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【老人心理】

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キューブラー・ロスの『死の受容段階論』は、よく知られている。
死を宣告されたとき、人は、(否認期)→(怒り期)→(取り引き期)
→(抑うつ期)→(受容期)を経て、やがて死を迎え入れるように
なるという。

このロスの『死の受容段階論』については、すでにたびたび書いてきた。
(たった今、ヤフーの検索エンジンを使って、「はやし浩司 死の受容段階」
を検索してみたら、113件もヒットした。)

で、またまた『死の受容段階論』(死の受容段階説、死の受容過程説、
死の受容段階理論などともいう)。

その段階論について、簡単におさらいをしておきたい。

●キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)

(第1期)否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病気は死
ぬほど重いものではないと否認しようとする。

(第2期)怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健康な
人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。

(第3期)取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引きを試
みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。

(第4期)抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。

(第5期) 受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の終わ
りを静かに受け入れる。(以上、同書より)

●老人心理

老人心理を一言で表現すれば、要するに、キューブラー・ロスの『死の受容段階論」に、
(第0期)を加えるということになる。

(第0期)、つまり、不安期、ということになる。

「まだ死を宣告されたわけではない」、しかし「いつも死はそこにあって、私たちを
見つめている」と。
不治の病などの宣告を、短期的な死の宣告とするなら、老後は、ダラダラとつづく、
長期的な死の宣告と考えてよい。
「短期」か「長期」かのちがいはあるが、置かれた状況に、それほど大きなちがいは
ない、。

ロスの説く、(第1期)から(第5期)まぜが混然一体となって、漠然とした不安感
を生みだす。
それがここでいう0期ということになる。
そしてそれが老人心理の基盤を作る。

●死の受容

死の宣告をされたわけではなくても、しかし死の受容は、老人共通の最大のテーマ
と考えてよい。
常に私たちは「死」をそこに感じ、「死」の恐怖から逃れることはできない。
加齢とともに、その傾向は、ますます強くなる。
で、時に死を否認し、時に死に怒りを覚え、時に死と取り引きをしようとし、時に、
抑うつ的になり、そして時に死を受容したりする。

もちろん死を忘れようと試みることもある。
しかし全体としてみると、自分の心が定まりなく、ユラユラと動いているのがわかる。

●「死の確認期」

この「0期の不安期」をさらに詳しく分析してみると、そこにもまた、いくつかの
段階があるのがわかる。

(1)老齢の否認期
(2)老齢の確認期
(3)老齢の受容期

(1)の老齢の否認期というのは、「私はまだ若い」とがんばる時期をいう。
若いとき以上に趣味や体力作りに力を入れたり、さかんに旅行を繰り返したりする時期
をいう。
若い人たちに対して、無茶な競争を挑んだりすることもある。

(2)の老齢の確認期というのは、まわりの人たちの「死」に触れるにつけ、自分自身
もその死に近づきつつあることを確認する時期をいう。
(老齢)イコール(死)は、避けられないものであることを知る。

(3)の受容期というのは、自らを老人と認め、死と共存する時期をいう。
この段階になると、時間や財産(人的財産や金銭的財産)に、意味を感じなくなり、
死に対して、心の準備を始めるようになる。
(反対に、モノや財産、お金に異常なまでの執着心を見せる人もいるが……。)

もっともこれについては、「老人は何歳になったら、自分を老人と認めるか」という問題も
含まれる。

国連の世界保健機構の定義によれば、65歳以上を高齢者という。
そのうち、65〜74歳を、前期高齢者といい、75歳以上を、後期高齢者という。
が、実際には、国民の意識調査によると、「自分を老人」と認める年齢は、70〜74歳が
一番多いそうだ。半数以上の52・8%という数字が出ている。(内閣府の調査では
70歳以上が57%。)

つまり日本人は70〜74歳くらいにかけて、「私は老人」と認めるようになるという。
そのころから0期がはじまる。

●「0期不安記」

この0期の特徴は、ロスの説く、『死の受容段階論』のうち、早期のうちは、(第1期)
〜(第3期)が相対的に強く、後期になると、(第3期)〜(第5期)が強くなる。

つまり加齢とともに、人は死に対して、心の準備をより強く意識するようになる。
友や近親者の死を前にすると、「つぎは私の番だ」と思ったりするのも、それ。
言いかえると、若い人ほど、ロスの説く(否認期)(怒り期)(取り引き期)の期間が
長く、葛藤もはげしいということ。

しかし老人のばあいは、死の宣告を受けても、(否認期)(怒り期)(取り引き期)の
期間も短く、葛藤も弱いということになる。
そしてつぎの(抑うつ期)(受容期)へと進む。

が、ここで誤解してはいけないことは、だからといって、死に対しての恐怖感が
消えるのではないということ。
強弱の度合をいっても意味はない。
若い人でも、また老人でも、死への恐怖感に、強弱はない。
(死の受容)イコール、(生の放棄)ではない。
老人にも、(否認期)はあり、(怒り期)も(取り引き期)もある。
それゆえに、老人にもまた、若い人たちと同じように、死の恐怖はある。
繰り返すが、それには、強弱の度合は、ない。

●死の否認期

第0期の中で、とくに重要なのは、「死の否認期」ということになる。
「死の否認」は、0期全般にわたってつづく。
が、その内容は、けっして一様ではない。

来世思想に希望をつなぎ、死の恐怖をやわらげようとする人もいる。
反対に、友人や近親者が死んだあと、その霊を認めることによって、孤独をやわらげ
ようとする人もいる。
懸命に体力作りをしたり、脳の健康をもくろんだりする人もいる。
趣味や道楽に、生きがいを見出す人もいる。

が、そこは両側を暗い壁でおおわれた細い路地のようなもの。
路地は先へ行けば行くほど、狭くなり、暗くなる。
そしてさらにその先は、体も通らなくなるほどの細い道。
そこが死の世界……。

老人が頭の中で描く(将来像)というのは、おおむね、そんなものと考えてよい。
そしてそこから生まれる恐怖感や孤独感は、個人のもつ力で、処理できるような
ものではない。
つまりそれを救済するために、宗教があり、信仰があるということになる。
宗教や信仰に、救いの道を見出そうという傾向は、加齢とともにますます大きくなる。

●老後の生きざま

死は恐怖そのものだが、おおまかに分ければ、その捕らえ方には2つある。
死を限界状況ととらえ、その中で、自分を完全燃焼させようとする捕らえ方。
これを「現世限界型」とする。
もうひとつは来世に希望をつなぎつつ、享楽的に生きようとする捕らえ方。
これを「来世希望型」とする。

これらは両極端な捕らえ方だし、その折衷的な生き方も当然、ある。
程度のちがいもある。
あるいはその2つの捕らえ方に、そのつど翻弄されながら生きる人もいる。
どうであるにせよ、老人心理は死と切り離しては考えられない。

●限界状況

現世限界型の人たちは、「死」を「消滅」ととらえる。
それを認識する肉体そのものが消滅するわけだから、当然のことながら、(個体の
死)イコール、(全宇宙の消滅)ということになる。
わかりやすく言えば、私たちは死ねば、この宇宙もろとも、消滅する。
あとかたもなく、消えてなくなる。

これに対して来世希望型の人たちは、死んでも魂(スピリッツ)は残り、それが
別の世界、あるいは同じこの世で、生まれ変わると考える。
輪廻思想もそのひとつ。
ほとんどの宗教は、来世に希望をつながせることで、魂の救済を図る。

というのも、どちらの型であるにせよ、死は恐怖以外の何ものでもない。
死の恐怖と闘うといっても、個人の力には、限界がある。
とくに現世限界型の人は、それを選択したときから、限りない無間の孤独地獄に
苛(さいな)まされることになる。

●折衷型

私は基本的には、折衷型をとる。
一応、あの世は存在しないという現世限界型を選択しつつ、死んだあと、あの世が
あれば、もうけものという生き方をいう。
あるかないか、はっきりしないものに希望を託して、今、こうして生きている時間を、
粗末にしたくはない。

それはちょうど宝くじのようなもの。
当たるか当たらないか、はっきりしないものをアテにして、それでローンを組んで
家を建てる人はいない。
当たればもうけもの。
そのときはその当選したお金で、家を建てればよい。

つまり死ぬまで、ともかくも、あの世はないという前提で、懸命に生きる。
生きて生きて、生き抜く。
この世に悔いを残さないよう、自分を完全燃焼させる。
その結果として、つまり死んだとき、あの世があればもうけもの。
そこに神や仏がいるなら、それから神や仏の存在を信じても遅くはない。

●あの世論

あの世があるのか、ないのか、私にもわからない。
あることを証明した人はいない。
(「ある」と断言する人は、どこかの頭のおかしい人と考えてよい。)
ないことを証明した人もいない。
常識で考えれば、人間だけにあの世があるはずがない。
虫や魚には、どうしてないのか。
さらに恐竜や、1億年後にこの地球を支配するであろう知的生物には、
どうしてないのか。
人間だけが、(生き物)と考えるのは、どう考えても、おかしい。

で、仮に100歩譲って、「ある」とするなら、私は今、私たちが住んでいる
この世こそが、(あの世のあの世)ではないかと思っている。
あの世のほうが永遠というのなら、私たちが住んでいるこの世のほうが、
サブ、つまり(従)で、あの世のほうが、メイン(主)ということに
なる。

どうであるにせよ、論理的に考えれば考えるほど、あの世があるという
話には矛盾が生じてくる。

●完全燃焼

話がそれたが、老後は、完全燃焼をめざす。
私の考え方が正しいというわけではない。
自信もない。
仮に自信があったとしても、いつまでつづくか、わからない。
しかし、今は今。
その今の私は、そう思う。
そう願う。

したいことをし、言いたいことを言い、書きたいことを書く。
いつか頭の中がからっぽになるまで、それをする。
その結果、私がどうなるか、それもわからない。
具体的には、今できることは、先に延ばさない。
今日できることは、明日に延ばさない。
先手、先手で、ものごとを処理していく。

今の私には隠居など、考えられない。
隠居したところで、何もやることができない。
また今の私が仕事をやめたら、どうなる?
恐らくそのままボケてしまうだろう。
育児論など、書けなくなってしまうだろう。
そうなったら、私は、おしまい!

だから自分を燃焼させる。
燃焼させるしかない。

●最後に……

多くの人は、(私もその1人かもしれないが)、認知症か何かになって、頭の機能が
鈍くなった老人を見ながら、老人心理を推察するかもしれない。
「老人というのは、感覚も感情も、またそれに対する反応も鈍くなって、その結果
として死に対して鈍感になる」と。

が、これは誤解である。
先にも書いたように、死への恐怖感、そしてそれから生まれる孤独感には、強弱はない。
どんな人も、どんな年齢の人も、みな、共通にもっている。
生きている人は、みな、(生きたい)と思っている。
これには老若男女のちがいは、ない。
で、その反対側にあるのが、死への恐怖感であり、それから生まれる孤独感という
ことになる。

私の知人も、昨年、80数歳でこの世を去った。
最後は、家族の顔すら認識できなくなっていたが、それでも毎日、毎晩、死の恐怖に
おののいていた。
ときどき施設内の柵や塀を乗り越えて、外へ出ようとしたこともある。
それだって、死の恐怖から逃れようとしてそうしたとも解釈できる。

80歳になったから、死んでもよいと考えるようになるのではない。
90歳になったから、死の恐怖がなくなるというのでもない。
生きている以上、人は、老若男女に関係なく、みな、平等に死の恐怖を感ずる。
それから生まれる孤独を感ずる。

老人を見るとき、どうかそれだけは、誤解しないでほしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
死の受容段階論、死の受容段階説、死の受容過程説、死の受容段階理論 はやし浩司
老人心理 死への不安 死の受容)

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5年前に書いた、こんな原稿が
見つかりました。

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【老後は、どうあるべきか】

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年をとればとるほど、戦わねば
ならないもの。

それが「回顧性」。

人間も、過去ばかりみて生きるように
なったら、おしまい。

半分、棺おけに足をつっこんだような
もの。

この4年間、私は、この問題を、ずっと
考えてきた。

最初は、(老後の準備)を考えた。
しかしやがて、そういう考え方、つまり、
老後を意識した考え方は、まちがって
いることに、気がついた。

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●分岐点は、満55歳前後

 年齢とともに、人は未来をみることよりも、過去をみるようになる。過去をなつかし
んで、その過去に浸(ひた)るようになる。

 心理学などの本によると、その分岐点は、満55歳前後だという。つまりこの年齢を
境にして、人は、未来をみることよりも、過去をみるようになる。同窓会や同郷会、さら
には「法事」に名を借りた親族会も、この年齢を境に、急に多くなる。

 要するに、満55歳を境に、人は、自らジジ臭くなり、ババ臭くなるということ。が、
それだけでは終わらない。

 回顧性が強くなればなるほど、思考力そのものが退化する。そのためその人は、融通
性を失い、がんこになる。過去を必要以上に美化し、心のよりどころを、そこに求めるよ
うになる。

 つまり回顧性などといったものは、それが肥大化すればするほど、魂の死につながる
と考えてよい。過去を懐かしんでばかりいる人は、いくら肉体は健康でも、魂は、すでに
半分、棺おけに足をつっこんだようなもの。

 そこで重要なことは、自分の中に、回顧性の芽を感じたら、それとは徹底的に戦う。
戦いながら、いつも目を未来に向ける。あの釈迦自身も、『死ぬまで精進せよ』(法句教)
というようなことを言っている。

 わかりやすく言えば、死ぬまで、前向きに生きろということ。

 2年半前に、こんな原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●回顧性と展望性

 過去をかえりみることを、「回顧」という。未来を広く予見渡すことを、「展望」とい
う。

 概して言えば、若い人は、回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い。老人ほど、回
顧性のハバが広く、展望性のハバが、狭い。

 幼児期から少年、少女期にかけて、展望性のハバは広くなる。数日単位でしか未来を
見ることができなかった子どもでも、成長とともに、数か月後、数年後の自分を見渡すこ
とができるようになる。つまりそのハバを広げていく。

 言いかえると、展望性と回顧性のバランスを見ることによって、その人の精神年齢を
知ることができる。つまり未来に夢や希望を託す度合が、過去をなつかしむ度合より大き
ければ、その人の精神年齢は、若いということになる。そうでなければ、そうでない。

 ある女性(80歳くらい)は、会うと、すぐ、過去の話をし始める。なくなった夫や、
その祖父母の話など。こうした行為は、まさに回顧性の表れということになる。が、こ
うした回顧性は、老人の世界では、珍しくない。ごくふつうのこととして、広く見られる。


 一方、若い人は、未来しかみない。時間は無限にあり、その未来に向かうエネルギー
も、永遠のものだと思う。それは同時に、若さの特権でもあるが、問題は、そのハバであ
る。

 自分の未来を、どの範囲まで、見ているか? 1年後はともかくも、20年後、30
年後は、見ているか?

 いくら展望性があるといっても、それが数か月どまりでは、どうにもならない。「明日
も何とかなる」では、どうにもならない。

 そこで、このことをもう少しわかりやすくまとめてみると、こうなる。

(1) 回顧性と展望性のハバが広い人……賢人
(2) 回顧性のハバが広く、展望性のハバが狭い人……老人一般
(3) 回顧性のハバが狭く、展望性のハバが広い人……若い人一般
(4) 回顧性と展望性のハバが狭い人……愚人(失礼!)

 (1)〜(3)は、比較的、わかりやすい。問題は(4)の愚人である。

 過去を蹴(け)散らし、その場だけの享楽に身を燃やす人は、ここでいう愚人という
ことになる。

 このタイプ人は、過去に対して、一片の畏敬(いけい)の念すらない。同時に、明日
のこともわからない。気にしない。その日、その日を、「今日さえよければ」と生きる。健
康も、またしかり。

 暴飲暴食を繰りかえし、今だけよければ、それでよいというような考え方をする。も
ちろん運動など、しない。まさにしたい放題。

 で、問題は、どうすれば、そういう子どもにしないですむかということ。一歩話を進
めると、どうすれば、子どもがもつ展望性のハバを、広くすることができるかということ。

 ためしに、あなたの子どもと、こんな会話をしてみてほしい。

親「あなたは、おとなになったら、どんなことをしないか?」
親「そのために、今、どんなことをしたらいいのか?」
親「で、今、どんなことをしているか?」と。

 以前、こんな女の子がいた。小学3年生の女の子だった。たまたまバス停で会ったの
で、近くの自動販売機で、何かを買ってあげようかと提案したら、その女の子は、こう言
った。

 「私、これから家に帰って夕食を食べます。今、ジュースを飲んだら、夕食が食べら
れなくなるから、いいです」と。

 その女の子は、自分の未来を、しっかりと展望していた。で、その女の子で、もう一
つ、印象に残っていることで、こんなことがあった。

 正月のお年玉として、かなりのお金を手にしたらしい。その女の子は、それらのお金
をすべて貯金すると言う。

 そこで私が、その理由を聞くと、「お金を貯金して、フルートを買う。そのフルートで、
音楽を練習して、私はおとなになったら、音楽家になる」と。

 一方、そうでない子は、そうでない。お金を手にしても、すぐ使ってしまう。浪費し
てしまう。飲み食いのために、使ってしまう。

 少し前だが、タバコを吸っている女子高校生とこんな会話をしたことがある。

私「タバコって、体に悪いよ」
女「知ってるヨ〜」
私「ガンになるよ」
女「みんな、なるわけじゃ、ないでしょう……?」

私「奇形出産のほとんどは、タバコが原因でそうなるっていう話は、どう?」
女「でも、そんな出産したという話は、聞かないヨ〜」
私「みんな、流産という形で、処置してしまうから……」
女「結婚したら、やめるヨ〜」

私「で、タバコって、おいしいの?」
女「別においしくないけどサ〜。吸ってないと、何となく、さみしいっていうわけ」
私「だったら、やめればいいじゃん」
女「また、病気にでもなったら、そのときはそのとき。そのとき、考えるわ」と。

 先の「フルートを買う」と答えた子どもは、ハバの広い展望性をもっていることにな
る。しかしタバコを吸っていた子どもは、ほどんど、その展望性のハバがないことになる。

 こうしたちがいが、なぜ起きるかと言えば、結局は、私の説く「自由論」に行き着く。
「自らに由(よ)る」という意味での、自由論である。

 それについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。しかし結局は、
子どもは、(自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとれる子ども)にする。展望性のハ

の広い子どもになるかどうかは、あくまでもその結果の一つでしかない。
(040125)(はやし浩司 回顧 展望 老後論 自由論)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 ちょうど57歳のとき、私も、中年期クライシスなるものを経験した。今から思うと、
あのときが、回顧性と展望性が、自分の中で交差するときではなかったと思う。その前後、
私の考え方が、急速にうしろ向きになっていったのを覚えている。

 そのとき書いた原稿が、つぎのものである。かなり暗い内容だが、少しがまんして読
んでほしい。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●中年期クライシス(危機)

 若い人たちを見ていると、「いいなあ」と思うことがある。「苦労がなくて」と。しか
し同時に、「いいのかなあ?」と思うときもある。目の前に、中年の危機がすぐそこまでき
ているのに、それに気づいていない?

 危機。「クライシス」という。そして中高年の男女が感ずる危機を、総称して、「中年
期クライシス」という。

 健康面(心臓疾患、高血圧症、糖尿病などの、生活習慣病)、精神面(抑うつ感、うつ
病)のクライシス。仕事面、交遊面のクライシスなど。もちろん夫婦関係、親子関係のク
ライシスもある。

 こうしたクライシスが、それこそ怒涛(どとう)のように押し寄せてくる。若い人は、
遠い未来の話と思うかもしれないが、そのときになってみると、あっという間に、そうな
る。それがまた、中年期クライシスのこわいところでもある。

●中年期クライシス、私のばあい

 私は、もうそろそろ中年期を過ぎて、初老期にさしかかっている。もうすぐ満57歳
になる。

 まず健康面だが、このところ、ずっと、どうも心が晴れない。軽いうつ状態がつづい
ている。それに仮性うつ病というか、頭が重い。ときどき偏頭痛の前ぶれのような症状が
起きる。

 仕事は楽で、ほどほどに順調だが、何かと悩みごとはつきない。ときどき「私は、も
う用なしなのか」と思うことがある。息子たちも、ほぼ、みな、巣立った。ワイフも、あ
まり私の存在をアテにしていないようだ。「あんたが死んだら、私、息子といっしょに住む
わ」などと、平気で言う。

 私を心配させないためにそう言うのだろう。が、どこかさみしい。

 性欲は、まだふつうだと思うが、しかしここ数年、女性が、急速に遠ざかっていくの
が、自分でもわかる。若い母親たちのばあい、(当然だが……)、もう私を「男」と見てい
ない。それが自分でも、よくわかる。

 だから私も、気をつかうことが、ぐんと少なくなった。「どうせ私を男とみてくれない
なら、お前たちを、女とみてやるかア!」と。

 しかしこの世の中、「女」あっての、「男」。女性たちに「男」にみてもらえないのは、
さみしい。

 そう、中年期クライシスの特徴は、この(さみしさ)かもしれない。

 たとえばモノを買うときも、「あと○○年、もてばいい」というような考え方をする。何
かにつけて、未来的な限界を感ずる。

 あるいは今は、ワイフも私も、かろうじて健康だが、ときどき、「いつまで、もつだろ
うか?」と考える。「そのときがきても、覚悟ができているだろうか?」と。そういう私の
中年期クライシスをまとめると、こうなる。

(1) 健康面の不安……体力、気力の衰え。自信喪失。回復力の遅れなど。
(2) 精神面の不安……落ちこむことが多くなった。うつ状態になりやすい。
(3) 家族の不安……子どもたちがみな、健康で幸福になれるだろうかという心配。
(4) 老後の不安……収入面、仕事面での不安。何か事故でもあれば、万事休す。
(5) 責任感の増大……「私は倒れるわけにはいかない」という重圧感。

 こうしたもろもろのストレスが、心を日常的に、おしつぶす。そしてそれが、食欲不
振、頭重感、抑うつ感、不安神経症へとつながる。「心が晴れない」というのは、そういう
状態を、総合していう。

●何とかごまかして、前向きに生きる

 自分の心を冷静に、かつ客観的にみることは大切なことだが、ときとして、自分の心

をだますことも必要なのかもしれない。
 楽しくもないのに、わざと楽しいフリをしてみせて、まわりを茶化す。おもしろくも
ないのに、わざとおもしろいと騒いでみせて、まわりをごまかす。

 しかしそれも、疲れる。あまりひどくなると、感情が鈍麻することもあるそうだ。よ
く言われる、「微笑みうつ病」というのも、それ。心はうつ状態なのに、表情だけはにこや
か。いつも満足そうに、笑っている。

 そう言えば、Mさんの奥さん(60歳くらい)も、そうかもしれない。通りであって
も、いつも、ニコニコと笑っている。が、実際、話してみると、どこか上(うわ)の空。
会話が、まったくといってよいほど、かみあわない。

 ただ生きていくことが、どうしてこんなにも、つらいのか……と思うことさえ、ある。
ある先輩は、ずいぶんと昔だが、つまりちょうど今の私と同年齢のときに、こう言った。

 「林君、中年をすぎたら、生活はコンパクトにしたほうがいいよ。それに人間関係は、
簡素化する」と。

 生活をコンパクト化するということは、出費を少なくするということ。60歳を過ぎ
たら、広い土地に大きな家はいらない。小さな家で、じゅうぶん。

 人間関係を簡素化するということは、交際範囲を狭くし、交際する人を選ぶというこ
と。ムダに、広く浅く交際しても、意味はない。

 が、なかなか、その切り替えができない。「家を小さくする」といっても、実際には、
難題である。心のどこかには、「がんばれるだけ、がんばってみよう」という思いも残って
いる。

 交際範囲については、最近、こう思うようになった。

 親戚や知人の中には、私のことを誤解して、あれこれ悪く言っている人もいる。若い
ころの私だったら、そういう誤解を解くために、何かと努力もしただろうが、今は、もう
しない。「どうでも勝手に思え」という、どこか投げやり的な、居なおりが、強くなった。

 どうせ、みんな、私も含めて、あと20年も生きられない。そういう思いもある。

 が、考えたところで、どうにかなる問題ではない。だから結論はいつも、同じ。

 そのときまで、前向きに生きていこう、と。生きている以上、ここで死ぬわけにはい
かない。責任を放棄するわけにもいかない。だから生きていくしかない。自分をごまかし
ても、偽っても、生きていくしかない。

 そしてそれが中年期クライシスにある私たちの、共通の思いではないだろうか、……
と、今、勝手にそう思っている。
(040619)
(はやし浩司 中年期クライシス 中年クライシス 中年期の危機)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 しかし私は、まちがっていた。やがてそれに気がついた。人は年をとっても、コンパクトに生き
る必要はない。またコンパクトな生き方をしてはいけない。

 何も、自ら好き好んで、死ぬための準備など、する必要はない。最後の最後まで、自分をま
っとうさせる。

 そうした変化を自分の中で感じたのが、つぎの原稿を書いたときである。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●小さく生きる人、大きく生きる人

+++++++++++++++

老人になると、小さくなっていく
人と、大きくなっていく人がいま
すね。

+++++++++++++++

 人は、人、ぞれぞれ。生き方も、人、それぞれ。最近、老人観察をつづけている。こ
のところ、老人の生き様が、気になって、しかたない。それについては、少し前にも、書
いた。

 で、大別して、老人になればなるほど、より小さく生きる人と、より大きく生きる人
がいることがわかる。その間にあって、(その日、その日を、ただ生きている人)もいるが、
そういう老人は、ここでは考えない。

【より小さく生きる人】

 より小さく生きる人は、生活そのものを、コンパクトにしようとする。しかしそれは
それで賢明なことかもしれない。欧米人でも、高齢化すればするほど、そういう生き方を
するのが、ふつうのようである。

 たとえば、住環境を縮小したり、人間関係を整理したりするなど。収入も減り、健康
にも自信がなくなれば、それは当然のことかもしれない。

 しかしそれにあわせて、自分という人間そのものまで、小さくしてしまう人がいる。
わかりやすく言えば、より自己中心的になる。

 より利他的な生き方をする人を、人格のより完成した人とみるなら、より自己中心的
になるということは、それだけ、人格が後退したとみる。より自己中心的になれば、やが
て、自分のことだけしかしなくなる。自分さえよければというような、考え方をするよう
になる。

 たとえば世間的な活動には、まったく参加せず、個人的な趣味だけしかしないという
老人は、少なくない。で、このタイプの老人にかぎって、少しでも、自分の生活圏が侵さ
れたりすると、猛烈に反発したりする。

【より大きく生きる人】

 これに対して、自分の生活を、より大きくしようとする人がいる。「大きい」といって
も、住環境を拡大したり、新しい人間関係を求めるというのではない。ある男性は、いつ
も口ぐせのように、こう言っている。

 「私は今まで、こうして無事に生きてくることができた。それを最後には、社会に還
元するのが、私の最後の務めである」と。すばらしい生き方である。

 つまりこのタイプの人は、より、利他的になることによって、人格の完成度を高めよ
うとする。ある女性は、80歳をすぎてからも、乳幼児の医療費、完全無料化のための運
動をつづけていた。「どこからそういうエネルギーがわいてくるのですか?」と私が聞くと、
その女性は笑いながら、こう言った。「私は、ずっと保育士をしてきましたから」と。

 その人の人生は、その人のもの。だから他人がとやかく言ってはいけない。最近の私
は、「とやかく思ってもいけない」と、考え始めている。仮にあなたの隣人が、優雅な年金
生活をしていたとしても、それはその人の人生。批判したり、批評したりすることも、い
けない。

 反対の立場で言うなら、他人にどう思われようが、気にすることはない。

 大切なことは、私は私で、納得のできる老後の道をさがすこと。あくまでも、私は、
私。が、これだけは、言える。

 愚かな人からは、賢明な人がわからない。しかし賢明な人からは、愚かな人がよくわ
かる。同じように、人格の完成度の低い人からは、完成度の高い人はわからない。しかし
完成度の高い人からは、、完成度の低い人がよくわかる。

 それはちょうど、山登りに似ている。低いところにいる人は、高いところから見る景
色がどんなものか、わからない。しかし高いところにいる人は、低いところにいる人が見
ることができない景色を見ることができる。

 そしてより広い景色を見た人は、きっと、こう思うだろう。「今まで、こんな景色を知
らなかった私は、愚かだった。損をした」と。

 ……といっても、それはあくまでも、相対的なもの。こんなことがあった。

 私が、地域の公的団体の主催する講演会で、講師をしたときのこと。少し自慢げに、
恩師のT先生にそのことを話したら、T先生から、すかさず、一枚の写真が送られてきた。
その写真というのは、T先生が、「中国化学会創立50周年記念」で、記念講演をしている
ときの写真だった。しかも添え書きには、「中国語でしました」とあった。

 T先生は、いつも私が見たこともない世界で、仕事をしている。だから私ができるこ
とといえば、先生の言葉の断片から、その見たこともない世界を想像するだけでしかない。
そのT先生から見れば、私の住んでいる世界などというものは、まるでおもちゃの世界の
ようなものかもしれない。

 そうそう、もう一人、別の恩師は、こうメールを書いてきた。その恩師も、世界を舞
台に、あちこちで、講演活動をしている。いわく、「林君、田舎のおばちゃんたちなんか、
相手にしていてはだめだ」と。

 ずいぶんときつい言葉である。そのときは、「そんなことを女性たちが聞いたら、怒る
だろうな」と思った。しかし同時に、「そういうものかなあ?」と思った。その恩師にして
も、私の世界をはるかに超えた世界で、仕事をしている。

 まあ、このところ、私の限界も、はっきりしてきた。「私の人生は、こんなもの」と、
心のどこかで、ふんぎりをつけるようになった。だから後悔はしないが、しかしこれで私
の人生が終わったわけではない。

 できれば、これから先、ここに書いた、(より大きく生きる老人)になりたいと願って
いる。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

ちょうど上の原稿を書いたころ、こんな原稿も書いた。

内容が少しダブるかもしれないが、ここに掲載する。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●過去と未来

 未来を思う心と、過去をなつかしむ心は、満55歳くらいを境にして、入れかわると
いう。ある心理学の本(それほど権威のある本ではない)に、そう書いてあった。しかし
これには、当然、個人差がある。

 70歳になっても、あるいは80歳になっても、未来に目を向けている人は多い。反
対に、40歳の人でも、30歳の人でも、過去をなつかしんでいる人は多い。もちろんど
ちらがよいとか、悪いとかいうのではない。ただ満55歳くらいを境に、未来を思う心と、
過去をなつかしむ心が半々くらいになり、それ以後は、過去をなつかしむ心のほうが大き
くなるということらしい。

 が、私のばあい、過去をなつかしむということが、ほとんど、ない。それはほとんど
毎日、幼児や小学生と接しているためではないか。そういう子どもたちには、未来はあっ
ても、過去は、ない。

が、かといって、その分私が、未来に目を向けているかというと、そういうこともない。
今度は、私の生きザマが、それにかかわってくる。私にとって大切なのは、「今」。10年
後、あるいは20年後のことを考えることもあるが、それは「それまで生きているかなあ」
という程度のことでしかない。

 ときどき、「前世や来世はあるのかなあ」と考えることがある。しかし釈迦の経典※を
いくら読んでも、そんなことを書いてあるところは、どこにもない。イエス・キリストも、
天国の話はしているが、ここでいう前世論や来世論とは、異質のものだ。

(※釈迦の生誕地に残る、原始仏教典『スッタニパータ』のこと。日本に入ってきた仏
教典のほとんどは、釈迦滅後4、500年を経て、しかもヒンズー教やチベット密教とミ
ックスされてできた。とくに輪廻転生、つまり生まれ変わり論を、とくに強く主張したの
が、ヒンズー教である。)

 今のところ、私は、「そういうものは、ない」という前提で生きている。あるいは「あ
ればもうけもの」とか、「死んでからのお楽しみ」と考えている。本当のところはよくわか
らないが、私には見たこともない世界を信じろと言われても、どうしてもできない。

 本来なら、ここで、「神様、仏様、どうか教えてください」と祈りたいところだが、私
のようなものを、神や仏が、相手にするわけがない。少なくとも、私が神や仏なら、はや
し浩司など、相手にしない。どこかインチキ臭くて、不誠実。小ズルくて、気が小さい。
大きな正義を貫く勇気も、度胸もない。小市民的で、スケールも貧弱。仮に天国があると
しても、私などは、入り口にも近づけないだろう。

 だからよけいに未来には、夢を託さない。与えられた「今」を、徹底的に生きる。そ
れしかない。それに老後は、そこまできている。いや、老人になるのがこわいのではない。
体力や気力が弱くなることが、こわい。そしてその分、自分の醜いボロが、表に出てくる
のがこわい。

 個人的な意見としては、あくまでも個人的な意見だが、人も、自分の過去ばかりをな
つかしむようになったら、おしまいということ。あるいはもっと現実的には、過去の栄華
や肩書き、名誉にぶらさがるようになったら、おしまいということ。そういう老人は、い
くらでもいる。が、同時に、そういう老人の人生観ほど、人をさみしくさせるものはない。

 そうそう釈迦は、原始仏教典の中でも、「精進」という言葉を使って、「日々に前進す
ることこそ、大切だ」と教えている。しかも「死ぬまで」と。

わかりやすく言えば、仏の境地など、ないということになる。そういう釈迦の教えにコ
メントをはさむのは許されないことだが、私もそう思う。人間が生きる意味は、日々を、
懸命に、しかも前向きに生きるところにある。過去ではない。未来でもない。「今」を、だ。

 一年前に書いた原稿だが、少し手直しして、ここに掲載する。

++++++++++++++++++++++++

●前向きの人生、うしろ向きの人生

●うしろ向きに生きる女性

 毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようになったら、人生はおしま
い。偉そうなことは言えない。しかし私とて、いつそういう人生を送るようになるかわか
らない。しかしできるなら、最後の最後まで、私は自分の人生を前向きに、生きたい。自
信はないが、そうしたい。

 自分の商売が左前になったとき、毎日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる女性(7
0歳)がいた。その15年前にその人の義父がなくなったのだが、その義父は一代で財産
を築いた人だった。くず鉄商から身を起こし、やがて鉄工場を経営するようになり、一時
は従業員を五人ほど雇うほどまでになった。

が、その義父がなくなってからというもの、バブル経済の崩壊もあって、工場は閉鎖寸
前にまで追い込まれた。(その女性の夫は、義父のあとを追うように、義父がなくなってか
ら2年後に他界している。)
 
 それまでのその女性は、つまり義父がなくなる前のその女性は、まだ前向きな生き方
をしていた。が、義父がなくなってからというもの、生きザマが一変した。その人には、
私と同年代の娘(二女)がいたが、その娘はこう言った。

「母は、異常なまでにケチになりました」と。たとえば二女がまだ娘のころ、二女に買
ってあげたような置物まで、「返してほしい」と言い出したという。「それも、私がどこに
あるか忘れてしまったようなものです。値段も、2000円とか3000円とかいうよう
な、安いものです」と。

●人生は航海のようなもの

 人生は一人で、あるいは家族とともに、大海原を航海するようなもの。つぎからつぎ
へと、大波小波がやってきて、たえず体をゆり動かす。波があることが悪いのではない。
波がなければないで、退屈してしまう。船が止まってもいけない。航海していて一番こわ
いのは、方向がわからなくなること。同じところをぐるぐる回ること。もし人生がその繰
り返しだったら、生きている意味はない。死んだほうがましとまでは言わないが、死んだ
も同然。

 私の知人の中には、天気のよい日は、もっぱら魚釣り。雨の日は、ただひたすらパチ
ンコ。読む新聞はスポーツ新聞だけ。唯一の楽しみは、野球の実況中継を見るだけという
人がいる。しかしそういう人生からはいったい、何が生まれるというのか。いくら釣りが
うまくなっても、いくらパチンコがうまくなっても、また日本中の野球の選手の打率を暗
記しても、それがどうだというのか。そういう人は、まさに死んだも同然。

 しかし一方、こんな老人(尊敬の念をこめて「老人」という)もいる。昨年、私はあ
る会で講演をさせてもらったが、その会を主宰している女性が、80歳を過ぎた女性だっ
た。乳幼児の医療費の無料化運動を推し進めている女性だった。私はその女性の、生き生
きした顔色を見て驚いた。

「あなたを動かす原動力は何ですか」と聞くと、その女性はこう笑いながら、こう言っ
た。「長い間、この問題に関わってきましたから」と。保育園の元保母だったという。そう
いうすばらしい女性も、少ないが、いるにはいる。

 のんびりと平和な航海は、それ自体、美徳であり、すばらしいことかもしれない。し
かしそういう航海からは、ドラマは生まれない。人間が人間である価値は、そこにドラマ
があるからだ。そしてそのドラマは、その人が懸命に生きるところから生まれる。人生の
大波小波は、できれば少ないほうがよい。そんなことはだれにもわかっている。しかしそ
れ以上に大切なのは、その波を越えて生きる前向きな姿勢だ。その姿勢が、その人を輝か
せる。

●神の矛盾

 冒頭の話にもどる。
 
信仰することがうしろ向きとは思わないが、信仰のし方をまちがえると、生きザマがう
しろ向きになる。そこで信仰論ということになるが……。

 人は何かの救いを求めて、信仰する。信仰があるから、人は信仰するのではない。あ
くまでも信仰を求める人がいるから、信仰がある。よく神が人を創(つく)ったというが、
人がいなければ、神など生まれなかった。もし神が人間を創ったというのなら、つぎのよ
うな矛盾をどうやって説明するのだろうか。これは私が若いころからもっていた疑問でも
ある。

 人類は数万年後か、あるいは数億年後か、それは知らないが、必ず絶滅する。ひょっ
としたら、数百年後かもしれないし、数千年後かもしれない。しかし嘆くことはない。そ
のあと、また別の生物が進化して、この地上を支配することになる。たとえば昆虫が進化
して、昆虫人間になるということも考えられる。その可能性はきわめて大きい。となると、
その昆虫人間の神は、今、どこにいるのかということになる。

 反対に、数億年前に、恐竜たちが絶滅した。一説によると、隕石の衝突が恐竜の絶滅
をもたらしたという。となると、ここでもまた矛盾にぶつかってしまう。そのときの恐竜
には神はいなかったのかということになる。

数億年という気が遠くなるほどの年月の中では、人類の歴史の数10万年など、マバタ
キのようなものだ。お金でたとえていうなら、数億円あれば、近代的なビルが建つ。しか
し数10万円では、パソコン1台しか買えない。数億年と数10万年の違いは大きい。モ
ーゼがシナイ山で十戒を授かったとされる時代にしても、たかだか5000年〜6000
年ほど前のこと。たったの6000年である。それ以前の数10万年の間、私たちがいう
神はいったい、どこで、何をしていたというのか。

 ……と、少し過激なことを書いてしまったが、だからといって、神の存在を否定して
いるのではない。この世界も含めて、私たちが知らないことのほうが、知っていることよ
り、はるかに多い。だからひょっとしたら、神は、もっと別の論理でものを考えているの
かもしれない。そしてその論理に従って、人間を創ったのかもしれない。そういう意味も
ふくめて、ここに書いたのは、あくまでも私の疑問ということにしておく。

●ふんばるところに生きる価値がある

 つまり私が言いたいのは、神や仏に、自分の願いを祈ってもムダということ。(だから
といって、神や仏を否定しているのではない。念のため。)仮に百歩譲って、神や仏に、奇
跡を起こすようなスーパーパワーがあるとしても、信仰というのは、そういうものを期待
してするものではない。ゴータマ・ブッダの言葉を借りるなら、「自分の中の島(法)」(ス
ッタニパーダ「ダンマパダ」)、つまり「思想(教え)」に従うことが信仰ということになる。
キリスト教のことはよくわからないが、キリスト教でいう神も、多分、同じように考えて
いるのでは……。

生きるのは私たち自身だし、仮に運命があるとしても、最後の最後でふんばって生きる
かどうかを決めるのは、私たち自身である。仏や神の意思ではない。またそのふんばるか
らこそ、そこに人間の生きる尊さや価値がある。ドラマもそこから生まれる。

 が、人は一度、うしろ向きに生き始めると、神や仏への依存心ばかりが強くなる。毎
日、毎晩、仏壇の前で拝んでばかりいる人(女性70歳)も、その1人と言ってもよい。
同じようなことは子どもたちの世界でも、よく経験する。

たとえば受験が押し迫ってくると、「何とかしてほしい」と泣きついてくる親や子どもが
いる。そういうとき私の立場で言えば、泣きつかれても困る。いわんや、「林先生、林先生」
と毎日、毎晩、私に向かって祈られたら、(そういう人はいないが……)、さらに困る。も
しそういう人がいれば、多分、私はこう言うだろう「自分で、勉強しなさい。不合格なら
不合格で、その時点からさらに前向きに生きなさい」と。
 
●私の意見への反論

 ……という私の意見に対して、「君は、不幸な人の心理がわかっていない」と言う人が
いる。「君には、毎日、毎晩、仏壇の前で祈っている人の気持ちが理解できないのかね」と。
そう言ったのは、町内の祭の仕事でいっしょにした男性(75歳くらい)だった。が、何
も私は、そういう女性の生きザマをまちがっているとか言っているのではない。またその
女性に向かって、「そういう生き方をしてはいけない」と言っているのでもない。その女性
の生きザマは生きザマとして、尊重してあげねばならない。

この世界、つまり信仰の世界では、「あなたはまちがっている」と言うことは、タブー。
言ってはならない。まちがっていると言うということは、二階の屋根にのぼった人から、
ハシゴをはずすようなもの。ハシゴをはずすならはずすで、かわりのハシゴを用意してあ
げねばならない。何らかのおり方を用意しないで、ハシゴだけをはずすというのは、人と
して、してはいけないことと言ってもよい。

 が、私がここで言いたいのは、その先というか、つまりは自分自身の将来のことであ
る。どうすれば私は、いつまでも前向きに生きられるかということ。そしてどうすれば、
うしろ向きに生きなくてすむかということ。

●今、どうしたらよいのか?

 少なくとも今の私は、毎日、思い出にひたり、仏壇の金具の掃除ばかりするようにな
ったら、人生はおしまいと思っている。そういう人生は敗北だと思っている。が、いつか
私はそういう人生を送ることになるかもしれない。そうならないという自信はどこにもな
い。保証もない。毎日、毎晩、仏壇の前で祈り続け、ただひたすら何かを失うことを恐れ
るようになるかもしれない。私とその女性は、本質的には、それほど違わない。

しかし今、私はこうして、こうして自分の足で、ふんばっている。相撲(すもう)にた
とえて言うなら、土俵際(ぎわ)に追いつめられながらも、つま先に縄をからめてふんば
っている。歯をくいしばりながら、がんばっている。力を抜いたり、腰を浮かせたら、お
しまい。あっという間に闇の世界に、吹き飛ばされてしまう。

しかしふんばるからこそ、そこに生きる意味がある。生きる価値もそこから生まれる。
もっと言えば、前向きに生きるからこそ、人生は輝き、新しい思い出もそこから生まれる。
……つまり、そういう生き方をつづけるためには、今、どうしたらよいか、と。

●老人が気になる年齢

 私はこのところ、年齢のせいなのか、それとも自分の老後の準備なのか、老人のこと
が、よく気になる。電車などに乗っても、老人が近くにすわったりすると、その老人をあ
れこれ観察する。先日も、そうだ。「この人はどういう人生を送ってきたのだろう」「どん
な生きがいや、生きる目的をもっているのだろう」「どんな悲しみや苦しみをもっているの
だろう」「今、どんなことを考えているのだろう」と。そのためか、このところは、見た瞬
間、その人の中身というか、深さまでわかるようになった。

で、結論から先に言えば、多くの老人は、自らをわざと愚かにすることによって、現実
の問題から逃げようとしているのではないか。その日、その日を、ただ無事に過ごせれば
それでよいと考えている人も多い。中には、平気で床にタンを吐き捨てるような老人もい
る。クシャクシャになったボートレースの出番表を大切そうに読んでいるような老人もい
る。

人は年齢とともに、より賢くなるというのはウソで、大半の人はかえって愚かになる。
愚かになるだけならまだしも、古い因習をかたくなに守ろうとして、かえって進歩の芽を
つんでしまうこともある。

 私はそのたびに、「ああはなりたくはないものだ」と思う。しかしふと油断すると、い
つの間か自分も、その渦(うず)の中にズルズルと巻き込まれていくのがわかる。それは
実に甘美な世界だ。愚かになるということは、もろもろの問題から解放されるということ
になる。何も考えなければ、それだけ人生も楽?

●前向きに生きるのは、たいへん

 前向きに生きるということは、それだけもたいへんなことだ。それは体の健康と同じ
で、日々に自分の心と精神を鍛錬(たんれん)していかねばならない。ゴータマ・ブッダ
は、それを「精進(しょうじん)」という言葉を使って表現した。精進を怠ったとたん、心
と精神はブヨブヨに太り始める。そして同時に、人は、うしろばかりを見るようになる。
つまりいつも前向きに進んでこそ、その人はその人でありつづけるということになる。

 改めてもう一度、私は自分を振りかえる。そしてこう思う。「さあて、これからが正念
場だ」と。
(030613)

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

そして昨年(05年)の1月に、つぎのような原稿を書いた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●心に残る人たち

 個性的な生き方をした人というのは、それなりに強く印象に残る。そしてそれを思い
出す私たちに、何か、生きるためのヒントのようなものを与えてくれる。

 たとえば定年で退職をしたあと、山の中に山小屋を建てて、そこに移り住んだ人がい
た。姉が中学校のときに世話になった、Nという名前の学校の先生である。その人が、こ
とさら印象に強く残っているのは、郷里へ帰るたびに、姉が、N先生の話をしたからでは
ないか。

 「N先生が、畑を作って、自給自足の生活をしている」
 「半地下の貯蔵庫を作って、そこできのこの栽培をしている」
 「教え子たちを集めて、パーティを開いた」など。

 ここまで書いたところで、つぎつぎと、いろいろな人が頭の中に浮かんでは消えた。

 G社という出版社で編集長をしていた、S氏という名前の人は、がんの手術を受けた
あと、一度、元気になった。その元気になったとき、60歳になる少し前だったが、自動
車の運転免許証を手に入れた。車を買った。そしてこれは、あとから奥さんから聞いた話
だが、毎週、ドライブを繰りかえし、なくなるまでの数年間、1年で、10万キロ近く、
日本中を走りまわったという。

 またS社という、女性雑誌社に勤めていた、I氏という名前の人は、妻を病気でなく
したあと、丸1年、南太平洋の小さな島に移り住み、そこで暮らしたという。一時は、行
方不明になってしまったということで、周囲の人たちはかなり心配した。が、1年後に、
ひょっこりと、その島から戻ってきた。そしてそのあとは、何ごともなかったかのような
顔をして、10年近くも、S社の子会社で、また、健康雑誌の編集長として活躍した。

 で、それからもう20年近くも過ぎた。山の中に山小屋を建てて住んだNという先生
は、とっくの昔に、なくなった。G社の編集長をしていたS氏も、なくなった。女性雑誌
社に勤めていたI氏は、私が知りあったとき、すでに50歳を過ぎていた。私が、25歳
のときのことだった。だから今、生きているとしても、80歳以上になっていると思う。

 I氏からは、あるときまでは、毎年、年賀状が届いた。が、それ以後、音信が途絶え
た。住所も変わった。

 そうそうG社という出版社に、Tさんという女性がいた。たいへん世話になった人で
ある。そのTさんは、G社を定年で退職したあとまもなく、大腸がんで、なくなってしま
った。

 その葬式に出たときのこと。こんな話を聞いた。

 そのとき、私は、そのTさんにある仕事を頼んでいた。その仕事について、ある日の
昼すぎに、電話がかかってきた。Tさんが病気だということは知っていた。が、意外と、
明るい声だった。Tさんは、いつものていねいな言い方で、私の頼んだ仕事ができなくな
ったということをわびた。そして何度も何度も、「すみません」と言った。

 そのことを葬儀の席で、Tさんをよく知る人に話すと、その人は、こう言った。「そん
なはずはない。Tさんが、あなたに電話をしたというときには、Tさんは、すでに昏睡状
態だった。電話など、できるような状態ではなかった」と。

 おかしな話だなと、そのときは、そう思った。あるいはそういう状態のときでも、ふ
と、意識が戻ることもあるそうだ。Tさんは、そういうとき、私に電話をかけてくれたの
かもしれない。

 親類の人たちや、友人は別として、その生きザマが、印象に残る人もいれば、そうで
ない人もいる。言うなれば、平凡は美徳だが、平凡な生活をした人は、あとに、何も残さ
ない。だからといって、平凡な生活をすることが悪いというのではない。「私らしい生きザ
マ」とは言うが、しかしそれができる人は、幸せな人だ。

 たいていの人は、世間や家族、さらには親類などのしがらみに、がんじがらめになっ
て、身動きがとれないでいる。いまだに「家」を引きずっている人も、少なくない。そう
いう状況の中で、その日、その日を、懸命に生きている。

 それにこうした個性的な生きザマを残した人にしても、私たちに何かを(残す)ため
に、そうしたわけではない。私たちに何かを教えるために、そうしたわけでもない。結果
として、私たちが、勝手にそう思うだけである。

 ただ、こういうことは言える。

 それぞれの人は、それぞれの人生を懸命に生きているということ。悲しみや苦しみと
戦いながら、懸命に生きているということ。その懸命に生きているという事実が、無数の
ドラマを生み、そのドラマが、そのあとにつづく私たちに、ときに、大きな感動を残して
くれるということ。

 で、かく言う私はどうなのかという問題が残る。

 ここ数か月以上、私は、「老人観察」なるものをしてきた。その結論というか、中間報
告として、ここで言えることは、私は、最後の最後まで、年齢など忘れて、がんばって生
きてみようということ。

 ときに、「生活をコンパクトにしよう」とか、「老後や、死後に備えよう」などと考え
たこともあるが、それはまちがっていた。エッセーの中で、そう書いたこともある。まだ、
その迷いから完全に抜けきったわけではないが、私は、そういう考え方を捨てた。……捨
てようとしている。

 つまりそういう生きザマを、こうした人たちが、私に教えてくれているように思う。
私たちはその気にさえなれば、最後の最後まで、何かができる。それを教えてくれている
ように思う。

 N先生……私自身は一面識もないが、心の中では、いつも尊敬していた。
 S氏……そのS氏が、私にエッセーの書き方を教えてくれた。
 I氏……いっしょに健康雑誌を書いた。……I氏の実名を出してもよいだろう。I氏は、
主婦と生活社の編集長をしていた、井上清氏をいう。健康雑誌の名前は、『健康家族』とい
う雑誌だった。その名前を覚えている人も、中にはいると思う。

 そしてTさん。電話では、自分の病状のことは、何も言わなかった。それが今になっ
て、私の胸を熱くする。私は、そのTさんの葬儀には、最後の最後まで、つきあった。藤
沢市の会館で葬儀をし、そのあと、どこかの火葬場で、火葬にふされた。アメリカ軍の基
地の近くで、ひっきりなしに、飛行機の爆音が聞こえていた。私は、Tさんが火葬されて
いる間、何度も何度も、その飛行機を見送った。

 遠い昔のことのようでもあるし、つい先日のことのようにも思う。みなさん、私に生
きる力を与えてくれてありがとう。私も、あとにつづきます!

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●終わりに……

 老後の敵、それはここに書いた「回顧性」ということになる。その回顧性を感じたら、
すでにあなたも、老人の仲間入りをしたということになる。

 もし、それがいやなら、つまりジジ臭くなったり、ババ臭くなるのがいやだったら、
回顧性とは、戦うしかない。

 私は死ぬまで、現役。あなたも、死ぬまで、現役。いつまでも、若々しく、前向きに
生きていく。

 繰りかえすが、毎日、過去をなつかしみながら、仏壇の金具を磨きながら日を過ごす
ようになったら、その人も、おしまい。そういうこと。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
回顧性と展望性 展望性と回顧性)

++++++++++++++++++++++++

【補足】輪廻思想について

●輪廻(りんね)

++++++++++++++

生まれ変わることができるというのは、
たしかに希望である。

生まれ変われないにしても、30歳とか、
40歳、突然、若くなれるとしたら……。

が、ここで私は、ふと、思いとどまる。

生まれ変わるとしても、条件がある。
今の生活環境以上に、よい生活環境
に生まれ変わるとしたら、それはそれで
よい。

しかしそうでなければ、どうするか?
たとえば現在のK国のような国で
生まれ変わるとしたら、私はごめん。

戦前の日本のような国も、いや。

さらに、だれかが、こう言ったとしたら、
私は、たぶん、それを断るだろう。

「林、もう一度、20歳に戻してやる。
同じ人生を歩んでみろ」と。

人生は一度でたくさん。私はそこまで
は思わないが、中には、こりごり
という人だっているかもしれない。

そんなふうに考えていくと、こうした生まれ
変わり、つまり輪廻(りんね)思想の生まれた
インドでは、輪廻そのものを、大衆は
支持していなかったのではないか?、という
疑問がわいてくる。

カースト制度というきびしい身分制度。その
身分制度の中で、奴隷(シュードラ)は
生まれながらにして奴隷であり、一生、
死ぬまで、奴隷であった。

そんな奴隷の1人に、輪廻思想を説いても、
はたしてその奴隷は、その思想を受け入れる
だろうか。たぶんその奴隷は、こう言うだろう。

「人生なんて、一度で、こりごり」と。

そこでウパニシャッド哲学(インド哲学)では、
輪廻転生から離脱し、宇宙(神)と一体化する
ことを、「解脱(げだつ)」と呼んだ。

(ちゃんと逃げ道が用意してあるところが、
すごい!)

私たちの魂は、生きたり死んだりを繰り返す。
その魂を、瞑想、つまりヨーガによって、宇宙の
神と一体化させる。

そうすればだれでも、解脱の境地に達する
ことができる。つまり、輪廻転生の輪から、
自分を解放させることができる。

+++++++++++++++

 インド哲学を理解するときは、一度、私たちを文明の世界から切り離さなければなら
ない。私たちが現在もっている常識で、インド哲学を理解しようとしても、理解できない。
そういう部分は、多い。

 これはあくまでも私の推察だが、当時のインドでは、時間についての観念そのものが
今とはちがっていたのではないか。たとえば30年、一昔というが、当時のインドでは、
100年単位、200年単位で、時代が動いていた。

 あるときあなたはひとつの村を訪ねる。そこで何人かの村人に会う。が、それから3
0年後。再び、あなたはその村を訪ねる。あなたはそこにいる人たちを見て、驚く。生活
もしきたりも、30年前とまったく同じ。

 生活やしきたりばかりではない。そこに住んでいる人たちも、30年前とまったく同
じ。30年前に会った人たちが、そっくりそのまま新しい人たちと置き換わっている。

 私は輪廻思想が生まれた背景には、そういった時代的背景があったと思う。つまりあ
なたから見れば、時間の流れというのが、くるくると回っているかのように見える。その
くるくると回っているという部分から、「輪廻」という言葉が生まれた。

 それについて以前、書いた原稿が、つぎのものである。一部、重複するが許してほし
い。

+++++++++++++++++

【過去、現在、未来】

●輪廻(りんね)思想

+++++++++++++++++++++

過去、現在、未来を、どうとらえるか?

あるいは、あなたは、過去、現在、未来を、
どのように考えているか?

どのようなつながりがあると、考えているか?

その考え方によって、人生に対する
ものの見方、そのものが変わってくる。

+++++++++++++++++++++

 時の流れを、連続した一枚の蒔絵(まきえ)のように考えている人は、多い。学校の
社会科の勉強で使ったような歴史年表のようなものでもよい。過去から、現在、そして未
来へと、ちょうど、蒔絵のように、それがつながっている。それが一般的な考え方である。

 あるいは、紙芝居のように、無数の紙が、そのつど積み重なっていく様(さま)を想
像する人もいるかもしれない。過去の上に、つぎつぎと現在という紙が、積み重なってい
く。あるいは上書きされていく。

 しかし本来、(現在)というのは、ないと考えるのが正しい。瞬間の、そのまた瞬間に、
未来はそのまま過去となっていく。そこでその瞬間を、さらに瞬間に分割する。この作業
を、何千回も繰りかえす。が、それでも、未来は、瞬時、瞬時に、そのまま過去となって
いく。

 そこで私は、この見えているもの、聞こえているもの、すべてが、(虚構)と考えてい
る。

 見えているものにしても、脳の中にある(視覚野)という画面(=モニター)に映し
出された映像にすぎない。音にしても、そうだ。

 さらに(時の流れ)となると、それが「ある」と思うのは、観念の世界で、「ある」と
思うだけの話。本当は、どこにもない。つまり私にとって、時の流れというのは、どこま
でいっても、研(と)ぎすまされた、(現実)でしかない。

 その(時の流れ)について、ほかにもいろいろな考え方があるだろうが、古代、イン
ドでは、それがクルクルと回転していくというように考えていたようだ。つまり未来は、
やがて過去とつながり、その過去は、また未来へとつながっていく、と。ちょうど、車輪
の輪のように、である。

 そのことを理解するためには、自分自身を、古代インドに置いてみなければならない。
現代に視点をおくと、理解できない。たとえば古代インドでは、現代社会のように、(変化)
というものが、ほとんどなかった。「10年一律のごとし」という言葉があるが、そこでは、
100年一律のごとく、時が過ぎていた。

 人は生まれ、そして死ぬ。死んだあと、その人によく似た子孫がまた生まれ、死んだ
人と同じような生活を始める。同じ場所で、同じ家で、そして同じ仕事をする。人の動き
もない。話す言葉も、習慣も、同じ。

 そうした流れというか変化を、一歩退いたところで見ていると、時の流れが、あたか
もグルグルと回転しているかのように見えるはず。死んだ人がいたとしても、しばらくし
てその家に行ってみると、死んだ人が、そのまま若返ったような状態で、つまりその子孫
たちが、以前と同じような生活をしている。

 死んでその人はいないはずなのに、その家では、以前と同じように、何も変わらず、
みなが、生活している。それはちょうど、庭にはう、アリのようなもの。いつ見てもアリ
はいる。しかしそのアリたちも、実は、その内部では、数か月単位で、生死を繰りかえし
ている。

 こうして、多分、これはあくまでも私の憶測によるものだが、「輪廻(りんね)」とい
う概念が生まれた。輪廻というのは、ズバリ、くるくると回るという意味である。それが
輪廻思想へと、発展した。

 もちろん、その輪廻思想を、現代社会に当てはめて考えることはできない。現代社会
では、古代のインドとは比較にならないほど、変化のスピードが速い。10年一律どころ
か、数年単位で、すべてが変わっていく。数か月単位で、すべてが変わっていく。

 住んでいる人も、同じではない。している仕事もちがう。こうした社会では、時の流
れが、グルグルと回っていると感ずることはない。ものごとは、すべて、そのつど変化し
ていく。流れていく。

 つまり時の流れが、ちょうど蒔絵のように流れていく。もっとわかりやすく言えば、
冒頭に書いたように、社会科で使う、年表のように、流れていく。長い帯のようになった
年表である。しかしここで重要なことは、こうした年表のような感じで、過去を考え、現
在をとらえ、そして未来を考えていくというのは、ひょっとしたら、それは正しくないと
いうこと。

 つまりそういう(常識?)に毒されるあまり、私たちは、過去、現在、未来のとらえ
かたを、見誤ってしまう危険性すら、ある。

 よい例が、前世、来世という考え方である。それが発展して、前世思想、来世思想と
なった。

 前世思想や、来世思想というのは、仏教の常識と考えている人は多い。しかし釈迦自
身は、一言も、そんなことは言っていない。ウソだと思うなら、自分で、『ダンマパダ(法
句)』(釈迦生誕地の残る原始仏教典)を読んでみることだ。

 ついでに言っておくと、輪廻思想というのは、もともとはヒンズー教の教えで、釈迦
自身は、それについても一言も、口にしていない。

 言うまでもなく、現在、日本にある仏教経典のほとんどは、釈迦滅後、4〜500年
を経てから、「我こそ、悟りを開いた仏」であるという、自称「仏」(仏の生まれ変わりた
ち)によって、書かれた経典である。その中に、ヒンズー教の思想が、混入した。
 
 過去、現在、未来……。何気なく使っている言葉だが、この3つの言葉の中には、底
知れぬ謎が隠されている。

 この3つを攻めていくと、ひょっとしたら、そこに生きることにまつわる真理を、発
見することができるかもしれない。

 そこでその第一歩。あなたは、その3つが、どのような関連性をもっていると考えて
いるか。

 一度、頭の中の常識をどこかへやって、自分の頭で、それを考えてみてほしい。

+++++++++++++++++

●再び輪廻について。

 たとえば輪廻というほどではないにしても、毎日が毎日の繰り返し……という人生に、
どれほどの意味があるというのか。そのことは、老人介護センターにいる老人たちを見れ
ばわかる。(だからといって、そこに住む老人たちの人生に意味はないと言っているのでは
ない。誤解のないように!)

 毎日、毎日、同じことを繰り返しているだけ。同じ時刻に起きて、同じ時刻に食事を
して、あとは一日中、テレビの前に座っているだけ。

 これは老人介護センターの中の老人たちの話だが、私たちの生活にしても、似たよう
なもの。今日は、昨日と同じ。今年は、去年と同じ、と。

 これもひとつの輪廻とすると、私たちがつぎに考えなければならないことは、どうす
れば、この輪廻を断ち切ることができるかということ。

 まさか瞑想(ヨーガ)をすればよいと説く人はいないと思う。(ヨーガというと、あの
O真理教を連想し、どうもイメージがよくない。)しかしだれも、このままでよいとは思っ
ていない。

 そこでひとつのヒントとして、サルトルは、こう説いた。「自由なる意思で、自由を求
め、思考し、自ら意思を決定していくことこそ重要」と。つまりこの輪廻を断ち切るため
には、「私は私」と、その「輪」の中から飛び出すことではないか。

……と書いたところで、「ウ〜ン」とうなって、筆が止まってしまった。そのことをワイ
フに話すと、ワイフも、そう言った。

私「思いきって、オーストラリアへ移住しようか?」
ワ「移住でなくても、2〜3年なら、いいわ」
私「このままだと、ぼくたちの人生も、このまま終わってしまう」
ワ「そうね。自分たちがどうあるべきか、まず、それを考えなくては……」と。


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司※

【心の部屋論】(道徳完成論)

++++++++++++++++++

人間の心には、いくつかの部屋がある。
言うなれば、どこかの大学のようなもの。
事務室もあれば、講義室もある。
講義室にしても、大講堂もあれば、研究室もある。
研究室といっても、ひとつではない。
哲学を研究する研究室もあれば、化学を研究する
化学室もある。
もちろん教会もあれば、博物館もある。
サッカー場もあれば、パチンコ店もある。
それぞれが有機的につながりながら、独自の
活動をしている。

たとえば今、私は、私の心の中の心理学の
研究室にいる。
「脳みそ」を大学に例えるなら、その総合的な
機能を研究するのが、心理学の研究室である。
この研究室からは、大学全体を見渡せる。
近くには政治学部があり、その向こうには
美術学部がある。

こうした大学は、人によって大きさも、構成の
しかたも、みなちがう。
中には、コンピュータ研究室が特異に大きな
大学に住んでいる人もいるだろう。
あるいは音楽学部が特異に大きな大学に住んでいる
人もいるだろう。

私はそれぞれの学部や研究室で、ときに教授に
なりながら、またときに、学生になりながら、
そのときどきを過ごす。

が、こわいのは、つまり私たちがもっとも警戒
しなければならないのは、心の闇の部分に相当
する、地下室である。
外からは見えないが、そこには、ありとあらゆる
ゴミがたまっている。
ゴミといっても、邪悪なゴミだ。
ウソ、インチキ、ごまかし、嫉妬、怒り、不満、
ウラミ、などなど。

私たちは日常的にゴミを出しながら、それを
捨てた段階で、そのゴミのことを忘れる。
(……意図的に忘れる。)
しかしゴミは確実にたまり、やがて大学の運営
そのものに、影響を与えるようになる。

あのユングという学者は、それを「シャドウ」と
いう言葉を使って説明した。
大切なことは、ゴミを作るとしても、最小限に!
できればゴミを出さない。
日々に、明るく、朗らかに、かつさわやかに……、
ということになる。

さあ、今日も一日、始まった。
今朝はたっぷり熟睡して、今は、午前7時35分。
今の私は大学の学長だ。
まずいくつかの学部を訪れてみる。
とりあえずすぐ隣の心理学部では、「心の広さ」に
ついて研究しているようだ。
そこをのぞいてみる。

みなさん、おはようございます!
5月21日、木曜日!

+++++++++++++++++++++

●心の広さ

「心の広さ」を知るときは、反対に心の狭い人をみればよい。
俗にいう、「心に余裕のない人」である。
私はこのことを、母の介護をしているときに、知った。

同じ親の介護をしながら、明るく、ほがらかに、かつさわやかに
介護している人もいれば、反対に、暗く、つらそうに、かつ
グチばかり並べてしている人もいる。

「老人臭がする」
「町内会に出られなくなった」
「内職の仕事ができなくなった」
「コンロの火がつけっぱなしだった」
「廊下で、母が便をした」などなど。

このタイプの人のグチには、「では、どうればいいのか?」という部分がない。
ないまま、いつまでも同じグチを繰り返す。
ネチネチとグチを繰り返す。

私なら、……実際、そうしてきたが、老人臭が気になれば、換気扇をつければよい。
町内会など、出なければならないものではない。
みな、事情を話せば、わかってくれる。
内職の仕事にしても(やりくり)の問題。
老人が家にいるからといって、できなくなるということはない。
コンロの火が心配なら、自動消火装置つきのコンロにすればよい。
廊下で便など、子どもの便と思えばよい。
私の息子たちはみな、こたつの中で便をしていたぞ!

要は、心の広さの問題ということになる。

●道徳の完成度

心の広さを、お金(マネー)にたとえるのも、少し気が引ける。
しかし似ている。

たとえばふところに、10万円もあれば、どこのレストランへ行っても、安心して
料理を楽しむことができる。
が、それが1000円とか2000円だったりすると、とたんに不安になる。
では、心の広さのばあいは、どうか。
どうすれば、心の余裕を作ることができるか。
心を広くすることができるか。

ひとつのヒントとして、コールバーグが説いた「道徳の完成度」というのがある。
つまり、道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたもの
であるか、その2点で判断される、と。

(1)いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分が
その立場にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動
できるかどうかで、その人の道徳的完成度は決まる。

(2)いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点と
するなら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、
その人の道徳的完成度は決まる。

心が広い人イコール、道徳の完成度の高い人ということにはならない。
しかし道徳の完成度の高い人イコール、心の広い人と考えてよいのでは?
異論、反論もあろうかと思うが、その分だけ、そのときどきの(縁)に翻弄(ほんろう)
されるというこが少なくなる。
心理学的には、自己管理能力の高い人ということになる。
大脳生理学的には、前頭連合野の活動が、すぐれている人ということになる。
そういうものが総合されて、その人の心の広さを決定する。
が、何よりも大切なことは、運命を受け入れて生きるということ。

●運命論

どんな人にも、まただれにも、無数の糸がからんでいる。
生い立ちの糸、家族の糸、社会の糸、能力の糸、人間関係の糸、健康の糸、
性質の糸、、性格の糸、環境の糸などなど……。
そういった糸が無数にからんできて、ときとして私やあなたは、自分の意図する
のとは別の方向に、足を踏み入れてしまうことがある。

いや、そのときはそれに気がつかない。
あとで振り返り、そのうしろの足跡を見て、それに気づく。
運命というのがあるとすれば、運命というのは、そういうもの。

その運命を心のどこかで感じ、そしてそれが抵抗しても意味のないものと
知ったら、運命は受け入れる。
すなおに受け入れる。
そのわかりやすさが、私やあなたの心を広くする。

私も母の介護をするようになって、はじめてその運命のもつ力というか、
ものすごさを知った。
ふつうの母と子の関係なら、それほど苦しまなかったかもしれない。
しかし私のばあい、そうではなかった。
だからこそ、苦しんだ。

が、母が、私の家にやってきたとき、それは一変した。
下痢で汚れた母の尻を拭いてやっているとき、それまでのわだかまりや、こだわりが、
ウソのように消えた。
そこに立っているのは、どこまでもか弱い、そしてどこまでもあわれな、1人の
老婆にすぎなかった。
体の大きさも、小学生ほどになっていた。
それを知った、その瞬間、私は運命を受け入れた。

そう、運命というのは、そういうもの。
それに逆らえば、運命は、キバをむいて、私やあなたに襲いかかってくる。
しかし一度それを受け入れてしまえば、運命は、シッポを巻いて、向こうから逃げていく。

●生きる醍醐味

「生きる醍醐味は何か?」と問われれば、この心の部屋論にたどりつく。
大豪邸に住み、ぜいたくな生活をするのが、醍醐味ということではない。
(もちろんそういう人の心は、狭いということではない。誤解のないように!)

しかしいくらボロ家に住んで、つつましやかな生活をしていても、
心の部屋まで狭くしてしまってはいけない。
こんな例が参考になるかどうかは、わからないが、最近も、こんなことがあった。

私たち夫婦は、今年、H社のハイブリッド・カーを購入するつもりでいた。
何度もショールームに足を運んだ。
T社のハイブリッド・カーも魅力的だった。
何でも燃費が、リッターあたり、38キロ!
驚異的な数字である。
迷ったが、地元の会社であるT車のハイブリッド・カーに決めた。……決めていた。

で、その時期をねらっていたら、三男が結婚して、車がほしいと言い出した。
給料はかなり安いらしい。
しかも電車を乗り継いで通勤できるようなところではないらしい。
そこで私たちは、ギブアップ。
そのお金を三男に回した。
今しばらく、T社のビッツに乗りつづけることにした。
T社の車の中では、最安値の車である。

が、ビッツに乗っていても、卑下感は、まったくない。
大型高級車を見たりすると、ホ〜〜ッとため息をつくことはあるが、そこまで。
けっして負け惜しみではない。

私たち夫婦は、いつもこう言っている。
「車はビッツでも、肉体はベンツ」と。
そういうこともあって、このところ毎日、2人で、10キロは歩くようにしている。
プラス、ワイフは、週2回のテニスクラブ。
私は週4〜5単位のサイクリング。
(1単位=40分の運動量をいう。)

つまりこれが心の余裕ということになる。
さて、ここで究極の選択。

「肉体はビッツで車はベンツ、あるいは肉体はベンツで車はビッツ。
あなたはどちらを選ぶか?」

あるいは、
「豪華な生活をしながら心は4畳半、あるいは4畳半に住みながら、心は
大豪邸。あなたはどちらを選ぶか?」でもよい。

もっとも私のばあい、本音を言えば、大豪邸に住んで、心も大豪邸。
できれば超大型のベンツにも乗りたい。
そういう人も、知人の中には、いないわけではない。

まっ、がんばろう。
ここはがんばるしかない。

隣の心理学部を出て……。
その横には銭湯がある。
これから朝風呂を浴びてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
コールバーグ 道徳の完成度 道徳完成度 はやし浩司 道徳の完成度 完成論 
はやし浩司 心の部屋論 運命論 無数の糸)


Hiroshi Hayashi++++++++May. 09+++++++++はやし浩司

【子どもの道徳・道徳の完成度】

●地球温暖化

+++++++++++++

子どもたちほど、地球温暖化の
問題を真剣に考えているという
のは、興味深い。

他方、おとなほど、この問題に
関して言えば、無責任(?)。

「何とかなるさ」という言い方をする
おとな。「だれかが何とかしてくれ
る」とか、「私ひとりが、がんばって
も、どうしようもない」とか。

そんなふうに考えているおとなは、
多い。

+++++++++++++

 道徳の完成度は、(1)いかに公正であるか、(2)いかに自分を超えたものであるか、
その2点で判断される(コールバーク)。

 いかに公正であるか……相手が知人であるとか友人であるとか、あるいは自分がその立
場にいるとかいないとか、そういうことに関係なく、公正に判断して行動できるかどうか
で、その人の道徳的完成度は決まる。

 いかに自分を超えたものであるか……乳幼児が見せる原始的な自己中心性を原点とする
なら、いかにその人の視点が、地球的であり、宇宙的であるかによって、その人の道徳的
完成度は決まる。

 たとえばひとつの例で考えてみよう。

 あなたはショッピングセンターで働いている。そのとき1人の男性が、万引きをしたと
する。男性は品物をカートではなく、自分のポケットに入れた。あなたはそれを目撃した。

 そこであなたはその男性がレジを通さないで外へ出たのを見計らって、その男性に声を
かけた。が、あなたは驚いた。他人だと思っていたが、その男性は、あなたの叔父だった。

 こういうケースのばあい、あなたなら、どう判断し、どう行動するだろうか。「叔父だか
ら、そのまま見過ごす」という意見もあるだろう。反対に、「いくら叔父でも、不正は不正
と判断して、事務所までいっしょに来てもらう」という意見もあるだろう。

 つまりここであなたの公正さが、試される。「叔父だから、見過ごす」という人は、それ
だけ道徳の完成度が低い人ということになる。

 またこんな例で考えてみよう。

 今、地球温暖化が問題になっている。その地球温暖化の問題について、いろいろな考え
方がある。コールバークが考えた、「道徳的発達段階」を参考に、考え方をまとめてみた。

(第1段階)……自分だけが助かればばいいとか、自分に被害が及ばなければ、それでい
いと考える。被害が及んだときには、自分は、まっさきに逃げる。

(第2段階)……仕事とか、何か報酬を得られるときだけ、この問題を考える。またその
ときだけ、それらしい意見を発表したりする。

(第3段階)……他人の目を意識し、そういう問題にかかわっていることで、自分の立場
をつくったりする。自分に尊敬の念を集めようとする。

(第4段階)……みなでこの問題を考えることが重要と考え、この問題について、みなで
考えたり、行動しようとしたりする。

(第5段階)……みなの安全と幸福を最優先に考え、そのために犠牲的になって活動する
ことを、いとわない。日夜、そのための活動を繰りかえす。

(第6段階)……地球的規模、宇宙的規模で、この問題を考える。さらに、人類のみなら
ず生物全体のことを念頭において、この問題を考え、その考えに沿って、行動する。

 この段階論は、子どもたちの意見を聞いていると、よくわかる。「ぼくには関係ない」と
逃げてしまう子どももいれば、とたん、深刻な顔つきになる子どももいる。さらに興味深
いことは、幼少の子どもほど、真剣にこの問題を考えるということ。

 子どもも中学生や高校生になると、「何とかなる」「だれかが何とかしてくれる」という
意見が目立つようになる。つまり道徳の完成度というのは、年齢とかならずしも比例しな
いということ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
子供の道徳 道徳の完成度 道徳 完成度 はやし浩司 道徳の完成度 コールバーク 
道徳完成度 完成度段階説)







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●無意識下の変化

++++++++++++++++++++

意識できるから、「意識」という。
意識できないから、「無意識」という。
しかし私は考える。
その意識できない部分にある無意識を、なんとか意識できないか、と。
が、ここでまた別の矛盾にぶつかってしまう。

いくら無意識でも、意識したとたん、それは無意識では
なくなってしまう。
意識である、
そしてさらにその奥に、無意識の世界が広がる。
しかもその世界は、意識の世界より、何十万倍も広い。

そうなれば、さらにその奥にある無意識に向かって、
進む。

ということは、意識・無意識の問題は、レベルの問題
ということになる。
探検にたとえるまでもない。
きわめて表層的な意識だけの世界で生きている人もいる。
しかし一方、本来、無意識の世界にまで深く立ち入って、
それを意識して生きている人もいる。

では、どうすれば、無意識の世界まで奥深く立ち入って、
私は、さらに「私」を知ることができるか。

++++++++++++++++++++

●無意識下の世界

 無意識の世界が、具現化して表れるのが「夢」ということになる(フロイト)。
その夢を分析すれば、無意識下の(意識)が、何をどのように考えているかが
わかるという。

●今朝の夢

 今朝、こんな夢を見た。
寝起きの夢である。
そのとき私は、ワイフとどこかの田舎道を歩いていた。
舗装もしてないような、土むき出しの、でこぼこ道だった。
道も、まっすぐではなく、農家の間をぬうような、曲がりくねった道だった。

 私は近くにいた人に、こう聞いた。
「豊橋へ行くのは、どう行けばいいですか」と。
その人はていねいに教えてくれたが、そちらに方向には、道らしい道はなかった。
そこで私は反対側にある、浜松市への方向を聞いた。

 浜松市への道は、やはりでこぼこ道だったが、わかりやすかった。
私とワイフは、道に沿って歩いた。
しばらくすると、バス停があった。
近くに、駄菓子屋もあった。
私とワイフは、バスを待った。

 しばらくすると、バスがやってきた。
見ると「豊橋行き」とあった。
私とワイフは、バスに乗った。
が、どうも様子がおかしい。

 「今、何年ですか?」と聞くと、前に座った客が、「昭和20年です」と答えた。
とたん、今、もっているお金が使えるだろうか、それが心配になった。
私は、昭和20年ごろのお金は、もっていなかった。
最近のお金を出せば、ニセコインと思われるにちがいない。

 そこで目が覚めた。

●夢判断

 私は、自分が見た夢を、どのように判断すればよいのか。
夢と言えば、私のばあい、ほとんどが旅行をしている夢。
たいていはバスや電車に乗る夢。
そこから家に向かって、帰る夢。

 慢性的な不安神経症(パニック障害)が、基礎にあると考えられる。

 で、今回は、昭和20年。
これには最近見た、テレビのドキュメンタリー映画が影響しているようだ。
あるいは私はSF映画を、好んで見る。
その影響もあるかもしれない。

 バスの運賃については、バスに乗るたびに、小銭の心配をする。
それが夢の中にも、出てきた。

 しかし農道にしても、あのバスにしても、いかにも昭和20年ごろのものという
感じがした。
それは私が子どものころ、どこかで見た農道が、記憶の中に残っているものと思われる。

●根なし草

 こうした夢と、私の無意識とどう結びつけたらよいのか。
ひとつ気になる点があるとするなら、私が見る夢は、ここにも書いたように、いつも旅行
をしている夢。
旅行を楽しんでいる夢というよりは、「家に帰る」という夢。

 私はいつもどこかに住みながら、(そこ)を、定住の場所とは考えていない。
あるいはふつうの人ならみな、もっているだろう安定した(故郷感)をもっていない。
私にとって、(故郷)というのは、そういうもの。
子どものころから、実家のあるあの(故郷)が、いやでいやで、たまらなかった。
つまり私は、「根なし草」。
心の拠りどころをもっていない。
それがそのまま夢の中に、現れてくる。

 私が日常的に感じている、不安感、さらに言えば、孤独感の原因も、どうやらその
あたりにある。
そしてそれがそのつど、姿、形を変えて、私の生きざまに大きな影響を与えている。

●末那識(まなしき)

 こうして私は、無意識下の「私」について、ひとつの手がかりを得たことになる。
無意識下にも、「私」がいて、それがいつも私を、「下」から操っている。
・・・と考えなおしてみると、あのジークムント・フロイトという人は、ものすごく頭の
よい人だったということがわかる。

 もっとも仏教の世界でも、同じようなことを言っている。
「末那識」(まなしき)という言葉もある。

「末那識」について書いた原稿をさがしてみる。

++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●愛他的自己愛者(偽善者)

+++++++++++++++++

私の知人に、こんな女性(当時55歳くらい)がいた。
その女性は、何でも、ボランティア活動として、近所の
独居老人の世話をして回っているという。
そういう話を、その女性から直接、聞いた。

「どんなことをしているのですか?」と聞くと、
その女性は、ことこまかに、あれこれと説明してくれた。
で、あるとき、こんな会話をしたのを覚えている。

私がその話に少なからず感動し、「すばらしいことです」と
言ったときのこと。
その女性は、さらにこう言った。
「いえいえ、私なんか、何でもありません。
私の友人のHさんなんかは、独居老人の入浴を手伝っていますよ。
でね、入浴中に、老人が、便をもらすこともあるそうです。
が、Hさんは、そうした便を、手ですくって、外へ捨てていますよ」と。

さらに驚いたことに、話を聞くと、そのHさんというのは、まだ
20代の後半の男性と言った!

