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●育児疲れ

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子育ては重労働。
一瞬たりとも、気が抜けない。
そんな重圧感に苦しんでいる。
KNさん(母親・磐田市在住)も、
その1人。

+++++++++++++++++

【はやし浩司より、KNさんへ】

多分に、育児ノイローゼかと思います。
この時期、家事、育児、生活と、多忙が原因で、多くの人が、KNさんのようになります。
マタニィティブルーのようなものです。
症状も典型的なもので、とくにKNさんだけ……というものではありません。
 
KNさんは、メールを読んだ私の印象では、いわゆる気負い型ママということになります。
「はやし浩司 気負い型ママ」で検索してくださると、多分、いくつか記事を
ヒットすると思います。
一度試してみてください。
 
原因は、KNさん自身にるのではなく、あなたの実の両親にあると考えられます。
あなた自身と実の母との関係です。
あなた自身が、あなたの実の母との間の人間関係をうまく作ることができなかった。
遠い昔の、あなたの乳幼児期に、です。
心理学で言えば、「基本的信頼関係」の構築が、うまくできなかった(?)。

どこか権威主義的で、心を閉ざした母親……、そんなKNさんの実の母親の姿が、
想像されます。
しかしそれはあなたの責任ではなく、あなたの実の母の責任です。
不幸にして、あなた自身が、あなたの実の母の温かい、豊かな愛情に
恵まれなかった。
 
だから気負ってしまうのです。
自然な形で子育てができない。
どこかぎこちなく、ぎくしゃくしてしまう。
 
しかしこの問題は、そういう不幸な過去があるということではなく、それに気づかず、
それに振り回されてしまうということです。
一度、自分の心の中を冷静に観察してみてください。
そしてこう思うのです。
 
「私の責任ではない。私の生まれ育った環境の責任なのだ」とです。
1〜5年と時間はかかりますが、あとは時間が解決してくれます。
(こうした心に深く根ざす問題は、簡単には解決しません。
しかしそれに気がつけば、向うのほうから、去っていきます。)
 
で、それが世代を超えて、今度は、KNさんが、KNさんのお子さんに対して、
同じことを繰り返しています。
子どもの心がうまくつかめず、今度はKNさんが、悩んでいるのです。
これを世代連鎖と言います。
 
つまり、あなたは自分の不幸な過去を、今、お子さんに対して、再現しているというわけです。
 
では、どうするか?
 
(1)まず、自分が過去に作られた人間であることに気がつくこと。
(2)あなたに親像、家庭像が入っていず、ぞれが気負い型ママになっていることに気がつくこ
と。
(3)この時期、多くの人がなりがちな、育児ノイローゼになっていることに気がつくこと。
 
が、ここが重要ですが、(4)どれもしかしほとんどの人が、そうなるというくらい多い問題ですか
ら、自分を責めないこと、です。

私も不幸な家庭で生まれ育ち、若いころは苦労しました。
親像も家庭像も、満足にインプットされていませんでした。
だから私の子育ても、ぎこちないものでした。
毎日、「これでいいのか」「こんなふうにしていいのか」と、子育てをしながら、悩みました。
が、そのうち、こうしてみなさんからの相談を受けるうち、「なんだ、私も、みなと同じだア」と思う
ようになりました。
 
そう、外から見ると、みなうまくいっているように見えますが、それはそうではありません。
みな、もっと深刻な問題をかかえて、苦労しています。
そういう意味で、KNさんの悩みなどというのは、たいしたこと、ありません!
 
で、あまりイライラするようでしたら、私のばあいは、カルシウム剤をのんんだり、
市販のハーブ系の精神安定剤を服用したりして、対処しています。
あとはワイフの女性用のセパゾンというやはり安定剤を、ときどきのんでいます。
(これは医師に申し出れば、処方してくれます。穏やかな薬ですから、副作用は
ありません。私は1錠のむところを、いつも半分に割って、口の中で溶かしてのんでいます。
女性用のものですが、どういうわけか、私にも効きます。
あとは漢方薬で、ハンゲコウボク湯をのんでいます。
これも女性の精神安定剤(胃腸薬)としてよく使われているものです。)
 
で、ポイントは、あなたとご主人との関係です。
まず育児は重労働ということを理解してもらいます。
そういう方法は、ないものでしょうか。

そのためには、心を開いて、もっと甘えたらよいと思います。
そう、もっと心を開くのです。
気負い型ママというのは、問題をすべて自分で背負いこんでしまいます。
だから努めて、心を開きます。
ありのままの自分を、もっとさらけ出すのです。
言いたいことを言い、したいことをする。
これを心理学の世界では、自己開示といいます。

今は、閉そく感の中で、苦しいかもしれませんが、そこにある「運命」をそのまま受け入れてしま
います。
運命というのは、逆らえば逆らうほど、キバをむいてKNさんに襲いかかってきます。
が、受け入れてしまえば、向うから退散していきます。
「まあ、私の人生は、こんなもの」と割り切ればよいのです。
 
なお、子どもには当たらないこと。
子どもというのは、これから先の長い友だちです。
友としてとらえてください。
「友」としてとらえれば、あとはうまくいきます。
(今のKNさんは、親意識が強すぎると思います。
昔風の悪玉親意識です。
そんなものは、くだらないから、今すぐ、捨てなさい!)
 
で、今は、KNさんにはわからないかもしれませんが、KNさんは、(ふつうの女性)から、
1ランク上の(母親)に脱皮しようとしているのです。
この時期は苦しいかもしれませんが、うまく乗り越えて、よりすばらしい女性になってください。
またなれます。
苦しみ、悩みが、人間を成長させるのです。

そうそう今は苦しいかもしれませんが、そろそろ自分のしたいことを見つけ、その準備もしてお
くといいですよ。
やがてすぐ子どもは親離れしていきますから……。
あなたはあなたでしたいことを発見し、それに向かって前向きに進んでいくのです。
子育てに埋没してしまうと、自分の姿が見えなくなってしまいます。
そうなると、その先で待っているのは、「うつ病」ということになります。
子どもにも、悪い影響を与えます。
 
たくさん原稿を書いていますので、また読んでみてください。
参考になると思います。
 
いただいたメールは、どこにも出しませんので、ご安心ください。
テーマとして、今朝、少し考えてみます。
それはお許しください。
また返事を書きます。
 
では、今朝も始まりました。
 
おはようございます!!!
 
はやし浩司








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●思考のループ【輪形彷徨】

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思考のループほど、恐ろしいものはない。
ループ状態に入ったとたん、思考は停止し、
その分だけ、時間を無駄にする。

私たちにとって重要なことは、歩きつづけること。
先へ行けば行くほど、さらにその先に、「先」が
現れてくる。
だからますます先に進みたくなる。
が、ループ状態に入ると、「進んでいる」と
錯覚したまま、そこで停滞してしまう。
それは思想的には、「死」を意味する。
「魂の死」と言い換えてもよい。

何も肉体の「死」だけが死ではない。

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●輪形彷徨(りんけいほうこう)

 思想がループ状態に入ることを、「輪形彷徨」という。
ちょうど輪のように、同じところをグルグルと回るところから、そう言う。

もちろんその半径は、それぞれの人によって、みな、ちがう。
ある人は、1日単位で、ループ状態を繰り返す。
またある人は、1年単位で、ループ状態を繰り返す。
繰り返しながら、自分では、それがわからない。
自分では、前に向かって進んでいると錯覚する。
が、実のところ、一歩も前に進んでいない。

 このことは、あなたの周辺から、何人かの人を選んで、
その人を観察してみれば、わかる。
中には、10年1律のごとく、同じことしか言わない人がいる。
(さらにひどくなると、月単位、週単位で、同じことしか言わない人がいる。)

が、その一方で、そのつど新しい視点で、新しいことを言う人もいる。
話題も豊富で、そのつど話の内容が深く、濃くなっている。

10年1律のごとく、同じことしか言わない人は、その程度の人と見てよい。
思想的には、死んだも同然。
いくら派手な言動を繰り返しても、死んだも同然。
そういう人を、「思想的死者」と呼ぶ。

●思想的死者

 輪形彷徨がこわいのは、それを繰り返しているうちに、思想がどんどんと
浅くなっていくこと。
視野もせまくなる。
それしか目に入らなくなる。

 このことは、私の母の晩年の日記を読んでいて気がついた。
私の母は、毎日その日の終わりに日記をつけていた。
が、晩年になればなるほど、毎日書いていることが同じになっている。

 「今日は雨(晴れ、うす曇り、曇り)で始まり、「〜〜さんが来た」「〜〜さんと
会った」「〜〜さんと話をした」という話につながる。
そしてしめくくりはいつも、「明日は晴れますように(涼しくなりますように)」と。

 私なりに母の気持ちをくみ取りたいと思ったが、日記を読む範囲では、それが
できなかった。
当時年齢も90歳に近かったから、それもしかたのないことかもしれない。
が、母にかぎらず、人は、一度、この輪形彷徨に入ると、そのワクから抜け出られなく
なる。
そしてあとはその悪循環の中で、自分の住む世界を、どんどんと小さくしてしまう。

●では、どうすればよいか

 私たちも、ふと油断すると、そのつど思考がループ状態になるのを知る。
そこで私のばあい、努めて、毎回、ちがったことを書くことにしている。
子どもたちを教えるときも、そうで、同じ年長児のクラスでも、切り口を変えるよう
にしている。
内容そのものも、変えることがある。
こうして自分の思考が、ループ状態に入るのを防ぐ。

 が、このところ、ときどき恐ろしい経験をする。
「このテーマは初めて……」と思って書いている原稿でも、検索してみると、
同じようなことを、数年前に書いたのを知るときがある。
しかも数年前に書いた原稿のほうが、内容が深い!

 たとえば「思考のループ」にしても、実は、それについて書くのは、今回が
初めてではない。

(ここで、ヤフーの検索機能をつかって、検索してみた。)

「はやし浩司 思考のループ」で検索してみたら、ナント、204件もヒットした。
それも、だ。
最新の原稿は、08年11月付けとなっている!
私は6か月前に、同じことを考えていたことになる。
以下、かなりの長文になるが、それをそのまま、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●思考のループ

++++++++++++++++++
うつ状態になると、ものごとに対する
(こだわり)が強くなる。

(うつ)と(こだわり)は、紙でいえば、
表と裏のような関係と考えてよいのでは?
そのことだけを、悶々と悩むようになる。
そこで最近、こんなことに気がついた。
若いときは、うつ状態になっても、脳の
中の情報は、割とそのまま維持される。
しかし加齢とともに、うつ状態になると、
脳の中の情報が、こぼれ落ちるように、
消えていく。

特定のことにこだわるあまり、ほかの
情報が入ってこなくなる。
つまりうつ状態が長くつづくと、脳みそ
全体が、ボケていく。
だから一般的には、こう言われている。
「ボケからうつ病になることもあるし、
うつ病からボケになることもある。
その見分けは、むずかしい」と。
つまり今度は、(うつ)と(ボケ)が、
紙で言えば、表と裏の関係と考えて
よいのでは?、ということになる。

+++++++++++++++++

●60代

自分が60代になってみて、恐ろしいと感じたことが、ひとつある。
それは急速に、過去の知識や経験が、脳みそから消えていくということ。
記憶にしても、記銘力、維持力、想起力が、同時に弱くなった。
つまり私たちは、それに気がつかないまま、どんどんとバカになっているということ。
そこで大切なことは、歳をとればとるほど、脳みそをさまざまな角度から、
刺激していかねばならない。
肉体の健康にたとえるまでもない。

が、ここで思わぬ伏兵が現れてきた。
たとえば心がうつ状態になったとする。
(うつ)の第一の特徴は、(こだわり)である。
ある特定のことがらに、悶々と悩んだりする。
それが短期間なものであれば、問題はない。
しかしそれが長期間つづくと、その間に、ほかの部分にあった知識や経験が、
どんどんと脳みそから消え、結果として、頭がボケていく。
そのため総合的な判断が、できにくくなる。

ただ本人自身は、ここにも書いたように、自分でそれに気づくことはない。
そういう状態になりながらも、「私は、まとも」と思う。
このズレが、いろいろな場面で、トラブルの原因となることもある。
先日も、私がその女性(65歳くらい)に、「私は、そんなバカではないと
思います」と言ったときのこと、その女性は何を勘違いしたのか、こう言って
叫んだ。

「私だって、そんなバカではありません!」と。
私はその女性に、認知症の初期症状をいくつか感じ取っていた。
自分勝手でわがまま。
繊細な会話ができない。
話す内容も一方的で、その繰り返し。
が、それはそのまま私自身の問題でもある。

私もよく(うつ状態)になる。
何かのことでそれにこだわると、それについて、悶々と悩んだりする。
毎日、そのことばかりを考えるようになる。
考えるといっても、堂々めぐり。
思考そのものが、ループ状態になる。
とたん、ほかの情報が脳みその中に、入ってこなくなる。
肉体の健康にたとえるなら、これは腕の運動ばかりしていて、体全体の運動を
忘れるようなもの。

うつ状態が長期になればなるほど、そのため、頭はボケていく。
だから……、といっても、もう結論は出ているが、うつ状態は、ボケの敵。
50歳を過ぎたら、とくに注意したほうがよい。

(付記)
認知症から(うつ状態)になる人もいれば、(うつ状態)から認知症になる人も
いる。
その見分けは、専門家でもたいへんむずかしいという。
が、こう考えてはどうだろうか。
どちらであるにせよ、脳の一部しか機能しなくなるために、そうなる、と。
とくに50代以上になると、それまでの知識や経験が、穴のあいたバケツから
水がこぼれ出るように、外へと漏れ出ていく。
そうでなくても補充しなければいけないときに、特定のことにこだわり、
それについて悶々と悩むのは、それだけでバカになっていく。
それが認知症につながっていくということも、じゅうぶん考えられる。
少し前まで、「損得論」についていろいろ考えてきたが、損か得かという
ことになれば、脳みその機能が悪くなることほど、損なことはない。
まさに「私」の一部を、失うことになる。

++++++++++++++++
思考のループについて、
以前書いた原稿を、添付します。
++++++++++++++++

●無限ループの世界

 思考するということには、ある種の苦痛がともなう。それはちょうど難解な数学の問題を解くよ
うなものだ。できれば思考などしなくてすましたい。それがおおかたの人の「思い」ではないか。

 が、思考するからこそ、人間である。パスカルも「パンセ」の中で、「思考が人間の偉大さをな
す」と書いている。しかし今、思考と知識、さらには情報が混同して使われている。知識や情報
の多い人を、賢い人と誤解している人さえいる。

 その思考。人間もある年齢に達すると、その思考を停止し、無限のループ状態に入る。「そ
の年齢」というのは、個人差があって、一概に何歳とは言えない。二〇歳でループに入る人も
いれば、五〇歳や六〇歳になっても入らない人もいる。「ループ状態」というのは、そこで進歩
を止め、同じ思考を繰り返すことをいう。こういう状態になると、思考力はさらに低下する。私は
このことを講演活動をつづけていて発見した。

 講演というのは、ある意味で楽な仕事だ。会場や聴衆は毎回変わるから、同じ話をすればよ
い。しかし私は会場ごとに、できるだけ違った話をするようにしている。これは私が子どもたち
に接するときもそうだ。

毎年、それぞれの年齢の子どもに接するが、「同じ授業はしない」というのを、モットーにしてい
る。(そう言いながら、結構、同じ授業をしているが……。)で、ある日のこと。たしか過保護児
の話をしていたときのこと。私はふとその話を、講演の途中で、それをさかのぼること二〇年
程前にどこかでしたのを思い出した。とたん、何とも言えない敗北感を感じた。「私はこの二〇
年間、何をしてきたのだろう」と。

 そこであなたはどうだろうか。最近話す話は、一〇年前より進歩しただろうか。二〇年前より
進歩しただろうか。あるいは違った話をしているだろうか。それを心のどこかで考えてみてほし
い。さらにあなたはこの一〇年間で何か新しい発見をしただろうか。それともしなかっただろう
か。

こわいのは、思考のループに入ってしまい、一〇年一律のごとく、同じ話を繰り返すことだ。もう
こうなると、進歩など、望むべくもない。それがわからなければ、犬を見ればよい(失礼!)。犬
は犬なりに知識や経験もあり、ひょっとしたら人間より賢い部分をもっている。しかし犬が犬な
のは、思考力はあっても、いつも思考の無限ループの中に入ってしまうことだ。だから犬は犬
のまま、その思考を進歩させることができない。

 もしあなたが、いつかどこかで話したのと同じ話を、今日もだれかとしたというのなら、あなた
はすでにその思考の無限ループの中に入っているとみてよい。もしそうなら、今日からでも遅く
ないから、そのループから抜け出してみる。方法は簡単だ。何かテーマを決めて、そのテーマ
について考え、自分なりの結論を出す。そしてそれをどんどん繰り返していく。どんどん繰り返
して、それを積み重ねていく。それで脱出できる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司
●ノーブレイン

 英語に「ノーブレイン(脳がない)」という言い方がある。「愚か」という意味ではない。ふつう
「考える力のない人」という意味で使う。「賢い(ワイズ)」の反対の位置にある言葉だと思えばよ
い。「ヒー・ハズ・ノー・ブレイン(彼は脳がない)」というような使い方をする。

 そのノーブレインだが、このところ日本人全体が、そのノーブレインになりつつあるのではな
いか。たとえばテレビ番組に、バラエィ番組というのがある。チャラチャラしたタレントたちが、こ
れまたチャラチャラとした会話を繰り返している。どのタレントも思いついたままを口にしている
だけ。一見、考えてしゃべっているように見えるが、その実、何も考えていない。脳の表層部分
に飛来する情報を、そのつど適当に加工して口にしているだけ。

考える力というのは、みながみな、もっているわけではない。仮にもっていたとしても、考えるこ
とにはいつも、ある種の苦痛がともなう。それは難しい数学の方程式を解くような苦痛に似てい
る。しかも考えて解ければそれでよし。「解いた」という喜びが快感になる。しかしたいていは答
そのものがない。考えたところで、どうにもならないことが多い。そのためほとんどの人は、無
意識のうちにも、考えることを避けようとする。

言いかえると、「考える人」は、少ない。「考える習慣のある人」と言いかえたほうが正しいかも
しれない。その習慣のある人は少ない。私が何か問いかけても、「そんなめんどうなこと考えた
くない」とか、反対に、「もうそんなめんどうなこと、考えるのをやめろ」とか言う人さえいる。

人間は考えるから人間であって、もし考えることをやめてしまったら、人間は人間でなくなってし
まう。少なくとも、人間と、他の動物を分けるカベがなくなってしまう。「考える」ということには、
そういう意味が含まれる。ただここで注意しなければならないのは、考えるといっても、(1)そ
の方法と、(2)内容である。

これについてはまた別のところで結論を出すが、私のばあい、自分の考えが、ループ状態
(堂々巡り)にならないように注意している。またそれだけは避けたいと思っている。一度その
ループ状態になると、一見考えているように見えるが、そこで思考が停止してしまう。

それに私のばあい、これは私の思考能力の欠陥と言ってよいのだろうが、大きな問題と小さな
問題を同時に考えたりすると、その区別がつかなくなってしまう。ときとしてどうでもよいような問
題にかかりきりになり、自分を見失ってしまう。「考える」ということには、そういうさまざまな問題
が隠されてはいる。しかしやはり「人間は考えるから人間」である。それは人間が人間であるこ
との大前提といってもよい。つまり「ノーブレイン」であることは、つまりその人間であることの放
棄といってもよい。

人間を育てるということは、その「考える子ども」にすることである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●考えない子ども

 「1分間で、時計の長い針は、何度進むか」という問題がある(旧小4レベル)。その前の段階
として、「1時間で360度(1回転)、長い針は回る」ということを理解させる。そのあと、「では1
分間で、何度進むか」と問いかける。

 この問題を、スラスラ解く子どもは、本当にあっという間に、「6度」と答えることができる。が、
そうでない子どもは、そうでない。で、そのときの様子を観察すると、できない子どもにも、ふた
つのタイプがあるのがわかる。懸命に考えようとするタイプと、考えることそのものから逃げて
しまうタイプである。

 懸命に考えようとするタイプの子どもは、ヒントを小出しに出してあげると、たいていその途中
で、「わかった」と言って、答を出す。しかし考えることから逃げてしまうタイプの子どもは、いくら
ヒントを出しても、それに食いついてこない。「15分で、長い針はどこまでくるかな?」「15分
で、長い針は何度、回るかな?」「15分で、90度回るとすると、1分では何度かな?」と。

そこまでヒントを出しても、まだ理解できない。もともと理解しようという意欲すらない。どうでもよ
いといった様子で、ただぼんやりしている。さらに考えることをうながすと、「先生、これは掛け
算の問題?」と聞いてくる。

決して特別な子どもではない。今、このタイプの、つまり自分で考える力そのものが弱い子ども
は、約二五%はいる。四人に一人とみてよい。無気力児とも違う。友だちどうしで遊ぶときは、
それなりに活発に遊ぶし、会話もポンポンとはずむ。知識もそれなり豊富だし、ぼんやり型の
子ども(愚鈍児)特有の、ぼんやりとした様子も見られない。

ただ「考える」ということだけができない。……できないというより、さらによく観察すると、考える
という習慣そのものがないといったふう。考え方そのものがつかめないといった様子を見せる。

 そこで子どもが考えるまで待つのだが、このタイプの子どもは、考えそのものが、たいへん浅
いレベルで、ループ状態に入るのがわかる。つまり待てばよいというものでもない。待てば待っ
たで、どんどん集中力が薄くなっていくのがわかる……。

 結論から先に言えば、小学四年生くらいの段階で、一度こういう症状があらわれると、以後な
おすのは容易ではない。少なくとも、学校の進度に追いつくことがむずかしくなる。やっとできる
ようになったと思ったときには、学校の勉強のほうがさらに先に進んでいる……。あとはこの繰
り返し。

 そこで幼児期の「しつけ」が大切ということになる。それについてはまた別のところで考える
が、もう少し先まで言うと、そのしつけは、親から受け継ぐ部分が大きい。親自身に、考えると
いう習慣がなく、それがそのまま子どもに伝わっているというケースが多い。勉強ができないと
いうのは、決して子どもだけの問題ではない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 思考
のループ ループ性 ループ状態)


【子どもの思考力】

●考える子どもvs考えない子ども

 勉強ができない子どもは、一般的には、たとえば愚鈍型(私は「ぼんやり型」と呼んでいる。こ
の言葉は好きではない。)、発育不良型(知育の発育そのものが遅れているタイプ)、活発型
(多動性があり、学習に集中できない)などに分けて考えられている(教育小辞典)。

しかしこの分類方法で子どもを分類しても、「ではどうすればよいか」という対策が生まれてこな
い。さらに特殊なケースとして、LD児(学習障害児)の問題がある。診断基準をつくり、こうした
子どもにラベルを張るのは簡単なことだ。が、やはりその先の対策が生まれてこない。つまりこ
うした見方は、教育的には、まったく意味がない。言うまでもなく、子どもの教育で重要なのは、
診断ではなく、また診断名をつけることでもなく、「どうすれば、子どもが生き生きと学ぶ力を養
うことができるか」である。

 そこで私は、現象面から、子どもをつぎのように分けて考えている。

(1)思考力そのものが散漫なタイプ
(2)思考するとき、すぐループ状態(思考が堂々巡りする)になるタイプ
(3)得た知識を論理的に整理できず、混乱状態になるタイプ
(4)知識が吸収されず、また吸収しても、すぐ忘れてしまうタイプ
 
この分類方法の特徴は、そのまま自分自身のこととして、自分にあてはめて考えることができ
るという点にある。たとえば一日の仕事を終えて、疲労困ぱいしてソファに寝そべっているとき
というのは、考えるのもおっくうなものだ。そういう状態がここでいう(1)の状態。

何かの事件がいくつか同時に起きて、頭の中がパニック状態になって、何から手をつけてよい
かわからなくなることがある。それが(2)の状態。

パソコン教室などで、聞いたこともないような横文字の言葉を、いくつも並べられ、何がなんだ
かさっぱりわからなくなるときがある。それが(3)の状態。

歳をとってから、ドイツ語を学びはじめたとする。単語を覚えるのだが、覚えられるのはその場
だけ。つぎの週には、きれいに忘れてしまう。それが(4)の状態。

 勉強が苦手(できない)な子どもは、これら(1)〜(4)の状態が、日常的に起こると考えると
わかりやすい。そしてそういう状態が、実は、あなた自身にも起きているとわかると、「ではどう
すればよいか」という部分が浮かびあがってくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 勉強
が苦手 勉強が苦手な子供)

(1)思考力そのものが散漫なタイプ

思考力そのものが、散漫なタイプの子どもを理解するためには、たとえばあなたが一日の仕事
を終えて、疲労困ぱいしてソファに寝そべっているようなときを想像してみればよい。そういうと
きというのは、考えるのもおっくうなものだ。ひょっとしたら、不注意で、そのあたりにあるコーヒ
ーカップを、手で倒してしまうかもしれない。だれからか電話がかかってきても、話の内容は上
の空。「アウー」とか答えるだけで精一杯。あれこれ集中的に指示されても、そのすべてがどう
でもよくなってしまう。明日の予定など、とても立てられない……。

もしあなたがそういう状態になったら、あなたはどうするだろうか。一時的には、コーヒーを口に
したり、ガムをかんだりして、頭の回転をはやくしようとするかもしれない。効果がないわけでは
ない。が、だからといって、体の疲れがとれるわけではない。そういうときあなたの夫(あるいは
妻)に、「何をしているの! さっさと勉強しなさい」と、言われたとする。あなたはあなたで、「し
なければならない」という気持ちがあっても、ひょっとしたら、あなたはどうすることもできない。
漢字や数字をみただけで、眠気が襲ってくる。ほんの少し油断すると、目がかすんできてしま
う。横で夫(あるいは妻)が、横でガミガミとうるさく言えば言うほど、やる気も消える。

思考力が弱い子どもは、まさにそういう状態にあると思えばよい。本人の力だけでは、どうしよ
うもない。またそういう前提で、子どもを理解する。「どうすればよいか」という問題については、
あなたならどうしてもらえばよいかと考えればわかる。疲労困ぱいして、ソファに寝そべってい
るようなとき、あなたなら、どうすればやる気が出てくるだろうか。そういう視点で考えればよ
い。そういうときでも、あなたにとって興味がもてること、関心があること、さらに好きなことな
ら、あなたは身を起こしてそれに取り組むかもしれない。まさにこのタイプの子どもは、そういう
指導法が効果的である。これを「動機づけ」というが、その動機づけをどうするかが、このタイプ
の子どもの対処法ということになる。

(2)思考するとき、すぐループ状態(思考が堂々巡りする)になるタイプ

何かの事件がいくつか同時に起きて、頭の中がパニック状態になって、何から手をつけてよい
かわからなくなることがある。実家から電話がかかってきて、親が倒れた。そこでその支度(し
たく)をしていると、今度は学校から電話がかかってきて、子どもが鉄棒から落ちてけがをし
た。さらにそこへ来客。キッチンでは、先ほどからなべが湯をふいている……!

一度こういう状態になると、考えが堂々巡りするだけで、まったく先へ進まなくなる。あなたも学
生時代、テストで、こんな経験をしたことがないだろうか。まだ解けない問題が数問ある。しかし
刻々と時間がせまる。計算しても空回りして、まちがいばかりする。あせればあせるほど、自分
でも何をしているかわからなくなる。

このタイプの子どもは、時間をおいて、同じことを繰りかえすので、それがわかる。たとえば「時
計の長い針は、15分で90度回ります。1分では何度回りますか」という問題のとき、しばらくは
分度器を見て、何やら考えているフリをする。そして同じように何やら式を書いて計算するフリ
をする。私が「あと少しで解けるのかな」と思って待っていると、また分度器を見て、同じような
行為を繰りかえす。式らしきものも書くが、先ほど書いた式とくらべると、まったく同じ。あとはそ
の繰り返し……。

一度こういう状態になったら、ひとつずつ片づけていくのがよい。が、このタイプの子どもはいく
つものことを同時に考えてしまうため、それもできない。ためしに立たせて意見を発表させたり
すると、おどおどするだけで何をどう言ったらよいかわからないといった様子を見せる。そこで
あなた自身のことだが、もしあなたがこういうふうにパニック状態になったら、どうするだろう
か。またどうすることが最善と思うだろうか。

 ひとつの方法として、軽いヒントを少しずつ出して、そのパニック状態から子どもを引き出すと
いう方法がある。「時計の絵をかいてごらん」「1分たつと、長い針はどこからどこまで進みます
か」「5分では、どこまで進みますか」「15分では、どこかな」と。これを「誘導」というが、どの段
階で、子どもが理解するようになるかは、あくまでも子ども次第。絵をかいたところで、「わかっ
た」と言って理解する子どももいるが、最後の最後まで理解しない子どももいる。そういうときは
それこそ、からんだ糸をほぐすような根気が必要となる。しかもこのタイプの子どもは、仮に「1
分で長い針は6度進む」とわかっても、今度は「短い針は1時間で何度進むか」という問題がで
きるようになるとはかぎらない。少し問題の質が変わったりすると、再びパニック状態になって
しまう。パニックなることそのものが、クセになっているようなところがある。あるいはヒントを出
すということが、かえってそれが「思考の過保護」となり、マイナスに作用することもある。

 方法としては、思い切ってレベルをさげ、その子どもがパニックにならない段階で指導するし
かないが、これも日本の教育の現状ではむずかしい。

(3)得た知識を論理的に整理できず、混乱状態になるタイプ

パソコン教室などで、聞いたこともないような横文字の言葉を、いくつも並べられると、何がな
んだかさっぱりわからなくなるときがある。「メニューから各機種のフォルダを開き、Readme.
txtを参照。各データは解凍してあるが、してないものはラプラスを使って解凍。そのあとで直接
インストールのこと」と。

このタイプの子どもは、頭の中に、自分がどこへ向かっているかという地図をえがくことができ
ない。教える側はそのため、「これから角度の勉強をします」と宣言するのだが、「角」という意
味そのものがわかっていない。あるいはその必要性そのものがわかっていない。「角とは何
か」「なぜ角を学ぶのか」「学ばねばならないのか」と。そのため、頭の中が混乱してしまう。「角
の大きさ」と言っても、何がどう大きいのかさえわからない。それはちょうどここに書いたよう
に、パソコン教室で、先生にいきなり、「左インデントを使って、段落全体の位置を、下へさげて
ください」と言われるようなものだ。こちら側に「段落をさげたい」という意欲がどこかにあれば、
まだそれがヒントにもなるが、「左インデントとは何か」「段落とは何か」「どうして段落をさげなけ
ればならないのか」と考えているうちに、何がなんだかさっぱりわけがわからなくなってしまう。
このタイプの子どもも、まさにそれと同じような状態になっていると思えばよい。

そこでこのタイプの子どもを指導するときは、頭の中におおまかな地図を先につくらせる。学習
の目的を先に示す。たとえば私は先のとがった三角形をいくつか見せ、「このツクンツクンした
ところで、一番、痛そうなところはどこですか?」と問いかける。先がとがっていればいるほど、
手のひらに刺したときに、痛い。すると子どもは一番先がとがっている三角形をさして、「ここが
一番、痛い」などと言う。そこで「どうして痛いの」とか、「とがっているところを調べる方法はない
の」とか言いながら、学習へと誘導していく。

 このタイプの子どもは、もともとあまり理屈っぽくない子どもとみる。ものの考え方が、どこか
夢想的なところがある。気分や、そのときの感覚で、ものごとを判断するタイプと考えてよい。
占いや運勢判断、まじないにこるのは、たいていこのタイプ。(合理的な判断力がないから、そ
ういうものにこるのか、あるいは反対に、そういうものにこるから、合理的な判断力が育たない
のかは、よくわからないが……。)さらに受身の学習態度が日常化していて、「勉強というの
は、与えられてするもの」と思い込んでいる。もしそうなら、家庭での指導そのものを反省する。
子どもが望む前に、「ほら、英語教室」「ほら、算数教室」「ほら、水泳教室」とやっていると、子
どもは、受身になる。

(4)知識が吸収されず、また吸収しても、すぐ忘れてしまうタイプ

 大脳生理学の分野でも、記憶のメカニズムが説明されるようになってきている。それについ
てはすでにあちこちで書いたので、ここではその先について書く。

 思考するとき人は、自分の思考回路にそってものごとを思考する。これを思考のパターン化
という。パターン化があるのが悪いのではない。そのパターンがあるから、日常的な生活はス
ムーズに流れる。たとえば私はものを書くのが好きだから、何か問題が起きると、すぐものを
書くことで対処しようとする。(これに対して、暴力団の構成員は、何か問題が起きると、すぐ暴
力を使って解決しようとする?)問題は、そのパターンの中でも、好ましくないパターンである。

 子どもの中には、記憶力が悪い子どもというのは、確かにいる。小学六年生でも、英語のア
ルファベットを、三〜六か月かけても、書けない子どもがいる。決して少数派ではない。そういう
子どもが全体の二〇%前後はいる。そういう子どもを観察してみると、記憶力が悪いとか、覚
える気力が弱いということではないことがわかる。結構、その場では真剣に、かつ懸命に覚え
ようとしている。しかしそれが記憶の中にとどまっていかない。そこでさらに観察してみると、こ
んなことがわかる。

「覚える」と同時に、「消す」という行為を同時にしているのである。それは自分につごうの悪い
ことをすぐ忘れてしまうという行為に似ている。もう少し正確にいうと、記憶というのは、脳の中
で反復されてはじめて脳の中に記憶される。その「反復」をしない。(記憶は覚えている時間の
長さによって、短期記憶と長期記憶に分類される。また記憶される情報のタイプで、認知記憶
と手続記憶に分類される。

学習で学んだアルファベットなどは、認知記憶として、一時的に「海馬」という組織に、短期記憶
の形で記憶されるが、それを長期記憶にするためには、大脳連合野に格納されねばならな
い。その大脳連合野に格納するとき、反復作業が必要となる。その反復作業をしない。)つまり
反復しないという行為そのものが、パターン化していて、結果的に記憶されないという状態にな
る。無意識下における、拒否反応と考えることもできる。

 原因のひとつに、幼児期の指導の失敗が考えられる。たとえば年中児でも、「名前を書いて
ごらん」と指示すると、体をこわばらせてしまう子どもが、約二〇%はいる。文字に対してある
種の恐怖心をもっているためと考えるとわかりやすい。このタイプの子どもは、文字嫌いになる
だけではなく、その後、文字を記憶することそのものを拒否するようになる。結果的に、教えて
も、覚えないのはそのためと考えることができる。つまり頭の中に、そういう思考回路ができて
しまっている。

 記憶のメカニズムを考えるとき、「記憶するのが弱いのは、記憶力そのものがないから」と、
ほとんどの人は考えがちだが、そんな単純な問題ではない。問題の「根」は、もっと別のところ
にある。

Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

●結びに……

 昨年(08年11月)に書いた原稿を読みながら、ふとこう思った。
「去年のほうが、内容が深いのでは……?」と。
つまりこれぞまさしく、「輪形彷徨」。
「輪形彷徨」と言わずして、何という?

ゾーッ!

 つまりこうして私も、ボケていく。
バカになっていく。
が、それではいけない。
輪形彷徨を打破しなければならない。
何としても打破しなければならない。
そのためには、今、そこにある輪形方向から、一歩、外へ抜け出なければならない。
新しい世界に興味をもち、その世界へと足を踏み入れる。

 今の私にはそれしか思いつかないが、具体的には、こうする。

(1)書店へ立ち寄っても、立ち止まるところは、いつも同じ。
次回から、それをやめ、別の場所へ行ってみる。
そこで片っ端から立ち読みをしてみる。
(今夜から、さっそく、実行!)

(2)新しい経験を試みる
今度、近くの温泉街に、静岡県イチという大浴場ができた。
日帰り入浴というのができるそうだから、今週中に一度行ってみる。
つまり今までの行動(生活)パターンを変える。

 その結果、私の脳みその中に、何らかの変化が起きればそれでよし。
その変化を感じたら、それを大切にし、拡大させる。

 そうそう私には、ひとつ大特典がある。
「子ども」という大特典である。
私が教えている子どもたちは、そのつど、私に大きな変化をもたらしてくれる。
どんな遊びを、どのようにしているかを知るだけでも、よい刺激になる。
そこで、

(3)子どもたちの世界に、もっと積極的に飛び込んでみる。
どんなゲームをどのようにしているかを、知る。
私もそのゲームを自分でも、買ってみる。
いっしょに、子どもたちとしてみる。

 輪形彷徨というのは、いわば思想の渦のようなもの。
渦の中で安穏としていると、そのまま渦の中心部で、押しつぶされてしまう。
自分では気がつかないまま、そうなってしまう。
これからの老後を生きるためにも、それにはじゅうぶん警戒したらよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 思考のループ ループ状態 はやし浩司 輪形彷徨)








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●幻惑

++++++++++++++++++

「幻惑」に苦しんでいる人は多い。
「家族だから」「親だから」「長男だから」と。
意味のない『ダカラ論』で、体中が、がんじがらめになっている。
ふつうの(苦しみ)ではない。
悶々と、いつ晴れるともわからない苦しみ。
その苦しみが、ときとして、その人を押しつぶす。

「幻惑」……「家族」という独特の世界で生まれる、
精神的呪縛感をいう。

++++++++++++++++++

●呪縛感からの解放

 本来なら、親のほうが気を使って、子どもが家族のことで、苦しまないようにする。
それが親の(やさしさ)ということになる。
親の(努め)ということになる。
親は、また、そうでなければならない。

 が、世の中には、いろいろな親がいる。
「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せるだけではなく、そのつど、
真綿で口を塞ぐようにして、子どもを、苦しめる。
そんな親もまだ多い。
実のところ、私の母もそうだった。
わざと私の聞こえるところで、他人と、こんな会話をする。

「○○さんところのA君は、立派なものじゃ。今度、両親を、温泉へ連れていって
やったそうだ」とか、など。
 あるいはその一方で、こんな話もする。
「△△さんところの嫁は、ひどい嫁じゃ。親には、親子どんぶりを食べさせ、自分は、
うな丼を食べていたそうだ」とか、など。
 あるいは、「親の葬式だけは、家屋敷を売ってでも、立派にやれ」とも言った。

 私はこうした話を、子どものころから、耳にタコができるほど聞かされた。
もっとも子どものころは、まわりの人たちがみな、同じようなことを言っていたことも
あり、それほど疑問には思わなかった。
私が疑問に思い始めたのは、やはり高校生になってからだと思う。
だからある日、私は突然、叫んだ。
「いつ、お前に、産んでくれと頼んだア!」と。

●勇気 

おかしなことだが、こうした呪縛感は、親が死んだあとも、残る。
派手な葬儀に、派手な法事。
それが転じて、仏教不信へともつながっている。
が、ここで終わるわけではない。
今年は一周忌。
来年は三周忌……、とつづく。

 「勇気」というとおおげさに聞こえるかもしれないが、こうした「幻惑」と闘う
ためには、勇気が必要である。
体中に巻きついた呪縛感を、取り除く……。
が、それには、親族たちの白い目、決別を意味する。
それ以上に、私自身の内部で、既存の宗教を乗り越える宗教観をもたねばならない。
さらに言えば、家族への依存性とも決別しなければならない。

 「私が死んだときも、葬儀は不要」「一周忌も三周忌も不要」と言えるように
なるまでには、相当の覚悟が必要である。
その覚悟をもつには、それ相当の勇気が必要。
その勇気なくして、その覚悟をもつことはできない。

 もっともだからといって、死者を軽く扱うということではない。

●儀式

 近くに、冠婚葬祭だけはしっかりと済ます人がいる。
3人の子どもがいたが、それぞれの結婚式には、町内の自治会長、副会長まで
呼んだ。
その数、300〜400人。

 しかしおかしなことに、かけた教育費は、ゼロ(?)。
いろいろあったのだろうが、3人とも、学歴は中卒で終わっている。
(だからといって、中卒がどうこう言うのではない。誤解のないように!)
いつだったか、その母親のほうが、こう言ったのを覚えている。
「へたに学歴をつけると、遠くへ行ってしまうから、損」と。

 この話を聞いたとき、私の生きざまとは正反対であることに驚いた。
私は、こと教育費にかけては、一度とて惜しんだことはない。
息子たちが言うがまま、一円も削ることなく、お金を出してきた。

一方、私たち自身は、結婚式なるものをしていない。
お金がなかった。
が、それ以上に、冠婚葬祭の意味すら、認めていなかった。
それなりの(式)をするのは、当然だとしても、しかしそこまで。
それ以上は、まさにムダ金。

 同じように、葬儀にしても、大切なのは、(心)。
(心)を中心に考える。
儀式はあくまでも、あとからついてくるもの。
儀式をしたから、死者が浮かばれるとか、反対に、儀式をしなかったから、
死者が浮かばれないとか、そういうふうに考えること自体、バカげている。

●新しい死生観

 現在、都会地域では、約30%の人が、直葬方式で、葬儀を行っている
という(中日新聞・東京)。
「直葬」というのは、病院から直接火葬場へ向かい、遺骨となって自宅へ戻る
ことをいう。
そのあとは「家族葬」といって、家族だけで、内々で葬儀をすます。

 恩師のT先生も、それを望んでいる。
数か月前、鎌倉の自宅で会ったとき、そう言っていた。
私が「先生のような方のばあい、周囲がそうさせませんよ」と言うと、先生は、
「私はそうしてもらいます」と、きっぱりと言った。
T先生は、天皇陛下のテニス仲間でもある。

 が、私のばあいは、少しちがう。

 もしワイフが先に死んだら、私は、しばらくワイフの遺体といっしょに寝る。
たぶん私が先に死んだら、ワイフもそうしてくれるだろうから、私はワイフのそばを
離れない。

 いつもどおりの生活をして、しばらくそうしていっしょに、過ごす。
うるさい葬儀はしない。
参列者も家の中には、入れない。
息子たちやその家族たちだけが、来られる日に、それぞれが来ればよい。
来なくても、構わない。

 気持ちが安らいだところで、火葬にしてもらう。
遺骨は、私が死ぬまで、私のそばで預かる。
そのあとのことは、息子たちに任す。
海へ捨てるのもよし。
どこかの山の中に捨てるのもよし。

 あの墓の中に入るのだけは、ぜったいにごめん。
私のワイフも、そう言っている。
それだけは、どんなことがあっても、ぜったいにしてほしくない。

 ……という死生観をもつためには、それなりの努力が必要である。
勇気も必要である。
体にしみついた呪縛感を抜き去るのは、容易なことではない。
ときに身をひきちぎるような苦痛を伴うこともある。

 だから……。
私は3人に息子たちには、私が味わったような苦しみを、味あわせたくない。
だから3人とも、親絶対教の信者たちに言わせれば、この上ないほどの
親不孝者ばかりである。(ホント!)

 しかし私はそういう息子たちをあえて弁護する。

 私は3人の息子たちを通して、じゅうぶん、人生を楽しんだ。
息子たちは私に生きる喜びや、生きがいそのものを与えてくれた。
今、それ以上に、私は息子たちに、何を望むことができるのか。
感謝しこそすれ、親不孝者とののしる気持ちなど、みじんも、ない!
息子たちは息子たちで、自分たちの家族を楽しめばよい。

+++++++++++++++++++++++

昨年(08年)の9月に書いた原稿を、そのまま
再送信します。

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●自然葬(Natural Funeral)

自然葬を望む人が、団塊の世代を中心にふえているという(中日新聞報道)。
そういう活動を指導的に行う、NPO法人(特定非営利活動法人)も
立ち上がっている。

「葬送の自由をすすめる会」(東京)というのも、そのひとつ。
同会のばあいは、1991年に発足し、会員は全国で1万2000人、
3年前とくらべて、2倍にふえたという。

少し前、「直葬(ちょくそう)」という葬儀の仕方について書いた。
都会地域では、30%前後の人たちが、現在、直葬を選択しているという。

自然葬にせよ、直葬にせよ、日本の伝統的な死生観にそぐわないため、
抵抗を感ずる人も多い。
とくに農村部ではそうだろう。
しかし同時に、今、冠婚葬祭のし方が、この日本でも大きく変わろうとしている。
「従来のままではおかしい」と考え始めている人が、ふえ始めている。

実際、おかしい。
儀式化するのはしかたないとしても、肝心の「心」が、どこかへ置き去りに
なってしまっている。
誤解しないでほしいのは、直葬にせよ、自然葬にせよ、それをするからといって、
死者を軽んじているということではない。

もちろん中には経済的な理由で、そうする人もいるだろう。
都会地域では、葬儀費用は、平均して300万円前後もかかるという(同)。
この浜松市でも、140〜50万円が、その相場ということになっている。

しかし実際には、それまでの介護費用、あるいは介護で、疲れきって
いる家庭も多い。
その上での葬儀である。
(私も先日、実兄を見送ったが、葬儀費用は、しめて165万円。
香典などでの収入は、43万円前後だったので、約120万円の赤字(?)という
ことになる。)

葬儀の費用のうち何割かが、僧侶への布施。
布施の額は、戒名によって異なる。
寺の格式(?)によっても、異なる。
G県の小さな田舎町での葬儀だったが、下は30万〜80万円。
上にはキリがないそうだ。

ちなみに、自然葬のばあい、合同葬なら、約5万円。
個人葬でも、約10万円だそうだ(上記、同会)。

日本人の多くは、葬儀といえば、僧侶による読経を当然と考える。
その読経の仕方も、布施の額によって異なる。
たとえば、寺に頼んでも、僧侶が1人で来るということはない。
たいてい仲間を誘う。(たがいに誘い合う?)
こうして別途に、1人、10〜20万円前後が請求される。
(これでも安いほうだそうだ。)
5人、助っ人を頼めば、プラス100万円〜となる。
(ある宗教団体では、僧侶を呼ばず、「友人葬」と称して、仲間同士で
葬儀をする。)

しかしこうした常識そのものが、おかしい。
で、私はこれについて、一度、地元のある寺の住職にこんな質問を
したことがある。

「戒名は、どうして必要なのか」
「読経は必要なのか」と。

それに対して、その住職は、こう教えてくれた。

「俗名には、世間のしがらみが、いっぱいくっついています。
清廉潔白な気持ちで浄土へ行くためには、戒名は必要です」
「読経するのは、仏(=死者)を、成仏させるためです」と。

私にはこれ以上のことはわからない。
わからないが、こんな方法では、残された遺族の悲しみやさみしさは、
癒されない。
むしろ、こうした形式的な儀式によって、死者や遺族の意志を、もて
あそぶことになりやしないか。

私の近い知人(元)高校教師(男性)が、先日、亡くなった。
しかしだれも、その知人の葬儀の日すら、知らなかった。
葬儀は、僧侶なし、家族だけの密葬で行われた。
が、だからといって、いいかげんな葬儀だったと考えないほうがよい。
それから1〜2週間、妻は、床に伏せたままだったという。
それを心配した息子や娘は、妻(=母親)のそばにずっといて、
妻(=母親)の介護をしたという。

故人というより、葬儀にしても、もっと遺族の心を大切にすべき。
と、同時に私たちも、意味のない迷信にとらわれることなく、
(こうあるべき)という葬儀の仕方を、もっと前向きに考えた
ほうがよい。

今のように(形)が先にあって、その(形)だけをすれば、それでよい
と考えるほうが、おかしい。
むしろ現実は逆で、心の中では、「バンザーイ!」と叫びながら、葬儀の席では、
うちひしがれた遺族を演ずる家族も少なくない。
その隠れ蓑として、「形」が利用される(?)。

で、もう少し先を言えば、「戒名」などという言葉は、釈迦の時代には、
「カ」の字もなかった。
「成仏」という言葉にしても、だれでも修行すれば仏になれると説いたのは、
北伝仏教。
さらに「死ねばみな、仏」という考え方をするのは、私が知るかぎり、この
日本人だけである。

(釈迦の教えが直接伝わっている南伝仏教では、ある一定の位以上の僧のみが、
仏になると教える。)

僧侶に読経してもらった程度のことで、成仏できるというのなら、ではこの
現世での努力は、何かということになってしまう。
懸命に生きた人も、そうでない人も、同じ仏という考え方そのものが、不平等。

いろいろ考えてみるが、私には、「成仏」という概念が、どうしても理解できない。
理解できないから、葬儀のあり方そのものに、どうしても納得できない。

……ということで、自然葬、おおいに結構。
私に遺産があるとかないとか、そういうことには関係なく、息子たちには、
無駄なお金を使わせたくない。
私は自分の遺灰が、どこかに捨てられても、いっこうにかまわない。
遺骨などに、私の魂は、ない。
あるはずもない。

私がワイフより先に死んだら、遺骨はワイフが死ぬまで、ワイフが預かる。
再婚したければ、すればよい。
ワイフが死んだら、私とワイフの遺骨の始末は、息子たちに任せる。
自由に決めてよい。

ワイフが私より先に死んだら、その反対。私が死ぬまで、ワイフの遺骨は
私が預かる。
私が死んだら、あとの始末は、息子たちに任せる。

なお散骨について、法務省刑事局総務課は、つぎのような見解を示して
いるという(同紙)。

「節度をもってすれば、刑法の遺骨遺棄罪には当たらず、問題はない」とのこと。
よかった!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW はやし浩司 直葬 自然葬 はやし浩司 遺言 葬儀 死生観)








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●罰(ばち)

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不可思議なパワーによる「罰(ばち)」というのは
認めない。
しかし「罰(ばち)」というのは、たしかにある。
あるが、それは不可思議なパワーによるものではなく、
その人自身の運命が、自ら、つくりあげていくものである。

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●運命

 「運命論」については、たびたび、書いてきた。
書いてきたので、ここでは簡単に触れるだけにする。
つまり私たちには、私たちの行き先を決める、無数の「糸」が
からみついている。
家族の糸、仕事の糸、環境の糸、才能の糸、などなど。
過去の糸もあるし、遺伝子の糸もある。
そういった無数の糸が、ときとして、自分の望むのとは
別の方向に、自分を連れ去ってしまうことがある。
それを「運命」という。

 ただし運命というのは、その時点では、わからない。
自分の過去を振り返ってみたときに、それがわかる。
「ああ、私には私の運命があったのだ」と。

●罰(ばち)

 私自身は、罰(ばち)(以下、「罰」とだけ表記)という言葉は
好きではない。
どこか宗教じみている。
宗教の中でも、カルトじみている。
しかしときとして、運命は、その人を、罰と言えるほど、悪い状況
に追いやってしまうことがある。
 それを私は罰という。

 が、先にも書いたように、どこか別の世界に、たとえば霊的な存在
があって、その人を、悪い状況に追いやるわけではない。
その人の運命が、自ら、作りあげていくものである。

●緑内障

 最近、緑内障になって、視力をほとんど失ってしまった女性(65
歳)がいる。
 ただし、誤解のないように言っておくが、緑内障になったからといって、
罰が当たったということではない。
緑内障といっても、病気のひとつ。
だれでもなりうる病気である。
よい行いとしたから、ならないという病気ではない。
悪い行いをしたから、なるという病気でもない。
ただその女性自身が、「罰が当たった」と騒いでいるから、罰ということに
なる。
こういうことだ。

●小ずるい女性

 「一事が万事」という。
「万事が一事」ともいう。
その女性は、何かにつけて、ずるい女性だった。
ずる賢いと言ったほうが、よいかもしれない。
口がうまい分だけ、人をだますのも、うまかった。

 今でこそ、「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉が、ポピュラーに
なった。
その人を介護するフリをしながら、一方で、その人を虐待するという、
あれである。
ごく最近も、どこかの母親が、自分の子どもに、汚れた水を点滴しながら、
その一方で、よくできた母親を演じていた女性がいた(岐阜県S市)。

 介護する相手は、自分の子どもであることが多いが、実の両親や、義理の
両親に対して、それをする女性もいる。
他人が見ているときは、ベッドの上で、その人の背中をやさしくさすって
見せたりする。
その女性もそうだった。
義理の母親だったが、食事を与えない。
便の始末をしない。
冬の寒い日でも、暖房器具は使わず、そのままにしておいた、などなど。

 が、他人の目を感じたとたん、「よくできた嫁」に変身する。
言葉の使い方はもちろん、口調まで変えた。
だからその女性をよく知らない人たちは、その女性のことを、ことさら
高く評価した。
が、それこそ、その女性の望むところ。
他人をして、そう思わせることによって、自分の立場を維持していた。

●シャドウ論(ユング)

 が、その女性の長男が、傷害事件を起こした。
警察に逮捕された。
その少し前、二男も、交通事故を起こしている。
横断歩道で、自転車通行中の高校生をはね、そのまま逃げてしまった。
義理の母親が、老衰で亡くなってから、ともに数か月後のことだった。

 近所の人たちはみな、首をかしげた。
「あれほどまでによくできた母親なのに、どうして息子たちは、そうなって
しまったのか」と。

 しかしユングのシャドウ論をあてはめて考えれば、謎でも何でもない。
母親がその内に隠しもっていたシャドウ(=邪悪な影)を、2人の息子たちは
そのまま引き継いだ。
よくある話で、何でもない。
が、その女性には、それが理解できなかった。
しかもその女性は、人一倍、世間体を気にした。
小さな町で、その話は、みなに伝わってしまった。

●強度のストレス

 その女性が緑内障になったのは、長男が逮捕されたその翌日のことだった。
朝起きてみたら、視野が極端に狭くなっているのを知った。
いつもならそこに見えるはずの目覚まし時計すら、見えなかった。
トイレに起きたとき、廊下の柱に顔をぶつけた。

 異変に気づいたその女性は、夫にそれを話し、地元の救急病院へと
そのまま直行した。
医師は「強度のストレスが、緑内障を引き起こした」と診断した。
が、その女性は、それを罰(ばち)ととらえた。
いや、実際には、それを先に罰ととらえたのは、夫のほうだった。
夫は、その女性の虚像を、結婚当初から見抜いていた。
義理の母親(夫にとっては、実父)に対する虐待についても、
薄々、感じ取っていた。
だから夫は、すかさず、こう言った。
「お前は、罰が当たった」と。

 それを聞いてその女性は錯乱状態になった。
ギャーと叫んだあと、体中をばたつかせて、泣いた。

●自業自得

 この話は、最近、ワイフがどこかで聞いてきた話を、私なりに
アレンジしたものである。
実際にあったケースではない。
しかしこれに似たような話は、どこにでもある。
「似たような」というのは、病気の原因を自ら作りながら、それに
気がつかないまま、(病気という結果)を、罰ととらえるケースである。
俗に言う、「自業自得」。
さらに言えば、「自ら墓穴を掘る」、である。

 が、少し冷静に考えれば、こんなのは罰でも何でもない。
医師も言っているように、「強度のストレス」が、緑内障を引き起こした。
そしてそのストレスは、長男の逮捕によってもたらされた。
が、このとき、その女性が悩んだのは、長男の逮捕ではない。
世間体である。
もしその時点で、世間体を処理できれば、ストレスはストレスにならなかった
かもしれない。

 さらに2人の息子がともに事件を起こしたのは、元はと言えば、その原因は、
その女性自身にある。
もともとは邪悪な性格の女性と考えてよい。
その邪悪な部分を、2人の息子は、うしろから見ながら、それを引き継いで
しまった。
聞くところによると、その女性は、かなりわがままな人だったらしい。
息子たちに対しても、いつも命令するだけの人だった。

 親子らしい親子の会話もなかった。
それが子どもたちから、静かに考えるという習慣を奪い、それが2つの
事件へとつながっていった(?)。
そういうふうにも考えることもできる。

●罰とは?

 昔の人は、こうした(原因)と(結果)をつなげて、こう言った。
「親の因果、子にたたり」と。
しかし冒頭にも書いたように、私は、不可思議なパワーによる罰という
ものを認めない。
またあるはずもない。
もしそれを「不可思議なパワーによるものだ」と考えるなら、それは、
その人の無知と無理解、無教養によるものである。

 言い換えると、運命というのは、その時点、時点において、その人の
努力によって修正することができるもの、ということ。
それを支えるのが、日ごろの生き方、教養、それに文化性ということになる。
 
 もしその女性が、正直に生きていたら・・・。
世間体というものを気にしていなかったら・・・。
息子たちの悩みや苦しみを分かち合っていたら・・・。
その女性は、緑内障という運命を、避けることができたかもしれない。

 というわけで、そういう意味での罰(ばち)というのはたしかにある。
またそういうのを「罰(ばち)」という。
つまり、「罰(ばち)」というのは、その人自らが、つくりだすものという
こと。
それをここに書きたかった。








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●親類づきあいと、縄張り意識(Sectionalism, or Territorial 
Fight of the Families)

++++++++++++++++++++++

親類づきあいというのは、人間が本来的にもっている
縄張り意識と、深く関係している。

「?」と思う前に、こんな事例があるので、読んで
ほしい。
少し、話が入り組んでいるので、かみくだいて説明する。

++++++++++++++++++++++

●意地で参列した葬式


Aさん夫婦(72歳と70歳)は、Bさん夫婦(67歳と60歳)とは、断絶していた。
Aさんの夫と、Bさんの妻は、兄と妹の関係。
数年前、実母が他界した。
その直後から、遺産相続問題が起きた。
毎週のように、実家で、怒鳴りあいの喧嘩を繰り返した。
それが発端となって、今は、行き来なし。
まったく、なし。

 で、A氏(兄)が、1億円近い現金をBさん(妹)に渡し、それで遺産相続問題は
解決した。
が、同時に、たがいに縁を切った。
切ったが、Aさん夫婦と、Bさん夫婦には、共通の親類や友人が、たくさんいた。
縁を切ったといっても、それぞれの人間関係が、複雑にからんでいる。
そうした人間関係まで、たがいに切ることはできない。

 そんなとき、Bさん夫婦の親(Bさんにとっては、義父)が、他界した。
Aさん夫婦は、新聞の死亡欄で、それを知った。
そこでAさん夫婦は、葬儀に出るべきかどうかで悩んだ。
迷った。

 縁を切っているから、(といっても、公に切ったわけではないが)、Aさんは
葬儀には出たくなかった。
それにBさん夫婦からは、何も連絡はなかった。
本来なら、Aさん夫婦は、Bさん家の葬儀には出なくてもよかった。

 しかし、Aさんは、こう考えた。
言い忘れたが、Aさん夫婦とBさん夫婦には、合わせて10人近い兄弟がいる。
それぞれが、何らかの形で、Bさん夫婦と関係をもっている。
「もし、葬儀に出なければ、みなに何と言われるかわからない」と。

●義理を欠く

 こうした世界には、恐ろしい言葉がある。
「義理を欠く」という言葉である。
こうした世界では、一度、親戚に「義理を欠いた」というレッテルを張られると、
以後、村八分にされる。

 「今どき、そんなことがあるのか?」と思う人も多いだろう。
しかし現実には、ある。
遠い山の中の、田舎の話ではない。
HONDAやSUZUKIの工場がある、この浜松市での話である。

 もしAさん夫婦が、その葬儀に出なかったら、Bさん夫婦以外の人たちは、「Aさんは
義理を欠いた」と判断する。
そして一度、そういうレッテルを張られると、Aさんは、親戚一同の中で、
自分の立場を失う。
そこでAさん夫婦は、葬儀に参列することにした。……参列した。

 あとでAさん夫婦は、こう話してくれた。
「葬儀の席では、Bさん夫婦とは、一言も言葉を交わしませんでした」と。

●たかが葬儀

 親にも、いろいろある。
兄弟姉妹にも、いろいろある。
人間関係は、みな、ちがう。
「自分がそうだから」という理由だけで、「相手もそうだろう」とか、「そうあるべき」
と考えてはいけない。

 葬儀についても、そうだ。
葬儀を一生の一大事に考える人もいる。
しかし「たかが葬儀」と考える人もいる。
そこには、その人の死生観のみならず、人生観、哲学、思想が凝縮される。
「儀式はあくまでも儀式」。
「大切なのは、中身」。

……私などは、むしろそう考えるほうなので、「葬儀など、出たい人は出ればいい。
出たくなければ、出なくてもいい。義理に縛られることはない」と考える。
しかしこの考え方は、一般的ではない。
だから、妥協するところは妥協しながら、適当に参列したりしている。

 が、Aさん夫婦も、Bさん夫婦も、そうではなかった。
親戚の人たちも、そうではなかった。
それをよく知っていたから、Aさん夫婦は、Bさん夫婦の葬儀に参列した。

●縄張り意識

 こうした人間の行動性の原点にあるものは、何か?
それを一言で表現すれば、「縄張り意識」ということになる。
原始の昔から、人間が本来的にもっている縄張り意識である。

 少しでも支配的立場に自分を置いて、自分にとって居心地のよい世界を作る。
その上で、優越性を確保する。
ついで、上下関係を維持で、命令と服従とでなる権力関係も作りあげる。

 こうした縄張り意識は、人間だけの特有のものではない。
ほとんどの哺乳動物が、同じような意識をもっている。
逆に、そうした動物たちの縄張り意識を観察してみると、人間がもつ縄張り意識を
理解できることがある。
わかりやすい例でいえば、サルの世界がある。
イヌの世界も、そうである。

 そこでこの縄張り意識を、さらに解剖していると、そこに強烈な相互依存関係が
あるのがわかる。
「群れ意識」と言ってもよい。
とくにアジア系の民族は、この群れ意識が強い。
群れから離れることを恐れる。
それが強烈な相互依存関係となって、人間どうしを、縛る。
それが縄張り意識となり、さらに親戚づきあいとなる。

 だから親戚づきあいをやめるということは、それ自体が、恐怖心となって、
はねかえってくる。
相当の神経の持ち主でも、親戚づきあいを断ち切るということについては、
かなりの抵抗感を覚える。
言うなれば、親戚づきあいをやめるということは、自ら、「根」を切ることを
意味する。

●崩れる意識

 が、悪いことばかりではない。
日本は今、第二、第三の意識革命の波にさらされている。
日本人の意識が、そのつど大きく変化しつつある。

 葬儀にしても、葬儀すらしない人もふえている。
僧侶なしで、家族だけで、葬儀をすます人もふえている。
都会地域では、直葬方式で葬儀をすます人が、30%(中日新聞)にもなっている。
このあたりの地方でも、初盆、さらには一周忌の法要すらしない人も多い。
またそういう人たちが、過半数を超え、大勢をつくりつつある。

 親類づきあいにしても、田舎の農村地域は別として、ますます希薄になってきている。
それが悪いというのではない。
新しい形での(つきあい方)が始まっている。
さらに言えば、「おかしいものは、おかしい」と、声をあげる人もふえている。
そう、たしかにおかしい。
義理にしばられ、自分の主義主張をねじまげる。
どうしてそこまでして、葬儀に出なければならないのか?

●他人以上の他人

 言うまでもなく、(依存)と(自立)は、反比例の関係にある。
依存性の強い人は、それだけ、自立していないということになる。
自立している人は、それだけ、依存性が弱いということになる。
が、今、日本人も、ゆっくりだが、しかし確実に、欧米並みに、自立の道を
模索し始めた。

 私のばあいも、濃厚な親戚づきあいのある世界で、生まれ育った。
しかし振り返ってみて、その親戚が、何をしてくれたかというと、実のところ、
何もない。
父親系、母親系で、「おじ」「おば」と呼んだ人は、12世帯あったが、一泊でも
泊めてくれた人は、1人しかしない。
私の家が実家ということもあって、みな、平気で寝泊りをしていったが、その逆は
数えるほどしかない。

 兄弟姉妹ですら、付きあい方によっては、他人以上の他人になる。
Aさん夫婦、Bさん夫婦の例をあげるまでもない。
いわんや親類をや!

 私たちは私たちで、生きていく。
自立していく。
こうした生きざまは、そのまま国の生きざまとして反映されることもある。
が、それはともかくも、これを「後退」ととらえてはいけない。
私たちは、その一方で、新しい生きざま、人間関係を模索し、構築しつつある。
兄弟姉妹関係についても、表面的な義理ではなく、中身を見ながら構築しつつある。
またこの先、日本は、そういう方向に向かって進んでいく。

 恐れることはない。
心配することもない。
私たちは、自信をもって、前に進めばよい。
なぜなら、それが世界の常識。

 「義理を欠いた」と、排斥するようなら、排斥させておけばよい。
どうせ相手は、その程度の人間。
サルかイヌに近い意識しかない。
所詮、親戚づきあいというのは、その程度のもの。
繰り返すが、動物のもつ縄張り意識が変化したもの。
それ以上の意味は、ない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 
林浩司 BW BW教室 縄張り意識 親戚づきあい はやし浩司
親戚付き合い 義理 義理を欠く)








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●自閉症スペクトラムの子どもたち

+++++++++++++++++++++

「自閉症」と言うと、ほとんどの親たちは、
(無口で、内気。殻(から)に閉じこもった
子ども)を想像する。
しかしこれは誤解。

そこで最近では、自閉症という言葉はあまり
使わない。
「広汎性発達障害」という言葉を使うことが
多い。
(以前は、多動性、多弁性のある自閉症児を、
「活発型自閉症児」と呼びことが多かった。)

また症状や程度は、千差万別。
ふつうの子ども、(この言葉には、少なからず
抵抗を覚えるが)、そのふつうの子どもと
ほとんど違わないレベルから、顕著な症状の
現れる子どももいる。
そのため患者数も、36万人〜120万人
(日本自閉症協会)と、大きな幅がある。

そのこともあって、最近では、「スペクトラム」
という言葉を使うことが多い。
「自閉症スペクトラム」というような言い方を
する。

たとえば現在、自閉症といっても、高機能自閉症
(アスペルガー症候群含む)は、区別して考える。
症状としては、AD・HD児や、LD児のそれを
併せもつケースも多い。
もちろん知的障害をもった子どもも多い。
が、先にも書いたように、その境界が、よくわからない。
わからないという意味で、「スペクトラム」という
言葉を使う。

「スペクトラム」というのは、光の分光器で光を
分解したときのように、それぞれの症状が、多岐、
複雑に分かれ、かつ連続性をもつことをいう。

+++++++++++++++++++++
 
●自閉症スペクトラム

 診断については、DSMによる診断基準が、広く、一般的に使われている。
ウィキペディア百科事典に出ている、「DSMによる診断基準」を、そのまま紹介
させてもらう。

+++++以下、ウィキペディア百科事典「自閉症」より転載+++++

DSMの診断基準 

DSMの診断基準に挙げられている症状は次の通り。

●コミュニケーションにおける質的な障害 
○視線の相対・顔の表情・体の姿勢・身振り等、非言語行動がうまく使えない。 
○(例)会話をしていても目線が合わない。叱られているのに、笑っ
ている。 
○発達の水準にふさわしい仲間関係が作れない。 
○興味のあるものを見せたり指さしたりする等、楽しみ・興味・成果を他人と
自発的に共有しようとしない。 
○対人的または情緒的な相互性に欠ける。 
●(例)初対面の人に対する無関心。 

●意思伝達の質的な障害 
○話し言葉の発達に遅れがある。または全く話し言葉がない。 
(例)クレーン現象
○言語能力があっても、他人と会話をし続けることが難しい。 
(例)一問一答の会話になってしまう。長文で会話ができない。 
○同じ言葉をいつも繰り返し発したり、独特な言葉を発する。 
(例)人と会話をする際に同じ返事や会話を何度もする。 
○発達の水準にふさわしい、変化に富んだ『ごっこ遊び』や社会性を持った
『物まね遊び』ができない。 

●限定され、いつも同じような形で繰り返される行動・興味・活動(いわゆる「こ
だわり」) 
○非常に強く、常に繰り返される決められた形の一つ(もしくはいくつか)の
興味にだけ熱中する。 
○(例)特定の物、行動などに対する強い執着心。 
○特定の機能的でない習慣・儀式にかたくなにこだわる。 
(例)物を規則正しく並べる行動。 
(例)水道の蛇口を何度も開け閉めする行動。 
○常同的で反復的な衒奇(げんき)的運動物体の一部に持続的に熱中する。 
(例)おもちゃや本物の自動車の車輪・理髪店の回転塔・換気扇な
ど、回転するものへの強い興味。 
(例)手をヒラヒラさせて凝視する。 

+++++以下、ウィキペディア百科事典「自閉症」より転載+++++

●軽重の判断を正確に

 この診断基準を読んでもわかるように、自閉症のもっとも顕著な特徴は、他者との
良好な人間関係(コミュニケーション)をとれないところにある。
 もちろんその程度も、子どもによってちがう。
一日中、小刻みな運動を繰り返し、ほとんどコミュニケーションがとれないタイプの
子どももいれば、ふとしたきっかけで、親や兄弟たちと、いっしょになって行動する
というタイプの子どももいる。

 そこで自閉症が疑われたら、まずどの程度の症状かを、正確に把握する必要がある。
症状が軽いばあいには、自閉症であることをあまり意識せず、(ふつうの子ども)として、
ふつうの環境で育てるのがよい。
私の経験でも、自己管理能力が育つ、小学3〜4年生を境にして、症状は急速に収まって
くる。
大切なことは、それまでに症状をこじらせないこと。
多くのばあい、その症状の特異性から、親が乳幼児期に、はげしく叱ったり、ときに
暴力を加えたりしやすい。
こうした一連の不適切な対処の仕方が、子どもの症状をこじらせる。

●原因

 こと教育の場では、(原因さがし)というのは、しない。
しても意味はない。
「そこにそういう子どもがいる」という立場で、指導を開始する。
ただ親には、ある程度のことは話す必要がある。

 というのも、自閉症が疑われると、ほとんどの親は、その瞬間から、はげしい
絶望感を覚える。
が、こと自閉症に関していえば、「脳の機能障害」であり、さらにわかりやすく
言えば、一時的であるにせよ、あるいは長期的にあるにせよ、機能が不全の状態
であるにすぎない。
(詳しくは、ウィキペディア百科事典を参照のこと。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E9%96%89%E7%97%87)

 たとえば私のばあい、軽度自閉症であれ、アスペルガー症候群であれ、高機能
自閉症であれ、その子どもが一定のワクの中に入れば、そうした「障害」は無視し
て指導を開始する。
(ここでいう「高機能」というのは、「知的な障害が見られない」という意味で、
そう言う。)

 つまり診断名を親に告げる必要はないし、(また「診断名」を告げることは、
タブー中のタブー)、原因や、将来の予想を告げる必要もない。
重要なことは、「先月よりも、今月はよくなった」「半年前より、症状が軽くなった」
という状況を作ることである。
 またそういう状況になるように、指導に専念する。

●親の無理解

 症状が重く、医師による診断がくだされているケースは、別として、先にも
書いたように、症状があいまいな子どもも少なくない。

(ただし医師の診断が、いつも正しいとはかぎらない。
私も医師によって「自閉症」と診断された子どもを、何十例と指導してきた経験
があるが、そのうち3〜4割については、「?」と感じている。)

 たいていは2〜3歳ごろになって、「どうもうちの子は、おかしい」「言葉の
発達が遅れている」「落ち着きがなく、突発的に錯乱状態になる」などの症状が
現れて、ふつうではないことに気づく。
多動性、衝動性が見られることも多く、そのため先にも書いたように、はげしく
叱ったり、ときに暴力を加えたりしやすい。
それが症状をこじらせるだけではなく、指導するばあいも、親の協力が得られず、
苦労する。

やっとの思いで、(ふつうの子ども?)になっても、「この教室は効果がなかった」
という判断をくだして、そのまま去って行く親も少なくない。
(というより、そういうケースが、ほとんどと考えてよい。)
そういうばあい、私(=指導者)が受ける落胆感というか、絶望感には相当な
ものがある。
自閉症にかぎらず、親の無知、無理解が原因で、そうした絶望感を味わうことは
じばしばある。
が、いまだに、その絶望感だけは、どうしようもない。

 つまりこういうことが重なるため、指導する側(幼稚園や保育園を含む)は、
どうしても指導に消極的になる。……ならざるをえない。
目に余るほど症状が顕著なばあいには、入園そのものを断るケースが多い。

●希望

 最近では、自閉症児に対する理解も進み、またその周囲環境も整えられてきて
いる。
いろいろな団体や組織が、治療プログラムを用意し、好成績を収めている。
またあくまでも機能障害であり、(機能の改善)をめざした医学的治療法も、
現在急速に進歩しつづけている。
原因についても、大脳生理学の分野で、かなり精密に解明されつつある。

 また(流れ)の中でみると、自閉症児にかぎらず、AD・HD児、かん黙児
にしても、小学3〜4年生を境に、急速に症状が緩和されてくる。
とくに脳内ホルモンのバランスが調整されてくる思春期前夜ごろになると、
子ども自身がもつ、自己治癒機能が働くようになる。
専門家が見れば、そうとわかるが、そうでなければ、外目にはわからなくなる。
つまりその程度までに、改善する。

 そのため仮に、専門機関で自閉症と診断されても、(親が受けるショックは
大きいが)、それを「終わり」と考えてはいけない。
そのためにも、つぎのことに注意する。

(1)専門機関で診断名をつけてもらい、自閉症に対する知識をしっかりともつ。
(2)愛情の糸だけは大切にし、どんなばあいも、子どもを「許して忘れる」。
(3)乳幼児期には、「症状を悪化させないこと」だけを考える。
(症状をこじらせれば、いろいろな合併症を併発する。
また立ち直りも、その分だけ遅れる。)
(4)治療のターゲットを、小学3〜4年生(9〜10歳)ごろに設定する。
それまではジタバタしない。
「ようし、十字架のひとつやふたつ、背負ってやる」という前向きな、
暖かい愛情が、何よりも重要と心がける。
(5)幼稚園以後の教育法などについては、各地域にある、「発達障害相談窓口」
(多くは保健所、保険センター)に相談するとよい。
現在、この浜松市でも、10年前とは比較にならないほど、そうした障害
をもつ子どもに対する支援プログラム、支援組織、支援団体が組織化されている。
けっして「私、1人」と、自分を追い込んではいけない。

(2009年7月22日記)

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 自閉症 自閉症スペクトラム)







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【抑圧】

●痛ましい事件(抑圧は悪魔を作る)

++++++++++++++++++

またまた13歳の少年が、父親を殺害する
という事件が起きた。

まず、その記事(産経新聞・7月18日)を
読んでみたい。

++++++++++++++++++

+++++++++++++以下、産経新聞より、抜粋転載+++++++++++++

島根県I市で中学2年の少年(13)が、父親(43)を殺害した事件で、少年の付添人となった弁
護士が17日、M市内で会見し、少年が「父親の勉強に対する指導が厳しかった」との内容を
話していることを明らかにした。

 付添人によると、これまで4回、少年に面会しているが、落ち着いた様子で応じているという。
付添人は「父親に対する恐怖心が拒絶感になり、事件に至ったのではないかと考えている」と
話した。今後は、少年の主張を代弁するなど少年の権利を保障するとともに、聞き取りをして
いくなかで更生に助力するとしている。

 I市教委などによると、少年は昨年11月、スクールカウンセラーに「成績のことで父親に頭な
どをたたかれる」と訴え、竹刀でたたかれる体罰行為もあったという。

 県警のこれまでの調べに、少年は「父親を殺すしかないと思った」と説明。さらに、同級生に
は事件前、「おやじ殺しちゃう」と殺害を予告し、当日朝には、「殺した」と伝えていた。少年の部
屋からは、殺害方法などが書かれたメモやナイフ数本が見つかっており、県警は少年が計画
的に父親を殺害した可能性があるとみて慎重に調べている。

+++++++++++++以上、産経新聞より、抜粋転載+++++++++++++

●「抑圧」の恐ろしさ

 イギリスの教育格言に、『抑圧は悪魔を作る』というのがある。
心理的に抑圧状態が慢性的につづくと、人の心が悪魔的になることを言ったもの。
子どものばあい、それが顕著に現れる。

 まずつぎのテストを受けてみてほしい。
このテストは、表面的には、穏やかで従順な子どもを対象にしたものである。

あなたの子どもは……、

(  )表面的には穏やかで従順である。(親の前では、見た目には静か。)
(  )感情表現、とくに喜びの表現が乏しい。
(  )ときにツンとした人間的な冷たさを感ずる。
(  )ものの考え方が、消費的で刹那的。(小遣いなどもすぐ、使ってしまう。)
(  )「殺す」「死ぬ」という言葉をよく使う。(あるいはあちこちに、書く。)  
(  )「銃(ガン)」「戦争」などに興味をもっている。
(  )ノートなどに残酷な絵を描くことが多い。(「血」をテーマにした絵が多い。)
(  )善悪の判断にうとく、ときに常識はずれなことをする。
(  )何を考えているのか、親にもわからないときが多い。
(  )小動物や人形などに興味を示さない。

 もしこのテストで、5個以上思い当るところがあれば、あなたの子どもの心は
かなりゆがんでいるとみてよい。
(即席で作成したテストなので、信頼性はあまりない。)

 表面的に穏やかで従順であるからといって、「いい子」とは限らない。
それは子どもの世界では常識。
表面的な様子に、だまされてはいけない。
とくにあなた自身が権威主義的なものの考え方をしているなら、注意したらよい。

(権威主義:悪玉親意識が強く、上下意識も強い。
子どもが口応えしただけで、「親に向かって、何てこと言うか!」と怒鳴りつけるような
タイプの親をいう。
「産んでやった」「育ててやった」と、親風を吹かすことも多い。
妻に向かっては、「食べさせてやる」「稼いでやる」とか言う。
家父長意識も強い。)

 今回、I市で起きた事件の背景が、そうであったというのではない。
しかしこの種の事件は、まさに氷山の一角。
その一歩、あるいは二歩手前で、あやうく事件にならないで、闇に隠れている
ケースとなると、ゴマンとある。
ひょっとしたら、あなたの親子関係も、そうかもしれない。

 もしそうなら、(1)権威主義的発想を捨てること。
(2)友として、子どもの横に立つこと。
(3)今の状態を、これ以上悪くしないことだけを考えて、対処すること。

 この3つに心がけてみてほしい。
時間はかかるが、(というのも、この種の心の問題は、一朝一夕には解決しないので)、
やがて子どものほうから、心を開いてくる。

 それにしても、「『成績のことで父親に頭などをたたかれる』と訴え、竹刀でたたかれる体罰行
為もあった」とは!

