまうという。

それを知った叔母(父親の妹)が、二男や三男に向かって、こう言って叱ったという。
「いくら父親が嫌いだからといって、あいさつもしないで帰るのはおかしい。
実家に寄って、あいさつをするのは当然。
実家にはまだ母親もいるのだから……」と。

しかし事情はちがう。
二男や三男が実家に立ち寄らないのは、長男との確執があったからだ。
そのつど長男は、介護費用の分担を迫った。
が、二男と三男にはその経済的余裕がなかった。
だから二男と三男は、父親との確執をそれとなく臭わせることによって、自分たちの
責任を回避していた。
「介護費用を分担したくないから、実家には寄らない」と人に思わせるよりは、
「父親に会いたくないから、実家には寄らない」と他人に思わせたほうが、
自分たちの立場を守ることができる。

事情というのは、そういうもの。
そういった事情が複雑にからんで、その家庭の事情を作る。
他人が自分の頭で、理解できるようなことではない。

だから……よほどのことがないかぎり、他人の家の問題には、口を出さないこと。
相手のほうから相談でもあれば、話は別だが、それがないなら、そっとしておいてやる
ことこそ、懸命。

●決別

イギリスの格言にも、『2人の人には、よい顔はできない』というのがある。
日本にも、『八方美人』という言葉がある。
軽蔑すべき人という意味で、『八方美人』という。

私もあるときから、自分の身辺を整理し始めた。
いろいろ誤解はあるにせよ、そういった誤解を解くのも疲れる。
離れて住んでいればなおさらである。
中には、こちらの事情も知らず、「浩司は親を捨てた」「親不孝者」と言っている
人もいた。
最初は、私なりに誤解を解こうとしたこともある。
しかしここにも書いたように、それにも疲れた。
だからあるときから、居直って生きるようにした。
「思いたければ、どうとでも思え」と。

しかしそれは同時に、そういう人たちとの決別を意味する。
そういう人たちとだけではない。
その周囲の人たちとの決別も意味する。
さらに言えば、故郷そのものとの決別を意味する。
会う回数が、数年に一度とか二度とかになれば、互いの関係そのものが、疎遠になる。
誤解がそのまま定着する。

こうなると残された選択肢は、ただ一つ。
決別ということになる。
またそこまで割り切らないと、幻惑という呪縛感から、自分を解放させることはできない。

親を捨てたわけではないが、そこまで割り切らないと、心の重圧感を晴らすことは
できない。

●最後の会話

2008年、11月11日、夜、11時を少し回ったときのこと。
ふと見ると、母の右目の付け根に、丸い涙がたまっていた。
宝石のように、丸く輝いていた。
私は「?」と思った。
が、そのとき、母の向こう側に回ったワイフが、こう言った。
「あら、お母さん、起きているわ」と。

母は、顔を窓側に向けてベッドに横になっていた。
私も窓側のほうに行ってみると、母は、左目を薄く、開けていた。

「母ちゃんか、起きているのか!」と。
母は、何も答えなかった。
数度、「ぼくや、浩司や、見えるか」と、大きな声で叫んでみた。
母の左目がやや大きく開いた。

私は壁のライトをつけると、それで私の顔を照らし、母の視線の
中に私の顔を置いた。
「母ちゃん、浩司や! 見えるか、浩司やぞ!」
「おい、浩司や、ここにいるぞ、見えるか!」と。

それに合わせて、そのとき、母が、突然、酸素マスクの向こうで、
オー、オー、オーと、4、5回、大きなうめき声をあげた。
と、同時に、細い涙が、数滴、左目から頬を伝って、落ちた。

ワイフが、そばにあったティシュ・ペーパーで、母の頬を拭いた。
私は母の頭を、ゆっくりと撫でた。
しばらくすると母は、再び、ゆっくりと、静かに、眠りの世界に落ちていった。