私は当時、この話を聞いて、心底、感動し、エッセーも書き残した。

しかし、である。
どうも、この話は、おかしい。
どこか、へん。

+++++++++++++++++++

その人が善行をなすには、その人自身を支える、(周囲文化)というものが必要である。
たとえば自動車産業というものを考えてみよう。
自動車産業が生まれるためには、それを支える周辺の技術、研究、環境が必要である。
人材ももちろん、育成しなければならない。
そういった(周囲)もないまま、自動車産業だけが、忽然(こつぜん)と、
姿を現すということはありえない。

そこで私は、その女性の周辺に興味をもつようになった。
どういう生い立ちで、どういう人生を送ってきたか、などなど。
またその女性を支えている哲学は何か、とも。

しかし、である。
それから5、6年になるが、どこをどうつついても、その(周囲文化)というものが、
浮かび上がってこない。
それなりの基礎があったとか、経験があったとかいうなら、まだ話がわかる。
また会話をしていて、それなりの(深み)を感ずるというのなら、まだ話がわかる。
しかしそういうものが、まったく、ない。
だいたい、本を読んだことさえないという。
音楽も絵画もたしなまない。

そのうち私は、「どうしてそんな女性が、ボランティア活動?」と、疑問に思うように
なった。
が、やがていろいろな情報が入ってくるようになった。

その女性は、ケチの上に、「超」が三つも四つも重なるような女性である。
子どもの教育費すら、惜しんで出さなかったという。
2人の娘がいたが、「大学を出すと、遠くの男と結婚するから」という理由で、
娘たちには、大学へは行かせなかった。
が、世間体だけは人一倍気にしていた。
見栄っぱりで、虚栄心が強かった。
が、決定的だったのは、その女性が、一方でボランティア活動を他人に吹聴しながら、
その前後から始まった実父の介護では、虐待に近いことをしていたということ。

この話を、私はあるケアマネ(ケア・マネージャー)をしている人から聞いた。
そのときには、「ヘエ〜、あの女性がですか……」と言ったきり、言葉が詰まってしまった。

つまりその女性は、ボランティア活動を、自分を飾るための道具として利用していただけ。
口もうまい。
言葉も巧み。
それとなく会話の中に、自分の善行を織り交ぜながら、相手を煙に巻く。
結果として、他人に、自分はすばらしい人間と思わせる。

「明日、町内の会合があるそうですが、私は行けません。
主人に代わりに行ってもらいます。
私には、一人、近所で、気になっている老人がいますので、その人を見回って
あげなければなりません。
かわいそうな人でね。
子どもは1人いるのですが、数年に1、2度、やってくるかどうかという人です。
あわれなもんです。
先日も、何かの書類が必要だというので、その老人のために、私は半日かけて
書類を集めてやりました」とか、何とか。

つまり一貫性がない。

そこまで親身になって独居老人の世話をしているというのなら、それなりの一貫性が
なければならない。
その一貫性が、こちら側に伝わってこなければならない。
さらに言えば、そこに至るまでのプロセスに、(自然さ)がなければならない。

たとえば以前、ある大学の教授の家を訪問したときのこと。
たまたまそこに、カンボジアの難民キャンプから帰ってきたばかりという女性がいた。
その女性は、左手を怪(けが)したとかで、まだ大きな包帯を幾重にも巻いていた。
「暴動に巻きこまれて、怪我をしました」「それで休暇をもらって、日本へ帰ってきて
います」ということだった。

そういう女性と話していると、(自然さ)を感ずる。
深い人間愛というか、人間味を感ずる。
哲学や人生観を感ずる。
どこにもスキがない。
私がここでいう(一貫性)というのは、それをいう。

で、私たちの世界では、先に書いたような女性のことを、「愛他的自己愛者」、つまり、
「偽善者」という。
もっとも軽蔑すべき人間ということになる。
なるが、先に書いたケアマネの人は、こう言って教えてくれた。

「そういう女性だとわかっていますが、そういう人でも、何かと助かっています」と。
偽善がときには、真善になるということもあるということか。
私には、とてもマネできないことだが……。


Hiroshi Hayashi++++++++JAN. 09++++++++++++はやし浩司

【末那識(まなしき)】

●偽善

 他人のために、善行をほどこすことは、気持ちがよい。
楽しい。
そう感ずる人は、多い。
俗にいう、「世話好きな人」というのは、そういう人をいう。
しかしそういう人が、本当に他人のことを思いやって、そうしているかと言えば、それは
どうか?

実は、自分のためにしているだけ……というケースも、少なくない。

このタイプの人は、いつも、心のどこかで、たいていは無意識のまま、計算しながら行動
する。
「こうすれば、他人から、いい人に思われるだろう」「こうすれば、他人に感謝されるだろ
う」と。
さらには、「やってあげるのだから、いつか、そのお返しをしてもらえるだろう」と。

心理学の世界でも、こういう心理的動作を、愛他的自己愛という。
自分をよく見せるために、他人を愛しているフリをしてみせることをいう。
しかしフリは、フリ。
中身がない。仏教の世界にも、末那識(まなしき)という言葉がある。
無意識下のエゴイズムをいう。わかりやすく言えば、偽善。

 人間には、表に現われたエゴイズム(自分勝手)と、自分では意識しない、隠されたエ
ゴイズムがある。
表に現れたエゴイズムは、わかりやすい。自分でも、それを意識することができる。

 しかし、この自分では意識しない、隠されたエゴイズムは、そうでない。
その人の心を、裏から操る。
そういう隠されたエゴイズムを、末那識というが、仏教の世界では、この末那識を、強く
戒める。

 で、日本では、「自己愛」というと、どこか「自分を大切にする人」と考えられがちであ
る。しかしそれは誤解。自己愛は、軽蔑すべきものであって、決して、ほめたたえるべき
ものではない。

 わかりやすく言えば、自己中心性が、極端なまでに肥大化した状態を、「自己愛」という。
どこまでも自分勝手でわがまま。
「この世界は、私を中心にして回っている」と錯覚する。「大切なのは、私だけ。あとは、
野となれ、山となれ」と。

 その自己愛が基本にあって、自己愛者は、自分を飾るため、善人ぶることがある。繰り
かえしになるが、それが愛他的自己愛。つまり、偽善。

 こんな例がある。

●恩着せ

 そのときその男性は、24歳。その日の食費にも、ことかくような貧しい生活をしてい
た。

 その男性から、相談を受けたXさん(女性、40歳くらい)がいた。その男性と、たま
たま知りあいだった、そこでXさんは、その男性を、ある陶芸家に紹介した。
町の中で、クラブ制の窯(かま)をもっていた。
教室を開いていた。その男性は、その陶芸家の助手として働くようになった。

 が、それがその男性の登竜門になった。その男性は、思わぬ才能を発揮して、あれよ、
あれよと思う間に、賞という賞を総なめにするようになった。20年後には、陶芸家とし
て、全国に、名を知られるようになった。

 その男性について、Xさんは、会う人ごとに、こう言っている。

 「あの陶芸家は、私が育ててやった」「私が口をきいてやっていなければ、今でも、貧乏
なままのはず」「私が才能をみつけてやった」と。
そして私にも、こう言った。

 「恩知らずとは、ああいう人のことを言うのね。あれだけの金持ちになっても、私には
1円もくれない。あいさつにもこない。盆暮れのつけ届けさえくれない」と。

 わかるだろうか?

 このXさんは、親切な人だった。そこでその男性を、知りあいの陶芸家に紹介した。
が、その親切は、ある意味で、計算されたものだった。
本当に親切であったから、Xさんは、その男性を、陶芸家に紹介したわけではなかった。
それに一言、つけ加えるなら、その男性が、著名な陶芸家になったのは、あくまでもその
男性自身の才能と努力によるもの。

 ここに末那識(まなしき)がある。

●愛他的自己愛

 この末那識は、ちょっとしたことで、嫉妬、ねたみ、ひがみに変化しやすい。
Xさんが、「恩知らず」とその男性を、非難する背景には、それがある。そこで仏教の世界
では、末那識つまり、自分の心の奥底に潜んで、人間を裏から操(あやつ)るエゴイズム
を、問題にする。

 心理学の世界では、愛他的自己愛というが、いろいろな特徴がある。ここに書いたのは、
偽善者の特徴と言いかえてもよい。

(1)行動がどこか不自然で、ぎこちない。
(2)行動がおおげさで、演技ぽい。
(3)行動が、全体に、恩着せがましい。
(4)自分をよく見せようと、ことさら強調する。
(5)他人の目を、強く意識し、世間体を気にする。
(6)行動が、計算づく。損得計算をいつもしている。
(7)裏切られるとわかると(?)、逆襲しやすい。
(8)他人をねたみやすく、嫉妬しやすい。
(9)他人の不幸をことさら笑い、話の種にする。

 こんな例もある。同じ介護指導員をしている、私の姉から聞いた話である。

●Yさんの仮面

 Yさん(60歳、女性)は、老人介護の指導員として、近所の老人家庭を回っていた。
介護士の資格はもっていなかったから、そのため、無料のボランティア活動である。

 とくにひとり住まいの老人の家庭は、数日ごとに、見舞って、あれこれ世話を焼いてい
た。
もともと世話好きな人ということもあった。

 やがてYさんは、町役場の担当の職員とも対等に話ができるほどまでの立場を、自分の
ものにした。
そして市から、介護指導員として、表彰状を受けるまでになった。

 だからといって、Yさんが、偽善者というわけではない。
またYさんを、非難しているわけでもない。仮に偽善者であっても、そのYさんに助けら
れ、励まされた人は、多い。
またYさんのような親切は、心のかわいたこの社会では、一輪の花のように、美しく見え
る。

 が、Yさんは、実は、そうした老人のために、指導員をしているのではなかった。
またそれを生きがいにしていたわけでもない。
Yさんは、「自分が、いい人間に思われることだけ」を考えながら、介護の指導員として活
動していた。

 みなから、「Yさんは、いい人だ」と言われるために、だ。Yさんにしてみれば、それほ
ど、心地よい世界は、なかった。

 しかしやがて、そのYさんの仮面が、はがれる日がやってきた。

 Yさんが、実父の介護をするようになったのである。

実父は、元気な人だったが、脳梗塞(こうそく)を起こしてしまった。
トイレや風呂くらいは、何とか自分で行けたが、それ以外は、寝たきりに近い状態になっ
てしまった。
年齢は、73歳(当時)。

 最初は、Yさんは、このときとばかり、介護を始めたが、それが1か月もたたないうち
に、今度は、実父を虐待するようになった。
風呂の中で、実父が、大便をもらしたのがきっかけだった。

 Yさんは、激怒して、実父に、バスタブを自分で洗わせた。
実父に対する、執拗な虐待が始まったのは、それからのことだった。

 食事を与えない。与えても、少量にする。
同じものしか与えない。初夏の汗ばむような日になりかけていたが、窓を、開けさせない。
風呂に入らせない。
実父が腹痛や、頭痛を訴えても、病院へ連れていかない、など。

 こうした事実から、介護指導員として活動していたときの、Yさんは、いわば仮面をか
ぶっていたことがわかったという。
ケアマネの人は、こう言った。

 「他人の世話をするのは、遊びでもできるけど、身内の世話となるいと、そうはいかな
いからね」と。

●子育ての世界でも

 親子の間でも、偽善がはびこることがある。無条件の愛とか、無償の愛とかはいうが、
しかしそこに打算が入ることは、少なくない。

 よい例が、「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」という、あの言葉で
ある。
昔風の、親意識の強い人ほど、この言葉をよく使う。

 中には、子どもに、そのつど、恩を着せながら、その返礼を求めていく親がいる。
子どもを1人の人間としてみるのではなく、「モノ」あるいは、「財産」、さらには、「ペッ
ト」としてみる。
またさらには、「奴隷」のように考えている親さえいる。

 息子(当時29歳)が、新築の家を購入したとき、その息子に向って、「親よりいい生活
をするのは、許せない」「親の家を、建てなおすのが先だろ」と、怒った母親さえいた。

 あるいは結婚して家を離れた娘(27歳)に、こう言った母親もいた。

 「親を捨てて、好きな男と結婚して、それでもお前は幸せになれると思うのか」「死んで
も墓の中から、お前を、のろい殺してやる」と。

 そうでない親には、信じがたい話かもしれないが、事実である。
私たちは、ともすれば、「親だから、まさかそこまではしないだろう」という幻想をもちや
すい。
しかしこうした(ダカラ論)ほど、あてにならないものはない。

 親にもいろいろある。

 もっとも、こうしたケースは、稀(まれ)。
しかしそれに近い、代償的過保護となると、「あの人も……」「この人も……」というほど、
多い。

●代償的過保護

 代償的過保護……。ふつう「過保護」というときは、その奥に、親の深い愛情がある。
愛情が基盤にあって、親は、子どもを過保護にする。

しかし代償的過保護というときは、その愛情が希薄。あるいはそれがない。「子どもを自分
の支配下において、自分の思いどおりにしたい」という過保護を、代償的過保護という。

 見た目には、過保護も、代償的過保護も、よく似ている。
しかし大きくちがう点は、代償的過保護では、親が子どもを、自分の不安や心配を解消す
る道具として、利用すること。
子どもが、自分の支配圏の外に出るのを、許さない。よくある例は、子どもの受験勉強に
狂奔する母親たちである。

 「子どものため」を口にしながら、その実、子どものことなど、ほとんど考えていない。
人格さえ認めていないことが多い。
自分の果たせなかった夢や希望を、子どもに強要することもある。
世間的な見得、メンツにこだわることもある。

 代償的過保護では、親が子どもの前に立つことはあっても、そのうしろにいるはずの、
子どもの姿が見えてこない。

 つまりこれも、広い意味での、末那識(まなしき)ということになる。
子どもに対する偽善といってもよい。
勉強をいやがる息子に、こう言った母親がいた。

 「今は、わからないかもしれないけど、いつか、あなたは私に感謝する日がやってくる
わよ。SS中学に合格すれば、いいのよ。お母さんは、あなたのために、勉強を強いてい
るのよ。わかっているの?」と。

●教育の世界でも

 教育の世界には、偽善が多い。
偽善だらけといってもよい。
教育システムそのものが、そうなっている。

 その元凶は「受験競争」ということになるが、それはさておき、子どもの教育を、教育
という原点から考えている親は、いったい、何%いるだろうか。
教師は、いったい、何%いるだろうか。

 教育そのものが、受験によって得る欲得の、その追求の場になっている。
教育イコール、進学。
進学イコール、教育というわけである。

さらに私立中学や高校などにいたっては、「進学率」こそが、その学校の実績となっている。
今でも夏目漱石の「坊ちゃん」の世界が、そのまま生きている。
数年前も、関東地方を中心にした、私立中高校の入学案内書を見たが、どれも例外なく、
その進学率を誇っていた。

 SS大学……5人
 SA大学……12人
 AA大学……24人、と。

 中には、付録として、どこか遠慮がちに別紙に刷りこんでいる案内書もあったが、良心
的であるから、そうしているのではない。
毎年、その別紙だけは、案内書とは分けて印刷しているために、そうなっている。

 この傾向は、私が住む、地方都市のH市でも、同じ。
どの私立中高校も、進学のための特別クラスを編成して、親のニーズに答えようとしてい
る。

 で、さらにその元凶はいえば、日本にはびこる、職業による身分差別意識と、それに不
公平感である。
それらについては、すでにたびたび書いてきたのでここでは省略するが、ともかくも、偽
善だらけ。

 つまりこうした教育のあり方も、仏教でいう、末那識(まなしき)のなせるわざと考え
てよい。

●結論

 私たちには、たしかに表の顔と、裏の顔がある。
文明という、つまりそれまでの人間が経験しなかった、社会的変化が、人間をして、そう
させたとも考えられる。

 このことは、庭で遊ぶスズメたちを見ていると、わかる。
スズメたちの世界は、実に単純、わかりやすい。礼節も文化もない。
スズメたちは、「生命」まるだしの世界で、生きている。

 それがよいとか、はたまた、私たちが営む文明生活が悪いとか、そういうことを言って
いるのではない。

 私たち人間は、いつしか、自分の心の奥底に潜む本性を覆(おお)い隠しながら、他方
で、(人間らしさ)を追求してきた。
偽善にせよ、愛他的自己愛にせよ、そして末那識にせよ、人間がそれをもつようになった
のは、その結果とも言える。

 そこで大切なことは、まず、そういう私たち人間に、気づくこと。
「私は私であるか」と問うてみるのもよい。
「私は本当に善人であるか」と問うてみるのもよい。あなたという親について言うなら、「本
当に、子どものことを考え、子どものために教育を考えているか」と問うてみるのもよ
い。

 こうした作業は、結局は、あなた自身のためでもある。あなたが、本当のあなたを知り、
ついで、あなたが「私」を取りもどすためでもある。

 さらにつけたせば、文明は、いつも善ばかりとはかぎらない。
悪もある。その悪が、ゴミのように、文明にまとわりついている。それを払いのけて生き
るのも、文明人の心構えの一つということになる。
(はやし浩司 末那識 自己愛 偽善 愛他的自己愛 愛他的自己像 私論)
(050304)

【補記】

●みんなで偽善者を排斥しよう。偽善者は、そこらの犯罪者やペテン師より、さらに始末
が悪い

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もう1作、見つかったので、
そのまま紹介します。

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●仏教聖典
(Buddah’s Teaching)

仏教伝道協会発行の「仏教聖典」を座右の書とするようになって、そろそろ1年になる。
この本は、どこの旅館やホテルにも置いてある。そこでこの本のことを知った。
一度、あるホテルのマネージャーに売ってくれないかと頼んだことがあるが、断られた。
そこで協会のほうへ直接注文して、取り寄せた。料金は後払いでよいということだった。

内容については、私のBLOGやマガジンのほうでも、たびたび、
引用させてもらっている。

まず「因縁(いんねん)」について……。

因と縁のことを、「因縁」という。
因とは、結果を生じさせる直接的原因。縁とは、それを助ける外的条件である。
あらゆるものは、因縁によって生滅するので、このことを「因縁所生」などという。
この道理をすなおに受け入れることが、仏教に入る大切な条件とされる。
世間では転用して、悪い意味に用いられることもあるが、本来の意味を逸脱したもので
あるから、注意を要する。
なお縁起というばあいも、同様である。(同書、P318)

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仏教聖典、いわく、

『この人間世界は苦しみに満ちている。
生も苦しみであり、老いも、病も、死も、みな苦しみである。
怨みのあるものと会わなければならないことも、
愛するものと別れなければならないことも、
また求めて得られないことも苦しみである。
まことに執着(しゅうじゃく)を離れない人生は、すべて苦しみである。
これを苦しみの真理、「苦諦(くたい)」という』(P42)

こうした苦しみが起こる原因として、仏教は、「集諦(じったい)」をあげる。
つまりは、人間の欲望のこと。この欲望が、さまざまに姿を変えて、苦しみの原因となる。

では、どうするか。

この苦しみを滅ぼすために、仏教では、8つの正しい道を教える。
いわゆる「八正道」をいう。

正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。

(1) 正見 ……正しい見解
(2) 正思惟……正しい思い
(3) 正語 ……正しい言葉
(4) 正業 ……正しい行い
(5) 正命 ……正しい生活
(6) 正精進……正しい努力
(7) 正念 ……正しい記憶
(8) 正定 ……正しい心の統一(同書)をいう。

仏教聖典には、こうある。

『これらの真理を人はしっかりと身につけなければならない。
というのは、この世は苦しみに満ちていて、この苦しみから逃れようとするものは、
だれでも煩悩を断ち切らなければならないからである。
煩悩と苦しみのなくなった境地は、さとりによってのみ、到達し得る。
さとりはこの8つの正しい道によってのみ、達し得られる(同書、P43)。

以前、「空」について書いたことがある。

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●すべて「空」

 大乗仏教といえば、「空(くう)」。この空の思想が、大乗仏教の根幹をなしているといっ
ても過言ではない。つまり、この世のすべてのものは、幻想にすぎなく、実体のあるもの
は、何もない、と。

 この話は、どこか、映画、『マトリックス』の世界と似ている。あるいは、コンピュータ
の中の世界かもしれない。

 たとえば今、目の前に、コンピュータの画面がある。しかしそれを見ているのは、私の
目。そのキーボードに触れているのは、私の手の指、ということになる。そしてその画面
には、ただの光の信号が集合されているだけ。

 私たちはそれを見て、感動し、ときに怒りを覚えたりする。

 しかし目から入ってくる視覚的刺激も、指で触れる触覚的刺激も、すべて神経を介在し
て、脳に伝えられた信号にすぎない。「ある」と思うから、そこにあるだけ(?)。

 こうした「空」の思想を完成したのは、実は、釈迦ではない。釈迦滅後、数百年後を経
て、紀元後200年ごろ、竜樹(りゅうじゅ)という人によって、完成されたと言われて
いる。釈迦の生誕年については、諸説があるが、日本では、紀元前463年ごろとされて
いる。

 ということは、私たちが現在、「大乗仏教」と呼んでいるところのものは、釈迦滅後、6
00年以上もたってから、その形ができたということになる。そのころ、般若経や法華経
などの、大乗経典も、できあがっている。

 しかし竜樹の知恵を借りるまでもなく、私もこのところ、すべてのものは、空ではない
かと思い始めている。私という存在にしても、実体があると思っているだけで、実は、ひ
ょっとしたら、何もないのではないか、と。

 たとえば、ゆっくりと呼吸に合わせて上下するこの体にしても、ときどき、どうしてこ
れが私なのかと思ってしまう。

 同じように、意識にしても、いつも、私というより、私でないものによって、動かされ
ている。仏教でも、そういった意識を、末那識(まなしき)、さらにその奥深くにあるもの
を、阿頼那識(あらやしき)と呼んでいる。心理学でいう、無意識、もしくは深層心理と、
同じに考えてよいのでは(?)。

 こう考えていくと、肉体にせよ、精神にせよ、「私」である部分というのは、ほんの限ら
れた部分でしかないことがわかる。いくら「私は私だ」と声高に叫んでみても、だれかに、
「本当にそうか?」と聞かれたら、「私」そのものが、しぼんでしまう。

 さらに、生前の自分、死後の自分を思いやるとよい。生前の自分は、どこにいたのか。
億年の億倍の過去の間、私は、どこにいたのか。そしてもし私が死ねば、私は灰となって、
この大地に消える。と、同時に、この宇宙もろとも、すべてのものが、私とともに消える。

 そんなわけで、「すべてが空」と言われても、今の私は、すなおに、「そうだろうな」と
思ってしまう。ただ、誤解しないでほしいのは、だからといって、すべてのものが無意味
であるとか、虚(むな)しいとか言っているのではない。私が言いたいのは、その逆。

 私たちの(命)は、あまりにも、無意味で、虚しいものに毒されているのではないかと
いうこと。私であって、私でないものに、振りまわされているのではないかということ。
そういうものに振りまわされれば振りまわされるほど、私たちは、自分の時間を、無駄に
することになる。

●自分をみがく

 そこで仏教では、修行を重んじる。その方法として、たとえば、八正道(はっしょうど
う)がある。これについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。正見、
正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。

 が、それでは足りないとして生まれたのが、六波羅密ということになる。六波羅密では、
布施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目と位置づける。

 八正道が、どちらかというと、自己鍛錬のための修行法であるのに対して、六波羅密は、
「布施」という項目があることからもわかるように、より利他的である。

 しかし私は、こうしてものごとを、教条的に分類して考えるのは、あまり好きではない。
こうした教条で、すべてが語りつくされるとは思わないし、逆に、それ以外の、ものの考
え方が否定されてしまうという危険性もある。「まあ、そういう考え方もあるのだな」とい
う程度で、よいのではないか。

 で、仏教では、「修行」という言葉をよく使う。で、その修行には、いろいろあるらしい。
中には、わざと体や心を痛めつけてするものもあるという。怠(なま)けた体には、そう
いう修行も必要かもしれない。しかし、私は、ごめん。

 大切なことは、ごくふつうの人間として、ごくふつうの生活をし、その生活を通して、
その中で、自分をみがいていくことではないか。悩んだり、苦しんだりしながらして、自
分をみがいていくことではないか。奇をてらった修行をしたからといって、その人の人格
が高邁(こうまい)になるとか、そういうことはありえない。

 その一例というわけでもないが、よい例が、カルト教団の信者たちである。信者になっ
たとたん、どこか世離れしたような笑みを浮かべて、さも自分は、すぐれた人物ですとい
うような雰囲気を漂わせる。「お前たち、凡人とは、ちがうのだ」と。

 だから私たちは、もっと自由に考えればよい。八正道や、六波羅密も参考にしながら、
私たちは、私たちで、それ以上のものを、考えればよい。こうした言葉の遊び(失礼!)
に、こだわる必要はない。少なくとも、今は、そういう時代ではない。

 私たちは、懸命に考えながら生きる。それが正しいとか、まちがっているとか、そんな
ことを考える必要はない。その結果として、失敗もするだろう。ヘマもするだろう。まち
がったこともするかもしれない。

 しかしそれが人間ではないか。不完全で未熟かもしれないが、自分の足で立つところに、
「私」がいる。無数のドラマもそこから生まれるし、そのドラマにこそ、人間が人間とし
て、生きる意味がある。

 今は、この程度のことしかわからない。このつづきは、もう少し頭を冷やしてから、考
えてみたい。
(050925記)
(はやし浩司 八正道 六波羅密 竜樹 大乗仏教 末那識 阿頼那識)

++++++++++++++++

八正道の中でも、私は、正精進こそが、
もっとも重要だと思う。

とくに、今の私のように、健康で、何一つ
不自由のない生活をしているものにとっては、
そうである。

けっして今の状況を、怠惰に過ごしてはいけない。
時間にはかぎりがあり、人生にも、それゆえに
限界がある。

それこそ死を宣告されてから、悟りを求めても、
遅いということ。

たとえば肺ガンを宣告されてから、タバコをやめたり、
胃ガンを宣告されてから、飲酒をやめても、遅い。

健康であるなら、さらに今の生活が満ち足りたものであるなら、
なおさら、私たちは、精進に精進を重ねる。

一瞬、一秒たりとも、無駄にできる時間はない。
また無駄にしてはいけない。

正精進について書いた原稿がある。
一部内容がダブるが、許してほしい。

++++++++++++++++++++

●正精進

 釈迦の教えを、もっともわかりやすくまとめたのが、「八正道(はっしょうどう)」とい
うことになる。仏の道に至る、修行の基本と考えると、わかりやすい。

 が、ここでいう「正」は、「正しい」という意味ではない。釈迦が説いた「正」は、「中
正」の「正」である。つまり八正道というのは、「八つの中正なる修行の道」という意味で
ある。

 怠惰な修行もいけないが、さりとて、メチャメチャにきびしい修行も、いけない。「ほど
ほど」が、何ごとにおいても、好ましいということになる。が、しかし、いいかげんとい
う意味でもない。

 で、その八正道とは、(1)正見、(2)正思惟、(3)正語、(4)正業、(5)正命、(6)
正念、(7)正精進(8)正定、をいう。広辞苑には、「すなわち、正しい見解、決意、言
葉、行為、生活、努力、思念、瞑想」とある。

 このうち、私は、とくに(8)の正精進を、第一に考える。釈迦が説いた精進というの
は、日々の絶えまない努力と、真理への探究心をいう。そこには、いつも、追いつめられ
たような緊迫感がともなう。その緊迫感を大切にする。

 ゴールは、ない。死ぬまで、努力に努力を重ねる。それが精進である。で、その精進に
ついても、やはり、「ほどほどの精進」が、好ましいということになる。少なくとも、釈迦
は、そう説いている。

 方法としては、いつも新しいことに興味をもち、探究心を忘れない。努力する。がんば
る。が、そのつど、音楽を聞いたり、絵画を見たり、本を読んだりする。が、何よりも重
要なのは、自分の頭で、自分で考えること。「考える」という行為をしないと、せっかく得
た情報も、穴のあいたバケツから水がこぼれるように、どこかへこぼれてしまう。

 しかし何度も書いてきたが、考えるという行為には、ある種の苦痛がともなう。寒い朝
に、ジョギングに行く前に感ずるような苦痛である。だからたいていの人は、無意識のう
ちにも、考えるという行為を避けようとする。

 このことは、子どもたちを見るとわかる。何かの数学パズルを出してやったとき、「や
る!」「やりたい!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になる子どももいる。中に
は、となりの子どもの答をこっそりと、盗み見する子どももいる。

 子どもだから、考えるのが好きと決めてかかるのは、誤解である。そしてやがて、その
考えるという行為は、その人の習慣となって、定着する。

 考えることが好きな人は、それだけで、それを意識しなくても、釈迦が説く精進を、生
活の中でしていることになる。そうでない人は、そうでない。そしてそういう習慣のちが
いが、10年、20年、さらには30年と、積もりに積もって、大きな差となって現れる。

 ただ、ここで大きな問題にぶつかる。利口な人からは、バカな人がわかる。賢い人から
は、愚かな人がわかる。考える人からは、考えない人がわかる。しかしバカな人からは、
利口な人がわからない。愚かな人からは、賢い人がわからない。考えない人からは、考え
る人がわからない。

 日光に住む野猿にしても、野猿たちは、自分たちは、人間より、劣っているとは思って
いないだろう。ひょっとしたら、人間のほうを、バカだと思っているかもしれない。エサ
をよこせと、キーキーと人間を威嚇している姿を見ると、そう感ずる。

 つまりここでいう「差」というのは、あくまでも、利口な人、賢い人、考える人が、心
の中で感ずる差のことをいう。

 さて、そこで釈迦は、「中正」という言葉を使った。何はともあれ、私は、この言葉を、
カルト教団で、信者の獲得に狂奔している信者の方に、わかってもらいたい。彼らは、「自
分たちは絶対正しい」という信念のもと、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と、
相手を切って捨てる。

 こうした急進性、ごう慢性、狂信性は、そもそも釈迦が説く「中正」とは、異質のもの
である。とくに原理主義にこだわり、コチコチの頭になっている人ほど、注意したらよい。
(はやし浩司 八正道 精進 正精進)

【補足】

 子どもの教育について言えば、いかにすれば、考えることが好きな子どもにするか。そ
れが、一つの重要なポイントということになる。要するに「考えることを楽しむ子ども」
にすればよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 正見、正思惟、正語、正業、
正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道 仏教聖典 はやし浩司)








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●識字障害(失読症・ディスクレシア)(文字の読めない
子ども、20人に1人!)

++++++++++++++++++++

文字を読めない子どもがいる。
何とか読むことはできても、意味や内容を理解
できない。

学習障害児の1様態として考えられている。

日本人のばあい、全体の5%(アメリカ人は全体の10%)いる
と言われている(NHKオンライン)

インターネットを使って、「識字能力」を調べてみた。

++++++++++++++++++++

●ウィキペディア百科事典より

 ウィキペディア百科事典には、つぎのようにある。

『……知的能力及び一般的な学習能力の脳内プロセスに特に異常がないにもかかわらず、
書かれた文字を読むことができない、読めてもその意味が分からない(文字と意味両方と
もそれぞれ単独には理解できていることに注意)などの症状が現れる。逆に意図した言葉
を正確に文字に表すことができなくなる「書字表出障害(ディスグラフィア、Dysgraphia)」
を伴うこともある。また簡単な計算ができない「計算障害」を伴うことも多い。左脳内の
文字と意味の相関関係を司る特殊なプロセスに何らかの障害が発生していると考えられて
いるが、はっきりした原因はまだ突き止められていない。なお家族性の発症例も古くから
知られており、遺伝マーカーとの関連に関する研究も行われている』(以上、ウィキペディ
ア百科事典より)。

●NHKオンラインより

 NHKオンラインのHPには、「日本でも5%もいることがわかってきた」という。

『……会話能力にも問題はなく、しかも眼に異常があるわけでもないのに、文章を読むの
に著しい困難を抱える人たちがいる。読字障害だ。この障害が見つかったのは、19世紀
末の英国。数字の「7」は読めるのに「seven」を見せると読めない中学生が見つかった。
当時は、まれなケースと思われていたが、英米では人口の10%、日本では5%もいること
が判ってきた。最新の研究によって読字障害の人は一般の人と、脳での情報処理の仕方が
異なることが明らかになってきた。通常、情報を統合する領域で文字を自動処理している
が、読字障害の人は文字処理をスムーズにできないのである。人類が文字を使い始めてわ
ずか5千年、この時間の短さ故、脳は十分に文字を処理できるよう適応しきれていないの
である』(NHKオンライン)。

●Yahoo・知恵袋より

 識字能力といっても、内容はさまざまに分類される。

『……日本語で失読症と翻訳されている言葉には、Alexia(アレクシア)とDyslexia(デ
ィスレクシア)の2つがあります。

 まず、Alexia(アレクシア)からご説明します。英語版のWikipediaからの引用
http://en.wikipedia.org/wiki/Alexia_(disorder)をご覧下さい。後天的な脳障害にて、言語機
能のうち、「読む」能力が選択的に障害された状態です。失語症の特殊なタイプと考えられ
ています。

 Dyslexia(ディスレクシア)については、こちら
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AC%E...
をご参照下さい。ディスレクシアは学習障害の一種であり、失読症、難読症、識字障害、
読字障害ともいう、と説明されています。アメリカ合衆国では人口の約15%がディスレク
シアと言われています。トム・クルーズがディスレクシアを抱えていたことを告白したこ
とも、人々の関心を呼び起こした原因となっています。

 国際Dyslexia協会のホームページ
http://square.umin.ac.jp/LDDX/newpage106htm.htmもお読みください。先天性、後天性
の読み書き障害の違いについて、説明されています。ちなみに、この協会ではディスレク
シアを発達性読み書き障害と表記しています。

 Alexia(失読症)、Aphasia(失語症)に使用されているA-は、否定の意味を示す接頭語
です。Apraxia(失行症)、Agnosia(失認症)も全く同じです。これら高次脳機能障害に使
用されている用語は、学問的にも行政的にも、ほぼ確立しています。

 一方、Dyslexia(ディスレクシア)やDysmetria(測定障害)で使われているDys-は、
同じ接頭語でも困難であることを示しています。このため、日本語の訳語でも、「〜障
害」
と表記されることが多いようです。

 既にAlexiaを失読症と翻訳している現状を考えると、ディスレクシアを失読症と表記す
ることは妥当ではなく、難読症、ないし、識字障害、読字障害と表記すべきでしょう。さ
らに言うと、代表的な学習障害であるという意味を強調するために、国際Dyslexia協会が
使用している発達性読み書き障害という用語の方が意味が明快です。いずれにせよ、ディ
スレクシアをどう表記するかについては、関係学会の調整が必要です。それまでの間は、
ディスレクシア(難読症)と併記するなどの工夫をするしかないでしょう』(Yahoo・知恵
袋より)。

●発達障害の救急箱HPより

 日本でも有名人の中に、識字障害の人がいると言われている。
故岡本太郎氏や、タレントの黒柳徹子氏らの実名があげられている。

『……ディスレクシア(ディスレキシア)とされる芸能人、有名人
• 岡本太郎(おかもとたろう) 
• 黒柳徹子(くろやなぎてつこ) 
http://www.laqoo.net/hattatu/dyslexia.html』(発達障害の救急箱HP)。

++++++++++++++++++++

●識字障害(Dyslexia)

+++++++++++++++

ほぼ20年ぶりに、ある家族を訪問してみた。
どこか雰囲気がおかしい。
見慣れた家庭の様子とは、どこかちがう。
が、そのときは気がつかなかった。

で、その1年後、再びその家庭を訪問してみて、
私は知った。
その家には、本という本、雑誌にいたるまで、
それがまったくなかった!

+++++++++++++++

●文章を読めない人たち

 その家族……Y家としておく。
私の遠い親戚にあたる。
そのY家の息子(高校3年生)が、引きこもり状態になってしまったという。
相談があった。
そこで私は、資料を、30〜40ページあまりプリントアウトし、それを直接
Y家の人に届けることにした。

 Y家は、見慣れた家庭の雰囲気とは、どこかちがっていた。
どこかちがうということはわかったが、理由がわからなかった。
が、2度目に訪問してみて、気がついた。

 本がない!
本という本が、ない!
雑誌も、ない!
新聞はあったようだが、読んだ形跡がほとんど、ない!
食卓のある居間には、大きなテレビがあった。
ふつうなら、そのあたりに、何冊か本が並んでいる。
それもなかった!

●「私、そんなもん、読んでもわかりません!」

 異変はつづいた。
食卓のある居間で待っていると、そこへYさん(妻)がやってきた。
で、簡単なあいさつをして、私がカバンの中から、プリントアウトした資料を
見せようとしたその瞬間のこと。
Yさんが、突然パニック状態になり、書類のたばを見ることもなく、それを
片手で払いのけてしまった。
「私、そんなもん、読んでもわかりません!」と。

 「引きこもりに関する資料ですが……」と、それを集めてYさんに再び
見せようとすると、Yさんは、そのまま、席を立ってしまった。

 異様な行動だった。
文字というより、書類の束(たば)に、拒絶反応を示した。
そのとき私の脳裏を、「識字障害」という言葉が横切った。

 たいへん珍しいケースだが、Y家では、夫のY氏も、妻のYさんも、
その識字障害者だった。
……というより、若い時より(文字を読まない)→(ますます読めなくなる)の
悪循環の中で、文字から遠ざかってしまった。

ついでにいうと、引きこもりを起こした息子にも、その傾向が見られた。
その少し前、「英語が苦手」「英語の単語をまったく覚えられない」という話を
聞いていた。

●識字障害

 識字障害といっても、

『日本語で失読症と翻訳されている言葉には、Alexia(アレクシア)とDyslexia(ディス
レクシア)の2つがあります。……ディスレクシアは学習障害の一種であり、失読症、難
読症、識字障害、読字障害ともいう』(ヤフー知恵袋)とある。

 つまり失語症といっても、

(Alexiaアレクシア)……後天的な脳障害にて、言語機能のうち、「読む」能力が選
択的に障害された状態。
(Dyslexiaディスクレシア)……学習障害の1つ。
に分類される。

 さらにディスクレシアといっても、

(1) 書かれた文字を読むことができない、
(2) 読めてもその意味が分からない
(3) (文字と意味両方ともそれぞれ単独には理解できていることに注意)
(4) 逆に意図した言葉を正確に文字に表すことができなくなる「書字表出障害(ディス
グラフィア、Dysgraphia)」を伴うこともある。
(5) また簡単な計算ができない「計算障害」を伴うことも多い。(以上、ウィキペディア
百科事典より)というように分類される。

●Y家のばあい

 Yさんにしても、簡単な手紙の読み書きくらいはできる。
実際、手紙をもらったことがある。
また自分たちがそうであることを自覚しているためか、(とりつくろい)が、たいへん
うまい。

 その場をたいへんうまく、とりつくろう。

 同じ日、こんなことがあった。
私がたまたま実母の介護のことで困っていたので、そのことをふと漏らすと、Yさんは、
「いい資料がある」と言って、奥のほうから、小冊子をもってきてくれた。
Yさん自身も、ボランティアだが、近所の老人の世話をしていた。

 が、Yさんはポンとその資料をテーブルの上に置くと、そのままどこかへ行ってしま
った。
「今、しかけた仕事があるから……」と。

 Yさんの説明を期待していたが、私はその資料を、最初からすべて読むハメになった。

●早期発見、訓練こそが、大切

 「5%〜10%」という数字には、驚く。
私も子どもたちの指導を通して、「文章を読めない子ども」というのは、数多く
経験してきた。
さらに「英語の単語を覚えられない」という子どもも、経験してきた。
しかしそれらの子どもが、脳の機能そのものに問題があり、さらにその数が、
20人に1人以上もいるというということまでは知らなかった。
(程度の差もあるだろうから、軽度の子どもも含めれば、数はもっと多い。)

 原因としては、人間の脳が、まだそこまで進化していないということが考え
られる。
文字の発明は、紀元前3500年前後までさかのぼることができる。
が、文字が一般社会に普及し始めたのは、ここ数百年のことである。
脳の機能が、こと文字の発達に、追いついていないということは、じゅうぶん
考えられる。

 が、(機能)の問題であるだけに、早期に発見し、適切に対処すれば、改善の
余地は大いにありということになる。

 現に黒柳徹子氏などは、本まで書いている。

 今、その研究と対策が、始まったばかりということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 識字障害 文字を読めない子ども 難読症 はやし浩司 文盲 失読  
Alexia(アレクシア) Dyslexia(ディスレクシア))







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【子どもを叱る】

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総論

(1)親子(母子)の密着度が強すぎる。
(2)子どもを、1人の人格者として認めていない。
(3)1人の人間(親であれ)、別の人間を叱るということは、
たいへんなことだという、自覚が乏しい。
(叱る側に、哲学、倫理、道徳観がなければならない。)

各論
(1)威圧、恐怖感を与えない。
(2)言うだけ言って、あとは時間を待つ
(3)自分で考えさせる。

+++++++++++++++++++++

●叱る

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子どもであれ、相手を「叱る」ということは、
たいへんなこと。
叱る側に、それなりの道徳、倫理、哲学が
なければならない。
しかもその道徳、倫理、哲学は、相手をはるかに
超えたものでなければならない。

自分の価値観を押し付けるため、あるいは自分の
思い通りに、相手を動かすために、相手を叱るというのは、
そもそも(叱る)範疇(はんちゅう)に入らない。
いわんや自分が感ずる不安や心配を解消するために、
相手を叱ってはいけない。

そういうのは、自分勝手という。
わがままという。

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●私のばあい

 簡単に言えば、私は忘れ物をしてきた生徒を、叱ったことがない。
ときどきはあるが、それでもめったにない。
理由は、簡単。
私自身がいつも忘れ物をするからである。

 同じようなことだが、こんなことがある。
よく子どもに向かって、「サイフを拾ったら、おうちの人か、交番に届けましょう」と
教える。
しかし私はそのたびに、どうも居心地が悪い。

 私は団塊の世代、第一号。
戦後のあのドサクサの中で生まれ育った。
家庭教育の「か」の字もないような時代だったといえる。
そういう時代だったから、たとえば道路にお金やサイフが落ちていたとしたら、
それは見つけた者のものだった。
走り寄っていって、「もら〜い」と声をかければ、それで自分のものになった。

 そういう習慣が今でも、心のどこかに残っている。
一度身についた(悪)を、自分から消すのは容易なことではない。

 だから居心地が悪い。
実際、今でも、サイフを道路で拾ったりすると、かなり迷う。
迷いながら、近くの店か、交番に届ける。
この(迷い)は、60歳を過ぎた今も、消えない。
そんな私がどうして、子どもたちに向かって、堂々と、「拾ったサイフは、
交番へ届けましょう」と言うことができるだろうか。

●親の身勝手

 ほとんどの親は、ほとんどのばあい、自分の身勝手で、子どもを叱る。
たとえば自分では、信号無視、携帯電話をかけながら運転、駐車場でないところへ
駐車しておきながら、子どもに向かって、「ルールを守りなさい」は、ない。

 自分では一冊も本を読んだことさえないのに、子どもに向かって、「勉強しなさい」は、ない。

 ……となると、「しつけとは何か」と疑問に思う人も多いかと思う。
しかし(しつけ)は、叱って身につけさせるものではない。
(しつけ)は、子どもに親がその見本を見せるもの。
見せるだけでは足りない。
子どもの心や体の中に、しみこませておくもの。
その結果として、子どもは、(しつけられる)。

 親がぐうたらと、寝そべり、センベイを食べながら、「机に向かって、
姿勢を正しくして勉強しなさい」は、ない。

●子どもの人格

 私が子どものころでさえ、女性と子どもは、社会の外に置かれた。
「女・子ども」という言い方が、今でも、耳に残っている。
つまり「女や子どもは、相手にするな」と。

 戦後、女性の地位は確立したが、(それでも不十分だが……)、子どもだけは、
そのまま残された。
今でも、子どもは、(家族のモノ)、あるいは、(親のモノ)と考えている人は
少なくない。
子どもに向かって、「産んでやった」「育ててやった」という言葉をよく使う人は、
たいていこのタイプの親と考えてよい。
だから叱るときも、モノ扱い(?)。

 子どもの人格を認める前に、頭ごなしにガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
人が見ている前で、ガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
子どもの意見を聞くこともなく、ガミガミと叱る親は、いくらでもいる。
『ほめるのは公に、叱るのは密やかに』と言ったのは、シルスだが、子どもの
人格を平気で無視しながら、無視しているという意識さえない。

●日本人の民族性

 一般論として、日本人は、子どもを叱るのが、へた。
その原因の第一として、日本人がもつ民族性があげられる。

 先にも書いたように、この日本では、伝統的に、子どもは、家のモノ、
あるいは親のモノと考える。
つまりその分だけ、親子、とくに母子関係において、親子の密着度が強い。

たとえば私が教師という立場で、子どもを叱ったとする。
私は子どもを叱ったのだが、親は、自分が叱られたように感じてしまう。
さらには、自分の子育てそのものが、否定されたかのように感じてしまう。
この一体性が強いため、自分の子どもでありながら、自分の子どもを
客観的にながめて、子どもを叱ることができない。

●欧米では……

 一方、欧米では、もちろんイスラム教国でも、伝統的に子どもは神の子
として考える。
それが長い歴史の中で熟成され、独特の子ども観をつくりあげている。

つまりあくまでも比較論だが、欧米では、親と子どもの間に、まだ距離感がある。
そのひとつの例というわけではないが、私が子どものころには、たとえば家族の
中に障害をもった子どもが生まれたとすると、親は、それを「家の恥」と
考えた。
そういう障害をもった子どもを、世間から隠そうとした。

 今では、そんな愚かな親はいないが、しかしまったくそういう考え方が
なくなったというわけではない。
今も、日本は、その延長線上にある。

 つまりこうした日本人独特の民族性が、子どもの叱り方の中にも現れる。
それが、ぎこちなさとなって現れる。
子どもだけを見て、子どものために、子どもの人格を認めてしかるのではない。
ときとして、自分のために叱っているのか、子どものために叱っているのか、わからなくなる。
わかりやすく言えば、自信をもって、子どものために、子どもを叱ることができない。

●子どもを叱れない親

 実際、子どもが、小学校の高学年くらいになると、子どもを叱れない親が
続出する。
「子どもがこわい」という親がいる。
「子どもに嫌われたくない」という親もいる。
親が、子どもに依存性をもつと、さらに叱れなくなる。

 こうなってくると、子どもの問題というよりは、親の問題ということになる。
親自身の精神的な未熟さが原因ということになる。
子どもというのは、ある一定の年齢に達すると、(小学3、4年生前後)、親離れ
を始める。
その親離れを、うまく助けるのも、親の務めということになる。
が、このタイプの親は、それができない。
そればかりか、自分自身も、子離れできない。
そんな状態で、では、どうして親は、子どもを叱ることができるのかということに
なる。

●モンスターママ

 数日前、インターネット・サーフィンをしていたら、こんな記事が目についた。

 何でも自分の息子(中学生)が、万引きをして、店の責任者から、警察に通報された
ときのこと。
母親がその責任者に向かって、こう言ったという。
「いきなり警察に通報しなくてもいいではないか。まず子どもを諭すのが先だろ」と。
つまりその母親は、自分の子どもが万引きしたことよりも、店側が警察にそれを
通報したことを、怒った。

 何かがおかしい。
どこかが狂っている。
だから日本人は、子どもの叱り方がへたということになる。

●では、どうするか

(1)自分の子どもといえども、1人の人間、もしくは、「友」として叱ること。
(2)叱る側が、それなりの哲学や倫理感、道徳を確立すること。
(3)親のエゴイズムに基づいて、子どもを叱らないこと。

 ……こう書くと、「それでは子どもを叱れない」と思う親もいるかもしれない。
そう、(叱る)ということは、それほどまでに、むずかしいことである。
その自覚こそが、子どもを叱るとき、何よりも重要ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 子どもの叱り方 子供の叱り方 子供を叱る 子どもを叱る 叱り方 ほめ方 は
やし浩司 叱り方の原則)

(補記)

●叱り方・ほめ方は、家庭教育の要(かなめ)

 子どもを叱るときの、最大のコツは、恐怖心を与えないこと。「威圧で閉じる子どもの耳」と考
える。中に親に叱られながら、しおらしい様子をしている子どもがいるが、反省しているから、
そうしているのではない。怖いからそうしているだけ。親が叱るほどには、効果は、ない。叱ると
きは、次のことを守る。

 (1)人がいうところでは、叱らない(子どもの自尊心を守るため)、(2)大声で怒鳴らない。そ
のかわり言うべきことは、繰り返し、しつこく言う。「子どもの脳は耳から遠い」と考える。聞いた
説教が、脳に届くには、時間がかかる。(3)相手が幼児のばあいは、幼児の視線にまで、おと
なの体を低くすること(威圧感を与えないため)。視線をはずさない(真剣であることを、子ども
に伝えるため)。子どもの体を、しっかりと親の両手で、制止して、きちんとした言い方で話すこ
と。

にらむのはよいが、体罰は避ける。特に頭部への体罰は、タブー。体罰は与えるとしても、「お
尻」と決めておく。実際、約50%の親が、何らかの形で、子どもに体罰を与えている。

 次に子どものほめ方。古代ローマの劇作家のシルスも、「忠告は秘かに、賞賛は公(おおや
け)に」と書いている。子どもをほめるときは、人前で、大声で、少しおおげさにほめること。そ
のとき頭をなでる、抱くなどのスキンシップを併用するとよい。そしてあとは繰り返しほめる。

特に子どもの、やさしさ、努力については、遠慮なくほめる。顔やスタイルについては、ほめな
いほうがよい。幼児期に一度、そちらのほうに関心が向くと、見てくれや、かっこうばかりを気に
するようになる。実際、休み時間になると、化粧ばかりしていた女子中学生がいた。また「頭」
については、ほめてよいときと、そうでないときがあるので、慎重にする。頭をほめすぎて、子ど
もがうぬぼれてしまったケースは、いくらでもある。

 叱り方、ほめ方と並んで重要なのが、「励まし」。すでに悩んだり、苦しんだり、さらにはがん
ばっている子どもに向かって、「がんばれ!」はタブー。ムダであるばかりか、かえって子どもか
らやる気を奪ってしまう。「やればできる」式の励まし、「こんなことでは!」式の、脅しもタブー。
結果が悪くて、子どもが落ち込んでいるときはなおさら、そっと「あなたはよくがんばった」式の
前向きの理解を示してあげる。

 叱り方、ほめ方は、家庭教育の要であることはまちがいない。

【コツ】

★子どもに恐怖心を与えないこと。
そのためには、

子どもの視線の位置に体を落とす。(おとなの姿勢を低くする。)
大声でどならない。そのかわり、言うべきことを繰り返し、しつこく言う。
体をしっかりと抱きながら叱る。
視線をはずさない。にらむのはよい。
息をふきかけながら叱る。
体罰は与えるとしても、「お尻」と決める。
叱っても、子どもの脳に届くのは、数日後と思うこと。
他人の前では、決して、叱らない。(自尊心を守るため。)
興奮状態になったら、手をひく。あきらめる。(叱ってもムダ。)

+++++++++++++++++

子どもを叱るときは、

(1)目線を子どもの高さにおく。
(2)子どもの体を、両手で固定する。
(3)子どもから視線をはずさない。
(4)繰り返し、言うべきことを言う。

また、
(1)子どもが興奮したら、中止する。
(2)子どもを威圧して、恐怖心を与えてはいけない。
(3)体罰は、最小限に。できればやめる。
(4)子どもが逃げ場へ逃げたら、追いかけてはいけない。
(5)人の前、兄弟、家族がいるところでは、叱らない。
(6)あとは、時間を待つ。
(7)しばらくして、子どもが叱った内容を守ったら、
「ほら、できるわね」と、必ずほめてしあげる。


Hiroshi Hayashi++++++++Oct.09+++++++++はやし浩司







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●武士道(1)

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けっして、死を美化してはいけない。
生を美化することはあっても、死を美化してはいけない。
私たちは、まず、生きることを考える。
生きて生きて、生き抜く。
死はその結果としてやってくるかもしれないが、
そのときは、そのとき。
死の向こうには、何もない。
そこは太虚の世界。
だから、死を美化してはいけない。

武士道を一言で言えば、その底流にあるのは、
死の美学ということになる。
武士の象徴が、「刀」にあるとするなら、その
刀は、人を殺すためのもの。
この原点を踏み外して、武士を論じてはならない。
武士道を論じてはならない。

新渡戸稲造は、「武士道」の中で、あの赤穂浪士を、
最大限の言葉を使って、称賛している(「武士道の世界」
イースト・プレス)。

「義士と呼ばれるこの正直な率直な男子たちの徳は、
宝石のように光り輝き、人々のもっとも高く、褒め
讃えたものだったのである」と。

+++++++++++++++++++++

●真の勇者(?)

新渡戸稲造は、真の勇者について、こうも書いている。
「戦いに臨んで討ち死にすることは、難しいことではない。
それはどのような野人でもできることである。
しかし生きるべきときに生き、死ぬべきときに死ぬることこそ、真の勇者なのである」(同書、P
18)と。

 私は一度は、新渡戸稲造の「武士道」を一度は読破しなければならないと、思ってきた。
しかしその機会はなかった。
(20年ほど前、一度、目を通した記憶はあるが……。)
断片的な知識はたくさんもっている。
しかしそれらは、断片的なものでしかない。

 で、今度、コンビニで、イースト・プレス発刊の「武士道の世界」という本を買ってみた。
サブタイトルに、「誇るべき日本の原点」とあることからもわかるように、この本は、武士道を礼
賛する内容の本である。
そういう本を使って、私なりに武士道のもつ矛盾を指摘するのは気が引ける。
しかし礼賛する本であるがゆえに、私の脳みそに与える刺激も大きい。
1ページ読むごとに、脳の中で、バチバチと神経細胞が火花を飛ばすのを感じた。
が、この本ほど、「死」「自害」「討ち死に」「戦」という言葉が並ぶのも、そうは多くない。

 「武士道の真髄」(P181)というところを紹介する。
「真髄」とあることからもわかるように、武士道の根幹を説明したものである。

+++++++++++++++++++

『武士道といふは、死ぬ事と見付けたり(葉隠)。

 このあまりにも衝撃的で有名な言葉は、山本常朝が口述し、田代陣基が筆記、編纂した『葉
隠』の冒頭に記された、武士道の真髄を表すものだ。
 主君のためならいつでも自分の命を捧げることができるのが、本当の武士であるという心得
を説いている。
 「武士は生と死、どちらかを選ぶ場合、必ず死を選ばなければならない」のである。
 「生き恥をさらす」と言われるように、この時代の武士道精神においては、戦に勝てないとき
は、死ぬことで忠義を果たさなければならないと考えられていた。
 しかしこの言葉には、さらに深い意味がこめられている。
生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間に、自由な自然体に到達し、その武士は本分を全う
するために生き抜くことができるという、悟りの境地を示した教えだと言えるだろう』と。

++++++++++++++++

●命を捧げる

 この部分を読んだとき、まっさきに頭に浮かんだのが、K国の金xx。
あの独裁者。
金xxが読んだら、涙を流して喜ぶにちがいない。
あの国では、幼稚園の子どもですら、「金xx将軍様を、命をかけて守ります」と連呼している。
おとなたちは、「死守」という言葉を使っている。

 それはさておき、「主君のためならいつでも自分の命を捧げることができるのが、本当の武
士である」という部分だけでも、バカげている。
もしあなたがまともな思考力をもっている人なら、あなたもそう感ずるだろう。

 主義や理想、正義や真理のためなら、命をかけることはある。
しかし「命をかける」イコール、「命を捧げる」ではない。
いわんや、相手が、人間である、「主君」?
こういう思想を、私の世界では、「隷属思想」という。

●主君の主君は?

 学生のころ、友人と、こんな議論をしたことがある。

 「主君に主君がいたら、そのばあいは、どちらに命を捧げるのか」と。

 つまりあなたの仕える主君が、あなたの住む領地を治める領主だったとする。
当然、その領主には、彼が主君とあがめる、藩主がいる。
藩主の上には、将軍がいる。

 こういうばあい、あなたという家来は、藩主や将軍に命を捧げる必要はない。
何かを命じられても、それに従う必要もない。
あなたの主君は、あくまでも領主。
領主の命令だけを聞き、その領主のために、命を捧げる。

 もう少し話をわかりやすくするために、会社組織で考えてみよう。

 あなたが営業課の係長だったとする。
あなたの直接の上司は、営業課の課長。
そんなある日、営業課が入っている制作部の部長から、直接、あなたに命令が届いた。
つまり課長の頭を通り越して、あなたに命令が届いた。

 こういうケースのばあい、あなたはその部長の命令に従う義務があるのか。
それともないのか。

 会社によって組織の運営方法が異なるので、「従わなければならない」という会社もあれば、
「従わなくてもいい」という会社もある。
しかしこと武士の世界では、主君というのは、先のケースでは、あくまでも領主ということにな
る。
藩主や、将軍の命令に従う必要はない。
命を捧げる必要もない。

 これが学生時代に、私たちが知った結論である。
そのヒントを与えてくれたのが、ヤクザの世界である。
当時、(今でもそうだが……)、ヤクザの世界には、武士道の精神が、そのまま残っていた。
ヤクザの世界では、直接上にいる兄貴分が、武士の世界でいう主君ということになる。

●主従関係

 もっとも、封建時代の昔ならいざ知らず、「主君に命を捧げる」という発想は、今は、ない。
主従関係も、西洋の契約説によって決まる。
わかりやすく言えば、「金の切れ目が縁の切れ目」。
給料がもらえなくなったら、そこで主従関係は、消滅する。

 人それぞれだが、私なら、断る。
どう考えても、主君のために命を捧げるという発想そのものが、バカげている。
つまりこんなところにも、武士道が説く、(死の美学)が見え隠れする。

 繰り返すが、死を美化してはいけない。
その延長線上に、戦争がある。
その一歩手前に、特攻隊があり、自爆テロがある。
私たちは死ぬために生きているのではない。
生きるために生きている。

 この本の著者は、「生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間に、自由な自然体に到達し、そ
の武士は本分を全うするために生き抜くことができるという、悟りの境地を示した教えだと言え
るだろう」と書いている。

 それにしても、「生に対する執着心や恐怖を手放した瞬間……悟りの境地に達する」とは?
いつの間にか、仏教の教えが、そのまま武士道の精神にすり替えられてしまっている?

●武士の作法

 戦国時代はともかくも、以後、日本は300年という長い年月の間、太平天国の時代を迎え
る。
その間に、武士道も、当初の戦闘を目的としたものから、権威づけのための作法の「道」として
変質する。
作法に始まって、作法に終わる。
それが武士道の柱と考えてよい。
いくつかを拾ってみる。

(1)鞘(さや)当て……武士の世界で、刀と刀の鞘が当たることは、何にもまして「無礼極まりな
いこと」だったそうだ。
だから武士どうしは、廊下を歩くときも、左側通行が作法と決められていた。

(2)手はぶら下げて歩く……いつでも刀を抜けるように、手荷物も持たないし、傘もささない。

(3)妻は後ろを歩かせる……妻と並んで歩くなど、軟弱者の証。
   襲撃から守るという意味もある。(以上、同書)。 

 こうした作法が、ズラズラと、それこそ無数にある。
武士の刀をまたいだだけで、切捨て御免になった人も多いという。
また女性は、武士の刀に、直接手を触れることさえできなかったという。
しかしなぜ、「刀」なのか?

●武士と刀

 武士の人口は、江戸時代においては、5%前後と言われている※。
しかしこの数字には、武士の家族も含まれているため、実際には、刀を差していた武士は、全
人口の1〜2%以下だったと推計される。
残りの95%のほとんどが、農民であった。
その1〜2%が、為政者として、好き勝手なことをした。
その好き勝手なことをする象徴として、「刀」があった。
武士が刀に執着する理由は、ここにある。

 私はこんな話を、直接、その女性から聞いている。

 私が住んでいる山荘のある村は、400年以上もの歴史のある、由緒ある村である。
その山荘の隣人に、10年ほど前、88歳で亡くなった女性がいる。
いわく、「明治時代に入ってからも、士族の人たちは、このあたりでは刀を差して歩いていた」
と。

 「刀の鞘どうしがカチャカチャと当たる音が、遠くから聞こえてくると、みな、道路の脇に寄っ
て、正座し、頭をさげた」と。

 言うなれば、95%の日本人が、5%の武士を支えるために、犠牲になっていた。
そういう世界が、いかにおかしな世界であるかは、あなた自身を、その農民の立場に置いてみ
ればわかる※。
あなた自身の先祖も、その農民であったはず。
(私の先祖も、農民だった。)

 一生、土地にしばられ、職業選択の自由もなかった。
当時生きていた人たちもまた、私やあなたと同じ人間であった。
犬や猿とは、ちがう。
そういう人たちを原点に考えるなら、「何が武士道か?」ということになる。
さらに言えば、この武士道が、やがてあの戦陣訓へとつながっていく。
それについては、前にも書いた。

 もちろん歴史は歴史だから、それなりの評価は必要である。
しかしそれがもつ(ネガティブな側面)に目を閉じたまま、一方的に武士道なるものを礼賛する
ことは、危険なことでもある。
どうして武士道が、「誇るべき日本人の原点」(本のタイトル)なのか?

 今、武士道を、教育の柱にしようとする動きが活発になっている。
またその種の本が、100万部単位で売れている。
これを民主主義の後退と言わずして、何と言う?
忘れてならないのは、新渡戸稲造が活躍した時代と、同じ時期に、福沢諭吉がいたというこ
と。
福沢諭吉らは、やがて明六社に合流し、日本の封建主義を清算しようとした。

 私は、福沢諭吉らのしたことのほうが、正道だと思のだが……。
それに「原点」とは何か?
何も原点にこだわる必要もない。
原点が正しいわけでもない。
大切なことは、おかしな復古主義にとらわれないこと。
私たちはいつも新しい原点を求めて、前に進む。

 ……と、少し頭が熱くなったので、この話は、ここまで。
なお本書(「武士道の世界」)は、つぎのように結んでいる。

 『おわりに……そんな現代であるからこそ、日本人としての精神的意識が必要なのである。
不道徳な世相を嘆いていても何も始まらない。
世界に通じる精神体系・武士道を心に携え、今こそ日本人としてのアイデンティティを世界に発
信してほしい』と。

(※注1)明治6年1月調べ・・・旧武士数は平民の16分の1にして総数408,823戸、1,852,445人
であった。幕末においてもこの数字と大差なかったものと考えられる。人口構成は概数的に
6.25%である。(土屋喬雄「幕末武士の階級的本質」)

 どの藩も武士の数は軍事機密になっていた。したがって、今となってはその人口は、推計す
る以外にない(筆者注)。

(※注2) 徒士といえども、家老に対しては下駄を脱がざるをえなかったのが実情で、城下に
おいて百姓町人は、足軽以上に出会えばまず平伏・土下座など屈辱的敬礼を強いられた。ど
の階層に属するか、着衣や服装で判断できる社会の仕組みになっていた。(「社会構造と現代
社会HP」より)


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 武士道 武士の作法 武士道精神)







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私の幼児教育
【私の幼児教育byはやし浩司】

●生徒あっての仕事

 私のばあい、いつもそこにスポンサーがいる。
親というスポンサーがいる。
お金を受け取って、親のニーズに応える。
それが私の仕事。

 親が、こうしてほしいと言えば、そうする。
親が、ああしてほしいと言えば、そうする。
私にとって、教育論というのは、別の世界での話。
現実とは、いつも切り離して考える。
子育て論に至っては、さらに別の世界での話。
親が赤色を求めれば、赤色に自分の体の色を変える。
青色を求めれば、青色に自分の体を変える。

 生徒あっての私の仕事。
親の意向に逆らうなどということは、私の仕事ではありえない。
それにもうひとつ。
私はいつも、生徒に頭をさげなければならない。
もちろん、親にも。
「来てください」と頭をさげる。
すべては、そこから始まる。

●権威主義

 親たちもまた、私をそういう目でしか見ていない。
これは昔も今も、同じ。
皮肉なことに、親たちが、この世界では、もっとも権威主義的なものの考え方をする。
こと子どもの教育となると、さらにそう。
さらに保守的になる。

学校絶対主義。
学歴信仰。
学校神話。
そして受験制度。

 この日本では、教育といえば、受験教育を意味する。
「人間選別機関」という言葉は、私が考えた。
今から25年以上も前、「教材新聞」という新聞の中で、使わせてもらった。
学校という教育機関が、(教育)ではなく、人間を選別するための機関として機能している。
受験教育に、それを見る。

 それをだれもがおかしいと感じている。
私もおかしいと感じている。
しかしそれを口に出して言う勇気は、だれにもない。
もちろん私にも、ない。

●あなたは黙っていろ

 私が最初に、疑問に感じた子どもは、FBという名前の女の子だった。
名前からして、朝鮮半島出身の人とわかった。
しかしそのことは、私の見方に影響を与えることはなかった。
当時の私は、むしろ親朝鮮派。
学生時代、UNESCOの交換学生として、韓国に行っていたこともある。

 しかしその女の子は、どうしようもないほどの、つまり手がつけられないほどのドラ娘だった。
言い忘れたが、当時幼稚園の年長児。
わがままで自分勝手。
親は市内にパチンコ店を、数店ももち、裕福な生活をしていた。
が、そういう環境の中で、日本人の私たちを、「下」に見ていた。
軽蔑していた。

 で、ある日のこと。
私はその子どものことで、母親にその女の子の問題点を告げようとしたときのこと。
が、すぐさま母親は、私の言葉をさえぎった。
こう言った。
「あんたは、黙って、私の娘の勉強だけをみていてくれればいい」と。
つまり「余計なことは言うな」と。

 私の立場は、当時も、そして今も、基本的には変わっていない。

●浜松市

 浜松市という町は、不思議な町である。
名古屋市の経済圏に身を置きながら、その3倍以上も離れている東京の方に目が向いている。
名古屋の文化が、浜松市へ入ってくるということは、まず、ない。
浜松市へ入ってくる文化のほとんどは、東京からである。
また「東京から来た」というだけで、何でもありがたがる。

 こう書くと浜松市の人たちは不愉快に思うかもしれない。
しかし事実は事実。
浜松の人たちは、東京に対して、かぎりないコンプレックス(劣等感)をもっている。
反対に、ときどき東京から転勤などで浜松市へやってくる人などは、浜松を、かなり「下」に見る。
おもしろいほど、「下」に見る。
「下」というのは、「田舎」。
「地方」。
浜松の人たちを、遠慮なく「田舎者」と呼ぶ。
先の衆議院議員選挙で落選した、KTさつき氏などは、堂々とこう言い放った。
「私が土下座すれば、(浜松の)田舎者は、イチコロよ」(「諸君」)と。

 だいたいにおいて、浜松の人が、浜松の価値を認めていない。

●高校の序列

 加えてぬぐいがたいほどの学歴信仰。
私が浜松に住み始めたころ、……というのも、そうした風潮は少しずつ変わってきたが、この浜松では、出身高校で、その人の価値が決められた。
大学ではない。
高校である。

 そのこともあって、浜松市内の高校には、明確な序列があった。
S高校、A高校、B高校、C高校、D高校……、と。
だからこんな会話がよく交わされた。

「あの人、C高校なんですってねエ〜」
「えっ、あの人、S高校なんですかア〜」と。

 それを本人もよく知っているから、たとえば自分がS高校の出身だったとすると、それとなく会話の中に、自分の出身高校名を入れる。
「今度、S高校の同窓会がありましてね」とか、など。
あるいは「S高校のOB会で、ゴルフコンペをしました」とか、など。

 何かにつけて、出身高校の名前が、よく出てきた。
今でも、その残像は、かなり色濃く残っている。

●番外教師

 私は午前中から、午後2時ごろまでは、幼稚園で、幼稚園講師の仕事をした。
無資格だった。
当時は、保母という職種はあったが、保父はなかった。
「保父」という名前が世間に出てきたのは、私が30歳を過ぎてからではなかったか。
保育士という名前にいたっては、私が45歳を過ぎてからではなかったか。

 当時の幼稚園教諭は、同じ教師の中でも番外。
ほとんどの幼稚園教師は、高卒で、そのあと簡単な通信教育を受けて幼稚園の教師となった。
中卒のまま保母資格を取り、やはり通信教育で幼稚園教師になった人も、多かった。

 で、なぜ無資格だったか?