 そこまでひどくなくても、毎日、毎晩、「勉強しろ!」「うるさい!」の大乱闘を
繰り返している親子は、少なくない。
もしあなたがそうなら……。
 
「子どもの成績があがったら、どうなのか?」
「それがどうしたというのか?」
そのあたりからもう一度、考え直してみてほしい。

 もし殺された父親に、そういうものの見方の一片でもあれば、少なくとも今回の
ような悲劇は避けられたはず。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て 
Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 父親殺害 抑圧は悪魔を作る)







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【兄、準二のこと】

●兄のこと

 私が「兄のことを書こうか?」と提案すると、ワイフは、すかさず、
「書いたら」と。
「このまま何も書き残さなかったら、あなたの兄さんは、本当に消えてしまうわ」と。
そう、本当に消えてしまう。

 結婚をしていない。
子どももいない。
おそらく生涯、「女」すら知らなかった。
一度だけだが、この浜松へ遊びに来たとき、私は兄をトルコ風呂へ連れていこうとした。
兄に「女」を経験させてやりたかった。
しかしそのもくろみは、はかなくも失敗した。
それについては、いつかどこかで書くことになるだろうと思う。
が、ともかくも私の兄は、そういう兄だった。

 まったく頼りなく、まったくふがいなく、まったくどうしようもなかった。
私の兄は、そういう兄だった。

●記憶

 私より9歳年上だった。
そのこともあって、私には兄といっしょに遊んだ思い出が、ほとんどない。
一度とて、ない。
母は兄を嫌っていたし、それがそのまま私の心になっていた。
私が中学生になるころには、すでに私は兄というより、兄の存在を
負担に感ずるようになっていた。

 今から思うと、兄が見せていた一連の症状は、自閉症のそれだった。
事実、晩年、グループホームへ入居してから、自閉症と診断されている。
が、当時は、「自閉症」という言葉すらなかった。
そういう兄を、母は、「家の恥」と考えていたようだ。
母は親意識が強く、そのこともあって、兄を家の中に閉じ込めるようになった。
「外で遊ばせると、みなにいじめられるから」というのが、その理由だった。
友だちと遊ぶことさえ、禁じた。

●M町

 私が生まれ育った岐阜県のM町は、昔から和紙の生産地として、よく
知られている。
由緒ある町というよりは、気位の高い町で、M町の人たちは、M町以外の
町を、「下」に見ていた。

 たとえば生活ができなくなって、M町から出て行く人を、M町の人たちは、
「出ていきんさった(=出ていった)」という言葉を使って、軽蔑した。
M町では、「出ていきんさった」という言葉は、そのまま負け犬を意味した。
だれがそう教えてくれたわけではないが、私は子どもながらに、その意味を
よく知っていた。

 私の実家は、そのM町の中心部にあった。
祖父の時代からの自転車屋で、祖父の時代には、現在のスポーツカー専門店
のように、華やかな商売だったようだ。
祖父は祖父なりに、財産を築いた。

●負担

 話は飛ぶが、私が高校生のとき、こんなことがあった。
近視が進んだ兄を連れて、岐阜の町へ行った。
M町から岐阜の町までは、当時、「美濃町線」と呼ばれる電車が走っていた。
チンチン、ゴーゴーと音を出して走るところから、私たちは、「チンチン電車」
と呼んでいた。

 私は兄を連れて、その電車に乗った。
母に言いつけられて、そうした。
私にはいやな一日だった。

M町にも、いくつかメガネ屋はあったが、度数を選んでかけるだけの簡単な
メガネ屋ばかりだった。
兄に合うメガネがなかった。
それで私は兄を岐阜の町まで連れていった。
電車で、1時間半ほどかかった。

 そこでのこと。
いろいろな検査がつづいたが、兄はすでにそのころ、まともに返答できる
だけの能力はなかった。
メガネ屋の男の質問を、私が兄に伝える形で、私が間に立った。
そのときのこと。

 メガネ屋の女性が、私にふとこう聞いた。
「この人は、あなたの兄さんですか」と。
私は突然の質問にあわてた。
で、そのままこう口走ってしまった。

 「いいえ、ぼくの兄ではありません。うちで働いている小僧さんです」と。

●自転車屋

 兄がなぜ、あのような兄になってしまったかについては、理由はよくわからない。
覚えているのは、兄は、いつも父や母に、叱られていたということ。
自転車屋といっても、店先は、全体でも7坪もなかった。
そこに20台前後の自転車を並べ、その隙間で、父や兄は、自転車を組み立て、
修理し、そして売っていた。

 兄にとっては息の詰まるような職場だったにちがいない。
兄の症状が悪化したのは、兄が中学校を卒業してから後のことではないか。
それまでの兄は、アルバムを見る範囲では、ごくふつうの兄だった。
何枚かみなと笑って写っている写真もあるが、どれも明るく、さわやかな
笑顔をしている。

●飛び降りる

 そんなある日、……少し話が過去に戻るが、何かのことで、私が兄を
いじめたことがある。
何をしたかは覚えていない。
何かの意地悪をしたと思う。
私が小学3、4年生のころだった。

言い訳がましいが、私は腕白な子どもだった。
また当時は、弱い者いじめなど、日常茶飯事。
罪の意識は、まったくなかった。
戦後の混乱期ということもあった。
家庭教育の「か」の字もない時代だった。
少なくとも、私の家は、そうだった。
私はその中で、その時代の子どもとして、育った。

 そのとき、兄は、あの二階の階段の最上段から、下へ飛び降りた。
止める間もなかった。
飛び降りるといっても、身を守る姿勢をまったく取らないまま飛び降りた。
そのまま1階の板間まで、ドスン、と。
 私はそれを見て、驚いた。
驚いて母のところへ走った。
「準ちゃんが、階段から落ちた!」と。

 が、母は、意外なほど、冷静だった。
まったくあわてるふうでもなく、こう言って、吐き捨てた。
「準ちゃんは、わざと、そういうことをするでエ」と。

●犠牲

 全体として、あのころの過去を振り返ると、兄は、「家」の犠牲になった。
その一言に尽きる。
 家にしばられ、家から一歩も、外へ出ることを許されなかった。
母が出さなかった。
私のほうから理由を聞いたわけではなかったが、母はいつも口癖のように
こう言っていた。

 「準ちゃんは、みなにいじめられるから」と。
そしてこうも言った。
「準ちゃんは、生まれつき、ああいう子だった」と。

つまり生まれつき、問題のある子どもだった、と。
そう、兄は、いつも孤独だった。
母からも、見捨てられていた。

●代償的過保護

 少し専門的な話になる。
そういう兄の話をすると、当時の母と兄の関係を知る人は、みな、こう言う。
「浩司君(=私)、あんたは、まちがっているよ。
お母さん(=私の母)は、兄さんをかわいがっていたよ」と。

 しかしこれはうそ。
最近の発達心理学での言葉を使えば、「代償的過保護」ということになる。
一見「過保護」だが、「子どもを自分の支配下に置き、自分の意のままに操る
こと」を、代償的過保護という。

 過保護には、その底流に、親の愛がある。
しかし代償的過保護には、それがない。
そこにあるのは、親のエゴ。
加えて、私の母は、親意識が、人一倍、強かった。

●「お姫様」

 母は、その年齢になるまで、実家のK村では、「お姫様」と呼ばれていた。
実家は農家だったが、そのあたりの農地を支配していた。
大地主だった。
兄弟は母も含めて、13人。
母は9番目前後に生まれた、最初の女の子だった。
だから母は、生まれながらにして、わがままいっぱいに育てられた。……にちがいない。
当時のことを知る人が、私にこう教えてくれた。
 「豊子さん(=私の母)は、お姫様と呼ばれていましたよ」と。
農家に生まれ育ちながら、結婚するまで、土を手でいじったことは一度もなかった。
いつだったか、母が自慢げにそう話してくれた。

 そのお姫様が、自転車屋の跡取りの父と結婚した。
二度目の見合いで結婚を決めたという。
実際には、私の祖父と、母の父親との間で、結婚が決められてしまった。
つまり母を見そめたのは、私の父ではなく、祖父ということになる。

 そう、母は、お姫様だった。
自転車屋という商人の家に嫁ぎながら、生涯にわたって、自分の手を
油で汚したことはない。
一度もない。
ドライバーを握ったことさえ、ない。
これについても、私がとくに聞いたという記憶はないが、母は、よく
こう言った。

「わっち(=私)はなも、結婚したとき、じいちゃん(=祖父)が、
『女は、店に出るな』と言いんさったでなも(=言ったから)」と。
つまり祖父の言いつけを守って、店には出なかった、と。

●斜陽

 私が高校生になるころには、私の家はすでに斜陽の一途をたどっていた。
近くに大型店ができ、そこで自転車を売るようになった。
もう少し早く、私が中学生のころには、そうなっていた。
祖父はそのころ引退し、道楽でオートバイをいじって遊んでいた。
もちろん収入はない。

 私は祖父の威光が、年々、薄くなっていくのを感じていた。
しかしそれは私にとっては、たまらなく、さみしいことでもあった。
祖父あっての、「林自転車屋」だった。
それが世間の目だった。
私にも、それがよくわかっていた。

●父、良市

 父は、もともとは学者肌の人だった。
ふだんは静かで、暇さえあれば、黒い、油で汚れた机に向かって、何かを
書いていた。
いつも書いていた。

 が、酒が入ると、人が変わった。
今で言う、「酒乱」である。
酒が入ると、大声を出し、家の中で暴れた。
家具を壊し、食卓をひっくり返した。

 私が5、6歳のときには、すでにそうなっていた。
私には、暗くて、つらい毎日だった。
父を恨んだ。
酒をうらんだ。
父に酒を売る、酒屋をうらんだ。

●レコード

 兄のゆいいつの趣味は、レコード集めだった。
わずかな小遣いを手にするたびに、兄はそのお金をもって、近くのレコード店へ
足を運んだ。

 当時は表(A面)に一曲。
裏(B面)に一曲だけの、シングル盤というのが主流だった。
それでも値段は300〜400円前後だったか?
うどんが、150円前後で食べられた時代だったから、けっして安い趣味ではなかった。
が、兄は、私が高校生のときには、すでに数百枚のレコードをもっていた。
そのレコードを、一枚ずつていねいに分類し、それを1ミリの狂いもなく、きれいに
並べてしまっていた。

 私はすでにそのころ、兄のレコードには手を触れていけないことを知っていた。
たった一枚でもレコードが抜けただけで、兄は、それに気づき、パニック状態になった。
動かしても、兄は気づいた。
「レコードがない」と、ボソボソと言いながら、混乱状態になった。
そんなわけで、兄のレコードのあるその一角は、聖域というか、近づくことさえでき
なかった。

 その一方で、兄は、レコードの最初の一小節を耳にしただけで、即座に、その曲名と
歌手の名前を言い当てることができた。
神業にちかいものだった。
特殊なこだわりと、才能。
今から思うと、まさにそれが自閉症によるものだった。

●大学生

 兄との思い出は、そういうこともあって、ほとんどない。
兄は兄で、私の知らない世界で生きていた。
一方、私は三男という末っ子のよさをフルに利用して、思う存分、自由に生きた。
「自由」というより、「放任」だった。

 長男の賢一は、私が5歳のときに、日本脳炎で他界している。
つづいて兄が生まれ、姉が生まれた。
その姉とも、5歳、年が離れていた。
姉と私の間に、もう1人兄が生まれたが、生まれると同時に、死んだ。

そういうこともあって、母も、私には手が回らなかった。
今から思うと、それがよかったのかもしれない。
私は毎日、あたりが真っ暗になるまで、近くの寺の境内で遊んだ。
学校から帰るときも、やはり家に着くのは、とっぷりと陽が暮れてからだった。

 私の家には、私の居場所すらなかった。
それに父の酒乱があった。
今でも私は夕焼けを見ると、言いようのない不安感に襲われる。
その時刻になると、父が酒を飲み、通りをフラフラと歩いていた。
私にはつらい少年時代だった。

 私ですらそうだった。
いわんや、兄をや。

●金沢へ

 私はそのあと大学生となって、金沢に移った。
母は、「国立でないと、大学はだめ」と、いつも言っていた。
当時は、国立と私立では、学費が、まるでちがっていた。
私が通った金沢大学のばあい、半期(6か月)ごとに、学費は6000円。
月額1000円だった。
一方、私立は、たとえば私立の歯学部に入学した友人がいたが、入学金だけで、
300万円。
私はその額を聞いて、それこそ度肝を抜かれるほど、驚いた。
「300万円!」と。
 その額は、私には理解できないものだった。

 その学費についても、母は口癖のようにこう言った。
「みんなが苦労して作ったお金だ」と。

●恩着せ

 私の母の子育ての基本は、「恩着せ」だった。
そのつど私に、恩を着せることで、私を縛った。
兄や姉に対しては、どうだったかは知らない。
しかし私には、そうだった。

 「産んでやった」「育ててやった」と。
私が大学生になると、「学費を出してやる」「出してやった」と。
が、それにはいつも別の修飾語がついた。

 「このお金を作るのに、どんだけ(=どれほど)、苦労したかわからない」と。
そしてそのつど、その苦労話を、ことこまかく説明した。

●姉

 私には5歳違いの姉がいる。
その姉とは、よく遊んだ。
遊んだといっても、たがいの間には、しっかりとした垣根があった。
当時は、男児が女の遊びをするということだけでも、ありえないことだった。
住む世界がちがった。

 それに姉は、私とは別の世界に生きていた。
お琴に日本舞踊。
徹底したお嬢様教育。
それを、そのまま受けていた。
そのこともあって、私は姉が台所で料理を手伝ったり、料理をしている姿を見た
ことがない。

 母には母の思いがあったのだろう。
しかし私はすでに中学生のときには、その虚栄を見抜いていた。
母は、M町でも名家と呼ばれていた、Y家の妻や、K家の妻たちと、同等、もしくは
それ以上の立場をとりつくろいながら、生きていた。
だから私はこう思った。
思っただけではなく、口に出して言ったこともある。

「自転車屋の女将(おかみ)さんが、医者や酒屋の奥さんとつきあって、どうする?」と。
が、この言葉は、いつも母をそのまま激怒させた。
姉のお嬢様教育は、その延長線上にあった。

●稼業

 私は触覚を、四方八方に延ばしていた。
延ばすことができた。
目はいつも外を向いていた。
兄が家に閉じ込められた分だけ、私は外の世界で、自由に生きた。

 兄は、たしかに「家」の犠牲者だった。
「林家(け)」と、「家(け)」をつけるのもおかしい世界に住みながら、その
「家」に縛られた。
同業の人には失礼な言い方になるかもしれないが、たかが自転車屋。
跡取りとして、守らなければならないような稼業でもない。
当時すでに、自転車店業は、同じ商店業の中でも、番外化していた。

 汚れ仕事だった。
それにこの世界は、まさに弱肉強食。
より大型店ができるたびに、より弱小店は、弊店に追い込まれた。
あるとき祖父が、近所の時計店が新装オープンしたとき、その店に招待された。
そしてその店から帰ってきて、私にこう言った。

 「浩司、時計屋ではな、皿一杯の時計だけで、このうちの自転車すべての
値段と同じだぞ」と。

 つまり家にある20台の自転車すべての値段と、時計屋にある、皿(トレイ)
にある時計の値段と同じ、と。
「時計屋には、そういう皿が、10〜20枚もある!」と。

 私はそれを知って、祖父が受けた以上のショックを受けた。
その自転車屋について、母は、こう言った。

 「勉強しんさい(=しなさい)。でなければ、この自転車屋を継ぎんさい」と。
しかしその言葉は、私に死ねと言うくらい、恐ろしい言葉だった。
私は兄を見て育っている。
その兄と同じになれというくらい、恐ろしい言葉だった。

●仕送り

 そんなわけで、私の実家の家計は、私が中学生のころには、火の車だった。
大学生のときも、毎月の仕送りは、下宿代の1万円だけ。
あとは、アルバイトで稼ぐしかなかった。

 姉は私が大学生のとき、農家の男性と結婚した。
農家といっても電信会社に勤務していた。
母は、この結婚に大反対した。
何度も、「うちのM子は、あんな男と結婚するような娘ではない」と。
が、姉は、その男性と結婚した。
母には、不本意な結婚だった。
姉へのお嬢様教育が、こなごなに壊れた瞬間でもあった。

 その結婚のときにも、私の家には現金がなかった。
それで近くにあった借家を売ることになった。
私はその売買に、直接関わった。
法科の学生ということもあった。
値段は、150万円。
当時としては、文句のない値段だった。
そのお金がどう使われたかは知らないが、姉の結婚式は、それなりに派手な
ものだった。

●家族

 私は大学生になることによって、家を飛び出すことができた。
そのあとも、オーストラリアへ留学し、商社へ入社しと、自由気ままに自分の
人生を生きた。
 が、実家のことは、いつも気になった。
重い石のように、頭から離れることはなかった。

 母の恩着せは、そのころもつづいた。
電話をするたびに、「お前を大学まで出してやった」と、これまた口癖のように言われた。
そしてそのつど、あの愚痴とも、抗議ともわからない、ネチネチとした苦労話。
「親の恩を忘れんさるな(=忘れるなよ)」と。
最後は、いつもその言葉で終わった。

 が、私と母の関係は、私が高校生のときに、すでに切れていた。
そういう母だったから、一方、私はそういう息子だったから、いつも衝突を繰り返して
いた。
断絶という状態がつづき、母の私に対する気持ちは、憎しみに変わっていた。
母はことあるごとに、親戚の人たちには、こう言っていた。

 「子どもなんて育てるもんじゃ、ねえ(=ない)。
どうせ親は捨てられるだけじゃ」と。

●自我群の苦しみ 

 そうでありながらも、私の心の中には、「絆(きずな)」が、しっかりと刷り込まれて
いた。
本能に近い部分にまで、刷り込まれていた。
それを断ち切るのは用意なことではない。
実際には、兄や母が他界した今でも、それはつづいている。

 私は自分で収入を手にするようになると、その半分は、実家に送金した。
したくてしたわけではない。
が、そこには、私の(誇り)もあった。
私は子どものころから、そして大学生になってからも、肩身の狭い思いをしていた。
が、仕送りをすることで、そうした思いを、跳ね飛ばすことができた。
そういう思いもあった。

 が、母は母で、そうした私の思いとはちがった角度で、私をながめていた。
平たく言えば、「金づる」。
私から容赦なく、お金を奪っていった。
病弱な父。
そしてあの兄。
収入など、あってないようなものだった。
加えて母の虚栄は、私が子どものころのままだった。

●金づる

 盆と暮れ。
それに数か月に1度、あるいは2度帰るというだけの関係になった。
兄との関係は、ますます疎遠になっていった。

 私が結婚したあと、あちこちへ連れていってやったことはある。
しかしたがいに心が通うということはなかった。
兄とは、ふつうの会話すらできなかった。
兄は、私の知らない、閉ざされた心の中に住んでいた。
私も、家族には、心を開けなかった。

 調子のよいお世辞と、世間話。
口のうまい人間ばかり。
面従腹背というか、表ではニコニコ笑いながら会話をし、いったん裏へ入ると、たがいに
口汚くののしりあった。

母ですら、表と裏では、まるで別人だった。
世間では、「よくできた苦労人」、
さらには、「仏様」と呼ばれていた。

 しかし家の中では、ちがった。
ことあるごとに、人を中傷し、罵倒した。
好き嫌いがはっきりしていた。
母に一度嫌われたら最後。
「江戸の仇(かたき)は長崎で」というようなことを、母は平気でしていた。

 私はいつしか、……30歳になる前には、すでにただの「金づる」に
なっていた。

●重圧感

 だれでもそうなのだろうが、一度巣立ってしまうと、実家との関係はそこで
切れる。
共通の思い出をつくることもない。
母は、私たち家族を、そのつどていねいに迎えてはくれたが、すでに他人以上の
他人になっていた。
言葉の使い方で、私には、それがよくわかった。

 母との関係ですら、そうであった。
いわんや、兄をや、ということになる。
私にとって、兄、準二は、家のお荷物、あるいは、家の家具のような存在だった。
実家に帰っても、小遣いを渡すのは、私のほう。
話しかけて、あれこれと世話を焼くのも、私のほう。
誓って言うが、兄が生涯、私におごってくれたものと言えば、ラーメン一杯だけ。
それも兄の意思からではない。
母にせかされて、そうした。

 弟の私ですらそうなのだから、兄は、さらに孤独な世界へと追いやられた。
友もなく、親には見捨てられ、そして兄弟とのつながりもなかった。
いつも独りで、レコードを聞いていた。

●母との確執

 30歳になったころだと思う。
ワイフの実家(浜松市)の近くに、授産施設のようなものができた。
身体や精神に障害のある人たちが共同で仕事をし、支えあうという施設である。

 当時としては、まだ珍しい施設だったが、私は最初に、その施設に兄を入れること
を考えた。
浜松へ来れば、私の自宅から、その施設に通えばよい。
ワイフも、快く同意してくれた。

 が、これに猛然と抵抗したのが、母だった。
狂ったように抵抗した。
すでにそのとき父も他界していた。
母にしてみれば、兄を手放すということは、稼業の廃止ということになる。
母としては、ぜったいに譲れない一線だった。

 私と母は、毎日、毎晩、電話で怒鳴りあうような喧嘩をした。
激しいものだった。
で、それを1週間から10日ほどつづけたところで、私のほうがギブアップ。
当時の私には、自転車屋を一軒開業することなど、何でもなかった。
仕事は順調だった。
収入も多かった。
私は、もし母や兄が望むなら、浜松で、自転車屋を開業する覚悟でいた。
その覚悟も、そのまま霧散した。

 「母もいっしょに浜松へ」という考え方もあった。
が、母には、M町を「出る」ことなど、想像もつかなかった。
私には、それがよくわかっていた。

●兄の性癖

 兄にも、問題があった。
ゆがんだ性癖という問題だった。
私の家に遊びにやってきたときも、ワイフの入浴をのぞく、私のスキをみては、
ワイフに抱きつく、あるいは留守番をさせておくと、ワイフの下着を手で触れて
遊ぶ、など。

 やがてワイフは、そういう兄に、恐怖感を覚えるようになっていた。
だから私は兄が私の家にいるときも、また私たちが私の実家に帰ったときも、
ぜったいに、兄とワイフを、2人だけにはしなかった。

 さらに兄は、ことあるごとに、病院へ入院した。
そこでも看護婦さんに抱きついたり、下半身を露出させたりした。
そういう話を知っていたから、兄との同居には、それなりの覚悟が必要だった。

 私はこう考えた。
「兄の問題は、一度、母と切り話さなければ、解決しない」と。

 兄は、今で言う、マザコン。
度を越したマザコンだった。
母と兄は、強烈な相互依存関係で成り立っていた。
「共依存」という関係である。

 そういうこともあって、それ以後、私は、兄を引き取るという話は、
二度としなかった。

●思い出

 兄は、毎月の仕送りとは別に、何かほしいものがあると、私に電話をかけてきた。
裏で母の意図を感じたこともある。

「テレビが見られない」
「冷蔵庫が使えなくなった」
「ステレオが壊れた」と。

 そのつど言われるまま、その金額を、送った。

 が、そのほとんどは、悲しい思い出でしかない。
あるとき高校の同窓会に出ることになった。
そのとき、恩師へのみやげということで、その直前に買ったジョニ黒(ウィスキー)
を、もっていった。
が、その朝見ると、栓が抜いてあった。
上から数センチ分、ウィスキーが減っていた。
兄が口をつけたことは、すぐわかった。
だから兄に、「どうしてこんなことをする!」と怒鳴った。
が、その声は、むなしく宙に消えた。

 すでにそのころ、兄はまだ40歳前だったが、兄はことの善悪の判断すら、
じゅうぶんできなくなっていた。
異常までの母の過干渉。
それが原因だった。

 しかし本当の悲しい思い出といえば、私は兄の存在を意識して、結婚式が
できなかったこと。
よく「お金がなかったから」と、書くことはあるが、もうひとつ、大きな
理由があった。
私は酒乱の父や、今でいう自閉症の兄を、みなの前で、どう紹介すればよいのか。

●愛情

 これはあくまでも結果論だが、母に、一微でも兄に対する愛情があれば、
私の家庭は大きくちがっていただろうと思う。
実際、そういう子どもをかかえながらも、明るく、さわやかに生きている親は多い。
今どき自閉症にせよ、何かの情緒障害にせよ、何でもない。
それを恥ずかしいとか、そういうふうに考える人は、いない。
だいたいこの世の中には、まともな人はいない。
あるいはどういう人を、「まともな人」というのか。

 子どもの心は、母親によって作られる。
母親が嫌っている人は、子どもも嫌う。
母親が好意をもっている人は、子どもも、好意をもつ。
ウソだと思うなら、あなた自身の心の中をのぞいてみるとよい。

 私が兄を嫌っていたのは、私のせいではない。
母が嫌っていた。
私はそれを敏感に受け継いでいた。

 だから……。
もし「私の母に、一微でも兄に対する愛情があれば、私の家庭は大きくちがって
いただろうと思う」と。
この思いは、今でも変わらない。

●母との確執

 結局、私は母に、生活費を仕送りしつづけた。
47歳を過ぎるまで、そうした。
が、そのとき、事件が起きた。
それについては、前にも書いた。
母は、私から土地の権利書を言葉巧みに取り上げると、無断で、それを他人に
売ってしまった。
私が泣いてそれに抗議をすると、母は、こう言って、私の言葉をはねのけた。

「親が、先祖を守るために、子の金を使って、何が悪い!」と。

 一事が万事。
私の母というのは、そういう母だった。

●音信途絶

 以後、10年ほど、母との音信は途絶した。
1、2度、さみしさに耐えかねたのか、母から電話があった。
しかし会話にならなかった。
一言、「すまなかった」と謝ってくれたら、私は母を許すつもりでいた。
が、母のもつ親意識は、それをはるかにしのぐものだった。

兄の存在は、もっと軽かった。
「知ったことか!」と、吐き捨てながら、心にのしかかる重荷を脇へやった。
が、事情を知らないノー天気な親類は、どこにでもいる。

 わずか数歳、年上というだけで、安易なダカラ論をぶつけてくる人もいた。

「親だからな……」とか、「親は親だで……」とか。

 私はそのつど、心臓をえぐられるような苦痛を覚えた。
さらに中には、私の家庭を、興味本位でのぞいてくる人もいた。
興味本位である。

「浩司君、今朝、君の夢を見たよ」とか何とか言って、電話をかけてくる。
こちらの内情をさぐる。
それが私には、よくわかった。

●親の介護

 母は、晩年、最初に軽い認知症になった。
そのこともあって、それまでのうっぷんを晴らすかのように、兄に、きびしく当たる
ようになった。
情け容赦ない言葉を、そのつど、兄に浴びせかけた。
「お前なんか、どこかへ行って、死んで来い」とかなど。

 外の世界では、「仏様」と呼ばれていた。
おだやかで、やさしく、静かで落ち着いた表情をしていた。
が、それは仮面。
私には、それがよくわかっていた。
母がまだ元気なうちには、私も、母によく脅された。

「お前は地獄へ落ちるぞ」とか、など。
母も、また、実のところ、心を開くことができない、かわいそうな女性だった。
息子の私に対してでさえ、心を開くことができなかった。

●兄の病状

 そのころから兄の病状は、一気に悪化した。
持病の胃病は慢性化し、毎週のように病院通いがつづいた。
胃潰瘍で、1、2か月単位で入院することも重なった。

 で、見舞いに行くと、そこにかならず、母や姉がいた。
そして私の姿を見かけると、かいがいしく、兄の背中をさすってみせたりした。
「代理ミュンヒハウゼン症候群」という言葉は、今では知らない人はいない。
が、私には、それがわかっていた。
母が私の前でしてみせたのは、まさに、それだった。

 兄は私が見舞うと、「仕事をしてエ(=したい)」「してえ」と駄々をこねた。
悲しそうな声で、「ぼく、工場で働くで……」と言ったこともある。
私はその言葉が、胸に突き刺さった。
症状こそちがえ、私のもっている傷と同じ傷を、兄はもっていた。

 その翌日、私は100万円の貯金をおろすと、それをすべて1000円札に換え、
兄に届けた。
母には、「これはぼくが準ちゃんにあげたお金だ。絶対に横取りするな」と、
何度も釘をさした。

 が、そのお金も、やがて母のものとなった。

●兄の涙

 時間は飛ぶが、兄の様子がおかしいと連絡を受けて、兄を見に行ったことがある。
ライターで障子の紙に火をつける。
マジックインクで、車のナンバーに落書きをする。
ごみを近所の家に放り込む。
勝手に他人の家にあがりこむ、など。

 うつ病が悪化していた。
が、残念なことに、兄の周辺には、母も含めて、理性的な会話ができる人は1人も
いなかった。
姉は姉で、そのつど、パニック状態になった。
精神的にも、かなり混乱していた。
で、私はネットで拾いあげた記事をプリントアウトして、それをみなに渡したこともある。
が、だれもそれに目を通そうとすらしなかった。

 兄が心療内科の門をくぐったのは、そのときがはじめてだった。
私が兄を病院へ連れていった。

 その前のこと。

 私が寝室にいる兄のそばに行くと、兄は、自分でふとんをかけ直していた。
子どものころから、1センチ単位で、ふとんをきちんと並べて寝ていた。
が、その兄は、私の姿を見ると、突然、ポロポロと涙をこぼし始めた。

 よほどつらかったのだろう。
私はポケットからハンカチを取り出すと、それで兄の目をふいてやった。

●擁護

 こう書くからといって、全責任が母にあるというのではない。
母とて、あの時代の申し子に過ぎなかった。
また母には母の、「運命」という無数の糸がからんでいた。
母も、その「糸」に操られていただけかもしれない。

 不本意な結婚。
わがままな性格。
無知、無学。
慢性的な貧乏。
潔癖症などなど。

 母だけが特別であったというよりは、もし母と同じような環境で生まれ育ち、
父のような人間と結婚したら、だれだって母のようになったかもしれない。
言い忘れたが、母の実家は、戦後、農地解放でほとんどの田畑を取り上げられてしまった。
それ以後は、往年の繁栄など見る影もないほど、やせ細った貧しい農家になってしまった。
そういうこともあったのだろう。

母は私からお金を吸い上げると、せっこらせっこらと、母の実家へ、それを渡していた。
「先祖を守るために、親が子のお金を使って、何が悪い!」という言葉は、そういう
ところから生まれた。

●兄と母

 まず兄が姉の家に、3か月、いた。
それから兄はグループホームへ入った。
つづいて母が、2年間、姉の家に、いた。
そのころ、私が兄を、3か月、私の家で預かった。
つづいて1年と11か月、母は、浜松に住んだ。

 兄は2008年の8月に、母は同じ年の10月に、それぞれ他界した。
その兄と母の死について、当時、書いたのが、つぎの原稿である。
そのまま紹介する。

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兄の死

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●兄の歯

 先日私の兄が死んで、火葬されたときのこと。
私は兄の下あごの骨が、どういうわけか、気になった。
遺骨をつぼにみなが詰めるときも、私は、下あごだけを、じっと見つめていた。
それは雪のように美しかった。
紙のように薄かったが、形はしっかりと整っていた。
が、その美しさが、かえって不思議だった。

 兄は子どものころから歯が弱く、年中、虫歯に悩まされていた。
夜中じゅう、「歯が痛い」と泣いていたのも、よく覚えている。
そんなこともあってか、最後の10〜15年間は、すべての歯は抜け、
総入れ歯をしていた。

下あごには、そのためか、一本も、歯は残っていなかった。
総入れ歯にしたと聞いたとき、私は、「それでよかった」と思った。
兄は、少なくともそれで、虫歯の痛みからは解放された。

で、今朝、歯科医院へ行ってきた。
歯にも定期検診というのがある。
今日は、その日だった。
で、歯垢を取り除いてもらっているとき、兄のあの下あごの骨を思い出していた。
「私も死んだら、ああなるのか」と。
そういう気持ちを察したのか(?)、いや、そんなことはありえないが、
歯科医師のK先生は、こう言った。

「1本でも歯が残っていれば、その歯が役にたちますよ」と。

どういう意味でK先生がそう言ったのかは知らない。
その1本をたよりに、ほかの入れ歯が入れやすいということか。
あるいは総入れ歯は、よくないということか。

 兄は死んだが、この先、10年や20年など、あっという間に過ぎてしまうだろう。
つぎの瞬間、私の体が、兄のようになったところで、何ら、おかしくない。
だれかが私の遺骨を拾いながら、私が思ったように、「美しい」と思うかもしれない。
兄のあの下あごが、私のものだったと考えても、何ら、おかしくない。
現に今、私は満60歳になってしまった。
若いころは、自分が60歳になるとは、とても信じられなかった。

 やがて私も、この世から消える。
いつかだれか、私の遺骨を見ながら、同じように思うかもしれない。

 生きているとき、兄は、私にとっては、小さな存在でしかなかった。
しかし死んでからの兄は、日増しに大きくなりつつある。
……というより、毎日、兄のことを考えている。

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母の死

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●最後の会話

11月11日、夜、11時を少し回ったときのこと。
ふと見ると、母の右目の付け根に、丸い涙がたまっていた。
宝石のように、丸く輝いていた。
私は「?」と思った。
が、そのとき、母の向こう側に回ったワイフが、こう言った。
「あら、お母さん、起きているわ」と。

母は、顔を窓側に向けてベッドに横になっていた。
私も窓側のほうに行ってみると、母は、左目を薄く、開けていた。

「母ちゃんか、起きているのか!」と。
母は、何も答えなかった。
数度、「ぼくや、浩司や、見えるか」と、大きな声で叫んでみた。
母の左目がやや大きく開いた。

私は壁のライトをつけると、それで私の顔を照らし、母の視線の
中に私の顔を置いた。
「母ちゃん、浩司や! 見えるか、浩司やぞ!」
「おい、浩司や、ここにいるぞ、見えるか!」と。

それに合わせて、そのとき、母が、突然、酸素マスクの向こうで、
オー、オー、オーと、4、5回、大きなうめき声をあげた。
と、同時に、細い涙が、数滴、左目から頬を伝って、落ちた。

ワイフが、そばにあったティシュ・ペーパーで、母の頬を拭いた。
私は母の頭を、ゆっくりと撫でた。
しばらくすると母は、再び、ゆっくりと、静かに、眠りの世界に落ちていった。

それが私と母の最後の会話だった。

●あごで呼吸

朝早くから、その日は、ワイフが母のそばに付き添ってくれた。
私は、いくつかの仕事をこなした。
「安定しているわ」「一度帰ります」という電話をもらったのが、昼ごろ。

私が庭で、焚き火をしていると、ワイフが帰ってきた。
が、勝手口へ足を一歩踏み入れたところで、センターから電話。
「呼吸が変わりましたから、すぐ来てください」と。

私と母は、センターへそのまま向かった。
車の中で焚き火の火が、気になったが、それはすぐ忘れた。

センターへ行くと、母は、酸素マスクの中で、数度あえいだあと、そのまま
無呼吸という状態を繰り返していた。
「どう、呼吸が変わりましたか?」と聞くと、看護婦さんが、「ほら、
あごで呼吸をなさっているでしょ」と。

私「あごで……?」
看「あごで呼吸をなさるようになると、残念ですが、先は長くないです」と。

私には、静かな呼吸に見えた。

私はワイフに手配して、その日の仕事は、すべてキャンセルにした。
時計を見ると、午後1時だった。

●血圧

血圧は、午前中には、80〜40前後はあったという。
それが午後には、60から55へとさがっていった。
「60台になると、あぶない」という話は聞いていたが、今までにも、
そういうことはたびたびあった。
この2月に、救急車で病院へ運ばれたときも、そうだった。

看護婦さんが、30分ごとに血圧を測ってくれた。
午後3時を過ぎるころには、48にまでさがっていた。
私は言われるまま、母の手を握った。
「冷たいでしょ?」と看護婦さんは言ったが、私には、暖かく感じられた。

午後5時ごろまでは、血圧は46〜50前後だった。
が、午後5時ごろから、再び血圧があがりはじめた。

そのころ、義兄夫婦が見舞いに来てくれた。
私たちは、いろいろな話をした。

50、52、54……。

「よかった」と私は思った。
しかし「今夜が山」と、私は思った。
それを察して、看護士の人たち数人が、母のベッドの横に、私たち用の
ベッドを並べてくれた。
「今夜は、ここで寝てください」と。

見ると、ワイフがそこに立っていた。
この3日間、ワイフは、ほとんど眠っていなかった。
やつれた顔から生気が消えていた。

「一度、家に帰って、1時間ほど、仮眠してきます」と私は、看護婦さんに告げた。
「今のうちに、そうしてください」と看護婦さん。

私は母の耳元で、「母ちゃん、ごめんな、1時間ほど、家に行ってくる。またすぐ
来るから、待っていてよ」と。

私はワイフの手を引くようにして、外に出た。
家までは、車で、5分前後である。

●急変

家に着き、勝手口のドアを開けたところで、電話が鳴っているのを知った。
急いでかけつけると、電話の向こうで、看護婦さんがこう言って叫んだ。
「血圧が計れません。すぐ来てください。ごめんなさい。もう間に合わないかも
しれません」と。

私はそのまままたセンターへ戻った。
母の部屋にかけつけた。

見ると、先ほどまでの顔色とは変わって、血の気が消え失せていた。
薄い黄色を帯びた、白い顔に変わっていた。

私はベッドの手すりに両手をかけて、母の顔を見た。
とたん、大粒の涙が、止めどもなく、あふれ出た。

●下痢

母が私の家にやってきたのは、その前の年(07年)の1月4日。
姉の家から体を引き抜くようにして、抱いて車に乗せた。
母は、「行きたくない」と、それをこばんだ。

私は母を幾重にもふとんで包むと、そのまま浜松に向かった。
朝の早い時刻だった。

途中、1度、母のおむつを替えたが、そのとき、すでに母は、下痢をしていた。
私は、便の始末は、ワイフにはさせないと心に決めていた。
が、この状態は、家に着いてからも同じだった。

母は、数時間ごとに、下痢を繰り返した。
私はそのたびに、一度母を立たせたあと、おむつを取り替えた。

母は、こう言った。
「なあ、浩司、オメーニ(お前に)、こんなこと、してもらうようになるとは、
思ってもみなかった」と。
私も、こう言った。
「なあ、母ちゃん、ぼくも、お前に、こんなことをするようになるとは、
思ってもみなかった」と。

その瞬間、それまでのわだかまりが、うそのように、消えた。
その瞬間、そこに立っているのは、私が子どものころに見た、あの母だった。
やさしい、慈愛にあふれた、あの母だった。

●こだわり

人は、夢と希望を前にぶらさげて生きるもの。
人は、わだかまりとこだわりを、うしろにぶらさげながら、生きるもの。
夢と希望、わだかまりとこだわり、この4つが無数にからみあいながら、
絹のように美しい衣をつくりあげる。

無数のドラマも、そこから生まれる。

私と母の間には、そのわだかまりとこだわりがあった。
大きなわだかまりだった。
大きなこだわりだった。

話しても、意味はないだろう。
話したところで、母が喜ぶはずもないだろう。
しかし私は、そのわだかまりと、こだわりの中で、12年も苦しんだ。
ある時期は、10か月にわたって、毎晩、熱にうなされたこともある。
ワイフが、連日、私を看病してくれた。

その母が、そこにいる。
よぼよぼした足で立って、私に、尻を拭いてもらっている。

●優等生

1週間を過ぎると、母は、今度は、便秘症になった。
5、6日に1度くらいの割合になった。
精神も落ち着いてきたらしく、まるで優等生のように、私の言うことを聞いてくれた。

ディサービスにも、またショートステイにも、一度とて、それに抵抗することなく、
行ってくれた。

ただ、やる気は、失っていた。

あれほどまでに熱心に信仰したにもかかわらず、仏壇に向かって手を合わせることも
なかった。
ちぎり絵も用意してみたが、見向きもしなかった。
春先になって、植木鉢を、20個ほど並べてみたが、水をやる程度で、
それ以上のことはしなかった。

一方で、母はやがて我が家に溶け込み、私たち家族の一員となった。

●事故

それまでに大きな事故が、3度、重なった。
どれも発見が早かったからよかったようなもの。
もしそれぞれのばあい、発見が、あと1〜2時間、遅れていたら、母は死んでいた
かもしれない。

一度は、ベッドと簡易ベッドの間のパイプに首をはさんでしまっていた。
一度は、服箱の中に、さかさまに体をつっこんでしまっていた。
もう一度は、寒い夜だったが、床の上にへたりと座り込んでしまっていた。

部屋中にパイプをはわせたのが、かえってよくなかった。
母は、それにつたって、歩くことはできたが、一度、床にへたりと座ってしまうと、
自分の手の力だけでは、身を立てることはできなかった。

私とワイフは、ケアマネ(ケア・マネージャー)に相談した。
結論は、「添い寝をするしかありませんね」だった。

しかしそれは不可能だった。

●センターへの申し込み

このあたりでも、センターへの入居は、1年待ちとか、1年半待ちとか言われている。
入居を申し込んだからといって、すぐ入居できるわけではない。
重度の人や、家庭に深い事情のある人が優先される。

だから「申し込みだけは早めにしておこう」ということで、近くのMセンターに
足を運んだ。
が、相談するやいなや、「ちょうど、明日から1人あきますから、入りますか?」と。

これには驚いた。
私たちにも、まだ、心の準備ができていなかった。
で、一度家に帰り、義姉に相談すると、「入れなさい!」と。

義姉は、介護の会の指導員をしていた。
「今、断ると、1年先になるのよ」と。

これはあとでわかったことだったが、そのとき相談にのってくれたセンターの
女性は、そのセンターの園長だった。

●入居

母が入居したとたん、私の家は、ウソのように静かになった。
……といっても、そのころのことは、よく覚えていない。
私とワイフは、こう誓いあった。

「できるだけ、毎日、見舞いに行ってやろう」
「休みには、どこかへ連れていってやろう」と。

しかし仕事をもっているものには、これはままならない。
面会時間と仕事の時間が重なってしまう。

それに近くの公園へ連れていっても、また私の山荘へ連れていっても、
母は、ひたすら眠っているだけ。
「楽しむ」という心さえ、失ってしまったかのように見えた。

●優等生

もちろん母が入居したからといって、肩の荷がおりたわけではない。
一泊の旅行は、三男の大学の卒業式のとき、一度しただけ。
どこへ行くにも、一度、センターへ電話を入れ、母の様子を聞いてからに
しなければならなかった。

それに電話がかかってくるたびに、そのつど、ツンとした緊張感が走った。

母は、何度か、体調を崩し、救急車で病院へ運ばれた。
センターには、医療施設はなかった。

ただうれしかったのは、母は、生徒にたとえるなら、センターでは
ほとんど世話のかからない優等生であったこと。
冗談好きで、みなに好かれていたこと。

私が一度、「友だちはできたか?」と聞いたときのこと。
母は、こう言った。
「みんな、役立たずばっかや(ばかりや)」と。
それを聞いて、私は大声で笑った。
横にいたワイフも、大声で笑った。
「お前だって、役だ立たずやろが」と。

加えて、母には、持病がなかった。
毎日服用しなければならないような薬もなかった。

●問題

親の介護で、パニックになる人もいる。
まったく平静な人もいる。
そのちがいは、結局は(愛情)の問題ということになる。
もっと言えば、「運命は受け入れる」。

運命というのは、それを拒否すると、牙をむいて、その人に襲いかかってくる。
しかしそれを受け入れてしまえば、向こうから、尻尾を巻いて逃げていく。
運命は、気が小さく、おくびょう者。

私たちに気苦労がなかったと言えば、うそになる。
できれば介護など、したくない。
しかしそれも工夫しだいでどうにでもなる。

加齢臭については、換気扇をつける。
事故については、無線のベルをもたせる。
便の始末については、私のばあいは、部屋の横の庭に、50センチほどの
深さの穴を掘り、そこへそのまま捨てていた。
水道管も、そこまではわせた。

ただ困ったことがひとつ、ある。
我が家にはイヌがいる。
「ハナ」という名前の猟犬である。
母と、そしてその少し前まで私の家にいた兄とも、相性が合わなかった。
ハナは、母を見るたびに、けたたましくほえた。
真夜中であろうが、早朝であろうが、おかまいなしに、ほえた。

これについても、いろいろ工夫した。
たとえば母の部屋は、一日中、電気をつけっぱなしにした。
暖房もつけっぱなしにした。
そうすることによって、母が深夜や早朝に、カーテンをあけるのをやめさせた。
ハナは、そのとき、母と顔を合わせて、ほえた。

いろいろあったが、私とワイフは、そういう工夫をむしろ楽しんだ。

●鬼

それから約1年半。
母の92歳の誕生日を終えた。
といっても、そのとき母は、ゼリー状のものしか、食べることができなくなっていた。
嚥下障害が起きていた。
それが起きるたびに、吸引器具でそれを吸い出した。
母は、それをたいへんいやがった。
ときに看護士さんたちに向かって、「あんたら、鬼や」と叫んでいたという。

郷里の言葉である。

私はその言葉を聞いて笑った。
私も子どものころ、母によくそう言われた。
母は何か気に入らないことがあると、きまって、その言葉を使った。
「お前ら、鬼や」と。

●他界

こうして母は、他界した。
そのときはじめて、兄が死んだ話もした。
「準ちゃん(兄)も、そこにいるやろ。待っていてくれたやろ」と。

兄は、2か月前の8月2日に、他界していた。

母の死は、安らかな死だった。
どこまでも、どこまでも、安らかな死だった。
静かだった。

母は、最期の最期まで、苦しむこともなく、見取ってくれた看護婦さんの
話では、無呼吸が長いかなと感じていたら、そのまま死んでしまったという。

穏やかな顔だった。
やさしい顔だった。
顔色も、美しかった。

母ちゃん、ありがとう。
私はベッドから手を放すとき、そうつぶやいた。

2008年10月13日、午後5時55分、母、安らかに息を引き取る。

++++++++++++++++++++

●終わりに……

先日、従弟(いとこ)の1人と、電話で話した。
子どものころから、いちばん、仲のよい従弟である。
その従弟が、私の母や兄について、聞いた。
死んだことについて、聞いた。

 が、私はウソは言えなかった。
だから正直に、こう答えた。
「今は、ほっとしている」と。

 そう、ほっとしている。
が、もちろん兄や母の死を喜んでいるわけではない。
しかし悲しみより、解放感のほうが、先に来る。
私にとっては、長い、長い、60年間だった。
重苦しい、60年間だった。
一日とて、気が晴れることがなかった。

 と、同時に、私にとって家族とは何だったのか、それを改めて考える。
もちろん多くの人は、家族に心の拠り所を求め、そこで心を休める。
が、私には、それがなかった。
それができなかった。

 だから、……というわけではない。
弁解するつもりもない。
また私の家族を反面教師とするには、私にはあまりにも重過ぎる。
私は私で、今のワイフと結婚し、私の家族をもうけた。
「何とか幸福になりたい」と思いつつ、その気負いばかりが強かった。
その後遺症は、そのまま私の息子たちに残ってしまった。
息子たちは息子たちで、私とは別の形で、家族を求めて苦しんでいる。

 ほかに他意はない。
私と同じような境遇に苦しんでいる人たちのために、この原稿を書いた。
1人でも多くの人が、「家族自我群」という「幻惑(=呪縛感)」から解放されることを
願う。








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●子どもの虚言癖

++++++++++++++++++

「子どもは家族の代表」という考え方が、
現在では、主流的な考え方です。
というより、今では、常識。

子どもに何か問題が起きたときは、
それを「家族全体の問題」として考えます。
子どもだけを見て、「直そう」と考えては
いけません。

E県のESさん(母親)から、子どもの
虚言癖について、メールが届いています。
この問題を、いっしょに考えてみたいと
思います。

++++++++++++++++++

【ESさんより、はやし浩司へ】

小学校6年生の息子のことでご相談させてください。

先日、息子の通学用のかばんから危ないものが出てきました(料理用の小型ナイフ)。
その前に、台所で何かに興味を示していたので、息子が自分でかばんに入れて
学校に持って行ったものと思い、
「危ないから、そんなものはもって行ってはいけない」と注意すると、
絶対自分はかばんに入れていない、自分ではない、と強く反論しました。

それでも内心嘘をついていると思いながらもあまり問い詰めず、そのままになりました。

翌朝、もう一度、もって行ったことはともかく、嘘をついたことが気になり、
学校に登校する前に「本当は持って行ったんじゃないの」と聞きましたが、
泣きながら、絶対に自分は知らない、と反論しました。

それですっかり怖くなってしまったのですが、
嘘をついているなら、まだましで、本人の記憶が飛んでいるのではないかと
思うほど、自分でも「もって言っていない」と、信じ込んでいる様子なのです。

普段から生活態度がだらしなく、細かいことまで沢山注意したり叱ったりすることも多く、
バイオリンを小さい頃から習っていて、その練習でも親子喧嘩が絶えず、
ストレスがたまった結果、こんなことになったのか、と悩んでいます。

子供はこうやって都合の悪いことを、本当に忘れたりすることがあるのでしょうか。
それともやはり分かっていて嘘をついているのでしょうか。

病的行動との心配があるならどう対処したら良いのでしょうか。

どうしてよいか分からず、悩んでいます。

【はやし浩司より、ESさんへ】

 いくつかの点で、気になることがあります。

(1)「かばんから……」という部分
(2)「泣きながら……」という部分
(3)「親子喧嘩が絶えず……」という部分
(4)「すっかりこわくなって……」という部分
 
 子どもの虚言で注意しなければならないのは、「空想的虚言(妄想)」です。
それについては、たびたび書いてきましたので、一度、「はやし浩司 空想的虚言」で
検索してみてください。
(私のHPのトップページ、子育てあいうえおを参考にしてください。)

 SEさんのお子さんのばあいも、その空想的虚言が疑われます。
心の中に別室を作り、その中に、いやなことや、思い出したくないことを、
閉じ込めてしまいます。
心理学的には、「抑圧」という言葉を使って説明されます。
自分の心を守るために、いやなことを閉じ込めるという防衛機制をいいます。
この抑圧についても、たびたび書いてきました。

 一般的には、気の抜けない、強圧的な過干渉が慢性化すると、子どもは自分の心を防衛す
るために、いわゆるシャーシャーとウソをつくようになります。
そしてひとつのウソがバレると、また新たなウソをつきます。
それがひどくなると、先に書いた、空想的虚言となるわけです。
(たった一度の、衝撃的な事件がきっかけで、空想的虚言をつくようになる子どももいます。)

 で、この抑圧で怖いのは、ふだんは何ともなくても、時と機会をとらえて、突発的に
爆発するということです。
俗に言う「キレる」原因の一つになることもあります。
「こんなオレにしたのは、お前だろう!」と、です。
古い、とっくの昔に忘れたはずのできごとを、つい昨日のできごとのように思い出して、キレる
のが、特徴です。
(30歳になっても、40歳になっても、子どものころのことを、つい昨日のできごとのように思い
出して、錯乱的に怒ったりすることもあります。
心の別室の中では、時間は止まったままになります。)
が、抑圧イコール、空想的虚言ということではありません。
子どもの心理は、もう少し複雑です。

 で、それについて書く前に、気になった点を並べてみます。

(1)「かばんから……」……私は、生徒はもちろん、ワイフのかばんすら、中をのぞいたことが
ありません。いわんや息子たちのかばんをのぞいたことは、ただの一度もありません。そういう
私ですから、それが許されることなのか、許されないことなのかという議論はさておき、ESさん
の行為が、私には、理解できません。

(2)「泣きながら……」……ふつうは、(「ふつう」という言葉は、あまり使いたくありませんが)、
この程度のことで、子どもは泣かないものです。どうしてそこまでたがいに感情的になってしま
うのでしょうか。責める側(=ESさん)にも、子どもの側にも、心の余裕が感じられないのが、
気になります。

(3)「親子喧嘩が絶えず……」……私も小学生のとき、バイオリンをやらせられ、たいへんいや
な思いをした経験があります。結果、大の音楽嫌いになってしまいました。小学生のころ、「音
楽」という言葉を聞いただけで、ゾーッとしたのを、覚えています。

(4)「すっかりこわくなって……」……お子さんが小3であることを考えるなら、親子関係はすで
に、かなり危険な状態に入っているとみますが、いかがでしょうか。

●過去の事例から

 似たような事件で、印象に残っているのが、2つあります。
ひとつは、月謝袋をバスの中で落としたと言い張った女の子(小4)。
落としたときの様子を、ことこまかに説明したので、私はウソと判断しました。

 もう1人は、私の教室でおしっこを漏らしたと母親に告げた男の子(年長児)。
「林先生(=私)が、床を拭いてくれた」と母親に言いましたが、私には覚えがありません。
それで母親が問い詰めると、今度は、「園バスの中でもらした」と。
が、バスの運転手さんや、同乗の先生に聞いても、「知らない」と。
結局、その子どもは、バスをおりてから、家に帰るまでの間にもらしたということになりました。
「どうしてママに言えなかったの!」と叱られるのがいやで、そういうウソをついたのでしょう。

●二番底、三番底

 この種のケースで注意しなければならないのは、二番底、三番底です。
けっして「今が最悪」と考えてはいけません。
「子どもを直そう」と考えるのも、危険です。
(簡単には、直りませんから……。)

 対処の仕方をまちがえると、「まだ以前のほうが症状は軽かった……」ということを繰り返しな
がら、さらに症状はこじれます。
もっと大きな問題を引き起こすようになります。
まだ小3ですから、まにあいます。
今は、「これ以上、問題(=子どもの心)を、こじらせないこと」だけを考えて、対処してください。

 大切なことは、ESさんの、育児姿勢、態度を、改めることです。
子どもだけを見て、ESさんは、自分の姿を見ていません。
冒頭に書いたように、子どもは、家族の「代表」にすぎないのです。
そういう視点で、率直に反省すべきことは反省します。

●気になる不信感

 ESさんの子育てを総合的に判断すると、いわゆる「不信型の子育て」ということになります。
「信じられない」という不安感が、過干渉の原因になっています。
が、この問題は、「根」が深いです。
時期的には、0〜2歳までさかのぼります(エリクソン・心理社会発達理論)。
母子の間の、基本的信頼関係の構築に失敗したとみます。

 ESさんのほうが、お子さんを全幅に許してこなかった。
その結果、ESさんがお書きになっているように、「普段から生活態度がだらしなく、細かいこと
まで沢山注意したり叱ったりすることも多く……」ということになったと考えられます。

 「だらしない」という基準は、どこにあるのでしょうか。
どこの子どもも、だらしないものですよ。
だらしなくない子どもなど、いないと考えてください。
ESさんの思い通りにならないからといって、「だらしない」と決めつけてはいけません。
むしろ逆で、子どもは学校という職場で、疲れきって帰ってきます。
家の中で、ぞんざいになっても、それはそれでしかたのないことです。
(とくにESさんのお子さんは、そうではないでしょうか。)
むしろ家の中では、したいようにさせ、羽を伸ばさせてやる。
それが「家庭」の基本です。

 私があなたの子どもなら、こう言うでしょうね。
「うるさい、放っておいてくれ!」と。

●では、どうするか?

 何よりも大切なことは、ESさん自身が子どもを信ずることです。
このままでは、(互いの不信感)→(親子のキレツを深める)→(ますます互いに不信感をもつ)
の悪循環の中で、やがて親子の断絶……ということになります。
(すでに今、その入口に立っていると考えてください。
さらに症状が悪化すると、あいさつ程度の会話もできなくなりますよ。)

 といっても、この問題は先ほども書いたように「根」が深く、簡単には解決できません。ESさん
が、「では、今日から、私は子どもを信じます」と言ったところで、そうはいかないということで
す。

 仮にそれができたところで、今度は、子どもの固まった心を溶かすには、さらに時間がかかり
ます。
それについては、とても残念なことですが、すでに手遅れかもしれません。
小3という時期は、そういう時期です。
年齢的には、思春期前夜に入るころです。
親離れを始める時期と考えてください。
ESさんのお子さんがもっている、ESさんへの印象を、ここで変えることはできません。

 では、どうするか?

 あきらめて、それを受け入れる、です。
勇気を出して、あきらめなさい。
『あきらめは、悟りの境地』と考えてください。
押してだめなら、思い切って引くのです。
親のほうがバカになって、頭をさげるのです。

 どこの家庭も、ESさんのような問題をかかえています。
うまくいっている家庭など、100に1つもないと考えてください。
そして一方で、裏切られても、裏切られても、『許して、忘れる』を繰り返してください。
その度量の深さで、あなたのお子さんに対する愛の深さが試されます。

 メールを読んだ範囲では、あなたの子育ては、「取り越し苦労」と「ヌカ喜び」の繰り返しといっ
た印象を受けます。
カバンの中にナイフ……というのは、ふつうではないと思いますが、しかしそれを見てパニック
になってしまう。

 いいですか、「心配だ」「心配だ」と思っていると、本当に、(あるいはさらに)、心配な子どもに
なってしまいますよ。
こういうのを「行為の返報性」といいます。
(これも、「はやし浩司 行為の返報性」で検索してみてください。
参考になると思います。)

 そこで私が今できるアドバイス……

☆「あなたはいい子」「すばらしい」を、口癖にして、あなた自身の心をだまし、作り変えること。

☆子どものほうに目が行き過ぎていませんか。もしそうなら、子どものことは構わず、あなたは
あなたで、したいことを、外の世界ですること。
母親でもなく、妻でもなく、女でもなく、ひとりの人間として、です。

☆「子どもに好かれよう」とか、「いい母親でいよう」とか、「いい親子関係を作ろう」という幻想
は、もうあきらめて、捨てること。またそういう気負いは、あなたを疲れさせるだけです。
とくに「おとなの優位性」を捨てること。

☆「今の状態をこれ以上悪くさせないこと」だけを考えて、あとはもう少し長い時間的スパンで、
ものを考えてください。1年とか、2年です。あとは時間が解決してくれます。あせればあせるほ
ど、逆効果。それこそ二番底、三番底に進んでしまいますよ。

●ESさんへ、

 かなりきびしいことを書きましたが、あなたのお子さんの問題は、実は、あなた自身の問題と
いうことに気がついてくだされば、うれしいです。
「なぜ、子どもがウソをつくのか」「ウソをつかねばならないのか」、そのあたりから考え直してみ
てください。

 それを「病的」と、子どもの責任にしてしまうのは、あまりにも酷というものです。
ひょっとしたら、あなた自身が、自分が子どものころ、全幅に親に甘えられなかったのかもしれ
ません。
あなたの親に対して、心を開くことができなかった。
あるいは結婚当初の何らかのつまずきが、そのあとの(心配の種)になってしまったことも考え
られます。

 そんなわけで私があなたのお子さんなら、あなたにこう言うでしょう。

「ママ、もっと心を開いて、ぼくを信じて!」と。

あなたのお子さんがあなたに求めているのは、ガミガミ、キリキリと、やりたくもない音楽の練
習ではなく、「友」です。
親意識が強く、支配的に上に君臨する女帝ではなく、「友」です。

 さあ、あなたも、一度子どもの世界に身を落として、友として、お子さんの横に立ってみてくだ
さい。
時間はかかりますが、やがて少しずつ、あなたのお子さんは、あなたに対して心を開くようにな
るでしょう。
それがあなたにも、わかるようになるはずです。
と、同時に、あなたはお子さんといっしょに、第二の人生を楽しむことができるようになります。
そう、「楽しむ」のです。

 子育ては、本来、楽しいものですよ!

 最後に一言。
『許して、忘れる』です。
(「はやし浩司 許して忘れる」を検索してみてください。)

 では、今日は、これで失礼します。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW BW教室 子どもの虚言癖 虚言 空想的虚言 親子断絶)







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●子どもの人格論

静岡県教職員組合磐周支部女性部主催

「共につくろう しあわせな 未来」


分科会テーマ

『子どもの人格論』(1)
思春期の子どもの考え方、接し方






はやし浩司


(特集)【子どもの人格論】□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの人格】

●幼児性の残った子ども

++++++++++++++++

人格の核形成が遅れ、その年齢に
ふさわしい人格の発達が見られない。

全体として、しぐさ、動作が、
幼稚ぽい。子どもぽい。

そういう子どもは、少なくない。

++++++++++++++++

 「幼稚」という言い方には、語弊がある。たとえば幼稚園児イコール、幼稚ぽいという
ことではない。幼稚園児でも、人格の完成度が高く、はっと驚くような子どもは、いくら
でもいる。

 が、その一方で、そうでない子どもも、少なくない。こうした(差)は、小学1、2年
生ごろになると、はっきりとしてくる。その年齢のほかの子どもに比べて、人格の核形成
が遅れ、乳幼児期の幼児性をそのまま持続してしまう。特徴としては、つぎのようなもの
がある。

(1) 独特の幼児ぽい動作や言動。
(2) 無責任で無秩序な行動や言動。
(3) しまりのない生活態度。
(4) 自己管理能力の欠落。
(5) 現実検証能力の欠落。

 わかりやすく言えば、(すべきこと)と、(してはいけないこと)の判断が、そのつど、
できない。自分の行動を律することができず、状況に応じて、安易に周囲に迎合してしま
う。

 原因の多くは、家庭での親の育児姿勢にあると考えてよい。でき愛と過干渉、過保護と
過関心など。そのときどきにおいて変化する、一貫性のない親の育児姿勢が、子どもの人
格の核形成を遅らせる。

 「人格の核形成」という言葉は、私が使い始めた言葉である。「この子は、こういう子ど
も」という(つかみどころ)を「核」と呼んでいる。人格の核形成の進んでいる子どもは、
YES・NOがはっきりしている。そうでない子どもは、優柔不断。そのときどきの雰囲
気に流されて、周囲に迎合しやすくなる。

 そこであなたの子どもは、どうか?

【人格の完成度の高い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、年上に見える。
○自己管理能力にすぐれ、自分の行動を正しく律することができる。
○YES・NOをはっきりと言い、それに従って行動できる。
○ハキハキとしていて、いつも目的をもって行動できる。

【人格の完成度の低い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、幼児性が強く残っている。
○自己管理能力が弱く、その場の雰囲気に流されて行動しやすい。
○優柔不断で、何を考えているかわからないところがある。
○グズグズすることが多く、ダラダラと時間を過ごすことが多い。

 では、どうするか?