それが私と母の最後の会話だった。

●あごで呼吸

朝早くから、その日は、ワイフが母のそばに付き添ってくれた。
私は、いくつかの仕事をこなした。
「安定しているわ」「一度帰ります」という電話をもらったのが、昼ごろ。

私が庭で、焚き火をしていると、ワイフが帰ってきた。
が、勝手口へ足を一歩踏み入れたところで、センターから電話。
「呼吸が変わりましたから、すぐ来てください」と。

私と母は、センターへそのまま向かった。
車の中で焚き火の火が、気になったが、それはすぐ忘れた。

センターへ行くと、母は、酸素マスクの中で、数度あえいだあと、そのまま
無呼吸という状態を繰りかえしていた。
「どう、呼吸が変わりましたか?」と聞くと、看護婦さんが、「ほら、
あごで呼吸をなさっているでしょ」と。

私「あごで……?」
看「あごで呼吸をなさるようになると、残念ですが、先は長くないです」と。

私には、静かな呼吸に見えた。

私はワイフに手配して、その日の仕事は、すべてキャンセルにした。
時計を見ると、午後1時だった。

●血圧

血圧は、午前中には、80〜40前後はあったという。
それが午後には、60から55へとさがっていった。
「60台になると、あぶない」という話は聞いていたが、今までにも、
そういうことはたびたびあった。
この2月に、救急車で病院へ運ばれたときも、そうだった。

看護婦さんが、30分ごとに血圧を測ってくれた。
午後3時を過ぎるころには、48にまでさがっていた。
私は言われるまま、母の手を握った。
「冷たいでしょ?」と看護婦さんは言ったが、私には、暖かく感じられた。

午後5時ごろまでは、血圧は46〜50前後だった。
が、午後5時ごろから、再び血圧があがりはじめた。

そのころ、義兄夫婦が見舞いに来てくれた。
私たちは、いろいろな話をした。

50、52、54……。

「よかった」と私は思った。
しかし「今夜が山」と、私は思った。
それを察して、看護士の人たち数人が、母のベッドの横に、私たち用の
ベッドを並べてくれた。
「今夜は、ここで寝てください」と。

見ると、ワイフがそこに立っていた。
この3日間、ワイフは、ほとんど眠っていなかった。
やつれた顔から生気が消えていた。

「一度、家に帰って、1時間ほど、仮眠してきます」と私は、看護婦さんに告げた。
「今のうちに、そうしてください」と看護婦さん。

私は母の耳元で、「母ちゃん、ごめんな、1時間ほど、家に行ってくる。またすぐ
来るから、待っていてよ」と。

私はワイフの手を引くようにして、外に出た。
家までは、車で、5分前後である。

●急変

家に着き、勝手口のドアを開けたところで、電話が鳴っているのを知った。
急いでかけつけると、電話の向こうで、看護婦さんがこう言って叫んだ。
「血圧が計れません。すぐ来てください。ごめんなさい。もう間に合わないかも
しれません」と。

私はそのまままたセンターへ戻った。
母の部屋にかけつけた。

見ると、先ほどまでの顔色とは変わって、血の気が消え失せていた。
薄い黄色を帯びた、白い顔に変わっていた。

私はベッドの手すりに両手をかけて、母の顔を見た。
とたん、大粒の涙が、止めどもなく、あふれ出た。

●下痢

母が私の家にやってきたのは、その前の年(07年)の1月4日。
姉の家から体を引き抜くようにして、抱いて車に乗せた。
母は、「行きたくない」と、それをこばんだ。

私は母を幾重にもふとんで包むと、そのまま浜松に向かった。
朝の早い時刻だった。

途中、1度、母のおむつを替えたが、そのとき、すでに母は、下痢をしていた。
私は、便の始末は、ワイフにはさせないと心に決めていた。
が、この状態は、家に着いてからも同じだった。