 当時の状況をよく知る人なら、みな知っている。
幼稚園の教師の資格など、わざわざ取ってまでするような仕事ではなかった。
おかしな序列があって、一番上が、大学の教授。
その下が高校の教師、つづいて中学校の教師。
一番下が、小学校の教師。
幼稚園の教師は、そのワクの外にあった。
つまり番外。

 「資格、資格」とうるさくなったのは、私が45歳を過ぎてからのことではなかったか。
中央の官僚たちは、まず資格制度を整備する。
それを管理する団体を作る。
そこを自分たちの天下り先にする。
保育士という資格がうるさくなったのも、そういう(流れ)があったからにほかならない。

●同窓会

 ちょうど30歳になったとき、高校の同窓会があった。
その席でのこと。
担任教師だったTMが、私にこう聞いた。
「林(=私)は、どんな仕事をしているのか?」と。

 が、私には答えようがなかった。
今で言う「フリーター」という言葉さえなかった。
だから、幼稚園での講師をしている話のほか、いくつかを並べた。

 それを聞いてTMは、こう言った。
「お前だけは、訳の分からない仕事をしているな」と。
みなに聞こえるような大きな声だった。

 高校の教師にしてみれば、幼稚園の講師の仕事など、仕事にもならない仕事ということになる。
私にはその常識(?)が理解できたから、黙るしかなかった。

●収入

 私の幼稚園での給料は、当初、月額2万円だった。
大卒の初任給が、6万円前後になり始めていたころである。
そこで私は園長と相談して、午後2時以後は、自由にしてもらった。
自由にしてもらって、予備校の講師や塾の講師、それに家庭教師などをした。

いろいろな会社の貿易顧問もした。
M物産時代の経験とノウハウが、役に立った。

 あのYAMAHAにしても、当時、本社の中にすら、貿易部はなかった。
名古屋のM物産が、YAMAHAの貿易を取り仕切っていた。
ほかにパンフレットの翻訳など。
仕事は、あった。
お金になった。

 幼稚園の給料は2万円だったが、当時、つまり20代の半ばで、すでに私は毎月70万円前後も稼いでいた。

●ほかに

 当時の私は、こんな仕事もしていた。
夕刻、新幹線で東京へ、向かう。
そのまま羽田から、香港や台北へ飛ぶ。
時差もあるから、向こうの時刻で、夕方から夜にかけて商談をまとめる。
そして午前2、3時の飛行機で羽田へ戻る。
羽田へは、午前6時〜6時半に着く。
新幹線に飛び乗る。
9時には、浜松へもどり、幼稚園で仕事をする。

 ときどき香港のみやげをもって帰ることもあった。
しかし私が「今朝、香港から帰ってきました」と言っても、だれも信じなかった。
当時、羽田、香港の航空運賃だけでも、10万円前後。
幼稚園の教師の月給が、3万円前後。

 そのほかにも、私はいくつかのテレビ局の企画も書いていた。
代筆もした。
すでにゴーストライターとして、何冊かの本も出していた。

 が、幼稚園での仕事はやめなかった。

●私の天職

 話せば長くなるが、私は自我の同一性の問題に苦しんでいた。
私はもとはと言えば、大工になりたかった。
高校へ入ってからは、工学部の建築学科をめざした。
しかしそれが途中で転向させられてしまった。
文学部から、法学部へ、と。

 私の人生が狂ったのはそのとき。
メチャメチャと言ってもよい。
以来、自分をさがすのに、苦労をした。
で、やっと「天職」と思ったのが、幼稚園での仕事だった。
給料は問題ではなかった。
給料だけを考えたら、とっくの昔に、私は、幼稚園での仕事をやめていただろう。

 たとえば香港へ行く。
上海製のハリ麻酔器(低周波発信機)を、買う。
値段は、5〜6万円。
それを日本へもってくると、12〜15万円で売れた。
いつも3〜5台はもってきたから、それだけでも、30〜50万円の利益になった。

●幼児を教える

 この職業観は、今でも変わっていない。
幼児を教えながら、それを仕事と意識することは、めったにない。
むしろ私のほうが、楽しませてもらっている。
私のやりたいように、やらせてもらっている。

 で、話を戻す。

 当時、幼稚園教育の世界には、テキストらしいテキストは、ほとんどなかった。
まったくなかったと断言してもよい。
教育的には、恐ろしく貧弱な世界で、「教育」というよりは、ただ「子どもを預かる」というだけの世界であった。
こう書くと、古い教師は怒るかもしれない。
が、しかしこの私の意見に反論できる教師はいないはず。

 年間の行事を追うだけ。
あとはお絵かきだの、お遊戯だの、まあ、その程度。
さらに知育教育、さらには幼児の心理にまで踏み込んで教育するということは、「絶対」という言葉をつけてよいほど、絶対、なかった。

 はっきり言えば、レベルが低かった。

●教材

 私は香港へ行くたびに、……毎週のように香港へ行っていた。
そこで幼児教育教材を買い求めていた。
香港には、当時は、イギリスの総督府が置かれ、教育はすべてイギリス式で行われていた。
幼児教育の教材も豊富だった。
私はそれを日本へ持ち帰り、翻訳し、私の勤める幼稚園でそれを使った。

 で、そのうち、それらの教材を、東京の出版社へ送るようになった。
今でこそ、中学生や高校生が、修学旅行で外国へ行く時代である。
しかし当時は、そうではなかった。
日本は、まだ貧しかった。
外国は、まだ遠かった。

 そういう教材が、学研という出版社の目に留まった。
それがのちの「幼児の学習」「なかよしがくしゅう」という雑誌につながっていった。
私が26、7歳のときのことである。

 これらの雑誌は、その2誌で、毎月47〜8万部も売れた。
当時の子どもたちの4分の1から3分の1が、その雑誌を購入したことになる。
これらの雑誌は、学研のコンパニオン制度の中で、各家庭に配本された。

●田舎根性

 私は浜松市に住みながら、すでにそのころ、浜松市に幻滅を覚え始めていた。
先にも書いたように、浜松市の人たちは、地元、浜松市の価値を認めていない。
認めようともしなかった。

 私が教材の原稿を、東京の出版社に送るようになったのも、そのため。
一度、東京を経由すれば、浜松市の人たちも、その価値を認めてくれる。
私はそう考えた。

 が、現実は、それほど甘くはなかった。
そこにはもうひとつ、学歴信仰という壁があった。
私が若かったということもある。
しかし私の意見に、耳を傾けてくれる親はいなかった。
仮にいたとしても、どこかの大学の教授が別の意見を言ったら最後、そのまま私の意見は否定された。

 権威主義という壁である。

 浜松市というと、工業都市を連想し、かつ街道の宿場町を連想する人は多い。
そのため、開放された、進歩的な都会を想像するかもしれない。

 たしかにそういう面はある。
しかしそれは工業にかぎっての話。
HONDA、YAMAHA、SUZUKIは、すべてこの浜松市で生まれ育った。
知らない人も多いかもしれないが、TOYOTAも、この浜松市で生まれ育った。
(TOYOTAの豊田佐吉は、浜松市に幻滅して、若いころ、浜松市を去っているが……。)

 その工業を除けば、浜松市は、何かにつけて保守的。
ごく最近に至るまで、浜松市のみならず、この静岡県は、政治の世界でも、保守王国(=自民党独裁)として知られていた。

 教育の世界では、さらに保守的だった。
私にはその保守性を打ち破るだけの権威がなかった。

●講演会

 当初、幼児教育といっても、手探りだった。
ロクなテキストもなければ、教材もなかった。
教師となるような教師すら、いなかった。

 メルボルン大学のロースクールにいた私には、驚きでしかなかった。
ときどき東京あたりから、どこかの教授が講演にやってきたりしたが、どの講演も、的をはずれたトンチンカンなものばかりだった。
それもそのはず。

 研究室の奥で、何かの研究はしているらしい。
しかし実際、幼児に接したことのない教授が、その権威だけで、「幼児教育とは……」と論ずるから、話がおかしくなる。

 W大学の教授が浜松市へやってきたときも、そうだった。
著名な教授だったから、私もかなり期待して出かけていった。
しかしそれも、意味のない講演だった。
あとで話を聞いたら、赤ん坊の歩行の仕方を研究している教授ということだった。
赤ん坊の歩行の研究?
ハイハイする赤ん坊の歩き方が、トカゲのような爬虫類の歩行の仕方と同じ。
だから人間も、爬虫類の流れをくんでいる、と。

 そういう教授が、一方で、「幼児教育とは……」と論ずる。
そういうおかしさが、当時は蔓延していた。

 もちろん幼稚園教育の場でも、似たような話があった。

●本物の包丁?

 私はそこで毎日のように、レッスンが終わると、10〜15分程度の懇談会を開いた。
「幼児教育は、母親教育」という持論を編み出した。
母親教育なくして、幼児教育は成り立たない。

 が、いろいろな失敗がつづいた。
母親といっても、若い女性。
そういう女性たちと、レッスンのあとに、個人的に話し合うというのは、何かにつけて誤解を招いた。

 そのため懇談会はやがて、週一回になり、月一回になった。
その当時した失敗談については、別のところに書いたので、ここでは省略する。

 が、その一方で、私にはおかしな現象が置き始めた。
「母親恐怖症」という現象である。

●母親恐怖症

 当時の私は、20代のはじめ。
母親たちは若くても、20代の終わりから35歳前後。
私には、みな、こわいオバチャンに見えた。
(そのしばらくあとに、「オバタリアン」という言葉も生まれた。)

 実際、いくつかのトラブルに巻き込まれた。
そのたびに、私は、どんどんと「母親恐怖症」になっていった。
「母親」あるいは、「お母さん」と意識したとたん、下半身から、スーッと性欲が消えていくのを、よく感じた。

 つまりそれくらい、私には、「母親」というのは、恐ろしい存在だった。
が、事情をよく知らない仲間などは、こう言った。
「林(=私)は、うらやましいよ。お前は、女づくしの世界に生きているからな」と。

 しかし実際には、私は、こと幼稚園の世界では、女を感じたことはなかった。
若い女性教師に対しても、また母親に対しても……。
たとえばあるとき、私服で歩いている同僚の女性教師を通りで見かけたとき、「ああ、この人も女性だったのか」と、感心したこともある。

 母親恐怖症は、私が40歳を過ぎるころまでつづいた。
そのころになると、私のほうが年上になり、母親たちが、はるか年下に見えるようになった。

 で、今は、どうか?
おかしなことに、母親たちと、女子高校生たちとの区別ができなくなってしまった。
10代後半の高校生と、若い母親たちが同じに見える……?

 これは余談。

●本物の包丁?

 当時、浜松市内で、園長をのぞいて、男性の講師を置いている幼稚園は、私が勤めていた幼稚園だけだった。
そういうこともあった。
隣町のHK市で、幼稚園教師の研修会があった。
その席でのこと、それぞれの教師が、実際の指導法を披露していた。
その中のひとつ。
ある女性教師がこう言った。

 「私の幼稚園では、本物の包丁を使って、子どもたちに野菜を切らせています」と。

 会場から拍手がわきあがった。
私は、それを聞きながら、ぼんやりとしていると、男性が私ひとりだけということもあって、白羽の矢が立った。
で、こう聞かれた。
「そこの先生、あなたはどう思いますか?」と。

 私はとっさの質問に戸惑った。
そのこともあって、思わず、こう答えてしまった。
「そんなことは、家庭で、親が教えればいいことです」と。

 つまり当時の幼児教育は、その程度。
その程度のレベルを、「教育」と呼んでいた。

●古い話

 浜松市の悪口ばかり書いたので、気分を悪くした人も多いかと思う。
それについては、こう締めくくりたい。

 この話は、あくまでも当時の話。
年代的には、1970年から1990年にかけての話。
それ以後は、この浜松市も大きく、変わった。
とくに2000年に入ってからは、親や子どもたちの意識も、変わった。
出身高校で、人を判断するという風潮も、今やそよ風程度。
話題にする人も、ほとんどいない。

 もちろんだからといって、受験戦争が緩和されたというわけではない。
むしろ、親たちの受験熱は、過激になってきている。
とくに中高一貫校ができてから、浜松市の教育は一変した。

 それまでは「受験」と言えば、高校受験を意味した。
公立高校が第一で、私立高校は、あくまでもスベリ止め。
が、2000年以後は、これが逆転した。

 今では私立の中学、高校が第一で、公立高校がその受け皿的な存在になってきている。
まず私立中学校を受験する。
そこで落ちた子どもが、公立高校に拾われる……。

 だからそれまでは中学に入ってから始めればよかった受験教育が、今では小学4年、あるいは5年にまで下がってきている。
早い子どもだと、小学3年生くらいから、受験塾に通い始める。

 こういう世界で、「教育論」を説いても、意味はない。
親たちが耳を傾けない。
耳を傾けないから、私も話さない。

 私は親たちのもつニーズを感じ取り、それに応えるだけ。
スポンサーは、あくまでも親。
その親たちに背を向けて、この仕事はできない。

●知らぬフリ

 この世界の第一の鉄則は、内政不干渉。
その子どもの問題点がわかっていても、知らぬフリ。
たとえばかん黙児にせよ、AD・HD児にせよ、自閉症スペクトラムにせよ、そういう子どもとわかっていても、知らぬフリをする。

 実際には、40年もこんな仕事をしていると、その子どものもつ問題点は、会った瞬間にわかる。
わかるが、それを口にするのは、タブー。
さらには、私のばあい、その子どもの1年後、5年後、10年後の姿まで見える。
どの段階で、どのような問題を起こすかもわかる。
わかるものはわかるのであって、どうしようもない。

 しかしそれも、口に出して言うのはタブー。
いわんや、診断名を具体的に口にするのは、タブー中のタブー。
診断名を口にできるのは、専門のドクターだけ。

●10%のニヒリズム

 もちろん失敗もした。
数多くの失敗もした。
「この人だけはだいじょうぶ」と信じて話したことが、そのあと大問題になったという例は、多い。

 こうした経験を通して、私は少しずつ利口になっていった。
口も重くなっていった。

 私はバカな、何も知らない、ただの教師。
そのほうが気も楽だった。
今も、そのほうが、気が楽。

 それに正直に告白するが、どうせ説明したところで、若い親たちには、私の話すことなど、理解できない(失礼!)。
この世界には、「10%のニヒリズム」という言葉さえある。
若いころ、どこかの教師が教えてくれた言葉である。

 つまりわかっていても、わからないフリをする。
結局子育てというのは、親自身が、自ら失敗を重ねながら、その中から、自分で学んでいく。
それしかない。
そのとき「この親は失敗する」とわかっていても、黙って見ているしかない。

 それはちょうど、若い女性がタバコを吸っているのを見るときの気持ちに似ている。
女性がタバコを吸って、よいことは何もない。
妊娠、出産にも、深刻な影響を与える。

 しかしそういう女性に向かって、だれが「タバコはやめたほうがいいですよ」と、言うことができるだろうか。
それこそいらぬお節介。
だから黙る。
口を閉ざす。
その(冷たさ)が、「ニヒリズム」ということになる。

 このニヒリズムがないと、教師は自分の職業を支えることができない。

●家族の代表

 2000年に入ってから、「子どもは家族の代表」という考え方が、広く浸透してきた。
若いころ「幼児教育は母親教育」と一脈を通ずる考え方である。

 つまり子どもに何か問題が起きたとしても、それは子どもだけの問題ではないということ。
家族という環境の中で、その子どもはなるべくして、そのような子どもになっていく。
だから子どもに何か問題があったとしても、その問題だけをながめていても、その子どもの問題は解決しない。

 家族という環境の改善が、必要不可欠となる。
たとえば親の過干渉、過関心で萎縮してしまった子どもがいる。
こういうとき親は身勝手なもので、そういう子どもを見ながら、「どうすればうちの子は、もっとハキハキするでしょうか」と相談してくる。

 しかし正すべきは、子どものほうではない。
親のほうである。
親の育児姿勢のほうである。
そういう例は多い。

●誤解

 しかし重要性という点では、幼児教育……というより幼児期の教育ほど、重要なものはない。
大学の教育より、重要。
その上、奥が深い。
幼児教育は、その人間の基礎をつくる。
方向性をつくる。
もちろん(心)もつくる。

 それからの教育は、その基礎の上に立った方向性に従ってなされるだけ。
中には、「幼児教育なんて……!」とはき捨てる人もいる。
しかしそれこそ無知と誤解。

 幼児教育イコール、幼稚教育。
幼児の相手をするだけの簡単な教育。
そう考えている人は多い。

 一度、「人間の性格、その人の人格の基礎は、幼児期にできます」と話したときのこと。
ある男性(個人の自転車屋を経営)は、笑ってこう言った。

 「そんなバカなことがあるか。人間の性格、人格は、おとなになってからできる」と。

 つまりそれが当時の、そして現在も残っている、幼児教育への偏見と誤解ということになる。

●笑えば伸びる

 最初に書いたように、私がした幼児教育というのは、まず、子どもたちに来てもらわねばならない。
子どもたちが「来たくない」と言えば、それでおしまい。
しばらくすると、親たちは、それを理由にして、私の教室を去っていく。

 だからいつしか、私は子どもたちが楽しむ教室に心がけた。
これは思わぬ副産物を産み出した。
『笑えば伸びる』という私の持論も、そこから生まれた。

 まず子どもたちを笑わせる。
楽しませる。
第一に、それは教室の経営を安定させるためである。
しかし笑うことによって、子どもたちの心は明らかに変化する。
「障害」という言葉は、安易に使えない。
しかし笑うことによって、また笑わせることによって、「〜〜障害」という障害が、治っていく。
それが、私にもわかった。

 たとえば軽度のかん黙症、自閉傾向のある子ども(自閉症ではない)などは、数週間も指導すれば、治ってしまう。
私には、「治った」とわかっていても、もちろん、それを口に出すことはないが……。

 さらに言えば、心を開放できない子どもは、多い。
程度の差もあるが、約3分の1はそうではないか。
症状がひどくなると、情意(心)と、表情(顔に表れる表情)が、不一致を起こすようになる。
教える側から見ると、何を考えているか、わからない子どもということになる。

 そういう子どもでも、ゲラゲラ笑わせると、(……そういうふうに笑うようになるまでがたいへんだが……)、やがて情意と表情が一致してくるようになる。
私の仕事は、もちろん知的能力を伸ばすこと。
しかしそれでは私自身が、満足できない。
そこでやがて私は、本を書くようになった。

●教材稼業

 その前に、私は、教材作りに、面白さを覚えていた。
浜松市を相手にするより、全国を相手にしたほうが、おもしろい。
こと教材作りに関しては、私の頭の中から、(浜松市)は消えた。
どうでもよかった。

 いろいろな教材を手がけた。
大手の出版社で商品化した教材も多い。
というのも、出版社は出版社。
出版のノウハウはもっていたが、やはり実際、幼児を教えたことのある編集者は皆無だった。
そこに私の存在価値があった。
仕事はそのつど、こなしきれないほど、回ってきた。
私は毎晩のように、速達を届けるため、郵便局へ車を走らせた。

 が、やがて限界を感ずるようになった。
40歳を過ぎてからではないか。

 私が制作した教材は、出版社の担当者が替わるたびに、別の作者の名前で発表されるようになった。
さらに教材の世界には、著作権というものが、ない。
私が作った教材にしても、それが新案のものであっても、どんどんと盗用されていった。
教材の世界では、クマさんが、ウサギさんに変わっただけで、別の教材になる。

 では、実用新案特許を申請すればよいということになるが、それは出版社の仕事だった。
個人の私には、負担が大きすぎた。
財政的な負担も大きい。
それにめんどう。
それ以上に、つぎつぎと湧き起きてくるアイディアを、いちいち特許申請するなどということは、不可能だった。

 たとえば、あの先生には悪いが、「100マス計算」などという言葉がある。
縦と横に数字を書き、100マスの計算をさせるというあれである。
あんなのは(失礼!)、当時、私も含めて、少しアイディアを働かせている教師なら、みな、それをしていた。
ただひとつのちがいは、実用新案の申請をしたか、しなかったかのちがいだけだった。

●本

 教材稼業からは、足を洗った。
それにはいろいろな理由がある。
しかしここに書いても意味はない。
愚痴になる。

 その代わり、私は、本を書くようになった。
文章を書くのは、嫌いではなかった。
若いころから、いろいろな人のゴーストライターとなって、本も書いていた。
翻訳もしていた。

 で、本を書くようになった。
多い年には、1年で、10冊以上も書いたことがある。
私は文章を書くことに、楽しみというか、生きがいを覚えるようになった。
インターネットの時代になって、それにますます拍車がかかった。

 というのも、それまでは、こうした仕事は、中央でなければ成り立たないという社会的常識が支配していた。
地方は地方。
地方で、いくらモノを書いても意味はない。
だれもがそう思っていたし、私もそう思っていた。
しかしその壁が、インターネットで取り外された。

 しかもおもしろいことに、インターネットの世界では、東京そのものを通り越して、世界中に発信できる。
私には、これほど小気味のよいことはなかった。

●教育論の限界

 その親のレベルがどうであれ、子育てには、その親の哲学、人生観、価値観など、すべてが凝縮される。
裏を返して言うと、教える側にしても、そこに自分の哲学、人生観、価値観を凝縮する。
教育というのは、車の運転にたとえるなら、運転をするだけのもの。
しばらく運転していれば、だれだって、うまくなる。

 が、それだけでは足りない。
そこでその教師の哲学、人生観、価値観などが試される。
教師といっても、教育論だけを書いていてはいけない。
ときには哲学、人生観についても、書いていく。
そういう姿勢があってこそ、はじめて、親たちと対等に接することができる。

 私のばあいも、20代〜30代のころは、東洋医学に興味をもった。
30代〜40代のころには、宗教に興味をもった。
合計すれば、10冊以上の本を書いた。

 そうした裏からの支えがあって、はじめて、私たちは、自分の教育論を展開できる。
そういう点では、(教育)は、奥が深い。
専門分野だけを、月謝(給料)をもらって切り売りするというのは、またその範囲で満足するというのは、教育者の名に恥じる。

●こうして40年

 こうしてすでに40年近い年月が過ぎた。
40年!
自分では、「まだまだだいじょうぶ」と思っているが、本当のところ、自信はない。
しかもその自信は、年々、小さくなってきている。

 頭の活動も、鈍ってきた。
体力もつづかなくなってきた。
何よりもこわいのは、集中力が弱くなってきたこと。

 ここまでで、約10ページ分(40字x36行)の原稿を書いたが、そろそろ疲れを感ずるようになった。
若いころは、40ページ近くは、一気に、平気で書いていた。

 この先のことはわからない。
しかしものを書ける間は、できるだけ書いていきたい。

 ……と、少し話が脱線したが、子育て論というのは、あくまでも、ひとつの「説」に過ぎない。
親たちですら、読まない。
「どうすれば、あなたの子どもを有名大学に入れることができるか」という話になると、親たちは、目を輝かせて、私の話を聞く。
しかし子育て論について言えば、そういう反応は、ない。
直接的な利益に結びつかない。

 だから再び、同じ話になる。

「親というのは、自分で失敗するまで、それを失敗と気がつかない」と。
あるいは「親は自分で失敗してみて、はじめて賢くなる」でもよい。
それまでは、私たちはただの傍観者でいるしかない。
ただひたすら、知らぬフリをしながら……。
ただひたすら、バカな教師のフリをしながら……。

 もちろん情報は提供する。
しかしその情報をどう使い、どう生かしていくかは、私の問題ではない。
それを読む、親自身の問題である。

 もちろん親のほうから、質問があれば、話は別。
「うちの子は自閉症スペクトラムと診断されました。
どう指導したらいいでしょうか」と聞かれれば、そのときこそ、私の出番。
私の経験が生きる。

●仕事として……

 ところで最近になって、こう思うことが多い。
日本という社会の中で見ると、幼児教育というのは、番外。
とくに日本が、マネー一辺倒の中で、高度成長をつづけていたときは、そうだった。

 私自身も、大学を卒業すると同時に、M物産という商社に、就職先を見つけた。
あの当時、少なくとも私の仲間に、教師になるような男はいなかった。
(法学部は、全員、男だった。)
みなが、銀行や商社、証券会社、保険会社へと就職先を見つけていった。

 こうした職業観というのは、それぞれの時代で、それぞれの国によって、みなちがう。
が、当時の日本は、そうだった。
マネー、マネー、マネー……。
どこを向いてもマネー、マネー、マネー……。
今でもそういう風潮は色濃く残っているが、当時は、もっとすごかった。

 私はそういう世界からはじき飛ばされた。
が、62歳という年齢になり、自分の人生を振り返ってみたとき、私自身もまた、その流れの中で踊らされていただけということがよくわかる。

 が、その一方で、幼児教育の本当の楽しさが理解できるようになってきた。
一応、(教える)という使命を与えられているから、親たちの意向に逆らうことはできない。
しかしその範囲の中でも、子どもたちと接しているだけで、楽しい。

 そこはウソや濁りのない世界。
純粋で、無垢の世界。
たとえばどんなに気分が落ち込んでいても、子どもたちに接したとたん、パッと気が晴れる。
こんな仕事は、そうはない。

 で、今、多くの同窓生たちは、50歳を過ぎるころにはリストラを経験し、第二、つづく第三の人生を歩み始めた。
さらに60歳で定年になり、定年延長とは言いながらも、毎年短くなっていく職場に、不安を感じながら、仕事をつづけている。

 こう書くからといって、私のしてきたことが正解などと書くつもりはない。
人は、人それぞれ。
私は私。

しかし金儲けのもつ空しさというか、それもよくわかるようになるのも、この年齢ということになる。
それはちょうど、軍国主義時代において、軍人をめざすようなもの。
戦争が終われば、……というより、戦争そのものが、意義を失えば、それでおしまい。
それに似たようなことが、戦後の日本で、再び起きた。

 人は生きることで、何かを残す。
それが戦後は、たまたま「金儲け」ということになった。
しかしその「金儲け」には、生きがいを結びつける力は、あまりない。
もっとわかりやすく言えば、みな、巨大な機械のパーツ。
あなたがいなくても(失礼!)、あなたの代わりをするパーツは、いくらでも待機している。
地位や名誉にしてもそうだ。

 だからこの年齢になってはじめて私は、自分のしてきたことに、意味を見出し始めている。
だれもしなかった道。
少しおおげさな言い方になるかもしれないが、未開の原野を歩いたような満足感。
子どもたちと接しながら、20代のときや30代のころには感じなかった(楽しさ)を覚え始めている。

 「おじいちゃん」とか、「ジジイ」と呼ばれながら、幼児を相手にする。
それが楽しい。

●最後に

 親は子どもを産むことで、親になるが、しかしそれだけで親になったとは言えない。
親である以上、学習を怠ってはいけない。
つねに学習、あるのみ。
相手は、人間の子どもである。
とくに子どもの心理についての学習は、必要不可欠。
この世界には、『無知は罪悪』という格言もある。

 私が考えた格言だが、親の無知が、子どもの心をゆがめるケースは少なくない。
言うなれば、無知ほど、恐ろしいものはない。
たとえばかん黙症の子ども(年中女児)に向かって、「どうしてあなたは、もっと大きな声で話せないの!」と叱りつづけていた母親がいた。

 親の過干渉や過関心で、萎縮してしまう子どもとなると、ゴマンといる。
精神障害の引き金を引くケースも少なくない。

 だから『無知は罪悪』。

 ざっと自分の人生を振り返ってみた。
あなたの子どもを再認識するための一助になれば、うれしい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 幼児教育論 私の人生 はやし浩司の人生 幼児教育)








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【怒りのメカニズム】

「こうでありたい」という欲望。
「こうであってほしくない」という欲望。
「これがほしい」という欲望。
「私」であるがゆえに生まれる、もろもろの欲望。
これらを総称して、「エゴ」という。

 そのエゴが何らかの形で抑圧されると、そのエゴを解放させようと、一気に
情緒は不安定になる。
知性や理性の、止め具がはずれる。
それが(怒り)という感情となって、爆発する。

つまり人がなぜ怒るかといえば、抑圧されたエゴを解放するため。
このメカニズムがわかれば、自分で自分の(怒り)をコントロールすることができる。
順に考えてみよう。

●自己のエゴ

エゴは、それが満たされないとき、さまざまな姿に形を変える。
心配、不安、不平、不満……。
それが臨界点を超えたとき、つまり、コントロールできなくなったとき、
ときとして、それは(怒り)となって爆発する。

 が、もしこの段階で、エゴを自分でコントロールできれば、(怒り)は、
起きない。
エゴは、抑圧された状態のまま、見た目には静かになる。

●他者に向かう怒り

 (怒り)には、つねに2つ方向性がある。
自分に向かう(怒り)と、他者に向かう(怒り)である。
しかし基本的には、(怒り)は、最初は自分に向かう。
まず(自分に向かう怒り)が始まり、それが(他者に向かう怒り)に変化する。
原因や理由が他者にあれば、(怒り)は、直接、他者に向かう。
が、そのばあいでも、他者を代償的に利用しているにすぎない。

●交通事故

 簡単な例で考えてみよう。

たとえばあなたが運転をしていて、うしろから別の車に追突されたとする。
幸い怪我はなかったが、買ったばかりの新車に、大きな傷がついた。

 こういうケースでは、あなたは追突した相手に、大きな(怒り)を覚える。
「君が、へたくそな運転をしていたからだ!」と。

 しかしもしそのとき、あなたが運転していた車が、ボロボロのポンコツ車
だったとしたら、どうだろうか。
あるいは、あなたがたいへんな金持ちで、同じような車を、何百台も
もっていたとしたら、どうだろうか。
あるいは「車の傷など何でもない」と考えるタイプの人だったとしたら、
どうだろうか。

あなたの(怒り)は、あなたのエゴの状態に応じて、変化するにちがいない。
つまりまず(自分への怒り)が起こり、それが(他者への怒り)へと変化する。

 「どうして大切な車に傷をつけてしまったのだ」と、まず自分への怒りが
始まる。
その怒りが限界を超えたとき、その怒りは、今度は、外に向かう。
「お前のせいで、私の車に傷がついた」と。

●エゴと怒り 

 ここが重要だから、もう一度、別の例で考えてみよう。

 つまりエゴが強大であればあるほど、(怒り)もまた、強大なものとなる。
たとえば何か、インチキな商品を売りつけられたとしよう。
私も最近、そういう商品を売りつけられた。

 「謎のUFO」というような商品だった。
販売店にビデオが用意されていて、それを見ると、UFOの模型が自由自在に、
空中を不思議な飛び方をしていた。

 値段は、3000円。
で、家で箱を開けてみると、空を飛ぶといっても、細い糸でつりさげるだけの
インチキ商品だった。
言うなれば、手品のようなもの。
「ナーンダ」と思って、そのままで終わってしまった。

 が、もしそれが3000万円だったとしたら、どうだろう。
「ナーンダ」で、すますことはできない。
3000円だったから、「ナーンダ」ですんだ。
3000万円だったら、「コノヤロー」となる。

 このばあいも、まずだまされた自分に怒りを覚える。
額が小さいときは、「ナーンダ」ですますことができる。
しかし額が大きいときは、だまされた自分に腹が立つ。
「どうして私は、あんなバカなものを買ってしまったのだ」と。

 そしてその怒りが臨界点を超えたとき、「どうしてあんなものを
私に売りつけたのだ」という怒りに変わる。
売りつけた相手に、怒りが向かう。

●死への怒り

 ところで人が感ずる(怒り)のうち、最大のものは、(死)に対する
怒りということになる。
人は、死によって、すべてを失う。
すべてを奪われる。
財産や名誉や地位のみならず、肉体をも、だ。

 最初、死を宣告されると、ほとんどの人は、混乱し、その混乱が一巡すると、
今度はげしい(怒り)を覚えるという。(「死の受容段階論」(キューブラー・ロス))。
このばあいの(怒り)も、「失いたくない」というエゴが、原点になっている。

●エゴとの闘い

 (怒り)との闘いというのは、そんなわけで、自分の中に潜む(エゴ)との
闘いということになる。
さらに言えば、「私」との闘いということになる。

 私の財産、私の家族、私の名誉、私の地位などなど。
もちろん私の生命というのも、ある。
そういったものが、さまざまな立場で、さまざまに形を変えて、エゴとなる。
そのエゴが、危険にさらされたとき、心配、不安、不平、不満となって姿を
現す。

●エゴの爆発

 が、もしエゴを消すことができたら……。
消すのは無理としても、最小限にまで減らすことができたとしたら……。
(怒り)の内容も、変わってくるにちがいない。
最近、私はこんな経験をした。

 書店で、ある育児本を読んでいたときのこと。
しばらく読んでいたら、頭の中が、カーッと熱くなるのを覚えた。
明らかに、私のパクリ本である。
あるいは私がHPなど書いたことを、ネタに使っていた。
巧みに内容を変えてはあるが、私にはそれがわかる。

たとえば「……チョークで、背中を落書きされた……」が、「……チョーク
で、かばんを落書きされた……」となっていた。
その上で、「いじめられっ子は、その分だけ、他人の心の痛みが理解できる
ようになる」と。
随所で、私の持論そのものを展開していた。

 そのときの(怒り)が、まさに私の(エゴ)から発したものということになる。
(私の考え)(私の文書)(私のHP)と。
が、それも一巡すると、つまり「この世界は、こういうもの」と割り切ると、
怒りが、スーッと収まっていく。

 実際には、そのとき、私はこう考えた。
「10回盗作されたら、新しい原稿を100回書けばいい」と。
そう自分に言って聞かせて、その怒りを乗り越えることができた。
 
●防衛機制

 こうして心は自分の心の動揺を、自ら守ろうとする。
これを心理学の世界では、「防衛機制」という。
もともと人間の心は、不安定な状態に弱い。
長くそういう状態をつづけることができない。

 心配、不安、不平、不満がつづくと、それを解消しようと、さまざまに心が働く。
というのも、そういう状態は、ものすごいエネルギーを消耗する。
その消耗に、人はそれほど長くは耐えられない。
そのため、心は自分で自分の心を防衛しようとする。
それが防衛機制と言われるもので、それらには、合理化、反動形成、同一視、
代償行動、逃避、退行、補償、投影、抑圧、置き換え、否認、知性化などがある。

 この中のどれとは特定できないが、私は私なりのやり方で、エゴの爆発を、最小限に
抑えたことになる。

●無私
 
 再び、死について考えてみたい。
死を宣告されると、最初、人は、はげしい怒りを覚えるという。
このことは先にも書いた。
中には、医師や家族に、その怒りをぶつける人もいるという。

このばあいも、「エゴ」があるから、(怒り)が起こる。
そこで話を一歩前に進めると、こういうことになる。
そのエゴが集合されたものが「私」であるとするなら、私から
「私」を取り除いていく。
かぎりなく、取り除いていく。
その結果、(怒り)の原因となる、エゴが消える。

 たとえば(死)についても、「私」があるから、それを恐れる。
不安や心配を呼び起こす。
が、もし「私」がなければ、(死)についての考え方も、大きく変わってくる。
「無私」という考え方である。
「死は不条理なり」と説いた、あのサルトルも、最後は、「無の概念」という
言葉を口にする。
「死という最終的な限界状況を乗り越えるためには、無に帰するしかない」と。
この哲学は、釈迦の説いた「無」の思想に通ずる。

●現実世界では

 私たちは生きている。
生きている以上、現実の世界の中で、他人とかかわっていかねばならない。
仕事もしなければならない。
納得できなくても、上司の意見には従わねばならない。
家族もいる。
子どももいる。
その過程で、他人との摩擦をつねに経験する。

 実際問題として、生きている以上、「私」を消すことはできない。
そこで「妥協」という言葉が生まれる。
それについてはまた別の機会に考えてみたい。

 ただ大切なことは、(怒り)は、常にその人の人間性の範囲で起こるということ。
人間性の低い人は、ささいなことで激怒し、心をわずらわす。
一方、人間性を高めれば高めるほど、私たちは(怒り)を、自分の心の
中で処理できるようになる。

 かく言う私などは、今、死の宣告をされたら、取り乱し、ワーワーとわめき
散らすほうかもしれない。
情けないほど、私の人間性は低い。
それがわかっているから、今から努力するしかない。
少しでも無私の状態に近づき、そのときが来たら、静かにそれを受容したい。







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●意識の連続性(改)091012版

+++++++++++++++++

ちょうど1か月前、「意識の連続性」について書いた。
その原稿が、ずっと気になっていた。
殴り書きしたような原稿で、電子マガジンの
ほうで、そのまま、発表してしまった。
もう一度、それを読み直し、推敲してみたい。

+++++++++++++++++

【生命から生命へ】(From Life to Life)
We live and die and repeat it again and again, conveying out Life to other all living 
creatures and things together with our consciousness.(後日、要推敲)

++++++++++++++

あなたの生命は、ほかのありと
あらゆる生命とつながっている。
過去から未来へと、つながっている。
生物、無生物を問わず、ありとあらゆるものと
つながっている。
それがわかれば、あなたは
もう孤独ではない。

もしあなたに「死」というものが
あるとするなら、それはあなたの
「意識」の死に、過ぎない。
もっと言えば、意識の連続性が、
一度、そこで途切れるに過ぎない。

だから、もしあなたが意識の連続性を、
あなたの肉体を超えて感ずることが
できたら、あなたは、もう「死」を
恐れることはない。

++++++++++++++

●生物の連続性

人は日々に死に、日々に生まれ変わる。
細胞の生死を考えれば、それがわかる。
死んだ細胞は、体外へ排出され、ときに
分子レベルにまでばらばらになり、また
別の生物や無生物の中へと、取りこまれていく。
と、同時に、私たちは日々に、ほかの生物や
無生物から、新しい肉体を作り、生きている。

こうして私たちの肉体はありとあらゆる生物と
つながり、「今」というときを生きている。
これを「生物の連続性」という。

●命

では、死んだらどうなるか。
が、基本的には、「死」は存在しない。
その人個人の意識は途絶えるが、生命は、
姿や形を変え、別の生物の中に取りこまれて
生きていく。

虫かもしれない。
花や木かもしれない。
動物や、魚かもしれない。
ともかくも、生きていく。

この連続性を総称して、「生命の連続性」という。

●意識

個人は、その人の意識によって特定される。
「私は・・・」というときの「私」である。
しかしその私にしても、肉体活動の一部で
しかない。
もっと言えば、脳の中を走り回る、電気的
信号のようなもの。
それを私たちは「私」と自覚する。

だからといって、「私」に意味がないというのでは
ない。
私が書きたいのは、その逆。
この「私」があるから、そこから無数の
ドラマが生まれ、人間の生活を、潤い豊かなものに
する。
もし「私」がなかったら、私たち人間は、そこらに
生える雑草のような存在になってしまう。

●死

では、「死」とは何か?
言うまでもなく、意識の途切れをいう。
その人の意識が途切れたとき、「私」は消える。
言うなれば、パソコンの電源を切るようなもの。
そのときから、見ることも、聞くことも、
感ずることもできなくなる。

しかし先にも書いたように、それで生命が
途切れるわけではない。
生物の連続性の中で、つぎつぎとあなたの生命は、
別の生命へとつながっていく。

●再生

そんなわけで、「生命」を、あなたという個人の
中だけに閉じこめておくのは、正しくない。
またそういう視点で、あなたという「私」を見ては
いけない。

もっと具体的に話してみよう。

脳も含めて、上は髪の毛から、下は、足の爪まで、
私たちの肉体は長くて1年足らずで、すべてが作り替えられる。
古い肉体は、つねに便となったりして、外に排出される。
が、それらは自然界でつねにリサイクルされ、無数の
生物の、一部となって再生されていく。
もちろんあなた自身の一部として戻ってくることもある。

●「私」という意識

こうした破壊と再生の中で、連続性をもつものが
あるとすれば、それが意識ということになる。
その意識が、「私」という意識を、もちつづける。

私の肉体、私の財産、私の名誉、私の地位、と。
こうして私という意識が、「私」をつくりあげていく。

●瞬間移動(転送)

映画『スタートレック』の中に、よく「転送」という
言葉が出てくる。
これはある一定の場所から、別の場所に、瞬時に
移動することをいう。
SF映画の世界でのことだから、まともに考えるのも
どうかと思うが、その転送について、こんな議論がある。

「転送されてきた人間は、もとの人間と言えるかどうか」
という議論である。

原理は、こうだ。

まずあなたという人間を、分子レベルにまで、バラバラに
する。
そのバラバラになったあなたを、電磁波か何かの(波)に
乗せて、別の場所に転送する。
そしてその別の場所で、もとどおりに、組み立てなおす。

そこであなたはこう考える。
見た目には、もとの人間と同じだが、しかしもとの人間は
一度死んだはず、と。
新しく再生された人間は、あくまでもまったく別の人間。

つまり転送を10回繰りかえせば、あなたは10回
死に、10回再生されたことになる。

●破壊と再生

人間の肉体は、転送という劇的な変化ではないにしても、
1年単位という時間の流れの中で、映画『スタートレック』の
中の転送と同じことを、繰りかえしている。

「劇的」というのは、映画『スタートレック』の中では、
すべてを瞬時にすることをいう。
一方、肉体のほうは、それぞれがバラバラに、長い時間をかけて、
徐々にする。

そこでもし、映画『スタートレック』の中の転送について、
あれは、「破壊」と「再生」を繰り返したもの、つまり
「一度死んで、再び、生きかえったもの」と考えるなら、
私たち自身も、同じことを繰りかえしていることになる。

「瞬時」にそれをするか、「1年」をかけてそれをするかの、
ちがいだけである。

●伝えられる意識

さらに……。
科学が進めば、(あなた)のコピー人間を作ることも、
可能になるだろう。
すでにクローン牛なども誕生している。

しかし意識は、どうか。
あなたのコピーは、あなたと同じ意識をもつだろうか。
あるいはあなたのもつ意識を、そのままそのコピー人間に
移植できるだろうか。
その答は、NO。

あなたのコピー人間は、ただのコピー人間。
たとえば私のコピーを作ったとしても、そのコピー人間が、
今の私と同じ意識をもつことはありえない。
肉体が別になれば、意識も別になる。
私のワイフを見て、私は逃げ回るかもしれない。

●コピー人間の意識

私が「私」と言えるのは、「意識の連続性」があるからにほかならない。
もし意識の連続性がなかったら、「私」はそのつど分断されてしまう。

たとえばクローン技術を使って、あなたのコピー人間を作ったとしよう。
見た目はもちろん、何から何まであなたと同じ人間である。
しかしそのクローン人間は、ここにも書いたように、「あなた」ではない。
意識の連続性がないからである。

(これに対して、左脳と右脳をつなぐ脳梁のような太い配線で、脳どうし
をつなぐことができれば、意識を共有することも可能になるかもしれない。)

同じように、先にも書いたが、あなたは日々に生まれ変わる。
古い細胞は死に、新しい細胞が生まれる。
1年前のあなたは、どこにも残っていない。
言い換えると、今のあなたは、1年前のクローン人間といっても、
さしつかえない。

が、あなたはあなた。
そういうあなたは、「私は私」と言うだろう。
それが意識の連続性ということになる。

●親子

さらに言えば、親子の関係も、それに似ている。
親子のばあいは、1世代、つまり約30年をかけて、
親は自分のクローン人間を作る。

自分の子どもは、約30年をかけて作る、自分
自身のクローン人間とも考えられる。
顔や姿は、配偶者のそれと半々するということになるが、
それは大きな問題ではない。

それに意識、……このばあい、ものの考え方も、
あなたのそれに似てくる。
ただ親子のばあいは、クローン人間とはちがい、
個人差はあるだろうが、ある程度は、意識の共有が
できるかもしれない。

自分の子どもを、別個の人間と区別できない母親というのは、
たしかにいる。

●意識があるから私

こうして考えていくと、「意識」の重要性が、ますます
理解してもらえると思う。
もっと正確には、「意識の連続性」ということになる。

言うなれば、「意識の連続性があるから、私」ということになる。
「私」イコール、「意識」。
「意識の連続性」。
「意識の連続性」イコール、「私」と考えてよい。

●あやふやな意識

が、その一方で、その「意識」ほど、あてにならない
ものもない。
「私は私」と思っている意識にしても、そのほとんどが、
意識できない「私」、つまり無意識の世界で作られた
私でしかない。

意識している私は、無意識の世界で作られている私に、
操られているにすぎない。
その反対の例が、催眠術ということになる。
「あなたはキツネだ」という強力な暗示をかけられた
被験者は、目が覚めたあとも、キツネのように、
そのあたりをピョンピョンと、とび跳ねたりする。

つまり脳の中には、無数の暗示が詰めこまれていて、
それが私たちを裏から操る。
それを私たちは、「私の意識」と思いこんでいる。

意識には、そういう問題も隠されている。

●私の死

そこで再び、「死」について考える。

「私」という意識は、脳細胞の中を走り回る電気的信号の
集合でしかない。
人間が霊的(スピリチュアル)な存在でないことは、認知症
か何かになった老人を見れば、わかる。
脳の機能が低下すれば、思考力も低下し、ついで、
意識の力も弱体化する。
「私」すら、わからなくなる老人も多い。

人間が霊的な存在であるなら、脳、つまり肉体の一部
としての脳の機能に左右されるということは、ありえない。

で、その電気的信号が止まったら、どうなるか。
それが「意識の途絶え」ということになる。

●すべてが消える

「死」についての説明は、これでじゅうぶんかも
しれない。
結論的を先に言えば、私たちは死によって、意識を失う。
意識の連続性を失う。
見ることもちろん、それを自覚することもない。
「見えない」ということすら、自覚することもない。

この大宇宙を意識している「私」すら、消滅する。
つまりこの大宇宙もろとも、消えてなくなる。
あなたが深い眠りの、そのまた数万倍、深い眠りに
陥った状態を想像してみればよい。
夢を見ることもない、深い眠りである。

(それでも、微量の意識は残るが・・・。)

それが「死」に近い状態ということになる。 

では、「私」とは何か。
つまりそれが「意識」ということになる。
「意識の連続性」ということになる。

●意識

結論は、もう出ている。
「意識」イコール、「私」。
「私」イコール、「意識」ということになる。

が、「意識」だけでは足りない。
「私」を意識するためには、繰り返すが、そこに
「連続性」がなければならない。
意識だけなら、空を舞う蚊にすら、ある。
あの蚊に、「私」という意識があるとは、とても
思えない。

しかしその「私」は、努力によっていくらでも
大きくすることができる一方、ばあいによっては、
犬やネコどころか、虫のそれのように小さく
してしまうこともありえる。

人間は平等とはいうが、こと意識に関しては、
平等ということはありえない。
深い、浅い、の差はある。
またその(差)は大きい。
その(差)は努力によって決まる。

そうした努力を、釈迦は、「精進(しょうじん)」
という言葉を使って説明した。

●生命の伝達

そこで生きている人間の最後の使命はといえば、
「生命の伝達」ということになる。
「意識の伝達」と言い換えてもよい。

再び映画『スタートレック』の話に戻る。
もし肉体の転送だけだったら、別の肉体をもう一個、
作っただけということになる。
あなたのコピー人間を作っただけということになる。

そこで当然、意識の伝達が、重要な要素となる。
そうでないと、転送先で、それぞれが、何をしてよいか
わからず、混乱することになる。
本人も、どうして転送されたのか、わからなくなって
しまうだろう。
与えられた使命すら、忘れてしまうかもしれない。
あなたに接する、相手も困るだろう。

(映画『スタートレック』の中では、この問題は
解決されているように見える。
しかしどういう方法を使って意識の連続性を保っているのか?
たいへん興味がある。)

そこで私たちは、生きると同時に、つねに意識の
伝達に心がけなければならない。
その意識の伝達があってはじめて、私たちは、
生命を、つぎの世代に伝えることができる。

●意識の消滅

個人の意識が途切れることは、こうした生命の
流れの中では、何でもないこと。
今、あなたが感じている意識しにしても、
あなたのほんの一部でしかない。

あなたの数10万分の1、あるいはそれ以下かも
しれない。
そんな意識が途切れることを恐れる必要はない。

●意識の伝達

それよりもすばらしいことは、あなたの生命が、
日々に、ほかの生物へと伝わっていること。
あなたの子どもに、でもよい。
ほかの生物が、日々にあなたを作りあげていくこと。
そうした生物ぜんたいの一部として、私がここにいて、
あなたがそこにいること。

つまりあなた自身も、無数の意識の連続性の中で
今を生き、そして無数の連続性を、かぎりなく
他人に与えながら、今を生きている。

が、それにはひとつの条件がある。

●無私

「私」という意識があるかぎり、またそれにとらわれているかぎり、
私たちは、「死」を恐れる。
「死」は、「喪失」以外の何物でもない。

そこで「私」という意識から、「私」をどんどんと取り除いていく。
言うなれば、丸裸にする。
なぜ、私たちが「死」を恐れるかと言えば、「私」があるから。
私の肉体、私の財産、私の名誉、私の地位、と。

そこで先に、その「私」を取り除いてしまう。
失うものが、何もない状態にする。
理論的には、それによって、私たちは、「死」がもたらす
喪失感、つまり恐怖から解放される。

●肉体の死

死ぬことを恐れる必要はない。
たとえばあなたはトイレで便を出すことを恐れるだろうか。
そんなことはだれも恐れない。
しかしあの便だって、ほんの1週間、あるいは1か月前には、
あなたの(命)だった。
その命が、便となり、あなたから去っていく。
また別の命を構成していく。

●意識の死

繰り返すが、肉体は、1年程度で、すべて入れ替わる。
では、意識はどうか?
意識と言うより、意識の連続性を支える「記憶」はどうか?

このことは、1年とか、2年前、さらには10年前に書いた自分の文章を
読んでみればわかる。
ときに「1年前には、こんなことを書いていたのか?」と驚くことがある。
あるいは自分の書いた文章であることはわかるが、まるで他人が書いた文章の
ように感ずることもある。

さらに最近に至っては、まるでザルで水をすくうように、知識や知恵が、
脳みその中から、ざらざらとこぼれ落ちていくのがわかる。
それを知るたびに、ぞっとすることもある。

若い人たちには理解できないことかもしれないが、現在、あなたがもっている
知識や知恵にしても、しばらく使わないでいると、どんどんと消えてなくなって
いく。
ついでに、意識も、それに並行して、どんどんと変化していく。
何も、肉体の死だけが死ではない。
意識、つまり精神ですら、つねに生まれ、そしてつねに死んでいる。
「私」という意識はそのままかもしれないが、その中身は、
映画のフィルムのコマのように、つねに作られ、つねに消されるを
繰り返しているにすぎない。

●死とは

もし「死」が何であるかと問われれば、それは
意識の連続性の(途切れ)をいう。
(途切れた)状態が、そのままつづくことをいう。
もう一度、映画のフィルムにたとえるなら、コマが切れた
とき、つぎのコマがなくなった状態をいう。

しかし心配無用!
あなたの意識は、(思想)として、残すことができる。
たとえば今、あなたは私の書いたこの文章を読んでいる。
その瞬間、私の意識とあなたの意識はつながる。
私はあなたと、同じ意識を共有する。
たとえそのとき、私という肉体はなくても、意識は
残り、あなたに伝えられる。

私の肉体は、「私」を意識しないかもしれないが、
別の肉体が、「私」を意識する。

もちろんその反対もある。
私があなたの書いた(思想)を読んだとき、私の肉体が、
「あなた」を意識する。

これを「意識の共有性」という。

●重要なのは、意識の共有性

反対に、こうも考えられる。
仮に肉体は別々でも、そこに意識の共有性があれば、「私」ということに
なる。

では、その意識の共有性は、どうすれば可能なのか?

ひとつの方法としては、SF的な方法だが、他人の意識を、自分の脳の
中に注入するという方法がある。
先にも書いたように、他人の脳と、電線のようなものでつなぐという方法もある。
もっと簡単な方法としては、どこかのカルト教団がしているように、たがいに洗脳
しあうという方法もある。

が、自分の肉体にさえこだわらなければ、今、こうして私が自分の意識を
文章にする方法だって、有効である。
この文章を読んだ人は、肉体的には別であっても、またほんの一部の意識かも
しれないが、そこで意識を共有することができる。
それが意識の共有性につながる。

つまりこうして「私」は、無数の人と、意識の共有性を作り上げることに
よって、自分の「生命」を、そうした人たちに残すことができる。
もちろんそうした人たちも、また別の人たちと共有性を作り上げることに
よって、自分の「生命」を、そうした人たちに残すことができる。

人間は、こうして有機的につながりながら、たがいの生命を共有する形で、
永遠に生きる。
つまり「死」などは、存在しない。
繰りかえすが、個体として肉体の「死」は、死ではない。

●時空を超えて

さらに言えば、私という肉体はそのとき、ないかもしれない。
しかし時の流れというのは、そういうもの。
一瞬を数万年に感ずることもできる。
数万年を一瞬に感ずることもできる。
長い、短いという判断は、主観的なもの。
もともと時の流れに、絶対的な尺度など、ない。

寿命があと1年と宣告されても、あわてる必要はない。
生き方によっては、その1年を100年にすることもできる。
(年数)という(数字)には、まったく意味がない。

●大切なこと

大切なのは、今、この瞬間に、私がここにいて、
あなたがそこにいるという、その事実。

あなたの意識は、あなたの肉体の死とともに途切れる。
しかしその意識は、かならず、別のだれかに伝えられる。
こうしてあなたは、べつのだれかの中で、生き返る。
それを繰り返す。

そこで大切なことは、本当に大切なことは、よい意識を残すこと。
伝えること。
それが私たちが今、ここ生きている、最大の目的ということになる。

●もう恐れない

さあ、もう死を恐れるのをやめよう。
死なんて、どこにもない。
私たちはこれからも、永遠に生きていく。
姿、形は変わるかもしれないが、もともと
この世のものに、定型などない。
人間の形だけが、「形」ではない。
また私たちの姿、形が、ミミズに変わったとしても、
ミミズはミミズで、土の中で、結構楽しく暮らしている。
人間だけの判断基準で、ほかの生物を見てはいけない。

そうそう犬のハナのした糞にさえ、ハエたちは
楽しそうに群がっている。
それが生命。

●日々に死に、日々に生まれる

私たちが日々に生き、日々に死ぬことさえわかれば、
最後の死にしても、その一部にすぎない。
何もこわがらなくてもよい。
あなたは静かに目を閉じるだけ。
眠るだけ。
それだけで、すべてがすむ。

あなたはありとあらゆる生物の(輪)の中で生きている。
あなたが死んでも、その輪は残る。
そしてあなたはその輪の中で、この地球上に生命が
あるかぎり、永遠に生きる。

しかしそれとて何でもないこと。
なぜならあなたはすでに、毎日、日々の生活の
中で、それをしている。
繰りかえしている。

あとはその日まで、思う存分、生きること。
あなたという意識を、深めること。
つぎにつづく人や生物たちが、よりよく生きやすくするために……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司
 BW はやし浩司 生命論 意識論 生命の連続性 はやし浩司 意識の共有性 死につい
て 090907)

(補記)
一気に書き上げた文章なので、随所に稚拙な部分、わかりにくい部分があるかもしれない。
今はこのままにし、しばらく時間をおいてから、推敲してみたい。
(文章の一部からでも、何かを感じとってもらえれば、うれしい。)

要するに私は、この原稿の中で、「死」を(肉体の死)と(意識の途切れ)に
分けて考えてみた。
肉体の死については、何も「死」だけが死ではない。
私たちは、毎日、死に、そして生まれ変わっている。
意識にしても、そうだ。

そこで重要なのは、(意識の共有性)ということになる。
たしかに死によって、私たちの意識はそこで途切れるが、
だからといって、それで(意識)が死ぬわけではない。

現に今、あなたはこの文章を読んでいる。
読んだとたん、私の意識は、あなたの中に伝達されることになる。
あなたの中で生きることになる。
そして今度は、あなたは私の意識を土台に、さらに自分の意識を発展させる。
こうして意識もまた、永遠に、生き残っていく。

そこで「死など、恐れる必要はない」と書いたが、それにはひとつの
重要な条件がある。
それは「今を、懸命に生きること」。
とことん懸命に生きること。
過去にしばられるのも、よくない。
明日に、今日すべきことを回すのも、よくない。
要するに、「死」に未練を残さないこと。
とことん燃やしつくして、悔いを明日に残さないこと。
あなたが今、健康であっても、またそうでなくても、だ。
それをしないでいると、死は、恐ろしく孤独なものになる。
人間は、基本的には、その孤独に単独で耐える力はない。

……と書きつつ、これは私の努力目標である。
いろいろ迷いや不安はあるが、とにかくその目標に
向かって進んでいくしかない。


*************************************************

●意識の連続性(補足)

++++++++++++++++++++

私たちがもっている意識というのは、パルス信号のような
ものと考えてよい。
ピッピッピッ……と。
コンピュータのように、何ヘルツというように
測定しようと思えば、それも可能かもしれない。
脳波そのものも、パルス信号として認識される。

つまり(意識)というのは、時間的経緯の中で
拡大してみると、瞬間的に現れては消える、現れては消える……。
それを小刻みに繰り返している。
そのサイクルが短いため、私たちは連続した意識として
それをとらえる。
が、連続しているわけではない。
ここにも書いたように、連続しているように、見えるだけ。

映画のフィルムのコマを思い浮かべれば、わかりやすい。
1コマずつ画面に画像が表示されるが、網膜に残った
残像が消える前に、次の画像が表示される。
そのため、私たちはスクリーンに映る映像を、連続した画像として、
とらえる。
人間の意識も、それに似ている。

このことをさらに裏づける事実が、明らかになりつつある。
最近の脳科学によれば、脳の中の視床下部あたりから、
強力なシグナルが発せられていることがわかってきた。
このシグナルが、いわゆる(生命の源)と考えてよい。
このシグナルに応じて、たとえばもろもろの欲望(=ドーパミンの分泌)
などが、引き起こされる。

+++++++++++++++++++++++++

●迷う

 たとえば今、「今夜は夕食に何を食べようか」と考える。
「天丼にしようか、カレーライスにしようか」と。

 こうして迷っている間にも、そのつど無数のシグナルが、四方八方に
発せられる。
たとえばアルファ波(脳の中の電気的信号)のばあい、秒間8〜13ヘルツと
言われている。
ベータ波は、14〜30ヘルツ。
ガンマ波は、30ヘルツ以上。

こうした信号は、そのつど脳のあちこちで取捨選択され、最終的に、
たとえば「天丼」が優勢になったところで、こう判断する。

「今夜は、天丼にしよう」と。

●パルス説

 こんな例がある。
たとえば交通事故にあった人などの話を聞くと、ほとんどの人は、こう
言う。
「その瞬間のことは覚えていない」と。

 これについては2つの仮説が立てられる。

 ひとつは記憶として残る前に、脳自体が記憶する(=記銘する)のを
停止してしまう。
(衝撃が脳に伝わるよりも早く、衝撃を受けると同時に、脳が記憶を
停止してしまう。だから記憶に残らないという説が、一般的である。)

 もうひとつは、意識そのものが、その瞬間、停止してしまう。

 もし後者であるとするなら、パルス説が、がぜん有力になる。
こうした瞬時の反応は、パルス説以外では、説明できない。
つまり脳が衝撃を受けた瞬間、意識はそこで途絶える。

●意識と死
 
 意識がパルスであるとするなら、私たちはつねに、(意識)と(死)
を繰り返していることになる。
デジタル信号にたとえるなら、(+)と(−)を繰り返していることになる。
(−)のとき、私たちの意識はゼロになる。
その状態を、私たちは「死」と呼ぶ。

 もう少し具体的に説明しよう。

 脳の神経細胞(シナプス)から信号が発せられると、それは神経突起を経て、
ニューロンに伝えられる。
そのニューロンを介して、信号はつぎの神経突起を経て、神経細胞に伝えられる。
こうした伝達方式を、「ドミノ倒し」という言葉を使って説明する学者もいる。
脳の神経細胞は、つねに新しいシグナルを発し、それをつぎの神経細胞に伝える。
が、その瞬間、つまりシグナルを発したあと、脳は、死んだ状態になる。

 もちろん神経細胞のメカニズムは、そんな単純なものではない。
神経細胞の数にしても、1000億個もあるとされる。
それぞれがそれぞれの無数のシグナルを発し、私たちが「意識」と呼ぶものを
作りあげている。

 意識がパルスであり、かつ瞬時、瞬時に、私たちが(生)と(死)を
繰り返しているとすると、生と死についての考え方が、一変する。
私たちは生と死を、絶え間なく、繰り返していることになる。
ただその間隔があまりにも、短いため、……というより、(死)の状態の
ときには、意識そのものが消滅するので、(死)そのものを認識できない。

●意識が消えたとき

 たとえばこんな例で考えてみよう。

 ある人のパルスの間隔が、5秒間隔であったとする。
5秒間、意識が戻り、つぎの5秒間、意識が消えたとする。
これを交互に繰り返した場合、その人の意識は、意識の上では、つながって
いることになる。
意識が消えたとき、その人は意識が消えたことそのものを意識できない。
だからそれを外部から観察していた人が、「あなたは5秒間、死んでいましたよ」
と告げても、その人は、それを否定するだろう。

 もっと極端な例として、こんなこともありえる。

 あなたは宇宙船に乗って火星に向かっている。
あなたは宇宙船に乗り込んだとたん、冷凍された。
それから2年間、あなたは宇宙船の中で、ずっと眠りつづける。
が、火星に到着する寸前、解凍された。
そのときあなたは、きっとこう答えるにちがいない。
「私は、あっという間に、火星に着きました」と。

●意識の覚醒

 となると、……あくまでも意識パルス説によるものだが、
先にも書いたように、私たちは日常的に、生と死を経験していることになる。
そして「死」とは、パルスが(−)になったとき、そのままの、停止した
状態ということになる。

 このことは、反対に「生」を考えるとき、たいへん役に立つ。
「意識」、つまり「意識の覚醒」をもって、「生」とするなら、
生きるということは、意識の覚醒を保つことということになる。
(ただし意識の覚醒がないから、死んでいるということにはならない。
誤解のないように!)

●仮説

 そこで私の仮説。

 加齢とともに、このパルスの周期が、長くなるのではないか。
若いころは、1秒間あたりのパルス数が多い。
多いから、同じ1秒でも、長く感ずる。

 しかし加齢とともに、パルスの周期が長くなる。
パルス数が少なくなる。
あるいは意識の覚せい状態が短くなる。
だから同じ1秒でも、短く感ずる。

 だからみな、こう言う。
「40代は、あっという間に過ぎた。しかし50代は、もっとあっという間に過ぎた」と。

 これはあくまでも私の仮説である。
つまり加齢とともに、時間の長さをますます短く感ずるようになったり、時間が早く
過ぎるように感ずるようになるのは、パルスの周期数そのものが、減少するためでは
ないか。

 いろいろ調べてみたが、視床下部から発せられるパルス信号について、年令別の
周波数を調べた研究は、見当たらなかった。
が、そのうち、私の仮説が立証されるかもしれない。
「加齢とともに、視床下部パルス数は、変化する」と。

……ということを期待しつつ、意識の連続性の話は、ここまで。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 意識の連続性 視床下部のパルス信号 加齢とともに、どうして時間を短く感ず
るようになるのか 加齢と時間 はやし浩司 仮説)






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ぼくの少年時代
【走馬灯】(ぼくの少年時代)(My Boyhood Days)

●ゴム靴

 ぼくの少年時代は、あのゴム靴で始まる。
黒いゴム靴で、歩くとキュッキュッという音がした。
子どもながらに安物ということが、よくわかった。
しばらく歩いていると、足の皮がこすれて、むけた。

 ぼくが小学2年生か、3年生ころのことではなかったか。
やがてその靴ははかなくなったが、どういうわけか、「少年時代」という言葉を聞くと、あのゴム靴を思い出す。

当時は、靴下をはいている子どもは、ほとんどいなかった。
それでよけいに、はきにくかったのではなかったか。

●蛍光灯

 そのゴム靴をはいて、近くの先生の家に遊びに行った。
当時としてはハイカラな家で、引き戸を開けて中へ入ると、そこにソファが置いてあった。
白い布製のカバーが、かかっていたように思う。

 で、そのときは蛍光灯を見に行った。
「熱くない電気がある」と言うから、みなで、それを確かめに行った。
当時は、「電気」つまり、「電灯」というと、裸電球が当たり前で、そのときぼくは、はじめて蛍光灯というのを見た。

 その蛍光灯は、家の一番奥にあった。
記憶はそこでやや途絶えるが、ぼくは触っても熱くない電気に驚いた。
それに明るく、色も白かった。

 そのときゴム靴をはいていったから、ゴム靴をはいたのは、小学2年生のときということになる。
その先生というのが、ぼくが小学1年生と2年生のときの担任の先生だった。
名前を高井先生と言った。

●遊び場

 あのころの町の様子は、よく覚えている。
目を閉じただけで、あのころの街並みが、走馬灯のように見えてくる。
 
ぼくたちの遊び場は、近くにある円通寺という寺だった。
当時のぼくには、広い境内に見えた。
その境内を出ると、角にお好み焼き屋があった。
靴屋もあった。
その横が菓子屋で、つづいて床屋・・・。

 ぼくの家は、1ブロック離れた角にあった。
見る角度のよって、立派に見えたり、反対にみすぼらしく見える、不思議な家だった。
しかし寺の境内から帰る道から見るぼくの家は、それなりに立派に見えた。

●女たらし

 当時のぼくたちは、女の子とは遊ばなかった。
女の子と遊ぶヤツは、「女たらし」と呼ばれて、仲間に軽蔑された。
ぼくも軽蔑した。
だから、女の子と遊ぶときは、内緒で遊ぶか、ずっと年上の女の子と、ということになる。

 その年上の女の子というか、女の人に、「けいちゃん」という人がいた。
当時、高校生くらいではなかったか。
けいちゃんは、いつもぼくを自転車に乗せて、あちこちへ連れていってくれた。
ぼくの家のはす向かいにあった、薬屋の女の子だった。
今でもアルバムの中には、けいちゃんの写真は、何枚か、残っている。

●喧嘩

 ぼくは、外では、明るく朗らかな子というイメージで通っていた。
よくしゃべり、よくはしゃぎ、よく笑った。
そうそう喧嘩もよくした。
気が小さく、弱いくせに、そのときになると、肝っ玉がすわる。
今でもそうだが、何か気になることがあると、即、解決しないと気がすまない。
それでよく喧嘩をした。

 どんな形であれ、決着は早くつける。
それが今でも処世術として、ぼくの身についている。
だからみな、こう言った。
「林の浩ちゃん(=ぼく)と喧嘩すると、こわい」と。

 ぼくは一度喧嘩を始めると、とことん、した。
相手を、相手の家の奥まで追いつめて、した。

●さみしがり屋

 それだけぼくの心は荒れていたことになる。
ぼくに対して好意的な人に対しては、明るく、朗らかに・・・。
しかしそうでない人に対しては、容赦しなかった。

 どこか独裁者的な子どもを想像する人もいるかもしれないが、事実は反対。
ぼくは、さみしがり屋だった。
自分でもそれがはっきりとわかるほど、さみしがり屋だった。

 寝るときも、母のふとんの中にもぐりこんだり、祖父のふとんの中にもぐりこんで寝ていた。
あるいはいつもだれかそばにいないと、不安だった。
だからだれに対しても、シッポを振った。
相手に合わせて、その場で、自分を変えた。

●集団教育

 そういうぼくだから、その分だけ、気疲れをよく起こした。
多分、そのころのぼくを知る人には信じられないかもしれないが、ぼくは集団教育が苦手だった。
運動会にしても、遠足にしても、集団で同じように行動するということが、苦手だった。
嫌いではなかったが、居心地はいつも悪かった。

 が、先にも書いたように、だからといって、ひとりでいることもできなかった。
心理学の世界には、「基本的信頼関係」という言葉がある。
その基本的信頼関係の構築ができなかった子どもということになる。

わかりやすく言えば、人に対して、心を開くことができなかった。
もっと言えば、人を信ずることができなかった。
いつも相手の心の裏を見た。
やさしい人がいたとしても、それを素直に受け入れる前に、その下心を疑った。

●粗製濫造 

 原因は、「母子関係の不全」ということになる。
しかしこんな言葉は、ずっとあとになってから知ったことで、当時のぼくに、それがわかるはずもなかった。
またそれが原因で、当時のぼくがそうなったなどとは、知る由もなかった。
ぼくはぼくだったし、母は、母だった。

 あえて言うなら、当時は、そういう時代だった。
戦後の混乱期で、家庭教育の「か」の字もなかった。
あるにはあったのだろうが、今とは比較にならなかった。
たとえば家族旅行にしても、ぼくの家族のばあい、家族旅行などといったものは、ただの1度しかなかった。
小学6年生のときで、みなで伊勢参りをしたのが、最初で最後。

 粗製濫造というか、ぼくたちは、戦後のあの時代に、濫造された。
ひらたく言えば、ほったらかし。
それがよかったのか、それとも悪かったのか・・・?
ぼくも含めて、当時の子どもは、みな、そうだった。

●父の酒

 つぎに少年時、代というと、「酒」の話になる。
父は、酒癖が悪く、酒を飲むと、人が変わった。
これについては、もう何度も書いた。

 が、おかしなもので、当時のぼくを知る従兄弟たちはこう言う。
「浩君(=ぼく)の家庭は、たいへん幸福そうに見えた」と。

 そう言われるたびに、ぼくは、「フ〜ン?」とか、「そうかなあ?」とか、思う。
まわりの人たちには、そう見えたかもしれない。
しかしあの時代をいくら思い起こしても、明るく楽しい思い出は、ほとんど浮かんでこない。

 理由は、やはり「酒」ということになる。
父は、数日おきくらいに酒を飲み、家の中で大声を出したり、暴れたりした。
それがぼくが、5、6歳のころから、中学3年生くらいまでつづいた。

●兄弟

 ぼくには、当時、1人の兄と、1人の姉がいた。
もう1人、兄がいたが、ぼくが3歳くらいのときに死んだ。
日本脳炎が原因だった。

 母が言うには、暑い夏の日に、父が荷台に兄を乗せ、自転車で数時間もかけて母の在所へ行ったのが原因ということだった。
ぼくが覚えているのは、その日、つまり葬式の日、土間に無数の下駄や靴が、散乱していたということだけ。
兄との思い出は、まったくといってよいほど、ない。
歳が離れていたこともある。

 だから今でも兄弟と言えば、兄と姉ということになる。

●家族

 兄弟との接触も少なかったが、父や母との接触は、もっと少なかった。
こんな話をしても、だれも信じないかもしれないが、生涯において、ぼくはただの一度も父に抱かれたことがない。
手を握ってもらったこともない。
結核を患ったこともあるが、ほかにも深刻な理由があった。
しかしそれをここに書くことは、できない。

 その代わり、祖父がぼくの父がわりなってくれた。
祭りに行っても、祖父は、最初から最後まで、ずっと、一度もぼくの手を放さなかった。
 
・・・ということで、何からなにまで、おかしな家族だった。
しかしそれがぼくの家族であり、ぼくは、ほかに家族を知らなかった。 
家族というのは、そういうものと思っていた・・・というよりは、(それ)を、ぼくは受け入れるしかなかった。
それがぼくの家族だった。

●子ども時代

 今でもときどき、不思議に思うことがある。
とくに10歳とか、12歳の子どもを見ると、そう思う。
「ぼくにも、同じような時代があったはずだが・・・」と。

 当時のぼくは、当然のことながら、(子ども)だった。
しかし記憶のどこをさがしても、(子どもとしてのぼく)が、浮かび上がってこない。
子どもらしく、父や母に甘えたという記憶も、ほとんどない。
父や母が、ぼくを子どもとして、扱ってくれたという記憶も、ほとんどない。
あるのは、ぼくをいつも子ども扱いしたこと。
(子ども扱い)というのは、ぼくを人間としてではなく、言うなればペットのようにしか扱ってくれなかったこと。
あるいはモノ?
道具?

 ぼくの意思や人格など、父や母の前では、腸から出るガスのようなものだった。
父や母が、ぼくの話に静かに耳を傾けてくれたことは、ほとんどなかった。
家族の談話など、そういうものがあることさえ知らなかった。

だからぼくにとって父や母は、一方的に命令するだけの存在だった。
口答えすれば、・・・というより、当時のぼくの家庭では、子どもが親に口答えするなどということは、考えられなかった。

 親は、いつも絶対だった。
とくにぼくの父と母は、G県に本拠を置く、M教という、(親絶対教団)の熱心な信者だった。
母ですら、ぼくが何かを口答えをすると、「親に向かって、何てことを言う!」などといって、叱った。
「親に歯向かうと、地獄へ落ちる」と、よく脅された。

 ぼくにとって、親というのは、そういう存在だった。

●恩着せ

 父や母の子育ての基本は、(恩着せ)だった。
ことあるごとに、父や母は、ぼくにこう言った。
「産んでやった」「育ててやった」「言葉を教えてやった」と。

 ぼくはそういう言葉を、耳にタコができるほど聞かされた。
が、何よりも恐ろしい言葉は、「〜〜をしなければ、自転車屋を継げ」というものだった。
ぼくは兄を見て育っているから、自転車屋というのは、恐怖以外の何ものでもなかった。
兄は、まるで奴隷のように、家の中では扱われていた。
「自転車屋になる」ということは、ぼくも、その奴隷になることを意味した。

●ぼくの夢

 ぼくにもいくつかの夢があった。
「夢」と実感したというわけではなかったが、ぼくは、パイロットになりたかった。
いつも模型の飛行機を作って遊んでいた。
もう少し幼いころには、ゼロ戦のパイロットになりたかった。

 が、中学校へ入学するころから近視が始まり、断念。
「近視の者はパイロットにはなれない」というのが、当時の常識(?)だった。

 つぎにぼくはいつしか、大工になることを考えるようになった。
ものづくりは好きだったし、木工には、かなりの自信があった。
学校から帰ってくると、店の中で、木材を切ったり、金槌で叩いたりして、いろいろなものを作った。

 小学5年生か、6年生のときには、組み立て式ボートというのを、作ったことがある。
手先も器用だった。
中学生になるころには、そこらの大工よりも、のこぎりや、かんなを、うまく使いこなすようになっていた。
だからぼくの身のまわりには、大工道具が、いつも一式そろっていた。

●ドラマ

 こうした断片的な記憶は、無数にある。
しかしそれをつなげるドラマというのが、ない。
ドラマらしきものはあるが、どれも中途半端。
映画でいうような結末がない。
ないまま、終わっている。
子ども時代の思い出というのは、そういうものか。

 いや、そのつど小さなドラマはあったのかもしれない。

クラス一の乱暴者グループと、ひとりで対決した話。
円通寺という小さな山をはさんで、山向こうの子どもたちと戦争ごっこをした話。
ほとんど毎日、学校から帰るときは、寄り道をして遊んだ話、などなど。

 書き出したらキリがない。
しかしドラマはない。
こま切れになった映画のフィルムのよう。
言い換えると、ぼくは、あの当時、街角のどこにでもいるような、1人の子どもに過ぎなかった。
よごれた下着を着て、当て布をした半ズボンをはいて、ジャイアンツのマークの入った野球帽をかぶった、1人の子ども。

 何か特別なことをしたわけでもない。
そんな子どもに過ぎなかった。

●母の在所

 そんなぼくにも、楽しみはあった。
夏や冬、春などの休みのときは、母の在所(=実家)に行った。
そこはぼくにとっては、別天地だった。
従兄弟たちと山の中を歩き、川で泳いだ。
夜は、伯父たちの話す昔話に耳を傾けた。

 今でもそんなわけで、「故郷」というと、自分が生まれ育ったあのM町ではなく、母の在所のあった、I村のほうを先に思い出す。

 川のせせらぎの音、近くの水車が、粉をつく音、それに風の音。
つんとした木々が放つ芳香も、好きだった。
夕方になると、ご飯を炊くにおいがする。
魚の缶詰を切る音がする。
ぼくたちは、いつも腹をすかしていた。
だから、何を食べてもおいしかった。

 もちろん最高のぜいたくは、川でとれた鮎(あゆ)。
ときどきウナギもとれた。
当時は、アマゴ(=やまめ)や、ウグイには、目もくれなかった。
川魚といえば、鮎。
鮎の塩焼き!