 子どもの人格の核形成をうながすためには、つぎの3つの方法がある。

(1) まず子どもを、子どもではなく、1人の人間として、その人格を認める。
(2) 親の育児姿勢に一貫性をもたせる。
(3) 『自らに由(よ)らせる』という意味での、子育て自由論を大切にする。

++++++++++++++++++

今までに書いた原稿の中から
いくつかを選んで、ここに
添付します。

内容が少し脱線する部分があるかも
しれませんが、お許し下さい。

++++++++++++++++++

(1)【子どもの人格を認める】

●ストーカーする母親

 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居するこ
とになった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していた
のが、娘の実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも…
…」と考えていたが、そのもくろみは、もろくも崩れた。

 が、結婚、2年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家
庭騒動の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、
珍しくない。しかしここからが違った。なおこの話は、「本当にあった話」とわざわざ断り
たいほど、本当にあった話である。

 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)
による復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当
たった!」「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた
人生を返せ!」と。それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、
はやく死んでしまえ!」「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろっ
てやる!」「親を不幸にしたものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。それだけではな
い。

どこでどう監視しているのかわからないが、娘の行動をちくいち知っていて、「夫婦だけ
で、○○レストランで、お食事? 結構なご身分ですね」「スーパーで、特売品をあさっ
ているあんたを見ると、親としてなさけなくてね」「今日、あんたが着ていたセーターね、
あれ、私が買ってあげたものよ。わかっているの!」と。

 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、
何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が
悪くなると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、
フラフラするわ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえる
のに」「もう、長いこと会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしく
ないわよ」「明日あたり、私の通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。

●自分勝手な愛

 親が子どもにもつ愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛。ここで
いう代償的愛というのは、自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手でわがままな愛を
いう。たいていは親自身に、精神的な欠陥や情緒的な未熟性があって、それを補うために、
子どもを利用する。子どもが親の欲望を満足させるための道具になることが多い。そのた
め、子どもを、一人の人格をもった人間というより、モノとみる傾向が強くなる。いろい
ろな例がある。

 Aさん(60歳・母親)は、会う人ごとに、「息子なんて育てるものじゃ、ないですねえ。
息子は、横浜の嫁にとられてしまいました」と言っていた。息子が結婚して横浜に住んで
いることを、Aさんは、「取られた」というのだ。

 Bさん(45歳・母親)の長男(現在18歳)は、高校へ入学すると同時に、プツンし
てしまった。断続的に不登校を繰り返したあと、やがて家に引きこもるようになった。原
因ははげしい受験勉強だった。しかしBさんには、その自覚はなかった。つづいて二男に
も、受験期を迎えたが、同じようにはげしい受験勉強を強いた。「お兄ちゃんがダメになっ
たから、あんたはがんばるのよ」と。ところがその二男も、同じようにプツン。今は兄弟
二人は、夫の実家に身を寄せ、そこから、ときどき学校に通っている。

 Cさん(65歳・母親)は、息子がアメリカにある会社の支店へ赴任している間に、息
子から預かっていた土地を、勝手に転売してしまった。帰国後息子(40歳)が抗議する
と、Cさんはこう言ったという。「親が、先祖を守るために息子の金を使って、何が悪い!」
と。Cさんは、息子を、金づるくらいにしか考えていなかったようだ。その息子氏はこう
話した。

「何かあるたびに、私のところへきては、10〜30万円単位のお金をもって帰りまし
た。私の長男が生まれたときも、その私から、母は当時のお金で、30万円近く、もっ
て帰ったほどです。いつも『かわりに貯金しておいてやるから』が口ぐせでしたが、今
にいたるまで、1円も返してくれません」と。

 Dさん(60歳・女性)の長男は、ハキがなく、おとなしい人だった。それもあって、
Dさんは、長男の結婚には、ことごとく反対し、縁談という縁談を、すべて破談にしてし
まった。Dさんはいつも、こう言っていた。「へんな嫁に入られると、財産を食いつぶされ
る」と。たいした財産があったわけではない。昔からの住居と、借家が二軒あっただけで
ある。

 ……などなど。こういう親は、いまどき、珍しくも何ともない。よく「親だから……」「子
だから……」という、『ダカラ論』で、親子の問題を考える人がいる。しかしこういうダカ
ラ論は、ものの本質を見誤らせるだけではなく、かえって問題をかかえた人たちを苦しめ
ることになる。「実家の親を前にすると、息がつまる」「盆暮れに実家へ帰らねばならない
と思うだけで、気が重くなる」などと訴える男性や女性はいくらでもいる。

さらに舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)との折り合いが悪く、家庭騒動を繰り返してい
る家庭となると、今では、そうでない家庭をさがすほうが、むずかしい。中には、「殺し
てやる!」「お前らの前で、オレは死んでやる!」と、包丁やナタを振り回している舅す
ら、いる。

 そうそう息子が二人ともプツンしてしまったBさんは、私にも、ある日こう言った。「夫
は学歴がなくて苦労しています。息子たちにはそういう苦労をさせたくないので、何とか
いい大学へ入ってもらいたいです」と。

●子どもの依存性

 人はひとりでは生きていかれない存在なのか。「私はひとりで生きている」と豪語する人
ですら、何かに依存して生きている。金、モノ、財産、名誉、地位、家柄など。退職した
人だと、過去の肩書きに依存している人もいる。あるいは宗教や思想に依存する人もいる。
何に依存するかはその人の勝手だが、こうした依存性は、相互的なもの。そのことは、子
どもの依存性をみているとわかる。

 依存心の強い子どもがいる。依存性が強く、自立した行動ができない。印象に残ってい
る子どもに、D君(年長児)という子どもがいた。帰りのしたくの時間になっても、机の
前でただ立っているだけ。「机の上のものを片づけようね」と声をかけても、「片づける」
という意味そのものがわからない……、といった様子。そこであれこれジェスチャで、し
まうように指示したのだが、そのうち、メソメソと泣き出してしまった。多分、家では、
そうすれば、家族のみながD君を助けてくれるのだろう。

 一方、教える側からすれば、そういう涙にだまされてはいけない。涙といっても、心の
汗。そういうときは、ただひたすら冷静に片づけるのを待つしかない。いや、内心では、
D君がうまく片づけられたら、みなでほめてやろうと思っていた。が、運の悪いことに(?)、
その日にかぎって、母親がD君を迎えにきていた。そしてD君の泣き声を聞きつけると、
教室へ飛び込んできて、こう言った。ていねいだが、すごみのある声だった。「どうしてう
ちの子を泣かすのですか!」と。

 そういう子どもというより、その子どもを包む環境を観察してみると、おもしろいこと
に気づく。D君の依存性を問題にしても、親自身には、その認識がまるでないということ。
そういうD君でも、親は、「ふつうだ」と思っている。さらに私があれこれ問題にすると、
「うちの子は、生まれつきそうです」とか、「うちではふつうです」とか言ったりする。そ
こでさらに観察してみると、親自身が依存性に甘いというか、そういう生き方が、親自身
の生き方の基本になっていることがわかる。そこで私は気がついた。子どもの依存性は、
相互的なものだ、と。こういうことだ。

 親自身が、依存性の強い生き方をしている。つまり自分自身が依存性が強いから、子ど
もの依存性に気づかない。あるいはどうしても子どもの依存性に甘くなる。そしてそうい
う相互作用が、子どもの依存性を強くする。言いかえると、子どもの依存性だけを問題に
しても、意味がない。子どもの依存性に気づいたら、それはそのまま親自身の問題と考え
てよい。

……と書くと、「私はそうでない」と言う人が、必ずといってよいほど、出てくる。それ
はそうで、こうした依存性は、ある時期、つまり青年期から壮年期には、その人の心の
奥にもぐる。外からは見えないし、また本人も、日々の生活に追われて気づかないでい
ることが多い。しかしやがて老齢期にさしかかると、また現れてくる。先にあげた親た
ちに共通するのは、結局は、「自立できない親」ということになる。

●子どもに依存する親たち

 日本型の子育ての特徴を、一口で言えば、「子どもが依存心をもつことに、親たちが無頓
着すぎる」ということ。昔、あるアメリカの教育家がそう言っていた。つまりこの日本で
は、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。一方、独
立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼っ子」として嫌う。私が生まれ育った岐
阜県の地方には、まだそういう風習が強く残っていた。今も残っている。

親の権威や権力は絶対で、親孝行が今でも、最高の美徳とされている。たがいにベタベ
タの親子関係をつくりながら、親は親で、子どものことを、「親思いの孝行息子」と評価
し、子どもは子どもで、それが子どもの義務と思い込んでいる。こういう世界で、だれ
かが親の悪口を言おうものなら、その子どもは猛烈に反発する。相手が兄弟でもそれを
許さない。「親の悪口を言う人は許さない!」と。

 今風に言えば、子どもを溺愛する親、マザーコンプレックス(マザコン)タイプの子ど
もの関係ということになる。このタイプの子どもは、自分のマザコン性を正当化するため
に、親を必要以上に美化するので、それがわかる。

 こうした依存性のルーツは、深い。長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのもの
がもつ習性(?)とからんでいる。私はこのことを、ある日、ワイフとロープウェイに乗
っていて発見した。

●ロープウェイの中で

 春のうららかな日だった。私とワイフは、近くの遊園地へ行って、そこでロープウェイ
に乗った。中央に座席があり、そこへ座ると、ちょうど反対側に、60歳くらいの女性と、
五歳くらいの男の子が座った。おばあちゃんと孫の関係だった。その2人が、私たちとは
背中合わせに、会話を始めた。(決して盗み聞きしたわけではない。会話がいやおうなしに
聞こえてきたのだ。)その女性は、男の子にこう言っていた。

 「オバアちゃんと、イッチョ(一緒)、楽しいね。楽しいね。お山の上に言ったら、オイ
チイモノ(おいしいもの)を食べようね。お小づかいもあげるからね。オバアちゃんの言
うこと聞いてくれたら、ホチイ(ほしい)ものを何でも買ってあげるからね」と。
 
 一見ほほえましい会話に聞こえる。日本人なら、だれしもそう思うだろう。が、私はそ
の会話を聞きながら、「何か、おかしい」と思った。60歳くらいの女性は、孫をかわいが
っているように見えるが、その実、孫の人格をまるで認めていない。まるで子どもあつか
いというか、もっと言えば、ペットあつかい! その女性は、5歳の子どもに、よい思い
をさせるのが、祖母としての努めと考えているようなフシがあった。そしてそうすること
で、祖母と孫の絆(きずな)も太くなると、錯覚しているようなフシがあった。

 しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえばこの日本では、誕生日にせよ、クリスマ
スにせよ、より高価なプレゼントであればあるほど、親の愛の証(あかし)であると考え
ている人は多い。また高価であればあるほど、子どもの心をつかんだはずと考えている人
は多い。しかし安易にそうすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。仮に一時的
に子どもの心をつかむことはできても、あくまでも一時的。理由は簡単だ。

●釣竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け

 人間の欲望には際限がない。仮に一時的であるにせよ、欲望をモノやお金で満足させた
子どもは、つぎのときには、さらに高価なものをあなたに求めるようになる。そのときつ
ぎつぎとあなたがより高価なものを買い与えることができれば、それはそれで結構なこと
だが、それがいつか途絶えたとき、子どもはその時点で自分の欲求不満を爆発させる。そ
してそれまでにつくりあげた絆(本当は絆でも何でもない)を、一挙に崩壊させる。「バイ
クぐらい、買ってよこせ!」「どうして私だけ、夏休みにオーストラリアへ行ってはダメな
の!」と。

 イギリスには、『子どもには釣竿を買ってあげるより、子どもと一緒に、魚釣りに行け』
という格言がある。子どもの心をつかみたかったら、モノを買い与えるのではなく、よい
思い出を一緒につくれという意味だが、少なくとも、子どもの心は、モノやお金では釣れ
ない。それはさておき、その六〇歳の女性がしたことは、まさに、子どもを子どもあつか
いすることにより、子どもを釣ることだった。

 しかし問題はこのことではなく、なぜ日本人はこうした子育て観をもっているかという
こと。また周囲の人たちも、「ほほえましい光景」と、なぜそれを容認してしまうかという
こと。ここの日本型子育ての大きな問題が隠されている。

 それが、私がここでいう、「長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのものがもつ習
性(?)とからんでいる」ということになる。つまりこの日本では、江戸時代の昔から、
あるいはそれ以前から、『女、子ども』という言い方をして、女性と子どもを、人間社会か
ら切り離してきた。私が子どものときですら、そうだった。

NHKの大河ドラマの『利家とまつ』あたりを見ていると、江戸時代でも結構女性の地
位は高かったのだと思う人がいるかもしれないが、江戸時代には、女性が男性の仕事に
口を出すなどということは、ありえなかった。とくに武家社会ではそうで、生活空間そ
のものが分離されていた。日本はそういう時代を、何100年間も経験し、さらに不幸
なことに、そういう時代を清算することもなく、現代にまで引きずっている。まさに『利
家とまつ』がそのひとつ。いまだに封建時代の圧制暴君たちが英雄視されている!

 が、戦後、女性の地位は急速に回復した。それはそれだが、しかし取り残されたものが
ひとつある。それが『女、子ども』というときの、「子ども」である。

●日本独特の子ども観

 日本人の多くは、子どもを大切にするということは、子どもによい思いをさせることだ
と誤解している。もう10年近くも前のことだが、一人の父親が私のところへやってきて、
こう言った。「私は忙しい。あなたの本など、読むヒマなどない。どうすればうちの子をい
い子にすることができるのか。一口で言ってくれ。そのとおりにするから」と。
 私はしばらく考えてこう言った。「使うことです。子どもは使えば使うほど、いい子にな
ります」と。

 それから10年近くになるが、私のこの考え方は変わっていない。子どもというのは、
皮肉なことに使えば使うほど、その「いい子」になる。生活力が身につく。忍耐力も生ま
れる。が、なぜか、日本の親たちは、子どもを使うことにためらう。はからずもある母親
はこう言った。「子どもを使うといっても、どこかかわいそうで、できません」と。子ども
を使うことが、かわいそうというのだが、どこからそういう発想が生まれるかといえば、
それは言うまでもなく、「子どもを人間として認めていない」ことによる。私の考え方は、
どこか矛盾しているかのように見えるかもしれないが、その前に、こんなことを話してお
きたい。

●友として、子どもの横を歩く

 昔、オーストラリアの友人がこう言った。親には3つの役目がある、と。ひとつはガイ
ドとして、子どもの前を歩く。もうひとつは、保護者として、子どものうしろを歩く。そ
して3つ目は、友として、子どもの横を歩く、と。

 日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意。しかし友として、子どもの横を歩くの
が苦手。苦手というより、そういう発想そのものがない。もともと日本人は、上下意識の
強い国民で、たった1年でも先輩は先輩、後輩は後輩と、きびしい序列をつける。男が上、
女が下、夫が上、妻が下。そして親が上で、子が下と。親が子どもと友になる、つまり対
等になるという発想そのものがない。ないばかりか、その上下意識の中で、独特の親子関
係をつくりあげた。私がしばしば取りあげる、「親意識」も、そこから生まれた。

 ただ誤解がないようにしてほしいのは、親意識がすべて悪いわけではない。この親意識
には、善玉と悪玉がある。善玉というのは、いわゆる親としての責任感、義務感をいう。
これは子どもをもうけた以上、当然のことだ。しかし子どもに向かって、「私は親だ」と親
風を吹かすのはよくない。その親風を吹かすのが、悪玉親意識ということになる。「親に向
かって何だ!」と怒鳴り散らす親というのは、その悪玉親意識の強い人ということになる。
先日もある雑誌に、「父親というのは威厳こそ大切。家の中心にデーンと座っていてこそ父
親」と書いていた教育家がいた。そういう発想をする人にしてみれば、「友だち親子」など、
とんでもない考え方ということになるに違いない。

 が、やはり親子といえども、つきつめれば、人間関係で決まる。「親だから」「子どもだ
から」という「ダカラ論」、「親は〜〜のはず」「子どもは〜〜のはず」という「ハズ論」、
あるいは「親は〜〜すべき」「子は〜〜すべき」という、「ベキ論」で、その親子関係を固
定化してはいけない。固定化すればするほど、本質を見誤るだけではなく、たいていのば
あい、その人間関係をも破壊する。あるいは一方的に、下の立場にいるものを、苦しめる
ことになる。

●子どもを大切にすること

 話を戻すが、「子どもを人間として認める」ということと、「子どもを使う」ということ
は、一見矛盾しているように見える。また「子どもを一人の人間として大切にする」とい
うことと、「子どもを使う」ということも、一見矛盾しているように見える。とくにこの日
本では、子どもをかわいがるということは、子どもによい思いをさせ、子どもに楽をさせ
ることだと思っている人が多い。そうであるなら、なおさら、矛盾しているように見える。
しかし「子育ての目標は、よき家庭人として、子どもを自立させること」という視点に立
つなら、この考えはひっくりかえる。こういうことだ。

 いつかあなたの子どもがあなたから離れて、あなたから巣立つときがくる。そのときあ
なたは、子どもに向かってこう叫ぶ。

 「お前の人生はお前のもの。この広い世界を、思いっきり羽ばたいてみなさい。たった
一度しかない人生だから、思う存分生きてみなさい」と。

つまりそういう形で、子どもの人生を子どもに、一度は手渡してこそ、親は親の務めを
果たしたことになる。安易な孝行論や、家意識で子どもをしばってはいけない。もちろ
んそのあと、子どもが自分で考え、親のめんどうをみるとか、家の心配をするというの
であれば、それは子どもの問題。子どもの勝手。しかし親は、それを子どもに求めては
いけない。期待したり、強要してはいけない。あくまでも子どもの人生は、子どものも
の。

 この考え方がまちがっているというのなら、今度はあなた自身のこととして考えてみれ
ばよい。もしあなたの子どもが、あなたのためや、あなたの家のために犠牲になっている
姿を見たら、あなたは親として、それに耐えられるだろうか。もしそれが平気だとするな
ら、あなたはよほど鈍感な親か、あるいはあなた自身、自立できない依存心の強い親とい
うことになる。同じように、あなたが親や家のために犠牲になる姿など、美徳でも何でも
ない。仮にそれが美徳に見えるとしたら、あなたがそう思い込んでいるだけ。あるいは日
本という、極東の島国の中で、そう思い込まされているだけ。

 子どもを大切にするということは、子どもを一人の人間として自立させること。自立さ
せるということは、子どもを一人の人間として認めること。そしてそういう視点に立つな
ら、子どもに社会性を身につけさえ、ひとりで生きていく力を身につけさせるということ
だということがわかってくる。「子どもを使う」というのは、そういう発想にもとづく。子
どもを奴隷のように使えということでは、決して、ない。

●冒頭の話

 さて冒頭の話。実の娘に向かって、ストーカー行為を繰り返す母親は、まさに自立でき
ない親ということになる。いや、私はこの話を最初に聞いたときには、その母親の精神状
態を疑った。ノイローゼ? うつ病? 被害妄想? アルツハイマー型痴呆症? 何であ
れ、ふつうではない。嫉妬に狂った女性が、ときどき似たような行為を繰り返すという話
は聞いたことがある。そういう意味では、「娘を取られた」「夢をつぶされた」という点で
は、母親の心の奥で、嫉妬がからんでいるかもしれない。が、問題は、母親というより、
娘のほうだ。

 純粋にストーカー行為であれば、今ではそれは犯罪行為として類型化されている。しか
しそれはあくまでも、男女間でのこと。このケースでは、実の母親と、実の娘の関係であ
る。それだけに実の娘が感ずる重圧感は相当なものだ。遠く離れて住んだところで、解決
する問題ではない。また実の母親であるだけに、切って捨てるにしても、それ相当の覚悟
が必要である。あるいは娘であるがため、そういう発想そのものが、浮かんでこない。そ
の娘にしてみれば、母親からの電話におびえ、ただ一方的に母親にわびるしかない。

実際、親に、「産んでやったではないか」「育ててやったではないか」と言われると、子
どもには返す言葉がない。実のところ、私も子どものころ母親に、よくそう言われた。
しかしそれを言われた子どもはどうするだろうか。反論できるだろうか。……もちろん
反論できない。そういう子どもが反論できない言葉を、親が言うようでは、おしまい。
あるいは言ってはならない。仮にそう思ったとしても、この言葉だけは、最後の最後ま
で言ってはならない。言ったと同時に、それは親としての敗北を認めたことになる。

が、その娘の母親は、それ以上の言葉を、その娘に浴びせかけて、娘を苦しめている。
もっと言えば、その母親は「親である」というワクに甘え、したい放題のことをしてい
る。一方その娘は、そのワクの中に閉じ込められて、苦しんでいる。

 私もこれほどまでにひどい事件は、聞いたことがない。ないが、親子の関係もゆがむと、
ここまでゆがむ。それだけにこの事件には考えさせられた。と、同時に、輪郭(りんかく)
がはっきりしていて、考えやすかった。だから考えた。考えて、この文をまとめた。
(02−9−14)※

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(2)【育児の一貫性】

子育ての一貫性

 以前、「信頼性」についての原稿を書いた。この中で、親子の信頼関係を築くためには、
一貫性が大切と書いた。その「一貫性」について、さらにここでもう一歩、踏みこんで考
えてみたい。

 その前に、念のため、そのとき書いた原稿を、再度掲載する。

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信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外で
はない。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本
である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、
反対にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような
調子で、同じようなパターンで、答えてあげること。こうしたあなたの一貫性を見ながら、
子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことができる。こうした安定的な人間関係が、
ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基
本的信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの3つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。
これを第1世界という。園や学校での世界。これを第2世界という。そしてそれ以外の、
友だちとの世界。これを第3世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第2世界、つづいて第3世界へと、応用して
いく。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第2世界、第3世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の
基本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親
側の情緒不安や、親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなば
あい、子どもは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、
人間関係になる。これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分
野で現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ね
たみ症状などは、こうした基本的不信関係から生まれる。第2世界、第3世界においても、
良好な人間関係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れ
る。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安
心して」というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分
をさらけ出せる環境」をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役
目ということになる。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよ
い。

● 「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
● 子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じよう
に接する。
● きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くな
るというのは、避ける。

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 よくても悪くても、親は、子どもに対して、一貫性をもつ。子どもの適応力には、もの
すごいものがある。そういう一貫性があれば、子どもは、その親に、よくても、悪くても、
適応していく。

 ときどき、封建主義的であったにもかかわらず、「私の父は、すばらしい人でした」と言
う人がいる。A氏(60歳男性)が、そうだ。「父には、徳川家康のような威厳がありまし
た」と。

 こういうケースでは、えてして古い世代のものの考え方を肯定するために、その人はそ
う言う。しかしその人が、「私の父は、すばらしい人でした」と言うのは、その父親が封建
主義的であったことではなく、封建主義的な生き方であるにせよ、そこに一貫性があった
からにほかならない。

 子育てでまずいのは、その一貫性がないこと。言いかえると、子どもを育てるというこ
とは、いかにしてその一貫性を貫くかということになる。さらに言いかえると、親がフラ
フラしていて、どうして子どもが育つかということになる。


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(3)【子育て自由論】

●親子でつくる三角関係

 本来、父親と母親は一体化し、「親」世界を形成する。

 その親世界に対して、子どもは、一対一の関係を形成する。

 しかしその親子関係が、三角関係化するときがある。父親と、母親の関係、つまり夫婦
関係が崩壊し、父親と子ども、母親と子どもの関係が、別々の関係として、機能し始める。
これを親子の三角関係化(ボーエン)という。

 わかりやすく説明しよう。

 たとえば母親が、自分の子どもを、自分の味方として、取り込もうとしたとする。

「あなたのお父さんは、だらしない人よ」
「私は、あんなお父さんと結婚するつもりはなかったけれど、お父さんが強引だったのよ」
「お父さんの給料が、もう少しいいといいのにね。お母さんたちが、苦労するのは、あの
お父さんのせいなのよ」
「お父さんは、会社では、ただの書類整理係よ。あなたは、あんなふうにならないでね」
と。

 こういう状況になると、子どもは、母親の意見に従わざるをえなくなる。この時期、子
どもは、母親なしでは、生きてはいかれない。

 つまりこの段階で、子どもは、母親と自分の関係と、父親と自分の関係を、それぞれ独
立したものと考えるようになる。これがここでいう「三角関係化」(ボーエン)という。

 こうした三角関係化が進むと、子どもにとっては、家族そのものが、自立するための弊
害になってしまう。つまり、子どもの「個人化」が遅れる。ばあいによっては、自立その
ものが、できなくなってしまう。

●個人化

 子どもの成育には、家族はなくてならないものだが、しかしある時期がくると、子ども
は、その家族から独立して、その家族から抜け出ようとする。これを「個人化」(ボーエン)
という。

 が、家族そのものが、この個人化をはばむことがある。

 ある男性(50歳、当時)は、こんなことで苦しんでいた。

 その男性は、実母の葬儀に、出なかった。その数年前のことである。それについて、親
戚の伯父、伯母のみならず、近所の人たちまでが、「親不孝者!」「恩知らず!」と、その
男性を、ののしった。

 しかしその男性には、だれにも話せない事情があった。その男性は、こう言った。「私は、
父の子どもではないのです。祖父と母の間にできた子どもです。父や私をだましつづけた
母を、私は許すことができませんでした」と。

 つまりその男性は、家族というワクの中で、それを足かせとして、悶々と苦しみ、悩ん
でいたことになる。

 もちろんこれは50歳という(おとな)の話であり、そのまま子どもの世界に当てはめ
ることはできない。ここでいう個人化とは、少しニュアンスがちがうかもしれない。しか
しどんな問題であるにせよ、それが子どもの足かせとなったとき、子どもは、その問題で、
苦しんだり、悩んだりするようになる。

 そのとき、子どもの自立が、はばまれる。

●個人化をはばむもの 

 日本人は、元来、子どもを、(モノ)もしくは、(財産)と考える傾向が強い。そのため、
無意識にうちにも、子どもが自立し、独立していくことを、親が、はばもうとすることが
ある。独立心の旺盛な子どもを、「鬼の子」と考える地方もある。

 たとえば、親のそばを離れ、独立して生活することを、この日本では、「親を捨てる」と
いう。そういう意味でも、日本は、まさに依存型社会ということになる。

 親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子。かわいい子イコール、よい子とし
た。

 そしてそれに呼応する形で、親は、子どもに甘え、依存する。

 ある母親は、私にこう言った。「息子は、横浜の嫁に取られてしまいました。親なんて、
さみしいもんですわ」と。

 その母親は、自分の息子が結婚して、横浜に住むようになったことを、「嫁に取られた」
と言う。そういう発想そのものが、ここでいう依存性によるものと考えてよい。もちろん
その母親は、それに気づいていない。

 が、こうした依存性を、子どもの側が感じたとき、子どもは、それを罪悪感として、と
らえる。自分で自分を責めてしまう。実は、これが個性化をはばむ最大の原因となる。

 「私は、親を捨てた。だから私はできそこないの人間だ」と。

●子どもの世界でも……

 家族は、子どもの成育にとっては、きわめて重要なものである。それについて、疑いを
もつ人はいない。

 しかしその家族が、今度は、子どもの成育に、足かせとなることもある。親の過干渉、
過保護、過関心、それに溺愛など。

 これらの問題については、たびたび書いてきたので、ここでは、もう少しその先を考え
てみたい。

 問題は、子ども自身が、自立することそのものに、罪悪感を覚えてしまうケースである。
たとえばこんな例で考えてみよう。

 ある子どもは、幼児期から、「勉強しなさい」「もっと勉強しなさい」と追い立てられた。
英語教室や算数教室にも通った。(実際には、通わされた。)そしていつしか、勉強ができ
る子どもイコール、優秀な子ども。勉強ができない子どもイコール、できそこないという
価値観を身につけてしまった。

 それは親の価値観でもあった。こうした価値観は、親がとくに意識しなくても、そっく
りそのまま子どもに植えつけられる。

 で、こういうケースでは、その子どもにそれなりに能力があれば、それほど大きな問題
にはならない。しかしその子どもには、その能力がなかった。小学3、4年を境に、学力
がどんどんと落ちていった。

 親はますますその子どもに勉強を強いた。それはまさに、虐待に近い、しごきだった。
塾はもちろんのこと、家庭教師をつけ、土日は、父親が特訓(?)をした。

 いつしかその子どもは、自信をなくし、自らに(ダメ人間)のレッテルを張るようにな
ってしまった。

●現実検証能力 

 自分の周囲を、客観的に判断し、行動する能力のことを、現実検証能力という。この能
力に欠けると、子どもでも、常識はずれなことを、平気でするようになる。

 薬のトローチを、お菓子がわりに食べてしまった子ども(小学生)
 電気のコンセントに粘土をつめてしまった子ども(年長児)
 バケツで色水をつくり、それを友だちにベランダの上からかけていた子ども(年長児)
 友だちの誕生日プレゼントに、酒かすを箱に入れて送った子ども(小学生)
 先生の飲むコップに、殺虫剤をまぜた子ども(中学生)などがいた。

 おとなでも、こんなおとながいた。

 贈答用にしまっておいた、洋酒のビンをあけてのんでしまった男性
 旅先で、帰りの旅費まで、つかいこんでしまった男性
 ゴミを捨てにいって、途中で近所の家の間に捨ててきてしまった男性
 毎日、マヨネーズの入ったサラダばかりを隠れて食べていた女性
 自宅のカーテンに、マッチで火をつけていた男性などなど。

 そうでない人には、信じられないようなことかもしれないが、生活の中で、現実感をな
くすと、おとなでも、こうした常識ハズレな行為を平気で繰りかえすようになる。わかり
やすく言うと、自分でしてよいことと悪いことの判断がつかなくなってしまう。

 一般的には、親子の三角関係化が進むと、この現実検証能力が弱くなると言われている
(ボーエン)。

●三角関係化を避けるために

 よきにつけ、あしきにつけ、父親と母親は、子どもの前では、一貫性をもつようにする
こと。足並みの乱れは、家庭教育に混乱を生じさせるのみならず、ここでいう三角関係化
をおし進める。

 もちろん、父親には父親の役目、母親には母親の役目がある。それはそれとして、たが
いに高度な次元で、尊敬し、認めあう。その上で、子どもの前では、一貫性を保つように
する。この一貫性が、子どもの心を、はぐくむ。

++++++++++++++

以前、こんな原稿を書いた。
中日新聞に発表済みの原稿である。

++++++++++++++

●夫婦は一枚岩

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができる
のか。その中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。

ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。「お父さんの給料が少ないでしょう。
だからお母さんは、苦労しているのよ」と。

あるいは「お父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうなら
ないでね」と。母親としては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、
母親から離れる。離れるだけならまだしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもら
う。賢い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そし
て船頭役は母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。

たとえば何か重要な決断を迫られたようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょ
うね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と言うなど。仮に意見の対立があっ
ても、子どもの前ではしない。

父、子どもに向かって、「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」
母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。

こういう会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう
援護する。「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意
見があるなら、子どものいないところで調整する。

子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」
と、まず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、
子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教
育の大原則。

 ある著名な教授がいる。数10万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中
で、こう書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会
だ」と。

しかし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子
どもに見せてはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものば
かり。

その教授はほかに、「子どもとの絆を深めるために、遊園地などでは、わざと迷子にして
みるとよい」とか、「家庭のありがたさをわからせるために、二、三日、子どもを家から
追い出してみるとよい」とか書いている。とんでもない暴論である。わざと迷子にすれ
ば、それで親子の信頼関係は消える。それにもしあなたの子どもが半日、行方不明にな
ったら、あなたはどうするだろうか。あなたは捜索願いだって出すかもしれない。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつ
くる。そういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話
しあう様であり、いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。

古いことを言うようだが、そういう「様(さま)」が、子どもの中に染み込んでいてはじ
めて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築き、よい家庭をもつことができる。

欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。
その第一歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。

++++++++++++++++++

● あなたの子どもは、だいじょうぶ?

あなたの子どもの現実検証能力は、だいじょうぶだろうか。少し、自己診断してみよう。
つぎのような項目に、いくつか当てはまれば、子どもの問題としてではなく、あなたの
問題として、家庭教育のあり方を、かなり謙虚に反省してみるとよい。

( )何度注意しても、そのつど、常識ハズレなことをして、親を困らせる。
( )小遣いでも、その場で、あればあるだけ、使ってしまう。
( )あと先のことを考えないで、行動してしまうようなところがある。
( )いちいち親が指示しないと行動できないようなところがある。指示には従順に従う。
( )何をしでかすか不安なときがあり、子どもから目を離すことができない。

 参考までに、私の持論である、「子育て自由論」を、ここに添付しておく。

++++++++++++++++++

●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。

釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、も
ともと「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行
動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは
言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込ん
でくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を
変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。

ある母親は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつにな
ったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるい
は自分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、
精神面での過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のも
とだけで子育てをするなど。

子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子ど
もになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がな
い。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同
士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り
飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、
子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。
(040607)
(はやし浩司 現実検証能力 ボーエン 個人化 三角関係 三角関係化)

+++++++++++++++++

【終わりに……】

 子どもは子どもらしく……とは、よく言う。しかし「子どもらしい」ということと、「幼
児性の持続」は、まったく別の問題である。

 また子どもだからといって、無責任で、無秩序であってよいということではない。どう
か、この点を誤解のないように、してほしい。


Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司


静岡県教職員組合磐周支部女性部主催

「共につくろう しあわせな 未来」


分科会テーマ

『子どもの人格論』(2)
子どもの世界、子どもの心






はやし浩司


【思春期の子どもの心】□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの心がつかめない(?)

+++++++++++++++++

心がつかめない娘(小6)について、
そのお母さんから、こんな相談があり
ました。

この問題について、考えてみたいと
思います。

+++++++++++++++++

どこからお話ししていいのか分りません。沢山の問題があるように思うのですが・・・。
どうか、少しでも、問題点が整理できればと、こちらのHPに投稿させて頂きました。

事の始まりは、先日娘の担任の先生から電話があったことです。

「実は、P子さん(=私の娘、小6)が、最近、A子さんにひどい言い方をしているようだ。下校
中、上下関係があるように見える」と言われました。それがたいへん、気になりました。

さらに、「実は去年の冬ごろ、ちょっとした事件がありまして」と、聞かされました。

先生の話の内容は、こういうことでした。娘のP子が、B子さんに本を貸したのですが、なかな
か返してくれないので、「返して」と言ったところ、B子さんは、「私は借りていない」と言ったとの
こと。

「確かにB子さんに貸したはず」と娘は言いましたが、しかし別の子から、「あっ、私、借りてる
よ」と、本を渡されました。娘はB子さんに謝り、この件は終了しました。

ところが、その後、B子さんが、「私のペンがない!」と騒ぎ出しました。周りの友人も手伝っ
て、探したところ、それが娘のP子の筆箱の中に、あったというのです。「あっ、そのペン私のじ
ゃない?」と、B子さんが言ったといいます。それを見ていた先生も中に入り、娘に聞くと、「違
う、これはお母さんに買ってもらったもの」と答えたというのです。

先生は「じゃあ、お母さんに聞いてもいいですか?」と、娘のP子に訪ねると、「ダメ」と答えたと
いうのです。

それはおかしいなーと、いうことで、周りからも疑われた。・・・・と、いう事がありました。先生
は、「もう、このことは済んだことなので、いいのですが・・・・。しかしP子さんが、A子さんにひど
く当ることなどを、とても心配しています。おうちでも話しあってみてください」と言いました。

 初耳でした。でも、結果として娘はみんなの前で泥棒にされてしまったのでしょうか。
とにかく、真実を知りたいと、私は、娘に聞いてみました。

まず、A子さんのことですが、娘のP子は、「思い当たることはない、何の事を言っているのか
わからない」と言いました。無意識でも、つまりこちらがその気でなくても、相手が傷ついている
としたら、とっても悲しい事だから、これから気をつけてねなどと、話しました。次にペンの事を
聞いたのですが、その話になるろ、娘は泣きだしてしまいました。

 ・・・・実はこのずっと以前から気になっていたのですが、子どもたちは文房の交換をしている
ようです。「このペンどうしたの? この前買ったペンはどこ行ったの?」と私がP子に聞くと、屈
託なく、「うん、友達が交換してっていうからいいよって」とか言います。

私「え? 何で?」
娘「どうしても欲しいって言うし、交換ならいいかなって。それに断る理由がないから」とのこと。

これもショックでしたが、きちんと「物をもっと大切にして欲しい。簡単に交換しないでほし
い。。。」などなど沢山話しこれからはしないでねと、そのときは、そういう話で終わりました。

 で、本題ですが、「ペンのことだけど、こんなことがあったんだって? そのペンはどうしたもの
なの?」と聞くと、娘はなかなか答えようとしませんでした。そこで(1)持ってきてしまった、(2)
拾った、(3)自分で買った、(4)その他の中のどれ?、と聞くと、やっとの事で、「交換したもの」
と言いました。

「じゃあ何であの時、そういわなかったの?」と聞くと、泣くばかりです。泣いて泣いて、やっと聞
けたのが、「交換しようって言われてしたのに、Bちゃんがどうしてそんな事を言い出したのか
分らなくって」と。

私「あなたは泥棒だと、他の人はそう思うよ、それでもいいの?」
娘「盗んだと思われてもいい。それでも自分の思いは言えない」と。

 最近、大きくなってきて、少し手が離れてきたと思って手を抜いてしまったと、我にかえりまし
た。低学年のころは、毎日のように主人と夜、子どもたちのことについて話し合っていたのも、
最近ではしていない事にも気付かされました。

で、昔からの悩みの種は、娘(相談の娘小6・この下に小3の妹がいます)の、対人関係につい
ての問題です。

私が働いていたため、娘が1歳半のときから保育園へ預けました。教育熱心で有名な保育園
でしたが、右を向きなさいと指示されても、右を向かないような娘でした。そんなわけで、先生
も、娘にかなり手を焼いていたようでした。何度も主人と呼び出されては、「お宅の子は人を見
る」とこんこんと言われました。

人見知りが極端にはげしく、突然話し掛けられたりすると、かたまって口を閉ざしたり、下を見
る、隠れるなどの行為をしました。ですから、極力休日は、家族で一緒にのんびりゆったり、栄
養を蓄えるつもりで、常に皆で横に手をつなぎ、時には後ろに回り背中をなでながら過ごしてい
ました。

小学校の入学時には、「大丈夫、なにも心配要らないよ」と、ぽんっと送り出したりしましたが、
当時は、本当に元気よく通っていました。が、大人に理解されにくい性格は中々変わることもな
く、「こう思ってるんだよ!」などと、口にした事は無いようです。

が、その一方で、娘は、地道に努力するタイプで、昨年、放送委員になったのですが、家で練
習し、運動会やおひつの放送も、物怖じせず、こなしていきました。

一時期、これは、何かの障害なのではないかと、悩みました。が、素人判断も出来ず、なんと
かやっていけていましたので・・・・。

現在も、三者面談などでは体をこわばらせ、手に冷や汗をかいています。落ち着きがなくなり、
なんとか作り笑いをしてみせたりするのですが、それも先生にはふざけているように見えるの
か、あまりよい印象は与えていないようです。

 そのような関係の先生ですが、今回の話し合った結果を、その先生に連絡しました。

私としては、なんとか、先生にだけでも誤解を解きたい。このままでは娘のP子がかわいそうと
の思いで話しました。

先生は「分りました。ペンの事は申すんでしまった事なので、(確かに時がたちすぎている)、今
さら蒸し返すのも何ですのでやめます」と言ってくれました。またペンのことについては、「やは
りあのペンはB子さんのものだったわけだ。でも、B子さんは、交換した気は全く無いですよ」と
のこと。私は「また相談にのって頂きたいので、よろしくお願いします」と言えただけです。

先生は、本当に娘のことを心配しているのか不安になりました。なぜ先生は、娘の側を少しで
も見ようとしてくれないのでしょうか。私は常に平等を心がけ、こちらが悪いのでは、と思いなが
ら話を聞くようにしているのですが。。。

長々とすみません。娘から話しを聞いて、娘には、「お母さんは、あなたを信じている。本当に
信じている。世界で一番の味方だから」「分った、お母さんが守ってあげる。心配しないで。で
も、努力しようね」と、言いました。

A子さんには本当に申し訳ない事をしたと思っています。とてもおとなしい子です。B子さんは、
大人うけする、ハツラツとしたとても気持ちのいい子です。クラスのリーダー的存在。親友の子
と喧嘩をした時だけ、娘に愚痴を言いにくるようです。

私は今、娘に何をしたらいいのか。先生に何を言ったらいいのか。主人とも話し合っています
が、行き詰まってしまっています。

本当に長くなって申し訳ありません。毎晩、この問題を考えていると、眠れません。アドバイスを
お願いします。
(大阪府、KR子、P子の母親より)

【はやし浩司より、P子さんのお母さんへ】

 メール、ありがとうございました。

 まず、最初に、一言。

 この種の問題は、たいへんありふれた問題です。はっきり言えば、何でもない問題です。

 まず、A子さんについてですが、A子さんは、P子さんに、いじめられていると訴えただけのこ
とです。ただP子さんには、その意識はなかった。つまり(いじめている)という意識がないまま、
結果として、いじめているという雰囲気になってしまった。それだけのことですが、これも(いじ
め)の問題では、よくあることです。

 B子さんとの本のトラブルについては、P子さんが、ウソを言っているだけのことです。何でも
ない、つまりは、子どもの世界では、よくあるウソです。一応たしなめながらも、おおげさに考え
る必要は、まったくありません。

 思春期の子どもは、自立を始めるとき、それまでになかったさまざまな変化を見せるようにな
ります。フロイトの説によれば、イド(心の根源部にある、欲望のかたまり)の活動が活発にな
り、ときとして、子どもは欲望のおもむくまま、行動するようになります。

 ウソ、盗みなどが、その代表的なものです。万引きもします。性への関心、興味も、当然、高
まってきます。しかしそういう形で、つまり親や社会に対して抵抗することで、子どもは、親から
自立しようとします。

 ですから、ここに書いたように、一応はたしなめながらも、それですませます。あなたのよう
に、子どもを追いつめてはいけません。これはP子さんの問題というよりは、完ぺき主義(?)
のあなたのほうに問題があるのではないかと思います。

それともあなたは、子どものころ、あなたの親に対して、ウソをついたことはないとでも言うので
しょうか? ものを盗んだことはないとでも言うのでしょうか? 親の目の届かないところで、男
の人と遊んだことはないとでも言うのでしょうか? もしそうなら、あなたは修道女? (失礼!)

 もしP子さんに問題があるとするなら、乳幼児期に、母子の間で、しっかりとした信頼関係が
結べなかったという点です。母子の間でできる信頼関係を、心理学の世界では、「基本的信頼
関係」といい、それが結べなかった状態を、「基本的不信関係」といいます。

 この信頼関係が基本となって、その後、先生との関係、友人関係、異性関係へと発展してい
きます。

 そのころの(不具合)が、今、P子さんの対人関係に、影響を与えているものと思われます。
が、しかしそれは遠い過去の話。今さら、どうしようもない問題です。

 ですから今は、「うちの子は、人間関係を結ぶのが苦手だ」「他人に心を開くのが苦手だ」「外
では無理をして、いい子ぶる」「自分の心の中を、さらけ出すことができない」と、割り切ることで
す。だれでも、ひとつやふたつ、そういう弱点があって、当たり前です。

 大切なことは、そういう子どもであることを、認めてあげることです。認めた上で、P子さんを
理解してあげることです。「なおそう」とか、そういうふうに、考えてはいけません。(どの道、今さ
ら、手遅れですから……。)

 あとはP子さん自身の問題です。もしP子さんが、もう少しおとなになり、人間関係の問題で悩
むようなことがあったら、ぜひ、私のHPを見るように勧めてあげてください。あるいはマガジン
の購読を勧めてあげてください。無料です。同じような問題は、そのつどテーマとして、マガジン
でもよく取りあげていますので、参考になると思います。

 で、今、あなたの目は、P子さんのほうに向きすぎています。そんな感じがします。しかも、P
子さんへの不信感ばかり……! 心配先行型の子育てが、いまだにつづいているといった感
じです。

 ですからあなたはあなたで、もう少し、外に向かって目を向けられたらどうでしょうか? 多
分、あなたはP子さんにとっては、うるさい、いやな母親と映っているはずです。たかがペンぐら
いの問題で、親からここまで追及されたら、私なら、机ごと、親に向かって投げつけるだろうと
思います。ホント! 今では、ペンといっても、いろいろありますが、100円ショップで、3〜5本
も買える時代です。

 いわんや子どもが泣きだすほどまで、子どもを追いつめてはいけません。またこの問題は、
そういう問題ではないのです。

 さらに学校の先生も、それほど、おおげさには考えていないはずです。先にも書きましたが、
こうした問題は、まさに日常茶飯事。ですから、先生がP子さんのことを悪く思っているとか、娘
が誤解されてかわいそうとか、先生が親側に立ってものを考えてくれないとか、そういうふうに
考えてはいけません。

 またP子さんに向かって、「信じている」とか何とか、そんなおおげさな言葉を使ってはいけま
せん。また使うような場面ではありません。繰りかえしますが、たかがペン1本の問題です。わ
かりやすく言えば、P子さんが、B子さんのペンを盗んで、自分の筆箱に入れた。それだけのこ
とです。

 多少の虚言癖はあるようですが、それもこの時期の子どもには、よくあることです。(もちろん
病的な虚言癖、作話、妄想的虚言などは、区別して考えますが……。)

 あなたにも、それがわかっているはず。わかっていながら、P子さんを追いつめ、P子さんの
口からそれを聞くまで、納得しない。つまりは、あなたは、完ぺき主義の母親ということになりま
す。

 P子さんは、いい子ですよ。放送委員の一件を見ただけでも、それがわかるはず。そういうP
子さんのよい面を、どうしてもっとすなおに、あなたは見ないのですか。あなたが今すべきこと
は、そういうP子さんのよい面だけを見て、あなたはあなたで、前を見ながら、前に進む。今
は、それでよいと思います。つまりは、それが(信ずる)ということです。言葉の問題ではありま
せん。

 またこうした問題には、必ず、二番底、三番底があります。あなたはP子さんの今の状態を最
悪と思うかもしれませんが、しかし、対処のし方をまちがえると、P子さんは、その二番底、三番
底へと落ちていきますよ! これは警告です。

 反対の立場で考えてみてください。私なら、家を出ますよ。息が詰まりますから……。P子さん
が、家を出るようになったら、あなたは、どうしますか。外泊をするようになったら、どうします
か。

 ですから今は、「今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、様子をみる」です。

 だれしも、失敗をします。人をキズつけたり、あるいは反対に人にキズつけられながら、その
中で、ドラマを展開します。悩んだり、苦しんだり……。そのドラマにこそ、意味があるのです。
子どもについて言えば、そのドラマが、子どもをたくましくします。

 P子さんは、たしかにいやな思いをしたかもしれませんが、それはP子さんの問題。親のあな
たが、割って出るような問題ではないのです。親としてはつらいところですが、もうそろそろ、あ
なた自身も、子離れをし、P子さんには、親離れをするよう、し向けることこそ、大切です。

 とても、ひどいことを言うようですが、私はあなたの相談の中に、子離れできない、どこか未
熟な親の姿を感じてしまいました。あなたはそれでよいとしても、P子さんが、かわいそうです。

 で、たまたま昨夜、『RAY』というビデオを見ました。レイ・チャールズの生涯をつづったビデオ
です。あのビデオの中で、ところどころ、レイ・チャールズの母親が出てきますが、今のあなた
に求められる母親像というのは、ひょっとしたら、レイ・チャールズの母親のような母親像では
ないでしょうか。

 最後に、もう一言。

 こんな問題は、何でもありませんよ! 本当によくある問題です。ですから、「A子さんに申し
訳ない」とか、B子さんがどうとか、そんなふうに考えてはいけません。今ごろは、A子さんも、B
子さんも、学校の先生も、何とも思っていませんよ。

 あなた自身が、心のクサリをほどいて、自分のしたいことをしたらよいのです。心を開いて!
 体は、あとからついてきますよ!

 すばらしい季節です。おしいものでも食べて、あとは、忘れましょう! 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの虚言 子供の虚言 盗み)

+++++++++++++++

いくつか、今までに書いた
原稿を添付しておきます。

+++++++++++++++
 
【信頼関係】

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

● 「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
● 子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
● きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるという
のは、避ける。
(030422)
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 信頼
関係 親子関係 親子の信頼関係 基本的信頼関係 不信関係 一貫性)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

【感情の発達】

 乳児でも、不快、恐怖、不安を感ずる。これらを、基本感情というなら、年齢とともに発達す
る、怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの感情は、より人間的な感情ということになる。これらの感
情は、さらに、自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情へと発展していく。

 年齢的には、私は、以下のように区分している。

(基本感情)〇歳〜一歳前後……不快、恐怖、不安を中心とする、基本感情の形成期。

(人間的感情形成期)一歳前後〜二歳前後……怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの人間的な感
情の形成期。

(複雑感情形成期)二歳前後〜五歳前後……自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情など
の、複雑な感情の形成期。

 子どもは未熟で未経験だが、決して幼稚ではない。これには、こんな経験がある。

 年長児のUさん(女児)は静かな子どもだった。教室でもほとんど、発言しなかった。しかしそ
の日は違っていた。皆より先に、「はい、はい」と手をあげた。その日は、母親が仕事を休ん
で、授業を参観にきていた。

 私は少しおおげさに、Uさんをほめた。すると、である。Uさんが、スーッと涙をこぼしたのであ
る。私はてっきりうれし泣きだろうと思った。しかしそれにしても、大げさである。そこで授業が
終わってから、私はUさんに聞いた。「どうして泣いたの?」と。すると、Uさんは、こう言った。
「私がほめたれた。お母さんが喜んでいると思ったら、自然と涙が出てきちゃった」と。Uさん
は、母親の気持ちになって、涙を流していたのだ。

 この事件があってからというもの、私は、幼児に対する見方を変えた。

 で、ここで注意してほしいのは、人間としての一般的な感情は、満五歳前後には、完成すると
いうこと。子どもといっても、今のあなたと同じ感情をもっている。このことは反対の立場で考え
てみればわかる。

 あなたという「人」の感情を、どんどん掘りさげていってもてほしい。あなたがもつ感情は、い
つごろ形成されただろうか。高校生や中学生になってからだろうか。いや、違う。では、小学生
だろうか。いや、違う。あなたは「私」を意識するようになったときから、すでに今の感情をもって
いたことに気づく。つまりその年齢は、ここにあげた、満五歳前後ということになる。

 ところで私は、N放送(公営放送)の「お母さんとXXXX」という番組を、かいま見るたびに、す
ぐチャンネルをかえる。不愉快だから、だ。ああした番組では、子どもを、まるで子どもあつか
いしている。一人の人間として、見ていない。ただ一方的に、見るのもつらいような踊りをさせて
みたりしている。あるいは「子どもなら、こういうものに喜ぶはず」という、おとなの傲慢(ごうま
ん)さばかりが目立つ。ときどき「子どもをバカにするな」と思ってしまう。

 話はそれたが、子どもの感情は、満五歳をもって、おとなのそれと同じと考える。またそういう
前提で、子どもと接する。決して、幼稚あつかいしてはいけない。私はときどき年長児たちにこ
う言う。

「君たちは、幼稚、幼稚って言われるけど、バカにされていると思わないか?」と。すると子ども
たちは、こう言う。「うん、そう思う」と。幼児だって、「幼稚」という言葉を嫌っている。もうそろそ
ろ、「幼稚」という言葉を、廃語にする時期にきているのではないだろうか。「幼稚園」ではなく、
「幼児園」にするとか。もっと端的に、「基礎園」でもよい。あるいは英語式に、「プレスクール」で
もよい。しかし「幼稚園」は、……?


Hiroshi Hayashi++++++++++.April.06+++++++++++はやし浩司

【不安なあなたへ】

 埼玉県に住む、一人の母親(ASさん)から、「子育てが不安でならない」というメールをもらっ
た。「うちの子(小三男児)今、よくない友だちばかりと遊んでいる。何とか引き離したいと思い、
サッカークラブに入れたが、そのクラブにも、またその友だちが、いっしょについてきそうな雰囲
気。『入らないで』とも言えないし、何かにつけて、不安でなりません」と。

 子育てに、不安はつきもの。だから、不安になって当たり前。不安でない人など、まずいな
い。が、大切なことは、その不安から逃げないこと。不安は不安として、受け入れてしまう。不
安だったら、大いに不安だと思えばよい。わかりやすく言えば、不安は逃げるものではなく、乗
り越えるもの。あるいはそれとじょうずにつきあう。それを繰りかえしているうちに、心に免疫性
ができてくる。私が最近、経験したことを書く。

 横浜に住む、三男が、自動車で、浜松までやってくるという。自動車といっても、軽自動車。
私は「よしなさい」と言ったが、三男は、「だいじょうぶ」と。で、その日は朝から、心配でならなか
った。たまたま小雨が降っていたので、「スリップしなければいいが」とか、「事故を起こさなけ
ればいいが」と思った。

 そういうときというのは、何かにつけて、ものごとを悪いほうにばかり考える。で、ときどき仕事
先から自宅に電話をして、ワイフに、「帰ってきたか?」と聞く。そのつど、ワイフは、「まだよ」と
言う。もう、とっくの昔に着いていてよい時刻である。そう考えたとたん、ザワザワとした胸騒
ぎ。「車なら、三時間で着く。軽だから、やや遅いとしても、四時間か五時間。途中で食事をして
も、六時間……」と。

 三男は携帯電話をもっているので、その携帯電話に電話しようかとも考えたが、しかし高速
道路を走っている息子に、電話するわけにもいかない。何とも言えない不安。時間だけが、ジ
リジリと過ぎる。

 で、夕方、もうほとんど真っ暗になったころ、ワイフから電話があった。「E(三男)が、今、着い
たよ」と。朝方、出発して、何と、一〇時間もかかった! そこで聞くと、「昼ごろ浜松に着いた
けど、友だちの家に寄ってきた」と。三男は昔から、そういう子どもである。そこで「あぶなくなか
ったか?」と聞くと、「先月は、友だちの車で、北海道を一周してきたから」と。北海度! 一
周! ギョッ!

 ……というようなことがあってから、私は、もう三男のドライブには、心配しなくなった。「勝手
にしろ」という気持ちになった。で、今では、ほとんど毎月のように、三男は、横浜と浜松の間
を、行ったり来たりしている。三男にしてみれば、横浜と浜松の間を往復するのは、私たちがそ
こらのスーパーに買い物に行くようなものなのだろう。今では、「何時に出る」とか、「何時に着
く」とか、いちいち聞くこともなくなった。もちろん、そのことで、不安になることもない。

 不安になることが悪いのではない。だれしも未知で未経験の世界に入れば、不安になる。こ
の埼玉県の母親のケースで考えてみよう。

 その母親は、こう訴えている。

● 親から見て、よくない友だちと遊んでいる。
● 何とか、その友だちから、自分の子どもを離したい。
● しかしその友だちとは、仲がよい。
● そこで別の世界、つまりサッカークラブに自分の子どもを入れることにした。
● が、その友だちも、サッカークラブに入りそうな雰囲気になってきた。
● そうなれば、サッカークラブに入っても、意味がなくなる。

小学三年といえば、そろそろ親離れする時期でもある。この時期、「○○君と遊んではダメ」と
言うことは、子どもに向かって、「親を取るか、友だちを取るか」の、択一を迫るようなもの。子
どもが親を取ればよし。そうでなければ、親子の間に、大きなキレツを入れることになる。そん
なわけで、親が、子どもの友人関係に干渉したり、割って入るようなことは、慎重にしたらよい。

 その上での話しだが、この相談のケースで気になるのは、親の不安が、そのまま過関心、過
干渉になっているということ。ふつう親は、子どもの学習面で、過関心、過干渉になりやすい。
子どもが病弱であったりすると、健康面で過関心、過干渉になることもある。で、この母親のば
あいは、それが友人関係に向いた。

 こういうケースでは、まず親が、子どもに、何を望んでいるかを明確にする。子どもにどうあっ
てほしいのか、どうしてほしいのかを明確にする。その母親は、こうも書いている。「いつも私の
子どもは、子分的で、命令ばかりされているようだ。このままでは、うちの子は、ダメになってし
まうのでは……」と。

 親としては、リーダー格であってほしいということか。が、ここで誤解してはいけないことは、
今、子分的であるのは、あくまでも結果でしかないということ。子どもが、服従的になるのは、そ
もそも服従的になるように、育てられていることが原因と考えてよい。決してその友だちによっ
て、服従的になったのではない。それに服従的であるというのは、親から見れば、もの足りない
ことかもしれないが、当の本人にとっては、たいへん居心地のよい世界なのである。つまり子ど
も自身は、それを楽しんでいる。

 そういう状態のとき、その友だちから引き離そうとして、「あの子とは遊んではダメ」式の指示
を与えても意味はない。ないばかりか、強引に引き離そうとすると、子どもは、親の姿勢に反発
するようになる。(また反発するほうが、好ましい。)

 ……と、ずいぶんと回り道をしたが、さて本題。子育てで親が不安になるのは、しかたないと
しても、その不安感を、子どもにぶつけてはいけない。これは子育ての大鉄則。親にも、できる
ことと、できないことがある。またしてよいことと、していけないことがある。そのあたりを、じょう
ずに区別できる親が賢い親ということになるし、それができない親は、そうでないということにな
る。では、どう考えたらよいのか。いくつか、思いついたままを書いてみる。

●ふつうこそ、最善

 朝起きると、そこに子どもがいる。いつもの朝だ。夫は夫で勝手なことをしている。私は私で
勝手なことをしている。そして子どもは子どもで勝手なことをしている。そういう何でもない、ごく
ふつうの家庭に、実は、真の喜びが隠されている。

 賢明な人は、そのふつうの価値を、なくす前に気づく。そうでない人は、なくしてから気づく。健
康しかり、若い時代しかり。そして子どものよさ、またしかり。

 自分の子どもが「ふつうの子」であったら、そのふつうであることを、喜ぶ。感謝する。だれに
感謝するというものではないが、とにかく感謝する。

●ものには二面性

 どんなものにも、二面性がある。見方によって、よくも見え、また悪くも見える。とくに「人間」は
そうで、相手がよく見えたり、悪く見えたりするのは、要するに、それはこちら側の問題というこ
とになる。こちら側の心のもち方、一つで決まる。イギリスの格言にも、『相手はあなたが相手
を思うように、あなたを思う』というのがある。心理学でも、これを「好意の返報性」という。

 基本的には、この世界には、悪い人はいない。いわんや、子どもを、や。一見、悪く見えるの
は、子どもが悪いのではなく、むしろそう見える、こちら側に問題があるということ。価値観の限
定(自分のもっている価値観が最善と決めてかかる)、価値観の押しつけ(他人もそうでなけれ
ばならないと思う)など。

 ある母親は、長い間、息子(二一歳)の引きこもりに悩んでいた。もっとも、その引きこもり
が、三年近くもつづいたので、そのうち、その母親は、自分の子どもが引きこもっていることす
ら、忘れてしまった。だから「悩んだ」というのは、正しくないかもしれない。

 しかしその息子は、二五歳くらいになったときから、少しずつ、外の世界へ出るようになった。
が、実はそのとき、その息子を、外の世界へ誘ってくれたのは、小学時代の「ワルガキ仲間」
だったという。週に二、三度、その息子の部屋へやってきては、いろいろな遊びを教えたらし
い。いっしょにドライブにも行った。その母親はこう言う。「子どものころは、あんな子と遊んでほ
しくないと思いましたが、そう思っていた私がまちがっていました」と。

 一つの方向から見ると問題のある子どもでも、別の方向から見ると、まったく別の子どもに見
えることは、よくある。自分の子どもにせよ、相手の子どもにせよ、何か問題が起き、その問題
が袋小路に入ったら、そういうときは、思い切って、視点を変えてみる。とたん、問題が解決す
るのみならず、その子どもがすばらしい子どもに見えてくる。

●自然体で

 とくに子どもの世界では、今、子どもがそうであることには、それなりの理由があるとみてよ
い。またそれだけの必然性があるということ。どんなに、おかしく見えるようなことでも、だ。たと
えば指しゃぶりにしても、一見、ムダに見える行為かもしれないが、子ども自身は、指しゃぶり
をしながら、自分の情緒を安定させている。

 そういう意味では、子どもの行動には、ムダがない。ちょうど自然界に、ムダなものがないの
と同じようにである。そのためおとなの考えだけで、ムダと判断し、それを命令したり、禁止した
りしてはいけない。

 この相談のケースでも、「よくない友だち」と親は思うかもしれないが、子ども自身は、そういう
友だちとの交際を求めている。楽しんでいる。もちろんその子どものまわりには、あくまでも親
の目から見ての話だが、「好ましい友だち」もいるかもしれない。しかし、そういう友だちを、子
ども自身は、求めていない。居心地が、かえって悪いからだ。

 子どもは子ども自身の「流れ」の中で、自分の世界を形づくっていく。今のあなたがそうである
ように、子ども自身も、今の子どもを形づくっていく。それは大きな流れのようなもので、たとえ
親でも、その流れに対しては、無力でしかない。もしそれがわからなければ、あなた自身のこと
で考えてみればよい。

 もしあなたの親が、「○○さんとは、つきあってはだめ」「△△さんと、つきあいなさい」と、いち
いち言ってきたら、あなたはそれに従うだろうか。……あるいはあなたが子どものころ、あなた
はそれに従っただろうか。答は、ノーのはずである。

●自分の価値観を疑う

 常に親は、子どもの前では、謙虚でなければならない。が、悪玉親意識の強い親、権威主義
の親、さらには、子どもをモノとか財産のように思う、モノ意識の強い親ほど、子育てが、どこか
押しつけ的になる。

 「悪玉親意識」というのは、つまりは親風を吹かすこと。「私は親だ」という意識ばかりが強く、
このタイプの親は、子どもに向かっては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せやすい。
何か子どもが口答えしたりすると、「何よ、親に向かって!」と言いやすい。

 権威主義というのは、「親は絶対」と、親自身が思っていることをいう。

 またモノ意識の強い人とは、独特の話しかたをする。結婚して横浜に住んでいる息子(三〇
歳)について、こう言った母親(五〇歳)がいた。「息子は、嫁に取られてしまいました。親なんて
さみしいもんですわ」と。その母親は、息子が、結婚して、横浜に住んでいることを、「嫁に取ら
れた」というのだ。

 子どもには、子どもの世界がある。その世界に、謙虚な親を、賢い親という。つまりは、子ど
もを、どこまで一人の対等な人間として認めるかという、その度量の深さの問題ということにな
る。あなたの子どもは、あなたから生まれるが、決して、あなたの奴隷でも、モノでもない。「親
子」というワクを超えた、一人の人間である。

●価値観の衝突に注意

 子育てでこわいのは、親の価値観の押しつけ。その価値観には、宗教性がある。だから親子
でも、価値観が対立すると、その関係は、決定的なほどまでに、破壊される。私もそれまでは
母を疑ったことはなかった。しかし私が「幼児教育の道を進む」と、はじめて母に話したとき、母
は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と泣き崩れてしまった。私が二三
歳のときだった。

 しかしそれは母の価値観でしかなかった。母にとっての「ふつうの人生」とは、よい大学を出
て、よい会社に入社して……という人生だった。しかし私は、母のその一言で、絶望の底にた
たき落とされてしまった。そのあと、私は、一〇年ほど、高校や大学の同窓会でも、自分の職
業をみなに、話すことができなかった。

●生きる源流に 

 子育てで行きづまりを感じたら、生きる源流に視点を置く。「私は生きている」「子どもは生き
ている」と。そういう視点から見ると、すべての問題は解決する。

 若い父親や母親に、こんなことを言ってもわかってもらえそうにないが、しかしこれは事実で
ある。「生きている源流」から、子どもの世界を見ると、よい高校とか、大学とか、さらにはよい
仕事というのが、実にささいなことに思えてくる。それはゲームの世界に似ている。「うちの子
は、おかげで、S高校に入りました」と喜んでいる親は、ちょうどゲームをしながら、「エメラルド
タウンで、一〇〇〇点、ゲット!」と叫んでいる子どものようなもの。あるいは、どこがどう違うの
というのか。(だからといって、それがムダといっているのではない。そういうドラマに人生のお
もしろさがある。)

 私たちはもっと、すなおに、そして正直に、「生きていること」そのものを、喜んだらよい。また
そこを原点にして考えたらよい。今、親であるあなたも、五、六〇年先には、この世界から消え
てなくなる。子どもだって、一〇〇年先には消えてなくなる。そういう人間どうしが、今、いっしょ
に、ここに生きている。そのすばらしさを実感したとき、あなたは子育てにまつわる、あらゆる
問題から、解放される。

●子どもを信ずる

 子どもを信ずることができない親は、それだけわがままな親と考えてよい。が、それだけでは
すまない。親の不信感は、さまざまな形で、子どもの心を卑屈にする。理由がある。

 「私はすばらしい子どもだ」「私は伸びている」という自信が、子どもを前向きに伸ばす。しかし
その子どものすぐそばにいて、子どもの支えにならなければならない親が、「あなたはダメな子
だ」「心配な子だ」と言いつづけたら、その子どもは、どうなるだろうか。子どもは自己不信か
ら、自我(私は私だという自己意識)の形成そのものさえできなくなってしまう。へたをすれば、
一生、ナヨナヨとしたハキのない人間になってしまう。

【ASさんへ】

メール、ありがとうございました。全体の雰囲気からして、つまりいただいたメールの内容は別
として、私が感じたことは、まず疑うべきは、あなたの基本的不信関係と、不安の根底にある、
「わだかまり」ではないかということです。

 ひょっとしたら、あなたは子どもを信じていないのではないかということです。どこか心配先行
型、不安先行型の子育てをなさっておられるように思います。そしてその原因は何かといえ
ば、子どもの出産、さらにはそこにいたるまでの結婚について、おおきな「わだかまり」があった
ことが考えられます。あるいはその原因は、さらに、あなた自身の幼児期、少女期にあるので
はないかと思われます。

 こう書くと、あなたにとってはたいへんショックかもしれませんが、あえて言います。あなた自
身が、ひょっとしたら、あなたが子どものころ、あなたの親から信頼されていなかった可能性が
あります。つまりあなた自身が、(とくに母親との関係で)、基本的信頼関係を結ぶことができな
かったことが考えられるということです。

 いうまでもなく基本的信頼関係は、(さらけ出し)→(絶対的な安心感)というステップを経て、
形成されます。子どもの側からみて、「どんなことを言っても、またしても許される」という絶対的
な安心感が、子どもの心をはぐくみます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味
です。

 これは一般論ですが、母子の間で、基本的信頼関係の形成に失敗した子どもは、そのあと、
園や学校の先生との信頼関係、さらには友人との信頼関係を、うまく結べなくなります。どこか
いい子ぶったり、無理をしたりするようになったりします。自分をさらけ出すことができないから
です。

さらに、結婚してからも、夫や妻との信頼関係、うまく結べなくなることもあります。自分の子ど
もすら、信ずることができなくなることも珍しくありません。(だから心理学では、あらゆる信頼関
係の基本になるという意味で、「基本的」という言葉を使います。)具体的には、夫や子どもに
対して疑い深くなったり、その分、心配過剰になったり、基底不安を感じたりしやすくなります。
子どもへの不信感も、その一つというわけです。

 あくまでもこれは一つの可能性としての話ですが、あなた自身が、「心(精神的)」という意味
で、それほど恵まれた環境で育てられなかったということが考えられます。経済的にどうこうと
いうのではありません。「心」という意味で、です。あなたは子どものころ、親に対して、全幅に
心を開いていましたか。あるいは開くことができましたか。もしそうなら、「恵まれた環境」という
ことになります。そうでなければ、そうでない。

 しかしだからといって、過去をうらんではいけません。だれしも、多かれ少なかれ、こうした問
題をかかえているものです。そういう意味では、日本は、まだまだ後進国というか、こと子育て
については黎明(れいめい)期の国ということになります。

 では、どうするかですが、この問題だけは、まず冷静に自分を見つめるところから、始めま
す。自分自身に気づくということです。ジークムント・フロイトの精神分析も、同じような手法を用
います。まず、自分の心の中をのぞくということです。わかりやすく言えば、自分の中の過去を
知るということです。まずいのは、そういう過去があるということではなく、そういう過去に気づか
ないまま、その過去に振りまわされることです。そして結果として、自分でもどうしてそういうこと
をするのかわからないまま、同じ失敗を繰りかえすことです。

 しかしそれに気づけば、この問題は、何でもありません。そのあと少し時間はかかりますが、
やがて問題は解決します。解決しないまでも、じょうずにつきあえるようになります。

 さらに具体的に考えてみましょう。

 あなたは多分、子どもを妊娠したときから、不安だったのではないでしょうか。あるいはさら
に、結婚したときから、不安だったのではないでしょうか。さらに、少女期から青年期にかけて、
不安だったのではないでしょうか。おとなになることについて、です。

 こういう不安感を、「基底不安」と言います。あらゆる日常的な場面が、不安の上に成りたっ
ているという意味です。一見、子育てだけの問題に見えますが、「根」は、ひょっとしたら、あな
たが考えているより、深いということです。

 そこで相手の子どもについて考えてみます。あなたが相手の子どもを嫌っているのは、本当
にあなたの子どものためだけでしょうか。ひょっとしたら、あなた自身がその子どもを嫌ってい
るのではないでしょうか。つまりあなたの目から見た、好き・嫌いで、相手の子どもを判断して
いるのではないかということです。

 このとき注意しなければならないのは、(1)許容の範囲と、(2)好意の返報性の二つです。

 (1)許容の範囲というのは、(好き・嫌い)の範囲のことをいいます。この範囲が狭ければせ
まいほど、好きな人が減り、一方、嫌いな人がふえるということになります。これは私の経験で
すが、私の立場では、この許容の範囲が、ふつうの人以上に、広くなければなりません。(当然
ですが……。)子どもを生徒としてみたとき、いちいち好き、嫌いと言っていたのでは、仕事そ
のものが成りたたなくなります。ですから原則としては、初対面のときから、その子どもを好き
になります。
 
 といっても、こうした能力は、いつの間にか、自然に身についたものです。が、しかしこれだけ
は言えます。嫌わなければならないような悪い子どもは、いないということです。とくに幼児につ
いては、そうです。私は、そういう子どもに出会ったことがありません。ですからASさんも、一
度、その相手の子どもが、本当にあなたの子どもにとって、ふさわしくない子どもかどうか、一
度、冷静に判断してみたらどうでしょうか。しかしその前にもう一つ大切なことは、あなたの子ど
も自身は、どうかということです。

 子どもの世界にかぎらず、およそ人間がつくる関係は、なるべくしてなるもの。なるようにしか
ならない。それはちょうど、風が吹いて、その風が、あちこちで吹きだまりを作るようなもので
す。(吹きだまりというのも、失礼な言い方かもしれませんが……。)今の関係が、今の関係と
いうわけです。

 だからあなたからみて、あなたの子どもが、好ましくない友だちとつきあっているとしても、そ
れはあなたの子ども自身が、なるべくしてそうなったと考えます。親としてある程度は干渉でき
ても、それはあくまでも「ある程度」。これから先、同じようなことは、繰りかえし起きてきます。
たとえば最終的には、あなたの子どもの結婚相手を選ぶようなとき、など。

 しかし問題は、子どもがどんな友だちを選ぶかではなく、あなたがそれを受け入れるかどうか
ということです。いくらあなたが気に入らないからといっても、あなたにはそれに反対する権利
はありません。たとえ親でも、です。同じように、あなたの子どもが、どんな友だちを選んだとし
ても、またどんな夫や妻を選んだとしても、それは子どもの問題ということです。

 しかしご心配なく。あなたが子どもを信じているかぎり、あなたの子どもは自分で考え、判断し
て、あなたからみて好ましい友だちを、自ら選んでいきます。だから今は、信ずるのです。「うち
の子は、すばらしい子どもだ。ふさわしくない子どもとは、つきあうはずはない」と考えのです。

 そこで出てくるのが、(2)好意の返報性です。あなたが相手の子どもを、よい子と思っている
と、相手の子どもも、あなたのことをよい人だと思うもの。しかしあなたが悪い子どもだと思って
いると、相手の子どもも、あなたのことを悪い人だと思っているもの。そしてあなたの前で、自
分の悪い部分だけを見せるようになります。そして結果として、たいがいの人間関係は、ますま
す悪くなっていきます。

 話はぐんと先のことになりますが、今、嫁と姑(しゅうとめ)の間で、壮絶な家庭内バトルを繰り
かえしている人は、いくらでもいます。私の近辺でも、いくつか起きています。こうした例をみて
みてわかることは、その関係は、最初の、第一印象で決まるということです。とくに、姑が嫁に
もつ、第一印象が重要です。

 最初に、その女性を、「よい嫁だ」と姑が思い、「息子はいい嫁さんと結婚した」と思うと、何か
につけて、あとはうまくいきます。よい嫁と思われた嫁は、その期待に答えようと、ますますよい
嫁になっていきます。そして姑は、ますますよい嫁だと思うようになる。こうした相乗効果が、た
がいの人間関係をよくしていきます。

 そこで相手の子どもですが、あなたは、その子どもを「悪い子」と決めてかかっていません
か。もしそうなら、それはその子どもの問題というよりは、あなた自身の問題ということになりま
す。「悪い子」と思えば思うほど、悪い面ばかりが気になります。そしてあなたは悪くない面ま
で、必要以上に悪く見てしまいます。それだけではありません。その子どもは、あえて自分の悪
い面だけを、あなたに見せようとします。子どもというのは、不思議なもので、自分をよい子だと
信じてくれる人の前では、自分のよい面だけを見せようとします。

 あなたから見れば、何かと納得がいかないことも多いでしょうが、しかしこんなことも言えま
す。一般論として、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経験しておくことは、
それほど悪いことではないということです。あとあと常識豊かな人間になることが知られていま
す。ですから子どもを、ある程度、俗世間にさらすことも、必要といえば必要なのです。むしろま
ずいのは、無菌状態のまま、おとなにすることです。子どものときは、優等生で終わるかもしれ
ませんが、おとなになったとき、社会に同化できず、さまざまな問題を引き起こすようになりま
す。

 もうすでにSAさんは、親としてやるべきことをじゅうぶんしておられます。ですからこれからの
ことは、子どもの選択に任すしか、ありません。これから先、同じようなことは、何度も起きてき
ます。今が、その第一歩と考えてください。思うようにならないのが子ども。そして子育て。そう
いう前提で考えることです。あなたが設計図を描き、その設計図に子どもをあてはめようとすれ
ばするほど、あなたの子どもは、ますますあなたの設計図から離れていきます。そして「まだ前
の友だちのほうがよかった……」というようなことを繰りかえしながら、もっとひどい(?)友だち
とつきあうようになります。

 今が最悪ではなく、もっと最悪があるということです。私はこれを、「二番底」とか「三番底」と
か呼んでいます。ですから私があなたなら、こうします。

(1) 相手の子どもを、あなたの子どもの前で、積極的にほめます。「あの子は、おもしろい子
ね」「あの子のこと、好きよ」と。そして「あの子に、このお菓子をもっていってあげてね。きっと
喜ぶわよ」と。こうしてあなたの子どもを介して、相手の子どもをコントロールします。

(2) あなたの子どもを信じます。「あなたの選んだ友だちだから、いい子に決まっているわ」
「あなたのことだから、おかしな友だちはいないわ」「お母さん、うれしいわ」と。これから先、子
どもはあなたの見えないところでも、友だちをつくります。そういうとき子どもは、あなたの信頼
をどこかで感ずることによって、自分の行動にブレーキをかけるようになります。「親の信頼を
裏切りたくない」という思いが、行動を自制するということです。

(3) 「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめます。子どもの世界には、『あきらめは、悟り
の境地』という、大鉄則があります。あきらめることを恐れてはいけません。子どもというのは不
思議なもので、親ががんばればがんばるほど、表情が暗くなります。伸びも、そこで止まりま
す。しかし親があきらめたとたん、表情も明るくなり、伸び始めます。「まだ何とかなる」「こんな
はずではない」と、もしあなたが思っているなら、「このあたりが限界」「まあ、うちの子はうちの
子なりに、よくがんばっているほうだ」と思いなおすようにします。

 以上ですが、参考になったでしょうか。ストレートに書いたため、お気にさわったところもある
かもしれませんが、もしそうなら、どうかお許しください。ここに書いたことについて、また何か、
わからないところがあれば、メールをください。今日は、これで失礼します。










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11
【家族、そして親戚づき合い】(Families and Blood Relatives)

+++++++++++++++++++++++

家族にもいろいろある。
親戚づきあい。
それにも、いろいろある。
人それぞれ。
みな、ちがう。

家族にせよ、親戚づきあいにせよ、
たがいに良好なら、まだよい。
救われる。
そうでないなら、そうでない。

しかしひとたびこじれると、親戚であるがゆえに、
他人以上の他人になる。
ささいなことでも、はげしく衝突するようになる。
憎しみあい、ののしりあうようになる。

++++++++++++++++++++++++++

●姉妹の確執

 最近、A子さん(40歳)は、姉のB子さん(42歳)と縁を切った。
一切、行き来は、なし。
しかしその理由を知る人は少ない。 
A子さんも、それについては、人に話さない。

 A子さんの夫が、姉のB子さんと、不倫関係をもってしまった。
夫のほうが、B子さんに言い寄った。
悪いのは夫、ということになる。
が、いろいろ事情があって、A子さんは、離婚にまでは踏み込めないでいる。
A子さんの心中は、複雑。

●親子の縁
 
 C氏(55歳・男性)は、この10年以上、母親に会っていない。
その母親が、昨年、脳梗塞で倒れた。
伯父から連絡を受けた。
が、C氏は、見舞いにも行っていない。
が、それにも、理由がある。

 C氏は、母親と別の男性との間に生まれた、不倫の子だった。
気がついたのは、学生時代のことだった。
ほかの3人の兄弟(兄2人、妹1人)と、血液型が符合しなかった。
で、念のためにと、DNA鑑定をしてもらった。
結果、C氏だけは、別の男性の子であることがわかった。
C氏はこう言う。

 「父はもう死んでいるから、本当のことを話してほしい。
しかし母は、いまだにとぼけている。
私はそれが許せない」と。

●外面(そとづら)と内面(うちづら)

 外面と内面が、まったく異なる人は、珍しくない。
外の世界では、神のような人物を演ずる。
しかし家の中では、まったくの別人。
わがままで、自分勝手。
Dさん(80歳、女性)も、その1人。
「超」の上に、さらにもうひとつ「超」がつくほど、わがまま。
自分勝手。

 嫁がつくる食事を、「まずい!」と言っては、嫁に投げつける。
息子には、「遺産(=土地)がほしければ、今、お前の貯金をよこせ!」と怒鳴る。
あるいは泣き声で、懇願する。

 が、他人の視線を感じたとたん、豹変する。
表情まで、別人になる。

●親子関係

 その家には、その家の人たちだけにしかわからない、裏の事情というものがある。
外の人には、それはわからない。
が、外の人は、表面的な部分だけを見て、判断をくだす。
自分の意見を添える。
しかしこういう判断や意見は、当事者たちを、とことん傷つける。
ある人(男性、50歳)は、こう言った。

 「それは心臓をえぐられるような苦しみです。
そういう経験のない人には、理解できないでしょう」と。

 とくに親子関係というのは、本能に近い部分にまで刷り込みがなされている。
それを断ち切るのは、容易なことではない。
実際には、不可能。
だから、もがく。
苦しむ。

 親戚関係にしても、そうだ。
そこに至るまでには、長い歴史というものがある。
かさぶたの上に、かさぶたが重なり、傷口にしても、原型をとどめないほどまでに、
複雑になっている。
そういうケースは多い。

●神経戦

 「村八分」という言葉がある。
「今では、死語になっている」と説く人もいる。
「遠い、昔の話」と。
しかし現実には、残っている。
ここにも、そこにも、どこにでも残っている。
「村」という単位ではなく、「親戚」という単位となると、もっと多い。

 が、「八分」にする人も、またされる人も、とことん神経をすり減らす。
すり減らしながら、神経戦を繰り返す。
果てしない消耗戦と言ってもよい。
それが5年、10年単とつづく。

●ダカラ論
 
 要するに、たとえ親戚であっても、家族の問題には、首をつっこまないこと。
相手の側から相談でもあれば、話は別だが、そうでなければ、そっとしておいて
やる。
それが思いやりというもの。
まちがっても、安易な『ダカラ論』や、『スベキ論』で、相手を責めてはいけない。

 私もいろいろあって、この『ダカラ論』や、『スベキ論』に苦しんだ。

 「お前は、子だろ」「お前は、大学まで出してもいらっただろ」「産んでもらった
だろ」「育ててもらっただろ」と。
「いくら事情があっても、親は親だからな」と言ってきた人もいた。
「だから、お前は〜〜すべき」と。

●「親戚」という呪縛

 今、「親戚」という足かせの中で、もがき、苦しんでいる人は多い。
こうした原稿をBLOGなどで発表すると、ものすごく多くの人たちから、反響が届く。
「私も……」「私も……」といった感じである。

 「正月に実家へ帰ると考えただけで、頭が痛くなります」といったレベルの
人まで含めると、3人に1人くらいはいるのでは?
つぎのような原稿があるのを思い出した。
日付を見ると、06年となっている。
今から3年前の原稿である。

++++++++++++++

【親子の確執】

フロッピーディスクを整理していたら、

こんな相談が出てきた。



そのときは相談してきた方の立場になって、

それなりに返事を書いたつもりでいる。



しかし、記憶というのは、いいかげんな

もの。「そういうことがあったな」という

程度には、思い出せるが、そこまで。

もし偶然であるにせよ、その相談を見ることが

なかったら、私は、そんな相談があった

ことすら、思い出すこともなかっただろう。



+++++++++++++++++



 何枚かのフロッピーディスクを、整理していたら、こんな相談が出てきた。パソコンからパソコ
ンへの原稿の移動には、私は今でも、フロッピーディスクを使っている。



 まず、そのときの相談を、そのままここに転載する。当時、相談をしてきた方から、転載許可
をもらった記憶だけは残っている。



+++++++++++++++++



【YDより、はやし浩司へ】



 以前にもご相談させていただきましたYDです。 今回は私と実父とのことで、ご相談をお願い
したいと思いました。 



18歳のときに、私は、今の主人とつきあい始めました。そのときは、私が進路未定の状態だっ
たので、私たちの交際は、猛反対されました。 



 幼稚だった私は当時、交際を隠し続けていたのですが、結局、親が知るところとなり、私は家
を飛び出し、主人の所に転がり込む形で、家族との縁を切りました。そのときから体の不調が
始まり、主人と同棲を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしまし
た。(主治医の先生によると、「おびえ」という症状との見解でした。)



 実家とは絶縁状態のまま結婚、出産し、4年が過ぎたころ、実母が亡くなり、家の敷居をまた
ぐになりましたが、実父との関係は、今でも修復されないままでいます。



 母は子供の頃から誰にも言えない胸のうちでも、私には話せるようで、愚痴の聞き役のよう
な感じでした。家を出てからも、父に隠れながら、毎日のように電話をくれました。しかし私の話
より、自分の愚痴や不安を聞かされ、私が励ます内容の電話が多かったと思います。そのせ
いか、私は心のどこかで、父を軽蔑していると自分では思っています。

 

 母が亡くなった事で、法事などで実家に行くこともありますが、主人は父を嫌って極力実家に
は近づこうとしません。父にはそれがもの凄く不満のようで、「もっと先祖(=私)を大事にしてく
れ」と訴えるのですが、主人は、自分の両親・姉でさえとも一線を引くようなところがあり、自分
と合わない人間とは付きあわないところがあります。主人の気持ちも考えると、どちらにも強く
言えないでいます。 



 このお正月に母のお墓参りに行きましたが、場所が北海道と遠いこともあり、また車で行くと
いうこともあり、雪も降ったあとだったので、詳しい日程が立てられないまま行きました。



 結局、予定より2日も余裕ができたので、叔父達に会いに行くことができましたが、事前に詳
しく連絡を入れていなかったことで、父に迷惑がかかり、怒られる結果となりました。



 父は「相手の立場に立って思いやりを持って行動すべきだ。相手にも都合がある。正月とい
う時期だから、余計に考えるべきだった。自分(=父)が何も知らせないで、勝手に決めすぎ
だ」と言われましたが、今回は行き当たりばったりで、皆に迷惑をかけたのは確かだと、自分で
は思っています。 



 事前に父に密に予定を話しておけば良かったことなのですが、私自身ごちゃごちゃ言われた
くないから、最低限のことだけ伝えればいいやと、父とのコンタクトを避けてしまった結果だと、
自分では思っています。 



 父は、私の家族であるリーダーは主人だから、私に言っても仕方なく、主人が考え、行動す
べきことであり、主人と話をすることを考えていると言っています。私は主人の性格を考える
と、余計に父を疎ましがるのではないかと思い、まずは私が父とコミュニケーションを取れるよ
うにならなければ、今の関係の改善は難しいと思うのですが。



 また、私たち家族が出向くことによって父が、叔父達に「よろしくお願いします」「お世話になり
ました」と動けるように、私たちから働きかけるべきなのでしょうか? 父にその必要があるの
なら、父から聞いてくればいいのにと、どこか反発心もありながら、社会を見ないまま家庭に入
った身として、常識に欠けているのか判断ができずにいます。まず何から改善すべきか見出せ
ない現状です。



 文章が支離滅裂でお恥ずかしいのですが、先生はどう感じたでしょうか? 聞かせていただ
けるととても嬉しいです。



++++++++++++++++++



当時のことを思い出すために、

YDさんからの相談を、自分の

原稿集の中で、検索してみた。



で、さらに驚いたことに、この相談を

もらったのは、(06年 FEB)とある。



つまり今年の2月!