母は、数時間ごとに、下痢を繰り返した。
私はそのたびに、一度母を立たせたあと、おむつを取り替えた。

母は、こう言った。
「なあ、浩司、オメーニ(お前に)、こんなこと、してもらうようになるとは、
思ってもみなかった」と。
私も、こう言った。
「なあ、母ちゃん、ぼくも、お前に、こんなことをするようになるとは、
思ってもみなかった」と。

その瞬間、それまでのわだかまりが、うそのように、消えた。
その瞬間、そこに立っているのは、私が子どものころに見た、あの母だった。
やさしい、慈愛にあふれた、あの母だった。

●こだわり

人は、夢と希望を前にぶらさげて生きるもの。
人は、わだかまりとこだわりを、うしろにぶらさげながら、生きるもの。
夢と希望、わだかまりとこだわり、この4つが無数にからみあいながら、
絹のように美しい衣をつくりあげる。

無数のドラマも、そこから生まれる。
私と母の間には、そのわだかまりとこだわりがあった。
大きなわだかまりだった。
大きなこだわりだった。

が、それがどうであれ、現実には、その母が、そこにいる。
よぼよぼした足で立って、私に、尻を拭いてもらっている。

●優等生

1週間を過ぎると、母は、今度は、便秘症になった。
5、6日に1度くらいの割合になった。
精神も落ち着いてきたらしく、まるで優等生のように、私の言うことを聞いてくれた。

ディサービスにも、またショートステイにも、一度とて、それに抵抗することなく、
行ってくれた。
ただ、やる気は、失っていた。

あれほどまでに熱心に信仰したにもかかわらず、仏壇に向かって手を合わせることも
なかった。
ちぎり絵も用意してみたが、見向きもしなかった。
春先になって、植木鉢を、20個ほど並べてみたが、水をやる程度で、
それ以上のことはしなかった。
一方で、母はやがて我が家に溶け込み、私たち家族の一員となった。

●事故

それまでに大きな事故が、3度、重なった。
どれも発見が早かったからよかったようなもの。
もしそれぞれのばあい、発見が、あと1〜2時間、遅れていたら、母は死んでいた
かもしれない。

一度は、ベッドと簡易ベッドの間のパイプに首をはさんでしまっていた。
一度は、服箱の中に、さかさまに体をつっこんでしまっていた。
もう一度は、寒い夜だったが、床の上にへたりと座り込んでしまっていた。

部屋中にパイプをはわせたのが、かえってよくなかった。
母は、それにつたって、歩くことはできたが、一度、床にへたりと座ってしまうと、
自分の手の力だけでは、身を立てることはできなかった。

私とワイフは、ケアマネ(ケア・マネージャー)に相談した。
結論は、「添い寝をするしかありませんね」だった。
しかしそれは不可能だった。

●センターへの申し込み

このあたりでも、センターへの入居は、1年待ちとか、1年半待ちとか言われている。
入居を申し込んだからといって、すぐ入居できるわけではない。
重度の人や、家庭に深い事情のある人が優先される。
だから「申し込みだけは早めにしておこう」ということで、近くのMセンターに
足を運んだ。
が、相談するやいなや、「ちょうど、明日から1人あきますから、入りますか?」と。

これには驚いた。
私たちにも、まだ、心の準備ができていなかった。
で、一度家に帰り、義姉に相談すると、「入れなさい!」と。

義姉は、介護の会の指導員をしていた。
「今、断ると、1年先になるのよ」と。
これはあとでわかったことだったが、そのとき相談にのってくれたセンターの
女性は、そのセンターの園長だった。

●入居

母が入居したとたん、私の家は、ウソのように静かになった。
……といっても、そのころのことは、よく覚えていない。
私とワイフは、こう誓いあった。

「できるだけ、毎日、見舞いに行ってやろう」
「休みには、どこかへ連れていってやろう」と。

しかし仕事をもっているものには、これはままならない。
面会時間と仕事の時間が重なってしまう。
それに近くの公園へ連れていっても、また私の山荘へ連れていっても、
母は、ひたすら眠っているだけ。
「楽しむ」という心さえ、失ってしまったかのように見えた。