●父

 父の酒乱は、ぼくが高校生に入るころまでつづいた。
そのころ父は肝臓を悪くし、思うように酒を飲めなくなった。
たぶん悪酔いをするようになったのだと思う。
酒の量が減った。
家で暴れることも、少なくなった。
しかし父は、もともと体の細い人だったが、ますますやせていった。

 一度だが、そんな父と殴り合いの喧嘩をしたことがある。
ぼくが中学3年生のときのことである。
体は、すでにぼくのほうが大きかった。

 家の中で暴れる父に向かって、無我夢中で頭から体当たりをしていった。
そのあとのことは、よく覚えていない。
どこをどうしたという記憶はないが、あとで聞いたら、父はそのため肋骨を何本か、追ったということだった。

 もちろんぼくには、罪の意識はなかった。
が、その日を境に、父は、ぼくの前ではおとなしくなった。
ぼくを恐れるようになった。

●みな、同じ

 おとなになって、いろいろ話を聞くと、ぼくの家庭だけが、特別だったということでもないようだ。
当時は、その程度の話は、どこの家庭にもあった。

 たとえばぼくの祖父母は、今で言う、「できちゃった婚」で、結婚した。
祖父には、たがいに結婚を約束した女性がいた。
が、ある日、祖父は別の女性と遊び、子どもができてしまった。
それがぼくの祖母であり、そのときできたのが、ぼくの父だった。

 それがぼくの家の原点だったかもしれない。
祖父母の夫婦喧嘩は絶えなかった。
父は父で、不幸な家庭で生まれ育った。
そしてあの戦争。
終戦。
その2年後の昭和22年、ぼくは生まれた。

●ふつうでない家系

 「林家」と「家」をつけるのも、おこがましい。
が、ぼくの家は、それでも、ふつうではなかった。

 それから62年。
振り返ってみると、父方の「林家」にしても、母方の「N家」にしても、それぞれが例外なく、深刻な不幸を背負っている。

 ぼくの家も、長男が日本脳炎で死去。
つづいて兄、Jが生まれ、姉、Mが生まれた。
そのあともう一人兄が生まれたが、(流産)ということで、処理されてしまった。

 ぼくはそのあと生まれた。

 この程度の話なら、どこの家系にもある話だが、ぼくの家系はちがう。
例外なく、どの親族も、みな、深刻な不幸を背負っている。
が、それについてはここには詳しく書けない。
それぞれがそれぞれの不幸を懸命に隠しながら、あるいはその苦しみと闘いながら、今でもがんばっている。

●少年時代

ときは今、ちょうど秋。
稲刈りのシーズン。
郊外を車で走ると、すずめの集団が、ザザーッと空を飛ぶ。
言うなれば、あの集団。
あの集団こそが、ぼくの少年時代ということになる。

 個性があったのか、なかったのか。
どこに(ぼく)がいたかと聞かれても、その(形)すら、よく見えてこない。
近所の人たちにしても、そうだろう。
学校の先生にしても、そうだろう。
ひょっとしたら、父や母にしても、そうだったかもしれない。

 ぼくは、すずめの集団の、その中の一羽に過ぎなかった。
当時は、そういう時代だったかもしれない。
町のどこを歩いても、子どもの姿があった。
通りでは、どこでも子どもたちが遊んでいた。
子どもの声が聞こえていた。

 ……一度、ここで走馬灯の電源を切る。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 「ぼくの少年時代」 少年時代 はやし浩司の少年時代)







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10
自己認知力
+++++++++++++++++

自分を、自分で、評価する能力があるかないか。
その能力のことを、「自己認知力」という。
ピーター・サロベイの説く「社会適応性」、つまり
EQ論(人格の完成度論)でも、重要なキーワードの
ひとつになっている。

自分で自分を評価する能力の高い人を、自己認知力の
高い人という。
そうでない人を、低い人という。

が、一般的には、自分のもつよい能力を、正当に評価する
能力のことを、「自己認知力」という。
あるいは「私の能力はすぐれている」と信ずる能力のことを、
「自己認知力」という。

この自己認知力には、2種類ある。

(1)能力があり、それを評価する能力がある。
「自分にはどのような能力があるか」を知る能力をいう。
(2)能力がないのに、それを評価する能力がない。
「自分には、どのような能力がないか」を知る能力をいう。

ふつう「自己認知力」というときは、前者をいう。
が、後者のケースも少なくない。
最近、私は、こんな話を聞いた。

+++++++++++++++++

●ある葬儀で

 義兄がある葬儀に参列した。
そこでのこと。
亡くなったのは、87歳の女性。
喪主は、その女性の長男、60歳。
ところが、である。
その長男の嫁(58歳)の様子が、異様だったという。
義兄は、こう話してくれた。

「だんなは昔から、静かな人だった。
そのこともあって、嫁が、ひとりではしゃいでいた」と。

私「はしゃいでいた?」
義「そう、はしゃいでいた。キャッキャッと笑ったり、大声で世間話をしていた。ハイになってい
た。みな、眉をひそめていたよ」と。

●「私が主人公」

 何かにつけ、自己中心性の強い人は、自分が目立たないと気がすまない。
俗にいう「目立ちたがり屋」というのが、それ。
義兄が言うには、その女性(嫁)が、そうだったという。

 火葬場で火葬を待っているときも、三日目、初七日の法事のときも、「まるでクラブのホステ
スのように、みなのところを回り、世間話を繰り返していた」と。

「ふつうなら、親(義母)の葬式だから、嫁というのは、しおらしくしているもの。
しかしその女性(嫁)は、まるでパーティでの主人公のように振舞っていました。
で、驚いたのは、火葬が終わって、一度祭事会館へ戻ったときのことです。
最後の焼香というところで、みなの前で、オロオロと泣き崩れてしまったのです。
あれには、みな、あっけに取られました。
というのも、亡くなった女性(姑)とその女性(嫁)とは、昔からうまくいっていなかったことを、み
な、知っていたからです」と。

●現実検証能力

 「自分が今、どういう状況に置かれているか」「自分が今、みなに、どう思われているか」。
それを「現実検証能力」ともいう。
しかし「自己認知力」と「現実検証能力」の境目が、よくわからないケースも少なくない。
その女性(嫁)を例にあげて、考えてみよう。

 その女性(嫁)の言動は、たしかに「ふつうではなかった」(義兄談)。
しかしその女性(嫁)は、自分が他人にどう思われているか、それが判断できなかった。
つまり自分を客観的に評価する能力に、欠けていた。
最後の焼香のところで、オロオロと泣き崩れてしまったときも、(横にいた夫が、体を支えた
が)、みなはあっけに取られ、言葉を失った。

 が、そこは葬儀の場所。
現実を正確に知る能力があれば、態度ももっと別のものになっていたはず。

●まるで自分のことがわかっていない

 「あの女性(嫁)はね、一族の中でも、変わり者ということになっていますよ」と、義兄は話して
くれた。
「ところが、自分では、よくできた嫁と思い込んでいるのですね。みなに好かれ、尊敬されてい
ると思い込んでいるのですね」とも。

 そういう人は、少なくない。
まるで自分のことがわかっていない。
自己中心性が肥大化した人を、自己愛者という。
その自己愛者の症状とも似ている。
完ぺき主義で、他人の批判を許さない。
まちがいを指摘されると、それだけでパニック状態になってしまう。
ギャーギャーと泣きわめく。
あるいは激怒する。

 他人に心を許さない。
許さない分だけ、心の中はいつも緊張状態。
ささいなことでカッとなりやすい。

●自己認知力

 こういうケースも、「自己認知力」という能力で判断する。
自分にその能力がないのに、それを客観的に評価できない。
あとは思い込みと過信、独断と偏見だけで、ふつうではない行動を繰り返す。

 この話をワイフにすると、ワイフはすかさず、こう言った。
「そういう人って、意外と多いわよ」と。

私「ぼくだって、そうかもしれない」
ワ「そうね、あなたにも、そういうところがあるわね」
私「だろ……」
ワ「ほら、学者とか、研究者と言われる人の中にも多いということよ」
私「そうだね。その分野のことはよく知っているけど、その外の世界を知らない。教師の世界
も、似たようなものだよ」と。

●では、どうするか

 「自分は他人から、どう見られているか」。
それをいつも自分に問いかける。
(だからといって、他人に迎合しろということではない。誤解のないように!)
私も最近、こんな経験をときどきする。
「私のことを好意的に思ってくれているはず」と信じている人に、裏切られるようなケースであ
る。
それに気づいて、「ああ、ぼくって、そんなふうに思われていたのだ」と、驚いたりする。
最近でも、生徒(中学生)に、こう言われたことがある。
「先生(=私のこと)って、キレやすい」と。

 また反対に、意外な人に、高く評価されているということもある。
つまり自分が他人にどう見られているかを、的確に判断するのは、それくらい難しいことでもあ
る。

●自己中心性

 自己認知力は、このように一方で、その人の自己中心性と深く結びついている。
が、ある程度、自己認知力を高めるためには、ある程度、自己中心的でなければならない。
「私はすばらしい」という思い込みが、その人の自己認知力を高める。
その人を伸ばすということもある。

 が、同じ自己認知力でも、「まるで自分のことがわかっていない」という自己認知力は、いただ
けない。
自分に能力がないのに、それに気づいていない。
プライドばかり強くて、箸にも棒にもかからない。
さらに愚かなことをしながら、それを愚かなこととさえ気がつかない。
そういう人のことを、俗世間では、「バカ」という。
(「バカなことをする人を、バカという。頭じゃないのよ」(フォレスト・ガンプ)。)
 
【補記】

●加齢とともに……

 私の印象では、加齢とともに、自己中心性が強くなっていく人と、反対に『老いては』に従え』
式に、自己中心性が弱くなっていく人がいるように感ずる。
そしてそれは、脳の働きとも、密接に関連している(?)。

 たとえば認知症か何かになると、極端に自己中心性が強くなる人がいる。
人格そのものが、崩れるというか、変化する人も珍しくない。
心の余裕がなくなり、思慮深さが消える。
ささいなことでピリピリと反応し、ときに激怒したり、泣き叫んだりする。

 要するに、これは習慣の問題ということになる。
能力ではなく、習慣。
日ごろから、考えるクセがあるかないかということ。
考えるクセが身についていれば、あえて「自己認知力」などという言葉は使わなくても、自分の
ことを正当に評価できるようになる。
そうでなければ、そうでない。
その(ちがい)は、老齢期になると、さらにはっきりとしてくる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 自己認知力 自己評価力 人格の完成度 サロベイ EQ論)


Hiroshi Hayashi++++++++Sep.09+++++++++はやし浩司

●自己認知力

●子どもの社会適応性は、つぎの5つをみて、判断する(サロベイほか)。

(1)共感性
(2)自己認知力
(3)自己統制力
(4)粘り強さ
(5)楽観性
(6)柔軟性

 これら6つの要素が、ほどよくそなわっていれば、その子どもは、人間的に、完成度の高い子
どもとみる(「EQ論」)。

 順に考えてみよう。

(1)共感性

 人格の完成度は、内面化、つまり精神の完成度をもってもる。その一つのバロメーターが、
「共感性」ということになる。

 つまりは、どの程度、相手の立場で、相手の心の状態になって、その相手の苦しみ、悲し
み、悩みを、共感できるかどうかということ。

 その反対側に位置するのが、自己中心性である。

 乳幼児期は、子どもは、総じて自己中心的なものの考え方をする。しかし成長とともに、その
自己中心性から脱却する。「利己から利他への転換」と私は呼んでいる。

 が、中には、その自己中心性から、脱却できないまま、おとなになる子どももいる。さらにこの
自己中心性が、おとなになるにつれて、周囲の社会観と融合して、悪玉親意識、権威主義、世
間体意識へと、変質することもある。

(2)自己認知力

 ここでいう「自己認知能力」は、「私はどんな人間なのか」「何をすべき人間なのか」「私は何を
したいのか」ということを、客観的に認知する能力をいう。

 この自己認知能力が、弱い子どもは、おとなから見ると、いわゆる「何を考えているかわから
ない子ども」といった、印象を与えるようになる。どこかぐずぐずしていて、はっきりしない。優柔
不断。

反対に、独善、独断、排他性、偏見などを、もつこともある。自分のしていること、言っているこ
とを客観的に認知することができないため、子どもは、猪突猛進型の生き方を示すことが多
い。わがままで、横柄になることも、珍しくない。

(3)自己統制力

 すべきことと、してはいけないことを、冷静に判断し、その判断に従って行動する。子どもの
ばあい、自己のコントロール力をみれば、それがわかる。

 たとえば自己統制力のある子どもは、お年玉を手にしても、それを貯金したり、さらにため
て、もっと高価なものを買い求めようとしたりする。

 が、この自己統制力のない子どもは、手にしたお金を、その場で、その場の楽しみだけのた
めに使ってしまったりする。あるいは親が、「食べてはだめ」と言っているにもかかわらず、お菓
子をみな、食べてしまうなど。

 感情のコントロールも、この自己統制力に含まれる。平気で相手をキズつける言葉を口にし
たり、感情のおもむくまま、好き勝手なことをするなど。もしそうであれば、自己統制力の弱い
子どもとみる。

 ふつう自己統制力は、(1)行動面の統制力、(2)精神面の統制力、(3)感情面の統制力に
分けて考える。

(4)粘り強さ

 短気というのは、それ自体が、人格的な欠陥と考えてよい。このことは、子どもの世界を見て
いると、よくわかる。見た目の能力に、まどわされてはいけない。

 能力的に優秀な子どもでも、短気な子どもはいくらでもいる一方、能力的にかなり問題のある
子どもでも、短気な子どもは多い。

 集中力がつづかないというよりは、精神的な緊張感が持続できない。そのため、短気にな
る。中には、単純作業を反復的にさせたりすると、突然、狂乱状態になって、泣き叫ぶ子どもも
いる。A障害という障害をもった子どもに、ときどき見られる症状である。

 この粘り強さこそが、その子どもの、忍耐力ということになる。

(5)楽観性

 まちがいをすなおに認める。失敗をすなおに認める。あとはそれをすぐ忘れて、前向きに、も
のを考えていく。

 それができる子どもには、何でもないことだが、心にゆがみのある子どもは、おかしなところ
で、それにこだわったり、ひがんだり、いじけたりする。クヨクヨと気にしたり、悩んだりすること
もある。

 簡単な例としては、何かのことでまちがえたようなときを、それを見れば、わかる。

 ハハハと笑ってすます子どもと、深刻に思い悩んでしまう子どもがいる。その場の雰囲気にも
よるが、ふと見せる(こだわり)を観察して、それを判断する。

 たとえば私のワイフなどは、ほとんど、ものごとには、こだわらない性質である。楽観的と言え
ば、楽観的。超・楽観的。

 先日も、「お前、がんになったら、どうする?」と聞くと、「なおせばいいじゃなア〜い」と。そこで
「がんは、こわい病気だよ」と言うと、「今じゃ、めったに死なないわよ」と。さらに、「なおらなか
ったら?」と聞くと、「そのときは、そのときよ。ジタバタしても、しかたないでしょう」と。

 冗談を言っているのかと思うときもあるが、ワイフは、本気。つまり、そういうふうに、考える人
もいる。

(6)柔軟性

 子どもの世界でも、(がんこ)な面を見せたら、警戒する。

 この(がんこ)は、(意地)、さらに(わがまま)とは、区別して考える。(がんこ)を考える前に、
それについて、書いたのが、つぎの原稿である。

+++++++++++++++++++

●子どもの意地

 こんな子ども(年長男児)がいた。風邪をひいて熱を出しているにもかかわらず、「幼稚園へ
行く」と。休まずに行くと、賞がもらえるからだ。

そこで母親はその子どもをつれて幼稚園へ行った。顔だけ出して帰るつもりだった。しかし幼
稚園へ行くと、その子どもは今度は「帰るのはいやだ」と言い出した。子どもながらに、それは
ずるいことだと思ったのだろう。結局その母親は、昼の給食の時間まで、幼稚園にいることに
なった。またこんな子ども(年長男児)もいた。

 レストランで、その子どもが「もう一枚ピザを食べる」と言い出した。そこでお母さんが、「お兄
ちゃんと半分ずつならいい」と言ったのだが、「どうしてももう一枚食べる」と。そこで母親はもう
一枚ピザを頼んだのだが、その子どもはヒーヒー言いながら、そのピザを食べたという。

「おとなでも二枚はきついのに……」と、その母親は笑っていた。
 
今、こういう意地っ張りな子どもが少なくなった。丸くなったというか、やさしくなった。心理学の
世界では、意地のことを「自我」という。英語では、EGOとか、SELFとかいう。少し昔の日本人
は、「根性」といった。(今でも「根性」という言葉を使うが、どこか暴力的で、私は好きではない
が……。)

教える側からすると、このタイプの子どもは、人間としての輪郭がたいへんハッキリとしている。
ワーワーと自己主張するが、ウラがなく、扱いやすい。正義感も強い。

 ただし意地とがんこ。さらに意地とわがままは区別する。カラに閉じこもり、融通がきかなくな
ることをがんこという。毎朝、同じズボンでないと幼稚園へ行かないというのは、がんこ。また
「あれを買って!」「買って!」と泣き叫ぶのは、わがままということになる。

がんこについては、別のところで考えるが、わがままは一般的には、無視するという方法で対
処する。「わがままを言っても、だれも相手にしない」という雰囲気(ふんいき)を大切にする。

++++++++++++++++++

 心に何か、問題が起きると、子どもは、(がんこ)になる。ある特定の、ささいなことにこだわ
り、そこから一歩も、抜け出られなくなる。

 よく知られた例に、かん黙児や自閉症児がいる。アスペルガー障害児の子どもも、異常なこ
だわりを見せることもある。こうしたこだわりにもとづく行動を、「固執行動」という。

 ある特定の席でないとすわらない。特定のスカートでないと、外出しない。お迎えの先生に、
一言も口をきかない。学校へ行くのがいやだと、玄関先で、かたまってしまう、など。

 こうした(がんこさ)が、なぜ起きるかという問題はさておき、子どもが、こうした(がんこさ)を
示したら、まず家庭環境を猛省する。ほとんどのばあい、親は、それを「わがまま」と決めてか
かって、最初の段階で、無理をする。この無理が、子どもの心をゆがめる。症状をこじらせる。

 一方、人格の完成度の高い子どもほど、柔軟なものの考え方ができる。その場に応じて、臨
機応変に、ものごとに対処する。趣味や特技も豊富で、友人も多い。そのため、より柔軟な子
どもは、それだけ社会適応性がすぐれているということになる。

 一つの目安としては、友人関係を見ると言う方法がある。(だから「社会適応性」というが…
…。)

 友人の数が多く、いろいろなタイプの友人と、広く交際できると言うのであれば、ここでいう人
格の完成度が高い、つまり、社会適応性のすぐれた子どもということになる。

【子ども診断テスト】

(  )友だちのための仕事や労役を、好んで引き受ける(共感性)。
(  )してはいけないこと、すべきことを、いつもよくわきまえている(自己認知力)。
(  )小遣いを貯金する。ほしいものに対して、がまん強い(自己統制力)。
(  )がんばって、ものごとを仕上げることがよくある(粘り強さ)。
(  )まちがえても、あまり気にしない。平気といった感じ(楽観性)。
(  )友人が多い。誕生日パーティによく招待される(社会適応性)。
(  )趣味が豊富で、何でもござれという感じ(柔軟性)。

 ここにあげた項目について、「ほぼ、そうだ」というのであれば、社会適応性のすぐれた子ども
とみる。
(はやし浩司 社会適応性 サロベイ サロヴェイ EQ EQ論 人格の完成度)







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11
【寿命論】

++++++++++++++++++

●労働寿命

「平均寿命」という言葉がある。
「健康寿命」という言葉もある。
健康寿命というのは、健康でいられる年齢をいう。
ふつう(平均寿命)−10年が、健康寿命
と言われている。
だれしも、ポックリと死ぬわけではない。
晩年の10年は、病気との闘いということになる。

それに対して、「労働寿命」という言葉を
私は考えた。
仕事ができる年齢をいう。

これには個人差があるが、おおよそ(健康寿命)−
5年が、ひとつの目安になる。
これで計算すると、現在、男性の平均寿命は、
79歳、女性は86歳(厚生労働省)
だから……、

(健康寿命)…男性、69歳、女性、76歳
(労働寿命)…男性、64歳、女性、71歳
ということになる。

●記憶寿命

が、最近、私は、こんなことを考えるようになった。

人は死ねば、うまくいけば、墓石になれる。
最近は、墓石すらも作らない人が、ふえている。
が、問題は、そのあと。

先日も、車で郊外を走っていたら、小さな墓地を
見つけた。
田舎へ行けば行くほど、立派な墓地が目につく。
が、そこはちがった。
墓石も風化し、文字も読めないほどになっていた。
それを見たときのこと、ふと、こう思った。
「人は、いつまでみなの記憶に残ることができるか」と。

私たちは、死ねば、やがて忘れ去られる。
私の祖父母にしても、私たちの代の者が死ねば、
もうその名前を語られることすら、ないだろう。
父や母にしても、そうだ。

仏事の世界には、33回忌というのがある。
50回忌、100回忌というのも、ある。
しかしそこまでしてもらえる人は、例外中の例外。
ふつう、3回忌を最後に、死んだ人は、急速に
人々の記憶から消える。

そこで私が考えたのが、「記憶寿命」。

●消えていく私たち

たとえば私はこうして、文章にして日々の(思い)
を書いている。
書籍(本)にしても、寿命は、10年前後。
インターネットだったら、もっと短い(?)。
教育の世界で、昔、一世を風靡した人に、
「吉岡たすく」という人がいた。
10年ほど前に、亡くなった。
が、すでに今の若い母親たちは、その名前すら知らない。
ネットで検索してみたが、現在では、1万1000件。

今でも生きていたら、検索件数は、100万件を軽く
超えていただろう。
それくらい知名度の高い人だった。

が、やがて消えていく。
もちろん、私も、あなたも消えていく。
その寿命が、「記憶寿命」ということになる。

●寿命を延ばす

私たちは死んだあと、息子たちや孫たちも含めて、
何年ほど、彼らの記憶に残るだろうか。
残れることができるだろうか。
私自身の経験から言えば、50年を超えることは
まずない。
残ったとしても、ほんの一部の子孫にすぎない。
あとは痕跡もなく、消えていく。
ちょうど、私が見た、あの墓石のように。

で、自分がしていることを振り返る。
何か作品のようなものがあれば、記憶寿命は延びる
かもしれない。
作家や画家などは、そうして記憶寿命を延ばす
ことができる。
しかしそれにしても、あくまでも(結果)。
結果として残るだけ。

私にしても、「今を生きるために」、ものを書いている。
死んだ後のことは、ほとんど考えていない。
人々に支持されれば、記憶寿命は延びる。
支持されなければ、そのまま消える。

私のHPにしても、「金の切れ目が縁の切れ目」。
プロバイダーへの更新料を払わなければ、そのまま消える。
無料のHPサービス会社にしても、「〜〜か月、更新が
なければ、削除します」というのが、多い。
長くて、1年。
10年を超えることは、まず、ない。
今、こうして書いている文章にしても、私が死ねば、
1年足らずで消える。
(残さなければならないような文章でもないが……。)

だれかが引用してくれれば、その人のHPや、BLOG
で生き残ることはできるかもしれない。
しかしその人も、私と同じ運命をたどる。

こうして、私は、今、こう考える。

今のように仕事ができるのも、あと5年?
生きていられるのも、あと15年?
そのあと、30年もすれば、跡形もなく、消える?
それで私の「命」はおしまい。

●「形」から「心」

……とまあ、ネガティブに考えれば、お先真っ暗
ということになる。
しかしこれは私のやり方ではない。
そこでこう言って自分に言い聞かせる。

私の肉体、文章も含めて、「形」は消える。
それはもう事実。
が、私の書いた文章を読んだ人の中には、何かが残る。
その残ったものが、別の形になる。
別の形になったものが、こうして順送りに、未来に
つながっていく。
もちろんそのときは、「はやし浩司」の名前は、
どこにもない。
しかし、それでもよいのではないか、と。
大切なのは、(形)ではなく、(心)。

あの墓石の人にしても、そうだ。
先にも書いたように、今では、その名前すら読めない。
しかしその子孫の人は、その近くにも住んでいるはず。
そして何らかの形で、その人の(心)を残しているはず。
それでいい、と。

しかしそれにしても、この一抹のさみしさは、
いったい、どこから来るのか?
「生きる」ということは、そういうことであって
よいのか?
「死ぬ」ということは、そういうことであって
よいのか?

何かもっと別の考え方があるような気がする。
しかし今の私には、まだそれがわからない。

●補記

ついでに書く。

若いときには、その時計の音は聞こえない。
しかし60歳も過ぎると、その音が聞こえてくる。
「寿命時計」という時計の音である。
カチコチカチコチ……、と。

その心境は、時計を飲み込んだワニに追いかけられる、
フック船長(ピーターパン)のそれに似ている。
時計の音におびえて、逃げ回る……。
一説によると、作者のジェームズ・バリーは、
それによって、時間に追われて仕事をする現代人を
象徴したという。

しかしジェームズ・バリーがそこまで考えて
いたかどうかは別として、こうも言える。
つまりあの時計は、刻々と時間が短くなっていく
老人の心境を象徴している、と。

今の、私がそうだ。
もっともそういう心理状態を、「強迫観念」という。
心理学の世界では、そういう言葉を使って、説明する。
何かにおいまくられているような心理状態をいう。

その強迫観念ほどおおげさではないにしても、
しかしそれに近い。
「生きるということは、時間との勝負」。
そう考えることも多い。

たとえば私は、満65歳を過ぎたら、再度、
宗教論に挑戦するつもりでいる。
宗教論といっても、カルト教団との戦いをいう。
「どうして65歳?」と思う人もいるかも
しれない。
しかしそれまでは、今しばらく、静かにしていたい。
この世界でカルト教団を相手に、宗教論を書く
ということは、命がけ。
周囲が騒然としてくる。
それを覚悟で書くことができるのは、65歳と
いうことになる。

何とかそれまで脳みそが、健康であればよい。
肉体の方にも、がんばってほしい。
だから「時間との勝負」ということになる。

私が「寿命」という言葉にこだわるのは、
ここにある。

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(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 寿命論 健康寿命 労働寿命 記憶寿命 はやし浩司 寿命 091026)







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12
●逆・母子分離不安(byはやし浩司)

+++++++++++++++++

母子分離不安というと、子どもだけの
問題と考える人は、多い。
しかし子どもほどではないが、母親側の
母子分離不安も多い。

称して、「逆・母子分離不安」(筆者)。

+++++++++++++++++

「母子分離不安」というと、子どもだけの
問題と考える人は多い。
つまり母子分離不安になるのは、子どもだけとはかぎらない。
母親側の、母子分離不安というのも、ある。
「子どもから離れられない」
「子どもがそばにいないと不安」
「子どもの様子がわからないと心配」と。

そして幼稚園や保育園でも、用もないのに、
出かけて行っては、そこで子どもの様子を見る。
園の先生が、「だいじょうぶですよ」「心配ないですよ」
「任せてください」と言っても、(実のところ、
そういう母親がいると、園にとっても、迷惑なのだが)、
そこにいる。
そこにいて、じっと子どもの様子を見ている。

ふつうの「母子分離不安」と逆の立場になるから、
「逆・母子分離不安」ということになる。

このタイプの母親の特徴としては、

(1)静かで、いつも憂うつそうな顔をしている。
(2)子どもから視線をはずさない。
(3)表面的には、穏やかでやさしい母親に見える。
(4)強く注意したりすると、おどおどしてしまう。
(5)歩くときも、手をつないだりして、離れない。
(6)「私は愛情豊かな母親」と誤解している。

原因は、母親側に、何らかの情緒的な欠陥、あるいは
精神的な未熟性。
とくに情緒的な欠陥、たとえばうつ病が原因となることがある。

当然、子どもにも、影響が出てくる。
そういう点では、母親の愛情を、過剰なまでに受けている。
そのため溺愛児プラス、過保護児プラス、過関心児を
統合したような症状を示す。

(1)静かでおとなしい。
(2)ハキがない。積極性に欠ける。
(3)全体に幼稚ぽいしぐさや、言動が目立つ。
(4)人格の核形成(=この子はこういう子というつかみどころ)が遅れる。
(5)他の子どもたちと交われない。
(6)柔和でおだやかだが、積極性がない。
(7)乱暴な指導になじまない。
(8)いつも親の視線を気にする、など。

T君(小1)という子どもがいた。
その子どものばあいも、親が授業を参観しているときと、
していないときとでは、別人のように違った。

親がいないときは、比較的表情が明るく、
積極的だった。
ものもしっかりと言うことができた。
親がいるときは、比較的……というより、明らかに
「いい子」という様子を見せた。

で、私はときどき「参観はもういいですよ」と
促した。
しかし効果は長つづきしなかった。
1、2回くらいは、参観をやめるが、またやってきて、
いちばん奥の席に座って、じっと子どもを見つめていた。

私もその視線を強く感じた。
ときに私の体を、ズキンズキンと突き抜けた。
授業もやりにくかった。

が、そういうこちら側の気持ちは、理解できない。
どこまでも身勝手で、自分勝手。
しかし母親のかかえる心の問題は、それをしのぐほど、大きい。
根も深い。
無理に引き離したりすると、母親自身の精神状態が、おかしくなってしまう。
それがわかっているから、私の方が、引きさがるしかなかった。

この問題は子どもの問題ではない。
(たいていの母親は、「この子は私がそばについていてあげないと、
何もできません」と言うが)、母親自身の問題と考える。
もっと言えば、母親自身の心の問題。
それを治す。

しかしそれは「教育」の範囲を超える。
父親の協力も必要だが、たいていのばあい、父親(夫)も、
もてあましていることが多い。
それ以上強く言うと、家庭内騒動の原因となったり、
そのまま母親が子どもの手を引いて、園をやめてしまったりする。

子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、
急速に親離れを始める。
親はそのときだけの様子を見て、「私たち親子は、いつまでもそういう
関係がつづく」と考える。
しかしこのタイプの子どもは、思春期に入るころ、豹変する。
「このヤロー! こんなオレにしたのは、テメーだア!」と。
母親を激しく罵倒したりする。
抑圧された別の心が、そのとき爆発する。

あるいは、極端なマザコンのまま、おとなになる。
比率としては、豹変して親を罵倒するようになる子どもが、70%、
マザコン化する子どもが、30%と、私はみている。
どちらであるにせよ、よいことは、何もない。
ひどいばあいには、そのまま激しい家庭内暴力へとつながる。

子どもを、自分の心の隙間を埋めるための道具に利用してはいけない。

【症例1】

 毎朝、子ども(年中・女児)といっしょに幼稚園へやってくる母親がいた。
そして門のところで子どもを手放すと、そのまま門の端のほうに移動して
立っていた。

 毎朝のことなので、園のほうも、あきらめていた
強く言ったこともあるが、そのときは、園の別の隅に移動し、やはり
そこで立って子どもの姿を見ていた。

 ときどき家に帰ることもあった。
家までは、歩いて、5〜10分程度。
しかし昼ごろになると、またやってきて、そこに立っていた。
たいていそのまま、帰りの時間まで、そこにいた。
いつも子どもの手を引いて、家まで帰った。

【症例2】

 「娘が病気で幼稚園を休んでくれると、うれしい」と、その母親は言った。
「娘といっしょに、一日を過ごせるから」と。

 その子ども(年長・女児)の髪は、芸術とも言えるほど、こまかく編んでいた。
私が「ずいぶんと時間がかかるでしょう?」と聞くと、母親はこう言った。
「いえ、1時間ほどですみます」と。

 毎朝、1時間!

 その母親の口癖は、いつも同じ。
「死ぬまで、(この子と」いっしょ」。
「子育てが生きがい」。
「この子は、私がいなければ、何もできません」。

 「結婚したら、どうします?」と聞いたこともある。
母親は、臆面もなく、こう答えた。
「結婚はしません。するとしても、養子で、家(うち)に入ってもらいます」と。

 で、ある日、その母親は、こうも言った。

「私、夫なんか、いてもいなくても、どちらでもいいような気がします。
娘さえ、家にいてくれれば……」と。

 母親の実家は、かなり裕福な資産家だった。
毎月生活費の大半を、実家からの仕送りで、まかなっていた。

【症例3】

 T君(中2)が、激しい家庭内暴力を繰り返しているという話は、その隣に住む
母親から聞いた。
最初は、親子で怒鳴りあう声が、近所中に聞こえたという。
が、そのうち静かになり、T君の家庭内暴力は、ますます激しくなっていった。

暴力が激しいため、家の中のガラス戸などは、すべてはずしてあったという。
父親も母親も、中学の教師をしていた。
母親は、T君が幼稚園へ入るころ、教師の職を辞した。

 父親も母親も、T君の部屋の前を通るときは、両手ではって歩いたという。
立って歩いている姿が見えると、T君は、容赦なくモノを投げつけた。

 そのT君は、小学3年生ごろまでは、学校でも優等生(?)だった。
勉強も、スポーツもよくできた。
おとなしく、親や先生の指示にも従順だった。
私もそのころまでのT君しか知らない。
で、T君の話を聞いて、心底驚いた。
 
 隣に住むその母親は、こう言った。

「T君が子ども(幼児)のころは、母親が毎日、手をつないで、近くの
ピアノ教室に通っていました。
いつもいっしょなので、たいへん仲のいい親子に見えました。
母親は、明らかに溺愛していました。
ただ教育ママで、T君が学校のテストなどでまちがえたところがあったりすると、
夜遅くまで勉強を教えていました」と。

 そう言えば、T君には妹が1人、いたはず。
それを聞くと、その母親は、「そう言えば、妹さんは、父親の実家から、学校に
通っていました」と。
 
(補記)

 子どもは、小学3年生前後(満10歳前後)に、急速に親離れを始める。
男児だと、それまでは学校であったことを話していたのが、急に話さなくなる。
親や近親者を、露骨に毛嫌いし始める。
(本当に嫌っているというよりは、生意気な態度をわざとしてみせる。)

 女児だと、それまで父親と風呂に入っていたのが、入らなくなる。

 そこで大切なことは、

(1)じょうずに、親離れできるように、子どもを仕向けてやる。
(2)子離れイコール、親子の断絶ではない。おおげさに考えない。
(3)親自身が、子離れし、親は親で自分の人生を大切にする。
(4)夫の役割を認め、夫に積極的に介入してもらう。
西洋では『子どもを産み育てるのは、母親の役目だが、
子どもに狩の仕方を教えるのは、父親の役目』と教える。
母子関係の是正と、社会性を教えるのは、父親の役目と心得る。


(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 母子分離不安 母子分離不安症 逆母子分離不安 逆・母子分離不安 母親の
分離不安 子離れできない母親)







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13
●国家の意思と教育(日本の教育、私の教育論)

++++++++++++++++++++++++++

国によって、教育は異なる。
国として、どういう子どもに育てたいか。
そのとき国家として(意思)が働く。
教育の内容は、その意思に応じて、異なる。

日本には日本の、国家としての意思がある。
アメリカにはアメリカの、国家としての意思がある。
中国には中国の、国家としての意思がある。
その意思に応じて、国家は子どもの教育を組み立てる。

++++++++++++++++++++++++++

●もの言わぬ従順な民

 (もの言わぬ従順な民)の反対側に位置するのが、(ものを言う独立心の旺盛な民)
ということになる。
こと(組織)ということを考えるなら、(もの言わぬ従順な民)のほうがよい。
つまり明治以来、それが日本の教育政策の(柱)になっていた。

 一方、アメリカやオーストラリアでは、日本でいうような巨大企業が育ちにくい。
とくにオーストラリアでは、そうだ。
オーストラリアの街角を歩いていて気がつくのは、車の側面に、でかでかと看板を
描いて走る車。
「パイプ修理」「電気工事」「ネットサービス」「運送」などなど。
まさに何でもござれ。
それを見ながら、オーストラリアの友人は、こう話してくれた。

 「オーストラリアでは大企業は育たない。若者たちは、高校を卒業すると、
電話と車だけで、仕事を始めるようになる」と。

●不利イ〜タ〜

 (もの言わぬ民)から、(ものを言う民)、
(従順な民)から、(独立心の旺盛な民)へ。
今、この日本人は急速に変わりつつある。

が、この日本では(独立心の旺盛な民)は、あまり歓迎されない。
奈良時代の昔から、『和を以(も)って……』という、お国柄である。
で、今、独立して、ひとりで生きている人のことを、「フリーター」と呼ぶ。
「フリーター」というのは、昔風に言えば、「無頼」、あるいは「風来坊」。
社会が未成熟というか、フリーターを受け入れる土壌そのものが、育っていない。
何かにつけて、フリーターは、不利である。
だから「フリーター」のことを「不利イ〜タ〜」と書く。
(これは私の駄ジャレ。)

 一方、オーストラリアでは、年金制度にせよ、社会保障制度にせよ、職種によって、
差別しない。
官民の差は、ない。
その年齢になれば、みな、一律に年金が支給される。
「それ以上に……」と思う人は、あらかじめ保険会社などと契約をし、お金を積み立てて
いく。
保険制度についても、そうである。

驚いたのは、救急車を呼んでも、あとで請求書が回ってくるということ。
1回で、3〜5万円(南オーストラリア州、私の息子の例)。
相手によって、差別しない。
そういった出費は、保険に入っていれば、そのまま返金される。

●キャンピング

 国策として大企業、もしくは組織(軍隊)に有用な人材を育てるには、
(もの言わぬ従順な民)のほうがよい。
そのためには、子どもがまだ小さいうちから、徹底して集団教育を繰り返す。
「集団からはずれると、生きていけませんよ」という意識をもたせる。
この日本が、そうである。

ほとんどの親は、自分の子どもが集団からはずれることを、極端に恐れる。
自分の子どもが不登校児になったりすると、狂乱状態になる。
骨のズイまで、学歴信仰がしみこんでいる。

 教師は教師で、(最近はそういう教師は少なってきたが)、子どもが学校を
休んだりすると、「後れます」という言葉を使って、親をおどす。
しかし、何から後れるのか?
どうして後れるのか?

 この点、オーストラリアでは、その反対のことを教える。
たとえば「キャンピング」という科目がある。
原野(アウトバック)で、生き延びる術(すべ)を学ぶ。
そこで私が、メルボルンにあるグラマースクール(小中学校)のひとつに電話を
かけ、それを確かめたところ、電話に出た事務員の男性は、こう話してくれた。
「必須科目(コンパルサリー)です」(ウェズリー・グラマースクール)と(1990年ごろ)。
(しかし最近、オーストラリアの友人にそれを確かめたところ、「unlikely(ありえない)」
という返事をもらった。※)

 また私が留学していたころ、日本でいう大学入試センター試験のようなもの
があった(1970年ごろ)。
その結果に応じて、学生たちは自分の選んだ大学へ進学できる。
その試験の直前に、受験生たちはみな、1週間程度のキャンピングに行くということ
だった。
私が理由を聞くと、「実力を正しく評価するため」と※。
(しかしこれについても、オーストラリアの友人から、「キャンピングが義務になって
いるということは、まったくありえない」という返事をもらった。)

 つまり日本式の、詰め込み学習を排除するため……と、当時の私は、そう解釈
した。

 話がそれたが、「独立(independent)」に対する考え方そのものが、日本と欧米
とでは、異なる。
それが日本の教育であり、それが欧米の教育ということになる。

●国家の意思

 どちらがよいか。
どちらが、これからの日本の教育として、望ましいか。
(もの言わぬ従順な民)のほうがよいのか。
それとも(ものを言う独立心旺盛な民)のほうがよいのか。

 しかしこの視点そのものが、実はおかしい。
「国の意思」とは言うが、では、その「国の意思」はだれが作るか。
独裁的な為政者が作るか、それとも国民自身が総意として作るか。
それによって、中身が大きく変わってくる。

つまり独裁的な国家では、(民)を国家の財産として考える。
「国あっての民」と考えるとき、そのとき、国家の意思がそのまま
その国の教育に反映される。
為政者も、「わが国民」などと、まるで国民を私有物であるかのように言う。

 たとえば中国では、上も下も、「立派な国民」という言葉を使う。
しかしそういう中国を私たちは笑うことはできない。
一昔前、つまり私たちが子どものころは、「役に立つ社会人」というのが、
教育の(柱)になっていた。
卒業式などのときも、それこそ耳にタコができるほど、そう言われた。
「どうか社会で役立つ人になってください」と。

 国家の意思……その意思に添って、その国の民は作られる。
教育によって、作られる。
「作られている」という意識をもつこともなく、作られる。
今のあなたのように……。

【補記】

●みなが、大企業に!

 私たちは日本が、ちょうど高度成長の波に乗るころ、社会に送り出された。
だから就職というと、だれもが迷わず、大企業を選んだ。
「大きければ大きいほど、いい」と。

 そして企業戦士となり、一社懸命に、その会社のために励んだ。
「それが人として、なすべき道」と。

 しかしこれはあくまでも私のばあいだが、私はオーストラリアへの留学中に、
その考え方が、ひっくり返されてしまった。
とくにショックだったのは、日本の商社マン(Business Men)が、「軽蔑されて
いた」ことだった。
これには驚いた。
心底、驚いた。
私は、M物産という会社から内定をもらっていたので、よけいに驚いた。
(このことは、『世にも不思議な留学生活』(中日新聞掲載済み)に書いた。)

 国がちがえば、職業に対する価値観そのものまで、ちがった。
それを思い知らされた。
で、しばらくして、私の考え方は、180度変わった。

 もちろん私の考え方が、正しかったというのではない。
それでよかったというわけでもない。
今の日本があるのは、企業戦士であるにせよ、一社懸命であるにせよ、
そういうところで懸命に働いた人たちがいたからである。
また私のような生き方をしていた人も、当時はまわりに、10人ほどいた。
しかし私をのぞいて、みな、ことごとく、事業に失敗したりし、そのあと、
どうかなってしまった。

 「フリーター」という言葉すら、ない時代だった。

 損か得かということになれば、この日本では、フリーターは決定的に不利。
損!
たとえばM物産の社員だったとき、うしろの席に、TJという同期入社の男がいた。
彼はそののち、政府の諮問機関の委員になり、活躍した。
今はHT首相の、首相顧問として活躍している。
そういう現実を見せつけられると、果たして私の選択が正しかったのかどうか、
それがわからなくなる。

 で、今度は、視点を国民側、つまり「民」に置いてみる。
「どういう生き方が、個人の生き方として、ふさわしいか」と。
すると、教育に対する考え方が、一変する。

 たとえばアメリカなどでは、教師が親に、子どもの落第を勧めると、
親は、喜んで、それに従う。
「そのほうが子どものためになる」と、親は考える。
この(ちがい)こそが、日本とアメリカのちがいということになる。
「国」の立場で教育を考えるのか、「子ども」の立場で教育を考えるのか、
そのちがいということになる。

 が、悲観すべきことばかりではない。
この10年で、日本というより、子どもをもつ親の意識が大きく変わった。
まさに「劇的な変化」。
「サイレント革命」と名づける人もいる。

 結果、たとえば今では子どもの障害についても、それを前向きにとらえる人が
ふえてきた。
(隠さなければならないこと)と考える人は、少ない。
障害児教育の拠点校になっている、ある小学校の校長は、こう話してくれた。

「10年前には、考えられなかったことです。今では、この小学校に入学するために、
わざわざ住所を変更してやってくる親もいます」と。

 私たちはこうした意識を、けっして後退させてはならない。
はじめに「国」があるわけではない。
(そういう部分も必要だが、あくまでも「部分」。)

はじめに「民」がいる。
「子ども」がいる。
そういう視点から、教育がどうあるべきかを考える。
教育を組み立てる。

 みながそう考えれば、結果は、あとからついてくる。
この日本の教育は、変わる!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 日本の教育 教育論 教育はどうあるべきか はやし浩司 教育論)

(注※)

 南オーストラリア州に住む友人に、このことを確かめると、その返事が届いた。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

Hi Hiroshi,
ヒロシへ、

I will find out about camping trips in the local schools and ask Andrew 
& Elizabeth what they did at their school (Pembroke) in Adelaide.
キャンプについては、息子と娘に、何をしたかをたずねてみる。

I think it is unlikely a camping trip would be compulsory just before 
year 11 & 12 exams and almost certainly not a requirement for University 
entrance.
11学年と12学年以前に、キャンピングが義務教育ということは、ありえない。
大学の入試のために必要ということは、まったくありえない。

However camping is likely to be in the curriculum in most years after 
years 5 or 6 as part of the broad life-skills education.
しかし5歳とか6歳以後は、生活力教育という意味において、カリキュラムになっている
ということはありえる。

Camping trips are most likely to occur in our spring which is towards 
the end of our school year.
キャンピングは、学年末の春になされることが多いようだ。

+++++++++++++++

Hi Hiroshi,
(ヒロシへ)

I had a talk to both the state Primary school headmistress & the 
recently retired state High school headmaster about camping.
最近小学校の校長と、州立高校の校長をしていた人と、キャンピングについて
話した。

Basically there is, in the curricula, Physical Education, Outdoor 
Education and year camps.
基本的には、体育、野外活動、そして年度末のキャンプのカリキュラムはある。

These are all different things but do overlap a bit. Camping starts at 
year 4. Usually for a week. They are not compulsory & not a 
pre-condition for university entrance.
これらはみな、別個のものだが、少し重なる部分もある。
キャンプは、小学4年のときに始まる。
それらは義務教育でもないし、大学入試のための前提条件でもない。

Search around in http://www.decs.sa.gov.au/portal/learning.asp for the 
South Australian policies & curricula.
オーストラリアの政策とカリキュラムについては、このサイトをさがして
みたらよい。

I can find out a bit more from the people involved in outdoor ed etc at 
both schools if you can give me specific questions to ask.
何か特別な質問があれば、野外活動教育に携わった人から、もっと情報を
手に入れることができる。

Cheers,

B

Hiroshi Hayashi++++++++NOV.09+++++++++はやし浩司

Dear B,

How are you these days?

By the way I'd like to write this mail to know or to make sure whether it is correct or not 
about the education in Melbourne now.

  When I was in Melbourne around 1970's, some of the students told me that all the high 
school students in leaving year were compulsory to go camping before they receive the so-
called national certification examinations to enter the universities, and with the results of 
the examinations students could choose the university.

This is the point which I'd like to make sure, if it is the same now, I mean that if the 
students should go camping for a week or so before the examinations and if it is the same 
that students choose the universities to which they should enroll themselves according to 
the results of the examinations.

As you may know, the education systems are so much different between two countries. I 
am keenly interested in this matter now.
Or is "Camping" still a compulsory subject for students of grammar schools in Melbourne?
That is what I heard over the phone from a staff of a grammar school in Melbourne almost 
about ten years ago.
We in Japan don't have such and such subject for students and of course it is not 
compulsory. 
(Pupils or Jr. High school students go camping or so in a training centers just for a different 
purpose in Japan.)

 So again here I summarize the points.

(1)Do students go camping just before the examinations?
(2)Is the subject "Camping" compulsory still now?

 Thank you for your kind advice about this matter.

It is now winter time here in Japan.
It is sometimes cold, but most often, it is much warmer than usual years.
I hope you and your daughter with new baby are all well and we wish you a very Merry 
Christmas time this year.

Hiroshi Hayashi

Hamamastu-city, Japan

++++++++++++++++++

(以下、手紙の要約)

B君へ

1970年ごろ、ぼくは、センター試験を受ける高校生たちが、その試験の前、
1週間ほど、キャンプに行くという話を聞いたことがあります。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。
またメルボルンのグラマースクールでは、キャンピングという科目が、必須科目
だと10年ほど前に聞きました。
今でもそうなのかどうか、教えてほしい。

はやし浩司

++++++++++++++++++++++++

中国の「立派な国民」教育について書いた原稿です。
(中日新聞にて発表済み)

++++++++++++++++++++++++

●急速に崩壊する「出世主義」

  「立派な社会人になれ」「社会で役立つ人になれ」と。日本では出世主義が、教育の柱にな
っている。しかし殴米では違う。アメリカでもフランスでも、先生は、「よき家庭人になれ」と子ど
もに教える。「よき市民になれ」と言うときもある。先日、ニュージーランドの友人に確かめた
が、ニュージーランドでも、そういう。オーストラリアでも、そういう。私は、日本の出世主義に対
して彼らのそれを勝手に、家族主義と呼んでいる。もちろん彼らにそういう主義があるわけで
はない。彼らにしてみれば、それが常識なのだ。

 日本人はこの出世主義のもと、仕事を第一と考える。子どもでも、「勉強している」と言えば、
家事の手伝いはすべてに免除される。五十代、六十代の夫で、家事や炊事を手伝っている男
性は、まずいない。仕事がすべてに優先される。よい例が、単身赴任。かつて私のオーストラリ
アの友人は、こう言った。「家族がバラバラにされて、何が仕事か」と。もう三十年も前のことで
ある。

こうした日本の特異性は、日本に住んでいると分からない。いや、お隣の中国を見れば分か
る。今、中国では、「立派な国民」教育のもと、徹底した出世主義を子どもたちに植えつけてい
る。先日も北京からきた中学教師の講演を聞いたが、わずか一時間前後の話の中に、この
「立派な国民」という言葉が、十回以上も出てきた。子どもたちの大多数が、「将来は科学者に
なって出世したい」と考えているという。

 が、この出世主義は、今、急速に音をたてて崩れ始めている。旧来型の権威や権力が、そ
れだけの威力をもたなくなってきている。一つの例が成人式だ。自治体の長がいくら力んでも、
若者たちは見向きもしない。ワイワイと騒いでいる。ほんの三十年前には、考えられなかった
光景だ。私たちが二十歳のときには、市長が壇上にいるだけで、直立不動の姿勢になったも
のだ。

が、こうした現象と反比例するかのように、家族を大切にするという人が増えている。一九九九
年の春、文部省がした調査でも、四〇%の日本人が、もっとも大切にすべきものとして、「家
族」をあげた。同じ年の終わり、中日新聞社がした調査では、四五%。一年足らずの間に、五
ポイントも増えたことになる。もっとも、こうした傾向を嘆く人も、多い。出世主義を信奉し、人生
の大半を、そのために費やしてきた人たちだ。あるいはそういう流れを理解できず、退職した
あとも、過去の肩書や地位にこだわっている人だ。

こういう人たちにとっては、出世主義を否定することは、自らの人生を否定することに等しい。
だから抵抗する。狂ったように抵抗する。ある元教授はメールで、こう言ってきた。「暇つぶしに
もならないが」と前置きしたあと、「田舎のおばちゃんなら、君の意見をありがたがるだろう。し
かし私は君の家族主義を笑う」と。しかしこれは笑うとか笑わないとかいう問題ではない。それ
が日本の「流れ」、なのだ。

 今でも日本異質論が叫ばれている。日本脅威論も残っている。その理由の第一が、日本人
がもつ価値観そのものが、欧米のそれとは異質であることによる。言い換えると、日本が旧来
の日本である限り、日本が欧米に迎え入れられることはない。少なくとも出世主義型の教育観
は、これからの世界では、通用しない。

+++++++++++++++++++

つづいて、『世にも不思議な留学記』に書いた原稿を
紹介します。(中日新聞にて発表済み)

+++++++++++++++++++

イソロクはアジアの英雄だった【2】

●自由とは「自らに由る」こと

 オ−ストラリアには本物の自由があった。自由とは、「自らに由(よ)る」という意味だ。こんな
ことがあった。

 夏の暑い日のことだった。ハウスの連中が水合戦をしようということになった。で、一人、二、
三ドルずつ集めた。消防用の水栓をあけると、二〇ドルの罰金ということになっていた。で、私
たちがそのお金を、ハウスの受け付けへもっていくと、窓口の女性は、笑いながら、黙ってそれ
を受け取ってくれた。

 消防用の水の水圧は、水道の比ではない。まともにくらうと学生でも、体が数メ−トルは吹っ
飛ぶ。私たちはその水合戦を、消防自動車が飛んで来るまで楽しんだ。またこんなこともあっ
た。

 一応ハウスは、女性禁制だった。が、誰もそんなことなど守らない。友人のロスもその朝、ガ
−ルフレンドと一緒だった。そこで私たちは、窓とドアから一斉に彼の部屋に飛び込み、ベッド
ごと二人を運び出した。運びだして、ハウスの裏にある公園のまん中まで運んだ。公園といっ
ても、地平線がはるかかなたに見えるほど、広い。

 ロスたちはベッドの上でワーワー叫んでいたが、私たちは無視した。あとで振りかえると、二
人は互いの体をシーツでくるんで、公園を走っていた。それを見て、私たちは笑った。公園にい
た人たちも笑った。そしてロスたちも笑った。風に舞うシーツが、やたらと白かった。

●「外交官はブタの仕事」

 そしてある日。友人の部屋でお茶を飲んでいると、私は外務省からの手紙をみつけた。許可
をもらって読むと、「君を外交官にしたいから、面接に来るように」と。そこで私が「おめでとう」と
言うと、彼はその手紙をそのままごみ箱へポイと捨ててしまった。「ブタの仕事だ。アメリカやイ
ギリスなら行きたいが、九九%の国へは行きたくない」と。彼は「ブタ」という言葉を使った。

 あの国はもともと移民国家。「外国へ出る」という意識そのものが、日本人のそれとはまったく
ちがっていた。同じ公務の仕事というなら、オーストラリア国内のほうがよい、と考えていたよう
だ。また別の日。

  フィリッピンからの留学生が来て、こう言った。「君は日本へ帰ったら、軍隊に入るのか」と。
「今、日本では軍隊はあまり人気がない」と答えると、「イソロク(山本五十六)の、伝統ある軍
隊になぜ入らない」と、やんやの非難。当時のフィリッピンは、マルコス政権下。軍人になること
イコ−ル、出世を意味していた。

 マニラ郊外にマカティと呼ばれる特別居住区があった。軍人の場合、下から二階級昇進する
だけで、そのマカティに、家つき、運転手つきの車があてがわれた。またイソロクは、「白人と対
等に戦った最初のアジア人」ということで、アジアの学生の間では英雄だった。これには驚いた
が、事実は事実だ。日本以外のアジアの国々は、欧米各国の植民地になったという暗い歴史
がある。

 そして私の番。ある日、一番仲のよかった友だちが、私にこう言った。「ヒロシ、もうそんなこと
言うのはよせ。ここでは、日本人の商社マンは軽蔑されている」と。私はことあるごとに、日本
へ帰ったら、M物産という会社に入社することになっていると、言っていた。ほかに自慢するも
のがなかった。が、国変われば、当然、価値観もちがう。

 私たち戦後生まれの団塊の世代は、就職といえば、迷わず、商社マンや銀行マンの道を選
んだ。それが学生として、最良の道だと信じていた。しかしそういう価値観とて、国策の中でつく
られたものだった。私は、それを思い知らされた。

 時、まさしく日本は、高度成長へのまっただ中へと、ばく進していた。


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

(補記)

 キャンピングに力を入れているということは、学校のカリキュラムを見てもわかる。
たとえば、Darley Primary School の第4学期のカリキュラムにはつぎのようにある。

(第4学期)

Safety in Adventure
& Teamwork
(野外活動における安全性とチームワークについて)

Health & P.E. + Interpersonal Learning
(保健と体育+人間関係の学習)

oStudents develop their skills and strategies for getting to know and understand each other 
within increasingly complex situations.
oIn teams, students work towards the
achievement of agreed goals within a set time frame.
oThey develop awareness of their role and responsibilities
in various situations and interact accordingly. Students begin to be aware that different 
points of view may be valid.
oThey begin to selfevaluate and reflect on the effectiveness of the teams in which they 
participate.
oStudents follow safety principles in games and activities.
oThey identify basic safety skills and strategies, and describe methods for recognising and 
avoiding harmful situations.

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 出世主義 家族主義 独立 子どもの自立 はやし浩司 camp 
camping 野外活動)

+++++++++++++++++++++++++++++++++++

【資料】A

(Pembroke SchoolのWebsiteより)

The Outdoor Education programme complements the academic and co-curricular life of the 
School.
Designed to promote enjoyment of and respect for the Australian outdoors, the programme 
provides students with the opportunity to develop both skills and knowledge for responsible 
interaction with their environment.
The Junior School Camping programme includes students visiting and/or staying in places 
such as Sovereign Hill in Ballarat, Kangaroo Island, the Murray Lands, the Adelaide Hills and 
the Mid North of South Australia.
The base for the Outdoor Education programme in the Middle School is Old Watulunga, a 17 
hectare property on the Finniss River, 75 kilometres south of Adelaide. Students in Years 7, 
8 and 10 participate in camps based at Old Watulunga and develop skills in canoeing, sailing, 
bushwalking, rock climbing, and orienteering. Year 9 students travel to the Yorke Peninsula, 
west of Adelaide, for an Aquatics camp.
Senior School students can study Outdoor and Environmental Education as a SACE Stage 
1 and Stage 2 subject.
Regular adventure expeditions are also offered to current students and parents. In recent 
years these expeditions have included treks to Nepal, Northern India and the Kimberleys.


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【資料】B

OUTDOOR EDUCATION - A GROWTH INDUSTRY(オーストラリア政府指針より)

Once upon a time, your average secondary-school camp involved boarding a bus with a few 
days' clothes and a sleeping bag, taking off - with the two teachers who drew the short 
straws - for a barely liveable old farmhouse or camping ground, and arriving home a few 
days later with little you as student could quantify as having been gained from the 
experience except a pile of dirty clothes.

Many of the staff members still teaching in Australian schools will remember those days - 
with fondness, horror, or something of both.

But there's little resemblance between those adventures and the adventures now offered 
as part of the outdoor education curriculum in many states, and in many schools. Now, 
schools send their senior students to purpose-built facilities with full-time staff trained to 
offer a 24-hour program of activities designed to reflect the philosophical and humanistic 
guidelines of a 21st-century Western education.

Scott Polley is a lecturer in the School of Health Sciences at the University of SA; with a 
background in nursing and physical education he completed a Master of Education (Outdoor 
Education) from La Trobe University and he now co-ordinates UniSA's outdoor education 
program. He says the place of outdoor education in the secondary-school curriculum has 
changed from "adding 1+ 1" to a subject area that produces students who can work in 
groups, solve problems, critically analyse aspects of society," and examine their own 
identities.

"It's about learning about the environment, learning about themselves and leadership, and, I 
guess, taking self-reliant journeys under the supervision of teachers," Polley says. 

Yet within the broad philosophies behind contemporary education ideals, there exists a wide 
variety in what is offered as outdoor education in Australian schools. Part of that is due to 
the curriculum offered by each state; Victoria, Western Australia, South Australia and the 
Northern Territory include as senior-school subjects "outdoor education" or "outdoor and 
environmental studies", while other states offer related subjects. 

With peers including Peter Martin of La Trobe University, Polley in 1999 conducted a survey 
of SA and Victorian schools, attempting to discern "what was being done" in outdoor 
education at that time.

They found that about 85 per cent SA schools, for instance, offered "some level of outdoor 
education", and that the most common way was through the school's physical education 
program. In addition, about 60 per cent of senior-school physical education included outdoor 
education as a component.

Yet even within that one state, the offerings varied. In city-based government schools, 
outdoor education was, he says, "in decline or static". In city-based non-Catholic schools, 
outdoor ed was "growing", yet in the city Catholic schools, it "didn't seem to be going 
anywhere". 

In the government schools outside the metropolitan area, however, outdoor education was 
growing, and obviously so. And the reasons - in every case - had a lot to do with the staff. 

"The one thing we did find made the most difference to what outdoor education was offered 
in schools was the teachers," Polley says. "If the teachers are enthusiastic, that's the 
factor that's going to most influence the outdoor education offerings in a particular school - 
closely followed by the principal, and the importance he or she places on it.

"At one end of the spectrum you have schools that embeds ideas of adventure, learning 
and the environment right through the curriculum, and at the other end are those that 
basically say, 'why do we have to send kids outdoors?'

"But broadly, I'd suggest, support is growing rather than reducing. And one indicator of that 
is the number of graduates in jobs. I'm often getting calls from people looking for graduates 
- for jobs in eco-tourism, in private outdoor-education companies, in schools. When I did my 
course there were a limited number of people with an outdoor-ed background; now there 
are a lot more, yet there's still a lot more demand. That's the best guide I can give that 
things are still growing."

So in schools where teachers were older, or trained when more specific outdoor education 
programs were unavailable, it was less likely that the importance of outdoor education would 
be emphasised. "Teachers are getting older in the city," says Polley, "and so are becoming 
more reluctant to do it." It's to the country, he points out, that recent teaching graduates 
find their first positions.

When asked what were the reasons for "offering or not offering" outdoor education, the 
most commonly mentioned factors among teachers and principals were the age of the 
teachers, the lack of flexibility among staff and the time away from school.

The fear of litigation - which the researchers had expected to be a major concern at a time 
of highly publicised adventure accidents and related insurance problems - was not widely 
nominated as a major factor. "Generally, the response was, 'we're not offering it because of 
staffing issues'," Polley says.

It's possibly not surprising, then, that Polley says the most significant change in outdoor 
education in recent years is the growing influence of the private providers of outdoor 
education - those companies sub-contracted by schools to take responsibility for providing 
the school's outdoor education programs. More and more schools are choosing that option, 
Polley says, largely due to the problems it alleviates in terms of staffing, specialist 
qualifications, equipment and other costs.

Yet Polley says the growth in the private providers - both in numbers and in the size of 
individual companies - did not seem to have occurred at the expense of physical-education 
teaching jobs in schools.

(The Australian Directory of School Activities Excursions and Accommodations)







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14
●愛について(人を愛するということ)

+++++++++++++++++

映画『歓びを歌にのせて』の中に、
こんなセリフがあった。
このDVDを見るのは、2度目。
星は5つの、★★★★★。

「顔を見ると幸せ
いつも想っている
いっしょにいると、とても幸せ
それが『その人を好き』という意味」と。

もう一度、まとめると、こうなる。

(1)顔を見ると幸せ。
(2)いつも想っている。
(3)いっしょにいると、とても幸せ。

++++++++++++++++

●『許して忘れる』

 人は「愛」という言葉を、安易に使う。……使い過ぎる。
しかし愛ほど、実感しにくい感覚もない。
で、その愛の深さは、相手をどこまで許し、どこまで忘れるかで決まる。
英語では、『for・give & For・get』という。
「許して、忘れる」という意味である。
つまり相手に愛を与えるために、許し、相手から愛を得るために、忘れるという
意味である。
その度量の深さによって、あなたの愛の深さが決まる。

 では、自分自身では、どうすれば愛を実感することができるか。
「私は、あなたを愛している」と、どういうときに言うことができるか。
それが冒頭に書いた感覚ということになる。

(1)顔を見ると幸せ。
(2)いつも想っている。
(3)いっしょにいると、とても幸せ。

●愛の実感

 失ってから、その価値をはじめて知るということは、多い。
健康しかり、若さしかり、そして子どものよさも、またしかり。
……ということは、前にも、何度か書いてきた。

 そこでここでは、その中身をもう一歩、深めてみる。

 実は「愛」も、「愛する人」を失って、それがどういうものだったかが、
わかる。
それまではわからない。
そのときは、まるで空気のようなもの。
いないとさみしい。
その程度。
そこで先の言葉に、いろいろつなげてみる。

(4)その人がそばにいると安心する。
(5)その人が何をしても、気にならない。
(6)その人がうれしそうだと、自分も楽しい。

 それが「その人を愛している」ということになる。

●身勝手な愛

 一方、身勝手な愛というのもある。
たいていは、心のどこかで(毒々しい欲望)と結びついている。
よい例が、ストーカーと呼ばれる人たちの愛である。
「いつもその人のことを想う」のは、その人の勝手だが、それでもって、「私は
その人を愛している」と錯覚する。
相手の気持ちなどお構いなしに、その人を追いかけ回したりする。

 が、これはある意味で、特殊な人たちの話。
(とは言っても、だれにでもストーカー的な要素はあるし、ストーカーをする人に
しても、そうでない場面では、ごくふつうの人だったりする。)

 実は、親子の間の「愛」についても、同じことが言える。
もしあなたが、自分の子どもといっしょにいるとき、それが楽しいなら、あなたは
子どもを愛しているということになる。
一方、子どもの側からみて、あなたという親といっしょにいるとき、それを楽しい
と思うなら、あなたの子どもは、あなたを愛しているということになる。

 が、現実はきびしい。
子どもも思春期を過ぎると、親子関係がうまくいっている家族となると、
10に1つもない。
(親は、「うまくいっている」という幻想を、いつまでも抱きやすいが……。)

そこであなたも、一度、自分の子どもにこう聞いてみるとよい。
「あなたは、お母さん(お父さん)といっしょにいると、楽しい?」と。
そのときあなたの子どもが、「楽しい」と答えれば、それでよし。
しかし「楽しくない」とか、「いっしょにいると苦痛」とか言うようであれば、
あなたの親子関係は、崩壊寸前、もしくは、すでに崩壊しているとみてよい。

 ひとつの診断法として、こんなことを観察してみるとよい。
あなたの子どもが学校などから帰ってきたとき、どこで体を休めるか。
(1)あなたのいる前で、平気で体を休める。
(2)あなたの姿を見たり、気配を感じたりすると、どこかへ逃げて行く。

 もし(1)のようであれば、あなたの親子関係には、問題はない。
が(2)のようであれば、「かなり危機的な状態」と判断してよい。

 ……とまあ、そこまで単純に考えてよいかどうかという問題もあるが、ひとつの
目安にはなる。

●物欲

 そこであなたが、もし祖父母なら、こう考えるかもしれない。
「子ども(孫)を楽しませてやろう」と。
そして子どもの物欲を満足させるために、あれこれといろいろ買ってやる。
そのとき子ども(孫)は、それに感謝し、喜ぶかもしれない。
しかしこうした満足感は、長続きしない。
数日もするとドーパミン効果は、脳のフィードバック現象によって、消失する。

(注:ドーパミン……欲望と快楽を司る、神経伝達物質。
フィードバック……脳内でホルモンの分泌により、あるひとつの反応が起きると、
それを打ち消すために、正反対のホルモンの分泌が始まる。それを「フィードバック」という。)

が、なおまずいことに、こうした満足感には麻薬性があり、幼いころには1000円の
もので満足していた子どもも、中学生になると、10万円のものでないと、満足
しなくなる。

 同じ「楽しい」という言葉を使うが、「いっしょにいると楽しい」というときの
(楽しい)と、「欲望を満足して楽しい」というときの(楽しい)は、まったく
異質のものである。

だからあなたの孫が、「おばあちゃん(おじいちゃん)といると楽しい」と言っても、
それで安心してはいけない。
あなたは孫に愛されていると思ってはいけない。
これは余計なことだが……。


●子どもの受験競争

 子どもの受験競争に狂奔する親は、少なくない。
親は、「子どものため」と思ってそうするが、子どものほうこそ、いい迷惑。
親は、自分が覚える不安や心配を、子どもにぶつけているだけ。

 そこで改めて、自分にこう問うてみるとよい。

(2)「私は子どもといっしょにいると、楽しいか」と。

 あるいは、

(2)「私の子どもは、私といっしょにいると、楽しそうか」でも、よい。

 もしあなたが子どもといっしょにいるとき、楽しいなら、それでよし。
あなたの子どもも楽しそうなら、さらによし。
が、そうでないなら、あなた自身が「愛」と思っているものを、一度、疑ってみたら
よい。

 たいていのばあい、あなたはただの幻想にしがみついているだけ。
「私は子どもを愛している」という幻想。
「私は子どもたちに愛されている」という幻想。
子どもの心は、とっくの昔に、あなたから離れている。
が、自己中心性の強い人ほど、それがわからない。

毎日、毎晩、「勉強しなさい!」「ウッセー!」の大乱闘を繰り返す。
しかしそれは、とても残念なことだが、「愛」によるものではない。

●愛

 人を愛することができない人は、人に愛されることもない。
だから人に愛されたいと思うなら、まず人を愛する。
マザーテレサもこう言っている。
「愛して、愛して、愛しなさい。心が痛くなるまで、愛して、愛して、愛しなさい」
と。

 私たち凡人には、そこまでは無理かもしれない。
しかし努力することはできる。
その相手は、夫(妻)であり、子どもということになる。
もちろん親でもよい。

 で、その愛が相手の心に届いたとき、その相手は、「あなたといると楽しい」となる。
つまりその相手も、あなたを愛するようになる。
何がこわいかといって、この世の中で、「だれにも愛されないという孤独」ほど、
こわいものはない。
が、その孤独も、人を愛することによって、和らげることができる。

 ……などなど。
「愛」ほど、実感しにくい感覚もない。
また「愛」ほど、相手の中に見つけにくい感覚もない。
が、映画『歓びを歌にのせて』は、そのヒントを私に教えてくれた。
またそういう映画を、名画という。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 愛の原点 愛とは はやし浩司 愛の意味 愛の内容 愛論 歓びを歌にのせて
 愛の意味)







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15
●思慮深さ(The Value of Silence)

+++++++++++++++++

何かを話すと、すかさず返事が返ってくる。
しかしその中身は、たいていいいかげん。
脳に飛来した情報を、音声に置き換えて
いるだけ。
これを「音声化」(はやし浩司)という。

子どもの世界でも、よくこんな現象が観察される。

たとえば鉛筆を床に落としたとする。
そのとき、こんなことを口にする。

「アッ、鉛筆がおちたア」
「ぼく、拾う」
「鉛筆は、どこかな」
「あったア〜」と。

意味のない言葉を、ひとり言のように言う。
私はこのタイプの子どもを、勝手に、
「音声化児」と呼んでいる。
脳の表層部分に飛来する情報を、やはり、
音声に置き換えているだけ。
だから「音声化児」と呼んでいる。

このタイプの子どもは、よくしゃべるという
点で、一見、利発に見える。
しかし中身が薄っぺらい。
思考力も浅い。
4、5歳児に多く、やがて少なくなっていく。

++++++++++++++++++

●反すう能力

 「思慮深さ」は、反すう能力で決まる。
「能力」というより、「習慣」の問題。

(1)相手の言ったことを、まず聞く。
(2)脳の中で、それを吟味する。
(3)それを何度も繰り返す。
(4)その上で、自分の意見を添える。

 ところがおもしろいことに、当の本人は、即座に反応することを、よいことだと
誤解している。
中には、それを「頭のいいことの証(あかし)」と誤解している人もいる。
つまり自分が、頭のよい人と思われたいがため、無理に、即座に反応しようとする。
だからどうしても、言っていることが、浅くなる。
ペラペラとよくしゃべる割には、中身がない。
口はうまいが、心が伴わない。

●沈黙の価値

 『沈黙は金なり』という。
英語国では、『沈黙の価値のわからない者は、しゃべるな』という。

 ここでいう「沈黙」というのは、「反すう能力」をいう。
この反すう能力のある・なしで、思慮深さが決まる。
反すう能力のある人を、思慮深い人といい、そうでない人を、そうでないという。
もっとわかりやすく言えば、反すう能力のある人を、「賢い人」といい、
そうでない人を、「愚かな人(fool)」という。

 たとえばこんな会話をする。

A「女も、25を過ぎると、結婚できなくなるよ。25だなア〜」
私「今は、そういう時代じゃ、ないと思うんですが……」
A「いやいや、世の中には、常識というものがあるからね」
私「それぞれの人には、それぞれの思い方や考え方があると思うんですが……」
A「やはり、常識には従ったほうが、いいよ。何と言っても、常識だよ」
私「……?」と。

 ここに書いたA氏は、常識論を説きながらも、自分では何も考えていないのがわかる。
考えようともしていない。
子どもの世界でも、いつも軽口をペラペラとしゃべっている子どもがいる。
反応も早い。
「ドヒャー、何、これ? ハハハ、これ、動く? ギャー、動いたア!」と。
その一方で、私が何かを話しかけたりすると、ジーッとこちらをにらみ、そのまま
視線が沈む子どももいる。

 どちらがよいかということは、一概には言えない。
時と場合による。
しかし「反すう能力」のある子どもは、後者のような反応を、よく見せる。

●加齢とともに

 これは現在の私の実感だが、加齢とともに、反すう能力がより優れていく人と、
反対に劣っていく人がいるのがわかる。
イギリスのある賢人は、こう言った。
『40歳のとき愚かな人(fool)は、生涯、愚かな人である』と。
どうやらその分かれ道は、40歳くらいのときにやってくる。
そのころまでに、反すう能力を身につけた人は、長い時間をかけて、賢い人になっていく。
そうでない人は、そうでない。

 さらに深刻な問題として、そこへ認知症が加わると、この反すう能力が、極端に低下
する。
言ってよいことと悪いことの区別も、つかなくなる。
認知症でなくても、人は加齢とともに、脳みその底に穴が開いたような状態になる。
だからますます軽口が多くなる。
考えが浅くなる。
つまり反すう能力が、衰えてくる。
これは私たちの年代の者にとっては、深刻な問題と考えてよい。

●思慮深くなるために

 先にも書いたように、思慮深さは、能力の問題ではない。
習慣の問題。
その習慣がある・なしで、決まる。
そこで重要なのは、(1)まず相手の話を聞く、ということ。
つぎに(2)それを頭の中で、何度も吟味するということ。
その上で、(3)それを言葉として言う。

 子どもの世界で言うなら、年長児になっても、無意味な音声化が残っているようなら、
こまめに、「口を閉じなさい」と指示して、それを抑える。
が、この時期を逃すと、今度はそれがクセとして、子どもの中に定着してしまう。
なおすとしたら、まだ親の目がしっかりと届く、年長児ごろまでに、ということになる。

 が、これは何も子どもだけの問題ではない。
私たち自身の問題でもある。

 そのことは、電車やバスに乗ってみると、よくわかる。
たいてい1組や2組、騒々しいグループが乗り込んでいる。
あたり構わず、大声でしゃべりあっている。
ペチャペチャ、クチャクチャ……と。

 試しにそういう会話に耳を傾けてみるとよい。
つぎのことがわかる。

(1)中身が浅い。
(2)どんどんと、内容が変わっていく。
(3)一方的にたがいに話すだけで、会話がかみあっていない、など。
そういう状態で、片時も休むことなく、おしゃべりがつづく。

 先日も、地元の観光バスに乗ったら、乗ったときから、降りるまで、合計すれば
8時間近く、おしゃべりをつづけていた女性がいた。
「疲れないのかな?」と思い、観察してみると、口先だけで話しているのがわかった。
口もほとんど、動かない。
言葉にも抑揚がない。
プラス、脳みそを、ほとんど使わない。
だから、疲れない。

 もっともこれには、AD・HDの問題もからんでくる。
女児のばあい、多動、集中力の欠如に併せて、多弁性が現れてくる。
で、多動性、集中力の欠如は、小学3年生前後を境にして、外からはわかりにくくなる。
本人の自己管理能力が発達してくると、自分で自分をコントロールするようになる。
が、ほとんどのばあい、おとなになってからも、多弁性だけは、残る。
バスの中のその女性のばあい、そちらのタイプだったかもしれない。

●11月9日(月曜日)

 話がそれたが、「思慮深さは、反すう能力で決まる」。
要するに「考える力」ということになる。
日ごろから、その習慣があるか、ないかということ。
それで決まる。

 そうでなくても、加齢とともに、思慮深さは減退してくる。
……とまあ、話が繰り返しになってきたので、この話はここまで。
今日から、11月の第2週目。
相手が子どもでも、しっかりと耳を傾けてやろう。
そう心に誓って、今日も始まった。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 思慮深さ 沈黙は金 沈黙の価値 思考の反すう 反芻 反芻能力)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

★Don't speak unless you can improve upon the silence 
 「それが沈黙から進歩したものでなければ、話すな」(スペインの格言)。

In the end, we will remember not the words of our enemies, but the silence of our friends. 
(Martin Luther King Jr.)
「最後には、あなたは敵の言葉ではなく、友の沈黙のほうを覚えているだろう」(マーティンルー
サー・キング・Jr)。

★The true genius shudders at incompleteness - and usually prefers silence to saying 
something which is not everything it should be. - Edgar Allen Poe
「真の天才は、未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語る
よりも、沈黙をふつう、好む」(E・A・ポー)。

●これらの教育格言の中で、とくにハッと思ったのが、エドガー・アラン・ポーの「真の天才は、
未完成さに、身震いする。つまり真の天才は、それがすべてでない何かを語るよりも、沈黙を
ふつう、好む」という言葉である。

 わかりやすく言えば、「ものごとを知り尽くした天才は、自分の未熟さや、未完成さを熟知して
いる。だから未熟なことや、未完成なことを人に語るよりも、沈黙を守るほうを選ぶ」と。私は天
才ではないが、こうした経験は、日常的によくする。

 私のばあい、親と私の間に、どうしようもない「隔たり」を感じたときには、もう何も言わない。
たとえば先日も、こんなことを言ってきた母親がいた。

 「先祖を粗末にする親からは、立派な子どもは生まれません。教育者としても失格です」と。

 30歳そこそこの若い母親が、こういう言葉を口にするから、恐ろしい。何をどこから説明した
らよいかと思い悩んでいると、そのうち私の脳の回路がショートしてしまった。火花がバチバチ
と飛んだ。








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16
●映画『沈まぬ太陽』vs日本航空(JAL)論

++++++++++++++++++++

映画『沈まぬ太陽』が、日本航空(JAL)
内部で、問題になり始めているという。
当然である。

あの映画は、日本航空(JAL)内部の
労使問題を、日本航空(JAL)と明らかに
わかる形で、映画化したもの。
それに日航123便という重大事故をからませて、
おおげさにしただけ。

事実、映画を観てもわかるように、日航123便の
事故以前から、ストーリーは始まっている。
その時点で、労使問題はこじれ、主人公の
恩地は、左遷されている。

「EIGA.COM」には、こうある。

『累計700万部を超える山崎豊子のベストセラー小説を、
渡辺謙主演で映画化。監督は「ホワイトアウト」の若松節朗。
巨大企業・国民航空の労働組合委員長を務める恩地は、
職場環境の改善を目指し会社側と戦うが、懲罰人事で
海外赴任を命じられてしまう。パキスタン、イラン、
ケニアと次々と転勤を強いられた恩地は、10年後に
本社復帰を果たすが、帰国後間もなく自社のジャンボ機が
御巣鷹山に墜落するという事件に直面する』と。

ここが重要な点だから、もう一度、確認しておきたい。

恩地は、労働組合委員長として、会社と戦う。
これは会社内部の問題。
懲罰人事で、海外赴任を命じられる。
これも会社内部の問題。
10年後に、本社復帰を果たす。
これも会社内部の問題。

そのあと、日航123便の墜落事故が発生する。

が、映画は、どういうわけか日航123便の墜落事故から、
始まる……。

++++++++++++++++++++

●表現の暴力

あの映画は、「言論の自由」「表現の自由」という枠を、
明らかに超えている。
「言論の暴力」「表現の暴力」と言い換えてもよい。

あの映画は、だれが見ても、日本航空(JAL)が、
モデル。
「NAL123便」という名称ひとつとっても、
それがわかる。

映画は、そのNAL123便の墜落事故の場面から
始まる。
衝撃的な切り口だが、ストーリーが展開されるに
つれて、「いったい、この映画は何を言おうとしている
のか」、それがわからなくなる。
要するに、日本航空の中傷、それだけ。
NAL123便の墜落事故は、むしろそのために
利用されただけ。
遺族の人たちだって、不愉快に思うだろう。

「時期が時期だけに……」という意見もあるが、
時期は関係ない。
もしあなたの勤める企業が、こういう形で、
映画として料理されたら、あなたはどう思う
だろうか。
あなたは社員として、黙って見過ごすだろうか。

いくら会社内部にそういう問題があったとしても、
それは内部の問題。
たとえばあなたの子どもが万引きをしてつかまった
とする。
あなたには大問題かもしれない。
しかしだからといって、それを映画という、
天下の公器を使って暴露されたら、あなたは
黙って見過ごすだろうか。

●ダ作映画

ゆいいつ救いなのは、映画そのものが、ダ作。
わざとらしい演技。
大げさな振り付け。
セリフを棒読みするような、会話。
どの俳優も、みな、同じような言い回し。
視線の動かし方まで、同じ。
舞台演劇のようで、演技も不自然。
主演の渡辺謙をのぞいて、みな、ヘタクソ!
顔と声だけで、力(りき)んでいるだけ!