私はたった9か月前のことすら、

もう忘れてしまおうとしている!



ついでにそのときYDさんに書いた

返事を、そのままここに載せる。



+++++++++++++++++



●「家族」とは何か?



 多くの人にとっては、「家族」は、その人にとっては、(心のより所)ではあるが、しかし一度、
歯車が狂うと、今度は、その「家族」が、重圧となってその人を苦しめることがある。ふつうの苦
しみではない。心理学の世界でも、その苦しみを、「幻惑」と呼んでいる。



 そういった「家族」全体がもつ、束縛意識、結束意識、連帯意識を総称して、「家族自我群」と
呼ぶ学者もいる。こうした意識は、乳幼児期から、親を中心とする家族から本能に近い部分に
まで刷りこまれている。そのため、それから自らを解放させることは、容易なことではない。



 ふつう、生涯にわたって、人は、意識することがないまま、その家族自我群に束縛される。
「親だから……」「子だから……」という、『ダカラ論』も、こうした自我群が背景となって生まれ
る。



 さらにこの日本では、封建時代の家督制度、長子相続制度、権威主義などが残っていて、親
子の関係を、特別視する傾向が強い。私が説くところの、「親・絶対教」は、こうして生まれた
が、親を絶対視する子どもは、少なくない。



 が、ときに、親自身が、子どもに対して、その絶対性を強要することがある。これを私は「悪
玉親意識」と呼んでいる。俗に言う、親風を吹かす人は、この悪玉親意識の強い人ということに
なる。こういう人は、「親に向かって、何てことを言うのだ!」「恩知らず!」「産んでやったでは
ないか!」「育ててやったではないか!」「大学まで出してやったではないか!」というような言
葉を、よく口にする。



 もともと権威主義的なものの考え方をする傾向が強いから、人とのつながりにおいても、上下
意識をもちやすい。「夫が上、妻が下」「男が上、女が下」と。「親が上で、子が下」というのも、
それに含まれる。さらにこの悪玉親意識が強くなると、本来なら関係ないはずの、親類の人た
ちにまで、叔父風、叔母風を吹かすようになる。



 が、親子といえども、基本的には、人間対人間の関係で、決まる。よく「血のつながり」を口に
する人もいるが、そんなものはない。ないものはないのであって、どうしようもない。観念的な
(つながり)を、「血」という言葉に置きかえただけのことである。



 で、冒頭に書いたように、(家族のつながり)は、それ自体は、甘美なものである。人は家族
がもつ安らぎの中で、身や心を休める。が、それには、条件がある。家族どうしが、良好な人
間関係を保っているばあいのみ、という条件である。



 しかしその良好な人間関係にヒビが入ると、今度は、逆に(家族のつながり)が、その人を苦
しめる、責め道具になる。そういう例は、多い。本当に多い。子ども自身が、自らに「親捨て」と
いうレッテルを張り、生涯にわたって苦しむという例も少なくない。



 それほどまでに、脳に刷りこまれた(家族自我群)は、濃密かつ、根が深い。人間のばあい、
鳥類とは違い、生後、0か月から、7〜8か月くらいの期間を経て、この刷りこみがなされるとい
う。その期間を、「敏感期」と呼ぶ学者もいる。



 そこで、ここでいう家族自我群による束縛感、重圧感、責務感に苦しんでいる人は、まず、自
分自身が、その(刷りこみ)によって苦しんでいることを、知る。だれの責任でもない。もちろん
あなたという子どもの責任でもない。人間が、動物として、本来的にもつ、(刷りこみ)という作
用によるものだということを知る。



 ただ、本能的な部分にまで、しっかりと刷りこまれているため、意識の世界で、それをコントロ
ールすることは、たいへんむずかしい。家族自我群は、意識の、さらにその奥深い底から、あ
なたという人間の心を左右する。いくらあなたが、「縁を切った」と思っていても、そう思うのは、
あなたの意識だけ。それでその刷りこみが消えるわけではない。



 この相談を寄せてくれた、YDさんにしても、家を出たあと、「体の不調が始まり、主人と同棲
を始めると同時に、自律神経失調症とわかり、一年間、薬の服用をしました」と書いている。ま
た実母がなくなったあとも、その縁を断ち切れず、葬儀に出たりしている。

 

 家族自我群による「幻惑」作用というのは、それほどまでに強力なものである。



 で、ここで人は、2つの道のどちらかを選ぶ。(1)家族自我群の中に、身を埋没させ、安穏
に、何も考えずに生きる。(2)家族自我群と妥協し、一線を引きながらも、適当につきあって生
きる。もう1つ、本当に縁を切ってしまうという生き方もあるが、それはここでは考えない。



 (2)の方法を、いいかげんな生き方と思う人もいるかもしれないが、自分の苦しみの原因
が、家族自我群による幻惑とわかれば、それなりにそれに妥協することも、むずかしくはない。
文字が示すとおり、「幻惑」は、「幻惑」なのである。もっとわかりやすく言えば、得体の知れな
い、亡霊のようなもの。そう考えて、妥協する。



 YDさんに特殊な問題があるとすれば、あくまでもこのメールから私がそう感ずるだけだが、
それはYDさん自身の、依存性がある。YDさんは、親に対してというより、自分自身が、だれか
に依存していないと、落ち着かない女性のように感ずる。そしてその依存性の原因としては、Y
Dさんには、きわめて強い(弱化の原理)が働いているのではないか(?)。



 自信のなさ、そういう自分自身を、YDさんは、「幼稚」と呼ぶ。もう少し精神的に自立していれ
ば、自分をそういうふうに呼ぶことはない。YDさんは、恐らく幼いときから、「おまえはダメな子」
式の子育てを受けてきたのではないか。とくに父親から、そう言われつづけてきたように思う。



 そのことにYDさん自身が気づけば、もっとわかりやすい形で、この問題は解決すると思われ
る。



 あえてYDさんに言うべきことがあるとするなら、もう親戚のことや、父親のことは忘れたほう
がよいということ。YDさんがもっとも大切にすべきは、夫であり、父親ではない。いわんや、郷
里へ帰って、親戚に義理だてする必要など、どこにもない。それについてたとえYDさんの父親
が、不満を言ったとしても、不満を言う、父親のほうがおかしい。それこそまさに、悪玉親意
識。YDさんは、すでにおとな。親戚にまで親風を吹かす父親のほうこそ、幼稚と言うべきであ
る。詳しくは、このあとそれについて書いた原稿を添付しておく。



【YDさんへ……】



 お元気ですか。ここまでに書いたことで、すでに返事になってしまったようです。



 私のアドバイスは、簡単です。あなたの父親のことは、相手のほうから、何か助けを求めてく
るまで、放っておきなさい。あなたがあれこれ気をもんだところで、しかたのないことです。また
どうにもなりません。



 父親が何か苦情を言ってきたら、「あら、そうね。これからは気をつけます」と、ケラケラと笑っ
てすませばよいのです。何も深刻に考えるような問題ではありません。



 あなたの結婚当初の問題についても、そうです。いつまでも過去をずるずると引っぱっている
と、前に進めなくなります。



 で、もっと広い視野で考えるなら、そういうふうにYDさんを苦しめている、あるいはその原因と
なっているあなたの父親は、それだけでも、親失格ということになります。天上高くいる神なら、
そう考えると思いますよ。



 本来なら、そういう苦しみを与えないように、子どもを見守るのが親の務めです。あなたの父
親は、結果としてあなたという子どもを苦しめ、悲しませている。不幸にしている。だから、あな
たの父親は、親失格ということになるのです。



 そんな父親に義理立てすることはないですよ。



 今は、一日も早く、「ファーザー・コンプレックス(マザコンに似たもの)」を捨て、あなたの夫の
ところで、羽を休めればよいのです。あなたの夫と、前に進めばよいのです。あなたの夫が、
「実家へ行きたくない」と言えば、「そうね」と、それに同意すればよいのです。



 私は、あなたの夫の考え方に、賛成します。同感で、同意します。



 では、今日は、これで失礼します。



 出先で、この返事を書いたので、YDさんとわからないようにして、R天日記のほうに返事を書
いておきます。お許しください。



【YDさんより、はやし浩司へ】



++++++++++++++++++



私が返事を書いた、翌日、

YDさんより、こんな

メールが届いた。



++++++++++++++++++



はやし先生



 先ほど楽天日記を読ませていただきました。



心が楽になりました。ありがとうございまいた。



 家族自我群にあてはまるのだと教えて頂き、とても感謝しています。先生のホームページか
ら勉強させて頂きマガジンからも勉強させていただいていますが、私は自分の都合の良い情
報ばかりを集めて自分を正当化しようと思っているのではないかと思っていました。



 先生のお書きになった通り、私は依存性が強い人間です。主人と付きあい始めた当初は自
分でも思い出したくないくらいです 苦笑。そして父から褒められた記憶はありません。



 父は「言って聞かないなら殴る。障害者になってもいいんだ」という教育方針で、私が何か悪
いことをすると、殴られるのは当たり前でした。お説教の最中に物が飛んでくるのもよくあること
でした。なので、父からのお説教があってしばらくはもう二度と可愛いと思ってもらえないかもし
れないという恐怖心は強かったと、今になると思います。



 それでも、学校をさぼったりしていたのは、何でだったのか、まだ当時の自分を自己分析でき
ずにいますが・・・。



 「大切にされた記憶がない」と話すと、父は、「毎週(月曜日に剣道に通っていたのですが、終
わるのが夜の9時でした)、迎えに行っていたのになぁ」と言われた事があります。私が父の愛
情に気付いていなかっただけなのか、自分がされた嫌な事だけしか覚えていないから私は自
分を悲劇のヒロイン化させているのかと思っていました。



 その反面、(私は中学生でしたが)、当時の心境は、「夜遊びに走らないように監視されてい
る」のが本当のところではなかったのかと思います。きっとその頃からひずみはすでに始まって
いたんでしょう・・・。



 自分では私は「アダルトチルドレン」に入るのではないかと思っています。社会との繋がりがう
まく持てない焦りから、今の自分のままでは子供達の成長に良くないのではないかと焦ってい
ます。父に「親や、その親、親の兄弟あってのお前なんだから、まわりを大切にすべきだ」と強
く言われる事で、自分を見失ってしまいました。



 父の事を思い起こすと未だに震えが起こるので、きちんと文章になっているのか不安ですが
お時間を割いて頂きありがとうございました。



 追伸・「ユダヤの格言xx」という本の中で、「父親の生き方から夫の生き方に変え、逆境のと
きは夫を支え、喜びを分かち合い、女中を雇う余裕があっても怠けることなく、話をしてくるもの
にはわけへだてなく対応し、困っている人には手を差し伸べる」(ユダヤ人の伝統的な良き妻の
像)と言う説を手帳に書き写したことがあります。楽天の日記を読ませていただきこの事を思い
出しました。 



 個人的なのですがこの本の先生の見解にとても興味があります。

 長々と読んでいただきありがとうございました。



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●悪玉親意識



悪玉親意識についての原稿を添付しておきます。



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●悪玉親意識



 親意識にも、親としての責任を果たそうと考える親意識(善玉)と、親風を吹かし、子どもを自
分の思いどおりにしたいという親意識(悪玉)がある。その悪玉親意識にも、これまた二種類あ
る。ひとつは、非依存型親意識。もうひとつは依存型親意識。



 非依存型親意識というのは、一方的に「親は偉い。だから私に従え」と子どもに、自分の価値
観を押しつける親意識。子どもを自分の支配下において、自分の思いどおりにしようとする。子
どもが何か反抗したりすると、「親に向って何だ!」というような言い方をする。



 これに対して依存型親意識というのは、親の恩を子どもに押し売りしながら、子どもをその
「恩」でしばりあげるという意識をいう。日本古来の伝統的な子育て法にもなっているため、た
いていは無意識のうちのそうすることが多い。親は親で「産んでやった」「育ててやった」と言
い、子どもは子どもで、「産んでもらいました」「育てていただきました」と言う。



 さらにその依存型親意識を分析していくと、親の苦労(日本では、これを「親のうしろ姿」とい
う)を、見せつけながら子どもをしばりあげる「押しつけ型親意識」と、子どもの歓心を買いなが
ら、子どもをしばりあげる「コビ売り型親意識」があるのがわかる。



 「あなたを育てるためにママは苦労したのよ」と、そのつど子どもに苦労話などを子どもにす
るのが前者。クリスマスなどに豪華なプレゼントを用意して、親として子どもに気に入られようと
するのが後者ということになる。



 以前、「私からは、(子どもに)何も言えません。(子どもに嫌われるのがいやだから)、先生
の方から、(私の言いにくいことを)言ってください」と頼んできた親がいた。それもここでいう後
者ということになる。

 これらを表にしたのがつぎである。



   親意識  善玉親意識

        悪玉親意識  非依存型親意識

               依存型親意識   押しつけ型親意識

                        コビ売り型親意識

 

 子どもをもったときから、親は親になり、その時点から親は「親意識」をもつようになる。それ
は当然のことだが、しかしここに書いたように親意識といっても、一様ではない。はたしてあな
たの親意識は、これらの中のどれであろうか。一度あなた自身の親意識を分析してみると、お
もしろいのでは……。



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もう1作……



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●子育て、はじめの一歩



 先日、あるところで講演をしたら、一人の父親からメールが届いた。いわく、「先生(私のこと)
は、親は子どもの友になれというが、親子にも上下関係は必要だと思う」と。



 こうした質問や反論は、多い。講演だと、どうしても時間的な制約があって、話のあちこちを
端(はし)折ることが多い。それでいつも誤解を招く。で、その人への説明……。



 テレビ番組にも良質のものもあれば、そうでないのもある。そういうのを一緒くたにして、「テ
レビは是か非か」と論じても意味がない。同じように、「(上下意識のある)親意識は必要か否
か」と論じても意味はない。親意識にも、つまり親子の上下関係にも、いろいろなケースがあ
る。私はそれを、善玉親意識と、悪玉親意識に分けている。



 善玉親意識というのは、いわば親が、親の責任としてもつ親意識をいう。「親として、しっかり
と子どもを育てよう」とか、そういうふうに、自分に向かう親意識と思えばよい。一方、悪玉親意
識というのは、子どもに向かって、「私は親だ!」「親に向かって、何だ!」と、親風を吹かすこ
とをいう。



 つまりその中身を分析することなく、全体として親意識を論ずることは危険なことでもある。同
じように「上下意識」も、その中身を分析することなく論じてはいけない。当然、子どもを指導
し、保護するうえにおいては、上下意識はあるだろうし、またそれがなければ、子どもを指導す
ることも、保護することもできない。しかし子どもの人格を認めるという点では、この上下意識
は禁物である。あればじゃまになる。



 親子の関係もつきつめれば、一対一の人間関係で決まる。「親だから……」「子どもだから…
…」と、「だから」論で、たがいをしばるのは、ときとしてたがいの姿を見失う原因となる。日本人
は世界的にみても、上下意識が強い民族。親子の間にも、(あるいは夫婦の間ですら)、この
上下意識をもちこんでしまう。そして結果として、それがたがいの間にキレツを入れ、さらには
たがいを断絶させる。



 が、こうして疑問をもつことは、実は、子育ての「ドア」を開き、子育ての「階段」をのぼる、そ
の「はじめの一歩」でもある。冒頭の父親は、恐らく、「上下関係」というテーマについてそれま
で考えたことがなかったのかもしれない。しかし私の講演に疑問をもつことで、その一歩を踏み
出した。ここが重要なのである。もし疑問をもたなかったら、その上下意識についてすら、考え
ることはなかったかもしれない。もっと言えば、親は、子育てをとおして、自ら賢くなる。「上下意
識とは何か」「親意識とは何か」「どうして日本人はその親意識が強いか」「親意識にはどんなも
のがあるか」などなど。そういうことを考えながら、自ら賢くなる。ここが重要なのである。



 子育ての奥は、本当に深い。私は自分の講演をとおして、これからもそれを訴えていきた
い。

(はやし浩司 親意識 親との葛藤 家族自我群 はやし浩司 幻惑 はやし浩司 家庭教育 
育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 悪玉親意識 善玉親意識 親
風を吹かす親 上下意識)



【付記】



 今回、ここまでの原稿を再読してみて、いくつか気がついたことがある。



 そのひとつは、ここでいう「悪玉親意識」というのは、(親子の間)だけの話ではないというこ
と。



 悪玉親意識、つまり親風を吹かす人は、あらゆる場面で権威主義的なものの考え方をする。
たとえば弟や妹に対しては、兄風、姉風を吹かす。甥(おい)や姪(めい)に対しては、叔父風、
叔母風を吹かすなど。



 あらゆる場面で上下意識が強く、そのわずかな(差)の中で、人間の優劣を決めてしまう。



 で、本人は、それでそれなりにハッピーなのかもしれない。また多くの場合、その周囲の人た
ちも、それを認めてしまっているから、それなりにうまく(?)いく。兄風を吹かす兄と、それを受
け入れる弟との関係を想像してみればよい。



 こうした上下意識は、儒教の影響を受けた日本人独特のもので、欧米には、ない。ないもの
はないのであって、どうしようもない。はっきり言えば、バカげている。この相談をしてきたYDさ
んの父親にしても、ここでいう悪玉親意識のたいへん強い人だということがわかる。「親は親
だ」「親は偉い」という、あの悪玉親意識である。YDさんは、父親のもつその悪玉親意識に苦し
んでいる。



 が、ここで話が終わるわけではない。



 今度はYDさん自身の問題ということになる。



 現在、YDさんは、父親の悪玉親意識に苦しんでいる。それはわかる。しかしここで警戒しな
ければならないことは、YDさんは、自分の父親を反面教師としながらも、別のところで自分を
確立しておかないと、やがてYDさん自身も、その悪玉親意識を引きついでしまうということ。



 たとえば父親が、亡くなったとしよう。そしてそれからしばらく時間がたち、今度はYDさん自身
が、なくなった父親の立場になったとしよう。すると、今度は、YDさん自身が、なくなった父親そ
っくりになるという可能性がないわけではない。



 ユングが使った「シャドウ」とは少し意味がちがうかもしれないが、親がもつシャドウ(暗い影)
は、そのまま子どもへと伝播(でんぱ)していく。そういう例は、多い。ひょっとしたらあなたの周
辺にも似たようなケースがあるはず。静かに観察してみると、それがわかる。



 で、さらに私は、最近、こういうふうに考えるようになった。



 こうした悪玉親意識は、それ自体がカルト化しているということ。「親絶対教」という言葉は、
私が考えたが、まさに信仰というにふさわしい。



 だからここでいう悪玉親意識をもつ親に向かって、「あなたはおかしい」「まちがっている」など
と言ったりすると、それこそ、たいへんなことになる。だから、結論から先に言えば、そういう人
たちは、相手にしないほうがよい。適当に相手に合わせて、それですます。



 実は、この私も、そうしている。そういう人たちはそういう人たちの世界で、それなりにうまく
(?)やっている。だからそういう人たちはそういう人たちで、そっとしておいてやるのも、(思い
やり)というものではないか。つまりこの問題は、日本の文化、風土、風習の分野まで、しっかり
と根づいている。私やあなたが少しくらい騒いだところで、どうにもならない。最近の私は、そう
考えるようになった。



 ただし一言。



 あなたの住む世界では、上下意識は、もたないほうがよい。たとえば兄弟姉妹にしても、名
前で呼びあっている兄弟姉妹は、そうでない兄弟姉妹より仲がよいという調査結果もある。



 「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」と呼びあうよりも、「ヒロシ」「アキコ」と呼びあうほうが、兄弟姉妹
は仲がよくなるということ。



 夫婦についても、同じように考えたらよい。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG 09++++++++++はやし浩司

●2009年8月5日に……

YDさんとのやり取りをしたのが、2006年の2月〜。
それからすでに3年。
改めて自分の書いた原稿を読み直してみる。
「おもしろい」と思うよりも前に、それ以後の私が、ほとんど進歩していないのを知る。
ここに書いた「悪玉親意識」(これは私が考えた言葉)にしても、今では、あちこちで
使われるようになった。
(ためしに、「悪玉親意識」で検索してみるとよい。)

 今回は、「悪玉親戚意識」ということになる。
何かにつけて、年長者が、年長風を吹かす。
たった1、2歳、年上というだけで、相手に向かって説教したりする。
一方、たった1、2歳、年下というだけで、自分は、それをだまって聞く。

 こうした傾向は、地方の田舎へ行けばいくほど、強くなる。

●決別

 私も今回、親類とは、決別することにした。
もちろん、中には親しく交際している人もいる。
そういう人はそういう人で、大切にしたい。

 ただ意識の上から、「親戚」というものを、はずす。
はずした上で、交際する人とは交際し、交際しない人とは、交際しない。
親戚であるとかないとか、そういうことで、相手を判断したくない。
江戸時代の昔なら、いざ知らず。
今は、そういう時代ではない。

 ついでに兄弟、姉妹についても、そういった意識とは決別する。
といっても、私には実姉は、1人しかいない。
大切にしたいとは思うが、今では他人以上の他人になってしまった。
たがいに歳を取りすぎたこともあるが、それ以上に、人生観がまったくかみ合わない。
……というより、実姉にも、どこか認知症の気配が出てきた(……と思う)。
会話そのものが、まったく、かみ合わない。

 ワイフの兄弟たちとは、うまく(たぶん?)、付き合っている。
みな、この浜松市内、およびその周辺に住んでいる。
たがいの行き来もある。
私にとっては、親類というよりは、友だち。
ワイフ自身も、そう思っている(?)。

 で、今、世の中が、急速に変化しつつある。
旧態依然の義理とか、人情とかいう世界が、音をたてて崩れ始めている。
冠婚葬祭にしても、質素になってきた。
驚いたのは、このあたりでも、初盆すらしない家庭がふえていること。

 正確な数字を改めて、拾ってみたい。

●初盆はしない

 ワイフの実母が、浜名湖畔にある、I村という、村の出身である。
昔から何かとしきたりが、きびしい土地がらである。
そんな村で、昨年(08年)、15世帯の家の人たちが、初盆を迎えることになった。
しかし実際、初盆の供養(僧侶、親戚を呼んでの儀式)をした家庭は、7世帯
だけだったという。

 この数字は、私が改めて確認したものなので、正確。

 浜松市内のような都会での数字ではない。
I村という、(昔からのしきたりが、きびしい土地)での話である。

 私はその話を、直接、喪主から聞いた。
加えて、驚いた。

●これからの日本

 で、それがよいことなのか、悪いことなのかは、私にもわからない。
どういう方向に向かっているのかも、私にもわからない。
わからないが、今、この日本も、大きく変わりつつある。
それだけは事実。

 で、来週あたり、私は、実兄と実母の、一周忌の法要をすることになっている。
(私の宗派では、盆供養はしない。
その代わり、一周忌の供養はすることになっている。)

 それについて、「私は、それが最後」と心に決めている。
私も、今年、満62歳になる。
自分の哲学や人生観をねじまげてまで、世間に迎合するのも疲れた。
もとはといえば、『地蔵十王経』。
鎌倉時代にできた、まっかなニセ経。
そんな経典に従って、何年も何年も、供養(?)をつづけることに、どういう意味が
あるのか。
それがはたして、仏教と言えるのか。
(教え)と言えるのか。
 
 簡単に言えば、日本の仏教そのものが、カルト化している。
カルト化したまま、日本の風土の中に、定着してしまっている。

●人それぞれ

 頭が熱くなったが、親戚づきあいにしても、そのカルトの上に乗っている。
もちろん、たがいに濃密な世界を築いている人もいれば、希薄な人もいる。

 私の実家は濃密だが、それと比べると、ワイフの実家は希薄である。
また同じワイフの兄弟、姉妹でも、濃淡には、大きな違いがある。
だから最初の話に戻る。

「親戚づきあい。
いろいろある。
人それぞれ。
みな、ちがう」と。

 たがいにうまくいっているなら、それはそれでよい。
何も私のような他人がとやかく言う必要はない。
ただこれだけは、覚えておいてほしい。

 自分たちがうまくいっているからといって、その尺度で他人を見てはいけない
ということ。
自分の価値観、あるいは価値基準を他人に押しつけることだけは、避けてほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
親類づきあい 親戚付き合い 親類との確執 親子の確執)







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12
●愚痴

●愚痴(Complaint or Grumble)

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英語と日本語を一致させることはできない。
微妙にニュアンスがちがうことが多い。
たとえば「愚痴」を、英語では、「complaint(不平・不満)」という。
しかし「愚痴」と、「complaint」は、どこかちがう?
そういうことはあるが、その「complaint」について、アメリカの精神医学会
(American Psychiatric Association)は、「不安神経障害(Anxiety Disorder)」
の主症状のひとつにあげている(DSM-4)。

愚痴をあれこれ言うこと自体、「障害(Disorder)」のひとつというわけである。
なるほど!
だから、愚痴は言わない。

APAのHPには、つぎのようにある(一部抜粋)。

In behavioral health care as in general medicine, when an individual complains of a 
subjectively experienced disturbance or unpleasant perception such as pain or anxiety, we 
call this a symptom. We distinguish this from a sign such as slurred speech which a 
professional can observe.
(苦痛や心配ごとのような混乱や不快感について、不平、不満を訴えることを、「症状」といい、
たとえばおどおどした態度のような、専門家でないと区別できないような症状を、「兆候」とい
う。)

+++++++++++++++++++++++++

●日本語

 日本語を使っているとき、ときどき、こう感ずることがある。
「日本語って、すぐれているなあ」と。
とくに(心)を表現する用語が、きわめて豊富である。

 たとえば10年ほど前から、欧米では、さかんに「attachment(アタッチメント)」
という言葉が使われるようになった。
「愛着行為(行動)」と翻訳されている。
が、これなどは、「赤ちゃん返り」の類義語と考えればよい(反論もあるだろうが……。)

 心理学で言う「固着」にしても、日本語には、「わだかまり」とか、「こだわり」とか
いう言葉がある。その類義語と考えればよい。(反論もあるだろうが……。)

 さらに日本語には、「取り越し苦労」とか、「ヌカ喜び」という言葉もある。
これなどは、まさに「不安神経障害(Anxiety Disorder)」の主症状のひとつと考えてよい。
(反論もあるだろうが……。)
精神的に不安定な人ほど、取り越し苦労とヌカ喜びを、いつも繰り返す。

 私たちは専門家ではないから、(逃げるわけではないが……)、要するに、心理学と
いっても、よりよく自分の人生を生きるための道具にすぎない。
またそういう目的のために利用すればよい。
(それでお金を稼いでいる人は別だが……。)

冒頭にあげた、愚痴(complaint)にしてもそうだ。
「愚痴を口にしたら、精神状態はふつうでない」と考えてよい。
(反論もあるだろうが……。)

●K子さん(62歳)の例

 当時、私は無料で、電話相談なるものを受け付けていた。
そんなある日、K子さんという女性から、家族の問題について、相談があった。
静かで、落ち着いた女性だった……と感じたのは、最初の1回目のときだけ。
それにつづく相談は、まさに「?」としか思えないようなものだった。

 いくつか特徴があった。

(1)一方的にしゃべるだけ。
(2)不平、不満をしゃべるだけ。
(3)「では、どうすればいいのか」という話し合いができない。
(4)ことこまかに、どうでもよいことを、しゃべるだけ。
(5)つぎの相談のときには、前の相談のことを忘れてしまっている(?)。
(6)前回の相談のときの矛盾をつくと、パニックになる。
(7)「私はすばらしい」「まちがっていない」ということを強調する。
(8)私が反論的な意見をそえると、それに猛反発する。
(9)子どもの相談といいながら、ときとして、夫や姑の話になる。
(10)そういう電話が、毎回、ときに1時間以上も、ねちねちとつづく。

 当時の私は、「愚痴を聞いてやるだけでもいいのでは」と考えて、K子さんの
言うままにしておいた。
しかしまともに聞いていると、こちらまで気が変になりそう。
そう感じたから、ときには受話器を耳からはずして、「そうですか」「そうですね」だけを
繰り返した。
一度だが、私の方から電話を切ろうとしたことがある。
とたん、K子さんは、パニック。
激怒。

「どうして私の話を聞いてくれないのですかア!」と。

●愚痴 

 「愚痴は言わない」というのは、さわやかに生きるための大鉄則。
だが、同時に、「他人の愚痴を聞かない」というのも、重要。
愚痴には、恐ろしい魔力がある。

 仏教でも、肉体の奴隷になることを、強く戒めている。
もし肉体の命ずるままに、精神が動揺したら、人間はそのまま畜生と化す。
その中でも、とくに警戒すべきものが、『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』。

ここでいう『痴』というのは、仏教でいうところの『愚痴(ぐち)』をいう。

 要するに、(愚かさ)が極まった状態を、『痴(ち)』といい、それが愚痴の語源に
なっている。
わかりやすく言えば、愚痴を言うこと自体、その人が愚かであることを意味する。
その(愚かさ)に接していると、接するこちら側まで、愚かになる。
だからある賢人は、こう言った。

 「怒っていたら、愚痴を言うな。愚痴を聞いても、怒るな」と。
けだし、明言である。

 ともかくも、愚痴を言うということ自体、アメリカでは、精神障害(mental disorder)
を疑われるということ。
日本では、愚痴を軽く考える傾向があるが、アメリカでは、そうでないということ。
気をつけよう。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW はやし浩司 愚痴 愚痴論 complainment 不安神経障害)


+++++++++++++++++++++

数日前から、「グチ(愚痴)」について書いている。
仏教で教える「愚痴」というのは、読んで字のとおり、
「愚かさが極まった状態」をいう。

が、日本語で「グチ」というと、不平、不満を、
意味もなくタラタラと口にすることをいう。

そのグチについて調べていたら、アメリカでは、
不安神経障害(Anxiety Disorder)の主症状の
ひとつであることがわかった。

++++++++++++++++++++++

●日本人のグチ

 この日本では、グチを言う人も、またそれを聞く人も、グチについては甘い。
「グチ」を、精神障害の症状のひとつと考えている人は、少ない。
実のところ、私も、そうだった。

 私自身も、グチを平気で口にしていた。
また私に対してグチを言う人がいても、「そういう話を聞いてやるのも、大切な
こと」と考えて、耳を傾けてやった。

 しかしグチはグチ。
精神障害にそのまま結びつくかどうかは別として、たしかにグチというのは、
それ自体、見苦しい。
グチをこぼす人も見苦しいが、それを聞くほうも、つらい。
不愉快。
よいことは何もない。

 で、これからはちがう。
「精神障害の主症状のひとつ」と考えて、私はグチを言わない。
一方、私にグチを言う人がいても、耳は貸さない。
聞いてやる必要もない。

 もしグチを言う人がいたら、こう言ってやるのはどうか。
「一度、精神科で診てもらったら?」と。
……と書くのは、少し言いすぎというのは、わかっている。
というのも、グチを言う人は、グチを言いながら、心に風穴をあけている。
言うなれば、ストレス発散のひとつの方法として、グチを言う。
だからその人のグチを抑え込んでしまったら、かえって症状は重くなってしまう
かもしれない。

 ただこういうことは言える。

 私の友人(外国人)たちを思い浮かべてみても、私にグチを言った人は、
ほとんどいないということ。
実際には、記憶のどこをさがしても、そういう人が出てこない。
日本人特有の、あのグチである。
記憶の中に、そういう人が出てこない。

 ということは、欧米人の間には、やはり「グチというのは、精神疾患の主症状
のひとつ」という認識があるからではないか、……ということになる。
グチを口にしたら、精神障害者と疑われてもしかたない(?)。
あるいは幼いころから、また環境的にも、歴史的にも、グチを言わない社会に
なっている(?)。

 日本では当たり前のように、言ったり、聞いたりしているグチだが、外国では
別の考え方をしている。
それだけは、確かなようである。

【はやし浩司流、今日の教え】

●グチは言わない。聞かない。
グチを言う前に、自分で考えて、自分で行動し、自分で解決せよ。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG 09++++++++++はやし浩司

●地蔵十王経

「地蔵十王経」の由来については、ウィキペディア百科事典が、詳しく書いている。
難解な文章がつづくが、そのまま紹介させてもらう。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

仏教が中国に渡り、当地の道教と習合していく過程で偽経の『閻羅王授記四衆逆修生七往生
浄土経』(略称として『預修十王生七経』)が作られ、晩唐の時期に十王信仰は成立した。また
道教経典の中にも、『元始天尊説?都滅罪経』、『地府十王抜度儀』、『太上救苦天尊説消愆滅
罪経』という同名で同順の十王を説く経典が存在する。

『預修十王生七経』が、一般的な漢訳仏典と際立って異なっている点は、その巻首に「成都府
大聖慈寺沙門蔵川述」と記している点である。漢訳仏典という用語の通り、たとえ偽経であった
としても、建て前として「○○代翻経三蔵△△訳」のように記すのが、漢訳仏典の常識である。

しかし、こと「十王経」に限っては、この当たり前の点を無視しているのである。この点が、「十
王経」類の特徴である。と言うのは、後述の日本で撰せられたと考えられる『地蔵十王経』の巻
首にも、同様の記述がある。それ故、中国で撰述されたものと、長く信じられてきたという経緯
がある。ただ、これは、『地蔵十王経』の撰者が、自作の経典の権威づけをしようとして、先達
の『預修十王生七経』の撰述者に仮託したものと考えられている。また、訳経の体裁を借りな
かった点に関しては、本来の本経が、経典の体裁をとっておらず、はじめ、礼讃文や儀軌の類
として制作された経緯に拠るものと考えられている。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

要するに、「地蔵十王経」というのは、中国でできた偽経の上に、さらに日本でできた偽経とい
うこと。

が、この「地蔵十王経」が、日本の葬式仏教の基本になっているから、無視できない。
たとえば私たちが葬儀のあとにする、初七日以下、四十九日の儀式など、この「地蔵十王経」
が原点になっている。

+++++++++++以下、ウィキペディア百科事典より++++++++++

死者の審理は通常七回行われる。没して後、七日ごとにそれぞれ秦広王(初七日)・初江王
(十四日)・宋帝王(二十一日)・五官王(二十八日)・閻魔王(三十五日)・変成王(四十二日)・
泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理を担当する。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場合は次の審理に回る事は無く、抜けて転生してい
く事になるため、七回すべてやるわけではない。一般には、五七日の閻魔王が最終審判とな
り、ここで死者の行方が決定される。これを引導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の
語源となった。

七回の審理で決まらない場合も考慮されており、追加の審理が三回、平等王(百ヶ日忌)・都
市王(一周忌)・五道転輪王(三回忌)となる。ただし、七回で決まらない場合でも六道のいずれ
かに行く事になっており、追加の審理は実質救済処置である。もしも地獄道・餓鬼道・畜生道
の三悪道に落ちていたとしても助け、修羅道・人道・天道に居たならば徳が積まれる仕組みと
なっている。

なお、仏事の法要は大抵七日ごとに七回あるのは、審理のたびに十王に対し死者への減罪
の嘆願を行うためであり、追加の審理の三回についての追善法要は救い損ないを無くすため
の受け皿として機能していたようだ。

現在では簡略化され通夜・告別式・初七日の後は四十九日まで法要はしない事が通例化して
いる。

+++++++++++以上、ウィキペディア百科事典より++++++++++

つまり人は死ぬと、7回の裁判を受けるという。

死後、七日ごとにそれぞれ、

(1)秦広王(初七日)
(2)初江王 (十四日)
(3)宋帝王(二十一日)
(4)五官王(二十八日)
(5)閻魔王(三十五日)
(6)変成王(四十二日)
(7)泰山王(四十九日)の順番で一回ずつ審理がされるという。

ただし、各審理で問題が無いと判断された場ばあいは、つぎの審理に回ることはなく、
抜けて転生していくことになるため、七回すべてやるわけではないという。

一般には、五十七日の閻魔王が最終審判となり、ここで死者の行方が決定される。これを引
導(引接)と呼び、「引導を渡す」という慣用句の語源となったという(参考、引用、ウィキペディ
ア百科事典より)。

わかりやすく言えば、最終的には、五十七目に、閻魔王が、その死者を極楽へ送るか、地獄
へ送るかを決めるという。
私たちも子どものころ、「ウソをつくと、閻魔様に、舌を抜かれるぞ」とよく、脅された。

しかしこんなのは、まさに迷信。
霊感商法でも、ここまでは言わない。
もちろん釈迦自身も、そんなことは一度も述べていない。
いないばかりか、そのルーツは、中国の道教。
道教が混在して、こうした迷信が生まれた。

極楽も地獄も、ない。
あるわけがない。
死んだ人が7回も裁きを受けるという話に至っては、迷信というより、コミック漫画的ですらあ
る。

法の裁きが不備であった昔ならいざ知らず、現在の今、迷信が迷信とも理解されず、葬儀とい
うその人最後の、もっとも重要な儀式の中で、堂々とまかり通っている。
このおかしさに、まず私たち日本人自身が気づべきである。

「法の裁きが不備であった昔」というのは、当時の人たちなら、「悪いことをしたら地獄へ落ち
る」と脅されただけで、悪事をやめたかもしれない。
そういう時代をいう。

「死」というのは、どこまでも厳粛なものである。
そういう「死」が、ウソとインチキの上で、儀式化され、僧侶たちの金儲けの道具になっている。
このおかしさ。
そして悲しさ。

仏教を信ずるなら信ずるで、もう一度、私たちは仏教の原点に立ち戻ってみるべきではないだ
ろうか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 地蔵十王経 初七日 四十九日
 法要 偽経)







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(特集)【子どもの人格論】□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

【子どもの人格】

●幼児性の残った子ども

++++++++++++++++

人格の核形成が遅れ、その年齢に
ふさわしい人格の発達が見られない。

全体として、しぐさ、動作が、
幼稚ぽい。子どもぽい。

そういう子どもは、少なくない。

++++++++++++++++

 「幼稚」という言い方には、語弊がある。たとえば幼稚園児イコール、幼稚ぽいという
ことではない。幼稚園児でも、人格の完成度が高く、はっと驚くような子どもは、いくら
でもいる。

 が、その一方で、そうでない子どもも、少なくない。こうした(差)は、小学1、2年
生ごろになると、はっきりとしてくる。その年齢のほかの子どもに比べて、人格の核形成
が遅れ、乳幼児期の幼児性をそのまま持続してしまう。特徴としては、つぎのようなもの
がある。

(1) 独特の幼児ぽい動作や言動。
(2) 無責任で無秩序な行動や言動。
(3) しまりのない生活態度。
(4) 自己管理能力の欠落。
(5) 現実検証能力の欠落。

 わかりやすく言えば、(すべきこと)と、(してはいけないこと)の判断が、そのつど、
できない。自分の行動を律することができず、状況に応じて、安易に周囲に迎合してしま
う。

 原因の多くは、家庭での親の育児姿勢にあると考えてよい。でき愛と過干渉、過保護と
過関心など。そのときどきにおいて変化する、一貫性のない親の育児姿勢が、子どもの人
格の核形成を遅らせる。

 「人格の核形成」という言葉は、私が使い始めた言葉である。「この子は、こういう子ど
も」という(つかみどころ)を「核」と呼んでいる。人格の核形成の進んでいる子どもは、
YES・NOがはっきりしている。そうでない子どもは、優柔不断。そのときどきの雰囲
気に流されて、周囲に迎合しやすくなる。

 そこであなたの子どもは、どうか?

【人格の完成度の高い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、年上に見える。
○自己管理能力にすぐれ、自分の行動を正しく律することができる。
○YES・NOをはっきりと言い、それに従って行動できる。
○ハキハキとしていて、いつも目的をもって行動できる。

【人格の完成度の低い子ども】

○同年齢の子どもにくらべて、幼児性が強く残っている。
○自己管理能力が弱く、その場の雰囲気に流されて行動しやすい。
○優柔不断で、何を考えているかわからないところがある。
○グズグズすることが多く、ダラダラと時間を過ごすことが多い。

 では、どうするか?

 子どもの人格の核形成をうながすためには、つぎの3つの方法がある。

(1) まず子どもを、子どもではなく、1人の人間として、その人格を認める。
(2) 親の育児姿勢に一貫性をもたせる。
(3) 『自らに由(よ)らせる』という意味での、子育て自由論を大切にする。

++++++++++++++++++

今までに書いた原稿の中から
いくつかを選んで、ここに
添付します。

内容が少し脱線する部分があるかも
しれませんが、お許し下さい。

++++++++++++++++++

(1)【子どもの人格を認める】

●ストーカーする母親

 一人娘が、ある家に嫁いだ。夫は長男だった。そこでその娘は、夫の両親と同居するこ
とになった。ここまではよくある話。が、その結婚に最初から最後まで、猛反対していた
のが、娘の実母だった。「ゆくゆくは養子でももらって……」「孫といっしょに散歩でも…
…」と考えていたが、そのもくろみは、もろくも崩れた。

 が、結婚、2年目のこと。娘と夫の両親との折り合いが悪くなった。すったもんだの家
庭騒動の結果、娘夫婦と、夫の両親は別居した。まあ、こういうケースもよくある話で、
珍しくない。しかしここからが違った。なおこの話は、「本当にあった話」とわざわざ断り
たいほど、本当にあった話である。

 娘夫婦は、同じ市内の別のアパートに引っ越したが、その夜から、娘の実母(実母!)
による復讐が始まった。実母は毎晩夜な夜な娘に電話をかけ、「そら、見ろ!」「バチが当
たった!」「親を裏切ったからこうなった!」「私の人生をどうしてくれる。お前に捧げた
人生を返せ!」と。それが最近では、さらにエスカレートして、「お前のような親不孝者は、
はやく死んでしまえ!」「私が死んだら、お前の子どもの中に入って、お前を一生、のろっ
てやる!」「親を不幸にしたものは、地獄へ落ちる。覚悟しておけ!」と。それだけではな
い。

どこでどう監視しているのかわからないが、娘の行動をちくいち知っていて、「夫婦だけ
で、○○レストランで、お食事? 結構なご身分ですね」「スーパーで、特売品をあさっ
ているあんたを見ると、親としてなさけなくてね」「今日、あんたが着ていたセーターね、
あれ、私が買ってあげたものよ。わかっているの!」と。

 娘は何度も電話をするのをやめるように懇願したが、そのたびに母親は、「親に向かって、
何てこと言うの!」「親が、娘に電話をして、何が悪い!」と。そして少しでも体の調子が
悪くなると、今度は、それまでとはうって変わったような弱々しい声で、「今朝、起きると、
フラフラするわ。こういうとき娘のあんたが近くにいたら、病院へ連れていってもらえる
のに」「もう、長いこと会ってないわね。私もこういう年だからね、いつ死んでもおかしく
ないわよ」「明日あたり、私の通夜になるかしらねえ。あなたも覚悟しておいてね」と。

●自分勝手な愛

 親が子どもにもつ愛には、三種類ある。本能的な愛、代償的愛、それに真の愛。ここで
いう代償的愛というのは、自分の心のすき間を埋めるための、自分勝手でわがままな愛を
いう。たいていは親自身に、精神的な欠陥や情緒的な未熟性があって、それを補うために、
子どもを利用する。子どもが親の欲望を満足させるための道具になることが多い。そのた
め、子どもを、一人の人格をもった人間というより、モノとみる傾向が強くなる。いろい
ろな例がある。

 Aさん(60歳・母親)は、会う人ごとに、「息子なんて育てるものじゃ、ないですねえ。
息子は、横浜の嫁にとられてしまいました」と言っていた。息子が結婚して横浜に住んで
いることを、Aさんは、「取られた」というのだ。

 Bさん(45歳・母親)の長男(現在18歳)は、高校へ入学すると同時に、プツンし
てしまった。断続的に不登校を繰り返したあと、やがて家に引きこもるようになった。原
因ははげしい受験勉強だった。しかしBさんには、その自覚はなかった。つづいて二男に
も、受験期を迎えたが、同じようにはげしい受験勉強を強いた。「お兄ちゃんがダメになっ
たから、あんたはがんばるのよ」と。ところがその二男も、同じようにプツン。今は兄弟
二人は、夫の実家に身を寄せ、そこから、ときどき学校に通っている。

 Cさん(65歳・母親)は、息子がアメリカにある会社の支店へ赴任している間に、息
子から預かっていた土地を、勝手に転売してしまった。帰国後息子(40歳)が抗議する
と、Cさんはこう言ったという。「親が、先祖を守るために息子の金を使って、何が悪い!」
と。Cさんは、息子を、金づるくらいにしか考えていなかったようだ。その息子氏はこう
話した。

「何かあるたびに、私のところへきては、10〜30万円単位のお金をもって帰りまし
た。私の長男が生まれたときも、その私から、母は当時のお金で、30万円近く、もっ
て帰ったほどです。いつも『かわりに貯金しておいてやるから』が口ぐせでしたが、今
にいたるまで、1円も返してくれません」と。

 Dさん(60歳・女性)の長男は、ハキがなく、おとなしい人だった。それもあって、
Dさんは、長男の結婚には、ことごとく反対し、縁談という縁談を、すべて破談にしてし
まった。Dさんはいつも、こう言っていた。「へんな嫁に入られると、財産を食いつぶされ
る」と。たいした財産があったわけではない。昔からの住居と、借家が二軒あっただけで
ある。

 ……などなど。こういう親は、いまどき、珍しくも何ともない。よく「親だから……」「子
だから……」という、『ダカラ論』で、親子の問題を考える人がいる。しかしこういうダカ
ラ論は、ものの本質を見誤らせるだけではなく、かえって問題をかかえた人たちを苦しめ
ることになる。「実家の親を前にすると、息がつまる」「盆暮れに実家へ帰らねばならない
と思うだけで、気が重くなる」などと訴える男性や女性はいくらでもいる。

さらに舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)との折り合いが悪く、家庭騒動を繰り返してい
る家庭となると、今では、そうでない家庭をさがすほうが、むずかしい。中には、「殺し
てやる!」「お前らの前で、オレは死んでやる!」と、包丁やナタを振り回している舅す
ら、いる。

 そうそう息子が二人ともプツンしてしまったBさんは、私にも、ある日こう言った。「夫
は学歴がなくて苦労しています。息子たちにはそういう苦労をさせたくないので、何とか
いい大学へ入ってもらいたいです」と。

●子どもの依存性

 人はひとりでは生きていかれない存在なのか。「私はひとりで生きている」と豪語する人
ですら、何かに依存して生きている。金、モノ、財産、名誉、地位、家柄など。退職した
人だと、過去の肩書きに依存している人もいる。あるいは宗教や思想に依存する人もいる。
何に依存するかはその人の勝手だが、こうした依存性は、相互的なもの。そのことは、子
どもの依存性をみているとわかる。

 依存心の強い子どもがいる。依存性が強く、自立した行動ができない。印象に残ってい
る子どもに、D君(年長児)という子どもがいた。帰りのしたくの時間になっても、机の
前でただ立っているだけ。「机の上のものを片づけようね」と声をかけても、「片づける」
という意味そのものがわからない……、といった様子。そこであれこれジェスチャで、し
まうように指示したのだが、そのうち、メソメソと泣き出してしまった。多分、家では、
そうすれば、家族のみながD君を助けてくれるのだろう。

 一方、教える側からすれば、そういう涙にだまされてはいけない。涙といっても、心の
汗。そういうときは、ただひたすら冷静に片づけるのを待つしかない。いや、内心では、
D君がうまく片づけられたら、みなでほめてやろうと思っていた。が、運の悪いことに(?)、
その日にかぎって、母親がD君を迎えにきていた。そしてD君の泣き声を聞きつけると、
教室へ飛び込んできて、こう言った。ていねいだが、すごみのある声だった。「どうしてう
ちの子を泣かすのですか!」と。

 そういう子どもというより、その子どもを包む環境を観察してみると、おもしろいこと
に気づく。D君の依存性を問題にしても、親自身には、その認識がまるでないということ。
そういうD君でも、親は、「ふつうだ」と思っている。さらに私があれこれ問題にすると、
「うちの子は、生まれつきそうです」とか、「うちではふつうです」とか言ったりする。そ
こでさらに観察してみると、親自身が依存性に甘いというか、そういう生き方が、親自身
の生き方の基本になっていることがわかる。そこで私は気がついた。子どもの依存性は、
相互的なものだ、と。こういうことだ。

 親自身が、依存性の強い生き方をしている。つまり自分自身が依存性が強いから、子ど
もの依存性に気づかない。あるいはどうしても子どもの依存性に甘くなる。そしてそうい
う相互作用が、子どもの依存性を強くする。言いかえると、子どもの依存性だけを問題に
しても、意味がない。子どもの依存性に気づいたら、それはそのまま親自身の問題と考え
てよい。

……と書くと、「私はそうでない」と言う人が、必ずといってよいほど、出てくる。それ
はそうで、こうした依存性は、ある時期、つまり青年期から壮年期には、その人の心の
奥にもぐる。外からは見えないし、また本人も、日々の生活に追われて気づかないでい
ることが多い。しかしやがて老齢期にさしかかると、また現れてくる。先にあげた親た
ちに共通するのは、結局は、「自立できない親」ということになる。

●子どもに依存する親たち

 日本型の子育ての特徴を、一口で言えば、「子どもが依存心をもつことに、親たちが無頓
着すぎる」ということ。昔、あるアメリカの教育家がそう言っていた。つまりこの日本で
は、親にベタベタ甘える子どもイコール、かわいい子イコール、よい子とする。一方、独
立心が旺盛で、親を親とも思わない子どもを、「鬼っ子」として嫌う。私が生まれ育った岐
阜県の地方には、まだそういう風習が強く残っていた。今も残っている。

親の権威や権力は絶対で、親孝行が今でも、最高の美徳とされている。たがいにベタベ
タの親子関係をつくりながら、親は親で、子どものことを、「親思いの孝行息子」と評価
し、子どもは子どもで、それが子どもの義務と思い込んでいる。こういう世界で、だれ
かが親の悪口を言おうものなら、その子どもは猛烈に反発する。相手が兄弟でもそれを
許さない。「親の悪口を言う人は許さない!」と。

 今風に言えば、子どもを溺愛する親、マザーコンプレックス(マザコン)タイプの子ど
もの関係ということになる。このタイプの子どもは、自分のマザコン性を正当化するため
に、親を必要以上に美化するので、それがわかる。

 こうした依存性のルーツは、深い。長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのもの
がもつ習性(?)とからんでいる。私はこのことを、ある日、ワイフとロープウェイに乗
っていて発見した。

●ロープウェイの中で

 春のうららかな日だった。私とワイフは、近くの遊園地へ行って、そこでロープウェイ
に乗った。中央に座席があり、そこへ座ると、ちょうど反対側に、60歳くらいの女性と、
五歳くらいの男の子が座った。おばあちゃんと孫の関係だった。その2人が、私たちとは
背中合わせに、会話を始めた。(決して盗み聞きしたわけではない。会話がいやおうなしに
聞こえてきたのだ。)その女性は、男の子にこう言っていた。

 「オバアちゃんと、イッチョ(一緒)、楽しいね。楽しいね。お山の上に言ったら、オイ
チイモノ(おいしいもの)を食べようね。お小づかいもあげるからね。オバアちゃんの言
うこと聞いてくれたら、ホチイ(ほしい)ものを何でも買ってあげるからね」と。
 
 一見ほほえましい会話に聞こえる。日本人なら、だれしもそう思うだろう。が、私はそ
の会話を聞きながら、「何か、おかしい」と思った。60歳くらいの女性は、孫をかわいが
っているように見えるが、その実、孫の人格をまるで認めていない。まるで子どもあつか
いというか、もっと言えば、ペットあつかい! その女性は、5歳の子どもに、よい思い
をさせるのが、祖母としての努めと考えているようなフシがあった。そしてそうすること
で、祖母と孫の絆(きずな)も太くなると、錯覚しているようなフシがあった。

 しかしこれは誤解。まったくの誤解。たとえばこの日本では、誕生日にせよ、クリスマ
スにせよ、より高価なプレゼントであればあるほど、親の愛の証(あかし)であると考え
ている人は多い。また高価であればあるほど、子どもの心をつかんだはずと考えている人
は多い。しかし安易にそうすればするほど、子どもの心はあなたから離れる。仮に一時的
に子どもの心をつかむことはできても、あくまでも一時的。理由は簡単だ。

●釣竿を買ってあげるより、一緒に釣りに行け

 人間の欲望には際限がない。仮に一時的であるにせよ、欲望をモノやお金で満足させた
子どもは、つぎのときには、さらに高価なものをあなたに求めるようになる。そのときつ
ぎつぎとあなたがより高価なものを買い与えることができれば、それはそれで結構なこと
だが、それがいつか途絶えたとき、子どもはその時点で自分の欲求不満を爆発させる。そ
してそれまでにつくりあげた絆(本当は絆でも何でもない)を、一挙に崩壊させる。「バイ
クぐらい、買ってよこせ!」「どうして私だけ、夏休みにオーストラリアへ行ってはダメな
の!」と。

 イギリスには、『子どもには釣竿を買ってあげるより、子どもと一緒に、魚釣りに行け』
という格言がある。子どもの心をつかみたかったら、モノを買い与えるのではなく、よい
思い出を一緒につくれという意味だが、少なくとも、子どもの心は、モノやお金では釣れ
ない。それはさておき、その六〇歳の女性がしたことは、まさに、子どもを子どもあつか
いすることにより、子どもを釣ることだった。

 しかし問題はこのことではなく、なぜ日本人はこうした子育て観をもっているかという
こと。また周囲の人たちも、「ほほえましい光景」と、なぜそれを容認してしまうかという
こと。ここの日本型子育ての大きな問題が隠されている。

 それが、私がここでいう、「長くつづいた封建制度、あるいは日本民族そのものがもつ習
性(?)とからんでいる」ということになる。つまりこの日本では、江戸時代の昔から、
あるいはそれ以前から、『女、子ども』という言い方をして、女性と子どもを、人間社会か
ら切り離してきた。私が子どものときですら、そうだった。

NHKの大河ドラマの『利家とまつ』あたりを見ていると、江戸時代でも結構女性の地
位は高かったのだと思う人がいるかもしれないが、江戸時代には、女性が男性の仕事に
口を出すなどということは、ありえなかった。とくに武家社会ではそうで、生活空間そ
のものが分離されていた。日本はそういう時代を、何100年間も経験し、さらに不幸
なことに、そういう時代を清算することもなく、現代にまで引きずっている。まさに『利
家とまつ』がそのひとつ。いまだに封建時代の圧制暴君たちが英雄視されている!

 が、戦後、女性の地位は急速に回復した。それはそれだが、しかし取り残されたものが
ひとつある。それが『女、子ども』というときの、「子ども」である。

●日本独特の子ども観

 日本人の多くは、子どもを大切にするということは、子どもによい思いをさせることだ
と誤解している。もう10年近くも前のことだが、一人の父親が私のところへやってきて、
こう言った。「私は忙しい。あなたの本など、読むヒマなどない。どうすればうちの子をい
い子にすることができるのか。一口で言ってくれ。そのとおりにするから」と。
 私はしばらく考えてこう言った。「使うことです。子どもは使えば使うほど、いい子にな
ります」と。

 それから10年近くになるが、私のこの考え方は変わっていない。子どもというのは、
皮肉なことに使えば使うほど、その「いい子」になる。生活力が身につく。忍耐力も生ま
れる。が、なぜか、日本の親たちは、子どもを使うことにためらう。はからずもある母親
はこう言った。「子どもを使うといっても、どこかかわいそうで、できません」と。子ども
を使うことが、かわいそうというのだが、どこからそういう発想が生まれるかといえば、
それは言うまでもなく、「子どもを人間として認めていない」ことによる。私の考え方は、
どこか矛盾しているかのように見えるかもしれないが、その前に、こんなことを話してお
きたい。

●友として、子どもの横を歩く

 昔、オーストラリアの友人がこう言った。親には3つの役目がある、と。ひとつはガイ
ドとして、子どもの前を歩く。もうひとつは、保護者として、子どものうしろを歩く。そ
して3つ目は、友として、子どもの横を歩く、と。

 日本人は、子どもの前やうしろを歩くのは得意。しかし友として、子どもの横を歩くの
が苦手。苦手というより、そういう発想そのものがない。もともと日本人は、上下意識の
強い国民で、たった1年でも先輩は先輩、後輩は後輩と、きびしい序列をつける。男が上、
女が下、夫が上、妻が下。そして親が上で、子が下と。親が子どもと友になる、つまり対
等になるという発想そのものがない。ないばかりか、その上下意識の中で、独特の親子関
係をつくりあげた。私がしばしば取りあげる、「親意識」も、そこから生まれた。

 ただ誤解がないようにしてほしいのは、親意識がすべて悪いわけではない。この親意識
には、善玉と悪玉がある。善玉というのは、いわゆる親としての責任感、義務感をいう。
これは子どもをもうけた以上、当然のことだ。しかし子どもに向かって、「私は親だ」と親
風を吹かすのはよくない。その親風を吹かすのが、悪玉親意識ということになる。「親に向
かって何だ!」と怒鳴り散らす親というのは、その悪玉親意識の強い人ということになる。
先日もある雑誌に、「父親というのは威厳こそ大切。家の中心にデーンと座っていてこそ父
親」と書いていた教育家がいた。そういう発想をする人にしてみれば、「友だち親子」など、
とんでもない考え方ということになるに違いない。

 が、やはり親子といえども、つきつめれば、人間関係で決まる。「親だから」「子どもだ
から」という「ダカラ論」、「親は〜〜のはず」「子どもは〜〜のはず」という「ハズ論」、
あるいは「親は〜〜すべき」「子は〜〜すべき」という、「ベキ論」で、その親子関係を固
定化してはいけない。固定化すればするほど、本質を見誤るだけではなく、たいていのば
あい、その人間関係をも破壊する。あるいは一方的に、下の立場にいるものを、苦しめる
ことになる。

●子どもを大切にすること

 話を戻すが、「子どもを人間として認める」ということと、「子どもを使う」ということ
は、一見矛盾しているように見える。また「子どもを一人の人間として大切にする」とい
うことと、「子どもを使う」ということも、一見矛盾しているように見える。とくにこの日
本では、子どもをかわいがるということは、子どもによい思いをさせ、子どもに楽をさせ
ることだと思っている人が多い。そうであるなら、なおさら、矛盾しているように見える。
しかし「子育ての目標は、よき家庭人として、子どもを自立させること」という視点に立
つなら、この考えはひっくりかえる。こういうことだ。

 いつかあなたの子どもがあなたから離れて、あなたから巣立つときがくる。そのときあ
なたは、子どもに向かってこう叫ぶ。

 「お前の人生はお前のもの。この広い世界を、思いっきり羽ばたいてみなさい。たった
一度しかない人生だから、思う存分生きてみなさい」と。

つまりそういう形で、子どもの人生を子どもに、一度は手渡してこそ、親は親の務めを
果たしたことになる。安易な孝行論や、家意識で子どもをしばってはいけない。もちろ
んそのあと、子どもが自分で考え、親のめんどうをみるとか、家の心配をするというの
であれば、それは子どもの問題。子どもの勝手。しかし親は、それを子どもに求めては
いけない。期待したり、強要してはいけない。あくまでも子どもの人生は、子どものも
の。

 この考え方がまちがっているというのなら、今度はあなた自身のこととして考えてみれ
ばよい。もしあなたの子どもが、あなたのためや、あなたの家のために犠牲になっている
姿を見たら、あなたは親として、それに耐えられるだろうか。もしそれが平気だとするな
ら、あなたはよほど鈍感な親か、あるいはあなた自身、自立できない依存心の強い親とい
うことになる。同じように、あなたが親や家のために犠牲になる姿など、美徳でも何でも
ない。仮にそれが美徳に見えるとしたら、あなたがそう思い込んでいるだけ。あるいは日
本という、極東の島国の中で、そう思い込まされているだけ。

 子どもを大切にするということは、子どもを一人の人間として自立させること。自立さ
せるということは、子どもを一人の人間として認めること。そしてそういう視点に立つな
ら、子どもに社会性を身につけさえ、ひとりで生きていく力を身につけさせるということ
だということがわかってくる。「子どもを使う」というのは、そういう発想にもとづく。子
どもを奴隷のように使えということでは、決して、ない。

●冒頭の話

 さて冒頭の話。実の娘に向かって、ストーカー行為を繰り返す母親は、まさに自立でき
ない親ということになる。いや、私はこの話を最初に聞いたときには、その母親の精神状
態を疑った。ノイローゼ? うつ病? 被害妄想? アルツハイマー型痴呆症? 何であ
れ、ふつうではない。嫉妬に狂った女性が、ときどき似たような行為を繰り返すという話
は聞いたことがある。そういう意味では、「娘を取られた」「夢をつぶされた」という点で
は、母親の心の奥で、嫉妬がからんでいるかもしれない。が、問題は、母親というより、
娘のほうだ。

 純粋にストーカー行為であれば、今ではそれは犯罪行為として類型化されている。しか
しそれはあくまでも、男女間でのこと。このケースでは、実の母親と、実の娘の関係であ
る。それだけに実の娘が感ずる重圧感は相当なものだ。遠く離れて住んだところで、解決
する問題ではない。また実の母親であるだけに、切って捨てるにしても、それ相当の覚悟
が必要である。あるいは娘であるがため、そういう発想そのものが、浮かんでこない。そ
の娘にしてみれば、母親からの電話におびえ、ただ一方的に母親にわびるしかない。

実際、親に、「産んでやったではないか」「育ててやったではないか」と言われると、子
どもには返す言葉がない。実のところ、私も子どものころ母親に、よくそう言われた。
しかしそれを言われた子どもはどうするだろうか。反論できるだろうか。……もちろん
反論できない。そういう子どもが反論できない言葉を、親が言うようでは、おしまい。
あるいは言ってはならない。仮にそう思ったとしても、この言葉だけは、最後の最後ま
で言ってはならない。言ったと同時に、それは親としての敗北を認めたことになる。

が、その娘の母親は、それ以上の言葉を、その娘に浴びせかけて、娘を苦しめている。
もっと言えば、その母親は「親である」というワクに甘え、したい放題のことをしてい
る。一方その娘は、そのワクの中に閉じ込められて、苦しんでいる。

 私もこれほどまでにひどい事件は、聞いたことがない。ないが、親子の関係もゆがむと、
ここまでゆがむ。それだけにこの事件には考えさせられた。と、同時に、輪郭(りんかく)
がはっきりしていて、考えやすかった。だから考えた。考えて、この文をまとめた。
(02−9−14)※

++++++++++++++++

(2)【育児の一貫性】

子育ての一貫性

 以前、「信頼性」についての原稿を書いた。この中で、親子の信頼関係を築くためには、
一貫性が大切と書いた。その「一貫性」について、さらにここでもう一歩、踏みこんで考
えてみたい。

 その前に、念のため、そのとき書いた原稿を、再度掲載する。

++++++++++++++++++++++

信頼性

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外で
はない。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本
である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、
反対にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような
調子で、同じようなパターンで、答えてあげること。こうしたあなたの一貫性を見ながら、
子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことができる。こうした安定的な人間関係が、
ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基
本的信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの3つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。
これを第1世界という。園や学校での世界。これを第2世界という。そしてそれ以外の、
友だちとの世界。これを第3世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第2世界、つづいて第3世界へと、応用して
いく。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第2世界、第3世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の
基本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親
側の情緒不安や、親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなば
あい、子どもは、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、
人間関係になる。これを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分
野で現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ね
たみ症状などは、こうした基本的不信関係から生まれる。第2世界、第3世界においても、
良好な人間関係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れ
る。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安
心して」というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分
をさらけ出せる環境」をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役
目ということになる。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよ
い。

● 「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
● 子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じよう
に接する。
● きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くな
るというのは、避ける。

+++++++++++++++++++++

 よくても悪くても、親は、子どもに対して、一貫性をもつ。子どもの適応力には、もの
すごいものがある。そういう一貫性があれば、子どもは、その親に、よくても、悪くても、
適応していく。

 ときどき、封建主義的であったにもかかわらず、「私の父は、すばらしい人でした」と言
う人がいる。A氏(60歳男性)が、そうだ。「父には、徳川家康のような威厳がありまし
た」と。

 こういうケースでは、えてして古い世代のものの考え方を肯定するために、その人はそ
う言う。しかしその人が、「私の父は、すばらしい人でした」と言うのは、その父親が封建
主義的であったことではなく、封建主義的な生き方であるにせよ、そこに一貫性があった
からにほかならない。

 子育てでまずいのは、その一貫性がないこと。言いかえると、子どもを育てるというこ
とは、いかにしてその一貫性を貫くかということになる。さらに言いかえると、親がフラ
フラしていて、どうして子どもが育つかということになる。
(030623)
(はやし浩司 一貫性)

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(3)【子育て自由論】

●親子でつくる三角関係

 本来、父親と母親は一体化し、「親」世界を形成する。

 その親世界に対して、子どもは、一対一の関係を形成する。

 しかしその親子関係が、三角関係化するときがある。父親と、母親の関係、つまり夫婦
関係が崩壊し、父親と子ども、母親と子どもの関係が、別々の関係として、機能し始める。
これを親子の三角関係化(ボーエン)という。

 わかりやすく説明しよう。

 たとえば母親が、自分の子どもを、自分の味方として、取り込もうとしたとする。

「あなたのお父さんは、だらしない人よ」
「私は、あんなお父さんと結婚するつもりはなかったけれど、お父さんが強引だったのよ」
「お父さんの給料が、もう少しいいといいのにね。お母さんたちが、苦労するのは、あの
お父さんのせいなのよ」
「お父さんは、会社では、ただの書類整理係よ。あなたは、あんなふうにならないでね」
と。

 こういう状況になると、子どもは、母親の意見に従わざるをえなくなる。この時期、子
どもは、母親なしでは、生きてはいかれない。

 つまりこの段階で、子どもは、母親と自分の関係と、父親と自分の関係を、それぞれ独
立したものと考えるようになる。これがここでいう「三角関係化」(ボーエン)という。

 こうした三角関係化が進むと、子どもにとっては、家族そのものが、自立するための弊
害になってしまう。つまり、子どもの「個人化」が遅れる。ばあいによっては、自立その
ものが、できなくなってしまう。

●個人化

 子どもの成育には、家族はなくてならないものだが、しかしある時期がくると、子ども
は、その家族から独立して、その家族から抜け出ようとする。これを「個人化」(ボーエン)
という。

 が、家族そのものが、この個人化をはばむことがある。

 ある男性(50歳、当時)は、こんなことで苦しんでいた。

 その男性は、実母の葬儀に、出なかった。その数年前のことである。それについて、親
戚の伯父、伯母のみならず、近所の人たちまでが、「親不孝者!」「恩知らず!」と、その
男性を、ののしった。

 しかしその男性には、だれにも話せない事情があった。その男性は、こう言った。「私は、
父の子どもではないのです。祖父と母の間にできた子どもです。父や私をだましつづけた
母を、私は許すことができませんでした」と。

 つまりその男性は、家族というワクの中で、それを足かせとして、悶々と苦しみ、悩ん
でいたことになる。

 もちろんこれは50歳という(おとな)の話であり、そのまま子どもの世界に当てはめ
ることはできない。ここでいう個人化とは、少しニュアンスがちがうかもしれない。しか
しどんな問題であるにせよ、それが子どもの足かせとなったとき、子どもは、その問題で、
苦しんだり、悩んだりするようになる。

 そのとき、子どもの自立が、はばまれる。

●個人化をはばむもの 

 日本人は、元来、子どもを、(モノ)もしくは、(財産)と考える傾向が強い。そのため、
無意識にうちにも、子どもが自立し、独立していくことを、親が、はばもうとすることが
ある。独立心の旺盛な子どもを、「鬼の子」と考える地方もある。

 たとえば、親のそばを離れ、独立して生活することを、この日本では、「親を捨てる」と
いう。そういう意味でも、日本は、まさに依存型社会ということになる。

 親にベタベタと甘える子どもイコール、かわいい子。かわいい子イコール、よい子とし
た。

 そしてそれに呼応する形で、親は、子どもに甘え、依存する。

 ある母親は、私にこう言った。「息子は、横浜の嫁に取られてしまいました。親なんて、
さみしいもんですわ」と。

 その母親は、自分の息子が結婚して、横浜に住むようになったことを、「嫁に取られた」
と言う。そういう発想そのものが、ここでいう依存性によるものと考えてよい。もちろん
その母親は、それに気づいていない。

 が、こうした依存性を、子どもの側が感じたとき、子どもは、それを罪悪感として、と
らえる。自分で自分を責めてしまう。実は、これが個性化をはばむ最大の原因となる。

 「私は、親を捨てた。だから私はできそこないの人間だ」と。

●子どもの世界でも……

 家族は、子どもの成育にとっては、きわめて重要なものである。それについて、疑いを
もつ人はいない。

 しかしその家族が、今度は、子どもの成育に、足かせとなることもある。親の過干渉、
過保護、過関心、それに溺愛など。

 これらの問題については、たびたび書いてきたので、ここでは、もう少しその先を考え
てみたい。

 問題は、子ども自身が、自立することそのものに、罪悪感を覚えてしまうケースである。
たとえばこんな例で考えてみよう。

 ある子どもは、幼児期から、「勉強しなさい」「もっと勉強しなさい」と追い立てられた。
英語教室や算数教室にも通った。(実際には、通わされた。)そしていつしか、勉強ができ
る子どもイコール、優秀な子ども。勉強ができない子どもイコール、できそこないという
価値観を身につけてしまった。

 それは親の価値観でもあった。こうした価値観は、親がとくに意識しなくても、そっく
りそのまま子どもに植えつけられる。

 で、こういうケースでは、その子どもにそれなりに能力があれば、それほど大きな問題
にはならない。しかしその子どもには、その能力がなかった。小学3、4年を境に、学力
がどんどんと落ちていった。

 親はますますその子どもに勉強を強いた。それはまさに、虐待に近い、しごきだった。
塾はもちろんのこと、家庭教師をつけ、土日は、父親が特訓(?)をした。

 いつしかその子どもは、自信をなくし、自らに(ダメ人間)のレッテルを張るようにな
ってしまった。

●現実検証能力 

 自分の周囲を、客観的に判断し、行動する能力のことを、現実検証能力という。この能
力に欠けると、子どもでも、常識はずれなことを、平気でするようになる。

 薬のトローチを、お菓子がわりに食べてしまった子ども(小学生)
 電気のコンセントに粘土をつめてしまった子ども(年長児)
 バケツで色水をつくり、それを友だちにベランダの上からかけていた子ども(年長児)
 友だちの誕生日プレゼントに、酒かすを箱に入れて送った子ども(小学生)
 先生の飲むコップに、殺虫剤をまぜた子ども(中学生)などがいた。

 おとなでも、こんなおとながいた。

 贈答用にしまっておいた、洋酒のビンをあけてのんでしまった男性
 旅先で、帰りの旅費まで、つかいこんでしまった男性
 ゴミを捨てにいって、途中で近所の家の間に捨ててきてしまった男性
 毎日、マヨネーズの入ったサラダばかりを隠れて食べていた女性
 自宅のカーテンに、マッチで火をつけていた男性などなど。

 そうでない人には、信じられないようなことかもしれないが、生活の中で、現実感をな
くすと、おとなでも、こうした常識ハズレな行為を平気で繰りかえすようになる。わかり
やすく言うと、自分でしてよいことと悪いことの判断がつかなくなってしまう。

 一般的には、親子の三角関係化が進むと、この現実検証能力が弱くなると言われている
(ボーエン)。

●三角関係化を避けるために

 よきにつけ、あしきにつけ、父親と母親は、子どもの前では、一貫性をもつようにする
こと。足並みの乱れは、家庭教育に混乱を生じさせるのみならず、ここでいう三角関係化
をおし進める。

 もちろん、父親には父親の役目、母親には母親の役目がある。それはそれとして、たが
いに高度な次元で、尊敬し、認めあう。その上で、子どもの前では、一貫性を保つように
する。この一貫性が、子どもの心を、はぐくむ。

++++++++++++++

以前、こんな原稿を書いた。
中日新聞に発表済みの原稿である。

++++++++++++++

●夫婦は一枚岩

 そうでなくても難しいのが、子育て。夫婦の心がバラバラで、どうして子育てができる
のか。その中でもタブー中のタブーが、互いの悪口。

ある母親は、娘(年長児)にいつもこう言っていた。「お父さんの給料が少ないでしょう。
だからお母さんは、苦労しているのよ」と。

あるいは「お父さんは学歴がなくて、会社でも相手にされないのよ。あなたはそうなら
ないでね」と。母親としては娘を味方にしたいと思ってそう言うが、やがて娘の心は、
母親から離れる。離れるだけならまだしも、母親の指示に従わなくなる。

 この文を読んでいる人が母親なら、まず父親を立てる。そして船頭役は父親にしてもら
う。賢い母親ならそうする。この文を読んでいる人が父親なら、まず母親を立てる。そし
て船頭役は母親にしてもらう。つまり互いに高い次元に、相手を置く。

たとえば何か重要な決断を迫られたようなときには、「お父さんに聞いてからにしましょ
うね」(反対に「お母さんに聞いてからにしよう」)と言うなど。仮に意見の対立があっ
ても、子どもの前ではしない。

父、子どもに向かって、「テレビを見ながら、ご飯を食べてはダメだ」
母「いいじゃあないの、テレビぐらい」と。

こういう会話はまずい。こういうケースでは、父親が言ったことに対して、母親はこう
援護する。「お父さんがそう言っているから、そうしなさい」と。そして母親としての意
見があるなら、子どものいないところで調整する。

子どもが学校の先生の悪口を言ったときも、そうだ。「あなたたちが悪いからでしょう」
と、まず子どもをたしなめる。相づちを打ってもいけない。もし先生に問題があるなら、
子どものいないところで、また子どもとは関係のない世界で、処理する。これは家庭教
育の大原則。

 ある著名な教授がいる。数10万部を超えるベストセラーもある。彼は自分の著書の中
で、こう書いている。「子どもには夫婦喧嘩を見せろ。意見の対立を教えるのに、よい機会
だ」と。

しかし夫婦で哲学論争でもするならともかくも、夫婦喧嘩のような見苦しいものは、子
どもに見せてはならない。夫婦喧嘩などというのは、たいていは見るに耐えないものば
かり。

その教授はほかに、「子どもとの絆を深めるために、遊園地などでは、わざと迷子にして
みるとよい」とか、「家庭のありがたさをわからせるために、二、三日、子どもを家から
追い出してみるとよい」とか書いている。とんでもない暴論である。わざと迷子にすれ
ば、それで親子の信頼関係は消える。それにもしあなたの子どもが半日、行方不明にな
ったら、あなたはどうするだろうか。あなたは捜索願いだって出すかもしれない。

 子どもは親を見ながら、自分の夫婦像をつくる。家庭像をつくる。さらに人間像までつ
くる。そういう意味で、もし親が子どもに見せるものがあるとするなら、夫婦が仲よく話
しあう様であり、いたわりあう様である。助けあい、喜びあい、なぐさめあう様である。

古いことを言うようだが、そういう「様(さま)」が、子どもの中に染み込んでいてはじ
めて、子どもは自分で、よい夫婦関係を築き、よい家庭をもつことができる。

欧米では、子どもを「よき家庭人」にすることを、家庭教育の最大の目標にしている。
その第一歩が、『夫婦は一枚岩』、ということになる。

++++++++++++++++++

● あなたの子どもは、だいじょうぶ?