●優等生

もちろん母が入居したからといって、肩の荷がおりたわけではない。
一泊の旅行は、三男の大学の卒業式のとき、一度しただけ。
どこへ行くにも、一度、センターへ電話を入れ、母の様子を聞いてからに
しなければならなかった。

それに電話がかかってくるたびに、そのつど、ツンとした緊張感が走った。
母は、何度か、体調を崩し、救急車で病院へ運ばれた。
センターには、医療施設はなかった。

ただうれしかったのは、母は、生徒にたとえるなら、センターでは
ほとんど世話のかからない優等生であったこと。
冗談好きで、みなに好かれていたこと。
私が一度、「友だちはできたか?」と聞いたときのこと。
母は、こう言った。
「みんな、役立たずばっかや(ばかりや)」と。
それを聞いて、私は大声で笑った。
横にいたワイフも、大声で笑った。
「お前だって、役だ立たずやろが」と。

加えて、母には、持病がなかった。
毎日服用しなければならないような薬もなかった。

●問題

親の介護で、パニックになる人もいる。
まったく平静な人もいる。
そのちがいは、結局は(愛情)の問題ということになる。
もっと言えば、「運命は受け入れる」。

運命というのは、それを拒否すると、牙をむいて、その人に襲いかかってくる。
しかしそれを受け入れてしまえば、向こうから、尻尾を巻いて逃げていく。
運命は、気が小さく、おくびょう者。

私たちに気苦労がなかったと言えば、うそになる。
できれば介護など、したくない。
しかしそれも工夫しだいでどうにでもなる。

加齢臭については、換気扇をつける。
事故については、無線のベルをもたせる。
便の始末については、私のばあいは、部屋の横の庭に、50センチほどの
深さの穴を掘り、そこへそのまま捨てていた。
水道管も、そこまではわせた。

ただ困ったことがひとつ、ある。
我が家にはイヌがいる。
「ハナ」という名前の猟犬である。
母と、そしてその少し前まで私の家にいた兄とも、相性が合わなかった。
ハナは、母を見るたびに、けたたましくほえた。
真夜中であろうが、早朝であろうが、おかまいなしに、ほえた。

これについても、いろいろ工夫した。
たとえば母の部屋は、一日中、電気をつけっぱなしにした。
暖房もつけっぱなしにした。
そうすることによって、母が深夜や早朝に、カーテンをあけるのをやめさせた。
ハナは、そのとき、母と顔を合わせて、ほえた。
いろいろあったが、私とワイフは、そういう工夫をむしろ楽しんだ。

●あんたら、鬼や

それから約1年半。
母の92歳の誕生日を終えた。
といっても、そのとき母は、ゼリー状のものしか、食べることができなくなっていた。
嚥下障害が起きていた。
それが起きるたびに、吸引器具でそれを吸い出した。
母は、それをたいへんいやがった。
ときに看護士さんたちに向かって、「あんたら、鬼や」と叫んでいたという。

郷里の言葉である。

私はその言葉を聞いて笑った。
私も子どものころ、母によくそう言われた。
母は何か気に入らないことがあると、きまって、その言葉を使った。
「お前ら、鬼や」と。

●他界

こうして母は、他界した。
そのときはじめて、兄が死んだ話もした。
「Jちゃん(=兄)も、そこにいるやろ。待っていてくれたやろ」と。
兄は、2か月前の8月2日に、他界していた。

母の死は、安らかな死だった。
どこまでも、どこまでも、安らかな死だった。
静かだった。
母は、最期の最期まで、苦しむこともなく、見取ってくれた看護婦さんの
話では、無呼吸が長いかなと感じていたら、そのまま死んでしまったという。

穏やかな顔だった。
やさしい顔だった。
顔色も、美しかった。

母ちゃん、ありがとう。
私はベッドから手を放すとき、そうつぶやいた。

2008年10月13日、午後5時55分、母、安らかに息を引き取る。