主人公の妻……あんな他人行儀の妻はいない。
慰霊室で大泣きする女性……?????。
見合いの席で、ふんぞり返る新郎の母親。
女の体にからみつく官僚、などなど。

こまかいところで、稚拙な演技がつづく。
それがチリのように積み重なって、
『沈まぬ太陽』をつまらない映画にしている。

……そう、どの場面も、とってつけたような演技ばかり。
映画全体が、一枚のスクリーンのよう。
薄っぺらい。
奥行きがない。
もちろん娯楽性はない。
つまり、映画として、見るに耐えない。

日本航空(JAL)が、怒るのが当たり前。

●フィクション?

繰り返す。
山崎豊子というより、『沈まぬ太陽』の監督は、
あの映画を通して、いったい、何を言いたかったのか。

説教がましいセリフが出てくるたびに、
私という観客は、うんざり。

ところで日本航空は、すでに2000年の社内報で、
「名誉が著しく傷つけられ……遺憾である」(おおぞら)
とコメントを書いている。
本来なら、この時点で、日本航空は山崎豊子に対して、
決着をつけておくべきだった。
名誉棄損として立件できるだけの構成要件を
じゅうぶん、満たしている。

いくら「この映画はフィクションです」と断りをつけても、
断りそのものが、白々しい。
「フィクション」と言いながら、だれもフィクションとは
思わない。
国民航空と言えば、日本航空。
マークも、鶴から桜(梅?)に変えられただけ。
こうした手法、つまり、事実に「虚偽」を混ぜて、相手を煙に巻く。
その手口は、詐欺師のそれと、どこもちがわない。

さらに卑怯なことに、監督は、あたかも原作者の山崎豊子に
責任をかぶせる形で、自分は逃げている。
私のように、映画『沈まぬ太陽』で、はじめて原作本『沈まぬ
太陽』の概要を知ったものも多いはず。

仮に映画『沈まぬ太陽』を見て、だれかが監督を名誉棄損で
訴えても、「私は原作を忠実に映画化しただけです」と
逃げてしまうだろう。
事実、この映画を担当した脚本家は、映画化までに3人交替
しているという(某週刊誌)。
また脚本は、そのつど、山崎豊子の校閲を受けているという。

だったら、なぜ、今、『沈まぬ太陽』なのか。
日本航空(JAL)が、経営再建問題で、話題にならない日はない。
だれが見ても、それをねらった映画としか、思えない。
「偶然、重なった」(監督・某週刊誌)という言葉は、
「国民航空は、日本航空のことではない」と言うのと同じくらい、
白々しい。

●観客の疑問

……とは言え、『沈まぬ太陽』を観てから、ほぼ10日が過ぎた。
当初の印象は消え、今は、「つまらない映画だった」という
印象しか残っていない。
主演の渡辺謙の演技がダントツに光る一方で、先にも
書いたように、周囲を固める俳優たちの演技が、あまりにも稚拙。
それが主演の渡辺謙の演技を、「ダントツ」にしているわけだが、
そのアンバランスさが、映画そのものをつまらないものに
している。

日本航空(JAL)にとっては、不愉快な映画であることには
ちがいない。
しかしそれほど、気にしなくてよいのでは……。
当時の世相を知っている人なら、だれもがこう思うだろう。
「どこの会社でも、その程度のことはあった」と。

また観客も、一線を引いて、映画を観ている。
一本の映画程度で踊らされるほど、バカではない。
あの映画を観て、「日本航空はひどい会社」と思うよりも前に、
「ああいう一方的な映画が、果たして許されていいのか」という
疑問が先に立つ。
それが冒頭に書いた言葉ということになる。

つまりあの映画は、「言論の自由」「表現の自由」という枠を、
明らかに超えている。
「言論の暴力」「表現の暴力」そのものと考えてよい。

●付記

 日航123便の墜落事故は、たしかに不幸な事故であった。
しかし事故は事故。
反社会的行為でもなければ、不正義でもない。
それをあたかも、反社会的行為、もしくは不正義でもあるかの
ように仕立てて、日本航空(JAL)内部の労使問題を
ああした形で映画化するというのは、それ自体が、表現の
暴力と断言してよい。

 たとえば日本の首相や政治の、反社会的行為を追及する
というのとは、訳がちがう。
(アメリカ映画では、よく大統領が悪玉とした映画が作られるが、
それはそれ。
大統領は公人。
しかしその企業と明らかに特定できるような企業の名誉を毀損する
ような映画は許されないし、そんなことをすれば、即、訴訟問題
に発展するだろう。)

 それがわからなければ、もう一度、自分にこう問うてみればよい。
『沈まぬ太陽』の中では、監督は何を正義として、私たちに
訴えたかったのか、と。

繰り返すが、日航123便の墜落事故は、映画の伏線として、
利用されただけ。
墜落事故の原因を追及していく過程で、日本航空(JAL)の
問題点がえぐり出されていく……というような映画だったら、
それはそれとして正義の追求になる。
あるいは遺族のだれかが、日本航空(JAL)と闘ったという
ような映画だったら、それも正義の追求ということになる。
話もわかる。

 しかし映画の柱は、あくまでも日本航空(JAL)内部の
労使問題。
労使問題に翻弄される、1人の社員の物語。
繰り返すが、日航123便の墜落事故は、利用されただけ。
あるいは、別の事故でもよかったはず。
百歩譲って、労使問題をテーマにした映画というのなら、
何も、日本航空を表に出す必要はなかったはず。

映画に(あるいは本に)、重みをつけるため、戦後最大の
重大事故をからませただけ。
利用しただけ。

 山崎豊子という作家は、姑息な手法を使う作家と
いうことになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 沈まぬ太陽 日本航空 国民航空)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●『沈まぬ太陽』(補記)

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 今朝、起きるとすぐ、「『沈まぬ太陽』vs
日本航空(JAL)」という原稿を書いた。
「あの映画は、日本航空(JAL)の名誉を
傷つけているという内容の原稿である。

それについて朝食のとき、ワイフに話すと、
「そうね、私もそう思う」と、あっさりと
同意してくれた。

++++++++++++++++++++

●一サラリーマンの左遷劇

 繰り返しになるが、労使問題がこじれ、そのはざまで翻弄される、一サラリーマン
の悲哀劇を描くだけなら、何も日本航空(JAL)を、あえて取り上げる必要は
なかった。
それに「左遷」「左遷」というが、当時の日本では、あの程度の左遷劇は、どこの
会社でもあった。
民間企業ではもちろんのこと、三公社五現業と呼ばれる団体でも、あった。
「窓際族」「単身赴任」、さらに「粗大ごみ」という言葉も、そのころ生まれた。

また海外勤務についても、商社などでは、一度海外に出たら、最低でも2年、
日本には戻って来られなかった。
短期出張(70年代の当時は、「単身赴任」という言葉は、まだなかった)の
「はしご」というのもあった。
短期出張は、単身が常識だった。
出張先から、さらにつぎの出張先へ飛ばされるのを、「はしご」と呼んでいた。
しかし商社マンのばあい、海外勤務は、出世コースと位置づけられていた。
(『沈まぬ太陽』の中では、懲罰として位置づけられていたようだが、そう決めて
かかるのもどうか?)

 私がいたあのM物産にしても、社員の7割が国内勤務、3割が海外勤務と
いうことになっていた。
「商社マンは、海外で活躍してこそ商社マン」、
「海外勤務は、夢」、
「海外勤務は、出世コース」と。
私たちは、みな、そう考えていた。

 つまり単なる左遷劇ドラマなら、何もあえて日本航空(JAL)を舞台にする
必要はなかった。

●だれが見ても、日本航空(JAL)

しかし日航123便の墜落事故を描くことによって、あの映画に出てくる国民航空
というのは、日本航空のことと、だれにでも、わかる。
しかもその墜落事故は、映画の中では、トップシーンの中に出てくる。
が、実際には、労使紛争につづく主人公の左遷劇は、その何年か前に始まっていた。
たくみに前後を逆にすることにより、日航123便の墜落事故が、あたかも日本航空
(JAL)の経営陣に責任があるかのような、ストーリー展開になっている。

 が、繰り返しになるが、あの映画は、基本的には、1人の社員の左遷劇を描いた
ものに過ぎない。
それにそのあとに起きた日航123便の墜落事故を、まぶした。
(映画の中では、「JAL123便」が、「NAL123便」となっていたが……。)

 そこで改めて問う。

 どうしてこの映画の中で、日航123便の墜落事故が出てくるのか?
また出さねばならなかったのか?
あたかも主人公の恩地が、被害者であるかのような立場で描かれているが、一歩
退いた世界から見れば、恩地は、社員そのもの。
もし会社に責任があるとするなら、恩地自身も、その責任を負う立場にある。

 またわざわざ「この物語はフィクションです」と断るくらいなら、ほかの事故でも
よかったし、まったく架空の事故でもよかったはず。
つまり一サラリーマンの左遷劇と、日航123便の墜落事故が、どうしても
私の頭の中でつながらない。

●日本航空(JAL)は悪玉?

 ゆいいつ「それかな?」と、記憶に残っているセリフに、こんな言葉があった。

「ニューヨークの高額なホテルを買い占めるお金があるなら、どうしてその
お金を、安全面に使ってくれなかったのだ」と。
日航123便の遺族の1人が、そう言って、恩地に詰め寄っていた場面である。
しかしそれとて、ホテルの買収の話。

 つまりあの映画は、日本航空(JAL)を悪玉に仕立てようと、無理をしている。
それはまるで昔のチャンパラ映画のようでもあった。
善人と悪人の色分けをはっきりする。
とくに悪人は、いかにも悪人でございますというような、稚拙な演技をする。

たとえば補償金交渉をする担当者。
実にわざとらしいというか、取ってつけたような演技。
あそこまで事務的に補償金交渉をする担当者はいない。

●疑問

 となると、ここで疑問は、振り出しに戻ってしまう。
「なぜ、日本航空(JAL)なのか」と。

 1985年といえば、「つくば'85」(国際科学技術博覧会)(3月)のあと、
NTT、たばこ産業が、それぞれ民営化されている(4月)。
(日本電信電話公社が、日本電信電話株式会社に。
日本専売公社が、日本たばこ産業株式会社に、それぞれ民営化。
日本航空も、日航123便の墜落事故の当日、民営化を決議していた。) 

 さらに言えば、「なぜ、今なのか」と。
日本航空(JAL)は、現在、経営再建中で、たいへん困難な時期にある。
映画を観てもわかるように、労使問題といっても、それは社内という、
コップの中での話。
日航123便の墜落事故は、たしかに不幸な事故だったが、その事故と、
その前段階として描かれている労使紛争や主人公の左遷劇は、関係ない。

(関係があるなら、それをテーマにすればよい。
またそういう映画なら、話もわかる。
たとえば日航123便の墜落事故についても、圧力隔壁の破壊説のほか、
米軍によるミサイル誤射説、垂直尾翼の羽破壊説などもある。
ボイスレコーダーの一部は、いまだに未公開になっている、などなど。)

 まったく関係ない大事故をもちだし、労使紛争にまぶしていく。
あたかも労使紛争が、そのあとに起こる日航123便の墜落事故と関係あるかの
ように、である。

●表現の暴力

 しかしこれこそが「表現の暴力」。
確たる証拠もないまま、労使紛争と日航123便の墜落事故と結びつけていく。
そしてその上で、この物語は、「フィクションです」と断る。

 このあたりに、制作者や監督の、薄汚さを覚える。

 前にも書いたが、たとえば大統領の不正を追求する映画とか、そういったもので
あれば、問題はない。
大統領は公人である。
しかし日本航空(JAL)は、当時はいざ知らず、今は、一民間企業である。
株式も公開している。
そういう会社をターゲットに、こういう映画が許されてよいものか?

 観る人によっては、日本航空(JAL)に対して、悪いイメージをもつだろう。
みながみな、「これは映画」「フィクション」と、割り切ることができるわけではない。
観たまま、「日本航空(JAL)って、おかしな会社」と思うかもしれない。
もしそうなら、(実際、そうだが)、日本航空(JAL)は、本気で怒ってよい。

●制作意図がわからない

 要するに、あの映画は、(原作のほうもそうだろうが)、日本航空(JAL)を
中傷するためだけに作られた映画と考えてよい。
社内の労使紛争の理不尽を、ドラマ化しただけ。
それに日航123便の墜落事故をまぶして、ドラマを水ぶくれ式に大きくした。

 だから私はこう書いた。
「表現の暴力」と。

 ワイフは最後にこう言った。
「山崎豊子は、JALに、何かうらみでもあったのかしら?」と。
そう、何かうらみでもなければ、あそこまでの本は書けない。
日航123便の墜落事故で亡くなった犠牲者は、そのための(飾り)として
利用された。
犠牲者に同情するフリをしながら、物語のスケールを大きくするために、利用された。
しかしそれこそ、犠牲者への冒涜ということになるのではないのか。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 日本航空 JAL123便 沈まぬ太陽 国民航空 NAL123)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

【沈まぬ太陽】

●「信念と良心の人」?

+++++++++++++++++++++++

公開中の映画『沈まぬ太陽』(WK監督)を劇場で見た。
その原作者で作家である、山崎豊子氏(84)が、このほど、
地元の堺市でWK監督と共に、その映画を鑑賞したという。
そして映画を観たあと、つぎのような感想を
述べたという(毎日JP)。

『映画は、人間の心の内を丹念に描いていて
見ごたえがありました。今の日本に必要なのは、
恩地(主人公名)のように、たった1人になっても筋を通し、
信念と良心を持ち続ける人。特に男の人たちに
見てもらいたい』(同)と。

+++++++++++++++++++++++

●日航123便の墜落事故

 日航123便の墜落事故について、毎日JPは、つぎのように説明する。
「ジャンボ機墜落事故を引き起こした航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする」と。

 つまり「航空会社(=日本航空)の組織的、構造的な問題があったから、ジャンボ機墜落事故
は起きた」と。

 ここでいう「組織的、構造的」というのは、映画『沈まぬ太陽』を観るかぎり、会社の利益優先
型の経営方針をいう。
事実、映画の中では、経営者たちは始終一貫して、(悪玉)として描かれている。
そうかもしれない。
そうでないかもしれない。
そこで百歩譲って、もしそうだとするなら、つまり悪玉とするなら、事故の原因を、
もう一度丹念に、原因を検証してみる必要がある。

原因をオブラートに包んだまま、「事故の原因は、会社側の安全運航に対する努力怠慢であ
る」と、短絡的に結びつけるわけにはいかない。
映画で表現されている労使紛争にしても、安全運航のための闘争というよりは、賃上げ闘争が
主体になっていたはず。
(もし山崎豊子氏の論理が正しいとするなら、組合員も賃上げばかり主張しないで、
その分を、安全運行のために回せばよかったということになる。)

 が、ここで私たちは映画の映像トリックに、ひかかってしまう。

 映画『沈まぬ太陽』は、まず日航(JAL)123便の墜落事故から始まる。
その場面とケニア大使を招いた、パーティ会場が行き来し、やがて映画は、「〜〜年前」「〜〜
年前」……と進行していく。

 そして結果として、(はげしい労使紛争)が、事故の原因であるかのような印象を観客に与え
る。
その(労使紛争)にしても、経営者側に責任があるかのような印象を観客に与える。
山崎豊子氏が言う、「信念と良心の人」(毎日JP)というのは、その労使紛争に巻き込まれ、そ
の中で翻弄される恩地という名前の、1社員を言う。

 しかしここで誤解してはいけないのは、恩地といえども、1社員。
会社内部の人間である。
また墜落事故のあと、墜落事故の原因を究明したり、あるいは会社側の責任を追及した人で
もない。
社長が交代したあと、今度は新社長の側近として活躍する。
経営者側の人間となる。
もちろんそれなりの高給で優遇されたはず。
最後はまた懲罰左遷(?)され、アフリカの地に戻っていくが、ここでも映画の映像トリックにひ
かかってしまう。

 海外勤務は、懲罰左遷なのか?

 で、当時の世相を振り返ってみると、日本航空にかぎらず、いわゆる三公社五現業と呼ばれ
た組織体の中では、日夜はげしい労使紛争が繰り返されていた。
三公社五現業というのは、日本国有鉄道、日本専売公社、日本電信電話公社(以上3公社)
と、5つの現業官庁(郵政、国有林野、印刷、造幣、アルコール専売の各事業部門)をいう。

●疑わしきは罰する(?)

 話が大きく脱線する前に、ひとつ、明らかにしておきたいことがある。

恩地は、「信念と両親の人」という立場で、描かれている。
それはわかる。
が、その一方で、会社側の人間が、すべていかにも(悪玉)という立場で描かれている。
このあたりの描き方について、少し前に書いた原稿の中で、私は、一昔前の、チャンパラ映画
のよう、と書いた。

 しかしこの手法には、たいへん問題がある。
何度も書くが、日本航空は、現在は、1民間会社である。
明らかにその民間会社とわかる形で、その経営陣を悪玉に仕立てあげるのはどうか?
江戸時代の代官を悪代官に仕立てあげるのとは、わけがちがう。

法律の世界には、『疑わしきは罰せず』という大原則がある。
が、この映画の中では、何の証拠も、また因果関係も示されないまま、「航空会社の組織的、
構造的な問題を浮き彫りにする」「それが日航123便の事故につながった」(毎日JP)という論
理で(?)、日本航空を直接的に攻撃している。
「疑わしいまま、罰している」。
そういうことが許されてよいのか?

 仮に恩地が、「信念と良心の人」というのなら、当初は、組合の委員長だった人物が、のちに
石坂浩二演ずる、新社長のもとでは、社長の最側近として働く。
どうしてそんな人物が、「信念と良心の人」なのか。

 さらに念を押すなら、恩地は、日航123便の墜落事故の原因を究明するために闘った人で
も、また、事故のあと、会社の責任を追及した人でもない。
映画の中では、遺族との交渉係を務めた人である。
(この点についても、日本航空側は、そういう立場にあった人物は存在しなかったと社内報で
書いている。)

●墜落事故の原因 

 墜落事故の原因については、いろいろな説がある。
公式には、圧力隔壁と呼ばれる後部の壁が破裂し、それが尾翼を吹き飛ばしたからということ
になっている。
しかしほかにも、尾翼のボルトが緩んでいたのが原因とか、アメリカ軍用機のミサイル誤射説
などもある。

 どうであるにせよ、「航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする」というのは、あまり
にもひとりよがり過ぎる。
当時の世相を振り返っても、当時はそういう時代だった。
労使紛争はあちこちで起きていた。
日本航空のことはよく知らないが、旧国鉄における労使紛争には、ものすごいものがあった。
そういう中で、懲罰左遷というのも、あったかもしれない。

しかしこの言葉は、当時、海外勤務をしていた人たちに対して、失礼極まりない。
商社マンのばあい、海外勤務はあこがれの的だった。
また当時は、2年程度を限度とする短期出張は当たり前だった。
短期出張は、単身赴任が原則だった。
それを「懲罰左遷」とは!

●日航123便

 さて本題。
作家の山崎豊子氏は、「犠牲になられた方、遺族の気持ちを思うと今も義憤にかられます」(毎
日JP)と述べている。
山崎豊子氏にしてみれば、たとえ思い込みであるにせよ、そうとでも言わなければ、自分の立
場がない。
つまり「義憤にかられて、あの本を書いた」と。

 しかしそうであるなら、また話は振り出しに戻ってしまう。
労使紛争と日航123便の事故が、どうして結びつくのか、と。
つまり山崎豊子氏としては、日本航空をどうしても悪玉に仕立てあげなければならない。
「義憤」という言葉も、そこから生まれた(?)。
が、どうして義憤なのか?

 もし日本航空に「組織的、構造的な問題」があったとするなら、それを追及してこそ、「信念と
良心の人」ということになる。
私には、恩地なる人物には悪いが、恩地という人は、やはりただの会社人間にしか見えない。
殴られても、蹴られても、会社にしがみつく……。
「一社懸命」という言葉は、そういう人のためにある。

繰り返すが、その「組織的、構造的な問題」を追及した人ではない。
会社の裏命令で、恩地は労働組合の委員長になり、労使紛争の茶番劇を演じて見せる。
が、それをやり過ぎたため、アフリカと中東に左遷。
今度は新社長に呼び戻されて、再び本社勤め。
その過程で、恩地は、安全運行についての発言は、一度も行っていない。
それもそのはず。

 もし恩地が、安全運行のことを口にすれば、それこそまさに日航123便の墜落事故は、会社
側の責任ということを認めることになってしまう。
これは山崎豊子氏にとっても、まことにまずい。
そのまま直接的に、確たる証拠もないまま、日本航空の経営者を加害者と認めることになって
しまう。
そのまま名誉毀損で訴えられても、文句が言えなくなってしまう。

 そこで山崎豊子氏は、日本航空を何としても、悪玉に仕立てあげねばならなかった。
それが『沈まぬ太陽』ということになる。
で、山崎豊子氏は、こう述べている(毎日JP)。

「今の日本に必要なのは、恩地のように、たった一人になっても筋を通し、信念と良心を持ち続
ける人だ」と。

 とすると、また話がわからなくなる。
もしそうなら、なぜ日本航空なのか?
どうして、今というこの時期なのか?

●名誉棄損

 この映画は、明らかに、日本航空という1企業の名誉を著しく毀損している。
映画『沈まぬ太陽』を見た人なら、だれでも、そう思う。
「名誉棄損」という言葉があるが、もしこれを名誉棄損と言わないなら、では、いったい、名誉棄
損とは何かということになってしまう。

 日本航空は、実在する、1企業である。
墜落事故が起きた当時、3公社は、つぎつぎと民営化を果たしている。
日本航空も、まさにその日、民営化に向けて、その第一歩を決議しようとしていた。
その企業を、明らかにその企業とわかる形で、こうまでこういう露骨に、攻撃してよいものか。
もし「信念と良心の人」を描きたいのなら、何も日本航空にする必要はなかったし、あの日航1
23便事故と、からめる必要はなかった。

●映画論

比較するのもヤボなことだが、最近観た映画の中に、『チェンジリング』という映画があった。
行方不明になった息子を懸命に捜そうとする母親を描いたものだが、途中で、役人の欺瞞に
翻弄される。
が、その母親は闘いつづける。
そして最後に、自分の息子を取り戻す。
そういう母親を、「信念の人」という。
もちろん映画もすばらしかった。
最後は、涙がポロポロとこぼれた。

 先週の夜は、『路上のソリスト』という映画を観てきた。
最後のしめくくりが甘かったが、実話ということ。
それに現在進行形ということ。
それで「そういうしめくくりの仕方にするしかなかったかな」と納得した。
が、そのソリストをコラム(新聞記事)にすることによって、ロサンジェルスのホームレスの待遇
が、大きく改善された。

 またおとといの夜は、これはDVDだったが、『扉を叩く人』というのを家で観た。
アメリカの移民政策の中で、シリアへ強制送還される男性と、それを救い出そうとする大学教
授の映画だった。
映画を通して、監督は、アメリカの移民政策を痛烈に批判する。
この映画は、アカデミー主演男優賞の候補にあがっている。

 これら3本は、どれも秀作で、星は、4つか5つ。
主演した俳優たちもうまいが、それをまわりからかためる、脇役たちの演技もうまい。
もちろん内容も、濃い。

 が、である。
当然のことながら、個人はもちろん、公的な機関ではあっても、その機関とわからないような形
で、映画の中に登場させている。
またそこで働く職員の名誉を傷つけないような形で、俳優たちは演技している(「扉を叩く人」
の、移民局の職員など。)
こうした配慮は、映画のみならず、公の場所で、自説を唱える者にとっては、最低限守らなけ
ればならないマナーと考えてよい。
つまり相手が日本航空だからよいという論理は、まったく通用しない。

 で、日本航空内部では、この映画について、名誉棄損で訴えるという動きもあるという。
当然、訴えるべき映画と考えてよい。
今は何かとたいへんな時期かもしれないが、後日の裁判闘争に備えて、公式な抗議文を1通く
らいは、出しておいたほうがよい。
「無視」イコール、「黙認」という形になるのは、避けた方がよい。

●表現の自由vs表現の暴力

 一般論として、テレビや映画に携わる人たちは、もう少し謙虚になったらよい。
「マスコミ」という武器を手にしたとたん、好き勝手なことをしたい放題している。
あるいは「マスコミ」を背に負ったとたん、態度が横柄になる。
威張りだす。
自分たちが、日本の代表であるかのように錯覚する。

 簡単なことだが、「表現の自由」と「表現の暴力」はちがう。
威張るのは勝手だが、だからといって、表現の暴力をしてよいということではない。
たとえば1社員の信念と良心だけを描くなら、それは「表現の自由」である。
しかしそこに日本航空をからませ、さらに日航123便の墜落事故をからませたら、それは表現
の暴力ということになる。
いくら「この映画はフィクションです」と断っても、その程度で、責任が回避できるような問題では
ない。

 さらに言えば、WK監督は、原作者の山崎豊子氏を最前面に押し出すことによって、自らに
ふりかかる責任を回避しているかのようにも見える。
脚本家を3人替えたとか、脚本をそのつど山崎豊子氏に見せ、校閲してもらったとかなどという
話も漏れ伝わっている(某週刊誌)。
そして今度は、山崎豊子氏と同席で、映画を鑑賞したという(毎日JP)。

 「この映画は、山崎豊子原作の『沈まぬ太陽』を忠実に映画化したものです」と。
「だから私には責任はありません」と。

 もしそうなら、つまりこうした一連の行為が、自らへの責任を回避するためのものであったと
するなら、日本航空への名誉棄損を事前に確信していたことになる。
罪は重い。

 とは言え、『沈まぬ太陽』は、主演の渡辺謙をのぞいて、……というより渡辺謙だけが浮いて
しまったような映画で、映画としては、つまらない。
「2度目を見たいか」と問われたら、答は、「NO!」。
全体に説教ぽい映画で、観ていて何度も不愉快になった。
私たちは、貴重な時間をつぶし、劇場へ足を運ぶ。
そこでお金を払って、映画を観る。
WK監督は、そうした観客の心を忘れてしまっている。

観てから10日以上も過ぎたが、その感想は、今も消えない。

+++++以下、毎日JPより+++++

映画:「沈まぬ太陽」山崎豊子さんが鑑賞 「今も信念と良心の人が必要」

ジャンボ機墜落事故を引き起こした航空会社の組織的、構造的な問題を浮き彫りにする。主
人公の恩地元(主演・渡辺謙さん)は、社員の待遇改善のため、組合活動に力を尽くす。が、
報復人事に遭って中東やアフリカに配転させられる。良心や出処進退のありか、組織と個人
の間にそびえる壁などさまざまなことを考えさせられる。上映時間は3時間22分と日本映画と
しては異例の長さ。

 山崎さんは「犠牲になられた方、遺族の気持ちを思うと今も義憤にかられます」。時に声を詰
まらせながら、「自分の映画で泣いたのは初めて……。渡辺謙さんの演技が素晴らしかった」
と評した。

 長文の手紙を山崎さんに送り、主演を懇願した渡辺さんと同様、WK監督も山崎作品を撮る
ことを切望した。「自分でもよくぞ撮り終えたな、と思います。先生からは『(「不毛地帯」の映画
化以来)映画化は33年ぶり。完成するまで死ねないわ』と言われていましたから両肩がいつも
重かったですね」

 山崎さんは「映画は、人間の心の内を丹念に描いていて見ごたえがありました。今の日本に
必要なのは、恩地のように、たった一人になっても筋を通し、信念と良心を持ち続ける人。特に
男の人たちに見てもらいたい」と語った。
(毎日JP 2009-11-09)

+++++以上、毎日JPより+++++

●日本映画

 最後に一言。

 日本映画というと、どれもどうしてこうまで底が浅いのかと思う。
俳優にしても、演技、演技していて、薄っぺらい。
力みすぎ。
顔と声だけで演技する。
しかも不自然。
動作も話し方も、ぎこちない。
そのため観客として、感情移入するのが、むずかしい。
ときにその前に、はじき飛ばされてしまう。

 山崎豊子氏は、映画『沈まぬ太陽』を絶賛しているが、一度でよいから、
先にあげた『扉を叩く人』(The Visitor)、あるいは『チェンジリング』のような映画を
観てみるとよい。
そのちがいが、よくわかるはず。
(私は毎週1本程度、劇場で映画を観ているぞ!)

 『沈まぬ太陽』にしても、(1)まず俳優がペラペラと、文章を読むようなセリフを言う。
つぎに(2)視線を外へはずし、何かを思いつめたように、別のセリフを言う。
そんなシーンがいくつもあった。
恐らく監督の演技指導に従ってそうしたのだろう。
が、その言い方が、みな、同じ。
俳優自身が、自分を殺してしまっている。
監督の前で、委縮してしまっている。
もっと俳優自身がもつ個性を尊重して、それを前に出すようにすればよい。
つまり「自然な演技」。
それが重要。
それをもっと大切にしたらよい。
(当然、俳優側にも、それなりの努力と精進が必要になるが……。)

 とくにひどいのが、恩地の妻役を演じた、SK。
イプセンの『人形の家』に出てくる、「人形妻」を思い起こさせた。
できすぎというか、まるで心を開いていない。
「あんな夫婦がいるか!」と、私はそう思った。

 『沈まぬ太陽』という話題作に、あえてケチをつけてみた。
「沈まぬ太陽」と言いながら、今、その「太陽」は、沈むか浮かぶかの瀬戸際で
苦しんでいる。
このままでは、本当に沈んでしまうかもしれない。
だとするなら、映画のタイトルを、こう変えたらよい。
『沈め、この太陽!』と。
そのほうが、よほど、正直なタイトルということになる。
もともとそういう意図で作られた映画(本)なのだから……。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 沈まぬ太陽 山崎豊子 映画評論)







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17
【老人心理】(回顧性との闘い)

●前向きに生きる

+++++++++++++++++++

今、すべきことをする。
今、したいことをする。
今、できることをする。
それが「前向きに生きる」ということ。

年齢は関係ない。
年齢を考える必要はない。
年齢に制限される必要もない。
私は私。
どこまでいっても、私は私。

……ということで、昨日、パソコンの
モニターを新調した。
(あまり関係ないかな?)
サイズは、25・5インチ。
ワードで書いた文章を、丸々4ページずつ
表示できる。

ワイフもこう言った。
「やりたいと思ったら、どんどん
したほうがいいわ」
「今しか、するときがないから」と。

YES!

そのモニターの前に座ったとき、
私は、こう思った。

「ようし、やりたいことをする」と。
……とまあ、今朝もそう自分に言い聞かせながら、
始まった。
(11−13朝)

+++++++++++++++++++

●展望性vs回顧性

 加齢とともに、展望性が弱くなり、回顧性が強くなる。
ちょうどこの2つが交差するのは、満55歳前後と言われている。
つまりその年齢を境にして、未来に向かって何かをしたいと思うよりも、
過去を懐かしむことのほうが、多くなる。

 が、展望性と回顧性は、バランスの問題ではない。
展望性というのは、その人を前向きに引っ張っていく。
回顧性というのは、その人の生き様を、うしろへと後退させる。
つまり回顧性というのは、戦うべきものであって、受け入れるべきものではない。
では、そのためには、どうするか。

●回顧性との闘い

 2つの方法がある。
ひとつは、回顧性を排除する。
もうひとつは、展望性を自ら大きくふくらます。
この2つを同時に実行してはじめて、回顧性を闇に葬ることができる。

 「回顧性を排除する」というのは、要するに過去を振り返らないということ。
が、それだけでは足りない。
そこで「展望性をふくらます」ということになる。
未来に夢や希望をもち、しっかりとした目標を定める。
しかし夢や希望などというものは、向こうからやってくるものではない。
自ら、作り出すもの。
その努力は、怠ってはならない。
目標は、そこから生まれる。

●特徴

 回顧性が強くなると、親戚づきあいとか、近所づきあいという言葉を、よく
使うようになる。
自分の身の回りを、(過去の時間)で、固めるようになる。
満50歳を過ぎると、同窓会のような会が急にふえるのも、そのためと考えてよい。

 特徴をいくつかあげてみる。

(1)生活が防衛的になる。(ケチになる。)
(2)生活圏が縮小される。(狭い世界で生きる。)
(3)慢性的な自信喪失状態になる。(「何をしてもだめだ」と思う。)
(4)自己中心性が強くなる。(自分に合わない人を、否定する。)

 こうした傾向は相互に関連しあいながら、ときにはその人の心をむしばむ。
「初老性うつ」に代表される、精神疾患も、そのひとつ。
回顧性に毒されてよいことは、何もない。

●(老い)の受容

 これについては、以前書いた原稿を、もう一度、手直してみる。

++++++++

老いの受容段階説

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【老人心理】

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キューブラー・ロスの『死の受容段階論』は、よく知られている。

死を宣告されたとき、人は、(否認期)→(怒り期)→(取り引き期)
→(抑うつ期)→(受容期)を経て、やがて死を迎え入れるように
なるという。

このロスの『死の受容段階論』については、すでにたびたび書いてきた。
(たった今、ヤフーの検索エンジンを使って、「はやし浩司 死の受容段階」
を検索してみたら、113件もヒットした。)

で、またまた『死の受容段階論』(死の受容段階説、死の受容過程説、
死の受容段階理論などともいう)。

その段階論について、簡単におさらいをしておきたい。

●キューブラー・ロスの死の受容段階論(「発達心理学」山下冨美代著、ナツメ社より)

(第1期)否認……病気であることを告知され、大きなショックを受けたのち、自分の病
気は死ぬほど重いものではないと否認しようとする。

(第2期)怒り……否認の段階を経て、怒りの反応が現れる。その対象は、神や周囲の健
康な人、家族で、医療スタッフに対する不平不満としても生ずる。

(第3期)取り引き……回復の見込みが薄いことを自覚すると、神や医者、家族と取り引
きを試みる。祈ることでの延命や、死の代償として、何かを望む。

(第4期)抑うつ……死期が近づくと、この世と別れる悲しみで、抑うつ状態になる。

(第5期)受容……最後は平静な境地に至という。運命に身を任せ、運命に従い、生命の
終わりを静かに受け入れる。(以上、同書より)

●老人心理

老人心理を一言で表現すれば、要するに、キューブラー・ロスの『死の受容段階論」に、
(第0期) を加えるということになる。
(第0期) 、つまり、不安期、ということになる。
「まだ死を宣告されたわけではない」、しかし「いつも死はそこにあって、私たちを
見つめている」と。

不治の病などの宣告を、短期的な死の宣告とするなら、老後は、ダラダラとつづく、
長期的な死の宣告と考えてよい。

「短期」か「長期」かのちがいはあるが、置かれた状況に、それほど大きなちがいは
ない。
ロスの説く、(第1期)から(第5期)まぜが混然一体となって、漠然とした不安感
を生みだす。
それがここでいう0期ということになる。

ある友人(満62歳)は、こう言った。

「若いころは何かの病気になっても、それを死に直接結びつけることはなかった。
しかし今は、経験したことのない痛みや疲れを感じただけで、もしや……と思う
ようになった」と。

そしてそれが老人心理の基盤を作る。

●死の受容

死の宣告をされたわけではなくても、しかし死の受容は、老人共通の最大のテーマ
と考えてよい。

常に私たちは「死」をそこに感じ、「死」の恐怖から逃れることはできない。
加齢とともに、その傾向は、ますます強くなる。
で、時に死を否認し、時に死に怒りを覚え、時に死と取り引きをしようとし、時に、
抑うつ的になり、そして時に死を受容したりする。
もちろん死を忘れようと試みることもある。
しかし全体としてみると、自分の心が定まりなく、ユラユラと動いているのがわかる。

 それについては、こんなエピソードがある。

 恩師のMN先生の自宅を訪れたときのこと。
MN先生は、私を幼児教育の世界に導いてくれた先生である。
そのとき80歳を過ぎていた。

 縁側に座って、何かを話しているとき、私はこう聞いた。
「先生、歳をとると、死ぬのがこわくなくなるものですか?」と。
すると先生は、笑いながら、こう言った。
「林さん、いくつになっても、死ぬのはこわいですよ」と。

●「死の確認期」

この「0期の不安期」をさらに詳しく分析してみると、そこにもまた、いくつかの
段階があるのがわかる。

(1)老齢の否認期
(2)老齢の確認期
(3)老齢の受容期

(1)の老齢の否認期というのは、「私はまだ若い」とがんばる時期をいう。
若いとき以上に趣味や体力作りに力を入れたり、さかんに旅行を繰り返したりする時期
をいう。

若い人たちに対して、無茶な競争を挑んだりすることもある。

(2)の老齢の確認期というのは、まわりの人たちの「死」に触れるにつけ、自分自身
もその死に近づきつつあることを確認する時期をいう。
(老齢)イコール(死)は、避けられないものであることを知る。

(3)の受容期というのは、自らを老人と認め、死と共存する時期をいう。
この段階になると、時間や財産(人的財産や金銭的財産)に、意味を感じなくなり、
死に対して、心の準備を始めるようになる。

(反対に、モノや財産、お金に異常なまでの執着心を見せる人もいるが……。)

もっともこれについては、「老人は何歳になったら、自分を老人と認めるか」という問題も
含まれる。

国連の世界保健機構の定義によれば、65歳以上を高齢者という。
そのうち、65〜74歳を、前期高齢者といい、75歳以上を、後期高齢者という。
が、実際には、国民の意識調査によると、「自分を老人」と認める年齢は、70〜74歳が
一番多いそうだ。半数以上の52・8%という数字が出ている。(内閣府の調査では
70歳以上が57%。)

つまり日本人は70〜74歳くらいにかけて、「私は老人」と認めるようになるという。
そのころから0期がはじまる。

●「0期不安記」

この0期の特徴は、ロスの説く、『死の受容段階論』のうち、早期のうちは、(第1期)
〜(第3期)が相対的に強く、後期になると、(第3期)〜(第5期)が強くなる。
つまり加齢とともに、人は死に対して、心の準備をより強く意識するようになる。

友や近親者の死を前にすると、「つぎは私の番だ」と思ったりするのも、それ。
言いかえると、若い人ほど、ロスの説く(否認期)(怒り期)(取り引き期)の期間が
長く、葛藤もはげしいということ。

しかし老人のばあいは、死の宣告を受けても、(否認期)(怒り期)(取り引き期)の
期間も短く、葛藤も弱いということになる。
そしてつぎの(抑うつ期)(受容期)へと進む。
が、ここで誤解してはいけないことは、だからといって、死に対しての恐怖感が
消えるのではないということ。
強弱の度合をいっても意味はない。
若い人でも、また老人でも、死への恐怖感に、強弱はない。

(死の受容)イコール、(生の放棄)ではない。
老人にも、(否認期)はあり、(怒り期)も(取り引き期)もある。
それゆえに、老人にもまた、若い人たちと同じように、死の恐怖はある。
繰り返すが、それには、強弱の度合は、ない。

●死の否認期

第0期の中で、とくに重要なのは、「死の否認期」ということになる。
「死の否認」は、0期全般にわたってつづく。
が、その内容は、けっして一様ではない。

来世思想に希望をつなぎ、死の恐怖をやわらげようとする人もいる。
反対に、友人や近親者が死んだあと、その霊を認めることによって、孤独をやわらげ
ようとする人もいる。
懸命に体力作りをしたり、脳の健康をもくろんだりする人もいる。
趣味や道楽に、生きがいを見出す人もいる。

が、そこは両側を暗い壁でおおわれた細い路地のようなもの。
路地は先へ行けば行くほど、狭くなり、暗くなる。
そしてさらにその先は、体も通らなくなるほどの細い道。
そこが死の世界……。

老人が頭の中で描く(将来像)というのは、おおむね、そんなものと考えてよい。
そしてそこから生まれる恐怖感や孤独感は、個人のもつ力で、処理できるような
ものではない。

つまりそれを救済するために、宗教があり、信仰があるということになる。
宗教や信仰に、救いの道を見出そうという傾向は、加齢とともにますます大きくなる。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●では、どうするか

 かなり暗い話になってしまったが、回顧性が強くなればなるほど、同時進行の形で、
上記「0期の不安期」が始まる。

 そこでこう考える。
「もし私(あなた)が、今、30歳なら、どうするか?」と。

 ひとつの例として、冠婚葬祭、とくに葬儀をあげる。

 たまたま昨夜、叔母が亡くなった。
いとこから、そういう連絡が入った。
葬儀は明日(土曜日)ということらしいが、K市での講演と重なり、私は参列できない。
そこで昨夜、私は香典を送金し、お悔やみの電報を打った。

 が、そのときいろいろと複雑な心理が働く。
「失礼はないだろうか」「これでいいのだろうか」と。

 そうした心理が働く背景には、私流の回顧性がある。
そこで私自身を、30歳という年齢に置き換えてみる。
すると葬儀に対する考え方が、一変する。
「死者をていねいに送ることは大切なことだが、私には遠い未来の話」と。

 そこでもう一度、こう考える。
「私の息子なら、どうするだろう」
「私は、私の息子に、どうしてほしいだろう」と。

 息子たちはみな、30歳前後である。

 するとそこにひとつの答が見えてくる。
叔母の死は悲しいことだが、ひとつの(事実)として受け入れるしかない、と。
つまり甥(おい)として、やるべきことはやる。
しかしそれをきっかけとして、自分を回顧性に追い込んではいけない。

だからといって、叔母の死を軽く見ろということではない。
私たちが若いころそうであったように、老人の死は、淡々と見送るしかないということ。
早く忘れて、「私は私」という生き方に、戻るということ。

●展望性の維持vs回顧性との闘い

 そこで最後に、展望性の維持と回顧性との闘いについて考えてみたい。
これは私自身の努力目標ということになる。

○展望性の維持

(1)若い人たちと、努めて交際する。
(2)いつも新しいものに興味をもつ。
(3)今できることは、つぎに延ばさない。
(4)体力と知力の維持に、努力する。
(5)夢と希望をしっかりともつ。
(6)1日の目標、1年の目標を、いつも定める。

○回顧性との闘い

(1)過去を振り返らない。
(2)退職したら、肩書き、名誉、地位を捨てる。
(3)「死」にまつわる行事、法事は、最小限に。
(4)常に「今、あるのみ」と心得る。
(5)過去にしがみつかない。
(6)「老人はこうあるべき」という常識を作らない。

 ざっと思いついたまま書いたので、荒っぽい努力目標になってしまった。
私の母や兄などは、ともに60歳を過ぎるころから、仏壇の金具ばかりを磨いていた。
要するに、そういう人生になってはいけないということ。

この努力目標を三唱して、ともかくも、今日も始まった。
がんばろう!
どこまでできるかわからないが、がんばろう!

09年11月14日、土曜日の朝
今朝は生暖かい雨が、シトシトと降っている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 老人心理 老人の心理 回顧性と展望性 回顧性 展望性)







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18
●東洋哲学と西洋哲学の融合

2006-11-29 11:45:25 | Weblog【東洋哲学と西洋近代哲学の融合】

●生・老・病・死

+++++++++++++++++

生・老・病・死の4つを、原始仏教では、

四苦と位置づける。

四苦八苦の「四苦」である。

では、あとの4つは、何か?

+++++++++++++++++

 生・老・病・死の4つを、原始仏教では、四苦と位置づける。四苦八苦の「四苦」である。で
は、あとの4つは何か。

(1) 愛別離苦(あいべつりく)

(2) 怨憎会苦(おんぞうえく)

(3) 求不得苦(ぐふとっく)

(4) 五蘊盛苦(ごうんじょうく)の、4つと教える。



(1) 別離苦(あいべつりく)というのは、愛する人と別れたり、死別したりすることによる苦しみ
をいう。

(2) 怨憎会苦(おんぞうえく)というのは、憎しみをいだいた人と会うことによる苦しみをいう。

(3) 求不得苦(ぐふとっく)というのは、求めても求められないことによる苦しみをいう。

(4) 五蘊盛苦(ごうんじょうく)というのは、少しわかりにくい。簡単に言えば、人間の心身を構
成する5つの要素(色=肉体、受=感受、想=表象の構成、行=意思、識=認識)の働きが
盛んになりすぎることから生まれる苦しみをいう。

 こうした苦しみから逃れるためには、では、私たちは、どうすればよいのか。話は少し前後す
るが、原始仏教では、「4つの諦(たい)」という言葉を使って、(苦しみのないよう)→(苦しみの
原因)→(苦しみのない世界)→(苦しみのない世界へ入る方法)を、順に、説明する。

(1) 苦諦(くたい)

(2) 集諦(しゅうたい)

(3) 滅諦(めったい)

(4) 道諦(どうたい)の、4つである。

(1) 苦諦(くたい)というのは、ここに書いた、「四苦八苦」のこと。

(2) 集諦(しゅうたい)というのは、苦しみとなる原因のこと。つまりなぜ私たちが苦しむかとい
えば、かぎりない欲望と、かぎりない生への執着があるからということになる。無知、無学が、
その原因となることもある。

(3) 滅諦(めったい)というのは、そうした欲望や執着を捨てた、理想の境地、つまり涅槃(ね
はん)の世界へ入ることをいう。

(4) 道諦(どうたい)というのは、涅槃の世界へ入るための、具体的な方法ということになる。
原始仏教では、涅槃の世界へ入るための修道法として、「八正道」を教える。

 以前、八正道について書いたことがある。八正道というのは、正見、正思惟、正語、正業、正
命、正精進、正念、正定の8つのことをいう。

+++++++++++++++

●八正道(はっしょうどう)……すべて「空」

 大乗仏教といえば、「空(くう)」。この空の思想が、大乗仏教の根幹をなしているといっても過
言ではない。つまり、この世のすべてのものは、幻想にすぎなく、実体のあるものは、何もな
い、と。

 この話は、どこか、映画、『マトリックス』の世界と似ている。あるいは、コンピュータの中の世
界かもしれない。

 たとえば今、目の前に、コンピュータの画面がある。しかしそれを見ているのは、私の目。そ
のキーボードに触れているのは、私の手の指、ということになる。そしてその画面には、ただの
光の信号が集合されているだけ。

 私たちはそれを見て、感動し、ときに怒りを覚えたりする。

 しかし目から入ってくる視覚的刺激も、指で触れる触覚的刺激も、すべて神経を介在して、脳
に伝えられた信号にすぎない。「ある」と思うから、そこにあるだけ(?)。

 こうした「空」の思想を完成したのは、実は、釈迦ではない。釈迦滅後、数百年後を経て、紀
元後200年ごろ、竜樹(りゅうじゅ)という人によって、完成されたと言われている。釈迦の生誕
年については、諸説があるが、日本では、紀元前463年ごろとされている。

 ということは、私たちが現在、「大乗仏教」と呼んでいるところのものは、釈迦滅後、600年以
上もたってから、その形ができたということになる。そのころ、般若経や法華経などの、大乗経
典も、できあがっている。

 しかし竜樹の知恵を借りるまでもなく、私もこのところ、すべてのものは、空ではないかと思い
始めている。私という存在にしても、実体があると思っているだけで、実は、ひょっとしたら、何
もないのではないか、と。

 たとえば、ゆっくりと呼吸に合わせて上下するこの体にしても、ときどき、どうしてこれが私な
のかと思ってしまう。

 同じように、意識にしても、いつも、私というより、私でないものによって、動かされている。仏
教でも、そういった意識を、末那識(まなしき)、さらにその奥深くにあるものを、阿頼那識(あら
やしき)と呼んでいる。心理学でいう、無意識、もしくは深層心理と、同じに考えてよいのではな
いか。

 こう考えていくと、肉体にせよ、精神にせよ、「私」である部分というのは、ほんの限られた部
分でしかないことがわかる。いくら「私は私だ」と声高に叫んでみても、だれかに、「本当にそう
か?」と聞かれたら、「私」そのものが、しぼんでしまう。

 さらに、生前の自分、死後の自分を思いやるとよい。生前の自分は、どこにいたのか。億年
の億倍の過去の間、私は、どこにいたのか。そしてもし私が死ねば、私は灰となって、この大
地に消える。と、同時に、この宇宙もろとも、すべてのものが、私とともに消える。

 そんなわけで、「すべてが空」と言われても、今の私は、すなおに、「そうだろうな」と思ってしま
う。ただ、誤解しないでほしいのは、だからといって、すべてのものが無意味であるとか、虚(む
な)しいとか言っているのではない。私が言いたいのは、その逆。

 私たちの(命)は、あまりにも、無意味で、虚しいものに毒されているのではないかということ。
私であって、私でないものに、振りまわされているのではないかということ。そういうものに振り
まわされれば振りまわされるほど、私たちは、自分の時間を、無駄にすることになる。

●自分をみがく

 そこで仏教では、修行を重んじる。その方法として、たとえば、八正道(はっしょうどう)があ
る。これについては、すでに何度も書いてきたので、ここでは省略する。正見、正思惟、正語、
正業、正命、正精進、正念、正定の8つをもって、八正道という。

 が、それでは足りないとして生まれたのが、六波羅密ということになる。六波羅密では、布
施、持戒、忍辱、精進、善定、知恵を、6つの徳目と位置づける。

 八正道が、どちらかというと、自己鍛錬のための修行法であるのに対して、六波羅密は、「布
施」という項目があることからもわかるように、より利他的である。

 しかし私は、こうしてものごとを、教条的に分類して考えるのは、あまり好きではない。こうした
教条で、すべてが語りつくされるとは思わないし、逆に、それ以外の、ものの考え方が否定され
てしまうという危険性もある。「まあ、そういう考え方もあるのだな」という程度で、よいのではな
いか。

 で、仏教では、「修行」という言葉をよく使う。で、その修行には、いろいろあるらしい。中に
は、わざと体や心を痛めつけてするものもあるという。怠(なま)けた体には、そういう修行も必
要かもしれない。しかし、私は、ごめん。

 大切なことは、ごくふつうの人間として、ごくふつうの生活をし、その生活を通して、その中で、
自分をみがいていくことではないか。悩んだり、苦しんだりしながらして、自分をみがいていくこ
とではないか。奇をてらった修行をしたからといって、その人の人格が高邁(こうまい)になると
か、そういうことはありえない。

 その一例というわけでもないが、よい例が、カルト教団の信者たちである。信者になったとた
ん、どこか世離れしたような笑みを浮かべて、さも自分は、すぐれた人物ですというような雰囲
気を漂わせる。「お前たち、凡人とは、ちがうのだ」と。

 だから私たちは、もっと自由に考えればよい。八正道や、六波羅密も参考にしながら、私たち
は、私たちで、それ以上のものを、考えればよい。こうした言葉の遊び(失礼!)に、こだわる
必要はない。少なくとも、今は、そういう時代ではない。

 私たちは、懸命に考えながら生きる。それが正しいとか、まちがっているとか、そんなことを
考える必要はない。その結果として、失敗もするだろう。ヘマもするだろう。まちがったこともす
るかもしれない。

 しかしそれが人間ではないか。不完全で未熟かもしれないが、自分の足で立つところに、
「私」がいる。無数のドラマもそこから生まれるし、そのドラマにこそ、人間が人間として、生きる
意味がある。

 今は、この程度のことしかわからない。このつづきは、もう少し頭を冷やしてから、考えてみた
い。

(050925記)

(はやし浩司 八正道 六波羅密 竜樹 大乗仏教 末那識 阿頼那識)

+++++++++++++++++++

もう一作、八正道について書いた

原稿を、再収録します。

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●正精進

 釈迦の教えを、もっともわかりやすくまとめたのが、「八正道(はっしょうどう)」ということにな
る。仏の道に至る、修行の基本と考えると、わかりやすい。

 が、ここでいう「正」は、「正しい」という意味ではない。釈迦が説いた「正」は、「中正」の「正」
である。つまり八正道というのは、「八つの中正なる修行の道」という意味である。

 怠惰な修行もいけないが、さりとて、メチャメチャにきびしい修行も、いけない。「ほどほど」
が、何ごとにおいても、好ましいということになる。が、しかし、いいかげんという意味でもない。

 で、その八正道とは、(1)正見、(2)正思惟、(3)正語、(4)正業、(5)正命、(6)正念、(7)
正精進(8)正定、をいう。広辞苑には、「すなわち、正しい見解、決意、言葉、行為、生活、努
力、思念、瞑想」とある。

 このうち、私は、とくに(8)の正精進を、第一に考える。釈迦が説いた精進というのは、日々
の絶えまない努力と、真理への探究心をいう。そこには、いつも、追いつめられたような緊迫感
がともなう。その緊迫感を大切にする。

 ゴールは、ない。死ぬまで、努力に努力を重ねる。それが精進である。で、その精進について
も、やはり、「ほどほどの精進」が、好ましいということになる。少なくとも、釈迦は、そう説いてい
る。

 方法としては、いつも新しいことに興味をもち、探究心を忘れない。努力する。がんばる。が、
そのつど、音楽を聞いたり、絵画を見たり、本を読んだりする。が、何よりも重要なのは、自分
の頭で、自分で考えること。「考える」という行為をしないと、せっかく得た情報も、穴のあいた
バケツから水がこぼれるように、どこかへこぼれてしまう。

 しかし何度も書いてきたが、考えるという行為には、ある種の苦痛がともなう。寒い朝に、ジョ
ギングに行く前に感ずるような苦痛である。だからたいていの人は、無意識のうちにも、考える
という行為を避けようとする。

 このことは、子どもたちを見るとわかる。何かの数学パズルを出してやったとき、「やる!」
「やりたい!」と食いついてくる子どももいれば、逃げ腰になる子どももいる。中には、となりの
子どもの答をこっそりと、盗み見する子どももいる。

 子どもだから、考えるのが好きと決めてかかるのは、誤解である。そしてやがて、その考える
という行為は、その人の習慣となって、定着する。

 考えることが好きな人は、それだけで、それを意識しなくても、釈迦が説く精進を、生活の中
でしていることになる。そうでない人は、そうでない。そしてそういう習慣のちがいが、10年、20
年、さらには30年と、積もりに積もって、大きな差となって現れる。

 ただ、ここで大きな問題にぶつかる。利口な人からは、バカな人がわかる。賢い人からは、愚
かな人がわかる。考える人からは、考えない人がわかる。しかしバカな人からは、利口な人が
わからない。愚かな人からは、賢い人がわからない。考えない人からは、考える人がわからな
い。

 日光に住む野猿にしても、野猿たちは、自分たちは、人間より、劣っているとは思っていない
だろう。ひょっとしたら、人間のほうを、バカだと思っているかもしれない。エサをよこせと、キー
キーと人間を威嚇している姿を見ると、そう感ずる。

 つまりここでいう「差」というのは、あくまでも、利口な人、賢い人、考える人が、心の中で感ず
る差のことをいう。

 さて、そこで釈迦は、「中正」という言葉を使った。何はともあれ、私は、この言葉を、カルト教
団で、信者の獲得に狂奔している信者の方に、わかってもらいたい。彼らは、「自分たちは絶
対正しい」という信念のもと、その返す刀で、「あなたはまちがっている」と、相手を切って捨て
る。

 こうした急進性、ごう慢性、狂信性は、そもそも釈迦が説く「中正」とは、異質のものである。と
くに原理主義にこだわり、コチコチの頭になっている人ほど、注意したらよい。

(はやし浩司 八正道 精進 正精進)

【補足】

 子どもの教育について言えば、いかにすれば、考えることが好きな子どもにするかが、一つ
の重要なポイントということになる。要するに「考えることを楽しむ子ども」にすればよい。

++++++++++++++++++

 話をもとにもどす。

 あのサルトルは、「自由」の追求の中で、最後は、「無の概念」という言葉を使って、自由であ
ることの限界、つまり死の克服を考えた。

 この考え方は、最終的には、原始仏教で説く、釈迦の教えと一致するところである。私はここ
に、東洋哲学と西洋近代哲学の集合を見る。

 そのサルトルの「無の概念」について書いた原稿が、つぎのものである。

++++++++++++++++++

【自由であること】

+++++++++++++++++

自由であることは、よいことばかりで

はない。

自由であるということは、まさに自ら

に由(よ)って、生きること。

その(生きること)にすべての責任を

負わねばならない。

それは、「刑」というに、ふさわしい。

あのサルトルも、「自由刑」という言葉

を使って、それを説明した。

+++++++++++++++++

 私は私らしく生きる。……結構。

 あるがままの私を、あるがままにさらけ出して、あるがままに生きる。……結構。

 しかしその自由には、いつも代償がともなう。「苦しみ」という代償である。自由とは、『自らに
由(よ)る』という意味。わかりやすく言えば、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をとるとい
う意味。

 毎日が、難解な数学の問題を解きながら、生きるようなもの。

 話はそれるが、そういう意味では、K国の人たちは、気が楽だろうなと思う。明けても暮れて
も、「将軍様」「将軍様」と、それだけを考えていればよい。「自由がないから、さぞかし、つらい
だろうな」と心配するのは、日本人だけ。自由の国に住んでいる、私たち日本人だけ。(日本人
も、本当に自由かと問われれば、そうでないような気もするが……。)

 そういう「苦しみ」を、サルトル(ジャン・ポール・サルトル、ノーベル文学賞受賞者・1905〜1
980)は、「自由刑」という言葉を使って、説明した。

 そう、それはまさに「刑」というにふさわしい。人間が人間になったとき、その瞬間から、人間
は、その「苦しみ」を背負ったことになる。

 そこで、サルトルは、「自由からの逃走」という言葉まで、考えた。わかりやすく言えば、自ら
自由を放棄して、自由でない世界に身を寄せることをいう。よい例として、何かの狂信的なカル
ト教団に身を寄せることがある。

 ある日、突然、それまで平凡な暮らしをしていた家庭の主婦が、カルト教団に入信するという
例は、少なくない。そしてその教団の指示に従って、修行をしたり、布教活動に出歩くようにな
る。

 傍(はた)から見ると、「たいへんな世界だな」と思うが、結構、本人たちは、それでハッピー。
ウソだと思うなら、布教活動をしながら通りをあるく人たちを見ればよい。みな、それぞれ、結
構楽しそうである。

 が、何といっても、「自由」であることの最大の代償と言えば、「死への恐怖」である。「私」をつ
きつめていくと、最後の最後のところでは、その「私」が、私でなくなってしまう。

 つまり、「私」は、「死」によって、すべてを奪われてしまう。いくら「私は私だ」と叫んだところ
で、死を前にしては、なすすべも、ない。わかりやすく言えば、その時点で、私たちは、死刑を
宣告され、死刑を執行される。

 そこで「自由」を考えたら、同時に、「いかにすれば、その死の恐怖から、自らを解放させるこ
とができるか」を考えなければならない。しかしそれこそ、超難解な数学の問題を解くようなも
の。

 こうしたたとえは正しくないかもしれないが、それは幼稚園児が、三角関数の微積分の問題
を解くようなものではないか。少なくとも、今の私には、それくらい、むずかしい問題のように思
える。

 決して不可能ではないのだろうが、つまりいつか、人間はこの問題に決着をつけるときがくる
だろが、それには、まだ、気が遠くなるほどの時間がかかるのではないか。個人の立場でいう
なら、200年や300年、寿命が延びたところで、どうしようもない。

 そこで多くの人たちは、宗教に身を寄せることで、つまりわかりやすく言えば、手っ取り早く
(失礼!)、この問題を解決しようとする。自由であることによる苦しみを考えたら、布教活動の
ために、朝から夜まで歩きつづけることなど、なんでもない。

 が、だからといって、決して、あきらめてはいけない。サルトルは、最後には、「無の概念」をも
って、この問題を解決しようとした。しかし「無の概念」とは何か? 私はこの問題を、学生時代
から、ずっと考えつづけてきたように思う。そしてそれが、私の「自由論」の、最大のネックにな
っていた。

 が、あるとき、そのヒントを手に入れた。

 それについて書いたのが、つぎの原稿(中日新聞投稿済み)です。字数を限られていたた
め、どこかぶっきらぼうな感じがする原稿ですが、読んでいただければ、うれしいです。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●真の自由を子どもに教えられるとき 

 私のような生き方をしているものにとっては、死は、恐怖以外の何ものでもない。

「私は自由だ」といくら叫んでも、そこには限界がある。死は、私からあらゆる自由を奪う。が、
もしその恐怖から逃れることができたら、私は真の自由を手にすることになる。しかしそれは可
能なのか……? その方法はあるのか……? 

一つのヒントだが、もし私から「私」をなくしてしまえば、ひょっとしたら私は、死の恐怖から、自
分を解放することができるかもしれない。自分の子育ての中で、私はこんな経験をした。

●無条件の愛

 息子の一人が、アメリカ人の女性と結婚することになったときのこと。息子とこんな会話をし
た。

息子「アメリカで就職したい」

私「いいだろ」

息子「結婚式はアメリカでしたい。アメリカのその地方では、花嫁の居住地で式をあげる習わし
になっている。結婚式には来てくれるか」

私「いいだろ」

息子「洗礼を受けてクリスチャンになる」

私「いいだろ」と。

その一つずつの段階で、私は「私の息子」というときの「私の」という意識を、グイグイと押し殺
さなければならなかった。苦しかった。つらかった。しかし次の会話のときは、さすがに私も声
が震えた。

息子「アメリカ国籍を取る」

私「……日本人をやめる、ということか……」

息子「そう……」、私「……いいだろ」と。

 

私は息子に妥協したのではない。息子をあきらめたのでもない。息子を信じ、愛するがゆえ
に、一人の人間として息子を許し、受け入れた。

英語には『無条件の愛』という言葉がある。私が感じたのは、まさにその愛だった。しかしその
愛を実感したとき、同時に私は、自分の心が抜けるほど軽くなったのを知った。

●息子に教えられたこと

 「私」を取り去るということは、自分を捨てることではない。生きることをやめることでもない。
「私」を取り去るということは、つまり身のまわりのありとあらゆる人やものを、許し、愛し、受け
入れるということ。

「私」があるから、死がこわい。が、「私」がなければ、死をこわがる理由などない。一文なしの
人は、どろぼうを恐れない。それと同じ理屈だ。

死がやってきたとき、「ああ、おいでになりましたか。では一緒に参りましょう」と言うことができ
る。そしてそれができれば、私は死を克服したことになる。真の自由を手に入れたことになる。

その境地に達することができるようになるかどうかは、今のところ自信はない。ないが、しかし
一つの目標にはなる。息子がそれを、私に教えてくれた。

Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

 くだらないことだが、この日本には、どうでもよいことについて、ギャーギャーと騒ぐ自由はあ
る。またそういう自由をもって、「自由」と誤解している。そういう人は多い。しかしそれはここで
いう「自由」ではない。

 自由とは、(私はこうあるべきだ)という(自己概念)と、(私はこうだ)という(現実自己)を一致
させながら、冒頭に書いたように、『私らしく、あるがままの私を、あるがままにさらけ出して、あ
るがままに生きる』ことをいう。

 だれにも命令されず、だれにも命令を受けず、自分で考え、自分で行動し、自分で責任をと
ることをいう。どこまでも研ぎすまされた「私」だけを見つめながら生きることをいう。

 しかしそれがいかにむずかしいことであるかは、今さら、ここに書くまでもない。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 自由
論 自由とは サルトル 無条件の愛 無私の愛 無の概念)






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19
●人がもつ悪魔性について

++++++++++++++++++

イギリスでは、『抑圧は悪魔を作る』という。
慢性的な抑圧状態がつづくと、ものの考え方が
悪魔的になることをいう。

ここでいう「抑圧状態」というのは、いわゆる
心が押し殺された状態をいう。
言いたいことも言えない。
したいこともできない。
不平や不満が押しつぶされ、心が石のようになる。
そういう状態をいう。

また「悪魔的」というのは、ズバリ、人間らしい心の崩壊をいう。
道徳の崩壊、倫理の崩壊につづいて、善悪感覚の
麻痺、心の温もりの消失、やさしさの欠落……とつづく。

で、ここが重要だが、一度、心の崩壊、つまり
心が壊れると、修復は、たいへんむずかしいということ。
私が知るかぎり、心が一度壊れた人が、そのあと、
再び人間らしい心を取り戻したという例はない。
何とかごまかして、それらしく取り繕う人はいるが、
基本的には、変わらない。

1920年代にあいついで見つかった、野生児を
例にあげるまでもない。

+++++++++++++++++++

●悪魔性

 「悪魔」とまではいかないにしても、「悪人」と呼ばれる人は多い。
しかし悪人といっても、心の問題だから、外からはわかりにくい。
「私は悪人です」というラベルを、張っているわけでもない。
さらにタチの悪いことに、このタイプの人ほど、仮面をかぶる。
(よい人)ぶる。

 だから私は、「悪魔」というよりは、「悪魔性」という言葉を使う。
「悪魔的」でもよい。
内に潜んで、外に顔を出さないから、「悪魔性」という。
その悪魔性は、ときとばあいに応じて、その人の心を裏から操る。

●反動形成

 この悪魔性は、0歳から4、5歳の幼児期前期までに作られると考えてよい。
それ以後も、『抑圧は悪魔を作る』という格言は正しいが、修復が不可能という
状態にはならない。
しかし0歳から4、5歳までに、一度この悪魔性が作られると、先にも書いたように、
以後、修復するのが、たいへんむずかしくなる。

 ひとつの例として、「嫉妬」をあげる。
たとえば下の子どもが生まれたとき、上の子どもが、赤ちゃん返りという症状を
示すことがある。

 ネチネチと赤ちゃんぽくなるのを、マイナス型とするなら、下の子どもに対して
暴力的になるのは、プラス型ということになる。
マイナス型とプラス型の両方を、あわせもつケースも少なくない。

 そのとき、上の子どもが、(よくできた、いい兄(姉))を演ずることがある。
これを心理学の世界では、「反動形成」という。
本当は下の子が憎くてしかたないのだが、その心を見抜かれると、自分の立場が
なくなる。
そこで上の子どもは、(いい兄(姉))という仮面をかぶることで、人の目をごまかす。

 こうした一連の反応は、本能的な部分で起こるため、本人にも仮面をかぶっている
という意識はない。
が、その裏で、上の子どもは、大きく心をゆがめる。
それがおとなになってからも、いろいろな形に姿を変えて、残る。

●欲求不満

 一般的に、長男、長女は、生活態度が防衛的になる。
「防衛的」というのは、ケチで、ため込み屋になりやすいということ。
嫉妬深く、用心深く、かつ疑り深い。

 親にすれば、「兄(姉)も弟(妹)も同じようにかわいがっています」ということ
になるが、兄(姉)にすれば、「同じように」という部分が、そもそも不満という
ことになる。
下の子どもが生まれるまでは、100%の愛情を受けていた。
それが下の子どもが生まれて、半分、あるいはそれ以下に減ってしまった。
それが不満ということになる。

 このばあいは、慢性的な愛情飢餓状態になる。

 言い忘れたが、「抑圧」といっても、2種類、ある。
外発的な抑圧(たとえば過干渉、過負担など)と、内発的な抑圧(愛情飢餓、
欲求不満)である。
どちらも子どもの心に対して、同じように作用する。

●ケチ

 この文章を読んでいる人で、長男、長女の人は多いと思う。
その中でも、ケチの人は、多いと思う。
ためこみ屋の人も、いる。
あのフロイトも、肛門期に、たとえば愛情飢餓の状態になると、ケチになりやすいと
説いている(※)。
しかしそういう人でも、その原因が、自分の乳幼児期にあると気がついている
人は少ない。
だいたい、自分がケチであるということにすら、気がついていない。

 たいてい長い時間をかけて、自分のケチを正当化してしまっている。
「私は倹約家だ」「質素こそ、生活の旨(むね)とすべき」「私は無駄づかいは
しない」と。
だからむしろ、「私はすばらしい人間」と思い込んでいる。
そしてそうでない人を、「浪費家」とか、「愚かな人」と、さげすんでいる。

 ため込み屋にしても、そうだ。
モノを捨てることができない。
そのため部屋中、家中、モノであふれかえることになる。
ひどくなると、ゴミまで、ため込むようになる。
もっともこの段階になると、心の病気がからんでくるため、単純に考えることは
できない。

 ともかくも、ケチな人は、自分がケチだとは思っていない。
その人がケチであるかないかは、そうでない人から見て、わかること。
自分では、わからない。
つまりそれくらい、自分を知ることは、むずかしい。
いわんや、悪魔性をや、ということになる。

●心の壊れた人

 以前、私にこんなことを話した人がいた。

 その人(男性、60歳くらい)は、車を運転しているとき、車をどこかの塀に
ぶつけたらしい。
そのため塀の一部というか、1メートル前後にわたって、大きく傷をつけてしまった。
それについて、その人は、得意げに、(「得意げに」だ)、こう言った。

 「林さん、あんなのいちいち謝りに行っていたら、かえって補修費を請求されるよ。
だからぼくはね、帰り道、わざと自分の車を、山の崖に当ててね、車に傷をつけた。
そうすれば、自分の車は、保険で直してもらえるからね」と。

 私が「それって、当て逃げになるのでは?」と言うと、その人は、こう言って
笑った。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、あの家は、バーさんのひとり暮らしだから」と。

 一見すると、あっけらかんとして、朗らかな人に見えるが、心が壊れた人というのは、
そういう人をいう。

●私のばあい

 その人を非難しているのではない。 
私も、あの戦後のどさくさの最中に生まれ育っている。
道徳観も倫理観も、希薄な時代だった。
みなが、心のより所を見失い、「マネー」「マネー」と言い始めた時代だった。
家庭教育の「カ」の字もない時代だったと言っても、過言ではない。
少なくとも、今という時代と比較すると、そうだった。

 だから道路でお金やモノを拾っても、それはすべて拾った子どものものになった。
「交番へ届ける」という発想そのものが、なかった。
ある時期などは、大きな磁石にヒモをつけ、それで川の中をさらって歩いたこともある。
それで鉄くずを集めて、鉄くず商へもっていくと、結構なお金になった。
父が一日かかって稼ぐ金額より多く、稼いだこともある。
もっとも、それは悪いことではなかったが……。

 実は、先に書いた、塀に当て逃げした男というのは、私の子ども時代からの
知人である。
同じ価値観を共有している。
つまり相手の男は、私もまた同じような人間だろうということで、その話をした。
事実そのとおりだから、反論のしようがない。
反論のしようがないから、今、私はそういう自分の中に潜む悪魔性と、懸命に
闘っている。
私も油断すれば、ふとあのころの自分に戻ってしまう。

小ずるくて、インチキ臭い。
ウソは平気でつく。
人をごまかしても、罪の意識が薄い。

それを「たくましさ」と誤解する人もいるかもしれないが、ほんとうのたくましさは、
生き様の中で試される。
逆境の中で、どう生きていくか。
その生き様の中で試される。
ずる賢い人のことを、「たくましい人」とは、言わない。

●『抑圧は悪魔を作る』

 ここに書いたことだけでも、乳幼児期の子どもの育て方が、いかに重要なもので
あるかが、わかってもらえたと思う。
内的抑圧にせよ、外的抑圧にせよ、『抑圧は、悪魔を作る』。
そしてその悪魔性は、生涯にわたってその人の心の奥深くに住み、その人の心を
裏から操る。

 こうした悪魔性の恐ろしいところは、その悪魔性そのものよりも、悪魔性に毒される
あまり、大切でないものを大切なものと思い込んだり、大切なものを大切なものでない
と思い込んだりするところにある。
つまり時間を無駄にする。
積もり積もって、わずかな利益と交換に、人生を棒に振る。

●終わりに・・・

 先ほどケチについて書いた。
ひょっとしたら、あなた自身のことかもしれない。
あるいはあなたの周囲にも、そういう人がいるかもしれない。
が、私が知っている人の中には、家族よりも金儲けのほうが大切と考えている人もいる。
妻や子どもですら、自分の金儲けの道具くらいにしか考えていない。
私たちから見ると、実に心のさみしい人ということになるが、しかしそういう人を
だれが笑うことができるだろうか。

 この世界で、抑圧を受けていない人はいない。
いつも心のどこかで、じっと、それに耐えている。
毎日が、抑圧との闘いであると言っても過言ではない。
そのため、多かれ少なかれ、悪魔性は、だれももっている。
悪魔性のない人は、いない。

 大切なことは、その悪魔性に気がつくこと。
つぎに大切なことは、その悪魔性に毒されないこと。
これは人生を有意義に生きるための、大鉄則と考えてよい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 抑圧 抑圧は悪魔を作る 悪魔性 悪魔的思考法 抑圧論 ケチ ケチ論 はや
し浩司 けち けち論)


Hiroshi Hayashi++++++++Nov. 09+++++++++はやし浩司

●ケチ論

 ケチと倹約については、たびたび書いてきた。

+++++++++++++++++++++

子どもの自慰とからめて、人間の心は
乳幼児期に作られることを、再確認してほしい。

+++++++++++++++++++++

【子どもの自慰】

●自慰

 子どものばあい、慢性的な欲求不満状態がつづいたり、慢性的な緊張感がつづいたりする
と、何らかの快感を得ることによって、それを代償的にまぎらわそうとする。代表的なものとし
て、指しゃぶり、髪いじり、鼻くそほりなどがある。

 毛布やボタンなどが手放せない子どももいる。指先で感ずる快感を得るためである。が、自
慰にまさる、快感はない。男児というより、女児に多い。このタイプの女児は、人目を気にする
ことなく、陰部を、ソファの角に押し当てたり、直接手でいじったりする。

 そこでこういう代償的行為が見られたら、その行為そのものを禁止するのではなく、その奥底
に潜む原因、つまり何が、慢性的な欲求不満状態なのか、あるいはなぜ子どもの心が緊張状
態にあるかをさぐる。そのほとんどは、愛情不足もしくは、愛情に対する飢餓感とみてよい。

 で、フロイトによれば、人間の行動の原点にある、性欲動という精神的エネルギー(リビドー)
は、年齢に応じて、体のある特定の部分に、局在するという。そしてその局在する部分に応じ
て、(1)口唇期(生後〜18か月)、(2)肛門期(1〜3歳)、(3)男根期(3〜6歳)、(4)潜伏期
(6〜12歳)、(5)性器期(12歳〜思春期)というように、段階的に発達するという。

 が、それぞれの段階に応じて、その精神的エネルギーがじょうずに解消されていかないと、そ
の子ども(おとな)は、それぞれ特有の問題を引きおこすとされる。こうした状態を「固着」とい
う。

 たとえば口唇期で固着を起こし、じょうずに精神的エネルギーを解消できないと、口唇愛的性
格、たとえば依存的、服従的、受動的な性格になるとされる。肛門期で固着を起こし、じょうず
に精神的エネルギーを解消できないと、肛門愛的性格、たとえば、まじめ、頑固、けち、倹約的
といった性格になるとされる(参考、「心理学用語」渋谷昌三ほか)。
 
●代償行為

 男根期の固着と、代償行為としての自慰行為は、どこか似ている。つまり男根期における性
的欲望の不完全燃焼が、自慰行為の引き金を引く。そういうふうに、考えられなくもない。少な
くとも、その間を分けるのは、むずかしい。

 たとえばたいへん強圧的な過程環境で育った子どもというのは、見た目には、おとなしくな
る。まわりの人たちからは、従順で、いい子(?)という評価を受けやすい。(反対に、きわめて
反抗的になり、見た感じでも粗雑化する子どもも、いる。よくある例は、上の兄(姉)が、ここで
いう、いい子(?)になり、下の弟(妹)が、粗雑化するケース。同じ環境であるにもかかわら
ず、一見、正反対の子どもになるのは、子ども自身がもつ生命力のちがいによる。強圧的な威
圧感にやりこめられてしまった子どもと、それをたくましくはね返した子どものちがいと考える
と、わかりやすい。)

 しかしその分だけ、どちらにせよ、コア・アイデンテティの発達が遅れ、個人化が遅れる。わ
かりやすく言えば、人格の(核)形成が遅れる。教える側からみると、何を考えているかわかり
にくい子どもということになる。が、それではすまない。

 子どもというのは、その年齢ごとに、ちょうど昆虫がカラを脱ぐようにして、成長する。このタイ
プの子どもは、反抗期にしても、反抗らしい反抗をしないまま、つぎのステップに進んでしまう。

 親によっては、そういう子どもほど、いい子(?)というレッテルを張ってしまう。そしてその返
す刀で、反抗的な子どもを、できの悪い子として、排斥してしまう。近所にそういう子どもがいた
りすると、「あの子とは遊んではダメ」と、遠ざけてしまう。

 こうした親のもつ子ども観が、その子どもを、ますますひ弱で、軟弱にしてしまう。中には、自
分の子どもをそういう子どもにしながら、「うちの息子ほど、できのいい息子はいない」と公言し
ている親さえいた。

 しかし問題は、そのあとにやってくる。何割のかの子どもは、そのまま、生涯にわたって、ひ
弱で、軟弱なまま、陰に隠れた人生を送ることになる。しかし大半の子どもは、たまったツケを
どっと払うかのように、さまざまな問題を起こすようになる。はげしい反抗となって現れるケース
も多い。ふつうの反抗ではない。それこそ、親に対して、包丁を投げつけるような反抗を、繰り
かえす。

 親は、「どうしてエ〜?」「小さいころは、あんないい子だったのにイ〜!」と悲鳴をあげる。し
かし子どもの成長としては、むしろそのほうが望ましい。脱ぎ方に問題があるとしても、そういう
形で、子どもはカラを脱ごうとする。その時期は、早ければ早いほどよい。

 反抗をしないならしないで、子どもの心は、大きく歪(ひず)む。世間を騒がすような凶悪事件
を起こした子どもについて、よく、近所に住む人たちが、「どちらかというと目立たない、静か
な、いい子でしたが……」と言うことがある。見た目にはそうかもしれないが、心の奥は、そうで
はなかったということになる。

●神経症

 話が大きく脱線したが、子ども自慰を考えるときは、こうした大きな視点からものを考える必
要がある。多くの親たちは、そうした理解もないまま、娘が自慰らしきことをすると父親が、息
子が自慰らしきことをすると母親が、あわてる。心配する。「今から、こんなことに興味があるよ
うでは、この先、どうなる!」「この先が、思いやられる」と。

 しかしその原因は、ここに書いてきたように、もっと別のところにある。幼児のばあい、性的好
奇心がその背景にあると考えるのは、まちがい。快感によって、脳内ホルモン(エンケファリン
系、エンドルフィン系)の分泌をうながし、脳内に蓄積された緊張感を緩和しようとすると考える
のが正しい。

 おとなでも、緊張感をほぐすため、自慰(オナニーやマスターベーション)をすることがある。

 だからもし子どもにそういう行為が見られたら、その行為そのものを問題にするのではなく、
なぜ、その子どもがそういう行為をするのか、その背景をさぐるのがよい。もっとはっきり言え
ば、子どもの自慰は、神経症、もしくは心身症のひとつとして対処する。

 自慰を禁止したり、抑えこんだりすれば、その歪みは、また別のところに現れる。たとえば指
しゃぶりを、きびしく禁止したりすると、チックが始まったり、夜尿症になったりする。そういうケ
ースは、たいへん多い。

 そういう意味でも、『子どもの心は風船玉』と覚えておくとよい、どこかで圧力を加えると、その
圧力は、別のところで、べつの歪みとなって現れる。

 子どもの自慰、もしくは自慰的行為については、暖かく無視する。それを強く叱ったりすると、
今度は、「性」に対して、歪んだ意識をもつようになることもある。罪悪感や陰湿感をもつことも
ある。この時期に、一度、そういう歪んだ意識をもつようになると、それを是正すのも、これまた
たいへんな作業となる。
(はやし浩司 自慰 子供の自慰 オナニー 神経症 心身症 子どもの自慰 
はやし浩司 固着 口唇期 肛門期 男根期 子供の心理 心の歪み)

【補足】

 歪んだ性意識がどういうものであるか。恐らく、……というより、日本人のほとんどは、気づい
ていないのではないか。私自身も、歪んだ性意識をもっている。あなたも、みんな、だ。

 こうした性意識というのは、日本の外から日本人を見てはじめて、それだとわかる。たとえば
最近でも、こんなことがあった。

 私の家にホームステイしたオーストラリア人夫婦が、日本のどこかへ旅行をしてきた。その旅
先でのこと。どこかの旅館に泊まったらしい。その旅館について、友人の妻たち(2人)は、こう
言った。「混浴の風呂に入ってきた」と。
 
 さりげなく、堂々と、そう言う。で、私のほうが驚いて、「へえ、そんなこと、よくできましたね。恥
ずかしくありませんでしたか」と聞くと、反対に質問をされてしまった。「ヒロシ、どうして恥ずかし
がらねばならないの」と。

 フィンランドでは、男も女も、老いも若きも、サウナ風呂に入るのは、みな、混浴だという。た
またまそのオーストラリア夫婦の娘の1人が、建築学の勉強で、そのフィンランドに留学してい
た。「娘も、毎日、サウナ風呂を楽しんでいる」と。

 こうした意識というのは、日本に生まれ育った日本人には、想像もつかないものといってもよ
い。が、反対に、イスラムの国から来た人にとっては、日本の女性たちの服装は、想像もつか
ないものらしい。とくに、タバコを吸う女性は、想像もつかないらしい。(タバコと性意識とは関係
ないが……。)

 タバコを吸っている若い女性を見ると、パキスタン人にせよ、トルコ人にせよ、みな、目を白
黒させて驚く。いわんや、肌を露出して歩く女性をや!