あなたの子どもの現実検証能力は、だいじょうぶだろうか。少し、自己診断してみよう。
つぎのような項目に、いくつか当てはまれば、子どもの問題としてではなく、あなたの
問題として、家庭教育のあり方を、かなり謙虚に反省してみるとよい。

( )何度注意しても、そのつど、常識ハズレなことをして、親を困らせる。
( )小遣いでも、その場で、あればあるだけ、使ってしまう。
( )あと先のことを考えないで、行動してしまうようなところがある。
( )いちいち親が指示しないと行動できないようなところがある。指示には従順に従う。
( )何をしでかすか不安なときがあり、子どもから目を離すことができない。

 参考までに、私の持論である、「子育て自由論」を、ここに添付しておく。

++++++++++++++++++

●己こそ、己のよるべ

 法句経の一節に、『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』というのがある。
法句経というのは、釈迦の生誕地に残る、原始経典の一つだと思えばよい。

釈迦は、「自分こそが、自分が頼るところ。その自分をさておいて、誰に頼るべきか」と。
つまり「自分のことは自分でせよ」と教えている。

 この釈迦の言葉を一語で言いかえると、「自由」ということになる。自由というのは、も
ともと「自らに由る」という意味である。つまり自由というのは、「自分で考え、自分で行
動し、自分で責任をとる」ことをいう。好き勝手なことを気ままにすることを、自由とは
言わない。子育ての基本は、この「自由」にある。

 子どもを自立させるためには、子どもを自由にする。が、いわゆる過干渉ママと呼ばれ
るタイプの母親は、それを許さない。先生が子どもに話しかけても、すぐ横から割り込ん
でくる。

私、子どもに向かって、「きのうは、どこへ行ったのかな」
母、横から、「おばあちゃんの家でしょ。おばあちゃんの家。そうでしょ。だったら、そう
言いなさい」
私、再び、子どもに向かって、「楽しかったかな」
母、再び割り込んできて、「楽しかったわよね。そうでしょ。だったら、そう言いなさい」
と。

 このタイプの母親は、子どもに対して、根強い不信感をもっている。その不信感が姿を
変えて、過干渉となる。大きなわだかまりが、過干渉の原因となることもある。

ある母親は今の夫といやいや結婚した。だから子どもが何か失敗するたびに、「いつにな
ったら、あなたは、ちゃんとできるようになるの!」と、はげしく叱っていた。

 次に過保護ママと呼ばれるタイプの母親は、子どもに自分で結論を出させない。あるい
は自分で行動させない。いろいろな過保護があるが、子どもに大きな影響を与えるのが、
精神面での過保護。「乱暴な子とは遊ばせたくない」ということで、親の庇護(ひご)のも
とだけで子育てをするなど。

子どもは精神的に未熟になり、ひ弱になる。俗にいう「温室育ち」というタイプの子ど
もになる。外へ出すと、すぐ風邪をひく。

 さらに溺愛タイプの母親は、子どもに責任をとらせない。自分と子どもの間に垣根がな
い。自分イコール、子どもというような考え方をする。ある母親はこう言った。「子ども同
士が喧嘩をしているのを見ると、自分もその中に飛び込んでいって、相手の子どもを殴り
飛ばしたい衝動にかられます」と。

また別の母親は、自分の息子(中二)が傷害事件をひき起こし補導されたときのこと。
警察で最後の最後まで、相手の子どものほうが悪いと言って、一歩も譲らなかった。た
またまその場に居あわせた人が、「母親は錯乱状態になり、ワーワーと泣き叫んだり、机
を叩いたりして、手がつけられなかった」と話してくれた。

 己のことは己によらせる。一見冷たい子育てに見えるかもしれないが、子育ての基本は、
子どもを自立させること。その原点をふみはずして、子育てはありえない。
(040607)
(はやし浩司 現実検証能力 ボーエン 個人化 三角関係 三角関係化)

+++++++++++++++++

【終わりに……】

 子どもは子どもらしく……とは、よく言う。しかし「子どもらしい」ということと、「幼
児性の持続」は、まったく別の問題である。

 また子どもだからといって、無責任で、無秩序であってよいということではない。どう
か、この点を誤解のないように、してほしい。
(はやし浩司 子供らしさ 幼児性の持続 子供の人格 人格の完成度)

 
Hiroshi Hayashi++++++++July.09+++++++++はやし浩司

(特集)【思春期の子どもの心】□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●子どもの心がつかめない(?)

+++++++++++++++++

心がつかめない娘(小6)について、
そのお母さんから、こんな相談があり
ました。

この問題について、考えてみたいと
思います。

+++++++++++++++++

どこからお話ししていいのか分りません。沢山の問題があるように思うのですが・・・。
どうか、少しでも、問題点が整理できればと、こちらのHPに投稿させて頂きました。

事の始まりは、先日娘の担任の先生から電話があったことです。

「実は、P子さん(=私の娘、小6)が、最近、A子さんにひどい言い方をしているようだ。下校
中、上下関係があるように見える」と言われました。それがたいへん、気になりました。

さらに、「実は去年の冬ごろ、ちょっとした事件がありまして」と、聞かされました。

先生の話の内容は、こういうことでした。娘のP子が、B子さんに本を貸したのですが、なかな
か返してくれないので、「返して」と言ったところ、B子さんは、「私は借りていない」と言ったとの
こと。

「確かにB子さんに貸したはず」と娘は言いましたが、しかし別の子から、「あっ、私、借りてる
よ」と、本を渡されました。娘はB子さんに謝り、この件は終了しました。

ところが、その後、B子さんが、「私のペンがない!」と騒ぎ出しました。周りの友人も手伝っ
て、探したところ、それが娘のP子の筆箱の中に、あったというのです。「あっ、そのペン私のじ
ゃない?」と、B子さんが言ったといいます。それを見ていた先生も中に入り、娘に聞くと、「違
う、これはお母さんに買ってもらったもの」と答えたというのです。

先生は「じゃあ、お母さんに聞いてもいいですか?」と、娘のP子に訪ねると、「ダメ」と答えたと
いうのです。

それはおかしいなーと、いうことで、周りからも疑われた。・・・・と、いう事がありました。先生
は、「もう、このことは済んだことなので、いいのですが・・・・。しかしP子さんが、A子さんにひど
く当ることなどを、とても心配しています。おうちでも話しあってみてください」と言いました。

 初耳でした。でも、結果として娘はみんなの前で泥棒にされてしまったのでしょうか。
とにかく、真実を知りたいと、私は、娘に聞いてみました。

まず、A子さんのことですが、娘のP子は、「思い当たることはない、何の事を言っているのか
わからない」と言いました。無意識でも、つまりこちらがその気でなくても、相手が傷ついている
としたら、とっても悲しい事だから、これから気をつけてねなどと、話しました。次にペンの事を
聞いたのですが、その話になるろ、娘は泣きだしてしまいました。

 ・・・・実はこのずっと以前から気になっていたのですが、子どもたちは文房の交換をしている
ようです。「このペンどうしたの? この前買ったペンはどこ行ったの?」と私がP子に聞くと、屈
託なく、「うん、友達が交換してっていうからいいよって」とか言います。

私「え? 何で?」
娘「どうしても欲しいって言うし、交換ならいいかなって。それに断る理由がないから」とのこと。

これもショックでしたが、きちんと「物をもっと大切にして欲しい。簡単に交換しないでほし
い。。。」などなど沢山話しこれからはしないでねと、そのときは、そういう話で終わりました。

 で、本題ですが、「ペンのことだけど、こんなことがあったんだって? そのペンはどうしたもの
なの?」と聞くと、娘はなかなか答えようとしませんでした。そこで(1)持ってきてしまった、(2)
拾った、(3)自分で買った、(4)その他の中のどれ?、と聞くと、やっとの事で、「交換したもの」
と言いました。

「じゃあ何であの時、そういわなかったの?」と聞くと、泣くばかりです。泣いて泣いて、やっと聞
けたのが、「交換しようって言われてしたのに、Bちゃんがどうしてそんな事を言い出したのか
分らなくって」と。

私「あなたは泥棒だと、他の人はそう思うよ、それでもいいの?」
娘「盗んだと思われてもいい。それでも自分の思いは言えない」と。

 最近、大きくなってきて、少し手が離れてきたと思って手を抜いてしまったと、我にかえりまし
た。低学年のころは、毎日のように主人と夜、子どもたちのことについて話し合っていたのも、
最近ではしていない事にも気付かされました。

で、昔からの悩みの種は、娘(相談の娘小6・この下に小3の妹がいます)の、対人関係につい
ての問題です。

私が働いていたため、娘が1歳半のときから保育園へ預けました。教育熱心で有名な保育園
でしたが、右を向きなさいと指示されても、右を向かないような娘でした。そんなわけで、先生
も、娘にかなり手を焼いていたようでした。何度も主人と呼び出されては、「お宅の子は人を見
る」とこんこんと言われました。

人見知りが極端にはげしく、突然話し掛けられたりすると、かたまって口を閉ざしたり、下を見
る、隠れるなどの行為をしました。ですから、極力休日は、家族で一緒にのんびりゆったり、栄
養を蓄えるつもりで、常に皆で横に手をつなぎ、時には後ろに回り背中をなでながら過ごしてい
ました。

小学校の入学時には、「大丈夫、なにも心配要らないよ」と、ぽんっと送り出したりしましたが、
当時は、本当に元気よく通っていました。が、大人に理解されにくい性格は中々変わることもな
く、「こう思ってるんだよ!」などと、口にした事は無いようです。

が、その一方で、娘は、地道に努力するタイプで、昨年、放送委員になったのですが、家で練
習し、運動会やおひつの放送も、物怖じせず、こなしていきました。

一時期、これは、何かの障害なのではないかと、悩みました。が、素人判断も出来ず、なんと
かやっていけていましたので・・・・。

現在も、三者面談などでは体をこわばらせ、手に冷や汗をかいています。落ち着きがなくなり、
なんとか作り笑いをしてみせたりするのですが、それも先生にはふざけているように見えるの
か、あまりよい印象は与えていないようです。

 そのような関係の先生ですが、今回の話し合った結果を、その先生に連絡しました。

私としては、なんとか、先生にだけでも誤解を解きたい。このままでは娘のP子がかわいそうと
の思いで話しました。

先生は「分りました。ペンの事は申すんでしまった事なので、(確かに時がたちすぎている)、今
さら蒸し返すのも何ですのでやめます」と言ってくれました。またペンのことについては、「やは
りあのペンはB子さんのものだったわけだ。でも、B子さんは、交換した気は全く無いですよ」と
のこと。私は「また相談にのって頂きたいので、よろしくお願いします」と言えただけです。

先生は、本当に娘のことを心配しているのか不安になりました。なぜ先生は、娘の側を少しで
も見ようとしてくれないのでしょうか。私は常に平等を心がけ、こちらが悪いのでは、と思いなが
ら話を聞くようにしているのですが。。。

長々とすみません。娘から話しを聞いて、娘には、「お母さんは、あなたを信じている。本当に
信じている。世界で一番の味方だから」「分った、お母さんが守ってあげる。心配しないで。で
も、努力しようね」と、言いました。

A子さんには本当に申し訳ない事をしたと思っています。とてもおとなしい子です。B子さんは、
大人うけする、ハツラツとしたとても気持ちのいい子です。クラスのリーダー的存在。親友の子
と喧嘩をした時だけ、娘に愚痴を言いにくるようです。

私は今、娘に何をしたらいいのか。先生に何を言ったらいいのか。主人とも話し合っています
が、行き詰まってしまっています。

本当に長くなって申し訳ありません。毎晩、この問題を考えていると、眠れません。アドバイスを
お願いします。
(大阪府、KR子、P子の母親より)

【はやし浩司より、P子さんのお母さんへ】

 メール、ありがとうございました。

 まず、最初に、一言。

 この種の問題は、たいへんありふれた問題です。はっきり言えば、何でもない問題です。

 まず、A子さんについてですが、A子さんは、P子さんに、いじめられていると訴えただけのこ
とです。ただP子さんには、その意識はなかった。つまり(いじめている)という意識がないまま、
結果として、いじめているという雰囲気になってしまった。それだけのことですが、これも(いじ
め)の問題では、よくあることです。

 B子さんとの本のトラブルについては、P子さんが、ウソを言っているだけのことです。何でも
ない、つまりは、子どもの世界では、よくあるウソです。一応たしなめながらも、おおげさに考え
る必要は、まったくありません。

 思春期の子どもは、自立を始めるとき、それまでになかったさまざまな変化を見せるようにな
ります。フロイトの説によれば、イド(心の根源部にある、欲望のかたまり)の活動が活発にな
り、ときとして、子どもは欲望のおもむくまま、行動するようになります。

 ウソ、盗みなどが、その代表的なものです。万引きもします。性への関心、興味も、当然、高
まってきます。しかしそういう形で、つまり親や社会に対して抵抗することで、子どもは、親から
自立しようとします。

 ですから、ここに書いたように、一応はたしなめながらも、それですませます。あなたのよう
に、子どもを追いつめてはいけません。これはP子さんの問題というよりは、完ぺき主義(?)
のあなたのほうに問題があるのではないかと思います。

それともあなたは、子どものころ、あなたの親に対して、ウソをついたことはないとでも言うので
しょうか? ものを盗んだことはないとでも言うのでしょうか? 親の目の届かないところで、男
の人と遊んだことはないとでも言うのでしょうか? もしそうなら、あなたは修道女? (失礼!)

 もしP子さんに問題があるとするなら、乳幼児期に、母子の間で、しっかりとした信頼関係が
結べなかったという点です。母子の間でできる信頼関係を、心理学の世界では、「基本的信頼
関係」といい、それが結べなかった状態を、「基本的不信関係」といいます。

 この信頼関係が基本となって、その後、先生との関係、友人関係、異性関係へと発展してい
きます。

 そのころの(不具合)が、今、P子さんの対人関係に、影響を与えているものと思われます。
が、しかしそれは遠い過去の話。今さら、どうしようもない問題です。

 ですから今は、「うちの子は、人間関係を結ぶのが苦手だ」「他人に心を開くのが苦手だ」「外
では無理をして、いい子ぶる」「自分の心の中を、さらけ出すことができない」と、割り切ることで
す。だれでも、ひとつやふたつ、そういう弱点があって、当たり前です。

 大切なことは、そういう子どもであることを、認めてあげることです。認めた上で、P子さんを
理解してあげることです。「なおそう」とか、そういうふうに、考えてはいけません。(どの道、今さ
ら、手遅れですから……。)

 あとはP子さん自身の問題です。もしP子さんが、もう少しおとなになり、人間関係の問題で悩
むようなことがあったら、ぜひ、私のHPを見るように勧めてあげてください。あるいはマガジン
の購読を勧めてあげてください。無料です。同じような問題は、そのつどテーマとして、マガジン
でもよく取りあげていますので、参考になると思います。

 で、今、あなたの目は、P子さんのほうに向きすぎています。そんな感じがします。しかも、P
子さんへの不信感ばかり……! 心配先行型の子育てが、いまだにつづいているといった感
じです。

 ですからあなたはあなたで、もう少し、外に向かって目を向けられたらどうでしょうか? 多
分、あなたはP子さんにとっては、うるさい、いやな母親と映っているはずです。たかがペンぐら
いの問題で、親からここまで追及されたら、私なら、机ごと、親に向かって投げつけるだろうと
思います。ホント! 今では、ペンといっても、いろいろありますが、100円ショップで、3〜5本
も買える時代です。

 いわんや子どもが泣きだすほどまで、子どもを追いつめてはいけません。またこの問題は、
そういう問題ではないのです。

 さらに学校の先生も、それほど、おおげさには考えていないはずです。先にも書きましたが、
こうした問題は、まさに日常茶飯事。ですから、先生がP子さんのことを悪く思っているとか、娘
が誤解されてかわいそうとか、先生が親側に立ってものを考えてくれないとか、そういうふうに
考えてはいけません。

 またP子さんに向かって、「信じている」とか何とか、そんなおおげさな言葉を使ってはいけま
せん。また使うような場面ではありません。繰りかえしますが、たかがペン1本の問題です。わ
かりやすく言えば、P子さんが、B子さんのペンを盗んで、自分の筆箱に入れた。それだけのこ
とです。

 多少の虚言癖はあるようですが、それもこの時期の子どもには、よくあることです。(もちろん
病的な虚言癖、作話、妄想的虚言などは、区別して考えますが……。)

 あなたにも、それがわかっているはず。わかっていながら、P子さんを追いつめ、P子さんの
口からそれを聞くまで、納得しない。つまりは、あなたは、完ぺき主義の母親ということになりま
す。

 P子さんは、いい子ですよ。放送委員の一件を見ただけでも、それがわかるはず。そういうP
子さんのよい面を、どうしてもっとすなおに、あなたは見ないのですか。あなたが今すべきこと
は、そういうP子さんのよい面だけを見て、あなたはあなたで、前を見ながら、前に進む。今
は、それでよいと思います。つまりは、それが(信ずる)ということです。言葉の問題ではありま
せん。

 またこうした問題には、必ず、二番底、三番底があります。あなたはP子さんの今の状態を最
悪と思うかもしれませんが、しかし、対処のし方をまちがえると、P子さんは、その二番底、三番
底へと落ちていきますよ! これは警告です。

 反対の立場で考えてみてください。私なら、家を出ますよ。息が詰まりますから……。P子さん
が、家を出るようになったら、あなたは、どうしますか。外泊をするようになったら、どうします
か。

 ですから今は、「今以上に、状態を悪くしないことだけを考えなら、様子をみる」です。

 だれしも、失敗をします。人をキズつけたり、あるいは反対に人にキズつけられながら、その
中で、ドラマを展開します。悩んだり、苦しんだり……。そのドラマにこそ、意味があるのです。
子どもについて言えば、そのドラマが、子どもをたくましくします。

 P子さんは、たしかにいやな思いをしたかもしれませんが、それはP子さんの問題。親のあな
たが、割って出るような問題ではないのです。親としてはつらいところですが、もうそろそろ、あ
なた自身も、子離れをし、P子さんには、親離れをするよう、し向けることこそ、大切です。

 とても、ひどいことを言うようですが、私はあなたの相談の中に、子離れできない、どこか未
熟な親の姿を感じてしまいました。あなたはそれでよいとしても、P子さんが、かわいそうです。

 で、たまたま昨夜、『RAY』というビデオを見ました。レイ・チャールズの生涯をつづったビデオ
です。あのビデオの中で、ところどころ、レイ・チャールズの母親が出てきますが、今のあなた
に求められる母親像というのは、ひょっとしたら、レイ・チャールズの母親のような母親像では
ないでしょうか。

 最後に、もう一言。

 こんな問題は、何でもありませんよ! 本当によくある問題です。ですから、「A子さんに申し
訳ない」とか、B子さんがどうとか、そんなふうに考えてはいけません。今ごろは、A子さんも、B
子さんも、学校の先生も、何とも思っていませんよ。

 あなた自身が、心のクサリをほどいて、自分のしたいことをしたらよいのです。心を開いて!
 体は、あとからついてきますよ!

 すばらしい季節です。おしいものでも食べて、あとは、忘れましょう! 
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 子ど
もの虚言 子供の虚言 盗み)

+++++++++++++++

いくつか、今までに書いた
原稿を添付しておきます。

+++++++++++++++
 
【信頼関係】

 たがいの信頼関係は、よきにつけ、悪しきにつけ、「一貫性」で決まる。親子とて例外ではな
い。親は子どもの前では、いつも一貫性を守る。これが親子の信頼関係を築く、基本である。

 たとえば子どもがあなたに何かを働きかけてきたとする。スキンシップを求めてきたり、反対
にわがままを言ったりするなど。そのときあなたがすべきことは、いつも同じような調子で、答え
てあげること。こうした一貫性をとおして、子どもは、あなたと安定的な人間関係を結ぶことが
できる。その安定的な人間関係が、ここでいう信頼関係の基本となる。

 この親子の信頼関係(とくに母と子の信頼関係)を、「基本的信頼関係」と呼ぶ。この基本的
信頼件関係があって、子どもは、外の世界に、そのワクを広げていくことができる。

 子どもの世界は、つぎの三つの世界で、できている。親子を中心とする、家庭での世界。これ
を第一世界という。園や学校での世界。これを第二世界という。そしてそれ以外の、友だちとの
世界。これを第三世界という。

 子どもは家庭でつくりあげた信頼関係を、第二世界、つづいて第三世界へと、応用していくこ
とができる。しかし家庭での信頼関係を築くことに失敗した子どもは、第二世界、第三世界での
信頼関係を築くことにも失敗しやすい。つまり家庭での信頼関係が、その後の信頼関係の基
本となる。だから「基本的信頼関係」という。

 が、一方、その一貫性がないと、子どもは、その信頼関係を築けなくなる。たとえば親側の情
緒不安。親の気分の状態によって、そのつど子どもへの接し方が異なるようなばあい、子ども
は、親との間に、信頼関係を結べなくなる。つまり「不安定」を基本にした、人間関係になる。こ
れを「基本的信頼関係」に対して、「基本的不信関係」という。

 乳幼児期に、子どもは一度、親と基本的不信関係になると、その弊害は、さまざまな分野で
現れてくる。俗にいう、ひねくれ症状、いじけ症状、つっぱり症状、ひがみ症状、ねたみ症状な
どは、こうした基本的不信関係から生まれる。第二世界、第三世界においても、良好な人間関
係が結べなくなるため、その不信関係は、さまざまな問題行動となって現れる。

 つまるところ、信頼関係というのは、「安心してつきあえる関係」ということになる。「安心して」
というのは、「心を開く」ということ。さらに「心を開く」ということは、「自分をさらけ出しても、気に
しない」環境をいう。そういう環境を、子どものまわりに用意するのは、親の役目ということにな
る。義務といってもよい。そこで家庭では、こんなことに注意したらよい。

● 「親の情緒不安、百害あって、一利なし」と覚えておく。
● 子どもへの接し方は、いつもパターンを決めておき、そのパターンに応じて、同じように接す
る。
● きびしいにせよ、甘いにせよ、一貫性をもたせる。ときにきびしくなり、ときに甘くなるという
のは、避ける。
(030422)
((はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 信頼
関係 親子関係 親子の信頼関係 基本的信頼関係 不信関係 一貫性)


++++++++++++++++++++++++++++++++++はやし浩司
 

【感情の発達】

 乳児でも、不快、恐怖、不安を感ずる。これらを、基本感情というなら、年齢とともに発達す
る、怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの感情は、より人間的な感情ということになる。これらの感
情は、さらに、自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情へと発展していく。

 年齢的には、私は、以下のように区分している。

(基本感情)〇歳〜一歳前後……不快、恐怖、不安を中心とする、基本感情の形成期。

(人間的感情形成期)一歳前後〜二歳前後……怒り、悲しみ、喜び、楽しみなどの人間的な感
情の形成期。

(複雑感情形成期)二歳前後〜五歳前後……自尊感情、自己誇示、嫉妬、名誉心、愛情など
の、複雑な感情の形成期。

 子どもは未熟で未経験だが、決して幼稚ではない。これには、こんな経験がある。

 年長児のUさん(女児)は静かな子どもだった。教室でもほとんど、発言しなかった。しかしそ
の日は違っていた。皆より先に、「はい、はい」と手をあげた。その日は、母親が仕事を休ん
で、授業を参観にきていた。

 私は少しおおげさに、Uさんをほめた。すると、である。Uさんが、スーッと涙をこぼしたのであ
る。私はてっきりうれし泣きだろうと思った。しかしそれにしても、大げさである。そこで授業が
終わってから、私はUさんに聞いた。「どうして泣いたの?」と。すると、Uさんは、こう言った。
「私がほめたれた。お母さんが喜んでいると思ったら、自然と涙が出てきちゃった」と。Uさん
は、母親の気持ちになって、涙を流していたのだ。

 この事件があってからというもの、私は、幼児に対する見方を変えた。

 で、ここで注意してほしいのは、人間としての一般的な感情は、満五歳前後には、完成すると
いうこと。子どもといっても、今のあなたと同じ感情をもっている。このことは反対の立場で考え
てみればわかる。

 あなたという「人」の感情を、どんどん掘りさげていってもてほしい。あなたがもつ感情は、い
つごろ形成されただろうか。高校生や中学生になってからだろうか。いや、違う。では、小学生
だろうか。いや、違う。あなたは「私」を意識するようになったときから、すでに今の感情をもって
いたことに気づく。つまりその年齢は、ここにあげた、満五歳前後ということになる。

 ところで私は、N放送(公営放送)の「お母さんとXXXX」という番組を、かいま見るたびに、す
ぐチャンネルをかえる。不愉快だから、だ。ああした番組では、子どもを、まるで子どもあつか
いしている。一人の人間として、見ていない。ただ一方的に、見るのもつらいような踊りをさせて
みたりしている。あるいは「子どもなら、こういうものに喜ぶはず」という、おとなの傲慢(ごうま
ん)さばかりが目立つ。ときどき「子どもをバカにするな」と思ってしまう。

 話はそれたが、子どもの感情は、満五歳をもって、おとなのそれと同じと考える。またそういう
前提で、子どもと接する。決して、幼稚あつかいしてはいけない。私はときどき年長児たちにこ
う言う。

「君たちは、幼稚、幼稚って言われるけど、バカにされていると思わないか?」と。すると子ども
たちは、こう言う。「うん、そう思う」と。幼児だって、「幼稚」という言葉を嫌っている。もうそろそ
ろ、「幼稚」という言葉を、廃語にする時期にきているのではないだろうか。「幼稚園」ではなく、
「幼児園」にするとか。もっと端的に、「基礎園」でもよい。あるいは英語式に、「プレスクール」で
もよい。しかし「幼稚園」は、……?
(030422)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 基本
感情 人間的感情形成 感情形成期)

Hiroshi Hayashi++++++++++.April.06+++++++++++はやし浩司

【不安なあなたへ】

 埼玉県に住む、一人の母親(ASさん)から、「子育てが不安でならない」というメールをもらっ
た。「うちの子(小三男児)今、よくない友だちばかりと遊んでいる。何とか引き離したいと思い、
サッカークラブに入れたが、そのクラブにも、またその友だちが、いっしょについてきそうな雰囲
気。『入らないで』とも言えないし、何かにつけて、不安でなりません」と。

 子育てに、不安はつきもの。だから、不安になって当たり前。不安でない人など、まずいな
い。が、大切なことは、その不安から逃げないこと。不安は不安として、受け入れてしまう。不
安だったら、大いに不安だと思えばよい。わかりやすく言えば、不安は逃げるものではなく、乗
り越えるもの。あるいはそれとじょうずにつきあう。それを繰りかえしているうちに、心に免疫性
ができてくる。私が最近、経験したことを書く。

 横浜に住む、三男が、自動車で、浜松までやってくるという。自動車といっても、軽自動車。
私は「よしなさい」と言ったが、三男は、「だいじょうぶ」と。で、その日は朝から、心配でならなか
った。たまたま小雨が降っていたので、「スリップしなければいいが」とか、「事故を起こさなけ
ればいいが」と思った。

 そういうときというのは、何かにつけて、ものごとを悪いほうにばかり考える。で、ときどき仕事
先から自宅に電話をして、ワイフに、「帰ってきたか?」と聞く。そのつど、ワイフは、「まだよ」と
言う。もう、とっくの昔に着いていてよい時刻である。そう考えたとたん、ザワザワとした胸騒
ぎ。「車なら、三時間で着く。軽だから、やや遅いとしても、四時間か五時間。途中で食事をして
も、六時間……」と。

 三男は携帯電話をもっているので、その携帯電話に電話しようかとも考えたが、しかし高速
道路を走っている息子に、電話するわけにもいかない。何とも言えない不安。時間だけが、ジ
リジリと過ぎる。

 で、夕方、もうほとんど真っ暗になったころ、ワイフから電話があった。「E(三男)が、今、着い
たよ」と。朝方、出発して、何と、一〇時間もかかった! そこで聞くと、「昼ごろ浜松に着いた
けど、友だちの家に寄ってきた」と。三男は昔から、そういう子どもである。そこで「あぶなくなか
ったか?」と聞くと、「先月は、友だちの車で、北海道を一周してきたから」と。北海度! 一
周! ギョッ!

 ……というようなことがあってから、私は、もう三男のドライブには、心配しなくなった。「勝手
にしろ」という気持ちになった。で、今では、ほとんど毎月のように、三男は、横浜と浜松の間
を、行ったり来たりしている。三男にしてみれば、横浜と浜松の間を往復するのは、私たちがそ
こらのスーパーに買い物に行くようなものなのだろう。今では、「何時に出る」とか、「何時に着
く」とか、いちいち聞くこともなくなった。もちろん、そのことで、不安になることもない。

 不安になることが悪いのではない。だれしも未知で未経験の世界に入れば、不安になる。こ
の埼玉県の母親のケースで考えてみよう。

 その母親は、こう訴えている。

● 親から見て、よくない友だちと遊んでいる。
● 何とか、その友だちから、自分の子どもを離したい。
● しかしその友だちとは、仲がよい。
● そこで別の世界、つまりサッカークラブに自分の子どもを入れることにした。
● が、その友だちも、サッカークラブに入りそうな雰囲気になってきた。
● そうなれば、サッカークラブに入っても、意味がなくなる。

小学三年といえば、そろそろ親離れする時期でもある。この時期、「○○君と遊んではダメ」と
言うことは、子どもに向かって、「親を取るか、友だちを取るか」の、択一を迫るようなもの。子
どもが親を取ればよし。そうでなければ、親子の間に、大きなキレツを入れることになる。そん
なわけで、親が、子どもの友人関係に干渉したり、割って入るようなことは、慎重にしたらよい。

 その上での話しだが、この相談のケースで気になるのは、親の不安が、そのまま過関心、過
干渉になっているということ。ふつう親は、子どもの学習面で、過関心、過干渉になりやすい。
子どもが病弱であったりすると、健康面で過関心、過干渉になることもある。で、この母親のば
あいは、それが友人関係に向いた。

 こういうケースでは、まず親が、子どもに、何を望んでいるかを明確にする。子どもにどうあっ
てほしいのか、どうしてほしいのかを明確にする。その母親は、こうも書いている。「いつも私の
子どもは、子分的で、命令ばかりされているようだ。このままでは、うちの子は、ダメになってし
まうのでは……」と。

 親としては、リーダー格であってほしいということか。が、ここで誤解してはいけないことは、
今、子分的であるのは、あくまでも結果でしかないということ。子どもが、服従的になるのは、そ
もそも服従的になるように、育てられていることが原因と考えてよい。決してその友だちによっ
て、服従的になったのではない。それに服従的であるというのは、親から見れば、もの足りない
ことかもしれないが、当の本人にとっては、たいへん居心地のよい世界なのである。つまり子ど
も自身は、それを楽しんでいる。

 そういう状態のとき、その友だちから引き離そうとして、「あの子とは遊んではダメ」式の指示
を与えても意味はない。ないばかりか、強引に引き離そうとすると、子どもは、親の姿勢に反発
するようになる。(また反発するほうが、好ましい。)

 ……と、ずいぶんと回り道をしたが、さて本題。子育てで親が不安になるのは、しかたないと
しても、その不安感を、子どもにぶつけてはいけない。これは子育ての大鉄則。親にも、できる
ことと、できないことがある。またしてよいことと、していけないことがある。そのあたりを、じょう
ずに区別できる親が賢い親ということになるし、それができない親は、そうでないということにな
る。では、どう考えたらよいのか。いくつか、思いついたままを書いてみる。

●ふつうこそ、最善

 朝起きると、そこに子どもがいる。いつもの朝だ。夫は夫で勝手なことをしている。私は私で
勝手なことをしている。そして子どもは子どもで勝手なことをしている。そういう何でもない、ごく
ふつうの家庭に、実は、真の喜びが隠されている。

 賢明な人は、そのふつうの価値を、なくす前に気づく。そうでない人は、なくしてから気づく。健
康しかり、若い時代しかり。そして子どものよさ、またしかり。

 自分の子どもが「ふつうの子」であったら、そのふつうであることを、喜ぶ。感謝する。だれに
感謝するというものではないが、とにかく感謝する。

●ものには二面性

 どんなものにも、二面性がある。見方によって、よくも見え、また悪くも見える。とくに「人間」は
そうで、相手がよく見えたり、悪く見えたりするのは、要するに、それはこちら側の問題というこ
とになる。こちら側の心のもち方、一つで決まる。イギリスの格言にも、『相手はあなたが相手
を思うように、あなたを思う』というのがある。心理学でも、これを「好意の返報性」という。

 基本的には、この世界には、悪い人はいない。いわんや、子どもを、や。一見、悪く見えるの
は、子どもが悪いのではなく、むしろそう見える、こちら側に問題があるということ。価値観の限
定(自分のもっている価値観が最善と決めてかかる)、価値観の押しつけ(他人もそうでなけれ
ばならないと思う)など。

 ある母親は、長い間、息子(二一歳)の引きこもりに悩んでいた。もっとも、その引きこもり
が、三年近くもつづいたので、そのうち、その母親は、自分の子どもが引きこもっていることす
ら、忘れてしまった。だから「悩んだ」というのは、正しくないかもしれない。

 しかしその息子は、二五歳くらいになったときから、少しずつ、外の世界へ出るようになった。
が、実はそのとき、その息子を、外の世界へ誘ってくれたのは、小学時代の「ワルガキ仲間」
だったという。週に二、三度、その息子の部屋へやってきては、いろいろな遊びを教えたらし
い。いっしょにドライブにも行った。その母親はこう言う。「子どものころは、あんな子と遊んでほ
しくないと思いましたが、そう思っていた私がまちがっていました」と。

 一つの方向から見ると問題のある子どもでも、別の方向から見ると、まったく別の子どもに見
えることは、よくある。自分の子どもにせよ、相手の子どもにせよ、何か問題が起き、その問題
が袋小路に入ったら、そういうときは、思い切って、視点を変えてみる。とたん、問題が解決す
るのみならず、その子どもがすばらしい子どもに見えてくる。

●自然体で

 とくに子どもの世界では、今、子どもがそうであることには、それなりの理由があるとみてよ
い。またそれだけの必然性があるということ。どんなに、おかしく見えるようなことでも、だ。たと
えば指しゃぶりにしても、一見、ムダに見える行為かもしれないが、子ども自身は、指しゃぶり
をしながら、自分の情緒を安定させている。

 そういう意味では、子どもの行動には、ムダがない。ちょうど自然界に、ムダなものがないの
と同じようにである。そのためおとなの考えだけで、ムダと判断し、それを命令したり、禁止した
りしてはいけない。

 この相談のケースでも、「よくない友だち」と親は思うかもしれないが、子ども自身は、そういう
友だちとの交際を求めている。楽しんでいる。もちろんその子どものまわりには、あくまでも親
の目から見ての話だが、「好ましい友だち」もいるかもしれない。しかし、そういう友だちを、子
ども自身は、求めていない。居心地が、かえって悪いからだ。

 子どもは子ども自身の「流れ」の中で、自分の世界を形づくっていく。今のあなたがそうである
ように、子ども自身も、今の子どもを形づくっていく。それは大きな流れのようなもので、たとえ
親でも、その流れに対しては、無力でしかない。もしそれがわからなければ、あなた自身のこと
で考えてみればよい。

 もしあなたの親が、「○○さんとは、つきあってはだめ」「△△さんと、つきあいなさい」と、いち
いち言ってきたら、あなたはそれに従うだろうか。……あるいはあなたが子どものころ、あなた
はそれに従っただろうか。答は、ノーのはずである。

●自分の価値観を疑う

 常に親は、子どもの前では、謙虚でなければならない。が、悪玉親意識の強い親、権威主義
の親、さらには、子どもをモノとか財産のように思う、モノ意識の強い親ほど、子育てが、どこか
押しつけ的になる。

 「悪玉親意識」というのは、つまりは親風を吹かすこと。「私は親だ」という意識ばかりが強く、
このタイプの親は、子どもに向かっては、「産んでやった」「育ててやった」と恩を着せやすい。
何か子どもが口答えしたりすると、「何よ、親に向かって!」と言いやすい。

 権威主義というのは、「親は絶対」と、親自身が思っていることをいう。

 またモノ意識の強い人とは、独特の話しかたをする。結婚して横浜に住んでいる息子(三〇
歳)について、こう言った母親(五〇歳)がいた。「息子は、嫁に取られてしまいました。親なんて
さみしいもんですわ」と。その母親は、息子が、結婚して、横浜に住んでいることを、「嫁に取ら
れた」というのだ。

 子どもには、子どもの世界がある。その世界に、謙虚な親を、賢い親という。つまりは、子ど
もを、どこまで一人の対等な人間として認めるかという、その度量の深さの問題ということにな
る。あなたの子どもは、あなたから生まれるが、決して、あなたの奴隷でも、モノでもない。「親
子」というワクを超えた、一人の人間である。

●価値観の衝突に注意

 子育てでこわいのは、親の価値観の押しつけ。その価値観には、宗教性がある。だから親子
でも、価値観が対立すると、その関係は、決定的なほどまでに、破壊される。私もそれまでは
母を疑ったことはなかった。しかし私が「幼児教育の道を進む」と、はじめて母に話したとき、母
は、電話口の向こうで、「浩ちゃん、あんたは道を誤ったア!」と泣き崩れてしまった。私が二三
歳のときだった。

 しかしそれは母の価値観でしかなかった。母にとっての「ふつうの人生」とは、よい大学を出
て、よい会社に入社して……という人生だった。しかし私は、母のその一言で、絶望の底にた
たき落とされてしまった。そのあと、私は、一〇年ほど、高校や大学の同窓会でも、自分の職
業をみなに、話すことができなかった。

●生きる源流に 

 子育てで行きづまりを感じたら、生きる源流に視点を置く。「私は生きている」「子どもは生き
ている」と。そういう視点から見ると、すべての問題は解決する。

 若い父親や母親に、こんなことを言ってもわかってもらえそうにないが、しかしこれは事実で
ある。「生きている源流」から、子どもの世界を見ると、よい高校とか、大学とか、さらにはよい
仕事というのが、実にささいなことに思えてくる。それはゲームの世界に似ている。「うちの子
は、おかげで、S高校に入りました」と喜んでいる親は、ちょうどゲームをしながら、「エメラルド
タウンで、一〇〇〇点、ゲット!」と叫んでいる子どものようなもの。あるいは、どこがどう違うの
というのか。(だからといって、それがムダといっているのではない。そういうドラマに人生のお
もしろさがある。)

 私たちはもっと、すなおに、そして正直に、「生きていること」そのものを、喜んだらよい。また
そこを原点にして考えたらよい。今、親であるあなたも、五、六〇年先には、この世界から消え
てなくなる。子どもだって、一〇〇年先には消えてなくなる。そういう人間どうしが、今、いっしょ
に、ここに生きている。そのすばらしさを実感したとき、あなたは子育てにまつわる、あらゆる
問題から、解放される。

●子どもを信ずる

 子どもを信ずることができない親は、それだけわがままな親と考えてよい。が、それだけでは
すまない。親の不信感は、さまざまな形で、子どもの心を卑屈にする。理由がある。

 「私はすばらしい子どもだ」「私は伸びている」という自信が、子どもを前向きに伸ばす。しかし
その子どものすぐそばにいて、子どもの支えにならなければならない親が、「あなたはダメな子
だ」「心配な子だ」と言いつづけたら、その子どもは、どうなるだろうか。子どもは自己不信か
ら、自我(私は私だという自己意識)の形成そのものさえできなくなってしまう。へたをすれば、
一生、ナヨナヨとしたハキのない人間になってしまう。

【ASさんへ】

メール、ありがとうございました。全体の雰囲気からして、つまりいただいたメールの内容は別
として、私が感じたことは、まず疑うべきは、あなたの基本的不信関係と、不安の根底にある、
「わだかまり」ではないかということです。

 ひょっとしたら、あなたは子どもを信じていないのではないかということです。どこか心配先行
型、不安先行型の子育てをなさっておられるように思います。そしてその原因は何かといえ
ば、子どもの出産、さらにはそこにいたるまでの結婚について、おおきな「わだかまり」があった
ことが考えられます。あるいはその原因は、さらに、あなた自身の幼児期、少女期にあるので
はないかと思われます。

 こう書くと、あなたにとってはたいへんショックかもしれませんが、あえて言います。あなた自
身が、ひょっとしたら、あなたが子どものころ、あなたの親から信頼されていなかった可能性が
あります。つまりあなた自身が、(とくに母親との関係で)、基本的信頼関係を結ぶことができな
かったことが考えられるということです。

 いうまでもなく基本的信頼関係は、(さらけ出し)→(絶対的な安心感)というステップを経て、
形成されます。子どもの側からみて、「どんなことを言っても、またしても許される」という絶対的
な安心感が、子どもの心をはぐくみます。「絶対的」というのは、「疑いをいだかない」という意味
です。

 これは一般論ですが、母子の間で、基本的信頼関係の形成に失敗した子どもは、そのあと、
園や学校の先生との信頼関係、さらには友人との信頼関係を、うまく結べなくなります。どこか
いい子ぶったり、無理をしたりするようになったりします。自分をさらけ出すことができないから
です。

さらに、結婚してからも、夫や妻との信頼関係、うまく結べなくなることもあります。自分の子ど
もすら、信ずることができなくなることも珍しくありません。(だから心理学では、あらゆる信頼関
係の基本になるという意味で、「基本的」という言葉を使います。)具体的には、夫や子どもに
対して疑い深くなったり、その分、心配過剰になったり、基底不安を感じたりしやすくなります。
子どもへの不信感も、その一つというわけです。

 あくまでもこれは一つの可能性としての話ですが、あなた自身が、「心(精神的)」という意味
で、それほど恵まれた環境で育てられなかったということが考えられます。経済的にどうこうと
いうのではありません。「心」という意味で、です。あなたは子どものころ、親に対して、全幅に
心を開いていましたか。あるいは開くことができましたか。もしそうなら、「恵まれた環境」という
ことになります。そうでなければ、そうでない。

 しかしだからといって、過去をうらんではいけません。だれしも、多かれ少なかれ、こうした問
題をかかえているものです。そういう意味では、日本は、まだまだ後進国というか、こと子育て
については黎明(れいめい)期の国ということになります。

 では、どうするかですが、この問題だけは、まず冷静に自分を見つめるところから、始めま
す。自分自身に気づくということです。ジークムント・フロイトの精神分析も、同じような手法を用
います。まず、自分の心の中をのぞくということです。わかりやすく言えば、自分の中の過去を
知るということです。まずいのは、そういう過去があるということではなく、そういう過去に気づか
ないまま、その過去に振りまわされることです。そして結果として、自分でもどうしてそういうこと
をするのかわからないまま、同じ失敗を繰りかえすことです。

 しかしそれに気づけば、この問題は、何でもありません。そのあと少し時間はかかりますが、
やがて問題は解決します。解決しないまでも、じょうずにつきあえるようになります。

 さらに具体的に考えてみましょう。

 あなたは多分、子どもを妊娠したときから、不安だったのではないでしょうか。あるいはさら
に、結婚したときから、不安だったのではないでしょうか。さらに、少女期から青年期にかけて、
不安だったのではないでしょうか。おとなになることについて、です。

 こういう不安感を、「基底不安」と言います。あらゆる日常的な場面が、不安の上に成りたっ
ているという意味です。一見、子育てだけの問題に見えますが、「根」は、ひょっとしたら、あな
たが考えているより、深いということです。

 そこで相手の子どもについて考えてみます。あなたが相手の子どもを嫌っているのは、本当
にあなたの子どものためだけでしょうか。ひょっとしたら、あなた自身がその子どもを嫌ってい
るのではないでしょうか。つまりあなたの目から見た、好き・嫌いで、相手の子どもを判断して
いるのではないかということです。

 このとき注意しなければならないのは、(1)許容の範囲と、(2)好意の返報性の二つです。

 (1)許容の範囲というのは、(好き・嫌い)の範囲のことをいいます。この範囲が狭ければせ
まいほど、好きな人が減り、一方、嫌いな人がふえるということになります。これは私の経験で
すが、私の立場では、この許容の範囲が、ふつうの人以上に、広くなければなりません。(当然
ですが……。)子どもを生徒としてみたとき、いちいち好き、嫌いと言っていたのでは、仕事そ
のものが成りたたなくなります。ですから原則としては、初対面のときから、その子どもを好き
になります。
 
 といっても、こうした能力は、いつの間にか、自然に身についたものです。が、しかしこれだけ
は言えます。嫌わなければならないような悪い子どもは、いないということです。とくに幼児につ
いては、そうです。私は、そういう子どもに出会ったことがありません。ですからASさんも、一
度、その相手の子どもが、本当にあなたの子どもにとって、ふさわしくない子どもかどうか、一
度、冷静に判断してみたらどうでしょうか。しかしその前にもう一つ大切なことは、あなたの子ど
も自身は、どうかということです。

 子どもの世界にかぎらず、およそ人間がつくる関係は、なるべくしてなるもの。なるようにしか
ならない。それはちょうど、風が吹いて、その風が、あちこちで吹きだまりを作るようなもので
す。(吹きだまりというのも、失礼な言い方かもしれませんが……。)今の関係が、今の関係と
いうわけです。

 だからあなたからみて、あなたの子どもが、好ましくない友だちとつきあっているとしても、そ
れはあなたの子ども自身が、なるべくしてそうなったと考えます。親としてある程度は干渉でき
ても、それはあくまでも「ある程度」。これから先、同じようなことは、繰りかえし起きてきます。
たとえば最終的には、あなたの子どもの結婚相手を選ぶようなとき、など。

 しかし問題は、子どもがどんな友だちを選ぶかではなく、あなたがそれを受け入れるかどうか
ということです。いくらあなたが気に入らないからといっても、あなたにはそれに反対する権利
はありません。たとえ親でも、です。同じように、あなたの子どもが、どんな友だちを選んだとし
ても、またどんな夫や妻を選んだとしても、それは子どもの問題ということです。

 しかしご心配なく。あなたが子どもを信じているかぎり、あなたの子どもは自分で考え、判断し
て、あなたからみて好ましい友だちを、自ら選んでいきます。だから今は、信ずるのです。「うち
の子は、すばらしい子どもだ。ふさわしくない子どもとは、つきあうはずはない」と考えのです。

 そこで出てくるのが、(2)好意の返報性です。あなたが相手の子どもを、よい子と思っている
と、相手の子どもも、あなたのことをよい人だと思うもの。しかしあなたが悪い子どもだと思って
いると、相手の子どもも、あなたのことを悪い人だと思っているもの。そしてあなたの前で、自
分の悪い部分だけを見せるようになります。そして結果として、たいがいの人間関係は、ますま
す悪くなっていきます。

 話はぐんと先のことになりますが、今、嫁と姑(しゅうとめ)の間で、壮絶な家庭内バトルを繰り
かえしている人は、いくらでもいます。私の近辺でも、いくつか起きています。こうした例をみて
みてわかることは、その関係は、最初の、第一印象で決まるということです。とくに、姑が嫁に
もつ、第一印象が重要です。

 最初に、その女性を、「よい嫁だ」と姑が思い、「息子はいい嫁さんと結婚した」と思うと、何か
につけて、あとはうまくいきます。よい嫁と思われた嫁は、その期待に答えようと、ますますよい
嫁になっていきます。そして姑は、ますますよい嫁だと思うようになる。こうした相乗効果が、た
がいの人間関係をよくしていきます。

 そこで相手の子どもですが、あなたは、その子どもを「悪い子」と決めてかかっていません
か。もしそうなら、それはその子どもの問題というよりは、あなた自身の問題ということになりま
す。「悪い子」と思えば思うほど、悪い面ばかりが気になります。そしてあなたは悪くない面ま
で、必要以上に悪く見てしまいます。それだけではありません。その子どもは、あえて自分の悪
い面だけを、あなたに見せようとします。子どもというのは、不思議なもので、自分をよい子だと
信じてくれる人の前では、自分のよい面だけを見せようとします。

 あなたから見れば、何かと納得がいかないことも多いでしょうが、しかしこんなことも言えま
す。一般論として、少年少女期に、サブカルチャ(非行などの下位文化)を経験しておくことは、
それほど悪いことではないということです。あとあと常識豊かな人間になることが知られていま
す。ですから子どもを、ある程度、俗世間にさらすことも、必要といえば必要なのです。むしろま
ずいのは、無菌状態のまま、おとなにすることです。子どものときは、優等生で終わるかもしれ
ませんが、おとなになったとき、社会に同化できず、さまざまな問題を引き起こすようになりま
す。

 もうすでにSAさんは、親としてやるべきことをじゅうぶんしておられます。ですからこれからの
ことは、子どもの選択に任すしか、ありません。これから先、同じようなことは、何度も起きてき
ます。今が、その第一歩と考えてください。思うようにならないのが子ども。そして子育て。そう
いう前提で考えることです。あなたが設計図を描き、その設計図に子どもをあてはめようとすれ
ばするほど、あなたの子どもは、ますますあなたの設計図から離れていきます。そして「まだ前
の友だちのほうがよかった……」というようなことを繰りかえしながら、もっとひどい(?)友だち
とつきあうようになります。

 今が最悪ではなく、もっと最悪があるということです。私はこれを、「二番底」とか「三番底」と
か呼んでいます。ですから私があなたなら、こうします。

(1) 相手の子どもを、あなたの子どもの前で、積極的にほめます。「あの子は、おもしろい子
ね」「あの子のこと、好きよ」と。そして「あの子に、このお菓子をもっていってあげてね。きっと
喜ぶわよ」と。こうしてあなたの子どもを介して、相手の子どもをコントロールします。

(2) あなたの子どもを信じます。「あなたの選んだ友だちだから、いい子に決まっているわ」
「あなたのことだから、おかしな友だちはいないわ」「お母さん、うれしいわ」と。これから先、子
どもはあなたの見えないところでも、友だちをつくります。そういうとき子どもは、あなたの信頼
をどこかで感ずることによって、自分の行動にブレーキをかけるようになります。「親の信頼を
裏切りたくない」という思いが、行動を自制するということです。

(3) 「まあ、うちの子は、こんなもの」と、あきらめます。子どもの世界には、『あきらめは、悟り
の境地』という、大鉄則があります。あきらめることを恐れてはいけません。子どもというのは不
思議なもので、親ががんばればがんばるほど、表情が暗くなります。伸びも、そこで止まりま
す。しかし親があきらめたとたん、表情も明るくなり、伸び始めます。「まだ何とかなる」「こんな
はずではない」と、もしあなたが思っているなら、「このあたりが限界」「まあ、うちの子はうちの
子なりに、よくがんばっているほうだ」と思いなおすようにします。

 以上ですが、参考になったでしょうか。ストレートに書いたため、お気にさわったところもある
かもしれませんが、もしそうなら、どうかお許しください。ここに書いたことについて、また何か、
わからないところがあれば、メールをください。今日は、これで失礼します。
(030516)
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 さらけ
出し 子育て不安 育児ノイローゼ)








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14
●メタ認知能力(Metacognitive Ability)とは、何か

++++++++++++++++++++++

メタ認知能力とは何か。
川島真一郎氏(高知工科大学大学院)の修士学位論文より、
一部を抜粋引用させてもらう。
(出典:メタ認知能力の向上を指向した
高校数学における問題解決方略の体系化
Systematization of Problem Solving Strategy in High
School Mathematics for Improving Metacognitive
Ability(平成19年))

++++++++++++++++++++++

●メタ認知

メタ認知(metacognition)とは、認知活動についての認知のことである。メタ認知概念
は、ブラウン(A・Brown)やフラベル(J・H・Flavell)によって1970 年代に提唱された。

メタ認知は、まずメタ認知的知識(meta-cognitive knowledge)とメタ認知的活動
(metacognitiveactivity)に分かれ、それぞれがさらに細かく分かれる。メタ認知的知識とは、メ
タ認知の中の知識成分を指す。メタ認知的知識は、人間の認知特性についての知識、課題に
ついての知識、課題解決の方略についての知識の3 つに分けて考えることができる。メタ認知
的活動とは、メタ認知の中の活動成分を指す。メタ認知的活動は、メタ認知的モニタリング、メ
タ認知的コントロールの2 つに分かれる。メタ認知的モニタリングとは、認知状態をモニタする
ことである、認知についての気づき(awareness)、認知についての感覚(feeling)、認知につい
ての予想(prediction)、認知の点検(checking)などが含まれる。メタ認知的コントロールとは、
認知状態をコントロールすることである。認知の目標設定(goal setting)、認知の計画
(planning)、認知の修正(revision)などが含まれる。

困難な場面に遭遇したとき、タ認知はその事態を打開すべく、関係のありそうな経験や
知識を想起する。似たような困難を克服した経験があれば、それは大きな手掛かりとなる。

過去の経験がそのままでは使えないときでも、見方を変えたりすることで使えることもあ
る、直面している問題が極めて困難なときは、条件の一部を解き易い形にした問題をまず解
いてみることが手掛かりになることがある。また、問題の解決に使えそうな法則なども思い出
し、解決に向けた道筋を描く。解決に向けた一番確かそうな方針が決まれば、実行してみる。
間違いを犯しそうな場面では注意深く実行し、時々方針が間違っていないか検討を加える。こ
のようにして、メタ認知はルーティンワークでない困難な問題を解決するときに、力を発揮する
と考えられる。

そして、メタ認知能力は使うことで訓練をしなければ、その能力は向上しないと考えられ
る。訓練するための問題は、メタ認知が働かなくても解決できるような平易過ぎる問題は役に
立たない。適度な難易度の問題を解決することが必要である。従って、パターン暗記に終始す
るような学習では、メタ認知能力は向上しないと考えられる。その意味で、生徒が試行錯誤し
ながら自力で問題の解決を図る問題解決学習は、その狙いが実現できれば、メタ認知能力の
育成に大いに効果を発揮すると考えられる。
(以上、川島真一郎氏の論文より)

+++++++++++++++++++++

●メタ認知能力(Metacognitive Ability)

 私は「メタ認知能力」なるものについては、すでに10年ほど前から、原稿を書いて
きた。
が、ここ数年、この言葉をあちこちで聞くようになった。
しかし本当のところ、メタ認知能力とは何か、私もよくわかっていない。

 そこでまず私がとった手段は、メタ認知能力、つまりMetacognitive Abilityについて、
できるだけ原文に近い文献をさがすことだった。
最初は、直接アメリカの文献(英文)から調べようとしたが、先に、ひとつの文献を
さがしだすことに成功した。
ここに紹介した川島真一郎氏の修士学位論文が、それである。
わかりやすく書いてあるので、そのまま引用させてもらった。

 つまり私は、(メタ認知能力)とは何か知るために、つまりその壁を打開するため、
今までの経験を総動員して、(おおげさかな?)、あちこちを調べた。
その結果が、先にあげた論文の一部ということになる。

●メタ認知能力

 が、これだけをさっと読んだだけでは、意味がよくわからない。
内容を、もう少し整理してみる。

メタ認知

(1)メタ認知的知識(meta-cognitive knowledge)
メタ認知の中の知識成分を指す。
(1)人間の認知特性についての知識、
(2)課題についての知識、
(3)課題解決の方略についての知識の、33つに分けて考えることができる。


(2)メタ認知的活動(metacognitive activity)
メタ認知的活動とは、メタ認知の中の活動成分を指す。メタ認知的活動は、
(1)メタ認知的モニタリング、
(2)メタ認知的コントロールの2つに分かれる。

 これでだいぶ頭の中がすっきりしてきた。

 さらに、

(1)メタ認知的モニタリングとは、認知状態をモニタすることである。
認知についての気づき(awareness)、認知についての感覚(feeling)、認知についての予想
(prediction)、認知の点検(checking)などが含まれる。

(2)メタ認知的コントロールとは、認知状態をコントロールすることである。
認知の目標設定(goal setting)、認知の計画(planning)、認知の修正(revision)などが含まれ
る、と。

●実益

 先にメタ認知能力の実益について、引用させてもらう。
川島真一郎氏は、こう書いている。

『メタ認知はルーティンワークでない困難な問題を解決するときに、力を発揮すると考えられ
る。そして、メタ認知能力は使うことで訓練をしなければ、その能力は向上しないと考えられる』
と。

 日常的な行動を同じように繰り返すようなときには、メタ認知能力は、力を発揮しない。
つまり難解で、より高度な知識と経験を必要とするような問題に直面したとき、メタ認知
能力は力を発揮する、と。

 そしてそのメタ認知能力は、訓練しなければ、向上しない、ともある。

●因数分解

 川島真一郎氏は、因数分解を例にあげて、メタ認知能力がどういうものであるかを
説明している。
そのまま印象させてもらう。

++++++++++以下、川島真一郎氏の論文より+++++++++++++

7。 <題>求めるもの(答え)と、与えられた条件の関係を発見せよ。[関係は直接的に見
えるときもあれば、仲介物を通して初めて見えて来るときもある。例えば、中間的な目標を設
定せよ。(例)(a + b + c)(bc + ca + ab) ? abc を因数分解せよ。]
8。 <眼><針>関係の有りそうな公式は何か。
9。 <経><予>似た問題を思い出せ。
10。 <経><眼><針>似た問題の方法や結論を利用できないか。[(例)x、 y の対称式
はx + y とxy で表せる。]
11。 <眼><針>求めるもの(答え)の形を考え、それを具体的に(例えば式に)できな
いか。[また、その形のどの部分を求めればよいか。それを求めるのに、条件をどのように
使えるか。]
12。 <眼><針>与えられた条件や式を、解答で使い易いように変形できないか。[場合
によっては、結論の式から解答を進めて、後で比較するのが有効なときも有る。]
13。 <助><検>(方針の選択や解答の進め方について)解法の大筋を捉える。[大まか
な見通しを持つことが、解答への着手を促し、右往左往したり、袋小路に入ったりするのを防
ぐ。(例)増減表を書けば解けそう。判別式を利用できそう。等々]
14。 <経><眼><針>前に使った方法が直接使えないとき、補助的な工夫を加えること
で使えるようにならないか。[(例)角度の問題で、補助線を引く事で三角形の問題と捉
える。]
15。 <眼><針>求める結果が得られたと仮定して、逆向きに解けないか。[求める結果
を明確にイメージすることで、必要となる道筋が見えてくることが有る。]
16。 <眼><針>定義に帰ることで、手掛かりが得られることが有る。[2 次関数関連の
問題と判別式の関係。微分係数の定義。等々]
17。 <困><眼><針>問題を言い換えることで、容易になったり、既習の解法が使えた
りしないか。(そのとき、与えられた条件はどう変わるか。)[問題を違った視点から見る。
(例)sin θ+ cos θ の最大値を求めるのに、単位円周上の点P(x、 y) を利用する。]
18。 <困><眼><針>問題を一般化することで、容易になることがある。[(例)具体的
な数値の問題を、一般的な文字に置き換えることで見通しが良くなることが有る。]
19。 <困><眼><針>問題を特殊化することで、解決の糸口がつかめるときがある。
[(例)直方体の対角線の長さを求める問題で、高さが0 の場合を解いてみる。]
20。 <困><分><眼><針>条件の一部からどんなことが分かるか。[条件を幾つかの
部分に分けられないか。全体の解答とどう関係するか。]
21。 <困><眼><針>解き易い類題を考えることが、元の問題の手掛かりになることが
ある。[問題の一部は解けるか。どういう条件が付加されていれば解き易いか。等々]
22。 <補><検><助>条件の使い忘れはないか。
(CP)
23。 <題><検>方針に従い解答を進め、適当な段階で検討を加え、必要に応じて方針を
見直す。
24。 <補>自信の持てるる解き方から試みよ。[大抵の問題は、何通りか解き方がある。
(例)基本的な公式だけを使う。図形を利用する。微分を利用する。等々]
(LB)
25。 <題>結果の検討。[少しの検討が、長い目で見ると大きな効果をもたらす。]
26。 <検><眼>別の解法はないか。得られた答えが別の簡単な解法や、答えの意味を示
しているときが有る。
4。4 体系化された問題解決方略の適用
27。 <検><眼>使った方法や結果を総括する。他の問題に応用できないか。

++++++++++以下、川島真一郎氏の論文より+++++++++++++

●因数分解(例)

 高校生たちに因数分解を教えるとき、私自身は、半ばルーティンワーク的に解いて
みせている。
(因数分解そのものは、解法公式はほぼ確立していて、簡単な問題に属する。)

しかしこのように内容を秩序だてて分析されると、「なるほど、そうだったのか」と、
改めて、驚かされる。
私はそれほど意識せず、メタ認知能力を、応用かつ利用していたことになる。
率直に言えば、「メタ認知能力というのは、こういうものだったのか」と納得する
と同時に、「奥が深いぞ」と驚く部分が、頭の中で交錯する。

 ちなみに、先の(a + b + c)(bc + ca + ab) - abcを、別の紙で、因数分解してみた。
因数分解の問題としては、見慣れない問題である。

(1)見ただけでは、瞬間、頭の中で公式が浮かんでこない。
(2)直感的に、「いつものやり方ではできない」ということがわかる。

 が、こういうときの鉄則は、(3)「ひとつの文字に着目しろ」である。
この問題では、(a)なら(a)に着目し、(a)について式をまとめる。

 しかしこの場合、一度、式をバラバラにしなければならない。
結構、めんどうな作業である。
が、ここで「こんなめんどうな問題を出題者が出すはずがないぞ」というブレーキが働く。
「時間さえかければ、だれでもできる」というような問題は、数学本来の問題ではない。
ただの作業問題ということになる。

 そこで私は、(4)もっと簡単な方法はないかをさがす。
(bc + ca + ab)という部分に着目する。
(a)でくくれば、(b+c)という因数を導くことができる。
(b+c)を、(B)と一度置き換えてから、因数分解できないかを考える。
しかしもう一つの項、(abc)が残る。
つぎの瞬間、「この方法ではだめだ」と直感する……。

 ……というように、認知の目標設定(goal setting)、認知の計画(planning)、認知の
修正(revision)を繰り返す。

●高度な知的活動

 小学1年生が訓練するような、足し算の練習のような問題は、ただの訓練。
メタ認知能力など、必要としない。

 そこで昨日(8月21日)、メタ認知能力を確かめるため、私は小学2、3年生クラス
で、ツルカメ算の問題を出してみた。
あらかじめ、「ツルが2羽、カメが4匹で、足は合計で何本?」というような練習
問題を5〜6問、練習させる。
そのとき「できるだけ掛け算を使って、答を出すように」と指示する。

 それが一通りすんだところで、「ツルとカメが、合わせて、10匹います。
足の数は、全部で、28本です。
ツルとカメは、それぞれ何匹ずついますか?」という問題を出す。

 で、このとき子どもたちを観察してみると、いろいろな反応を示すのがわかる。
(私の教室の子供たちは、幼児期から訓練を受けている子どもたちだから、こうした
問題を出すと、みな「やってやる!」「やりたい!」と言って、食いついてくる。)

 絵を描き始める子ども。
足を描き始める子ども。
意味のわからない記号を書き始める子ども。
2+2+2……と、式を書き始める子どもなどなど。

 こうした指導で大切なことは、(解き方)を教えることではない。
(子ども自身に考えさせること)である。
だから私は、待つ。
ただひたすら、静かに待つ。

 が、やがて1人、表を書き始める子どもが出てきた。
私はすかさず、「ほう、表で解くのか。それはすばらしい」と声をかける。
するとみな、いっせいに、表を描き始める。
表の形などは、みな、ちがう。
しかしそれは構わない……。

 (こうした様子は、YOUTUBEのほうに動画として、収録済み。)

●メタ認知能力の応用

 こうして書いたことからもわかるように、メタ認知能力というのは、もともとは、
数学の問題を解法技法のひとつとして、発見された能力ということになる。
しかしその奥は、先にも書いたように、「深い」。
日常的な思考の、あらゆる分野にそのまま応用できる。
ひとつの例で考えてみよう。

●パソコンショップの店員

 こういう書き方ができるようになったのは、私もその年齢に達したから、ということ
になる。
パソコンショップの店員には、たいへん失礼な言い方になるかもしれないが、そういう
店員を見ていると、ときどき、こう考える。

「だから、どうなの?」
「この人たちは、自分の老後をどう考えているんだろ?」
「もったいないな」と。

 つまりパソコンショップの店員の目的は、パソコンを客に売ること。
しかしそんな仕事を、仮に10年つづけていても、身につくものは何もない。
店が大きくなり、支店がふえれば、支店長ぐらいにはなれるが、そこまで。
だから「だから、どうなの?」となる。

 つぎにパソコンショップの店員たちは、よく勉強している。
その道のプロである。
しかしプロといっても、一般ユーザーの目から見てのプロに過ぎない。
パソコンを自由に操ることはできるが、その先、たとえばプログラミングの仕事とか、
さらには、スーパーコンピュータの操作となると、それはできない。

 そこで私はこう考える。
「こうした知識と経験を使って、別の仕事をしたら、すばらしいのに」と。
たとえばデザインのような、クリエイティブな仕事でもよい。
それが「もったにないな」という気持ちに変わる。

 そこでメタ認知能力の登場!