 性意識というのは、そういうもの。私たちがもっている性意識というのは、この国の中で、この
国の常識として作られたものである。で、その常識が、本当に常識であるかということになる
と、そのほとんどは、疑ってかかってみてよい。

 だいたいにおいて、男と女が、こうまで区別され、差別される国は、そうはない。今度の女性
天皇の問題にしても、そうだ。そうした区別や差別が、世界の常識ではないということ。「伝統」
という言葉で、ごまかすことは許されない。まず、日本人の私たちが、それを知るべきではない
だろうか。

 こう考えていくと、自慰の問題など、何でもない。指しゃぶりや髪いじりと、どこもちがわない。
たまたまいじる場所が、性器という部分であるために、問題となるだけ。……なりやすいだけ。
そういうふうに考えて、対処する。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 はやし浩司 自慰 子供の自慰 自慰行為 オナニー)

Hiroshi Hayashi++++++++Nov.09+++++++++はやし浩司

【私を知る】

●ためこみ屋(ケチ)

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数日前、「ためこみ屋」と呼ばれる人について書いた。
どんどんと、自分の身のまわりに、ものをためこむ人をいう。
「ためこみ屋」というのは、私が考えた言葉ではない。
心理学の本にも出ている。
ちゃんとした言葉(?)である。
時に家中を、ものだらけにしてしまう。
ひどくなると、家の中や外を、ごみの山にしてしまう。

一般的に、ためこみ屋は、ケチである。
ためこみ屋、イコール、ケチ、ケチ、イコール、ためこみ屋と考えてよい。
が、一方的にケチかというと、そうでもない。
ときに突発的に寛大になることがある。
雰囲気にのまれて、大金を無駄にはたいたりする。
こうした現象は、排便論で説明される。

フロイト学説によれば、2〜4歳の肛門期に、何かの問題があって、
そうなるという。
つまり乳幼児にとっては、便は(財産)。
その便をためるという行為が、ものをためるという行為につながる。
しかし同時に、排便の快感も味わう。
それが(突発的に寛大になる)という行為につながる。

もう少し詳しく説明すると、こうなる。
肛門期に、(1)親にきびしい排便のしつけがされた、(2)排便にたいして適切な
指導を受けなかった、(3)排便について、何らかのトラウマができた。
排便だけではない。

とくに注意したいのが、愛情問題。
たとえば下の子どもが生まれたりして、上の子どもが、愛情飢餓状態に
なることがある。
親は「平等にかわいがっています」と言うが、上の子どもにしてみれば、
それまであった(愛情)が、半分に減ったことが不満なのだ。
赤ちゃん返りは、こうして起きる。

そういう経験をした子ども(人)は、生活態度が、防衛的になる。
長男、長女がケチになりやすいという現象は、こうして説明される。

が、こうした現象を知ることによって、私たちは私の中の(私)を
知る手がかりを得ることができる。
あるいはそのヒントを得ることができるようになる。
ここでは、それについて考えてみたい。

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●私の知人

私は基本的には、ケチではない。
自分で自分をケチと思ったことはない。
しかしそんな私でも、ときどき落ち込んでいるようなとき、パッと
ものを衝動買いすることがある。
とたん、気分がスカッとする。
反対に、ものを衝動買いすることによって、ストレスを発散させることもある。
これも言うなれば、肛門期の名残(なごり)ということになる。

が、それが病的な状態にまで進んでしまうことがある。
だれがみても、(ふつうでないという状態)になることがある。
それがここでいう「ためこみ屋」ということになる。

私の知人に、こんな人(50歳くらい)がいる。
ケチの上に、「超」がつくような人である。
娘が結婚したが、その引き出物として、100円ショップで買ってきた
家庭用品を5〜6個ずつ、箱に入れて渡していた。
(100円ジョップの商品だぞ!)

もちろん小銭に、うるさかった。
小さな菓子屋を経営していたが、妻などは、家政婦くらいにしか
考えていなかった。
すべての行為が、(金儲け)につながっていた。
またそういう目的のために、結婚したようなもの。
妻を使ったというより、こき使った。
そのため妻はやがて、うつ病になり、自殺未遂まで起こしている。

が、悲しいかな、それでその知人が、自分の愚かさに気づいたというわけではない。
妻は1か月ほど入院したのだが、入院費がもったいないという理由で、その知人は、
無理に退院させてしまった。

そのあとのことは知らないが、人づてに聞いたところでは、その知人はケチはケチだが、
ためこみ屋ではないとのこと。
家の中も、それなりに整頓されているとのこと。
しかしそれには、妻の努力があったようだ。
妻が、きれい好きだったということか。
加えてケチが転じて、その知人は、守銭奴になった。
何しろ子どもの学費すら、「もったいない」と言って、ケチったという。

これはあくまでも一般論だが、ためこみ屋の人は、ものを失うことに、強迫観念を
もっていると考えられる。
あるいは時間に対して、異常なまでに執着し、そのため生活そのものが時刻表的
になることが多い。
これは乳幼児期における、神経質な排便指導が原因と言われている。

●人は人

もっともそれでその知人がそれでよいというのなら、それでよい。
私のような他人が、とやかく言ってはならない。
またそんなことをすれば、それこそ、内政干渉。
しかしその知人は、私たちに大切な教訓を与えている。
つまり(私の中の私)である。

ためしにその知人に、こう言ってみたらどうだろうか。
「あなたはあなたですか? 
あなたはあなたの中の、あなたでない部分に
操られているとは思いませんか?」と。

その知人は、まちがいなく、その質問に猛反発するにちがいない。
「私は私だ。私のことは、私がいちばんよく知っている」と。

しかしそうでないことは、ここまで読んでくれた人にはわかるはず。
その知人もまた、(私であって私でない部分)に操られているだけ。
原因はわからないが、いろいろ考えられる。

その知人は、4人いる兄弟姉妹の長男。
昔からの菓子屋。
父親は、道楽三昧(ざんまい)の遊び人だった。
母親は、近所でも有名なほど、勝気な人だった。
そのため長男のしつけには、ことさらきびしかったようだ。
そういう家庭環境の中で、その知人は、その知人のようになった。

言い換えると、自分を知ることは、それほどまでに難しいということ。
しかし知ろうと思えば、知ることは、けっして不可能ではないということ。

●そこで(私)

もしこの文章を読んでいる(あなた)が、ここでいう「ためこみ屋」で、
ケチであるなら、(つまりそういう症状が出ているなら)、一度、自分の心の中を
のぞいてみるとよい。

あなたも、(私であって私でない部分)に気がつくはず。

そして……。

こうして(私)の中から、(私であって私でない部分)を、どんどんと取り除いて
いく。
ちょうどたまねぎの皮をむくように、だ。
そして最後に残った部分が、(私)ということになる。

ただそのとき、恐らくあなたは、(私)がほとんどないことを知るかもしれない。
(私)というのは、たまねぎにたとえるなら、たまねぎの中心部にある、細くて
糸のようなもの。
あるいはもっと小さいかもしれない。
つまりそれくらい、(私)というのは、頼りない。

●スズメはスズメ

だから、さらに……。
ためしに、庭に遊ぶスズメを見てみたらよい。
スズメたちは、恐らく、「私は私」と思って行動しているつもりかもしれない。
しかし北海道のスズメも、沖縄のスズメも、スズメはスズメ。
どこかで連携しているというわけでもないのに、まったく同じような行動パターンで、
同じように行動している。
もちろんどこかで共通の教育を受けたということでもない。
が、同じ。
私たち人間から見れば、同じ。
つまり(私)というものが、どこにもない。

同じように、アメリカ人も日本人も、人間は人間。
それぞれ「私は私」と思って行動しているが、視点を変えれば、まったく同じような
行動パターンで、同じように行動している。

スズメの中に(私)がないように、実は、私の中にも、(私)というのは、ほとんどない。
「まったくない」とは思わないが、ほとんど、ない。

●ある生徒

たとえばケチな人は、ケチであるということに気がつくか、どうか?
少し話はそれるが、私の生徒のことで、こんな経験をしたことがある。

ある生徒(高2男子)が、私にこう言った。
「生徒会の仕事をするようなヤツは、バカだ」と。
そこで私が理由をたずねると、こう言った。
「そんなことをしていたら、受験勉強ができなくなる」と。

私はその言葉を聞いて、しばらく考え込んでしまった。
たしかにその生徒の言っていることは正しい。
有名大学への進学を考えるなら、1時間でも、時間は惜しい。
生徒会の仕事をしていたら、勉強の時間が犠牲になる。
それはわかる。
しかしその生徒は、受験勉強という、もっと言えば、受験制度の中で、
踊らされているだけ。
もちろんその生徒は、それには気づいていない。
「私は私」と思って、自分で考え、自分で行動している。

さらに言えば、ではその生徒は、何のために勉強しているのか。
何のために高校へ通っているのか。
そういうことまで考えてしまう。

つまりこうした疑問は、そっくりそのままケチな人についても言える。
その知人は、何のためにお金をためているのか。
何のために生きているのか。
そういうことまで考えてしまう。

●私を知る

ではどうすれば、その知人は、どうして自分がそうであることを知ることができるか。
その方法はあるのか。
その知人のことを心配して、こう書いているのではない。
その知人は、その知人でよい。
しかしそれを考えることによって、私たちは自分を知る手がかりを得ることができる。
そのために、その方法を考える。

まず、その知人は、自分がケチであることを知らねばならない。
これが第一の関門。
しかし実際には、そういう人にかぎって、自分がケチとは思っていない。
「自分は堅実な人物」とか、「他人は浪費家」と思っている。
人生観、さらには哲学まで、その上に、作りあげてしまう。
さらに『類は友を呼ぶ』の諺(ことわざ)どおり、そういう人たちはそういう人たちで、
ひとつのグループを作ってしまう。

だからますます「私」がわからなくなってしまう。

言い換えると、私たち自身も、実は同じことをしているのに気がつく。
(私であって私でない部分)が中心にあって、そのまわりを、たまねぎの皮のような
ものが、つぎつぎと重なっている。
そしてつきあう相手も、自分にとって居心地のよい人を選ぶ。
たとえば冒頭に書いたように、私自身はケチではないから、ケチな人間が好きではない。
ケチケチした人のそばにいるだけで、息苦しさを覚えることもある。

しかしそれは本当の(私)なのか?

ケチに気づくことも難しいが、自分がケチでないことに気づくのも難しい。
どちらであるにせよ、どちらがよいということにもならない。
先の高校生について言うなら、現代という社会は、そのほうが、生きやすい。
たしかに「生徒会などをしているヤツは、バカだ」ということになる。

●作られる(私)

で、そういう自分であることに気がついたとする。
つぎに私たちは、いつ、どこで、どのようにしてそういう(私)ができたか、
それを知る。
これが第二の関門。

私はそのためには、精進(しょうじん)あるのみ、と考える。
昨日の私より、今日の私を賢くすることしか、方法はない。
人は、より賢くなって、それまでの自分が愚かだったことを知る。

専門家に相談するという方法もあるかもしれないが、そのレベルまで到達した
専門家をさがすのは、たいへん難しい。
へたをすれば、どこかのカルト教団の餌食(えじき)になるだけ。
占いや、占星術、さらにはスピリチュアルなどというわけのわからないものを、
押しつけられるだけ。

そこで精進。
つねに勉強し、つねに視野を広める。
手っ取り早い方法としては、心理学や哲学を学ぶという方法もある。
が、何よりも大切なことは、自分で考えるということ。
考える習慣を身につけること。
その習慣が、やがて(私)の発見へとつながっていく。

●(私)を知るメリット

もっとも(私)を知ったところで、それがどうした?、と考える人もいるかも
しれない。
(私)を知ったところで、直接、何らかの利益につながるというわけではない。
しかし(私)を知ることによって、私たちは、そこに生きる意味を見出すことができる。
それがわからなければ、反対に、もう一度、庭に遊ぶスズメたちを思い浮かべて
みればよい。

スズメはスズメ。
同じように、人間は人間。
もしそうなら、私たちはスズメと、どこもちがわないということになってしまう。
言い換えると、私たちは(私)を知ることによってのみ、生きる意味そのものを
知ることができる。
そこに生きる意味を見出すことができる。
(私)があって、私たちははじめて、生きることになる。
その実感を手に入れることになる。
そしてそれがわかれば、まさに『朝に知れば、夕べに死すも可なり』ということになる。
「朝に真理を発見できれば、夕方に死んでも悔いはない」という意味である。
もっと言えば、無益に100年生きるより、有益に1日を生きたほうが、よいという
意味である。

(私)を知るということは、そういうことをいう。

●再び、「ためこみ屋」

「ためこみ屋」の人にしても、「ケチ」と周囲の人にうわさされるほどの人にしても、
何らかの心のキズをもった人と考えてよい。
またそう考えることによってのみ、そういう人たちを理解することができる。
(あえて理解してやる必要はないのかもしれないが……。)

しかし先にも書いたように、あなたや私にしても、みな、何らかのキズをもっている。
キズをもっていない人は、いない。
ぜったいに、いない。

大切なことは、まずそのキズに気がつくこと。
そうでないと、あなたにしても、私にしても、いつまでもそのキズに振り回される
ことになる。
同じことを繰り返しながら、繰り返しているという意識すらない。
ないまま、また同じことを繰り返す。

しかしそれこそ、貴重な人生、なかんずく(命)を無駄にしていることになる。

(はやし浩司 Hiroshi Hayashi 林浩司 教育 子育て 育児 評論 ためこみ屋 ケチ
ケチ論 肛門期 フロイト はやし浩司 私論 私を知る)
(09年1月19日記)

Hiroshi Hayashi++++はやし浩司

●富めるときは貧しく……

++++++++++++++++++++

今の若い夫婦を見ていて、かなり前から
ハラハラしていたことがある。
どの夫婦も、目いっぱいの生活をしている。
仮に給料が30万円あったとする。
すると30万円、ギリギリの生活をしている。

今の若い夫婦は、貧しい時代を知らない。
知らないから、日本は昔から豊かで、
またこの豊かさは、いつまでもつづくと思っている。

しかし今回の大不況で、それが土台から、崩れ去った。
つまり若い夫婦がもっている常識が、土台から
崩れ去った。

+++++++++++++++++++++

私たち団塊の世代は、極貧の時代から、世界でも類を見ないほど豊かな時代へと、
言うなれば、地獄と天国を、両方経験している。
その(坂)を知っている。

が、今の若い夫婦は、それを知らない。
「すべてのものが、あるのが当たり前」という生活をしている。
結婚当初から、自動車や電気製品にいたるまで、すべて、だ。
そのため、いつも目いっぱいの生活をしている。
30万円の給料があったとすると、30万円ギリギリの生活をしている。
大型の自動車を買い、子どもを幼稚園に預けながら、それを当然の
ことのように考えている。

そういう意味で、貧しい時代を知らない人は、かわいそうだ。
そこにある(豊かさ)に気がつかない。

私たちの時代など参考にならないかもしれないが、あえて書く。

私たち夫婦も、自動車を買った。
HONDAの軽。
水色の中古車だった。
それでもうれしかった。

つぎにアパートに移り住んだ。
そこでのトイレは、水洗だった。
それまでは、部屋の間借り。
ボットン便所だった。
トイレの水を流しながら、においのしないトイレに感動した。

幼稚園にしても、当時は約5%の子どもは、通っていなかった。
2年保育がやっと主流になりつつあった。
たいていは1年保育。

さらにクーラーがある。
数年前、あまりの暑さに耐えかねて、私の家にもクーラーをつけた。
しかし使ったのは、ほんの一か月足らず。
かえって体調を崩してしまった。

が、今ではそういう(貧しさ)そのものが、どこかへ行ってしまった。
今の若い夫婦は、この日本は昔から豊かで、そしてこの豊かさは、いつまでも
つづくものと思い込んでいる。
しかしそれはどうか?

私たちは(坂)を知っている。
貧しい時代からの豊かな時代への(坂)である。
その(坂)には、上り坂もあれば、下り坂もある。
だから下り坂があっても、私は驚かない。
またその覚悟は、いつもできている。
「できている」というよりは、豊かな生活を見ながら、その向こうにいつも、あの
貧しい時代を見ている。

が、今度の大不況で、その土台が、ひっくり返った。
崩れた。
これから先のことはわからないが、へたをすれば、10年単位の、長い下り坂が
つづくかもしれない。
が、私が心配するのは、そのことではない。
こういう長い下り坂に、今の若い夫婦が、耐えられるかどうかということ。
何しろ、(あるのが当たり前)という生活をしている。
もしだれかが、「明日から、ボットン便所の部屋に移ってください」と言ったら、
今の若い夫婦は、それに耐えられえるだろうか。
「大型の車はあきらめて、中古の軽にしてください」でもよい。
「幼稚園は、1年保育にしてください」でもよい。

悶々とした閉塞感。
悶々とした不満感。
悶々とした貧困感。

これからの若い夫婦は、それにじっと耐えなければならない。

……と書くと、こう反論する人がいるかもしれない。
「それがわかっていたなら、どうしてもっと早く、言ってくれなかったのか」と。

実は、私たちの世代は、常に、若い夫婦に対して、そう警告してきた。
聞く耳をもたなかったのは、若い夫婦、あなたがた自身である。
スキーへ行くときも、そこから帰ってくるときも、道具は宅配便で運んでいた。
それに対して、「ぜいたくなことをするな」と言っても、あなたがたは、こう言った。
「今では、みな、そうしている」と。

スキーを楽しむということ自体、私たちの世代には、夢のような話だった。
しかしそれが、原点。
もっとわかりやすく言えば、生活の基盤。
今の若い夫婦は、スキーができるという喜びすら、知らない。
さらに言えば、私たちの世代は、稼いだお金にしても、そのうちの何割かは、
実家に仕送りをしていた。
私のばあいは、50%も、仕送りをしていた。

が、今、そんなことをしている若い夫婦が、どこにいる?
むしろ生活費を、実家に援助してもらっている(?)。

この愚かさにまず気がつくこと。
それがこれからの時代を生きる知恵ということになる。

『豊かな時代には、貧しく生きる』。
これが人生の大鉄則である。
同時に、こうも言える。
『貧しい時代には、豊かに生きる』。

「豊か」といっても、お金を使えということではない。
「心の豊かさ」をいう。
その方法が、ないわけではない。
この大不況を逆に利用して、つまり自分自身を見直す好機と考える。
その心の豊かさを、もう一度、考え直してみる。

偉そうなことを書いたので、不愉快に思っている人もいるかもしれない。
しかし私は、心底、そう思う。
そう思うから、このエッセーを書いた。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 豊か
な時代 貧しい時代 豊かさの中の貧しさ 貧しさの中の豊かさ)

Hiroshi Hayashi++++++++FEB09++++++++++はやし浩司

●貧しさの中の豊かさ

++++++++++++++++++

貧しいのに、損をしたことがないという人がいる。
損をすることに、たいへん警戒心が強い。
それこそビタ一文、他人のためには、出さない。
いや、出すこともあるが、いつも計算づく。
他人の目を意識したもの。
しかし小銭は出しても、いつもそこまで。
ケチはケチだが、自分ではケチとは思っていない。
「私は金がない」「私は賢い節約家」を口癖にする。

このタイプの人は、住む世界も小さいが、
それ以上に、心も狭い。
会って話をしていても、息苦しさを感ずるほど。

++++++++++++++++++

フロイト学説によれば、2〜4歳の肛門期に何か問題があると、ためこみ屋、
守銭奴、さらにはここでいうケチになりやすいという。
生活態度が防衛的で、その分だけ、自分の小さな世界に閉じこもりやすい。

一方、人は、損をし、その損を乗り越えることで、自分の住む世界を大きく
することができる。
損をする……というよりは、損得を考えないで行動する。
できれば無私無欲で行動する。

そのもっともよい例が、ボランティア活動ということになる。
ためしにあなたの近くで、ボランティア活動を進んでしている人がいたら、
その人と話してみるとよい。
そうでない人には感じない、心の広さを感ずるはず。

たとえば私の近所に、MRさんという女性がいる。
年齢は50歳くらい。
折につけ、ボランティア活動ばかりしている。
そのMRさんの家へ行くと、いつもスイスから来た夫婦がきている。
親類ではない。
親類ではないが、MRさんは、その夫婦の子ども(幼児2人)のめんどうをみている。
無料というより、その夫婦の親になりきって、めんどうをみている。
ことの発端は、スイスから来た夫婦の妻が、病気になったことだそうだ。
それが縁でたがいに行ったり、来たりするようになった。
今ではスイスから来た夫婦が、MRさんの家に住みついたような形になっている。

ほかに自宅を外国人に開放し、個展を開いてやったりしたこともある。

ほかに休みになると、外国まで行って、着物の着付けのしかたを指導している。
ときにそれが数か月から半年単位になることもあるそうだ。
しばらく見かけないと思っていたら、「カナダに4か月、行ってきました」と。
平気な顔をして、そう言う。

そういう女性は、輝いている。
体の奥から、輝いている。

が、そうでない人も、多い。
こうして書くのもつらいほど、住んでいる世界が小さく、超の上に「超」がつくケチ。
息がつまるほど、ケチ。

ケチといっても、何もお金の問題だけではない。
自分の時間や、体力を使うことにも、ケチ。
損になることは、何もしない。
まったく、しない。

が、そういう人ほど、外の世界では、妙に寛大ぶったりする。
反動形成というのである。
自分の心を見透かされないように、その反動として、反対の自分を演じてみせる。
が、もともと底が浅い。
浅いから、どこか軽薄な印象を与える。
一本の筋のとおった、哲学を感じない。

では、どうするか?

いつか私は、『損の哲学』について書いた。
損をするのは、たとえば金銭的な損であればなおさらそうだが、だれだって、避けたい。
そう願っている。
しかし損に損を重ねていると、やがてやけっぱちになってくる。
で、ここが重要だが、やけっぱちになったとき、それに押しつぶされるか、
それを乗り越えるかで、その人の人生観は、そのあと大きく変わってくる。

押しつぶされてしまえば、それだけの人。
しかし乗り越えれば、さらに大きな人になる。
そういう意味で、私は若いころ、Tという人物と知り合いになれたのを、
たいへん光栄に思っている。

いつかTについて詳しく書くこともあると思うが、ともかくも、あの人は、
損に損を重ねて、あそこまでの大人物になった。
何かあるたびに、「まあ、いいじゃねエか」と、ガラガラと笑っていた。

言い忘れたが、Tというのは、「xxx」と読む。
若い人たちは知らないかもしれない。
当時、日本を代表する大作家であった。
何度か原稿を書くのを横で見ていたが、一字一句、まるで活字のようなきれいな
文字を書いていた。

……というわけで、損をすることを恐れてはいけない。
大切なことは、その損を乗り越えること。
金銭的な損であれば、それをバネにして、さらに儲ければよい。
時間的な損であれば、その分だけ、睡眠時間を削ればよい。
体力については、それを使って損をするということは、ありえない。
ゴルフ場でコースを回る体力があったら、近所の雑草を刈ればよい。

こうして損を乗り越えていく。
が、それができない人は、自分の住む世界を、小さくしていくしかない。
つまらない、どこまでもつまらない人間になっていくしかない。

50代、60代になってくると、そのちがいが、よくわかるようになる。
その人の(差)となって、表に出てくるようになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司
損の美学 損論 損得論 ケチ けち ケチ論 フロイト 肛門期)
(09年2月記)







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20
●本物のケチ

++++++++++++++++

金銭的な面でのケチというのは、わかりやすい。
またふつう「ケチ」というときは、金銭的な面での
ケチをいう。
しかしどうも、それだけではないようだ。
「ケチな人」について、思いつくまま、まず、書いてみる。

++++++++++++++++

●ケチな人

自分の時間を、自分のためだけに使う人。

自分の時間を、自分の欲望を満足させるためだけに使う人。

自分の心を、相手に分け与える余裕のない人。

自分の人生を、自分だけのために生きる人。

すべてを自分に引き寄せ、自分から逃れていく人を許さない人。

自分勝手でわがまま、他人の失敗を許さない人。

視野が狭く、欲望の虜(とりこ)になっている人。

自分の欲望を満足させるためにしか、頭を働かせない人。

相手に愛を求めながら、自分からは人に愛を与えない人。

愛されることだけを考え、人を愛することを考えない人。

自分の得だけを考え、相手に得をさせることを考えない人。

失うことを恐れ、ものを失うと、ギャーギャーと大騒ぎする人。

相手の欠点を指摘しても、自分の欠点を指摘されることを許さない人。

小さな欲望を内へ内へと引き寄せ、外に向かって、冒険しない人。

来年の100万円より、明日の1000円を、大切にする人。

他人の失敗を酒の肴にして笑っても、自分では何もしない人。

臆病で、自分の勇気を外の世界で試さない人。

わずかな財産にしがみつき、自分は成功者といばる人。

無難な道だけを歩き、その道を他人に歩かせない人。

無私、無欲の世界を、知らない人。

自分の才能や健康を、自分だけのために使う人。

心よりも、金、モノを大切にする人。

自分より劣っている人には尊大ぶっても、自分よりすぐれている人が理解できない人。

自分の欲望を満足させるためだけに、時間と才能を使う人。

他人の幸福をねたみ、それを邪魔する人。

心にやさしさがなく、損得計算でいつも心が緊張状態にある人。

●心のケチ

 いくつか箇条書きにしているうちに、同じような内容のことを書いた部分もある。
しかし冒頭にも書いたように、「ケチ」と言っても、けっしてお金だけの問題ではない。
最悪のケチは、「心のケチ」ということになる。

 この中でも、たとえば、つぎのものが、それ。

自分の心を、相手に分け与える余裕のない人。

すべてを自分に引き寄せ、自分から逃れていく人を許さない人。

相手に愛を求めながら、自分からは人に愛を与えない人。

 わかりやすく言えば、心に余裕がない。
いつも緊張しているというか、ピリピリしている。
一方、若いころ、こんな人に出会ったことがある。

 その男性(75歳くらい)は、若いころから、無精子症だったという。
それについて、「オレにはね、種(=精子)がないんだよね」と。
で、「いつからですか?」と聞くと、「もう20歳になるころには、なかったよ」と。

 が、そんなはずはない。
その男性には、息子さんがいた。
そこですかさず私が、その男性に、「だってあなたには、40歳になる息子さんが
いるではありませんか」と言うと、その男性は、カラカラと笑った。
笑いながら、何度も、「いいじゃ、ねエ〜カ、いいじゃ、ねエ〜カ」と言った。

●寛大さ

 ケチの反対側にあるのが、「寛大さ」ということになる。
お金でもない。
モノでもない。
心である。

 で、あのマザーテレサは、「愛」を人に、惜しみなく与えた人という。

"It is not how much we do, but how much love we put in the doing.
It is not how much we give, but how much love we put in the giving."
どれだけのことをしたかは、問題ではありません。
することについて、どれだけ愛を込めたかが大切なのです。
どれだけのものを与えたのかは、問題ではありません。
与えることに、どれだけの愛をこめたかが、大切なのです。

"I have found the paradox, that if you love until it hurts, there can be no more hurt, only 
more love".
私はパラドックスを発見しました。
もしあなたが苦しいほどまでに人を愛するのなら、もう苦しみはありません。
そこにあるのは、さらに深い愛です。

 これ以上のことは、書く必要はない。
書けない。
マザーテレサがすべてを、語ってくれた。

つまりどこまで、人を許し、忘れるか。
その度量の深さこそが、その人の寛大さを決める。

 卑俗な言い方で申し訳ないが、これでモヤモヤが消えた。
書きたいことを吐き出した。
今日は、すばらしい一日になりそう。

2009年11月29日早朝

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 マザーテレサ パラドックス 心のケチ論)







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21
【高学歴の条件(逆流的教育論)】

+++++++++++++++++

「高学歴」のもつ意味が、大きく変化
しつつある。
「高学歴者」イコール、「成功者」あるいは
「人格者」と考えるのは、今では幻想以外の
何物でもない。

が、高学歴への志向性がなくなったわけではない。
ここでは、どうすれば高学歴をめざせるのか
について考えると同時に、高学歴者のもつ
責務について、考えてみたい。

+++++++++++++++++

(1)環境
親の学歴(親の思考パターンが、世代連鎖する)
親の収入(高品質の教育を受けられる)(※1)
教育環境(地方よりも、都会のほうが有利)
育児環境(親の育児姿勢、育児観、教育観が影響する)

(2)能力
遺伝的要素(否定する人も多いが、実際には遺伝的要素は否定できない)

●高学歴者の問題点

(1)合理主義的なものの考え方(情感的なものの考え方ができない)
(2)自己中心的なニヒリズム(自分勝手で、他者の犠牲を過小評価する)
(3)点数主義(順位、成果、数字、成績に大きくこだわる)
(4)優越・劣等感覚(低学歴者に対して、優越感をもつ)
(5)社会性の欠落(家庭人としての常識の欠落) 

●権威主義の崩壊

(1)高学歴の意義の変化(EUに見る、大学の権威の崩壊)
(2)学歴から実力主義への転換。(「何ができるか」が評価される)
(3)教育制度の自由化(大学間の単位の共通化、入学後の学部学科の変更の自由など)
(4)その一方で、受験競争の低年齢化(小学受験、中学受験が、関門になっている)
(5)子どもたちの二極化(学力試験の形骸化とともに、学力の低下が指摘されている)
(6)新家族主義の台頭(2000年を境に、親たちの意識が大きく変化した)
(7)大卒から大学院卒への高学歴化(「大卒」程度では役にたたない)

●高学歴者を見る社会の変化

(1)学歴から専門評価へ(「何ができるか」が問題)
(2)人格評価の変化(AO入試の採用など)(※2)
(3)大卒後の各組織体による再教育制度の充実(とくに文系出身者)
(4)高学歴をありがたがる官僚制度(学歴制度温床の場としての官僚制度)

+++++++++++++++++++++++++

以下、順に、考察を加えてみたい。

+++++++++++++++++++++++++

(※1)【年収と学力】(Parent' s Income and their Children's Ability of Studying)

+++++++++++++++++++++

予想されてはいたことだが、平たく言えば、
金持ちの親の子どもほど、成績は総じてよいということ。
文科省は、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)
をもとに、このほど、そのような調査結果を公表した。

+++++++++++++++++++++

●年収200万円層

 時事通信(8月5日)は、以下のように伝える。
 
『年収が多い世帯ほど子供の学力も高い傾向にあることが、2008年度の小学6年生を対象
にした全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)を基に行われた文部科学省の委託研究で4
日、分かった。学力テストの結果を各家庭の経済力と結び付けて分析したのは初めて。

 委託研究では、5政令市にある公立小、100校を通じて、6年生約5800人の保護者から家
庭環境などのデータを新たに収集。個人名が分からないよう配慮した上で、学力テストの結果
と照合した。

 学力テストには、国語、算数ともに知識を問うA問題と活用力を試すB問題があるが、世帯年
収ごとに子供を分類すると、いずれも200万未満の平均正答率(%)が、最低だった。

 正答率は年収が多くなるにつれておおむね上昇し、1200万円以上1500万円未満だと、2
00万円未満より20ポイント程度高まった。ただ、1500万円以上では正答率が微減に転じ
た』(以上、原文のまま)と。

●数字の整理

 数字を整理してみる。

(1) 年収200万円未満の平均正答率が、最低だった。
(2) 年収が1200万円〜1500万円の層は、200万円未満の層より、20ポイント、高かっ
た。
(3) ただ1500万円以上では、正答率は、微減に転じた。
 
つまり金持ちの子どもほど、成績はよいということ。
しかし年収が1500万円を超えた層では、正答率が微減に転じた、と。
 
が、この調査ほど、納得がいくというか、矛盾を感じない調査はない。
年収1500万円以上の子どもたちの正答率が微減したということについても、
妙に納得がいく。
その分だけ、子どもがドラ息子しているとも解釈できる。
 
しかし親の年収で、子どもの学力に(差)が出るということは、本来は、あってならないこと。

しかし現実には、ある。
「金持ちの親の子どもほど、学力が高い」と。
が、ここで新たな疑問が生まれる。
親の年収と、子どもの学力を、そのまま関連づけてよいかという疑問である。

●学歴と親の年収

 それ以前の問題として、親の学歴と、親の年収との間には、明らかな相関関係がある。
学歴が高ければ高いほど、年収も高い。
言い換えると、このことから、親の学歴が高ければ高いほど、子どもの正答率も高くなると言え
なくもない。

(親の学歴が高い)→(年収が多い)→(子どもの正答率が高くなる)、と。
子どもは、いつも親の影響を受けながら、成長する。
つまり年収だけをみて、「親の年収が子どもの学力に影響を与える」と考えるのは、少し、
短絡的すぎるのではないのか?
(もちろん今回の調査では、そんなことは一言も述べていないが……。)

 つまりもっと正確には、(親の学歴が低い)→(その分だけ、家庭における知的環境レベルが
低い)→(子どもの知的学習能力も低くなる)→(正答率が低くなる)、ということではないのか。

 もし親の年収が子どもの学力に直接的に影響を与えるものがあるとするなら、塾などの学外
教育費用、あるいは学外教材費用の面である。
年収に余裕があればあるほど、子どもの学外教育に、親はお金をかけることができる。

●親の知的レベル

 「知的レベル」という言葉を使ったので、それについて補足。
 親の知的レベルが、子どもの知的レベルに大きな影響を与えるということは、常識と
考えてよい。

(ただし親の学歴が高いから、親の知的レベルが高いということにはならない。
反対に、親の学歴が低いから、親の知的レベルが低いというこにもならない。)

 「知的レベル」というのは、日々の生活の場で鍛錬されて、決まるもの。
学歴のあるなしは、それに影響を与えるという程度のものでしかない。
要するに、親のものの考え方次第ということ。
それが子どもに知的好奇心、問題の解決能力に大きな影響を与える。

●知的レベルの怖ろしく低い親

3、4年前のことだが、私はこんな場面に遭遇したことがある。
その家の長男(当時、35歳)に愛人ができ、離婚騒動がもちあがった。
そのときのこと。
その長男の父親は、一方的にどなり散らすだけ。
「テメエ、コノヤロー、オメーモ、男だろがア!」と。
 
 が、これでは会話にならない。
話し合いにもならない。
もちろん騒動は解決しない。
私はその父親の言葉を横で聞きながら、その父親のもつ知的レベルのあまりの
低さに驚いた。

 別のところで話を聞くと、その父親の趣味は、テレビで野球中継を見ること。
雨の日はパチンコ。
晴れの日は海釣り。
本や雑誌など、買ったこともなければ、読んだこともないという。
 
子どもに直接的に影響を与えるのは、親の知的レベルである。
学歴ではない。
年収ではない。

●ともあれ……

 ともあれ、(親の年収)と、(子どもの学力)との間に、相関関係があることは、
これで確認できた。

しかしこんなことは、何もあえて調査しなくても、わかりきったこと。
ゆいいつ意味があるとするなら、「20%」という数字が出されたこと。
要するに、平均点が20点ほど、低いということか。

 年収が1200〜1500万円の親の子どもの平均点が、80点とするなら、
200万円以下の親の子どもの平均点は、60点ということになる。
そうまで単純であるとは思わないが、かみくだいて言えば、そういうことになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林
浩司 BW 親の年収と子供の学力 親の知的レベルと子供の学力 子どもの学力調査 はや
し浩司 全国学力調査)

(付記)

 都会地域へ大学生を1人送ると、平均して、月額17万円前後の費用がかかる。
それを12倍すると、年額204万円。
つまり年収200万円以下の親の子どもが大学へ通うのは、事実上、不可能。
文科省の今回の調査では、「年収200万円以下」を問題にしているが、この数字そのものが、
少し極端すぎるのでは?

仮に年収100万円以下ということになれば、「家庭」そのものが、成り立たない。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(※2)●AO入試

+++++++++++++++++++++++++

アドミッション・オフィス入試、略して、「AO入試」。


 簡単に言えば、志願者のそれまでの経験や成績、
志望動機など、さまざまな側面を評価し、
合否を決める入試方法をいう。

 従来のペーパーテスト、面接試験から、
さらに1歩踏み込んだ入試方法ということになる。

 当初は、慶応義塾大学で試験的になされていたが、
それが昨年度(05)は、国交私立、合わせて、
400を超す大学で実施され、最近では、
一部の小中学校でも採用されるようになった。

+++++++++++++++++++++++++
●AO入試とは

 AO入試について、(Gakkou Net)のサイトには、つぎのようにある。

「大学の 入試形態の多様化は既に周知の事実ですが、その中でもここ数年、センター入試と
並んで多くの大学で導入されているのが、AO入試(アドミッションズ・オフィス入試)です。 

AO入試を初めて実施したのは慶応義塾大学の総合政策学部と環境情報学部で、1990年の
ことでした。99年度には13の私立大学が導入していただけのAO入試も、2001年度には、2
07大学と急増。その後もAO入試を実施する大学は、年々増加の一途をたどっています。

自己推薦制などに似た入試形態です。 学力では測れない個性豊かな人材を求めることを目
的としていて、学力よりも目的意識や熱意・意欲を重視しています。

入試までの一般的な流れは、(1)エントリーシートで出願意志を表明し、(2)入試事務局とやり
とりを行ってから正式に出願するといったもの。

選考方法は面談が最も多く、セミナー受講、レポート作成、研究発表といった個性豊かなもの
もあります。

出願・選抜方法、合格発表時期は大学によって様々で、夏休みのオープンキャンパスで事前
面談を行ったり、講義に参加したりする場合もあります。「どうしてもこの大学で学びたい」受験
生の熱意が届いて、従来の学力選抜では諦めなければならなかった大学に入学が許可され
たり、能力や適性に合った大学が選べるなど、メリットはたくさんあります。

ただし、「学力を問わないから」という安易な理由でこの方式を選んでしまうと、大学の授業に
ついていけなかったり、入学したものの学びたいことがなかったといったケースも考えられます
から、将来まで見据えた計画を立てて入試に望むことが必要です。

AO入試は、もともとアメリカで生まれた入試方法で、本来は選考の権限を持つ「アドミッション
ズ・オフィス」という機関が行う、経費削減と効率性を目的とした入試といわれています。 AOと
は(Admissions Office)の頭文字を取ったものです。

一方、日本では、実は現時点でAO入試の明確な定義がなく、各大学が独自のやり方で行って
いるというのが実情です。

しかし、学校長からの推薦を必要とせず、書類審査、面接、小論文などによって受験生の能
力・適性、目的意識、入学後の学習に対する意欲などを判定する、学力試験にかたよらない
新しい入試方法として、AO入試は注目すべき入試だということができるでしょう」(同サイトよ
り)。

●推薦制度とのちがい 

 従来の推薦入試制度とのちがいについては、つぎのように説明している。

「(1)自己推薦制などに似た入試形態です。 学力では測れない個性豊かな人材を求めること
を目的としていて、学力よりも目的意識や熱意・意欲を重視しています。

(2)高校の学校長の推薦が必要なく、大学が示す出願条件を満たせば、だれでも応募できる
「自己推薦制・公募推薦制」色の強い入試。選考では面接や面談が重視され、時間や日数を
かけてたっぷりと、しかも綿密に行われるものが多い。

(3)模擬授業グループ・ディスカッションといった独自の選抜が行われるなど、選抜方法に従来
の推薦入試にはない創意工夫がなされている。

(4)受験生側だけでなく、大学側からの積極的な働きかけで行われている

(5)なお、コミュニケーション入試、自己アピール入試などという名称の入試を行っている大学
がありますが、これらもAO入試の一種と考えていいでしょう」(同サイトより)。

●AO入試、3つのタイプ

大別して3つのタイプがあるとされる。選考は次のように行われているのが一般的のようであ
る。

「(1)論文入試タイプ……早稲田大学、同志社大学など難関校に多いタイプ。長い論文を課し
たり、出願時に2000〜3000字程度の志望理由書の提出を求めたりします。面接はそれを
もとに行い、受験生の人間性から学力に至るまで、綿密に判定。結果的に、学力の成績がモノ
をいう選抜型の入試となっています。

(2)予備面接タイプ(対話型)……正式の出願前に1〜2回の予備面接やインタビューを行うも
ので、日本型AO入試の主流になっています。 エントリー(AO入試への登録)や面談は大学主
催の説明会などで行われるのが通常です。エントリーの際は、志望理由や自己アピールを大
学指定の「エントリーシート」に記入して、提出することが多いようです。 このタイプの場合は、
大学と受験生双方の合意が大事にされ、学力面より受験生の入学意志の確認が重視されま
す。

(3)自己推薦タイプ……なお、コミュニケーション入試、自己アピール入試などという名称の入
試を行っている大学があるが、これらもAO入試の一種と考えていいでしょう」(同サイトより)。

 詳しくは、以下のサイトを参照のこと。
   http://www.gakkou.net/05word/daigaku/az_01.htm

 また文部科学省の統計によると、

 2003年度……337大学685学部
 2004年度……375大学802学部
 2005年度……401大学888学部が、このAO入試制度を活用しているという。

++++++++++++++++

 年々、AO入試方法を採用する大学が加速度的に増加していることからもわかるように、これ
からの入試方法は、全体としてAO入試方法に向かうものと予想される。

 知識よりも、思考力のある学生。
 ペーパーテストの成績よりも、人間性豊かな学生。
 目的意識をもった個性ある学生。

 AO入試には、そういった学生を選びたいという、大学側の意図が明確に現れている。ただ
現在は、試行錯誤の段階であり、たとえばそれをそのまま中学入試や高校入試に応用するこ
とについては、問題点がないわけではない。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 AO入
試 アドミッション・オフィス Admission Office 大学入試選抜)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(※3)【カナダの幼稚園】

++++++++++++++++

少し前まで、カナダで暮らして
おられた、GSさん(静岡市在住)から、
こんなメールが届きました。

そのまま紹介させていただきます。
カナダの幼稚園の様子がよくわかる、
たいへん興味深いメールです。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【GSさんより、はやし浩司へ】

カナダの幼稚園についての原稿ですが、もちろん引用してくださって構いません。 

カナダでの育児状況について、もし参考になるようでしたらと思い、もう少し、お話させ
ていただきます。

私も含め皆さんが、とても利用していたのが、フリー(無料)で行われる、『プレイグルー
プ』(確か州で運営)というものでした。

会場は、各地域にある大きなスーパーの2階です。そこが日本でいう公民館的な空間にな
っていて、大き目の会場とキッチン付きの部屋などもあり、そこで様々な集会、会議、講
習、お稽古などが催されています。

プレイグループは週2回、予約、会費なども一切なく、本当にフリーに出入りできるので、
人気がありました。ベテラン保母さん(たぶん退職されたであろう年齢の方々)が来てい
て、午前中の間開放されます。

その時間内、入りたいときに入り、出たいときに出るというやり方です。子どもだけ置い
ていっても構いませんが、親が一緒に入っているケースがほとんどです。(親がいない子ど
もは、数人いるかいないかという程度です。)それでも、定員を超えるとドアは閉められ、
誰かが抜けるまで、入れず、外で待ちます。 

お絵かき、粘土、パズル、玩具、絵の具、はさみ遊び等等、たくさんの物が用意されてい
て、どれでも好きな物で遊べます。最後に、みんなが円になり、絵本の時間と歌遊びがあ
って、最後までいた子ども達は先生からご褒美シールをもらって終了。

そのシールって好きなところに張ってくれるのだけれど、だいたい、手とか腕とかホッペ
とかでカワイイ(笑)です。

本当に産まれたばかりのような赤ちゃんから、(日本ではきっと外に連れ出さない程の月
齢)、PreSchoolの年齢の子までいます。 

そこで、玩具の貸し借り、順番、ケンカした時の対応などが、自然に意識することなく経
験できたように思います。 

1歳、2歳でもその環境で習得する力はすざましく、林先生の何かの原稿にあったように、
親、先生よりも周りにいる年上の子の真似事が一番の影響を持ちますね。

もちろん、様々な子ども達がいるし、人種も宗教も肌の色も本当に様々なはずですが、子
どもの世界はさほど変わりありません。先生達は特別な指導はなく、何かもめている子ど
ものところへ行っては解決させ、後は良くできているね!と褒めて歩いたり、相談を聞い
たりといった感じです。

息子は、そのプレイグループが大好きで、先生にもすっかり名前を覚えてもらい帰国前に
は涙してサヨナラして来た程でした。

公園の違いについて。

小さな幼児用の遊具と、大きい子用の遊具がしっかり分かれていました。
下は転んでもさほど問題のないように2〜3センチの木片や大鋸屑がひきつめられているか、
滑らないゴムのようなものになっていて、滑り台への階段も、1歳児がハイハイして登って
行けるほど、広く段差が低いものです。一か所の公園だけでのことではありません。

また、夏には幼児向けプールが開かれます。 だいたい遊具の近くの芝生の真ん中にあり
ます。

大きな円のプールで中心へむかい深くなっていて、一番深い所で大人の膝程度です。 な
ので端の浅い所では、1歳未満の子が水着で遊んでいたりする中、4〜5歳の子が大はしゃ
ぎで走り回るという感じです。週末は短パンで水に入りながら一緒に遊び、周囲の芝生で
ランチしている家族が多く見られます。

高校生のボランティアが監視役として必ず一人ついていて、時間になると水遊び用の玩具
をぶら下げながらやってきて、プール内を掃除して水をはります。決まった時間になると
笛をふき、全員プールから出し水の消毒にかかります。 

毎度、プールから全員上がらせるまでに時間がかかりますが、出てしまった後は、みんな、
まだかまだかと持参したフルーツやおやつを食べたりしながら、しっかり待っています。

以上、特に印象が強かった良い環境だなあと思った2点です。 

私は、妊娠6か月の時にカナダへ行き、親や友達は海外での出産と育児でとても大変だと
心配してもらいましたが、かえって日本よりとっても精神的にもリラックスできていた気
がしますし、子育てはむしろ日本よりもしやすい環境だったと感じています。

もちろん、出産は日本のようにいたれりつくせりではないし、身体的に問題が起きて大変
な思いもしたし、いわゆる子どもを預けてつかのまの休息というものは一切なかったので、
大変は大変でしたけど(笑)。 
だからといって、子どもと少し離れたい!、と思ったこともありませんが。

小学、中学、高校になると、スポーツ系のクラブが数多くあり所属している事が多いよう
です。夏は日が長いせいもあるのか、9時過ぎまでグランドで練習、試合をしている姿が
よく見られます。また、クラブ活動を通しての縦割りのボランティア活動も多いようです。 

女の子のチームも多くあります。ある中学生の子どもを持つ銀行員のお母さんは、やっと
の週末のお休みも、子どものクラブの活動で朝から大忙しだと話していました。でも、そ
の家族の時間も嬉しいと楽しんでいました。 

どちらにせよ、カナダでは、ハッキリと言えることは、家族で過ごす時間をとても大切に
しているというのが強いですよね。日本ではそうではないとは決して言えませんが、平均
的にそれに対する比重はとても違うように感じます。

なんだかまた長々と書いてしまいましたが、少しでも参考になれば幸いです。

【はやし浩司より、GSさんへ】

カナダの教育についての情報、ありがとうございました。
「幼稚園」と構えないで、「(無料の)プレイグループ」というのは、すばらしいですね。
保育時間も、親自身が決められるところも、すばらしいですね。

私の孫も、アメリカで、おおむねそのようなやり方で、少しずつ、集団教育に慣れていっ
たようです。
最初は、週に1、2回程度。
様子をみながら、回数をふやしていきました。

どうして日本では、そういうことをしないのか、不思議でなりません。
いきなり集団教育の場に子どもを放り込んで、それでよしとしています。
考えてみれば、これほど、乱暴な教育もないわけです。

またいろいろ教えてください。
イギリス→カナダは、さすが教育の先進国だけあって、日本とは、ちがいますね!

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist カナダ カナダの幼児教育
 カナダの教育事情 カナダの幼児教育 プレーグループ プレイグルー play group は
やし浩司 カナダ 幼児教育 幼稚園)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(※4)●教育の自由化

アメリカに限らず、オーストラリア、カナダ、ニュージーランドの小学校を訪れて驚くのは、その
「楽しさ」。まるでおもちゃ箱に入ったかのような錯覚にさえとらわれる。百聞は一見にしかず。
この写真は、アメリカ中南部の、ある公立小学校で撮影したもの。アメリカでは、ごく一般的な、
ふつうの学校とみてよい。

●アーカンソー州、アーカデルフィア、ルイサ・E・ぺリット・プライマリー・スクール。ブルー・リボ
ン賞受賞校。四歳児(年中)から七歳児(小一)までを教える。全校生徒三七五名。公立学校
だが、朝食代と昼食代など、必要実費が、週六〇ドル必要。
 
(写真ABC)は、小一クラス。一クラス二〇名。この日は、教師、大学からきたインターンの学
生、それに当番制で学校に手伝いに来ている母親の三名が、指導に当たっていた。写真右端
にあるのが、教師のデスク。教師のデスクは、それぞれの教室の内部にあり、日本でいう職員
室のような部屋はない。写真左端で床に座っているのが、当番制でやってきた、母親。奥のほ
うでマンツーマンの指導をしているのが教師。インターンの学生は、私と並んでいたので、この
写真には収まっていない。

(写真D)は、図書室の様子。アメリカでは、そして他の国々でも、図書室の充実が、学校教育
の柱になっている。たいていどこの学校にも、専門の司書がいて、子どもの読書指導にあたっ
ている。写真の女性は、ボランティアでやってきた母親。

(写真E)は、コンピュータ学習ルーム。この日は、四歳児が授業を受けていた。この学校で
は、四歳児からコンピュータの学習を実施している。ちなみにオーストラリアでも、すでに一五
年前から、コンピュータ学習は、小学三年生から必須科目になり、現在では、幼稚園レベルか
ら教育を行っている(南オーストラリア州)。

●アメリカの学校制度

 こうした公立、私立の学校のほか、アメリカには、チャータースクール(親たちが自ら教師を
雇い、学校そのものをチャーターする)、バウチャ(学校券)スクール(親に配布した学校券で、
学校を運営する)、さらにはホームスクール(学校へ通わないで、家庭で学習する)などの学校
がある。ホームスクールというと、日本では不登校児のための制度と誤解している人が多い
が、それはまちがい。九七年度にはアメリカだけで、ホームスクーラーは、一〇〇万人になり、
毎年約一五%程度の割合でふえている。「真に自由な教育は家庭でできる」(「LEARN IN F
REEDOM」)という理念のもと、この運動は、全世界的に拡大している。アメリカでは、親の希
望に応じて、公的な機関が、専門の教師やアドバイザーを、定期的に派遣するという制度も確
立している。また地域のホームスクールの親や子どもたちは、ひんぱんに会合を開き、合同で
教育活動も行っている。そして現在、世界で一〇〇〇以上もの大学が、ホームスクーラーの子
どもの受け入れ態勢を整えている(前述、L.I.F)。

●教育の自由化

 アメリカの学校では、公立、私立に限らず、カリキュラムの作成は、州政府のガイドラインに
従い、親と教師が、「カリキュラム作成委員会」の席で、決定している。日本でいう全国一律の
学習指導要領なようなものはない。(たとえば中学校レベルでも、三年間で所定の単位学習を
すませばよいことになっていて、一年生だから、一年の学習を、という拘束性はない。)また当
然のことながら、アメリカには、日本でいう「文部省検定済教科書」のようなものはない。検定制
度そのものがない。子どもたちが使っているのは、あくまでも「テキスト」である。よくテキストを
「教科書」と訳す人がいるが、欧米でいう「テキスト」と、日本の「教科書」とは、本質的にまったく
異質なものと考えてよい。

 ついでながら検定制度について、たとえばオーストラリアには、民間団体による検定委員会
はある。しかし検定する範囲は、過激な性的描写、暴力的表現に限られていて、特に「歴史的
分野」については、検定してはならないことになっている(南オーストラリア州)。
 欧米では、「教育の目標は、将来、多様な社会に、柔軟に適応できる子どもを育てること」(オ
ーストラリア)が柱になっている。アメリカでは行き過ぎた自由化が、一部で問題になっている部
分もあるが、しかしこうした自由な発想が、学校教育そのものをダイナミック

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 アメリカ 教育制度 実情 教育の自由化)

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

(※5)教育の自由化

【教育再生会議・中間報告原案】

++++++++++++++++++

06年の12月21日、教育再生会議の
中間報告会議の原案が、提示された。

「塾を禁止せよ」と提案した野依良治氏
(座長)。過激すぎるというか、現実離れ
しすぎているというか?

いろいろ提案がなされたようだが、本当
に、このメンバーの人たちは、教育の現
場を知っているのだろうかというのが、
私の率直な疑問。

案の定、教育再生会議の出した提案は、
ことごとく無視されている。

かろうじて通ったのは、(ゆとり教育の
見直し)だけ。

++++++++++++++++++

 06年の12月21日、教育再生会議の中間報告の原案が提示された。内容は、以下のような
もの。

(1) ゆとり教育の見直し
(2) 教員免許更新制
(3) 学校の第三者評価制度
(4) 教育委員会改革
(5) 大学9月入学

 このうち、安倍内閣の教育改革の意に合致したものは、(1)のゆとり教育の見直しだけ。
(2)の教員免許更新制については、検討中ということ。

 どこかわかりにくい中間報告の原案だが、私たちの視点で、もう一度、この原案なるものを、
検討してみたい。

●ダメ教員の問題

 どこの学校にも、ダメ教員と呼ばれる教員がいる。その数は、「不適格教師」と認定された教
師の10倍以上はいるとみてよい。

 しかしその基準が、イマイチ、はっきりしない。さらに40代、50代の教師となると、それぞれ
個性があり(?)、上からの指導になじまない。自分の指導法に自信をもっている教師も多い。
あるいは自分の指導法に、こだわる教師も多い。

 だからたとえばすでに文科省が、決めているように、10年ごとに30時間の講習を受けるな
どいう制度だけで、こうした教師の再教育ができると考えるほうが、無理。

 もっとも効率的な方法は、親や子ども自身に、(教師選択の自由)を与えること。「あの先生
に、うちの息子を教えてもらいたい」「私は、あの先生に教えてもらいたい」と。

 アメリカでは、こうした選択は、ごくふつうのこととして、すでになされている。「今年も、エリー
先生の教室で勉強したい」と、親や子どもが願えば、学年に関係なく、その教室で勉強できる
ようになっている。教育再生会議では、(3)学校の第三者評価制度をあげているが、これは教
育現場をまったく知らない、ド素人のたわごとと考えてよい。

 だれが、どうやって評価するのか? 具体性が、まったく、ない。

 ただ私立幼稚園のばあい、講演に招かれたりすると、その幼稚園がすぐれた幼稚園である
かどうかは、雰囲気でわかる。教師や子どもたちが、生き生きとしている。園長の個性が、あち
こちで光っている。

 しかしそれは、私立幼稚園という、教育の自由が許された環境でこそ、可能だということ。し
かも私立幼稚園は、常に、生き残りをかけて、壮絶な戦いというか、苦労を重ねている。

●美しい国づくり 

 提言の中に、「美しい国づくり」がある。大賛成である。が、どうして、「美しい国づくり」が、教
育と関係があるのか。

 あえて言葉を借りるなら、「国民全体の資質向上」(会議)ということになる。これにも大賛成
だが、では「美しい国」とは、どういう国をさすのか。

 外国から帰ってきて成田空港で電車に乗ったとたん、あまりの落差というか、醜さに、がく然
とすることがある。「これが私たちの国か」と思うことさえある。

 雑然と並んだ町並み。自分の家さえよければと、無理に増築に増築を重ねた家々。クモの巣
のように張りめぐされた電線。けばけばしい看板。標識の数々。入り組んだ道に、手あたりしだ
いにつけられたガードレールなどなど。

 その間にパチンコ屋があり、駐車場があり、軒をつらねて商店街がある。数日も住むと、今
度は日本の風景になじんでしまい、今度はその醜さがわからなくなる。が、日本という国は、基
本的な部分から、美的感覚を再構築しないと、決して「美しい国」にはならない。

 が、それは教育の問題ではない。社会の問題である。もっと言えば、日本人自身がもつ文化
性の問題ということになる。これだけ豊かな自然(木々の緑)に囲まれながら、その自然を生か
すことさえできないでいる。

 教育で、それを子どもに押しつけるような問題ではない。

●いじめを許さない

 提言では「いじめを許さない、安心して学べる規律のある教室」を歌っている。

 方法がないわけではない。現在のように、英・数・国・社・理にかぎるのではなく、科目数をふ
やせばよい。子どものもつニーズと多様性に合わせて、子どもたちにとって、好きなことを好き
なだけできるような環境を用意すればよい。

 好きなことを生き生きできる。そういう世界を用意してこそ、子どもはいじめを忘れることがで
きる。

 たとえばオーストラリアでは、中学1年レベルで、外国語にしても、ドイツ語、フランス語、イン
ドネシア語、中国語、日本語の5つから、選んで学習できるようになっている。芸術にしても、ド
ラマ(演劇)、絵画、工芸、音楽などが、それぞれ独立した科目になっている。

 以前書いた原稿を1作、紹介する(中日新聞掲載済み)。

+++++++++++++++++

【学校神話を打ち破る法】

常識が偏見になるとき 

●たまにはずる休みを……!

「たまには学校をズル休みさせて、動物園でも一緒に行ってきなさい」と私が言うと、たいてい
の人は目を白黒させて驚く。「何てことを言うのだ!」と。多分あなたもそうだろう。しかしそれこ
そ世界の非常識。あなたは明治の昔から、そう洗脳されているにすぎない。

アインシュタインは、かつてこう言った。「常識などというものは、その人が18歳のときにもった
偏見のかたまりである」と。子どもの教育を考えるときは、時にその常識を疑ってみる。たとえ
ば……。

●日本の常識は世界の非常識

★かねばならぬという常識……アメリカにはホームスクールという制度がある。親が教材一式
を自分で買い込み、親が自宅で子どもを教育するという制度である。希望すれば、州政府が家
庭教師を派遣してくれる。

日本では、不登校児のための制度と理解している人が多いが、それは誤解。アメリカだけでも
97年度には、ホームスクールの子どもが、100万人を超えた。毎年15%前後の割合でふ
え、2001年度末には200万人に達するだろうと言われている。

それを指導しているのが、「Learn in Freedom」(自由に学ぶ)という組織。「真に自由な教育は
家庭でこそできる」という理念がそこにある。

地域のホームスクーラーが合同で研修会を開いたり、遠足をしたりしている。またこの運動は
世界的な広がりをみせ、世界で約千もの大学が、こうした子どもの受け入れを表明している(L
IFレポートより)。

★おけいこ塾は悪であるという常識……ドイツでは、子どもたちは学校が終わると、クラブへ通
う。早い子どもは午後1時に、遅い子どもでも3時ごろには、学校を出る。

ドイツでは、週単位(※)で学習することになっていて、帰校時刻は、子ども自身が決めることが
できる。そのクラブだが、各種のスポーツクラブのほか、算数クラブや科学クラブもある。学習
クラブは学校の中にあって、たいていは無料。学外のクラブも、月謝が1200円前後(2001
年調べ)。

こうした親の負担を軽減するために、ドイツでは、子ども1人当たり、230マルク(日本円で約1
万4000円)の「子どもマネー」が支払われている。この補助金は、子どもが就職するまで、最
長27歳まで支払われる(01年)。

 こうしたクラブ制度は、カナダでもオーストラリアにもあって、子どもたちは自分の趣向と特性
に合わせてクラブに通う。

日本にも水泳教室やサッカークラブなどがあるが、学校外教育に対する世間の評価はまだ低
い。ついでにカナダでは、「教師は授業時間内の教育には責任をもつが、それ以外には責任
をもたない」という制度が徹底している。

そのため学校側は教師の住所はもちろん、電話番号すら親には教えない。私が「では、親が
先生と連絡を取りたいときはどうするのですか」と聞いたら、その先生(バンクーバー市日本文
化センターの教師Y・ムラカミ氏)はこう教えてくれた。

「そういうときは、まず親が学校に電話をします。そしてしばらく待っていると、先生のほうから
電話がかかってきます」と。

★進学率が高い学校ほどよい学校という常識……つい先日、東京の友人が、東京の私立中
高一貫校の入学案内書を送ってくれた。全部で70校近くあった。が、私はそれを見て驚いた。

どの案内書にも、例外なく、その後の大学進学先が明記してあったからだ。別紙として、はさん
であるのもあった。「○○大学、○名合格……」と(※)。この話をオーストラリアの友人に話す
と、その友人は「バカげている」と言って、はき捨てた。そこで私が、では、オーストラリアではど
ういう学校をよい学校かと聞くと、こう話してくれた。

 「メルボルンの南に、ジーロン・グラマースクールという学校がある。そこはチャールズ皇太子
も学んだこともある古い学校だが、そこでは生徒一人ひとりにあわせて、学校がカリキュラムを
組んでくれる。

たとえば水泳が得意な子どもは、毎日水泳ができるように。木工が好きな子どもは、毎日木工
ができるように、と。そういう学校をよい学校という」と。なおそのグラマースクールには入学試
験はない。子どもが生まれると、親は出生届を出すと同時にその足で学校へ行き、入学願書
を出すしくみになっている。つまり早いもの勝ち。

●そこはまさに『マトリックス』の世界

 日本がよいとか、悪いとか言っているのではない。日本人が常識と思っているようなことで
も、世界ではそうでないということもある。それがわかってほしかった。そこで一度、あなた自身
の常識を疑ってみてほしい。あなたは学校をどうとらえているか。学校とは何か。教育はどうあ
るべきか。さらには子育てとは何か、と。

その常識のほとんどは、少なくとも世界の常識ではない。学校神話とはよく言ったもので、「私
はカルトとは無縁」「私は常識人」と思っているあなたにしても、結局は、学校神話を信仰してい
る。「学校とは行かねばならないところ」「学校は絶対」と。それはまさに映画『マトリックス』の世
界と言ってもよい。仮想の世界に住みながら、そこが仮想の世界だと気づかない。気づかない
まま、仮想の価値に振り回されている……。

●解放感は最高!

 ホームスクールは無理としても、あなたも一度子どもに、「明日は学校を休んで、お母さんと
動物園へ行ってみない?」と話しかけてみたらどうだろう。実は私も何度となくそうした。平日に
行くと、動物園もガラガラ。あのとき感じた解放感は、今でも忘れない。「私が子どもを教育して
いるのだ」という充実感すら覚える。冒頭の話で、目を白黒させた人ほど、一度試してみるとよ
い。あなたも、学校神話の呪縛から、自分を解き放つことができる。

※……1週間の間に所定の単位の学習をこなせばよいという制度。だから月曜日には、午後
3時まで学校で勉強し、火曜日は午後1時に終わるというように、自分で帰宅時刻を決めること
ができる。

●「自由に学ぶ」

 「自由に学ぶ」という組織が出しているパンフレットには、J・S・ミルの「自由論(On Liberty)」
を引用しながら、次のようにある(K・M・バンディ)。

 「国家教育というのは、人々を、彼らが望む型にはめて、同じ人間にするためにあると考えて
よい。そしてその教育は、その時々を支配する、為政者にとって都合のよいものでしかない。
それが独裁国家であれ、宗教国家であれ、貴族政治であれ、教育は人々の心の上に専制政
治を行うための手段として用いられてきている」と。

 そしてその上で、「個人が自らの選択で、自分の子どもの教育を行うということは、自由と社
会的多様性を守るためにも必要」であるとし、「(こうしたホームスクールの存在は)学校教育を
破壊するものだ」と言う人には、次のように反論している。

いわく、「民主主義国家においては、国が創建されるとき、政府によらない教育から教育が始
まっているではないか」「反対に軍事的独裁国家では、国づくりは学校教育から始まるというこ
とを忘れてはならない」と。
 
さらに「学校で制服にしたら、犯罪率がさがった。(だから学校教育は必要だ)」という意見に
は、次のように反論している。「青少年を取り巻く環境の変化により、青少年全体の犯罪率は
むしろ増加している。学校内部で犯罪が少なくなったから、それでよいと考えるのは正しくな
い。

学校内部で少なくなったのは、(制服によるものというよりは)、警察システムや裁判所システ
ムの改革によるところが大きい。青少年の犯罪については、もっと別の角度から検討すべきで
はないのか」と(以上、要約)。

 日本でもホームスクール(日本ではフリースクールと呼ぶことが多い)の理解者がふえてい
る。なお2000年度に、小中学校での不登校児は、13万4000人を超えた。中学生では、38
人に1人が、不登校児ということになる。この数字は前年度より、4000人多い。
 
++++++++++++++++++

 世界は、ここまで進んでいる。にもかかわらず、(4)教育委員会改革だの、(5)大学9月入学
だのと、そんなことを論じていること自体、バカげている。ノーベル賞を受賞した偉い(?)先生
かも知れないが、世の中には、「専門バカ」という人もいる。

 「塾を禁止して、(勉強が)できない子どものための塾だけにせよ」(野依座長)という提言にい
たっては、「?」マークを、10個ほど、並べたい。むしろ世界は、教育の自由化(=民営化)をこ
ぞって選択している。

 カナダでは、そこらの塾が塾をたちあげるほど簡単に、学校の設立そのものを自由化してい
る。その学校で使う言語も、自由である。たとえば、ヒンズー語で教える学校を作りたいと思え
ば、それもできる。

 (これに反して、アメリカでは、学校では英語で教育すべしというのが、原則になっている。ま
たそういう学校しか認可されていない。)

 ドイツ、イタリアにいたっては、ここにも書いたように、「クラブ」が、教育の自由化を側面から
支えている。野依座長も、もう少し、研究室から出て、世界を見てきたらどうか。少なくとも、もう
少し教育の現場をのぞいてみてから、意見を述べるべきである。

 教育再生会議のメンバーたちは、「提言がことごとく無視された」と怒りをぶちまけているが、
それもしかたのないことではないかと、私は思う。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 教育
再生会議 再生会議提案 中間報告 中間報告原案)


Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●逆流的教育論

昔は町内で東大生が生まれたとすると、その
町内の人が、ちょうちん行列までして、その
学生と家族を祝った。

しかしそれから100年。
尾崎豊が「卒業」を歌ったころから、こうした
日本独特の権威主義、それを支える学歴制度は、
大きな転機を迎えるところとなった。

「学歴」よりも、「中身」「実力」をみる時代へと
変化した。
そのため大学の選抜方法も、AO入試に見られる
ように、時代の流れの中で変化しつつある。

たとえばEUでは、大学の単位そのものが、
共通化されている。
学生たちは、自由に各大学間を渡りあるいている。
最終的にどこの大学で、学位、博士号を認定される
かということは、重要なことだが、少なくとも
「出身大学」という概念は、もうない。

日本でも同レベル(?)の大学間で実験的に
単位の交換がなされているが、あまりパッとしない。
ブランド志向は、過去の亡霊として、まだ残っている。

もちろん小中高校生の教育制度も、大きく変化
しつつある。
ドイツにおけるクラブ制度を例にあげるまでもない。
EUでは、子どもたち(中学生)は、学校での
カリキュラム(ほとんどが単位制)を終えると、
午後は、それぞれが自分の好きなクラブに通って
いる。
それを支えるための、「チャイルド・マネー」も
支給されている。

(高学歴者)イコール、(成功者)という発想そのもの
が、陳腐化している。
もちろん(高学歴者)イコール、(人格者)という
わけでもない。

もし(高学歴)に求められるものがあるとするなら、
真・善・美の追求者としての、社会的責務である。
その責務を果たしてこそ、高学歴者は高学歴者としての
意味をもつ。
そうでなければ、高学歴といえども、卒業証書は、
ただの紙切れ。
自己利益の追求のための道具でしかない。

ちょうど2000年を境にして、日本人の学歴意識は
大きく変化した。
(出世主義)から(新・家族主義)への変化である。
このころ、「仕事より家族のほうが大切」と考える
人が、50〜80%へと変化した。
こうした変化を、「サイレント革命」と名づけた人もいる。

今後この(流れ)は加速することはあっても、逆行する
ことはありえない。
理由は簡単。

世界はすでにその先を走っている。
日本は今、それを追いかけなければならない立場にある。
単位の共通化にしても、今では、世界の常識。
インドネシアのジャカルタ大学で1年、中国の北京大学で
1年、3年目と4年目は、EUのソルボンヌ大学と、
ハイデベルグ大学で。
合計して必要単位を履修していれば、あとはどこかの大学で
単位を認定してもらう……。

日本だけが、そのカヤの外。
日本の医師免許は、日本以外の国では通用しない。
アメリカの医師は、日本で開業することができない。
これはほんの一例だが、こうした閉鎖性を打破しない
かぎり、日本の未来に明日はない。

大切なのは、学歴の追求ではなく、実力の追求。
それができる社会システムを、早急に立ち上げる。
(学歴)というキャリアは、あくまでもあとから
ついてくるもの。
(学歴)を目的とする時代は、すでに終わっている。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW 
はやし浩司 逆流的教育論 教育の自由化 日本の教育)








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22
●緩慢行動

+++++++++++++++++

愛知県にお住まいの、NSさんという
方より、子どもの緩慢行動についての
相談がありました。

それについて考えてみます。

+++++++++++++++++

【NSさんより、はやし浩司へ】

以前、息子の手洗い癖について相談させていただきました者です。その節は本当にお世話に
なりました。

あれから1年以上たちますが、お陰様で息子は問題なく、楽しく過ごせているようです。
今日は長女の事なのですが、何かアドバイスをいただけましたらと思いメールをさせていただ
きました。

小学2年生です。家ではまったくこのような状態ではないのですが、学校に行くと人よりテンポ
が少し遅くなるようで、何をやるのにも少し人とズレます。

行動を起こす時も、他の子より遅く始めたり、人の後から行動したりしています。その割に目立
つのは好きなのか、授業中も発言をよくするのは良いのですが、

時々、その話はもう終わったよというような内容の発言をすること事もあります。いつもではな
いのですが・・・。友達の輪にも入りにくいようで、先生にペアを組むように言われるとあぶれる
ことも多く、オロオロとしていることもあります。

そこそこ仲の良い子もいるようなのですが、その友達にとって、一番に仲が良いわけではない
ようで、遊びに誘おうと思って行動するときには、もう他の子と遊ばれていることが多いようで
す。一緒に混ぜてもらったら?と言うと、あの子たちとは仲良くないもんとか、あたしはあまり好
かれてないもんなどと言い、尻込みをします。

何か言われた事あるの?と言うとそうじゃないけど・・と曖昧な返事がかえってきます。友達が
なかなか出来にくい事を本人も気にしているようで時々私に相談してくる事もあるのですが、基
本的に連れて女の子達が行くトイレを嫌がったり、誘われても今行きたくないから・・・と断った
りしているようです。たまには付き合いだと思って行ってみたらと言うとそういう妥協はしたくな
いらしく曖昧な返事がかえってきます。

ただでさえテンポが遅く、人の中で浮きやすいのに、へんなところで真面目なので、何か悪い
事をしている人を見つけたり、本人が納得できない事があるとお構いなく、キツイ言い方をする
事がしばしばあるので、よけいに引かれてしまうようです。家ではお手伝いをしてくれたり、通信
教育の勉強をバリバリこなしたり、外で遊ぶ時も元気で、とてもやる気がないとか無気力なよう
には見受けられないのですが、学校では場合によってはやる気が見受けられないらしく、担任
の先生から注意を受けた事もあり、通信簿の生活面の評価はとてもひくいです。

最後までやりきるとか、皆で協力してやり遂げるなど全然できていないようです。勉強面での評
価はそこそこ良いのですが、生活面の評価はひどいです。昨年の評価は、お友だちの輪には
なかなか入り難いようですが、頑張りやで、一つのことを責任を持ってやりとげますと先生に言
われたのが、嘘のようです。

上手く説明をすることが出来なくすみません。息子の時と違って、はっきりここが変だというよう
な表現ができないものですから、ダラダラと長くなりすみません。何かアドバイスがありましたら
お願いいたします。

【はやし浩司より、NSさんへ】

全体に、マイナス思考である点が、気になります。
お子さんの悪い面ばかりを見ている。
気にしている。
悪い面ばかりに気がつき、それだけを問題にしている……?
私があなたのお嬢さん(小2)なら、あなたのそばにいるだけで、窮屈に感ずるかもしれませ
ん。

まずお嬢さんを信ずる。
つぎに学校の先生を信ずる。
もうひとつ、あなた自身を信ずる。
子ども不信型の子育て、つまり過干渉、過関心が日常化しているように感じます。
小学2年生というと、そろそろ親離れを始める時期です。
反抗もはげしくなってきます。
だいたい小学3年生前後で、親離れし、思春期前夜に入ると考えてください。

が、あなたのほうには、それがわかっていない。
あなたはまだ自分の子どもが、幼児のままと思っている。
仮にあなたがここに書いたとおりであるとしても、小学2年生では、もう手遅れです。
はっきり言って、直・り・ま・せ・ん。
つまり直そうと思わないこと。
あなたが直そうと思えば思うほど、逆効果。
お嬢さんは、自信をなくして、今の時期につづくつぎの思春期では、自我の同一性の確立さえ
おぼつかなくなります。
それこそこの先、「私は何だ?」と悩みつづけるでしょう。
あるいはスーッと非行の道に入ってしまうかもしれません。

今、そこにいるお嬢さんを認め、そのお嬢さんを信ずることです。
それともあなたは、いったい、自分の子どもが、どんな子どもになるのを、望んでいるのです
か?
もっと言えば、あなたはどうでしょうか?
あなたは自分の子どもの前で、胸を張って、「私はすばらしい人間」と言えるでしょうか。
社交性もあり、皆に親しまれ、リーダー格で、勉強もよくできる、と。

あなた自身、恵まれない家庭で、両親の愛情と理解を受けないで、さみしい思いをしたのでは
ありませんか。
それが現在の、あなたの子育ての基本になってしまっています。

お嬢さんの友だちの問題にまで、介入してはいけません。
家では、いろいろと仕事をしてくれるということですから、すばらしい子どもですよ。
学校では、緩慢行動が目立つということですが、そういうときは、逆にほめてみるのです。
あなたは1年生のときより、すばらしくなったわ、とです。
どのみち、あなたが説教したところで、直りません。
方法もありません。
(学校の先生に相談するのは構いませんが、学校の先生にしても、直す方法はありません。
あるとすれば、何かの機会をとらえて、みなの前でほめることです。
「今日のNさんは、すばらしかった!」とです。
が、それができるのは、学校の先生だけです。)

「ここがヘン」という言葉は、使ってはいけません。
今では、子どもは家族の「代表」という考え方をします。
子どもに何か問題があったら、それは、家族の問題と考えます。
はっきり言えば、あなた自身の問題ということです。
もっとはっきり言えば、あなたにだけ、そう見えるということです。
「子どもがヘン」と感じたら、「私の子育てがヘン」と思うことです。

これから思春期に入り、子どもは大きく変化していきます。
子ども自身の力で、変わっていきます。
そんな子どもを、頭から、ハンマーで叩くようなことはしてはいけません。

心配先行型、不安先行型の育児観を、改めてください。
そして「私の子どもはすばらしい子ども」と自分で自分に言って聞かせるのです。
あなた自身の心を作り変えるのです。
そのあと、問題は、自然に解決していきます。

ある男が医者の所に来て、こう言いました。
「ドクター、私は、指で足を押さえると、足が痛い。
腹を押さえると、腹が痛い。
頭を押さえると、頭が痛い。
私は、いったい、どこが悪いのでしょうか」と。

それに答えて、その医師は、こう言いました。

「あなたはどこも悪くありません。
あなたの手の指の骨が折れているだけです」と。

子どもというのは、親や教師が見方を変えるだけで、変わってしまいます。
「好意の返報性」という言葉もあります。
日本では、「魚心あれば、水心」と言いますね。
あなたが「心配だ」「心配だ」と思っていると、そのとおりの子どもになってしまいます。
だからこそ、まずあなたの心を作り変えるのです。
それともあなたは、あなたが経験したような、さみしい少女時代を、あなたのお嬢さんに繰り返
してほしいですか?