(1)自分の置かれた職場環境の把握
(2)その職業を長くつづけたときの、メリット、デメリットの計算
(3)老後が近づいたときの、将来設計
(4)収入の具体的な使い道などなど。
 
 そうしたことを順に考え、自分の生活の場で、位置づけていく。
中には、「お金を稼いで、高級車を買う」という人もいるかもしれない。
しかしそれについても、メタ認知能力が関係してくる。
「だから、それがどうしたの?」と。

 高級車を乗り回したからといって、一時的な享楽的幸福感を味わうことは
できる。
が、できても、そこまで。
4〜5年もすれば、車は中古化して、当初の喜びも、半減する。

 ……つまりこうしてパソコンショップの店員は、メタ認知能力が少しでもあれば、
「もったいないな」を自覚するようになる。
また自覚すれば、生きざまも変わってくる。
同じ店員をしながらも、ただの店員で終わるか、あるいはつぎのステップに進むか、
そのちがいとなって、現れてくる。

 が、このことは、家庭に主婦(母親)として入った女性についても、言える。

●生きざまの問題に直結

 日常的な作業(=ルーティンワーク)だけをし、またそれだけで終わっていたら、
その女性の知的能力は、(高度)とは、ほど遠いものになってしまう。
電車やバスの中で、たわいもない愚痴話に花を咲かせているオバチャンや、オジチャン
たちを見れば、それがわかる。

 そこで重要なことは、あくまでもメタ認知能力の訓練のためということになるが、
つねに問題意識をもち、(問題)そのものを、身の回りから見つけていくということ。
問題あっての、メタ認知能力である。

 社会問題、政治問題、経済問題、さらには教育問題などなど。
あえてその中に、首をつっこんでいく。
ワーワーと声をあげて、自分で騒いでみる。
私はそのとき、そのつど文章を書くことを提唱するが、これはあまりにも手前みそ過ぎる。
が、(書く)ということは、そのまま(考える)ことに直結する。
ほかによい方法を私は知らないので、やはり書くことを提唱する。

 で、こうして書くことによって、たとえば今、「メタ認知能力」についての理解を
深め、問題点を知ることができる。
同時に、応用分野についても、知ることができる。
こうして自分がもつ知的能力を高めることができる。
そしてそれがその人の生きざまへと直結していく……。

 簡単に言えば、「自分の意識を意識化すること」。
それがメタ認知能力ということになる。
オックスフォード英英辞典によれば、「Meta」は、「higher(より高度の)」「beyond
(超えた)」という意味である。
「より高度の認知能力」とも解釈できるし、「認知能力を超えた認知能力」とも解釈
できる。

 私はこのメタ認知能力の先に、(ヒト)と(動物)を分ける、重大なヒントが隠されて
いるように感ずるが、それは私の思いすごしだろうか?
つまりメタ認知能力をもつことによって、ヒトは、自らをより高いステージへと、自分を
もちあげることができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 メタ メタ認知能力 metacognitive ability 高度な知的活動)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

【メタ認知能力】(追記)(Metacognitive Ability)

+++++++++++++++

この数日間、「メタ認知能力」という
言葉に、たいへん興味をもっている。
以前にも何度か、それについて書いた
ことがある。
が、そのときは、それほど
重要視していなかった。
しかしその後、知れば知るほど、
なるほどと思う場面に遭遇した。

「メタ認知能力」……まさに人間だけが
もちうる、最高度の認知能力という
ことになる。

+++++++++++++++++

●食欲とメタ認知能力

 食欲中枢は、脳の中でも視床下部というところにあることがわかっている。
そこにあるセンサーが、血糖値の変動を感知して、食欲を増進させたり、反対に
食欲を減退させたりする。

 しかしこれら2つの働き、つまり(食欲増進)を促す中枢部と、(食欲抑制)を
促す中枢部が、最近の研究によれば、別々のものというところまでわかってきている。
これら2つの中枢部がたがいに連携をとりながら、もう少し具体的には、絶妙なバランス
をとりながら、私たちの(食欲)を、コントロールしている。

●意識を意識する

 もちろん私たちは、こうした知識を、本という(文字)を通して知るしかない。
頭を開いて、その中を見て知るわけではない。
が、想像することはできる。
たとえば空腹感を覚えたようなとき、「血糖値がさがってきたぞ」とか、など。

 血糖値がさがると、胃や腸が収縮し始める。
空腹になると、おなかがグーグーと鳴るのはそのためだが、そうした変化に合わせて、
空腹感がどういうものであるかを知る。

 このとき、「ああ、腹が減ったなあ」だけでは、メタ認知能力はないということに
なる。
が、このとき、自分の脳みその中の変化を、想像してみる。
「ああ、今、食欲増進中枢部が働いているぞ」
「今度は、食欲抑制中枢部が働いているぞ」と。

 こうして自分の意識を、別の意識で客観的に評価する。
それをする能力が「メタ認知能力」ということになる。

●2つの働き

 これもひとつのメタ認知能力ということになるのか。
たとえば講演などをしているとき、自分の脳の中で、2つの働きが同時に起きている
のがわかる。
ひとつは、講演の話の内容そのものを考えること。
「この話には、異説があるので、注意しよう」とか、「この話は、もう少し噛み砕いて
話そう」とか、考える。

 もうひとつは、話しながらも、「残り時間があと20分しかないから、少し結論を
急ごう」とか、「つぎにつづく話は、途中で端折ろう」とか、時間を意識すること。
この両者が、交互というよりは、同時進行の形で働く。

 つまり講演している私を、別の意識が客観的にそれをみて、私にあれこれと命令を
くだす。

●知的能力

 教育の世界の話になると、ぐんと具体性を帯びてくる。
たとえば今、掛け算の九九練習している子ども(小2)を、頭の中で想像してみてほしい。
その子どもは懸命に、「二二が4、二三が6……」と暗記している。
そのとき子どもは、「なぜそれを学習しているのか」「なぜそれを学習しなければならな
いのか」「学習したら、それがどう、どのように役立っていくのか」ということについては、
知る由もない。

 「掛け算は覚えなければならない」という意識もない。
ないから、先生や親に言われるまま、暗記する……。

 これは子どもの世界での話だが、似たような話は、おとなの世界にも、いくらでもある。
またその程度の(差)となると、個人によってみなちがう。
言い換えると、メタ認知能力の(差)こそが、その人の知的能力の(差)ということにな
る。

●自己管理能力とメタ認知能力

 たとえば若い男性の前に、裸の女性が立ったとする。
かなり魅力的な、美しい女性である。
そのとき若い男性が、それを見てどのように反応し、つぎにどのような行動に出るかは、
容易に察しがつく。

 が、そのときその若い男性が、自分の中で起きつつある意識を、客観的にながめる
能力をもっていたとしたら、どうだろうか。
「今、視床下部にある性欲本能が、攻撃的な反応を示し始めた」
「ムラムラと湧き起きてくる反応は、食欲増進反応と同じだ」
「今、ここでその女性と関係をもてば、妻への背信行為となる」など。
いろいろに考えるだろう。

 こうしてメタ認知能力をもつことによって、結果的に、大脳の前頭連合野が分担する、
自己管理能力を、より強固なものにすることができる。

●スーパーバイザー

 「意識を意識する」。
それがメタ認知能力ということになるが、もう少し正確には、「意識を意識化する」という
ことになる。

 もちろんその日、その日を、ただぼんやりと過ごしている人には、(意識)そのものが
ない。
「おなかがすいたら、飯を食べる」
「眠くなったら、横になって寝る」
「性欲を覚えたら、女房を引き寄せる」と。

 が、そうした意識を、一歩退いた視点から、客観的に意識化する。
言うなれば、「私」の上に、スーパーバイザー(監督)としての「私」を、もう1人、置く。
置くことによって、自分をより客観的に判断する。
たとえば……。

 「今日は寒いから、ジョギングに行くのをやめよう」と思う。
そのときそれを上から見ている「私」が、「ジョギングをさぼってはだめだ」
「このところ運動不足で、体重がふえてきている」「ジョギングは必要」と判断する。
そこでジョギングをいやがっている「私」に対して、「行け」という命令をくだす。
言うなれば、会社の部長が、なまけている社員に向かって、はっぱをかけるようなもの。
部長は、社員の心理状態を知り尽くしている。

●うつを知る

 メタ認知能力は、訓練によって、伸ばすことができる。
私なりに、いくつかの訓練法を考えてみた。

(1)そのつど、心(意識)の動きをさぐる。
(2)それが脳の中のどういう反応によるものなのかを知る。
(3)つぎにその反応が、どのように他の部分の影響しているかを想像する。
(4)心(意識)の動きを、客観的に評価する。

 この方法は、たとえば(うつ病の人)、もしくは(うつ病的な人)には、とくに
効果的と思われる。
(私自身も、その、「うつ病的な人」である。)

 というのも、私のようなタイプの人間は、ひとつのことにこだわり始めると、そのこと
ばかりをずっと考えるようになる。
それが引き金となって、悶々とした気分を引き起こす。

 そのときメタ認知能力が役に立つ。
「ああ、これは本来の私の意識ではないぞ」
「こういうときは結論を出してはいけない」
「気分転換をしよう」と。

 すると不思議なことに、それまで悶々としていた気分が、その瞬間、とてもつまらない
ものに思えてくる。
と、同時に、心をふさいでいた重い気分が、霧散する。

●メタ認知能力

 メタ認知能力を養うことは、要するに「自分で自分を知る」ことにつながる。
ほとんどの人は、「私は私」と思っている。
「私のことは、私がいちばんよく知っている」と思っている。
が、実のところ、そう思い込んでいるだけで、自分のことを知っている人は、ほとんど
いない。
(私が断言しているのではない。
あのソクラテスがそう言っている。)

 が、メタ認知能力を養うことによって、より自分のことを客観的に知ることができる。
「私は私」と思っていた大部分が、実は「私」ではなく、別の「私」に操られていた
ことを知る。
それこそが、まさに『無知の知』ということにもつながる。

 もちろん有益性も高い。
その(有益性が高い)という点で、たいへん関心がある。
応用の仕方によっては、今までの私の考え方に、大変革をもたらすかもしれない。
またその可能性は高い。

 しばらくはこの問題に取り組んでみたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 メタ認知能力 Metacognitive Ability)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●メタ認知能力(Metacognitive Ability)

+++++++++++++++++++++

「メタ認知能力」?
私は新しい概念に出あったりすると、
それが何であるかを知るために、ときどき
こういう手法をもちいる。

(メタ認知能力のすぐれた人)を想定する。
一方で、(メタ認知能力に欠ける人)を想定する。
その両者を比較する。
比較して、その(ちがい)を洗い出す。

この手法は、教室でもよく使う。
たとえば(問題のある子ども)がいたとする。
そういうときは、(問題のない子ども)と比較しながら、
その(ちがい)を洗い出す。

++++++++++++++++++++++

●メタ認知能力のある人

 「メタ認知能力」とは何か?
実のところ、私にもよくわからない。
だから私なりの解釈を加えてみる。
が、私の解釈が正しいとはかぎらない。
実のところ、意識に関する概念は、どれもむずかしい。
意識そのものが、漠然としている。
概念としては理解できるが、そこまで。
たとえば「潜在意識」というものにしても、概念としては理解できるが、
どれが潜在意識で、どれがそうでないかというと、それがよくわからない。
「これが潜在意識」とわかったとたん、それは潜在意識ではなくなる。
「意識」ということになる。

そういう前提で、つまりまちがっているかもしれないという前提で、
私なりに、メタ認知能力について、書いてみる。
だからここに書くことが、「メタ認知能力」というわけではない。

●私の性質

 たとえば私は、ひねくれやすい性質をもっている。
子どものころからずっとそうで、それには私の乳幼児期の育児環境が大きく影響して
いる。
こんなことがあった。

 小学2年生のときのことだった。
その日、私は弁当を忘れた。
母が作り忘れた。
で、担任の先生が、自分の弁当箱のフタに、みなから少しずつごはんとおかずを
集めてくれた。
それを私にくれた。
しかし私は、それを食べなかった。
食べられなかった。
がんとして、それを拒否した。

 ふつうなら、みなの好意をそのまま受け入れて、「ありがとう」と言ってたべるだろう。
心がすなおに育っている子どもなら、そうする。
が、私には、それができなかった。
 今でも、それが残っている。

●分離不安症?

 弁当を食べなかったのは、私の(がんこさ)だったかもしれない。
プライドが許さなかったのかもしれない。
が、こういう例で説明すれば、もう少しよく、私のゆがんだ性質を、
わかってもらえるかもしれない。

 たとえば私は子どものころから、ひとりで寝るのが苦手だった。
若いころは、それなりに気力で自分を支えたが、結婚してからは、がくんと
弱くなってしまった。
以来、ワイフとは、いつも床を同じくして、眠っている。
が、これにも私の生い立ちが関係している。

 で、そういう中にありながら、私はそれを心のどこかで(引け目)に感じている。
ときどきワイフも、そういう言う。
「あなたは、おとなの分離不安症よね」と。

 だからたとえば、ワイフが先に、さっさと床に入ってしまったようなときなど、
あのひねくれやすい症状が顔を出す。
置いてきぼりをくらったかのような、怒りを覚える。
そしてこう思う。
「だれがあんなヤツと、いっしょに寝てやるか!」と。

 私は、書斎の横にある部屋で、ひとりで寝る。
そういう私を心配して、ワイフがやってきて、こう言う。
「何をいじけているの! 早く寝なさいよ」と。
私はワイフの言葉にせかされ、いそいそと寝床に入っていく……。

●ひねくれ症状

 実はつい先日も、そういう状況になった。
が、そのときはちがった。
私は「メタ認識能力」という言葉を知っていた。
で、それを自分に応用してみた。

 ワイフは、先に床に入った。
私が部屋に入ると、すでに寝息をたてて眠っていた。
それを見て、またまたあのひねくれ症状が出てきた。

 で、そのとき私はその(症状)がどこから出てくるかを、自分で観察してみた。
が、不思議なことに、本当に不思議なことに、観察し始めたとたん、それが
パーッと、霧のように散ってしまった。

 これには驚いた。
もともと(ひねくれ症状)には、実体がない。
本来の(私)の上に、雲のように、おおいかぶさっているだけ。
理屈があるわけでもない。
理由などない。
私は「ナ〜ンだ、こんなものか」と思いながら、いつものように寝床に入った。

●メタ認知能力のない子ども

 が、もしメタ認識能力がなかったら、どうなるか。
(この解釈は、最初に断ったように、私独自の解釈で、正しいとはかぎらない。)
外部に表象される意識だけが、(意識)ということになる。
そして結果的には、その意識だけに振り回されることになる。

 こうした現象は、子どもの世界でも、ときどき観察される。
算数という勉強に当てはめて、考えてみる。

 たとえば何かの問題を解かせると、中に、こう聞いてくる子どもがいる。
「先生、これ足し算の問題? それとも引き算の問題?」と。

 もう少し学年が大きくなってくると、こう聞いてくる子どもがいる。
「先生、割り算でするの? それとも掛け算でするの?」と。

 こうした子どもたちには、問題の中の数字しか目にとまらない。
数字だけ見、それを加工して、答を出そうとする。

 同じようにおとなたちにしても、その場だけの状況に応じて、
ものごとを判断しようとする。
そういうおとなは、多い。
このタイプのおとなは、何かあるとアタフタするだけ。
あとは取り越し苦労とヌカ喜び。
それを繰り返す。

●ある女性

 こんなことがあった。
ある女性(当時、65歳くらい)がいた。
90歳近い母親を介護していた。
その母親について、「夏場になると、老臭がひどくて困る」と。

 そこで私はつぎのように提案してみた。
「換気扇をつけたらどうでしょう」→「それを取りつける、穴がない」
「穴を開ければいいですよ」→「そういう道具がない」
「大きなドリルであけます。電気屋に相談すれば、貸してくれますよ」→「家に傷を
つけたくない」
「換気扇があれば、何かと便利です。家の湿気も取ります」→「うちは湿気ません」と。

 こういう意味のない押し問答がいつまでも、つづいた。
つまりその女性の頭の中には、(老臭)という問題しかなかった。
「だからどうしたらいいのか」と、考えることすらできなかった。
で、この女性の思考回路は、先に「先生、これ足し算の問題? それとも引き算の問題?」
と聞いた小学生の思考回路と、どこもちがわない。

 が、メタ認識能力というときは、さらにその先をいう。
もしその女性が、「なぜ、自分が老臭を嫌うという意識をもつのか」という心の深い部分
にまでメスを入れていたら、もう少し介護の仕方も変わっていたのではないか。

 つまりその女性にとっては、親の介護そのものが負担だった。
そこに至る理由はいろいろあるだろう。
私のような部外者の知るところではない。
それが形を変えて、「老臭」につながった。
だから最初から、その女性にしてみれば、老臭など、どうでもよかった。
「介護はたいへんだ」ということを他人に訴えるための、口実にすぎなかった。
ただの愚痴にすぎなかった。

 だから私があれこれと解決策を示しても、その女性はそれには応じてこなかった。
ああでもない、こうでもないと、別の理由をこじつけては、それに反論した。

 メタ認知能力がないと、自分を客観的に観察する能力すら、失う。
そこにある問題に気づくこともなく、あわてふためく。

●ちがい

 こうして考えていくと、メタ認知能力のある・なしを、比較することができる。
(かっこ)内は、メタ認知能力がない人ということになる。

(1)自分を客観的に評価できる。(視野が狭くなる。)
(2)自分の未来を、予想することができる。(その場だけのことしかわからない。)
(3)問題解決の技法を、すみやかに見つけることができる。(あたふたするだけ。)
(4)解決方法を、多角的に見つけることができる。(ひとつの方法にこだわる。)
(5)新しい問題に対して、チャレンジする。(できることしか、しない。)
(6)感情のコントロールができる。(感情的になりやすい。)
(7)臨機応変に環境に適応できる。(不適応症状を示しやすい。)
(8)人間的な豊かさ、深みがある。(全体に浅はかな印象を与える。)
(9)心に余裕があり、おおらか。(心に余裕がなく、セカセカしている。)

 このメタ認知能力は、「訓練によってのみ、伸ばすことができる」(ブラウン、フラベル)
という。
そのためには、まず、メタ認知能力というものがどういうものであるかを知らなければ
ならない。

 わかりやすく言えば、「意識を意識化する」。
今、自分がもっている意識を、別の意識で客観的に知る。
それによって、メタ認知能力を身につけることができる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW メタ認知能力 Metacognitive Ability メタ認識 メタ認知)

(補記)

 私たちがもっている「意識」ほど、不可解で、いいかげんなものはない。
「私は私」と思う意識にしても、そうだ。
どこからどこまでが「私」かとなると、それがわからない。

 最近の大脳生理学によれば、私たちの意識ですらも、脳の別のところであらかじめ
作られるということまで、わかってきた。
それが無意識の段階から、意識の段階まであがってきて、私たちはそのとき、
それを自分の意識として自覚する。
そしてそれを「私」という。

 わかりやすい例でいえば、女性が化粧をするのも、男性がかっこよく見せようとする
のも、結局は、性的エネルギー(フロイト)が、裏からその人を操っているからにほか
ならない。
当の本人は、「私の意思で化粧している」「ぼくの意思でかっこよくしている」と思って
いるかもしれない。
が、実のところ心の奥深くから湧きおこる、性的エネルギーに操られているだけ。

 私たちが意識として意識できる部分というのは、脳の中でも、ほんの一部にすぎない。
一説によれば、数10万分の1とも言われている。
そのほかの意識は、無意識の世界で、私たちを内側から操っている。

 となると、メタ認知能力の重要性がますますクローズアップされてくる。
私たちの(意識)を、その奥にある意識でもって、客観的に観察、判断、さらには
コントロールする。

 こうした能力は、ほかの動物たちにはない能力とみてよい。
ほかの動物たちは、意識される意識のみに従って、行動している。
が、人間はちがう。
意識される意識を、べつの意識で観察、判断、さらにはコントロールする。
つまりそれこそが、人間と、他の動物たちを隔てる壁ということになる。

●補記

 ここに書いたことは、まちがっているかもしれない。
(多分、まちがっている。)
しかし考えるテーマとしては、おもしろい。
もし「私」を、別の「私」によって、知ることができたら、これほど楽しいことはない。
言うなれば、心の鏡のようなもの。
その鏡に自分の心を映して、自分の心を知る。
心がどんな顔をしているかが、それでわかる。

 まだまだ、このつづきを考えてみたい。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●メタ認知(認識)(解離性人格障害)

++++++++++++++++++++

自分の現在の脳みその活動を、客観的に
認識することを、「メタ認知(認識)」という。
「メタ」というのは、「超えた」という意味。
「認識を超えた認識」という意味で、「メタ
認識」という。

たとえば空腹感を覚えたようなとき、
「ああ、血糖値がさがっているぞ。視床下部の
センサーがそれを感知しているぞ。
ドーパミンが線条体を刺激し始めたぞ……」と。

目には見えないが、脳のメカニズムがある程度
わかってくると、具体的にそれを知ることができる
ようになる。
自分の中に起きている変化を、客観的に認識する
ことができるようになる。
それが「メタ認知(認識)」。
新しい言葉なので、用語の使い方がまちがっているかも
しれないが、大筋ではそれほどまちがっていないと思う。

で、たとえばパソコンのOSにビスタがある。
このビスタには、自己評価能力という機能が
ついている。
それぞれの機能を、6点満点法で表示してくれる。
これなどは、メタ認知(認識)ということになる。
自分で自分をテストして、自分の能力を調べる。

で、ふとこんなことを考える。
人間も、似たようなことはできないものか、と。

++++++++++++++++++++

●解離性人格障害

 「人格障害」というと、ゾッとする人も多いかもしれない。
しかしこと、この「解離性人格障害」について言えば、程度の差こそあれ、ほとんどの
人に、その傾向が見られる。

 本来の「私」はいるのだが、興奮したようなとき、あるいは攻撃的になったようなとき、
もっとわかりやすい例では、カッと頭に血が上ったようなとき、別人のようになる人は
多い。
そのとき、通常の人とちがう点は、人格そのものまで変化するということ。
ふだんは平和主義者の人が、そういう状態になったとたん、虚無主義者になったりする。
淋しがりやの人が、孤独に強くなったりする。

 実は、私もそうで、それに気づくまでに、20年以上の年月がかかった。
つまり病識そのものが、なかった。
そういう自分を薄々知りながらも、「私はまとも」と思っていた。
しかし私は、(まとも)ではなかった。

 「解離(かいり)」というのは、主人格がちゃんとあって、そのつど、副人格が優勢に
なる状態をいう。
主人格との間に、連続性はない。
あるいは副人格になったときでも、主人格ははっきりとそれを自覚していて、一方の側から、
「やめろ」とか、「今のお前はおかしい」とか、口を添えたりする。

●解離性性格

 で、こういう話をすると、たいていの人は、「そういえば、私にも似たようなところが
ある」と言い出す。
他人の心の奥までは覗くことはできないが、もしそうであるなら、「人格障害」という
診断名は、少し仰々しすぎるのでは?
「解離性性格」でもよいのではないか。
たとえばアルコールが入ったとたん、別の人間のようになる人は多い。
ふだんは、気が弱く、おとなしく静かだった人が、アルコールが入ったとたん、気が
大きくなり、大声でわめき散らしたりする。

●病識の自覚

 ここでの目的は、解離性人格障害について書くことではない。
目的は、そうした問題が自分自身にあるとき、どうすれば、それを自分で知ることが
できるかということ。

 たとえば精神疾患の世界には、「病識」という言葉がある。
同じ精神疾患でも、「私は病気」と気がついている、つまり病識がある人は、まだ軽いの
だそうだ。
が、それがさらに進むと、その病識がなくなる。
「私はどこもおかしくない」とがんばる人ほど、重症ということになる。

 では、病識のある・なしは、どこで決まるのか。
 
 ひとつには、知識と経験ということになる。
そういう点では、他人の病気を知ることは、たいへん、役に立つ。
たとえば今、私は認知症の高齢者にたいへん興味がある。
そういう人たちをたくさん見ておくことによって、自分の変化をより的確に知ること
ができるようになる。

●脳のCPU

 が、脳のCPUそのものが狂ってしまっていたら、どうなのか。
言うなれば狂った頭を、狂った頭で判断するようなもので、理論上は、メタ認知(認識)できない
ということになる。

 よい例が、幻覚。

 私はチョコレートをたくさん食べると、脳の様子が変調する。
おかしくなる。
一種の覚醒作用か?

具体的にはどういう作用によるものかはわからないが、脳みそが勝手に暴走し始める。
10年ほど前、一度、そういう経験をしてから、それが恐ろしくなり、以後、チョコ
レートは、ほとんどといってよいほど、口にしていない。
(そのときは、バレンタインディーか何かで、休み時間ごとに、パクパクと
チョコレートを食べた。)
 
 そのときの症状は、別のどこかですでに書いたことがある。
たとえばこうである。
 
 頭の中に、2本の物干し竿が浮かんでくる。
具体的に、その映像が頭の中に映ってくる。
それについて、「人生の真理は、2本の物干し竿である」というように考え始める。
私が意図的に考えるのではなく、勝手に脳みそがそう考え始める。
(物干し竿)と(真理)の間には、連続性は、まったくない。
で、ふと、我に返る。
我に返って、それを頭から、振り払う。
が、つぎの瞬間には、また別のことを考え始める……。

 それは不気味というよりは、恐怖だった。
「頭が狂うということは、こういうことだ」と知った。

 そのときの経験から、CPUが狂ったときには、それを自分でコントロールするのは、
たいへんむずかしいということを知った。

●では、どうすればよいか
 
 要するに、(心の問題)は、それがどんなものであれ、うまくつきあうしかない。
たとえばうつ病にしても、約30%の人が罹患すると言われている(アメリカ)。
日本人は、どこかいいかげんな精神構造をもっているので、それよりは少ないと
言われている。

 仮に30%とするなら、それは「病気」というよりは、(病気であることには
まちがいはないが……)、「人間が本来的にもつ性質」のようなもの。
少なくとも、特別視するほうがおかしい。

 だったら、あとはうまくつきあう。
つきあうだけ。
つきあいながら、それ以上、症状を重くしないことだけを考える。
「直そう」とか「治そう」と考えれば考えてはいけない。
そう考えて、自分を追い込めば追い込むほど、自分を苦しめることになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 メタ認知(認識) 病識 解離性人格障害 剥離性人格障害 はやし浩司 メタ認
識 メタ認知)

(補記)

●メタ認知(追記)

 今日、ドライブしながら、ワイフに、メタ認知の説明をした。ワイフは、たいへん興味深そうに、
私の話を聞いてくれた。

 メタ認知……わかりやすく言えば、自分の思考プロセスを、客観的に意識化することをいう。
私が、「人間が知覚する意識の中でも、最高度のものだよ」と説明すると、「ふ〜ん」と。

私「なぜ、自分がそのように行動し、考えるかという、そのプロセスを知ることだよ」
ワ「それがわかったからといって、どうなの?」
私「自分で、自分をコントロールすることができるようになる」
ワ「そうねえ。自分がなぜ、そのように行動し、考えるかがわかれば、自分で自分をコントロー
ルするのは、簡単ね」
私「そうなんだよ」と。

 私が、なぜ、こうして毎日文を書いているかと言えば、その原点に、(生)があるからである。
その(生)を確認するために、文を書いている。それはまさしく、(生との闘い)と言ってもよい。
そういうプロセスを知ることが、メタ認知ということになる。それを話しているとき、若い男が運
転する、ランドクルーザーとすれちがった。横には、若い女性が、乗っていた。

私「ほら、あの男。自分では、自分で考えてあの車を買ったつもりでいる。しかし実際には、自
分の力不足を、ごまかすために、あの車を買ったのかもしれない。ランクルに乗っているだけ
で、大物になったような気分になれる」
ワ「でも、本人は、それには気づいていないわね」
私「気づいていない。自分の中の、奥深くに潜む意識によって、操られている。おそらく説明し
ても、あの男性には、理解できないだろうね」と。

 その男性は、(生的エネルギー)(ユング)というよりは、(性的エネルギー)(フロイト)のほう
に、強く操られていたかもしれない。常識で考えれば、あれほどまでに若い男が、600〜800
万円もするような高級車に乗れることのほうが、おかしい。

 言いかえると、性的エネルギーは、それほどまでに強力ということ。が、それはそのまま私た
ち自身の問題ということになる。

 私たちは、今、なぜ、今のような行動をし、今のように考えるか。行動の内容や、考えの内容
は、どうでもよい。問題は、なぜそのような行動をし、考えるかを知る。それがメタ認知というこ
とになる。

私「もし精神疾患をもった人が、自分を客観的にメタ認知できるようになったら、自分で自分の
病気を克服できるようになるかもしれないね」
ワ「すごいことね」
私「そう、すごいことだ。が、重度の患者ほど、『私は正常だ』『どこも悪くない』と言ってがんば
る。つまりメタ認知ができないということになる」と。

 こんな例が適切かどうかは、知らない。が、こんなこともある。

 空腹になってくると、血糖値がさがってくる。同時に脳間伝達物質が、減少してくる。すると、
精神的に不安定になる。人によっては、怒りっぽくなったり、イライラしたりするようになる。

 その怒りっぽくなったり、イライラしたようなとき、自分を客観的にメタ認知できたら、どうだろ
うか。「ああ、今、怒りっぽくなっているのは、空腹のせいだ」と。それが自分でわかる。そうす
れば、自分の感情を、その時点でコントロールすることができるようになる。

 で、そのときも、そうだった。私はそれを感じたので、ワイフに、「どこかで食事しようか」と声
をかけた。ワイフは、それに快く応じてくれた。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

【生の源泉】

●生(なま)のエネルギー(Raw Energy from Hypothalamus)
In the middle of the brain, there is hypothalamus, which is estimated as the center of the 
brain. This part of the brain shows the directions of other parts of the brain. But it is not all. 
I understand the hypothalamus is the source of life itself.

++++++++++++++++++++

おおざっぱに言えば、こうだ。
(あるいは、はやし浩司の仮説とでも、思ってもらえばよい。)

脳の奥深くに視床下部というところがある。

視床下部は、いわば脳全体の指令センターと考えるとわかりやすい。
会社にたとえるなら、取締役会のようなもの。
そこで会社の方針や、営業の方向が決定される。

たとえば最近の研究によれば、視床下部の中の弓状核(ARC)が、人間の食欲を
コントロールしていることがわかってきた(ハーバード大学・J・S・フライヤーほか)。
満腹中枢も摂食中枢も、この部分にあるという。

たとえば脳梗塞か何かで、この部分が損傷を受けると、損傷を受けた位置によって、
太ったり、やせたりするという(同)。

ほかにも視床下部は、生存に不可欠な行動、つまり成長や繁殖に関する行動を、
コントロールしていることがわかっている。

が、それだけではない。

コントロールしているというよりは、常に強力なシグナルを、
脳の各部に発しているのではないかと、私は考えている。
「生きろ!」「生きろ!」と。
これを「生(なま)のエネルギー」とする。
つまり、この生のエネルギーが(欲望の根源)ということになる。(仮説1)

フロイトが説いた(イド)、つまり「性的エネルギー」、さらには、ユングが説いた、
「生的エネルギー」は、この視床下部から生まれる。(仮説2)

こうした欲望は、人間が生存していく上で、欠かせない。
言いかえると、こうした強力な欲望があるからこそ、人間は、生きていくことができる。
繁殖を繰りかえすことが、できる。
そうでなければ、人間は、(もちろんほかのあらゆる動物は)、絶滅していたことになる。
こうしたエネルギー(仏教的に言えば、「煩悩」)を、悪と決めてかかってはいけない。

しかしそのままでは、人間は、まさに野獣そのもの。
一次的には、辺縁系でフィルターにかけられる。
二次的には、大脳の前頭前野でこうした欲望は、コントロールされる。(仮説3)

性欲を例にあげて考えてみよう。

女性の美しい裸体を見たとき、男性の視床下部は、猛烈なシグナルを外に向かって、
発する。
脳全体が、いわば、興奮状態になる。
(実際には、脳の中にある「線状体」という領域で、ドーパミンがふえることが、
確認されている。)

その信号を真っ先に受けとめるのが、辺縁系の中にある、「帯状回」と呼ばれている
組織である。

もろもろの「やる気」は、そこから生まれる。
もし、何らかの事故で、この帯状回が損傷を受けたりすると、やる気そのものを喪失する。
たとえばアルツハイマー病の患者は、この部分の血流が著しく低下することが、
わかっている。

で、その(やる気)が、その男性を動かす。
もう少し正確に言えば、視床下部から送られてきた信号の中身を、フィルターにかける。
そしてその中から、目的にかなったものを選び、つぎの(やる気)へとつなげていく。
「Sックスしたい」と。

それ以前に、条件づけされていれば、こうした反応は、即座に起こる。
性欲のほか、食欲などの快楽刺激については、とくにそうである。
パブロフの条件反射論を例にあげるまでもない。

しかしそれに「待った!」をかけるのが、大脳の前頭前野。
前頭前野は、人間の理性のコントロール・センターということになる。
会社にたとえるなら、取締役会の決定を監視する、監査役ということになる。

「相手の了解もなしに、女性に抱きついては、いけない」
「こんなところで、Sックスをしてはいけない」と。

しかし前頭前野のコントロールする力は、それほど強くない。
(これも取締役会と監査役の関係に似ている?
いくら監査役ががんばっても、取締役会のほうで何か決まれば、
それに従うしかない。)

(理性)と(欲望)が、対立したときには、たいてい理性のほうが、負ける。
依存性ができているばあいには、なおさらである。
タバコ依存症、アルコール依存症などが、そうである。
タバコ依存症の人は、タバコの臭いをかいただけで、即座に、自分も吸いたくなる。

つまり、ここに人間の(弱さ)の原点がある。
(悪)の原点といってもよい。

さらに皮肉なことに、視床下部からの強力な信号は、言うなれば「生(なま)の信号」。
その生の信号は、さまざまな姿に形を変える。(仮説4)

(生きる力)の強い人は、それだけまた、(欲望)の力も強い。
昔から『英雄、色を好む』というが、英雄になるような、生命力の強い人は、
それだけ性欲も強いということになる。

地位や名誉もあり、人の上に立つような政治家が、ワイロに手を染めるのも、
その一例かもしれない。

つまり相対的に理性によるコントロールの力が弱くなる分だけ、欲望に負けやすく、
悪の道に走りやすいということになる。

もちろん(欲望)イコール、(性欲)ではない。
(あのフロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使って、性欲を、心理学の中心に
置いたが……。)

ここにも書いたように、生の信号は、さまざまな姿に変える。
その過程で、さまざまなバリエーションをともなって、その人を動かす。

スポーツ選手がスポーツでがんばるのも、また研究者が、研究で
がんばるのも、そのバリエーションのひとつということになる。
さらに言えば、女性が化粧をしたり、身なりを気にしたり、美しい服を着たがるのも、
そのバリエーションのひとつということになる。

ほかにも清涼飲料会社のC社が、それまでのズン胴の形をした瓶から、
なまめかしい女性の形をした瓶に、形を変えただけで、
現在のC社のような大会社になったという話は、よく知られている。
あるいは映画にしても、ビデオにしても、現在のインターネットにしても、
それらが急速に普及した背景に、性的エネルギーがあったという説もある。

話がこみ入ってきたので、ここで私の仮説を、チャート化してみる。

(視床下部から発せられる、強力な生のシグナル)
      ↓
(一次的に辺縁系各部で、フィルターにかけられる)
      ↓
(二次的に大脳の前頭前野で、コントロールされる)

こう考えていくと、人間の行動の原理がどういうものであるか、それがよくわかる。
わかるだけではなく、ではどうすれば人間の行動をコントロールすることができるか、
それもよくわかる。

が、ここで、「それがわかったから、どうなの?」と思う人もいるかもしれない。
しかし自分の心というのは、わかっているのと、わからないのでは、対処のし方が、
まるでちがう。

たとえば食欲を例にあげて、考えてみよう。

たとえば血中の血糖値がさがったとする。
(実際には、食物の分解物であるグルコースや、インスリンなどの消化器系ホルモン
などが、食欲中枢を刺激する。)
すると視床下部は、それを敏感に関知して、「ものを食べろ!」というシグナルを
発する。
食欲は、人間の生存そのものに関する欲望であるだけに、そのシグナルも強力である。

そのシグナルに応じて、脳全体が、さまざまな生理反応を起こす。
「今、運動をすると、エネルギー消費がはげしくなる。だから動くな」
「脂肪内のたくわえられたエネルギーを放出しろ」
「性欲など、当座の生命活動に必要ないものは、抑制しろ」と。

しかしレストラン街までの距離は、かなりある。
遠くても、そこへ行くしかない。
あなたは辺縁系の中にある帯状回の命ずるまま、前に向かって歩き出した。

そしてレストラン街まで、やってきた。
そこには何軒かの店があった。
1軒は、値段は安いが、衛生状態があまりよくなさそうな店。それに、まずそう?
もう1軒は。値段が高く、自分が食べたいものを並べている。

ここであなたは前頭前野を使って、あれこれ考える。

「安い店で、とにかく腹をいっぱいにしようか」
「それとも、お金を出して、おいしいものを食べようか」と。

つまりそのつど、「これは視床下部からの命令だ」「帯状回の命令だ」、さらには、
「今、前頭前野が、あれこれ判断をくだそうとしている」と、知ることができる。
それがわかれば、わかった分だけ、自分をコントロールしやすくなる。

もちろん性欲についても同じ。

……こうして、あなたは(私も)、自分の中にあって、自分でないものを、
適確により分けることができる、イコール、より自分が何であるかを知ることが、
できる。

まずいのは、視床下部の命ずるまま、それに振り回されること。
手鏡を使って、女性のスカートの下をのぞいてみたり、トイレにビデオカメラを
設置してみたりする。
当の本人は、「自分の意思で、したい」と思って、それをしているつもりなのかも
しれないが、実際には、自分であって、自分でないものに、振り回されているだけ。

それがわかれば、そういう自分を、理性の力で、よりコントロールしやすくなる。

以上、ここに書いたことは、あくまでも私のおおざっぱな仮説によるものである。
しかし自分をよりよく知るためには、たいへん役に立つと思う。

一度、この仮説を利用して、自分の心の中をのぞいてみてはどうだろうか?

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 視床下部 辺縁系 やる気)


Hiroshi Hayashi++++++++MAR.08++++++++++はやし浩司

●仮説(Hypothesis)
In the middle of the brain, there may be a center which gives orders to the whole brains. 
The limbic system filters these orders to the one, which may be understood by other brains. 
Then brains give orders to each part of the body. The orders are controlled by the frontal 
part of the brain. This is my hypothesis. …sorry about my improper use of words )

+++++++++++++++++

電車の中。
春うららかな、白い光。
その白い光の中で、1人の若い女性が
化粧を始めた。
小さな鏡をのぞきこみ、
口紅を塗っていた。

私はその光景を見ながら、
ふと、こう思った。

「彼女は、自分の意思で化粧をしているのか?」と。

私がその女性にそう聞けば、100%、その女性は、
こう答えるにちがいない。

「もちろん、そうです。私の意思で、化粧をしています」と。

しかしほんとうに、そうか?
そう言い切ってよいのか?

ひょっとしたら、その女性は、
「私でない、私」によって、操られているだけ。

+++++++++++++++

昨日、新しい仮説を組み立てた。
人間の生命と行動に関する仮説ということになる。
それについては、昨日、書いた。

仮説(1)

人間の脳みその奥深くに、(生命力)の中枢となるような部分がある。
最近の研究によれば、視床下部あたりにそれがあるらしいということが、わかってきた。
視床下部というは、脳みその、ちょうど中心部にある。

仮説(2)

その(生命力の根源)となるような部分から、脳みそ全体に、常に、
強力なシグナルが発せられている。
「生きろ!」「生きろ!」と。

生命維持に欠かせない、たとえば食欲、生存欲、性欲、支配欲、闘争欲などが、
そのシグナルに含まれる。

これらのシグナルは、きわめて漠然としたもので、私は、「生(なま)の
エネルギー」と呼んでいる。

仮説(3)

この生のエネルギーは、一次的には、辺縁系という組織で、フィルターに
かけられる。
つまり漠然としたエネルギーが、ある程度、形をともなったシグナルへと
変換される。

やる気を司る帯状回、善悪の判断を司る扁桃核、記憶を司る海馬などが、
辺縁系を構成する。

つまりこの辺縁系で一度フィルターにかけられた生のエネルギーは、志向性を
もったエネルギーへと、変換される。
このエネルギーを、私は、「志向性エネルギー」と呼んでいる。

仮説(4)

この志向性エネルギーは、大脳へと送信され、そこで人間の思考や行動を決定する。
ただそのままでは、人間は野獣的な行動を繰りかえすことになる。
そこで大脳の前頭前野が、志向性エネルギーをコントロールする。
この前頭前野は、人間の脳のばあい、全体の28%も占めるほど、大きな
ものである。

以上が、私の仮説である。

具体的に考えてみよう。

たとえばしばらく食べ物を口にしていないでいたとする。
が、そのままでは、エネルギー不足になってしまう。
自動車にたとえるなら、ガス欠状態になってしまう。

具体的には、血中の血糖値がさがる。
それを視床下部のセンサーが感知する。
「このままでは、ガス欠になってしまうぞ」
「死んでしまうぞ」と。

そこで視床下部は、さまざまな、生のシグナルを中心部から外に向かって発する。
そのシグナルを、一次的には、視床下部を包む辺縁系が、整理する。
(これはあくまでも、仮説。こうした機能を受けもつ器官は、ほかに
あるかもしれない。)

「食事行動を取れ」
「運動量を減らせ」
「脂肪細胞内の脂肪を放出せよ」と。

その命令に従って、脳みそは、具体的に何をするかを決定する。
その判断を具体的にするのが、前頭前野ということになる。
前頭前野は、脳みそからの命令を、分析、判断する。

「店から盗んで食べろ」「いや、それをしてはいけない」
「あのリンゴを食べろ」「いや、あのリンゴは腐っている」
「近くのレストランへ行こう」「それがいい」と。

そしてその分析と判断に応じて、人間は、つぎの行動を決める。

これは食欲についての仮説だが、性欲、さらには生存欲、支配欲、所有欲
についても、同じように考えることができる。

こうした仮説を立てるメリットは、いくつか、ある。

その(1)……「私」の中から、「私であって私である部分」と、
「私であって私でない部分」を、分けて考えることができるようになる。

たとえば性欲で考えてみよう。

男性のばあい、(女性も同じだろうと思うが)、射精(オルガスムス)の
前とあととでは、異性観が、まったくちがう。
180度変わることも珍しくない。

たとえば射精する前に、男性には、女性の肉体は、狂おしいほどまでに魅力的に見える。
女性の性器にしても、一晩中でもなめていたいような衝動にかられることもある。
しかしひとたび射精してしまうと、そこにあるのは、ただの肉体。
女性器を目の前にして、「どうしてこんなものを、なめたかったのだろう」とさえ思う。

つまり射精前、男性は、性欲というエネルギーに支配されるまま、「私で
あって私でない」部分に、操られていたことになる。

では、どこからどこまでが「私」であり、どこから先が、「私であって
私でない」部分かということになる。

私の仮説を応用することによって、それを区別し、知ることができるようになる。

こうして(2)「私であって私である」部分と、「私であって私でない」部分を
分けることによって、つぎに、「私」の追求が、より楽になる。
さらに踏み込んで考えてみよう。

たとえばここに1人の女性がいる。

朝、起きると、シャワーを浴びたあと、毎日1〜2時間ほどもかけて化粧をする。
その化粧が終わると、洋服ダンスから、何枚かの衣服を取りだし、そのときの自分に
合ったものを選ぶ。
装飾品を身につけ、香水を吹きかける……。

こうした一連の行為は、実のところ「私であって私でない」部分が、
その女性をウラから操っているために、なされるものと考えられる。

もちろんその女性には、その意識はない。化粧をしながらも、「化粧を
するのは、私の意思によるもの」と思っている。
いわんや本能によって操られているなどとは、けっして、思っていない。

しかしやはり、その女性は、女性内部の、「私であって私でない」部分に操られている。
それを意識することはないかもしれないが、操られるまま、化粧をしている。

++++++++++++++++++

こう考えていくと、「私」の中に、「私であって私」という部分は、
きわめて少ないということがわかってくる。

たいはんは、「私であって私でない」部分ということになる。
あえて言うなら、若い女性が口紅を塗りながら、「春らしいピンク色にしようか、
それとも若々しい赤色にしようか?」と悩む部分に、かろうじて「私」があることに
なる。

しかしその程度のことを、「私」とはたして言ってよいのだろうか?
「ピンク色にしようか、赤色にしようか」と悩む部分だけが、「私」というのも、
少しさみしい気がする。

さらにたとえばこの私を見てみたばあい、私という人間は、こうして
懸命にものを考え、文章を書いている。

この「私」とて、生存欲に支配されて、ものを書いているだけなのかもしれない。
つまり、私の脳みその中心部から発せられる、生のエネルギーに操られているだけ?
……と考えていくと、「私」というものが、ますますわからなくなってくる。

しかしこれが、「私」を知るための第一歩。
私はやっと、その(ふもと)にたどりついたような気がする。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 私論 私で会って私でない部分
 視床下部 大脳前頭前野)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●糸の切れた凧(たこ)

+++++++++++++

ただ勉強さえできれば、それで
いいと考えている親は、多い。

若い親たちは、ほとんどが、みな、
そうではないか。

しかし指針のない教育ほど、
恐ろしいものはない。それは
たとえて言うなら、糸の切れた
凧のようなもの。

風が吹くのに任せて、右往左往する
だけ。

やがて子どもは、ダメ人間に……。
親は親で、深い、絶望の谷底に
……。

+++++++++++++

 もう20年以上も前のこと。あるとき1人の母親が私のところへきて、こう相談した。「うちの息
子(5歳男児)が通っている英語教室の先生は、アイルランド人です。アイルランドなまりの、へ
んな発音が身につくのではないかと、心配です」「だからどうしたらいいでしょうか」と。

 この話は、ほんとうにあった話である。あちこちの本や雑誌にも、紹介させてもらった。

 たしかにアイルランド人は、やや独特の英語を話す。「W」の発音を、「ウォ〜」と延ばしたりす
る。オーストラリアやアメリカには、アイルランド系の移住者も多い。

 しかしネイティブは別として、日本人で、アイルランド英語を、ほかの英語と区別できる人は、
いったい、どれだけいるだろうか? 私はその相談を受けたとき、「そんな問題ではないのだが
なア」と思った。

 その子どもには、多動性に併せて、多弁性も見られた。きびしいしつけが日常化し、それが
原因と思われるチックと吃音(どもり)も見られた。幼児期はともかくも、小学校へ入学したあ
と、伸び悩むことは、明白だった。が、その母親は、英語教室の先生の、なまりを気にしてい
た!

 ……というような例は、多い。子育てイコール、(子どもが勉強ができるようにすること)と考え
ている。もっとはっきり言えば、進学競争のため。ほとんどの親は、「うちの子は、やればできる
はず」「うちの子にかぎって、今より悪くなるはずはない」と信じている。つまり、前しか見ない。
上しか見ない。

 が、子どもの世界には、うしろもある。下もある。幼児期の、あの穏やかさ、すなおさが、いつ
までもつづくと考えるのは、幻想以外の何ものでもない。やがてつぎつぎと問題が起こり、それ
が怒濤のように親を襲う。

 それには、理由がある。

 親の欲望には、際限がない。少し子どもができるようになると、「もっと」「もっと」と言って、子
どもを追いまくる。が、子どもとて、1人の人間。やがてその限界にやってくる。よく家庭内暴力
が問題になるが、子どもが暴力をふるうのは、何も、家庭だけではない。学校という場で、教師
に向かって暴力をふるう子どもが、近年、急速にふえている。

 いつだったか、私は『子どもの心は風船玉』という格言を考えた。学校でしめつけられた子ど
もは、家庭で荒れる。反対に、家庭でしめつけられた子どもは、学校で荒れる。

 ふつうの荒れ方ではない。「テメエ、この野郎!」と言って、本気で足蹴りを入れてくる。本気
だ。しかも高校生や中学生ではない。まだあどけなさの残る、小学生。それも、小学3、4年
生。たいていは、女児である。

 が、親というのは、悲しい。子どもがそういう状態になっても、気がつかない。気がつかないフ
リをする。私がそれとなく指摘しても、「まさか……」「そんなはずは……」と、それを否定してし
まう。ことの深刻さが、理解できていない。

 この時点で、子どもの心は、粉々に破壊されている。やさしい心は消え、心は、とげとげしくな
る。ささいなことでキレやすくなり、暴れる。「勉強どころの話ではないのだが……」と私は思う
のだが、親は親で、拍車をかけて、子どもの受験競争に狂奔する。症状も、この程度ですめ
ば、まだよいほう。さらに心をゆがめれば、行き着く先は、不登校、家庭内暴力、陰湿ないじめ
などなど。

 ……というような、その親子の未来像が、私には、手に取るようにわかる。40年近くも幼児を
見ていると、それがわかるようになる。が、それを口に出すことは、タブー。わかっていても、今
度は、私の方が知らぬフリをする。冷酷なようだが、その人の子育てには、その人すべての哲
学や人生観が集約されている。さらに、その人自身の過去が集約されている。

 仮に問題があったとしても、親自身がそれに気がつくのは、むずかしい。心理学の世界に
も、「メタ認知」という言葉がある。自分自身の思考プロセスを、意識化することをいう。人間が
もつ意識の中でも、最高度の意識といってもよい。

 「なぜ私は、子どもの受験競争に狂奔するのか」と。それが自分でわかる親は、まずいない。
どの親も、もっと深い部分からの命令によって、動かされているだけ。それを認知する力が、
「メタ認知」ということになる。

 私はその母親と別れるとき、「道は遠いだろうな」と思った。その母親が、自分の愚かさ(失
礼!)に気がつくことはあるのだろうかとさえ、思った。と、同時に、そのときほど、やる気をなく
したことはない。おかしな無力感だけが、いつまでも残ったのだけは、今でもよく覚えている。

 学生時代、私のガールフレンドは、そのアイルランド移民だった。若くして白血病でなくなって
しまった。今でもアイルランド英語を耳にするたびに、切ない思いにかられる。これは余談だが
……。

(補記)【メタ認知】

 医学の世界にも、「病識」という言葉がある。精神疾患を病んだような人が、「自分はおかし
い」と認識することを、病識という。

 この病識がある、なしで、精神疾患の重大さを判断することができるという。「私はおかしい」
「私は狂っている」と、認識できる病人は、まだ症状が軽いという。

 しかし病状が進むと、それすら、わからなくなる。「私はどこもおかしくない」「私の精神状態は
健康だ」とがんばる病人ほど、症状が重いという。

 自分で自分の(おかしさ)に気づくことは、それほどまでに、むずかしい。同じように、自分の
思考プロセスを、意識化することは、むずかしい。たとえばDV(家庭内暴力)がある。たいてい
は夫が妻に暴力をふるうケースだが、なぜ暴力をふるうのか。その思考プロセスを、夫自身が
気がつくのは、むずかしい。

 とくに心のキズというのは、そういうもの。無意識の世界から、その人を操(あやつ)り人形の
ように、操る。夫自身も、幼少時代、親に虐待されていたかもしれない。

 わかりやすく言えば、哲学の世界で、「今の自分を知る」ということが、心理学の世界では、
「メタ認知」ということになる。

 まず手始めに、「なぜ、私はこうまで、子どもの受験競争にカリカリするのか」と、自問してみ
るとよい。そこからメタ認知は、始まる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 メタ認
知 思考過程 思考プロセス 無意識下の意識)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep 07++++++++++はやし浩司※

●自分を知る

++++++++++++

ほとんどの人は、「私のことは
私がいちばんよく知っている」
と思っている。

しかしその実、自分のことは、
まったくわかっていない。そう、
自分で思いこんでいるだけ。

よい例が、「病識」。「私は病気で
ある」という意識があることを、
病識という。

精神疾患の世界でも、この病識
のあるなしで、病気の軽重が
決まるという。

同じように、心理学の世界には、
「メタ認知」という言葉がある。
自分の思考プロセスを客観的に
知り、それを意識化することをいう。

「なぜ、私はこう考えるのか」と。
考えている内容ではない。なぜ、
そのように考えるか、そのプロセスを
意識化することをいう。

さらに哲学の世界では、「汝自身を
知れ」が、究極の目標になっている。

精神医学、心理学、そして哲学の
世界で、それぞれ言っていることは、
みな、同じ。

つまり、「私を知ること」は、それほど
までにむずかしい。

……それでもあなたは、「私のことは
私がいちばんよく知っている」と、
言い張ることができるだろうか?

+++++++++++++

 たとえば若い女性が、胸や太ももをあらわにした服を着たとする。その女性にしてみれば、そ
れが流行であり、そのほうが自分に似合うと思うから、そうする。

 そこでさらに、店にでかけ、あれこれ迷いながら、自分に合った(?)服を買おうとする。そうい
う女性に向かって、「どうしてそういう服を買うのですか」と質問しても、意味はない。その女性
はその女性なりに、懸命に考えながら、色やデザインを選んでいる。

 が、もしその女性が、こう考えたらどうだろうか。

 「私はフロイトが説いたところの、イド、つまり性的エネルギーに支配されているだけ」と。

 そう、その女性は、無意識の世界からの命令によって動かされているだけ。そしてその命令
は、種の保存本能に根ざしている。胸や太ももをあらわにするのも、結局は、(男)という異性
をを意識しているからにほかならない。が、もちろんその女性には、その意識はない。

私「男を意識するから、そういう服を着るの?」
女「男なんて、関係ないわよ。ファッションよ」
私「ファッションって?」
女「自分に似合った服を選んで、身につけることよ」と。

 つまり精神疾患でいうところの「病識」が、その女性には、まったくないということになる。「私
は正常だ」「ふつうだ」と思いこんでいる。しかし若い男性にとっては、そうではない。あらわにな
った胸や太ももを見ただけで、性的な情欲にかられる。女性には、その意識はなくても、男性
は、そうなる。

 「どんな服装をしようとも、女性の勝手」というわけにはいかない。

 もっとも、その女性が、性的エネルギーにすべて支配されていると考えるのも、まちがいであ
る。動機の原点に、性的エネルギーがあるとしても、そこから先は、(美の追求)ということにな
る。ファッションショーに、その例を見るまでもない。

 しかしそのつど、もし私たちが、自分の思考プロセスを、客観的に認知することができるよう
になったら、またそういう習慣を身につけることができたら、自分の見方が大きく変わるかもし
れない。それを心理学の世界では、「メタ(高次)認知」という。

 たとえばこの私。毎日、ヒマさえあれば、こうしてパソコンのキーボードをたたいている。実際
には楽しいから、そうしている。頭の中の未知の世界を探索するのは、ほんとうに楽しい。毎
日、何か、新しいことを発見することができる。

 が、なぜ、そうするかというと、そこからが、「メタ認知」の領域ということになる。哲学の世界
でいう、「私自身を、知る」という世界ということになる。

 基本的には、大きな欲求不満があるのかもしれない。あるいは心のどこかで女性という読者
を意識しているのかもしれない。さらに言えば、(生)に対して、最後の戦いをいどんでいるのか
もしれない。フロイトは、「性的エネルギー」という言葉を使ったが、弟子のユングは、「生的エネ
ルギー」という言葉を使った。

 「性」も「生」の一部と考えるなら、私は、今の自分が、その生的エネルギーによって支配され
ているということになる。

 その生的エネルギーが姿を変えて、私を動かしている。それを知るということが、つまりは、メ
タ認知ということになる。「私自身を知る」ということになる。

(補記)

 子どもの世界をながめていると、メタ認知というものが、どういうものか、よくわかる。

 たとえば心理学の世界にも、「防衛機制」という言葉がある。自我が危機的な状況に置かれ
ると、子どもは、(おとなもそうだが)、その崩壊を防ぐために、さまざまな行動に出ることが知ら
れている。

 たとえば学習面では目立たない子どもが、スポーツ面でがんばるなど。非行や暴力、つっぱ
りも、その一部として理解されている。

 が、当の本人たちには、その意識はない。「私は私」と思って、(思いこんで)、そういう行動を
繰りかえす。

 相手は子どもだから、ここでいうメタ認知を求めても、意味はない。心を知り尽くした心理学
者でもむずかしい。あのソクラテスですら、「汝自身を知れ」という言葉にぶつかってはじめて、
「無知の知」という言葉を導いた。

 しかしメタ認知は、同時に、他人をよく知る手助けにもなる。

 出世主義に邁進する人も、金儲けに血眼になっている人も、あるいはスポーツの世界で華々
しい成果をあげている人も、心のどこかで、何かによって動かされている。それが手に取るよう
に、よくわかるようになる。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 メタ認
知 認識 病識 汝自身を知れ 汝自身を、知れ)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●空腹のメカニズム(メタ認識・メタ認知)

+++++++++++++

昨夜、床につく前、猛烈な空腹感
に襲われた。

「パンでも食べようか……」と思ったが、
やめた。

そういうときの空腹感は、幻覚の
ようなもの。

朝、起きると、空腹感は消える。
今までの経験で、それがよくわかって
いる。

それに寝る前に食べると、肥満に
つながる。

+++++++++++++

 人間の空腹感は、(ほ乳動物もみなそうだが)、2つの相反する作用によって決まるということ
がわかっている。「食べたい」という作用と、「食べたくない」という作用である。「食べたい」とい
う作用が、「食べたくない」という作用よりも強くなったとき、空腹感が起きてくる。順に考えてみ
よう。

 大脳の視床下部に、血糖値を感知するセンサーがある。一般的には、血糖値がさがると、そ
のセンサーが機能し、空腹感をもたらすと考えられている。

 しかし空腹感のメカニズムは、そんな単純なものではない。私の例で、考えてみよう。

 たとえば昨夜、私は寝る前に、猛烈な空腹感に襲われた。人間には、(ほ乳動物はみなそう
だが)、ホメオスタシス効果というのがある。「ホメオスタシス」というのは、人間内部の生理的
環境を一定に保とうとする機能を総称したもの(付記、参照)。

 もっともわかりやすい例が、食欲である。体内のエネルギーが不足してくると、生理的バラン
スを一定に保つために、ホメオスタシス効果が機能し始める。それが食欲につながる。

 猛烈な空腹感に襲われたのは、血中の血糖値がさがったため。それを大脳の視床下部のセ
ンサーが感知した。それが猛烈な空腹感へとつながった。

 しかしならば、朝になると、どうしてその空腹感が消えるのか? 血糖値は、昨夜のままのは
ず。あるいは睡眠中に、ホメオスタシス効果が機能して、血糖値を調整したのか。その可能性
は、ある。あるが、どうも合点がいかない。血糖値だけで、食欲の有無は、決まるのか?

 この謎を解くカギが、拒食症や過食症の患者にある。

 食欲……正確には、「摂食行動」というが、その摂食行動は、2つの相反する作用によって、
決まるという。ネズミの実験だが、ネズミの視床下部の外側野に電気刺激を与えると、摂食行
動が活発化し、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が停止するという(春木豊氏「心理学
の基礎」)。

 が、反対に、その視床下部の外側野に隣接した、腹内側核を刺激すると、摂食行動が起き
なくなり、反対にその部分を破壊すると、摂食行動が止まらなくなり、ネズミは過食し始めると
いう(同)。

 わかりやすく言えば、視床下部の外側野と、それに隣接する腹内側核が、たがいに相反した
機能をもちながら、人間の食欲を調整しているということになる。以上の話を、もう一度、まとめ
ると、こうなる。

(1)視床下部の外側野……(刺激すると)→(摂食行動が起きる)
               (破壊すると)→(摂食行動が停止する)

(2)視床下部に隣接する腹内側核……(刺激すると)→(摂食行動が起きなくなる)
                    (破壊すると)→(過食が始まる)   

 脳の機能も外部からの刺激で、変調しやすい。ここに書いたマウスの実験では、脳の一部を
破壊することによって、摂食行動の変化を確かめたが、機能が変調しても、同じことが起きると
考えるのは、ごく自然なことである。 

 たとえば拒食症の人は、視床下部の外側野の機能が、低下した人ということになる。一方、
過食症の人は、腹内側核の機能が、低下した人ということになる。(かなり乱暴な書き方で、ご
めん!)

 で、私のばあいは、どうか?

 昨夜、猛烈な空腹感が、私を襲った。原因として考えられるのは、夕食を、一気に食べたこ
と。つまり短時間で食べた。

 短時間で食べたため、血糖値が、急激に上昇した。それと並行して、(ややタイムラグ=時間
的なズレはあるが)、インシュリンが分泌された。昨夜は、それがやや多めに分泌されたらし
い。

 結果、血糖値はさがったが、インシュリンは、血中に残って、さらに血糖値をさげつづけた。
そのため寝る前に、私は、低血糖の状態になった。それを大脳の視床下部にあるセンサーが
感知した。そしてその信号を、視床下部の外側野に伝えた。

 私は猛烈な空腹感に襲われた。

 しかし私は、それをがまんした。一連のメカニズムがわかっていると、がまんするのも、それ
ほどつらいことではない。「この空腹感は、幻覚」と自分で自分に、言って聞かせることができ
る。

 眠っている間に、ホメオスタシス効果が機能した。体内の生理的バランスを調整した。結果と
して、朝起きたとき、空腹感は消えていた。

 ……というように、自分の欲望や行動を、客観的に意識化することを、「メタ認知」という。人
間がもつ認知力の中でも、最高度のものである。少し前、ワイフが、「それ(=メタ認知)ができ
たからといって、それがどうなの?」と聞いた。私は、それに答えて、「メタ認知ができるようにな
れば、さらに自分がよくわかる。自分で自分をコントロールできるようになる」と答えた。

 以上、「空腹のメカニズム」。おしまい!
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 空腹
のメカニズム 過食症 拒食症 ホメオスタシス メタ認知 視床下部 外側野 腹内側核 は
やし浩司 メタ認識)

(付記)

ホメオスタシス……「平衡状態」「定常状態」の意。生物が環境のさまざまな変化に対応し、生
物体内の形態的、生理的状態を安定な範囲に保ち、生存を維持する性質。アメリカの生理学
者のキャノンが提唱(国語大辞典)。


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司








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15
●無意識下の変化

++++++++++++++++++++

意識できるから、「意識」という。
意識できないから、「無意識」という。
しかし私は考える。
その意識できない部分にある無意識を、なんとか意識できないか、と。
が、ここでまた別の矛盾にぶつかってしまう。

いくら無意識でも、意識したとたん、それは無意識では
なくなってしまう。
意識である、
そしてさらにその奥に、無意識の世界が広がる。
しかもその世界は、意識の世界より、何十万倍も広い。

そうなれば、さらにその奥にある無意識に向かって、
進む。

ということは、意識・無意識の問題は、レベルの問題
ということになる。
探検にたとえるまでもない。
きわめて表層的な意識だけの世界で生きている人もいる。
しかし一方、本来、無意識の世界にまで深く立ち入って、
それを意識して生きている人もいる。

では、どうすれば、無意識の世界まで奥深く立ち入って、
私は、さらに「私」を知ることができるか。

++++++++++++++++++++

●無意識下の世界

 無意識の世界が、具現化して表れるのが「夢」ということになる(フロイト)。
その夢を分析すれば、無意識下の(意識)が、何をどのように考えているかが
わかるという。

●今朝の夢

 今朝、こんな夢を見た。
寝起きの夢である。
そのとき私は、ワイフとどこかの田舎道を歩いていた。
舗装もしてないような、土むき出しの、でこぼこ道だった。
道も、まっすぐではなく、農家の間をぬうような、曲がりくねった道だった。

 私は近くにいた人に、こう聞いた。
「豊橋へ行くのは、どう行けばいいですか」と。
その人はていねいに教えてくれたが、そちらに方向には、道らしい道はなかった。
そこで私は反対側にある、浜松市への方向を聞いた。

 浜松市への道は、やはりでこぼこ道だったが、わかりやすかった。
私とワイフは、道に沿って歩いた。
しばらくすると、バス停があった。
近くに、駄菓子屋もあった。
私とワイフは、バスを待った。

 しばらくすると、バスがやってきた。
見ると「豊橋行き」とあった。
私とワイフは、バスに乗った。
が、どうも様子がおかしい。

 「今、何年ですか?」と聞くと、前に座った客が、「昭和20年です」と答えた。
とたん、今、もっているお金が使えるだろうか、それが心配になった。
私は、昭和20年ごろのお金は、もっていなかった。
最近のお金を出せば、ニセコインと思われるにちがいない。

 そこで目が覚めた。

●夢判断

 私は、自分が見た夢を、どのように判断すればよいのか。
夢と言えば、私のばあい、ほとんどが旅行をしている夢。
たいていはバスや電車に乗る夢。
そこから家に向かって、帰る夢。

 慢性的な不安神経症(パニック障害)が、基礎にあると考えられる。

 で、今回は、昭和20年。
これには最近見た、テレビのドキュメンタリー映画が影響しているようだ。
あるいは私はSF映画を、好んで見る。
その影響もあるかもしれない。

 バスの運賃については、バスに乗るたびに、小銭の心配をする。
それが夢の中にも、出てきた。

 しかし農道にしても、あのバスにしても、いかにも昭和20年ごろのものという
感じがした。
それは私が子どものころ、どこかで見た農道が、記憶の中に残っているものと思われる。

●根なし草

 こうした夢と、私の無意識とどう結びつけたらよいのか。
ひとつ気になる点があるとするなら、私が見る夢は、ここにも書いたように、いつも旅行
をしている夢。
旅行を楽しんでいる夢というよりは、「家に帰る」という夢。

 私はいつもどこかに住みながら、(そこ)を、定住の場所とは考えていない。
あるいはふつうの人ならみな、もっているだろう安定した(故郷感)をもっていない。
私にとって、(故郷)というのは、そういうもの。
子どものころから、実家のあるあの(故郷)が、いやでいやで、たまらなかった。
つまり私は、「根なし草」。
心の拠りどころをもっていない。
それがそのまま夢の中に、現れてくる。

 私が日常的に感じている、不安感、さらに言えば、孤独感の原因も、どうやらその
あたりにある。
そしてそれがそのつど、姿、形を変えて、私の生きざまに大きな影響を与えている。

●末那識(まなしき)

 こうして私は、無意識下の「私」について、ひとつの手がかりを得たことになる。
無意識下にも、「私」がいて、それがいつも私を、「下」から操っている。
・・・と考えなおしてみると、あのジークムント・フロイトという人は、ものすごく頭の
よい人だったということがわかる。

 もっとも仏教の世界でも、同じようなことを言っている。
「末那識」(まなしき)という言葉もある。

「末那識」について書いた原稿をさがしてみる。

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●愛他的自己愛者(偽善者)

+++++++++++++++++

私の知人に、こんな女性(当時55歳くらい)がいた。
その女性は、何でも、ボランティア活動として、近所の
独居老人の世話をして回っているという。
そういう話を、その女性から直接、聞いた。

「どんなことをしているのですか?」と聞くと、
その女性は、ことこまかに、あれこれと説明してくれた。
で、あるとき、こんな会話をしたのを覚えている。

私がその話に少なからず感動し、「すばらしいことです」と
言ったときのこと。
その女性は、さらにこう言った。
「いえいえ、私なんか、何でもありません。
私の友人のHさんなんかは、独居老人の入浴を手伝っていますよ。
でね、入浴中に、老人が、便をもらすこともあるそうです。
が、Hさんは、そうした便を、手ですくって、外へ捨てていますよ」と。

さらに驚いたことに、話を聞くと、そのHさんというのは、まだ
20代の後半の男性と言った!

私は当時、この話を聞いて、心底、感動し、エッセーも書き残した。

しかし、である。
どうも、この話は、おかしい。
どこか、へん。

+++++++++++++++++++

その人が善行をなすには、その人自身を支える、(周囲文化)というものが必要である。
たとえば自動車産業というものを考えてみよう。
自動車産業が生まれるためには、それを支える周辺の技術、研究、環境が必要である。
人材ももちろん、育成しなければならない。
そういった(周囲)もないまま、自動車産業だけが、忽然(こつぜん)と、
姿を現すということはありえない。

そこで私は、その女性の周辺に興味をもつようになった。
どういう生い立ちで、どういう人生を送ってきたか、などなど。
またその女性を支えている哲学は何か、とも。

しかし、である。
それから5、6年になるが、どこをどうつついても、その(周囲文化)というものが、
浮かび上がってこない。
それなりの基礎があったとか、経験があったとかいうなら、まだ話がわかる。
また会話をしていて、それなりの(深み)を感ずるというのなら、まだ話がわかる。
しかしそういうものが、まったく、ない。
だいたい、本を読んだことさえないという。
音楽も絵画もたしなまない。

そのうち私は、「どうしてそんな女性が、ボランティア活動?」と、疑問に思うように
なった。
が、やがていろいろな情報が入ってくるようになった。

その女性は、ケチの上に、「超」が三つも四つも重なるような女性である。
子どもの教育費すら、惜しんで出さなかったという。
2人の娘がいたが、「大学を出すと、遠くの男と結婚するから」という理由で、
娘たちには、大学へは行かせなかった。
が、世間体だけは人一倍気にしていた。
見栄っぱりで、虚栄心が強かった。
が、決定的だったのは、その女性が、一方でボランティア活動を他人に吹聴しながら、
その前後から始まった実父の介護では、虐待に近いことをしていたということ。

この話を、私はあるケアマネ(ケア・マネージャー)をしている人から聞いた。
そのときには、「ヘエ〜、あの女性がですか……」と言ったきり、言葉が詰まってしまった。

つまりその女性は、ボランティア活動を、自分を飾るための道具として利用していただけ。
口もうまい。
言葉も巧み。
それとなく会話の中に、自分の善行を織り交ぜながら、相手を煙に巻く。
結果として、他人に、自分はすばらしい人間と思わせる。

「明日、町内の会合があるそうですが、私は行けません。
主人に代わりに行ってもらいます。
私には、一人、近所で、気になっている老人がいますので、その人を見回って
あげなければなりません。
かわいそうな人でね。
子どもは1人いるのですが、数年に1、2度、やってくるかどうかという人です。
あわれなもんです。
先日も、何かの書類が必要だというので、その老人のために、私は半日かけて
書類を集めてやりました」とか、何とか。

つまり一貫性がない。

そこまで親身になって独居老人の世話をしているというのなら、それなりの一貫性が
なければならない。
その一貫性が、こちら側に伝わってこなければならない。
さらに言えば、そこに至るまでのプロセスに、(自然さ)がなければならない。

たとえば以前、ある大学の教授の家を訪問したときのこと。
たまたまそこに、カンボジアの難民キャンプから帰ってきたばかりという女性がいた。
その女性は、左手を怪(けが)したとかで、まだ大きな包帯を幾重にも巻いていた。
「暴動に巻きこまれて、怪我をしました」「それで休暇をもらって、日本へ帰ってきて
います」ということだった。

そういう女性と話していると、(自然さ)を感ずる。
深い人間愛というか、人間味を感ずる。
哲学や人生観を感ずる。
どこにもスキがない。
私がここでいう(一貫性)というのは、それをいう。

で、私たちの世界では、先に書いたような女性のことを、「愛他的自己愛者」、つまり、
「偽善者」という。
もっとも軽蔑すべき人間ということになる。
なるが、先に書いたケアマネの人は、こう言って教えてくれた。

「そういう女性だとわかっていますが、そういう人でも、何かと助かっています」と。
偽善がときには、真善になるということもあるということか。
私には、とてもマネできないことだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

【末那識(まなしき)】

●偽善

 他人のために、善行をほどこすことは、気持ちがよい。
楽しい。
そう感ずる人は、多い。
俗にいう、「世話好きな人」というのは、そういう人をいう。
しかしそういう人が、本当に他人のことを思いやって、そうしているかと言えば、それは
どうか?