小学2年生ですよ!
私は幼児を指導していますが、小学2年生というと、完成された幼児です。
あと1、2年で、親離れしていきます。
親としてできることは、ほとんどないということです。

あきらめて、あるがままを受け入れなさい!
「あきらめは、悟りの境地」ですよ。
おおらかで、満ち足りた世界です。
あなたも一度、そういう世界に、入ってみるとよいですよ。
あなたのお嬢さんも、それで見違えるほど明るくなるはずです。

とは言っても、緩慢行動(神経症)について問題にしておられますので、このあと、いくつかの原
稿を添付しておきます。

メール、ありがとうございました。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●自己効力感(Self Achievement)

 「自分でできた」「自分でやった」という達成感が、子どもを伸ばす。これを自己効力感
という。

 子どもを伸ばすコツは、この自己効力感をうまく利用すること。

 反対に、この自己効力感を、阻害(じゃま)するようなことがあると、子どもは(1)
それに大きく反発するようになり、(2)ついで、心が極度の緊張状態におかれるようにな
ることが知られている。

 それを阻害するものに対して、反抗するようになる。

 が、それだけではない。子どもは、ますます、そのものに固執するようになる。こんな
ことがある。

 A君(小4)は、サッカークラブで、やっとレギュラー選手になることができた。A君
はA君なりに、努力をした。

 が、小5になるとき、母親は、A君を、進学塾へ入れた。そしてそれまで週3回だった
サッカーの練習を、週2回に減らすように言った。当然、そうなると、A君は、レギュラ
ー選手からはずされる。

 A君は、猛烈にそれに反発した。が、やがてその反発は、母親への反抗となって現れた。
すさんだ目つき、母親への突発的な暴力行為など。

 もうそうなると、進学塾どころではなくなってしまう。あわてた母親は、進学塾をやめ、
再び、サッカークラブにA君をもどした。が、今度は、A君は、そのサッカーにすら、興
味を示さなくなってしまった。母親はこう言う。

 「あれほど、毎晩、サッカーをさせろと暴れていたのに、サッカークラブへ再び入った
とたん、サッカーへの興味をなくすなんて……」と。

 子どもの心理というのは、そういうもの。A君の母親は、それを知らなかっただけであ
る。A君が母親に反抗したのは、サッカーをしたいからではなかった。自分の自己効力感
(達成感)を、阻害されたからである。そのことに対して、A君は、反抗したのである。

 少し話がちがうかもしれないが、こんな例もある。

 若い男女が、恋愛をした。しかし周囲のものが、猛反対。そこでその男女は、お決まり
の駆けおち。そして子どもをもうけた。

 やがて周囲のものが、あきらめ、それを受け入れた。とたん、たがいの恋愛感情が消え
てしまった。

 この例でも、若い男女が駆けおちしたのは、それだけたがいの恋愛感情が強かったから
ではない。周囲のものに反対されることによって、より結婚に固執したからである。だか
ら、結婚を認められたとたん、恋愛感情が消えてしまった。

【教訓】

 子どもの得意芸、生きがいは、聖域と考えて、決して、土足で踏み荒らすようなことは
してはいけない。へたに阻害したりすると、かえって子どもは、それに固執するようにな
る。最悪のばあいには、親子関係も、それで破壊される。
(はやし浩司 自己効力感 自己達成感 一芸論)


●高度な欲求不満

 欲求不満といっても、決して一様ではない。心理学の世界には、欲求不満段階説(マズ
ローほか)さえある。このことは、子どもの発達過程を観察していると、わかる。

【原始的欲求不満】

 愛情飢餓、愛情不足など。飢餓感や不足感が、欲求不満につながる。この欲求不満感が、
子どもの心をゆがめる。よく知られているのは、赤ちゃんがえり。下の子どもが生まれた
ことなどにより、飢餓感をもち、それが上の子どもの心をゆがめる。

 生命におよぶ危機感、安心感の欠如から生まれる欲求不満も、これに含まれる。

【人間的欲求不満】

 人に認められたい、人より優位に立ちたい、目立ちたいという欲求が、満たされないと
き、それがそのまま欲求不満へとつながる。「自尊の欲求」(マズロー)ともいう。この人
間的欲求は、自分がよりすぐれた人間であろうとする欲求であると同時に、それ自体が、
社会全体を、前向きに引っ張っていく原動力になることがある。

 が、子どもの世界では、こうした人間的欲求は、変質しやすい。

 ある子ども(中2男子)は、私にある日、こう言った。「ぼくは、スーパーマンになれる
なら、30歳で死んでもいい。世の中の悪人をすべて退治してから死ぬ」と。

 こうした人間的欲求は、幼児にも見られる。みなの前でその子どもをほめたりすると、
その子どもは、さも誇らしそうな顔をして、母親のほうを見たりする。

 子どもの中に、そうした人間的欲求を感じたら、静かにそれをはぐくむようにする。こ
れは子育ての大鉄則の一つと考えてよい。

(はやし浩司 マズロー 自尊欲求 自尊の欲求 人間的欲求 はやし浩司 家庭教育
 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 Hiroshi Hayashi 
education essayist writer Japanese essayist 自己効力感 欲求不満 子供を伸ばす 伸
ばし方 子供の伸ばし方)


Hiroshi Hayashi++++++++jun.08++++++++++はやし浩司

●幼児の緩慢行動(Dull Movement of Children)

 心理的抑圧状態(欲求不満を含む)が、日常的につづくと、子どもはさまざまな、心身
症による症状を示すことがある。が、その症状は、子どもによって、千差万別。定型がな
い。

 「どうもうちの子、おかしい?」と感じたら、その心身症を疑ってみる。

 その中のいくつかが、緩慢行動(動作)であったり、吃音(どもり)であったりする。
神奈川県に住む、Uさん(母親)から、多分、緩慢行動ではないか(?)と思われる相談
をもらった。

 ここでは、それについて、考えてみたい。

+++++++++++++++++++++

【Uさんより、はやし浩司へ】

私には、4歳(年少)の娘、M子(姉)と、1歳8ヶ月の息子S夫(弟)がいます。
先日、娘の幼稚園の個人懇談がありました。

そこで、先生に言われたのが

「M子(姉)ちゃんはいつもマイペースで、マイペースすぎてもうちょっとスピードアッ
プして欲しいんですけどね」でした。

「急がないと行けない時にもマイペースでね、今(年少)はあまりする事も少なくて、他
の子と差は出てこないと思いますけど、これから先、年中、年長となるにつれてその差は
広がっていきますからね」

「急がないといけない時に、急げるようなボタンがあればいいんですけどねー(笑)。そこ
を押せば、急いでくれるっていう風に・・・・(笑)」と冗談まじりではあったのですが、
最後に夏休み中にお母さんから、M子ちゃんに急ぐって事を教えてあげておいてください
と言われました。

「急ぐという事を教えるといわれても・・・・先生どうしたらいいんでしょう?」って聞
いたのですが、イマイチよく分かる回答がなかったような気がします。

怒って「急いで!急いで!急いで!」とまくし立てるのも良くないと思いますし、言った
所で出来るわけでもないですし。

普段、出来るだけ怒らないように大声をあげないように、出来たら大げさに誉めてあげて、
を心がけているのですが今の私のやり方では、夏休みあけても同じだろうし・・・・どう
したらいいのだろう?、と考えこんでしまいます。

何がどうマイペースか具体的に言うと、給食の時間になって先生が、「後に給食の袋を取り
にいって準備して下さい」って言っても、上の方を見てボーッと椅子に座っていることが
時々あって、「M子ちゃん、準備よー急いでー!」って言っても、とりわけ急ぐ様子もなく
ゆっくりらしいです。

又、今メロディオンの練習をしているようなのですが、M子(姉)は指でドレミファソを
弾く事は出来るみたいなのですが、ホースを口にあてて息を吹く事が分からなかったみた
いで、一人だけ音が出なかったみたいです。

先生が側で、「M子ちゃん吹くんですよー」って言っても分からなくて、挙句の果てには、
ホースに口をあててホースに向かって、ドレミファソを言いながら、けん盤を弾いていた
ようです。

先生も??、だったみたいで、「違うよM子ちゃん! 吹くのよ!!」って言うと今度は、
何でそんなに先生は私に怒ってるの?、っていう反応だったようです。

あと、空想にふけっていたりするみたいです。

他にも日々の行動で色々あるようです。

M子(姉)は私に似ているのか、よく言えばおっとりで悪く言えば、どこかのろい所があ
って入園の際、私もそれが少し気にはなっていました。

のびのび保育の幼稚園を選べば、そんな事を考えなくて良かったのかもしれませんが、私
的には、小学校でお勉強を始めるより、幼稚園で少しでも触れていれば気遅れなく、M子
(姉)もやっていけるのではと考えたのですが、やはりその分要求される事も多いんです
ね・・・。

今は、本人は幼稚園が大好きでお歌の時間もプリントの時間も体操の時間も楽しいとは話
しています。

楽しく通ってくれれば、私はそれで大満足なのですが年中、年長になった時、まわりの早
さについて行けなくなって幼稚園が楽しくなくなったら、やはり園を変えた方がいいんで
しょうか?

また、もっとスピードアップさせるにはどうしたらいいのでしょうか?

また、M子(姉)には、時々どもりがあります。ほとんど指摘しないように聞きながして
いるのですが、ちょっと気になっています。

はっきりとした原因は分かりませんが、下の子を出産する際引き裂かれるように、私と離
れ離れになってしまって、10日間ほど離れて暮らしていたのが悪かったのかな?、と反省
しています。

長々と下手な文章で好きな事を綴ってしまいましたが、アドバイス頂けますようお願い申
し上げます。

これからもまぐまぐプレミアをずっと購読していこと思っています。毎日暑いですが、ど
うぞお体にお気をつけ下さい。


【はやし浩司より、Uさんへ】

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。感謝しています。

 ご相談の件ですが、最初に疑ってみるべきは、緩慢行動(動作)です。原因の多くは、
親の過干渉、過関心です。子どもの側から見て、過負担。それが重なって、子どもは、気
うつ症的な症状を見せるようになり、緩慢行動を引き起こします。

 ほかに日常的な欲求不満が、脳の活動に変調をきたすことがあります。私は、下の子ど
もが生まれたことによる、赤ちゃんがえり(欲求不満)の変形したものではないかと思っ
ています。

 逆算すると、M子さんが、2歳4か月のときに、下のS夫君が生まれたことになります。
年齢的には、赤ちゃんがえりが起きても、まったく、おかしくない時期です。とくに「下
の子を出産する際引き裂かれるように、私と離れ離れになってしまって、10日間ほど離
れて暮らしていたのが悪かったのかな?」と書いているところが気になります。

 たった数日で、別人のようにおかしくなってしまう子どもすらいます。たった一度、母
親に強く叱られたことが原因で、自閉傾向(一人二役のひとり言)を示すようになってし
まった子ども(2歳・女児)もいます。決して、安易に考えてはいけません。

 で、その緩慢行動ですが、4歳児でも、ときどき見られます。症状の軽重もありますが、
10〜20人に1人くらいには、その傾向がみられます。どこか動作がノロノロし、緊急
な場面で、とっさの行動ができないのが、特徴です。

 こうした症状が見られたら、(1)まず家庭環境を猛省する、です。

 幸いなことに、Uさんの子育てには、問題はないように思います。そこで一般の赤ちゃ
んがえりの症状に準じて、濃密な愛情表現を、もう一度、M子さんにしてみてください。

 手つなぎ、抱っこ、添い寝、いっしょの入浴など。少し下のS夫君には、がまんしても
らいます。

 つぎに(2)こうした症状で重要なことは、「今の症状を、今以上に悪化させないことだ
けを考えながら、半年単位で様子をみる」です。

 あせってなおそう(?)とすればするほど、逆効果で、かえって深みにはまってしまい
ます。子どもの心というのは、そういうものです。

 とくに気をつけなければいけないのは、子どもに対する否定的育児姿勢が、子どもの自
信をうばってしまうことです。何がなんだかわけがわからないまま、いつも、「遅い」「早
く」と叱れていると、子どもは、自分の行動に自信がもてなくなってしまいます。

 自信喪失から、自己否定。さらには役割混乱を起こす子どももいます。そうなると、子
どもの心はいつも緊張状態におかれ、情緒も、きわめて不安定になります。そのまま無気
力になっていく子どももいます。

 「私はダメ人間だ」という、レッテルを、自ら張るようになってしまいます。もしそう
なれば、それこそ、教育の大失敗というものです。

 そこで(3)子どもの自己意識が育つのを静かに見守りながら、前向きの暗示をかけて
いきます。

 「遅い」ではなく、「あら、あなた、この前より早くなったわね」「じょうずにできるよ
うになったわね」と。最初は、ウソでよいですから、それだけを繰りかえします。

 「先生もほめていたよ」「お母さん、うれしいわよ」と言うのも、よいでしょう。

 ここでいう「自己意識」というのは、自分で自分を客観的にみつめ、自分の置かれた立
場を、第三者の目で判断する意識というふうに考えてください。

 しかし4歳児では、無理です。こうした意識が育ってくるのは、小学2、3年生以後。
ですから、それまでに、今以上に、症状をこじらせないことだけを考えてください。

 とても残念なことですが、幼稚園の先生は、せっかちですね。その子どものリズムに合
わせて、子どもをみるという、保育者に一番大切な教育姿勢をもっていないような気がし
ます。

 おまけに、「年長になったら……」と、親をおどしている? ある一定の理想的(?)な
子ども像を頭の中に描き、それにあわせて子どもをつくるという、教育観をもっているよ
うです。旧来型の保育者が、そういうものの考え方を、よくします。(今は、もうそういう
時代ではないのですが……。)

 M子さんに、ほかに心身症による症状(「はやし浩司 神経症」で、グーグルで検索して
みてください。ヒットするはずです。
あるいは、http://www2.wbs.ne.jp/~hhayashi/page080.html)が出てくれば、この時期
は、がまんしてその幼稚園にいる必要は、まったくありません。

 子どもの心に与える重大性を考えるなら、転園も、解決策の一つとして、考えてくださ
い。

 そして(4)「うちの子を守るのは、私しかいない」と、あなたが子どもの盾(たて)に
なります。先生から苦情があれば、「すみません」と一応は謙虚に出ながらも、子どもに向
かっては、「あなたはよくがんばっているのよ」「すばらしい子なのよ」と言います。そう
いう形で子どもの心を守ります。

 まちがっても、そこらの保育者(失礼!)がもっている理想像(?)に合わせた子ども
づくりを、してはいけません。

 子育てもいつか終わりになるときがやってきます。そういうとき、あなたの子育ての思
い出を、光り輝かせるものは、「私は、子どもを守りきった」「私は、子どもを信じきった」
という、親としての達成感です。

 今が、そのときです。その第一歩です。

 最後に(5)M子さんに合わせた、行動形態にすることです。「のろい」と感ずるなら、
あなたも、もう一歩、自分の歩く早さを、のろくすればよいのです。どこかに子育てリズ
ム論を書いておきましたので、また参考にしてください。

 とても幸いなことに、Uさんは、たいへん愛情豊かな方だと思います。それに自分の子
育てを客観的にみつめておられる。とてもすばらしいことです。(プラス、私のマガジンを
読んでいる!)

 子どもといっしょに、子どもの友として、子どもの横を歩いてみてください。楽しいで
すよ。セカセカと歩いていたときには気づかなかったものが、たくさん見えてきますよ。

 そうそう、最後に一言。

 こうした緩慢行動(動作)は、子どもの自己意識が育ってくると、自然に消えていくも
のです。子どもが自分で判断して、自分で行動をコントロールするようになるからです。
どうか、安心してください。

 私の経験でも、乳幼児期の緩慢行動(動作)が、そのまま、小学5、6年生まで残った
というケースを知りません。小学3、4年生ごろには消えます。(ただしこじらせると、回
復が遅れますが、そのときは、もっと別の、ある意味で深刻な、心身症、神経症による症
状が出てきます。

 また親は「のろい」「のろい」と心配しますが、第三者から見ると、そうでないというケ
ースも、たいへん多いです。これは親子のリズムがあっていないだけと考えます。)

 吃音(どもり)については、ここ1〜3年は、症状が残るかもしれません。環境が大き
く変わっても、クセとして定着することもあるからです。吃音については、あきらめて、
濃密な愛情をそそいであげてください。これも時期がくれば、症状は消えます。

 どんな子どもでも、一つや二つ、三つや四つ、そうした問題をかかえています。全体と
してみれば、マイナーな、何でもない問題です。

 あまり深刻にならず、ここは、おおらかに! なお先取り教育は、失敗しますので、注
意してください。それについては、またマガジンのほうで取りあげてみます。

 なおこの原稿は、(いただいたメールの転載も含めて)、8月13日号で掲載する予定で
す。どうか転載のご承諾をお願いします。不都合な点があれば、書き改めます。至急、お
知らせください。

 まぐまぐプレミアのご購読、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。

                                  はやし浩司

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 子供の緩慢行動 緩慢動作 
のろい子供 のろい動作 のろい子ども








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23
【老後論】


●希望

++++++++++++++++++++++++

希望があれば、まだ何とか生きられる。
その希望にしがみついていけば、まだ何とか生きられる。
希望が、私たちを前向きに、ひっぱってくれる。

++++++++++++++++++++++++

●講演活動

 「あなたにとって希望とは何か」と聞かれたら、今の私は、「講演活動をすること」と
答える。
今は、その講演活動が楽しい。
見知らぬ土地へ行って、見知らぬ人に会う。
そして最近は、できるだけその土地のどこかの、旅館やホテルに泊まるように
している。
それが楽しい。

 今日も、沼津市の女性から、講演依頼が入った。
喜んで引き受けた。
このところ私の心が伝わるのか、遠方からの依頼が多くなった。
こういうのを心境の変化というのか。
ほんの少し前までは、県外からの講演については、ほとんど断っていた。
昨年(08年)は、北海道からの講演依頼も、2件あった。
(もちろん断ったが……。)

 講演が1本入ると、その日に備えて体力と知力を整える。
今までの講演の中で、もっとも長かったのは、4時間。
が、今は、4時間は、とても無理。
自分でもそれがよくわかっている。

 知力も整える。
講演というのは、ボケた頭では、できない。
そんな頭で講演したら、わざわざ聞きに来てくれた人に、申し訳ない。
つまりそうした(緊張感)が、私を未来へと引っ張ってくれる。

 で、明日はK市まで行って、講演をしてくる。
夜7時半〜からの講演会である。
ときどき、そういう講演がある。
「そういう講演」というのは、夜の講演会をいう。
そういう時間帯にするのは、仕事をもっている人のため。

●孤独vs希望

 そこで希望とは、何か?
あえて今の心境をもとにして考えると、(孤独)の反対側にあるのが、(希望)と
いうことになる。

 講演の依頼があるというのは、まだ人の役に立てるということ。
私の話を聞いてくれる人が、まだいるということ。
そういう(人)がいると想像するだけで、孤独が癒される。
つまりそれが(希望)ということになる。

 今は、その希望にしがみついて生きていく。
細い糸かも知れないが、その糸が切れたら、おしまい。
私はそのまま(孤独)の世界へと、落ちていく。

 が、講演には、もうひとつの意味がある。

●真理の探究

 歌手が歌を歌っているのを見たりすると、ときどき、こう思う。
「いいなあ、あの人たちは……」と。
ステージにあがって、いつも同じ歌を歌えばよい。
それで観客は喜んでくれる。
もちろんそれなりの準備とか苦労は必要かもしれない。

 しかし講演のばあいは、同じ話は、できない。
私もしたくない。
毎回、ちがった話をしたいし、ちがった話をする以上、さらによい話をしたい。
そのためには日々の鍛錬あるのみ。
その鍛錬を通して、より「真理」に近づく。

 もちろんそのためには、本を読んだり、考えたりする。
文を書いたりする。
その過程が楽しい。
とくにその向こうに、キラリと光るものを発見したときは、宝石を見つけたときの
ように、うれしい。
その光るものの向こうに、私の知らなかった世界が広がっている。

 講演というのは、あくまでもその(結果)でしかない。

●緊張感

 その講演だが、ときどき1年先とか、1年半先の依頼があるときがある。
今から思うと、そのときどうしてそんなことで迷ったと思うのが、こんな
ことがあった。

 ちょうど50歳になったころ、1年先の講演依頼があった。
そのときのこと、私はこう思った。
「1年先だって?」「そのときまで、私は生きているだろうか?」と。

 それからもたびたび、そういう講演依頼があった。
が、やがてそういう思いは弱くなり、今では1年先の講演でも平気で受けるように
なった。
反対に、「どんなことがあっても、そのときまで元気でいよう」と心に誓う。
そのために体力づくりと、知力の維持に努める。
大きな講演会のばあいは、その1週間ほど前から、運動量をふやす。
体調を整える。
先にも書いたが、こうした一連の緊張感が、私を前へ、前へと、引っ張っていく。

 言うなれば、馬の前につりさげられたニンジンのようなもの。
「いつかは食べられるかもしれない」という思いをもって、前に進む。
 
だから今の私には、うしろを振り向いている暇はない。
向きたくもない。
そうでない人たちは、そういう私を見て、「親戚づきあいが悪い」とか、
「先祖を大切にしない」とか、言う。
しかし今の私には、そういう考え方は、みじんもない。

●宗教観

 こんなことを言うと、親戚の人たちは、顔を真っ赤にして怒るだろう。
しかし私はこの1年の間に、仏壇を開いて、手を合わせたのは一度しかない。
信仰心といっても、そういう信仰心は、私にはない。
仏教徒かキリスト教徒かと聞かれれば、心は、キリスト教徒のほうに、近い。

クリスマスは、毎年祝うが、釈迦の誕生日など、祝ったこともない。
それに「寺」というと、どこもジジ臭くていけない。
(自分がジジイのくせに、そういうことを言ってはいけないのだが……。)
私の年齢になると、四国八八か所巡りというのを始める人もいる。
が、今の私には、とても考えられない。
(そのうち、世話になるかもしれないが……。)

●直送+散骨

 とは言っても、死に方を考えていないわけではない。
しかし私は、直送(病院から直接、火葬場で火葬)を望む。
葬式はまったく、不要。
みなが集まって、おいしいものでも食べてくれれば、それでよい。
で、そのあと、遺骨は、散骨でも何でもよい。
庭の肥料にしてくれても、一向に構わない。

 大切なのは、今を懸命に生きること。
悔いが残らないように生きること。
生きて、生きて、生きまくること。
そこに(死)があるとしても、そのときまで、前に向かって生きること。
言うなればそのとき残る私の死体は、ただの燃えカス。
そんなものを大切にしてくれても、意味はない。
うれしくもない。

 自信はないが、(希望)があれば、それは可能。
いつまでも前向きに生きる。
それが可能。
大切なことは、希望を絶やさないこと。

●希望論

 その希望は、向こうからやってくるものではない。
自ら、作り出すもの。
努力によって、作り出すもの。
よく「私には生きがいがない」とこぼす人がいる。
しかしそれはその人の責任。
……というのは、少し言い過ぎということはわかっている。
しかし生きることの、本当のきびしさは、このあたりにある。

 だからエリクソンは、「統合性」という言葉を使って、こう説明した。
「人生の正午と言われている満40歳(ユング)から、その準備をせよ」と。
つまり40歳ごろから、老後の生きがいとなるものを、準備せよ、と。
(すべきこと)を発見し、その(すべきこと)の基礎を作っていく。
そして老後になったら、その(すべきこと)を、現実に(する)。
それを統合性の確立という。

 何度も書くが、「退職しました。明日からゴビの砂漠で、柳の木を植えてきます」
というわけにはいかない。
そんな取ってつけたようなことをしても、長つづきしない。

 で、統合性の確立には、ひとつ大切な条件がある。
無私、無欲でなければならないということ。
功利、打算が入ったとたん、統合性の確立は、霧散する。

●無への帰着

 釈迦も「無」を説いた。
あのサルトルも、「無の概念」という言葉を、最後に使った。
私から「私」を徹底的に取り去る。
その向こうにあるのが、「無」。

 もし「死の恐怖」「死という不条理」と闘う方法があるとすれば、それは
徹底的に、私から「私」を取り除くこと。
「私」がある間は、死は恐怖であり、死はあらゆる自由をあなたから、奪う。
が、「私」がなければ、あなたはもう、何も恐れる必要はない。
失うものは、もとから、何もない。

 ……が、これはたいへんなこと。
私のような凡人は、考えただけで、気が遠くなる。
はたして、それは可能なのか。
ひとつのヒントだが、昨年亡くなった母は、私に、こんなことを教えてくれた。

 元気なときは、あれほど、お金やモノにこだわった母だが、あるとき私に
こう言った。
「お金で、命は買えん(買えない)」と。

 それまでの母はともかくも、私の家に来てからの母は、まるで別人のように、
穏やかで静かだった。
やさしく、従順だった。
その母が、そう言った。
そして死ぬときは、身のまわりにあるものと言えば、わずかばかりの洗面具と、
食器類、それに何枚かの浴衣だけだった。

 母は母なりに、「無」の世界を作りあげ、その中で静かに息を引き取った。

●希望論

 では、最後にもう一度、希望とは何か、それを考えてみる。
私は先ほど、「希望とは、向こうからやってくるものではない。
自ら、作り出すもの。
努力によって、作り出すもの」と。

しかしここでいう希望というのは、ある意味で、世俗的な希望をいう。
「宝くじが当たるかもしれない」という希望と、それほどちがわない。
となると、真の希望とは、何かということになる。
それはあるのか。
またそれを自分のものにするのは、可能なのか。

 が、ここであきらめてはいけない。

 旧約聖書にこんな説話が残っている。
こんな話だ。

 ある日、ノアが神にこう聞く。
「神よ、どうして人間を滅ぼすのか。
滅ぼすくらいなら、最初から完ぺきな人間を創ればよかった」と。
それに答えて神は、こう言う。

「人間は努力によって、神のような人間にもなれる。それが希望だ」と。

 つまり人間は努力しだいで、神のような人間にもなれるが、そうでなければ、
そうでない、と。
それが「希望」と。

 神とは言わない。
しかし神のような人間になれた人は、自らの崇高さに、真の喜びを見出すかも
しれない。
この世のありとあらゆるものを、許し、受け入れる。
もちろんそこにあるのは、永遠の命。
死の恐怖を感ずることもない。
おおらかで満ち足りた世界。
私たちは努力によって、その神に近づくことができる。
希望といえば、それにまさる希望は、ない。

 言いかえると、どんな人にも希望はある。
希望のない人は、いない。
しかもその希望というのは、あなたのすぐそばにあって、あなたに見つけて
もらうのを、静かに待っている。
そしてひとたびそれを知れば、あなたは明日からでもその希望をふところにいだきながら、
前向きに生きていくことができる。

 ……ということになる。
もちろん私はまだそんな世界を知らない。
「そこにそういう世界があるかもしれない」というところまではわかるが、そこまで。
あくまでも私の努力目標ということになる。

 ともあれ、生きるには、希望が必要。
希望さえあれば、何とか生きていかれる。
が、希望がなくなれば、いかに世俗的な欲望が満たされても、そこに待っているのは、
むなしさだけ。
それがふくらめば、絶望。
それだけは確かなようだ。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi 
Hayashi 林浩司 BW 希望論 希望とは 私の希望 講演 真の希望 私にとっての希
望)

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●価値観の転換(ライフサイクル論)

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(したいこと)から(すべきこと)へ。
中年期から老年期の転換期における、
最大のテーマが、これ。
ユングは、満40歳前後を、『人生の
正午』と呼んだ。
この年齢を過ぎると、その人の人生は、
円熟期から、統合期へと向かう。
ユングは、『自己実現の過程』と位置
づけている。


それまでの自分を反省し、では自分は
どうあるべきかを模索する。
事実、満40歳を過ぎるころになると、
(したいこと)をしても、そこにある種の
虚しさを覚えるようになる。
「これではいけない」という思いが、より強く
心をふさぐようになる。
同時に老後への不安が増大し、死の影を
直接、肌で感ずるようになる。


青春時代に、「私とは何か」を模索するように、
中年期から老年期への過渡期においては、
「私の使命とは何か」を模索するようになる。
自分の命の位置づけといってもよい。
そして(自分のすべきこと)を発見し、
それに(自分)を一致させていく。
これを「統合性の確立」という。


この統合性の確立に失敗すると、老年期は
あわれで、みじめなものとなる。
死の待合室にいながら、そこを待合室とも
気づかず、悶々と、いつ晴れるともない
心の霧の中で、日々を過ごす。


ただ、中年期、老年期、その間の過渡期に
しても、年齢には個人差がある。
レヴィンソンは、『ライフサイクル論』の
中で、つぎのように区分している
(「ライフサイクルの心理学」講談社)。


45歳〜60歳(中年期)
60歳〜65歳(過渡期)
65歳〜   (老年期)


日本人のばあい、「自分は老人である」と自覚
する年齢は、満75歳前後と言われている。
また満60歳という年齢は、日本では、
定年退職の年齢と重なる。
「退職」と同時に発生する喪失感には、
相当なものがある。
そうした喪失感とも闘わねばならない。


そういう点では、こうした数字には、
あまり意味はない。
あくまでも(あなた)という個人に
あてはめて、ライフサイクルを考える。
が、あえて自分を老人と自覚する必要はないに
しても、統合性への準備は、できるだけ
早い方がよい。
満40歳(人生の正午)から始めるのが
よいとはいうものの、何も40歳にかぎる
ことはない。


恩師のTK先生は、私がやっと30歳を過ぎた
ころ、こう言った。
「林君、もうそろそろライフワークを
始めなさい」と。


「ライフワーク」というのは、自分の死後、
これが(私)と言えるような業績をいう。
「一生の仕事」という意味ではない。


で、私が「先生、まだぼくは30歳になった
ばかりですよ」と反論すると、TK先生は、
「それでも遅いくらいです」と。


で、私はもうすぐ満62歳になる。
「60歳からの人生は、もうけもの」と
考えていたので、2年、もうけたことになる。
が、この2年間にしても、(何かをやりとげた)
という実感が、ほとんど、ない。
知恵や知識にしても、ザルで水をすくうように、
脳みその中から、外へこぼれ落ちていく。
無数の本を読んだはずなのに、それが脳の
中に残っていない。
残っていないばかりか、少し油断すると、
くだらない痴話話に巻き込まれて、
心を無意味に煩(わずら)わす。
統合性の確立など、いまだにその片鱗にさえ
たどりつけない。


今にして、統合性の確立が、いかにむずかしい
ものかを、思い知らされている。


そこで改めて、自分に問う。
「私がすべきことは、何なのか」と。


(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 ユング 人生の正午 ライフサイクル論 統合性の確立 はやし浩司
老年期の心理)

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もう1作、掲載します。

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●退職後の「?」(When we retire the jobs)


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今朝、古いラジオを戸棚から、取りだした。
久しぶりにラジオを聴いた。
俳句についての講座の番組だった。
その中の特選作……。


ひとつは、「給料運搬人……」なんとかというもの。
もうひとつは、「光陰矢の如し……」なんとかというもの。
ほかにもいろいろあった。


共通していたのは、どれも長い間のサラリーマン勤めを終えた
男たちや、それを迎える妻たちの、どこか悲哀感の漂う
俳句だったということ。


ぼんやりと聴きながら、「そういうものかなあ?」
「そういうものでもないような気がする」と、
頭の中で、いろいろな思いが交錯するのを感じた。


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私は俳句については、まったくの素人。
自分で作ったことは、あまりない。
が、どれもすばらしい俳句だった。
それはよくわかった。


で、私が気になったのは、俳句のほうではない。
その批評のほう。
何と呼んだらよいのか。
「俳句の先生」、それとも「指導者」?
「コメンテイター」?
要するに、視聴者からの俳句を選定し、批評を
加える人(女性)。
その人(女性)が、そのつど、こう言っていた。


「これからは、ゆっくりとお休みください」
「長い間、お勤め、ごくろうさまでした」
「退職後は、思う存分、お遊びください」などなど。


その人(女性)は、「私もこの年齢になり、(退職する人たちの気持ちが)、
理解できるようになりました」というようなことも
言っていた(以上、記憶によるものなので、内容は、不正確)。


しかし退職者というと、若い人たちは、どうしてそんなふうに、
とらえるのか。
「退職者は、こう思っているはず」という『ハズ論』だけが
先行している?
私はそう感じた。


とくに気になったのは、「退職後は、思う存分、お遊びください」という言葉。
私はその言葉を聞いたとき、若い人たちが、私たちの
世代を、そのように見ているのかと、がっかりした。


言うまでもなく、私もその世代の人間の1人。
しかし「遊びたい」という気持ちなど、みじんもない。
「遊べ」と言われても、遊ぶ気持ちにはなれない。
……だからといって、その人(女性)を責めているのではない。
それが世間一般の常識的な意見ということは、私にもわかっている。
それに若いときには、私もそう考えていた。
「退職したら、あとは悠々自適の隠居生活」と。


が、今はちがう。
「遊ぶ」ということに、強いむなしさを覚える。
またそんなことで、残り少ない自分の人生を、無駄にしたくない。


もちろん人、それぞれ。
退職の仕方も、人、それぞれ。
退職後の考え方も、人、それぞれ。
もちろん過ごし方も、人、それぞれ。
100人いれば、100通りの考え方がある。
退職の仕方がある。
私の考え方が正しいというわけではない。
中には、「遊びたい」と考えている人がいるかもしれない。
いても、おかしくない。


それはわかる。
しかし……。
私たちが求めるのは、そしてほしいのは、(怠惰な時間)ではない。
遊ぶための時間ではない。
(退職後の生きがい)、それがほしい。
(仕事)でもよい。
が、遊ぶための時間ではない。
だいたい遊ぶといっても、お金がかかる。
それに(遊ぶ)ということには、答がない。
「だからどうなの?」という疑問に対する、答がない。


繰り返す。
「遊んだからといって、それがどうなの?」と。
遊べば遊ぶほど、空しさがつのるだけ。
休むといっても、病院のベッドの上で休むのは、ごめん。
さらに言えば、休んだあと、どうすればよいのか。


退職者の最大の問題。
それは何度も書いてきたように、「自我の統合性」。
その統合性を、いかに確立するか、だ。


(自分がすべきこと)を発見し、そのすべきことに、
(現実の自分)を一致させていく。
(自分がすべきこと)を、「自己概念」という。
(現実の自分)を、「現実自己」という。
この両者を一致させることを、「自我の統合性」、
もしくは「自己の統合性」という。


自我の統合性の確立した老人は、すばらしい。
晩年を生き生きと、前向きに過ごすことができる。
そうでなければ、そうでない。
仏壇の仏具を磨いたり、墓参りだけをして、日々を過ごすようになる。
私の知人の中には、満55歳で役所を定年退職したあと、
ほぼ30年近く、庭いじりだけをして過ごしている人がいる。
年金は、月額にして、27〜8万円もあるという。
しかしそんな老後が、はたして理想的な老後と言えるのだろうか。


その知人は、1年を1日にして、生きているだけ(失礼!)。
10年を、1年にして、生きているだけ(失礼!)。


だから私はその人(女性)にこう反論したい。


「これからは、ゆっくりとお休みください」だと!
バカも休み休み、言え、バカヤロー!、と。
私たちの年齢をバカにするな!
(少し過激かな?)


そのあと、ワイフとこんな会話をした。


私「給料運搬人というのも、かわいそうだね。自分の仕事をそんなふうに
考えていたのだろうか」
ワ「そうよね。さみしいわね。仕事を通して生きがいというのは、なかったの
かしら」
私「ぼくも仕事をしてきたけど、自分が給料運搬人などというふうには、
考えたことはないよ」
ワ「そうねエ……」と。


給料運搬人とその人が、そう感ずるならなおさら、退職後は、そうでない仕事を
したらよい。
生きがいを求めたらよい。
「世のため、人のため」とまではいかないにしても、何かできるはず。
もしここで、その人(女性)が言うように、ゆっくりと休んでしまったら、それこそ
自分の人生は何だったのかということになってしまう。


残り少ない人生であるならなおさら、最後のところで、自分を燃焼させる。
できれば思い残すことがないよう、完全燃焼させる。
それが今まで、無事生きてきた私たちの務めではないのか。
若い人たちに、自分たちがしてきた経験や知恵を伝えていく。
若い人たちが、よりよい人生を歩むことができるよう、その手助けをしてやる。


まだ人生は終わったわけではない。
平均寿命を逆算しても、まだ25年もある。
「遊べ」だの、「休め」と言われても、私は断る。
私には、できない。


【3】(近ごろ、あれこれ)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□

●自我の統合性と世代性(我々は、どう生きるべきか?)
(Do we have what we should do? If you have something that you should do, your life 
after you retire from your job, would be fruitful. If not, you will despair in a 
miserable age.)

+++++++++++++++++

乳児期の信頼関係の構築を、人生の
入り口とするなら、老年期の自我の
統合性は、その出口ということになる。

人は、この入り口から、人生に入り、
そしてやがて、人生の出口にたどりつく。

出口イコール、「死」ではない。
出口から出て、今度は、自分の(命)を、
つぎの世代に還元しようとする。

こうした一連の心理作用を、エリクソンは、
「世代性」と呼んだ。

+++++++++++++++++

我々は何をなすべきか。
「何をしたいか」ではない。
「何をなすべきか」。

その(なすべきこと)の先に見えてくるのが、エリクソンが説いた、「世代性」である。
我々は、誕生と同時に、「生」を受ける。
が、その「生」には、限界がある。
その限界状況の中で、自分の晩年はどうあるべきかを考える。

その(どうあるべきか)という部分で、我々は、自分たちのもっている経験、知識、哲学、
倫理、道徳を、つぎの世代に伝えようとする。
つぎの世代が、よりよい人生を享受できるように努める。

それが世代性ということになる。

その条件として、私は、つぎの5つを考える。

(1)普遍性(=世界的に通用する。歴史に左右されない。)
(2)没利己性(=利己主義であってはいけない。)
(3)無私、無欲性(=私の子孫、私の財産という考え方をしない。)
(4)高邁(こうまい)性(=真・善・美の追求。)
(5)還元性(=教育を通して、後世に伝える。)

この世代性の構築に失敗すると、その人の晩年は、あわれでみじめなものになる。エリク
ソンは、「絶望」という言葉すら使っている(エリクソン「心理社会的発達理論」)。

何がこわいかといって、老年期の絶望ほど、こわいものはない。
言葉はきついが、それこそまさに、「地獄」。「無間地獄」。

つまり自我の統合性に失敗すれば、その先で待っているものは、地獄ということになる。
来る日も、来る日も、ただ死を待つだけの人生ということになる。
健康であるとか、ないとかいうことは、問題ではない。

大切なことは、(やるべきこと)と、(現実にしていること)を一致させること。

が、その統合性は、何度も書くが、一朝一夕に確立できるものではない。
それこそ10年単位の熟成期間、あるいは準備期間が必要である。

「定年で退職しました。明日から、ゴビの砂漠で、ヤナギの木を植えてきます」というわ
けにはいかない。
またそうした行動には、意味はない。

さらに言えば、功利、打算が入ったとたん、ここでいう統合性は、そのまま霧散する。
私は、条件のひとつとして、「無私、無欲性」をあげたが、無私、無欲をクリアしないか

り、統合性の確立は不可能と言ってよい。

我々は、何のために生きているのか。
どう生きるべきなのか。
その結論を出すのが、成人後期から晩年期ということになる。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
Hiroshi Hayashi education essayist writer Japanese essayist 人生の統合性 世代性
 統
合性の確立)

(追記)

(やるべきこと)の基礎をつくる時期は、「人生の正午」(エリクソン)と言われる40

前後である。もちろんこの年齢にこだわる必要はない。早ければ早いほど、よい。

その時期から、先にあげた5つの条件を常に念頭に置きながら、行動を開始する。

この問題だけは、そのときになって、あわてて始めても、意味はない。
たとえばボランティア活動があるが、そういう活動をしたこともない人が、いきなりボラ
ンティア活動をしたところで、意味はない。身につかない。

……ではどうするか?、ということになるが、しかしこれは「ではどうするか?」という
問題ではない。
もしそれがわからなければ、あなたの周囲にいる老人たちを静かに観察してみればよい。

孫の世話に庭いじりをしている老人は、まだよいほうかもしれない。
中には、小銭にこだわり、守銭奴になっている人もいる。
来世に望みを託したり、宗教に走る老人もいる。
利己主義で自分勝手な老人となると、それこそゴマンといる。

しかしそういう方法では、この絶望感から逃れることはできない。
忘れることはできるかもしれないが、それで絶望感が消えるわけではない。

もしゆいいつ、この絶望感から逃れる方法があるとするなら、人間であることをやめるこ
とがある。
認知症か何かになって、何も考えない人間になること。
もし、それでもよいというのなら、それでもかまわない。
しかし、だれがそんな人間を、あるべき私たちの老人像と考えるだろうか。

(付記)

統合性を確立するためのひとつの方法として、常に、自分に、「だからどうなの?」と自

してみるという方法がある。

「おいしいものを食べた」……だから、それがどうしたの?、と。
「高級外車を買った」……だから、それがどうしたの?、と。

ところがときどき、「だからどうなの?」と自問してみたとき、ぐぐっと、跳ね返ってく

ものを感ずるときがある。
真・善・美のどれかに接したときほど、そうかもしれない。

それがあなたが探し求めている、「使命」ということになる。

なおこの使命というのは、みな、ちがう。
人それぞれ。
その人が置かれた境遇、境涯によって、みな、ちがう。

大切なことは、自分なりの使命を見出し、それに向かって進むということ。
50歳を過ぎると、その熱意は急速に冷えてくる。
持病も出てくるし、頭の活動も鈍くなる。

60歳をすぎれば、さらにそうである。

我々に残された時間は、あまりにも少ない。
私の実感としては、40歳から始めても、遅すぎるのではないかと思う。
早ければ早いほど、よい。

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退職後の人生について書いたのが、
つぎの原稿です。
ちょうど1年前に書いたものです。

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●退職後の人たち

退職後の人たちの情報が、つぎつぎと入ってくる。
そういう人たちを、おおまかに分けると、おおむね、つぎのようになる。

(1) 道楽型(旅行三昧、趣味三昧の生活をする)
(2) ゴロゴロ型(何もしないで、家でゴロゴロする)
(3) 挑戦型(若いころできなかったことに、再挑戦する)
(4) 隠居型(息子夫婦などと同居。孫の世話などをする。)
(5) 奉仕型(何かのボランティア活動に精を出す。)
(6) 仕事型(そのまま関連の仕事をつづける。)
(7) 運動型(健康のためと称して、あらゆるスポーツをする。)

もちろんこれらの混合型というのも、ある。
しかし主にどれか、ということになると、たいてい1つに絞られる。
またどれがよいとか、悪いとかいうことではない。
人、それぞれ。
それぞれの人が、それでハッピーなら、それでよい。

ただ言えることは、どこかで「統合性の確立」をめざさないと、
老後もつまらないものになるということ。
統合性の確立というのは、(すべきこと)を見つけ、それに自分を
一致させていくことをいう。
(したこと)ではない。
(すべきこと)である。

私たちはみな、何かの義務をもって、この世に生まれている。
義務の内容は、人によって、みなちがう。
退職後は、その義務を果たす。
単純に考えれば、ボランティア活動ということになる。
が、これは一朝一夕には、できない。
「退職しました。明日からゴビ砂漠へ行って、柳の木の苗を
植えてきます」というわけにはいかない。
そんな取って付けたようなことをしても、長つづきしない。
使命感も生まれない。

で、老後というのは、みな、平等にやってくる。
例外はない。
その老後の準備をするのは、50代では遅すぎる。
エリクソンは、「40歳から……」と説く。
「40歳は人生の正午」と。
しかし実際には、40歳でも、遅すぎるのでは?

若いころからの積み重ねがあってはじめて、老後に統合性の確立が
できる。
しかも統合性の確立は、無視、無欲でなければならない。
何らかの利益につなげようと思ったとたん、統合性は霧散する。

で、私自身は、どうなのか?
私はだいじょうぶなのか?
またどの「型」に当てはまるのか?

が、私はまだ退職状態ではない。
あと9年は、現役でがんばる。
そのときまだ頭と体がだいじょうぶなら、さらにもう少し、がんばる。
統合性の確立がうまくできるかどうかについては、本当のところ、自信はない。
ないが、あえて言うなら、今、こうして文章を書くようなことが、
老後の生きがいになりそう。
少しでも多く、ものを書いて、若い人たちの役に立ちたい。 

++++++++++++++++++

さらに2年前に書いた原稿を
添付します。
内容が重複しますが、お許しください。

++++++++++++++++++

●自己の統合性

++++++++++++++

私は何をすべきか。
まず、それを考える。

つぎにその考えに応じて、
では、何をすべきか、
それを考える。

考えるだけでは足りない。
現実の自分を、それに
合わせて、つくりあげていく。

これを「統合性」という。

つまり(自分がすべきこと)と、
(現実に自分がしていること)を、
一致させる。

老後を心豊かに生きるための、
これが、必須条件ということに
なる。

+++++++++++++

●自分は何をすべきか

 定年退職をしたとたん、ほとんどの人は、それまでの(自分)を、幹ごと、ボキッ折ら
れてしまう。

 ある日突然、ボキッ、とだ。

 とたん、それまでの自分は何だったのか、と思い知らされる。金儲けだけを懸命にして
きた人も、そうだ。年をとれば、体力が衰える。気力も衰える。思うように金儲けができ
なくなったとたん、心は、宙ぶらりんの状態になってしまう。

 そこで「自己の統合性」ということになる。

 (自分がすべきこと)を、(現実にしている人)は、自己の統合性があるということに
なる。そうでない人は、そうでない。

 似たような言葉に、「自己の同一性」というのがある。こちらのほうは、(自分のした
いこと)と、(現実にしていること)が一致した状態をいう。青年期には、ほとんどの人
が、この同一性の問題で悩む。苦しむ。

 「自分さがし」とか、「私さがし」とかいう言葉を使う人も多い。自分のしたいことは、
そこにあるのに、どうしても手が届かない。そういう状態になると、心はバラバラになっ
てしまう。何をしても、むなしい。自分が自分でないように感ずる。

 しかし統合性の問題は、同一性よりも、もっと深刻。いくら悩んだとしても、青年期に
は、(未来)がある。しかし老年期に入ると、それがない。たとえて言うなら、断崖絶壁
に立たされたような状態になる。先がない。

 そこで多くの人は、その段階で、「自分は何をすべきか」を考える。「何をしたいか」
ではない。この年齢になると、(したいことをする)ということのもつ無意味さが、よく
わかるようになる。

 高級車を買った……だから、それがどうなの?
 家を新築した……だから、それがどうなの?
 株で、お金を儲けた……だから、それがどうなの、と。

 モノやお金、名誉や地位では、心のすき間を埋めることはできない。成功(?)に酔い
しれて、自分を忘れることはできる。が、そこには限界がある。(酔い)は、(酔い)。
一時的に自分をごまかすことはできても、そこまで。その限界を感じたとき、人は、こう
考える。

 「これからの余生を、どう生きるべきか」と。その(どう生きるべきか)という部分か
ら、「自分はどうあるべきか」という命題が生まれる。

 しかし大半の人は、そんなことを考えることもなく、老後を迎える。ある日、気がつい
てみたら、退職、と。冒頭に書いたように、ある日突然、ボキッと、幹ごと折られたよう
な状態になる。

 では、どうするか?

 多くの心理学者は、こうした作業は、40歳前後から始めなくてはいけないと説く。4
0歳という年齢を、「人生の正午」という言葉を使って説明する学者もいる。

50代に入ってからでは遅い。いわんや、定年退職をしたときには、遅い。働き盛りとい
われる40歳前後である。

 つまりそのころから、老後に向けて、自分の心を整えておく。準備をしておく。具体的
には、(自分を何をすべきか)という問題について、ある程度の道筋をつけておく。つま
りそれをしないまま、いきなり老後を迎えると、ここでいうような、(ボキッと折られた
状態)になってしまう。

 繰りかえすが、(したいこと)を考えるのではない。(自分がすべきこと)を考える。
この両者の間には、大きな隔(へだ)たりがある。というのも、(自分がすべきこと)の
多くは、(したいこと)でないことが多い。(すべきこと)には、いつも苦労がともなう。

 たとえば以前、80歳をすぎて、乳幼児の医療費無料化運動に取り組んでいた女性がい
た。議会活動もしていた。賛同者を得るために、いくつかのボランティア活動もこなして
いた。その女性にしてみれば、乳幼児の医療費が無料になったところで、得になることは
何もない。が、その女性は、無料化運動に懸命に取り組んでいた。そこで私は、その女性
に、こう聞いた。

 「何が、あなたを、そうまで動かすのですか?」と。

 するとその女性は、こう言った。「私は生涯、保育士をしてきました。どうしてもこの
問題だけは、解決しておきたいのです」と。

 つまりその女性は、(自分がすべきこと)と、(現実に自分がしていること)を、一致
させていた。それがここでいう「自己の統合性」ということになる。

●退職後の混乱 

 しかし現実には、定年退職してはじめて、自分さがしを始める人のほうが、多い。大半
の人がそうではないのか。

 中には、退職前の名誉や地位にぶらさがって生きていく人もいる。あるいは「死ぬまで
金儲け」と、割り切って生きていく人もいる。さらに、孫の世話と庭いじりに生きがいを
見出す人も多い。存分な退職金を手にして、旅行三昧(ざんまい)の日々を送る人もいる。

 しかしこのタイプの人は、あえて(統合性の問題)から、目をそらしているだけ。先ほ
ど、(酔い)という言葉を使ったが、そうした自分に酔いしれているだけ。

 ……と書くと、「生意気なことを書くな」と激怒する人もいるかもしれない。事実、そ
のとおりで、私のような第三者が、他人の人生について、とやかく言うのは許されない。
その人がその人なりにハッピーであれば、それでよい。

 が、深刻なケースとなると、定年退職をしたとたん、精神状態そのものが宙ぶらりんに
なってしまうという人もいる。そのまま精神を病む人も少なくない。会社員であるにせよ、
公務員であるにせよ、仕事一筋に生きてきた人ほど、そうなりやすい。

 私の知人の中には、定年退職をしたとたん、うつ病になってしまった人がいる。私は個
人的には知らないが、ときどきそのまま自殺してしまう人もいるという。つまりこの問題
は、それほどまでに深刻な問題と考えてよい。

●では、どうするか?

 満40歳になったら、ここでいう自己の統合性を、人生のテーマとして考える。何度も
繰りかえすが、「私は何をしたいか」ではなく、「私は何をすべきか」という観点で考え
る。

 そのとき重要なことは、損得の計算を、勘定に入れないこと。無私、無欲でできること
を考える。仮にそれが何らかの利益につながるとしても、それはあくまでも、(結果)。
名誉や地位にしてもそうだ。

 ほとんどのばあい、(すべきこと)には、利益はない。あくまでも(心の問題)。とい
うのも、(すべきこと)を追求していくと、そこには絶えず、(自分との闘い)が、ある。
その(闘い)なくして、(すべきこと)の追求はできない。もっとわかりやすく言えば、この問題は、
(自分の命)の問題とからんでくる。追求すればするほど、さらに先に、目
標が遠のいてしまう。時に、そのため絶望感すら覚えることもある。

 損得を考えていたら、(自分との闘い)など、とうていできない。

たとえば恩師の田丸先生は、先日会ったとき、こう言っていた。「私がすべきことは、人
を残すことです」と。

 そこで私が、「先生は、名誉も、地位も、そして権力も、すべて手にいれた方です。そ
ういう方でも、そう思うのですか」と聞くと、「そうです」と。高邁(こうまい)な人物
というのは、田丸先生のような人をいう。

 そこで……というより、「では私はどうなのか」という問題になる。私は、自分の老後
はどうあるべきと考えているのか。さらには、私は、何をなすべきなのか。

 実のところ、私自身、自分でも何をすべきなのか、よくわかっていない。あえて言うな
ら、真理の探究ということになる。私は、とにかく、この先に何があるか知りたい。が、
この世界は、本当に不思議な世界で、知れば知るほど、そのまた先に、別の世界が現れて
くる。ときどき、自分が無限の宇宙を前にしているかのように錯覚するときもある。

 すべきことはわかっているはずなのに、それがつかめない。つかみどころがない。だか
らよく迷う。「こんなことをしていて、何になるのだろう」「時間を無駄にしているだけ
ではないのか」と。

 つまり、自己の統合性が、自分でもわかっていない。できていない。つまり私の理論に
よれば、私は、この先、みじめで暗い老後を送ることになる。

 だから……というわけでもないが、繰りかえす。

 40歳になったら、ここでいう「統合性」の問題を、真剣に考え始めたらよい。「まだ
先」とか、「まだ早い」と、もしあなたが考えているとしたら、それはとんでもないまち
がいである。子育てが終わったと思ったとたん、そこで待っているのは、老後。50代は、
早足でやってくる。60代は、さらに早足でやってくる。

 さあ、あなたは、自分の人生で、何をなすべきか? それを一度、ここで考えてみてほ
しい。

(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
統合性 統合性の一致 統合性一致 自己統合性 自己の統合性 すべきこと 人生の目
標)

【付記】

 もうひとつの生き方は、何も考えないで生きるという方法。あるいはどこかのカルト教
団に身を寄せて、そこで生きがいを見出すという方法もある。

 しかし人間は、考えるから、人間なのである。もし、何も考えない人がいたとしたら、
その人は、そこらに住む動物と同じ。明日も今日と同じという日々を送りながら、やがて
そのまま静かに自分の人生を終える。

 そのことは、頭のボケた母を見ていると、わかる。母は、今、自分がどこに住んでいる
かさえ、ときどきわからなくなる。ワイフの顔を見て、別の人の名前で呼んだりする。し
かし食欲だけは、人一倍旺盛。食事の時間になると、血相を変えて、その場所にやってく
る。

 そういう私の母には、もう目標はない。何のために生きているのかという目的すら、な
い。何かにつけて、自己中心的で、もちろん、自分がすべきことなど、何も考えていない。
毎日、ものを食べるために生きているだけ。しかしそんな人生に、どれほどの意味がある
というのか。価値があるというのか。

 もちろん母は母で懸命には生きている。それはわかる。が、それでも、ただ、生きてい
るだけ。つまり考えないで生きるということは、今の母のような状態になることを意味す
る。母は、高齢だからしかたないとしても、私やあなたが、そうであってよいはずはない。

 私たちはこの世に生まれた以上、何かをなすべきである。その(なすべきこと)は、人、
それぞれ。みな、ちがう。しかしそれでも、何かをなすべきである。またそういう使命を
みな、負っている。

 要するに、ここで私が言いたいことは、老後になってから、その(なすべきこと)をさ
がそうとしても、遅いということ。老後といっても、長い。人によっては、30年近くも
ある。20歳から50歳までの年数に等しい。

統合性の問題は、いかにその期間を、有意義に過ごすかという問題ということになる。決
して、安易に老後を迎えてはいけない。それだけは、確かである。


+++++++++++++++++

もう1作、「同一性」について書いた
原稿を、掲載します。

+++++++++++++++++

●心理学でいうアイデンティティとは、

(1)「自分は他者とはちがう」という、独自性の追求、
(2)「私にはさまざまな欲求があり、多様性をもった人間である」という、統合性の容
認、
(3)「私の思想や心情は、いつも同じである」という、一貫性の維持、をいう(エリク
ソン)。

++++++++++++++++++++

 エリクソンは、アイデンティティの確立(自己同一性の確立)について、つぎの3つの
ものをあげる。

(1)「自分は他者とはちがう」という、独自性の追求、
(2)「私にはさまざまな欲求があり、多様性をもった人間である」という、統合性の容
認、
(3)「私の思想や心情は、いつも同じである」という、一貫性の維持、である。

(1)独自性の追求

 「老人はこうあるべきだ」という目に見えない、圧力。それを加齢とともに、強く感ず
るようになった。どうしてか?

 たとえば私はあと1年で、「還暦(かんれき)」と呼ばれる年齢になる。「60にして、
還暦」の「還暦」である。十干と十二支の組みあわせでは、満60歳(数え年では、61
歳)のときに、干支(えと)に戻るので、「還暦」という。「暦(こよみ)が、還(かえ)
る」という意味である。

 で、ときどき人に、こう言われる。「林さんも、来年は還暦ですね」と。つまり私は、
そういうふうにして、まわりの人たちから、自分の年齢を作られていく。

ところで子どもの世界には、「役割形成」という言葉がある。男の子は、いつの間にか男
の子らしくなっていく。女の子は、いつの間にか女の子らしくなっていく。遺伝子の作用
によるものだという説もあるが、遺伝子の作用だけでは、すべてを説明できない。

 まわりの人たちが、いつの間にか、男の子を男の子らしくしていく。女の子を女の子ら
しくしていく。子ども自身も、意識の外の世界で、自ら、男の子らしくなり、女の子らし
くなっていく。

 それと同じような現象が、現在進行形の形で、私の身のまわりで起こりつつある。私は、
今、老人にされつつある。だから、こう叫ぶ。

 「何が、還暦だ!」「くだらないこと言うな!」と。

 しかしその声には力がない。いくら叫んでも、その声は、そのままカスミの向こうに消
えてしまう。

 となると、「独自性とは何か」ということになる。いや、それを考える前に、いったい、
私には、独自性と言えるようものがあるのかということになる。服装だとか、髪型とか、
そういうものは、どうでもよい。大切なのは、中身だ。精神だ。その中身や精神の部分で、
独自性と言えるようなものがあるのか、と。

 どこかに(私らしさ)はあるにはあるが、いつも道に迷ってばかりいる。「これは!」
と思うような部分でも、相手やその周囲の人たちに、すぐ迎合してしまう。

 今の今も、そうで、生活自体が、加齢とともに、しぼんでいくのが、自分でもわかる。
体力も落ちた、収入も減った、正義感も薄れた、集中力もつづかない。そういう現実を前
にして、「では、どうすればいいのか」と考えることが多くなった。それが自分を、どん
どんと、老人臭くしていく。

 しかし私は、あえて、抵抗してやる。だれが老人臭くなっていくものか!

(2)統合性の容認

 いつの間にか、私は「教育評論家」ということになってしまった。しかしこの言葉は、
あまり好きではない。私は、したいことをしているだけ。書きたいことを書いているだけ。

 私は、ごくふつうの人間だし、ごくふつうの生き方をしている。聖人でもないし、君子
でもない。

 だから「教育評論家のくせに……」と言われることくらい、不愉快なことはない。とき
どき、そう言われる。とくにみなの前で、バカ話をしたようなときに、そうだ。しかもそ
れなりの人に、そう言われるならまだしも、そこらのオジサンにそう言われるから、たま
らない。

 「林さん、あんた、教育評論家だろ。その教育評論家がそういうことを言っちゃア、い
かんよ」とか、など。

 酒やタバコ、それに女遊びこそしないが、しかし性欲だってふつうにある。美しい女性
を見れば、抱きたくなる。裸を想像する。チャンスがあれば、浮気だってしたいと思って
いる。

 どうしてそういう私を、私自らが、否定しなければならないのか。つまり、それを否定
してしまうと、私は、私でなくなってしまう。エリクソンが説くところの、統合性がなく
なってしまう。

 仮面をかぶってはいけない。自分を偽ってはいけない。私は私である前に、人間なのだ。
その人間であることを、そのまま認めて生きる。スケベな話、大好き! どうしてそれが
悪いことなのか!

(3)一貫性の維持

 一貫性のあるなしは、一貫性のない人を見れば、それがよくわかる。これは極端な例だ
が、認知症か何かになった人を、見てみればよい。

 数日前に、何か仕事を頼んだときには、「いいですよ」「心配ないですよ」と言ってお
きながら、いざ、当日になると、不機嫌な顔をして、文句ばかり言う。こういう人は、つ
きあいにくい。その人がどういう人なのか、それさえわからない。

 子どもの世界でも、似たようなことを観察する。

 年長児(満6歳児)ともなると、その子どもらしさ、つまり人格の輪郭(りんかく)が、
明確になってくる。人格の核(コア・アイデンティティ)が確立してくるからである。教
える側からすると、「この子は、こういう子だ」という、(つかみどころ)ができてくる。

 が、不幸にして不幸な家庭環境、たとえば、育児放棄、無視、冷淡、虐待、家庭崩壊、
愛情飢餓を経験したような子どもは、この核形成が、遅れる。軟弱で、つかみどころのな
い子どもになる。ときに、何を考えているかさえ、わからなくなる。

 このことを、ここでいう一貫性にあてはめてみると、一貫性というのは、他人から見た
(つかみどころ)ということになる。その(つかみどころ)のある人を、一貫性のある人
といい、そうでない人を、そうでないという。

 わかりやすく言うと、自分がもつ一貫性などというものは、まったくアテにならない。
「私は一貫性がある」と思っている人でも、一貫性のない人はいくらでもいる。自分で、
そう思いこんでいるだけ。

 そこでこの一貫性を知るためには、一度、視点を、自分の外に置いてみなければならな
い。視点を外に置き、そこから自分を見つめなおしてみる。その時点で、自分には一貫性
があるかどうかを、判断する。

 あなたは、他人から見たとき、わかりやすい人間だろうか。あるいはあなたの子どもは、
あなたという親から見たとき、わかりやすい子どもだろうか。

 以上、こうして、「私らしさ」を求めていく。その私らしさができたとき、つまり(自
己概念)と(現実自己)が一致したとき、自己の同一性(アイデンティティ)が、確立さ
れたとみる。

 自己の同一性が確立した子どもは、どっしりとしている。落ちついている。多少の誘惑
ぐらいでは、ビクともしない。夢と希望をもち、自分で目標に向かって進んでいく。
(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 
アイデンティティ 独自性 統合性 一貫性 エリクソン 自己の同一性 老後の生き方 
退職後の生き方 統合性の確立 はやし浩司)








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特集【介護と子どもの意識】

●介護と子どもの意識

+++++++++++++++++

介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。

つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。

(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。

10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしいから。)

++++++++++++++++++

●ジジ・ババ受難の時代

++++++++++++++

年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。

これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。

++++++++++++++

 私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、ジジ・ババ
への風当たりが強くなってきている。

 若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配者をののし
る表現が、最近、目につくようになってきた。ある交通事故の相談を専門に受けつけるBLOG
には、こんな書きこみすらあった。

 「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。おかげで、こちらは2週間も入院。そのジ
ジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。あんなジジイに、何度も見舞いに来られ
て、うるさくてしかたねえ。こっちは、迷惑している」と。

 その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。

 つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。そんな感じがする。老人医
療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになってきた。加え
て、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。若者たちは、程
度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。

 これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。「現在の日本の繁栄を築きあげ
たのは、私たちの世代だ」と。

 しかしこれは、ウソ。団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。

 たしかに結果的には、そうなった。つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、身勝
手な論理にすぎない。私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんばってきた
だろうか。私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってきた。結果として
日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。

 そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。

 しかしこれは深刻な問題でもある。

 これから先、高齢者はもっとふえる。やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以上にな
るとも言われている。そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目で見るだろう
か。そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。

 ジジ・ババは、ゴミ。
 ジジ・ババは、臭い。
 ジジ・ババは、ムダな人間、と。

 そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この日本は、
たいへん住みにくい国ということになる。そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常的に起こるよう
になるかもしれない。

 では、どうすればよいのか。

 ……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもということ
になる。が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊されている。親
たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」などと言っているう
ちに、そうなる。

 中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマンといる。反
対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、親思いになる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた自身のことを考えてみ
ればよい。

 「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。「親の恩も遺産次第」と考えている若
者は、もっと多い。たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と答え
ている。つまり「余裕がなければ、みない」※と。数年置きに、総理府が調査しているので、そ
のうち、これについての全国的な調査結果も出てくると思うが、これが現状と考えてよい。

 私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。そこでは、30〜40人の老
人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をしている。見た目には、のど
かで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわからない。

 すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。補助金を
削減し始めている。10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきびしくなる。単純
に計算しても、今は30〜40人だが、それが90〜120人になる。

 そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろうか。また
どのように考えるだろうか。

 老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。ケア・センターでは、老人たち
が、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりしている。ああい
うのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。

 高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。そういう人たちが、手をたたいて、カ
ラオケで童謡を歌っている! つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言えない。ま
た、そうであっては、いけない。

 わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。社会とかか
わりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。そういうかかわりあいとい
うか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それなりにの(人間)として認
められるようになる。

 「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄できた
か、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていはいけない。

 私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に! 姿勢を低くして、若者
や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。その努力を今から、怠ってはいけない。

++++++++++++++++

古い原稿を再掲載します。

++++++++++++++++

●本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そこで私
が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。それにそれまでに
うんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。「それだけのお金
を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者
がふえている。

 97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後のめん
どうを、あなたはみるか」と。

それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%! この数字がい
かに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。さらに東南アジアの若者たちの、80
〜90%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字よ
り、4ポイントもさがっている。このことからもわかるように、若者たちのドラ息子化は、ますます
進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均2
7万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。

だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。それこそ爪に
灯をともすような生活を強いられる。が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。大学という巨
大な遊園地で、遊びまくっている! 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母
親がいた。春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけで
も、数万円も使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。何を
いまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。今、
行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。

大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるいはブランド
だけで、大学を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学
生もいる(新聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、私た
ち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。

私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、さらに
こう言った。「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費
用だけでも、月に4万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができる
だろうか。

(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。月平均になおすと、約26・6万円。毎月
の仕送り額が、平均約12万円。そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均
年収は1005万円。自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万
円。99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)

+++++++++++++++

つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。

+++++++++++++++

●高齢者への虐待

+++++++++++++

やはり高齢者への虐待が
ふえているという。

これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。

+++++++++++++

 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護
サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11
月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があっ
たということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。

 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。夫が虐待
するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということ
になる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

(1)殴る蹴るなどの、身体的虐待
(2)ののしる、無視するなどの、心理的虐待
(3)食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
(4)財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。こうした虐待
は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。最近の若者のうち、「将来親の
めんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っ
ている世代はいない。飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。本来なら、親に
感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こ
んなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う。(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言
うのだが……。)子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場では
ない。心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。これはもう、立派な
虐待と考えてよい。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだい
ている。それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。子どもの心は、その受験期をさかいに、急速
に親から離れていく。しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。あなたの周辺には、心の暖かい人も
いれば、そうでない人もいる。概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、
今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、
連続して教えたことがある。そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期に
またがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライ
で、合理的になる。はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え
方を、平気でするようになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えな
い。つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろう
か。……言うことができるだろうか。あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目
で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

++++++++++++++++++++++

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

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●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子
どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続
くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、いつも
他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、ごくふつう
の子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」と
か、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血が
タラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその日のノ
ルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり
出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような残虐事
件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小二男
児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題
になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。ネコやウサギをお
もしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊ん
でいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小3男児)もい
た。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、い
わゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担や過干
渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で
発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られて
いる。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温かい人も
いれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいと
いうことを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、
それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。それを忘れてはならない。

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。それは事実だが、破壊された子ども、あるい
はそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。本当の問題は、「では、なぜ、親たち
は、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。学歴のある人は、とことん得をし、
そうでない人は、とことん損をした。こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通し
て、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。意識を変え、制度を変
え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。おかしいことは、「おかし
い」と言う。そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。しかしこれだけは言え
る。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、遅い
ということ。そのとき、気づいたのでは、遅いということ。今ここで、心豊かな親子関係とは、ど
んな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●受験競争の弊害

++++++++++++++++

受験競争の弊害をあげたら、キリがない。

問題は、しかし、受験競争そのものではなく、
それがわかっていても、なお、親たちは
子どもの受験競争に狂奔するか、である。

そのあたりまでメスを入れないと、
この問題がもつ本質的な意味を
理解することはできない。

+++++++++++++++++

 精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場で、
他人の心情でものを考えられるかということ。つまり他人への、協調性、共鳴性、同調性、調
和性などによって決まる。

 言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。

 そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それだけ
精神の完成度が、低いということになる。さらに言いかえると、このあたりを正確に知ることに
より、その人の精神の完成度を知ることができる。

 子どもも、同じに考えてよい。

 子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。しかしこれは遺伝
子と、発育環境の問題。

 それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。が、ここ
でいくつかの問題にぶつかる。

 一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばんでし
まう要因があること。

 二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面化の
自覚がないこと。

 内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。この受験競争は、どこまでも個人的なも
のであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。子どもにかぎらず、利己的であればあるほ
ど、当然、「利他」から離れる。そしてその結果として、その子どもの内面化が遅れる。ばあい
によっては、「私」から「私」が離れてしまう、非個性化が始まることがある。

 ……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そういう側面
がある。ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受験競争をす
る子どももいるのはいる。しかしそういう子どもは、例外。

(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれている。
『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を導く』など。
それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自己正当化している
だけ。

 その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に高
邁な人たちかというと、それは疑わしい。疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知っている。
こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)

 実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。

(1)利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
(2)打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
(3)功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
(4)独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
(5)追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
(6)見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
(7)人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)

 こうして弊害をあげたら、キリがない。

 が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。親自
身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたたきこまれて
いる。それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方をすることができな
い。

 もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的。迎合
的。

 そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。い
や、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。今でも、
農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。

 一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、どこか
心が冷たい。いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうでないと、都会
では、生きていかれない? 

これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。しかしこうした印象をもつのは、私だ
けではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。

 子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。避けてはとおれない
こと。それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊してしまう。
しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうでないとのとでは、大きな
違いが出てくる。

 一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ある母親からの相談(2010年1月7日)

 たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
一部を変えて、そのまま紹介させてもらう。

【MSさんからはやし浩司へ】

はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。私の子供はもう19才と17才になり、子育てという年
齢ではなくなっていますが、それでも、何かと心に思うことがあり、子育てのブログを読ませて
いただいております。

今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってしま
い、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。
先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。今時のレンタルは
早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の親にはすでにアル
バムを渡しております。この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父母宅に寄
り、振袖姿を披露しました。

ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。その時の私
のショックは言葉に出来ません。長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せっかくの
成人式なので好きな着物を選ばせ、トータル20万円もしました。今、思い起こせば、着物を選
ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。私は娘の様子を見ているだけで吐き気が
するほど、気分が悪くなってしまいました。

これも、私がそう育ててしまったのだから・・・ しっかりものの長女のこと、何か出席したくない
よっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖姿は見たし、祖父母にも披露し、アルバムも撮影
済み。何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればいい・・・ と自分に言
い聞かせる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きません。これも、許して忘れ
る・・・でいいのでしょうか?