実は、自分のためにしているだけ……というケースも、少なくない。

このタイプの人は、いつも、心のどこかで、たいていは無意識のまま、計算しながら行動
する。
「こうすれば、他人から、いい人に思われるだろう」「こうすれば、他人に感謝されるだろ
う」と。
さらには、「やってあげるのだから、いつか、そのお返しをしてもらえるだろう」と。

心理学の世界でも、こういう心理的動作を、愛他的自己愛という。
自分をよく見せるために、他人を愛しているフリをしてみせることをいう。
しかしフリは、フリ。
中身がない。仏教の世界にも、末那識(まなしき)という言葉がある。
無意識下のエゴイズムをいう。わかりやすく言えば、偽善。

 人間には、表に現われたエゴイズム(自分勝手)と、自分では意識しない、隠されたエ
ゴイズムがある。
表に現れたエゴイズムは、わかりやすい。自分でも、それを意識することができる。

 しかし、この自分では意識しない、隠されたエゴイズムは、そうでない。
その人の心を、裏から操る。
そういう隠されたエゴイズムを、末那識というが、仏教の世界では、この末那識を、強く
戒める。

 で、日本では、「自己愛」というと、どこか「自分を大切にする人」と考えられがちであ
る。しかしそれは誤解。自己愛は、軽蔑すべきものであって、決して、ほめたたえるべき
ものではない。

 わかりやすく言えば、自己中心性が、極端なまでに肥大化した状態を、「自己愛」という。
どこまでも自分勝手でわがまま。
「この世界は、私を中心にして回っている」と錯覚する。「大切なのは、私だけ。あとは、
野となれ、山となれ」と。

 その自己愛が基本にあって、自己愛者は、自分を飾るため、善人ぶることがある。繰り
かえしになるが、それが愛他的自己愛。つまり、偽善。

 こんな例がある。

●恩着せ

 そのときその男性は、24歳。その日の食費にも、ことかくような貧しい生活をしてい
た。

 その男性から、相談を受けたXさん(女性、40歳くらい)がいた。その男性と、たま
たま知りあいだった、そこでXさんは、その男性を、ある陶芸家に紹介した。
町の中で、クラブ制の窯(かま)をもっていた。
教室を開いていた。その男性は、その陶芸家の助手として働くようになった。

 が、それがその男性の登竜門になった。その男性は、思わぬ才能を発揮して、あれよ、
あれよと思う間に、賞という賞を総なめにするようになった。20年後には、陶芸家とし
て、全国に、名を知られるようになった。

 その男性について、Xさんは、会う人ごとに、こう言っている。

 「あの陶芸家は、私が育ててやった」「私が口をきいてやっていなければ、今でも、貧乏
なままのはず」「私が才能をみつけてやった」と。
そして私にも、こう言った。

 「恩知らずとは、ああいう人のことを言うのね。あれだけの金持ちになっても、私には
1円もくれない。あいさつにもこない。盆暮れのつけ届けさえくれない」と。

 わかるだろうか?

 このXさんは、親切な人だった。そこでその男性を、知りあいの陶芸家に紹介した。
が、その親切は、ある意味で、計算されたものだった。
本当に親切であったから、Xさんは、その男性を、陶芸家に紹介したわけではなかった。
それに一言、つけ加えるなら、その男性が、著名な陶芸家になったのは、あくまでもその
男性自身の才能と努力によるもの。

 ここに末那識(まなしき)がある。

●愛他的自己愛

 この末那識は、ちょっとしたことで、嫉妬、ねたみ、ひがみに変化しやすい。
Xさんが、「恩知らず」とその男性を、非難する背景には、それがある。そこで仏教の世界
では、末那識つまり、自分の心の奥底に潜んで、人間を裏から操(あやつ)るエゴイズム
を、問題にする。

 心理学の世界では、愛他的自己愛というが、いろいろな特徴がある。ここに書いたのは、
偽善者の特徴と言いかえてもよい。

(1)行動がどこか不自然で、ぎこちない。
(2)行動がおおげさで、演技ぽい。
(3)行動が、全体に、恩着せがましい。
(4)自分をよく見せようと、ことさら強調する。
(5)他人の目を、強く意識し、世間体を気にする。
(6)行動が、計算づく。損得計算をいつもしている。
(7)裏切られるとわかると(?)、逆襲しやすい。
(8)他人をねたみやすく、嫉妬しやすい。
(9)他人の不幸をことさら笑い、話の種にする。

 こんな例もある。同じ介護指導員をしている、私の姉から聞いた話である。

●Yさんの仮面

 Yさん(60歳、女性)は、老人介護の指導員として、近所の老人家庭を回っていた。
介護士の資格はもっていなかったから、そのため、無料のボランティア活動である。

 とくにひとり住まいの老人の家庭は、数日ごとに、見舞って、あれこれ世話を焼いてい
た。
もともと世話好きな人ということもあった。

 やがてYさんは、町役場の担当の職員とも対等に話ができるほどまでの立場を、自分の
ものにした。
そして市から、介護指導員として、表彰状を受けるまでになった。

 だからといって、Yさんが、偽善者というわけではない。
またYさんを、非難しているわけでもない。仮に偽善者であっても、そのYさんに助けら
れ、励まされた人は、多い。
またYさんのような親切は、心のかわいたこの社会では、一輪の花のように、美しく見え
る。

 が、Yさんは、実は、そうした老人のために、指導員をしているのではなかった。
またそれを生きがいにしていたわけでもない。
Yさんは、「自分が、いい人間に思われることだけ」を考えながら、介護の指導員として活
動していた。

 みなから、「Yさんは、いい人だ」と言われるために、だ。Yさんにしてみれば、それほ
ど、心地よい世界は、なかった。

 しかしやがて、そのYさんの仮面が、はがれる日がやってきた。

 Yさんが、実父の介護をするようになったのである。

実父は、元気な人だったが、脳梗塞(こうそく)を起こしてしまった。
トイレや風呂くらいは、何とか自分で行けたが、それ以外は、寝たきりに近い状態になっ
てしまった。
年齢は、73歳(当時)。

 最初は、Yさんは、このときとばかり、介護を始めたが、それが1か月もたたないうち
に、今度は、実父を虐待するようになった。
風呂の中で、実父が、大便をもらしたのがきっかけだった。

 Yさんは、激怒して、実父に、バスタブを自分で洗わせた。
実父に対する、執拗な虐待が始まったのは、それからのことだった。

 食事を与えない。与えても、少量にする。
同じものしか与えない。初夏の汗ばむような日になりかけていたが、窓を、開けさせない。
風呂に入らせない。
実父が腹痛や、頭痛を訴えても、病院へ連れていかない、など。

 こうした事実から、介護指導員として活動していたときの、Yさんは、いわば仮面をか
ぶっていたことがわかったという。
ケアマネの人は、こう言った。

 「他人の世話をするのは、遊びでもできるけど、身内の世話となるいと、そうはいかな
いからね」と。

●子育ての世界でも

 親子の間でも、偽善がはびこることがある。無条件の愛とか、無償の愛とかはいうが、
しかしそこに打算が入ることは、少なくない。

 よい例が、「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」という、あの言葉で
ある。
昔風の、親意識の強い人ほど、この言葉をよく使う。

 中には、子どもに、そのつど、恩を着せながら、その返礼を求めていく親がいる。
子どもを1人の人間としてみるのではなく、「モノ」あるいは、「財産」、さらには、「ペッ
ト」としてみる。
またさらには、「奴隷」のように考えている親さえいる。

 息子(当時29歳)が、新築の家を購入したとき、その息子に向って、「親よりいい生活
をするのは、許せない」「親の家を、建てなおすのが先だろ」と、怒った母親さえいた。

 あるいは結婚して家を離れた娘(27歳)に、こう言った母親もいた。

 「親を捨てて、好きな男と結婚して、それでもお前は幸せになれると思うのか」「死んで
も墓の中から、お前を、のろい殺してやる」と。

 そうでない親には、信じがたい話かもしれないが、事実である。
私たちは、ともすれば、「親だから、まさかそこまではしないだろう」という幻想をもちや
すい。
しかしこうした(ダカラ論)ほど、あてにならないものはない。

 親にもいろいろある。

 もっとも、こうしたケースは、稀(まれ)。
しかしそれに近い、代償的過保護となると、「あの人も……」「この人も……」というほど、
多い。

●代償的過保護

 代償的過保護……。ふつう「過保護」というときは、その奥に、親の深い愛情がある。
愛情が基盤にあって、親は、子どもを過保護にする。

しかし代償的過保護というときは、その愛情が希薄。あるいはそれがない。「子どもを自分
の支配下において、自分の思いどおりにしたい」という過保護を、代償的過保護という。

 見た目には、過保護も、代償的過保護も、よく似ている。
しかし大きくちがう点は、代償的過保護では、親が子どもを、自分の不安や心配を解消す
る道具として、利用すること。
子どもが、自分の支配圏の外に出るのを、許さない。よくある例は、子どもの受験勉強に
狂奔する母親たちである。

 「子どものため」を口にしながら、その実、子どものことなど、ほとんど考えていない。
人格さえ認めていないことが多い。
自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに強要することもある。
世間的な見得、メンツにこだわることもある。

 代償的過保護では、親が子どもの前に立つことはあっても、そのうしろにいるはずの、
子どもの姿が見えてこない。

 つまりこれも、広い意味での、末那識(まなしき)ということになる。
子どもに対する偽善といってもよい。
勉強をいやがる息子に、こう言った母親がいた。

 「今は、わからないかもしれないけど、いつか、あなたは私に感謝する日がやってくる
わよ。SS中学に合格すれば、いいのよ。お母さんは、あなたのために、勉強を強いてい
るのよ。わかっているの?」と。

●教育の世界でも

 教育の世界には、偽善が多い。
偽善だらけといってもよい。
教育システムそのものが、そうなっている。

 その元凶は「受験競争」ということになるが、それはさておき、子どもの教育を、教育
という原点から考えている親は、いったい、何%いるだろうか。
教師は、いったい、何%いるだろうか。

 教育そのものが、受験によって得る欲得の、その追求の場になっている。
教育イコール、進学。
進学イコール、教育というわけである。

さらに私立中学や高校などにいたっては、「進学率」こそが、その学校の実績となっている。
今でも夏目漱石の「坊ちゃん」の世界が、そのまま生きている。
数年前も、関東地方を中心にした、私立中高校の入学案内書を見たが、どれも例外なく、
その進学率を誇っていた。

 SS大学……5人
 SA大学……12人
 AA大学……24人、と。

 中には、付録として、どこか遠慮がちに別紙に刷りこんでいる案内書もあったが、良心
的であるから、そうしているのではない。
毎年、その別紙だけは、案内書とは分けて印刷しているために、そうなっている。

 この傾向は、私が住む、地方都市のH市でも、同じ。
どの私立中高校も、進学のための特別クラスを編成して、親のニーズに答えようとしてい
る。

 で、さらにその元凶はいえば、日本にはびこる、職業による身分差別意識と、それに不
公平感である。
それらについては、すでにたびたび書いてきたのでここでは省略するが、ともかくも、偽
善だらけ。

 つまりこうした教育のあり方も、仏教でいう、末那識(まなしき)のなせるわざと考え
てよい。

●結論

 私たちには、たしかに表の顔と、裏の顔がある。
文明という、つまりそれまでの人間が経験しなかった、社会的変化が、人間をして、そう
させたとも考えられる。

 このことは、庭で遊ぶスズメたちを見ていると、わかる。
スズメたちの世界は、実に単純、わかりやすい。礼節も文化もない。
スズメたちは、「生命」まるだしの世界で、生きている。

 それがよいとか、はたまた、私たちが営む文明生活が悪いとか、そういうことを言って
いるのではない。

 私たち人間は、いつしか、自分の心の奥底に潜む本性を覆(おお)い隠しながら、他方
で、(人間らしさ)を追求してきた。
偽善にせよ、愛他的自己愛にせよ、そして末那識にせよ、人間がそれをもつようになった
のは、その結果とも言える。

 そこで大切なことは、まず、そういう私たち人間に、気づくこと。
「私は私であるか」と問うてみるのもよい。
「私は本当に善人であるか」と問うてみるのもよい。あなたという親について言うなら、「本
当に、子どものことを考え、子どものために教育を考えているか」と問うてみるのもよ
い。

 こうした作業は、結局は、あなた自身のためでもある。あなたが、本当のあなたを知り、
ついで、あなたが「私」を取りもどすためでもある。

 さらにつけたせば、文明は、いつも善ばかりとはかぎらない。
悪もある。その悪が、ゴミのように、文明にまとわりついている。それを払いのけて生き
るのも、文明人の心構えの一つということになる。
(はやし浩司 末那識 自己愛 偽善 愛他的自己愛 愛他的自己像 私論)
(050304)

【補記】

●みんなで偽善者を排斥しよう。偽善者は、そこらの犯罪者やペテン師より、さらに始末
が悪い

++++++++++++++++++

もう1作、見つかったので、
そのまま紹介します。

++++++++++++++++++

●仏教聖典
(Buddah's Teaching)

仏教伝道協会発行の「仏教聖典」を座右の書とするようになって、そろそろ1年になる。
この本は、どこの旅館やホテルにも置いてある。そこでこの本のことを知った。
一度、あるホテルのマネージャーに売ってくれないかと頼んだことがあるが、断られた。
そこで協会のほうへ直接注文して、取り寄せた。料金は後払いでよいということだった。

内容については、私のBLOGやマガジンのほうでも、たびたび、
引用させてもらっている。

まず「因縁(いんねん)」について……。

因と縁のことを、「因縁」という。
因とは、結果を生じさせる直接的原因。縁とは、それを助ける外的条件である。
あらゆるものは、因縁によって生滅するので、このことを「因縁所生」などという。
この道理をすなおに受け入れることが、仏教に入る大切な条件とされる。
世間では転用して、悪い意味に用いられることもあるが、本来の意味を逸脱したもので
あるから、注意を要する。
なお縁起というばあいも、同様である。(同書、P318)

+++++++++++++++++

仏教聖典、いわく、

『この人間世界は苦しみに満ちている。
生も苦しみであり、老いも、病も、死も、みな苦しみである。
怨みのあるものと会わなければならないことも、
愛するものと別れなければならないことも、
また求めて得られないことも苦しみである。
まことに執着(しゅうじゃく)を離れない人生は、すべて苦しみである。
これを苦しみの真理、「苦諦(くたい)」という』(P42)

こうした苦しみが起こる原因として、仏教は、「集諦(じったい)」をあげる。
つまりは、人間の欲望のこと。この欲望が、さまざまに姿を変えて、苦しみの原因となる。

では、どうするか。

この苦しみを滅ぼすために、仏教では、8つの正しい道を教える。
いわゆる「八正道」をいう。

正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。

(1) 正見 ……正しい見解
(2) 正思惟……正しい思い
(3) 正語 ……正しい言葉
(4) 正業 ……正しい行い
(5) 正命 ……正しい生活
(6) 正精進……正しい努力
(7) 正念 ……正しい記憶
(8) 正定 ……正しい心の統一(同書)をいう。

仏教聖典には、こうある。

『これらの真理を人はしっかりと身につけなければならない。
というのは、この世は苦しみに満ちていて、この苦しみから逃れようとするものは、
だれでも煩悩を断ち切らなければならないからである。
煩悩と苦しみのなくなった境地は、さとりによってのみ、到達し得る。
さとりはこの8つの正しい道によってのみ、達し得られる(同書、P43)。

以前、「空」について書いたことがある。

+++++++++++++++

●すべて「空」

 大乗仏教といえば、「空(くう)」。この空の思想が、大乗仏教の根幹をなしているといっても過
言ではない。つまり、この世のすべてのものは、幻想にすぎなく、実体のあるものは、何もな
い、と。

 この話は、どこか、映画、『マトリックス』の世界と似ている。あるいは、コンピュータの中の世
界かもしれない。

 たとえば今、目の前に、コンピュータの画面がある。しかしそれを見ているのは、私の目。そ
のキーボードに触れているのは、私の手の指、ということになる。そしてその画面には、ただの
光の信号が集合されているだけ。

 私たちはそれを見て、感動し、ときに怒りを覚えたりする。

 しかし目から入ってくる視覚的刺激も、指で触れる触覚的刺激も、すべて神経を介在して、脳
に伝えられた信号にすぎない。「ある」と思うから、そこにあるだけ(?)。

 こうした「空」の思想を完成したのは、実は、釈迦ではない。釈迦滅後、数百年後を経て、紀
元後200年ごろ、竜樹(りゅうじゅ)という人によって、完成されたと言われている。釈迦の生誕
年については、諸説があるが、日本では、紀元前463年ごろとされている。

 ということは、私たちが現在、「大乗仏教」と呼んでいるところのものは、釈迦滅後、600年以
上もたってから、その形ができたということになる。そのころ、般若経や法華経などの、大乗経
典も、できあがっている。

 しかし竜樹の知恵を借りるまでもなく、私もこのところ、すべてのものは、空ではないかと思い
始めている。私という存在にしても、実体があると思っているだけで、実は、ひょっとしたら、何
もないのではないか、と。

 たとえば、ゆっくりと呼吸に合わせて上下するこの体にしても、ときどき、どうしてこれが私な
のかと思ってしまう。

 同じように、意識にしても、いつも、私というより、私でないものによって、動かされている。仏
教でも、そういった意識を、末那識(まなしき)、さらにその奥深くにあるものを、阿頼那識(あら
やしき)と呼んでいる。心理学でいう、無意識、もしくは深層心理と、同じに考えてよいのでは
(?)。

 こう考えていくと、肉体にせよ、精神にせよ、「私」である部分というのは、ほんの限られた部
分でしかないことがわかる。いくら「私は私だ」と声高に叫んでみても、だれかに、「本当にそう
か?」と聞かれたら、「私」そのものが、しぼんでしまう。

 さらに、生前の自分、死後の自分を思いやるとよい。生前の自分は、どこにいたのか。億年
の億倍の過去の間、私は、どこにいたのか。そしてもし私が死ねば、私は灰となって、この大
地に消える。と、同時に、この宇宙もろとも、すべてのものが、私とともに消える。

 そんなわけで、「すべてが空」と言われても、今の私は、すなおに、「そうだろうな」と思ってしま
う。ただ、誤解しないでほしいのは、だからといって、すべてのものが無意味であるとか、虚(む
な)しいとか言っているのではない。私が言いたいのは、その逆。

 私たちの(命)は、あまりにも、無意味で、虚しいものに毒されているのではないかということ。
私であって、私でないものに、振りまわされているのではないかということ。そういうものに振り
まわされれば振りまわされるほど、私たちは、自分の時間を、無駄にすることになる。

●自分をみがく

 そこで仏教では、修行を重んじる。その方法として、たとえば、八正道(はっしょうどう)があ
る。これについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。正見、正思惟、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。

 が、それでは足りないとして生まれたのが、六波羅密ということになる。六波羅密では、布
施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目と位置づける。

 八正道が、どちらかというと、自己鍛錬のための修行法であるのに対して、六波羅密は、「布
施」という項目があることからもわかるように、より利他的である。

 しかし私は、こうしてものごとを、教条的に分類して考えるのは、あまり好きではない。こうした
教条で、すべてが語りつくされるとは思わないし、逆に、それ以外の、ものの考え方が否定され
てしまうという危険性もある。「まあ、そういう考え方もあるのだな」という程度で、よいのではな
いか。

 で、仏教では、「修行」という言葉をよく使う。で、その修行には、いろいろあるらしい。中に
は、わざと体や心を痛めつけてするものもあるという。怠(なま)けた体には、そういう修行も必
要かもしれない。しかし、私は、ごめん。

 大切なことは、ごくふつうの人間として、ごくふつうの生活をし、その生活を通して、その中で、
自分をみがいていくことではないか。悩んだり、苦しんだりしながらして、自分をみがいていくこ
とではないか。奇をてらった修行をしたからといって、その人の人格が高邁(こうまい)になると
か、そういうことはありえない。

 その一例というわけでもないが、よい例が、カルト教団の信者たちである。信者になったとた
ん、どこか世離れしたような笑みを浮かべて、さも自分は、すぐれた人物ですというような雰囲
気を漂わせる。「お前たち、凡人とは、ちがうのだ」と。

 だから私たちは、もっと自由に考えればよい。八正道や、六波羅密も参考にしながら、私たち
は、私たちで、それ以上のものを、考えればよい。こうした言葉の遊び(失礼!)に、こだわる
必要はない。少なくとも、今は、そういう時代ではない。

 私たちは、懸命に考えながら生きる。それが正しいとか、まちがっているとか、そんなことを
考える必要はない。その結果として、失敗もするだろう。ヘマもするだろう。まちがったこともす
るかもしれない。

 しかしそれが人間ではないか。不完全で未熟かもしれないが、自分の足で立つところに、
「私」がいる。無数のドラマもそこから生まれるし、そのドラマにこそ、人間が人間として、生きる
意味がある。

 今は、この程度のことしかわからない。このつづきは、もう少し頭を冷やしてから、考えてみた
い。
(050925記)
(はやし浩司 八正道 六波羅密 竜樹 大乗仏教 末那識 阿頼那識)

++++++++++++++++

八正道の中でも、私は、正精進こそが、
もっとも重要だと思う。

とくに、今の私のように、健康で、何一つ
不自由のない生活をしているものにとっては、
そうである。

けっして今の状況を、怠惰に過ごしてはいけない。
時間にはかぎりがあり、人生にも、それゆえに
限界がある。

それこそ死を宣告されてから、悟りを求めても、
遅いということ。

たとえば肺ガンを宣告されてから、タバコをやめたり、
胃ガンを宣告されてから、飲酒をやめても、遅い。

健康であるなら、さらに今の生活が満ち足りたものであるなら、
なおさら、私たちは、精進に精進を重ねる。

一瞬、一秒たりとも、無駄にできる時間はない。
また無駄にしてはいけない。

正精進について書いた原稿がある。
一部内容がダブるが、許してほしい。

++++++++++++++++++++

●正精進

 釈迦の教えを、もっともわかりやすくまとめたのが、「八正道(はっしょうどう)」ということにな
る。仏の道に至る、修行の基本と考えると、わかりやすい。

 が、ここでいう「正」は、「正しい」という意味ではない。釈迦が説いた「正」は、「中正」の「正」
である。つまり八正道というのは、「八つの中正なる修行の道」という意味である。

 怠惰な修行もいけないが、さりとて、メチャメチャにきびしい修行も、いけない。「ほどほど」
が、何ごとにおいても、好ましいということになる。が、しかし、いいかげんという意味でもない。

 で、その八正道とは、(1)正見、(2)正思惟、(3)正語、(4)正業、(5)正命、(6)正念、(7)
正精進(8)正定、をいう。広辞苑には、「すなわち、正しい見解、決意、言葉、行為、生活、努
力、思念、瞑想」とある。

 このうち、私は、とくに(8)の正精進を、第一に考える。釈迦が説いた精進というのは、日々
の絶えまない努力と、真理への探究心をいう。そこには、いつも、追いつめられたような緊迫感
がともなう。その緊迫感を大切にする。

 ゴールは、ない。死ぬまで、努力に努力を重ねる。それが精進である。で、その精進について
も、やはり、「ほどほどの精進」が、好ましいということになる。少なくとも、釈迦は、そう説いてい
る。

 方法としては、いつも新しいことに興味をもち、探究心を忘れない。努力する。がんばる。が、
そのつど、音楽を聞いたり、絵画を見たり、本を読んだりする。が、何よりも重要なのは、自分
の頭で、自分で考えること。「考える」という行為をしないと、せっかく得た情報も、穴のあいた
バケツから水がこぼれるように、どこかへこぼれてしまう。

 しかし何度も書いてきたが、考えるという行為には、ある種の苦痛がともなう。寒い朝に、ジョ
ギングに行く前に感ずるような苦痛である。だからたいていの人は、無意識のうちにも、考える
という行為を避けようとする。

 このことは、子どもたちを見るとわかる。何かの数学パズルを出してやったとき、「やる!」
「やりたい!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になる子どももいる。中には、となりの
子どもの答をこっそりと、盗み見する子どももいる。

 子どもだから、考えるのが好きと決めてかかるのは、誤解である。そしてやがて、その考える
という行為は、その人の習慣となって、定着する。

 考えることが好きな人は、それだけで、それを意識しなくても、釈迦が説く精進を、生活の中
でしていることになる。そうでない人は、そうでない。そしてそういう習慣のちがいが、10年、20
年、さらには30年と、積もりに積もって、大きな差となって現れる。

 ただ、ここで大きな問題にぶつかる。利口な人からは、バカな人がわかる。賢い人からは、愚
かな人がわかる。考える人からは、考えない人がわかる。しかしバカな人からは、利口な人が
わからない。愚かな人からは、賢い人がわからない。考えない人からは、考える人がわからな
い。

 日光に住む野猿にしても、野猿たちは、自分たちは、人間より、劣っているとは思っていない
だろう。ひょっとしたら、人間のほうを、バカだと思っているかもしれない。エサをよこせと、キー
キーと人間を威嚇している姿を見ると、そう感ずる。

 つまりここでいう「差」というのは、あくまでも、利口な人、賢い人、考える人が、心の中で感ず
る差のことをいう。

 さて、そこで釈迦は、「中正」という言葉を使った。何はともあれ、私は、この言葉を、カルト教
団で、信者の獲得に狂奔している信者の方に、わかってもらいたい。彼らは、「自分たちは絶
対正しい」という信念のもと、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と、相手を切って捨て
る。

 こうした急進性、ごう慢性、狂信性は、そもそも釈迦が説く「中正」とは、異質のものである。と
くに原理主義にこだわり、コチコチの頭になっている人ほど、注意したらよい。
(はやし浩司 八正道 精進 正精進)

【補足】

 子どもの教育について言えば、いかにすれば、考えることが好きな子どもにするか。それが、
一つの重要なポイントということになる。要するに「考えることを楽しむ子ども」にすればよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 正見、正思惟、正語、正業、正
命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道 仏教聖典 はやし浩司)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司

●自分の中のバカとの戦い

+++++++++++++++++++++

長野県に住む大学の同窓生と、しばらく電話で話す。
その同窓生が、こんな話をしてくれた。

その同窓生は、2年前、父親を亡くした。
で、昨年、一周忌の法要をした。
その法要でのこと。

同窓生は、法要を簡単にすますつもりでいた。
が、当日、親戚同士が連絡を取り合い、なんと25人前後の
人たちが集まってしまったという。

同窓生の姉に、1人、節介好きの人がいて、その女性が
みなに連絡したという。
同窓生は、かなり怒っていた。

++++++++++++++++++++

●儀式論

 愛知県や岐阜県では、冠婚葬祭を派手にする。
が、「長野県もそうだ」と。
一方、この静岡県(西部)では、全体的に質素。

 それについて、長野県に住む同窓生は、冒頭に書いたようなことを話してくれた。
で、私が、「どういうやり方をすれば、みんなが満足するのか」と聞くと、
こう言った。

「ああいう連中は、どんなやり方をしても、満足しねえだろうね」と。

 そこでしばらく、たがいに儀式論について、話し合った。

 儀式は生活につきもの。
その儀式には、たいてい「形」がある。
形を決めておけば、あとが、楽。
何も考えず、過去を踏襲すればよい。

 で、「ふつうはどんなやり方をするのか?」と聞くと、こう教えてくれた。
「このあたりでは、仏壇の前で僧侶による読経法要が済むと、みなで墓参りを
する。そのあと、どこかの料亭を借りて、飲み食いをする」と。

●変わる時代

私「しかしそれぞれの家庭には、それぞれの事情というものがあるだろ?」
友「あっても、関係ねえな」
私「関係ないって?」
友「形が決まっているからな」
私「それで君は、どうした?」
友「あんなくだらねえこと、やらなかったよ」と。

 時代はたしかに変わりつつある。
が、それよりも問題なのは、同窓生の親類の1人が、こう言ったということ。

「あいつ(=同窓生のこと)は、大学で法学まで学んだのに、常識が備わっていない。
いくら偉そうなことを言っても、そんな常識も知らねえのは、人間のクズ」と。

 その話を、同窓生の姉が、同窓生に伝えたという。
同窓生が、姉を非難したときのことだった。
「私はいいけど、みんなが陰でなんて言っているか、あなたは知っているの!」と。

●アラ探し

 私ももうすぐ、母と兄の一周忌の法要をする。
連絡したのは、実姉のみ。
たぶん姉のことだから、喪主の私をさておいて、同じようにあちこちに連絡するだろう。
姉は、姉の常識(?)に従って行動する。

 同窓生の姉も、そして私の姉も、(伝統)という(鎧(よろい))を身につけているから、
強い。
その伝統を破るのは、簡単なことではない。
よい例が、地域の(祭り)。
祭りというのは、作るのは簡単。
しかし一度、できあがってしまうと、今度は、変えるのはむずかしい。
(形)の上に、また別の(形)ができてしまう。

 そういう(形)に抵抗を示すと、それだけで(変わり者)というレッテルを張られて
しまう。
先の同窓生も、そう見られているという。

私「大学で教育を受けたというと、そういうのが教育と、みな、思うからね」
友「学歴コンプレックスの裏返しではないかなあ・・・」
私「そういう面もあるよな」
友「あいつら、何かにつけて、オレのアラ探しをするからな」
私「そうそう、ぼくもそうだ。先日も、ぼくに向かって、『偉そうなこと言うな』と
言った人もいたぞ」
友「そりゃあ、ちょっと、ひでえな〜」と。

●同じ長野県でも・・・

 もう一人、長野県には同窓生がいる。
彼は長野市から、車で1時間ほどの町に住んでいる。
その町では、「質素運動」というのが、10年以上も前から進められているという。
香典の額にしても、1世帯当たり、一律に1000円と決められているという。
香典袋にしても、市役所のほうで、販売しているという。

 また寺が出す戒名にしても、一律、同名、同額に決められているという。

 同じ長野県でも、地域によって、みな、それぞれとのこと。
私が「長野市のA君の話とは、だいぶちがうな?」と言うと、その同窓生は、
「ああ、あそこは派手だからな。ここは貧乏村なんだよな」と。

 これはあくまでも補足。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 法事 儀式 一周忌の法要)


Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司








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16
●子どもは、家族の「代表」

++++++++++++++++++++

子どもは、家族の「代表」。
代表にすぎない。
今では、それは、常識。
子どもに何か問題があったとしても、
それは子どもだけの問題ではない。
家族全体の問題。
そのように、考える。
またそのように考えないと、子どもの問題は
解決しない。

しかしそれだけでは足りない。
足りないという話を、今までの経験を交えながら
書いてみたい。

+++++++++++++++++++

●優等生

 その母親(当時60歳)は、自分の息子(33歳)をさして、「うちの子ほど、
すばらしい息子はいない」と言った。
自分の息子をさして、「すばらしい」と言う親は、珍しい。
外国では多いが、日本では珍しい。
そこで私はその息子氏に会ってみたくなった。
が、その日は、その直後にやってきた。

 ある葬儀に出たときのこと。
その息子氏は母親のそばに寄り添うように、そこに座っていた。
「ああ、これがあの息子か」と、私は思った。
思いながら、私はその息子氏にあれこれと話しかけてみた。

 が、第一印象は、言うなれば、完璧に近いほど、マザコン。
穏やかで、おとなしいが、覇気がなく、静か。
私が話しかけても、はにかむだけ。
満足な返事もない。
どこかの電気会社の下請け企業で、技術者として働いているということだった。

私「仕事はどう?」
息「うん、まあまあ」
私「暑いときは、たいへんだね」
息「うん、ふふふ……」と。

●同一性の確立

 親はそれぞれの思いをもって、子育てを始める。
自分の夢や理想、思いを子育てに凝縮させる。
自分なりの(子ども観)をもつ人も多い。
それ自体は、悪いことではない。

 が、親が思い描く子ども観を、子どもに押し付けてはいけない。
「求める」ことまではしても、押し付けてはいけない。
それが度を越すと、過干渉となる。

 その息子氏は、母親の過干渉で、人格そのものまで、押しつぶされてしまっていた。
思春期前期から、思春期にかけて、自我の同一性の確立に失敗した。
私は、そう判断した。
だから人格の「核」がない。
「この人は、こういう人だ」という(つかみどころ)を「核」という。
その「核」がない。

 軟弱で、ひ弱。
たしかに(いい人)だったが、それだけ。
面白みがない。
迫力もない。 

●過干渉

 原因は、ここにも書いたように、母親にあった。
口うるさい人だった。
葬儀の席だったが、そんなとことでさえ、こまごまとしたことを、矢継ぎ早に
指示していた。
「あの扇風機を、こちらに向けなさい」
「ざぶとんを、あの人に出しなさい」
「お茶をわかしてきなさい」と。
息子氏は、黙ってそれに従っていた。

 つまりこうした親子のリズムが、その息子氏をして、そのような息子にした。
が、ここで最大の問題は、息子氏のことではない。
母親自身にその自覚がないということ。
先にも書いたように、母親自身は、そういう息子を、「すばらしい子ども」と誤解して
いた。

●病識

 精神病の世界にも、「病気意識(病識)」という言葉がある。
「私はおかしい」「へんだ」と思っている人は、まだ症状が軽い。
しかし「私はだいじょうぶ」「何でもない」とがんばる人ほど、症状は重い。
まったく病識のない人さえいる。

 同じように、自分の子どもの問題点に気がついている母親は、まだよい。
指導ができる。
そうでない母親は、指導そのものが、できない。

 たとえば年中児(4〜5歳児)でも、親の過干渉が原因で、精神そのものまで
萎縮してしまったような子どもがいる。
けっして少なくない。
10人のうち、1人はいる。
程度の差も含めれば、10人のうち、2〜3人はいる。

しかしそういう子どもの親ほど、「うちの子どもはできがいい」と思い込んでいる。
またそういう子どもにしようと、無理をしている。
で、その一方で、ほかの子どもを、「できの悪い子ども」として、排斥してしまう。
自分の子どもから遠ざけてしまう。

●極端化

 小さな世界に閉じこもり、自分だけの世界で、子育てをする親がふえている。
以前はそれを「核家族」と呼んだ。
今は、「カプセル家族」と呼ぶ。

 このタイプの家族は、大きく2つに分けられる。

(1)親たち自身が高学歴で、外の世界の価値を認めない。
(2)親たち自身が低学歴で、外の世界の価値を理解できない。

 どちらであるにせよ、一度カプセルの中に入ってしまうと、その狭い世界で、
自分だけの価値を熟成させてしまう。
結果として、独善的になったり、社会から孤立化したりする。
これがこわい。

 一度カプセルの中に入ってしまうと、同じ過保護でも極端化する。
過干渉でも極端化する。
これが子育てそのものを、ゆがめる。

●A君(小2)の例

 A君は、幼児期のときは、まだ明るかった。
何かの勉強をしていても、楽しそうだった。
が、小学校へ入学したとたん、表情が暗くなった。
もともと勉強が得意ではなかった。
言葉の発達も遅れ気味だった。
そのため母親が、かかりっきりで、A君を指導した。
A君は、月を追うごとに、やる気をなくしていった。
私の教室でも、フリ勉(勉強をしているフリをする)、
ダラ勉(ダラダラと時間ばかりかけて、何もしない)、
時間つぶし(ほかの作業をして、時間をつぶす)などの症状が見られるようになった。

 こうなると、つまりこの時期に一度、こうなると、症状は、ずっとつづく。
「直る」のは、ほぼ不可能とみてよい。
(ますます勉強から遠ざかる)→(無理な家庭学習が日常化する)の悪循環の
中で、症状は、ますますひどくなる。
それ以上に、学校での学習量がふえる。
学校での勉強が追いかけてくる。
A君はその負担に、ますます耐えられなくなる。

●迷い
 
 こういうケースでは、親にそれを告げるべきかどうかで悩む。
親にそれだけの問題意識があればよい。
が、そうでないケースのほうが多い。
「まだ何とかなる」「うちの子にかぎって……」「やればできるはず」と。
それにこの時期、「過負担を減らしましょう」と言うことは、親にしてみれば、
「勉強をあきらめなさい」と言うに等しい。
親がそれを受け入れるはずがない。

 とても残念なことだが、親というのは、行き着くところまで行かないと、自分では
気がつかない。
これは子育てというより、家庭教育のもつ宿命のようなもの。
私の立場では、自分のできる範囲で、また自分の世界で、(最大限)、指導するしかない。
この世界には、『内政不干渉の大原則』という原則もある。

 で、実際問題として、この時期、それを親に告げると、私のほうにはその意図が
なくても、親は、「拒否された」ととる。
そのまま私のところを去っていく。

●いい子論

 話を戻す。
そんなわけで、「いい子論」は、家庭によって、みなちがう。
子育ての目標がちがうように、みなちがう。
冒頭に書いた息子氏について書く。

 母親は、かなり権威主義的なものの考え方をする人だった。
「親絶対教」の信者でもあった。
「先祖」「親孝行」という言葉をよく使った。
ものの言い方が威圧的で、一方的だった。
一見穏やかで、やさしそうな言い方をする人だったが、それは仮面。
息子氏や、ほかの娘たちが口答えでもいようものなら、烈火のごとく、それを叱った。
「親を粗末にするヤツは、地獄に落ちる」が、その母親の口癖だった。

 息子氏はそういう環境の中で、ますます萎縮していった。

 で、悲劇は、その数年後に起きた。
妻のほうが、一方的に離婚を宣言し、子どもを連れて、家を出てしまった。
息子氏の母親は、息子氏の妻(嫁)を、はげしくののしった。
が、そういう面もなかったとは言わない。
いろいろあったのだろう。
しかし離婚を宣言した妻の気持ちも、よくわかる。

 「あの息子と、あの姑(しゅうとめ)では、だれだって離婚したくなる」と、
私は、そのときそう思った。

●では、どうするか

 「まず、自分を知る」。
それが子育てにおいては、必須条件ということになる。
この世界では、無知は罪悪。
無知であることを、居直ってはいけない。

 そのためには、もしあなたの生活がカプセル化しているなら、風穴をあけ、
風通しをよくする。
もしそれでも……ということであれえば、私が用意した「ママ診断テスト」を
受けてみてほしい。
(私のHPより、「最前線の子育て論」→「ママ診断」へ。)
平均的な母親たちと、どこがどうちがうかを知ることができる。
平均的であればよいということにはならないが、自分の子育てを、ほかの人と
比較することはできる。

 つぎに、たとえば学齢信仰、学校神話、出世主義、権威主義に毒された子育て観を
改める。
世界も変わった。
世間も変わった。
しかし子育ての基本は、変わっていない。
子育ての基本は、1000年単位、2000年単位で、繰り返されるもの。
その原点に立ち返る。

 というのも、子どもというのは、子ども自身が自ら伸びる(力)をもっている。
あらゆる動物や、植物がそうである。
その(力)を信じ、その力を(引き出す)。
それが子育ての原点ということになる。
言うなれば、子育ての原理主義ということか。
しかし何かのことで迷ったら、そのつど原点に立ち返ってみる。
意外とその先に、「道」が見えてくるはず。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子育ての原理主義 無知は罪悪 萎縮する子ども 過干渉 いい子論 はやし浩司 
よい子論 覇気のない子供 家族の代表 代表論 子供の問題)







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17
●識字障害(失読症・ディスクレシア)(文字の読めない子ども、20人に1人!)

++++++++++++++++++++

文字を読めない子どもがいる。
何とか読むことはできても、意味や内容を理解
できない。

学習障害児の1様態として考えられている。

日本人のばあい、全体の5%(アメリカ人は全体の10%)いる
と言われている(NHKオンライン)

インターネットを使って、「識字能力」を調べてみた。

++++++++++++++++++++

●ウィキペディア百科事典より

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……知的能力及び一般的な学習能力の脳内プロセスに特に異常がないにもかかわらず、書
かれた文字を読むことができない、読めてもその意味が分からない(文字と意味両方ともそれ
ぞれ単独には理解できていることに注意)などの症状が現れる。逆に意図した言葉を正確に
文字に表すことができなくなる「書字表出障害(ディスグラフィア、Dysgraphia)」を伴うこともあ
る。また簡単な計算ができない「計算障害」を伴うことも多い。左脳内の文字と意味の相関関
係を司る特殊なプロセスに何らかの障害が発生していると考えられているが、はっきりした原
因はまだ突き止められていない。なお家族性の発症例も古くから知られており、遺伝マーカー
との関連に関する研究も行われている』(以上、ウィキペディア百科事典より)。

●NHKオンラインより

 NHKオンラインのHPには、「日本でも5%もいることがわかってきた」という。

『……会話能力にも問題はなく、しかも眼に異常があるわけでもないのに、文章を読むのに著
しい困難を抱える人たちがいる。読字障害だ。この障害が見つかったのは、19世紀末の英
国。数字の「7」は読めるのに「seven」を見せると読めない中学生が見つかった。当時は、まれ
なケースと思われていたが、英米では人口の10%、日本では5%もいることが判ってきた。最
新の研究によって読字障害の人は一般の人と、脳での情報処理の仕方が異なることが明らか
になってきた。通常、情報を統合する領域で文字を自動処理しているが、読字障害の人は文
字処理をスムーズにできないのである。人類が文字を使い始めてわずか5千年、この時間の
短さ故、脳は十分に文字を処理できるよう適応しきれていないのである』(NHKオンライン)。

●Yahoo・知恵袋より

 識字能力といっても、内容はさまざまに分類される。

『……日本語で失読症と翻訳されている言葉には、Alexia(アレクシア)とDyslexia(ディスレクシ
ア)の2つがあります。

 まず、Alexia(アレクシア)からご説明します。英語版のWikipediaからの引用http://en.
wikipedia.org/wiki/Alexia_(disorder)をご覧下さい。後天的な脳障害にて、言語機能のうち、「読
む」能力が選択的に障害された状態です。失語症の特殊なタイプと考えられています。

 Dyslexia(ディスレクシア)については、こちらhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%
A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E...をご参照下さい。ディスレクシアは学習障害の一種であり、失読
症、難読症、識字障害、読字障害ともいう、と説明されています。アメリカ合衆国では人口の約
15%がディスレクシアと言われています。トム・クルーズがディスレクシアを抱えていたことを告
白したことも、人々の関心を呼び起こした原因となっています。

 国際Dyslexia協会のホームページhttp://square.umin.ac.jp/LDDX/newpage106htm.htmもお
読みください。先天性、後天性の読み書き障害の違いについて、説明されています。ちなみ
に、この協会ではディスレクシアを発達性読み書き障害と表記しています。

 Alexia(失読症)、Aphasia(失語症)に使用されているA-は、否定の意味を示す接頭語です。
Apraxia(失行症)、Agnosia(失認症)も全く同じです。これら高次脳機能障害に使用されている
用語は、学問的にも行政的にも、ほぼ確立しています。

 一方、Dyslexia(ディスレクシア)やDysmetria(測定障害)で使われているDys-は、同じ接頭語
でも困難であることを示しています。このため、日本語の訳語でも、「?障害」と表記されること
が多いようです。

 既にAlexiaを失読症と翻訳している現状を考えると、ディスレクシアを失読症と表記すること
は妥当ではなく、難読症、ないし、識字障害、読字障害と表記すべきでしょう。さらに言うと、代
表的な学習障害であるという意味を強調するために、国際Dyslexia協会が使用している発達性
読み書き障害という用語の方が意味が明快です。いずれにせよ、ディスレクシアをどう表記す
るかについては、関係学会の調整が必要です。それまでの間は、ディスレクシア(難読症)と併
記するなどの工夫をするしかないでしょう』(Yahoo・知恵袋より)。

●発達障害の救急箱HPより

 日本でも有名人の中に、識字障害の人がいると言われている。
故岡本太郎氏や、タレントの黒柳徹子氏らの実名があげられている。

『……ディスレクシア(ディスレキシア)とされる芸能人、有名人
"岡本太郎(おかもとたろう) 
"黒柳徹子(くろやなぎてつこ) 
http://www.laqoo.net/hattatu/dyslexia.html』(発達障害の救急箱HP)。

++++++++++++++++++++

●識字障害(Dyslexia)

+++++++++++++++

ほぼ20年ぶりに、ある家族を訪問してみた。
どこか雰囲気がおかしい。
見慣れた家庭の様子とは、どこかちがう。
が、そのときは気がつかなかった。

で、その1年後、再びその家庭を訪問してみて、
私は知った。
その家には、本という本、雑誌にいたるまで、
それがまったくなかった!

+++++++++++++++

●文章を読めない人たち

 その家族……Y家としておく。
私の遠い親戚にあたる。
そのY家の息子(高校3年生)が、引きこもり状態になってしまったという。
相談があった。
そこで私は、資料を、30〜40ページあまりプリントアウトし、それを直接
Y家の人に届けることにした。

 Y家は、見慣れた家庭の雰囲気とは、どこかちがっていた。
どこかちがうということはわかったが、理由がわからなかった。
が、2度目に訪問してみて、気がついた。

 本がない!
本という本が、ない!
雑誌も、ない!
新聞はあったようだが、読んだ形跡がほとんど、ない!
食卓のある居間には、大きなテレビがあった。
ふつうなら、そのあたりに、何冊か本が並んでいる。
それもなかった!

●「私、そんなもん、読んでもわかりません!」

 異変はつづいた。
食卓のある居間で待っていると、そこへYさん(妻)がやってきた。
で、簡単なあいさつをして、私がカバンの中から、プリントアウトした資料を
見せようとしたその瞬間のこと。
Yさんが、突然パニック状態になり、書類のたばを見ることもなく、それを
片手で払いのけてしまった。
「私、そんなもん、読んでもわかりません!」と。

 「引きこもりに関する資料ですが……」と、それを集めてYさんに再び
見せようとすると、Yさんは、そのまま、席を立ってしまった。

 異様な行動だった。
文字というより、書類の束(たば)に、拒絶反応を示した。
そのとき私の脳裏を、「識字障害」という言葉が横切った。

 たいへん珍しいケースだが、Y家では、夫のY氏も、妻のYさんも、
その識字障害者だった。
……というより、若い時より(文字を読まない)→(ますます読めなくなる)の
悪循環の中で、文字から遠ざかってしまった。

ついでにいうと、引きこもりを起こした息子にも、その傾向が見られた。
その少し前、「英語が苦手」「英語の単語をまったく覚えられない」という話を
聞いていた。

●識字障害

 識字障害といっても、

『日本語で失読症と翻訳されている言葉には、Alexia(アレクシア)とDyslexia(ディスレクシア)の
2つがあります。……ディスレクシアは学習障害の一種であり、失読症、難読症、識字障害、読
字障害ともいう』(ヤフー知恵袋)とある。

 つまり失語症といっても、

(Alexiaアレクシア)……後天的な脳障害にて、言語機能のうち、「読む」能力が選択的に障害
された状態。
(Dyslexiaディスクレシア)……学習障害の1つ。
に分類される。

 さらにディスクレシアといっても、

(1)書かれた文字を読むことができない、
(2)読めてもその意味が分からない
(3)(文字と意味両方ともそれぞれ単独には理解できていることに注意)
(4)逆に意図した言葉を正確に文字に表すことができなくなる「書字表出障害(ディスグラフィ
ア、Dysgraphia)」を伴うこともある。
(5)また簡単な計算ができない「計算障害」を伴うことも多い。(以上、ウィキペディア百科事典
より)というように分類される。

●Y家のばあい

 Yさんにしても、簡単な手紙の読み書きくらいはできる。
実際、手紙をもらったことがある。
また自分たちがそうであることを自覚しているためか、(とりつくろい)が、たいへん
うまい。

 その場をたいへんうまく、とりつくろう。

 同じ日、こんなことがあった。
私がたまたま実母の介護のことで困っていたので、そのことをふと漏らすと、Yさんは、
「いい資料がある」と言って、奥のほうから、小冊子をもってきてくれた。
Yさん自身も、ボランティアだが、近所の老人の世話をしていた。

 が、Yさんはポンとその資料をテーブルの上に置くと、そのままどこかへ行ってしま
った。
「今、しかけた仕事があるから……」と。

 Yさんの説明を期待していたが、私はその資料を、最初からすべて読むハメになった。

●早期発見、訓練こそが、大切

 「5%〜10%」という数字には、驚く。
私も子どもたちの指導を通して、「文章を読めない子ども」というのは、数多く
経験してきた。
さらに「英語の単語を覚えられない」という子どもも、経験してきた。
しかしそれらの子どもが、脳の機能そのものに問題があり、さらにその数が、
20人に1人以上もいるというということまでは知らなかった。
(程度の差もあるだろうから、軽度の子どもも含めれば、数はもっと多い。)

 原因としては、人間の脳が、まだそこまで進化していないということが考え
られる。
文字の発明は、紀元前3500年前後までさかのぼることができる。
が、文字が一般社会に普及し始めたのは、ここ数百年のことである。
脳の機能が、こと文字の発達に、追いついていないということは、じゅうぶん
考えられる。

 が、(機能)の問題であるだけに、早期に発見し、適切に対処すれば、改善の
余地は大いにありということになる。

 現に黒柳徹子氏などは、本まで書いている。

 今、その研究と対策が、始まったばかりということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 識字障害 文字を読めない子ども 難読症 はやし浩司 文盲 失読  
Alexia(アレクシア) Dyslexia(ディスレクシア))


(補記)

●子どもの識字能力テスト

+++++++++++++++++++++++

文字を読めない子どもがいる。
読んでも、文の内容を理解することができない。
文を文法的に分解できない。
そのため文が構造としてもつ意味を、論理的に
頭の中で組み立てることができない。

程度の差もあるが、全体の5%(20人に1人)は
いると言われている。

このタイプの子どもで悲劇的なのは、その子ども自身
がもつ問題もさることながら、まわりの人たちが
それに気づかず、その子どもに、無理をすること。
それがあるかぎり、その子どもはその苦痛と、ひとりで
闘わなければならない。

具体的には、小学2、3年になってから、算数の
文章題が読めないなどといった症状をともなって、
それとわかるようになる。

現在、識字能力障害をもつ子どもは、LD児(学習障害児)
として扱われることが多い。
しかし文章を読解できないということで、その影響は
ほかのすべての教科に影響を与える。

さらに、無理な学習、強制的な学習が日常化して
いるため、(文字嫌い)→(読み書きが苦手)→
(本嫌い)→(無理な学習、強制的な学習)→
(ますます文字嫌いになる)という悪循環がつづく。

そのため識字能力障害については、そういう子どもで
あると、できるだけ早い段階で発見し、適切な対処
が必要となる。

ただ残念なことに、現在、こと識字能力害者に
ついては、先にも書いたように、LD児として
取り上げられることが多く、またその範囲での
指導しかなされていない。

識字能力障害者対する適切な指導法は、まだ確立
されていない、

そこでまず診断法の確立ということになる。
筆者は、小学2年生(満8・0歳児)
を対象にした、テスト法を考案してみた。

+++++++++++++++++++++++

【識字能力障害・判別テスト法】(小学2年生(満8・0歳児)用)

【テスト方法】

●(重要)「口をしっかりと閉じて読んで、答えてください」と強く指示する。
無音であっても、口をモゴモゴさせる、口を開くなどの動作が見られたら、
強くそれを制止する。
「声を出さなければ、読解できない」と子どもが言っても、無視するか、
改めて、「口をしっかりと閉じて読んで、答えてください」とだけを繰り返す。
  
★読解判断力

【問】

 おとといのよる、ぼくの お父さんが、「あした、みなで 海へ 行こう」と言いました。
お母さんも いっしょに行くと言いました。 それで みなで したくをして、つぎの日、
海へ行きました。 今日は 8月10日です。 海へ 行ったのは、なん月なん日ですか。

【答え】 (  月  日)

★論理判断力

【問】

 Aのスイッチを、おすと、Xのライトが、つきます。 Bのスイッチを おすと、Y
のライトがつきます。 しかしCのライトを おすと、Xのライトが ついているときは、
Xのライトは、きえます。はんたいに、Yのライトが きえているときは Yのライトが
つきます。 いま、わたしは、(A)→(B)→(C)の じゅんに スイッチを おしました。 いま、つ
いている ライトは、どれですか。

【答え】 (  )のライト

★文章理解力

【問】わたしは おかあさんと おかあさんの ともだちと 3人で ちかくの みせで
くだものと やさいを かいましたが、 かえりに おかあさんの ともだちの こどもに あった
ので、 おかあさんが そのこどもに かったばかりの バナナを 1ぽん
あげました。 こどもに バナナを あげたのは だれですか。

【答え】(          )

★計数問題

【問】お父さんは、りんごを3こ、みかんを2こもっています。お母さんは、みかんを1こと、ももを
3こもっています。わたしはももを2こ、りんごを3こもっています。みんながもっている くだもの
を あわせると、いちばん おおいのは、なにですか。

【答え】(          )


(注)調査結果は、後日、公表する予定。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 子どもの識字能力 識字障害 読解力 文を読めない子供 識字能力テスト 子
供の障害)





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18
●子どものやる気

++++++++++++++++

J君(小4)という、興味深い
子どもがいる。

毎週1時間30分、その子どもの学習を
みている。
が、1時間30分、勉強するわけではない。
最初の10〜20分は、コミック本を
読んで、時間をつぶす。
それから20〜30分は、だらだらと
勉強らしい勉強もせず、無駄話をして
すごす。

こうしてときに1時間あまり、時間を
無駄にしたあと、何かの拍子にふと
気が向くと、突然、勉強を始める。
が、一度始めると、猛烈な勢いで、
今度は「量」をこなす。
もともと頭の切れる子どもである。
あっという間に、計算問題だと、
40〜50問くらいは解いてしまう。

時間にすれば、20〜30分前後だが、
それでふつうの子どもなら、1時間
30分くらいはかかるような量を、
終えてしまう。

そしてそれが終わると、またいつもの
ように、だらだらし始める。
無駄話を始めて、時間をつぶす。

++++++++++++++++

●内発的か、外発的か?

 子どものやる気をみるとき、それが内発的(自ら進んでやろうとしている)か、
外発的(親や先生に言われてやろうとしている)かを、みる。
内発的であれば、よし。
そうでなければ、そうでない。

 たとえば子どもの学習の3悪に、(1)条件、(2)比較、(3)無理、強制がある。
条件というのは、「〜〜したら、〜〜を買ってやる」式の条件をつけること。
比較というのは、「〜〜さんは、もうカタカナが書けるのよ」と、子どもをほかの子ども
と比較すること。
無理、強制というのは、能力を超えた学習を子どもに押しつけたり、強制的に子どもを
勉強させることをいう。

 こうした方法は、一時的には効果があっても、長つづきしない。
しないばかりか、それが日常化すると、子どもは、やる気そのものをなくす。

 たとえば冒頭に書いたJ君の例で考えてみよう。
J君は、私の教室(BW教室)へは、小学1年生のときから来ている。
今年で、4年目になる。
当初は、そういうJ君の特性(?)に、戸惑った。
ときには条件をつけたり、あるいは無理に学習に向かわせようとした。
しかし効果はいつも、一時的。

 そこである日から、(というのも、ガミガミ言うのは私のやり方ではないので)、
本人のやりたいようにさせることにした。
その結果が、冒頭に書いたようなやり方ということになる。

●特性

 それぞれの子どもには、それぞれの特性がある。
勉強という(作業)をこなすときには、その特性が、大きくその子どもを左右する。
たとえば集中力についても、持続的に長時間保てる子どももいれば、そうでない
子どももいる。
極端なまでに集中力の欠ける子どもを、「集中力欠如型〜〜」とかというが、しかし
だからといって、それが問題というわけではない。

 最近の調査によれば、チャーチルもモーツアルトも、そしてあのエジソンも、
アインシュタインも、その「集中力欠如型〜〜」(AD・HD児)だったと言われている。
とくにエジソンなどは、ここに書いた、J君とそっくりの特性を示していた。

●天才型

 そういうJ君を指導しながら、よく「この子には、これでいいのだ」と、自分に言って
聞かせる。
あるいはときどき、もし父親が、そういうJ君を、この教室で見たら、どのような
判断をするだろうかと考えるときがある。
「怒って、やめてしまうだろうな」と。

 幸い母親が理解のある人で、また愛情豊かな人のため、J君をおおらかに見ている。
会うたびに、「迷惑ばかりかけて、すみません」と言ってくれる。
本当は、迷惑と感じたことはない。
ただ私流の指導が思うようにできないため、私流にいらいらしているだけなのかも
しれない。

 しかし考えてみれば、私自身にだって、私流の特性がある。
たった今も、この原稿を書いている途中で、ラジコンのヘリコプターの調整のため、
庭へ出て、それを飛ばしてきた。
集中力があるかないかということになれば、・・・というより、特性という点では、
私とJ君は、よく似ている。

 若いときから、そうだった。
だらだらと一定の時間を過ごしたあと、仕事をするときは、一気にする。
それが私のやり方だった。

 反対に、持続的にコツコツと勉強に取り組む子どもも、多い。
しかし期待するほど、効果はあがらない。
そこそこに勉強はできるようにはなるが、そこで止まってしまう。
「天才型」、あるいは、「才能発揮型」の子どもというのは、多くはJ君のような
特性を示す。
指導する側としては、(指導しにくいタイプ)ということになるが、長い目で見れば、
むしろこのタイプの子どものほうが、好ましいということになる。

●避けたい外発的動機づけ

 内発的に子どものやる気を引き出すことを、「内発的動機づけ」という。
(これに対して、条件、比較、無理、強制などにより、外発的に子どものやる気を
引き出すことを、「外発的動機づけ」という。)

 外発的動機づけが日常化すると、子どもは、ものごとに対して依存的になりやすい。
言われたことはするが、それ以上のことはしない。
あるいは言われないと、行動できない、など。
とくに条件が日常化すると、条件なしでは勉強しなくなる。
さらにこの条件は、年齢とともに、エスカレートしやすい。

 幼児のころは、「30分、勉強したら、お菓子一個」ですむかもしれない。
しかし中学生や、高校生ともなると、そうはいかない。
「学年順位が10番あがったら、10万円」となる。

 だから内発的動機ということになる。
子どものやる気を、子どもの内側から自然に引き出す。
そのための方法は、いくらでもある。
またそれを実践していくのが、教育、なかんずく幼児教育ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW やる気 はやし浩司 動機づけ 内発型 外発型 動機づけの3悪
4悪 達成動機)






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19
●柔軟性(理性vs欲望)

++++++++++++++++++

子どもの世界では、よく柔軟性が問題になる。
「頭のやわらかい子」「頭のかたい子」というような表現の仕方をする。
頭のやわらかい子どもは、融通性があり、機転がきく。
一方、頭のかたい子どもは、融通性がなく、機転がきかない。
「カタブツ人間」(「心理学用語がわかる本」渋谷昌三)
になると言われている。

頭のやわらかい子どものほうが、よいように思える。
が、柔軟性が強すぎてもよくない。
行動が衝動的になったり、ときに人格そのものが
支離滅裂になる。

+++++++++++++++++++++

●柔軟性

 人は常に無意識の世界に支配されながら、考え、行動する。
その無意識の世界を分類すると、(イド)(自我)(超自我)ということに
なる(フロイト学説)。

 「イドとは、無意識的、衝動的な側面で、心のエネルギーの貯蔵庫」(同書)。
「自我とは、パーソナリティの中の意識的な側面」(同書)という(以上、フロイト学説)。

 つまり人は、イドと自我の間で、バランスを取りながら、自分をコントロールする。
イドが強すぎると、欲望に支配され、享楽的な生き方になる。
自我が強すぎると、融通がきかなくなる。
さらに「超自我」(「一般的に道徳心とか良心とよばれるもの」(同書))が強すぎると、
「柔軟性の欠けたカタブツ人間」(同書)になる。

●思考の柔軟性

 子どもの柔軟性(=思考の柔軟性)は、2つに分けられる。

(1)思考の柔軟性
(2)行動の柔軟性

 思考の柔軟性は、たとえば、ジョークを話したときなどに判断できる。
思考が柔軟な分だけ、おとなのジョークもよく理解する。
思考が柔軟でない子どもは、「カタブツ」という言葉で表現される。
言葉を額面通り、受け取ってしまう。
たとえばアスペルガー児などは、この思考の柔軟性が極端に失われた状態の
子どもと考えるとわかりやすい。

 また行動の柔軟性は、たとえば、「がんこ」という言葉で表現される。
「青いズボンでないと、幼稚園へ行かない」とがんばったりする。
一方、行動に柔軟性のある子どもは、その場、その場で、臨機応変に行動を変える。
「これがだめなら、あれが、だめ。あれもだめなら、それにする」と。

 一般的には、思考にせよ、行動にせよ、柔軟性のある子どものほうが、あとあと伸びる。

●自律期

 3〜4歳の「自律期」(エリクソン)においては、一時期、子どもは、柔軟性に欠ける
ようになる。
おとなや先生が言ったことを、かたくなに守ろうとする。
この時期をうまくとらえて指導をすると、しつけがうまくいく。
またこの時期の子育てに失敗すると、子どもは、いわゆるドラ息子、ドラ娘になる。
わがままで自分勝手。
享楽的で、ルールを守れないなど。

 で、その時期を過ぎると、今度は、「自立期」(エリクソン)へと入ってくる。
この時期に、思考が柔軟な子どもほど、あとあと伸びる。
好奇心が旺盛で、触角が四方八方に向いている。
天衣無縫というか、遊びにしても、自分でつぎからつぎへと発明していく。

 反対に、いつも遊びは同じとか、遊び友だちは同じという生活は、子どもには、
好ましくない。
とくに変化の少ない、単調な生活は、子どもの知育の発育の大敵と思うこと。
ほどよい刺激を子どもの周辺に用意するのは、親の務めと考えてよい。

●「超自我」

 超自我・・・いわゆる「理性」ということになる。
脳科学の世界では、人間の理性をコントロールするのは、大脳の中でも前頭前野という
ことになっている。
部位的には、額の部分。
額の奥に、前頭前野がある。
この部分が、人の心や行動をコントロールする。

 しかし万能かというと、そうでもない。
たとえば思春期になると、子どものもつ性的エネルギー(フロイト)は、きわめて
強力になる。
大脳生理学的には、視床下部あたりの働きが活発になり、ドーパミンの分泌が旺盛に
なる。
ドーパミンというのは、欲望と快楽をつかさどる脳内ホルモンをいう。

 こうした働きを、前頭前野だけで、コントロールするのはむずかしい。
むずかしいというより、不可能。
似たような反応に、アルコール中毒症やニコチン中毒症がある。
酒のにおいをかいだり、タバコのコマーシャルを見ただけで、酒を飲みたく
なったり、タバコを吸いたくなったりする。
これは条件反射反応といわれるものだが、意思の力で、それをコントロール
するのは、むずかしい。

●では、どうするか

 要するに、(理性=善)と、(欲望=悪)との戦いということになる。
(ただし欲望イコール、悪ではない。念のため。)
こうした戦いは、何も子どもの世界だけの話ではない。
おとなになってからも、つづく。
老齢期になってからも、つづく。

 だから子どもの問題として考えるのではなく、あなた自身の問題として考えるのがよい。
その結果、つまり「では自分はどうすればいいか」を考えながら、それを子どもの世界
へと、延長していく。
 あるいはあなた自身の青春時代はどうであったかを、みるのもよい。

●精進(しょうじん)

 結局は、「精進(しょうじん)」ということになる。
欲望という悪と戦うためには、日々に研鑚あるのみ。
これは健康論と似ている。

 健康を維持するためには、日々に運動し、体を鍛錬するしかない。
それを怠ったとたん、健康は下り坂へと向かう。
同じように、日々の研鑚を怠ったとたん、心は欲望の虜(とりこ)となる。

 私たちが生きているかぎり、健康に完成論がないのと同じように、理性や道徳に
完成論はない。
ただ幸いなことに、こと性欲に関しては、加齢とともに、弱体化する。
まったくなくなるわけではないが、若いときのように、四六時中・・・ということはない。
また時折泉から湧いてくるメタンガスのようなもので、湧いても、すぐ消える。
あるいは長つづきしない。

 私もある時期、性欲から解放されてはじめて、性欲が何であったかを知った。
同時に、あのすがすがしい解放感を、今でも忘れることができない。

●限界

 ということで、親として、あるいはおとなとして、子どもに対してできることにも
限界があるということ。
自分という親(=おとな)ですらできないことを、どうして子どもに求めることが
できるのか。

 ・・・と書くと、何のためのエッセーかということになってしまう。
そこで重要なのが、子どもの「自我の同一性」ということになる。
これについては、もう何度も書いてきた。
要するに、(自分のしたいこと)を、(生き生きと前向きにしている)子どもは、
それだけ心の抵抗力が強いということ。
心にスキがない。
ないから、悪をはねのけてしまう。
つまりそういう方法で、子どもの心を守る。

●私たちの問題

 私たち親(おとな)も、また同じ。
理性や道徳の力に限界があるなら、それを補うためにも、(自分のしたいこと)を見つけ、
それに向かって(生き生きとする)。
もしあなたが老齢期にさしかかっているなら、(満40歳以後は老齢期だぞ!)、(自分の
すべきこと)を見つけ、それに向かって(生き生きとする)。
(自分のしたいこと)ではない。
(すべきこと)である。
しかもその(すべきこと)は、無私無欲でなければならない。
これを「統合性の確立」というが、打算や功利が混入したとたん、その統合性は霧散する。

 そういう姿を、あなたの子どもが見て、またあなたをまねる。
結局は、それがあなたの子どもを伸ばすということになる。

●柔軟性とは

 話が大きく脱線した。
柔軟性について書きたいと思っていた。
が、こんな話になってしまった。

 しかし思考の柔軟性には、こんな問題も含まれている。
いくら柔軟性があっても、欲望のおもむくまま振り回されていたのでは、
どうしようもない。
一方、人は、自らが不完全であることを恥じることはない。
その(不完全さ)が、無数のドラマを生み、人生を潤い豊かに、楽しいものにする。
要はバランスの問題ということになる。
あるいはときに応じて、カタブツになったり、反対にハメをはずして遊ぶ。
その限度をわきまえる力が、「柔軟性」ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW イド 自我 超自我 はやし浩司 融通性 子どもの柔軟性 思考の柔軟性 理性
 カタブツ)







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20
【損得論】

●損と得

++++++++++++++++++

60歳をすぎて、「損と得」についての考え方が、大きく変わってきた。
「損とは何か」「得とは何か」と。
それをしみじみと(?)、心の中で思いやりながら、
「老人になるというのは、こういうことなのか」と思う。
「老人」といっても、使い古された、老いぼれた人のことではない。
少し照れくさいが、「円熟した人」をいう。

++++++++++++++++++

●何が損か

 この世の中で、「損かどうか」を考えること自体、バカげている。
どんなにあがいても、「死」というもので、私たちは、すべてを失う。
この宇宙もろとも、すべてを失う。
「死」を考えたら、それほどまでの「大きな損」はない。
たとえばあなたが地球上の、ありとあらゆる土地を自分のものにしたとする。
北極から南極まで。
一坪残らず、だ。
が、死んだとたん、すべてを失う。
つまり「死」にまさる(?)、損はない。

 これには、自分の死も、相手の死もない。
そのため「死」をそこに感ずるようになると、日常的に
経験する損など、何でもない。
損とは感じなくなる。

●「金で命は買えん」

 たとえば私の友人の中には、数か月で、数億円も稼いだ人がいた。
その友人は、数年前、死んだ。
莫大な財産を残したが、死んだとたん、「彼の人生は何だったのか?」
となってしまった。

私の母ですら、死ぬ直前、こう言っていた。
「金(=マネー)で命は、買えん」と。
あれほどまで、お金に執着していた母ですら、そう言った。

●得

 一方、「得」と思うことも多くなった。
昨日も、秋の空を見たときも、そう思った。
澄んだ水色の空で、白い筋雲が、幾重にも重なって流れていた。
それを見て、「ああ、生きていてよかった」と思った。

 ただ「損」とちがって、「得」という感覚は、実感しにくい。
大きな青い空を見たからといって、大きく得をしたとは思わない。
反対に、小さな花を見たからといって、大きな青い空を見たときに感ずるそれに、
劣るということはない。

 もちろん私も、金権教にかなり毒されている面もあるから、お金は嫌いではない。
たいていのばあい、金銭的な価値に置き換えて、ものの損得を考える。
たとえば予定外の収入があったりすると、「得した」と思う。
しかし同時に、そこにある種の虚しさを覚えるようになったのも事実。
「だから、それがどうしたの?」と。

●長生き

 では、長生きはどうか?
長生きをすればするほど、得なのか、と。
が、これについても、最近は、こう考える。
「それが無駄な生き方なら、長生きしても、意味はない」と。

 「生きることが無駄」と言っているのではない。
「どうせ生きるなら、最後の最後まで、意味のある生き方をしたい」と
いう意味で、そう言う。
もちろん、できれば、長生きしたい。
たった一度しかない人生だから、それは当然のこと。
問題は、どうしたら、意味のある人生にすることができるか、ということ。

●今のままで、よいのか

 未来は現在の延長線上にある。
とするなら、今の生き方が、未来の生き方になる。
となると、「今のままでいいのか」となる。
今、意味のある人生を送っていない私が、この先、意味のある人生を
送れるようになるということは、ありえない。

 言い換えると、今の生き方そのものが、大切ということになる。
「今日」という「今」ではなく、「この瞬間」における「今」ということになる。
「私は、この瞬間において、意味のある生き方をしているのか」と。

●命の換算

 この話は前にも書いたので恐縮だが、テレビでこんな人を紹介していた。
ある男性だが、何かの病気で、2年近い闘病生活のあと亡くなった。
その男性について、妻である女性が、こう言った。

 「がんばって生きてくれたおかげで、娘の家が建ちました」と。

 つまり夫であるその男性が、死の病床にありながらも、がんばって生きて
くれたので、その年金で、娘のための家を建てることができた、と。

 私はその話を聞いたとき、「夫の命まで、金銭的な価値に置き換えて
考える人もいるのだなあ」と驚いた。
まあ、本音を言えば、だれだってそう考えるときがある。
私もあるとき、ふと、こう思ったことがある。

「1年、長生きをして、1年、仕事がつづけられたら、○○○万円、
得をすることになる」と。
しかしこの考え方は、まちがっている。
もしこんな考え方が正しいというなら、私は自分の命すら、金銭的な
価値に置き換えてしまっていることになる。

 仕事ができること自体が、喜びなのだ。
収入があるとすれば、それはあとからついてくるもの。
生きる目的として、収入があるわけではない。

●奇跡

 さらに言えば、アインシュタインも言っているように、「この世に生まれた
ことだけでも、奇跡」ということになる。
(あなた)という人間が生まれるについても、そのとき1億個以上の精子が1個の
卵子にたどりつけず、死んでいる。

 もしそのとき、隣の1個の精子が、あなたにかわって卵子にたどりついていたら、
あなたという人間は、この世には存在しない。
そのことは、二卵性双生児(一卵性双生児でもよいが)を見れば、わかる。
外の世界から見れば、(あなた)かもしれないが、それはけっして、(あなた)
ではない。
他人が見れば、(あなた)そっくりの(あなた)かもしれないが、けっして、
(あなた)ではない。

 つまり私たちは、この世にいるということだけ、この大宇宙を手にしたのと
同じくらい、大きな得をしたことになる。

●統合性の確立

 若いときは、生きること自体に、ある種の義務感を覚えた。
子育ての最中は、とくにそうだった。
働くことによって収入を得る。
その収入で、家族を支える。

 しかし今は、それがない。
どこか気が抜けたビールのようになってしまった。
生きる目的というか、ハリが、なくなってしまった。
「がんばって生きる」とは言っても、何のためにがんばればよいのか。

 そこで登場するのが、「統合性」ということになる。
(自分がすべきこと)と、(現実のしていること)を一致させていく。
それを「統合性の確立」というが、この確立に失敗すると、老後も、みじめで
あわれなものになる。
くだらない世間話にうつつを抜かし、自分を見失ってしまう。
そんなオジチャン、オバチャンなら、いくらでもいる。
あるいは明日も今日と同じという人生を繰り返しながら、時間そのものを無駄に
してしまう。

 が、その統合性の確立には、ひとつの条件がある。
無私、無欲でなければならない。
功利、打算が入ったとたん、統合性は霧散する。
こんな話を、ある小学校の校長から聞いた。

●植物観察会

 ある男性(80歳くらい)は、長い間、高校で理科の教師をしていた。
その男性が、今は、毎月、植物観察会を開いている。
もちろん無料。

 で、雨の日でも集合場所にやってきて、だれかが来るのを待っているという。
そしてだれも来ないとわかると、そのまま、また家に帰っていくという。

 その男性にとっては、植物観察会が生きがいになっている。
参加者が多くても、またゼロでも構わない。
大切なことは、その(生きがい)を絶やさないこと。

 が、もしその男性が、有料で植物観察会をしていたら、どうだろうか。
月謝を計算し、収入をあてにしていたら、どうだろうか。
生徒数がふえることばかり考えていたら、どうだろうか。
同じ植物観察会も、内容のちがったものになっているにちがいない。
つまり、無私、無欲でしているから、その男性の行動には意味がある。
「統合性の確立」というのは、それをいう。

●変化

 損か、得か?
それを考えるとき、これだけは忘れてはいけない。
今、ここに生きていること自体、たいへんな得をしているということ。
それを基本に考えれば、日常生活で起こるさまざまな損など、損の中に入らない。

 そして損ということになれば、「死」ほど、大きな損はない。
それを基本に考えれば、日常生活で起こるさまざまな損など、損の中に入らない。

 つまり生まれたこと自体、大きな得。
死ぬこと自体、大きな損。
私たちは、その得と損の間の世界で、ささいな損得に惑わされながら生きている・

 ・・・というようなふうに、このところ考えることが多くなった。
私自身が「死」に近づいたせいなのか。
それとも「生」の意味が少しはわかるようになったせいなのか。
どうであるにせよ、「損と得」について、私の考え方が大きく変わってきた。
この先のことはわからないが、人は老人になると、みな、そう考えるようになるのか。
それとも、私だけのことなのか。
どうであるにせよ、今は、自分の中で起こりつつある変化を、静かに見守りたい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW はやし浩司 老後 損得論 損か得か 自己の統合性 統合性の確立)







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21
【家という、監獄】

+++++++++++++++

私の兄は、生涯、「家」という監獄に
閉じ込められた。
みなは、兄のことを、バカだと思っていた。
またそういう前提で、兄を見ていた。
「だから、しかたなかった」と。
しかしこれはまったくの誤解。

兄の感受性は私のそれよりも、鋭かった。
知的能力にしても、少なくとも姉よりは、
ずっと高かった。
そんな兄が、「家」という監獄に閉じ込められた
まま、昨年(08年)、他界した。

そう、兄にとっては、たしかに「家」は
監獄だった。
私にとっても、そうだった。
だから兄の苦しみが、私には、痛いほど、
今、よくわかる。

+++++++++++++++

●兄

 みなさんは、「家制度」というものを、知っているだろうか?
知っているといっても、その中身を知っているだろうか?
「家」に縛られる、あの苦しみを知っているだろうか?