加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。不安で不
安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子供には大学に行ってもらいたいと、小さい
頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。

こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に大変な時
期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。それから、子育てに自身がなく
なり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。 

何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。

【はやし浩司よりMSさんへ】

 まず先の「介護と子どもの意識」を読んでみてください。
今のあなたの考え方も、少しは変ると思います。

 簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。

 しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまっているので
すね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでしょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。

 お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてください。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5〜10年
もすると、あなたも老人の仲間入りです。

 では、どうするか。
つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに渡しては
いけない」と。

 同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているかという
と、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。

 だから私の結論は、こうです。

「よしなさい!」です。

 娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた儀式の
ために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。

 子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子どもの心は離
れていきます。
それを当然と考えます。

 20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだとき
のこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。

 「借金でも何でもよいからして、責任を取れ!」と。

 そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。

 率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。

 あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく・・・。

 その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれません。

 ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか読んで
みてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。

 二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよいでしょ
う・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切らない
と、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●介護問題と子どもの意識

 介護保険は、すでにパン状態。
政府は税金をあげることだけを考えている。
しかしそれよりも重要なのは、子どもの・・・というよりは、日本人の意識を変えていくこと。
今のままでは、日本の介護制度は、その根底部分から崩れる。
「心」がない。
心がない介護制度など、またそれによってできる施設など、刑務所のようなもの。
「死の待合室」と表現した人もいる。
そんな施設に入れられて、だれがそれを「快適」と思うだろうか。

 どうして日本人の心は、こうまで冷たくなってしまったのか?
脳のCPUの問題だから、冷たくなったことにすら、気づいていない。
みな、自分は、(ふつう)と思い込んでいる。
またそれが(あるべき本来の姿)と思い込んでいる。

 このおかしさ。
この悲しさ。

 ここに転載させてもらった、MSさんのケースは、けっして他人ごとではない。
私たち自身、あなた自身の問題と考えてよい。

++++++++++++++++

最後にもう一作。
ある母親の嘆きを、掲載します。
10年ほど前、中日新聞に掲載してもらった
原稿です。

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●親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。

『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切
にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読
み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部
屋も飾ってきました。なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどう
がり、努力もせず、マイペースなのでしょう。

旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不
精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。二人とも『自然』になんて、まるで興
味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。私の子育ては
一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニケーションもとれない状
態。子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・五〇歳の女性)と。

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談
があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプ
リントを三枚学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。が、三枚目になると、
時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。もう少し深刻な例だ
と、こんなのがある。

これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だけ授
業を受けました。が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせた
いのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日
はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。仮にこれらの子
どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やらせたい」「午後
の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。そしてその子どもがC中学に合
格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限が
ないということ。そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬
ドキッとした。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。もっとは
っきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの意思や希望を確か
めた形跡がどこにもない。親の独善と独断だけが目立つ。

「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニ
を飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理
が苦手。息子は出不精」と。この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母
親と、どこも違いはしない。あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、(2)よき保護者としての親、そして(3)
よき友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視
点がどこにもない。とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。こ
の母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップ
を感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったの
かどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。結局はこの一点
に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気
づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 介護問題 子どもの意識 子離れ 子離れできない親 私の子育ては何だっ
たの 私の人生は何だったの 私の子育ては、何だったの 親の悔悟 介護問題 はやし浩
司 親のめんどう 親の介護 親の介護問題 内閣府調査)


Hiroshi Hayashi++++++++Jan.2010+++++++++はやし浩司






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特集【介護と子どもの意識】

●介護と子どもの意識

+++++++++++++++++

介護問題に隠れて、表に出てこないが、
その裏には、子どもたちの意識の変化
がある。
現在、ほとんどの子どもたちは、「経済的に
余裕があれば、親のめんどうをみる」と
考えている(日本)。
しかし経済的に余裕のある人は、いない。
みな、それぞれが精いっぱいの生活を
している。

つまりこの調査結果を裏から読むと、
「めんどうはみない」となる。
が、ことはさらに深刻である。

(めんどう)どころか、(老人への虐待)が、
深刻化している。

10年ほど前に書いた原稿をさがしてみる。
(10年前ですら、そうだったということを
わかってほしいから。)

++++++++++++++++++

●ジジ・ババ受難の時代

++++++++++++++

年々、ジジ・ババへの風当たりが
強くなってきている(?)。

これから先、私たち高齢者予備軍は、
どのように社会とかかわりあって
いったらよいのか。

++++++++++++++

 私は感じている。ひょっとしたら、あなたも感じている。このところ、年を追うごとに、ジジ・ババ
への風当たりが強くなってきている。

 若者たちが書くBLOGにしても、「ジジイ」とか「ババア」という言葉を使って、年配者をののし
る表現が、最近、目につくようになってきた。ある交通事故の相談を専門に受けつけるBLOG
には、こんな書きこみすらあった。

 「先日、枯れ葉マークのジジイの車に追突された。おかげで、こちらは2週間も入院。そのジ
ジイが、2、3日ごとに見舞いにくるから、たまらねえ。あんなジジイに、何度も見舞いに来られ
て、うるさくてしかたねえ。こっちは、迷惑している」と。

 その若者は、バイクに乗っているところを、車で追突されたらしい。

 つまりこのところ、老齢者が、ますます、「粗大ゴミ」になってきた。そんな感じがする。老人医
療費用、介護費用の増大が、若者の目にも、それが「負担」とわかるようになってきた。加え
て、日本では、世代間における価値観の相違が、ますます顕著になってきた。若者たちは、程
度の差こそあれ、上の世代の犠牲になっているという意識をもっている。

 これに対して、たとえば私たち団塊の世代は、こう反論する。「現在の日本の繁栄を築きあげ
たのは、私たちの世代だ」と。

 しかしこれは、ウソ。団塊の世代の私が、そう言うのだから、まちがいない。

 たしかに結果的には、そうなった。つまりこうした論理は、結果論を正当化するための、身勝
手な論理にすぎない。私も含めて、だれが、「日本のため……」などと思って、がんばってきた
だろうか。私たちは私たちで、今までの時代を、「自分のために」、がんばってきた。結果として
日本は繁栄したが、それはあくまでも結果論。

 そういう私たちを、若い世代は、鋭く見抜いている。

 しかしこれは深刻な問題でもある。

 これから先、高齢者はもっとふえる。やがてすぐ、人口の3分の1以上が、満65歳以上にな
るとも言われている。そうなったとき、若者たちは、私たち老齢者を、どういう目で見るだろう
か。そのヒントが、先のBLOGに隠されているように思う。

 ジジ・ババは、ゴミ。
 ジジ・ババは、臭い。
 ジジ・ババは、ムダな人間、と。

 そういう意識を若者たちが共通してもつようになったら、私たち高齢者にとって、この日本は、
たいへん住みにくい国ということになる。そのうち老人虐待や老人虐殺が、日常的に起こるよう
になるかもしれない。

 では、どうすればよいのか。

 ……というより、高齢者のめんどうを、第一にみなければならないのは、実の子どもということ
になる。が、その子どもが成人になるころには、たいていの親子関係は、破壊されている。親
たちは気がついていないが、「そら、受験だ」「そら、成績だ」「そら、順位だ」などと言っているう
ちに、そうなる。

 中学生になる前に、ゾッとするほど、心が冷たくなってしまう子どもとなると、ゴマンといる。反
対に、できが悪く(?)、受験とは無縁の世界で育った子どもほど、心が暖かく、親思いになる。
ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あるいはあなた自身のことを考えてみ
ればよい。

 「親のめんどうなどみない」と宣言している若者もいる。「親の恩も遺産次第」と考えている若
者は、もっと多い。たいはんの若者は、「経済的に余裕があれば、親のめんどうをみる」と答え
ている。つまり「余裕がなければ、みない」※と。数年置きに、総理府が調査しているので、そ
のうち、これについての全国的な調査結果も出てくると思うが、これが現状と考えてよい。

 私はこのところ、近くの老人ケア・センターへ行く機会がふえた。そこでは、30〜40人の老
人を相手に、4、5人の若い男女が、忙しそうにあれこれと世話をしている。見た目には、のど
かで、のんびりとした世界だが、こんな世界も、いつまでつづくかわからない。

 すでに各自治体では、予算不足のため、老人介護のハードルをあげ始めている。補助金を
削減し始めている。10年後には、もっと、きびしくなる。20年後には、さらにきびしくなる。単純
に計算しても、今は30〜40人だが、それが90〜120人になる。

 そうなったとき、そのときの若者たちは、私たち高齢者を、どのような目で見るだろうか。また
どのように考えるだろうか。

 老齢になるまま、その老齢に負け、老人になってはいけない。ケア・センターでは、老人たち
が、幼稚園の年長児でもしないような簡単なゲームをしたり、手細工をしたりしている。ああい
うのを見ていると、「本当に、これでいいのか」と思う。

 高齢者は、人生の大先輩なはず。人生経験者のはず。そういう人たちが、手をたたいて、カ
ラオケで童謡を歌っている! つまりこれでは、「粗大ゴミ」と呼ばれても、文句は言えない。ま
た、そうであっては、いけない。

 わかりやすく言えば、高齢者は、高齢者としての(存在感)をつくらねばならない。社会とかか
わりをもちながら、その中で、役に立つ高齢者でなければならない。そういうかかわりあいとい
うか、若者たちとの(かみあい)ができたとき、私たち高齢者は、それなりにの(人間)として認
められるようになる。

 「私たちが、この日本を繁栄させたのだ」とか、「だれのおかげで、日本がここまで繁栄できた
か、それがわかっているか」とか、そういう高慢な気持ちは、さらさらもっていはいけない。

 私たち高齢者(実際には、高齢者予備軍)は、どこまでも、謙虚に! 姿勢を低くして、若者
や社会に対して、自分たちの人生を、還元していく。その努力を今から、怠ってはいけない。

++++++++++++++++

古い原稿を再掲載します。

++++++++++++++++

●本末転倒の世界

 「老人のような役立たずは、はやく死んでしまえばいい」と言った、高校生がいた。そこで私
が、「君だって、老人になるんだよ」と言うと、「ぼくは、人に迷惑をかけない。それにそれまでに
うんと、お金を稼いでおくからいい」と。

そこでさらに私が、「君は、親のめんどうをみないのか」と聞くと、こう言った。「それだけのお金
を残してくれるなら、めんどうをみる」と。親の恩も遺産次第というわけだが、今、こういう若者
がふえている。

 97年、総理府が成人式を迎えた青年を対象に、こんな意識調査をした。「親の老後のめん
どうを、あなたはみるか」と。

それに対して、「どんなことをしてでも、みる」と答えた若者は、たったの19%! この数字がい
かに低いかは、たとえばアメリカ人の若者の、60数%。さらに東南アジアの若者たちの、80
〜90%という数字と比較してみるとわかる。しかもこの数字は、その3年前(94年)の数字よ
り、4ポイントもさがっている。このことからもわかるように、若者たちのドラ息子化は、ますます
進行している。

 一方、日本では少子化の波を受けて、親たちはますます子どもに手をかけるようになった。
金もかける。今、東京などの都会へ大学生を一人、出すと、毎月の仕送り額だけでも、平均2
7万円。この額は、平均的サラリーマンの年収(1005万円)の、3割強。

だからどこの家でも、子どもが大学へ行くようになると、母親はパートに出て働く。それこそ爪に
灯をともすような生活を強いられる。が、肝心の大学生は、大学生とは名ばかり。大学という巨
大な遊園地で、遊びまくっている! 先日も京都に住む自分の息子の生活を、見て驚いた母
親がいた。春先だったというが、一日中、電気ストーブはつけっぱなし。毎月の電話代だけで
も、数万円も使っていたという。

 もちろん子どもたちにも言い分は、ある。「幼児のときから、勉強、勉強と言われてきた。何を
いまさら」ということになる。「親のために、大学へ行ってやる」と豪語する子どもすらいる。今、
行きたい大学で、したい勉強のできる高校生は、10%もいないのではないか。

大半の高校生は、「行ける大学」の「行ける学部」という視点で、大学を選ぶ。あるいはブランド
だけで、大学を選ぶ。だからますます遊ぶ。年に数日、講義に出ただけで卒業できたという学
生もいる(新聞の投書)。

 こういう話を、幼児をもつ親たちに懇談会の席でしたら、ある母親はこう言った。「先生、私た
ち夫婦が、そのドラ息子ドラ娘なんです。どうしたらよいでしょうか」と。

私の話は、すでに一世代前の話、というわけである。私があきれていると、その母親は、さらに
こう言った。「今でも、毎月実家から、生活費の援助を受けています。子どものおけいこ塾の費
用だけでも、月に4万円もかかります」と。しかし……。今、こういう親を、誰が笑うことができる
だろうか。

(親から大学生への支出額は、平均で年、319万円。月平均になおすと、約26・6万円。毎月
の仕送り額が、平均約12万円。そのうち生活費が6万5000円。大学生をかかえる親の平均
年収は1005万円。自宅外通学のばあい、親の27%が借金をし、平均借金額は、182万
円。99年、東京地区私立大学教職員組合連合調査。)

+++++++++++++++

つづいて03年(7年前)に書いた
原稿を添付します。

+++++++++++++++

●高齢者への虐待

+++++++++++++

やはり高齢者への虐待が
ふえているという。

これはこれからの世界を
生きる私たちにとっては、
深刻な問題である。

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 医療経済研究機構が、厚生省の委託を受けて調査したところ、全国1万6800か所の介護
サービス、病院で、1991事例もの、『高齢者虐待』の実態が、明るみになったという(03年11
月〜04年1月期)。

 わかりやすく言えば、氷山の一角とはいえ、10か所の施設につき、約1例の老人虐待があっ
たということになる。

 この調査によると、虐待された高齢者の平均年齢は、81・6歳。うち76%は、女性。

 虐待する加害者は、息子で、32%。息子の配偶者が、21%。娘、16%とつづく。夫が虐待
するケースもある(12%)。

 息子が虐待する背景には、息子の未婚化、リストラなどによる経済的負担があるという。

 これもわかりやすく言えば、息子が、実の母親を虐待するケースが、突出して多いということ
になる。

 で、その虐待にも、いろいろある。

殴る蹴るなどの、身体的虐待
ののしる、無視するなどの、心理的虐待
食事を与えない、介護や世話をしないなどの、放棄、放任
財産を勝手に使うなどの、経済的虐待など。

 何ともすさまじい親子関係が思い浮かんでくるが、決して、他人ごとではない。こうした虐待
は、これから先、ふえることはあっても、減ることは決してない。最近の若者のうち、「将来親の
めんどうをみる」と考えている人は、5人に1人もいない(総理府、内閣府の調査)。

 しかし考えてみれば、おかしなことではないか。今の若者たちほど、恵まれた環境の中で育っ
ている世代はいない。飽食とぜいたく、まさにそれらをほしいがままにしている。本来なら、親に
感謝して、何らおかしくない世代である。

 が、どこかでその歯車が、狂う。狂って、それがやがて高齢者虐待へと進む。

 私は、その原因の一つとして、子どもの受験競争をあげる。

 話はぐんと生々しくなるが、親は子どもに向かって、「勉強しなさい」「成績はどうだったの」「こ
んなことでは、A高校にはいれないでしょう」と叱る。

 しかしその言葉は、まさに「虐待」以外の何ものでもない。言葉の虐待である。

 親は、子どものためと思ってそう言う。(本当は、自分の不安や心配を解消するためにそう言
うのだが……。)子どもの側で考えてみれば、それがわかる。

 子どもは、学校で苦しんで家へ帰ってくる。しかしその家は、決して安住と、やすらぎの場では
ない。心もいやされない。むしろ、家にいると、不安や心配が、増幅される。これはもう、立派な
虐待と考えてよい。

 しかし親には、その自覚がない。ここにも書いたように、「子どものため」という確信をいだい
ている。それはもう、狂信的とさえ言ってもよい。子どもの心は、その受験期をさかいに、急速
に親から離れていく。しかも決定的と言えるほどまでに、離れていく。

 その結果だが……。

 あなたの身のまわりを、ゆっくりと見回してみてほしい。あなたの周辺には、心の暖かい人も
いれば、そうでない人もいる。概してみれば、子どものころ、受験競争と無縁でいた人ほど、
今、心の暖かい人であることを、あなたは知るはず。

 一方、ガリガリの受験勉強に追われた人ほど、そうでないことを知るはず。

 私も、一時期、約20年に渡って、幼稚園の年中児から大学受験をめざした高校3年生まで、
連続して教えたことがある。そういう子どもたちを通してみたとき、子どもの心がその受験期に
またがって、大きく変化するのを、まさに肌で感じることができた。

 この時期、つまり受験期を迎えると、子どもの心は急速に変化する。ものの考え方が、ドライ
で、合理的になる。はっきり言えば、冷たくなる。まさに「親の恩も、遺産次第」というような考え
方を、平気でするようになる。

 こうした受験競争がすべての原因だとは思わないが、しかし無縁であるとは、もっと言えな
い。つまり高齢者虐待の原因として、じゅうぶん考えてよい原因の一つと考えてよい。

 さて、みなさんは、どうか。それでも、あなたは子どもに向かって、「勉強しなさい」と言うだろう
か。……言うことができるだろうか。あなた自身の老後も念頭に置きながら、もう少し長い目
で、あなたの子育てをみてみてほしい。
(はやし浩司 老人虐待 高齢者虐待)

++++++++++++++++++++++

少し古い原稿ですが、以前、中日新聞に
こんな原稿を載せてもらったことがあり
ます。

++++++++++++++++++++++

●抑圧は悪魔を生む

 イギリスの諺(ことわざ)に、『抑圧は悪魔を生む』というのがある。

心の抑圧状態が続くと、ものの考え方が悪魔的になることを言ったものだが、この諺ほど、子
どもの心にあてはまる諺はない。きびしい勉強の強要など、子どもの能力をこえた過負担が続
くと、子どものものの考え方は、まさに悪魔的になる。こんな子ども(小4男児)がいた。

 その子どもは静かで、穏やかな子どもだった。人の目をたいへん気にする子どもで、いつも
他人の顔色をうかがっているようなところは、あるにはあった。しかしそれを除けば、ごくふつう
の子どもだった。が、ある日私はその子どものノートを見て、びっくりした。

何とそこには、血が飛び散ってもがき苦しむ人間の姿が、いっぱい描かれていた! 「命」と
か、「殺」とかいう文字もあった。しかも描かれた顔はどれも、口が大きく裂け、そこからは血が
タラタラと流れていた。ほかに首のない死体や爆弾など。原因は父親だった。

神経質な人で、毎日、2時間以上の学習を、その子どもに義務づけていた。そしてその日のノ
ルマになっているワークブックがしていないと、夜中でもその子どもをベッドの中から引きずり
出して、それをさせていた。

 神戸で起きた「淳君殺害事件」は、まだ記憶に新しいが、しかしそれを思わせるような残虐事
件は、現場ではいくらでもある。

その直後のことだが、浜松市内のある小学校で、こんな事件があった。一人の子ども(小二男
児)が、飼っていたウサギを、すべり台の上から落として殺してしまったというのだ。

この事件は時期が時期だけに、先生たちの間ではもちろんのこと、親たちの間でも大きな問題
になった。ほかに先生の湯飲み茶碗に、スプレーの殺虫剤を入れた子ども(中学生)もいた。
牛乳ビンに虫を入れ、それを投げつけて遊んでいた子ども(中学生)もいた。ネコやウサギをお
もしろ半分に殺す子どもとなると、いくらでもいる。ほかに、つかまえた虫の頭をもぎとって遊ん
でいた子ども(幼児)や、飼っていたハトに花火をつけて、殺してしまった子ども(小3男児)もい
た。

 親のきびしい過負担や過干渉が日常的に続くと、子どもは自分で考えるという力をなくし、い
わゆる常識はずれの子どもになりやすい。異常な自尊心や嫉妬心をもつこともある。

そういう症状の子どもが皆、過負担や過干渉でそうなったとは言えない。しかし過負担や過干
渉が原因でないとは、もっと言えない。子どもは自分の中にたまった欲求不満を何らかの形で
発散させようとする。いじめや家庭内暴力の原因も、結局は、これによって説明できる。

一般論として、はげしい受験勉強を通り抜けた子どもほど心が冷たくなることは、よく知られて
いる。合理的で打算的になる。

ウソだと思うなら、あなたの周囲を見回してみればよい。あなたの周囲には、心が温かい人も
いれば、そうでない人もいる。しかし学歴とは無縁の世界に生きている人ほど、心が温かいと
いうことを、あなたは知っている。子どもに「勉強しろ」と怒鳴りつけるのはしかたないとしても、
それから生ずる抑圧感が一方で、子どもの心をゆがめる。それを忘れてはならない。

【追記】

 受験競争は、たしかに子どもの心を破壊する。それは事実だが、破壊された子ども、あるい
はそのままおとなになった(おとな)が、それに気づくことは、まず、ない。

 この問題は、脳のCPU(中央演算装置)にからむ問題だからである。

 が、本当の問題は、実は、受験競争にあるのではない。本当の問題は、「では、なぜ、親たち
は、子どもの受験競争に狂奔するか」にある。

 なぜか? 理由など、もう改めて言うまでもない。

 日本は、明治以後、日本独特の学歴社会をつくりあげた。学歴のある人は、とことん得をし、
そうでない人は、とことん損をした。こうした不公平を、親たちは、自分たちの日常生活を通し
て、いやというほど、思い知らされている。だから親たちは、こう言う。

 「何だ、かんだと言ってもですねえ……(学歴は、必要です)」と。

 つまり子どもの受験競争に狂奔する親とて、その犠牲者にすぎない。

 しかし、こんな愚劣な社会は、もう私たちの世代で、終わりにしよう。意識を変え、制度を変
え、そして子どもたちを包む社会を変えよう。

 決してむずかしいことではない。おかしいものは、おかしいと思う。おかしいことは、「おかし
い」と言う。そういう日常的な常識で、ものを考え、行動していけばよい。それで日本は、変る。

 少し頭が熱くなったので、この話は、また別の機会に考えてみたい。しかしこれだけは言え
る。

 あなたが老人になって、いよいよというとき、あなたの息子や娘に虐待されてからでは、遅い
ということ。そのとき、気づいたのでは、遅いということ。今ここで、心豊かな親子関係とは、ど
んな関係をいうのか、それを改めて、考えなおしてみよう。


Hiroshi Hayashi+++++++++FEB.07+++++++++++はやし浩司

●受験競争の弊害

++++++++++++++++

受験競争の弊害をあげたら、キリがない。

問題は、しかし、受験競争そのものではなく、
それがわかっていても、なお、親たちは
子どもの受験競争に狂奔するか、である。

そのあたりまでメスを入れないと、
この問題がもつ本質的な意味を
理解することはできない。

+++++++++++++++++

 精神の完成度は、内面化の充実度で決まる。わかりやすく言えば、いかに、他人の立場で、
他人の心情でものを考えられるかということ。つまり他人への、協調性、共鳴性、同調性、調
和性などによって決まる。

 言いかえると、「利己」から、「利他」への度合によって決まるということになる。

 そういう意味では、依存性の強い人、自分勝手な人、自己中心的な人というのは、それだけ
精神の完成度が、低いということになる。さらに言いかえると、このあたりを正確に知ることに
より、その人の精神の完成度を知ることができる。

 子どもも、同じに考えてよい。

 子どもは、成長とともに、肉体的な完成を遂げる。これを「外面化」という。しかしこれは遺伝
子と、発育環境の問題。

 それに対して、ここでいう「内面化」というのは、まさに教育の問題ということになる。が、ここ
でいくつかの問題にぶつかる。

 一つは、内面化を阻害する要因。わかりやすく言えば、精神の完成を、かえってはばんでし
まう要因があること。

 二つ目に、この内面化に重要な働きをするのが親ということになるが、その親に、内面化の
自覚がないこと。

 内面化をはばむ要因に、たとえば受験競争がある。この受験競争は、どこまでも個人的なも
のであるという点で、「利己的」なものと考えてよい。子どもにかぎらず、利己的であればあるほ
ど、当然、「利他」から離れる。そしてその結果として、その子どもの内面化が遅れる。ばあい
によっては、「私」から「私」が離れてしまう、非個性化が始まることがある。

 ……と決めてかかるのも、危険なことかもしれないが、子どもの受験競争には、そういう側面
がある。ないとは、絶対に、言えない。たまに、自己開発、自己鍛錬のために、受験競争をす
る子どももいるのはいる。しかしそういう子どもは、例外。

(よく受験塾のパンフなどには、受験競争を美化したり、賛歌したりする言葉が書かれている。
『受験によってみがかれる、君の知性』『栄光への道』『努力こそが、勝利者に、君を導く』など。
それはここでいう例外的な子どもに焦点をあて、受験競争のもつ悪弊を、自己正当化している
だけ。

 その証拠に、それだけのきびしさを求める受験塾の経営者や講師が、それだけ人格的に高
邁な人たちかというと、それは疑わしい。疑わしいことは、あなた自身が一番、よく知っている。
こうした受験競争を賛美する美辞麗句に、決して、だまされてはいけない。)

 実際、受験競争を経験すると、子どもの心は、大きく変化する。

利己的になる。(「自分さえよければ」というふうに、考える。)
打算的になる。(点数だけで、ものを見るようになる。)
功利的、合理的になる。(ものの考え方が、ドライになる。)
独善的になる。(学んだことが、すべて正しく、それ以外は、無価値と考える。)
追従的、迎合的になる。(よい点を取るには、どうすればよいかだけを考える。)
見栄え、外面を気にする。(中身ではなく、ブランドを求めるようになる。)
人間性の喪失。(弱者、敗者を、劣者として位置づける。)

 こうして弊害をあげたら、キリがない。

 が、最大の悲劇は、子どもを受験競争にかりたてながら、親に、その自覚がないこと。親自
身が、子どものころ、受験競争をするとことを、絶対的な善であると、徹底的にたたきこまれて
いる。それ以外の考え方をしたこともなしい、そのため、それ以外の考え方をすることができな
い。

 もっと言えば、親自身が、利己的、打算的、功利的、合理的。さらに独善的、追従的。迎合
的。

 そういう意味では、日本人の精神的骨格は、きわめて未熟で、未完成であるとみてよい。い
や、ひょっとしたら、昔の日本人のほうが、まだ、完成度が高かったのかもしれない。今でも、
農村地域へ行くと、牧歌的なぬくもりを、人の心の中に感ずることができる。

 一方、はげしい受験競争を経験したような、都会に住むエリートと呼ばれる人たちは、どこか
心が冷たい。いつも、他人を利用することだけしか、考えていない? またそうでないと、都会
では、生きていかれない? 

これも、こう決めてかかるのは、危険なことかもしれない。しかしこうした印象をもつのは、私だ
けではない。私のワイフも含め、みな、そう言っている。

 子どもを受験競争にかりたてるのは、この日本では、しかたのないこと。避けてはとおれない
こと。それに今の日本から、受験競争を取りのぞいたら、教育のそのものが、崩壊してしまう。
しかし心のどこかで、こうした弊害を知りながら、かりたてるのと、そうでないとのとでは、大きな
違いが出てくる。

 一度、私がいう「弊害」を、あなた自身の問題として、あなたの心に問いかけてみてほしい。


Hiroshi Hayashi+++++++++++はやし浩司

●ある母親からの相談(2010年1月7日)

 たまたま今朝、こんな相談が届いていた。
埼玉県K市に住んでいる、MSさんという方からの
相談である。
一部を変えて、そのまま紹介させてもらう。

【MSさんからはやし浩司へ】

はじめまして。
毎日先生のブログを読んでいる者です。私の子供はもう19才と17才になり、子育てという年
齢ではなくなっていますが、それでも、何かと心に思うことがあり、子育てのブログを読ませて
いただいております。

今回、長女の成人式の問題と次女の大学受験のことで、私の気持ちがいっぱいになってしま
い、自分を見失ってしまいそうなので、ご相談しました。
先ず、長女の成人式ですが、着物は娘の好みに合わせレンタルしました。今時のレンタルは
早めの申し込みで、記念写真の撮影は昨年3月に済ませており、夫と私の親にはすでにアル
バムを渡しております。この写真撮影の時、着物を着て帰りましたので、双方の祖父母宅に寄
り、振袖姿を披露しました。

ですが、もうすぐ成人式というのに、長女は成人式には出ないと言い出しました。その時の私
のショックは言葉に出来ません。長女は大学2年で、学費で精一杯の家計ですが、せっかくの
成人式なので好きな着物を選ばせ、トータル20万円もしました。今、思い起こせば、着物を選
ぶ時も、写真撮影の時も、娘はずっと不機嫌でした。私は娘の様子を見ているだけで吐き気が
するほど、気分が悪くなってしまいました。

これも、私がそう育ててしまったのだから・・・ しっかりものの長女のこと、何か出席したくない
よっぽどの理由があるはず、もうすでに振袖姿は見たし、祖父母にも披露し、アルバムも撮影
済み。何が問題なのか? 長女の成人式だもの、本人の好きにすればいい・・・ と自分に言
い聞かせる毎日ですが、なかなか私の気持ちに折り合いが付きません。これも、許して忘れ
る・・・でいいのでしょうか?

加えて、次女の大学受験で彼女のストレスが私に向けられ、毎日眼が回りそうです。不安で不
安で仕方ないようです。
私が高卒で、ずっと学歴にコンプレックスを持ち、子供には大学に行ってもらいたいと、小さい
頃から学歴が大事と間違って育ててしまったのがいけないのでしょうね。
夫はいうと、我関せずとばかりに、遠巻きにしております。

こんなことで・・・と笑われてしまいそうですが、中学生の時に、長女、次女とも本当に大変な時
期があり、頭の固い私が変わらざるを得ない事態となりました。それから、子育てに自身がなく
なり、これは共依存なのか?、と思うようになりました。
何かにつけ、私のしていることに自信がないのです。 

何か良いアドバイスがありましたら、よろしくお願いいたします。

【はやし浩司よりMSさんへ】

 まず先の「介護と子どもの意識」を読んでみてください。
今のあなたの考え方も、少しは変ると思います。

 簡単に言えば、親の私たちは、子どもに対して(幻想)をもちやすいということ。
その幻想を信じ、その幻想にしがみつく。
「私たち親子だけは、だいじょうぶ」と。

 しかし実際には、子どもたちの心は、親の私たちから、とっくの昔に離れてしまっているので
すね。
親は子どもの将来を心配し、「何とか学歴だけは・・・」と思うかもしれない。
しかし当の本人たちにとっては、それが(ありがた迷惑)というわけです。
いまどき、親に感謝しながら大学へ通っている子どもなど、まずいないと考えてよいでしょう。
それよりも今、大切なのは、自分たちの老後の資金を切り崩さないこと。
あなたにかなりの余裕があれば、話は別ですが・・・。

 お嬢さんたちもその年齢ですから、今度は、あなた自身の年齢を振り返ってみてください。
そこにあるのは、(老後)ですよ。
今は、まだ(下)ばかり見ているから、まだ気がついていないかもしれませんが、あと5〜10年
もすると、あなたも老人の仲間入りです。

 では、どうするか。
つい先日、オーストラリアの友人が、メールでこう書いてきました。
「子どもたちには、やりすぎてはいけない。社会人になったら、お(現金)をぜったいに渡しては
いけない」と。

 同感です。
私もずいぶんとバカなことをしましたが、それで私の子どもたちが、私に感謝しているかという
と、まったくそういう(念)はないです。
息子たちを責めているのではありません。
現在、ほとんどの青年、若者たちは、同じような意識をもっています。

 だから私の結論は、こうです。

「よしなさい!」です。

 娘の晴れ着など、娘が着たくないと言ったら、「あら、そう」ですまし、そんなバカげた儀式の
ために20万円も浪費しないこと。
親の見栄、メンツのために、20万円も浪費しないこと。
それよりもそのお金は、自分の老後のためにとっておきなさい。

 子どもというのはおかしな存在で、そうしてめんどう(?)をみればみるほど、子どもの心は離
れていきます。
それを当然と考えます。

 20年ほど前になるでしょうか。
ある父親が事業に失敗し、高校3年生の娘に、「大学への進学をあきらめてくれ」と頼んだとき
のこと。
その娘は、父親にこう言ったそうです。

 「借金でも何でもよいからして、責任を取れ!」と。

 そこで私がその娘さんに直接話したところ、娘さんはこう言いました。
「今まで、さんざん勉強しろ、勉強しろと言っておきながら、今度は、あきらめろ、と。
私の親は、勝手すぎる」と。

 率直に言えば、これは「共依存」の問題ではありません。
あなたはまだ「子離れ」できていない。
つまりは精神的に未熟。
それが問題です。

 あなたは子離れし、自分は自分で、好きなことをしなさい。
自分で自分で、自分の人生を見つけるのです。
つまりあなたはあなたで前向きに生きていく・・・。

 その点、あなたを(遠巻きにして)見ている、あなたの夫のほうが、正解かもしれません。

 ずいぶんときびしいことを書きましたが、そのためにも、前段で書いた部分を、どうか読んで
みてください。
私たち自身の老後をどうするか?
お金の使い方も、そこから考えます。

 二女の方の学費にしても、子どものほうから頭をさげて頼みに来るまで、待ったらよいでしょ
う・・・といっても、今さら、手遅れかもしれませんが。
本人に勉強する気がないなら、放っておきなさい。
今のあなたには、それこそ重大な決意を要することかもしれませんが、そこまで割り切らない
と、あなた自身が苦しむだけです。
どうせ大学へ入っても、勉強など、しませんよ。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

●介護問題と子どもの意識

 介護保険は、すでにパン状態。
政府は税金をあげることだけを考えている。
しかしそれよりも重要なのは、子どもの・・・というよりは、日本人の意識を変えていくこと。
今のままでは、日本の介護制度は、その根底部分から崩れる。
「心」がない。
心がない介護制度など、またそれによってできる施設など、刑務所のようなもの。
「死の待合室」と表現した人もいる。
そんな施設に入れられて、だれがそれを「快適」と思うだろうか。

 どうして日本人の心は、こうまで冷たくなってしまったのか?
脳のCPUの問題だから、冷たくなったことにすら、気づいていない。
みな、自分は、(ふつう)と思い込んでいる。
またそれが(あるべき本来の姿)と思い込んでいる。

 このおかしさ。
この悲しさ。

 ここに転載させてもらった、MSさんのケースは、けっして他人ごとではない。
私たち自身、あなた自身の問題と考えてよい。

++++++++++++++++

最後にもう一作。
ある母親の嘆きを、掲載します。
10年ほど前、中日新聞に掲載してもらった
原稿です。

++++++++++++++++

●親が子育てで行きづまるとき

●私の子育ては何だったの?

 ある月刊雑誌に、こんな投書が載っていた。

『思春期の二人の子どもをかかえ、毎日悪戦苦闘しています。幼児期から生き物を愛し、大切
にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニを飼育してきました。
庭に果樹や野菜、花もたくさん植え、収穫の喜びも伝えてきました。毎日必ず机に向かい、読
み書きする姿も見せてきました。リサイクルして、手作り品や料理もまめにつくって、食卓も部
屋も飾ってきました。なのにどうして子どもたちは自己中心的で、頭や体を使うことをめんどう
がり、努力もせず、マイペースなのでしょう。

旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理が苦手。息子は出不
精。娘は繁華街通いの上、流行を追っかけ、浪費ばかり。二人とも『自然』になんて、まるで興
味なし。しつけにはきびしい我が家の子育てに反して、マナーは悪くなるばかり。私の子育ては
一体、何だったの? 私はどうしたらいいの? 最近は互いのコミュニケーションもとれない状
態。子どもたちとどう接したらいいの?』(K県・五〇歳の女性)と。

●親のエゴに振り回される子どもたち

 多くの親は子育てをしながら、結局は自分のエゴを子どもに押しつけているだけ。こんな相談
があった。ある母親からのものだが、こう言った。「うちの子(小三男児)は毎日、通信講座のプ
リントを三枚学習することにしていますが、二枚までなら何とかやります。が、三枚目になると、
時間ばかりかかって、先へ進もうとしません。どうしたらいいでしょうか」と。もう少し深刻な例だ
と、こんなのがある。

これは不登校児をもつ、ある母親からのものだが、こう言った。「昨日は何とか、二時間だけ授
業を受けました。が、そのまま保健室へ。何とか給食の時間まで皆と一緒に授業を受けさせた
いのですが、どうしたらいいでしょうか」と。

 こうしたケースでは、私は「プリントは二枚で終わればいい」「二時間だけ授業を受けて、今日
はがんばったねと子どもをほめて、家へ帰ればいい」と答えるようにしている。仮にこれらの子
どもが、プリントを三枚したり、給食まで食べるようになれば、親は、「四枚やらせたい」「午後
の授業も受けさせたい」と言うようになる。こういう相談も多い。

「何とか、うちの子をC中学へ。それが無理なら、D中学へ」と。そしてその子どもがC中学に合
格しそうだとわかってくると、今度は、「何とかB中学へ……」と。要するに親のエゴには際限が
ないということ。そしてそのつど、子どもはそのエゴに、限りなく振り回される……。

●投書の母親へのアドバイス

 冒頭の投書に話をもどす。「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉に、この私も一瞬
ドキッとした。しかし考えてみれば、この母親が子どもにしたことは、すべて親のエゴ。もっとは
っきり言えば、ひとりよがりな子育てを押しつけただけ。そのつど子どもの意思や希望を確か
めた形跡がどこにもない。親の独善と独断だけが目立つ。

「生き物を愛し、大切にするということを体験を通して教えようと、犬、モルモット、カメ、ザリガニ
を飼育してきました」「旅行好きの私が国内外をまめに連れ歩いても、当の子どもたちは地理
が苦手。息子は出不精」と。この母親のしたことは、何とかプリントを三枚させようとしたあの母
親と、どこも違いはしない。あるいはどこが違うというのか。

●親の役目

 親には三つの役目がある。(1)よきガイドとしての親、(2)よき保護者としての親、そして(3)
よき友としての親の三つの役目である。

この母親はすばらしいガイドであり、保護者だったかもしれないが、(3)の「よき友」としての視
点がどこにもない。とくに気になるのは、「しつけにはきびしい我が家の子育て」というところ。こ
の母親が見せた「我が家」と、子どもたちが感じたであろう「我が家」の間には、大きなギャップ
を感ずる。はたしてその「我が家」は、子どもたちにとって、居心地のよい「我が家」であったの
かどうか。あるいは子どもたちはそういう「我が家」を望んでいたのかどうか。結局はこの一点
に、問題のすべてが集約される。

が、もう一つ問題が残る。それはこの段階になっても、その母親自身が、まだ自分のエゴに気
づいていないということ。いまだに「私は正しいことをした」という幻想にしがみついている! 
「私の子育ては、一体何だったの?」という言葉が、それを表している。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 B
W はやし浩司 介護問題 子どもの意識 子離れ 子離れできない親 私の子育ては何だっ
たの 私の人生は何だったの 私の子育ては、何だったの 親の悔悟 介護問題 はやし浩
司 親のめんどう 親の介護 親の介護問題 内閣府調査)








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26
●早期教育

●臨界期(0歳〜7か月ごろ)

++++++++++++++++++

生後直後から、約7月前後までの期間を、
「臨界期」という。

この臨界期には、特別の意味がある。

++++++++++++++++++

●特別な時期

 哺乳動物の神経細胞は、外界からの刺激で大きく、機能を変える。
最近このことが、最近あちこちでよく話題になる。
とたえば人間にも、鳥類に似た、「刷り込み(インプリンティング)」があることがわかっ
ている。
そのためこの時期に、とくに母子関係において、濃密な人間関係ができる。
が、その一方で、一部の神経細胞への刺激を遮断したりすると、その神経細胞は機能しな
くなるとも言われている(注※)。
まさか人について、人体実験をするわけにはいかないので、あくまでも動物実験での話と
いうことだが・・・。

 たとえば生後直後のマウスの片目を、何らかの方法で塞(ふさ)いでしまったとする。
するとその目は、やがて見るという機能を失ってしまう。
そればりか、ある一定の時期を過ぎると、今度は、その塞いでいたものを取り除いても、
目の機能は回復しない。
視力は失ったままとなる。

 さらにこんな事実もある。
「野生児」と呼ばれる子どもたちが、今でも、ときどき発見される。
何らかの理由で、生後まもなくから人間のそばを離れ、野生の動物に育てられた子どもで
ある。
インドのオオカミ姉妹(少女)が有名である。

 オオカミ姉妹のばあいも、そのあと手厚い保護、教育を受けたのだが、人間らしい(心)
を取り戻すとはできなかったという。
つまり脳のその部分の機能が、停止してしまったということになる。
「停止した」というよりは、「退化してしまった」ということか。

 そういう意味で、「臨界期」には、特別な意味がある。
またそれだけにこの時期の子どもの教育には、重大な関心が払わなければならない。
近年話題になっている、乳幼児〜1歳前後までの早期教育の科学的根拠も、ここにある。

 ほかにも乳幼児には記憶がないというのは、とんでもない誤解。
この時期、子どもは周囲の情報を、まさに怒濤のごとく記憶として脳の中に刻み込んでい
る(ワシントン大学・メルツォフ教授ら)。

 さらに最近の研究では、あの乳幼児のほうからも、親に働きかけをしていることまでわ
かってきた。
つまり自らを(かわいく)見せ、親の関心を引こうとする。
乳幼児が見せる、あの「エンゼル・スマイル」も、そのひとつと言われている。
潜在意識、もしくは本能の奥深くでなされる行為のため、もちろん乳幼児がそれを意識的
にしているわけではない。
一方、親は親で、そういう乳幼児の姿を見て、いたたまれない気持ちに襲われる。
「かわいい」という感情は、まさにそういう相互作用によって生まれるものである。
こうした相互の働きかけを「相互アタッチメント(mutual attachmennt)」という。

●さらに一歩進んで・・・

 臨界期の存在は、近年になってつぎつぎと発見されてきた。
今では、それを疑う人はいない。
常識と考えてよい。

 が、さらに研究は、一歩、進んだ。
「毎日・JP」は、つぎのように伝える。

『・・・生後直後の特別な時期「臨界期」の後でも、機能変化を起こすことを理化学研究
所の津本忠治チームリーダー(神経科学)らが発見した。脳の成長の仕組みを見直す成果
で、人間の早期教育論にも影響しそうだ。米科学誌「ジャーナル・オブ・ニューロサイエ
ンス」で27日発表した』(10年1月)と。

 もう少し詳しく読んでみよう。

『・・・ チームは臨界期中と臨界期後のマウスで目隠し実験をし、大脳皮質の視覚野で、
ものの細部を見る役目を担う「興奮性細胞」と、輪郭をとらえる「抑制性細胞」の活動を
個別に計測した。結果、臨界期中マウスは両細胞とも、ふさいだ目側の反応が落ちた。臨
界期後のマウスは興奮性細胞は変化しなかったが、抑制性細胞は臨界期中マウスと同様に
反応が落ちた。抑制性細胞は臨界期後も機能が変わる証拠という。

 津本チームリーダーは「大脳は臨界期後も一定の発達が可能ということを示せた。マウ
スの視覚野での実験だが、人間を含む他の動物や脳のほかの機能でも同様の仕組みがある
のではないか。臨界期を人間の早期教育の根拠とする意見もあるが、それを考え直す契機
にもなるだろう」としている』と。

 つまり臨界期に機能を失った脳の神経細胞でも、何らかの訓練をすれば(?)、機能を回
復することもあるという。
「海馬などの一部の神経細胞以外は、再生されることはない」という定説をひっくり返す
研究として、注目される。

●補記

 ただし神経細胞の再生を、そのまま喜んではいけない。
それでよいというわけではない。
もし脳の神経細胞が、ほかの細胞と同じように、死滅→再生を繰り返していたら、人間は
性格、性質、人格など、こと「精神」に関する部分で、一貫性を失うことになる。
「10年前の私と、今の私は別人」ということになったら、社会生活そのものが混乱する。
従来の定説によれば、一度できた神経細胞は、死滅する一方で、再生しない。
だからこそ、私たちは、子ども時代の性格や性質、さらにはクセまで、おとなになってか
らも残すことができる。
20年前、30年前の知人とでも、安心して会話を交わすことができる。

 この論文でいう「再生」というのは、あくまでもごく限られた範囲での、しかも何らか
の治療を目的とした「再生」と考えるべきである。

 さらに一歩進んでいえば、脳は硬い頭蓋骨に包まれている。
つまり脳ミソが入る容量には限界がある。
神経細胞だけを、どんどんとふやすということは、物理的にも不可能である。

(注※)
『思考など高度な機能を担う脳の「大脳新皮質」で、成体でも神経細胞が新たに作られる
ことを、藤田保健衛生大、京都大、東京農工大などの研究チームがラットで見つけた。成
熟した個体では脳の神経細胞が増えることはないと長い間信じられ、論争が続いていた。
米科学誌「ネイチャー・ニューロサイエンス」(電子版)に27日、掲載された。

 近年、記憶に関連する海馬や嗅(きゅう)覚(かく)をつかさどる部位で神経細胞の新
生が確かめられたが、哺乳(ほにゅう)類などの高等動物ほど発達している大脳新皮質に
ついては明確な報告がなかった。

 藤田保健衛生大の大平耕司助教(神経科学)らは、人間の30〜40歳にあたる生後6
カ月のラットの大脳新皮質で、一番外側の第1層に、分裂能力を示すたんぱく質が発現し
た細胞を見つけた。頸(けい)動脈を圧迫して脳への血流を一時的に少なくしたところ、
この細胞が約1・5倍に増え、新しい細胞ができた。

 新しい細胞は、形状から神経細胞と確認。第1層から最深部の第6層まで7〜10日か
けて移動する様子が観察できた。このラットを新しい環境に置いて活動させたところ、新
しい細胞が活発に働いていることも確かめた。

 これらのことから、成体ラットの大脳新皮質には、やがて神経細胞になる「前駆細胞」
が存在し、神経細胞が危機にさらされると神経細胞が生み出されて働くと結論付けた。チ
ームは、ヒトでも同様の仕組みがあると推測している。

 神経細胞は興奮性と抑制性の両方がバランスよく働いているが、この新しい神経細胞は
抑制性だった。大平助教は「薬などで前駆細胞の働きを制御して抑制性の神経細胞を作り
出すことで、興奮性の神経細胞が過剰に働くてんかんや、一部の統合失調症の新たな治療
法が見つかるかもしれない」と話す』(以上、毎日・JPより)と。

(はやし浩司 家庭教育 育児 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 
BW はやし浩司 神経細胞 臨界期 はやし浩司 臨界期 乳幼児 乳幼児の記憶 刷
り込み 神経細胞の再生 臨界期の重要性 早期教育 科学的根拠)








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27
【ゲーム脳】

++++++++++++++++++++

「ゲーム脳はあるのか、それともないのか?」

これについての記事を、「毎日JP」より、抜粋
してみる。

++++++++++++++++++++

●火付け役は、、森昭雄・日本大教授(脳神経科学)。
曰く、

 『・・・「15年間、ゲームを毎日7時間やってきた大学生は無表情で、約束が100%
守れない」「ゲームは慣れてくると大脳の前頭前野をほとんど使わない。前頭前野が発達し
ないとすぐキレる」
 森教授は02年、「ゲーム脳」仮説を提唱した。テレビゲームをしている時には脳波の中
のベータ波が低下し、認知症に似た状態になると指摘。その状態が続くと前頭前野の機能
が衰えると警告した。単純明快なストーリーはマスコミに乗って広がり、暴力的な描写に
眉(まゆ)をひそめる教育関係者や、ゲームをやめさせたい親に支持された』(毎日JPよ
り)と。

 これに対して、「森教授の意見には、学術的な裏付けがない」と批判する人も多い。

『・・・森教授は一般向けの本や講演を通して仮説を広めてきた。本来、仮説は他の科学
者が同じ条件で試すことで初めて科学的な検証を受けるが、その材料となる論文はいまだ
に発表されていない。
 手法にも批判がある。森教授は自ら開発した簡易型脳波計による計測で仮説を組み立て
たが、複雑で繊細な脳機能をその手法でとらえるのは不可能、というのが専門家の共通し
た見方だ』(毎日JPより)と。

●利潤追求の世界

 こうした批判を尻目に、ゲーム業界は、大盛況。
その先頭に立たされているのが(?)、東北大加齢医学研究所の川島隆太教授(脳機能イメ
ージング)。
ここで注意しなければならないのは、川島隆太教授自身は、「加齢医学」が専門。
その研究に基づいて、

『・・・認知症の高齢者16人に半年以上学習療法を受けてもらった結果、認知機能テス
トの成績が上がったと報告。何もしなかった16人の成績が低下傾向だったことから「認
知機能改善に効果がある」と考察した』(2003年)(毎日JPより)と。

 これにゲーム業界が飛びついた(?)。

『・・・こうした成果を企業が応用したのが、脳を鍛えるという意味の「脳トレ」だ。0
6年の流行語となり、川島教授の似顔絵が登場する任天堂のゲームソフト「脳を鍛える大
人のDSトレーニング」は、続編も含め1000万本以上を売り上げた』(毎日JPより)
と。

 こうして今やこの日本は、上も下も、「脳トレ」ブーム。
「1000万本」という数字は、そのほんの一部でしかない。

 もちろん批判もある。

『・・・ ただ、脳トレの過熱を心配する声もある。日本神経科学学会会長の津本忠治・
理化学研究所脳科学総合研究センターユニットリーダーは、「川島氏の研究は科学的な手続
きを踏んでいるが、認知機能の改善が本当に学習療法だけによるかはさらなる研究が必要
だ。『改善した』という部分だけが拡大解釈され広がることで、計算さえやれば認知症にな
らないと思い込む人が出てくるかもしれない」と話す』(毎日Jより)と。

●三つ巴の論争

 現在、「ゲーム脳支持派の森教授vsゲーム脳否定派の川島教授」という構図ができあが
ってしまっている。
しかし実際には、この両教授が、ゲーム脳を間に、対立しているわけではない。

 森教授は、「ゲームばかりしていると、危ない」という警鐘を鳴らした。
一方川島教授は、ここにも書いたように、「老人の認知機能」が専門。
その立場で、「脳トレは(ボケ防止には)効果がある」と、自説を発表した。

 が、一方、教育の世界には、『疑わしきは罰する』という原則がある。
(私が考えた原則だが・・・。)
完全に安全が確認されるまで、あやしげなものは、子どもの世界からは遠ざけたほうがよ
い。
事実、私は1日に何時間もゲームばかりしている子どもを、よく知っている。
中には、真夜中に突然起きあがって、ゲームをしている子どももいる。
もともとおかしいから、そうするのか、あるいはゲームばかりしているから、おかしいの
か?
それは私にもわからないが、このタイプの子どもは、どこか、おかしい。
そういう印象を与える子どもは、少なくない。

(1)突発的に感情的な行動を繰り返す。
(2)日中、空をぼんやりと見つめるような愚鈍性が現れる、など。

「ゲーム脳」があるかないかという論争はさておき、その(おかしさ)を見たら、だれだ
って、こう思うにちがいない。

「ゲームは本当に安全なのか?」と。

 そうでなくても、「殺せ!」「つぶせ!」「やっつけろ!」と、心の中で叫びながらするゲ
ームが、子どもの心の発育に、よい影響を与えるはずがない。
ものごとは常識で考えたらよい。
(もちろんゲームといっても、内容によるが・・・。)

 仮に百歩譲っても、認知症患者に効果があるからといって、子どもや、若い人たちにも
効果があるとはかぎらない。

●脳トレへの疑問

 私も脳トレなるものを、さまざまな場面で経験している。
それなりに楽しんでいる。
しかし子どもの知能因子という分野で考えるなら、脳トレで扱っている部分は、きわめて
狭い世界での訓練にすぎない。

 たとえば教育の世界でいう「知的教育」というのは、広大な原野。
脳トレというのは、その広大な原野を見ないで、手元の草花の見分け方をしているような
もの。
あまりよいたとえではないかもしれないが、少なくとも、脳トレというのは、「だからそれ
がどうしたの?」という部分につながっていかない。

 仮にある種の訓練を受けて、それまで使っていなかった脳が活性化されたとする。
それはそれで結構なことだが、「だからといって、それがどうしたの?」となる。
もう少し具体的に書いてみたい。

 たとえば脳トレで、つぎのような問題が出たとする。

+++++++++++++

【問】□には、ある共通の漢字が入る。それは何か。

 □草、□問

+++++++++++++

 答は※だが、こうした訓練を重ねたからといって、それがどうしたの?、となる。
というのも、私はこうして今、文章を書いているが、こうした訓練は、常に、しかも一文
ごとにしている。
的確な言葉を使って、わかりやすくものを書く。
的確な言葉をさがすのは、ほんとうに難しい。
さらにそれを文章にし、文章どうしをつなげるのは、ほんとうに難しい。

つまりこうした脳トレを繰り返したところで、(よい文章)が書けるようになるとは、かぎ
らない。
・・・書けるようになるとも、思わない。

 それ以上に重要なことは、本を読むこと。
文章を自分で書くこと。

 つまり本を読んだり、文章を書くことが、先に書いた「広大な原野」ということになる。
(※の答は、「質」。)

●疑わしきは罰する

 子どもの世界では、疑わしきは罰する。
先手、先手で、そうする。
以前、ゲーム脳について書いた原稿をさがしてみた。
5年前(05年9月)に書いた原稿が見つかった。
それをそのま、手を加えないで、再掲載する。

Hiroshi Hayashi++++++はやし浩司

【ゲーム脳】(05年9月の原稿より)

++++++++++++++++++++++

ゲームばかりしていると、脳ミソがおかしくなるぞ!

+++++++++++++++++++++++

最近、急に脚光を浴びてきた話題に、「ゲーム脳」がある。ゲームづけになった脳ミソを「ゲ
ーム脳」いう。このタイプの脳ミソには、特異的な特徴がみられるという。しかし、「ゲー
ム脳」とは、何か。NEWS WEB JAPANは、つぎのように報道している(05
年8月11日)。

『脳の中で、約35%をしめる前頭葉の中に、前頭前野(人間の拳程の大きさで、記憶、
感情、集団でのコミュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制を
も司る部分)という、さまざまな命令を身体全体に出す司令塔がある。

この司令塔が、ゲームや携帯メール、過激な映画やビデオ、テレビなどに熱中しすぎると
働かなくなり、いわゆる「ゲーム脳」と呼ばれる状態になるという。それを科学的に証明
したのが、東北大のK教授と、日大大学院のM教授である』(以上、NEWS WEB J
APAN※)。

 つまりゲーム脳になると、管理能力全般にわたって、影響が出てくるというわけである。
このゲーム脳については、すでに、さまざまな分野で話題になっているから、ここでは、
省略する。要するに、子どもは、ゲームづけにしてはいけないということ。

 が、私がここで書きたいのは、そのことではない。

 この日本では、(世界でもそうかもしれないが)、ゲームを批判したり、批評したりする
と、ものすごい抗議が殺到するということ。上記のK教授のもとにも、「多くのいやがらせ
が、殺到している」(同)という。

 考えてみれば、これは、おかしなことではないか。たかがゲームではないか(失礼!)。
どうしてそのゲームのもつ問題性を指摘しただけで、抗議の嵐が、わき起こるのか?

 K教授らは、「ゲームばかりしていると、脳に悪い影響を与えますよ」と、むしろ親切心
から、そう警告している。それに対して、(いやがらせ)とは!

 実は、同じことを私も経験している。5、6年前に、私は「ポケモンカルト」(三一書房)
という本を書いた。そのときも、私のところのみならず、出版社にも、抗議の嵐が殺到し
た。名古屋市にあるCラジオ局では、1週間にわたって、私の書いた本をネタに、賛否両
論の討論会をつづけたという。が、私が驚いたのは、抗議そのものではない。そうした抗
議をしてきた人のほとんどが、子どもや親ではなく、20代前後の若者、それも男性たち
であったということ。

 どうして、20代前後の若者たちが、子どものゲームを批評しただけで、抗議をしてく
るのか? 出版社の編集部に届いた抗議文の中には、日本を代表する、パソコン雑誌の編
集部の男性からのもあった。

 「子どもたちの夢を奪うのか!」
 「幼児教育をしながら、子どもの夢が理解できないのか!」
 「ゲームを楽しむのは、子どもの権利だ!」とか何とか。

 私の本の中の、ささいな誤字や脱字、どうでもよいような誤記を指摘してきたのも多か
った。「貴様は、こんな文字も書けないのに、偉そうなことを言うな」とか、「もっと、ポ
ケモンを勉強してからものを書け」とか、など。

 (誤字、脱字については、いくら推敲しても、残るもの。100%、誤字、脱字のない
本などない。その本の原稿も、一度、プロの推敲家の目を経ていたのだが……。)

 反論しようにも、どう反論したらよいかわからない。そんな低レベルの抗議である。で、
そのときは、「そういうふうに考える人もいるんだなあ」という程度で、私はすませた。

 で、今回も、K教授らのもとに、「いやがらせが、殺到している」(同)という。

 これはいったい、どういう現象なのか? どう考えたらよいのか?

 一つ考えられることは、ゲームに夢中になっている、ゲーマーたちが、横のつながりを
もちつつ、カルト化しているのではないかということ。ゲームを批判されるということは、
ゲームに夢中になっている自分たちが批判されるのと同じ……と、彼らは、とらえるらし
い(?)。おかしな論理だが、そう考えると、彼らの心理状態が理解できる。

 実は、カルト教団の信者たちも、同じような症状を示す。自分たちが属する教団が批判
されたりすると、あたかも自分という個人が批判されたかのように、それに猛烈に反発し
たりする。教団イコール、自分という一体感が、きわめて強い。

 あのポケモン全盛期のときも、こんなことがあった。私が、子どもたちの前で、ふと一
言、「ピカチューのどこがかわいいの?」ともらしたときのこと。子どもたちは、その一言
で、ヒステリー状態になってしまった。ギャーと、悲鳴とも怒号ともわからないような声
をあげる子どもさえいた。

 そういう意味でも、ゲーム脳となった脳ミソをもった人たちと、カルト教団の信者たち
との間には、共通点が多い。たとえばゲームにハマっている子どもを見ていると、どこか
狂信的。現実と空想の世界の区別すら、できなくなる子どもさえいる。たまごっちの中の
生き物(?)が死んだだけで、ワーワーと大泣きした子ども(小1女児)もいた。

これから先、ゲーム脳の問題は、さらに大きく、マスコミなどでも、とりあげられるよう
になるだろう。これからも注意深く、監視していきたい。

 ところで、今日の(韓国)の新聞によれば、テレビゲームを50時間もしていて、死ん
でしまった若者がいるそうだ。たかがゲームと、軽くみることはできない。

注※……K教授は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)と、ファンクショナルMRI
(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置で、実際にゲームを使い、数十
人を測定した。そして、2001年に世界に先駆けて、「テレビゲームは前頭前野をまった
く発達させることはなく、長時間のテレビゲームをすることによって、脳に悪影響を及ぼ
す」という実験結果をイギリスで発表した。

この実験結果が発表された後に、ある海外のゲーム・ソフトウェア団体は「非常に狭い見
識に基づいたもの」というコメントを発表し、教授の元には多くの嫌がらせも殺到したと
いう(NEWS WEB JAPANの記事より)。

(はやし浩司 ゲーム ゲームの功罪 ゲーム脳 ゲームの危険性)

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●ゲーム脳(2)

【M君、小3のケース】

 M君の姉(小5)が、ある日、こう言った。「うちの弟、夜中でも、起きて、ゲームをし
ている!」と。

 M君の姉とM君(小3)は、同じ部屋で寝ている。二段ベッドになっていて、上が、姉。
下が、M君。そのM君が、「真夜中に、ガバッと起きて、ゲームを始める。そのまま朝まで、
していることもある」(姉の言葉)と。

 M君には、特異な症状が見られた。

 祖父が、その少し前、なくなった。その通夜の席でのこと。M君は、たくさん集まった
親類の人たちの間で、ギャーギャーと笑い声で、はしゃいでいたという。「まるで、パーテ
ィでもしているかのようだった」(姉の言葉)と。

 祖父は、人一倍、M君をかわいがっていた。その祖父がなくなったのだから、M君は、
さみしがっても、よいはず。しかし、「はしゃいでいた」と。

 私はその話を聞いて、M君はM君なりに、悲しさをごまかしていたのだろうと思った。
しかし別の事件が、そのすぐあとに起きた。

 M君が、近くの家の庭に勝手に入り込み、その家で飼っていた犬に、腕をかまれて、大
けがをしたというのだ。その家の人の話では、「庭には人が入れないように、柵がしてあっ
たのですが、M君は、その柵の下から、庭へもぐりこんだようです」とのこと。

 こうした一連の行為の原因が、すべてゲームにあるとは思わないが、しかしないとも、
言い切れない。こんなことがあった。

 M君の姉から、真夜中にゲームをしているという話を聞いた母親が、M君から、ゲーム
を取りあげてしまった。その直後のこと。M君は狂ったように、家の中で暴れ、最後は、
自分の頭をガラス戸にぶつけ、そのガラス戸を割ってしまったという。

 もちろんM君も、額と頬を切り、病院で、10針前後も、縫ってもらうほどのけがをし
たという。そのあまりの異常さに気づいて、しばらくしてから、M君の母親が、私のとこ
ろに相談にやってきた。

 私は、日曜日にときどき、M君を教えるという形で、M君を観察させてもらうことにし
た。そのときもまだ、腕や顔に、生々しい、傷のあとが、のこっていた。

 そのM君には、いくつかの特徴が見られた。

(1)まるで脳の中の情報が、乱舞しているかのように、話している話題が、めまぐるし
く変化した。時計の話をしていたかと思うと、突然、カレンダーの話になるなど。

(2)感情の起伏がはげしく、突然、落ちこんだかと思うと、パッと元気になって、ギャ
ーと騒ぐ。イスをゴトゴト動かしたり、机を意味もなく、バタンとたたいて見せたりする。

(3)頭の回転ははやい。しばらくぼんやりとしていたかと思うと、あっという間に、計
算問題(割り算)をすませてしまう。そして「終わったから、帰る」などと言って、あと
片づけを始める。

(4)もちろんゲームの話になると、目の色が変わる。彼がそのとき夢中になっていたの
は、N社のGボーイというゲームである。そのゲーム機器を手にしたとたん、顔つきが能
面のように無表情になる。ゲームをしている間は、目がトロンとし、死んだ、魚の目のよ
うになる。

 M君の姉の話では、ひとたびゲームを始めると、そのままの状態で、2〜3時間はつづ
けるそうである。長いときは、5時間とか、6時間もしているという。(同じころ、12時
間もゲームをしていたという中学生の話を聞いたことがある。)

 以前、「脳が乱舞する子ども」という原稿を書いた(中日新聞発表済み)。それをここに
紹介する。もう4、5年前に書いた原稿だが、状況は改善されるどころか、悪化している。

++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●子どもの脳が乱舞するとき

●収拾がつかなくなる子ども

 「先生は、サダコかな? それともサカナ! サカナは臭い。それにコワイ、コワイ……、
ああ、水だ、水。冷たいぞ。おいしい焼肉だ。鉛筆で刺して、焼いて食べる……」と、話
がポンポンと飛ぶ。頭の回転だけは、やたらと速い。まるで頭の中で、イメージが乱舞し
ているかのよう。動作も一貫性がない。騒々しい。

ひょうきん。鉛筆を口にくわえて歩き回ったかと思うと、突然神妙な顔をして、直立! そ
してそのままの姿勢で、バタリと倒れる。ゲラゲラと大声で笑う。その間に感情も激しく
変化する。目が回るなんていうものではない。まともに接していると、こちらの頭のほう
がヘンになる。

 多動性はあるものの、強く制止すれば、一応の「抑え」はきく。小学2、3年になると、
症状が急速に収まってくる。集中力もないわけではない。気が向くと、黙々と作業をする。
30年前にはこのタイプの子どもは、まだ少なかった。が、ここ10年、急速にふえた。
小1児で、10人に2人はいる。今、学級崩壊が問題になっているが、実際このタイプの
子どもが、一クラスに数人もいると、それだけで学級運営は難しくなる。あちらを抑えれ
ばこちらが騒ぐ。こちらを抑えればあちらが騒ぐ。そんな感じになる。

●崩壊する学級

 「学級指導の困難に直面した経験があるか」との質問に対して、「よくあった」「あった」
と答えた先生が、66%もいる(98年、大阪教育大学秋葉英則氏調査)。

「指導の疲れから、病欠、休職している同僚がいるか」という質問については、15%が、
「1名以上いる」と回答している。そして「授業が始まっても、すぐにノートや教科書を
出さない」子どもについては、90%以上の先生が、経験している。ほかに「弱いものを
いじめる」(75%)、「友だちをたたく」(66%)などの友だちへの攻撃、「授業中、立ち
歩く」(66%)、「配布物を破ったり捨てたりする」(52%)などの授業そのものに対す
る反発もみられるという(同、調査)。

●「荒れ」から「新しい荒れ」へ

 昔は「荒れ」というと、中学生や高校生の不良生徒たちの攻撃的な行動をいったが、そ
れが最近では、低年齢化すると同時に、様子が変わってきた。

「新しい荒れ」とい言葉を使う人もいる。ごくふつうの、それまで何ともなかった子ども
が、突然、キレ、攻撃行為に出るなど。多くの教師はこうした子どもたちの変化にとまど
い、「子どもがわからなくなった」とこぼす。

日教組が98年に調査したところによると、「子どもたちが理解しにくい。常識や価値観の
差を感ずる」というのが、20%近くもあり、以下、「家庭環境や社会の変化により指導が
難しい」(14%)、「子どもたちが自己中心的、耐性がない、自制できない」(10%)と
続く。そしてその結果として、「教職でのストレスを非常に感ずる先生が、8%、「かなり
感ずる」「やや感ずる」という先生が、60%(同調査)もいるそうだ。

●原因の一つはイメージ文化?

 こうした学級が崩壊する原因の一つとして、(あくまでも、一つだが……)、私はテレビ
やゲームをあげる。「荒れる」というだけでは、どうも説明がつかない。家庭にしても、昔
のような崩壊家庭は少なくなった。

むしろここにあげたように、ごくふつうの、そこそこに恵まれた家庭の子どもが、意味も
なく突発的に騒いだり暴れたりする。そして同じような現象が、日本だけではなく、アメ
リカでも起きている。実際、このタイプの子どもを調べてみると、ほぼ例外なく、乳幼児
期に、ごく日常的にテレビやゲームづけになっていたのがわかる。ある母親はこう言った。

「テレビを見ているときだけ、静かでした」と。「ゲームをしているときは、話しかけても
返事もしませんでした」と言った母親もいた。たとえば最近のアニメは、幼児向けにせよ、
動きが速い。速すぎる。しかもその間に、ひっきりなしにコマーシャルが入る。ゲームも
そうだ。動きが速い。速すぎる。

●ゲームは右脳ばかり刺激する

 こうした刺激を日常的に与えて、子どもの脳が影響を受けないはずがない。もう少しわ
かりやすく言えば、子どもはイメージの世界ばかりが刺激され、静かにものを考えられな
くなる。その証拠(?)に、このタイプの子どもは、ゆっくりとした調子の紙芝居などを、
静かに聞くことができない。

浦島太郎の紙芝居をしてみせても、「カメの顔に花が咲いている!」とか、「竜宮城に魚が、
おしっこをしている」などと、そのつど勝手なことをしゃべる。一見、発想はおもしろい
が、直感的で論理性がない。ちなみにイメージや創造力をつかさどるのは、右脳。分析や
論理をつかさどるのは、左脳である(R・W・スペリー)。

テレビやゲームは、その右脳ばかりを刺激する。こうした今まで人間が経験したことがな
い新しい刺激が、子どもの脳に大きな影響を与えていることはじゅうぶん考えられる。そ
の一つが、ここにあげた「脳が乱舞する子ども」ということになる。

 学級崩壊についていろいろ言われているが、一つの仮説として、私はイメージ文化の悪
弊をあげる。

(付記)

●ふえる学級崩壊

 学級崩壊については減るどころか、近年、ふえる傾向にある。99年1月になされた日
教組と全日本教職員組合の教育研究全国大会では、学級崩壊の深刻な実情が数多く報告さ
れている。「変ぼうする子どもたちを前に、神経をすり減らす教師たちの生々しい告白は、
北海道や東北など各地から寄せられ、学級崩壊が大都市だけの問題ではないことが浮き彫
りにされた」(中日新聞)と。「もはや教師が一人で抱え込めないほどすそ野は広がってい
る」とも。

 北海道のある地方都市で、小学一年生70名について調査したところ、
 授業中おしゃべりをして教師の話が聞けない……19人
 教師の指示を行動に移せない       ……17人
 何も言わず教室の外に出て行く       ……9人、など(同大会)。

●心を病む教師たち

 こうした現状の中で、心を病む教師も少なくない。東京都の調べによると、東京都に在
籍する約6万人の教職員のうち、新規に病気休職した人は、93年度から4年間は毎年2
10人から220人程度で推移していたが、97年度は、261人。さらに98年度は3
55人にふえていることがわかった(東京都教育委員会調べ・99年)。

この病気休職者のうち、精神系疾患者は。93年度から増加傾向にあることがわかり、9
6年度に一時減ったものの、97年度は急増し、135人になったという。

この数字は全休職者の約五二%にあたる。(全国データでは、97年度は休職者が4171
人で、精神系疾患者は、1619人。)さらにその精神系疾患者の内訳を調べてみると、う
つ病、うつ状態が約半数をしめていたという。原因としては、「同僚や生徒、その保護者な
どの対人関係のストレスによるものが大きい」(東京都教育委員会)ということである。

●その対策

 現在全国の21自治体では、学級崩壊が問題化している小学1年クラスについて、クラ
スを1クラス30人程度まで少人数化したり、担任以外にも補助教員を置くなどの対策を
とっている(共同通信社まとめ)。

また小学6年で、教科担任制を試行する自治体もある。具体的には、小学1、2年につい
て、新潟県と秋田県がいずれも1クラスを30人に、香川県では40人いるクラスを、2
人担任制にし、今後5年間でこの上限を36人まで引きさげる予定だという。

福島、群馬、静岡、島根の各県などでは、小1でクラスが30〜36人のばあいでも、も
う1人教員を配置している。さらに山口県は、「中学への円滑な接続を図る」として、一部
の小学校では、6年に、国語、算数、理科、社会の四教科に、教科担任制を試験的に導入
している。大分県では、中学1年と3年の英語の授業を、1クラス20人程度で実施して
いる(01年度調べ)。
(はやし浩司 キレる子供 子ども 新しい荒れ 学級崩壊 心を病む教師)


++++++++++++++++++++++++++はやし浩司

●失行

 近年、「失行」という言葉が、よく聞かれるようになった。96年に、ドイツのシュルツ
という医師が使い始めた言葉だという。

 失行というのは、本人が、わかっているのに、できない状態をいう。たとえば風呂から
出たとき、パジャマに着がえなさいと、だれかが言ったとする。本人も、「風呂から出たら、
パジャマに着がえなければならない」と、理解している。しかし風呂から出ると、手当た
り次第に、そこらにある衣服を身につけてしまう。

 原因は、脳のどこかに何らかのダメージがあるためとされる。

 それはさておき、人間が何かの行動をするとき、脳から、同時に別々の信号が発せられ
るという。行動命令と抑制命令である。

 たとえば腕を上下させるときも、腕を上下させろという命令と、その動きを抑制する命
令の二つが、同時に発せられる。

 だから人間は、(あらゆる動物も)、スムーズな行動(=運動行為)ができる。行動命令
だけだと、まるでカミソリでスパスパとものを切るような動きになる。抑制命令が強すぎ
ると、行動そのものが、鈍くなり、動作も緩慢になる。

 精神状態も、同じように考えられないだろうか。

 たとえば何かのことで、カッと頭に血がのぼるようなときがある。激怒した状態を思い
浮かべればよい。

 そのとき、同時に、「怒るな」という命令も、働く。激怒するのを、精神の行動命令とす
るなら、「怒るな」と命令するのは、精神の抑制命令ということになる。

 この「失行」についても、精神の行動命令と、抑制命令という考え方を当てはめると、
それなりに、よく理解できる。

 たとえば母親が、子どもに向かって、「テーブルの上のお菓子は、食べてはだめ」「それ
は、これから来る、お客さんのためのもの」と話したとする。

 そのとき子どもは、「わかった」と言って、その場を去る。が、母親の姿が見えなくなっ
たとたん、子どもは、テーブルのところへもどってきて、その菓子を食べてしまう。

 それを知って、母親は、子どもを、こう叱る。「どうして、食べたの! 食べてはだめと
言ったでしょ!」と。

 このとき、子どもは、頭の中では「食べてはだめ」ということを理解していた。しかし
精神の抑制命令が弱く、精神の行動命令を、抑制することができなかった。だから子ども
は、菓子を食べてしまった。

 ……実は、こうした精神のコントロールをしているのが、前頭連合野と言われている。
そしてこの前頭連合野の働きが、何らかの損傷を受けると、その人は、自分で自分を管理
できなくなってしまう。いわゆるここでいう「失行」という現象が、起きる。

 前述のWEB NEWSの記事によれば、「(前頭連合野は)記憶、感情、集団でのコミ
ュニケーション、創造性、学習、そして感情の制御や、犯罪の抑制をも司る部分」とある。

 どれ一つをとっても、良好な人間関係を維持するためには、不可欠な働きばかりである。
一説によれば、ゲーム脳の子どもの脳は、この前頭連合野が、「スカスカの状態」になって
いるそうである。

 言うまでもなく、脳には、そのときどきの発達の段階で、「適齢期」というものがある。
その適齢期に、それ相当の、それにふさわしい発達をしておかないと、あとで補充したり、
修正したりするということができなくなる。

 ここにあげた、感情のコントロール、集団におけるコミュニケーション、創造性な学習
能力といったものも、ある時期、適切な指導があってはじめて、子どもは、身につけるこ
とができる。その時期に、ゲーム脳に示されるように、脳の中でもある特異な部分だけが、
異常に刺激されることによって、脳のほかの部分の発達が阻害されるであろうことは、門
外漢の私にさえ、容易に推察できる。

 それが「スカスカの脳」ということになる。

 これから先も、この「ゲーム脳」については、注目していきたい。

(補記)大脳生理学の研究に先行して、教育の世界では、現象として、子どもの問題を、
先にとらえることは、よくある。

 たとえば現在よく話題になる、AD・HD児についても、そういった症状をもつ子ども
は、すでに40〜50年前から、指摘されていた。私も、幼児に接するようになって36
年になるが、36年前の私でさえ、そういった症状をもった子どもを、ほかの子どもたち
と区別することができた。

 当時は、もちろん、AD・HD児という言葉はなかった。診断基準もなかった。だから、
「活発型の遅進児」とか、「多動性のある子ども」とか、そう呼んでいた。「多動児」とい
う言葉が、雑誌などに現れるようになったのは、私が30歳前後のことだから、今から、
約30年前ということになる。

 ゲーム脳についても、最近は、ポジトロンCT(陽電子放射断層撮影)や、ファンクシ
ョナルMRI(機能的磁気共鳴映像)いう脳の活性度を映像化する装置などの進歩により、
脳の活動そのものを知ることによって、その正体が、明らかにされつつある。

 しかし現象としては、今に始まったことではない。私が書いた、「脳が乱舞する子ども」
というのは、そういう特異な現象をとりあげた記事である。

(はやし浩司 脳が乱舞する子ども 子供 ゲーム脳 前頭連合野 管理能力 脳に損傷
のある子ども 子供 失行 ドイツ シュルツ 医師 行動命令 抑制命令 はやし浩司 
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浩司 ゲーム脳 森教授 川島教授)