恐らく、今の若い人たちは、それを知らないだろう。
理解することもできないだろう。
自由であることが当たり前だし、自由というのは、自分が自由でなく
なったときはじめて、わかる。
それは空気のようなもの。
空気がなくなって、はじめて、そのありがたさがわかる。
自由も、また同じ。

●家制度

 「家」に縛られる。
「家」あっての、「私」と考える。
江戸時代の昔には、「家」あっての「私」ということになる。
「家」から離れれば、無宿者(むしゅくもの)と呼ばれた。
街角で見つかれば、そのまま佐渡の金山送りとなった時代もある。
あるいは無頼(ぶらい)とか、風来坊(ふうらいぼう)という言葉もある。
少し意味はちがうが、「家」がなければ、定職につくのも、むずかしかった。

そのため(私)は、「家」を守ることを、何よりも大切にした。
「家」のために(私)が犠牲になることは、当然のことのように考えた。

 ずいぶんと乱暴な書き方をしたが、大筋では、まちがっていない。
そういう前置きをした上で、私は、私の兄について書く。

●江戸時代

 こう書くからといって、母を責めているのではない。
というのも、母が生きた時代には、まだすぐそこに江戸時代が残っていた。
私はそのことを、満60歳になったときに知った。

 大政奉還によって江戸時代は終わったが、今から130年前のこと。
「130年」というと、若い人たちは、遠い昔に思うかもしれないが、
60歳になった私には、そうではなかった。
私の年齢の約2倍。
「2倍」と言えば、たったの2倍。
私の年齢のたった2倍昔には、そこにはまだ江戸時代が残っていた!

 去年(08年)、私の母は、92歳で他界したが、母にしてみれば、
母が子どものころは、江戸時代はいたるところに残っていた!
江戸時代、そのものといってもよい。

●実家意識

 そのため母がもつ、実家意識と、私たちがもつ、実家意識には、
大きなちがいがあった。
実家意識イコール、先祖意識と考えてよい。

 母は容赦なく、私からお金を奪っていったが、母にすれば、
それは当然の行為ということになる。
あるとき私が、あることで泣きながら抗議すると母は、ためらうことなく
こう言った。

 「親が実家を守るため、子(=私)の金(=マネー)を使って
何が悪い!」と。

 母は、私から言葉巧みに土地の権利書を取り上げると、その土地を
転売してしまった。
土地を母名義のままにしておいたのが、悪かった。

●栄養不足

 兄は、母の言葉を借りるなら、「生まれながらにして体が弱かった」。
母がそう思った背景には、母なりの理由がある。
長男の健一は、生まれるとまもなく、小児麻痺になった。
そして私が3歳のとき、日本脳炎で、死んでしまった。
そのあと、もう1人、兄がいたが、死産だった。
そのあと、もう一人の兄、準二が生まれた。
戦時中の貧しい時代のことで、栄養失調などというものは、あたりまえ。
国民病のようにもなっていた。

 私が子どものころでさえ、砂糖水がミルクの代わりに使われていた。
私もよく飲まされた。
兄は、恐らくもっと多量に飲まされていたにちがいない。
それだけが原因だったとは言えないが、たしかに兄は、弱かった。
今で言う脳水腫のようなものを起こしたのではなかったか。
背も低かった。
おとなになってからも、身長は、150センチ前後しかなかった。

●長子相続

 「家制度」は、「長子相続」が基本。
「長男が家を継ぐ」というのが、原則だった。
そのため父母はもちろんのこと、祖父母も、兄に大きな期待を寄せた。
同時に、兄に、スパルタ教育を試みた。

 アルバムを見るかぎり、中学を卒業するころまでは、兄は、どこにでも
いるような、ごくふつうの子どもだった。
明るい笑顔も残っていた。
その兄がおかしくなり始めたのは、兄が17、8歳くらいからのこと
ではなかったか。

 兄は、(跡取り息子)というよりは、(奴隷)に近かった。
もともと静かで、穏やかな性質だったが、それが父や母には気に入らなかった。
毎日のように兄は、父や母に叱られた。
怒鳴られた。
加えてやがて、家族からも孤立し始めた。
私とは9歳、年が離れていたこともある。
私は、兄といっしょに遊んだ記憶が、まったく、ない。
私は、父や母の関心が兄に集中する一方で、放任された。
私にとっては、それがよかった。
兄とは正反対の立場で、毎日、父や母の目を感ずることなく、遊んでばかりいた。

●心の監獄

 今になって江戸時代の、あの封建主義時代を美化する人は多い。
悪い面ばかりではなかったかもしれないが、しかし封建主義時代がもつ(負の遺産)に
目を向けることなく、一方的に、あの時代を礼賛してはいけない。

 家制度のもつ重圧感は、それを経験したものでないとわからない。
説明のしようがないというか、それは10年単位、20年単位でつづく。
いつ晴れるともわからない、悶々とした重圧感。

が、あえて言うなら、本能に近い部分にまで刷り込まれた、監獄意識に近い。
良好な家族関係、人間関係があるならまだしも、それすらないと、そこは
まさに監獄。
心の内側から、肉体を束縛する監獄意識。

 この私ですら、そうだったのだから、兄が感じたであろう重圧感には、
相当なものがあるはず。
監獄から逃げる勇気もなかった。
その能力もなかった。
それ以上に、兄の精神は、20歳になるころには、すでに萎縮していた。
父は、親絶対教の信者。
母は、口答えすら許さない権威主義者。
そういう環境の中で、兄は、なるべくして、あのような兄になっていった。

●意識

 が、意識というのは、おかしなもの。
私自身は戦後の生まれで、戦後の教育を受けた。
にもかかわらず、はじめてオーストラリアへ渡ったとき、そこで受けたのは、
ショックの連続だった。

 日本でいう上下意識がなかった。
 日本でいう家父長意識がなかった。
 日本でいう男尊女卑思想がなかった。
 もちろん長子存続意識もなかった。
 さらにこんなことにも驚いた。

 友人の家族だったが、年に2度も引っ越した。
オーストラリア人は今でもそうだが、収入が増えると、それに見合った
家に移り住んでいく。
「家を売り買いする」という意識そのものが、私の理解を超えていた。
「家」を売り買いするという意識そのものが、私には理解できなかった。
今から思うと、あのとき、その話を聞いて驚いたということは、それだけ
私の意識が、オーストラリア人のそれと、ズレていたことを示す。

●兄

 兄は、自分で考える力すら、失っていた。
してよいことと、悪いことの判断すら、できなかった。
そのため常識はずれな行動が目立った。
こんなことがあった。

 私が30歳のときのこと。
高校の同窓会があった。
私は恩師へのみやげということで、ジョニ黒(ウィスキー)を
用意して、もっていた。
が、その日の朝、見ると、フタが開けられ、上から3〜4センチくらい、
ウィスキーが減っていた。

 兄の仕業ということはすぐわかった。
で、兄にそれを叱ると、悪びれた様子もなく、兄は、こう言った。
「ちょっと飲んでみたかっただけや」と。

 一事が万事、万事が一事だった。

●マザコン

 それで母の過干渉が終わったわけではない。
今にして思うと、ほかに類をみない、異常なまでの過干渉だった。
たとえば兄を、自転車屋という店に縛りつけたまま、一歩も、外に出さなかった。
友人も作らせなかった。
「おかしな連中とつきあうと、だまされるから」というのが、母の言い分だった。

 兄は、そんなわけで生涯にわたって、給料なるものを手にしたことはない。
ときどき小遣いという名目の小銭をもらい、そのお金でパチンコをしたり、
レコードを買ったりしていた。

 そんな母だったが、兄は、母の言いなりだった。
嫌われても、嫌われても、兄は母の言いなりだった。
何かあるたびに、兄は、こう言った。
「(そんなことをすれば)、母ちゃんが怒るで……」と。
母の機嫌をそこねるのを、何よりも、こわがっていた。

●母との確執

 私が30歳を過ぎたころ。
兄は40歳になりかけていた。
そのころ、私は兄を、浜松へ呼びつける覚悟をした。
祖父が他界し、父も他界していた。
「母と兄を切り離さなくてはいけない」と、私は決心した。

 すでに兄は、うつ病を繰り返していたし、持病の胃潰瘍も悪化していた。
内科の医師はこう言った。
「潰瘍の上に潰瘍ができ、胃全体が、まるでサルノコシカケのように、
なっています」と。

 血を吐いたことも、たびたびある。
そういう兄を知っていたから、私は母と言い争った。
「兄を浜松へ、よこせ!」
「やらない!」と。

 母は、兄を自分の支配化に置き、自分の奴隷として使うことしか考えていなかった。
心理学で言う、「代償的過保護」というのである。
「過保護」というときは、その裏に、親の愛情がある。
その過保護に似ているが、代償的過保護というときには、その愛情がない。

 一時は、1週間にわたって、母と怒鳴りあいの喧嘩をしたこともある。
はげしい喧嘩だった。
が、母には勝てなかった。
兄は兄で、母の呪縛を解くことができなかった。
私は引き下がるしかなかった。

●母の愛

 「愛」という言葉がある。
しかしこと私の母に関して言うかぎり、「愛」という言葉ほど、白々しい
言葉はない。

 もっとも母は、「愛」という言葉は使わなかった。
「かわいい」という言葉を使った。
「準ちゃん(=兄)は、かわいい」
「私は準ちゃんを、かわいがっている」というような言い方をした。

 母は、自分に従順で、口答えしない子どもが、「かわいい子」と言った。
そういう観点から見れば、私は、「鬼っ子」ということになる。
私は、ことあるごとに母に逆らった。
私のほうが生活の主導権を握っていたということもある。
母にはもちろん、兄にも、生活能力は、ほとんどなかった。
生活費は、すべて私が出した。
税金はもちろん、近親の人の香典まで……。

●泣き落とし

 そこで母が私に使った手は、泣き落としだった。
母は、いつも貧しく、弱々しい母を演じた。
そういう話になると、いつも涙声だった。
(涙は、ほんとうは一滴も出ていなかったと思うが……。)

 「母ちゃんは、近所の人が分けてくれる野菜で、生きていくから
心配しなくていい」というのが、母の口癖だった。
が、そう言われて、「はい、わかりました」と言う息子はいない。

 私はこうして母に、お金を貢いだ。
実家へ帰るたびに、20万円とか30万円(当時の金額)という現金を、母に渡した。

●家族自我群

 それでも私は自由だった。
浜松という土地で、好き勝手なことができた。
結婚し、3人の子どもをもうけることもできた。
そんな私でも、心が晴れたことは、一日もなかった。
本当になかった。

 心理学の世界には、「家族自我群」という言葉がある。
無数の「私」が、家族という束縛の中で、がんじがらめになっている状態をさす。
それから生まれる呪縛感には、相当なものがある。
「幻惑」という言葉を使って、それを説明する学者もいる。

 切るに切れない。
無視することもできない。
「私は知らない」と、放り出すこともできない。
それは悶々と、真綿で首を絞めるような苦しみと表現してもよい。
そんな中、母が私をだますという事件が起きた。
それについては、先にも書いた。

●家の犠牲

 私は「家」の犠牲になった。
兄は、さらに犠牲になった。
生涯、「女」も知らず、結婚もせず、一生を終えた。
一度だけだが、兄にも結婚の話があった。
しかし母がそれを許さなかった。
「結婚すれば、嫁に財産を奪われてしまう」と。

 で、ある日、私は兄を、浜松へ遊びに来たついでに、トルコ風呂へ連れて
いったことがある。
兄に「女」を経験させてやりたかった。
しかし入り口のところで兄は、固まってしまった。
「さあ、いいから、中へ入れ」と何度も促したが、兄は入らなかった。
そこがどういうところかも理解できなかった。

 そう、そのころから、兄は、私の兄というよりは、私の弟という
存在になった。
さらに私の息子という存在になった。

●兄の死

 こうして兄は、2008年の8月、持病を悪化させ、最後は胃に穴をあけられ、
肺炎で他界した。
作った財産は、何もない。
残した財産も、何もない。
あの「林家」という「家」に縛れられたまま、そこで生涯を終えた。

 冒頭の話に戻るが、だからといって、母にすべての責任があるわけではない。
母は母として、当時……というより、自分が生まれ育った時代の常識に従った。
ここでいう「家制度」というのも、そのひとつ。

 今でも、この「家制度」は、あちこちに残っている。
地方の田舎へ行けば行くほど、色濃く残っている。
そういう意識のない人たちからみれば、おかしな制度だが、そういう意識を
かたくなに守っている人も少なくない。

●家に縛られる人たち

 私の知人に、D氏(50歳)という男性がいる。
父親との折り合いが悪く、同居しながらも、子どものころから、たがいに口を
きいたこともない。

 父親は、きわめて封建的な人で、家父長意識がその村の中でも、特異とも
言えるほど、強い。
母親は、穏やかでやさしい人である。
そのため、一歩退いた世界から見ると、母親は、父親の奴隷そのものといった
感じがする。

 が、D氏は、その「家」を離れることができない。
なぜか?
ここに(意識)の問題がある。
D氏をその家に縛っているのは、もちろんD氏の意識ではない。
D氏自身は、一日でもよいから、父親のもとを離れたいと願っている。
が、それができない。

 それが家族自我群ということになる。
深層心理の奥深くから、その人を操る。
理性や知性の範囲を超えているから、自分でそれをコントロールすることは、
ほぼ不可能と考えてよい。

 私も何度か、「親と別れて住んだらいい」とアドバイスしたことがあるが、
そういう発想というか、意識そのものがない。
ないというより、もてない。
「何十代もつづいた家だから」というのが、その理由である。

 しかしはっきり言おう。
そういうくだらない考えは、私たちの時代で終わりにしたい。
「家」が大切か、「私」が大切かということになれば、「私」に決まっている。
「家を継ぐ」とか、「継がない」という発想そのものが、時代錯誤。
バカげている。
が、それがわからない人には、それがわからない。

 D氏は死ぬまで、結局は、「家」に縛られるのだろう。
しかし先日、古里と決別した、私から一言。

 「家意識なんて、棄ててしまえ!」。
「『私』を、鎖から解き放て!」。

 そこは自由で、どこまでもおおらかな世界。
D氏よ、何を恐れているのか?
何を失うことを、心配しているのか?

 あなたが自由になったところで、あなたは何も失わない。
あれこれと言う連中はいるだろうが、そういうバカな連中は相手にしなくてもよい。
相手にしてはいけない。
どうせ化石となって、消えていく運命にある連中なのだから……。

●兄へ
 
 兄は、死ぬことで、「家」から解放された。
運命と言えば、それが運命だった。
またそれ以外、方法はなかった。
運命と闘い、それを切り開く能力もなかった。
本来なら、いちばんそばにいて、兄を助けるべき母が、それをはばんでしまった。

 私のワイフは、よくこう言った。
「あなたの兄さんは、気の毒な人ね」と。
最近になって、つまり兄が死んでから、近所の人たちも、そう言うように
なった。
「あなたの兄さんは、気の毒な人だった」と。

 その「気の毒」という言葉の中に、兄の人生のすべてが集約されている。
それが兄の人生だった。

(補記)

 こうして兄のことを、包み隠しなく書くのは、兄のためである。
もしこのままだれも兄についての記録を残さなかったら、兄は、本当に
ただの墓石になってしまう。

 兄だって、懸命に生きた。
苦しみながら生きた。
その記録を残すのは、私という弟の義務と考える。
今、同じような境遇で苦しんでいる人のために、一助になればうれしい。


Hiroshi Hayashi++++++++Sep・09++++++++++はやし浩司

●ジョーク

「世界おもしろジョーク集」(PHP判)の中の1つを、
編集させてもらう。

+++++++++++++++

あるとき、釈迦が、ある村にやってきた。
家制度がしっかりと残っている村だった。
釈迦は、その村で、3日間、説法をすることになった。

(第一日目)

釈迦がこう言った。
「みなさんは、家制度というものを知っているか?」と。
すると、みなは、こう言った。
「知っていま〜す」と。
すると釈迦は、こう言った。
「そうか、それなら、何も話すことはない。今日の説法はおしまい」と。

村の人たちは、みな、顔を見合わせた。
そこでこう決めた。
「明日、釈迦が同じ質問をしたら、みな、知らないと答えよう」と。

(第2日目)

釈迦がこう言った。
「みなさんは、家制度というものを知っているか?」と。
すると、みなは、こう言った。
「知りませ〜ん」と。
すると釈迦は、こう言った。
「そうか、それなら、何を話しても無駄だ。今日の説法はおしまい」と。

村の人たちは、みな、顔を見合わせた。
そこでこう決めた。
「明日、釈迦が同じ質問をしたら、右半分の人は、『知っている』と
答え、左半分の人は、『知らない』と答えよう」と。

(第3日目)

釈迦がこう言った。
「みなさんは、家制度というものを知っているか?」と。
すると、右半分の人たちは、「知っていま〜す」と答えた。
左半分の人たちは、「知りませ〜ん」と答えた。
すると釈迦は、こう言った。
「そうか、それなら、右半分の人が、左半分の人に、家制度がどういう
ものか、話してあげてください。今日の説法はおしまい」と。

釈迦の3日間の説法は、それで終わった。

(以上、「世界おもしろジョーク集」を改変、編集。)

++++++++++++++++

●自己否定

 少し不謹慎なジョークに仕立ててしまったが、そこは許してほしい。
こうした意識の奥深くに潜む意識の問題について書くのは、たいへんむずかしい。

 本人自身にその自覚があれば、まだよい。
さらにそれに対する問題意識があれば、まだよい。
が、それすらないとなると、その説明すらできない。
「家制度」そのものが、その人の哲学(?)や、ものの考え方の基本になって
いることもある。
へたにそれを否定すると、その人にとっては、自己否定そのものにつながって
しまう。
「あなたの人生はまちがっていました」「あなたは無駄なものを大切なものと
思い込んでいただけです」と。

 だからこのタイプの人は、抵抗する。
命がけで抵抗する。
そういうとき、決まって、「先祖」という言葉をよく使う。
「先祖あっての、あなたではないか」「その先祖を粗末にするとは何事か」と。
中に、「先祖を否定するあなたは、教育者として失格だ。
即刻、教育者としての看板をさげろ」と言ってきた女性(当時、35歳くらい)
がいた。
(この話は、ホントだぞ!)

 私は何も、先祖を否定しているわけではない。
「教育者」を名乗っているわけでもない。

●D氏のばあい

 先に書いた、D氏のばあい、盆供養のときは、位牌だけでも、
100個近く並ぶという。
昔からの家柄である。
そういう伝統を、D君の代で断ち切るというのは、D君自身にもできない。
できないというより、それをするには、大きな勇気がいる。
親戚の承諾も必要かもしれない。

 が、こういうケースのばあい、不要な波風を立てるよりは、安易な道を選ぶ。
選んで、現状維持を保つ。
こうしてD氏自身も、やがて「家制度」の中に組み込まれていく。

 そこで大切なことは、「私の代で、こうした愚劣な制度はやめにする」と
決意すること。
宣言すること。
子どもたちにそれを伝えて、よいことは何もない。
今度は、その子どもたちが苦しむことになる。

 が、実際には、高齢になればなるほど、それができなくなる。
家制度そのものは、高齢者にとっては、けっこう、居心地のよい世界である。
家父長として、みなの上に、君臨できる。
そのためものの考え方も、どうしても保守的になる。
こうして再び、ズルズルと、家制度をそのままつぎの世代へと残してしまう。
つぎの世代はつぎの世代で、同じようなプロセスを経て、同じように考える。

●周りの人たち

 そんなわけで周りの人たちが、その渦中で苦しんでいる人を、励まして
やらねばならない。
私も今回、古里と決別するについて、周りの人たちの励ましが、何よりも
大きな力となった。
ある友人は、こう言った。
「檀家なんて、やめてしまえよ」と。
また別の友人はこう言った。
「親が子どもを育てるのは当たり前のことだろ。感謝するとかしないとかいう
問題ではないだろ」と。
うれしかった。

 また長野県のある地方では、自治体ぐるみで、そういった悪習と闘って
いるところもある。
香典の額を、一律、1000円と決めたり、葬儀での僧侶への布施の額を、
一律、5万円と決めるなど。
戒名もひとつにしているという(長野県S市)。

 今、そういう動きが全国的に広がっている。
またその動きは、今後加速することはあっても、後退することはない。
あとは、私たちの勇気だけということになる。

 みなが、一斉に声をあげれば、こうした愚劣な制度は滅びる。
それにしても、21世紀にもなった今、どうして長子相続制度なのか?
家制度なのか?
人間にどうして上下意識があるのか?
バカげていて、話にならない!

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 長子相続 家制度 家意識 家父長意識 封建制度 はやし浩司 私の兄 先祖
意識 親絶対教)







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22
【生命から生命へ】(From Life to Life)
We live and die and repeat it again and again, conveying out Life to other all living creatures 
and things together with our consciousness.(後日、要推敲)

++++++++++++++

あなたの生命は、ほかのありと
あらゆる生命とつながっている。
過去から未来へと、つながっている。
すべての植物から動物へと、つながっている。
それがわかれば、あなたは
もう孤独ではない。

もしあなたに「死」というものが
あるとするなら、それはあなたの
「意識」の死に、過ぎない。
もっと言えば、意識の連続性が、
途切れるに過ぎない。

だから、もしあなたが意識の連続性を、
あなたの肉体を超えて感ずることが
できたら、あなたには、「死」は
ないことになる。

++++++++++++++

●生物の連続性

人は日々に死に、日々に生まれ変わる。
細胞の生死を考えれば、それがわかる。
死んだ細胞は、体外へ排出され、ときに
分子レベルにまでばらばらになり、また
別の生物や無生物の中へと取りこまれていく。
と、同時に、私たちは日々に、ほかの生物や
無生物から、新しい肉体を作り、生きている。

こうして私たちはありとあらゆる生物と
つながり、今というときを生きている。
これを「生物の連続性」という。

●命

では、死んだらどうなるか。
が、基本的には、「死」は存在しない。
その人個人の意識は途絶えるが、生命は、
姿や形を変え、別の生物の中に取りこまれて
生きていく。

虫かもしれない。
花や木かもしれない。
動物や、魚かもしれない。
ともかくも、生きていく。

この連続性を総称して、「生命」という。

●意識

個人は、その人の意識によって特定される。
「私は・・・」というときの「私」である。
しかしその私にしても、肉体のほんの一部
でしかない。
もっと言えば、脳の中を走り回る、電気的
信号の一部でしかない。

だからといって、「私」に意味がないというのでは
ない。
私が書きたいのは、その逆。
この「私」があるから、そこから無数の
ドラマが生まれ、人間の生活を、潤い豊かなものに
する。
もし「私」がなかったら、私たち人間は、そこらに
生える雑草のような存在になってしまう。

●死

 では、「死」とは何か?
言うまでもなく、意識の途切れをいう。
その人の意識が途切れたとき、「私」は消える。
言うなれば、パソコンの電源を切るようなもの。
そのときから、見ることも、聞くことも、
感ずることもできなくなる。

 しかし先にも書いたように、それで生命が
途切れるわけではない。
生物の連続性の中で、つぎつぎと新しい生物の
中に、生命は取りこまれていく。
あなたが過去から現在に至るまで、取りこんで
きたように・・・。

●再生

 そんなわけで、「生命」を、あなたという個人の
中だけに閉じこめておくのは、正しくない。
またそういう視点で、あなたという「私」を見ては
いけない。

 もっと具体的に話してみよう。

 脳も含めて、上は髪の毛から、下は、足の爪まで、
私たちは長くて1年足らずで、すべてが作り替えられる。
古い肉体は、つねに便となったりして、外に排出される。
が、それは自然界でつねにリサイクルされ、無数の
生物の、一部となって再生される。
もちろんあなた自身の一部として戻ってくることもある。

●破壊と再生

 こうした破壊と再生の中で、連続性をもつものが
あるとすれば、それが意識ということになる。
脳の中で、意識は、古い細胞から新しい細胞へと、
つねに伝えられていく。

 あなたが子どものころの記憶があるとしても、
子どものころの脳細胞が、残っているからではない。
そのころの脳細胞は、とっくの昔に破壊されている。
今、「子どものころの記憶がある」と思いこんでいるのは、
ごく最近再生された、脳細胞の中に伝えられた電気的
信号にすぎない。

●瞬間移動(転送)

 映画『スタートレック』の中に、よく「転送」という
言葉が出てくる。
これはある一定の場所から、別の場所に、瞬時に
移動することをいう。
SF映画の世界でのことだから、まともに考えるのも
どうかと思うが、その転送について、こんな議論がある。

 「転送されてきた人間は、もとの人間と言えるか」
という問題である。

 原理は、こうだ。

 まずあなたという人間を、分子レベルにまで、バラバラに
する。
そのバラバラになったあなたを、電磁波か何かの(波)に
乗せて、別の場所に転送する。
そしてその別の場所で、もとどおりに、組み立てなおす。

 そこであなたはこう考える。
見た目には、もとの人間と同じだが、しかしもとの人間は
一度死んだはず、と。
新しく再生された人間は、あくまでもまったく別の人間。

 つまり転送を10回繰りかえせば、あなたは10回
死に、10回再生されたことになる。

●破壊と再生

 人間の肉体は、転送という劇的な変化ではないにしても、
1年単位という時間の流れの中で、映画『スタートレック』の
中の転送と同じことを、繰りかえしている。

 「劇的」というのは、映画『スタートレック』の中では、
すべてを瞬時にすることをいう。
一方、肉体のほうは、それぞれがバラバラに、長い時間をかけて、
徐々にする。

 そこでもし、映画『スタートレック』の中の転送について、
あれは、「破壊」と「再生」を繰り返したもの、つまり
「一度死んで、再び、生きかえったもの」と考えるなら、
私たち自身も、同じことを繰りかえしていることになる。

 「瞬時」にそれをするか、「1年」をかけてそれをするかの、
ちがいだけである。

●伝えられる意識

 さらに……。
科学が進めば、(あなた)のコピー人間を作ることも、
可能になるだろう。
すでにクローン牛なども誕生している。

 しかし意識は、どうか。
あなたのコピーは、あなたと同じ意識をもつだろうか。
今のところ、その答は、NO。
あなたのコピー人間は、ただのコピー人間。
たとえば私のコピーを作ったとしても、そのコピー人間が、
今の私と同じ感情をもつとはかぎらない。
というより、ありえない。
私のワイフを見て、私は逃げ回るかもしれない。

●コピー人間の意識

 私が「私」と言えるのは、「意識の連続性」があるからにほかならない。
もし意識の連続性がなかったら、「私」はそのつど分断されてしまう。

 たとえばクローン技術を使って、あなたのコピー人間を作ったとしよう。
見た目はもちろん、何から何まであなたと同じ人間である。
しかしそのクローン人間は、ここにも書いたように、「あなた」ではない。
意識の連続性がないからである。

 同じように、先にも書いたが、あなたは日々に生まれ変わっている。
古い細胞は死に、新しい細胞が生まれる。
1年前のあなたは、どこにも残っていない。
言い換えると、今のあなたは、1年前のクローン人間といっても、さしつかえ
ない。

 が、あなたはあなた。
そういうあなたは、「私は私」と言うだろう。
それが意識の連続性ということになる。

●親子

 さらに言えば、親子の関係も、それに似ている。
親子のばあいは、1世代、つまり約30年をかけて、
親は自分のクローン人間を作る。

 自分の子どもは、約30年をかけて作る、自分
自身のクローン人間とも考えられる。
顔や姿は、配偶者のそれと半々するということになるが、
それは大きな問題ではない。

 それに意識、……このばあい、ものの考え方も、
あなたのそれに似てくる。
ただ親子のばあいは、クローン人間とはちがい、
個人差はあるだろうが、親子の間には、たしかに
意識の連続性がある。

●意識があるから私

 こうして考えると、「意識」の重要性が、ますます
理解してもらえると思う。
もっと正確には、「意識の連続性」ということになる。

言うなれば、「意識の連続性があるから、私」ということになる。
「私」イコール、「意識」。
「意識の連続性」。
「意識の連続性」イコール、「私」と考えてよい。

●あやふやな意識

 が、その一方で、その「意識」ほど、あてにならない
ものもない。
「私は私」と思っている意識にしても、そのほとんどが、
意識できない「私」、つまり無意識の世界で作られた
私でしかない。

 意識している私は、無意識の世界で作られている私に、
操られているにすぎない。
その反対の例が、催眠術ということになる。
「あなたはキツネだ」という強力な暗示をかけられた
被験者は、目が覚めたあとも、キツネのように、
そのあたりをピョンピョンと、とび跳ねたりする。

 つまり脳の中には、無数の暗示が詰めこまれていて、
それが私たちを裏から操る。
それを私たちは、「私の意識」と思いこんでいる。
・・・だけ。

 意識には、そういう問題も隠されている。

●私の死

 そこで再び、「死」について考える。

 脳の中の意識は、脳細胞の中を走り回る電気的信号の
集合でしかない。
人間が霊的(スピリチュアル)な存在でないことは、認知症
か何かになった老人を見れば、わかる。
脳の機能が低下すれば、思考力も低下し、ついで、
意識の力も弱体化する。
「私」すら、わからなくなる老人も多い。

 人間が霊的な存在であるなら、脳の機能に左右
されるということは、ありえないはず。

 で、その電気的信号が止まったら、どうなるか。
それが「肉体の死」ということになる。

●すべてが消える

 「死」についての説明は、これでじゅうぶんかも
しれない。
結論的を先に言えば、私たちは死によって、意識を
失う。
意識の連続性を失う。
だからこの大宇宙を意識している「私」すら、消滅する。
つまりこの大宇宙もろとも、消えてなくなる。
あなたが深い眠りの、そのまた数万倍、深い眠りに
陥った状態を想像してみればよい。
夢を見ることもない、深い眠りである。

(それでも、微量の意識は残るが・・・。)

 それが「死」に近い状態ということになる。 

 では、「私」とは何か。
つまりそれが「意識」ということになる。
「意識の連続性」ということになる。

●意識

 結論は、もう出ている。
「意識」イコール、「私」。
「私」イコール、「意識」ということになる。

 が、「意識」だけでは足りない。
「私」を意識するためには、繰り返すが、そこに
「連続性」がなければならない。
意識だけなら、空を舞う蚊にすら、ある。
あの蚊に、「私」という意識があるとは、とても
思えない。

 しかしその「私」は、努力によっていくらでも
大きくすることができる一方、ばあいによっては、
犬やネコどころか、虫のそれのように小さく
してしまうこともありえる。

 人間は平等とはいうが、こと意識に関しては、
平等ということはありえない。
深い、浅い、の差はある。
またその(差)は大きい。
その(差)は努力によって決まる。

 そうした努力を、釈迦は、「精進(しょうじん)」
という言葉を使って説明した。

●生命の伝達

 そこで生きている人間の最後の使命はといえば、
「生命の伝達」ということになる。
「意識の伝達」と言い換えてもよい。

 再び映画『スタートレック』の話に戻る。
もし肉体の転送だけだったら、別の肉体をもう一個、
作っただけということになる。
あなたのコピー人間を作っただけということになる。

 そこで当然、意識の伝達が、重要な要素となる。
そうでないと、転送先で、それぞれが、何をしてよいか
わからず、混乱することになる。
本人も、どうして転送されたのかも、わからなくなって
しまうだろう。
与えられた使命すら、忘れてしまうかもしれない。
あなたに接する、相手も困るだろう。

(映画『スタートレック』の中では、この問題は
解決されているように見える。
しかしどういう方法で意識の連続性を保っているのか?
たいへん興味がある。)

 そこで私たちは、生きると同時に、つねに意識の
伝達に心がけなければならない。
その意識の伝達があってはじめて、私たちは、
生命を、つぎの世代に伝えることができることになる。

●意識の消滅

個人の意識が途切れることは、こうした生命の
流れの中では、何でもないこと。
今、あなたが感じている意識しにしても、
あなたのほんの一部でしかない。

あなたの数10万分の1、あるいはそれ以下かも
しれない。
そんな意識が途切れることを恐れる必要はない。

●意識の伝達

それよりもすばらしいことは、あなたの生命が、
日々に、ほかの生物へと伝わっていること。
あなたの子どもに、でもよい。
ほかの生物が、日々にあなたを作りあげていくこと。
そうした生物ぜんたいの一部として、私がここにいて、
あなたがそこにいること。

 つまりあなた自身も、無数の意識の連続性の中で
今を生き、そして無数の連続性を、かぎりなく
他人に与えながら、今を生きている。

●肉体の死

死ぬことを恐れる必要はない。
たとえばあなたはトイレで便を出すことを恐れるだろうか。
そんなことはだれも恐れない。
しかしあの便だって、ほんの1週間、あるいは1か月前には、
あなたの(命)だった。
その命が、便となり、あなたから去っていく。
また別の命を構成していく。

●意識の死

 肉体は、1年程度で、すべて入れ替わる。
ただ同じように、意識も、そのつど入れ替わる。
このことは、1年とか、2年前、さらには10年前に書いた自分の文章を
読んでみればわかる。
ときに「1年前には、こんなことを書いていたのか?」と驚くことがある。
あるいは自分の書いた文章であることはわかるが、まるで他人が書いた文章の
ように感ずることもある。

 さらに最近に至っては、まるでザルで水をすくうように、知識や知恵が、
脳みその中から、ざらざらとこぼれ落ちていくのがわかる。
それを知るたびに、ぞっとすることもある。

 若い人たちには理解できないことかもしれないが、現在、あなたがもっている
知識や知恵にしても、しばらく使わないでいると、どんどんと消えてなくなって
いく。
ついでに、意識も、それに並行して、どんどんと変化していく。
何も、肉体の死だけが死ではない。
意識、つまり精神ですら、つねに生まれ、そしてつねに死んでいる。

●死とは

もし「死」が何であるかと問われれば、それは
意識の連続性の(途切れ)をいう。
しかし心配無用。
あなたの意識は、(思想)として、残すことができる。
たとえば今、あなたは私の書いたこの文章を読んでいる。
その瞬間、私の意識とあなたの意識はつながる。
私はあなたと、同じ意識を共有する。
たとえそのとき、私という肉体はなくても、意識は
残り、あなたに伝えられる。

●重要なのは、意識の連続性

 反対に、こうも考えられる。
仮に肉体は別々でも、そこに意識の連続性があれば、「私」ということに
なる。

 では、その意識の連続性は、どうすれば可能なのか?

 ひとつの方法としては、SF的な方法だが、他人の意識を、自分の脳の
中に注入するという方法がある。
もっと簡単な方法としては、どこかのカルト教団がしているように、たがいに洗脳
しあうという方法もある。

 が、自分の肉体にさえこだわらなければ、今、こうして私が自分の意識を
文章にする方法だって、有効である。
この文章を読んだ人は、肉体的には別であっても、またほんの一部の意識かも
しれないが、そこで意識を共有することができる。
それが意識の連続性につながる。

 つまりこうして「私」は、無数の人と、意識の連続性を作り上げることに
よって、自分の「生命」を、そうした人たちに残すことができる。
もちろんそうした人たちも、また別の人たちと連続性を作り上げることに
よって、自分の「生命」を、そうした人たちに残すことができる。

 人間は、こうして有機的につながりながら、たがいの生命を共有する形で、
永遠に生きる。
つまり「死」などは、存在しない。
繰りかえすが、個体として肉体の「死」は、死ではない。

●時空を超えて

さらに言えば、私という肉体はそのとき、ないかもしれない。
しかし時の流れというのは、そういうもの。
一瞬を数万年に感ずることもできる。
数万年を一瞬に感ずることもできる。
長い、短いという判断は、主観的なもの。
もともと時の流れに、絶対的な尺度など、ない。

 寿命があと1年と宣告されても、あわてる
必要はない。
生き方によっては、その1年を100年にする
こともできる。
(年数)という(数字)には、まったく意味がない。

●大切なこと

大切なのは、今、この瞬間に、私がここにいて、
あなたがそこにいるという、その事実。

あなたの意識は、あなたの肉体の死とともに
途切れる。
しかしその意識は、かならず、別のだれかに
伝えられる。
こうしてあなたは、べつのだれかの中で、
生き返る。
それを繰り返す。

そこで大切なことは、本当に大切なことは、
よい意識を残すこと。
伝えること。
それが私たちが今、ここ生きている、最大の目的
ということになる。

●もう恐れない

さあ、もう死を恐れるのをやめよう。
死なんて、どこにもない。
私たちはこれからも、永遠に生きていく。
姿、形は変わるかもしれないが、もともと
この世のものに、定型などない。
人間の形だけが、「形」ではない。
また私たちの姿、形が、ミミズに変わったとしても、
ミミズはミミズで、土の中で、結構楽しく
暮らしている。
人間だけの判断基準で、ほかの生物を見ては
いけない。

そうそう犬のハナのした糞にさえ、ハエたちは
楽しそうに群がっている。
それが生命。

●日々に死に、日々に生まれる

私たちが日々に生き、日々に死ぬことさえわかれば、
最後の死にしても、その一部にすぎない。
何もこわがらなくてもよい。
あなたは静かに目を閉じるだけ。
眠るだけ。
それだけで、すべてがすむ。

あなたはありとあらゆる生物の(輪)の中で
生きている。
あなたが死んでも、その輪は残る。
そしてあなたはその輪の中で、この地球上に生命が
あるかぎり、永遠に生きる。

しかしそれとて何でもないこと。
なぜならあなたはすでに、毎日、日々の生活の
中で、それをしている。
繰りかえしている。

あとはその日まで、思う存分、生きること。
あなたという意識を、深めること。
つぎにつづく人や生物たちが、よりよく生きやすく
するために……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 生命論 意識論 生命の連続性 090907)

(補記)
一気に書き上げた文章なので、随所に稚拙な部分、わかりにくい部分があるかもしれない。
今はこのままにし、しばらく時間をおいてから、推敲してみたい。
(文章の一部からでも、何かを感じとってもらえれば、うれしい。)

要するに私は、この原稿の中で、「死」を(肉体の死)と(意識の途切れ)に
分けて考えてみた。
肉体の死については、何も「死」だけが死ではない。
私たちは、毎日、死に、そして生まれ変わっている。
意識にしても、そうだ。

そこで重要なのは、(意識の途切れ)ということになる。
たしかに死によって、私たちの意識はそこで途切れるが、
だからといって、それで(意識)が死ぬわけではない。

現に今、あなたはこの文章を読んでいる。
読んだとたん、私の意識は、あなたの中に伝達されることになる。
あなたの中で生きることになる。
そして今度は、あなたは私の意識を土台に、さらに自分の意識を
発展させる。
こうして意識もまた、永遠に、生き残っていく。

そこで「死など、恐れる必要はない」と書いたが、それにはひとつの
重要な条件がある。
それは「今を、懸命に生きること」。
とことん懸命に生きること。
過去にしばられるのも、よくない。
明日に、今日すべきことを回すのも、よくない。
要するに、「死」に未練を残さないこと。
とことん燃やしつくして、悔いを明日に残さないこと。
あなたが今、健康であっても、またそうでなくても、だ。
それをしないでいると、死は、恐ろしく孤独なものになる。
人間は、基本的には、その孤独に単独で耐える力はない。

……と書きつつ、これは私の努力目標である。
いろいろ迷いや不安はあるが、とにかくその目標に
向かって進んでいくしかない。









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23
●兄

●2009年9月4日

+++++++++++++++++++++++
古里と決別した。
実家を売り払い、家財を処分した。
かなりのモノが残ったが、それはそのままにしておいた。
つぎに入居する人のための、置き土産。
+++++++++++++++++++++++

●損論

 わずかな財産だった。
モノは山のようにあったが、お金にはならなかった。
数十枚もあった着物が、全部で、たったの2万円。
漆(ウルシ)塗りの食器も、10数箱もあったが、一部を除いて、近所の人に
分けてやった。
「ほしい方はどうぞ!」と書いたら、みなが、もち帰っていった。
中には、大きな袋に入れて、もち帰っていった人もいた。
 損?
損といえば、損。
が、私がした損は、そんなものではない。
たとえて言うなら、数千万円も損をした人が、10万円や20万円の損に
こだわるようなもの。
それよりも私は、実家のことで、自分の人生そのものを、犠牲にしてしまった。
失われた時間は、戻ってこない。
その「損」と比べたら、10万円や20万円の損など、なんでもない。
それよりも私は、こうして実家から解放された。
その解放感のほうが、うれしい。

金銭的な価値で計算することはできないが、今から20年も前だったら、
1億円でも高くない。
つまりあのとき、だれかが、「1億円出してくれたら、お前の重荷を代わりに担いで
やる」と言ったら、私は1億円を出しただろう。
そのときすでに私は、合計すれば、それ以上のお金を、実家に貢いでいた。

●財産

 私はそうした財産を処分しながら、何度もこう思った。
祖父の時代から、父の時代。
そして兄の時代へと、3代つづいた自転車店だったが、その「3代」で、残ったものは、
何だったのか?、と。
ときどき、祖父や父や兄たちが、必死になって守ろうとしてきたものは、
何だったのか?、と。

35坪足らずの土地に、古い家屋。
私はその家で生まれ育ったが、その私だって、何だったのか?、と。
わかりきったことだが、モノ、つまり財産のもつ虚しさを、改めて感じた。

●未練

 ワイフも、私の意見とまったく同じだった。
故郷を自分の中から消すということは、一度、自分自身を、(無)に
しなければならない。
未練が残ったら、故郷を消すことはできない。
そのときもし、実家に残っているモノを見ながら、そこに自分の過去を
重ねるようなことをすれば、故郷を去ることはできない。
何もかも棄てるというのは、そういう意味。

「惜しい」と思ったとたん、それは未練に変わる。
未練が残れば、前に向かって歩けない。
未練は、心を、うしろ向きに引っ張る。
だから心の中を、一度、無にする。

ある女性は、漆の食器を、大きな袋に詰めながら、私にこう聞いた。
「本当にいいのですか?」と。
つまり「本当に、もらってもいいのですか?」と。
私はそのつど、笑みを浮かべながら、「どうぞ」「どうぞ」を、繰り返した。
買えば、一個、1万円はくだらない。
お椀の模様にしても、手彫りで、その溝に、金箔が埋め込んである。
それがつぎつぎと消えていくのを見ながら、私はある種の快感を覚えていた。
言うなれば、古里を蹴飛ばすような快感だった。

●夢

 その翌朝。
つまり今日、私は兄の夢を見た。
私は実家のあるゆるい坂道を、実家に向かって歩いていた。
そのときふと横を見ると、兄がいっしょに歩いていた。
ニコニコと笑っていた。
うれしそうな顔だった。
黄色いTシャツを着ていた。
私は、兄を、右手で抱いた。
兄といっても、いつからか、私の弟のようになっていた。
小さな体に、頼りない顔をしていた。

 私は兄に、こう言った。
「仇(かたき)は、取ってやったぞ」と。
それを聞いて、兄は、さらにうれしそうに笑った。
私は夢の中だったが、涙で目がうるんだ。

●家の奴隷
 
 兄は、一家の主人というよりは、家の奴隷だった。
母にしばられ、家にしばられ、社会を知ることもなく、この世を去った。
生涯において、母は、兄を、内科以外の病院へは連れていかなかった。
無知というよりは、兄を「家の恥」と考えていた。

 晩年、母の認知症が進んだこともあり、(実際には、老人性のうつ病だったかも
しれない)、兄は母の虐待を受けるようになった。
一度、ワイフと2人で実家を見舞うと、兄は、何が悲しかったのか、
私の顔を見るやいなや、ポロポロと、大粒の涙をこぼした。
私はその涙を、私のハンカチで拭いてやった。

 今にしてみれば、唯一の、それが、心残りということになる。
どうしてあのとき、私は兄を浜松へ連れてこなかったのか。
その気になれば、それができたはず。
あのときを思い出すたびに、胸が痛くなる。

が、迷ったのには、それなりの理由がある。
兄には、おかしな性癖があった。
私の目を盗んでワイフに抱きついたり、ワイフの入浴中に、風呂の中に、
勝手に入ってきたりした。
その性癖を、兄は、自分ではコントロールできなかった。

●総決算

 その兄の夢が、私の人生の総決算かもしれない。
実家への思いを、それで断ち切ることができた。
兄も、それで断ち切ることができた。
一抹のさみしさがないと言えば、ウソになる。
しかしそれ以上に、実家から解放されたという(ゆるみ)のほうが、
大きい。
長い旅が終わって、気が抜けたような状態。
緊張感そのものが、消えた。
私はその陶酔感に浸りながら、何度も何度も、肩の力が抜けていくのを覚えた。

●世間体

 母は母で苦しんだ。
それはわかる。
しかし母の人生観が、ほんの少しちがっていたら、その(苦しみ)の
中身もちがっていたことだろう。
私たちの人生も、大きく変わっていたことだろう。
母が悪いというよりは、母はあまりにも通俗的だった。
自分の人生というよりは、「世間体」の中で生きていた。
いつもそこに他人の目を気にしていた。
その通俗性の中で、母は、自分を見失ってしまっていた。

 通俗的になればなるほど、何が大切で、何がそうでないか、それがわからなくなる。
晩年の母は、仏具ばかり磨いていたが、私はそこに、哀れさというよりは、
もの悲しさを感じていた。

●「まんじゅう……1個、80円」

 実家を整理しているとき、兄の残したノートが出てきた。
その1ページに、「まんじゅう……1個、80円」とあった。
その日、どこかでまんじゅうを1個買って、食べたらしい。
それが80円、と。

 それを見たとき、ぐいと胸がふさがれるのを感じた。
貧しい生活。
慎ましやかな生活。
1個80円のまんじゅうまで、ノートに書きとめていた。

 それをワイフに話しながら、ふと、こう漏らした。
「ぼくたちのしたことは、まちがっていなかったね」と。

 母は、そのつど、私から、お金を(まきあげていった)。
額は計算できないが、相当な額である。
そういったお金は、実家の生活費だけではなく、母の実家へと流れていった。
もう一か所、別のところへ流れていき、残ったお金は、母の通帳の中へと消えた。
10数年ほど前だが、現金だけで、母は、3000〜4000万円程度は
もっていたはず。
 
 その一部を、兄は母からもらいうけ、それでまんじゅうを買って食べていた。
兄は生涯にわたって、給料らしい給料を手にしたことはなかった。
いつも「小遣い」と称して、小額のお金を、母から受け取っていた。
それだけ。

 兄は、自閉傾向(自閉症ではない)はあったかもしれないが、頭はよかった。
65歳で私の家に来たときも、小学3〜4年生の算数の問題を、スラスラと
解いてみせた。

●のろわれた家系

 母が守ったものは、何だったのか。
守ろうとしたものは、何だったのか。
よくわからないというより、あまり考えたくない。
母は母で、自分の人生を懸命に生きた。
それが正しいとか、正しくないとか、そういう判断をくだすこと自体、まちがっている。
母は母でよい。

 が、全体としてみれば、「林家」は、(「家(け)」と家付けで呼ぶのも、
おこがましいが)、(のろわれた家系)である。
ひとつの例外もなく、どの家族も、深い不幸を背負っている。
みな、それぞれ、必死にそれを隠し、ごまかしている。
が、人の口には戸は立てられない。
他人は気づいていないと思っているのは、本人たちだけ。
みな、知っている。
知って、知らぬフリをしている。

●象徴

私には、その象徴が、兄だったように思う。
いつしか兄が、そうした不幸を、一身に背負っているように感じるようになった。
だから兄が死んだときも、その通夜のときも、私はうれしかった。
兄が死んだことを喜んだのではない。
私以上に、重い苦しみを背負い、兄は、もがいた。
健康でそれなりの仕事をしている私だって、苦しんだ。
兄の感じた苦しみは、私のそれとは比較にならなかっただろう。
「家」という呪縛感。
重圧感。
母の異常なまでの過干渉と過関心。
それでいて、それに抵抗する力さえなかった。
つまり兄は、死ぬことで、その苦しみから解放された。
自分の運命に翻弄されるまま、またその運命と闘う力もないまま、この
世を去っていった。

最後は、やらなくてもよいような治療を受け、体中がズタズタにされていた。
食道や胃に穴をあけ、そこから流動食を流し込まれていた。
動くといけないからと、体は、ベッドに固定されたままだった。

 一度、見舞いに行くと、私の声とわかったのか、目だけをギョロギョロと
左右に振った。
三角形の小さな目だった。

 兄は死ぬことで、その苦しみからも解放された。
私はそれがうれしかった。

が、それだけではない。

●犠牲になった兄

兄は、林家にまつわる(のろい)を、一身に背負っていた。
いや、私が兄だったとしても、何も不思議ではない。
兄が、私であったとしても、何も不思議ではない。
たまたま生まれた順序がちがっていただけ。

で、もし反対の立場になっていたら……。
あの兄なら、私のめんどうをみてくれたことだろう。
収入の半分を、私に分け与えてくれただろう。
兄は、私より、ずっと心の温かい、やさしい人間だった。
その兄が(のろい)のすべて背負って、あの世へ旅立ってくれた。
私はそれがうれしかった。
だから祭壇に手を合わせながら、私はこうつぶやいた。
「準ちゃん(=兄名)、ありがとう」と。

●礼の言葉

 葬儀が終わったとき、私は参列者にこう言った。
「今ごろ、兄は、鼻歌でも歌いながら、金の橋を、軽やかに渡っているはずです」と。
それについて、その直後に、寺の住職が、「そういうことはまだです。
四九日の法要が終わってから決まることです」と言った。
つまり「まだ、極楽へ渡ってはいない」と。

 もともと『地蔵十王経』という偽経を根拠にした意見だが、何が四九日だ!
私の人生は61年。
兄の人生は69年。
アホな「十王」どもに、人生の重みがわかってたまるか!

 兄は、あの夜、まちがいなく、金の橋を渡って、極楽へと旅立った。

●終焉

 こうしてあの「林家」は、終わった。
が、すべてがハッピーエンドというわけではない。
問題は残っている。
残っているが、これからはそのつど、蹴飛ばしていけばよい。
私の知ったことではない。
いまさら誤解を解きたいなどとは思わない。

●運命

最後に、これだけは、ここで自信をもって言える。
もしあなたが運命に逆らえば、運命は、キバをむいてあなたに
襲いかかってくる。
しかし運命というのは、一度受け入れてしまえば、向こうから尻尾を
巻いて逃げていく。
もともと気が小さくて、臆病。
そこに運命を感じても、おびえてはいけない。
逃げてはいけない。
受け入れる。
そしてあとはやるべきことをやりながら、時の流れに身を任す。
あとは必ず、時間が解決してくれる。

 つまりこうして今まで、おびただしい数の人の人生が流れた。
あたかも何ごともなかったかのように……。

 準ちゃん、ぼくももうすぐそちらへ行くからな。
またそこで会おう!

(補記)(のろい論)

 私はここで(のろい)という言葉を使った。
しかしスピリチュアル(=霊的)な、のろいをいうのではない。
ひとつの大きな運命が、つぎつぎと別の運命の糸を引き、ときとして
それぞれの家族を、翻弄する。
それを私は、(のろい)という。
ふつうの不幸ではない。
ふつうの不幸ではないから、(のろい)という。
が、それは偶然によるものかもしれない。
たまたまそうなっただけかもしれない。
しかし私はそうした(不幸)に間に、一本の糸でつながれた、
運命を感ずる。

 それについて書くのは、ここではさしひかえたい。
まだ生きている人も多いし、みな、それぞれの運命を引きずりながら、
懸命に生きている。
私とて例外ではない。
ある時期、私は、心底、そっとしてほしいと願ったときもあった。
けっして、問題から逃げようとしたわけではない。
どうにもならない袋小路に入ってしまい、身動きできなくなってしまった
ときのことだった。

 しかしそういうときにかぎって、事情も知らないノー天気な人たちが、
あれこれと世話を焼いてくる。
わずか数歳、年上というだけで、年長風を吹かしてくる。
その苦痛には、相当なものがある。
私はそれを身をみって、体験した。

 だから、……というわけでもないが、もしその人が、今、苦しんで
いるなら、そっとしておいてやることこそ、重要ではないか。
もちろん相手が求めてくれば、話は別。
そうでないなら、そっとしておいてやる。
それも気配りのひとつ。
思いやりのひとつ、ということになる。







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24
●本音と建前

+++++++++++++++++++

学生時代、オーストラリアの人たちはみな、
私に親切だった。
あの人口300万人と言われたメルボルン市でさえ、
日本人の留学生は、私、1人だけ。
もの珍しさもあったのかもしれない。

が、あるとき、どういうきっかけかは覚えていないが、
こう感じたことがある。
「友人としてつきあう分については、そうかもしれないが、
一線を越えたらそうではないだろうな」と。

++++++++++++++++++++++

●社会的距離尺度(ボガーダス)

 たとえば(結婚)。
(友人)としての範囲なら、親しく接してくれるオーストラリアの人たち。
しかしその範囲を越えて、たとえば(結婚)となったら、どうだろうか。
当時の状況からして、それはありえないことだった。

 1970年当時、白豪主義は、残っていた。
日本人は、まだ第二級人種と位置づけられていた。 
仮に相手がオーストラリア人であっても、第二級人種と結婚したばあい、
そのオーストラリア人も、第二級人種に格下げされた。

 こうした距離感を、「社会的距離尺度」(ボガーダス)という。
つまり表面的には受容的であっても、内面では、否定的。
その距離感のことをいう。
日本的に考えれば、(本音)と(建前)ということになる。

●心の遊び

 日本人には、うつ病の人は少ないと言われている。
その理由のひとつに、日本人の心がダブル構造になっていることが
あげられる。
(本音)と(建前)というのが、それ。
表と裏を、うまく使い分ける。
それが心に穴をあける。

 一方、それに比較して、欧米人は、なにごとにつけ、ストレート。
日本的に本音と建前を使い分けると、「うそつき」というレッテルを
張られる。
その分だけ、心の(遊び)がない。
だからうつ病になりやすい。

●本音で生きる

 が、できれば、日本人の私たちも、できるだけ本音で生きるように
したい。
本音と建前を分ければ分けるほど、外から見ると、訳の分からない民族
ということになる。
その典型的な例というわけでもないが、よく話題になるのが、日本人の
(笑い)。

 よく電車に乗り遅れたような人が、プラットフォームで苦笑いするような
ことがある。
ああした(笑い)は、欧米人には理解できないもの。
最近ではぐんと少なくなったが、デッドボールを当てたピッチャーが苦笑いを
するのもそれ。

 内心と表情が、別々の反応を示す。
いやなヤツと思っていても、ニコニコと笑いながら接する。
そういう場面は多い。
しかしそういう生き様は、時分自身を見苦しくする。
あとで振り返っても、後味が悪い。

●「自分の心を偽るな!」

 平たく言えば、「どうすれば社会的距離尺度を、短くすることが
できるか」ということ。
で、私はここ1年ほど、子どもたちを指導しながら、こんなことに
注意している。

 幼稚園の年中児でも、「君たちは、おっぱいが好きか?」と聞くと、
みな、恥ずかしそうな顔をして、こう言う。
「嫌いだよ〜」「いやだよ〜」と。

 そこですかさず私は、真顔で、子どもたちを叱る。

「ウソをつくな!」「好きだったら、好きと言え!」
「自分の心を偽るな!」と。

 2、3度、真剣にそう叱ると、子どもたちはみな、
「好きだよ〜」と、小さな声で答える。
つまり日本人独特の、本音と建前は、こうして生まれ、
子どもたちの心に根付く。
(少し大げさかな?)

●本音で生きよう

 本音で生きるということは、勇気がいる。
しかしその分だけ、人生がわかりやすくなる。
すがすがしくなる。

 自分を飾ったり、ごまかしても、後味が悪いだけ。
どうせ一回しかない人生。
だったら、思う存分、本音で生きてみる。
ものを書く立場で言うなら、ありのままをありのままに書く。
こう書くからといって、誤解しないでほしい。
読者あっての(文章)だが、私は、読者など、もうどうでもよい
とさえ思っている。
読んでくれる人がいるなら、それでよし。
読んでくれなくても、どうということはない、と。

 どう判断されようが、私の知ったことではない。
大切なことは、こうして懸命に生きている人間がいること、
……過去にいたことを、何らかの形で、だれかに伝えること。
それができれば、御の字。
それ以上、何を望むことができるか?

 話はそれたが、本音で生きるということには、そういう意味も
含まれる。
余計なことかもしれないが……。







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25
●意識vs無意識

++++++++++++++++++++++

 簡単に説明してみよう。
まず、意識を、(意識)と(無意識)に分ける。
今どき、こんな単純な分け方をする人はいないが、ここではそうする。

 つまり(今、意識している意識)を、(意識)という。
それに対して、意識できない意識、それを(無意識)という。
(意識)というのは、わかりやすい。
今、あなたは考えたり、思ったりしていることが、(意識)ということになる。
では、無意識とは何か。
それがわかりにくい。
平たく言えば、それ以外の、表に出てこない意識を、(無意識)という。

 これを簡単に図示すると、つぎのようになる。

――――
意識
====
無意識
――――

意思として自覚する(意識)。
意識として自覚しない(無意識)。
今は、そう考えて、話を先に進める。

ここで、それぞれの強弱を、仮に3段階に分けてみる。

するとそれぞれの組み合わせは、9通りになる。
(意識が強くて、無意識が強い人)、(意識が強くて、無意識が中くらいの人)、
(意識が強くて、無意識が弱い人)……、と。

その中でもわかりやすいのを、3通り、ここに書き出してみる。

(1)(意識・強)−(無意識・強)……精神力の強固な人
(2)(意識・中)−(無意識・中)
(3)(意識・弱)−(無意識・弱)……精神力の軟弱な人

そこでさらに一歩、話を進めてみる。
たとえば(意識が強くて、無意識が弱い人)と、反対に(意識が弱くて、
無意識が強い人)を考えてみる。

(4)(意識・強)−(無意識・弱)……臨機応変に自由に行動できる人
(5)(意識・弱)−(無意識・強)……がんこで、融通がきかない陽と

 たとえば、たいへんがんこな子どもがいる。……いたとする。
一度、こうと言い出したら、テコでも動かなくなるタイプである。
たとえばこんな子ども(年中児)がいた。

 幼稚園でも、自分の座る席が決まっていた。
それ以外の席には、座らなかった。
先生がいくらていねいに指導しても、「ぼくは、この席!」と譲らなかった。

 ズボンもそうだった。
毎日、幼稚園へはいていくズボンが決まっていた。
「青いズボン」と決めると、毎日、そればかりをはいて、幼稚園へ出かけた。
母親が、いくらほかのずぼんを勧めても、それは、はかなかった。

 こうした(こだわり)は、自閉傾向(自閉症児のことではない)のある子どもに、
共通して見られる症状である。
いわゆる(根性)とちがうところは、(理由)がないということ。
理由もなく、「この席でないといやだ」とか、「青いずぼんでないといやだ」とか言って、
カラにこもる。

 このタイプの子どもは、(意思の力)というよりも、その子どもを裏から操る、
(無意識の力)のほうが、強いということになる。
先の分類法によれば、(5)の(意思・弱)−(無意識・強)というのが、それに当たる。

●(意識・強)−(無意識・弱)

 反対に、意識が強く、無意識の力が弱いばあいは、どうか。

 このばあいは、意識できる意思が強く、無意識の世界からの影響を受けないので、
臨機応変に、自分で考えて、自由に行動する。
無意識の世界から、いろいろな命令があがってきたとしても、それすらも、自分の
意思でコントロールしてしまう。

 ただ誤解していけないことは、無意識の力が弱いからといって、それだけ無意識の
世界が狭いということではない。
脳のもつキャパシティは、同じと考えてよい。

●発達段階

 これらのことは、子どもの発達段階を観察してみると、納得がいく。

 いわゆる3〜4歳期の、幼児期前期の子どもを観察すると、(言われたことをきちん
と守る)という習性があるのがわかる。
何か母親が言ったりすると、「幼稚園の先生がこう言ったから」と、かたくなに
言い張ったりする。
最初にきちんとした形で入った情報を、絶対的と思い込む。

 そのため、この時期は、(しつけ)がしやすい。
エリクソンは、「自律期」と呼んでいるが、それはそういう理由による。

 しかしその幼児でも、満4・5歳を過ぎると、なにごとにつけ、急に反抗的に
なってくる。
母親が、「新聞をもってきて!」などと言うと、「自分のことは自分でしな」などと
言い返したりする。

 つまり(決められたこと)を、自由な意思で、コントロールするようになる。
上記の分類法によれば、(4)の(意識の力が強くなり)−(無意識の力が弱くなった)
状態を考えればよい。

●思考の融通性

 思考の融通性は、(意識の力)と(無意識の力)の強弱によって決まる。
意識の力が強く、無意識の力が弱ければ、融通性があるということになる。
これを(a)の人と呼ぶ。

 反対に、意識の力が弱く、無意識の力が強ければ、融通性がきかなくなる。
ものごとに、よりこだわりやすくなる。
これを(b)の人と呼ぶ。

 が、それはあくまでも相対的な力関係に過ぎない。
意識の力が弱い人でも、さらに無意識の力が弱ければ、融通性のある人ということに
なる。
このばあいは、軟弱な印象を、人を与える。
覇気がない。
何か指示すると、だまってそれに従ったりする。
同じ融通性がある人といっても、(a)の人のような、強い意識の力を感ずることはない。

●応用

 この分類法を使うと、子どもの様態が、より明確に区分できるようになる。

 たとえば、かん黙児の子どもについて言えば、(意識の力が弱く)−(無意識の力
が強い)ということから、上記(5)のタイプの子どもと位置づけられる。

 反対に、AD・HD(注意力欠陥型多動性児)のばあいは、(意識の力が強く)−
(無意識の力が弱い)ということから、上記(4)のタイプの子どもと位置づけられる。

 このことは年齢を追いかけながら、子どもを観察してみると、よくわかる。
たとえばかん黙児の子どもにしても、AD・HD児にしても、加齢とともに、症状が
緩和されてくる。
自己管理能力が発達し、自分で自分をコントロールするようになるためである。

 で、そのとき、かん黙児の子どもにしても、(がんこさ)はそのまま残ることは多い。
一方AD・HD児のばあいは、もちまえのバイタリティが、よいほうに作用して、
自由奔放な子どもになることが多い。
モーツアルト、チャーチル、エジソン、さらには最近では、あのアインシュタインも、
子どものころ、AD・HD児だったと言われている。

●無意識の世界

 話はぐんと変わるが、ダメ押し的な補足として、こんなことを書いておきたい。

 催眠術という「術」がある。
あの催眠術を使って、被験者に、たとえば「あなたはキツネになった」と暗示をかけると、
あたかもキツネになったかのように、ピョンピョンとはねたりする。
こうした現象は、(意識の世界)が、(無意識の力)に支配されたことによって起こると
考えると、わかりやすい。

 意識の世界で、いくら「私はキツネではない」と思っても、無意識の力の前では、
無力でしかない。
それだけ無意識の世界の力が強力であるとも考えられるが、言い換えると私たちは、
意識の力と、無意識の力の、絶妙なバランスの上で行動しているということになる。

 意識の力だけで行動していると思っても、常に無意識の力の影響を受けている。
しかし意識の力だけで行動しているわけではない。
無意識の力だけで行動しているのでもない。

 それをわかりやすくするために、上記(1)〜(5)の仮説を立ててみた。
「私」をよりよく知るための、ひとつのヒントにはなる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 無意識 意識 意識vs無意識論 意識の強弱)







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●子どもは、家族の「代表」

++++++++++++++++++++

子どもは、家族の「代表」。
代表にすぎない。
今では、それは、常識。
子どもに何か問題があったとしても、
それは子どもだけの問題ではない。
家族全体の問題。
そのように、考える。
またそのように考えないと、子どもの問題は
解決しない。

しかしそれだけでは足りない。
足りないという話を、今までの経験を交えながら
書いてみたい。

+++++++++++++++++++

●優等生

 その母親(当時60歳)は、自分の息子(33歳)をさして、「うちの子ほど、
すばらしい息子はいない」と言った。
自分の息子をさして、「すばらしい」と言う親は、珍しい。
外国では多いが、日本では珍しい。
そこで私はその息子氏に会ってみたくなった。
が、その日は、その直後にやってきた。

 ある葬儀に出たときのこと。
その息子氏は母親のそばに寄り添うように、そこに座っていた。
「ああ、これがあの息子か」と、私は思った。
思いながら、私はその息子氏にあれこれと話しかけてみた。

 が、第一印象は、言うなれば、完璧に近いほど、マザコン。
穏やかで、おとなしいが、覇気がなく、静か。
私が話しかけても、はにかむだけ。
満足な返事もない。
どこかの電気会社の下請け企業で、技術者として働いているということだった。

私「仕事はどう?」
息「うん、まあまあ」
私「暑いときは、たいへんだね」
息「うん、ふふふ……」と。

●同一性の確立

 親はそれぞれの思いをもって、子育てを始める。
自分の夢や理想、思いを子育てに凝縮させる。
自分なりの(子ども観)をもつ人も多い。
それ自体は、悪いことではない。

 が、親が思い描く子ども観を、子どもに押し付けてはいけない。
「求める」ことまではしても、押し付けてはいけない。
それが度を越すと、過干渉となる。

 その息子氏は、母親の過干渉で、人格そのものまで、押しつぶされてしまっていた。
思春期前期から、思春期にかけて、自我の同一性の確立に失敗した。
私は、そう判断した。
だから人格の「核」がない。
「この人は、こういう人だ」という(つかみどころ)を「核」という。
その「核」がない。

 軟弱で、ひ弱。
たしかに(いい人)だったが、それだけ。
面白みがない。
迫力もない。 

●過干渉

 原因は、ここにも書いたように、母親にあった。
口うるさい人だった。
葬儀の席だったが、そんなとことでさえ、こまごまとしたことを、矢継ぎ早に
指示していた。
「あの扇風機を、こちらに向けなさい」
「ざぶとんを、あの人に出しなさい」
「お茶をわかしてきなさい」と。
息子氏は、黙ってそれに従っていた。

 つまりこうした親子のリズムが、その息子氏をして、そのような息子にした。
が、ここで最大の問題は、息子氏のことではない。
母親自身にその自覚がないということ。
先にも書いたように、母親自身は、そういう息子を、「すばらしい子ども」と誤解して
いた。

●病識

 精神病の世界にも、「病気意識(病識)」という言葉がある。
「私はおかしい」「へんだ」と思っている人は、まだ症状が軽い。
しかし「私はだいじょうぶ」「何でもない」とがんばる人ほど、症状は重い。
まったく病識のない人さえいる。

 同じように、自分の子どもの問題点に気がついている母親は、まだよい。
指導ができる。
そうでない母親は、指導そのものが、できない。

 たとえば年中児(4〜5歳児)でも、親の過干渉が原因で、精神そのものまで
萎縮してしまったような子どもがいる。
けっして少なくない。
10人のうち、1人はいる。
程度の差も含めれば、10人のうち、2〜3人はいる。

しかしそういう子どもの親ほど、「うちの子どもはできがいい」と思い込んでいる。
またそういう子どもにしようと、無理をしている。
で、その一方で、ほかの子どもを、「できの悪い子ども」として、排斥してしまう。
自分の子どもから遠ざけてしまう。

●極端化

 小さな世界に閉じこもり、自分だけの世界で、子育てをする親がふえている。
以前はそれを「核家族」と呼んだ。
今は、「カプセル家族」と呼ぶ。

 このタイプの家族は、大きく2つに分けられる。

(1)親たち自身が高学歴で、外の世界の価値を認めない。
(2)親たち自身が低学歴で、外の世界の価値を理解できない。

 どちらであるにせよ、一度カプセルの中に入ってしまうと、その狭い世界で、
自分だけの価値を熟成させてしまう。
結果として、独善的になったり、社会から孤立化したりする。
これがこわい。

 一度カプセルの中に入ってしまうと、同じ過保護でも極端化する。
過干渉でも極端化する。
これが子育てそのものを、ゆがめる。

●A君(小2)の例

 A君は、幼児期のときは、まだ明るかった。
何かの勉強をしていても、楽しそうだった。
が、小学校へ入学したとたん、表情が暗くなった。
もともと勉強が得意ではなかった。
言葉の発達も遅れ気味だった。
そのため母親が、かかりっきりで、A君を指導した。
A君は、月を追うごとに、やる気をなくしていった。
私の教室でも、フリ勉(勉強をしているフリをする)、
ダラ勉(ダラダラと時間ばかりかけて、何もしない)、
時間つぶし(ほかの作業をして、時間をつぶす)などの症状が見られるようになった。

 こうなると、つまりこの時期に一度、こうなると、症状は、ずっとつづく。
「直る」のは、ほぼ不可能とみてよい。
(ますます勉強から遠ざかる)→(無理な家庭学習が日常化する)の悪循環の
中で、症状は、ますますひどくなる。
それ以上に、学校での学習量がふえる。
学校での勉強が追いかけてくる。
A君はその負担に、ますます耐えられなくなる。

●迷い
 
 こういうケースでは、親にそれを告げるべきかどうかで悩む。
親にそれだけの問題意識があればよい。
が、そうでないケースのほうが多い。
「まだ何とかなる」「うちの子にかぎって……」「やればできるはず」と。
それにこの時期、「過負担を減らしましょう」と言うことは、親にしてみれば、
「勉強をあきらめなさい」と言うに等しい。
親がそれを受け入れるはずがない。

 とても残念なことだが、親というのは、行き着くところまで行かないと、自分では
気がつかない。
これは子育てというより、家庭教育のもつ宿命のようなもの。
私の立場では、自分のできる範囲で、また自分の世界で、(最大限)、指導するしかない。
この世界には、『内政不干渉の大原則』という原則もある。

 で、実際問題として、この時期、それを親に告げると、私のほうにはその意図が
なくても、親は、「拒否された」ととる。
そのまま私のところを去っていく。

●いい子論

 話を戻す。
そんなわけで、「いい子論」は、家庭によって、みなちがう。
子育ての目標がちがうように、みなちがう。
冒頭に書いた息子氏について書く。

 母親は、かなり権威主義的なものの考え方をする人だった。
「親絶対教」の信者でもあった。
「先祖」「親孝行」という言葉をよく使った。
ものの言い方が威圧的で、一方的だった。
一見穏やかで、やさしそうな言い方をする人だったが、それは仮面。
息子氏や、ほかの娘たちが口答えでもいようものなら、烈火のごとく、それを叱った。
「親を粗末にするヤツは、地獄に落ちる」が、その母親の口癖だった。

 息子氏はそういう環境の中で、ますます萎縮していった。

 で、悲劇は、その数年後に起きた。
妻のほうが、一方的に離婚を宣言し、子どもを連れて、家を出てしまった。
息子氏の母親は、息子氏の妻(嫁)を、はげしくののしった。
が、そういう面もなかったとは言わない。
いろいろあったのだろう。
しかし離婚を宣言した妻の気持ちも、よくわかる。

 「あの息子と、あの姑(しゅうとめ)では、だれだって離婚したくなる」と、
私は、そのときそう思った。

●では、どうするか

 「まず、自分を知る」。
それが子育てにおいては、必須条件ということになる。
この世界では、無知は罪悪。
無知であることを、居直ってはいけない。

 そのためには、もしあなたの生活がカプセル化しているなら、風穴をあけ、
風通しをよくする。
もしそれでも……ということであれえば、私が用意した「ママ診断テスト」を
受けてみてほしい。
(私のHPより、「最前線の子育て論」→「ママ診断」へ。)
平均的な母親たちと、どこがどうちがうかを知ることができる。
平均的であればよいということにはならないが、自分の子育てを、ほかの人と
比較することはできる。

 つぎに、たとえば学齢信仰、学校神話、出世主義、権威主義に毒された子育て観を
改める。
世界も変わった。
世間も変わった。
しかし子育ての基本は、変わっていない。
子育ての基本は、1000年単位、2000年単位で、繰り返されるもの。
その原点に立ち返る。

 というのも、子どもというのは、子ども自身が自ら伸びる(力)をもっている。
あらゆる動物や、植物がそうである。
その(力)を信じ、その力を(引き出す)。
それが子育ての原点ということになる。
言うなれば、子育ての原理主義ということか。
しかし何かのことで迷ったら、そのつど原点に立ち返ってみる。
意外とその先に、「道」が見えてくるはず。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
子育ての原理主義 無知は罪悪 萎縮する子ども 過干渉 いい子論 はやし浩司 
よい子論 覇気のない子供 家族の代表 代表論 子供の問題)






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